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 冬に薙ぎ払われた無人の街をやや進むと活気が見えてきた。
 いや、これをそう呼んでいいかには疑義の余地が多大にあったろうが。

 一度だけ、だめになった人というのを見たことがある。
 学校近くの公園に住み着いた、見るからに正気を失った風体の浮浪者だった。

 視線は空を泳ぎ、口から発される言葉はそこにいない誰かに向けたもので。
 腕には紫色の注射痕がいくつもあり、針の折れた注射器が"すみか"の近くに転がっていた。
 その人は結局、すぐに然るべき機関に連行なり保護なりされたようだったけど。
 今の渋谷は、そういう人で溢れていた。というか、そういう人間しか見当たらなかった。

 最大限好意的に言うなら、童心に帰っているとも呼べたかもしれない。
 目の前の現実をゴミ箱に放り捨てて、自分の中の理想郷に耽溺する。
 語る言葉に現実味はなく、働くことはおろか逃げるのもやめて路上に座り込み、へらへらとどこかで見たような顔で笑っている。

 そんな麻薬中毒の末期症状めいた様体の人間がそこかしこに跋扈している。
 恐らく、ほとんどは例の異常気象から逃げようと這い出てきた避難民だろう。
 しかし今やその初志を抱き続けている者はひとりも見られない。
 全員が自堕落(しあわせ)になっている。此処で誰かが刃物を持って暴れ出しても、彼らは夢を見たまま死んでいくに違いない。

「ひどいもんですね」
「うむ、まったくだ」

 心にもなさそうな憐憫の言葉を吐きながら、主従は並んで街路を進んでいく。
 ろくなことになっていないと予想はしていたが、流石にこれは想像以上だった。

 世界を統べるルールが変わったかのように、地上がドリーマー達の楽園と化している。
 薊美達はまだ正気だったが、彼女らの脳にも神の甘言は例外なく流れ込んでいた。

「清算を済ませた後でよかったなあ。や、私は悪魔の囁きごときでヘタれる腑抜けではないのだが」

 生前の雪辱を果たし、薊美達は現在異変の根源に向けて進行中だ。
 恐れはない。先の戦闘で負った疲労も、茨の王子の足を止める理由とはなり得なかった。
 そんな彼女らの脳裏に絶えず鳴り響くのは、聞き覚えのあるウィスパーボイス。

「で、アテはあるのかな?」
「ホテルです。さっきまであの人達といたあそこ」
「ふーむ……。いささか安直な気もするが……」
「たぶん間違いないと思いますよ。あの時のお姉さん、本当に楽しそうだったから」

 薊美は、体のいい理由を付けて件の集団から離脱していた。
 その結果遭遇したのがカスターの仇敵と、期せずして訪れた薊美自身への試練。
 因縁の清算が叶ったことを除いても、離脱は正解だったとそう考えている。

 渋谷の星神は天枷仁杜だ。
 これに関しては、もう理由を語るまでもない。
 問題は、何がどうなってこの結果に至ったのかだ。

「高天さんが死んだんでしょうね」

 仁杜を最も揺るがす事態は、彼女にとっての半身の欠落以外にあり得ない。
 月の寵愛を受けていた者といえばウートガルザ・ロキも候補に挙がるが、より現実的なのはこちらだろう。

「で、ロキは尻拭いをしきれなかった。信じ難い話だけど、彼も落ちたと見るのが妥当だと思う」

 自分達が離脱した後、ホテルを出た仁杜達を何かが襲った。
 経緯は不明だが、そこで高天小都音が死亡。
 仁杜の動揺が最高潮に達し、彼女を守るためにウートガルザ・ロキも消滅した。
 すべてを失った仁杜が恒星として覚醒、そうして時は今に至る。それが薊美の推論だ。

「ライダー。サーヴァントの貴方から見て、此処では何が起きてるのかな?」
「理屈だけで言うなら、固有結界の展開だな」
「固有結界。確か、心象風景の具現化――だったっけ」
「exactly。ただし、性質としては私の『朽ちよ、赤き蛮族の大地に(インテンス・ソルジャーブルー)』に近いだろう」

 カスターの第二宝具『朽ちよ、赤き蛮族の大地に』は、自己を中心とした一定範囲に"領域"を拡げる対軍結界宝具である。
 範囲内の空間はカスターの神秘をルールとして運用されるが、心象の展開ではないため結界を閉じることはできない。
 渋谷を覆う月の法も同じで、実際渋谷は狂気に堕ちてはいても、中と外を物理的に遮断する外壁までは展開されていなかった。

「それだけ聞くと、本家本元の劣化版みたいに聞こえるけど」
「私のは確かにそうだな。自分で言うのは複雑だが、結界としての強度は固有結界に数段劣る」

 だが、と、カスター。

「この街を覆っているものはむしろ逆だ。そちらより格段にレベルの高い、魔法にも等しい芸当だよ」
「説明を」
「堕落という心象風景を、ただそこにいるだけで垂れ流しにしているのだ。
 結界を閉じていないのがその証拠。言うなれば、常時発動型の固有結界か」

 ジョージ・アームストロング・カスターは魔術師ではないが、サーヴァントとして座に登録されるにあたり、諸般の知識は習得済みだ。
 よって彼は、薊美にこの状況に対する正確な説明を下すことができる。
 ただし英霊の視座から見ても、これはまったく異常に尽きる地獄絵図であったのだが。

「そうだな、例えば――私が例の宝具を常に発動し続けることができたとしたらどうなると思うね?」
「反則ですね。それならさっきの戦いも楽に勝てただろうけど……、消費で私が干からびちゃうかな」
「いい回答だ。まさにその通り。誰も出来ないし、出来たとしてもこんなことはやらない。魔力(リソース)の備蓄が保たないからだ」

 蛇口を捻りっぱなしにし、かつ排水口を用意しなければ、水は際限なく溜まっていつか地上に溢れ出す。
 それは理論上洪水にもなり得るだろうが、当然の話、水もまた有償有限の物資。
 いつか源泉の方が尽きるから、ひとつの蛇口で世界を洗い流す大洪水は引き起こせない。
 しかし水道と接続された水源が、正真正銘無限大の物量を持っていたとしたら?

「"彼女"にはそれがないのだろう。端的に言って凄まじい、清々しいまでの反則だよ。
 こんな真似をされては聖杯戦争など茶番劇だ。あるいは、"彼女達"と言うべきなのかもしれないが」

 その蛇口は、惑星を破壊する破滅のスイッチたり得る。
 天枷仁杜の固有結界とはまさしくそれだ。
 絶えず心象を漏出させ、果てしなく版図を広げる王者の法。

 "侵食固有結界"。

 文字通り、世界をも滅ぼす御業である。

「さっきから感覚を研ぎ澄ましているが、やはり拡がり続けているな。
 トウキョウ程度の面積であれば、覆い尽くすのに半日もかかるまい」
「じゃあ、やっぱり誰かがやらなきゃいけないってコトだ」
「くく――愉快な話じゃないか、令嬢(マスター)よ。
 リトルビッグホーンの雪辱を果たしたギャリーオーウェンは、次に世界を救うのだ」

 かつて神は、ヒトの罪業を払拭するために大洪水を起こしたという。
 しかし時は流れ、今度はヒトが神の世界を荒い流すための洪水を起こす。
 次の水の名は感情。堕落の法を以って苦界を断ち、地球を月に書き換える大滅亡。

 ならばそれに仇なす者は誰であろうと、世界を救う救世主(メサイア)と呼ばれるべきだろう。

 カスターとの会話を終えて、薊美は考える。
 思い出されるのは、ウートガルザ・ロキとの対話だった。
 奇術師の王は茨の王子を嘲弄し、彼女に炎の剣を授けた。
 神殺しの剣。ラグナロクの導き手の証たる、災禍の剣(レーヴァテイン)を。

「……本当、最後まで勝手な人でしたね。あの人」

 よもや、自分の目の届かない場所で死なれるとは思わなかった。
 宣戦布告までして乗ってやったのに、とんだ肩透かしを食わせてくれたものだと思う。

 結局のところ、奇術王にとって主役たり得る存在は天枷仁杜ただひとりで。
 それ以外のすべてを、アレは単なる引き立て役としか思っていなかったのだろう。
 その傲りが、圧倒的強者であったロキの失墜を招いたのか。
 そうであったなら痛快だが、きっと違う気がした。
 たぶん彼が死んだのは、またもっと別な理由。
 単純な失策や因果応報ではなく、聞けば慄くか莫迦なのかと笑いたくなるような、そんな劇的な(つまらない)ものではなかろうか。

 彼と直接相対し、言葉を交わし、運命を授かった薊美だからこそそれが分かる。
 心底ムカつく、口を開けば神経を逆撫でしかしてこない糞野郎だったが。
 同時に、彼は今まで見たことがないほどのロマンチストでもあった。
 わざわざ意中の姫を殺しかねない相手に〈神殺し〉なんてものを授けたのがまさにその証拠。

 それは、伊原薊美が決して持ち得ないたぐいの余白だった。
 心の贅肉。故に薊美なら切り捨てる。だがロキは、それと心中することを選んだわけだ。

「あなたもそう思いませんか」

 さようなら、と胸の裡で別れを告げる。
 惜しむ気持ちはない。むしろせせら笑っている。
 星に挑むにあたり、最大の障害が勝手に消えてくれたのだ。何故悲しむことがあろうか。

 彼の死がもっと破滅的な事態を生み出したと言えなくもないが、だとしても上等。
 主役が心血注いで挑む敵は、強大であればあるほどいい。
 その難峰を踏破してこそ、星の如き主役は成立し得る。
 客席(うちゅう)の喝采をすべて独占する、唯一にして無二なるスターは。

「ねえ――――お姉さん」

 薊美は足を止め、己が前方に佇むソレを見た。
 薄光の羽衣。白く伸びた長髪。左右非対称のオッドアイ。
 何から何まで神々しく変わり果てた、自分に"はじめて"を教えた夜空の星。

 月姫・天枷仁杜に向けて、茨の王子は変わらぬ不敵(えがお)で微笑む。



◇◇◇



 第一印象。
 これは、もはや地上にあってはならない存在だ。

 ヒトの世にいるには眩しすぎる。
 その輝きは温和だが、だからこそ毒だ。
 相対しているだけで緊張感を胸の信念ごと削ぎ落とされ、何もかも忘れて堕落に耽りたくなってくる。

 言うなれば午睡の神。
 冬の朝、布団の中で誰もが覚えるあの誘惑。
 それを何万倍にも高め上げた"悪魔の囁き"の擬人化だった。
 ほとんどの人間はこれに耐えられないし、薊美ですら演者(アクター)としての補正がなければ正気を保てないだろう。

「おかえり、薊美ちゃん。待ってたんだよ」

 そんな風になっても、この女は変わらずへにゃりとした顔で笑うのだ。

「どうも。お久しぶり……ではないですね。さっきぶりかな」

 変わらない気安い応対をしつつ、薊美は油断なく分析に徹する。
 表情。声色。一挙一動、ひとつたりとも見逃さない。
 何しろ相手は、もう自分と同じ人間ではないのだから。
 今一番大切なのは"理解"だ。この悍ましいほど美しいバケモノを、知り尽くすこと。

「私達がいない間、ずいぶん色々あったみたいですね。高天さん達はどちらに行ったんですか?」
「ほんとだよぅ。もう大変だったんだから」

 答えになっていない。
 このやり取りを踏まえて、薊美は推測を確信に変えた。
 高天小都音、ウートガルザ・ロキの両名は死亡している。
 彼女達の死が、月の神の誕生に繋がった。

 現場に居合わせず済んだのは幸か不幸か。
 尤もロキが脅かされるほどの激戦が起こっていたなら、薊美は薊美で行動していた可能性が高い。
 そう考えると、手を汚さずに済んだことを喜ぶべきなのだろう。
 今の自分ならばいざ知らず。あの時点の自分では、神の降臨という激震に耐えられたか判断がつかない。

「……危ないですよ、一人でこんなところまで出てきたら」
「大丈夫大丈夫。何かあったらカインちゃんがすっ飛んできてくれるし」

 薊美の眉が動く。
 仁杜はそれに気付かず、「あっ、真名って言っちゃダメなんだっけ」と口を覆っていた。ロキの時の癖が抜け切らないようだ。

「なるほど。周りに愛されてるんですね、相変わらず」

 皮肉が通じるとは思えないが、言わずにはいられなかった。
 高天小都音は献身的なことに、死に際に置き土産を残して逝ったらしい。

 セイバーの英霊、トバルカイン。
 一騎当千の凶手。殺人という罪業の擬人化。
 薊美も何度か彼女が剣を振るう場面を見ているが、アレは殺陣というより一種の作業だ。
 そんなもうひとりの怪物が、小都音という首輪を外され遂に真価を発揮し始める。

 正直、考えるだけで気が重かった。
 薊美としては、むしろロキの方がまだ挑み甲斐があった。
 あの人殺しの専門家の中に、利用できそうな粋や流儀は恐らく存在すまい。
 学び、取り込み、演じるのが生業の茨の王子にとっては天敵と言ってもいい。
 薊美を覚醒(めざ)めさせた極星もまたカインを天敵としていたことは、全く皮肉と言う他ないだろう。

「そういう薊美ちゃんはなんかかっこよくなったねぇ」
「かっこよくなった、ですか」
「うん。ますますイケ女になっちゃって……わたしもお姉さんとして嬉しいよ、むふふふふ」

 華村悠灯との一戦で得るものはあった、と暗に伝えられ、小さく息を吐く。
 当然だ。あんな泥臭い殺し合い、無償でやらされて堪るかと思う。

 それよりも、恒星の最終形に至った仁杜は常人とは異なる感知能力を得ているのかもしれない。
 ならばその彼女にお墨付きを貰えたのは喜ぶべきなのだろう。
 伊原薊美は、着実に天上の星空への階段を登っている。
 であればヒトと星の中間に立った自分が、次に成すべきことは――。

「さ。一緒に帰ろう? 薊美ちゃん」

 仁杜が、手を差し出してくる。
 屈託のない笑顔。微塵も警戒心のない、全幅の信頼。

 天枷仁杜はダメ人間だが、友達に対しては少しだけ優しくなれる。
 超越者になってもそんななけなしの美点は健在らしい。
 薊美は彼女の目を見ながら、ゆっくりと右手を伸ばし。
 そして――

「お断りします」

 す、と、伸ばしたその手を引っ込めた。
 これみよがしに、わざとらしく。
 舞台劇の演者が台本に沿ってそうするように。

「……え? なんで」

 ぱちくりと目を見開いて、首を傾げる仁杜。
 今も自分を"友達"と信じている愚かな神に、薊美は口元を歪めて応える。

「そもそも私は、あなたのお友達になったつもりはありませんから。
 私が見ていたのは、あなたを中心に成り立っていたあの同盟そのものです。
 他の誰も太刀打ちできない圧倒的戦力。これ以上ない、最高の寄生先でした」

 嘘は言っていない。あの同盟に籍を置く安心感は破格だった。
 なんでもありの最強と、命を殺すということの最強が並び立ち。
 物量戦に優れるカスターが陣形を支え、極めつけに柱として〈恒星の資格者〉まで有する。

 華村悠灯と戦闘している時、彼らのことを思い出す瞬間がなかったと言えば嘘になる。
 それくらいには優秀で、万能感すら抱かせるほどの布陣が確立されていた。
 一時は薊美も、その一員という立場に甘んじかけていたほどには。

「でも、私はお姫さまに仕える眷属(ナイト)なんかじゃないんです。
 私が望むのは勝つこと、勝ち続けること。その上で、望む境地に至ること」

 されど楪依里朱との対話を糧に、薊美は俗人の殻を破った。
 木星の運命を超克し、鋼の恒星となるべく歩み始めた。

 もしも、同盟陥落の原因となった戦闘に薊美が居合わせていたら。
 そうでなくとも、それができるタイミングがあったなら。
 その時彼女が取っていたであろう行動がひとつある。
 あの同盟には心臓があった。そしてそれは、天枷仁杜ではない。

「高天さんは死んだんでしょ。どこの誰がやったのか知らないけど、ちょっと残念です。その役目は私がこなすつもりだったのに」

 仁杜はあくまで"お姫さま"。
 高天小都音こそ、同盟の心臓だった。
 心臓が潰れれば総体は崩壊し、大量の血飛沫が噴き上がる。

 これを以って薊美は、厄介な同盟を処理しつつ月との完全な訣別を果たすつもりだったのだ。
 小都音の死を自分が星に挑む神話、〈神殺し(ラグナロク)〉の序章とする。
 我ながら素晴らしい筋書きだと思っていたのに、どこかの誰かが先走ったせいでまんまと見せ場を奪られてしまった。
 惜しい、と思う。本当ならこの女に本心を伝えるのは、小都音の死と同じタイミングで行いたかったのに。

「ロキさんがいるから大丈夫と信じて留守を預けたんですけどね。
 まさか私が戻る前に全部終わっちゃうとは思いませんでしたよ」

 そこに関しては、正直言いたいことはある。
 最後まで端役として片付けられた事実は屈辱だ。
 その恨み節も込めて、演技の毛色を変える。
 主役から悪役に。見る者が怒りに震えるようなヒールを体現する。
 万年主役の薊美には縁のない役柄だが、やってやれないことはない。茨の王子は万能だから。

「本当に、使えない男」

 白い歯を覗かせて、もういない道化師を鮮やかに嘲笑した。

「強さしか取り柄のないペテン師が、それまでなくしたらただの無能でしょ」

 さあ、どう出る。
 藪を突いて蛇を出す。
 祠を蹴飛ばし神を出す。
 炎剣の柄を握る手に力を込め、何が起きてもいいように備えて待つ。
 そんな彼女の前で、月の女神は。

「――えっと。つまり結局、薊美ちゃんはもうわたしの友達でいてくれないってこと?」

 怒るでも泣くでもなく、首を傾げたままの格好で問いかけてきた。

「話聞いてました? 友達だった時間なんて元々ないんですよ。あなたが勝手に勘違いしてただけ」
「あ、そうなんだね。そっかそっか、いーちゃんと同じかぁ……じゃあ、うーん」

 表情は笑顔のままで眉を動かす。
 違和感があった。彼女らしくない反応だと、思った。
 薊美の知る仁杜は、感情表現の塊だ。
 嬉しいと大いに笑い、悲しいと大いに泣く。
 怒る時はぷりぷりと頬を膨らませ、楽しいと年甲斐もなくスキップだってする。こんな二十四歳他に見たことない。

 彼女がそんな女だからこそ、薊美は悪役として傷ついた心を煽り立てた。
 だがすぐに、それが間違いだったことを思い知らされる。
 間違えていたのは現状認識、その前提条件。


「ならいいや。ばいばい、薊美ちゃん」


 天枷仁杜は、もう傷ついてなどいない。
 月の女神は堕落を愛し、教義とし、こっちにおいでと押し付ける。
 その言い出しっぺである彼女もまた、とっくに"そう"なっていたのだ。

「――令嬢!」
「うん、分かってる。アテが外れたね」

 笑顔のまま仁杜が、ぱんと手を叩いた。
 次の瞬間、神の背後から超巨大な無数の獣が溢れ出す。

「白狼(フェンリル)……恐ろしいな、鳩の代わりにしては些か物騒ではないかね!?」

 北欧神話における最強生物の一つ。
 冬の狼、白きフェンリルの出現だ。
 ただし白狼は一匹ではなく、群れを成している。
 目視できるだけで九頭のフェンリルが、薊美達を睥睨して涎を滴らせていた。

「どうどう、待って待って。一頭ずつじゃまたやられちゃうかもしれないし――」

 そんな恐ろしい獣の群れを、仁杜は子犬でも相手にするように制止。
 ウートガルザ・ロキの心臓を喰らいひとつになった彼女には、ロキの戦いの記憶が宿っている。
 テーバイの不敗将軍エパメイノンダスの宝具により幻術のフェンリルが討伐された記録を参照。

「――これを、こうして、こうで、うぅん、後は適当でいっか。できあがり!」

 それを基に、同じ轍を踏まないように新作として作り直す。
 ちいさな手でこねこねと巨体を捏ねくり回し、紙粘土でも成形するように原典を冒涜。

「行っておいで、ニウ・フェンリルちゃん。帰ってきたらおやつあげるね」

 顕れた/再成形されたのは、九つの頭を持ち、九倍の体躯を有する巨獣だった。
 軍勢召喚宝具の解放に匹敵する物量を瞬時に用立てておきながら、仁杜は微塵も消耗していない。
 これが神。これが星。途絶の確定した事象にのみ出現する、無限可能性の終末装置。

 けれど薊美は、恐れるでもなくただ仁杜を見ていた。
 そこに宿る感情は嫌悪と憧憬。でもそれだけではなく。
 追加で、憐憫と。もしかしたら彼女らしからぬ、ある種の哀愁。

「……そうですか。ごめんなさい、見誤りました」

 極星・神寂祓葉を目の当たりにした時にも。
 最強・ウートガルザロキと対峙した時にも、浮かべることのなかった複雑な心境を声に乗せて。

「あなた――――壊れちゃったんですね、お姉さん」

 伊原薊美は、天枷仁杜をそう定義する。
 親友を失い、片割れを亡くしたひとりぼっちのお姫さま。
 彼女の心は、その喪失(いたみ)に耐えられるほど強くはなくて。
 だから真っ先に、自分自身が堕落の理に耽溺した。

 死を理解せず、そもそも見もしない。
 挑発も悪意もどこ吹く風と聞き流す。
 物事を表層でしか捉える気がなく、その愚かさにも気付けない。そういう風に自己を書き換えた。

「お姉さん。届くか分かりませんけど、聞いてください」

 薊美は言う。
 自分が生死の境に立っていることは自覚していたが、此処で吐けなければ主役の器などないと断ずる。

「私はあなたを殺します。あなたという星を踏み台に、我が身は必ず夜空へ至る」

 それは、宣戦布告であった。
 ロキが死に、神殺しの剣(レーヴァテイン)に根付く呪いは消えた。
 彼の忘れ形見がいつまで残り続けるかは分からないが、今のこの剣は奇術王が奉じた星をも斬れる。

 己が成すべきはラグナロク。
 完遂すべきはトリロジー。
 天への到達と、林檎の鏖殺と、極星の弑逆。
 これはその第一歩に過ぎない。ただし、他のすべてに勝るとも劣らない重みを持つ一歩目だ。

「そうでなければ、私は私でいられない。それに」

 そして理由はもうひとつ。
 天枷仁杜が神となり、渋谷を起点に己の法を布き。
 薊美の脳にまで届いたその"声"が、別な意味でも月女神を茨の王子の不倶戴天に変えた。

「――――あなたは、私の大切なモノを侮辱した」

 諦めろ。諦めろ。諦めてしまえ。
 すべてに価値はない。おまえだけが正しい。
 おまえに纏わりつくすべては、単なる雑音に過ぎないのだからと。

 そう謳う声にどれほど薊美が憤激したか、目の前の彼女は想像もしないのだろう。
 表面上は涼しい顔をしていたが、内心では弾け飛びそうなほどの怒りを覚えていた。
 必ず。この"神"を討たねばならないと、改めてそう決意させた。

「呪いだなんて勝手に決めるな。私のしあわせは、私だけが決めていいんだ」

 ――君は、素晴らしい才能に恵まれているんだ。
 ――君ならお姫さまにだって、王子さまにだってなれる。
 ――その素質を輝かせる道を歩むべきだと、僕は願っている。

 薊美の〈はじまり〉たるその声を、月の女神は無視していい雑音だと断じたのだ。
 ならば薊美は、彼女を殺してそれを否定するしかない。
 そういうものなのだ。それだけが、彼女が今も抱く唯一の幼気なのだから。

「そう」

 仁杜は笑う。
 壊れたまま、屈託なく笑う。

「できるといいね。がんばれ、王子さま」

 九頭を持つ狼――ニウ・フェンリルが吠えた。
 同時にカスターが騎兵隊を展開。薊美を乗せ、逃亡劇を開始する。

「ライダー!」
「了解(Yes,sir)! まあ、効く気はしないがな!」

 騎兵隊の一斉射撃が、奇形の白狼とこれを生み出した女神に殺到。
 が、案の定この程度では幻術の合成神獣は倒せない。
 そこまでは分かっている。問題は仁杜の方であったが、こちらも悪い予想が的中した。

 棒立ちの仁杜に触れた弾丸が、次々とマズルエネルギーを喪失して地面に落ちていく。
 当の神には傷ひとつなく、それどころか何の痛痒も与えられていないのが明白だった。
 ――無敵。チープな単語だが、実際に立ちはだかられてみるとこうも絶望的な気分になるものか。

「まったく……嫌になるな」

 こうして、真の意味で月姫の同盟は終幕を迎えた。
 次なる演目の名はラグナロク。
 隻眼の神(オーディン)はウートガルズの霧の中で、夢見るように微睡んでいる。



◇◇



「よかったのかね?」

 騎馬の足並みに揺られながら、気疲れを示すように脱力している薊美に。
 騎兵隊の長たるジョージ・アームストロング・カスターは、不意にそう問いかけた。

「何がですか?」
「堕落者(ニート)のお嬢さんのことさ」

 呑気に語らえるような状況では断じてない。
 正直に言って、現在進行形で弩級のピンチだ。
 追跡者は幻の合成神獣、九頭を持つニウ・フェンリル。
 度重なる戦闘で消耗した薊美とカスターではとても正面からは相手取れないし、万全だったとしても勝てるかどうか非常に怪しい悪夢の追跡者だ。

「これは私の感想なので、聞き流してくれてもいいのだが」

 街路を何度も曲がって、どうにか撒こうと苦心する。
 それでももう暫くはこの絶望的な逃走劇が続くだろう。
 そんな中でカスターは、己の聖戦を勝利へ導いてくれた令嬢(マスター)へと語りかけた。

「君は、あのお嬢さんを好いているものと思っていた」
「……、……」
「高天小都音やその他諸々に比べて、露骨に対応が甘かったからな。
 無論彼女が星だということもあるだろうが、とはいえ憎からず思う部分はあったのではないか?」

 傲岸不遜、大胆不敵。
 主役の道を地で行く女にかけるには、ともすれば見当違いな評であったかもしれない。
 が、薊美はわずかに逡巡した後、少しだけ微笑みながら答えた。

「かもね」
「意外だな。てっきり否定するものかと」
「自分を誤魔化しても仕方ない。
 認めるよ、私はあの人のコト、結構好きだった」

 それは。
 茨の王子の根幹をも揺るがし得る、告白だったろう。

「面白いでしょ、あの人」
「まあ、うん。傍から見ている分にはな」
「私、見ての通りこんなだから。取り巻きとか追っかけに困ったことはなかったんだけど」

 これから星になろうとする女が、他所の星に灼かれていたと認めるようなものだ。
 存在意義の否定はもちろん、ある種の敗北宣言と言ってもそう差し障りはない。
 なのに何故、よりにもよって伊原薊美がそんなことを口にするのか。

 強いて理由を求めるならば、華村悠灯との邂逅が一石を投じたのかもしれなかった。
 美しくはなく、ただひたすらに不格好に足掻く人間の生き様。
 見苦しいほど必死で、だからこそ手強い。そういうカタチもあると薊美は知った。
 だからこそ、見ないようにしていた自身の陥穽を直視する覚悟もできた。

「誰かに振り回されるっていうのは、正直けっこう新鮮だった」

 何の常識も通じない女だった。
 大の大人がこれをやっていると思うと戦慄さえした。
 だけど何故だか、そのわちゃわちゃした賑わいに引っ張られるのは然程悪くはなくて。
 そういう意味では薊美にとって人生で初めて、対等に付き合うことのできた相手だったのかもしれない。

「でも駄目。私は、対等(それ)に耐えられない」

 けれど、すべては遅かれ早かれだ。
 誰かが仁杜を壊さなくても、薊美がそれをやっていた。
 小都音を殺し、月姫のしあわせの庭を壊していた。

「あんな目障りなモノ、壊さずにはいられないもん」

 神は生まれ、月は壊れ果てる。
 その筋書きが変わることはきっとなかった。
 よって、すべては益体のない"もしも"に過ぎない。
 しあわせの庭の末路は崩壊。
 薊美が仁杜のことを、個人的にどう思っていたとしても。
 結局茨の王子は、空を目指さずにはいられないのだから。

「すまない。不要なことを聞いたかな」
「ううん。なかなか有意義な問答だったよ」
「なら良かった。して、これからどうする?」
「そこについては、ちょっと考えがあるかな」

 ともすればすり潰されそうな現状の中でも、薊美は何も不安など抱いていない。
 神と戦って敗れるならばいざ知らず、その走狗如きに己が滅ぼされるものかと。
 そう信じているから、彼女の心拍は実に平静だった。
 そういう意味でもやはり、薊美がカスターを喚んだのは当然の帰結だったのか。

「お姉さん、私の言葉に対して"いーちゃんと同じ"って言ってましたよね」
「ああ。私も聞いた」
「つまり、高天さんとロキが死んだ一因を作ったのは楪依里朱。あの魔女も、その場に居合わせてたってこと」

 結果的に勇み足で邂逅したことが窮地を生んだわけだが、仮にこちらが求めずともあちらから会いに来ていただろう。
 それに、得られたものはいくつもあった。
 中でも最も大きいのは、予想を確信に変えられたことだ。

 終末星・天枷仁杜は正攻法では倒せない。
 恐らく彼女は精神に貼っている防壁を肉体に対しても適用している。
 すなわち無敵。仮にこの都市で最大の火力を持ってきたとしても、堕落に微睡む月女神を貫くことは不可能だ。
 つまり、今の自分達ではアレをどうにもできないということ。
 そこで薊美は、実行犯へと白羽の矢を立てる。

「どこにいるのか知りませんけど、付き合ってもらいましょう。元凶として製造責任を取って貰わないと」

 魔女・楪依里朱。
 仁杜の、もうひとりの"友達"だ。

 都市の中心が神寂祓葉ならば、〈はじまりの六人〉はそれを囲う六つの衛星。
 認めるのは癪だが、この聖杯戦争という舞台において彼ら彼女らの持つ役者としての価値は抜群に高い。
 そんな魔人どもの一角とせっかく築くことのできたコネクション。当然、利用しない手はなかった。
 戦力としての意味も大きいが、本命は彼女が"神の誕生"に立ち会った人間であるという事実。
 薊美は楪依里朱こそが天枷仁杜を羽化させた張本人だと目している。聞けることも、彼女を味方につけてできることも、きっと多い筈だ。

 無論最後に神の首を獲るのは自分と決めているが、一度謁見してみて分かった。
 完成した恒星が皆ああなるのかはさておき、月女神の星光には仕掛けがある。

 大英雄ヘラクレスが、不死身の毛皮を持つネメアの獅子を絞殺したように。
 幻想奇譚の吸血鬼を殺すのに、銀の弾丸が必要なように。
 何かの条件を満たして無敵のヴェールを剥がなければ、自分達人間は女神に傷ひとつ付けることができない。
 物理的な防御力ではなく、法則としての絶対防御だ。
 あのウートガルザ・ロキですら〈蝗害〉相手に手傷を貰っていたことを鑑みるに、文字通り次元の違う存在になってしまったと考えるのが自然だろう。

「ライダー。あなたの第二宝具でなら、あの時どうにかできたと思う?」
「Hmm……確かに我が霊基に刻まれし"ワシタ川の再演"は、小癪な障壁など紙切れのように撃ち抜くが――」

 殲滅・鏖殺の最高峰たる第二宝具を使う手もあったが、薊美も魔力に余裕がない。
 よって見送ったが、カスターの見解を聞くにそれで正解だったようだ。

「――撃ってみて、どうも妙な感覚があってなぁ。
 アレは恐らく位相(レイヤー)の違いのようだった。
 写真の中の人間に弾丸を放ったところで、現実の被写体を害することはできないだろう?」
「なるほど。なんか、意外と説明上手ですね」
「これでも一応軍属のエリートなのでね。
 とはいえ、もし本当にそうならそれはこの世からの隔離……これまた魔法の域に届く芸当なのだが。うーーん、問題は山積みだな!!」

 薊美は改めて、イリスを探し出す決意を新たにする。
 合理的な観点以外でも、そうしなければならないと思う理由はあった。

(にーとのお姉さんは、友達が大好きだもんね)

 ならば陥穽は、やはりそこにある筈なのだ。
 彼女が完璧な神性となっていたのなら太刀打ちの余地はない。
 だがそうでないのなら。もしも月光のカーテンの内側に、ほんの一欠片でも、あの"にーとちゃん"が残っているのなら。

 ――地球から伸ばした一本の手が、月面で微睡む誰かの手を掴むかもしれない。

 天と地の狭間に立つ、茨の王子。
 騎兵と共に、主役は擦れた魔女を探す旅に出る。
 神殺しの物語、その第二章。
 終章は未だ遠く、月は星の海にて、夢見るように待ちいたり。



◇◇



「で、どうだったんだよ」
「だめだった。薊美ちゃんもわたしの友達じゃなかったんだって」

 にへにへと笑いながら言う仁杜に、トバルカインはそれ以上何も言わなかった。
 此処は『月姫真体・堕落恒星(ムーンセル・オートマトン)』。
 月姫の城にして、都市を侵食する月光の法則を世界へ投射する投影機(プロジェクター)だ。

 内部は時間、空間、その他あらゆる概念が狂っている。
 永遠に等しいほど遠いのに、手を伸ばせば触れられるほど近い。
 そうした物理法則を無視した法理が、姫の気の赴くままに偏在している空間である。

 最初の恒星、神寂祓葉を前に人は"無限"を見出した。
 それはすべての資格者に共通する、ある種の共通性質。
 現実の限界を踏破しようと考えれば、自ずと結論はそこに近付いていくらしい。
 仁杜もまた今や無限の編み手だ。比喩でなく、彼女の機嫌で世界はカタチを変えていく。

「そういうわけだから、後はカインちゃんにおまかせしていい?」
「いいよ。私は殺し屋だからな、こんな場所で寝腐ってるのは性に合わん」

 仁杜が自ら薊美を迎えに行くと聞いた時は驚いたが、やはり結果はトバルカインの予想通りになった。

 伊原薊美は獅子身中の虫。彼女の眼差しやその佇まいには、澄ました殺意が宿っていた。
 もし薊美がそれを剥き出しにした時のため、トバルカインは常に気を張っていたのだ。
 一瞬で頭の上から足の先まで微塵に切り刻めるよう、処刑のスイッチに手をかけていた。

 だがあれは相当なタマだ。
 仁杜がどれほど超越的な存在になったとしても、あっさり心を折られる弱者ではない。
 故にごく順当に月の女神は友人だと思っていた少女に裏切られ、ひとりで帰ってきた。
 そして泣くでも落ち込むでもなく、微笑みながらカインに仕事を命じてみせる。

「一応、もう一回だけ聞くぞ。いいんだな?」
「うん。友達じゃないってことは敵でしょ? やっつけないとね」

 天枷仁杜はトバルカインに、伊原薊美の抹殺という役目を任じた。
 別に好きでも何でもなかったし、何なら辟易していた相手だというのに、何故その姿に胸を刺されるような痛ましさを覚えるのか。
 それは鏖殺の覚悟を決めた自分には不要なものと分かっていても、どうしてかトバルカインはその余白を捨て切れない。

「――ことちゃんも、そう言うと思うし」

 ――違うよ、クズ女。
 ――コトネは、そんなこと言わない。
 ――他でもないお前にだけは、言わねえだろうがよ。

 胸に湧く忌々しい感傷を呑み込んで、トバルカインは頷いた。
 高天小都音はもういない。ウートガルザ・ロキもだ。
 残されたのはこの、わがままで弱っちいお姫さまだけ。
 なら自分がすべきことは、そんなどうしようもない雇い主の望みを叶えることだ。

「それとなんか怖そうな人とか、カインちゃんが嫌だなー、邪魔だなーって思う人がいたら全部ちゃちゃっとやっちゃって。
 わたしはここでのんびりお酒でも呑んでるけど、何かあったら助けに行くから」
「……分かったよ。ま、ゆっくりしてな」
「あれ、怒んないんだ。てっきりお前もちょっとは働けー! ってどやされるもんだと……ツッコミ待ちだったんだけどな」
「今のお前に何言っても独り相撲だろうが。霧を殴る趣味はねーよ」

 天枷仁杜は、壊れている。
 いや、閉じ籠もっている。

 神さまの殻に、辛いことをすべて封じて。
 今は微笑み、輝き、救いという名の破滅を振り撒く月面の一輪花。
 自分がすることは、そんな白痴の小間使い。
 不味い仕事だ。虚しい仕事だ。それでも、やらなければならない。

 こんなどうしようもない女を、命に代えても守った奴がいた。
 最期の時に託された願いは、今もトバルカインの霊核(むね)を燃やし続けている。
 仁杜を守る。小都音を殺したこの世界を、己が鍛えたすべての殺意を用いて鏖殺する。
 一切鏖殺の祈りを、最後にたったひとつ残った尊いものを守るために振るうのだ。

 霊体化して仕事に向かったトバルカインを、仁杜は微笑んだままで見送った。
 ぼふんとソファにもたれかかり、お姫さまは満足そうだ。

「うふふ、ふふ、あはははは」

 意味もなく足をばたばたさせて、クッションを抱きしめる。
 なんだかわけもなく、踊り出したいくらいに気分がよかった。
 生きているだけで気持ちがいい。すべてが満たされていて、欠けているものなど何も見つからない。

 "みんな"もそうならいいなと、仁杜は思う。
 興味のない他人のことなど一切慮らないのが彼女だが、神になったからか、今や視界外の有象無象にも確かな慈しみを抱いていた。

 この世界は間違っている。
 苦しみ、悩み、血反吐吐く思いで努力しないと幸せになれない。
 しあわせな時間がいつか終わってしまうのは当たり前のことで、人は失う寂しさを糧に成長していく。
 そんな世界で生きるのは、とてもつらいことだと思うから。
 だから月の女神は、皆が自堕落になればいいなと願っている。それこそが、本当のしあわせというものだと信じて。

「楽しみだね、ことちゃん、ロキくん」

 もういないふたりの名前を呼びながら、仁杜はおとがいを反らした。
 天地逆転した視界の先には、天を衝くような巨体がいつか来る出撃の時を待っている――いや。
 今この瞬間も、女神のための聖戦を果たすべく作り変えられ続けていた。

「大丈夫、心配しないで。特にことちゃんはよく知ってるでしょ?」

 それは、造物主の玩具。
 無限時計文明の防人、遠未来の機神。
 月の覚醒に巻き込まれて制御を失い、鹵獲された〈Seraph=Αρης〉。
 が、もうそう呼ぶのは不適当だろう。見てくれも中身も徹底的に改造され、戦神の面影はとうにない。

 改造の末の理想像は、仁杜の頭の中にある。
 神の遺骸が花火のように咲き乱れる、朝焼けの空。
 そこで見た、自分のためだけに輝く"最強"を憶えているから。


「――――本気になったわたしって、負けたことないんだよ」


 その銘、アルテミット・ガグンラーズ。

 月女神のための、最終機神兵器である。



◇◇



【月光夢幻神界〈渋谷〉・『月姫真体・堕落恒星』/二日目・早朝】

【天枷仁杜】
[状態]:〈スターゲイザー〉
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:セラフ=アレス改め、アルテミット・ガグンラーズ(建造中)
[所持金]:もう意味がない。
[思考・状況]
基本方針:さあ、しあわせな夢を見よう。
0:ずっといっしょだよ、みんな。
1:都市の制圧。聖杯の獲得。全部叶えようね。
2:薊美ちゃんのことは残念だけど、もういいや。バイバイ。
[備考]
※楪依里朱(〈Iris〉)とネットゲームを介して繋がっています。
 必要があればトークアプリを通じて連絡を取ることが出来ます。
※祓葉との対話を通じて、資格者としての性質が向上しました。
※セイバー(トバルカイン)と再契約しました。
※恒星真体・スターゲイザーⅠとして覚醒しました。根源の渦への接続が再開されます。

【セイバー(トバルカイン)】
[状態]:全身にダメージ(小)、喪失感と虚無感、激しい怒り、高天小都音からの令呪、霊基強化
[装備]:トバルカイン謹製の刃物(総数不明)
[道具]:
[所持金]:数千円(おこづかい)
[思考・状況]
基本方針:――ああ、分かったよ。コトネ。
0:伊原薊美を殺す。道中で何か見つけたらソレも殺す。
1:お前ら全員、私が殺してやる。
2:神寂祓葉の倒し方に見当が付いた。が、これ結局同じクソゲーさせられるだけじゃないか?
3:……はーあ。くだらね。
[備考]
※天枷仁杜と再契約しました。
※祓葉を倒せるかもしれない方法に思い至ったようですが、あまり釈然としていません。
※マスターが完成した恒星である仁杜に変更されたことで、霊基性能が向上しています。


【月光夢幻神界〈渋谷〉・北東部/二日目・早朝】

【伊原薊美】
[状態]:魔力消費(大)、頭痛と疲労(大)、魅了(自己核星)
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:騎兵隊の六連装拳銃、『災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)』
[所持金]:学生としてはかなりの余裕がある
[思考・状況]
基本方針:全てを踏み潰してでも、生き残る。
0:イリスさんを探し、月女神討伐の策を練る。
1:私は何にだって成れる、成ってやる、たとえカミサマにだって。
2:殺す。絶対に。どんな手を使ってでも。
3:太陽は孤高が嫌いなんだろうか。だとしたら、よくわからない。
4:最後に首を獲るのは私。でも、そのためには準備が必要みたいだ。
[備考]
※マンションで一人暮らしをしています。裕福な実家からの仕送りもあり、金銭的には相応の余裕があります。
※〈太陽〉と〈月〉を知りました。
※自らの異能を活かすヒントをカスターから授かりました。

→上記ヒントに加え、神寂祓葉と天枷仁杜、二種の光の影響によって、魅了魔術が進化しました。

『魅了魔術:他者彩明・碧の行軍』
 周囲に強烈な攻勢魅了を施し、敵対者には拘束等のデバフ、同盟者には士気高揚等のバフを振りまく。

『魅了魔術:自己核星・茨の戴冠』
 己自身に深い魅了を施し、記憶した魔術や身体技術の模倣を実行する。
 降ろした魔術、身体技術の再現度は薊美の魔術回路との相性や身体的限界によって大きく異なる。
 ただし、この自己魅了の本質は単なる模倣・劣化コピーではなく。
 取得した無数の『演技』が、薊美の独自解釈や組み合わせによって、彼女だけの武器に変質する点にある。

※ウートガルザ・ロキから幻術による再現宝具を授かりました。
 ・『災禍なる太陽が如き剣(レーヴァテイン)』
 対神、対生命特攻。巨人の武具であり、神の武具であり、破滅の招来そのものである神造兵装――の、再現品。
 ロキの幻術で生み出された武器であるため、薊美が夢を見ている限り彼女のための神殺剣として機能を果たす。
 逆に薊美が現実を見れば見るほど弱体化し、夢見ることを忘れた瞬間にカタチを失い霧散する午睡の夢。
 セキュリティとして術者であるロキ、そして彼の愛しの月である天枷仁杜に対して使おうとすると内蔵された魔術と呪いが担い手を速やかに殺害する仕組みが誂われている。
 サイズや重量は薊美の体躯でも扱える程度に調整されている様子。

 →ロキの消滅により、仁杜に対し使用できない呪いが消えているようです。


【ライダー(ジョージ・アームストロング・カスター)】
[状態]:疲労(大)、心臓にダメージ(中)、複数の裂傷、魅了
[装備]:華美な六連装拳銃、業物のサーベル(トバルカインからもらった。とっても気に入っている)
[道具]:派手なサーベル、ライフル、軍馬(呼べばすぐに来る)
[所持金]:マスターから幾らか貰っている(淑女に金銭面で依存するのは恥ずべきことだが、文化的生活のためには仕方のないことだと開き直っている)
[思考・状況]
基本方針:勝利の栄光を我が手に。
0:今は撤退。一難去ってまた一難だな!
1:神へ挑まねば、我々の道は拓かれない。
2:やはり、“奴ら”も居るなあ。
3:“先住民”か。この国にもいたとはな。
4:やるなあ! 堕落者(ニート)のお嬢さん!!
[備考]
※魔力さえあれば予備の武器や軍馬は呼び出せるようです。
※シッティング・ブルの存在を確信しました。

※エパメイノンダスから以下の情報を得ました。
 ①『赤坂亜切』『蛇杖堂寂句』『ホムンクルス36号』『ノクト・サムスタンプ』並びに<一回目>に関する情報。
 ②神寂祓葉のサーヴァントの真名『オルフィレウス』。
 ③キャスター(ウートガルザ・ロキ)の宝具が幻術であること、及びその対処法。
※神寂祓葉、オルフィレウスが聖杯戦争の果てに“何らかの進化/変革”を起こす可能性に思い至りました。
※“この世界の神”が未完成である可能性を推測しました。

※令呪および、伊原薊美の魅了魔術によって霊基が強化されました。


[全体備考]
※薊美・カスターの追跡に、九頭分のフェンリルを融合させた新個体『ニウ・フェンリル』を放ちました。



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最終更新:2026年02月15日 01:52