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 『時計じかけの方舟機構(Perpetuial motion Machine-Mark-Ⅲ』。


 かつて机上の空論と呼ばれ、歴史の闇に葬り去られた我が発明は、二度目の現世という超常を経て予期せぬ前進を遂げた。
 史上初、恐らくは人類唯一の適合者。神寂祓葉の出現である。
 これを以って永久機関理論は大幅に躍進。〈はじまりの聖杯戦争〉の終結を以って改善は完了し、Mark-Ⅱの開発に成功した。

 Mark-Ⅱと初期型の最大の差は、適合者を選ばないこと。
 誰にも触れることの叶わなかった欠陥品は、万人へ無限の力を供給する万能炉心となった。
 アーチャー・天津甕星を被検者とした試運転を経て、今度こそ未来への方舟が完成したと断言できる。
 しかし、まだ問題点は存在する。Mark-Ⅱは良くも悪くも道具であり、装着者の意思に寄り添い過ぎることだ。

 私の理想は、全人類が個我を取り払われ、文明という総体のために永劫奉仕する惑星である。
 美しい文明は文字通り一丸となって幼年期の終わりを超克し、世界の摂理さえも越えて、いずれ宇宙の果てにも辿り着く。
 そのためには煩雑な個我は障害でしかない。よって排する必要があるが、Mark-Ⅱには思想の統制機能を設けていなかった。
 つまり、無謬たるべき無限時計文明に仇なす反逆者にも等しく無限の力と可能性を供給してしまう。
 これを解決するために私は更なる進化系……そして恐らく最終型になるであろう、Mark-Ⅲの開発へと入ったのだ。

 初期型は無秩序。Mark-Ⅱは万能。それらを踏まえて私が構想したMark-Ⅲのコンセプトは、『調律』である。

 誰でも身に着けられ、民草のひとりが選ばれし英雄と同じだけの力を引き出せる。
 死も老衰も過去の概念となり、皆が不滅の超人となって世に蔓延り続ける究極の不老不死。
 その上で私が描く未来設計図に殉じた、模範的生命体となれるよう人格矯正を施す。
 生命を調整し、余計な個我を律して、ヒトを真に賢明な生物に作り変える無限時計文明のパスポートだ。

 これさえ完成すれば、もはや完結の時は近い。
 ヒトはおろか英霊、死徒といった超常生存体にさえ洗脳(リライト)を可能とする最後の時計。
 Mark-Ⅲを最終型として我が霊基に刻み込み、残りの条件を満たして戴冠に至る。
 それだけでいい。その筈だった。だが。だが。だ、が。

 今や試作品は我が手を離れ、地上のどこの馬の骨とも知れない演者の許に渡っているらしい。
 取り返しに行くのは簡単だが、今は天枷仁杜主従との交戦で失ったアレス・デメテルの補填を急がねばならない。
 つまり――アレが誰かに恵んでやったであろう試作品の回収を、後回しにせざるを得ないということだ。

 祓葉の考えそうなことは分かる。
 向こう見ず、責任持つ気もない癖して妙に面倒見がいい。
 捨て猫を放っておけず拾ってきて、世話は親に丸投げするようなものだ。
 ホムンクルスを誑かした時と同じである。まさか計画の中軸でやらかされるとは思わなかったが。

 だが、冷静になって考えれば焦ることでもない。
 奴が持っていったのはあくまで試作品。製造法が確立している以上、半日弱もあればより良いものを造り直せる。
 であれば一旦頭を冷やし、祓葉の行動が生み得るメリットについて考えることにしよう。後で説教はするが。

 Mark-Ⅲ……最終型永久機関の運用データ収集といこう。
 天津甕星で行ったのと同じ。得られたデータを解析し、本番の製造に活かせばいい。

 それに、聖杯戦争の参加者があの試作品を身に着けるのは単なる自殺行為だ。
 自我を食い、人格を矯正し、理想世界の兵隊に作り変えるブレインウォッシャー。
 装着者はどの道遠からず破滅して、後顧の憂いは生まれ得ない。
 計画に狂いはない。私はただ、やるべきことを進めるのみだ。

 ――――いかなる星の光も及ばない、無辺光の未来地図を描き上げるために。



◇◇



 慣れ親しんだ肉体が、一秒ごとに別なナニカに変容(かわ)っていく。
 生死の流転。絡み合う彼岸と此岸。全身の神経という神経を棘だらけの塩の結晶で擦り洗われているような。
 そんな苦痛の中で、一体何度舌を噛みちぎっただろう。
 心臓だって十や二十では利かない数止まっている筈だ。死ぬこともできない苦しみというものを、アタシはこの時初めて識った。

「ぎ、ぁ……が、ァ……! ッ、ご、ぎィ……!」

 こんなもの、耐えられる生き物なんているわけがない。
 なのに強制的に耐えさせられる。
 アタシに宿る死狼の力と心臓で廻る歯車の回転が。華村悠灯という人間に、死を許さない。

 朝日に照らされながら蠢く姿は、地底から引っ張り出された虫みたいだ。
 今ならゲンジの言っていたことが分かる気がする。
 やっぱりアタシとアイツは、ある意味で似た者同士だったんだろう。
 おまえは生きるに値しない。世界にそう嗤われた、奈落の虫。

『おれにとって必要だったのは、"意味"じゃなかった。
 生まれた意味、理由なんて、結局おれには最初から、与えられてなかったとして。
 それでも、"目的"なら見つけられたから――』

 アイツは最後にそう言ってたっけ。
 ヘボい奴だと思ってたが、終わってみればまんまと先を越された格好だ。格好付かないったらありゃしねえ。

 なあ、ゲンジ。アタシも見つけたよ、目的ってヤツ。
 アタシは生きる。大人になるんだ。星でもなく、ゴミでもなく、人として当たり前に世界を生きて、知らない何かを見てみたい。
 だからアタシはお前みたいに、輝きながら燃え尽きて満足なんて出来はしない。
 死に良いも悪いもあるもんかよ。死んだら終わり、それまでだ。"歴史"になんて、アタシはまだなりたくない。

 そうなるのはあの陰気な相棒みたいに、魂の限り生き抜いた後でも遅くはないだろう?

「はァー……は、ァー……!」

 とはいえ、流石にこいつはそろそろ堪える。
 いいとこ五分十分苦しめば済むと思ってたが、もう何日もこうしてのたうち回ってる気がした。

 だんだんあのバカ女にもムカついてきた。
 あんなダチ同士の軽いやり取りみたいなノリで勧めていいモンじゃないだろこれ、ウォーターサーバーじゃねえんだぞ。
 狩魔サンに『悠灯。お前、シャブとリボ払いだけはやめとけよ』と言われたことがあったのを思い出す。
 ごめんよ狩魔サン。アタシ、もっとヤバいモンに手ぇ出しちゃったわ。悪魔は天使の顔で囁いてくるってアレマジなんスね。

「ぉ゛……ォォォ、お゛……ッ」

 ゲロを吐き尽くしたのに、胃液だけは際限なく溢れてくる。
 もはやそれも血が大半を締めるようになっていた。
 目、鼻、耳、口。あらゆる場所からあらゆる血が漏れ出て、さながらスプラッター映画の犠牲者だ。

 終わらない、終わりの見えない、生と死の無限ループ。
 人生を百万回繰り返しても味わえないだろう苦痛をごく短時間で飽きるほど堪能して。
 ふと顔を上げた時――そこに、誰かが立ってることに気が付いた。

「これはこれは。ご健在のようで何よりで御座います。もし徒労であればわたくし、己の無能に耐えられず自害していたかも」
「ァ……?」

 えらく、ひょろ長い体型の男だった。
 男……だと思う。女でも通じるような顔立ちだけれど、声はちゃんと野太い。

 顔に貼り付けた表情は、見てるとワケもなくむかっ腹が立ってきそうな薄笑い。
 卑屈なようで不敵、地味なようで大胆。陽と陰の両方の色が、ヒトのカタチに混ざり合ったような。
 そんな気持ち悪い男がのたくるアタシを見下ろして、朝日を背にして佇んでいる。

「それはさておき、辛そうですね。おまけに血まみれだ。医師としては救急搬送からのICU送りを検討すべき場面ですが……」

 うるせえよ、見世物じゃねえんだ。
 こっちは気ィ立ってんだ、あんま見下ろしてるとタマ蹴り潰しちまうぞ。
 半ば八つ当たりじみた感情を眼光に載せられていたかは正直自信がない。
 そのなけなしの威嚇に怯んだ様子もなく、ひょろ長男は社交ダンスのエスコートポーズみたいに片手を差し出し礼をして。

「申し訳ございません、華村悠灯様。我が主のご意向により、強制的にお助けさせていただきます」

 当然みたいな顔で、白衣の中から一本のメスを取り出してみせたのだ。



◇◇



「――――は? 失礼、今なんと?」

 蛇杖堂邸を後にしてすぐ、そのやり取りは交わされた。
 我が耳を疑い問い返す第三生(じぶん)に、異聞のハリー・フーディーニは平然と復唱する。

「だから、私へのお供はもういいよ。本当に必要としてる子のところに行ってあげて」
「……うぅむ。改めて伺い直しても正気の沙汰とは思えない発言ですが」
「あはは、だよねー。
 本当は契約も切っちゃって、正式に譲っちゃいたいんだけどさ。流石にそんな簡単じゃないみたいだから」

 治療を終え物資も補給して、さあこれからという時に不意打ちの解雇通告。
 これにはさしもの第三生・蛇杖堂寂尊も閉口する。
 もしや手術に不備でもあったかと疑ってしまうのが彼という男だが、その思考を先読みしてもうひとりの第三生・山越風夏が「あー、違う違う」と首を振った。

「別にジャクソン先生に非があるわけじゃないよ。今表に出てるのが五生でも九生でも、私は同じことを言ったと思う」
「詳しい説明を、お願いしても?」
「簡単なことさ、友よ。私はこれから渋谷に向かうわけだけど、どうもそこでの戦いは厄介なものになりそうだ。
 あのノクトが私を使おうとするくらいだからね。たぶん、今までとは格の違う怪物がとぐろを巻いてる」

 生徒に講釈するように指を立てて、風夏は語る。
 ノクト・サムスタンプの誘導に、彼女は当然乗る道を選んだ。

 何故なら山越風夏は〈脱出王〉。危険を愛する性は拭えず、九生による問題提起で一皮剥けた今はますますその気質が強まっている。
 ノクトの標的達に加担し、策士傭兵との血で血を洗う大戦争を演ずる。
 そこに付随するリスクを呑み込んででも、それが齎す未知の可能性に賭けた格好だ。
 〈はじまりの六人〉最凶最悪の知恵者との全面対決。さしもの〈脱出王〉も死の可能性を懸念するのは当然であったが。

「別に全ツッパしてもいいけど、そこまで思い通りになってやる必要もないでしょ。取り返しつかないことになったら元も子もないし」
「成程、リスクヘッジというわけですか。理屈は分かりますが――」
「らしくない、って? あはは、違う違う。バカにしないでよ、私だって〈脱出王〉なんだから。死ぬつもりでステージに立つほど堕ちてないよ」

 それでも、死を恐れて臆病風を吹かすというのは些からしくない。
 半身、もとい未来の自分からの指摘に当代のハリー・フーディーニは立てた指をちっちと揺らした。

「取り返しがつかなくなったらまずいのは、私の切り札ちゃんの方」
「華村悠灯、ですか」
「そ。私の勘だと、そろそろ一皮剥けてる頃だと思うんだよねー」

 華村悠灯。生者でもなく死者でもない、此彼の中間で佇む存在。
 世界に穴を空けようと思うなら、法則に囚われない人選こそが肝要になる。
 よって〈脱出王〉は彼女を見初めたが、激動の戦況が災いして未だに構ってやれていなかった。

「だから君は私のことは一旦忘れて、彼女のサーヴァントとして行動してあげてほしいんだ」
「しかし、華村氏にもお付きの英霊がいるのでは?」
「残酷なことを言うようだけど、彼が居たままじゃあの子は化けられないよ。
 子どもが大人になるきっかけの定番は保護者との別れだ。多分、彼自身も気付いてたんじゃないかな」
「――華村氏の英霊が消滅しているとお考えなのですね。根拠を伺っても?」
「勘。そういう意味でもそろそろかなぁって」

 臆面もなく言われて、さしもの寂尊も押し黙る。
 奇術師故の直感。理屈ではない、勘任せの盲打ち。
 寂尊もまたハリー・フーディーニである。
 やろうと思えば似たことはできるだろう――が。

「……末恐ろしいですね。貴女、本当にわたくしなのですか?」

 山越風夏のそれは、あまりに常軌を逸しているように思えた。
 一度会っただけで、以後はまともに動向も追えていなかった相手に対し、何故こうまで自信満々に予測を立てられる。
 外れていたならただの道化だが、彼女の言葉には預言じみた奇妙な説得力があった。

 少なくとも蛇杖堂寂尊という男には、これはできない。
 彼が特別自己肯定感の低い人物であるというのもそうだが、そうでなくても、他のどのハリーでもこの域には達せないのではないか。

「んふふ。どう思う?」
「いえ、失礼。兎も角話は分かりました。ではわたくしは御許を離れ、華村氏の捜索に向かえばいいのでございますね」
「うん、その方向で頼みたいかな。新宿が誰かさんのせいで荒れてるらしいし、居所は渋谷辺りがいいとこでしょ。
 港区に来てたら気付くし、千代田は聯合残党の巣だし。
 他の三区も悪くはないけど、行き先としてはちょっと後ろ向きすぎるしね」

 何より恐ろしいのは、彼女はこれから始まる渋谷での戦争を――鬼人ノクト・サムスタンプをして持て余すナニカが跋扈する人外魔境を、英霊なしで踏破する気満々でいることだ。
 心臓に毛が生えているどころの騒ぎではない。そもそも最初からそんなもの持ち合わせていないのかと疑いたくなる。

「では、裁量をお決めいただけると」
「裁量?」
「はい。どこまで尽くしていいのか、という点でございます」

 それはさておき、寂尊はあくまでいち従者である。
 どんな荒唐無稽な命令だろうと、主の意向なら従うのが英霊の本分だ。
 華村悠灯を守れ、彼女の英霊の代役を務めよと仰せならば是非もない。

 が――真の主が健在である以上、やはり限度は定めて貰うべきだろう。
 まさか本当に実質の鞍替えをしていいという話もないだろうし。

「んー、基本的には好きにさせてあげて。
 私を殺してマスター権を奪いたいっていうならそれでもいいし。とにかく、今は自由に伸ばしてほしいかな」

 などと思っていたら、その"まさか"を二の句で撃ち抜いてきた。
 これでは事実上、英霊ハリー・フーディーニは華村悠灯のサーヴァントになるのと同義ではないか。

「そんな驚くことでもないでしょ。令呪もあるし、所詮ただの口約束だよ。
 それに、私の手を離れた君達が、どのくらい辣腕なのかも気になるところだしね」
「やれやれ、まったく先代殿は狂しておられる。ではそのようにいたしましょう」
「あ――ただ、一個だけ。これだけは錠前をかけておこうかな」

 そんな狂気の沙汰を躊躇なく敢行する奇術師に、唯一刺しておきたい釘があるという。
 寂尊は何を命ぜられようとその通りにする気だったが、次の瞬間、風夏の右手の刻印が光った。
 令呪の行使だ。此処までフルで残されていた絶対命令権の一画が遂に欠損する。

「"私が令呪で許可するまで、第一生の棺を開けることを禁ずる"」

 刻んだ絶対の命令は、とある棺の開蓋を戒めるものだった。
 命令を受けた第三生は一瞬、目を見開き。
 しかし次の瞬間には、これは面白いとばかりに口角を吊り上げる。

「それは……小心でしょうか。それとも――」
「楽しみは取っておいた方が素敵でしょ。ましてジョーカーなら尚更ね?」

 そう。
 山越風夏は、その棺をジョーカーとして認識していた。

 ライダー、ハリー・フーディーニの宝具『棺からの脱出(ナインライブズコフィン)』。
 彼の、彼らの、九回の生を象徴する九つの棺。
 死を記憶する宝具である以上、オリジナルの彼も当然そこに記録されている。
 第二生の少年が東京に生まれ落ちるよりも更に以前。〈脱出王〉の称号を世界に轟かせた第一のフーディーニ。

「祓葉の登壇によって、私達の世界は異聞と化した。
 名付けるならば異聞帯(ロストベルト)――あるべきでない人類史、ってところかな」

 九生に渡る数奇な人生の〈はじまり〉となった男は、この変わり果てた世界を見て何を思い、何を望むのか?
 第一生――原初のハリー・フーディーニは言うまでもなく特別な価値を持つ。
 その確信は風夏と寂尊、両者において共通の認識であった。

「どう転ぶにしろ初代様は絶対面白い。流石に彼ばかりは、私の手品に温存しておきたい」
「まあ、理解できますね。正直を申しますと、わたくしはあまり触りたくないカードですが」
「それに、君らの正体も大分バレてきたからねー。面倒臭いけど、手札の切り方は考えないと」

 遊び心と合理の融合。
 よって〈脱出王〉は第一の棺に錠前をかけた。
 山越風夏が死ぬか、自らの意思で鍵を挿すかでしか開かない堅固な封印。
 鉄蓋の奥に爆弾を忍ばせて、〈はじまりの聖杯戦争〉最悪のトリックスターは己が従僕を未来の希望の許へと送り出すのだ。

「諸々、かしこまりました。では、私は――」
「うん。よろしくねー、お互い命があったらまた会いましょ」

 正史と異聞の奇術師達が、その心臓を分散させた。
 このことはそう遠からず、大きな意味を持って舞台を揺るがすだろう。

 ――例えば、小一時間後にでも。



◇◇



 激痛。激痛激痛激痛激痛。
 もう慣れたと思ってたけど、意識あるまま身体を捌かれるのはやはり地獄の苦しみだった。

「ぁ、あ――ッ、て、め……っ、何、して――!」
「これは凄い。切った端から傷口が癒えていきますね。
 まあ医者としては悪夢ですが。これではいつになっても手術が終わりません」
「だ、からぁ! まず説明をしろって言ってんだよこのぼけくそぉ――ッ!」

 殴り倒してやりたいのに、未だにバカ女の時計が体内で暴れてるもんだからアタシは蠢くしかできない。
 自分が自分でなくなっていく生き地獄の中でも、新たに追加された鋭い痛みの存在は鮮明に感じ取れた。
 肌が裂かれ、治った端から手袋越しの五指で抉じ開けられて、アタシの身体が掘り進められていく。

「あの」
「ん、だよ……」
「ちょっとお静かに願えますか? 集中できないので……」
「よく言えるなお前!? このザマの人間に対してよく言えたなぁーッ!?」

 謎の自称医者が困り顔でそんなことを宣ってきて、怒りを通り越して殺意まで覚える。
 ただ、ぐっちゃぐちゃの頭で必死に現状を整理してみると、信じ難いコトだがどうもこいつは敵じゃないらしい。

 アタシを強制的に助ける?
 主(マスター)の意向で?
 なんでそんな真似をする必要がある。
 まさかデュラハンの関係者――いや、あり得ない。もうゲンジも、カシラの狩魔サンも死んじまったんだ。
 今や生き残ってるデュラハンの人間なんて、アタシと、後は精々あの胡散臭いマジシャン女くらいしか……と。

「ふむ。埋め込まれた炉心に対し、肉体の側が拒絶反応を示している……」
「ァ゛、ア゛アアァァァッ……!?」
「いや、これは魔術回路か。成程成程、大体見えてきました。厄介な力を引き継いでしまったようですね」

 そこまで考えたところで、ただでさえ耐え難かった痛みの洪水が天井知らずに膨れ上がった。
 咄嗟に噛み潰した舌の肉片が喉に詰まって息が出来ない。
 頭の中から聞いたこともない音がしてる。もし祓葉の歯車がなかったなら、その"厄介な力"込みでもアタシは確実にショック死していただろう。

「とはいえ、それなら処置のしようはあります。
 申し訳ございません、華村様。辛いかと思いますが、どうか耐えてくださいね。
 貴女にもしものことがあるとわたくしの信用が更に失墜、地の底から痰壺の底まで沈降してしまいますので」

 そんな勝手な科白と共に、アタシの中の、たぶん一番大事な部分(かいろ)が抉られた。

「ぃ、が、ぁあぁぁああああぁ――――ッ?!」

 どう考えても死んだ方がマシな激痛なのに、それでもどうしてもそんな気にはなれなくて。
 生きたい、生きたい、生きたい、生きたい。
 暴走する生への渇望が、ぎゅるぎゅるという歯車の回転音と共にアタシの総身を駆け巡る。

 生きるってのは辛いことで。
 だけど、そんな中にでも咲く花はあると知ったから。
 アタシは歯が砕けても顎が砕けても、ただひたすらに耐え続ける。
 耐えて、耐えて、耐えて耐えて耐えて耐えて――


「はい、終わりました。もう楽にしていただいて構いませんよ」


 その声が聞こえた時、アタシは比喩でなく、自分が天国にでも召されたような気持ちになった。
 発狂死できないのが不運に思えるほどの苦悶が、少しずつ姿を消していく。
 あちこち炸裂してひしゃげて自壊して、肉の塊みたいになってた身体が元のカタチを取り戻してく。

 やがて痛みが消える頃には、アタシの身体は傷一つない完品に生まれ変わってた。
 息を切らしながらなんとか身体を持ち上げて、ぐー、ぱー、とやってみる。問題なく動く。
 服は盛大に血まみれだけれど、見違えるほど健康な身体になったことを本能的に理解する。

「はぁ、はぁ……。終わった、のか……?」
「ええ。魔術回路に少しだけ細工をさせていただきました。
 具体的に言うと出力の制限ですね。
 取り急ぎペースメーカーと喧嘩しない程度の出力に調整しておいたので、後は経過観察をしつつ必要に応じて微調整。これで足りるでしょう」

 よもや、死んでからも先代の偉大さを実感する羽目になろうとは。
 そんなことを言いながら、医者は返り血まみれの白衣で失笑していた。

「音に聞くオルフィレウスの永久機関、いやはや実に素晴らしい。
 これが普及すればめでたく世界中の医者が廃業するでしょう。
 そうなればわたくしも晴れて御役御免と。フフ、無能には相応しい末路でございますねぇ」
「……いや、なんか勝手に感慨深くなってるとこ悪いんだけどよ」

 痛みの名残も消えて、肺の酸素もいい具合に取り戻せた。
 それでもまだ立ち上がる気にはなれなくて、似合わない女の子座りでへたり込んだまま胡散臭い長身痩躯を見上げる。

「結局オマエ、どこの誰なんだよ」
「おっと失礼、わたくしは蛇杖堂寂尊と申す者です。
 英霊としての名は『ハリー・フーディーニ』。クラスはライダー」
「な……っ」

 つらつらと出てきた名乗りに、アタシは思わず息を詰まらせた。
 この都市に来た時、同時に頭の中へ流し込まれた"聖杯戦争"の関連知識。
 それが、今こいつがやらかしたことが言語道断の愚行だと伝えてきたからだ。
 英霊が、サーヴァントが。手前の真名を、赤の他人に明かすなんて。

「我らが主にして半身。
 山越風夏殿の命を受け、今後、貴女に身命を賭してお仕えさせていただきます。どうぞよしなに、華村悠灯様」
「山越――」

 あのいかにもろくでもない、人を喰ったみたいな笑顔が脳裏に甦る。
 アタシの運命を暗示し――ある意味では言い当てた、祓葉の衛星。
 いや、大事なのはそこじゃない。むしろ後半の方だ。

「待てよ、話が見えねえ。なんであのマジシャン女が、アタシにそこまで肩入れする必要があるんだ?」
「その方が面白いから」

 即答で返ってきた言葉に、もう痛くもない頭の中がカッと熱くなるのを感じた。

「いえ、失礼。わたくしではなく山越風夏殿のお考えです。
 わたくしも流石に途方に暮れかけましたが、いざ馳せ参じてみれば予想通り従僕と死に別れたばかりの様子。
 首の皮一枚、というところですかな。我ながら間がいいのか悪いのか――」
「黙れよ、テメェ」

 面白い。面白い、だと?
 あの時は抱く余裕もなかった反感がぐるぐると渦巻くのを感じる。

 だが今思えば、あの時もそうだった。
 山越風夏がアタシを見る時、そこにあったのは憐憫と好奇。
 要するに、憐れみながら面白がってたってことだ。
 可哀想なアタシがこれを知ってどう化けるか、期待をかけてたんだと今なら分かる。

「ふざけんじゃねえ。テメェらの都合で"アタシ達"を語るな」

 射殺さんばかりに眼差しを尖らせて、ありったけの怒りを表明する。
 前までの、うだうだ迷って悩んでしみったれてたアタシなら別にいい。
 が、今のアタシはその侮りを許せない。

「祓葉だろうが山越だろうが、アタシは誰の玩具にもならねえよ。
 そういう魂胆ならさっさと荷物まとめて飼い主ンとこ帰りやがれ」

 何より――コイツがわずかでも、アタシの友達(ダチ)を嗤ったことが許せなかった。

 最後までこんなアタシに寄り添ってくれた、偉大で無骨な大戦士。
 アイツの生き様までろくでもない勘定の一部に含めてるんだとしたら、コイツらはそれだけで立派にアタシの敵だ。
 たとえこの場で今から八つ裂きにされても構わない。
 この言葉を内に秘めて不貞腐れるようなら今までのアタシと同じだ。だから牙を剥き出して、毅然と伝えることにした。
 すると医者――山越のライダーはやや驚くような顔を見せた後、困ったように肩を竦めて。

「……失礼、怒らせるつもりはなかったのです。
 角を立てず話すこともできないわたくしの不出来さを、どうかお許しいただきたい」

 意外なほどあっさりと頭を下げた。
 諸々の言動からも思ってたが、なんかやたらと自己評価の低い英霊らしい。
 こうなるとこっちも調子が狂う。英雄サマがそんなペコペコ頭を下げるなよ。

「自分でも役者不足を自覚しておりましたが、やはりわたくしではどうしても逆撫でしてしまうようですね。
 つきましては只今適任者に交代いたしますので、少々お待ちくださいませ」

 理由はどうあれ、危ないところを助けてもらった相手だ。
 自分で言っといてなんだか気まずくなり、舌打ちしながら目を逸らす。
 しかし次の瞬間、半ば強引に逸らした視線が吸い寄せられた。

「な、なんだそりゃ……?」
「『棺からの脱出』と云います。
 ハリー・フーディーニとは九つの生涯をひとつに束ねた世にも珍しい複合英霊(ハイ・サーヴァント)。
 貴女と馬が合いそうなのは……、そうですね、やはり九番目でしょうか。いちばん毒がないですから」

 そういえば――山越のサーヴァントの声は通話越しに聞いたことがあった。
 あの時はいろいろあって気もそぞろだったから記憶も曖昧だが、少なくともこんな声はしてなかった筈だ。
 どっちかというともっと幼い、ガキみたいな声だった。
 アタシが思い出してる間に、何やら準備が整ったらしい医者野郎はまた深々と礼をして。

「了承が出ましたので、わたくしは一度引っ込みます。
 短い間ではございましたが、実に有意義な体験をさせていただきました」
「あっ、おい――!」
「二度とわたくしのような無能の藪医者に頼る機会がないよう祈っておりますが、どうしてもご入用の際は第三の棺をお叩きください。
 ご機嫌を損ねてしまった償いに、喜んで蛇杖堂の知見をお貸し致しましょう」

 最後まで卑屈な物言いをべらべら並べて、医者野郎は糸が切れたように沈黙。
 するするとそのひょろ長い身体が棺の中に吸い込まれていって、入れ替わりに一番端の棺が蓋を開けた。

「……やれやれ。もう少し寝てたかったんだけどな」

 はてさて、どんなキワモノが出てくるのか。
 結論から言うと、キワモノというのは当たっていた。
 ただ、アタシの予想とはずいぶん違う見てくれだったが。

「君が華村悠灯だね?
 根暗の第三生に代わって、これからはこの第九生が君に同伴しよう。
 名乗る必要もないとは思うけど、ぼくもまた彼と同じハリー・フーディーニだ。よろしく」
「……、……」
「……おーい?」

 アタシよりも背の低い、ちんまりとしたガキだった。
 皺ひとつないスーツとシルクハット、癖のある赤毛。
 でも何より目立つのは、帽子を外した拍子に覗いた猫耳と。
 ケツの方で所在なげに揺れる、同じく猫のものだろうしっぽで――思わず、心が――

「かっっっわいいなお前…………」
「――、――君……?」
「あっ、や、何でもない。
 何でもないからそんな目で見んな、後ずさりすんな頼むから!」

 ぎゅん。

 としたのもつかの間、ついお漏らしした感想に自分で愕然とする。
 何を言ってるんだアタシは、というのもあるし。
 自分の中にそういう月並みな感覚があることをまず知らなかった。

「……こほん、発言には気をつけてくれ。祓葉かと思ったよ」
「アタシも馬鹿な自覚はあるけどさ、こんなに危機感覚えたのは初めてだわ」

 呪いじみたしがらみから解き放たれて、少し心の余裕ってやつができたのかもしれない。
 とりあえずそう好意的に受け取ることにする。そうしないとやってられないとも言う。

 ていうかアイツそういう趣味なのかよ。
 頭の中にあった幻想がぴしりとひび割れるのを感じた。まあ性癖は人それぞれ、なのか? それでいいのかこの世界の神。

「さておき、話は寂尊から聞いてるね?
 ぼくらはこれからしばらくの間君に仕える。
 マスターの気まぐれ次第だけど、自分のサーヴァントのようなものと思っていいんじゃないかな」
「それはありがたいんだけどよ……何が目的なんだよ、山越のヤツは」

 さっきはついトサカに来てしまい、肝心の目的を聞きそびれた。
 アタシを面白がってるらしいのはムカつくけど分かった。
 じゃあ、アタシで何をしてる? もとい、何をさせようとしてるんだ?

「君からすると腹立たしいだろうが、面白半分なのは本当だよ。
 とはいえそれだけってわけでもない。マスターは、君にある役割を任じようとしている」
「役割?」
「世界破壊のリーサルウェポンだ」
「……、……はあ?」

 世界の、破壊。
 あまりに予想外の答えに声が上ずる。

「生者を囚え、死者を魂として抑留するのがこの都市の理。
 ならばそこから抜け出せるのは、そのどちらでもない狭間の存在。
 山越風夏はこの世界に穴を開け、君に最初の脱出者を任せたがってるのさ」
「いや、……待て待て待て。話がまったく見えないんだが」
「分からないのも無理はない。ただぼくらは、"ハリー・フーディーニ"とはそういう生き物なんだ。
 自分が今いる場所から脱出したくて堪らない、檻の外に抜け出して拍手喝采を浴びてやりたい。
 言うなれば職業病だね。そして彼女の場合そこに、神寂祓葉と出会ったことによる狂気性が上乗せされている」

 〈現代の脱出王〉山越風夏が、英霊ハリー・フーディーニを召喚した。
 だがこいつらを喚んだ山越自身もまた、目の前の猫耳の言い分によるなら"ハリー・フーディーニ"ということになる。
 人間のハリーと英霊のハリー。逃げたがりのマジックバカが、時空を越えて共鳴したとでも言うことなのか。

「……出れるのか? アタシは、この街から」
「わからない。ただ、可能性はゼロじゃない。
 〈脱出王〉の名にかけて保証する」

 いや、そんなことはこの際どうでもいい。
 大事なのは山越の目的が、アタシを此処から逃がすことだってところだ。
 世界に穴を開ける。そこからアタシを脱出させ、以って針音都市自体を破綻させる。


 それは正直に言うと――思わず飛びつきたくなるほど魅力的な話だった。


 この世界は鳥籠だ。
 あの薄汚れた、暴力と暴言に溢れた部屋の焼き直し。
 此処にいる限り、アタシは望んだ未来を掴むことができなくて。
 いつか見上げた飛行機の行き先を知ることだって出来やしない。

「アタシが出れたとして、他のヤツらは?」
「さぁね。現状じゃまだなんとも。気になるのかい?」
「……いや、いい。狩魔サンもゲンジも死んじまったし、後はいけ好かねえ知り合いしかいねえしな」

 おそらくアタシ達のことなど二度と振り返らないであろう、あの王子気取りを思い出して失笑する。
 別に未練がましく恨んでもないが、嫌いは嫌いだ。アタシが脱出した結果アイツが取り残されて死のうと、正直心は一ミリも動かない。

「分かったよ。そういうことなら付き合ってやる」
「物分かりがよくて助かるよ。実はぼく、交渉事は不得意なんだ」
「で、アタシはそれまで何をすればいいんだよ」

 よって、答えは決まっていた。
 アタシはこの世界を出たい。
 だから若干癪だけど、山越のプランに乗ってやることにする。

 ただ、そのためにどんな重労働を要求されるのか分かったものじゃない。
 故に身構えたのだが、そんなアタシに猫耳のハリーは。

「特に何も。好きにやっていいんじゃないかな」

 可愛い顔でこんなこと言ってきたものだから、思わずずっこけそうになった。

「……いや、何もないってことはないだろ。なんか聞いてねえの?」
「ないんだな、それが。ていうか彼女、そういうタイプじゃないし」

 正気じゃないとは散々聞いてたが、そのレベルとは流石に思わないだろ。
 何をしでかすかも分からない顔見知り程度の知り合いにサーヴァントを任せて、後は好きにやってろと放置? ふざけてるにも程がある。
 直前まで狩魔サンの許で働いてたからか、尚更ギャップで風邪を引きそうだ。

「君は君のしたいように、好きに生きていればいい。
 どこかに向かって戦うもよし、逆に準備が整うまで隠れて難を逃れるのもよし。
 心配しなくても、ぼくは君が何を選ぼうと味方をしてあげるよ。まあ、正面戦闘だけは嫌な顔させてもらうけど」

 ――君は自由だ。

 その言葉が今のアタシにとってどれほど大きな意味を持つのか、こいつも山越もきっと分かっちゃいないんだろう。
 大事な相棒と引き換えに、死なない身体を手に入れた。
 神が差し伸べた手と引き換えに、アタシは大人になるため踏み出した。
 そんな華村悠灯に与えられる最初の自由。それが、これだったのだ。

「はは、そっか。分かったよ、やってやる」

 何をしたいかなんて、正直まったく決まっていない。
 薊美のクソ女にリベンジでも誓ってみるか。
 それとも、頭の中に響くこのクソ鬱陶しい声をなんとかしに向かうか。
 もしくは、アタシが今まで見たことも聞いたこともなかった世界を見に行くか。

 何でもいい。何をしてもいい。
 思いつくすべてのことを、アタシは今、許されている。

 ――今まで感じたこともないくらい、爽快な気分だった。

「アンタの呼び方、どうすればいい」
「真名以外ならなんでも。ていうかクラス名じゃ駄目なのかい?」
「アタシのサーヴァントは後にも先にもシッティング・ブルただひとりだ。そこだけは譲れないんでね」

 もう隠す意味もないだろうから、あけすけに真名を言ってしまう。
 というか、サーヴァントを失ったマスターはいずれ消滅するってルールがあったっけ。
 とはいえ、今のアタシはもうヒトであってヒトじゃない、死なずのバケモノだ。
 ならもしかすると、そんなルールも無法に踏み倒せるのかもしれない。

「……それなら、ナインってことで」
「九番目だからか? ずいぶん適当だなおい」
「それもあるけど、ぼくの人間としての名前でもあるんだよ。だからこっちも違和感なく済む」

 人間。……人間? ヘンな耳とシッポ生えてるけど。
 まあでもそこ突っ込むと長くなりそうな気がしたので、そういうもんだと飲み込むことにした。

「じゃあナイン、悪いけど早速ちょっと付き合ってくれ。服びちょびちょで気持ち悪ィんだわ」
「いま朝方だよ」
「背に腹は代えられねーよ、このどんちゃん騒ぎの最中なら誰も咎めねえだろ」

 さっきまでは悶えるのに忙しくて気にする余裕もなかったが。
 今なら分かる。明らかに、この街はおかしくなってる。
 その証拠に、アタシの頭の中にもやけに甘ったるい声がずっとヘビロテ状態だ。

 なんとなく、だけど。
 キャスターとのことがなかったら、アタシはこの声に耐えられなかった気がする。
 諦めろ、諦めろと囁く声はひどく甘い。前までのアタシだったら、きっと屈していた筈だ。

 空を見上げる。
 夜が淘汰され、太陽に照らされて赤らんだ空を。
 都市の彼方から顔を出した太陽は、アイツの世界みたいに真紅色で。
 でもアタシは、そこに不吉なものなんか感じない。
 むしろ心地良いくらいだった。自惚れかもしれないけど、門出を祝福されてるようなそんな気分になってくる。

「シッティング・ブルは、いいサーヴァントだったんだね」

 そんなアタシの様子を見てか、ハリー・フーディーニ――ナインが言った。
 いいサーヴァント。いいサーヴァント、か。アタシは苦笑する。

「もうちょい喋ってほしかったけどな」

 アタシだけが知ってる、アイツの記憶。
 意外と、アタシが教えたアメスピを気に入ってたこと。
 最初に現代のメシ(たこ焼き)を食った時、ウマすぎてちょっと固まってたこと。
 無口な堅物のくせして、アタシが気分下がってるとすぐ気付いてくれること。

 ――そうだな。本当に、アタシには勿体ないくらいの"アタリ"だったよ。

 太陽の光がまぶしくて手を翳した。
 意図せず、手を振っているような格好になった。
 ナインの手前気恥ずかしいけど、今はまあいい。

 さよなら、シッティング・ブル。
 アタシの、最初で最後の相棒(サーヴァント)。



◇◇



 ――〈脱出王〉は神出鬼没である。それは、〈はじまりの聖杯戦争〉に列席した全員の共通認識だった。

 区と区を繋ぐ物理的な距離。観測された地点から現在地への到達に要するだろう現実的な時間。
 そうした問題を、彼女は事もなくねじ伏せて跳梁する。
 いつの間にかそこにいる、手品のようにどこからともなく現れる。
 その異常な移動速度は逃げの際にも遺憾なく発揮され、前回彼女を捕らえることができた参加者は誰ひとり存在しない。

 あのノクト・サムスタンプでさえ頭を痛めた無法だ。
 しかし彼女は不可能を超克する恒星に非ず。
 人間がやっているのだから、そこには当然それを可能にしている理屈がある。

 結論から言うと、〈脱出王〉のソレはお得意の手品の延長線だった。
 手持ちの手品道具に、あらかじめ街の要所要所に設置しておいたギミック。
 彼女は前回も今回も、東京の地を踏むなり真っ先にインフラの設置を開始した。

 遮蔽物を無視した移動を可能にするためのワイヤーギミック。
 建物や時に地形を無理やり切り出して造り出し、その上で巧みに隠した無数の抜け穴。
 それらに代表される、距離の固定観念を吹き飛ばす数多のロジック。
 更にこれを扱う〈脱出王〉の身体能力も、常軌を逸したレベルに達していた。

 そも、ハリー・フーディーニとは極めて特異な起源覚醒者である。
 彼/彼女が"ハリー・フーディーニ"となる前の人生で抱えた〈脱出〉の起源。
 それを覚醒させ、あまつさえ次の人生に引き継ぐことを可能とした。
 故に〈脱出王〉は、こと逃げることに関しては無類の身体能力を発揮できる。
 道具ありでとはいえ夜のノクト・サムスタンプ相手に英霊の到着まで時間を稼げたのもそれが理由だ。

 そんな怪物が、己のステージと化した首都を自由自在に駆け巡るのだ。
 よって距離、所要時間、そうした諸々の常識はすべて無視される。
 現に先ほど港区から駆け出した〈脱出王〉山越風夏は、わずか十数分にして渋谷東部までの移動を達成していた。

(ライダーはうまくやってるかなーん。
 悠灯の性格上、ジャクソン先生だと拗れそうなんだよねぇ。適任は第九生(ネコ)辺りだと思うんだけど……)

 風夏は、あえて自分のサーヴァントとの念話を行っていない。
 彼らを華村悠灯に預けると決めたのだから、逐一その動向を確認するのは無粋だと思った。
 未知を愛するのは祓葉だけでなく風夏も同じ。新鮮な驚きを愛せずしてステージスターは務まらない。

(彼女にはまだまだ頑張ってもらわないとね。私肝煎りの有望株だ、あと一皮も二皮も剥けてくれないと)

 心はわくわくと沸き立って、目的地へ向かう足取りもいつもに輪をかけて弾んでいる。

(まさに終わりの始まりだ。ノクトはいい仕事をしてくれた)

 蛇杖堂寂句の死が均衡を壊した。
 渋谷を覆う月の波動を、もちろん風夏も感じ取っていた。

 こんなものが出るようになってしまったら、もう元の平和な聖杯戦争には戻れない。
 やはり〈はじまりの六人〉が欠けた瞬間を以って、混沌の階層がひとつ深まったのだ。
 それが風夏には楽しくて仕方ない。これからどんな魑魅魍魎が自分の舞台にまろび出てくるのか、考えるだけで小躍りしたくなる。

(鬼が出るか蛇が出るか……ふふ、くふふふ。蛇、ね――言い得て妙じゃない)

 ――匂いがした。
 これは、前回にはなかった質の匂いだ。

 〈脱出王〉をして背筋が粟立つほどの、恐ろしく悍ましい匂い。
 死臭と腐臭、考えられる限りすべての悪臭をかき混ぜて死体の胃酸で煮込んだような。

 空を蹴り、マジシャンの王が着地する。
 彼女が足を止めたというのは、つまりそういうこと。
 着地と同時に、細身の身体が余すところなく粘っこい視線に晒された。

 成程。成程、これか。
 まったく、つくづく命知らずな男だ。
 ノクト・サムスタンプめ――おまえ、一体何に手を出している。


「山越風夏ちゃんか。何か用かな、〈現代の脱出王〉」


 話しかけられただけで本能がこの場にいるのを拒絶する。
 視られているだけで、穴という穴を犯されているような悪寒が走る。

「……初対面だと思うんだけどなぁ。君、アレ? 変態ってヤツ?」

 基本、相手が知らないことを知っているというのは風夏側の十八番だ。
 驚く顔を見るのは大層楽しいが、この時初めて彼女は驚かされる側の気味悪さを知った。

「ま、なんでもいいけどさ。もしそうなら私は君の眼鏡に適ったのかな――ねえ、教えてよ。蛇さん」
「ははは」

 戦争の規模を見極めるには、その場の最大戦力に触れてみるのが一番手早い。
 よって今回も、〈脱出王〉は当然のように最大の愚策で以って臨むことにした。
 "遺族達"を差し置いての、蛇本体への接触。藪の中を暴いて、そこに潜む者を探ろうとする愚行。

 そして彼に対しそうしようとした者の末路は、一切残さず決まっている。

「不合格」

 蛇神討伐戦線、此処に開幕。
 初戦は、〈脱出王〉と〈支配の蛇〉。



◇◇



【渋谷区・北東部 交差点/二日目・早朝】

【華村悠灯】
[状態]:人狼化。心臓喪失。永久機関・生死流転(同化完了)、生への渇望
[令呪]:喪失
[装備]:精霊の指輪(シッティング・ブルの呪術器具)、『時計じかけの方舟機構(Perpetuial motion Machine-Mark-Ⅲ(ver:3.3333333333333...))』
[道具]:なし
[所持金]:ささやか。現金はあまりない。
[思考・状況]
基本方針:大人になる。
0:生きる。好きなように、赴くままに。
1:取り急ぎ、ナインと行動を共にする。山越のことは変わらず信用してないが、その目的は利用したい。
2:……ありがとな、キャスター。
3:狩魔さん、ゲンジ――死んじまったのか。
4:あの刺青野郎ってば最悪!!
5:ナイン……お前さ、その……かわいいな……耳とか触っても良――いや待て何言ってんだアタシは!(うがーっ)
[備考]
神寂縁(高浜総合病院院長 高浜公示)、および蛇杖堂寂句は、それぞれある程度彼女の情報を得ているようです。

華村悠灯の肉体は、普通の意味では既に死亡しています。
ただし土壇場で己の真の魔術の才能に目覚めたことで、自分の魂を死体に留め、死体を動かしている状態です。
いわゆる「生ける屍」となります。
強いて分類するなら死霊魔術の系統の才能であり、彼女の魔術の本質は「死を誤魔化す」「生にしがみつく」ものでした。
自覚できていた痛覚鈍麻や身体強化はその副次的な効果に過ぎません。

この状態の彼女の耐久性や、魔力消費などについては、次以降の書き手にお任せします。
→魔力消費の影響をある程度無視できるようです。ただしあくまで誤魔化しているだけなので、度が過ぎると多分死にます。

→華村家の魔術は『死狼魔術』です。
 狼信仰をベースとし、死霊魔術や獣性魔術、死徒の細胞などを取り込んで作り上げた継ぎ接ぎのパッチワーク。
 覚醒した華村の魔術師は擬似的に人狼化し、超人的な身体能力と再生能力を得ます。
 ただし、あくまでも死を誤魔化し、蓋をして無理やりねじ伏せているだけに過ぎません。華村の魔術は失敗作です。

→神寂祓葉から永久機関を手渡され同化中です。
 華村悠灯は適応条件を満たさず体内から自壊していますが、死狼魔術により無理やり適応しようとしています。
 彼女の永久機関はオルフィレウスの開発していた新たな試作品であり、神寂祓葉に埋め込まれた物とは仕様が異なる可能性があります。

→永久機関への適応を完了しました。
 『時計じかけの方舟機構(Perpetuial motion Machine-Mark-Ⅲ(ver:3.3333333333333...))』には自我を無限時計文明の基準に合うよう矯正する機能が搭載されています。
 試作品なので働きはまだ限定的ですが、悠灯の意思が弱まれば侵食が進行するでしょう。
 また永久機関の影響で、サーヴァント不在のペナルティを無視できます。


【ライダー(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:第九生(ナイン)、令呪『私が令呪で許可するまで、第一生の棺を開けることを禁ずる』
 三生→健康
 五生→健康
 九生→疲労(中)
[装備]:九つの棺
[道具]:
[所持金]:潤沢(ハリーのものはハリーのもの、そうでしょう?)
[思考・状況]
基本方針:山越風夏の助手をしつつ、彼女の行先を観察する。
0:華村悠灯に同行する。何考えてんだあのバカハリーは。
1:当面は悠灯に従うつもり。
2:神寂祓葉は凄まじい。……なるほど、彼女(ぼく)がああなるわけだ。
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

宝具『棺からの脱出』を使って第三生のハリー・フーディーニと入れ替わりました。

第三生のハリー・フーディーニ:
生前の名は「蛇杖堂寂尊(じゃじょうどう・じゃくそん)」、かの蛇杖堂寂句の2人で1人前の「共同後継者の片割れ」です。
蛇杖堂寂句の医術と体術を継いでおり、治癒魔術や治療薬の知識もありますが、治癒魔術の実践はできません。
寂句に自尊心をズタズタにされており、己の能力を過小評価する傾向がありますが、外科医としての腕と格闘術は超一級です。

第五生のハリー・フーディーニ:
神聖アーリア主義第三帝国陸軍所属。第四次世界大戦を生き延びて大往生した老人。
スラッグ弾専用のショットガンを使う。戦闘能力が高い。
ヴァルハラの神々に追われている妄想を常に抱いており話が通じない。

雪村鉄志、琴峯ナシロ、高乃河二、赤坂亜切の現在の動向について聞きました。


【渋谷区・東部/二日目・早朝】

【神寂縁】
[状態]:〈ジェームズ・アルトライズ・スタール〉
[令呪]:残り3画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
0:都市の全員を殺し、〈蛇〉の素性を知る者を消し去る。
1:レミュリンを喰う。
2:ノクト・サムスタンプと連絡を取り、自分が知る"遺族達"の情報を提供する。
3:蝗害を追う集団のことは、一旦アーチャーに任せる。
4:楪依里朱に対する興味を失いつつある。しかし捕食のチャンスは伺っている。
5:祓葉は素晴らしい。いずれ必ず腹に収める。彼女には、その価値がある。
6:燃え殻に興味はないんだ。ご退場願おうか、マジシャン。
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
 とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。

※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
 裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。

※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
 蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。

※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
 山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。
  →赤坂亜切に『スタール一家』の殺害を依頼したようです。

※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
 雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
 設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
    幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
    懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
    蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。

→蛇杖堂絵里としての立ち回り方針は以下の通り。
 ・蝗害を追う集団に潜入し楪依里朱に行き着くならそれの捕食。
  →これについては一旦アーチャーに任せる方針のようですが、詳細な指示は後続の書き手にお任せします。
 ・救済機構に行き着くならそれの破壊。
 ・更に隙があれば集団内の捕食対象(現在はレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと琴峯ナシロ)を飲み込む。

※蛇の体内は異界化しています。彼はそこに数多の通信端末を呑み込み、体内で操作しつつ都度生成した疑似声帯を用いて通話することで『どこにでもいる』状態を成立させているようです。
 この方法で発した声、および体内の音声は外に漏れません。

※スタール家の〈燃焼時計〉計画にジェームズ・アルトライズ・スタールとして関与していました。
 蛇の最終目的は完成した〈燃焼時計〉で根源に到達、時を操る真理を得ることです。


【山越風夏(ハリー・フーディーニ)】
[状態]:疲労(小)、腹部治療済
[令呪]:残り二画
[装備]:舞台衣装(レオタード)
[道具]:マジシャン道具、蛇杖堂邸で回収した幾らかの道具(薬あり)
[所持金]:潤沢(使い切れない程のマジシャンとしての収入)
[思考・状況]
基本方針:聖杯戦争を楽しく盛り上げた上で〈脱出〉を成功させる
0:う~~~ん想像以上にキモいかも! ヤバそ~!
1:華村悠灯はもうひとりの私に任せることに決めた。ま、なるようになるでしょ。
2:他の主従に接触して聖杯戦争を加速させる。
3:華村悠灯がいい感じに化けた! 世界に孔を穿つための有力候補だ!
4:レミュリンの選択と能力の芽生えに期待。
5:とりあえずお手並み拝見してから、この蛇さんに挑みたがってる子達に接触しようかな?
[備考]
準備の時間さえあれば、人払いの結界と同等の効果を、魔力を一切使わずに発揮できます。

〈世界の敵〉に目覚めました。この都市から人を脱出させる手段を探しています。

蛇杖堂寂句から赤坂亜切・楪依里朱について彼が知る限りの情報を受け取りました。

蛇杖堂邸で狙い通り癒しの薬を回収しました。

東京の全区に仕掛けを施しています。主に移動時間短縮用。



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最終更新:2026年03月07日 00:50