この世界に、真に無限なものなどありはしない。
人は死ぬ。自然は滅びる。
いずれは宇宙さえ、エントロピーの飽和による熱的死を迎えるとされる。
ならばその最果てを観測する試みとは。
すなわち、"死の先読み"に他ならない。
自分達はやがて滅び、無に還るのだという無慈悲な結末の観測。
それを以って真理とする。ある魔術師が目指した道を、アルロニカ・スタール両家は純朴になぞっていた。
だが後継達もまた、先代へ倣うが如くに失敗する。
アルロニカは、自分自身の天命に追いつかれ。
スタールは、邪悪な運命の顎に噛み砕かれた。
後に残ったのは、悪あがきとも悪戯とも付かない小細工だけ。
もし世界が異聞へ分岐していなかったなら、きっと不発に終わっていただろう秘密箱。
しかし、世界は少女に狂ってしまった。
異聞の帯と化し、演者たちは現人神の針音都市に呑み込まれる。
皮肉にもその異常事態が、茫漠たる惑星の中をさ迷う遺児達を引き合わせた。
――アンジェリカ・アルロニカという"鍵"が、レミュリン・ウェルブレイシス・スタールという"鍵穴"に収まる。
これによって箱は開かれ、秘められた針音が解き放たれた。
針音仮想都市という完成度は高いが、一都市分の奥行きしか持たない極小の世界。
宇宙どころか地球より遥かに小さな表面積も幸いし、両家の悲願は瞬間的に成就した。
それがアンジェリカが、そしてレミュリンが覗き見た"終焉(バッドエンド)"だ。
堕天使の飛翔。蛇神の跳梁と蝿王の目覚め。
いずれもこの世界で実際に起こり得る――その可能性が極めて高い未来である。
故にα。故にβ。
全てではないにしろあの瞬間、ふたりの少女は終点の観測に成功したのだ。
その上で。
アンジェリカ・アルロニカは今、岐路に立たされている。
「……アーチャーさん、大丈夫かな」
隣の座席でお行儀よくシートベルトを閉め、物憂げに車窓の外を見つめる天梨。
制限速度を大幅に超過しているため、景色はほとんど線となって過ぎていく。
あの後、アンジェリカ達は諸々の疑問を全部後に回してホテルを出発した。
乗り捨てられていたSUVを拝借し、ハサンの運転で現在渋谷を爆速離脱中である。
運転席には継代。
二列目のシートにはアンジェリカと天梨。そして相変わらず彼女に抱えられているホムンクルス。
最後尾の三列目では、相変わらず殺気立ったままのシャクシャインが憮然とした面持ちで揺られている。
天若日子は、まだ戻っていない。彼の奮戦のおかげで、こうして首尾よく逃避行に臨めているのだ。
「問題ないだろう。もし危なくなればアンジェリカ・アルロニカにその旨を伝え、逃げ延びてくる筈だ」
「まあそうでしょうけど、アンタに知った口叩かれんのはムカつくかんね」
フラスコに浮いていた時に比べるとだいぶ可愛らしくなったホムンクルスだが、無遠慮な物言いは相変わらずだった。
ちなみに彼がまた天梨に抱かれている理由は、チャイルドシートなんて気の利いたものはないからである。
成長を遂げた現在でも彼の身体はあまりに小さく貧弱だ。
車体が大きな衝撃を受けるようなことがあれば、拍子に外へ投げ出されかねない。
アンジェリカもこんな得体の知れない子どもを抱きたくはないので、天梨がその役を買ってくれて助かったと思っている。ひどいや。
「……、……」
それはさておき、アンジェリカは表情を取り繕うのに難儀していた。
理由は無論、天梨である。正確には先ほどの"幻視"で見た、未来の彼女の姿が頭から離れない。
(――恒星の資格者……)
星という言葉が、これほど悍ましく思えたのは初めてだった。
人はそれを夜空から仰ぐ。
だから美しいと感じ、思いを馳せもするのだ。
しかし、実際に宇宙空間で佇む彼らは暴力の化身である。
凶悪な重力。生物の存在を許さない猛悪なパルサー。
人体など近付いただけで蒸発させる超高温。
生物はおろか、人工物でさえ突入困難な死の暴風。
挙句の果てには断末魔として引き起こされる超新星爆発。
人類に馴染み深い太陽系圏内の惑星でさえ、大半が移住先としては論外扱いなのがいい証拠だ。
ならば人の形をした恒星もまた、自分達とは別の世界を生きる怪物と呼ぶべきだろう。
現人神との邂逅で得た答えを、自分は何故目の前の少女には適用していなかったのか。
「アンジェさん?」
「え? あ……ごめん、何?」
「なんかぼーっとしてたから、どうかしたのかなって」
こてん、と首を傾げながら問うてくる少女の姿はまさに天の御遣いのようだ。
純真、可憐。だがアンジェリカは既に、彼女が辿り着くかもしれない未来を識っている。
――反転した天の翼。
――殺意の黒翼は、忽ちに都市を嘗め尽くした。
――悲嘆に歓喜する天使(イスラーフィール)は罪深き地上へ最終審判の開廷を告げ。
――そしてすべては地獄に堕ちる。そういう光景を、アンジェリカは視たのだ。
「……なんでもないよ。ていうかわたしも人間なんだから、ぼーっとする時くらいあるっての」
「あう」
天梨にデコピンを見舞って誤魔化しながら、アンジェリカは何度目かの反芻に耽る。
あの光景を幻覚の一言で片付けるのは簡単だ。
だが魔術師の端くれとして、偉大な母の胎から生まれた者として、それは違うと確信がある。
アレはきっと、これから本当に起こり得る未来だ。
輪堂天梨という恒星の覚醒が齎す事態を、自分は意図せず垣間見てしまった。
何故それが、初対面の少女と触れ合った瞬間に起きたのか。
そして何故、もういない母の残影が見えたのか。
答えは未だに出ないけれど。
「あんまごちゃごちゃ考えないの。それにあんたの方こそ、ちょっとは脳を休ませなさい」
考えることを止めるのだけは駄目だ。
その責務が自分にはあると、アンジェリカは理解していた。
「そっちだって大変なんだから。今のうちにうじうじは済ませとくの。わかった?」
「……うん」
何せ、本当に最悪のタイミングで、天梨にとっての災厄が降り注いできたのだから。
俗なネットニュースが提起した、彼女とあるアイドルに対する嫌疑。
アンジェリカも記事を見たが、部外者から見ても胸糞の悪くなるものだった。
陰謀論以下の下痢便だ。それでジャーナリズムを語るのだから、この国は腐っていると本気で思った。
その後にホムンクルス絡みの騒動が起きて有耶無耶になっていたが、天梨が平気な筈はない。
特に最悪なのは、今回は泥をかけられるのが彼女ひとりで済まなかったことだ。
煌星満天。基本的に何を言われてもしおらしくしている天梨が、珍しく感情を露わにした"友達(ライバル)"である。
そこまで人の心の機微に詳しいわけでもないが、彼女のような人間は自分より周りを傷つけられた方が効く。それはアンジェリカにも分かる。
破滅の未来を幻視した今となってはちっとも笑えない話だ。
お前達が寄ってたかって虐めてる相手はこの世界を破壊できる核爆弾なんだぞと、胸倉掴んで怒鳴りつけてやりたい気持ちだった。
"――――あんたはもう、地上にいちゃいけない存在だよ"
わたしには、選択肢がある。
アンジェリカ・アルロニカは、神寂祓葉についぞ言えなかった言葉を思い出していた。
『それで、本当のところは何を悩んでいるのだ?』
「ぅわひゃあっ!?」
センチメンタルな気持ちになっていたところで、おもむろに脳内に声が流れ込んできて仰天する。
声も出た。天梨が目を丸くしていたし、シャクシャインに後ろからどんと席を蹴りつけられる。もちろん舌打ちつきだ。
そんな中、アイドルの膝上で寛いでいるホムンクルスだけが平静だった。
『ふむ。済まない、驚かせるつもりはなかったのだが』
ホムンクルスの口は動いていないが、頭の中に響いているのは明らかに彼の声だ。
念話。天梨の影響で彼は肉声での発声を可能とし久しいが、今もやろうと思えばパスを繋げる。
『あんたねぇ。悩んでるって分かるなら、もうちょっとお淑やかに声かけしなさいよ』
『次からは善処しよう。ただ、君は私と話したがっているものだと思っていたのでな』
『それは、まあ……そうだけど』
実際、ホムンクルスに対しては色々と聞きたいことがあった。
こうなるまでの経緯だとか天梨のことだとか、祓葉絡みのあれこれだとか。
ただまさかあちらから配慮されるとは思わず……律儀というか、なんというか。アンジェリカはなんとも言えない気分になってしまう。
『我々の関係がいつまで円満に続くかも分からないのだ。話すなら早い方がいい』
『あーそうですか。じゃあ今の内に遠慮なく尋問させてもらうから』
前言撤回、こんな奴に気を遣う理由はありません。
成長してもナチュラルに不躾な辺りは変わっていないらしい。
『まず、どうやってあの子と出会ったわけ?』
アンジェリカとホムンクルスは蛇杖堂記念病院の一件を境に切れていた。
それが久方ぶりに再会してみれば新しい飼い主にご執心していたのだから疑問は尽きない。
『私はある理由から友を求めていた。
が、天梨と出会ったこと自体は偶然だ。
予想だにしない不測が発生し、私は一時窮地に追い込まれた。そこを助けてくれたのが彼女というわけだ』
『もしかして嫌味言ってる?』
『そういうつもりではなかったが、まあ、言われても仕方ないのではなかろうか。あれに関しては』
『うぐ……むむぅ……』
反論できないので困る。
ホムンクルスが言っているのが、アンジェリカが蛇杖堂寂句に対し逃走でなく決闘を望んだことについてであるのは明らかだ。
自らの意地と、〈蝗害〉に負わされていた傷。
彼女なりに信念を持って挑んだ戦いだったが、天若日子の助力込みで退路を想定していた彼らにしてみれば堪ったものじゃなかったに違いない。
『さておき、過程はどうあれ其方には感謝している。お陰で私は運命と出会うことができた』
何のために友を欲していたのかは聞くまでもなかった。どうせ祓葉絡みに決まっている。
『他に質問は?』
此処までは正直ジャブのようなもので、実際得られたのも予想の範疇を出ない答えだった。
真に問うべきことは他にあって。
なのにあえて初手から踏み込まなかった理由は無論ひとつ。
――――もしそこに地雷が埋まっていた時、何が起こるか判断が付かないから。
『――あんた、自分のやろうとしてること分かってる?』
だとしても聞かねばならない。
何故なら自分は、もう知ってしまったのだ。
その上で見て見ぬ振りはできなかった。自分のためにも、彼女のためにも。そしてこの世界のためにも。
『興味深い質問だ。よもや御身がそこに切り込んでくるとはな』
ホムンクルスの声は相変わらず冷淡としていたが、アンジェリカの突然の変化に気付かないほどこの人形は愚鈍ではない。
自分達に積もる話がある筈の彼女が、それらを脇に置いてまで出会ったばかりの他人の話を始めるなんて。
『先刻、肉体の調整をしている最中に幾つか強大な魔力反応を感知した。
特に異質だったのは二つ。ひとつは遠方だったが、もうひとつは我々から非常に近い座標で発生していた』
ホムンクルス36号は、魔力感知に超特化した人造生命体である。
その感知範囲は半径数キロにも及び、彼の前で魔術師達は隠れんぼもできない。
考えてみれば当然のことだ。世界の終末を観測するなんて大芸当をしておいて、周囲に全く魔力を漏らさないなど不可能。
『何か視たのか、アンジェリカ・アルロニカ』
アンジェリカの詰問が、ホムンクルスの脳裏で歯車を噛み合わせた。
彼は既に病院の一件で、彼女がどういう出自か知っている。
加速思考を突き詰めた果てにある体内時計の変質。
時間操作を究めんとした時計塔(ロンドン)の異端。
〈雷光〉の遺児、アンジェリカ・アルロニカ。
『……質問に質問で返さないでくれる? まずこっちのに答えるのが筋でしょ』
『確かにそうだ。ではまずこちらが答えようか、半々だよ』
やらかした。もっと慎重に、少しずつ掘っていくべきだった。
内心で舌打ちしながらも、返ってきた答えに眉根を寄せる。
半々とは、一体どういう意味なのか。
『言葉通りの意味だとも。戴く翼が白か黒か。その持つ意味合いが希望か絶望か。よって理解度もまた、五分が妥当なところだと自己推測する』
詭弁だ。ホムンクルスの堅苦しい講釈は聞いていると頭が痛くなってくるが、それだけはアンジェリカにも分かる。
自分の導こうとしているモノ。その招く未来を、何ら理解などしていない。
――もしその程度だったなら、どれほど良かったことか。
『無責任だと思うか?』
そんな考えを見透かしたように、天使の朋友は言う。
『もしそうなら、そこに関しては多少心外だ。
落ちたコインが表であれ裏であれ、それを理由に友を棄てることはない。
責任は持つ。私が彼女に抱いている友情は真実だ』
『なにそれ。それこそ言ってることが都合良すぎでしょ、そんなの友達でも何でも――』
『見くびるな。私は、我が友がどちらの色を選ぶとしても最後まで共にあるつもりだ』
その抗弁は、人造の生命にあるまじき甲斐甲斐しいものだった。
初めて得た友に寄り添い、彼女の選択が何であろうと必ず添い遂げると。
そんな意思はアンジェリカにも伝わっていたが、しかし何も印象は好転しない。
むしろ悪化したと言ってもいい。ホムンクルスが言っているのは、つまりこういうことだ。
『――どっちでもいい、ってこと?』
『然り。アヴェンジャーにも伝えたことだが、翼の色に頓着する気はない』
友の歩む道が光であろうと闇であろうと、善であろうと悪であろうと、まったくもってどうでもいい。
大事なのは彼女が彼女であること。翼を戴くのが輪堂天梨である限り、どんな未来でも自分は付き合い続ける。
たとえ天使の歩く傍らで、何千万という人間が死に絶えていようとも。
『私は彼女の意思を尊重する。
愛したいなら愛せばいいし、腹が立ったなら怒ればいい。
天梨は好きなように生きていいのだ――そこにつまらん難癖を付けて囀っているのが、我が友を苦しめる奴原なのだろう?』
ならば私はそうはなるまい。
ホムンクルスは胸を張って断言する。
『総てを救う。善いだろう。総てを殺す。善いだろう。
友の在り方を定義しようとするなど傲慢甚だしい。私はただ、背を押すだけだ』
無機質な人造生命とは思えないほど、その発言はまっすぐなものだった。
いいやだからこそ救えない。彼は友に対し献身的だが、それのやり方が致命的に狂っている。
人は自由であるべきだという普遍的な思想に、最低限のストッパーすら設けなければどうなるかという分かりやすいモデルケースだ。
『我が星(てんり)は必ず空に瞬く。それを以って私は、我が主君への報恩とする。回答はこれでいいか?』
アンジェリカは、何故あの未来が具現したのか分かった気がした。
神寂祓葉。輪堂天梨。自分が知っているのはこのふたりだけだが。
少なくとも彼女達には、明確にひとつの共通点がある。
『……あのさあ』
信仰だ。
おまえは凄い。普通ではない。素晴らしい。おまえ以上の存在はこの世にいない。
『あんた達がそんなだから、祓葉はああなっちゃったんじゃないの?』
――反吐が出る。顔をくしゃりと歪めながら、アンジェリカ・アルロニカはそう言った。
◇◇
神話の戦いが、繰り広げられている。
舞台は高天原でも葦原中国でもない。
現代、令和6年5月の東京都である。
黒い星が、縦横無尽に光の軌跡を描きながら駆け抜ける。
その軌道に合わせて、建ち並ぶ高層ビルディングが砕け散っていく。
悲鳴、喧騒、いずれも崩落の轟音にかき消されて。
ついさっきまでアンジェリカ達が休んでいたホテルも、今や真ん中から手折られたように破壊されていた。
曰く、葦原中国には星の神が棲むという。
それは悪しき神で、経津主も武甕槌も及びもつかない。
派遣された屈強な神が次々と打ち破られ、誰も彼女を恭順させられない。
神の名を天津甕星。
または、天香香背男。
いつか高天原をも脅かすのではと畏れられた、破壊の化身だ。
両雄、空から地に降りて。
そこでようやく、二神は口を開いた。
「驚いたな。貴様、前はこれほどではなかったろう」
「ま、こっちも色々あってね」
相対するのは天津神、天若日子。
悪神を討てと地上に遣わされ、その使命をついぞ果たせなかった者。
「……よもやその光、再びお目にかかるとはな」
懐古の念を込めながら、天若日子は弓射で降り注ぐ流星を撃滅していく。
かつて相見えた宵星は、今やすべてにおいて次元の違う生き物と化していた。
魔力という燃料に縛られるサーヴァントではまずあり得ない、過剰なほどの火力の乱舞。
視力に優れる天若日子をして、残像を視認するのがやっとの頭抜けた移動速度。
先ほど赤坂亜切を追い回していた時とは二段も三段も違う、星神の真髄が此処に開帳されている。
「そういうあんたこそ、ずいぶん変わったみたいじゃん?」
一瞬で数百メートル上空まで跳躍し、弓を引き絞りながら神威の星は言う。
宿敵を見下ろす瞳は訝しげでもあり、苛立っている風にも見える。
きっと両方だろう。彼女にとって天津神とは、己に不快しか齎さない存在だから。
次の瞬間、迸る極小規模の流星群(メテオストーム)。
爆光と共に降り注ぐ闇色の流れ星達は、都市の一区画を数秒で更地にできる大空襲だ。
体内に収めた永久機関を遺憾なく廻し、燃料切れを厭わず戦う本気の星神は並大抵の存在ではない。
轟音。閃光。降る流星の半数以上は弓神の矢によって迎撃された。
それでも地上を嘗め尽くすには十分すぎる火力。
落とせなかった分の星は墜落し、地獄絵図の街に更なる彩りを加えていくが。
「温室育ちのお坊ちゃんがお優しくなったことで。上司に切られて心境の変化でもあった?」
「残念ながら別口だ。少々、善い出会いに恵まれてな」
天津甕星は、既に気付いている。
天若日子は此処まで、決して戦いのみに目を向けてはいないこと。
自分が無軌道にばら撒く破壊から、少しでも多くの命を逃がそうと奔走していること。
足止めという役割を一切損なわぬままに、この数分で数え切れないほどの人命を護っていたことに。
その事実は彼女にとって、腹立たしいことだった。
戦いの最中に余所見をされて矜持が傷ついたからではない。
怨嗟を幾つ向けても足りない傲慢な天津神の尖兵が、何やら人間の真似事をしている事に腸が煮えている。
天津甕星が天津神を憎んでいるのは完全なる私怨だ。
そこに大義はない。彼女を神に仕立てた一族が抱いていた怨みなど、彼女は一切継いでいない。
あるのはただひとつ。こんな賢しらな人外共のために、自分の愛したしあわせは破壊されたのかという激憤だけだ。
「ああそう」
故に、そんな悪徳者の一員が人間ぶっている事実が腹立たしくて仕方ない。
怒りは眉間の皺として顕れ、次の瞬間、彼女らしい直情的な暴力として発散された。
「実際まぐわってみたら、猿も思いの外可愛かったってわけ?」
魔力放出による超高速移動。それを用いての急降下。
突き穿つ飛び蹴りは、過たず眼下の宿敵に直撃した。
何とか弓を盾に防げたからいいが、もし防御が遅れていれば五体が弾け飛んでいただろう。
「―――気持ち悪。機械が悟った顔してんなよ」
流星の速度で移動できる強みは、何も距離の確保/割愛だけではない。
速さ即ち重さ。人智を超えた速度とは即ち破壊力の担保とイコールだ。
ただの徒手空拳ですら、砲弾を遥かに超えた威力を叩き出せる。
「ッ……!」
「それらしく仏頂面してた時の方がまだ可愛かったわ。今のあんたは、吐き気がする」
処理速度を超えた手数で、強引に技量の差を埋める。
掌底が腹を打ち、天若日子は苦悶の形相で喀血した。
そこを隙と見て爪先を跳ね上げ、顎を打ち据えて空まで打ち上げる。
空に足場はない。飛行能力持ちでもない限り、そこは文字通り足の踏み場もない死地となる。
矢を番え、今度は地から天へと流星を放った。
落隕ならぬ昇隕。空に昇らんとする星が、堕ちた神へ天津に代わって誅を下す。
まさに堕神であろうと、天津甕星は眼前の宿敵を見てそう評する。
天津神とは傲慢な地上制圧装置。傲り高ぶり、自分達の所業はすべて正しいとふんぞり返った圧制者だ。
彼らには人の心が解らない。神の思し召しに素直に従う人間こそ正しく、それ以外は涜神者だと恥も外聞もなく叫ぶ連中。
なのに天若日子は、少し会わない間にどこまでも人間らしくなっていた。
人を守り、助け、その采配に寄り添う善き隣人。
ああ、まったく――気持ち悪くてしょうがない。
「私達は――――」
私は。
「お前たちの自己満足のために、あそこで生きてたわけじゃない」
そんな中途半端な生き物のために、独りぼっちにされたのか。
「跡形も残さないわ。根の国に還りなさい、出来損ない」
過去最高の憤激と悲哀が、星の対空射撃を迸らせた。
夜明けの光を呑み込んで、闇の大星がドーム状の破壊を炸裂させる。
神の名は天津甕星。人々の祈り/呪いが造った枯れ尾花の王。
誰かと生きていたかった、孤独な子ども。
◇◇
祓葉と天梨、ふたつの星と向き合って。
暴君、悪鬼、赤子、三人の狂人と向き合った。
アンジェリカ・アルロニカは彼らとの対話を総括して結論を出す。
〈恒星の資格者〉とは、無限大の可能性を持ったただの子どもだ。
世界の運命を背負う器を持って生まれた、幼い少女に他ならない。
ある者は己の孤独が昇華した超越的な全能感に酔い。
ある者はもっとシンプルに、自分の人生に隔たれた問題に苦しんでいる。
彼女達は悪くない。ただ苦しみながら生きていた/いるだけだ。
では、本当に悪いのは?
『あんた達はみんな、焦がれてる癖にどこかで他人事。
画面の向こうのアイドルでも応援してるつもりなの?
そこにいるのは、今を生きてる人間なのに』
これについて、アンジェリカ・アルロニカは断言する。
お前達全員だ。神寂祓葉の周囲にいた全員。
その誰もが共犯者。光り輝く核爆弾の製造責任者である。
『あんた、最初に言ったよね。祓葉に素晴らしいものを届けるために自分を再定義するって』
語っていて、アンジェリカはホムンクルスに対する嫌悪感の正体に気が付いた。
久々に会った彼は前と比べてずいぶん愉快な存在になっていたが、それでも抱く気持ちは同じだった。
最初はただ信用できなかった。では、今は?
答えはひとつだ。
こいつは、結局何も学んでいない。
学んだ気になってるだけなのだと理解する。
『笑わせないでよ。あんたのやってることって、前回とまるっきり同じじゃん』
『興味深い意見だが異議がある。私は既に友を得、未知の可能性を魅せようとしているが?』
『だから、前もそうやって祓葉をすくすく育てたんでしょ? あんたらはさ』
飛んできた反論に、返す言葉は呆れ混じりだった。
本当にこいつは、なんでそんな簡単なことがわからないのだろう。
『おまえは眩しい、おまえは凄い。まさしく星だ、かくやあらん』
灼かれる前に、狂う前に気付いてほしい。
お前達が唆してるのは、十七歳の女の子だぞ。
『――――馬鹿じゃないの。ちょっとは大人になれよ』
念話で以って、心の中の嫌悪を吐き捨てる。
倫理とかモラルとかそういう次元の話ですらない。
ヒトとしてもっとずっと当たり前の常識だ。
『だからわたしは、魔術師って生き物が嫌いなの』
高尚な目的があるなら何をしてもいいと嘯く手合いは総じて糞だ。
あの時計塔には、そういう人間が溢れ返っていた。
そしてこの〈はじまりの六人〉なる集団は、それをもっと極端に且つ救えなくした存在。
唯一真っ当に祓葉を畏れていた蛇杖堂寂句は、彼らの中でも例外だったのだろう。
狂気に憑かれていたまでは同じだが、彼はどこかで自分を客観視していたのではないかと今では思う。
自分達が如何に滑稽で、間違いに溢れた生き物であるか。
理解した上で、それでも何かを成し遂げんとしたのがあの男。
だが、今言葉を交わしているホムンクルスや、その他彼の同類達はどうだ。
『今だから言うけどね。わたし、さっきまでこう考えてたんだよ』
『……、……』
『破滅の未来を避けるために、そうなる前にテンリを排除する。それもありかもしれないって』
『――――貴様』
本気の殺意が回線(パス)を伝って脳裏に流れ込んでくる。
流石に背筋が粟立ったが、此処で怯むわけにはいかない。
そんなの、あまりに格好悪すぎる。
『でもやめた。あんた達のお仲間になりたくないから』
――滅びの星々に抗する最も手っ取り早い方法は、生まれる前に殺してしまうことだ。
例えば今此処で令呪を使い、不意打ちのような形で天若日子を呼び戻して天梨を殺す。
そこまで急がなくても、この先同行を続けていればチャンスはいくらでもあるだろう。
それを即断できるほどアンジェリカの倫理観は拙くなかったが、択のひとつに入っていたのは事実だ。
基本的に良識的な人格をしている彼女をして凶行を考えるほど、あの未来は恐るべきものだったから。
けれど、結局、それはやめた。
だって、ムカつくから。
『自称友達のあんたがやんないなら、わたしがやるよ。
わたしは絶対、あんた達が喜ぶような未来なんて訪れさせない』
こんな人でなし、それ以前に最低限の常識もないような連中の喜ぶ未来なんて何であれクソだ。
だからってわたしまで、そんなクソ野郎達と同じ土俵に立ってやる必要はないだろう。
『わたしが――――テンリを星にしない。もう誰も、あんな悲しい生き物にして堪るか』
覚えているのだ。
神になってしまった少女の浮かべる、屈託のない微笑みを。
本当に楽しそうで。それ以外何もかもなくしてしまったようなあの顔を。
出会っていくらも経っていない相手だろうと、この世の誰もあんな風になんてなってほしくない。
故にアンジェリカは観測した終末を否定する手段をそう定義した。
神を産ませない。世界を滅ぼす資格を有した少女を、人のまま生き続けさせてみせる。
そしてそれをこそ己の見出した未知として、いつか〈この世界の神〉、そう呼ばれる女に魅せてやろう。
『これがわたしの答えだ。分かったか、ホムンクルス。わたしはお前達にはならない』
『アンジェリカ・アルロニカ――おまえは』
『ああ、だけどひとつだけ。一応味方のよしみで、あんたに忠告してあげる』
我は星を否定する。
神は要らない。
人は人としてそこにあれ。
誰にだって、普通に生きる権利はあるんだよ。
人並みの幸せで満足する生き方が間違いだなんて言うなら、そっちがおかしいんだって何度でも言ってやる。
『本当に友達だって言うのなら、相手の気持ちになるってことを覚えなさい。それともあんたにとって、友達ってのはただのお供え物?』
かくしてアンジェリカ・アルロニカは自己を再定義した。
恒星の否定者。破滅の未来に抗う者。時を超えない《未来改変者(タイムリーパー)》。
その意思は、神話を切り裂いて都市に轟く。
さながら母の異名を継ぐ、雷光の如く。
対話は終結を迎え。
ホムンクルスが、わずかな沈黙の後に何か言おうとして。
渋谷の街は――月に呑まれた。
◇◇
空に咲く、星の黒薔薇。
その花言葉は永遠の憎悪。
天津死すべしと捧げられた願いの集合体がここにある。
英霊でさえ跡形も残さず消し飛ばす大熱量に、天津甕星は疑いなく勝利を確信していたが。
次の瞬間、彼女の眉が不快そうに顰められた。
やや遅れて、闇の星が内側から張り裂ける。
そこから降り注ぐ光の矢雨を、星神は面倒そうに片腕で払い除けた。
「しぶといな。私も暇じゃないんだけど」
「はぁ……はぁ……ッ。
いや、すまん。
これで死んではあまりに不義理だと思った故、少し無理をした」
天若日子が持つ対神宝具の真名解放。
それで以って強引に死地を切り拓いたようだ。
しかし無傷では済まなかった。直衣の所々が焼け切れてボロボロになり、身体にも痛ましい火傷が見て取れる。
悪神討伐の命は、高天原に誅殺された今となっても天若日子の中で生き続けている。
純粋な相性関係で言えば彼は天津甕星に対し有利を取れる側だ。
なのに圧倒的な出力差、実に無体な外付けパーツが天秤をバカにしていた。
後一撃でもまともに星の炸裂を浴びれば、天若日子は戦闘不能に陥るだろう。
ならば是非もない。
なのに天津甕星は、矢を番えたままの格好で手を止めていた。
「……不義理?」
「こうして再会できるとは思わなかったが、言葉を交わして分かったよ。
星神よ。確かに其方には、天津神(われら)を憎む権利がある」
天津神とは傲慢な圧制者。
しかし天若日子は、何があったのか心変わりを起こしている。
それは天津甕星も知っての通り。そして、呆れるほどどうでもいいことだった。
だとしても。
こうして大っぴらに責を認め、真摯な瞳で見つめられれば困惑も覚える。
「この霊体(からだ)になって初めて分かった。
そうか――そういうことだったのだな」
天若日子が、痛ましいものを見るように眉を顰めた。
彼の眼には、星神――を騙る化物の真実が見えているのだろう。
無数の死霊の魂が蠢き、少女の姿を形成している極小規模の地獄。
それこそが天津甕星。天津神への憎悪に狂い、生贄となった民々のなれはて。
それが分かれば、後は秘密箱を解くようなものだ。
なぜ、彼女はこうも天津神を憎むのか。
なぜ、常にどこか投げやりな態度で戦うのか。
答えはひとつ。
天香香背男は存在せず。
天津甕星もまた不在の神である。
悪しき神など、あの時自分の前にはいなかった。
そうあるべしと祝(のろ)われた、ひとりの子どもがいただけだ。
「自己満足と言われてしまえば返す言葉もないが、実のところその通りだ。
私は地に下り、誰かを愛するコトを覚えてしまった。
――失いがたい幸せというモノを、知ってしまった」
神が機械に似るのは、その方が都合がいいからだろう。
人間らしい神は概念としては素敵だが、管理者としては欠陥品だ。
こんな感情を持った生き物に、血の通わない公平など布ける筈がない。
天若日子は堕天した。
天の御遣いの白翼は黒(アイ)に汚れ、高天原はそれを邪心と看做した。
穢れた者には、穢れた者の気持ちがよくわかる。
なればこそ、もう眼前の星神を不倶戴天の悪と断罪するのは不可能で。
「今の私はサーヴァントだ。仕えるべき主がいる以上、其方の為に命をくれてやることはできん。だが」
傷だらけのまま地に降り立ち、正面から少女を見据える。
前置きを口にするなり、静かに神は頭を下げた。
頭を垂れたのだ。天津神が、地を這う民草に。
「――――其方には、本当に済まないことをした。天津の一員として心から詫びる」
その光景を見て、天津甕星は。
■■■■という名の、ただの少女は。
「…………はあ?」
一瞬、くしゃりと笑って。
「――――ふっざけんなあッ!」
過去最大の怒りと共に、闇の星光を噴火させた。
火力、勢い、いずれもこれまでの比ではない。
少女の抱く怒りを体現するように波を打ち、周囲の景観を焼き尽くしながら燃え盛る。
「何だよ、何よ、それッ! 私が今まで……ずっと……どんな、思いで――!」
いっそ、本当に生物として精神構造が違うのだと思い知らせてくれた方がどんなにかよかった。
憎んでやまないすべての元凶。ひとり天に昇れなかった少女に残された唯一の生きる意味。
それが悪神である自分に頭を下げ、済まなかったと詫びている。
示された誠意は、どんな罵倒よりも鋭く幼い心を抉った。
「あんた達さえ……あんた達さえ、いなければ……」
はぁ、はぁ、と息を乱して。
肩を怒らせて、睨みつける瞳に満ちるのは一面の殺意。
「私は……ずっと、あの村で……」
「……、……」
「みんなと……みんな、とぉ……!」
そして、薄く膜を貼る透明な液体。
「――ずっと一緒にいられたんだ!」
雫が零れるかどうかのタイミングで、引き絞った矢が放たれた。
過去最高の威力を実現しているが、命中精度は輪をかけて落ちている。
精度の低下を破壊範囲で補っている形で、さながら子どもの癇癪みたいな弾幕だった。
ぐるぐると渦を巻く不快感。怒りとやるせなさと、どこか寂しさに似たなにか。
その感情すべてを破壊に変えて、天津甕星は再び地上を蹂躙する。
天津の刺客を薙ぎ払い、地に我ありと吠え続けたいつかのように。
殺す。
この神は、私のすべてを賭してでも滅ぼし尽くす。
そうでなければ私は、もう"天津甕星"ですらいられない。
怒りも時には癒しになる。
壊れた心を補う止まり木になる。
天津甕星は怒っていた。
そして同時に、恐れていた。
もしも今の自分が、天津神への怒りさえ失ってしまったら?
もしそんなことが起きたなら――その時私に残るモノは、ひとつでもあるのかと。
「滅び去れ、天若日子! 我は貴様達の傲りを誅する星の悪神、天津甕星!
かくも傲慢で卑劣なる天津神よ! この矢この光で、影も残さず消し祓ってくれる!」
体内へ取り込んだ時計の針が高速で回転する。
途端、潤沢に満たされ飽和状態に陥る魔力。
「『神威大星』――――!」
正真正銘、全力全霊で消し去ると暗に告げる。
だからお前も受けて立てと、天津甕星は改めて名実共に怨敵と化した天若日子に求めるのだ。
しかし。
「――――『星神』、ッ……!?」
それに対する返答は、肩を射抜く先撃ちの一矢だった。
中断される真名解放。
生まれた隙を、後続の矢が容赦なく追撃していく。
「が、うぁ、ッあ、ぎ……!」
「言ったろう、命はくれてやれないと」
天若日子が彼女へ示した誠意は真実だ。
神の憐憫ではなく、対等な目線から捧げた謝意だ。
しかし、ならばアンジェリカ・アルロニカに抱く忠心もまた然り。
「それに此処で其方と見えれば、私は私の主命を果たせなくなる。
こちらも火急でな、よって決闘は受けかねる」
「こ、の……クソ、天津神ぃ……!」
もし此処でこの少女と本気で雌雄を決すれば、自分も死を覚悟せねばならなくなる。
勝ったとしても負傷は軽微では済まないだろう。であれば、今は受けて立つことはできない。
それに幸い、奮戦の甲斐あって時間は十分に稼げた。
今頃はもうアンジェリカは天梨達共々、最低でも戦闘の余波が届かない程度の距離までは逃げられている筈。
瓦礫の山に磔にされ、力ずくで引き剥がしながら喰い殺さんばかりの勢いで睥睨してくる天津甕星。
霊体化して撤退する直前、天若日子は彼女に向けて口を開いた。
「だが、次こそ其方の怒りに寄り添うと誓おう。その時は私も、全力で相手をさせて貰う」
「! 待て、おいッ――」
「重ね重ね、すまぬ。今は、御免」
霧のように失せる、堕ちた天津神。
その姿を見送って、少女は短く唸る。
「……なんだってのよ、本当……」
腹が立つ。
腸が煮えくり返って、どうにかなりそうだ。
矢を引きちぎりながら立ち上がれば肉は抉れ血が噴き出したが、……それも数秒置けば勝手に癒えていく。
自然回復能力自体は永久機関の産物だったが、今は体内の魂達が、かつて家族同然に過ごした"みんな"が叫んでいるのを感じる。
憎き天津神。滅ぼせ。殺せ。すべてを踏み躙って我が部族の宿願を果たせ。
おまえならそれができる。巳花、立派な子。我らの誇りよかくやあらん。
「どいつも、こいつも……ッ!」
苛立ち紛れに大地を踏み砕いた。
此処に来てから、腹の立つことばかりだ。
糞の煮凝りのような男に顎で使われ、戦えばどれも尻切れ蜻蛉のような結末。
挙句の果てには再会した宿敵が、知ったような口で何やら詫びてくる。
ああ、雑音がうるさい。
体内に反響する"みんな"の声とは別に、天津甕星のもっと深い部分を揺らす声がある。
――寂しいね。辛いね。かなしいね?
――いいよ、もう十分頑張った。
――休んじゃおう。誰も怒らないよ、わたしが許してあげる。
――あなたはもう楽になっていい。みんなでのんびり暮らそうよ。
――ねえ、あの頃みたいに。それってとっても素敵でしょう?
「うるさい……」
戦いの最中に、その現象は勃発していた。
優しくて、その実とびきり無遠慮な慰めの声。
諦めよう、楽になろうと囁いてくる月のウィスパーボイス。
「うるさい、うるさいうるさいうるさい……!」
頭を掻き毟りながら、よろよろと偽神は歩き出す。
あてはない。どこを目指せばいいのかも分からない。
あるのは怒りだけだ。
孤独な少女は、それ以外何も持っていないから。
◇◇
――そうして、月光が都市を満たす。
刹那、アンジェリカは念話を中断せざるを得なくなった。
脳裏が渋滞する。望んでもいない情報の洪水(ノイズ)で、強引にかき回される。
「が、ぐ……ぅ、ぅ……!?」
思考がまともにできない。
纏めようとした矢先に、どこの誰とも知れない声が割り込んでくるからだ。
諦めよう。やめよう。みんなで一緒に楽になろう。
しかも何が恐ろしいって、その荒唐無稽で無責任な声に惹かれる自分がいること。
「――アサシン。これは」
「あー……面倒臭えなぁ。どこの誰か知らんが、盛大にやらかしたらしい」
理屈など、推理する気にもならなかった。
腹が立つやら心が癒やされるやらで情緒がひどく忙しい。
だが、確かに分かることがただひとつ。
「大将よ。こいつはもしかして、そういう案件かい?」
「恐らく。似て非なるものではあるが、我が主と近い匂いを感じる」
ホムンクルスの言葉など、正直聞くまでもなかった。
この声の主は、間違いなく神寂祓葉、そして恐らくは輪堂天梨の同類だ。
すなわち〈恒星の資格者〉。どこの誰とも知れない三人目が、アンジェリカが決意を固めた矢先に開花を遂げたのだと知る。
神話(はめつ)は止められないぞと、嘲るように。
「しかし醜悪だ。理屈としては分かるが、私情としては認め難いな」
冗談じゃない。
星の覚醒とはすなわち、世界の滅び。
閉ざされた扉の向こうで未来を見たアンジェリカにはそれが分かる。
今こうしている間にも、自分達の知らないどこかで"世界の終わり"が進行しているのか。
「おい。この耳障りな声流してる女は何処に居る?
非ッッッ常に不愉快だ。今すぐブチ殺してやるから教えろ」
「ほら見ろ早速地雷踏まれてる奴が居る!! ホント、面倒事ばっかり持ち込まないでくれませんかねぇ……!!」
最後尾の座席からは先のホムンクルスの比にならないほどの殺意が伝わってきてピリピリと肌を焦がす。
もう車内は阿鼻叫喚だった。
アンジェリカ自身も、理性と本能の衝突で頭が割れるように痛い。
気圧の低い日に襲ってくるあの痛み・重みを何倍にも跳ね上げたようなソレだ。
許されるなら全部投げ出して寝腐ってしまいたいが、それをするとこの声の主に従う形になるためできない。そうしたら二度と戻ってこられない確信があった。
「――とにかく、さっさと渋谷を出ちまうぞ。後の話はそれからだ」
継代のハサンがアクセルを踏み込む。
車の揺れが強まって、その刺激でハッとした。
「……テンリ、大丈夫?」
「――、――」
仔細は分からないが、察することはできる。
この声は、聞いた者がすべてを諦めることを望んでいる。
その人間が抱えている後悔や未練、あるいは使命感、苦しみ。
そうしたものに節操なく寄り添って、堕落の方へと誘うのだ。
だとするとこの車内で、それに一番影響を受けるだろう人物はひとり。
月並みで年相応な心を身の丈に合わない理想で金継ぎして生きてきた、天使の少女を除いて他にはない。
「う、……うん。大丈夫……だと、思う。なんかすっごい頭痛いけど、うん、大丈夫……」
「……本当に?」
「…………ぅ。ほんとはちょっと、大丈夫じゃない、かも」
「やっぱり。やせ我慢しないでちゃんと言いなさい」
そう答える顔は青く、息遣いは荒かった。
彼女も、アンジェリカと同じ認識なのだろう。
これは駄目だ。この甘い誘惑に頷いてしまったら、きっと帰ってこられない。
「アサシン。ごめん、できるだけ飛ばして。テンリだけじゃなくて、わたしもちょっとしんどいから」
「あいよ! 酔っ払うかもしれんが、そこは勘弁してくれなぁ!」
そうして、車は進んでいく。
風景は流れていく。月の覆う魔界の出口に向けて走っていく。
頭痛を堪えながら時を数え、アンジェリカは幾度目かの疑問に唸った。
何が起きているのだろう、この都市で。
分からないけれど、分からなくてはいけない。
未来を救う。破滅など訪れさせない。
二度と、次の星は生まれさせない。
輪堂天梨を、恒星にはさせない。
その決意が皮肉にも、押し寄せる甘言の洪水に抗う止まり木になった。
天若日子との絆。寂句との激突。祓葉との遭遇。天梨との邂逅。
いずれかひとつでも欠けていたなら、自分はこの甘い声に骨抜きにされていただろう。
だって自分も、人並み以上には無理をして生きてきた人間だから。
安堵しながら隣の少女の肩を抱く。それで何になるとも思っていなかったが、何もしないよりはマシだと信じて。
――と。そこで。
「あ」
天梨のスマートフォンが、ぷるるるる、と無機質な着信音を鳴らした。
「満天ちゃん」
画面に表示された名前は、煌星満天。
アンジェリカがまだ知らない――四人目の資格者。
◇◇
【渋谷区・移動中(車内)/二日目・早朝】
【アンジェリカ・アルロニカ】
[状態]:魔力消費(中)、疲労(小)、頭痛(大)
[令呪]:残り三画
[装備]:
[道具]:ヒーローのお面(ピンク)
[所持金]:家にはそれなりの金額があった。それなりの貯金もあるようだ。時計塔の魔術師だしね。
[思考・状況]
基本方針:勝ち残る。
0:煌星、満天……。
1:未来を変える。私は、神を生ませない。
2:神寂祓葉に複雑な感情。
3:蛇杖堂寂句には二度と会いたくない。
4:あー……きっつい、これ……。
[備考]
※ホムンクルス36号から、前回の聖杯戦争のマスターの情報(神寂祓葉を除く)を手に入れました。
※蛇杖堂寂句の手術を受けました。
※神寂祓葉が"こう"なる前について少しだけ聞きました。
※アルロニカ家の魔術刻印と共鳴することで、世界の始点と終点の一部を観測しました。
【輪堂天梨】
[状態]:疲労(中)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(ちょっと落ち着いた)、頭痛(大)
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:満天ちゃん?
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
4:アンジェさんを信用。誰かに怒られたのって、結構久しぶりかも。
5:ほんと、なんなんだろうなぁ。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
→魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。
※煌星満天からの着信が入っています。
【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(大)、ブチギレ
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:以下の連中は機会があれば必ず殺す:青き騎兵(カスター)、煌星満天、赤坂亜切、雪原の女神(スカディ)、囁き女(にーと)。また増えるかも
4:ホムンクルスも殺してぇ……
5:このクソ喧しい声を今すぐ止めろ
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。
※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。
【ホムンクルス36号/ミロク】
[状態]:疲労(小)、肉体強化、"成長(第二フェーズ)"
[令呪]:残り二画
[装備]:
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:忠誠を示す。そのために動く。
0:星の羽化がどこかで起きた。先を越されるとはな。
1:輪堂天梨を対等な友に据え、覚醒に導くことで真に主命を果たす。
2:……ほむっち。か。
3:煌星満天を始めとする他の恒星候補は機会を見て排除する。
4:アンジェリカ・アルロニカ――。
[備考]
※天梨の【感光/応答】を受けたことで、わずかに肉体が成長し始めています。
※解析に加え、解析した物体に対する介入魔術を使用できるようになりました。
※輪堂天梨が修羅場を超え、その力が洗練されたことで、ミロクの成長速度も急激に上昇しました。
現在、3~4歳程度の童子の姿まで変異しています。
【アサシン(ハサン・サッバーハ )】
[状態]:霊基強化、運転中、令呪『ホムンクルス36号が輪堂天梨へ意図的に虚言を弄した際、速やかにこれを抹殺せよ』
[装備]:ナイフ
[道具]:
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターに従う
0:キャパオーバー! さっさと渋谷を抜けないと胃が破けて死んじまうなぁ!(ヤケクソ)
1:さて、新宿に行ってみるか、それともここに留まるか。
2:大将の忠告を無視する気もないが……ノクト・サムスタンプ、少し気になるな。
3:状況が落ち着いたら新宿の兵隊(機動隊員)の余りをこっちに呼んでみるのもアリだが、さて。
[備考]
※宝具を使用し、相当数の民間人を兵隊に変えています。
※OP後、本編開始前の間に、新宿警察署に集まっていた機動隊員たちを催眠下に捉えていました。
※自身が2回目の参加であること、前回のマスターがノクト・サムスタンプであることを知りました。
※状況が状況なのでホテルに留まることを選びました。新宿の機動隊員たちは、数こそ減ったものの幾らか生き残りがいるようです。
【渋谷区・超高級ホテル近辺/二日目・早朝】
【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:激昂、全身に矢傷(回復中)
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型。現在は胸部に格納中)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
0:なんだってんだよ。どうしろってんだ。
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除。……だけど、優先度が落ちたらしい。なんじゃそりゃ。
3:今後のことを考える。
4:天若日子を追う? それとも?
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
・が、全体的に出力が向上しているでしょう。
【アーチャー(天若日子)】
[状態]:疲労(大)、全身にダメージ(大)
[装備]:弓矢
[道具]: ヒーローのお面
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:アンジェに付き従う。
0:アンジェ達の許に戻る。
1:アサシンもアヴェンジャーも気に入らないが、当面は上手くやるしかない。
2:赤い害獣(レッドライダー)は次は確実に討つ。許さぬ。
3:神寂祓葉――難儀な生き物だな、あれは。
4:星神(天津甕星)とは次に会ったら受けて立つ。私には、その責任がある。
[備考]
※アサシン(継代のハサン)が2回目の参戦であることを知りました。
前の話(時系列順)
次の話(時系列順)
最終更新:2026年03月23日 02:19