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――かつて私は、心から世界を愛していた。
肥沃な大地とそこに根付いた色とりどりの営み。
夜が来れば空は見果てぬ星海を映し出し、季節は暦の巡りに合わせて万華鏡の如く姿を変える。
物心つく頃には世界の美しさを認識し、同時に神の実在を確信した。
こんなにも満ち足りたモノが、何者の介在もなく独りでに生み出される筈がない。
世の始まりには大いなる誰かがいて、叡智と慈愛の限りを尽くして我々を生み出したのだと信じた。
――赦せなかったのは、ひとつだけ。
最初のきっかけは何だったろう。
人生を変えるような衝撃だったかもしれないし、ごくささやかな日常の一風景だったかもしれない。
例えば、血を分けた肉親の末路のような。或いは、喘鳴を漏らしながら蛆に群がられている瀕死の小鳥のような。
どちらにせよこの星に文字通り掃いて捨てるほどある悲劇のひとつを、認めた瞬間に私は無垢ではいられなくなった。
――おお、神よ、神よ、何故。
文筆に生き様を見出したのも、元を辿ればそれが理由だった。
理想と現実の乖離を拭い去るためには、目に見える世界だけでは到底不足であったから。
せめて空想の中に理想の地平を求めたことを、一体誰が責められるだろう。
さりとて書き上がる駄作は油絵の虹。神の奇跡を冒涜するような、甚だ出来の悪い絵空事。
――何故あなたは、このような悲劇をお許しになるのだ。
素晴らしき天上の神は、自ら生み出した過ちを雪ぐ気がない。
だから世界は延々と間違え続け、今日も新たな涙が流れ続けている。
人は救われるべきだ。
誰しも泣いて生まれてくるのだから、限られた人生の中であらゆる幸福に親しみ、笑顔のままに己が物語を締め括るべきだろう。
即ち大団円。誰もが笑顔で頁を閉じられる、完全無欠の"めでたしめでたし"。
なのに神は、どうして陥穽を埋めようとしない? すべての涙を絶やし、微笑みに溢れた優しい世界を築こうとしないのか?
――そうか。つまり貴方は、間違っているのだな?
間違いは正さねばならない。
たとえ、それが偉大な神であったとしても。
天地万物を創造し、美の限りを編み上げた御親であったとしても。
そうして私は悩みながら、迷いながら、白痴の生き様に別れを告げた。
仕方がないと許容して生きることをやめ、苦しみながらでも一縷の光を追う百年を選んだ。
だが程なく理解した。己には絶望的に資格が足りない。
地を這う蟻が空を飛びたいと願っても翼が生えはしないように、己にはこの燃え上がるような愛をカタチにする術がない。
さりとて絶望だけはしなかった。
己に素質がないのなら、新たに用立てればいいだけだ。
器を。仕掛けを。そして次代を。
この思想と理念にカタチを持たせ、無を有に変えるコトのできる至純の光を。
真理に行き着いた己だけが製造できると悟った時点で、私の罪状は決定された。
産声をあげる我が子を見下ろしながら、堅物の貌に確信の笑みを浮かべる。
そう、これぞ星だ。悲劇に満ちた無明の闇を晴らし、あまねく涙を彼方に消し去る北極星(ポラリス)。
――どうかご笑覧あれ、偉大なる父。私が、貴方の不始末を雪いでやろう。
皺だらけの顔で泣きじゃくる娘を抱きながら、私は腹に決めたのだ。
たとえこの魂が冥獄に堕ちるとしても、私は、必ず。
あらゆる涙の存在しない、理想の惑星(ハッピーエンド)を創造してみせるのだと。
◇◇
駆けつけた先には、女が立っていた。
二十歳間際であろう、えらくうら若い女だった。
人畜無害を絵に描いたような面に、スレンダーだが貧相さを感じさせないプロポーション。
ウェーブのかかった茶髪はおっとりとした印象を見る者に与え、なのにその総身から横溢する禍々しいまでの邪気が、此処まで述べたすべての美点を帳消しにしている。
「どうしたんですか、そんなに息を切らして。此処には私以外、誰もいませんよ?」
元はきっとそうだったのだろう。だが美女のガワを纏ったナニカは、もう人を欺くことすら辞めている。
目に見えるものがすべてではない。
これは疑似餌だ。無害な見てくれに引き寄せられ、まんまと心を許した愚図を喰らうための卑劣な偽装。
雪村鉄志が足を止め、右手を前に出して背後の少女を制した。
そうされた輪堂天梨でさえ、他人の悪意に鈍感な天使でさえ、視線の先で微笑む魔物の悍ましさに息を詰めていた。
(なに……これ……?)
画面越しでなければ物も言えない匿名の悪意とは次元が違う。
この世に存在するありとあらゆる穢いものを掻き集めて成形したような、世界に空いた人型の孔。
神寂れたる空の下で悪意の縁(よすが)を張り巡らし、触れた幼気を片っ端から腑に収める魂の冒涜者。
「――――誰だ、お前」
鉄志が絞り出した問いに、女は妖艶に微笑む。
あどけない幼顔に見合わぬ蠱惑を孕んで。
「琴峯をどこへやった。五秒以内に答えろ。さもなくば容赦しねえ」
「やだなぁ、そんな怖い顔しないでくださいよ。それに、ふふ、うふふ、くふふふふふ」
ドスの利いた声は伊達や酔狂ではないと誰でも解るものだったが、女は可愛らしく口元を押さえて含み笑いを漏らすのみ。
「五秒だ」
それに対し、『杖』を抜くことに迷いはなかった。
罪悪感も然りだ。何故なら鉄志は、この時点で女の素性を九割九分確信していた。
間違いだったなら頭を下げよう。殺してしまったなら腹でも割こう。
その覚悟だから、狙うのは初手から喉笛だった。敵を確実に無力化し、抵抗の余地を奪う算段で光条を奔らせる。
特務隊にその人ありと恐れられた、多くの魔術犯罪者をお縄に付かせてきた雪村鉄志の代名詞。
彼のガンドは過たず狙いの場所に着弾し、されど。
「ひどいです。悲しいです。どうしてそんなこと言うんですか?」
女は身じろぎひとつせず、変わらぬ微笑で話し続けた。
直撃した魔弾が頑強な皮膚に弾かれ、あらぬ方向に飛んでいく。
これで確定だ。既に確信の域にあった予想が結実し、鉄志に決算の時を悟らせた。
「……やはり、お前が――!」
決まりだ。こいつこそが蛇。
〈ニシキヘビ〉。人知を超えた悪意を秘めた暴食のフィクサー。
やっと辿り着いた。とうとう此処まで来た。
万感の思いはすぐさま怒りに変わって怒髪天を衝き、胸に渦巻く恨みの丈をいざ吠え立てんとして。
「わたし、ずっと会いたかったのになぁ」
「……あ?」
けたけたと喉を鳴らし紡がれる白々しい言葉に、その出鼻を挫かれた。
「ん、あれ? もしかしてほんとに分かってない感じです? えー、だったら結構ショックかも」
ぐらり、と、言葉のひとつひとつに脳を揺さぶられる。
理屈ではない本能が、迫る絶望の気配に震えていた。
髪をかき上げる、蛇。女(だれか)の顔をした殺人鬼。
比類なき悪である蛇は、他人の心を踏み荒らすことにこの上なく長けている。
聞くな。耳を塞げ。
話を聞く暇があるなら制圧しろ。
こいつは悪で、その囀りを聞くことに意味はない。
そもこれの犠牲者達は皆、こうやって付け入られたのではなかったか。
"カミサマ"に会いに行くと言って消えた己の娘は、まさに、そうやって――
「わたしだよ、お父さん。絵里だよ」
「――――」
続く言葉を聞いた瞬間、そんな思考も吹き飛んだ。
ただの戯言と切り捨てられなかった理由は、面影があったからだろう。
垂れ気味の眉。へにゃりと緩んだ口元。心根の優しさが滲み出たような、朗らかな笑顔。
鉄志の記憶にある幼顔を経年させた風貌だと気付いてしまったから、ぶつけてやろうと準備していたあらゆる言葉が露と消える。
「わたしね、カミサマのお嫁さんになったんだ。
ウェディングドレスは見せてあげられなかったけど、またお父さんに会いたいってずっと思ってたんだよ?」
――お父さん、カミサマに会いに行くね。
そう遺して消えた娘の顔と、幾年月越しに再会する。
但しそれは決して、父の望んだ形ではなかったが。
「カミサマのお腹で、お友達もたくさんできたよ。
最初は寂しくて怖くていつも泣いてたけど、今はとっても幸せなの」
違う。ふざけたことを抜かすな、ぶち殺してやるぞと。
吠え立てようとした喉が引き攣り動かない。
いいやそれこそ違うだろうと、かつて父親だった男の本能が冷徹に現実を突き付けてくる。
「本物……なのか……?」
鉄志は馬鹿ではない。酸いも甘いも噛み分けた壮年の脳は、既に事の真相を見抜いていた。
目の前にいる"絵里"は、そのガワを被った神寂縁だ。
ニシキヘビは他人に化ける。ナシロ達に"エリ"という名で接触していた事実も聞いている。
であれば正体など推して知るべしであろうに、究極の完成度で出された娘の皮が、男の〈未練〉を呼び起こす。
歳を重ねてはいるが、確かにあの頃のままの笑い方だった。
照れた時こめかみを掻く癖も、少しおっとりした雰囲気も。
何もかもが、眼前の女が"雪村絵里"なのだと伝えてくる。
だから鉄志は動けなかった。
蛇に睨まれた蛙。そんな比喩を思い浮かべる余裕もない。
「ねえ、お父さん。カミサマは、永遠の楽園を創るんだって」
絵里が手を差し伸べてくる。
妻も娘も、大切なものを何ひとつ守れなかった父親に対し、しかし彼女は怒りもしない。
「お父さんも来ていいよって言ってくれてるの。だからね、絵里と一緒に行こ?」
先程の露悪的な振る舞いが嘘のように屈託のない笑顔で、娘は父を永遠へと誘った。
「わたし、またお父さんと暮らしたいな。
お料理もすごく上手になったんだよ。もうお母さんにだって負けないんだから」
見るな。聞くな。理性は変わらずそう叫んでいる。
なのに目が離せない、耳を塞げない。
響き続ける月女神の甘言さえ今だけはありがたかった。
この悪魔の誘惑を紛らわしてくれるなら、罵詈雑言だろうと鉄志は喜んで縋っただろう。
「ほら、お父さん」
「やめろ」
「絵里の手を取ってよ、ねえ」
「違う――おれ、は――ッ」
もしも。
もしも許されるなら、もう一度絵里に会いたい。
そう思った回数はきっと、とても数えられるものじゃない筈だ。
その願いが今、叶おうとしている。
雪村鉄志のためだけの願望器が希望の顔をして微笑んでいる。
子を持ったことのない者には分かるまい。
子を喪ったことのない者には分かるまい。
これがどれほど甘く、そして極悪な誘いであるかなど。
たとえ見え透いた罠であったとしても、返す刀で切り捨てるなど出来なかった。
そしてその弱さを、蛇は決して見逃さない。
手が伸びてくる。
鉄志(ちちおや)は動けない。
白痴の相を晒して固まった父に、娘はあの頃のように笑って――
「勝手に逝ってろや塵屑が。気色悪い芝居し腐ってんじゃねえぞ」
鉄志の眼前で、復讐の禍炎に呑み込まれた。
振り抜かれる妖刀に迷いはない。
病毒の炎を燻らせながら、穢れたる神(パコロカムイ)が痺れを切らして登壇する。
間近にあった娘が炎に消えた光景を茫然と見つめる鉄志に、堕ちた英雄が吐き捨てた。
「何を腑抜けてやがる。あれだけ威勢良く吼えといて、三歩歩いたら忘れるのか」
「……っ」
「殺してほしいんなら素直にそう言え。俺からすれば君も仇みたいなもんだ、すぐにでも望みの末路を届けてやるよ」
無粋と無作法が常のシャクシャイン。
しかしこの時ばかりは、その凶気が人を助けた。
彼の介入があと一秒でも遅かったなら、鉄志はどうなっていたか解らない。
復讐者の暴虐が、探偵の中に燻る女々しい〈未練〉を焼き払う。
現実を見ろ、お前は何をやっていると、強引に前を向かせる荒療治。
果たしてその効果は覿面だった。
鉄志は一瞬の沈黙の後、握った拳を他でもない、自分自身の横っ面に叩きつける。
鈍い痛みと口内に広がる血の味。
本来不快でしかない筈のそれらが、今は鉄志を現実へ引き戻してくれる。
「――アヴェンジャー」
「何だよ。クソ和人」
「悪いな。手間をかけた」
「知るか。君の為にやったわけじゃない」
目を覚ませ。
そして認めろ。
蛇は人に化ける。恐らく、その変体対象は奴が奪った子どもの未来だ。
その蛇が自分の娘の皮を被っているということは即ち――雪村絵里は、もう死んでいる。
分かりきっていた、それでも認めたくなかった事実。
鉛のように重たいそれを飲み下して、鉄志は再び前を向く。
「ますたー……」
「お前にも心配かけたな、マキナ。
でももう大丈夫だ。見ての通り、ちゃんと怒れてるからよ」
死んでいく未練。代わりに燃え上がる激情。
幸福を奪われた探偵が、在るべき温度を取り戻す。
その証拠に、晴れていく炎の向こうを見据える貌に迷いはもうなかった。
「これからまた無茶をやる。付いて来てくれるか?」
「はい、もちろんです! 誰が何と言おうと、当機は貴方のあいぞ、あいぼ…………相棒! ですから!!」
懐の『杖』に手を触れ、魔術回路を駆動させる。
一般的な魔術師の平均値にも達しない程度の回路だが、それでも怖じ気付くつもりは毛頭ない。
ひと度堕落に溺れかけたことで、自分のオリジンをより強く自覚できた。
己は遺族。蛇に奪われた被害者にして、復讐者。
長い旅路の終着点が、今目の前に存在している。
ならば見失うな。兜の緒を締め直せ。甘やかな夢に反吐を吐き捨て、辛く寂しい現実に想いを馳せろ。
――聖杯を手に入れれば、雪村さんが奪われたものは全部帰ってくるでしょう?
香篤井希彦の言葉が脳裏に蘇る。
以前は即答できなかった甘言に、しかし今なら答えを示せる。
他の誰かを轍に変えて得る奇跡なんて、何であろうと願い下げだ。
"誰か"の未来を奪った血塗れの手で、一体どうやって家族を抱き締めろというのか。
「よう。はじめましてだな、クソ野郎」
それでは、目の前の生き物と同類だ。
何かを得るために何かを踏み殺すのは人間の原罪。
しかしその対象に同族までも含めたなら、それはもうヒトとは呼べないナニカだろう。
己は、そうはならない。
どれだけ見窄らしくても情けなくても、亡き妻子に胸を張れる生き方をしよう。
誓うと共に、至大の敵意を以って最大の仇敵を睥睨する。さあ、顔を見せろ、〈ニシキヘビ〉。
「年貢の納め時だぜ。神妙にお縄に付けよ、死刑台にぶち込んでやる」
――斯くして、宣戦布告は完了された。
長く緩慢な追走劇は終わって。
残る題目は、血腥い復讐劇だけ。
「――――く。ふふ、ははははは」
炎の奥から声がする。
怨念の死炎の中より、ぬらりと這い出す無傷の五体があった。
「ひとつだけ間違えているよ、雪村くん。
"初めまして"じゃあない。この顔にも覚えはあるだろう?」
それもまた、蛇の真の顔には非ず。
しかし鉄志にとっては、やはり覚えのある風貌だった。
「……そういうことかよ、テメェ」
「おいおい、雪村くん。テメェ呼ばわりはないだろう。あれこれ世話を焼いてあげたこと、もしかして忘れちゃったのかい?」
警視庁公安部捜査一課長――『根室清』だ。
公安時代の鉄志にとって、確かに良き上司だった男。
この世界で幾年越しに再会し、語らった記憶もはっきりと残っている。
だからこそ火に油を注がれた気分だった。自分は一体いつから、この悪鬼の手の上だったのかと。
「お察しの通りだよ。根室清もまた蛇(ぼく)だ。もう元の名前も分からないような、しゃーなしで食べた魂だけどね」
蛇は人に化ける。喰らった魂の未来を取り出し、皮を被る。
自身の推測が正しいことを悟ると同時に、鉄志は尊い記憶が音を立てて腐り落ちていく感覚を覚えた。
「とはいえ、僕もあの頃は楽しかった。まるで弟が出来たような気分だったよ。本当、毎晩のように飲み歩いたよなぁ」
根室は、鉄志にとって兄貴のような男だった。
物腰穏やかだが気骨があって、刑事魂が許さなければ上の命令にさえ毅然と噛み付く。その大きな背中を、鉄志は今も覚えている。
特務隊結成の一助を担った恩人でもある上司が他でもない仇の変装だった事実に、噛み締めた奥歯が砕けそうだ。
しかし蛇は上機嫌に語る。
それもその筈、旧友(とも)の魅せる怒りは彼にとって蜜でしかない。
「僕に辿り着けたご褒美に、種明かしをしてあげよう。
実のところね、最初は君の思い通りにはさせまいと動いていたんだ。
手持ちの顔を幾つか使って上層部を誑かし、特務隊の設立が難航するように仕向けていた。
国家の犬など取るに足らないが、やはり無知でいてくれた方が都合がいいからね」
それは、美しい思い出を踏み躙る言葉。
蛇はヒトの悲しみを愛している。
己の言葉で誰かの人生を支配(よご)せるなら、これに勝る娯楽はないと信じているのだ。
「ただ君があんまり頑張るものだから、僕も少し気まぐれを起こしたんだ」
しかし、蛇は美食家でもある。
啜る涙の種類は選ぶ。
なのに雪村鉄志という、彼の守備範囲と大きく外れた男に食指を惹かれた理由は先の言葉の通り。
驚くべきことにこの怪物は、鉄志という男と過ごす時間を快く思っていた。
「正直これは、未だに言語化のできない……僕らしくない不合理でね。
兎角、君は面白い玩具だった。或いは僕にとって、初めて友と呼べた存在だったのかもな」
「気色悪いことをほざいてんじゃねえ。虫酸が走る」
「まぁそう言うなよ。それに、最初に裏切ったのは君の方だろ?」
仮に。
鉄志がまっすぐに愚鈍な玩具のままでいたのなら、後の悲劇は起こらなかったかもしれない。
しかし鉄志は、見えざる手がけしかける妨害にもめげず、特務隊創設という偉業を成し遂げた男。
無鉄砲にも思える愚直さ。目指す未来のためになりふり構わず、必要なら土でも泥でも食める精神性。
だからこそ支配の蛇は、彼という男に未知を見出した。
であればやはり、雪村絵里の悲劇は必然だったのだろう。
見つけてしまった闇から目を背けるのは、彼が妻の墓前に誓った生き様と矛盾する行為だから。
「君は僕の存在に気付いてしまった。僕の楽園を冒そうとした。多少のやんちゃは大目に見るつもりだったけどね、流石にあれはやり過ぎだろう」
だから壊した。
悪国征蹂郎を輩出した暗殺者養成施設を自ら潰したように、その足で愛着ある玩具を踏み潰した。
「絵里ちゃんの件は残念だったね。けれど気付いているんだろう? 君の愛娘は、今も僕の中で生きている」
特務隊に無数の不幸を授けた。
妻に先立たれた鉄志に残った、唯一の"守るべきもの"を呑み込んだ。
そうして物語は現在へと至る。
幾星霜の時を経て、雪村鉄志は悲劇の根源に辿り着いた。
「僕が聖杯を手に入れたら、絵里ちゃんの魂だけは吐き出してあげよう。
第三魔法とは魂の物質化。君ら親子二人とも時を止め、エデンの一等地を用意してやるよ」
彼だけの根源の渦。
復讐の成就という願望器。
娘の魂を呑み込んで、今も腹の中で飼い殺しにしている藪の魔王が、恩人の顔で微笑みかける。
「だから、どうかな。今一度僕と共に――」
「ごちゃごちゃうるせえ」
その顔面に、鉄志は再び『杖』を打ち込んでやった。
「誰が何をほざいてんだクソジジイが。
変態の誘い文句にホイホイ付いてくほどガキに見えんのか?」
「……、……」
やはり無傷。
だが、それでも一向に構わない。
今の一発は攻撃ではなく、自分の中にあった弱気との訣別だ。
そして八つ裂きにしても飽き足らない怨敵に対する、これ以上ない三行半である。
「お前が行くのは楽園じゃなくて地獄だ。こんなオッサン口説く暇あんならよ、今の内に閻魔様への言い訳でも考えとけや」
雪村鉄志はもう揺るがない。
どんな悪意を弄しても、巧みな言葉で揺さぶろうとも、再点火された怒りの火を消す手段はどこにもない。
そのことを、蛇も遅れ馳せながら理解したのだろう。
ずっと浮かんでいた薄ら笑いが、氷点下の殺意に染まっていく。
己を邪魔立てし、支配という特権を奪おうとする――害虫に向ける感情に。
『根室清』でも、『雪村絵里』でもない。
神寂縁、〈支配の蛇〉の本当の顔が覗いて。
それと同時に、その身体を突き破るように数多の蛇頭が這い出した。
「――マキナ!」
「あい・こぴー! 当機はとっくに準備おっけーです!
第二宝具起動、Machina-type:E、神機融合モードへの移行を開始……!!」
さあ、正念場だ。
男を見せろよ雪村鉄志。
この日のために、今まで未練がましく生きてきたんだろうが!
自分への喝破と共に鉄志の総身を覆っていく、鋼の装甲。
漆黒の鎧が、只人だった男をひとりの〈主役〉へ染め上げる。
これぞまさしく神機融合、ヒトと英霊の一蓮托生。
奪われた者と願い続ける者。悲劇を呪い続ける主従が合身し、人類史のどこにも記録されていない、最新の英雄譚を奏で奉る。
『神機融合、同調開始。
その足はあらゆる涙を止めるため。その腕はあらゆる悲劇を砕くため!
我が理想、我が信念、仮初のカタチを以って此処に顕現せよ!』
草葉に埋もれた藪の中すらつぶさに暴く白光が炸裂した。
閃光が晴れれば、男を中心に吹くのは、この世総ての"悪"を蹴散らす烈風。
「『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』――――同調、完了だ」
かくして纏身、そして纏神完了。
立ちはだかる英雄の似姿、かつて壊した玩具の逆襲に。
最悪の犯罪者は、至極つまらなそうに嘆息する。
「やれやれ。身の程知らずもあの頃のままか」
挑む英雄に、悪意の真髄が蠢動する。
小繭蜂の羽化を思わす、悍ましいまでの邪念の発露。
死刑以外で裁けない悪神(ウェンカムイ)が、死の暴力を解き放った。
◇◇
その波濤は、これまでに蛇が見せた暴虐の中で最も苛烈であった。
神寂縁の本質とは"相手よりも少しだけ強くなる"、彼の姪に類似した神の資質。
だがそれを支えるのは、彼が持つ万物溶解の固有結界。
世の総ては己に支配されるべき下等生物と信じる彼の心象が、これと相対する如何なる存在にも上に立つことを許さない。
『英霊外装鍛造機能、コード:アルケスティスより、ヘラクレス実行……!』
押し寄せる蛇、蛇、蛇。
白蛇の激流を、鉄志は現出させた外装で打ち払う。
大英雄の棍。破壊力に全振りした戦闘武装は、Machina-type:Eに記録された武装の中で最高の親和性を誇る。
「づぉおおぉぉおッ――!」
右腕に過去最大の膂力を横溢させて、力任せに引きちぎった。
迎撃に勤しみながらも、足を進め続けることだけは忘れない。
魔術犯罪者と戦って得た教訓。凶悪な出力を持つ相手に対して、速攻以上に優れた攻略法はないのだ。
対魔逮捕術とはあくまで五体を用いた格闘技術だが、その理論骨子は武器を用いた戦闘にも応用が利く。
兎にも角にも何もさせるな。先手を取られたなら後の先を取り返してでも叩き潰せ。
「返してもらうぞ。絵里も、あいつらの無念も、全部だ!」
「君の啖呵は聞き飽きたよ。馬鹿な後輩の内は可愛らしかったが、敵として見ると哀れなものだな」
特務隊はあくまで警察機関の一部だった。
よって殺害は成果として下の下、敵が狡猾な魔術使いだろうと可能な限り避けろと部下にも口酸っぱく教えてきた。
その人道的配慮を、此度の鉄志は初手から捨てる。人体の急所、蟀谷を狙って神速で振り抜いた。
「ほら見ろ、やっぱり君はこんなに弱い」
だがそれも空を切る。
蛇は軽々と避け、返す刀の前蹴りが鎧越しに腹筋を打ち抜く。
逆流する胃液。暴走運転の車に撥ねられたような衝撃が襲い、踏み止まるにも全力を要した。
「君はチンケな犯罪者を捕まえて、幼稚な正義感に酔うので満足しておくべきだったんだ」
そこに、獲物を見つけた白蛇の頭が山ほど喰らいついてくる。
鎧の耐久力を過信する気にはなれなかった。
これは魔術師とも、英霊とも違う。もっとその外にある存在だ。
ならば万全以上に万全を期せ。掠り傷一つ負うものか、これ以上この化物に何も奪わせるな。
そのくらいの気構えでなければ、〈ニシキヘビ〉を討つなど不可能だと知れ――!
「ぉ、お、ォ――ッ、マキナ――!」
『あい・こぴー! コード:オレステスより、アポロン実行っ!』
地を蹴って数歩分の距離を後退し、神機変装(フォームチェンジ)。
棍棒を大弓に変じさせ、尚も迫り来る蛇の波に向け光矢を放った。
フォーム:アポロンは遠距離特化形態。
近接での取り回しはヘラクレスに劣るが、中から遠距離における破壊力では凌駕する。
向かってくる白蛇を撃砕しながら、神寂縁に向けても少なからぬ量を用立てて牽制。
『杖』は蛇に何の痛痒も与えられなかったが、これは正真正銘、英霊の宝具の炸裂に等しい。
ならば結果も多少変わるだろうと期待してのことだったが……それでもまだ甘い。
「身の程を弁えないから、僕に見つかる。蛇に目を付けられるんだよ」
独り善がりな一人語りと共に、億劫そうに振るった腕の一本で太陽神の矢を粉砕する。
地力が違う。出力が違う。都市に存在する誰も彼も、蛇の傍若無人を崩せない。
「絵里ちゃんの犠牲で教えてあげたつもりなのにな。どうやら君は、僕の想像以上に愚かだったらしい」
「……ッ!?」
次の瞬間、鎧兜の下で鉄志が瞠目した。
今の今まで遠距離武器の間合いに居た筈の蛇が、わずか一秒足らずの時間で目の前まで移動してきたのだから。
「ああ、心が折れたらいつでも言いなさい。僕と君の仲だ、命乞いくらいは聞いてあげよう」
「ご、ァ――が、ぐ……!」
掌底の一撃が脳裏に火花を散らす。
次いで胸部を打ち据える肘鉄。
喀血が口から溢れ出し、身体をくの字に折り曲げながらたたらを踏んだ。
「ま、生きていられたらの話だがね」
次いで延髄斬り。たかが徒手空拳と侮るな、怪物が繰り出すならそれは岩をも砕く兵器になる。
こうなると神機変装したことが仇となった。
鉄志は蛇について何も知らない。彼はあくまで推理劇側の住人であり、恐怖劇の領分では依然ズブの素人も同然だ。
生半な魔術師の数百倍に達そうかという速度、攻撃力。
今まで培ってきた常識が秒単位で塗り替えられていく悪夢。
咄嗟にマキナと交信し、ヘラクレスへの再変装を行おうとするが、それを許す蛇ではない。
「魔術師には何もさせるな。君らの口癖だったね」
「――ッ!」
その一言に鉄志は、十年来の友が刃を向けてきたような感覚を覚えた。
そう、蛇が駆使しているのは特務隊が基礎技術に採用していた対魔逮捕術。
速攻性に究極特化した制圧術を、圧倒的にスペックの離れた超越者が使ってくるのだ。
順当に考えれば何も出来ないし、鉄志は今まさにそうなろうとしていた。
彼が捕縛してきた数多の魔術犯罪者達のように、為す術もなく磨り潰される。
変装完了まで残り数コンマ。しかしそれが今だけは永遠のように長い。
首元に伸びてくる魔手に、せめてもの抵抗として拳をぶつけようとした、その時。
「神(カムイ)気取りの塵屑が。見る相手を間違えてんじゃねえのか」
"飛ぶ斬撃"という超常現象が、蛇の腕を千々に切り裂いた。
シャクシャインの妖刀だ。
殺意に塗れた言葉と共に乱入し、鉄志を突き飛ばしながら蛇には前蹴りを入れる。
後退させられたのは僅かにして一歩分。
だがその一歩を皮切りとし、恐れを知らない復讐者は獰猛に切り込んでいく。
毒の炎を纏わせたイペタムを目で追えない速度で乱舞して、蛇が放つ迎撃さえもその全弾を切断する。
(カムイ、ね。さてはアイヌの敗残者か。だが――)
言葉尻一つで敵のルーツにすぐさま辿り着く蛇は流石だったが、だとしても不可解な点が残った。
(江戸かそこらの近代英霊が、何故僕と戦えている?
定石に照らせば、近付いただけでもまともに動けなくなる筈だ)
シャクシャインが、強すぎるのだ。
神秘とは時代を遡るほど強くなり、下っていくほど弱くなる。
近現代の英霊が弱小とされるのはこの為で、既に神秘が消えかけた時代に生まれ落ちた彼らはどうしても小ぢんまりとした性能になりがちだ。
が、蛇の眼前で獅子奮迅するシャクシャインの性能は明らかに弱小英霊のそれではなかった。
ルー・マク・エスリンやカドモス、そうした頭抜けた強者達にも匹敵しよう破格の出力が宿っている。
更にこの復讐鬼は、上記に挙げた二名やテーバイのエパメイノンダスに比べて明らかに莫迦である。
それの何が面倒か。恐れを知らないことだ。
蛇の『水子界・支配の蛇』は結界内の全魂魄に余命宣告を行う。
結界に囚われている限り自動的に魂を溶かし、その進行速度は術者である神寂縁に近付けば近付くほど加速する。
霊体であるサーヴァントにとっては防御力をゼロにされるようなもので、だからこそ蛇が繰り出す攻撃は例外なく一撃必殺の威力を帯びる。
一手の不覚も許されない状況というのは言うまでもなく致死的であり、故にこれまで蛇と相対した者は皆、彼の一挙一動すべてに最大級の警戒を払って臨んできたのだが――
「蛇(トッコニ)らしく掻っ捌いて干物にしてやるよ、糞塵がァッ!」
シャクシャインは、ただ殺すことしか考えていない。
凶念のままに吶喊し、死など恐れず殺意をばら撒き続ける血呑みの嵐。
魔力放出で剣閃の威力を底上げし、出鱈目な駆動力で斬撃の乱舞を花咲かす。
蛇は切り刻まれた腕を不気味に蠢かせ、イソギンチャクの触腕のように振り回した。
人間が振るっても鞭の先端速度は音速を超える。怪物の膂力で振るったなら、その数倍は下らない。
真空波という見えざる剣戟を用立てて、シャクシャインの手数に事もなく拮抗していく。
「ううぅううぅらァァァッ!!」
「――――」
魔人が整地した盤面を駆けるのは人機一体、もうひとりの復讐者(アヴェンジャー)。
再度の変装によって取り戻した近接武装、大英雄の棍を用いて力任せに割り込んだ。
蛇の横っ面を目掛けて振るわれる剛撃は、とうに人間が叩き出せる破壊力を超越している。
蛇は頭を引いて避けたが、毛髪が千切れ、頬に裂傷が走った。
先刻あんなにも楽しげに友誼を語っていた男の面影はそこにはない。
自分へ盾突き、あまつさえこの崇高なる玉体から血を流させた目障りな害獣。
支配狂の殺意が横溢する。次の瞬間、炸裂する眼光という形でそれが解き放たれた。
「っ、クソ化け物が……!」
これまでの戦いでも何度か見せてきた、神経毒の魔眼。
神寂縁の瞳は邪視であり、蛇の目で睨んだ敵を停止させることが出来る。
その更にもう一つ上の段階。魔眼の出力を渦動魔術により一極集中し、破壊力を特化させ放つ射撃兵装。
赫炎の悪鬼の"唯識"と似て非なる、蛇神だけが秘めた殺傷手段――真の怪物は目で殺す。
盾(アテネ)への変装は間に合わない。
恐らく回避さえ不可能、ならば取れる択は一つ。
「――いいぜ、やってやるよッ!」
雪村鉄志はもはや不退転。
大英雄の殻を纏い、己に迫る宿縁(難業)へ挑む。
「マキナッ!」
『解析完了! 成功率12%、全力の迎撃を推奨します!!』
「上等。こっちは端からその腹だ!」
己を支える相棒の声が、何より心強い追い風として背中を押してくれる。
逃げも隠れもせず、正面から蛇の眼光に喰らいついた。
棍棒が火花を散らし、激突の衝撃だけで腕が持っていかれそうになる。
「ぐ――ォ、ォオオォオオッ――!」
だが退くな。弱気に駆られるな、不要な総てを切り捨てて前へ進め。
イメージする未来はただ一つ、このいけ好かない怪物の吠え面だけだ。
幸いにして己には神話が付いている。顔も声も知らない、数多の悲劇と栄光を馳せた英雄が。
ならば怖いものなどあるものか。両腕の筋肉がブチブチと悲鳴をあげるのを聞きながら、しかし厭わずに振り抜いた。
毒殺の光条が屈折し、湾曲しながら彼方へと弾かれる。
賭けに勝った達成感を覚える暇はやはりない。
鉄志が棍を振り抜き切った時にはもう、蛇が無表情で懐まで踏み入っている。
「本当に変わらないな。壁があればぶち破る、蹴り飛ばしてから考える」
開かれた五指が、鉄志の顔面へと迫った。
捕まれば握り潰される。いいやそれでさえ恐らく未来としては穏当な方だ。
万能の蛇が手の内をすべて晒している保証など何処にもなく、どんな最悪の隠し球が潜んでいるか分からない。
「そんなだから君は何も守れない。妻も娘も部下も、全部誰かに奪われるんだ」
「変態が、賢しらに語ってんじゃねえ……!」
さあどうする。また迎え撃つか、それとも退くか。
否、どちらも必要ない。
「ああ、それは心底同感だね――」
何故なら、蛇と戦っているのは己だけではないのだから。
あちらは嫌がるだろうが、此処は無理やりにでも背中を預けさせて貰う。
「頼んだぞ、アヴェンジャー!」
「和人が指図するな。刻み殺すぞ」
「そりゃ怖ぇが、変態の慰み者になるよりかは幾らかマシだな!」
シャクシャインの妖刀が、蛇と鉄志の間に巨大な斬撃を迸らせる。
地を大きく引き裂くほどの剣閃は蛇へは牽制、鉄志には助け舟の役目を果たした。
伸ばされた手は物理的に遮られ、命を拾った鉄志が今度は此方から踏み込む。
「神寂、縁ィィ――!」
「つまらない手だ。延命でもしたつもりかな?」
棍の剛撃、白蛇の鞭撃。
炸裂した衝撃波が世界を揺らす光景は燦然たるものだったが、しかし蛇の言う通り結果の見えたやり取りだ。
「君では僕に勝てない。端的に役者が違うんだ。君は今も昔も僕の玩具であって、それ以上でも以下でもない」
「ハッ……そうかよ。今日は偉そうなジジイとよく会うな」
背後から強襲するシャクシャインへの対処も抜かりない。
振り向きすらせずに、人体の可動域を超えた角度に曲がった左腕が彼の剣戟を完璧に防御する。
英雄二騎の挟撃に遭いながら、微塵も譲ることなく君臨し続ける禍つ神。
やはり蛇は別格だ。星の素養なき身で、羽化を果たした少女神にも並ぶ暴威を実現させている。
なればこそ、彼の目にはさぞや不可解に映ったことだろう。
絶対に勝てない。役者が足りなすぎる。それが明らかなのに、殺意(きぼう)を絶やさず立ち向かってくる男達の存在が。
「けどな。お前なんざより、カドモスの爺さんの方がよっぽど怖かったぜ」
「ほざくじゃないか。防戦がやっとの体たらくでなければ格好良かったんだがね」
「おいおい、悪党の癖に知らねえのか?」
一合毎に命が削れていく。
どう見ても無茶をしていて、神機融合で得た超人の能力値を以ってしてもその埋め合わせが利いていない。
だとしても鉄志は、やはり希望を見ていた。
吼えた言葉は強がりなどではない。
確かに強大な敵だろう、過去最大、ともすればこの後にさえこれに勝る艱難は現れないかもしれない。
それでも鉄志は、神寂縁という怪物のことを微塵も恐れていなかった。
こんな強いだけのケダモノなんて怖いものか。これなら、あの威厳と武勲に溢れたカドモスの方がずっと恐ろしい。
「不自然に手応えがない時は囮(デコイ)を疑え。あんたが後押ししてくれた特務隊じゃ、真っ先に教える定石だぜ」
確かに、蛇は完璧な迎撃を成立させていた。
鉄志を封殺しながら、後ろのシャクシャインも寄せ付けない。
しかし傲慢なる大蛇は、後者に対してはそもそも視線すら向けず対処していたのだ。
何故なら視る価値もないから。
取るに足らない、愛でる意味もない塵など、視界の端で勝手に潰れていればいい。
蛇の中で旧友とアイヌの亡霊の間には天地でさえ埋まらない格差があり、その傲りが不測の事態を招き入れる。
「ブチかませ……なんて偉そうに言ったら、またキレられるか?」
「そうだね。要らんこと言わずに黙って見てなよ、後輩(アヴェンジャー)」
シャクシャインの身体が、音を立てて蠢動する。
体内に溜め込んだ怒りが、彼の死因そのものである死の毒素が燃料になって、臨界状態を引き起こす。
本来の彼の霊基はエクストラクラスという特異性を補正と見ても、一般的な近代英霊の域をそう超えたものではない。
しかし、復讐鬼は天使から祝福(アイ)されている。
故にこそ、自分自身を爆弾に変えるような馬鹿げた無茶が罷り通った。
『死せぬ怨嗟の泡影よ、千死千五百殺の落陽たれ(メナシクル・パコロカムイ)』。
己自身を憎悪の薪木とし、滾る怨嗟を外界に延焼させる鏖殺宝具。
雪村鉄志の奮戦を囮に開帳した此度のソレは、女神スカディとの戦いで見せたものとはレベルが違う。
「言われなくてもやってやるさ。俺の主義に照らしても、この塵がこれ以上のさばり続けるのは不愉快だ」
アイヌの民は、殺した命へ必ず敬意を払う。
己が生きるために貪った肉は、異郷からやって来たカムイからの贈り物だと信じる。
だからこそ殺しながら感謝し、喰らいながら親しみを寄せるのだ。
狂い壊れ果てた今でも、シャクシャインは故郷で過ごした暖かな日々を覚えている。
今更それを引き合いに出して、命の尊さがどうだとか偉ぶったことを説く気はないが――そう、本人は悪ぶって見せるだろうが。
一度は英雄と呼ばれた男が、赦せる筈などないのである。
喰らった命を溜め込んで永久に生かし、遊興のように搾取し続け、あろうことかカムイを気取る"人間"なんて。
「震えて腐れ。望み通り、地獄(テイネポクナモシリ)を見せてやろう」
瞬間、シャクシャインが文字通り"爆ぜた"。
引き起こされる凶気の大爆発。ありったけの殺意が、怒りを起爆剤としてカタストロフを巻き起こす。
射程範囲こそ限定的だが、出力で言えば対城級に匹敵して余りある大火力。
蛇はおろか鉄志すら巻き添えにする行いだったものの、それに頓着するシャクシャインではない。
死ぬのなら勝手に死ね、和人が減って都合がいい。
生きるなら勝手に生きろ、業腹だが今だけは許してやる。
復讐鬼は常に身勝手だ。しかしその非情も、迷いの殻を完全に脱ぎ切った鉄志は乗りこなす。
『コード:ヒケティデスより、アテネ実行……!』
視界を埋め尽くす死の炎。
生身で浴びればよくて即死、悪ければ苦悶の末に死に腐る病毒の坩堝。
その中から響く、機神少女の声。
「――――言ったろ、クソ野郎」
雪村絵里。
根室清。
二つの顔で語りかけ、逆鱗を逆撫でしてきた殺人鬼へ、機神の主がざまあみろと嗤う。
「お前みたいな薄汚え変態、これっぽっちも怖くねえってなァ――!」
炎の渦中で佇む蛇に、盾を構えたまま鉄志が突撃した。
巨大な大盾で押し寄せる火を押し退けながら、敢行するのは攻防一体の吶喊。
そうして迫った"人間"の一撃は、未だ沈黙したままの仇に接触し。
魔猪の突撃が如き勇猛さで、その五体を勢いよく撥ね飛ばした。
「――――――」
これまで、どの英雄も成し遂げられなかった蛇への痛打。
その難業を誰より先に踏破したのは、かつて全てを失った男の意地だった。
衝撃のままに宙を待った神寂縁が、地を転がって粉塵を巻き上げる。
彼の口から垂れた赤い液体こそ、鉄志の掴んだ成果の値打ちを物語っていた。
「……少し、見くびりすぎていたか」
薙ぎ倒され、天を仰いだ蛇がゆらりと立ち上がる。
口元を拭い、鉄志を見つめる瞳に最早色はない。
自分が見初め、奪い、運命ごと支配した男に逆襲を喰らったのだ。
これで無感でいられるようなら、この支配狂はそもそも誕生してすら居まい。
神寂縁とは、"欲しい"に逆らうことの出来ない宿痾を抱えた男で。
同時に、"手に入らない"を許すことの出来ない病理を背負ったケダモノだ。
彼にとって自分の支配欲を妨げる者は、それが誰であれ嫌悪の対象となる。
世界とは己の箱庭であり、いつか永久不変の楽園(エデン)となる魂の貯蔵庫だ。
そんな当たり前に異を唱える者を、蛇は決して許さない。
「いいだろう、認めようじゃないか雪村くん。君は僕にとって、油断ならない敵になったようだ」
だからこそ今この瞬間、ようやく鉄志は真の意味で蛇の敵になる資格を得た。
「敬愛する君の奮闘に、僕も多少本気で応えよう」
正直に言うと――蛇は、少なからず困惑していた。
玩具と侮った男に一杯食わされ、溢れんばかりの殺意が漲っている。
だがそれと同時に、どこか喜ばしく思う自分がいるのも事実だった。
雪村鉄志という男が、こうまで魅せてくれたことが嬉しい。
己が与えてやった艱難辛苦を乗り越え、玩具のレッテルを脱ぎ捨てた事実に感激すら覚える。
支配を拒む異分子への怒りと、闘志を剥き出す男への敬意が共存しているのだ。
理解不能。不合理の極み。よもや自分の中に、斯様な無駄がまだ残っていたとは。
その気付きを得させられてしまったことも含めて、今の一撃は実によく効いた。
ならばもう油断など、慢心など出来る筈もない。
それが何であれ雪村鉄志ならやりかねないと、一本楔を打ち込まれた。
……だが。
それは決して、鉄志にとって吉兆などではない。
むしろ逆と言ってもいい。
傲り、驕り、白痴のままでもあれほど強かった禍つ蛇。
彼はその脳裡から、傲慢という贅肉を削ぎ落としてしまった。
となれば後に残るのは純粋なる狡猾、一切の余分が存在しない完全無欠の〈支配の蛇(ナーハーシュ)〉。
その手始めとばかりに紡がれた言葉が、鉄志の見た仮初めの希望を打ち崩す。
「僕に定石を語ってくれたね。お礼に僕なりのも教えてあげよう。狙うなら弱い奴から、だ」
蛇が消える。
今の今まで、口元に吐血の名残を残して、何やら悟ったような言葉を零していた巨悪が消え失せる。
次の瞬間、怪物の姿はあらぬ方向へと駆け出していた。
「な――」
鉄志は、単独(ひとり)では未だに非力甚だしい。
神機融合を果たして尚、蛇の暴威には到底及べない。
彼が先に成し遂げた戦果も、シャクシャインとの連携あってのものだ。
雪村鉄志は個ではなく、巡り合った縁(えにし)を手繰り寄せながら輝く光。
ならばその手足とは、彼と志を同じくする友軍の存在に他ならない。
この場におけるそれはシャクシャイン。そしてもう一人。彼を使役する、演者の少女。
「――どこまで腐ってやがる、テメェ――!」
輪堂天梨。この蛇腔において最も無力で、最も善良な器の剪定を蛇は選択した。
鉄志が叫ぶが、傲りを捨てた蛇がこの期に及んで無駄な露悪趣味に浸ってくれる道理はなく。
闇の化身でありながら閃光の如き速度で、日向の天使へと距離を詰めていく。
当然、その足取りを阻むのは彼女の宿敵たる復讐鬼。
「おい、糞が。誰の獲物に手ェ伸ばしてやがる……!」
「知るかよ。君の責任だろう? 君が悪目立ちしなかったら、彼女のことは後に回すつもりだったんだぜ」
横溢する、先程までのソレすら茶番に思えるほどの殺気。
それさえ涼やかに一笑しながら、蛇の身体が不気味に躍動した。
「因果応報というやつだ。指を咥えて黙って見てろよ、端役(モブ)」
「が、ッ――!?」
振るった右腕が、立ちはだかるシャクシャインを叩き伏せる。
迸る喀血。本気の蛇は誰にも止められない。
死の炎が負わせた手傷は直ちに修復され、身体を蝕む毒素は最初から何の問題にもなっていなかった。
神寂縁にとって、シャクシャインの全力でさえ単なる目眩ましだ。
意表を突かれたことは認めるが、それ以上では決してない。
その酷薄な事実を結果で以って突き付けながら、蛇は復讐者の献身を踏み越える。
目指すは天使。光なき蛇腔においてさえ瞬き続ける白色を、蛇は最初から認識していた。
いや――彼女が此処に取り込まれる遥か以前から、天使の魂はずっと暴食者の視界に在ったのだ。
「ぁ、っ……」
「やあ、初めまして。近い内会いに行こうと思っていたから、手間が省けて何よりだよ」
蛇は無垢を愛し、健気を慈しみ、幸薄に欲情する。
ならば、彼女がその条件を満たさない道理はない。
彼女は誰より無垢で、誰より健気で、そして幸薄だったから。
文字通り分け隔てのない慈悲を万人へ降り注がせる無垢さ。
人生のジャンルが露悪趣味の地獄に変わろうと、変わらず微笑み続ける健気な生き様。
そうまでして尚、誰にも応えて貰えない哀れな幸薄さ。
どれひとつ取っても極上。おまけに年齢も及第点。よって蛇が、その涙を嗅ぎ付けていない筈はなく。
「今まで辛かったね。けれど安心しなさい、苦しい時間はもう終わりにしよう」
救済者の顔をして、支配の蛇は毒牙を剥き出す。
彼はカミサマのように微笑み、ケダモノのように喰らうニシキヘビ。
「僕の中で永遠を生きるといい。なぁに、寂しくなんてないとも。すぐにお友達も送ってあげる」
身体の延長線として伸びた白蛇が、かたかたと震えながら見上げる少女の痩身を絡め取った。
憤怒の形相で駆けるシャクシャインは、しかしどうやっても間に合わない。
都市の最大悪が本気を出したなら、それを止められる者など居る筈もないのだから。
――欲望の顎が開く。
――法悦の涎が滴る。
――彼は常世のジャバウォック。
――あまねく幻想(ユメ)は、尊いモノは、支配蛇の餌に過ぎない。
「それ、って」
――だからこそ。
――そこに唯一、誤算があったとするならば。
「満天ちゃんのことを言ってるの?」
天使の中にある、唯一の逆鱗の存在。
蛇は怪物。天地万物を冒涜し、欲望のままに暴食する自我(エゴ)の極み。
だが――その資格は何も、彼だけに許されたものではない。
微笑みで地上を照らし。輝きのままに塗り潰す、そういう光が針音都市には実在する。
恒星の資格者。
彼女達はおしなべて、愛らしい少女のカタチを取るが。
ひとたびスイッチが入ってしまえば、躍動する幼気を止める手段は存在しない。
◇◇
神は細部に宿る。
単に鋼の人形を拵え、それを崇め奉ったのでは意味がない。
よって私は、己が子を神の素体とすることに決定した。
十一年か二年を刻限とし、それまでにすべての仕込みを完了する。
家畜が飼い主を家族と信じるように、幼い心は私の志を貪欲に吸収して成育するだろう。
もしも刻限までに神が備わらなければ、その時は私の敗北だ。
純真は経年で失われていく。心に垢が染み付き、いつしか諦めを覚えていく。
思うに、私に足りなかったものはこれなのだ。
狂おしく世界の清浄を夢見る一方で、心のどこかでは現実を直視してしまっている。
夢が足りない。理想が足りない。総じて、幼さが足りない。
子どもは誰しも、世界は自分の思う通りに形を変えると信じている。
空を飛びたいと夢見るように、物語の主役を夢見るように。
その鼓動する自我こそ、私が思う"真の神"に不可欠な素質。
だから神産みに用いるのは、なるだけ無垢な素体が望ましい。
綺羅星のように輝く青い精神こそ、理を破却する鍵である。
◇◇
天使に触れた、蛇の触腕が。
真冬の静電気でも受けたように、ばちり、と弾かれた。
それが偶然の賜物でないことは男の表情が物語っている。
不可解と驚愕と、その両方に彩られた、この巨悪らしからぬ表情(かお)。
彼は今"危機感"を覚え、自らの意思で後退したのだ。
これまで如何なる英雄を前にしても不遜を貫き、鎧袖一触に蹴散らしてきた〈支配の蛇〉が、虫の一匹も殺せない女子供に逃げの一手を取らされた。
確かな動揺を滲ませて立つ男の眼前で、最も無力な少女は息を切らしながら、それでも蛇を精一杯睨みつけていた。
「君、今、何をした?」
天梨へ触れようとした瞬間、蛇は生まれて初めての感覚に陥った。
身体の内側が燃え上がるように熱くなり、激痛とそれを凌ぐほどの強烈な戦慄に囚われたのだ。
破滅の予感。それは、この世の全てを思うままに玩んできた男にとって紛うことなき初体験で。
「小娘が……この僕に、何をしようとしたんだ?」
なのに蛇は未だ、自分の感じた脅威の正体を掴みかねていた。
蛇(われ)は全能。最強にして無敵を地で行く、常世の支配者に他ならぬ。
ルーやカドモスさえ寄せ付けなかったように、この巨悪はこれまで苦渋というものを嘗めた試しがない。
だから当然気付けない。天使の少女が偶然に突いた、己という存在の最大の急所を自覚できない。
が、天梨は違う。
彼女にとって先の行動はあくまで咄嗟のものだったが、感じた手応えと蛇の反応で、未だ雌伏に徹する宿り蝿に続いて魔王の弱点を見抜いた。
――出たい、出たい、と泣く声がする。
眼前の男の体内から響く無数の声が、天梨には確かに聞こえている。
何故なら彼女は日向の天使。誰かを救う恒星だからこそ、哀れな犠牲者達の魂があげる悲鳴を知覚できる。
あの時もそうだ。蛇腔の中で遭遇した水子の霊は、明らかに天梨の見せた慈しさに反応し擦り寄ってきた。
彼らは皆救われたがっていて、自分達を蛇の胃袋の外へ出してくれる"誰か"の存在を乞い願っている。
宿り蝿のベルゼブブは捕食寄生(コイノバイオント)による実質的殺害というアプローチを取ったが、天梨は違った。
彼女にはもっと原義的な意味で、蛇腔の虜囚達を救う術がある。
「……そっか。だからあの時、私を呼んだんだね」
輪堂天梨の魔術は他者強化。
恒星として成長を遂げた今は、もはや他者昇華と言ってもいい領域に達している。
自身が慈しみたいと願った誰かに、望むままの恩寵を授ける能力。
蛇の体内で囚われ続ける魂達へ、そんな天使の輝きが届いたのなら?
「いいよ、分かった。もう見捨てたりなんてしないから、そんなに泣かないで大丈夫だよ」
輪堂天梨に、蛇を滅ぼす武力はない。
だが彼女だけが、蛇に支配された魂を救うことができる。
魂の高次化による霊魂成仏。神寂縁を構成する4423の死者を在るべき死後へ還すことができる。
それは蛇の、支配者のアイデンティティを壊す一石。
純粋な武の冴えや重ねた年季では代用し得ない天賦の素養。
即ち蛇腔領域における輪堂天梨とは、支配の檻を灼き滅ぼす――"王の天敵"なのだ。
「私が今度こそ――あなた達を助けてあげる」
天使として。
そして、大切な好敵手との約束を果たすために。
この翼のはためきを以って、楽園の夢を終わらせよう。
そう決意を零した天梨に、蛇のドス黒い殺意が夏の陽炎の如く溢れ出した。
「質問に答えろ。惰弱な餌の分際で、何を思い上がった真似を――」
「思い上がってるのはテメェだろうが変態野郎。因果応報って知ってるか?」
しかし、二度目は許さない。
背後から棍を振り下ろした鉄志が、蛇の注意を強制的に引き付けた。
白蛇の触腕で受け止められるものの、鉄志とてそう何度も辛酸を嘗めてやる気はない。
此処で終わらせる。歪んだ欲望の絵筆が描き上げた恐怖劇を焼き払い、己が運命に勝利するのだと気迫を籠める。
「お前のやってることはガキと一緒だ。小難しく悪ぶっちゃいるが、自分が一番じゃなきゃ気が済まないってだけだろうが」
「下がっていろよ三下。君では役者が足りない。まだ分からないのか?」
「おいおい、さっきと言ってることが違うんじゃねえのか? いつまでもボケてんなよ爺さん、本当はもう気付いてんだろ?」
苛立ちを滲ませた蛇の問いに、鉄志は挑発的に笑ってみせた。
一見すると単なる負け犬の遠吠え。
蛇が言うように、自分の身の程も理解出来ない三下の虚勢でしかない。
なのに。
彼は先程敬意を示したばかりの口で、男の虚勢を扱き下ろしている。
そんな姿が他のどんな理屈よりも、風向きの変化を物語っていた。
「あんたは確かに馬鹿強ぇよ。
何せ、そこのアヴェンジャーでさえ一蹴できるような化け物だ。
俺みたいな借り物の力で必死こいてる凡人とは違うんだろうさ」
雪村鉄志の強さはすべてが借り物だ。
マキナの宝具によって武装し、彼女が送ってくる解析結果を基にどうにか戦況へ食らいつくのが精々。
英霊と同格を名乗るにはあまりに不格好で脇の甘い、バタ足を繰り返す水鳥のような戦いぶりである。
その点神寂縁は、彼と比べて実に絶対的。
出力基礎値が恐らく数倍以上は違い、理屈を無視した因果改変の体質さえ有する。
極めつけは魂喰らいの固有結界だ。
万象の支配者を標榜するだけあり、実に隙のない無敵ぶりと言う他はなかった。
だが――いや、だからこそ。
此処でひとつ、現状に疑問符が生じる。
「なのになんで、そんな雑魚一匹未だに殺せてねえんだ?」
何故そうまで強い神寂縁を相手に、雪村鉄志のような格下が、曲がりなりにも戦闘を成立させられているのか。
「あんたのことだ、俺を弄んで愉しみたいって魂胆も確かにあるだろうさ。
けどそれにしたって、腕の一本くらいは捥いだっていいんじゃねえのか」
ルー・マク・エスリンを破り。
カドモス、エパメイノンダスを相手に一切止まらず。
天使の加護を受けたシャクシャインをさえ一蹴する。
それほどの出鱈目な強者と正面戦闘を行っているのに、現在鉄志が負っている損耗は不自然なほど小さすぎる。
これならそれこそカドモスや、オルフィレウスの機神と戦った時の方が余程切羽詰まっていたと言えるだろう。
「当ててやろうか。あんたは俺を殺さなかったんじゃない、したくても出来なかったんだ」
では、それは何故?
その疑問に、鉄志は鍔迫り合いを続けながら解を示した。
「――マキナ。こいつの能力に当たりは付いてるな?」
『はい。敵性存在:〈支配の蛇〉神寂縁。
アヴェンジャーとの戦闘記録を参照するに、彼の異能は"魂の溶解"です。
全自動で進行する魂的損耗。その進行度は術師に接近するにつれ上昇し、特にサーヴァントのような霊体存在は絶大な影響を受けるものと推察します』
主の求める通りに、解析データに基づく推測を諳んじるマキナ。
「そいつは大変だ。じゃあ、今の俺達もその影響を受けてるってことか?」
『確かに、神寂縁の力は当機達にも作用しているようです。ですが――』
まるでそれは、推理小説の種明かし。
探偵が暴く真実は、いつだとて真犯人にとって不都合なもの。
この場合も、例に漏れなかった。
『――現状、我々に加わっている影響はきわめて軽微。戦闘を継続する上で、ほとんど支障ございません!』
英霊デウス・エクス・マキナの第二宝具、『熱し、覚醒する戦闘機構』は都市の中でも類似例のない特殊な性質を持つ。
マキナの機体を分離させ、マスターを覆う装甲として再構築する――"神機融合"。
サーヴァントとマスターの役目を逆転させるが如き掟破りは、その特異性故に蛇の支配網を掻い潜っていた。
言うなれば今の雪村鉄志は、英霊であり人間である存在。そして英霊でなく、人間でもない存在。
非凡と平凡のあわいを揺蕩う戦士と成り果てているからこそ、この蛇腔において彼らだけが水子界の理を破り得る。
強引に磨り潰そうにも、そこで神寂縁が持つ性質の、負の面が立ちはだかるのだ。
彼は相手より必ず上を行く。だがこの怪物はどうしても、その固定値に縛られる。
「……だとさ。ぐうの音も出ねえだろ、カミサマよ」
その上デウス・エクス・マキナは、未だ進化の途上にある未熟な英霊。
〈脱出王〉が赫眼の悪鬼へ語った、蛇に対し勝ち目を持つ"可能性の塊"の条件に該当する。
つまり、それが意味するのはどういうことか。
「もう一度言ってやるよ、因果応報だ。テメェは好き放題やりすぎた」
輪堂天梨だけではない。
雪村鉄志、そしてデウス・エクス・マキナもまた――
「俺達こそテメェの天敵だ。吠え面かけや、クソ野郎」
全能(カミ)を気取る魔王をも殴れる、"蛇の天敵"なのだ。
「そういうわけだ。行くぞ、マキナ。準備を頼む」
『あい・こぴー。仮想宝具起動回路励起――All's well that ends well……!』
響き渡る人造神の詠唱(ランゲージ)。
英霊の外殻を纏った人間、狭間を歩む探偵の五体に神秘が横溢する。
「悪いのは全部テメェだ。テメェなんだよ、神寂縁。化物気取りのクソ人間が、今更したり顔で語ってんじゃねえ」
まったくもって自分には似合わない偉名だと恥じながらも、今だけはその神話を受け入れよう。
十二の難業を踏破し、神々を憎んだ英雄の名を。
ああ、俺も同じ気持ちだ。カミサマなど糞食らえ。その名を名乗る誰も彼もが気に入らなくて仕方ない。
「テメェは引きずり出されたんだ。大人しくブチのめされやがれ、三下野郎が!」
ありったけの憎悪を込めて、人間が遂に贋神の触腕を両断する。
斯くして伯仲の格好は崩れ、人理から尊き幻想と認められた御業が流出した。
一撃にて、蛇の腕を砕く。
二撃にて、のたうつ悪足掻きを粉砕する。
三撃から六撃にて、蛇の放つ迎撃を全弾撃滅。
七撃と八撃で以って、忌まわしき仇の顎を跳ね上げ。
そして九撃にて――もういない家族の顔を想起しながら――全力全霊を叩き込む!
「是――――『射殺す百頭(ナインライブズ)』」
世界の砕ける音を聞いた。
誰も彼に勝てない、その常識が弾ける音を聞いた。
轟く衝撃は、上位種の思い上がりを叩いて潰す。
胸の真ん中へ炸裂した九撃目が、神寂縁に血反吐を吐き散らかせる。
八つ裂きにしても飽き足りない仇の返り血を浴びながら、鉄志はようやく少しだけ、自分のことを好きになれた気がした。
「…………ご、ふ」
あまねく命を弄ぶフィクサー。
常世における全能者、限りなく神の座に近き土地に居を構えた藪の王。
その口から漏れた呻きの、何と月並みなことか。
「ほら見ろ。やっぱりあんたは人間だ」
胸を押さえてたたらを踏み、ぼたぼたと血糊を零す仇敵の姿を見据え、笑って吐き捨てる鉄志。
「その証拠に、ちゃんと赤い血が流れてんじゃねえか」
神寂縁にとって、これが一体どれほどの意味を持っていたことか。
それは彼が生涯初めて味わう不覚の味。
自身の傲りを破られ、格下の玩具だと侮っていた後輩に痛打を加えられた。
衝撃は計り知れず、己こそ徹頭徹尾、真に不滅の絶対者だと盲信していた男の矜持を崩す。
「なんだ、これは……こんな、ことが……気分が悪い、吐き気がする……僕が、この僕が、ああ……!?」
これぞまさに、アイデンティティの瓦解した瞬間だった。
痛い。苦しい。許されるならのたうち回って叫び散らかしたいほどに。
蛇は敗北を知らない。彼にはそれを知らず生きられるだけの才があったから。
「雪村くん、君が、君如きが……僕の楽園を、永遠の幼園に懸ける夢を、挫くだとォ……!」
初めて体験する痛みの味はひどく苦く、もう二度と味わいたくないと全本能が絶叫している。
神寂縁は支配狂い。自分が頂点に立っていなければ気が済まず、己の意に沿わない何もかもを受け入れられない。
そんな人生観のまま歪な成功体験を積み重ねてきた男にとって、この挫折はあまりにも大きかった。
六十年弱の生涯で築き上げてきたすべてが音を立てて崩れ去る光景を幻視しながら、込み上げる胃液を必死に堪える。
「身の程、知らずが……こんな、こんな、もの――」
牙を剥き出しにし、怒髪天を衝いて。
まさしく己が造った因果への応報に引きずり下ろされた男は。
「――――素晴らしい」
刹那の後に、官能的なまでのアルカイックスマイルで応えた。
「過去最大の不快感だ。反吐を通り越して内臓を吐き出し、この感覚を識ってしまった脳漿さえ一滴残らず交換してしまいたいほどに」
ああ認めよう。
確かにこれぞ因果応報。
五体を寸刻みにしても飽き足らぬほど腸が煮えている。
だが同時に、他ならぬ彼がソレを成してくれた事実に蛇の矜持はスタンディングオベーションを贈っていた。
「だから謝らせておくれ。確かにああ言った舌の根も乾かぬ内に、またしても君を侮っていたようだ。
こればかりは持病というかなんというか、とにかく自分では如何ともし難い悪癖でね。
僕は心の底から自分以外の生命体を見下しているから、ついつい舐め腐ってしまうんだよ。自分でも良くないとは思ってるんだが、どうにもなぁ」
「……何を、言ってやがる。気でも触れたか?」
「しかし、僕も君との約束は違えたくない。よってまた忘れてしまう前に、早速履行しておくとする」
自分達は、蛇を追い詰めている。
輪堂天梨に対し見せた明らかな動揺。
雪村鉄志(じぶん)が打ち込んだ絶対性への楔。
盤上の支配者を気取るフィクサーに、確実な斜陽を突き付けている。
なのに何故だか、口元を血で染めたその顔が過去最大に恐ろしい。
或いはこの時こそ、鉄志達は真に藪の中へ分け入ってしまったのか。
人食いの魔獣が住まう仄暗い藪を暴いた結果、内に潜むソレと目が合った。
「令呪を以って我が走狗に命ずる。
アーチャーよ、直ちに推参し、雪村鉄志を抹殺せよ」
「ッ――!?」
令呪行使。
それは演者全員に与えられた切り札であり、鉄志自身も恩恵に与ったことがある筈なのに、まったく予想出来なかった一手だった。
何故なら神寂縁は英霊以上の力を持つ正真の怪物。
彼が自らの意思で他者を頼るなどあり得ないと、鉄志もまた妄信の楔を打ち込まれていたのだ。
しかし蛇はそんな人心さえ掌握し、奇怪な笑顔で裏切ってみせる。
虚空へ渦巻く魔力反応。
深い夜天色の輝きが――光であり闇、闇であり光という矛盾した自然現象が――三度目の邂逅を相成らせた。
「……チッ。またあんた達?」
「アーチャー……天津、甕星……ッ」
不機嫌を隠そうともしない表情で顕れた星神は、追い込まれた蛇が満を持し切ったジョーカー。
見誤っていた。だが致し方のないことだ。鉄志も天梨もシャクシャインも、神寂縁の最終目標を知らないのだから。
「急に呼びつけてすまないね、相棒。
そういうわけだ、君にはゴミ掃除を頼みたい」
「その呼び方やめてくれる? 冗談だとしても虫酸が走るの」
蛇の支配対象には、いつか都市に顕現するだろう願望器も含まれている。
が、先刻を以ってその優先順位は変わったのだ。
聖杯など二の次。蛇が希求する勝利の栄光は、ある少女の肉体へとすり替わった。
「ケツまくって逃げる気かよ。とことん見下げた野郎だな」
「あぁ、違う違う。僕は勝ちに行くのさ。
君の指摘を真摯に受け入れて、なりふり構うことをやめたんだ」
そう、神寂縁は――
「僕は僕の宝石(せいはい)を獲りに行くよ。君との友情の清算はその後だ」
レミュリン・ウェルブレイシス・スタールさえ捕食出来たなら、それだけでエピローグへ辿り着くことが出来る。
βの終末、『Uroboros』。
かの少女が観測した未来でもまた、蛇はこの択を選んでいた。
ウサギとカメの寓話は、ウサギが傲り怠けるからこそ成り立つ物語。
怠惰を捨てたウサギが本気で駆け抜けたなら、鈍間なカメはどうやったって追いつけない。
雪村鉄志は神寂縁にとって唯一無二の例外で、その支配法則を打破する希望になれるが。
彼が魅せる希望は蛇に遊びを止めさせ、真の破滅を呼び込む時限爆弾にもなってしまう。
「じゃ、僕はお暇するが……最後に一つ、頑張った君にご褒美をあげておこうか」
袖で口元を拭って、衣服に付着した泥を払って。
支配者は、運命の虜囚をもう一度見据えた。
いや――正確には違う。その五体を覆う漆黒の鎧装をこそ、彼は見ていた。
「これは本当に善意からの指摘だが、君はまだ気付いていないのか?」
「……何?」
「蛇(ぼく)は嗅覚に優れていてね。実のところさっきから鼻が曲がりそうだったんだ」
人造神霊、デウス・エクス・マキナ。
鉄志が時に相棒、時に娘のように過ごしてきた片翼。
「――――マキナちゃんだったっけ? 君、ケモノ臭いよ」
シャクシャインが示した懸念は、琴峯ナシロの信号弾によって有耶無耶となっていた。
ともすれば彼も彼女も知らずに済んだかもしれない、鋼の神が持つ正體を。
"機械仕掛けの神"という人類史上最悪の計画的犯罪を。
蛇は愉悦の念を隠そうともせず、真正面から指摘したのだ。
「実に皮肉な話じゃないか、雪村くん。世界を貪る僕を許せない君が、世界を滅ぼすケダモノを飼ってるなんて」
◇◇
胸を穿いた刃を見つめながら、私は計画の結実を確信した。
一世一代では到底成し遂げられない、世界への叛逆。
人の涙を美しいと信じている、偉大で愚かな神への挑戦。
私は決戦の時を、遥か遠い、あるかも分からない未来に懸けたのだ。
記したものは救世の神の設計図。
神では人を救えない。人では神に届かない。
ならばその境界線を歩み、自ら学習して機能を増設しながら極点を目指す、全く新しい神格を用立てればいい。
幸いにして、産まれた器はいじらしいほど優しい少女に育ってくれた。
笑顔を愛し、悲劇を憎む、まさに私の理想通りの精神構造を持っていた。
彼女はいつか鋼の蛹を脱ぎ捨てて、機械仕掛けの蝶として銀河へ羽ばたいていくだろう。
この身はきっと冥獄に堕ちる。
私が遺した希望は、億年の歴史を否定するものだからだ。
我が娘は六枚の羽をはためかせて遍く運命の地平線を飛翔し、総ての悲劇を取り除く。
惑星を均すのだ。我が人類愛を余さず継承した純真は、最も端的に人類を救済するに違いない。
『期待(あい)しているよ、我が希望』
『この経験を忘れなさい。無垢なまま、君は大団円を創るのだ』
そしてこれが、この悲劇こそが、私の綴る最後の作品。
悲劇好きの星に、詩人(わたし)の末路という歴史を記憶させる。
縁と呼ぶには些か惰弱だろうが、それでも歴史が千年、万年、億年続けばいつかは機会があるだろう。
氾濫した大河へ投げ込んだ鉄屑が神を産み出す程度の確率で、きっと我が悲願は成就を迎える。
――少女は死にゆく父を見つめながら、平時とは打って変わって虚無的な、自我のない貌をしていた。
その足元で、勝利への確信に微笑んだままの詩人が息絶える。
これぞ彼の終わりにして、彼女の真の〈はじまり〉。
人類史上最も迂遠で、最も希望に溢れた大犯罪。
カタストロフ・クライム。
諸行無常の美しい世界を破壊し、永久不変の天上楽土(エリュシオン)を創る試み。
――後にデウス・エクス・マキナと呼ばれる少女の物語は、そうして幕を上げたのだ。
◇◇
「人類悪、クラス・ビースト。
性質としてはこの事態を仕組んだ、僕の姪が連れているモノと同じだね」
くつくつと、蛇が嗤う。
彼は悪人だが、善行をしないわけでもない。
そうした方が面白いと判断したのなら、気まぐれに人を助けることもある。
例えば、今のように。
「ソレはまだ幼体だが、だからこそ夢を叶えさせてはいけないよ。
僕なら真っ先に切除する。少なくとも、これ以上モノを学べないように自由意思は奪うべきだな」
「……テメェの御託は聞き飽きた。俺は――」
「"俺はこいつを信じてる"、と?
忠告するが、確かにそれは純真無垢な見てくれ通りの幼子だろう。
だからこそ質が悪い。拙く純粋な自我は、省みることを知らないのだから」
かの陰陽師は、恒星の資格者とは人類悪・オルフィレウスへのカウンター役を任された存在だと推測した。
それは恐らく当たっている。
星の抑止力が冠位英霊の擁立に失敗し、終末装置の資格を有した少女達に望みを託すという異常事態。
何もかもが定石から外れた異常ずくめの状況だから、本来招き入れてはならない者が素知らぬ顔で紛れ込めた。
つくづく恐ろしい宿老である。当てずっぽうとはいえ、吉備真備は最初の邂逅の時点で、マキナの真実の表層を掠めていたのだから。
彼女を造った詩人は、一体どこまで想定していたのか。今となっては誰にも分からない。
しかし事実、彼の手で製造された人造神霊の少女は、恒星の素養"も"持ち合わせていた。
こんな悪質な詐欺は他にあるまい。何せどちらの側面も、嘘偽りなく"エウリピデスの仔"なのだ。
マキナは人類悪の幼体にして、恒星の資格者である。
どのように成長しても、必ずやその輝きは世界を歪めるだろう。
彼女の父親が好んだ、悲劇殺しのご都合主義(デウス・エクス・マキナ)として。
『ぁ……あ、ぁ……?』
響き渡るナビゲート音声には、明らかな動揺が滲んでいた。
鉄志がしようとしたように、一笑に付せばいいだけと頭では分かっている。
我が父は善い人だ。善い人だからこそ、世界の残酷さを受け入れられなかった哀しいヒト。
でも今の指摘を受けて、マキナは自分の記憶の矛盾を認識した。
父も人間である。いつかは死ぬだろうし、順当に行けばそれは自分が没するよりも先の筈。
なのに自分には、その瞬間の記憶がない。
記憶にあるのは原稿に向かう父の背中ばかりで、彼とどのように育ち、どのように死に別れたのかがまるで思い出せないのだ。
『ち、が――当機、わた、わたし、は――!』
「マキナッ! 落ち着け、耳を貸すんじゃねえ……!!」
『神は、笑わな……怒らな……泣か……怠……』
救わなければ。
すべてを。
悲劇に囲まれた衆生を。
旧式の神が見捨てたこの星を。
『この、身は……父の、理想を継いで……三千世界を救済し遍く光輝で満たす、誰もの理想の神に……』
起こったエラーを修正するように、霊基の深奥から湧き上がってくる使命感。
機械仕掛けの神とは即ち、プログラムされた神ということ。
であれば当然、そこには彼女(マザーボード)が歪まないよう補正する仕組み(セーフティー)が幾つも施されている。
――人を愛する神に、人は救えない。
――アンタの愛が、いつかアンタの道を阻むだろう。
かの詩人にとって、作劇における神は道具に過ぎなかった。
物語の終わりに現れて絡み合った糸を解き、大団円へ導くための舞台装置。
ならばそんな男が造ろうとした"機械仕掛けの神"もまた、道具以外のナニカである筈もない。
「救世の神になるんだろう? ならよく似た境遇同士、親睦でも深めておくといい」
余計なお節介を終えた神寂縁は、ひとり悠々と踵を返した。
「では僕は失礼しよう。何せ少々厄介な鼠が紛れているものでね、無い穴を見つけ出されては敵わない」
待て、と足を動かしかけた鉄志だが、その挙措を星神の矢が物理的に阻む。
「追わせないわよ。一応私、あの変態のサーヴァントだから」
その言の通り、天津甕星は自分達を抹殺するまで止まらないだろう。
何しろ令呪を用いての命令だ。
仮に強行突破して蛇を追ったところで、あの馬鹿げた火力に背後から撃たれ続ける羽目になる。
「――輪堂ッ!」
守ると誓った前言を翻すのは情けなかったが、言っている場合ではない。
それに、天津甕星が暴れ出す以上、天梨を此処に置いておく方が却って危険だ。
星神の射撃は威力だけなら天下一品。対軍・対城級の火力を乱射してくるじゃじゃ馬に、配慮や義理など期待できる筈もないのだから。
「恥を忍んで言う。アレの追跡を任せていいか」
「はい。いいよね、アヴェンジャー」
よって天梨を引き離しつつ蛇を追うには、この択しかなかった。
本当なら安全な場所へ避難させ、戦いが一段落するまで待たせるべきだろう。
それは鉄志も分かっている。天梨を死なせないと豪語したのは他でもない彼自身だ。
しかし、不吉な予感が脳裏に貼り付いて離れない。
神寂縁が宝石と呼んだ演者、レミュリン・ウェルブレイシス・スタール。
あの怪物が彼女を手中に収めてしまえば、必ずや取り返しが付かないことになると全本能が告げていた。
だからこその、恥知らずは承知での懇願だったのだが――意外にも返ってきた答えは二つ返事の了承で。
「……、……頼んどいて何だが、本当に大丈夫か?」
「あはは。正直すっごく怖いし、私なんかに出来るのかって不安もあるけど……」
天梨は苦笑しながらも、その眼差しにはどこか力強さがある。
自分にしか出来ない役目を見つけた、そういう者の瞳だった。
「さっき分かりました。私はきっと、あの子達を助けなくちゃいけない」
「それは……蛇(ヤロウ)の中にいる、犠牲者たちの魂のことを言ってんのか」
「うん。私もいつまでもめそめそしてないで、たまには天使らしいことしないと」
――あの子のためにも。
続く言葉は胸の奥へ留めて、天使は復讐鬼の腕に抱かれる。
白夜の理想を自覚しても尚、その翼は未だに慈しさの極み。
「おい、クソ和人。最後に一つだけ言っとくよ」
「……、……」
「"ソレ"の処遇に関しては、俺もあの糞と同意見だ。次会うまでに賢い選択をしとけ、殺されたくなければね」
「五月蝿えよ。これはウチの問題だ、口出しすんならいつでも喧嘩は買うぜ」
チ、と舌打ちを残して、天梨を抱いたシャクシャインが地を蹴り駆け出す。
その背を見送った鉄志は、改めて三度目の会敵となった闇の星神に向き直った。
「悪いな。待っててくれたのか?」
「別に。あっちの女どもをどうにかしろって命令は受けてないしね」
子どもじみた物言いには、やはり蛇・神寂縁――自分の主人への反発心が滲んでいた。
やはりこのサーヴァントは、真の意味であの怪物へ同調しているわけではないらしい。
力を借りられたら一体どんなに、と思わないではなかったが、その未練は捨て去るべきだと判断する。
彼女には彼女の願いがあるのだろうし、それに何よりも。
「その代わり、あんた達は今度こそ此処で殺すわ」
この英霊は、断じて加減のできる相手ではない。
自分達はこの星神を討たない限り、どこにも進めないのだから。
「俺は、お前のことは正直よく知らねえよ」
天津甕星を斃す。
神寂縁からまずは英霊という手札をもぎ取って、藪狩りを次に進めなければならない。
先の交戦で、蛇は遊ぶことをやめた。
だが裏を返せば、蛇がそれだけ自分達を脅威に感じたということでもある。
全能者気取りの凶悪犯罪者の、そのメッキが剥がれ始めている。
ならば此処で追撃の手を緩めてはならない。あれがまた藪に隠れてしまう前に、今度こそ首根っこを押さえて討ち倒すのだ。
そのために、まずは、目先の問題を解決しよう。
「けど、お前がなんでそんなにイラついてるのかは……ちょっと分かった気がするよ」
天津甕星に限った話ではない。
蛇が打ち込んできた、善意という名の楔。
己が相棒に秘められていた、深い闇の存在もだ。
「どいつもこいつも好き放題やりやがって、いい加減にしやがれってんだ」
雪村鉄志は怒っている。
神寂縁に。そして、マキナを穢した誰かにも。
身勝手な都合で運命とやらを押し付けてしたり顔でいい空気を吸っている、すべてのクソ野郎達へ激怒していた。
「――――もうたくさんなんだよ、そういうのは」
俺が、何をした。
美沙と絵里が、何をした。
マキナが、一体何をしたっていうんだ。
「全部、ブッ壊してやる」
悲劇好きの誰か達へ、今こそ中指を突き立てよう。
もう何一つ奪わせないし、お前らの好きにされて堪るか。
〈機械仕掛けの神〉が鼓動する。
エウリピデスの仔が刻む、救済への渇望ではない。
これは怒りだ。地に足着いた一人の人間が、雪村鉄志という男が抱く、遍く運命論への憤激だ。
「勝手に共感した気になってるところ悪いけど、そういうの、やめてくれるかしら」
相対するのは、同じ怒りを抱きながら――抗うことを諦めた、或る運命の犠牲者。
「殺す理由をくれてありがとう。反吐が出るのよ、何も知らない人間風情が」
我は神なり。
――みんながそうしろって言ったから。
不敬者が、誰に物を言っている。
――カミサマはそうしなくちゃいけないから。
侮るのなら神罰を下そう。
――みんなはそんな私を望んでるから。
この身は皆が望んだ叛逆のカタチ。
――今も、声が聞こえる。
彼女の愛した人々が願った、機械仕掛けの神(アメノカガセオ)。
――私であって私じゃない、存在しないナニカを願う声が。
「行くぞ、マキナ。お前も、いつまでもめそめそしてんじゃねえ」
拳を握り、鉄志はしかと立つ。
自分を覆う鋼(マキナ)と共に。
「これは他の誰のモノでもない。俺達が、俺達のために戦う――そういう、物語だ!」
二体の神が、蛇の内界にて相対する。
片や星神。片や救済の人造神霊。
双方共に不退転、故に結末はどちらかの神話の断絶以外になく。
――"機械仕掛けの神"同士の殺し合いが、燦然とその幕を開けた。
◇◇
【月光夢幻神界〈渋谷〉・西部/二日目・午前】
【神寂縁】
[状態]:固有結界解放、ダメージ(小)
[令呪]:残り2画
[装備]:様々(偽る身分による)
[道具]:様々(偽る身分による)
[所持金]:潤沢
[思考・状況]
基本方針:この聖杯戦争を堪能する。
0:都市の全員を殺し、〈蛇〉を知る者を消し去る。
1:レミュリンを喰い、本懐を遂げる。
2:輪堂天梨は目標の達成後、捕食ないしは殺害する。
3:アルマナちゃんとランサー(アンタレス)は高得点。
4:アサシン(ベルゼブブ)は……ふむ。
5:雪村くんは、僕の天敵だ。ならば僕も全力でお相手しようか。
[備考]
※奪った身分を演じる際、無意識のうちに、認識阻害の魔術に近い能力を行使していることが確認されました。
とはいえ本来であれは察知も対策も困難です。
※神寂縁の化けの皮として、個人輸入代行業者、サーペントトレード有限会社社長・水池魅鳥(みずち・みどり)が追加されました。
裏社会ではカネ次第で銃器や麻薬、魔術関連の品々などなんでも用意する調達屋として知られています。
※楪依里朱について基本的な情報(名前、顔写真、高校名、住所等)を入手しました。
蛇杖堂寂句との間には、蛇杖堂一族に属する静寂暁美として、緊急連絡が可能なホットラインが結ばれています。
※赤坂亜切の存在を知ったため、広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』の顔を予選段階で捨てています。
山本帝一は赤坂亜切に依頼を行ったことがあるようです。
→赤坂亜切に『スタール一家』の殺害を依頼したようです。
※神寂縁の化けの皮として、マスター・蛇杖堂絵里(じゃじょうどう・えり)が追加されました。
雪村鉄志の娘・絵里の魂を用いており、外見は雪村絵里が成人した頃の姿かたちです。
設定:偶然〈古びた懐中時計〉を手にし、この都市に迷い込んだ非業の人。二十歳。
幸は薄く、しかし人並みの善性を忘れない。特定の願いよりも自分と、できるだけ多くの命の生存を選ぶ。
懐中時計により開花した魔術は……身体強化。四肢を柔軟に撓らせ、それそのものを武器として戦う。
蛇杖堂家の子であるが、その宿命を嫌った両親により市井に逃され、そのまま育った。ぜんぶ嘘ですけど。
→蛇杖堂絵里としての立ち回り方針は以下の通り。
・蝗害を追う集団に潜入し楪依里朱に行き着くならそれの捕食。
→これについては一旦アーチャーに任せる方針のようですが、詳細な指示は後続の書き手にお任せします。
・救済機構に行き着くならそれの破壊。
・更に隙があれば集団内の捕食対象(現在はレミュリン・ウェルブレイシス・スタールと琴峯ナシロ)を飲み込む。
※蛇の体内は異界化しています。彼はそこに数多の通信端末を呑み込み、体内で操作しつつ都度生成した疑似声帯を用いて通話することで『どこにでもいる』状態を成立させているようです。
この方法で発した声、および体内の音声は外に漏れません。
※スタール家の〈燃焼時計〉計画にジェームズ・アルトライズ・スタールとして関与していました。
蛇の最終目的は完成した〈燃焼時計〉で根源に到達、時を操る真理を得ることです。
※アサシン(ベルゼブブ/Tachinidae)による『産卵』を受けています。蛇はまだ、このことに気付いていません。
【アーチャー(天津甕星)】
[状態]:激昂、令呪『直ちに推参し、雪村鉄志を抹殺せよ』、〈機械仕掛けの神〉
[装備]:弓と矢
[道具]:永久機関・万能炉心(懐中時計型。現在は胸部に格納中)
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:優勝を目指す。
0:雪村鉄志ら主従を抹殺する。
1:当面は神寂縁に従う。
2:〈救済機構〉なるものの排除。……だけど、優先度が落ちたらしい。なんじゃそりゃ。
[備考]
※キャスター(オルフィレウス)から永久機関を貸与されました。
・神寂祓葉及びオルフィレウスに対する反抗行動には使用できません。
・所持している限り、霊基と魔力の自動回復効果を得られます。
・祓葉のように肉体に適合させているわけではないので、あそこまでの不死性は発揮できません。
・が、全体的に出力が向上しているでしょう。
【輪堂天梨】
[状態]:疲労(小)、左手指・甲骨折、全身にダメージ(中)、自己嫌悪(ちょっと落ち着いた)、頭痛(小)、不明な高揚感?、決意
[令呪]:残り二画
[装備]:なし
[道具]:なし
[所持金]:たくさん(体質の恩恵でお仕事が順調)
[思考・状況]
基本方針:〈天使〉のままでいたい。
0:神寂縁を追う。私の、役割を果たすために。
1:ほむっちのことは……うん、守らないと。
2:……私も負けないよ、満天ちゃん。
3:アヴェンジャーのことは無視できない。私は、彼のマスターなんだから。
4:アンジェさんを信用。誰かに怒られたのって、結構久しぶりかも。
5:マキナちゃんのことが心配だったり、アヴェンジャーの妙な態度が気になったり、……いっぱいいっぱい。
6:もしも神さまになったなら。私は、あの子の泣かない世界を創りたい。
7:いいよ。あなた達、みんな私が助けてあげる。
[備考]
※以降に仕事が入っているかどうかは後のリレーにお任せします。
※魔術回路の開き方を覚え、"自身が友好的と判断する相手に人間・英霊を問わず強化を与える魔術"(【感光/応答(Call and Response)】)を行使できるようになりました。
持続時間、今後の成長如何については後の書き手さんにお任せします。
※自分の無自覚に行使している魔術について知りました。
※煌星満天との対決を通じて能力が向上しています(程度は後続に委ねます)。
→魅了魔術の出力が向上しています。NPC程度であれば、だいたい言うことを聞かせられるようです。
※煌星満天と個人間の同盟を結びました。対談イベントについては後続に委ねます。
※一時的な堕天に至りました。
その産物として、対象を絞る代わりに規格外の強化を授けられる【受胎告知(First Light)】を体得しました。この魔術による強化の時間制限の有無は後続に委ねます。
※アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)が恒星資格者であると直感しました。
※天梨の魔術は魂への干渉が可能です。これにより彼女は、神寂縁が体内に保持している死者達の魂を成仏させられるようです。
具体的にどの程度の時間や手間が必要なのかは後の話におまかせします。
【アヴェンジャー(シャクシャイン)】
[状態]:半身に火傷、疲労(大)、マキナへの警戒
[装備]:「血啜喰牙」
[道具]:弓矢などの武装
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:死に絶えろ、“和人”ども。
0:殺す。
1:憐れみは要らない。厄災として、全てを喰らい尽くす。
2:愉しもうぜ、輪堂天梨。堕ちていく時まで。
3:以下の連中は機会があれば必ず殺す:青き騎兵(カスター)、煌星満天、赤坂亜切、雪原の女神(スカディ)、囁き女(にーと)。また増えるかも
4:ホムンクルスも殺してぇ……
5:このクソ喧しい声を今すぐ止めろ
6:アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)に対する警戒。こいつの星は、恐らく完成させてはならない。
7:糞みたいな固有結界の主を現状最優先の標的に据える。醜悪な捕食者気取りが。
[備考]
※マスターである天梨から殺人を禁じられています。
最後の“楽しみ”のために敢えて受け入れています。
※令呪『私の大事な人達を傷つけないで』
現在の対象範囲:ホムンクルス36号/ミロクと煌星満天、およびその契約サーヴァント。またアヴェンジャー本人もこれの対象。
対象が若干漠然としているために効力は完全ではないが、広すぎもしないためそれなりに重く作用している。
【雪村鉄志】
[状態]:神機融合モード、疲労(中)、覚悟、激しい怒り
[令呪]:残り二画
[装備]:『杖』
[道具]:探偵として必要な各種小道具、ノートPC
[所持金]:社会人として考えるとあまり多くはない。良い服を買って更に減った。
[思考・状況]
基本方針:ニシキヘビを追い詰める。
0:運命なんざクソ喰らえだ。
1:アーチャー(天津甕星)を撃破し、琴峯ナシロを助け、蛇を追う。
2:同盟を利用し、状況の変化に介入する。
3:〈一回目〉の参加者とこの世界の成り立ちを調査する。
4:マキナがどこの何であろうと、俺のやることは変わらない。
[備考]
※赤坂亜切から、〈はじまりの六人〉の特に『蛇杖堂寂句』、『ホムンクルス36号』、『ノクト・サムスタンプ』の情報を重点的に得ています。
※高乃河二達から追加連絡を受け取りました。それ経由で、神寂祓葉の情報も受け取っています。
※アーチャー(天津甕星)の真名を知りました。
※高乃河二経由でレミュリンのメールを読み、蛇の本名を知りました。
【アルターエゴ(デウス・エクス・マキナ)】
[状態]:疲労(小)、動揺(大)、〈機械仕掛けの神〉
[装備]:スキルにより変動
[道具]:なし
[所持金]:なし
[思考・状況]
基本方針:マスターと共に聖杯戦争を戦う。
0:当機は――
1:マスターとの連携を強化する。
2:目指す神の在り方について、スカディに返すべき答えを考える。
3:信仰というものの在り方について、琴峯ナシロを観察して学習する。
4:おとうさま……
5:必要なことは実戦で学び、経験を積む。……あい・こぴー。
6:天梨さんはたぶん、当機とおんなじ。
[備考]
※紺色のワンピース(長袖)と諸々の私服を買ってもらいました。わーい。
※輪堂天梨が渋谷の神(天枷仁杜)と同類、つまり恒星資格者であると直感しました。煌星満天に対してどうかはおまかせします。
※Deus Ex Machina Mk-Ⅴはビーストの幼体です。そして同時に、恒星の資格者でもあります。
※第二宝具『熱し、覚醒する戦闘機構(デア・エクス・チェンジ)』の発動中、神寂縁の固有結界『水子界・支配の蛇』からの影響が大幅に軽減されるるようです。
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最終更新:2026年07月07日 01:13