少女のこれまで送ってきた人生を一言で言うならば、"不遇"だった。
うだつの上がらない父親と、ヒステリックで金遣いの荒い母親。
父は優しかったが、気が弱くいつだって母の言いなりだった。
子どもながらに分かる、日に日に貧しくなっていく暮らし。
増える怒鳴り声、帰りの遅くなる父、知らないうちに売られていく家財道具。
ある日すごく大きな喧嘩があって、父は泣きながら家を飛び出していって。
母は震える自分に、「これからはお母さんと暮らすのよ」と鬼のような顔で言った。
お父さんがいなくなれば、お母さんも優しくなるだろうか。
そう思っていた。けれどそれは、あまりに甘い考えだったと思い知る。
夜の仕事を始めた母が連れてきた、"新しいお父さん"。
彼が家に居着くようになってから、寂しくて貧しい日々は明確に"地獄"へと変わっていった。
前の暮らしに戻ったみたいに、昼夜を問わずに響く怒鳴り声。
元の父とは違い、言い返すし手も出す"新しいお父さん"。
ヒステリックな女と暴力的な男の組み合わせが一度でも揉めたら、際限なくやり合いがヒートアップしていくことになる。
でも彼らも、どうにかして事を収めなければならないという意識はどこかにあったのだろう。
そんな時、収まらない怒りの矛先はいつも少女に向かった。
小さく弱く、何をしてもやり返せないか弱い生き物。
そんな彼女は粗暴な大人たちにとって、格好のサンドバッグだったのだ。
ある夜、少女は家を飛び出した。
顔を涙と鼻水と、そして鼻血でべとべとに汚しながら。
ここではないどこかへ行きたくて、ひたすら走った。
そうしたからって、何がどう変えられるわけでもないのに。
子どもひとりでどこかに行けるわけもなく、見つかって連れ戻されでもしたら一巻の終わりだと分かっていたのに。
それでも、これ以上ぶたれるのも蹴られるのも、お腹が空いて死にそうなのも嫌だった。
父の居場所はわからない。優しい祖父母の家は県をいくつも越えなければならない。
だから、どこにもいけない。それでも、それでも。少女はひたすらに、血の跡を点々と残しながら走った。
神さま、ああ神さま。
もしもどこかに、本当にあなたがいるのなら。
どうか、わたしを自由にしてください。
鳥かごの中で、誰かに飼い馴らされるのはもうこりごり。
あの空のような、広くて、何のしがらみもないどこかへ――
わたしを、導いてください。
そう祈りながら、少女は疲れて足が動かなくなるまで走って。
そして、〈誰か〉にぶつかって顔をあげた。
「ひとりかい?」
やけに大きな、男の人だった。
歳は前の父よりも、今の父よりも遥かに上だろうと思った。
なのに何か、荒々しいまでの若々しさが横溢して見える。
身体は大きくて、雰囲気はすごく穏やかなのにどこか頼もしくて。
気付けば少女は、堰を切ったようにわんわんと声をあげて泣いていた。
目線を合わせて優しく語りかけてくれるその人が、少女には――まさしく、神さまのように見えたのだ。
「傷だらけじゃないか。可哀想に……ひどいことをする人もいたものだ。
迷子、ではないね。ああ、言わなくてもいいよ。
こんな夜遅くに、君みたいな小さな女の子がひとりでいる――それだけである程度解るから」
いっしょに来るかい?
そう言って男が伸べた手を、考えるよりも早く取っていた。
彼が誰であるかとか、そんなことはすべてどうでもよかった。
この人に付いていけば、ここではないどこかに、今とは違うどこかに行くことができるのだと分かっていたから。
"願い"がひとつ叶うのならば。
自由になりたい。どこかへ行きたい。
息苦しくて寂しいだけの、あの小さな鳥かごではなく。
広く、希望にあふれた、誰にも縛られることのない空へ行きたい。
だからこそ、少女は止まるのではなく進むことを選んだ。
少女は、幸せになりたかったのだ。
故に幼い彼女は、手を取った。自由な幸せに通じる切符を握りしめて、夜のその向こうへと旅立っていった。
◇◇
広い部屋。
照明は薄暗い。
頭を撫でられる。
こそばゆそうに目を細める。
これからはここで暮らせばいいのだろうか。
傍らに立つ彼の顔を見上げる。
彼は何も答えず、静かに微笑む。
それから口を開いた。
そして、言った。
「君は、鳥になりたいんだねえ」
少し戸惑う。
けれど頷く。
だって自分は、まさに鳥のようになりたかったから。
自由になって、羽ばたいて、そうして幸せを掴みたい。
その思いに偽りはなく、彼はしみじみと何度か頷いた。
ほんとうに大きな人だと思う。
長身なのもそうだが、筋肉が付いているから余計に大きく見える。
なのに、ぜんぜん怖くない。
彼が優しく微笑んで、優しく語りかけてくれるから、怖いと思えないのだ。
「僕は少し違う。僕はね、蛇になりたかったんだ」
よくわからないことを言われる。
蛇になんて、どうしてなりたいんだろう。
蛇なんて怖くて気持ち悪くて、とてもじゃないけどなりたいとは思わない。
ずる、ずる。
部屋の中から妙な音が響き始める。
水っぽいような、粘っこいような音。
どこから聞こえてるんだろう、と考えて。
どうもその音が、目の前の彼の中から響いているらしいことに気がついた。
「でも、なろうとする必要はなかったよ。
そんなことしなくても、僕は最初から蛇だったんだ」
今の父親とはまるで違う、柔らかで穏やかな微笑み。
だから怖くない。怖いと思うことができない。
少女は微動だにしない凪いだ心のまま問いかけていた。
――おじさんは、どうして蛇になりたいの?
彼は答える。
ほんとうに嬉しそうな、そういう顔をしていた。
「だって蛇は、どんなものでもぺろりとお腹の中に仕舞ってしまうだろう?」
「なんでも食べられる。鳥も、カエルも、豚も、牛も、人間だって食べてしまう」
「そしてお腹の中で、ゆっくり時間をかけて溶かしていくんだ。その間、食べられた生き物はどうすることもできない」
「まあ本物の蛇は溶かしたらその後は、用済みだとばかりに排泄してしまうわけだが……」
べろり、と。
舌なめずりをする。
本物の蛇が、そうするみたいに。
「僕はそうはしない。出してしまうなんてつまらないし、もったいないじゃないか。
僕は食べたすべてを、一生涯僕の中に閉じ込めておくんだ。閉じ込めて、支配する。僕のモノとして抱え続ける」
大きい。
大きくなっている。
身体が膨れ上がるみたいに。
もしくは、伸びていくみたいに。
人間の特徴を全部残したまま変態していく。
なのに怖くない。怖いと、どうしても思えないのだ。
それは恐怖の中で生き続けてきた少女にとって、ひょっとすると幸いだったのかもしれない。
最後まで――"怖くない"ということがどれほど怖いのかを、知らないまま死ねたことは。
「アダムとイヴの神話を知っているかい?」
少女が首を横に振る。
そうかあ、と蛇が笑う。
「神に縛られた楽園の中で、蛇は誰より自由だったんだ」
そして、もう二度と少女が空を見ることはなかった。
暗い部屋。どこかの、逃げ場のない密室の中。
かごを抜け出した小さなひな鳥の前には、大きなおおきな蛇が一匹。
後に起こることなんて、わざわざ語るまでもないだろう。
少女は最後まで一片の恐怖も感じることなく、彼のために生き続けることになった。
肉体を失っても、その魂までもを、永劫に彼の体内で使われ続けるのだ。
夜に子どもだけで出歩くのが忌避されているのは危ないから。
不審者に出会うから。世の中には、子どもに欲情を抱けるたぐいの人間もいるから。
でも、強いて言うならもうひとつ。
――蛇に出会うから。
針音の響く摩天楼の一角。
自由とは縁の遠い、コンクリートジャングルの天空にて。
蛇の王は含み笑いを響かせ。
そんな彼の姿を、昏い星が冷めた眼差しで見つめていた。
◇◇
「そういえば君。享年は幾つかな」
「……言うつもりないけど、なんでそれを知りたいのか聞いてもいい?」
「強いて言うなら趣味だな。君も知っているだろうが、僕は女を歳で選ぶんだ」
「誰が言うか。死ね、変態」
高浜総合病院院長『高浜公示』は、アンティークのソファに腰掛けながら問いかけた。
それに対し、黒髪の……夜空の色を抜き出したような漆黒を湛えた少女は、中指を立てんばかりに嫌悪を露わにして吐き捨てる。
その反応に「手厳しいね」とからから笑いながら、時価で優に六桁後半に達するワインを口へ運ぶ。
姿だけ見れば父親と反抗期の娘のようにも見える光景だが、だからこそその会話の異常さが際立って見えた。
「子どもはいい。少女なら最高だ。幼ければ幼いほど、その未来には無限の可能性がある。
それを取り込むと、なんとも言えず満たされた気分になるんだよ。
初めて雲丹の良いやつを食べた時みたいな感動があってね。こればかりは、どうにも病みつきになってしまってる」
……日本の行方不明者は、生死を問わなければ年間にして数万人にも達するという。子どもだけに絞っても、千人を超える。
もちろん大半は捜索願が出されてから発見に至っているわけだが、逆に言えば少数ながらに"見つかっていない"ケースもあるということ。
ましてや、誰も消えたことに気付かないような人間。
消えたのではなく、死んだことにされている人間。
見つかったことにされている人間。
それを含めれば、その数は更に膨れ上がるだろう。
認知症ゆえの徘徊。家出。川の増水。遭難。見つからない場所での事故死。
そうした非異常性の要因が大半であることは間違いないが。
逆に、異常性――誰かの悪意が原因で招かれた失踪が紛れ込んでいる可能性は、決して否定できない。
"そういう人間"は、いつだって蛇のように忍び寄る。
ひとりでいる子、孤独な子、病んでいる子。
その背後から、ぬるりぬるりと、音を殺して近付いて。
そして巻き付いて、絞め殺して、腹の奥へと収めてしまう。
男は蛇だ。
数多の芸能人を輩出してきた名門事務所、しらすエンターテイメント代表取締役社長――『綿貫齋木』。
そういう名と皮をかぶった、その全長さえ定かではない醜悪な大蛇に他ならない。
「一芸は道に通ずるとは言うけれど。……変態も極めれば大したことになるのね。
そんな馬鹿げた思想を突き詰めてそれだけ肥えられるなんて、もう見下げ果てるわ」
「褒め言葉として受け取っておくよ。これは僕の人生、その生涯そのものだ。美しくはないが、実に強そうだろう?」
都内某区に在する白鷺教会の神父を務める『アンドレイ・ダヴィドフ』は、既に人間ではなかった。
それは彼に招かれた、いや招かれてしまったサーヴァントの眼から見ても間違いない。
人の形はしている。だがそれだけだ。言うなれば、ヒトガタの袋にありったけの毒虫を詰め込んで"人"を名乗っているみたいな。
知らなければ無害な人間にしか見えないだろう。
だが、知って見れば話は変わる。
間違いなく、この男は人外で。少なくとも曲がりなりにも英霊である自分でさえ――正面からの討伐は不可能であろうと、彼女はこの忌まわしくおぞましい男のことをそう認めていた。
「はじめて人を殺したのは十三歳のときだった」
東京都児童連続殺人事件、という負の歴史がある。
六日に及び、一日にひとり。計六人の少女が次々と殺害された、犯罪史上に残る凶悪事件。
「六人殺したよ。手を変え品を変え、とにかく殺した。
なぜそうしたのかは今でも分からないが、強いて言うならそれは〈衝動〉だった。
そうしなければこの先の人生、僕はだんだんと僕でなくなっていく気がしたんだ」
最終的に犯人は捕まり、裁判の末に死刑が確定している。
だが犯人とされた男、現死刑囚は一審から現在まで一貫して無罪を主張。
確かな物証とアリバイの欠如。更には死刑囚の"性癖"が災いし。
その主張は結局、件の人物が絞首台の露と消えるまで誰にも聞き入れられることはなく――
「結局……捜査の手はおろか、疑いの目のひとつも僕に注がれることはなかった。
その時確信したよ。僕はきっと、この社会でもっとも自由な人間なんだと。
僕だけが唯一、法にも常識にも良識にも、何にも支配されることのない人間なのだと」
きっとそれが、この男を殺す最後のチャンスだった。
捜査の網目を完全にくぐり抜けた男は、増長する。成長する。
そして――覚醒する。己の〈起源〉、生き物としての根源に。
「僕は……誰よりも自由でありたい。そして、世界で唯一の支配者でありたいんだ。
獲物を腹の中でいつまでも溶かし続ける蛇に、〈支配の蛇(ナーハーシュ)〉になりたいと、思ったんだ」
警視庁公安部捜査一課長『根室清』。
彼はその日から、人間であることをやめてしまった。
自己の〈起源〉を自覚した人間は明確に破綻する。
見てくれは人間でも、その内界と構造は別物に変じていくのだ。
だが、幸運だったのは――そして彼以外のすべての人間にとって不運だったのは、彼はその破綻を許容できる存在だったこと。
破綻を許容し、それどころか飲み下し、自身の肉体に融和させて這いずり続ける支配の蛇(ナーハーシュ)。
『巳城慶弔』は起源を覚醒させてから、破滅することなく数十年を歩んできた。
よって今、彼は聖杯戦争も〈古びた懐中時計〉による恩恵もまったく関係なく超越者として成立している。
死徒に非ずして、その"祖"達に並び得るもの。
果てなく肥え太り、かつ逸出した頭脳で討伐の手はおろか、疑念のひとつさえ抱かせずに世を渡ってきたフィクサー。
それが『呉呉朝子』。顔のない、蛇の王である。
「そう」
そんな蛇の言葉に、少女は心底げんなりしたような顔で言った。
「死ねばいいのに。あんた、間違いなく私が見てきた人間の中で一番ゴミクズ。
偉そうな天津神の連中の方が遥かにマシだわ。何が悲しくてこんな畜生と組まされたのか、ホントに分からない」
「分からない? おいおい、自分の頭を謙遜するのはよくないな。
本当は分かっているんだろう? 君と僕は実質的に同じ存在なんだから」
「――は。何を言い出すかと思えば……」
彼女は、神霊として知られた存在である。
少なくとも歴史書や文献を漁れば、そう出てくる。
曰く、神々の裁定に仇なし続けたおぞましき悪神。
天津の決定を良しとせず、暴虐の限りでその神意を蹂躙した〈まつろわぬ神〉。
いずれも、真実ではない。
そもそも前提の部分からして間違えている。
彼女は神などに非ず。
彼女は最初、ただの〈まつろわぬ民〉のひとりでしかなかった。
そんな彼女を、曲がりなりにも神などと恐れられる姿かたちに変え。
そして事実として天津神を蹂躙し、敗北という名のトラウマを刻みつけるまでに至ったのには――
「語るんじゃないわよ、下衆。神さま気取りをブチのめすのは得意なんだって知らなかったかしら」
ある、歴史には語られない狂気の背景が介在している。
国を渡さねばならぬ、信心深い〈まつろわぬ民〉が追い詰められた時に何をしたのか。
自分達の尊厳を守るため、彼らがいったいいかなる狂気に手を染めたのか。
その末に、少女は何に成ったのか。
――なぜ、数多の魂を喰らって保存する〈支配の蛇〉なぞに召喚されてしまったのか。
「……怖い怖い。まあ、僕としても君と今揉めるのは旨くない。
それに君は僕のことが嫌いかもしれないが、僕は結構君のことを気に入っているんだ」
「あんたみたいな変態に気に入られてもね。幼女喰いの倒錯者にお気に入り認定されるなんて、はっきり言って鳥肌モノよ」
「失敬だな。必要であれば少年も食べるし、大人も食べるよ。まあ、好きではないけどね」
蛇は嗤っている。
彼にとって、この世のすべては玩弄の対象でしかない。
まんまと口車に乗せられて、不自由なき楽園を追放されたアダムとイヴを見つめるナーハーシュの如く。
『松永創象』は、支配されているすべての存在をせせら笑っているのだ。
そして。それは――
「さっき、君の享年を聞いたろう? もちろん僕にしてみれば低ければ低いほどいいんだが、あれは照れ隠しのようなものさ」
むろんのこと。
歴史の果て、人理の底から顕れる過去の残響。
サーヴァントたちさえ、その例外では決してない。
「可哀想な孤独の君。その慟哭と怨念を腹に収められたら、さぞや至福だろうと思ってね」
僕は、最後には君を食べたいんだ。
そう言って、支配の蛇は笑い続ける。
老年に差し掛かっているとは思えない活力と。
衰えの兆候を微塵も見せない、爆発的なまでのモチベーションを胸に。
〈支配〉の起源を持つ、かつて人だった怪物は、いつまでも暗影の中で腹を抱えていた。
あまたの名を持つ、楽園の黒幕。
彼の正しき名は、ひとつだけ。
――神寂。
◇◇
あまりにも多くの血が流れた。
そこに、暴力があったわけではない。
誰かの悪意があったわけでも、ない。
あったのは、ただ空を信じる心だけだった。
あの美しい星空を、そこに坐す尊い神を、彼らは命まで賭して信じ抜いたのだ。
……その先に待っている結末が何かだなんて、託される側がどう思っているのかなんて、一度たりとも気にすることなく。
部族に伝わっていた、〈神下ろし〉の儀法。
すべての命と信仰を束ね、巫覡たる者の肉体へと取り込ませていと高き星神の供物とする。
もとい、星神が降臨を果たすことのできる〈器〉として完成させる。
そうすれば宙から見守る尊い神さまが下りてきて、必ずや自分達の信仰へ報いてくれるのだと、彼らは疑うことなくそう信じていた。
──擬神・天香香背男。
百を超える信者の命を束ねて儀法は遂行され。
そうして確かに、偽りの神は誕生した。
結局のところ、星神なんてものが下りてくることはなく。
理屈のどこかで間違っていたのだろう大儀式は、"神の不在"という最大の破綻を抱えながら完遂された。
降って湧いたのは神威のようなもの。そう見えないこともない、神に比肩する奇怪な力。
そして残されたのは百の魂を宿し、体内で不気味に蠢かせる〈星神の器〉。
部族でもっとも歳の若い巫覡の肉体を、信心という名の汚濁で穢した成れの果ての容れ物だった。
斯くして、神々の支配を否とする悪なる神は屍の山で産声をあげた。
その奮戦たるや、まさしく災害。
あらゆる尊さを否定する闇の光、まさしく兇悪。
悪神。悪の星神。経津主と武甕槌の二柱を下し、平定という欺瞞の支配に抗い続ける美しき禍津。
後に
天津甕星と呼ばれるその神について、知られていることは多くない。
それが、星の神であったこと。
天津神に弓を引く、恐るべき悪神であったこと。
神々に手痛い敗北と苦渋を舐めさせ、最後まで災害の如く抵抗を続けたこと。
誰もが、その恐ろしくも華々しい神話にのみ目を向け。
その陰に蹲る、望まずして神に"なってしまった"少女の憤懣など知りもしない。
いや、知った上で無視をしたのか。それとも、伝えないことこそが慈悲と選んだのか。
真実のところはきっと、最期まで天津死すべしと憎悪を吐き続けた悪神自身にさえ知るところではないのだろうが──
あの日、あの時、葦原中国に神はいなかった。
星の神など存在せず、あったのはひとりの、ある運命の犠牲者の慟哭だけだった。
彼女の名は天津甕星。かつての名すら今では思い出せない、命の行方すら〈誰か〉の意思に支配された哀れな器。
「──別に、私はどっちでもよかったんだ。
あの土地がクソッタレの天津神に踏み荒らされようが、いるかどうかも知らない香香背男への信心を捨てさせられようが」
信仰のため、そして尊厳のためにその部族はあらゆる命を擲った。
天津神死すべし。傲慢なる神々に星神の天誅あれ。
油を焚べた火のように燃え上がった殉教精神は結果として増長した神々に手痛い挫折を味わせることに成功したが、そんな華々しいまつろわぬ者たちの物語の中で、彼女ひとりだけが蚊帳の外だった。
信仰のために死ぬのは普通のことで。
支配に恭順しないのは当然で。
尊厳を守ることは命よりも重い。
それが当たり前の小さな世界。
その中で異を唱えるなんて、年若い巫覡の彼女にできるわけがなく。
結果として彼女も、一度たりともそれを口にすることはなかった。
──本当に、神さまが宙から下りてきて。
みんなで一緒にその神話の一部になれるのなら。
それならそれで、悪くないと思っていたから。
でも現実は違う。
香香背男は顕れず、自分だけが地上に残された。
器の中に犇めく"みんな"は、一言も発さない。
励ましてくれることも、褒めてくれることもない。
神と成った少女は、どうしようもなく独りぼっちだった。
「私は、ただ……」
葦原中国の未来のために戦ったわけじゃない。
ただ、暴れていただけだ。
幼子が癇癪を起こして地団駄を踏むように、まならない現実に対して感情を発散していただけ。
天津甕星、そう呼ばれることになってしまった少女の願いは、いつだってひとつで。
最初から今まで、一度だって変わったことはない。
「みんなで一緒に生きて、一緒に死ねれば……それでよかったのに」
置いていかないで。
私も一緒に、あの夜空に連れていって。
願いは叶うことなく、香香背男ならぬ天津甕星は今もこうして哭いている。
孤独の星。闇色の神。中国の厄災。
──天津甕星はここにいる。ここで今も、あの日昇れなかった空を見上げ続けている。
【クラス】
アーチャー
【真名】
天津甕星@日本神話
【属性】
混沌・悪
【ステータス】
筋力:C 耐久:C 敏捷:A+ 魔力:A 幸運:E 宝具:A+
【クラススキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても傷つけるのは難しい。
単独行動:-
マスターとの繋がりを解除しても長時間現界していられる能力。
支配の蛇を主としたことで機能を失ってしまっている。
【保有スキル】
まつろわぬ者:B++
服従させるべき者。そして、それを拒み続けた者。
カリスマ系のスキルを無効化し、敵対者が王・支配者・神の属性を持てばステータスに補正を受ける。
彼女は単独ではない。その体内には、信仰と矜持に身を投げた者たちの死魂が血肉のように張り巡らされている。これは彼らの意思である。
神の敵対者:EX
国譲りへ弓を引いた、悪なりしと定められた存在。
神性を有する存在に対し、天津甕星の矢は常ならぬ冴えと輝きを見せる。
沸々と燃え上がる、闇色の……夜空の如き矢を放つ。
慟哭の金星:A
星神の権能。
もとい、それがサーヴァント化に当たってスキルに堕ちたもの。
魔力放出による超高速移動。短距離はもちろん、長距離移動にも転用可能。
【宝具】
『神威大星・星神一過(アメノカガセオ)』
ランク:A+ 種別:対軍/対城宝具 レンジ:1~100 最大捕捉:100人
星の矢。自身の霊基の一部を矢に練り込み放つ、極光の狙撃宝具。
極めて長距離の射程範囲と、あまたの魂を宿すゆえの破壊力を併せ持つ"撃つ"ことの究極。
自分自身を素材に込める性質から乱発は生命力の枯渇に繋がるが、その分威力と価値は極めて高い。
込めた霊基質量に応じて威力は変化し、最大では対城級・戦略兵器級の被害を生み出すことができる。
【weapon】
弓と矢。
矢は尽きることがない。
【人物背景】
悪なる星神。葦原中国平定に際し、単独で国譲りに反抗し続けた〈まつろわぬ神〉。
きわめて高い戦闘能力と、大いなるものに膝を突かない反骨心を併せ持った女。
経津主神、武甕槌命さえ打ち破り、そして建葉槌命の派遣でようやく退いた。
曰く、災害のような女。最悪の神の一体であり、まさしく凶星。
その真実は、神々による平定を頑なに受け入れなかったとある信心深い部族に起因する。
件の部族は平定を拒み、天津神に対抗するべく一計を案じた。
星神を信仰する部族に伝わっていた大儀式。すべての命をひとりの巫女に束ね、夜空で見守る星神を地上に下ろす憑神――神下ろしの儀。
傲慢な神々に誅を下すべく、そして部族の尊厳を守るべく、彼らは星神の威光に想いを束ねて喜んで身を投げた。
いまだ未熟だった巫女は儀式に難色を示したが些末なことだ。
かくして儀式は完遂される。しかしながらそうして誕生したのは、決して天に坐す星の神なぞではなかった。
擬神招来。天の星神の神威を下ろし、それを部族全員の死霊と融合させた巫女の肉体に憑依させた、まがいものの星神である。
……建葉槌命に討伐されるまで、天津甕星は狂おしく戦った。
その振る舞い、その神威。まさに悪神。
されど彼女の言動、そして表情は決して由緒ある神には見えず。
――まるで、歳相応の少女のように見えたという。
【外見・性格】
夜空の黒を抜き出したような黒髪を肩口まで伸ばした、高校生ほどに見える少女。
民族衣装風の装束に無数の札を貼り付けており、腰には弓を携えている。
ぶっきらぼうでやさぐれている。敵には容赦がないし、味方にも態度が悪い。
彼女は結局、星神になんてなりたくなかったのだ。国なんて、さっさと譲ってしまいたかったのだ。
【身長・体重】
154cm・45kg
【聖杯への願い】
この身体から解き放たれ、普通の人間として死にたい。
【マスターへの態度】
外道畜生。見るもおぞましい怪物、魑魅魍魎のたぐい。
聖杯に用がなければ一生関わりたくなかった人種。
マスター
【名前】
神寂 縁/Kamusabi Enishi
【性別】
男性
【年齢】
58
【属性】
混沌・悪
【外見・性格】
実年齢から十歳以上は若く見える活力漲った容姿。微笑みは柔和で物腰も柔らかく、およそ怪しさや危険さとは無縁の人物。
大柄だが威圧感を感じさせず、老若男女の誰にも信用を置かれる人種。
その真実は狡猾で強欲な殺人鬼。他人を支配すること、そして自分だけが支配されないことに究極の快楽を覚える破綻者。
【身長・体重】
195cm・88kg
【魔術回路・特性】
質:B 量:EX
特性および起源:『支配』
【魔術・異能】
起源覚醒者である。
起源に覚醒すると人はその起源に囚われる。
見てくれは人でも、既に内側は人間のそれではない。
殺めた者の魂を喰らって体内に貯蔵する構造を有しており、死徒とも似て非なる地上唯一の生命体として確立されている。
這い寄って絞め殺し飲み込んで胃袋の中で飼い慣らす支配の蛇(ナーハーシュ)。
貯蔵した魂の総てが神寂縁の所有物となり、支配する量を増やせば増やしただけ際限なく強化される現代の怪物。
既に神寂縁の戦闘能力及び存在規模は常軌を逸した領域に突入している。
【備考・設定】
高浜総合病院院長『高浜公示』 藤堂工業会長『藤堂明宏』
しらすエンターテイメント代表取締役社長『綿貫齋木』 静寂美容整形外科院長『静寂暁美』
花房水産代表取締役社長『花房充』 一城アニメーション代表取締役社長『一城正成』
広域指定暴力団烈帛會理事長『山本帝一』 直木賞作家『呉呉朝子』
警視庁公安部捜査一課長『根室清』 児童養護施設あさぎりの園院長『森山過鉾』
広域指名手配被疑者『巳城慶弔』 黒山コンサルタント所属『女城顕貴』
白鷺教会神父『アンドレイ・ダヴィドフ』 宗教法人聖法蓮華の会会長『松永創象』
……などなど、様々な顔と名前を持つフィクサー。此処に羅列した名前と肩書さえほんの一部でしかない。
食らった子ども達の魂を体内で仮想成長させ、あり得たはずの未来の姿を象って他人を装う。
当然『神寂縁』は一度に一箇所にしか存在できないが、縁はそれを彼自身の卓越した偽装工作と頭脳で賄っている。
少なくとも現状、神寂縁の正体へ迫ることのできた人間は存在しない。
その正体は日本全土を股にかけ、時に事故死、時に失踪、時に病死、そして時には包み隠さず殺人として――
"最初の殺人"から数えて四桁以上の子どもを殺害している児童連続殺人犯。
彼が愛するのは少女のみだが、支配する上では都合がいいので少年もほどよく殺す。
少女は趣味。少年は仕事。必要なら大人も殺すが、興味がないので基本的には食わずに捨ててしまう。
最初の殺人は十三歳。遊びの帰りに見かけた同級生の女子を、ふと思い立って殺害。
以後、立て続けに六度の殺人を六日間連日で犯す。日本犯罪史に残る凶悪事件、通称『東京都児童連続殺人事件』である。
彼自身にも説明のできない不合理な行動だったが、結果的に彼は裁かれることはおろか、容疑者として疑われることもなかった。
最終的に全く見ず知らずの"誰か"が逮捕され、その瞬間に縁は過去に覚えたことのない快楽を感じる。
罪の報いを受けない快楽。この法治国家において、自分だけが理に縛られていない自由感。
自分は何物にも支配されず、死と暗躍でもって他人を支配する存在。狡猾なる蛇なのだと気付き、縁は自分の起源を自覚する。
かくして支配の蛇(ナーハーシュ)は産声をあげた。世界など望まず、ただ殺人を続けて私腹を肥やす、社会の影そのものである。
【聖杯への願い】
聖杯という赤子を支配し、糧にする。
願望器の断末魔が聞きたい。
【サーヴァントへの態度】
非常に関心を寄せている。
当分の間は素直に戦力として運用。
最終更新:2024年06月22日 00:25