Don't You
強さとは何なのか。弱さとは何なのか。
彼女は、久我阿頼耶は自問する。己の拳は強さを纏えているのだろうか。
答えは――浮かばない。何も聞こえてはこない。
彼女の意識が覚醒したとき、出迎えたのは風に揺れる木々たちだった。
一瞬前までの混乱と喧騒はすべて幻だったのではないかと錯覚するほどの、静かで優しい景色たち。
しかし傍らに置かれた見慣れないデイパックと首に巻かれた冷たい鉄首輪が、否応なく先の光景を思い出させる。
――貴方たちには、今から殺し合いをしてもらうわ。
糞ッたれ、と阿頼耶は毒づく。
毒の対象は、この殺し合いを強制させるあの女と、最初の殺人に対して何も出来なかった自分の両方だ。
後者に対しては、十人いれば十人とも阿頼耶に非はないと言うだろう。
状況の確認さえままならないあの場で起きた突然の惨劇は、たとえ誰が居合わせたところで止められはしなかったはずだ。
だが、それでもなお歯痒かった。
こんな時のために己は拳を磨いてきたのだろうと、自らを責め立てる声が次から次へと心中に湧いてくる。
彼女は、過去に二度も殺人鬼と対峙している。
その殺人鬼の名は中塚侑実子――欲求と理由に依らない殺人を、”実験”と称した少女だ。
中塚侑実子の行った二度の実験を止めたのは、どちらも久我阿頼耶だった。
しかし――なるほど、確かに阿頼耶は更なる凶行を食い止めることには成功した。
だが、既に失われてしまった命は、二度と取り返すことが出来ない。
一度目の実験において、中塚は阿頼耶の眼前で親友の片目を潰し、恩師の命を奪った。
阿頼耶はその場で中塚を拘束しそれ以上の凶事を防いだものの、この事件は阿頼耶の心に悔いと迷いをもたらした。
類い稀なる武才を輝かせ「喧嘩番長」などと持て囃されていた阿頼耶は、それまでの己の武闘が只の喧嘩に過ぎなかったということをはっきりと自覚させられたのである。
いざ目の前で血が流れたとき、咄嗟に生まれたのは敵意でも憎悪でも憤慨でもなかった。
空白だ。無の思考が阿頼耶の精神と身体を縛ったのだ。
以来、阿頼耶は更なる鍛練に励むこととなる。
殺人に忌避を持たず、躊躇いもなく武器を振るう者が「強く」、殺人を拒み活人を望む者が「弱い」だなどと、そんなことはあってはならない。
相手の命を奪わずとも勝てるだけの「強さ」を求めて、阿頼耶は己を鍛え上げていた。
そのはずだったのに――このザマだ。
これまでの自分の人生全てを否定されたかのような敗北感が、阿頼耶を包んでいた。
「これじゃ――何も変わってない」
小さく、呟き。
「今度こそ、止めるわ。わたしの力全てを懸けて」
はっきりと、良く通る声で宣言する。
過去の自分は無力だったかもしれない。
だが、だからといってこれからの自分も無力であっていいわけがない。
始まったばかりの殺し合いを、これから生まれるであろう惨劇を、阿頼耶の信じる力でもって止めてみせる。
「これがわたしの意思表示――で、そこのあなたはいったいどうするつもりなのか、教えていただけるかしら?」
阿頼耶が声を向けた先、草むらの陰で何かがガサガサと動いた。
影は男の形を取り、阿頼耶の前に現れる。
まだ若いその男は、笑みを口許に浮かべたまま、視線を阿頼耶へと飛ばしてくる。
「ありゃ、見つかってたか。気配は消してたつもりなんだがな」
あーあ、と大仰なポーズを取りながら青年は阿頼耶のほうへと近づいていく。
咄嗟に阿頼耶は身構える。男は見た目こそ気の抜けた姿をしているものの、そこから発する空気は、既に臨戦態勢のそれだった。
ぎらついた、重く締め付けるような戦闘意思の奔流が二人の間を駆け抜ける。
二人ともに黙ったまま、しばし見つめ合う。
男は、阿頼耶の流れるような黒の長髪を、鋭く見開かれた切れ長の瞳を、物珍しそうな目で見ている。
怪訝に思った阿頼耶が視線を一際強烈なそれにしたとき、男がそれまでの沈黙を破った。
「おいおい、そんなおっかない目で見るのは止めてくれよ。
いや、なに、やけに勇ましいこと言ってるからどんなゴリラ女かと思ってたら、こんな美少女だなんてなぁ。
ついついびっくりしちまってさ。気を悪くさせちまったなら謝るぜ」
「……随分と呑気な口振りね。あなたは、自分がどんな状況に置かれてるのか解ってるの?」
「解ってるさ。多分、お前と同じくらいにはな」
「あら、そう。なら――もう一度聞くわ。あなたは、いったいどうするつもりなのかしら」
「あー、答えてやるのはやぶさかじゃねーが……その前に、一つだけこちらの質問にも答えてほしいんだけどよ。
――お前はいったいどうやってこの殺し合いを止めるつもりなんだ?」
「…………ッ!」
阿頼耶の言葉が、続かない。
どうすればこの殺し合いを止められるのか、それを聞きたいのは阿頼耶のほうだった。
気持ちばかりが逸るものの、己の力をどう使えば良いのか見当もつかなかったのだ。
たとえ短期的に殺し合いの仲裁が出来たところで、最終的にはこの首輪の枷により殺し合いは完遂されるだろう。
「んー、その顔見るに、具体的な方法ってやつは考えてないみたいだな。
後先考えずに殺し合いに乗ってる奴をぶっ飛ばして、それで終わりってわけにはいかねーんだぜ。
そもそも、おれにゃあんたが殺し合いを止められるような強さを持ってるようには見えねーんだけどな。
たとえば、たとえばだがよ――俺が、この殺し合いに乗ってる人間で、今からお前を殺すっつったらよ、どうするよ?」
ひゃひゃひゃ、と男は笑い、そして無造作に一歩分の距離を縮める。
始まる――! 阿頼耶が直感したその瞬間、既に男は行動を開始していた。
二者間の距離を一気に詰める跳躍、そして飛び蹴り。先の先を取るべく放たれた蹴撃は、真っ直ぐに阿頼耶の胸元へと吸い込まれていく。
当たれば悶絶間違い無し、一撃必殺の威力を秘めた一撃だ。
だが阿頼耶はそれを危なげも無く回避する。
「お? いいねぇ、実にいい。楽しくなってきたんじゃねーの!」
「あなた……本気で私を殺すつもりなの?」
「だったらどうするって、俺は訊いてるんだぜ!」
男は体勢を立て直すやいなや、今度はクロスレンジでの打ち合いを狙って阿頼耶へと近づく。
密着しての殴り合いになれば体格で劣る阿頼耶が打ち負けるのは道理。
詰め寄る男に対し、阿頼耶は右フックを繰り出した。
男は足を止め、阿頼耶の右拳が空を切ったのを確認し、再度突進――ならず。阻んだのは頭部への衝撃だ。
空を切った阿頼耶の拳はそこで止まらず、更に奥まで振り切られた。その回転をまま転化した後ろ回し蹴りが男の脳天を撃ち抜いたのだ。
後手に回っていた阿頼耶が、ここで攻めに転じる。
よろめいた男への追撃として加えられたのは先ほど空振った右フック。今度は違わず男の脇腹へと突き刺さる。
打撃音と同時、男の呼気が阿頼耶の耳まで届く。地に倒れ落ちる者が寸前に吐く、肺中の酸素を全て絞り出す音だ。
「……っか、はァ……っ」
「終わり――ね」
男の質問――阿頼耶はいかにして殺し合いを止めるのか――について明確な答えを出せなかったことに靄々とした感情は残る。
だが、殺し合いを止める力があるのかという問いに対しての答えは、これで十分だろう。
男が真に阿頼耶を殺すつもりがあったのかどうかは不明だが、いずれにしても拘束しておくことに越したことはない。
そう考えた阿頼耶が、倒れた男に手を出そうとしたとき。
ひゃひゃひゃ、と不気味な笑い声が響いた。
「なっ……!?」
「いやいやいやいや、少し気を抜きすぎちまったかな。世間知らずのお嬢様に灸を据えてやるつもりが、逆にのされちまうなんてよー。
ホントはちょーっと撫でてやって、それで終わりにするつもりだったんだがなぁ……思わず火がついちまったみたいだ。
さぁ、早く戦ろうぜ――続きをよ」
ぞくりと阿頼耶の背を悪寒が走った。そして理解した。
目の前の男の頭の中には、他者を殺しこの殺し合いの最後の一人になろうなどという考えは微塵もない。
ただあるのは――闘争を求める、純粋な欲望。
阿頼耶と事を構える前には、男にもなにかしらの考えがあったのかもしれない。
だが今やその不純は脳内から消え、純然なる闘争意思が男を支配している。
紛う事無き生粋のバトルマニア。
――ああ、なんだ。それなら……わたしと“同類”なのか。
にやり、と阿頼耶も笑う。
己の内に熱が灯った感覚。沸き立つ激情。恋慕にも似た、震える心。
目の前の男は自分と良く似た人間だ。
だから、この状況、どうすればいいかもよく解る。
――まっすぐいって、ブっトバす!
地を震わし、天を払うかのごとき轟音が鳴り響き、第二ラウンドのゴングが鳴らされる。
「……って、ゴングにしちゃ大きすぎだろこの音!」
「誰かが……戦ってる?」
轟音の聞こえてきた方向に目を向ける二人。
視線の先に広がっていたのは、もうもうと噴き上がる土煙と、薙ぎ倒される木々たちだった。
自然に起きたとは考えにくい、極めて人為的な光景――二人はそれを、戦闘によるものだと判断した。
「どうやら続きはまた今度――ってことかしら」
「ああ。……お前も行くだろ?」
「当然」
二人は駆け出す。
そこへ向かい、争いを止めるために。
「きひひ、そーこなくっちゃな。東雲三日月だ。よろしくな」
「……久我、阿頼耶よ」
「あれ、もしかして俺ってば嫌われちゃった?」
「少なくとも、印象の良い出会いではなかったことは確かね」
「いやーははははは。あー、それからよ、殺し合いを止める方法ってやつについてだが……」
「何か心あたりがあるの!?」
「いーや全然。だけどよ、俺の仲間には俺なんかより頭いいやつがいっぱいいるし、三人寄れば文殊の知恵って言葉もあるだろ。
別に自分一人で全部解決しようとしなくてもいいんだぜ。
後先考えずに、目の前の人間をただ助ける。俺らみてーな肉体労働担当は、それでもいいんじゃねーかな」
「……今さりげなく、わたしをバカ扱いしなかった?」
「なーに、バカでもいいさ。ところであらやん、俺のバッグの中、肉入ってたんだけど食べる? お詫びのしるしっつーことで」
「いりません」
【C-7 山中】
最終更新:2011年04月20日 12:16