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ペトル・トシェフ・ムラデノフ
ムラデノフ。ジフコフ失脚後に政権をとったブルガリア共産党(ブルガリア社会党)の指導者。
1985年に権力を獲得したゴルバチョフはジフコフを過去の遺物とみなし、その追放を試みて援助を減らし、
経済危機を促進した。対するジフコフは1987年「7月構想」なる改革政策を打ち出すが、構想だけに終わる。
更に小規模な反体制的組織の登場とそれを利用しようと目論む一部側近の存在、官僚の信頼を失わせた経済改革令「布告第56号」、
ムスリム・トルコ人の国外追放による国威失墜、娘ほど有能でない息子ウラディミルの登用などの失策がたたり、
1989年11月10日に一種の宮廷クーデターが勃発。政治局の採決によりジフコフはようやく(しかし僅差で)解任される。
当時の外相ムラデノフは彼を継いで国家元首兼党書記長となる。1990年1月、党名をブルガリア社会党に変更。
2月2日には党書記長職をリロフに譲り、6月10日・17日の制憲議会自由選挙で勝利した。
ところが平和的街頭デモに戦車を差し向ける命令を出しているところを撮影したビデオテープが暴露され、1990年7月6日辞任。
これを受け社会党は野党民主勢力同盟の指導者ジェレフの大統領就任を了承し、同年8月1日に非共産党の新大統領が誕生。
こうしてブルガリアの体制変革は終了した。
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