「改めて話をしよう、藤井蓮

「構わないぞ、アーサー・ペンドラゴン


 開口一番に互いの真名を突きつけて、二人の剣士は静かに顔を突き合わせていた。
 バツの悪いような雰囲気はどこにもない。二人のどちらもが、相手が自分の名を知っていることは想像の範疇だったと言わんばかりに、当然の顔をして話を続けていた。

 アーサーが蓮の名を特定できたのは、事前の知識があったればのことであった。
 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ、黒円卓の魔操砲兵。その名を告げた際の反応と、彼の持つ雷剣の真名とを結び付ければ話は単純である。
 スルーズ・ワルキューレはザクセン選帝侯の所有下にあった宝物として有名だが、それはあくまで宝物、兵器として運用された逸話は存在しない。
 第二次大戦下において流出したその剣を実戦にて用いた者は歴史上に一人だけ。聖槍十三騎士団黒円卓第五位、ベアトリス・キルヒアイゼンは、しかし眼前の男とは性別も人種も噛み合わない。
 黒円卓関係者の日系人と言えば第二位トバルカインの櫻井武蔵だが、彼の得物は巨大な槍。ならば残る可能性は、ベアトリスと同じく黒円卓に反旗を翻した副首領の代替品を置いて他にない。

 蓮のほうは更に単純だ。アーサーの用いた宝具「エクスカリバー」は多くの贋作や姉妹剣があるものの、星そのものの燐光たる黄金を解き放つものなど一つしかない。
 すなわち真なるエクスカリバー、その輝きだ。ならばかの聖剣を携えるは騎士たちの王以外になく、真名の特定は容易である。


「本戦が始まって以降、事態の推移が著しく早まっている。本来なら日常の非日常の狭間で行われる戦いが、最早日常と化してそこかしこで振るわれている」

「戦いが激化すれば当然脱落者も倍増する。戦場の移り変わりが激しい以上、情報の更新は最優先か」


 なるほど、と頷く。聖杯戦争は究極的には個人戦だが、バトルロワイアルの形を取っている以上は徒党を組むのが常套手段。特に序盤、仮想敵が多い時ほどその有用性は増大する。
 しかしこの状況を見れば、聖杯戦争は既に山場を越えている。今までは複数人で行動していたがために身動きが取れなかった者らが、個人へと戻りその活動を活発化させていてもおかしくはない。
 故に対処の手は早ければ早いほど理想的で。
 そして何より、終盤に同盟の手を切る利得は「聖杯を求める主従」にしか存在しないために。


「情報交換をしようか。きっと、まだ先は長い」


 二人は互いを睥睨し、どちらからともなく話し始めた。



 ────────────────────────。



「丈倉由紀に骸骨面のアサシンか。すまないが覚えがないな」

「そうか」


 壁に背を預けペンを持つ蓮は、紙面に目を落としながら短く答えた。


「僕たちのいた孤児院を襲ったサーヴァントの中にもアサシンはいた。しかしあれは骸骨面……ハサンの系譜に連なる英霊ではないだろう。それに」

「ああ。そのアサシンは俺が殺した。マスターの特徴も酷似しているから間違いない」


 顎を押さえ、何かを思案するかのようにアーサーが頷く。


「だがそれよりも、聞き捨てならないのは赤のアーチャーだな。そいつの真名は、本当にエレオノーレで間違いないんだよな?」

「直接面通ししたわけではないが、彼女のマスターからそう聞いている。
 身体的な特徴に戦闘スタイルから鑑みても疑いの余地はないだろう」

「……そうか。
 だとすれば、かなり頭の痛いことになっちまうな」

「それは?」

「俺のほうでも大隊長に遭遇してる。黒騎士、ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲンだ」


 蓮のその言葉に、アーサーは驚きの念を隠すことができなかった。

 ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン。黒騎士マキナ。
 その名はアーサーの遭遇した赤騎士と同じく、魔人集う黒円卓において尚超越者として列席された三騎士の一角だ。
 その拳は現存する遍く全てを打ち貫き、万物の歴史すら終焉させるという幕引きの一撃。
 アーサーの持つエクスカリバーとはあらゆる面で最悪の相性を持つ宝具だ。仮にアーサーの遭遇した者が赤騎士ではなく彼であったなら、果たしてその命があったかどうか。


「心配しなくても、そいつは俺が殺したよ。でも問題はそこじゃない」

「……確かにそうだ。黒化と赤化が揃ってしまった以上、玉体たる黄化と産道の翠化は除外しても、まず間違いなく白化もこの街に喚ばれている」


 不死創造───黄金錬成。
 その核となる五つの要素のうち、黒・赤・白の三つは極めて深い繋がりを持つ。
 死なずのエインフェリア、すなわち黄金獣の眷属。彼らは一個人としての肉体と自我を持ち合わせているが、その本質は黒円卓首領ラインハルト・ハイドリヒを構成する爪牙の一部に過ぎない。その意味で言えば、彼らは存在を同じくする同一人物と言ってもいいのかもしれない。

 聖杯戦争において、その強すぎる縁は「連鎖召喚」として機能する。
 つまり。


「白化、ウォルフガング・シュライバー。考え得る限り最低最悪の戦争狂だ。
 とにかく殺すことしか頭にない気狂いだからな。交渉の余地だとか戦闘回避だとか、そういうことは考えないほうがいい。考えるべきじゃない」


 伝聞ではない実感として、蓮は心底の忌避がこもった口調で呟いた。
 彼の言にはアーサーも全面的に同意するしかない。たった一人で18万もの人民を殺戮し尽くした、血に狂った殺人レコードホルダー。まず話の通じる手合いではない。
 それに何より。


「仮に白騎士が召喚されているとしたら……まずいな、僕とは酷く相性が悪い。
 ある意味では黒騎士以上だ。マスターを狙う以外に対処法が思い浮かばない」


 白騎士ウォルフガング・シュライバーの持つ創造は「絶対回避」「絶対先制」。アーサーの手持ちの攻撃手段ではそれらを突破する道がない。
 無論ただでやられる気など毛頭ないが、それでも圧倒的に不利なのは事実。なんとか打開策を見出したいところではあるのだが。


「それなら心配するな。俺が何とかする」

「……やれるのか?」

「まあ、アンタよりは勝算があるよ。それより、もしも同時に赤騎士が出てきたら、その時は」

「ああ。彼女は僕が受け持とう。尤も、彼女のマスターは既に脱落しているわけだが」

「未来は常に最悪を想定しろってな。それにマスターが死んだ程度でアレを倒せるなら、俺は生前苦労しちゃいないよ」


 赤騎士のクラスはアーチャー。マスター不在でも活動できる単独行動のスキルにより生き残っている可能性は決して否定できない。
 新たなマスターを獲得しているとしたら、彼女もまた難敵となって立ち塞がるだろう。願わくば、百合香の遺した令呪がこちらの有利に働けばよいのだが。


「ともあれ、俺達の情報を照合すると本戦以降の陣営はこうなるわけだ」


 そう言うと、蓮は今まで書き綴っていたメモ帳からペンを離し、アーサーにも見えやすいよう手元に置く。
 アーサーは書かれた内容に目を落とし、納得するように頷いた。


 自陣営
 キーア───セイバー
 アイ・アスティン───セイバー
 すばる───無手のランサー(霊基変動?)

 健在
 エレオノーレ・フォン・ヴィッテンブルグ(アーチャー)
 ???───元村組のライダー
 丈倉由紀───歴代ハサンのいずれか(アサシン)
 ???───ウォルフガング・シュライバー
 ???───戦艦のサーヴァント

 脱落
 すばるのアーチャー
 無手のランサーのマスター
 辰宮百合香(赤騎士のマスター)
 みなと───ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン(ライダー)
 古手梨花───壇狩摩(キャスター)
 ???───幸福(キャスター)
 ???───キャスター(壇狩摩により双方消滅)
 少女(名称不明)───異形のバーサーカー
 錬鉄のマスター───アサシン

 不確定
 黒の矢と黄金の剣を放つサーヴァント(単騎ではなく複数?)
 浅野學峯鎌倉市長


「確認が取れたのは俺達を含めて15陣営。内7騎は脱落済み、未確認の連中が全員生き残ってると仮定しても残りは俺達を除いて最大13陣営。
 実際には俺達の知らないところでも戦火が広がってる以上結構な数が脱落してはいるんだろうが、そこらへんは未知数だな」

「幸いと言えるのは、未確認の主従でも協調の意思がある者たちがいるかもしれないという可能性が残っていることか。
 キーアもアイもすばるも、そのいずれも参戦意思の確認なく強制的に連れてこられた。だとすれば聖杯戦争に反発する者がいてもおかしくはない」

「健在の奴らでそういう連中が見当たらないのは、そもそも脱出派はできるだけ目立つ真似をしたくないから……だったら良いんだけどな。あくまでいたら儲けもの程度に考えておくべきだな。
 確認済みの連中で協調できそうな奴はなし。せいぜいがハサンくらいだが望み薄、そして未確定が8陣営」

「目下接触すべきなのは黒の矢と黄金の剣を持つサーヴァントかな。僕たちを手助けした理由が打算に基づいたものであったとしても、少なくとも利点があれば協力できる可能性がある」

「まあ、そうなるよな」


 仮に自分たちが大隊長と戦うのだとして、現状では戦力があまりにも心もとない。
 理想はその前に脱出手段を確保することであるが、どちらにせよ他陣営との接触は急務である。


「俺としちゃ、キャスターがほぼ確実に全滅してるってのが気になるな。幸福ともう一人はともかく、壇狩摩の消滅は惜しい。
 奴の逸話を鑑みれば聖杯の解体なり地脈の接続なりができたかもしれないけど、後の祭りだな」

「……済まない。彼の脱落は僕の落ち度だ」

「いや、責めるつもりはないよ。言いたいのはキャスターの代わる魔術師か、それに詳しい人間を確保しなきゃいけないってこと」


 アーサーの瞳が蓮を映す。
 確認し合うようにお互い頷くと、蓮は言葉を続けた。


「ルーラーも監督役も姿を見せない以上、参加者間で事を解決するしか方法はない。
 探すべき相手も見定まった。反撃はここからだ」





   ▼  ▼  ▼








 閉じた視界に光が差す。
 瞼の裏に映る暗闇、そこに佇む四人の人影が、徐々に遠のいていった。

 友奈には、それが誰なのか分かった。
 あれはかつての自分たち、幼い日に見た大切な友人たちの姿だ。
 不思議だったのは、それが"五人"ではなく"四人"だったこと。
 そこにいるべき自分が、独りだけ離れていたということ。

 追いつこうと駆け出して、けれど足が動かない。
 石のように固まって、友奈はただ見ているしかできなくて。

 手を引かれる感触がした。
 背後を振り返るとかつての自分と同じように、満面の笑みを張り付けた少女がいた。

 手に持っているのは古びたハサミ。
 友奈は何かを言おうとして、
 けれど耳を劈く悲鳴に掻き消された。

 視界の黒が赤に染まる。
 少女の笑顔と手に持つハサミが赤に染まる。
 張り裂ける絶叫が、胸に刃を突き立てられた自分のものだと分かった瞬間。
 友奈はただ、懇願にも似た謝罪を心の中で繰り返した。

 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。

 心の中で百度も千度も許しを乞うて。
 けれどもそれは、一度も口から出ることはなく。

 鮮血に煙り笑う少女のその向こうで、憐れむ誰かの声が木霊する。



「…………。
 懺悔ってのは免罪符じゃないんだよ、友奈。今更言っても遅いけどね」








   ▼  ▼  ▼





 少女が涙を流していた。

 すばるはどうしてか。
 その少女が深く深く悲しんでいるのと同じに、どうしようもないほど自罰しているのだと察することができた。


「彼女は、とても優しい人」


 隣にしゃがむ、キーアという名の少女。
 キーアは嫋やかに手を差し伸べて、涙流す少女の頬に触れる。


「誰かを思いやれる人。自分以外の、助けを求める誰かの手を掴むことができる人。
 とても優しい、暖かな人」


 零れ落ちる雫を拭う指、柔らかに滑らせて。


「そうじゃなければ、こんなに自分を追い込んで、涙流すなんて。
 きっとできないもの。涙、こんなにも溢れさせて」


 キーアは悲しげに、その瞳を伏せた。
 その目は眼前の少女ではなく、どこか遠くへ。
 ここではないどこかへ向けられていた。悲しげな表情の向こうに何を見ているのか。
 何を想起させているのか。

 すばるには分からない。
 尋ねることもできない。
 けれど。


「だとしたら……」


 思いを馳せることはできた。

 優しい少女。涙を流す少女。
 真名は分からず、そのクラスさえ茫洋と判別がつかず。
 その優しさ故に地に堕ちたというならば。
 それは、きっと。


「悲しいね……とっても」


 ロストマン。喪失者のクラス。
 言葉交わさずとも伝わるその悲しみ。
 その優しさが本物ならば、きっと彼女は失ってしまったのだ。
 助け求める誰かを。自分以外の、大切な誰かを。

 すばると同じように。
 あるいは、キーアと同じように。

 失ってしまって、だからこんな風になってしまって。
 声持たぬ彼女の悲しみを、何故理解できたのか。その理由が分かった気がした。


「ねえ。あなたの願いは、なんだったの?」


 ───願い。
 尊く輝くもの。
 手を伸ばせば、きっと誰もが掴めるはずのもの。


「わたし……あなたがいてくれたっていうそれだけで、これ以上ないくらい救われたんだけどな」


 自分でも判別のつかない感情を滲ませて。
 すばるは、囁くように声を漏らし。


「───……あ」


 ふらり、
 と、一瞬気が遠くなって。

 我知らず後ろへ倒れてしまおうとしたところに、
 ぽん、と肩を抱かれ、すばるは誰かの腕に受け止められた。


「大丈夫ですか、すばるさん?」

「……アイちゃん」


 肩から振り向けば、そこには少女の小さな顔。
 エメラルドのような翠色の瞳が、心配そうな気配を湛えてこちらを見つめている。


「すばるさん、やっぱり疲れが溜まってるんですよ。今日は色んなことがありましたから……
 少し休んでください。まだ時間はありますし、こんな調子じゃいつ倒れてもおかしくありません」

「でも、まだみんなが……」

「大丈夫です。セイバーさんたちが戻ってきたら、私達も少し眠りますから」

「うん……」


 肯定されて、途端に瞼が重くなったのをすばるは自覚した。
 緊張の糸がほぐれたのか、疲れのことを認識してしまったからか。
 分からないが、今まで鳴りを潜めていた睡魔が、一気に頭へ圧し掛かる。


「……じゃあ、ちょっとだけ……アイちゃんと、キーアちゃんたちも……」

「はい。きっと無理はしませんから、ご安心ください」

「……うん」


 か細く返事をして、あれ、と思った時には鉛のように重い瞼を閉じていた。
 夜空の藍色と杉林の黒が混じったかと思うと、頭の中がその色に染まる。

 不思議と早く眠りに落ちたすばるは、そのまま静かに寝息を漏らす。
 意識を失う最後まで、そうと気付かないままだった感情で胸を満たしながら。

 胸に満ちる暖かなもの。
 ───安心感、だった。

 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────。





 項垂れる友奈の隣にちょこんと座り、
 アイとキーアは隣り合って、共に夜空の星を見上げていた。
 街の喧騒は遠く、声は小さなものでも残らず空に吸い込まれていくようだった。


「ユリカさんとは、私も一度お会いしてみたかったです」


 アイは、その視線を空に固定したまま、そんなことを言った。

 辰宮百合香のことを、二人は既に知っている。その人となりは元より、彼女の顛末すらも。
 戦場より戻ってきたアーサー・ペンドラゴンの口から、仔細の全てを聞かされた。


「色々役立つ情報が聞けたかも、というのもありますが。
 それ以上に、もしかしたら助けてあげることができたのかもしれないなって、
 思い上がりかもしれないけど、そう思うんです」

「……アイは、誰かを助けたいの?」


 アイの横顔を覗きこむキーアが尋ねる。
 その口調は不思議そうにというよりは、何かの確認のようでもあって。


「そうですね。私はみんなを助けたいと思ってます」

「みんな?」

「ええ。みんなです」

「聖杯戦争に集められた人たち、みんな?」

「それだけじゃありません。私は世界を救いたいんです」


 ああ、やはり、と。
 口に出すことなく、心の中だけで思って。


「雲を掴むみたいなお話ね」

「ええ、その通りだと私も思います」

「それでもあなたはみんなを助けたいの?」

「ええ、それが私の夢ですから」

「……もう、死んでしまってる人もいるのに?」

「それは確かに私の不徳ですね。所詮私はちっぽけな存在ですから、助けられない人も出てしまうのかもしれません。
 ユリカさんのように、アーチャーさんのように。
 でも」


 でも、
 と言うアイの言葉は、強い意思が込められて。



「それでも、私は私の手が届くみんなのことを、
 絶対に諦めません。例え何があろうとも、助ける意志だけは燃やし続けます」


 そのあまりにもひたむき過ぎる心を、キーアは見飽きるほどにずっと傍で見てきたから。


「勿論、あなたのこともきっと助けてみせますよ、キーアさん。
 セイバーさんたちほどじゃありませんが、私もこう見えて結構強いんです。
 ですから、ええ。ゾンビくらいからなら守り切ってあげますよ」

「ありがとう。頼りにしてるわアイ、それは本当よ」

「え、えへへ……初めて頼りにされちゃったかもしれません。
 新鮮な気持ちというか、これはかなり嬉しいかも……」

「でもね、アイ」


 だから。
 だから、キーアは問いかけるのだ。

 目に映る全ての人間を助けようとして、
 手の届く全ての人間を死なせまいとして、

 自分以外の誰かを救わんとするあなたは───



「あなたはみんなを助けようとして、
 その"みんな"には、アイもいるの?」



 空を見上げていたアイの顔が、こちらを向いた。
 ゆっくりと、柔らかく。それはまるで子供に言い聞かせるため振り向いたかのように。
 あるいは、親へ何かを自慢するため振り向いたかのように。

 アイは、その顔いっぱいに満面の笑みを張り付けて。




「───いいえ?」




 そんなことを、至極当たり前であるかのように言った。



「……」

「あ、セイバーさんたちがこっちに来るみたいです。
 ちょっと迎えに行ってきますね、キーアさん」

「……アイ、あなたは」


 声をかける暇もなくアイは向こうへ駆けて行って。
 伸ばしかけた手を中途半端に宙へと漂わせるキーアだけが、眠る二人と共にその場に取り残されてしまって。


「……」


 言葉なく、キーアは記憶の中の彼を思う。
 ギー。魔法使いのお医者様。滅私で他者を救い続ける気狂いの巡回医師。


「アイ、あなたもギーと一緒で……」


 キーアはずっと見つめてきた。
 キーアはずっとその姿を見てきた。

 我を殺し、取りこぼす無数の命たちを見つめ、失ったものが何であるか確かめるように歩き続ける彼らを。
 キーアは、ずっと見つめてきたから。


「ずっと、泣き続けているのね」


 その瞳は、何を───

 ………。

 ……。

 …。

 ────────────────────────。





   ▼  ▼  ▼





「そういうわけで、ちゃちゃっと魔力を吸ってください」

「は?」


 少女たちのもとへ戻ろうとして、駆けてくるアイを拾って幾ばくか。
 話があるというアイの言葉にアーサーを先に戻した蓮は、思いがけぬ言葉に疑問符を打った。


「いきなり何言ってんだお前」

「何言ってるんだはこっちの台詞です」


 言い訳は聞かないぞと言わんばかりに、アイは「ふん」と胸を張って指差す。


「その傷のこと」


 後ろに隠すようにしていた蓮の右半身を、アイは指差す。
 袖から出ている肌は、ガラスか何かのように罅割れていた。


「誤魔化せると思ったら大間違いですよ」

「……別に、誤魔化そうってつもりはないぞ。けどこんなの時間が経てば」

「治るって前にも言って、でも全然治ってないじゃないですか」


 図星を指されたと言わんばかりに、蓮は苦虫を噛み潰したように顔を顰めた。
 アイの指摘は尤もだった。諧謔で刻まれた亀裂は完治する様子を見せず、事実として先の戦闘では一気にその傷を深いものとしていた。
 治癒が遅い、というのは聞いている。そこはいい。全くもって良くないけど、理屈としては納得している。
 アイが怒っているのは、アイから蓮に流れていくはずの魔力が、明らかに少ないということなのだ。


「セイバーさん。私が負担するはずの魔力を、あなたは自分でやりくりしてますね」

「……」

「気付かないと、思ってましたか?」

「……」

「私は、そんなに、頼りないですか……?」


 アイの言葉は、最後のほうには端々が震えていた。
 お前は役に立たないんだと突きつけられているような、そんな気さえした。


「……別に、そういうわけじゃない。俺だって必要になればその分貰うよ。けど」

「けどなんですか。言っておきますけど、私だって私なりに覚悟はしてるんです。
 魔力が足りないなら血肉を、血肉が足りないなら魂を、削り取っても構いません。
 それがあなたを召喚した私の責任なのですから」


 それを言った瞬間、蓮の顔が凶相に染まった。
 一瞬アイはたじろんだが、気落とされまいと必死に表情を取り繕って言葉を続ける。


「ですから、必要な分だけ吸ってください」

「……」

「今がその時なんです。諦めてください」

「……分かったよ」


 諦めたように蓮が言った瞬間、アイの総身を急激な苦痛が襲った。
 体中を走ったのは激痛と、活力そのものを根こそぎ奪われるかのような虚脱感だった。三半規管を揺さぶられる不快感に重い吐き気を覚え、立っていられず倒れるように膝をついた。腰が崩れ、両手を地面につく。胃の内容物がせり上がり、熱いものが食道にこみ上げたかと思うと喉から大量の吐瀉物をぶちまける。
 滲む涙で視界がぼやけ、思考は靄がかかったように鈍重だった。上手く物を考えることができず、ただ目の前の不快感に身を委ねて言葉にならないうめき声だけを上げ続けた。むせ返る喉は大量の酸素を必要とし、自然と息が荒くなる。脳がある程度の余裕を取り戻した頃には、アイは全身にびっしりと脂汗を張り付けていた。


「……う、うぅ」

「だから言っただろ。魔力の欠乏は場合によっちゃ命に係わることだってあるんだ。そう簡単に……」

「うぅうううう……」

「……おい、一体どうした」


 四つんばいになって顔を俯かせるアイの呻きは、いつしか苦痛によるそれから嗚咽にも似た響きへと変わっていた。
 蓮はそんなアイに声をかけるべきか迷ったが、少しだけ悩んで声をかけることにした。肩を揺すり、大丈夫かと覗き込む。


「うぅ……セイバーさん、ごめんなさい……ごめんなさい……」

「なんで謝ってんだよ」

「だって、私、たったこれだけしかセイバーさんの代わりになってあげられなくて……」


 アイは、口の端から血さえ滲ませながら、そんなことを言った。
 蓮は一瞬虚を突かれたような表情になって、次いで呆れたような、あるいは何とも形容しがたい表情で。


「何馬鹿なこと言ってんだよ」

「うぅ~~~~~……」

「落ち着け。変な心配すんなって」


 そのままアイが落ち着くまで、ずっと背をさすりながら傍にいた。
 呻きながら、嗚咽しながら、生理的な反応で涙を滲ませながら。それでも本当の意味で泣くことがないまま、アイはされるがままに苦痛に耐えていた。

 数分が経過して。
 痛みや不快感が収まりつつあったアイは、蓮の隣に座り込み、小さく膝を抱えていた。


「落ち着いたか?」

「……はい」

「それで、なんでいきなりこんなことしようって思ったんだ」


 アイが彼女自身以外の誰かを過剰に慮るというのは、何も珍しいことではない。
 けれど、それを加味しても尚、今のはあまりに唐突でいきなりな出来事だった。

 疑問を呈する蓮の顔を見て、溜息をつくかのように吐息を一つ。アイは次に頭を上げて空を見上げた。


「……私、実は結構たくさん、後悔してることがあるんですよ」


 故郷の空とも荒野の空とも違う、都市の空。
 それを見上げてアイは語る。
 話題が変わったように思えたのは、きっと迂遠な話をするためなのだろう。蓮はそう解釈すると、口をはさむことなく先を促した。


「その一つに、ヒコさんっていう快楽殺人鬼たちのことがあるんです」


 自分の父、キヅナ・アスティンを狙った殺人鬼のことを、アイは思い出していた。


「私は彼らを叩きのめして、お父様を助けました。そして彼らはスカーさん……他の墓守に埋葬されました」


 今でもよく覚えている。
 すぐに生き返るはずだったのに、ずっと白いままの父の肌。アルビノの肌より尚白い、死者の肌色のうすら寒さ。
 その時の自分はそれらに絶望するのに夢中で、その横で悪漢どもを埋めるスカーを見逃した。
 いや、そうでなくとも、きっとあの時の自分なら、それは当然だとスルーしただろう。

 この街に来た当初、自分たちを襲ったランサーを斬り捨てた時のように。
 当然であると、仕方ないのだと、見捨てたのだろう。


「でも、きっと、私はあの人たちを見捨てちゃ、いけなかったんですよね」


 それは例えば、すばるを狙っていた顔も名前も知らないマスターも。
 蓮が死想の渇望で消滅させたアサシンも。
 同じことなのだ。彼らみんなを、アイは見捨ててはいけなかった。
 すばるや自分の命と天秤にかけてとか、それ以前の問題として。
 秤にかけなければならない事態にしてはいけなかったというのに。


「私が、本当にみんなを救うなら、どんな人も見捨てちゃ、いけないはずなんです」


 アイは、ぎゅっと膝を抱えて、足の骨の硬い感触を頬で感じた。


「私が決めちゃ、いけなかったんです。私にできるのは、提案することだけだったんです。考える手助けや、手を貸すことしか、できなかったんです」


 アイは視線を横に向ける。
 そこには自分の助けを拒む、古ぼけた死体があった。


「だから、私はあなたの死を止められません。死にたいと言っている人を……助かりたくない人を助けることは、私にはできません」


 そうか、と死者が答える。


「でも、その上でお願いします」


 アイは膝をついて、だらりと下がった死者の手を取り。


「どうか、消えないでください」

「……」

「私は、あなたに、消えてほしくありません」


 泣かない。それは卑怯だから。
 アイはただ、死者の手を握って、自分の体温が相手を温めるのを感じた。
 そうやって自分の気持ちが、少しでも伝わればいいのにと思った。


「……俺が消えると思ったのか」

「違いませんか?」

「まあ、まるっきり的外れってわけでもないけど」


 魔力の欠乏、あるいは致命的な損傷によってサーヴァントはその身を消してしまう。
 活力なくして生きられぬのは生者も死者も同じことで。
 アイはただ、蓮に消えてほしくなかっただけだった。


「言われなくても、お前が帰るまで俺は消えないよ」

「その後もです」

「……そこで死に損なったら、俺はきっと地獄を見る」

「どこまでもお付き合いしますよ」


 そうか。と死者は沈黙した。
 表面上は何も変わらない。しかしその、生きているようにしか見えない瑞々しい肌の裏で、確かに死者は揺れていた。
 そして、それでも。



「ごめん」



 彼は、自分の夢を諦めなかった。


「……そうですか」


 アイはそれ以外、何も言えなかった。


「さっきも言ったけど、お前を無事に帰すまで消えるつもりはないから、心配すんな」

「……はい」

「だからそれまで」

「ええ……それまでは」


 アイは我知らず、ぎゅっと蓮の手を握りしめた。
 強く強く握りしめて、この感触がずっと残り続ければいいのにと思った。


『B-2/源氏山公園/一日目・夜』


【すばる@放課後のプレアデス】
[令呪] 三画
[状態] 深い悲しみ
[装備] ドライブシャフト
[道具] 折り紙の星
[所持金] 子どものお小遣い程度。
[思考・状況]
基本行動方針: 聖杯戦争から脱出し、みんなと“彼”のところへ帰る……そのつもりだった。
1:生きることを諦めない。
[備考]
C-2/廃校の校庭で起こった戦闘をほとんど確認できていません。
D-2/廃植物園の存在を確認しました。
ドライブシャフトによる変身衣装が黒に変化しました。
ロストマン(結城友奈)と再契約しました。


【ロストマン(結城友奈)@結城友奈は勇者である】
[状態]魔力消費(超々極大・枯渇寸前)、疲労(極大)、精神疲労(超々極大)、精神崩壊寸前、呆然自失、神性消失、霊基変動。
[装備]
[道具]
[所持金]
[思考・状況]
基本行動方針:……。
1:……。
[備考]
神性消失に伴いサーヴァントとしての戦闘力の一切を失い、また霊基が変動しました。
クラススキル、固有スキル、宝具を消失した代わりに「無力の殻:A」のスキルを取得しました。現在サーヴァントとしての気配を発していません。現在のステータスは以下の通りです。
筋力:E(常人並み) 耐久:E(常人並み) 敏捷:E(常人並み) 魔力:- 幸運:- 宝具:-
すばると再契約しました。



【アイ・アスティン@神さまのいない日曜日】
[令呪] 三画
[状態] 疲労(中)、吐き気、魔力消費(大)
[装備] 銀製ショベル
[道具] 現代服(収納済み)
[所持金] 寂しい(他主従から奪った分はほとんど使用済み)
[思考・状況]
基本行動方針:脱出の方法を探りつつ、できれば他の人たちも助けたい。
1:"みんな"を助けたかった。多分、そういうことなんだと思う。
2:ゆきの捜索をしたいところだが……
3:生き残り、絶対に夢を叶える。 例え誰を埋めようと。
4:ゆきを"救い"たい。彼女を欺瞞に包まれたかつての自分のようにはしない。
5:ゆき、すばる、キーアとは仲良くしたい。アーチャー(東郷美森)とは、仲良くなれたのだろうか……?
[備考]
キーア&セイバー(アーサー・ペンドラゴン)と邂逅しました。


【セイバー(藤井蓮)@Dies Irae】
[状態] 右半身を中心に諧謔による身体破壊(中・修復中)、疲労(大)、魔力消費(中)
[装備] 戦雷の聖剣
[道具] なし
[所持金] マスターに同じく
[思考・状況]
基本行動方針:アイを"救う"。世界を救う化け物になど、させない。
1:聖杯を手にする以外で世界を脱する方法があるなら探りたい。
2:悪戯に殺す趣味はないが、襲ってくるなら容赦はしない。
3:ゆきの使役するアサシンを強く警戒。
4:市街地と海岸で起きた爆発にはなるべく近寄らない。
5:ヤクザ連中とその元締めのサーヴァントへの対処。ランサーは……?
[備考]
バーサーカー(アンガ・ファンダージ)、バーサーカー(式岸軋騎)を確認しました。
すばる&アーチャー(東郷美森)、キーア&セイバー(アーサー・ペンドラゴン)とコンタクトを取りました。
アサシン(ハサン・サッバーハ)と一時交戦しました。その正体についてはある程度の予測はついてますが確信には至っていません。
C-3とD-1で起きた破壊音を遠方より確認しました。
ライダー(ドンキホーテ・ドフラミンゴ)を無差別殺人を繰り返すヤクザと関係があると推測しています。
ライダー(ゲッツ・フォン・ベルリッヒンゲン)及びアサシン(アカメ)と交戦しました。
ランサー(結城友奈)の変質を確認しました。
セイバー(アーサー・ペンドラゴン)と情報を共有しました。


【キーア@赫炎のインガノック-What a beautiful people-】
[令呪]三画
[状態]魔力消費(中)、決意
[装備]なし
[道具]なし
[所持金]子供のお小遣い程度
[思考・状況]
基本行動方針:聖杯戦争からの脱出。
1:もう迷わない。止まることもしない。
[備考]

【セイバー(アーサー・ペンドラゴン)@Fate/Prototype 蒼銀のフラグメンツ】
[状態]魔力消費(大)、全身にダメージ、疲労(大)
[装備]風王結界
[道具]なし
[所持金]なし
[思考・状況]
基本行動方針:キーアを聖杯戦争より脱出させる。
1:キャスターの言を信じ成すべきことを成す。
2:赤髪のアーチャー(エレオノーレ)には最大限の警戒。
[備考]
衛宮士郎、アサシン(アカメ)を確認。その能力を大凡知りました。
キャスター(壇狩摩)から何かを聞きました。
傾城反魂香にはかかっていません。
セイバー(藤井蓮)と情報を共有しました。
最終更新:2019年06月14日 10:47