ナンバースリー




ナンバースリー ( NUMBER3, なんばーすりー ) とは、2007年まで存在していた日本のコンビニエンスストア。
コンビニ界隈ではナンスリなどとも略される。

(写真: 真岡八条店)


概要

情報

. 【 ナンバースリー 】 ロゴ (※有志による再現)
創業 1982年7月
現状 チェーン解散、消滅 (2007)
主な出店地域 関東地方
特に東京都、茨城県、神奈川県
全盛期 1980年代後期
関東地方全体で60~70店舗を展開
運営元 株式会社ナンバースリー
→株式会社ナンバースリー・ジャパン (社名変更、1986年頃)
→株式会社ジャイロ (買収、1995)

⇒株式会社ポプラ (2001)
本部所在地 東京都世田谷区三軒茶屋2丁目48−7
光陽ビル 3F(1985年時点)
→世田谷区千歳台3丁目3-17
千歳台ビルディング (1987年時点)

⇒世田谷区千歳台2丁目29-27
ホワイトビル (1993年時点)
+ 東京都渋谷区代々木3丁目24-3
第1梅村ビル (1993年時点)
・茨城県古河市雷電町11-20 (北関東オフィス)
・神奈川県相模原市中央区星が丘1丁目3−14
共立星が丘ビル (神奈川オフィス)

⇒ジャイロ
東京都中央区日本橋小網町1-7 (1995年時点)
→東京都中央区新富1丁目13番21号
ヤマト第1ビル (2001年時点)

⇒ポプラ
広島県広島市安佐北区安佐町大字久地665-1


セブン-イレブンに対抗する新コンビニチェーンとして、1982年7月創業*1。名前の由来は、チェーン発足時の人数が三人*2だったことから。

ボランタリーチェーン形式で、関東圏とくに東京都・茨城県古河市*3、神奈川県相模原市を中心に店舗を拡大し、90年代には推定60店舗、都心(原宿・竹下通りなど)にも展開をしていた。
だが同時期からコンビニ業界の競争が激化し始めたことが影響してか、以降その勢いは右肩下がりに。
少なくとも1996年には計43店舗にまでその数を減らし、同年10月6日、くらしハウスを展開する株式会社ジャイロにより買収*4され、閉店ラッシュが加速。

その後、ジャイロが2001年に株式会社ポプラに買収されてもなおラッシュは続き、結果、2006年には茨城県*5と埼玉県にそれぞれ一店舗を残すのみとなった。
そして翌2007年、埼玉県・騎西盛店が閉店し、二十数年の歴史に幕を閉じた。

店舗の数が(確認できる範囲の)MAXでも約60~70店舗しかなく、いうなれば「マイナーコンビニチェーン」であった。また全盛期が90年代であったことや、度重なる運営会社の吸収合併等により多くの資料や情報が散逸、あるいはインターネット上に存在しておらず、全体的に謎の多いコンビニとなっている。

簡易年表

ポプラ」「くらしハウス」も参照。

  • 1982年
    • 7月 株式会社ナンバースリー として創業。
  • 1985年
    • 1月 この時点での店舗数は22店舗。うち、東京13/神奈川5/茨城2/埼玉2店舗*6
    • 5月上半期ごろ 本部・加盟店の連携強化に向けオーナー会結成*7
  • 1986年頃
    • 不明 社名を「株式会社ナンバースリー・ジャパン」に変更。
  • 1980年代後期
    • 最盛期 60~70店舗*8を展開、原宿・竹下通りなどにも出店。
  • 1993年
    • この時点で電話帳に記載のある店舗数は42店舗。*9
  • 1995年
    • 10月6日 株式会社ナンバースリー・ジャパンを、株式会社ジャイロが買収。
      運営元が 株式会社ジャイロ になる。

      翌年4月発行の雑誌によれば、この時点での店舗数は43店舗で、うち33店舗が酒あり店。*10
  • 2000年
    • この時点で電話帳に記載のある店舗数は19店舗。*11
  • 2001年
    • 3月30日 株式会社ジャイロを、株式会社ポプラが買収。
      運営元が 株式会社ポプラ になる。

      ただし、消滅する2007年までナンバースリーがポプラグループとして扱われたことはなかった*12
  • 2004年
    • 5月31日 株式会社ジャイロが解散。
    • 8月31日 清算結了。*13
  • 2006年
    • この時点で電話帳に記載のある店舗数は2店舗。
  • 2007年
    • ナンバースリー最後の店舗であったナンバースリー騎西盛店が閉店。
      これに伴い、「ナンバースリー」ブランドが消滅。

外観的特徴

看板

三角屋根の店舗とファザードの店舗がある。
三角屋根
特徴: セブン-イレブンに似ている…というより、酷似している。(上:セブン、下:ナンバースリー)


(写真: セブン-イレブン 豊洲店, ナンバースリー 田園プラザ店)
ファザード
特徴: ただえさえ数の少ないナンバースリーの中でも、このファザードタイプは数店舗しか確認されていない。
色は白をベースに、上から青、緑、赤の三色。このうち、緑のみ真ん中に細く、一本の線のようになっているデザインである。やっぱりセブン意識してんなこれ。

(写真: 騎西盛店)

建物

多くはセブン-イレブンに似たレンガ造り。
ちなみにこのレンガ、よく見ると無駄に4つも模様に種類がある
なお、東京都の一部店舗はサンクスなどに似た灰色のタイルづくりとなっている。

(画像:氷川台の店舗)

看板ポール

シンプルで、どこにでもありふれていそうな形だが、(少なくともコンビニでは)ナンバースリー独自の形。
全体的に重心が一方に偏っており、また文では説明しづらいが、ポールと看板とをつなぐ金属部分がへこんでいる。
(参考: 下記画像の右側)

もしこの画像のようなつくりのポールが街にあったのなら、それはおそらくナンバースリーのポールであり、すなわちそのポール横の建物は、きっと元ナンバースリーである。

(画像: 板倉北店)

ナンバースリー豆知識

セブン-イレブンとの関係

先に断っておくが、ナンバースリーとセブン-イレブンの間に、一切の関係はない。
当然、パクリでもない。

  • 営業時間が同じく朝7時~夜11時まで だったり、
  • ロゴが「数字+真ん中に緑字で英単語」と類似 していたり、
  • カラーリングが白をベースに3色構成*14 であったり、
  • 建物がレンガ造り+赤色の屋根、屋根の看板は3つの四角からなるデザイン


…とデザインがセブンと全く一緒だったり、
果てには運営会社の名前が「セブン-イレブン・ジャパン」と「ナンバースリー・ジャパン*15とで酷似していたりするが、断じてパクリではない。全く無関係である。



…というネタはさておき、ナンバースリーはおもっきしセブン-イレブンにパクリレベルで寄せて来ている。
そしてそれは、「セブン-イレブンのロイヤリティの高さ等に嫌気がさした元オーナーたちが創設した」というナンバースリーのルーツに由来する、と推測されている。
なお2023年に50周年を迎えたセブンとは反対にナンバースリーは2023年で16周忌である

本部所在地

ナンバースリーの「本部」については、いくつかの雑誌から

  • 東京都世田谷区三軒茶屋2丁目48−7 光陽ビル 3F(?~1985 *16)
    • →世田谷区千歳台3丁目3-17 千歳台ビルディング (1987~93 *17)
      • ⇒世田谷区千歳台2丁目29-27 ホワイトビル (1993~95 *18)
      • + 渋谷区代々木3丁目24-3 第1梅村ビル (1993~ *19, 登記上の本店的な存在と推測されている)

と、点々とその場所を移していることが伺える。
またこのほかにも

  • 茨城県古河市雷電町11-20 (北関東オフィス*20)
  • 神奈川県相模原市中央区星が丘1丁目3−14 共立星が丘ビル (神奈川オフィス*21)

と、いくつかの支部があったことも判明している。

運営会社の変遷とブランド消滅

「ナンバースリー」というコンビニブランドは、創設時は「株式会社ナンバースリー・ジャパン」というあまりにもセブンを意識している社名の企業により運営されていた。しかし同社が1998年に「株式会社ジャイロ」に買収されて以降、「ナンバースリー」ブランドは現状維持はおろか急速に店舗を減らしていった。

しかも奇妙なのが、この際、ジャイロ社運営の「くらしハウス」ブランドに統一されたわけではなく、むしろ徐々に閉店していった、という点である。そしてその方針は、のちにジャイロ社を買収した「株式会社ポプラ」においても、引き継がれた。

ポプラはコンビニ運営企業としては珍しく、自らと合併したライバル会社のコンビニブランドを「ポプラグループ」として存続させる傾向がある(例: くらしハウス、スリーエイト)。
しかしナンバースリーはそうは行かず、ジャイロ社との合併6年後の2007年には全店閉店したうえ、遅くとも2021年までにはナンバースリーに関する一切の資料がポプラ社内から破棄されていたというレベル*22

今となっては真相は闇の中だが、くらしハウスとポプラにとって「ナンバースリー」はただのお荷物だったのかもしれない。

コンビニ界隈との関係

ナンバースリーは長らく全く情報がない謎のコンビニであったが、黎明期のコンビニ界隈の努力の結果かなりの情報が得られ、コンビニ界隈を象徴する存在となった。
コンビニ界隈のDMグループやこのWikiのアイコンにも使われている。
また、看板が残る真岡八条店は半ば聖地のようになっている。(なお、2022年5月3日に遂に解体が確認された。)


関連するコンビニマニア

  • ナンバースリーを追う - コンビニマニア𝓷などとしても活動。ナンバースリー研究の第一人者。
  • コンビニマニアB - ナンバースリーを追う7号として活動
  • コンビニマニアR - ナンバースリーを追う5号、ナンバースリー研究所などとして活動。
彼が追う氏から盗んだ学んだナンバースリーの知識が彼のPrivatterに、店舗一覧がGoogle My Mapsにまとめられている。

関連項目



関連リンク




+ タグ編集
  • タグ:
  • コンビニ
  • ナンバースリー
  • ナンバースリーを追う
  • 幻のコンビニ
  • ポプラグループ
  • くらしハウス
最終更新:2025年08月28日 08:41

*1 あるコンビニマニアへの情報提供によれば、1985年時点で、岩井店岩瀬店田上屋酒店安井酒店の少なくとも4店舗が存在していた

*2 出典はこちら。ちなみにいずれも元セブン加盟オーナーだった。

*3 ナンバースリーの古河市への熱の入れようは熱烈で、同市だけでも十数店舗を展開し、さらに北関東支部を同市・雷電町店に置いていた(出典: 当時の電話帳)程である

*4 出典: 食品商業「4月号 別冊 コンビニ 1996春夏」 - 商業界 31頁

*5 境ツカザキ店。当時の電話帳より。同年中に閉店したとみられる

*6 出典:矢野経済研究所「CVS・経営戦略の実態と将来展望: コンビニ エンス・ミニスーパー流通の研究」

*7 出典: 日経流通新聞 1985年5月9日分「ナンバースリー・ジャパン、本部・加盟店の連携強化へオーナー会結成。」

*8 1987年時点で56店舗。出典: 流通産業新聞社「コンビニエンスストア・VC 名鑑 1989年版」

*9 出典: ネットの電話帳 住所でポン!

*10 また本誌内のくらしハウスの紹介ページには、6月末(年不明)時点で「27店舗」[内訳: 東京:10/神奈川:4/千葉:1/群馬:2?/栃木?:7/茨城:3 店舗]とも記載されている。

*11 出典: ネットの電話帳 住所でポン!

*12 これは根拠のない完全な憶測にはなるが、その理由は、ジャイロ社がこの時点でナンバースリーブランドを“終了”させていたからで、残っていたナンバースリーは外観をそのままに個人商店として営業を続けていただけなのかもしれない

*13 出典: 官報 2004年6月28日 平成16年本紙第3880号 28頁「解散広告(第三回)」より

*14 しかもどちらも緑が中央、2/3が同じ色

*15 ナンバースリーは海外展開もなければ海外発祥ですらないのにこの名前である。

*16 1985年1月発行の書籍、矢野経済研究所「CVS・経営戦略の実態と将来展望 : コンビニエンス・ミニスーパー流通の研究」に、「(株) ナンバースリー」の本社として掲載あり。

*17 1987年3月発行の書籍、ダイヤモンド・フリードマン社「ダイヤモンド商店百科 1987」に「(株)ナンバ-スリ-ジヤパン」として、1993年版 ネットの電話帳 住所でポン!に「(株)ナンバ-スリ-ジャパン」と記載アリ。

*18 1993年12月発行・日本経済新聞社「流通会社年鑑 (1994年版)」、1995年発行・日本食糧新聞社「食料年鑑 第2部」という二つの書籍、および某コンビニマニアに寄せられた「このビルの2階が本社兼総本部」という証言から。

*19 1993年版 ネットの電話帳 住所でポン!に「(株)ナンバ-スリ-ジャパン」として記載アリ。一階にはナンバースリー 代々木店が入居していた。

*20 1988年10月発行の書籍、流通産業新聞社「コンビニエンスストア・VC名鑑 1989年版」、およびネットの電話帳 住所でポン!に記載アリ。1階にはナンバースリー雷電町店が入居している。

*21 ネットの電話帳 住所でポン!に「(株)ナンバ-スリ-、ジヤパン星が丘店」として記載アリ。一階にはナンバースリー星ヶ丘店が入居。

*22 ナンバースリーを追う(未作成)氏のポプラ社への問い合わせの結果、判明。資料が完全に散逸してしまったのか、あるいはポプラ側の資料捜索が簡易的なもので、それ故に見つからなかったのかは不明。