ウィキペ参照事件とは、2011年9月9日~2012年1年30日にかけ、
【一領具足】戦国時代の兵農分離【郷士】 スレッドで
起きた事件。
だがが史料をウィキペディアから引用している事が露見した。
スレが立った側から、信長アンチがコピペを貼った。
4 :人間七七四年:2010/02/28(日) 17:36:54 ID:PKi4YTnt
> 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
>
> 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
> これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
> 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
> 従って武篇道と戦果が問題となる。
>
> (中略)
>
> 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
> それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
> 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
> 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
>
> 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
> 戦っていかなければならない。
> 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
> なされていないからこそ生じた問題であろう。
> それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
> それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
> 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
>
> この問題の解決は秀吉の課題となる。」
9 :人間七七四年:2010/02/28(日) 21:20:29 ID:T3EeA+Ty
> 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
>
> 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
> これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
> 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
> 従って武篇道と戦果が問題となる。
>
> (中略)
>
> 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
> それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
> 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
> 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
>
> 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
> 戦っていかなければならない。
> 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
> なされていないからこそ生じた問題であろう。
> それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
> それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
> 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
>
> この問題の解決は秀吉の課題となる。」
10 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22:17:18 ID:dvtTqF9i
>>9
それで北条・武田の動員兵力は単独で織田以上出すことが出来るのかw
そんなきちきちに決めなければならないほど織田家は兵に困っていたわけではないw
11 :人間七七四年:2010/02/28(日) 22:33:10 ID:g1lD5vug
武田、北条が細かい兵役を定めたのは貧しい地域で少しでも多くの兵士を集めるための苦肉の策だったのかな
12 :人間七七四年:2010/03/01(月) 02:44:44 ID:CygL7hyG
努力して兵を集めても織田には及ばないということか?
16 :人間七七四年:2010/03/01(月) 12:16:53 ID:9mkGAgai
最近>>9のような北条・武田は石高に応じて兵役を決めたから革新的
織田はむしろ遅れていたと主張するのが流行ってるらしいね
実際は後進地域が少しでも周りの勢力に対抗するための必要に迫られた
制度だったんだろう
戦国時代の話題としてはポピュラーな兵農分離。
いまだに分からない事も多いようだが、それは本題ではないので置いておこう。
問題は>>4>>9のコピペ元である「織豊政権と江戸幕府(著・池上裕子)」。
読んでみればすぐ分かるが、この本は不当に信長を低く評価しており、信長アンチのバイブルとも言える本である。
話は>>51がこの本の感想を述べたところから始まる。
51 :人間七七四年:2011/09/09(金) 00:31:40.75 ID:Q4gMti3q
>>9
この本読んだけど、全然ダメだった。
52 :人間七七四年:2011/09/09(金) 03:43:47.50 ID:/yAKlicF
>>51
どうダメだった?
53 :人間七七四年:2011/09/11(日) 23:04:11.32 ID:cNLoH+v9
>>52
・もし信長が生きててもあれ以上の事はやらなかっただろうと勝手に断定し、「信長の限界(>>9)」などと言う
・理由も語らず安土宗論をインチキ呼ばわり
・相変わらず残酷で厳しい信長、優しい秀吉というイメージで物事を語る
・それでいて朝鮮出兵では「朝鮮侵略での秀吉の残虐行為」という項を設ける
・朝鮮の地名のルビが朝鮮語。慶尚道は「けいしょうどう」ではなく「キョンサンド」。どうでもいいが
・家康が各大名を弾圧しまくった件についてはほぼスルー
至極まっとうなレスを返す>>51=>>53。
だがこれに噛みつく奴がいた。
御存じ、アスペルガーだがである。
54 :人間七七四年:2011/09/13(火) 01:32:57.39 ID:fJ4YLXZt
>>53
そりゃお前の読み方が全然ダメだわwお前が予断で読み過ぎてるだけの話
冷静に返される。
55 :人間七七四年:2011/09/15(木) 18:48:08.88 ID:CIBVxVbA
書いてあった事しか書いてないのに予断もなにも
56 :人間七七四年:2011/09/16(金) 08:34:02.69 ID:atFUnX96
>>55
スクリプトだからほっとけ。
煽られて反論できなくなった
→ ○○ 必 死 だ な (w
予期せぬ自分の無知で煽られた
→ 釣れた
→ わーマジレス返ってきたよ
言い返せないけど 負けは認めたくない
→ ( ´,_ゝ`)プッ
→ 無知白痴は黙ってろ
→ 知能障害をおこす
→ 放置出来ないお前も厨なんだよ(w
相手の精神的に追い詰めてやる
→ ブラクラ、グロ画像のURL貼り
→ テンプレ(○○の特徴)、オタ系のAAで煽る
→ ○○Uzeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeee
最後の悪あがき
→ IP抜くぞゴルァ!
→ 知り合いのハッカーが(ry
→ スクリプトによる連カキ ←今ここ
→ 他のスレで相手のレスを貼って皮肉を吐く
完全敗北
→ F5連打
→ 田代砲
いつも通り、見苦しい自己弁護をするだが。
58 :人間七七四年:2011/11/27(日) 19:45:00.78 ID:AXEQWciE
>>55
実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし
その内部制度が粗雑で欠陥だらけだったのも事実
単なる事実述べられてるだけじゃね
>>56
そんな迷惑なことやるのは必死でニートな
織田厨くらいだろ
ちなみに、信長が石高に基いて軍役を課そうとしていたことは、次の史料によって証明されている。
昨日廿五為御上使到南都着候、仍当国知行方糺明之儀被付従其軍役等之事可申付之旨上意候、
此折紙参着次第早々可有参上候、知行方之様子存知之輩可被下□□□□可申渡候、恐惶謹言、
惟任日向守
九月廿六日 光秀(花押)
滝川左近
一益(花押)
白土殿
(「郡山町史」所収、仲覚三氏所蔵文書)
●前半の現代語訳
昨日25日に(信長の)上使として南都(大和国)に到着した。
当国の知行関係を明らかにし、それによって軍役を課したいとの上意である。
そのまんまの意味である。
多聞院日記などとの内容の一致から、この文書は天正8年の大和検地の時に出されたものと比定されている。
このあと軍役がどうなったのかは不明だが、少なくとも信長には軍役を課すという意志があったことは確認できる。
上記の「織豊政権と江戸幕府」は、『最新の研究を反映している』と謳っているらしいのだが、この史料のことは知らなかったらしい。
この史料ががいつ発見されたのかは分からないが、筆者の知る限り、1985年に出版された「織田政権の研究(1985年)」でも引用されている。
それはともかく、速攻で正体がバレるだが。
59 :人間七七四年:2011/12/17(土) 02:22:03.36 ID:fVeDDd9R
>>58
だがさんちーっすw
>実際に信長は生きててもあれ以上はできないとおもうし
何の根拠もなくお前が思ってるだけじゃあな。
>その内部制度が粗雑で欠陥だらけだった
お前の妄想。
60 :人間七七四年:2012/01/27(金) 22:04:59.44 ID:NZrL5Wd9
>>59
廃人ニート織田厨君ちーッスww
相変わらず廃人ニートで妄想しかかけない馬鹿丸出しでワロスww
結局自演かどうかの証拠だせなかった事例を大威張りでまとめられてもな
結局証拠みつけられなかったわけだw
根拠あるぞ
信長の生涯はそれこそ離反・虐殺・粛清のオンパレードだった
本能寺の後でそれこそ反乱おきまくりで
家臣も誰も織田家を守ろうとしなかったくらいに結束力ももろいもの
さらには統治体制も適当で
武田攻め程度の距離で兵糧におっかなびっくりになるくらいの適当体制
こんな体制で信長みたいな人間性じゃそれこそ拡大すればするほど崩壊する危険性は高まるだけ
ま、信長のやり方じゃ日本統一する前に寿命尽きて死亡するか、
もしくは本能寺に類する謀反おきて死亡して崩壊するか、
領国離反が相次いで収拾つかなくなって崩壊するか、
いずれかの道しか残されてないような感じだな
よくて一代限りの政権だよ
残念だったな、廃人ニート織田厨www
お前の馬鹿げた妄想と違って現実はこんなもんww
余裕の態度で対応されてしまう。
61 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00:06:15.53 ID:xJWJMxCI
>>60
>>9を百ぺん読んで出直してきな。だがさん
だがが真っ赤になって反論。
62 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00:11:36.72 ID:KgfZ+JpP
>>61
>>9を100回読んでも
信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず、領内整備もろくにしてない適当体制だった事が
明白にわかるだろ
お前こそ>>9に書かれてる文章の中身本当に理解できてるのか?
ひょっとしてコピペ長文が読めずに無条件で信長礼賛だと思い込める幸せ回路全開の馬鹿ですかww
あ、廃人ゴミニート織田厨だったねwwごめんごめんww
当然の反論をされる。
63 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00:24:18.92 ID:xJWJMxCI
>>62
> 折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
とあるが、その折檻状で信盛を「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」と書かれている。
よって君の言う「ろくに兵力指示すら出来ず」は間違い。
また信長は領内全てで道路工事をしている。
よって「領内整備もろくにしてない適当体制」というのも間違い。
「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」とは、折檻状の次の項を言っているのだろう。
一、先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事。
だがが史料をねじ曲げ、無理やりな反論をする。
64 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00:45:06.62 ID:n82zEiCO
>>63
そっちのほうこそ間違いw
折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。
それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。
つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって
「人を雇わなかったことじゃない」のねwww
文章みればわかるはずなのにワロスww
それから「領内すべてで道路工事」てどこの世界の話ですかww
むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww
ためしにやったというところあげてみなww
てかろくに裁判も出来ずに、「俺の指示受けろ」といいつつ指示出さなくて
困った挙句代官が現地に丸投げしてる適当体制がなんだっていうんだかww
65 :人間七七四年:2012/01/28(土) 00:59:42.93 ID:xJWJMxCI
>>64
信長政権とやらがろくに兵力指示すら出来ず>>62
↓
してる>>63
↓
折檻状で問題にしてるのはそこじゃない>>64
以上、話の論点ずらし乙。
>むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww
>ためしにやったというところあげてみなww
1575年の時点で尾張・美濃・近江・山城・摂津・河内・三河・遠江。
その後も領国全部で拡張されている。
66 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01:05:57.57 ID:n82zEiCO
>>65
論点ずらししてんのはお前だっつのww
信長政権が兵力指示ろくに出来ず>>62
↓
してる(と妄想)>>63
↓
佐久間折檻状では別に兵力指示を示してない。>>64
信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」
という事であって、信長が兵力指示してるわけではない事がこれでわかる
はっきりいえば信長の下では手柄さえ上げられるなら兵力に関しては特にお咎め無しだった事がわかる
以上、>>65の阿呆が盛大に自爆したことをさらしてあげました
ていうか、廃人ニート織田厨って本当に文章よめないのな
だから、どこでそれが示されてるんだよ
お前がいってるだけじゃん
資料だせ、資料
67 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01:19:10.52 ID:n82zEiCO
つーか>>65であげられてる三河とか遠江ってそもそも織田領土じゃねえしww
ニート織田厨厚顔無恥すぎてワロスww
だがが相手でも、きちんと折檻状の原文を提示してみせる>>68氏。
68 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01:23:31.76 ID:xJWJMxCI
>>66
「先々より自分に抱へ置き侯者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付げ、新季に侍をも抱へるにおいては、是れ程越度はあるまじく侯に~」
以前から召抱えていた者に加増し、同じように与力をつけ、新しく侍を召抱えておけば、これほど不覚を取ることはなかったのに~
よって>>64の、信長が問題にしてるのは人を雇わなかったことじゃない、というのは間違い。
つまり信長は「もっと人を雇っておけ」と言ってるわけ。
道路については信長公記8巻、1575年7月5日のフロイスの書状、およびフロイス日本史第2部40章を読みなさい。
だががまたも無理に反論しようとする。
69 :人間七七四年:2012/01/28(土) 01:28:43.12 ID:n82zEiCO
>>68
だからいってるだろ
「人を雇っておけば不覚とらなかったのに。」
つまり不覚とらなければ別に口出ししなかったし、関知もしなかったわけだ。
記述出してみ。
つか、織田領でもない三河遠江が入ってる時点で眉唾すぎだろww
さすがに不審に思ったのだろう、本当に折檻状を読んだのか尋ねる>>70氏。
それだけでなく、丁寧に解説までしてくれた。
70 :人間七七四年:2012/01/28(土) 12:09:26.92 ID:xJWJMxCI
>>69
その不覚をとらないために家臣を雇えって言ってるのに、無理矢理すぎる解釈だな。
本当に折檻状を読んでるのか?
小河かり屋跡職申し付け侯ところ、先々より人数これあるべしと、思ひ侯ところ、其の廉もなく、剰へ、先方の者どもをぼ、多分に追ひ出だし、
然りといへども、其の跡目を求め置き候へぱ、各同前の事侯に、一人も抱へず侯時は、蔵納とりこみ、金銀になし侯事、言語道断の題目の事、
→最低でも各同前(=以前と同じくらい)は雇え、ということ。
山崎に申し付け候に、信長詞をもかけ侯者ども、程なく追失せ侯儀、是れも最前の如く、小河かりやの取り扱ひ紛れたき事、
→信長が声をかけておいた者を召抱えずに追放してしまったことを非難。
大まはしに、つもり侯へぽ、第一、欲ふかく、気むさく、よき人をも抱へず、其の上、油断の様に取沙汰侯へば、畢竟する所は、父子とも武篇道たらはず候によつて、かくの如きの事、
→またも人を召抱えない事を非難。
与力を専とし、余人の取次にも構へ侯時は、是れを以て、軍役を勤め、自分の侍相抱へず、領中を徒になし、比興を構へ侯事、
→与力ばかり使っていること、および自分で家臣を召抱えない事をまたまた非難している。
これだけ繰り返し言われてるのに。
「信長の政治体制が適当だ」と言うくらい詳しいんなら、信長公記とフロイス日本史くらい持ってるだろ。
たった数ページの話だ、自分で読みな。
完全に論破されてしまっただが。
議論についてはこれで終わりなのだが、ちょっと待ってほしい。
>>64はいつもの捏造だったのか?
筆者は調査の結果、興味深い事実をつきとめた。
それは、>>64のだがの現代語訳は、ウィキペディアがソースだという事である。
現在のウィキペディアの佐久間信盛のページでは、先ほどの原文はこう訳されている。
(原文)
先々より自分に拘へ置き候者どもに加増も仕り、似相に与力をも相付け、新季に侍をも拘ふるにおいては、是れ程越度はあるまじく候に、しはきたくはへばかりを本とするによつて、今度、一天下の面目失い候儀、唐土・高麗・南蛮までも、其の隠れあるまじきの事
↓
(現ウィキペディア)
一、以前からの家臣に知行を加増してやったり、与力を付けたり、新規に家臣を召し抱えたりしていれば、これほど落ち度を取ることはなかったであろうに、けちくさく溜め込むことばかり考えるから今回、天下の面目を失ってしまったのだ。これは唐・高麗・南蛮の国でも有名なことだ。
しかしウィキペディアのバックアップデータを見てみると、こうなったのは2012年1月27日からである。
それ以前は次のように書かれていたのだ。
一、譜代の家臣に知行を加増してやったり与力を与えたり、新規に召し抱えたりしているなら未だいいがそれも無い。ただ自身の蓄えを肥やすのみであり、天下の面目を失ってしまった。これは唐・高麗・南蛮の国まで隠れもないことである。
これはだがのレスと見事に符号する。
>>64
折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。
それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。
つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって
「人を雇わなかったことじゃない」
>>66
信長が言ってるのは「手柄上げられないのに譜代家臣の俸禄あげたり、人を雇おうともしないってどういう事?」
という事であって
これらの事から、だがはウィキペディアを参照にして議論をしていた、ということが分かるのである。
さすが、武田信玄を崇拝しているのに、甲陽軍鑑の内容さえ把握していなかっただけのことはある。([[上洛スレ60事件]])
そして結局、だがは捨てゼリフを言って敗走。
71 :人間七七四年:2012/01/28(土) 19:44:19.94 ID:4Q6YuI00
>>70
読んでるからいってんだろ
もはや最後の追放にいたる折檻状で何いってんだって話だな
てか、折檻状見ればわかるが、10年前20年前の事柄だって
ゴロゴロ書いてあるのに、それをどんだけ放置していたんだって話になる
結局信長には家臣の兵数を自分で定める制度も権限も無かったんだよ
結局お前が揚げている文章で言われてるのは、「武辺道たらはず」といわれてるように
「お前の態度や仕事のやり方ってどうなのよ?」的な武辺道という道徳的観念からの追求に過ぎない
武田や北条が部下に書状を発給してその兵力や装備にまで口出しして軍隊編成を行っていたのとはまるで別物
結局のところ、信長は長い間その佐久間の所業を気に入らないとおもっていたにせよ放置せざるを得ず、
しかも、人を雇う・雇わないの選択及びその編成や構成は佐久間本人によらざるを得ないことが
折檻状からの内容からして明白
結局信長は後に武田攻めの時にも「兵糧心配なので兵力調整してきてくだちゃい」といってることや
軍役に関する書状が「なるべくたくさんつれてきてね」的なニュアンスでしかない事からも
家臣に対する軍役を定める制度も権限ももっちゃいなかったんだよ
寝言ほざいてんじゃねーぞ
自分で言い出したんだからさっさと出せよ
またいつもの書名だけ出してのあるある詐欺か?
ま、いつもの低脳織田厨ニートらしい馬鹿っぷりだな
もはや誰にも相手にされませんでしたとさ。
72 :人間七七四年:2012/01/30(月) 00:26:34.17 ID:WHu97vLW
だがさん最近元気だね
最終更新:2014年01月22日 08:46