【校長室】その1「ダイサンのカイダン:繧?繧峨&縺阪°縺後∩」
「大したことじゃないよ。道教ほどでないにしろ、教会は台湾でも顔が利く。おじさんはただ、表の記録を、少しばかり丁寧に確認しただけさ」
「ともあれ、お嬢さん、キミの予想通りだ」
「――星名紅子の方は、死んでいる。十七年前、台湾の病院で、だ」
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縺カ繧薙縺カ繧薙繝上Ο繝シ、今日も姫代学園第一放送室からお送りしてます。
エアチェックも、チューニングも、チャンネル登録も必要なし!
耳をふさいでもお構いなし。霊感の強いあなたの脳に直送便、今日も私がお送りします。
ええと、この前は何の話をしましたっけ。
怪談、そう、怪談でした。
タイトルは――まあいいや、もう、終わってしまった物語だし。
姫代学園に限らず、怪談、都市伝説には、幽霊がつきものよね?
幽霊っていうと、白い服に、肌は青白くて頭には白い三角布……そんな姿を想像するのかしら。
けれど、私の友達の
〇×△■なんだけど――
あー、またいつもの? 〇×紅■。〇名△■星×△■〇×△子――よく聞こえない?
いいわ、何度でも繰り返してあげる。だからあなたも、ちゃんと口にしてあげて?
前も言ったかもしれないけれど、その、〇×△■ちゃんの生まれた、台湾ではね、人の死んだ魂を、『鬼』って言うの。
幽霊と『鬼』は似ているけれど、いろいろと違いがあってね。
たとえば、恰好。
幽霊は白装束だけど、台湾の『鬼』は、色んな服を着ているの。
普段着だったり、昔風の服だったり。
けれど、恨みを持った危険な『鬼』――『厲鬼』は、赤い服を着ているわ。
それに、瞳が特徴ね。『鬼』は真っ赤な瞳をしているの。
あと――『鬼』はね、人と、成り代わる。
幽霊は人を、死語の世界に引きずりこむでしょう?
けれど、『鬼』は、人を殺すと、自分が生の世界に戻れる。
ふふふ、安心して?
普通、『鬼』は、陰府に囚われているから。
よほどの禁忌を犯さなければ、人に危害は及ぼさないの。
たとえば――鬼月――7月の夜に、八字の軽い子が出歩くとか。
たとえば――鏡仙の最中に、儀式を終わらせず中座するとか。
たとえば――夜や人気のない場所で、フルネームを連呼するとか。
そんなことをしなければ、大丈夫。
けれど、そうね。
もし、あなたの近くに――赤い服を着た、赤い瞳の女の子がいたら。
それはもしかして、成り代わられた、『鬼』なのかもしれないわね。
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――視覚/死拡起動『藍眼睛的女孩』
――魔人能力『怪弾:■■■■■■』
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――第一階層『青』
線香の匂い。
不可思議な笛の調べ。
内臓を揺らす太鼓の音。
スパイスの薫り。
色鮮やかな行燈に、漢字で彩られた垂れ幕。
それらが全て『青』みがかり、私の知る世界とは別のものだと主張する。
私たちは、姫代学園の校長室にいたはずなのに。
まるで、どこか別の文化圏のお祭りだ。
「すごいな、ろん! 閉鎖空間を幽世に寄せる能力だと聞いていたが――これは、心象風景による世界の侵食、塗り替えじゃないか。現実の距離感は通用しないぞ?」
その言葉に、私は繋いでいたおミツさんの手の体温を自覚する。
現実感のないこの空間にあって、その暖かさが、私の存在証明だった。
――第二階層『藍』
「台湾は、日本より、人と霊的なものの距離が近い。日本では幽霊が見える人間のことを「霊感がある」と言うだろ。基盤は人の世の側にあり、付加的に「霊を感じられる」という考え方だ」
おミツさんの言葉ではっきりと自分を取り戻した途端、私の視界の中に、急に多くの人影が飛び込んできた。
「対して、台湾では、霊――『鬼』が見える人間のことを、『有陰陽眼』という。陰府と、陽世とを視る眼――両者が同等、どちらもが基盤なんだ」
――第三階層『紺』
制服の少女。
スーツの男性。
漢服の老人。
貫頭衣の子ども。
老若男女、様々に祭りを歩く群衆は皆――赤い目をしている。
「目を合わせるな。見た目は人と変わらないが、アレらは『鬼』だ。『星名紅子』と会うまで、穏当に生きたい」
――第四階層『蒼』
笛の音がひずんでいく。
陽気な旋律のまま、無意識に不安を煽るねじ曲がり方で響く。
「この空間は彼女の認識によって、道教の陰府に準じた構造になっている。即ち、全十八層、下層ほど罪深い『鬼』が封じられた多層獄界だ。彼女の異能は、時間経過で深度を下げていく」
私とおミツさんが、星名紅子さんを追って深夜の校長室に忍び込んだのは、「味方が欲しい」という、おミツさんの提案によるものだった。
姫代学園では、ここ数週間で、かつてないほどに怪異が跋扈し、生徒の被害が相次いでいる。
私が関係したものだけではない。現在進行形で被害が増えているものもあるのだという。
おミツさんはその解体のため、台湾の道士の名家、藍家の末裔でもある生徒、『星名紅子』さんの協力を仰ごうとしたのだ。
――第五階層『藤』
何日かおミツさんは、『星名紅子』さんについて調べたらしい。
その結果、彼女が下した結論は、「おおむね信頼できる。ただしいくつか疑問あり」というものだった。
――第六階層『碧』
しばらく歩いていたところで、皮膚に触れる空気の感触が、変わった。
「視線を下に。いいと言うまで、息を殺して」
おミツさんの口調が固くなる。
次の瞬間、私たち二人を、大きな影が覆った。
鼓動が早くなる。
何か、巨大なものに、のぞきこまれている。
首筋に、湿気混じりの呼気が吹き付けられる。
唐突に足元から、いくつもの料理が溢れだす。
麺、青菜の煮物、香ばしく焼かれた肉、蜜で照る焼き菓子……
理解できない。意図がわからない。
息が苦しい。
限界だ。意識が濁る。
耐えかねて息を吸おうとした瞬間、私の口元を暖かい手が塞いだ。
後ろから私を抱きしめる体温。
背中に伝わる鼓動は、私に負けないほど暴れている。
ああ、おミツさんも、怖いのだ。
いつも自信満々で怪異を解体しているから、忘れていたけれど。
彼女も、姫代の学生、年若い女の子なのだから。
「大丈夫」
口を覆っていた手が外される。
大きく息を吸う。肺を新鮮な空気が満たす。
私たちの足元を覆っていた料理は全て、虫の死骸や枯れ枝、雑草に変わっていた。
――第七階層『緑』
「『魔神仔』だ。ここからは、直接的な攻撃を仕掛けてくる妖怪が跋扈し始める深度らしい」
わけがわからない。
校長室をこんな空間にして、『星名紅子』さんは、一体、何がしたいのだろう。
「向こう、見えるかい?」
おミツさんが指さした先には、薄靄の先に白い建物――城壁があった。
その四隅には赤い三角旗が翻り、壁面にはここからでもわかるほど巨大な門扉がある。
「あれは、『枉死城』。陰府で、罪業深い『鬼』を幽閉する、城塞にして牢獄。おそらくはそこに、『星名紅子』がいる」
――第八階層『翠』
赤い封筒が無造作に散らばる道を小走りで駆け抜けながら、おミツさんは説明を続ける。
「台湾の道士の儀式に『打城科儀』というものがある。土地等に縛られた『鬼』の現世への悪縁を断つために、『鬼』を縛り付ける概念を城壁に見立て、作り物の『枉死城』を破壊して解放する術。彼女がしているのは、それさ」
――第九階層『苔』
どれだけ走っただろう。
私たちは、ようやく『城壁』の前へと辿り着いた。
世界は、手入れを怠った水槽のような色に淀んでいた。
城壁の前では、一人の女の子が、鈴を鳴らして舞っている。
真っ赤な制服。真っ赤なパンプス。
苔むした色彩で、そこだけが、血のように鮮烈で、不吉。
「東営・西営・南営・北営・中営、五営神将及び天界の諸神に請い奉る」
赤の少女を囲み、五つの紙人形がくるくると回る。
その足元では、赤い蝋燭が、ゆらゆらと炎を宿す。
ただ見ているだけなのに、くらくらと意識が眩む。
「拝懺に加護を。行路に守護を。我は東嶽大帝に謁見を求むものなり」
本能的に理解できてしまう。
この空間の主は、彼女だ。
私たちはこの世界における異物。
息を吸うことすら彼女の許しを得なければならない。
だが、そんな喉を締め付けるような空気を――おミツさんは読んだりしない。
「その『枉死城』に封じられているのは、野々寺沙彩、鮫氷しゃちと一緒に『鏡仙』で現世に降ろした『鬼』だね? 鮫氷しゃちが中座したことで正式な送還ができず、現世――『鏡仙』が行われたこの校長室に縛られた『鬼』を解放するのが、キミの目的だ」
赤の少女の舞が止まる。
彼女は音もなく振り返ると、青の瞳でおミツさんを一瞥した。
「山口、ミツヤさん。あなたは――死にたいのですか?」
「逆さ。そのために、キミたちを解き明かす必要があると判断した」
黝い髪で隠された、彼女の左目から、突き刺さるような敵意が押し寄せてくる。
「何を、知っているのですか」
「おおむねの事情を、さ。『藍愛』さん。……いや、『星名愛』さんと、言うべきかな」
おミツさんが口にしたのは、『星名紅子』さんとは違う、私の知らない名前だった。
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――第十階層『黄』
はい、それじゃあここからは私が語りを引き継ぐわね。
山口さんに指摘されて、星名ちゃんは、黙ってしまったの。
ごまかせばよかったのに、彼女には、少女特有の潔癖な不器用さがあったのね。
あ、今は一度でちゃんと言えたみたい。
やっぱり、私があの子を△■って名前で呼ぼうとする無理がノイズになっていたのでしょうね。
――第十一階層『金』
「違和感はいくつもあった。手袋と髪で隠している異形の半身。道士が祓うべき『厲鬼』の象徴である赤装束。道士でありながら、キミは『鬼』に近い面を持ち合わせている」
愛ちゃんの反応で確信をしたのか、山口さんは、朗々と自説を展開したわ。
まるで犯人を追い詰める探偵のよう。
「そして、『鏡の国のアヤちゃん』事件。第一放送室で起きたことについて、音声だけは記録されていた。あの日、キミは言ったね。『わたしの名前は藍愛です』、『RA/АЯはわたしのイニシャルです』と」
――第十二階層『橙』
愛ちゃんが選んだのは、おとなしく探偵の話を聞く犯人役を演じることじゃなかったの。
彼女が腕を振るうと、赤の蝋燭が血のように溶けだして、山口さんの足を固めてしまった。これで、儀式は邪魔できないってことね。
「あの日、キミがしたのは、名前の音から縁を作り出して干渉する類感術式だ。この術式が成立したということは、『藍愛』こそが、キミの本名だという証左だ」
こうして、愛ちゃんは儀式を進めて、山口さんは自説を展開し続けた。
その黙殺こそが、山口さんの論を肯定する、愛ちゃんの答えだったの。
あの子は嘘が昔から、とても下手だったから。
「キミの出自は、日台ハーフだ。その場合、どちらの国でも通用するような名前をつけて、姓を使い分ける方が一般的だ。それで思った。キミは『藍愛』であり、『星名愛』であって、『星名紅子』ではないのではないかと」
――第十三階層『茜』
「ちょっとした伝手を使って、台湾の病院での出産記録を洗ってもらったよ。
特殊事例だったそうでね。覚えている関係者も多かったそうさ。
十七年前、藍家の御令嬢の初産は、双子だったそうだ。
だが、姉の方は、人の形をとどめない、真っ赤な肉塊めいた状態で、夜明けすら迎えずに死亡。
妹も未熟児で命が危ぶまれていたが、姉の死後、奇跡的な回復を遂げた」
山口さんってば、よく調べたものね。
一介の学生さんが洗うには大変な情報だと思うけれど。
こっちの世界に通じた誰かに恩を売ったのかしら。
――第十四階層『丹』
「藍家では、姉に「紅子」と名をつけて弔い。妹には、「愛」と名をつけて、道術の継承者として育て上げた」
愛ちゃんはというと、静かにポアポエをしていたわ。
ポアポエっていうのは、半月型の石を投げて、落ちた形で神さまの意志を占うこと。
これで、シンポエという形が3度出ないと、打城の許可が降りたとはみなされないの。
「台湾では、赤い服を着て死んだ霊は『厲鬼』となり、現世に強い呪いを生み出すと伝えられるね。血の塊をまとって死に、死後さらに『紅子』と名を付けられた魂が、そういうものになるのも、当然だ」
けれど、ここは、愛ちゃんの世界。
当然に三度でシンポエが出て、愛ちゃんは、『枉死城』の城門に手を当てた。
「藍愛さん。キミは――生まれながらにして双子の姉、『星名紅子』の『厲鬼』を宿した、半人半鬼だ」
自らの出自の、望まれもせず親から押し付けられた原罪を暴かれても。
それでも、愛ちゃんは――儀式をやめなかったの。だって彼女は、実の姉の名前で、自分を上書きしようとするほどに、お姉ちゃんのことが大好きだったから。
「鮫氷しゃちの策で、『厲鬼』の力の大半はキミから切り離され、鏡の欠片に封じられた『
鏡の国のアヤちゃん』事件で『红眼睛的女孩』が正しく発動しなかったから、異常に気づいたんだろう?
焦っただろうね。その後の対応は、プロのキミにしてはずいぶんとアドリブ頼りだった。本来はもっと速やかに、『厲鬼』の力で圧倒できたはずなのに。思惑が外れた
ともあれ、だからキミは――ここに力を取り戻しに来た」
だから、鏡に閉じ込められた、私を解放しようとしたの。
誰もそんなことは頼んでいないのにね。
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――第十五階層『朱』
さあ、ここで少し復習をしようかしら。
覚えている? 私が、〇×△■ちゃんの物語を語り始めたときに口にしたこと。
『人の運勢が生まれた時間によって定められるってのは、わかりやすい考えかもね。』
「一人の名前だけでも大変なのに、まさか悩みが倍になるとはなあ」
「いいじゃない? 姉は日本式、妹は台湾式で」
『生年月日はともかく生まれたときの時間帯まで調べるのは難しいし、狙って産んだり産ませたりすることは難しいと思う。とは言え人の世に過ぎた命運の持ち主を世に解き放ちたいと思うのも、親心なのかな。』
「姉は、『紅子』」
「妹は、『愛』」
『2$%&年⇔+月?≠日$N時=%分、これがなんのことかは繰り返さないよ?
はーい、だからね、くれぐれもいうけれど。彼女の母親の真似をしないでね。』
「けれど、大丈夫かい? 無理に薬でお産の時間をずらすなんて」
「大丈夫。この時に二人は生まれないといけないの。これは藍家の誓願だから」
『話は変わるけどさ、あんな時間――年月日と時間帯に産まれたからなのかな、〇ちゃんは未熟児だった。
それも人の形をなしているかといったレベルでね、いくら現代医学が優れているからって限界はある。
お医者様がさじを投げたくなった。投げた。』
――どうして。私はただ、生まれたかった、だけなのに。
――間違った時に生まれた妹は、ちゃんと、産声を上げて。
――正しい時間にうまれた私は、声も出せずに、冷たくなっていくのかしら。
『それから十七年後、大きくなって、もちろん人の形も成した〇ちゃんがいた。』
――私から、命も、力も、名前すらも奪った、妹がいた。
『生まれたと同時に「鬼」と併せられたの。
遭わせて逢わせて併せて合わせたの、そしてああなった。
だから片手は骨だし、もうひとつの目はふた目と見れない形になっているはずよ。』
『なんでアイツだけが生きてるんでしょうね?』
『なんで私を忘れて自分が死んでいないって思いこめるんでしょうね?』
『つまりはそういうこと、〇×△■、え、聞こえない?』
『星名紅子さん、聞こえた?
はい、ほ・し・な・べ・に・こ、どうやら中途半端に私の言葉にノイズがかかるのは……』
――私はアイツが、〇×△■なんかじゃないことを知っているから。
――〇×△■(わたし)が、もう死んでいることを、知っているから。
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――第十六階層『紅』
愛ちゃんは『枉死城』の城門を開いた。開いてしまった。
私を閉じ込めていた、鏡仙の縛りを、解き放ってしまった。
愛ちゃんは、どう思っていたかは知らないけれど。
私は、『厲鬼』。
愛ちゃんの体に併せられ、今は、鏡の中から世界を俯瞰しているけれど。
だけど、死んでる。死にたいと願ってる。
そんな私は死にたいと願うすべての人々の味方です。
だから、最後に聞きますね。
ねぇ、愛ちゃん。
なんで生きてるの? 理由あるの? そんなの理由あるの?
ないなら、なんで死んでないの? 私のとこにきたのにさ。
わかっていたんでしょう?
私を解放すれば、殺されるって。
罪悪感があったんでしょう?
自分だけが生き延びたって。
けれど、自分の中に私がいたときには、「大切なお姉ちゃんが守ってくれてる」とか勝手に解釈して、『厲鬼』の力を振るっていた。
それがどんなにおぞましい代償を伴うのか、知りもしないで。目を逸らし続けて。
なんて甘い。名前を口にしたら甘ったるくて舌が焼けそうなほど。
――第十七階層『緋』
生きたいなら。
私が、切り離された状態で、祓ってしまえばよかったのに。
愛ちゃんは甘いから。
愛ちゃんは優しいから。
愛ちゃんはお姉ちゃんが大好きだから。
だから、私に殺される。私に成り代わられる。
よかったね、愛ちゃん。赤い服を着て、『星名紅子』を名乗って。
愛ちゃんは、お姉ちゃんになりたかったんだもんね。
なら――本当に、お姉ちゃんが、代わってあげるね。
ほら、甘噛みしただけで、皮膚が剥げて血が溶けて、骨だけの『鬼』の姿になっていく。
左手だけじゃない。左目だけじゃない。全身が、私みたいになって、おそろいで、それで、愛ちゃんの血も肉も皮膚も目も、私のものになって成り代わって
「――ろん、すまない。頼む」
ぞぶり。
――第十八階層『赤』
そうしてかみちぎられるまで、私は、「それ」に気付かなかったの。
この世界は愛ちゃんの私室。
つまり、私にとっても、把握できないことなどないはずなのに。
まるで――ザシキワラシの怪異のよう。
そこにいるのに、当然のように気付かない。
ああ、そういえば、この部屋に入った瞬間、この空間が幽世に塗り替わった瞬間。
山口さんが一発、モデルガンを床に撃っていたけれど。
これは、「そういう能力」だったのでしょうね。
ぐちゅり。
けれど、私を喰らい尽くすには力不足。
だって、あなた、震えているじゃない。
自分の中の衝動に身を委ねきっていない。
まるで、どこかの半人半鬼の女の子みたい。
自分の中にある強すぎる力に蝕まれながら、おっかなびっくり振るっているのだから。
「性質は、呪詛と死界。動機は慟哭。産声さら許されず赤き服にて――」
食い千切られた足で床に転がる私。
その前に立とうとする山口さん。
けれど、彼女の能力行使――怪異の解体を、愛ちゃんが制したの。
「山口さんは、生きたいのね?」
「ああ」
「……そう」
ああ、やっぱり。
愛ちゃんは、生きてる。生きたいと願ってる。
そんな彼女は生きたいと願うすべての人々の味方です。
そんな、生きたい人の味方である愛ちゃんは、私の首に手をかけたの。
いつの日か、鏡像で久遠寺綾乃さんが、愛ちゃんにしたように。
「ごめんね。さようなら」
ばか。
遅いっていうの。
愛ちゃんは、いつも、飴みたいに甘いんだから。
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『厲鬼』を祓った後、愛さんは、姫代学園を休学することになった。
パワーソースである『厲鬼』を失った彼女が、今の姫代にいるのは危険だという話になったのだ。
彼女のことは、『
ツェルベルスの喰魔』事件でお世話になったルネさんが保護してくれるのだという。
しきりに頭を下げて、彼女は見送りの礼を繰り返した。
夕焼けの中、愛さんの姿は小さくなって、校門から外界へと吐き出されていく。
大丈夫だろうか。
なくしてしまった力のことだけじゃない。
実の姉に殺されそうになったのだ。
愛さんは、『星名紅子』を、ただの力の源と割り切ってはいなかった気がする。
きっと、ひどくつらいはずだ。
私の呟きに、おミツさんは顔を上げた。
「これは、ボクの仮説でしかないが」
紫色に染まる空を見上げる。
「『星名紅子』には、『藍愛』を殺す気など、なかったんじゃないかな」
おミツさんの顔をまじまじと見てしまう。
きっと私は、ひどく間の抜けた顔をしていただろう。
考えもしない言葉だった。
陰府の最深部で『厲鬼』――『星名紅子』は、確かに私たちと愛さんとを襲った。
あのときの殺意は、間違いなく、本物だったはずだ。
「双子の縁で繋いだ術式とはいえ、『厲鬼』の力を人がノーリスクで使えるはずがない。力を使うほどに、『藍愛』の肉体は、『星名紅子』という『厲鬼』のものに成り代わっていった。左目と左手の異形は、そういうことだろう」
恐怖の力を、代償なしに使うことはできない。
その言葉は、どこか他人事ではないような気がした。
「このままでは、遠からず『藍愛』という人間は、『星名紅子』という『厲鬼』に置き換わる。『星名紅子』は、それに気付いていた。
鮫氷しゃちは、鏡仙の中断で『厲鬼』を、愛さんの肉体という封印から解放して、新たな怪異にしたかったのだろうけれど。『星名紅子』はむしろそれを利用した。
『厲鬼』として襲いかかり、――敢えて、自分から、祓われる道を選んだ。
妹を蝕み、いつか殺す呪いとともに、消え去るためにね」
それは少し、いいように解釈しすぎじゃないだろうか?
それとも、私の気を紛らわすためにこんな話をしてるのか。
「納得できない?」
おミツさんは小さく笑う。
「『星名紅子』のメッセージであろう、第一放送室の怪談放送はろんも聞いていたかな?
彼女はそこで、しきりに『星名紅子(〇×△■)』の名を連呼していた。
台湾では、本名の連呼は、悪しき『鬼』を惹きつける禁忌だ。
憎い相手を呪うならうってつけの手段ってわけさ。
でも、それならどうして呼んだのが『星名紅子』だったんだろうね。
もし本当に妹を殺したいのなら『藍愛』ーーせめて『星名愛』じゃないと、まるで意味がないのにね?」
それは。
だとしたら、彼女があの放送で呪いを仕向けようとした矛先は――
胸が苦しくなって、思わず下を向いた。
仮にそうだとすれば、あまりに悲しすぎる。
そのことを、愛さんに伝えないのは、気の毒ではないか。
「言ったろ? これはあくまで仮説に過ぎない。もはや立証のしようはないがね。事実は一つ。『厲鬼』星名紅子は、大陸の術士である藍愛に襲い掛かり、返り討ちにあった。結果、藍愛は、魔人能力『红眼睛的女孩』の権能と、己の身を蝕む『厲鬼』の呪いとを失い、代わりに、新しい力を手に入れた。それだけさ」
「性質は、越境と視認。動機は憐憫。此岸の青から、彼岸の紅を宿し、新たな形となった彼女の能力に名を付けるなら――」
姉への引け目。死から逃れた罪悪感。
だからこそ決して交わらなかった、青の瞳の能力と、赤の瞳の能力。
「――紫眼睛的女孩」
それが、今、ようやく一つとなった。
紫とは、きっと、そういうことなのだろう。
けれど、なんで鏡なのだろう?
「そりゃあ、ろん。もっともこの世でありふれた鏡は何だと思う? ガラスの鏡、それとも水? ボクは違うと思う。それは、生物の瞳さ。目は心の鏡ともいうだろう?」
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校門から外へ、一歩踏み出したとき。
一陣の秋風が、赤い服の少女の、柳のような前髪を吹き上げた。
隠されていた左の瞳があらわになる。
それは、右の瞳と同じ、透き通るような紫の虹彩。
藍愛という少女が、半人半鬼の『傀』ではなく、〇△×■でもない、双子の姉を正しく失い、ただ一人の人間となったことの、何よりの証。
「――紅子――姐姐」
少女は手袋を外し、温もりを取り戻した左手を胸に、静かに泣いた。
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――と、いうわけで私の話は以上よ。
一見込み入った、私と、〇×△■ちゃんの道程。
それは、ただ、生まれたときにすませるはずだったさようならを、十七年遅れでやり直した、そんな、のんびりぼんやりとした、双子の姉妹の別離の物語だったってわけ。
さて、よく、「待て」ができました。
けれど、もう少しだけ語らせて。
ぴちゃり。
これはきっと、あなたにも大事なことだから。
忘れないで。
色は地獄の深さを意味するの。
ぴちゃり。
青は人の側。比較的安全信号。
えーんえん。
黄は境界の彩。発狂信号。
えーんえん。
そして赤は――
くちゃり。
ぞぷり。
あかは きけんしんごう。
ふふ あはははは ひひひ へへへへへ ほほほほ
――赤は 危険信号。
最終更新:2022年10月30日 21:41