●愚者
復讐。恨み、憎しみを原動力とし、誰かの命を奪う、あるいはその人生を破壊する為の行為。
そういった感情は、気合、やる気、情熱といった感情に並び立つ程の力を持ち、時に実力を超える相手を御する事さえある。
だが、自分には関係が無い。茜はこの日も、その事を実感していた。
「フン……」
黒埼・茜は夜の公園、その片隅に転がっていたベンチに腰掛けていた。
近くにあった自動販売機で買ったコーラを啜りながら、空を見上げる。
今夜は綺麗な月が出ている。だが、だからといって良い夜とは限らない。茜は視線を下げる。
「…………」
そこには血だまりと、2つの死体が転がっていた。
両手首、両足首、そして首を切り落とされた死体。これは『マリ』という名の妻を愛する事が趣味『だった』真面目で有能な会社員、ナオキのもの。
もう1つは兵器が搭載された全身に無数の風穴が空き丸焦げになった小さな死体。自らが放った銃弾、爆撃の嵐を自らの身で受け顔も性別も分からなくなったこの死体は、人工強化魔人『キィ』のものだった。
つい先日の戦いで死んだ、あるいは茜が殺した連中の、『大切なヤツラ』だった。
「馬鹿な事をしたもんだ……ああ、アンタらの事じゃないよ。アンタ達を残して死んでいった、アイツらの事さ」
死体は返事を返さない。
「けど、アンタラも馬鹿さ……アタシを殺したところで誰かが幸せになるわけでもないだろうに……いや、そうじゃないか? 全く人間の感情ってのは、何十年経っても理解できないねぇ……」
自分の感情も理解しきれてはいないのだ。他人の感情など尚更か。茜がそう結論付けた時。
ジリリリリ……ジリリリリ……。
聞き慣れた、ではない。聞き覚えのない電話の着信音が、公園内のどこかから響いてきた。
茜が音の方向に目を向けると、昨今あまり見なくなってきた公衆電話が遠くに見えた。どうやら音はアレから聞こえてくる様だ。
「少し位ゆっくりさせてもらえないもんかね」
茜は転がる死体を踏み越えないようにしながらカツカツと公衆電話に近づき、受話器に取った。
「もしもし」
「あ、もしもし? 誰だと思いますぅ?」
「さっさと用件を言いな、情報屋。仕事ならもう済ませたよ」
「あ、やっぱそうでしたか! そろそろじゃないかなぁと思ってたんですよねぇ。失敗したら恥ずいけど一度やって見たかったんですよねぇ、公衆電話に電話かける奴。推理小説とかで良く……まあいいや。それにしても珍しいこともあるもんですねぇ! 紅時雨・愛華さんに続いて、『標的は依頼人』ってパターンの依頼がまた来るなんて!!」
相変わらず情報屋は話が長い。茜は心の中でため息を吐きつつも、淡々と応える。
「あぁそうだね。嬉しくないけどね。まったくどうやってアタシがあの殺し合いに関わってた事を突き止めたんだか」
「そこで死んでる会社員には色々なコネがあったらしくて。妻も俺に連絡取れる位ですからねぇ。まぁそのコネをなんか色々やってやっぱり俺のトコまで行きついたらしいですよ。子供の事はよく分かりませんが……同じ相手に復讐を誓うもの同士、惹かれあうものがあったのかもしれませんねぇ、まるで……」
「まるでタロットの様に、とでも言うつもりかい?」
「おっと、先に言われちゃいましたか。いやぁ姉御は相変わらず……」
「で?」
「ん?」
「用件だよ。仕事の報告が欲しいわけじゃないだろう?」
「……あぁ、そうそう! 聞いてくださいよ姉御、俺もようやく情報屋的な大活躍が出来ましたよ!」
「続けな」
どうにも浮かれた様子の情報屋に続きを促す茜。
「見つけたんですよ、タロットの所持者を!! ほら、最近結構色々アチコチで派手な事件が頻発してるでしょ? まぁ姉御ん所で起きた山出現事件も中々ですが……スカイツリーもまぁまぁ派手な事が起こってたでしょう? 火事起きてたし。もしかしたらタロット関連なんじゃないかと思って調べてたんですよ。本当は姫代学園を調べようと思ったんですが、現場画像がグロすぎて止めたのはここだけの内緒ですよっ!!」
「うるせぇ早く続けろ」
「スカイツリーとその近辺の監視カメラからの映像をくまなくチェックしてたんですけどね。多分あそこでドンパチやらかして、なおかつ生き残った奴を見つけたんですよ!」
「名前は?」
情報屋は微かな間を置き、その名を告げた。
「我道蘭」
その名を聞いた時、茜は確信した。胸の中がザワツク様なこの奇妙な感覚にもずいぶん慣れたものだ。
「そいつの情報を全部教えな」
「えぇ? 姉御知らないんですかぁ? 我道蘭って言やぁ、裏社会でブイブイ言わせてるイカレトンチキで、熊みたいな図体のスーパーサイコバトルジャンキーですよ!!」
「格ゲーに出てきそうな野郎だね」
「野郎じゃなくて女ですよ! ……で、ですね。もしかしたらコイツタロット持ってんじゃねぇの? って思った俺は、すごい頑張って連絡先を入手して直接聞いたんですよ。アンタタロット持ってない? って。したら持ってるって言うもんですから、そこからはとんとん拍子ですよ」
「はぁ、そうかい」
「えぇ。とあるクソツヨイカレババアもタロットを持ってて、ぜひアンタと闘いたいと言ってるって言ったんですよ」
「勝手に……まあいいか。それで?」
「二時間後に、その近くに最近出来たばかりのデカいスーパーマーケットの駐車場で待ち合わせる事になってます」
茜は腕時計を確認する。現在時刻は午前0時11分。
「上出来だ。あとは、アンタが知ってるその女の情報を全部教えな」
「えぇ、もちろん。まずは奴の能力ですが――」
かくかくしかじかと情報屋から一通りの説明を受けると、
「了解。中々めんどくさそうな奴だねぇ……ま、それじゃ行ってくるよ」
「えぇ。お気をつけて」
そんなやり取りを交わし、茜はガチャンと受話器を置いた。
「…………」
会話を終えると、冷え切った公園の空気を改めて感じた。そしてほのかに漂う血の臭いも。茜は再び、地面に転がる2つの死体を見た。
「今更人を殺すことに罪悪感も後悔もありはしないが――」
茜はクルリと身を翻す。
「今日の相手は、大切な奴が居る癖に闘いに興じる馬鹿じゃない事を祈るとするかね」
そして公園の隅に停めていた愛車に乗り込み、待ち合わせ場所へ向かうのであった。
●愚者と愚者
「……随分早く着いちまったね」
茜は自らの車を立体駐車場の屋上に停めた。念の為周囲の臭いを嗅ぎ、見、聞いたが、周囲には誰もいないようだ。
エンジンを切るとドサッとシートにもたれかかる。腕時計を確認すると、待ち合わせ時間までまだ一時間以上ある。
「どうしたもんか……ああ、そういえばアレがあったね」
茜はゴソゴソと後部座席周辺を探ると、一台の携帯ゲーム機を取り出した。
これはまだ茜が(今に比べれば)若かりし頃、フリーの殺し屋として活動してた頃に初めて手に取ったゲーム。随分な年代物だ。
今では入手するのも難しいが、丁寧に手入れをしていた為いまだに問題なく使えるし、保険として拠点にまだ数台確保してある。茜はゲームを起動した。
「これをやるのは随分久しぶりだねぇ」
古めかしくも激しいBGMが流れ出す。ゲームのタイトルは『悪魔マストダイ』。シンプルな横スクロールアクションゲームである。
プレイヤーは3人の主人公から1人を選び、悪魔共を蹴散らしながら3つのステージを攻略していく。昔ならでは、という言い方が合っているかは分からないが、あまりボリュームも多くなく、現代では『鬼畜ゲー』などと揶揄されてもおかしくない位の難易度を誇る。
当時、ゲームなど一切興味が無かった茜だが、気まぐれに買ってみた所ゲキハマリ。食事も睡眠も取らずぶっ続けでプレイし、全クリアしてしまった。
実はその後、当時裏の世界で恐れられていた伝説の魔人殺し屋の暗殺依頼が控えていたのだが、茜は深夜テンションのまま現場へ向かって、早くゲームがやりたいが故に30秒足らずでその伝説を殺害し、即帰宅した。そして茜は新たな伝説となった。ちなみにこの時茜はまだ魔人では無く人間だった。
「ふむ……」
ポチポチとキャラクター選択画面を操作する茜。先ほども言った通り、プレイヤーは3人の主人公から1人を選択する。
1人は筋骨隆々の大男。見た目通りの怪力を誇るこのキャラは、ステージに配置された車やバイク、道路標識など、めちゃくちゃな武器を振り回したり投げたりして闘う。拳を突き出し衝撃波を放ったりも出来る。
2人目は黒髪のイケメン武士。長い刀を持つ刀の達人だ。素早い太刀筋でバッタバッタと敵を斬り倒す。
そしてなにより斬撃を飛ばせる。居合の形で。どういう理屈で刀を振って斬撃を飛ばせるかはさっぱり分からないが、茜はこの技が好きだった。昔は自分でも出来るんじゃないかとこっそり練習したりもしていたが、残念ながら習得出来なかった。
3人目は、赤いシャツに黒いスーツを纏い、フェドーラ帽を被ったマフィア風の女。優れた視覚や聴覚で敵の動きを察知し、鞭や剣など様々な形に変形する仕込み杖を振るって戦うテクニカルなキャラだ。
唯一の必殺技は、蛇腹剣に変形した杖を振り回し、竜巻を生み出す技だ。こちらもさっぱり意味が分からない。
だが茜はこのキャラが一番好きだった。なのでこのキャラを迷わず選択した。
「…………」
しばらくの間、無言でゲームに熱中する茜。今から殺し合いをしようとしてる人間の様子とはとても思えない。
だが、油断している訳ではない。サクサクとゲームをプレイしながらも、五感による周囲の探知は怠らない。
そして茜がゲームをやり始めてから数十分後、立体駐車場の近くに、誰かの足音が響くのを茜は感じた。
「……来たか」
セーブデータを保存した茜は、ゲーム機をごそごそと後部座席にしまい込む。
続きは、後でやる事にしよう。
茜は杖を手に車の外へ出る。足音の聞こえる方向へ歩を進めると、ショッピングモールの入り口付近をキョロキョロ見回している女を見つけた。
確かにアレは熊だな。間違いない。
「おい! こっちだよデカブツ!! さっさとしな!!」
茜が声を上げると、我道は素早く振り向いた。そして茜の姿を確認すると、ニィッと満面の笑みを浮かべて手を振る。
「悪いなバァさん! すぐ行く!」
ビックリする位の大声で応えると、我道は常人離れした素早さで立体駐車場に走る。そしてヒョイヒョイと軽快な動作で壁を伝い、飛び上がる。
ズシン、と地を揺らす様な音を立て、我道は茜の眼前に着地した。
「よう! わざわざ私を見つけてくれてありがとうな! 私と闘いたいっていうバアさんって、アンタで間違いないよな?」
「……まあ若干の語弊はあるみたいだけどね。アタシは、アンタを殺したいだけさ。何もせず死んでくれるってんなら、別にそれでも構わないよ」
軽い挑発のつもりだった茜の言葉を聞くと、我道は分かりやすすぎる程に表情を曇らせる。
「えぇ……そりゃないぜバアさん……」
「なんだいなんか文句あんのかい」
「ある!!!!」
我道はビシッと茜に指を突き付ける。
「だって勿体ないだろ!? 見たらすぐに分かった、あんたは滅茶苦茶強い!! だからきっと今夜は最高の闘争が彩る、最高な夜に出来る筈なんだ!! お互いにとって!!」
「はぁ」
「『はぁ』じゃないッ!! バアさん、あんた長いこと生きてるんだから分かるだろ!? 互いが互いの全力をぶつけ合う、闘争が! 互いが本当の意味で命を削り、本気で相手を倒そうとする、闘争の感覚が!!」
「…………」
なんだこいつは。なんで私は今説教されているんだ。どう考えても理不尽だ。
「そう言われてもね。アタシの知り合いが適当こいたのは謝るが、アタシは唯の殺し屋だ。分かるかい? 暴力はアタシにとって唯の手段だ。誰かの命を奪うための、仕事の為のね。まぁアタシに溢れんばかりの殺しの才能があるのは間違いないが、生憎闘争だか何だかを楽しむための才能は――」
「いいや違うねッッ!!」
「…………」
茜は再びビシッと指さされた。なんかもう疲れてきた。なんだこいつは。
「あんたとなら闘争を楽しめるし、あんただって絶対に闘争を楽しめる!! 絶対に!!」
「何故わかる」
「あんたが殺しのプロなら、こっちは闘争のプロだからだ!! プロの言うことは素直に聞くことだね、あんたもプロなら分かるだろ!」
「ハァ……分かった分かった。つまりアレだね。アンタはどうあってもアタシにその闘争とやらを楽しめと。そういう訳だね」
「そういう訳だよ!」
「…………」
茜はトントンと杖の柄でこめかみを叩く。別にこんな訳の分からない主張に乗ってやる必要もないのだが、ここまでの熱量を持って話されると無視するのも悪い気がしてくる。
「……よし、じゃあ分かった。アンタ、金持ってるかい」
「金ぇ? ちょっと待ってくれ……ああ、ポケットに五百円玉入ってたけど。それがどうかしたか?」
「寄越しな」
我道は何も言わずピンと指で五百円玉を弾くと、茜はそれをキャッチする。そしてそれを掌の上でクルクルと弄びながら、
「よし。この五百円でアンタはアタシに依頼を出す。殺しの依頼だ。依頼内容はこうだ。『我道蘭と最大限楽しむ努力をして闘い、殺す』。それでいいかい」
そんな事を言い放った。
「あんたこそそれで良いのかい」
「特別サービスだよ。アタシに仕事を頼むならこの1000倍貰ったって全然足りないんだ……そしてアタシは、絶対に依頼は完遂させる女だ。プロだからね」
その茜の言葉を聞くと、我道の表情に完全な活力が戻り、再び満面の笑みを浮かべた。
「よぉしッ!! それじゃぁその文面で私はあんたに依頼を出す!! 楽しくなってきたァッ!!」
我道が拳を叩き合わせると、ガキン! とまるで金属音の様な音が鳴り響いた。
「いいだろう……折角だから改めて自己紹介しておこう。アタシの名前は黒埼・茜。天才プロフェッショナル殺し屋ババアだ。願いは、『願いを叶えるタロットを消滅させる事』。よろしく頼むよ」
「喧嘩屋。我道蘭。願いは『至高の闘争を味わうこと』」
我道は大きく息を吸い込む。そしていつものセリフを言い放った。
「さあ! 闘争しようぜ!!」
●1stStage『立体駐車場』
「行くぜ!!」
いきなり仕掛けたのは我道。足首の回転を駆使した変幻自在の軌道で茜に接近すると、その脇腹目掛けボディーブローを放つ。
「舐めんじゃないよ」
しかし茜はその一撃を軽く横にスライドして避けると、逆に我道の脇腹に蹴りを叩き込む。
一瞬よろめいたその隙に、茜は手にしていた杖をガチンと短く変形させ、懐へしまいこむ。
最大限楽しむのであれば、効率を重視して作られたこの杖の出番にはまだ早い。
「オラァッ!!」
周囲を見渡そうとした茜だったが、我道の動きは素早かった。思い切り拳を振り上げると、茜目掛け――ではなく、地面へと思い切り叩きつけた」
激しい破壊音が鳴り響くと同時に、砕けたコンクリート片が勢いよく宙を舞う。
「……」
茜は全神経を集中させ、我道の動きを目で追う。何が狙いだ。
地形を破壊してアタシを落下させる? いや、違う気がする。それならばもっと接近してから拳を振り下ろす筈。
その時、茜は情報屋から聞いた我道に関する能力の説明を思い出した。説明といっても、我道の各地での闘争を目撃した人々からの情報による推測に過ぎないが。
我道の能力は全ての関節を自在に回転させる能力。の筈。そして時にその能力をピッチングマシンの様に使用すると。
ならばそれか。
そう結論付けるまでかかった時間は3秒弱といったところだろうか。
「危ない危ない」
そしてその結論は正しかった。茜が全力で横に跳躍した刹那、鋭いコンクリート片がその脇を掠めた。あと一秒でも遅れていれば、目玉にでもコンクリート片が突き刺さっていた事だろう。
「いいねぇ!! まさかこの距離で避けるなんて、やるじゃないか!!」
「この位造作もない」
そう言うと茜は我道に倣って、地面に両拳を叩きつける。すると一瞬の間が空き、我道の足場とその周辺が粉々に砕け散った。
「うぉっ!!」
足場を失い、一段下の階層へ落下する我道。細かく砕けたコンクリート片で視界が塞がれるが、
「ふんッ!!」
両腕の関節をプロペラの様に激しく回転させる。巻き起こった旋風で欠片が吹き飛ばされ、一瞬で視界が晴れる。
しかし晴れた視界の先には、何故かこちらに真っ直ぐと飛んでくる白い車があった。
「チィッ!!」
我道は一瞬対処が遅れた。どうにか車を両腕で受け止めるが、そのまま下の階層へ落下する。
「オ……ラァッ!!」
車の下敷きになった我道。ミシミシと身体から嫌な音が響くが、仰向けの体勢から力任せに剛腕を振るい、白い車を投げ飛ばす。
「よっと」
投げ飛ばされた車を、いつの間にか下の階層に降りていた茜が片腕でキャッチする。先ほど我道に向かってきた車も、偶然ではなく茜が投げ飛ばしたものだ。
「ハハ!! 見た目に似合わず中々の馬鹿力じゃないか、バァさん!!」
「まぁね。力比べでもしてみるかい」
「乗った!! 最ッ高の提案じゃないか!!」
我道が言うや否や、茜は大きく腕を振りかぶり車を投げた。この車は茜の愛車だし、車の中にはさっきのセーブデータも残っていたが、この方が楽しそうだったのだから仕方がない。
そして茜が車をぶん投げた直後、我道は勢いよく立ち上がると、全身と高速回転させた剛腕を駆使し、車を打ち返した。
「やるね。さしずめ勢い倍返しってとこだが……3倍返しだよっ!!」
茜はよくわからない理屈を提唱しながら車に背を向けると、オーバーヘッドキックで車を蹴り返す。
「なら4倍返し!!」
我道が首を回転させた強烈なヘディングで車を打ち返す。
「5倍返し!!」
茜が正拳突きで車をぶっ飛ばす。
「6倍返し!!」
我道が空中飛び膝蹴りで車をぶっ飛ばす。
「7倍返し!!」
茜がヤクザキックで車をぶっ飛ばす。
「8倍返しッ!!」
我道が野球のスイングの要領で振るった腕で車を打ち返す。度重なる無茶な殴打の応酬で全身がボロボロだったが、確実にこれまでで一番強烈な一撃だ。
「9倍返……グッ!!」
我道と同じく野球スイングで車を打ち返そうとする茜だったが、ついにその勢いを受け止め切れず、車もろともショッピングモールの壁まで吹っ飛んでいく。
この勢いは止まらない。ならば己の肉体の頑丈さを信じるしかないだろう。
車と共に強かに壁に激突した茜の身体は、そのまま壁を吹き飛ばしその内部まで転がり込んだ。
「結構ガチで痛いじゃないのさ……」
身体の上に鎮座する車を投げ飛ばすと、茜は頭に手を置いた。湿っている。
見なくても分かる。血だ。ふざけた車のキャッチボールだったが、それでも私に血を流させるとは、中々やる。
「ハハハハ! どうやら力比べは私の勝ちみたいだな、バアさん!!」
「ふん……そうみたいだね。素直に負けを認めてやるさ。今度からは筋肉ゴリラと名乗る事だね。次があれば」
「だったらあんたはさしずめ筋肉子ゴリラってとこか?」
我道と茜が小さく笑いをこぼす。そして茜は周囲を見渡した。
どうやらここはホームセンターらしい。手近な場所にいくつもの角材が並んでいる棚があったので、、迷わず茜はそれを手に取った。
「さぁ、まだまだ序の口だよ。さっさと構え直しな、我道蘭!!」
●2ndStage『ホームセンター』
良く聞かれる事がある。何故闘うのか? と。
それが私には不思議でならなかった。理由。意味。目的。そんなものに一体何の価値があるというのか。
闘いたいから闘う。唯それだけ。本当に唯それだけなのに、人はそこに何かを求めたがる。定義しようとする。自らの理解の範疇に置きたがる。
だが何と言われようと、闘いたいから闘うだけなのだ。他に何もありはしない。
そして、それは他の皆にもそうであって欲しいと私は願う。意味の為、目的の為、そんなつまらないものの為に生きるなんて、勿体無いじゃないか。
意味が無いから価値がある。目的が無いから価値がある。『意味の無い人生』の素晴らしさを、みんなまだまだ理解していない。
それは本当に面白くて、楽しいものなのに。なあ。
「あんたもそう思わないかい! バアさん!!」
「あぁ? あぁ、そうだねぇ……」
我道が機関銃の如く勢いで射出した釘の嵐をフライパンとお玉で弾きながら、茜は考える。
ホームセンターでの戦いも苛烈を極めていたが、段々互いのバケモノじみた動きに慣れて来たのか、闘いの最中だというのに軽く言葉を交わす余裕が出てきていた。
「確かに意味なんてないさ。全てに。アタシにもアンタにも、アタシが殺して来た奴にも、アンタが殺して来た奴にも、全て等しくね」
「そしてこの闘争にもねぇ!!」
「あぁそうさ。嬢ちゃんにしてはよく分かってんじゃないのさ」
不意に鋭く投げ放たれたフライパンを、我道は回転させた左腕で弾く。間髪入れずに茜は付近に転がっていた鉄パイプを素早くいくつも投擲するが、我道は片足で立った状態から思い切り足首を回転させ、超速スピンで全てを弾く。
そして回転を止めた時には、槍の様な構えで鉄パイプを構えた茜が突撃してきていた。
「シッ――!!」
そして繰り出される無数の突き。その動きはとてつもなく素早く、我道は避ける間もなく何発もその巨体で受け止める。
再び超速スピンを繰り出し一旦茜の手を止めさせようとするが、我道が片足で立った時点で茜はその動きを予測し、その回転が止まった一瞬の隙を見定め喉元に鉄パイプを突き出した。
「ッ!! ハハハ! いいねえ! 何食ってればそんな風に動けるようになるんだい、教えてくれよ!!」
辛うじて致命傷は避けたが、切り裂かれた我道の首筋から鮮血が滴り落ちる。しかし我道は変わらぬ笑顔で投げかける。
「コーラとハンバーガー、あとラーメン!!」
渾身の勢いで放たれる茜の刺突。しかしこの短いやり取りの間でその動きに慣れた我道が、ついにその先端をガシリと拳で掴み上げた。
それはまさに文字通り一瞬の判断。茜は渾身の一撃を防がれたその一瞬の判断が遅れた。
次の瞬間には、我道は鉄パイプを掴み上げた手首を全力で回転させ、しっかりと鉄パイプを握りしめていた茜の身体を超速度で吹き飛ばす。
「グッ――!!」
凄まじい速度でいくつもの棚をなぎ倒し、店の反対側の壁まで吹き飛んだ茜。強かに後頭部を打ち付けたおかげで僅かに視界が歪むが、その歪みは即座に『調節』され、
「――!!」
声なき叫びを上げながらこちらに突撃してくる我道の姿を捉えた。その手の形は貫手となっており、手の関節全てが猛烈な回転をしているのが見えた。
「(あれを喰らったら死ぬね)」
ならば喰らう訳にはいかない。すぐに準備をしなければ。
しかし全身の痛みと共にどうにか茜が立ち上がったその時には、既に我道は至近距離まで迫っていた。
「プッ」
「ウオッ!?」
だが茜は冷静にタイミングを見計らい、血を吐き出した。
茜は我道の猛突進を見た瞬間、咄嗟に口の内側で頬を噛み千切り、口の中に血を溜めていたのだ。目潰しは単純だがとても役に立つ。茜は自らの血を利用する手をしばしば使う。
とにもかくにも思い切り両目に血を吐かれた我道は視界を塞がれ、行き場を失った貫手は壁を抉り取る。
すかさず背後に回り込んだ茜が我道の背にドロップキックを放つと、我道は脆くなった壁ごと蹴り飛ばされ、ショッピングモールの更に奥まで転がり込んでいった。
「いやー、今のはイケたと思ったんだけどなぁ……やっぱあんた最高だ!!」
転がり込んだ先に床は無かった。天井まで吹き抜けとなった大きなイベントホールの様な空間に飛び出た我道は、ゆっくりと落下しながら目をゴシゴシと擦り、血を拭う。
そしてそのままクルクルと宙で回転し体勢を立て直すと、その場の中央にドシンと着地。
それから数秒の間を置き、茜もまた我道の眼前に着地する。ズレそうになったフェドーラ帽を静かに直しながら。
「どうだい、依頼人。楽しんでるかい?」
「ああ! 最ッ高だ!! 本気で挑んでも全然倒せない強敵、このヒリヒリした空気感!! 堪らないぜ!!」
「そいつは良かった」
「あんたはどうだい! こっちは金払ってるんだ、ちゃんと楽しんでくれてるんだろうねぇ!?」
「あぁ。多分アンタが想像してるよりずっと楽しんでるよ。口が利ける猛獣と闘うのは初めてだからねぇ」
「ハハハハ!! 人の形したバケモノが良く言うじゃないか!!」
「フッ……」
茜は微かに笑みを零し、懐からいつもの仕込み杖を取り出した。
「花火は一瞬で消えるから美しいし、花は枯れるからこそ美しい……この素敵な夜にもそろそろ終止符を打とうじゃないのさ」
「あぁ!! 最ッ高の、闘争と共になァ!!」
●FinalStage『中央イベント広場』
茜と我道、この2人の愚者――あるいは馬鹿、もしくは阿呆――が向かい合い立っていたのは、そこそこ規模の大きいヒーローショーでも出来そうなステージの上であった。
「さて」
茜はクルクルと杖を振るいながら我道との間合いを測り、次の一手を思案する。
先程はスカした事を言ったが、実際茜は我道との戦いを割と真剣に楽しんでいた。ガラでは無いが、目の前の相手がこうも楽しそうだとこちらもそんな気分になってくるものだ。
なんだか今なら、何でも出来る気がする。特に根拠は無いが。それでも出来そうなことならなんでもやるべきだ。何故ならその方が、『楽しいから』。
「あぁ、アンタ……『悪魔マストダイ』ってゲーム、知ってるかい」
「知らないねぇ!」
「だろうね。とにかくアタシはそのゲームが好きでね。出てくるキャラに一種の憧れを抱いていたというか……ゲームだから出来る意味不明な強さのキャラ……ゲームだから出来る滅茶苦茶な必殺技……どれも私の、いわば夢みたいなものさ」
意図は分からなかったが、我道は茜の言葉を黙って聞いていた。途中で遮って攻撃を仕掛けても良かったが、最後まで聞いた方が『楽しくなりそうな予感がした』。
茜は杖の柄を刃へと変じ、居合の形で構えた。
「まぁ、その夢の一部はアタシが魔人になったおかげで叶えられたんだが……あれからアタシも随分成長したし、今夜は素敵な夜だ。月も綺麗だし、馬鹿みたいな強さの馬鹿が目の前に居る。だから――」
ゾクリ、と我道の身体が一瞬震えた。今感じたのはなんだ――殺気? いや、これはもっともっと単純な感情だ……。
「今日は残りの夢を叶えさせて貰うよ」
一閃。茜は常人であろうが超人であろうが目で捉えきれないような、神速とでも形容すべき速度で刃を振り抜いた。
その瞬間、間合いを取っていた筈の我道の胸から腹にかけて深い傷が刻み込まれ、そこから盛大に血が噴き出した。
「ハ……? ハハ、ハハハハハ!! なんだこりゃ!! 意味が分からない!! 一体あんた今、何したんだ!?」
「斬撃を飛ばした」
「アッハハハハハハ!! なんだいあんた、本ッ当に最高じゃないか!! 魔人能力でもなくそんな、ハハハハハ!!」
試すまではそんな事出来る訳がないと思っていたが、やってみれば意外と出来た。やはり世の中チャレンジ精神が重要らしい。
黒埼・茜は『斬撃飛ばし』を習得した!!
「それじゃ、プロモーションも済んだところで、いつもの台詞を言わせて貰うか――『それじゃ、アンタを殺すよ』」
この台詞も実は茜が好きなあのキャラがゲーム内で使う台詞だが、バレなきゃ問題ない。茜は再び居合の形で杖を構える。
「そうそう何度も喰らってられないねぇ!!」
瞬間、我道は駆けだした。止まれば死ぬ。どれだけ間合いを取ろうが、目の前の婆はイカレた必殺技を使ってくる。
生憎ここはゲームじゃなくて現実だ。MPも使用回数制限も、クールタイムもありはしないのだ――!!
ヒュン、と我道の耳元を何かが掠めた。確認する暇は無いが、どうせ斬撃だろう。その証拠に左耳が無くなってる。
「いい! いいねえ! だけどこっちだってなあ、やられっぱなしじゃないんだよ!! 気持ちの上では!!」
実際問題、現状我道は茜の『飛ぶ斬撃』を避ける他無い。手元に何かがあればそれを射出する事は出来る。だが今何かを拾おうとすれば、その一瞬の隙に首を刈られてしまうだろう。
「これがマジのガチのピンチって奴か……久しぶりの感覚だ、燃えてきたぜッ……!!」
ヒュン、ヒュン、ヒュン。茜はステージの中央から、スナック感覚で斬撃を飛ばしまくってくる。なんだこいつは。
我道は茜の隙を探る。だがそんなものは存在しない。少しでも近づこうものなら即死圏内。背を向けようとしても即死圏内だ。
「だったら私も、やるしかねぇ……!!」
出来るのか、そんな事が? いいややるんだ、我道蘭。
馬鹿げた必殺技に対抗するには、やはり馬鹿げた必殺技が必要なのだから。
「見てろよババア……!!」
「……なんだ?」
茜の『飛ぶ斬撃』を回避すると同時に、足を止めた。一瞬で成功しなければ次は死ぬ。
そして我道は片足立ちで立つと、拳を握りしめた右の手首を超速で回転させ、更に足首を回転させる。
「ウォアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
猛獣をも怯ませるような雄叫びと共に、我道は拳を振り抜いた。
次の瞬間、更なる斬撃を繰り出そうとしていた茜の胴体を、凄まじい衝撃が襲う――!!
「ガハッ――!!」
何処かの骨が折れる様な感触と共に、茜の身体が吹き飛んだ。そしてステージ脇の大きな支柱に激突すると、支柱全体にバキバキとヒビが入った。
「い、一応聞いとくけどねぇ……今のは何だい……?」
「パンチして衝撃波を飛ばす技だよ!!」
我道蘭は『パンチして衝撃波を飛ばす技』を習得した!!
「ハハハハ……いいじゃないか。アンタも最高だよ、我道蘭。アタシ程じゃないけどね」
「いやいやあんたも最高だぜ! バァさん! 私程じゃないけどなァ!! アッハハハハ!!」
2人は笑っていた。何故か? 決まっている。最高に楽しいからだ。
「オラオラオラオラァアアアアアアア!!」
「ハァァァアアアアアアアアアッ!!」
我道は本能のままに、茜はガラにもなく叫びを上げながら、斬撃と拳撃の応酬を繰り広げていた。
我道の残った右耳が斬り飛ばされ、指が斬り飛ばされ、腹が抉られる。
茜の左肩が粉砕され、頭蓋骨にヒビが入り、肋骨が砕け散った。
だが2人は止まらない。どちらかが死ぬまで、止まることなど出来はしない。
「ガ……ハァ……ハァ……!!」
「ゼェ……ゼェ……!!」
汗と血に塗れながら、互いに睨み合う。互いに限界が近づいている事を、互いに理解していた。
「…………」
茜は無言で杖を振るう。するとこれまで刃へと変じた杖の柄が、ガチャンと音を立てて変形する。刃が分離した鞭の様な形、所謂『蛇腹剣』スタイルだ。
そして茜は、砕けた肩を酷使して我道を指さした。
「本当に次で終いだよ、我道蘭……アタシは今から、今日最も訳の分からない技を使う……アタシの一番の憧れの必殺技を。これをぶん回して、竜巻を起こす。それでアンタを殺す」
「本気かよ、バアさん……なんて、ハハ、私とした事がつまんねえ事言っちまったな……いいぜ、やれよ。だけどその技、私もパクらせて貰う」
「好きにしな」
2人はほぼ同時に息を大きく吸い、そして。
「ウォアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「アァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
とても正気とは思えない。だが、2人は全力だった。我道蘭と黒埼・茜は自らの能力と気合とやる気と情熱を糧に、全力で全身を回転させて、あるいは武器を振るっていた。
そしてその狂気の果てに、2人は本当に必殺技を完成させていた。己の全てを込めた、馬鹿馬鹿しい程に巨大な2つの竜巻は、周囲の全てを飲み込みながらぶつかり合う――!!
2人の最高の夜が、終わろうとしていた。
●Epilogue『ショッピングモール跡地』
「我ながら、よく生き残ったもんだ」
瓦礫の山、その中心に、黒埼・茜はあぐらをかいて座り込んでいた。そしてそのすぐ傍には、全身の骨が砕け散った我道蘭が大の字で仰向けに倒れていた。
黒埼・茜は勝利した。自らが放った竜巻が我道の竜巻を飲み込み、そして我道すらも飲み込んだ。
そして瓦礫と共にもみくちゃになりながら空高く打ち上げられた我道は、そのまま地上へと墜落したのだ。
「ハ、ハハ……これが、敗北の味って奴かぁ……!! これまで一度も味わった事無かったんだが……」
我道蘭はもはや限界を通り越す程に破壊された身体で、それでも必死に言葉を絞り出す。
「案外、悪く無い気分だ……!! でも、悔しい。悔しいなぁ……!!」
後悔は無い。悲しいはずもない。けれども我道の目からは涙が零れていた。
鬼の目にも涙、という言葉が茜の脳裏に浮かんだ。
「楽しかったよ、我道蘭。本当だ。でなきゃあんな馬鹿馬鹿しい技を使おうなんて思いもしなかったさ」
「そっか……ハハ、なら良かった……!!」
こうして言葉を交わしている間に、我道蘭は消滅していくのではないかと茜は思っていた。
我道は自らの願いを『至高の闘争を味わうこと』だと言っていたし、それに見合う闘いが出来たと茜は自負していたからだ。
だが、そうはならなかった。結局の所我道にとっての『至高の闘争』とは、『手に入れたいもの』ではなく、『追い求め続けたいもの』だったのだろう。
だから茜は立ち上がり、トドメを刺す為に我道の首に刃を当てた。
「最期に聞いておくが……何か言い残す事は?」
「無い!!」
茜はクルリと優雅に杖を振るい、我道の首を斬り落とした。
ふわりと浮かび上がった大量のタロットを折りたたんで自分の中に入れる。
「…………」
茜は我道の死体に背を向け、歩き出す。車も完全にスクラップになっただろうし、歩いて帰るしかないか。
カツカツと歩き続ける茜は、一台の自動販売機を見つけた。コーラでも買おうかと思い近づいてみたが、よくよく考えてみれば財布は車の中だった。茜は自動販売機の前を通り過ぎる。
だが数歩歩いたところで思い返し、茜はスタスタと自動販売機の前に戻る。
そして懐から一枚の五百円玉を取り出すと投入し、冷えたコーラを購入する。蓋を開け、一気に飲み干した。
「悪く無い味だ」
やはり強さの秘訣はコレかもな、と。茜は下らない事を考えながら帰路につくのであった。