本日の公演スケジュール
- 幕間即興喜劇 "Il Dottore e Tarokaja, il servitore della strega"(ドットーレと太郎冠者)
狂言
太郎冠者の「附子」
1.
アジャラカモクレン
アジャラカモクレン
チンチンストレングス
テケレッツ
の
パー
ええ。よく聞くフレーズですね。
おや、ご存じない?それは奇妙だ。
ええ、奇妙です。
なにせ、この呪文はアナタが口ずさんでいたのですから。
忘れた?そうですか。
どうやら、アナタは記憶力が悪いようですね。
それとも単に、どこかで見聞きした記憶を無意識に思い出しておられたのでしょうか?
なぜって、ここはアナタの夢の中ですから。
夢の中なら忘れたことも思い出すでしょう?
そうでしょう。
私ですか?
私は闇医者ですよ。
伊山洋一郎と申します。
ここ数日、私の持つ『死神』のアルカナが反応していましてね。導かれるまま、あなたの夢の中に辿り着いた、と言うわけです。
これが私の能力ですかって?ええ。その通りです。
そういうところは目敏いのですね。油断出来ませんね。
さて、アナタも持っているのでしょう?タロットカードを。
ではそれを見せていただきましょうか。
何も怖がることなんてありませんよ。
ただ、タロットカードを見せて欲しいだけです。私も見せたでしょう?
確認ですよ。
さあ、あなたのを見せてください。
おや、
おやおや、おや。
どうしておもむろに股間を露出するのですか?
はしたない。
ちょっ、やめてください。そういう搦め手は卑怯ですよ。
股間を露出しないでください。
そういうのは、例え悪くなくても大人であるこちらが逮捕されてしまうものなんです。
股間を露出しないでください。
私は子供は好きだが、決して性的な目で見てるわけではない。
あとこれは何となく急に言いたくなったので付け加えておきますが、私はオカマではないし、女装趣味もないし、また女装した男性に性的な興味を示すこともない!
いや、これは急に原因不明の怖気を感じたので、理由も分からず言いたくなっただけなのですが。
ほら、アナタは女装した男性でもない、魔法少女のコスプレをしたお嬢さんでしょう?股間をしまいなさい。
そしてアルカナを見せてください。
ちょっ…股間を露出しろなんて言ってませんよ。タロットカードを見せて欲しいと言っただけです。
やめ…やめてください!!
えっ?アホカナ?
あぁ、アルカナ。そう。アルカナ。
成る程。
そうですか。
成る程。股間に、アルカナを貼り付けているのですね。なんで?
アホカナ?
あぁ、分かりました。馬鹿なのですね。
名前は、あいきゅうさん?あいきゅうさんと言うのですか。
では、良いですか。あいきゅうさん。アナタにもわかるように言います。
アナタには今、命の危機が迫っています。
おやおや、私を攻撃したって無駄ですよ。ここは夢の中で、私はアナタの見てる幻なのですから。
だからそうやって何度殴っても同じことですよ。
だから殴っても意味がないんです。
それに命の危機と言っても、別に私の攻撃ではありませんよ。
ただアナタが危機に陥ったとき、私が関わらせて頂くだけです。
だから私を攻撃しても無駄です。
やめて。
良いですか。
アナタが何をしでかすか分からないタイプということは、この短時間でも十分すぎるほど分かりました。アナタは嘘を吐けるほど器用では無さそうですね。
そこで単刀直入に申し上げますが、私は無関係の人間が多く巻き添えになることを望んでません。
できれば人の少ない場所で戦いたい。
アナタもですか。
それは良かった。
アナタが善良な人間で本当に良かった。
だったら、殴るのをやめていただけませんか。
夢の中なので無駄だって言ってるでしょう。
そうそう、夢の中といえば、ここは診察室では無いようですね。珍しいといえば珍しい。
まあ、このところ珍しいこと続きで、大したことではないような気もしますけどね。
え?馬鹿で風邪をひかないから、病院に行ったことがなくて、診察室がどんな所なのか想像できない?
成る程。意外にクレバーな馬鹿さ加減なのですね。
それで、この場所はどこです?
ああ、お寺なのですか。
へえ、水飴と間違えてタロットカードを。
それは大変ですね。
しかし、水飴とアルカナを間違えただなんて。
その話は、まるで「附子」ですね。
ブスじゃありませんよ。可愛らしいお顔をされてますよ。
狂言のお話です。
アナタは差し詰め、太郎冠者ですね。
いわゆるピエロの役回りですよ。私も詳しくないのですがね。
一休さんや留守番小坊主ではなく、太郎冠者ですよ。アナタは。
タロウカジャ。
ええ。
何ですって?難しい話は分からない?
ええ。だって、ワザとムツカシイ話をしているのですから。
そういうところですよ。
ハハハ。怒らないでくださいよ。
ほら、お近づきの印にバケツココアでもどうです?
私ね、チョコレートに目がありませんでして。かねがねバケツいっぱいのココアを飲みたいと思っていたんです。
バケツいっぱいのココアで人は幸せになる、なんて言いますしね。言いますよ?私の言葉ですが。
ほら、どうぞ。
幸せな気分になりますよ。
私も人にバケツいっぱいのココアを飲ませられて、純粋に嬉しい。
ところで、バケツココアを飲みながらで結構なのですが、私は今、遊園地に行きたいと思っていましてね。
戦うならそこにしませんか?
そうですか。ありがとう。
バケツココアの味はどうです?
え?水飴?
いえ、水飴ではありませんよ?これはココアです。確かに甘味は強いですが。
え?
え?
ちょっと、なんで光ってるんですか、あいきゅうさん!
水飴!?これはココアですよ!!
ココアですよ!!ココア知らないんですか!
違います!光るのを引っ込めて!
違う…私はそんなつもりでは…
アルカナさん!アルカナさん!止めて!
これノーカンですよ!止めてー!
あいきゅうさん!!あいきゅうさんが消えちゃう!!
あいきゅうさん!!戻ってきて!!ちゃんと戦って!!
こんな結末ってないですよ!!
そんな…
あいきゅうさん…
あいきゅうさーーーーーーん!!
2.
あいきゅうさんはギリギリのところで夢から醒めた。間一髪で飛び起きたのである。
「ココアってなんなんだぜーーー!」
あいきゅうさんは座禅修行の最中だった。
不真面目なあいきゅうさんは、当然のように居眠りをしてしまっていたのだ。
そこで変な茶色の人と話をしたような気がする。詳しい話は何も覚えていない。
ただ、覚えているのは呪文のような文句と、ブスと言われたこと、茶色の人が「死神」のアホカナを持っていたこと、そして、バケツいっぱいの水飴を飲まされて危うく殺されかけたことである。
あいきゅうさんに知性は存在しない。自分が夢の中で飲み干した液体がココアだということも知らない。ただ、甘い液体はとりあえず水飴だった。
あとバケツのことも新種の壺くらいにしか捉えていない。
「こらっ!このアホ!また居眠りしとったんか」
和尚が世界樹の警策(注:座禅中に寝てる奴をしばく棒。別に寝てなくてもしばかれることもある)であいきゅうさんの頭部に一撃をお見舞いする。
和尚は和尚で、ラジオの落語を聴きながらサボっていた最中だったのだが、それはそれで、これはこれだった。
「痛えぜっ!和尚!ココアってなんなんだぜ」
「あのなあ愛久、お前まだ寝ボケとんのか?もう一回しばいたろか」
「違うぜ和尚!アホカナだぜ!敵が出てきたんだぜ!」
あいきゅうさんは、和尚に無言でしばかれた。
「だから痛えぜ和尚!違うんだぜ!夢の中に敵なんだぜ!アナルパッケージホールド、ちんちんストレングス、けつ臀部のプーだぜ!」
「ついに狂ったか」
和尚さんは可哀想な人を見る目であいきゅうさんを見つめた。
しかしこれはあいきゅうさんが、夢の中で敵が発言していた下りを詳しく思い出そうとした結果である。彼は悪くない。
悪いのは、あいきゅうさんを卑劣な罠にハメた謎の茶色い男だ。
敵の卑劣な罠にハマり、最愛の和尚に二回もしばかれるという憂き目にあったあいきゅうさんだが、それでも闘志を失ってなかった。一度に一つのことしか考えられないからである。
とはいえ、そんなあいきゅうさんの事情など知るはずもない和尚は、発言を勝手に解釈して、一人で勘違いをしていた。
「分かった、分かった。お前に人殺しはあまりにも重荷過ぎたのかもしれへんなあ…」
「違うんだぜ!」
あいきゅうさんは中指一本拳で自身の両側頭部を殴る!
魔人能力『とんちこそパワー』だ!
このシンキングポーズにより、あいきゅうさんのIQは3から30まで上昇する。なんと10倍も賢くなるのだ。
世間ではこれを座禅と呼ぶのだが、座禅の概念を解し得ないあいきゅうさんは、座禅を座禅と知らずに座禅修行に励んで死にかけたのだ。そうアホである。
ボコ ボコ ボコ ピキーン
その瞬間!あいきゅうさんのIQ30の知能に、夢の中で邂逅した宿敵との会話の記憶が蘇る!賢いね。
『グヘヘへ〜お嬢ちゃん…良いカラダしてんなぁ〜〜!ひとつ俺っちと遊園地で不埒な遊びと洒落込もうじゃないの。あとてめーは死ぬんだぜ〜!』
「俺は死ぬんだぜー!」
「早まるなーーーッ!愛久ーーーッ!」
魔人能力の影響で興奮したあいきゅうさんは手足をバタつかせながら叫び始めた。
「うおーーーー!死がすぐそこに迫っているんだぜーーーッ!」
あいきゅうさんの生態は極めて単純である。食べて寝て、遊んで寝て、寝て寝る。つまり生物的欲求に極めて忠実だ。
そして生物にとって最も強い本能、それは生存本能である。座禅を不射の射とし、再び射とするあいきゅうさんと雖も、未だ大悟に程遠い。むしろ生存欲求は人並外れていると言える。
そんなあいきゅうさんは、「すぐそこに死が迫っている」という事実を理解しないままに、伊山の発言の主旨を概ね理解したのである。
「もういいっ!愛久ーーーッ」
和尚はあいきゅうさんより頭が良いので、あいきゅうさんの発言が理解できない。彼は涙を流してあいきゅうさんにしがみついた。
「すまなんだ…すまなんだ…!お前がそこまで追い詰められていたとは…!自ら死ぬとまで言わせたのはワシの咎や…もういい…もうええんや…!ワシがやるから」
「うおー!遊園地だぜ!遊園地に行くんだぜ」
「せやな…!遊園地行こう…連れてったるからなぁ…あとはワシがやったるからなあ…」
だが、だいたいこの辺で和尚も何かがおかしいことに気づき始めた。そもそもが、あいきゅうさんとマトモな会話が成立してる時点でおかしい。
「そうだ思い出した!「ブス」だぜ!「ブス」で死ぬんだぜー!」
「うん?「附子」?ああトリカブトのことか。お前にしてはえらい難しい言葉知っとんなあ。誰に教えてもらったんや?」
ボコ ボコ ボコ ピキーン
「伊山洋一郎だぜーーー」
「ああ…ああ…あの闇医者か。そうかあ…なるほどなあ。なんとなく見えてきたわ」
和尚は立ち上がると、警策(注:座禅している人を無作為にしばく棒)であいきゅうさんの側頭部に一撃。大きくため息をつく。
「はぁ〜、心配して損したわ。アホらし」
「痛えぜっ!自分は落語聞いてばっかなのに!」
和尚は懐から新型のiQPhoneをあいきゅうさんに投げ捨てる。iQPhoneからは、聴いたら教養が高まってしまいそうな有り難い落語が垂れ流されていた。
「やっぱりお前は生粋のアホやな。「附子」は落語やなくて狂言や。落語では同じ話を借用してな、「留守番小坊主」言うねん。お前のことや」
「それ伊山先生も言ってたんだぜ!俺がブス太郎ってなんなんだぜ!」
「太郎冠者か。アイツも上手いこと言いよるな。あんな、アホのお前にもわかりやすく言うとな、狂言は喜劇で、落語は話芸や。同じ話でもやり方が違うねん。そんでお前は体も動かすから狂言の太郎冠者や」
「そんなわけわからん解説ばっかされたら俺は知恵熱で死ぬぜ」
流石のあいきゅうさんも冷静に和尚の解説にツッコミを入れた。
「一休さんにも似たような話があってな。和尚様が『これは毒や』って嘘ついてな、水飴を独り占めしようとすんねや。でも一休さんが嘘を見抜いて水飴を横取りすんねん」
あいきゅうさんは和尚の話を無視してiQPhoneで落語を聞いていた。少なくとも和尚の話よりは面白い、という苦肉の策だ。
「まあ一度言った手前や。今回はワシがお膳立てしたるわ。任しとき。要はやり方の問題や。お前では伊山の能力は分が悪いやろ」
「あっ!今アナルパッケージホールドのプーって言ったんたぜーーーッ!」
幕間即興喜劇
"Il Dottore e Tarokaja, il servitore della strega"(ドットーレと太郎冠者)
3.
やあ、また来たね。
君が来たということは、つまりそういうことなのだろうね。
事態は動いてないように見えて、変動した。
うん。だが、このままでは着実に悪い結末へと向かう。
やはり私の予想は、ある程度までは正しかったというわけだ。
話を整理しておこうか。
こうして君とゆっくり話が出来るのも、滅多にないことだからね。
ふふ、そう思うかい?
ところで、チョコパフェでもどうだい?
おや、ありがとう。
さて、本題だ。
私はあの娘を殺すべきだろうか?
こんなことを正面きって打ち明けられるのも君だけなんだ。どうか呆れないで、真剣に聞いて欲しい。
君は言わば、最後に頼れる協力者なのだから。
つくづく、夢とは不思議なものだ。
あの娘は善良だ。
ただ、少し頭が悪いだけだ。
それでも、人を救おうとする意思がある。
あんな人間は滅多にいるもんじゃないよ。
調べたところ、どうやら鳥越先生のことだって、彼女が止めてくれたようだ。
もしも一つ運命が異なっていれば、横浜は血の海になっていただろうね。
ああ、彼女には愛と勇気がある。
ふざけた姿に隠れていて見えづらいけど、典型的なヒーローのようなものさ。
私とは正反対だ。
おいおい、そこは否定してくれよ。
ハハ。
それに、この戦いにも望んで参加したわけではないらしい。
無欲なのだろうね。
あるいは、本質的な自分の欲望を満たす術を知らないか、かな。
どちらにせよ、彼女のような未来ある人間が本来勝ち上がっていくべきなのだろうと思うよ。
本気さ。
本気で言ってるよ、私は。
だが、彼女には私が見えている。
ああ、そうだ。問題はそこなんだ。
どうして彼女に私なんかが見えている?
彼女のような人間がどうして?
それに彼女がいくら善良とはいえ、ここまで勝ち上がっている以上、人は殺している。
見殺しにせよ、何にせよ。
そうだ。
ああ。私の信念に例外はない。
なんだ。
はじめから答えは決まっているじゃないか。
それでも、気がかりは消えないんだ。
今回は、本当に彼女以外に戦う相手はいないのだろうか?
いや、そんなはずは無いんだ。
そうだよね。彼女以外のアルカナ所有者は別の場所で戦っているはずだ。
まあ、馬鹿が相手だ。考えても仕方ないか。
結末は決まっているんだ。
このままでは、あの娘と、君は死ぬ。
それだけは確かだ。
それじゃ、運命を変えに行こうか。
即興仮面喜劇の開演だ。
4.
あいきゅうさんと和尚さんは、東京かがみランドの敷地内に入り込んでいた。
東京かがみランドは新型ウイルス対策のため、開園日を一部制限している。
具体的には、今日を含む三日間は誰も人がいない。
女性カップル無料キャンペーン期間中なので、業績にも間違いなく打撃を与えるだろう。
「わあい遊園地だぜ。早速遊ぶんだぜ」
「アホか愛久!なんのためにお前をここに連れてきたと思っとんねん」
「はっそうだぜ。伊山は一体どこだぜ」
伊山との戦いという本来の目的を思い出したあいきゅうさんはキョロキョロと辺りを見渡している。
そんな彼をアホを見る目で一瞥して、和尚さんも周囲を観察する。
「ここは随分と荒廃しているようだぜ」
「ああ知らんのか。そう言う仕様なんや」
ジャンプ感想モニュメントのある広場は、キョウスケくん人形が並べられたグッズ販売屋台が核大戦後の世界のように打ち捨てられている。
ここは「世紀末エリア」である。
屋台が打ち捨てられているのはそういう雰囲気を演出するためだ。
「ここはある名士が支援者からの寄付金で建てたヤバい夢の国やからな」
東京かがみランドには七つのエリアが存在する。
「学校・国会議事堂エリア」
「冒険エリア」
「恐怖エリア」
「世紀末エリア」
「ファックエリア」
「育児エリア」
「奴隷専用ルーム」
この七つだ。
「ほんで、特に「育児エリア」は女子供にも大人気や。ほんわかとした雰囲気の中に責任感ある大人としての態度が楽しめるで。帰還率も十割や」
「でも、本当にこんな場所に伊山がいるんだぜ?遊園地って他にもあるはずだぜ」
「なんでそういうとこだけ気がつくんやろか。まあええやないか。気にすな、気にすな。それよかワシはちょっと用を足しに行くけどな、絶対にここを動くなよ」
「分かったぜ!」
言うが早いか、あいきゅうさんはキョウスケくん人形のお面を被って何処かへと駆け去ってゆく。
「人の話聞いてたかお前!?」
「半分くらいしか聞いてなかったぜーーー…」
あいきゅうさんに言いつけなど不可能だったかと、和尚は嘆息する。
既にあいきゅうさんの姿は遠く離れて見えない。和尚さんも和尚さんでトイレに用事がある。
「くれぐれも「奴隷専用ルーム」には近づくなよ〜!あそこは限られた特別な会員しか入ることの出来ないスペシャル地下室やかな〜!」
「大丈夫だぜ〜!」
何が大丈夫なものか、全くもって根拠不明だが、和尚は大して心配していなかった。
あいきゅうさんの魔人能力は思い込みによる純粋な強化だ。並大抵のことでは死んだりはしまい。
まあ、勝手に大人気アトラクションの「命の保証コースター・ザ・ライド」を誤作動させなければなんら問題はないだろう。
また、「モヒカン脱出迷路」や「悪霊体験コーナー」などのアトラクションも人気が高い。
「さ、ワシもトイレ行くか」
和尚は勝利を確信した笑みで、トイレへと向かった。
5.
『太郎冠者は主人の言いつけを守らない。
太郎冠者は欲深い。
太郎冠者は失敗ばかり。
だけどどこか憎めない。』
どこからか歌声が聞こえた気がする。
仮面を被った魔法少女は、夢の国の中を駆け回る。
あたかも、喜劇の登場人物に扮したような姿のあいきゅうさんだ。
あいきゅうさんは和尚と逸れて、一人で遊園地の中を駆け回っていた。
「お、あそこに伊山がいそうな気がするぜ!」
彼がいるのは「恐怖エリア」。
指さしたのは「呪いのコーヒーカップ」だ。
この「呪いのコーヒーカップ」はコーヒーカップを回すことで、悪霊の映像がホログラム投影されるサービスが人気だ。
あいきゅうさんがこのアトラクションを選んだ理由は、単に楽しそうだからという理由だけである。
楽しそうな場所だから、自分も乗ってみたい。
つまり、伊山くさ一郎もまた乗ってみたくなる筈だ!という名推理である。将来は探偵さんだ。
『やあ』
そう思っていると、現れた!
コーヒーカップに!
伊山の幻覚が!
これは伊山の魔人能力により、あいきゅうさんの死が近づいていることが象徴的に現れているのだが、そんなことにあいきゅうさんが気がつくはずもない。
「いっ伊山くさ一部!」
『洋一郎ですよ』
「うおおおおお伊山くさ一部、討ち取ったりなんだぜーーーっ」
ボコ ボコ ボコ ピキーン
あいきゅうさんは身体強化によるバーサクモードで伊山に向かって突撃する!
『洋一郎ですよ』
そのままコーヒーカップに乗る!
「うおおおおお回るんだぜ!回すからコーヒーカップなんだぜ」
『また会いましたね。私が現実でも見えると言うことは、あなたに危険が迫っている証拠…』
「回すんだぜ!回して回すんだぜ!」
あいきゅうさんに言葉は通じない。それは彼のIQが元から低いためだ。
案の定、あいきゅうさんの『とんちこそパワー』によって発揮された腕力のせいで、コーヒーカップは殺人的な高速回転を始めた。
『あばばばばばばばば』
「あばばばばばばばば」
回転。そう、回転。
秒間8000回転という超高速で回り続ける遠心分離機と化した殺人コーヒーカップだが、そこにコーヒーカップの仕掛けが作動した。
ホログラムで悪霊の姿が投影されたのだ。
投影される悪霊の姿は秒間の回転数で変化する。
悪霊は猛き筋肉をした、血塗れの金剛力士だった。
『ギャァァァァァァァァァァ!』
「えっ誰なんだぜ」
この突然の乱入者には流石のあいきゅうさんも戸惑った。
だが、あいきゅうさんは目的に対して真っ直ぐに突き進む生命体。コーヒーカップを回す手を止めることはない。
「回すんだぜ!もっと回すんだぜ!」
あいきゅうさんがコーヒーカップの回転数を上げる!すると、金剛力士の筋肉もまた磨き上げられてゆく!血糊が増えてゆく!
暗黒の瘴気が黒光りしてゆく!
『あいきゅうさん、こいつはもしや我々以外のアホカナ所持者では』
伊山の幻影は冷静に事態を分析した。
何も知らぬ伊山にしてみれば、いきなり現れた金剛力士の美丈夫の悪霊など、アルカナ所持者以外に考えられないのが現実である。
「えっ!?敵なんだぜ!?」
『きっとそうですよ、ほら、ちゃんと挨拶しないと』
「いや!ここは回すんだぜ!」
あいきゅうさんは心の中で納得した。
しきりに股間を露出するようせがむ、この伊山臭い恥部という男はやはり変態なのだろう、と。
なぜなら、股間にアホカナを貼り付けているあいきゅうさんにとって、挨拶とは己の股間を露出する行為に他ならないからだ。
おそらく、伊山臭い恥部という男は淫魔人の類だとあいきゅうさんは判断した。なんか茶色いし。
アホのあいきゅうさんでも、そういう特殊な趣味の連中が存在することは知っていた。
その時!
バキッ!と嫌な音がした。
あいきゅうさんがコーヒーカップを回しすぎたせいで、支柱が切断されてしまったのだ。
空中に投げ出された。
「ァァァァァァァ」
『ァァァァァァァ』
『ァァァァァァァ』
あいきゅうさんは叫んだ!
伊山の幻覚も叫んだ!
金剛力士の美丈夫のホログラムも叫んだ!
つまり、この場においてはあいきゅうさんだけしか叫んでいないのだが、とにかく叫んだ。
コーヒーカップは勢いを止めず、空を滑空する!
「ァァァァァァァ」
『ァァァァァァァ』
『ァァァァァァァ』
コーヒーカップは周辺を破壊し、血糊を撒き散らし、あいきゅうさんは怪我でボコボコになりながら、伊山の幻影もボコボコになりながら、空を飛ぶ!
だが、あいきゅうさんは死地の中でも悠然とコーヒーカップに鎮座する血塗れの金剛力士の美丈夫の姿に感服した。この金剛力士は一角の人物に違いない。そう確信した。ホログラムなので当然なのだが。
もしやこの金剛力士の正体は、あいきゅうさんも良く知る人物…力のアホカナではないだろうか?
「美丈夫お前…もしかして力のアホカナなんだぜ?俺を助けにきてくれたんだぜ?」
血塗れの金剛力士の美丈夫のホログラムは泰然としている。
あいきゅうさんは確信した!
目の前にいる男こそ、力のアホカナが人間の姿になったのだと…
ガンッ!ダムッ!と嫌な響きがして、コーヒーカップはジェットコースターの上に不時着した。
生還率0%、恐怖の「命の保証コースター・ザ・ライド」である。
「ァァァァァァァ」
『ァァァァァァァ』
『ァァァァァァァ』
ハルマゲッ!ドォォォン、という理性崩壊の響き。
虚無と戦うあいきゅうさんを乗せた、地獄行きの「命の保証コースター・ザ・ライド」は発進した。
6.
突然地面にうずくまった伊山洋一郎を見て、紅色のドレスを見に纏った金髪の貴婦人はキセルを吸った。
彼をよそ目に一服して、口を開くと、煙を吐き出す。
「おやおや、どうした医者?まさか例の『星間飛行症候群』とやらじゃないだろうね?」
金髪の貴婦人は助けようとする様子もなく、伊山を見下す。
あたかも自分以外のことには関心などなさそうな態度である。
「い、いえすみません…ミセス・ベラドンナ。敵のあまりの頭の悪さに頭痛が……」
ミセス・ベラドンナと呼ばれた貴婦人は相変わらずキセルのタバコを吸っていた。
「敵…敵とやらも、この東京かがみランドに来ているのかね?」
「ええ…今、一人で勝手にジェットコースターに乗って死にかけているようです。そのあまりの光景に…」
「へえー」
興味なさげにミセス・ベラドンナは伊山を見る。
ここは東京かがみランド、限られた人間しか立ち入りを許されないエリア「奴隷専用ルーム」だ。
地下の監獄をイメージして作られたこのエリアには、独居房や即死トラップなど数々の闇アトラクションが設置されている。
二人は即死トラップを抜け、階段を降り切った場所にある独居房にいた。
「医者。そんなだから即興仮面喜劇の配役呼ばわりされるんだ。こんなイイ女を放っておく馬鹿がどこにいる?」
「あっジェットコースターが脱線した」
ミセス・ベラドンナは左手で伊山洋一郎の顎を持ち上げる。
「これがもうじき死ぬなんてね。とても信じられないよ。病気なんて嘘じゃないのかい?」
「離してくれませんか、ベラドンナ。私は死にますよ。多分次の眠りから目覚めた後、その次の眠りからはもう覚めることはないでしょうね。だからこうして、隠れて眠りに来たのですから」
独居房には、伊山が安全に眠る為のシェルターが用意されていた。
彼曰く、今からこの中に閉じこもって眠りにつくのだそうだ。
「ミセスを付けろ、バカタレが。相変わらず淑女の扱いを心得てないな。ベラドンナの意味を言ってみろ」
ミセス・ベラドンナは伊山の顎に触れていた左手を離し、また一服する。
「貴女には感謝してますよ、ミセス。闇医者稼業のパトロンとして活動初期から支援していただいただけでなく、住む場所まで与えていただいて。今もこうして隠れ場所を…」
「ベラドンナ。言葉を直訳すると「イイ女」。だが、ベラドンナは花の名前でもある。花言葉は「貴様を殺す」だ。」
伊山洋一郎は立ち上がって身だしなみを整える。
ミセス・ベラドンナはキセルを伊山に突きつけた。
「毒だよ。ミセス・ベラドンナにはアルカロイド系の猛毒があるのさ。中毒になれば嘔吐と異常興奮を引き起こして死に至らしめる。医者、お前も試してみるか?」
「いえ、結構ですよ。貴女ほど頼りになるパトロンが居ないことは知ってますので。だから、これからはそうやって若い人をからかうのは辞めてくださいよ。色々と準備していただいて感謝しています。本当ですよ?」
「お前、本当に死ぬのか。学生の頃から面倒を見てやった。仕事もあてがってやったが、まさかこうなってしまうとはな」
ミセス・ベラドンナは睡眠用のシェルター装置を見る。
「即興仮面喜劇はイタリアの伝統的な即興劇だ。スラップスティックで、下品で、粗野に即興劇を演じるのさ。役者の腕の見せどころってやつさね。お前も医者なら最期まで演じ切ってみせなよ」
「この部屋の外に出たら、道中のトラップを作動していただくのをよろしくお願いしますね」
伊山洋一郎に返事をする前に、ミセス・ベラドンナは独居房から退出した。
鉄の分厚い扉に鍵をかけ、打ち合わせ通りにパスワードを設定する。
これで、何も知らない人間にとって、伊山洋一郎に辿り着くことは極めて困難となった。
あとは、道中の即死トラップを作動させれば、彼のいる場所へ辿り着ける敵は誰もいなくなる。
ギロチン、槍衾、レーザー、悪趣味な全自動抹殺の数々。
ミセス・ベラドンナは、それらの電源を切ったまま、「奴隷専用ルーム」のエリアを後にする。
悠々と、口笛を吹きながら。
「あいつ、私がしゃがむとスカートの中を覗いていたな。目線がスケベなんだよ。ククッ」
コメディアデラルテとは、イタリアに伝わる伝統的な即興喜劇である。
役者たちは仮面を被り、決められた役柄で、舞台の上で即興劇を演じる。
しかし、コメディアデラルテは庶民的というか、相応に下品な内容であることも多い。
ミセス・ベラドンナは一人で静かに笑う。
「ククッ、クスクス。医者か。そんなだから医者なのさ。お前は愛久にやり込められる役柄がお似合いさ」
コメディアデラルテには台本がない。
即興劇とはそういうものであり、如何に上手く演じるかに加え、如何に話を成立させるかも役者にとっては重要となる。
それゆえに、役者には極めて専門的かつ熟練した技術が必要となる。
「医者、あのガキ…私のふとももばかりチラチラと見るからこちらも興奮したじゃないか。やはり最期に女装させた方が良かったか。だがな、コメディアデラルテに台本はないが、筋書きは決まってるんだよ!」
コメディアデラルテ最大の特徴は、カノバッチョと呼ばれるあらすじと展開に従い、役者が劇を作り上げる点だ。
決して野放図な混沌ではない。
混沌すらも秩序に組み込むのが即興喜劇である。
ミセス・ベラドンナは、今回の戦いは筋書きの決まった喜劇だと解釈している。
ドットーレと、魔女の僕である太郎冠者のコメディアデラルテだ。
喜劇とは人生の幕間。
故に、本能に従った行動はしない。
彼はあくまで、ルール側の人間だからだ。
ミセス・ベラドンナは「奴隷専用ルーム」を出ると、ジャンプ感想モニュメントのある広場に行き、男子トイレに入った。
「ふんふんふふーん、アルカロイド、アルカロイド。すっかり興奮してしまったわ」
アルカロイドの歌を口ずさむ。みんな知ってるよね。
そのまま、金髪のカツラを床に打ち捨てた。
「アルカロイドは金髪の美女〜、ベラドンナにトリカブト〜、毒草、毒草、猛毒草〜、見れば嘔吐と頭痛で死に至る〜」
カツラを脱ぎ捨てた後に残るのは見事な禿頭である。
そして、化粧水でルージュを落とす。
「私は魔女〜」
赤色のパンティーを脱ぎ捨てる。
紅色のドレスも自ら引きちぎってしまう。
両胸に仕込んでいた詰め物がボロリと床に落ちた。
そう、ボロリとまろびでたのである。何が?
「ああ〜気持ち良えのや〜〜オカマ」
すると、どうであろうか。
紅色のドレスを纏っていた年齢不詳の金髪のお嬢さんは、一糸纏わぬお寺の和尚さんへと変じたではないか。
彼の名はミセス・ベラドンナ和尚。
暗愚寺の僧侶であり、あいきゅうさんにとっては和尚である。
彼は魔女のコスプレをしている時は、伊山洋一郎をヒモとして飼う、年齢不詳の資産家でもあった。
7.
ミセス・ベラドンナ和尚は平時より還俗と出家を巧みに繰り返すことで私服を肥やす女装資産家だった。
出家している時は、謎の和尚さんとして小坊主を愛でる。
還俗している時は、謎のお嬢さんとして未来ある若者を密かに支援する。
そう彼はオカマだった。
だが、「これはおかしいではないか。和尚さんはどちらかと言えば秩序側の人間であり、女装して男性をレ◯プする最悪のオカマではなかったではないか」とお思いの者も多いだろう。
違うのだ。
彼は女装が目的なのではない。目的はあくまで世界の秩序だ。「力」のアホカナだって他人の手に渡らないように封印していた。
ただ、女装は彼にとって手段である。
女装はどう転んでも相手の精神に負荷を与える効率的な手段だ。理屈としてはあいきゅうさんが魔法少女の姿をしているのと全く同じである。
あいきゅうさんのプロローグにだってそう書かれている。なんら矛盾はない。
彼は己の欲望のためではなく、世界のために仕方なく女装していたに過ぎない。時折おこぼれにあずかり、自分を見て興奮する男性の姿を想像してはいたが、最悪のオカマにしては人道的で善良な部類である。
彼は卑怯屋から奪った財産で伊山洋一郎のパトロンとなり、彼をヒモとして飼っていた。
だが、伊山は「社会にとって善良な人間のみを生き返らせ、悪い人間を死なせる」という目的を持つに至った。
ミセス・ベラドンナ和尚(以下Mrs. Bella Donna 和尚を略してMBDO)にとって、伊山のそれは選民である。
対して、あいきゅうさんの持つ目的は「水飴を飲む」こと。
世界の秩序を守る側のMBDOにとって、両者の目的を天秤に掛ければ、当然あいきゅうさんの方を勝たせるのが望ましい。
別に他により望ましい目的を持つ者がいればそいつを勝たせるが、今回はたまたまあいきゅうさんに加担することになっただけだ。
何も起こらなければそれで十分だったのだから。
あいきゅうさんが伊山の夢を見た時点で、MBDOには今回の筋書きが見えていた。
筋書き通り、何も知らない伊山はMBDOに保護を依頼。MBDOは伊山をまんまと裸城に閉じ込めることに成功した。
通常、女装したオカマはコメディアデラルテに含まれないが、とにかく今回の戦いは喜劇だった。
シェルターのパスワードは簡単な小学校の算数さえ解ければ簡単に開く。ティーンエイジャーのあいきゅうさんならすぐに解けるだろう。
一方その頃、あいきゅうさんはかがみランド最低最悪のアトラクション「レズセ◯クスしないと出られない部屋」に閉じ込められていた。
落語
ドットーレの「死神」
8.
同日、日本武道館で落語統一トーナメント寄席が開催されていた。
「さあ!唸り屋恫喝の次はこの男が帰ってきたァァァァァァァーーっ!!オペラ歌手から落語家への華麗なる転・身!その渋い美声で俺たちを魅せてくれェェェッ!ヨーロッパ出身ッ!御伽亭バリトン!!」
御伽亭バリトンと呼ばれて座に出たのは、着流しを纏った白人男性だ。
彼は座布団の上で噺をはじめた。
「えー、噺なんてぇものは洋の東西を問いやせん。お話なんてぇと、アタシなんかはグリム童話を思い出しちゃうわけで。ここは一つ、グリム童話からパクったっつー「死神」を話させて頂きたく、思ってやしたがね」
御伽亭バリトンは舞台の上で頭を掻く。
「ところがですね。近頃は妙なことがありまして。アタシがこないだ、その死神に会っちゃった。ええ。死神ですよ。」
落語家は神妙な面持ちで、困惑を隠せない顔つきで噺を続ける。
「知ってる人は知ってますね。『足元に死神が立ってたらまだ寿命じゃない。だが、枕元に立ってたら、そいつは死ぬ』っつー触れ込みの、死神です。で、足元に死神がいるときは、こう唱えるんですよ」
パン、と落語家は両手を合わせた。
「アジャラカモクレン
ちんちんストレングス
テケレッツ
の
パー
そしたらこの呪文で、死神がスゥーと消えちゃう。枕元に立ってたら唱えても意味ありませんがね。」
落語家は笑う。
「でも、そしたら病人の枕と足の位置を入れ替えたら良いんじゃないか、なんておっしゃる方も居るんじゃないかと思いますがね。それだけは絶対やっちゃいけねえ。何故かっていうと、人の寿命は命の蝋燭っつって、どれくらいの長さ生きられるのか、決まってるからなんですな」
落語家は扇子を立てて蝋燭に見立てる。
「アタシの蝋燭はまだ短くなかったようで。まあしかし、あの日にスカイツリーに行ってたら、きっとなんらかの形で巻き込まれてたのでしょうな。つくづく夢ってなあ不思議なもんです」
9.
あいきゅうさんは大ピンチだった。
伊山洋一郎の幻覚、悪霊のホログラム、コーヒーカップ、そしてジェットコースターと一緒に、「レズセ◯クスしないと出られない部屋」に閉じ込められたのである。
この中で女性は誰一人としていない。
つまり死を待つ状態になったのだ。
「あけろーーーッ!開けるんだぜーーーーーーッ!?」
『あいきゅうさんっ!落ち着いて、落ち着いてください』
あいきゅうさんは落ち着いていられなかった。
彼は伊山臭い恥部のことを、生粋の変態だと思っていたからだ。
「うおーっ!開けるんだぜ!!!」
『落ち着いて、あいきゅうさん!アナタの力で扉を壊せませんか!?』
「そんなことよりドアを開けるんだぜ!!」
あいきゅうさんは絶望しながら周囲を見渡す。
脱出できそうな場所はない。
四方は壁。
天井は、自分たちがジェットコースターに乗って落下してきた穴が大きく穿たれている。「命の保証コースター・ザ・ライド」は本気でヤバかった。命の保証が無かった。
しかも今は貞操の保証がない。
まさに「この先DANGEROUS」である。
『あいきゅうさん、もしかして普通に壁を壊したら出られるんじゃないでしょうか』
「ちくしょーーーーーーッ!俺はここで死ぬのは嫌だぜ!」
あいきゅうさんは座禅し、中指一本拳で側頭部を殴ると、沈思黙考する。
あいきゅうさんは女装した男だ。
伊山も男だろう。
血塗れの金剛力士の美丈夫もまた男だろう。
ボコ ボコ ボコ ピキーン
ならばここは、暴力で奇跡を起こすしかない!
あいきゅうさんの股間が光りはじめた。高い集中力と、強い危機感から、股間に貼り付けた「力」のアホカナが反応をしたのだ。
その時!血塗れの金剛力士の美丈夫のホログラムが消えかかる!コーヒーカップの電池が切れたのだ。
だが、あいきゅうさんはこの悪霊のホログラムのことを自身の「力」のアホカナだと勘違いしている。
「アっアホカナ!消えるな!奇跡を起こすんだぜ!」
このとき、奇跡が起こった。
魔人能力とは己の認識の力に他ならない。
あいきゅうさんは、ホログラムをアホカナだと勘違いしている。
ならば、あいきゅうさんの魔人能力が「力」のアホカナとシンクロを起こしてもなんら不思議ではない。
あいきゅうさんが力のアホカナとしての属性を与えた、その血塗れの金剛力士の美丈夫のホログラムが、本当に力のアホカナになったのである。
『あいきゅうさん、我は汝とともに…』
力のアホカナとなった金剛力士から、闇のオーラと血糊が消えてゆく。
金剛力士はあいきゅうさんの股間に吸い込まれた。
力のアホカナがタロットカードの中に入って何が悪い。
「アっ!アホカナ!どこへ行くんだぜ!?行かないでくれ!」
『あいきゅうさん…今まで…楽しかっ』
股間の光が増幅する。
あいきゅうさんは力のアホカナとの楽しかった日々を思い出した。思い出せなかった。
すると、拳に今までにない力が迸った。
「今ならこの壁を破壊できる気がするぜ…!超マス、いや、これはかがみランドを破壊する拳だぜ!」
あいきゅうさんの拳が壁面に炸裂する!
「かがみバスターーーーーーーッ」
涙のかがみバスターは「レズセ◯クスしないと出られない部屋」の壁を見事にぶち破った。
その先に見えてきたのは、「奴隷専用ルーム」へと繋がる地下通路である。
元々狭い敷地面積に無理やり作った違法な地下道なので、こうなってても仕方ない。
『あいきゅうさん…アナタの心の純粋さには恐れ入ります。さあ、私の本体がいる場所へ案内しましょう』
「決着をつけるぜ!伊山臭い恥部!」
力のアホカナを失った哀しみを抱えたあいきゅうさんは、伊山の幻覚が誘うまま、地下通路の階段を降りていった。
『アナタは素晴らしい。間違いなく、社会の中でも優先すべき上位に入るでしょう。私の本体がいる場所まで、少し歩きながら話でもしませんか?』
「お安い御用だぜ」
階段を降りながら、二人は話をする。
それぞれの目的。
戦った相手。
アルカナを手に入れた経緯。
そして、対戦相手への感情。
全てがお互い、何一つ噛み合わなかった。
二人は階段を降りる。
あいきゅうさんが歩くと、後ろで伊山洋一郎の足音も聞こえる。
それにしても、とあいきゅうさんは思う。
話してみて初めて分かったが、伊山は思っていたほど変態ではないのかも知れない。
名前も臭い恥部ではなく洋一郎というらしい。
その思想は何も考えてないあいきゅうさんに受け入れ切れるものでは無かったが、話は概ね理解できた。
概ね、だ。
そう。
それにしても、なのである。
伊山洋一郎の話は、最初からずっと、あいきゅうさんにとっては専門用語が飛び交い、理解し難いのだ。
彼自身、意図的にそんな話し方をしている節さえある。
落語の話だけは分かったが、それ以外はチンプンカンプンだった。
「伊山センセイの話は難しくてよく分かんないぜ!ドットーレって一体なんなんだぜ?」
『ドットーレというのは、コメディアデラルテに登場するお医者さんの役回りですよ。まあ、正確にはお医者さんではないのですが』
「医者じゃないのかだぜ?じゃあなんなんだぜ?」
『ふふ、こんな風に衒学的に、相手をはぐらかすように、知識をひけらかすように、物事を騙る学者ですよ』
そんな話ばかりをしながら階段を降りる。
階段を降りる。
つまり、伊山洋一郎自身、意図的にそんな話し方をしているのだ。
落語の話だけは分かったが、それ以外はチンプンカンプンだった。
「伊山先生は落語聞くんだぜ?」
『ええ。知り合いの女性がよく聞いてまして。いつのまにか私も影響を受けて聞くようになりました。「死神」って知ってます?』
「知らないぜ」
伊山洋一郎は両手をパンと合わせた。
『アジャラカモクレン
アジャラカモクレン
ちんちんストレングス
テケレッツ
の
パー』
「あっ!アナルパッケージホールドのプーだぜ!」
『ふふ、これはね、死神を退散させるおまじないですよ』
「死神…?」
伊山洋一郎は意図的にそんな話し方をしている。
落語の話だけは分かった。だが、それ以外はチンプンカンプンだ。
二人は階段を降りる。
足音が二人分、地下通路に鳴り響く。
やがて、目の前に巨大な扉が現れた。
『さあ、扉の前に来ましたよ。あとは簡単な算数の問題を解けば扉が開くようになってます』
「良いのかぜ?伊山センセイは多分死ぬぜ」
死神伊山は微笑んだ。
『ええ。元々どっちが勝っても良いと思ってますし。それに私もどっちみち死ぬ予定ですから』
「やっ!?死ぬのかだぜ?じゃあどうして、戦ってまでアホカナを手に入れようとしてるんだぜ?」
『死後のね、名声を知りたかったんですよ。要するに、自分が何かしたという実績が欲しいんです。じゃあ、その願いが叶わないとわかったら、どうしたら良いでしょう?はい、社会に貢献すれば良いんですね』
「相変わらず言ってることがよく分からんぜ」
『あいきゅうさん』
「なんだぜ」
『死ぬのは、やはり怖いでしょうか?』
あいきゅうさんは伊山の質面に答えず、扉の液晶画面を見る。
『2+2=?』
と液晶画面に表示されていた。
あいきゅうさんは算数の問題を解くことを諦め、暴力で解決することにした。
「この算数の答えは拳だぜ!扉を破壊する!」
あいきゅうさんの拳が光る!光る!太陽のように!
「うおおお!かがみバスター!」
強烈な破壊音。
隔離シェルターに充満していた空気が、地下道に流れ込み、あいきゅうさんは煙で包まれる。
隔離シェルターの扉が破壊された。
中には誰もいない。
誰もいない。
患者の行く末を見届けた、伊山洋一郎の幻覚の姿が消え去っている。
「ほらあいきゅうさん、やっぱりアナタの死神は枕元に立っていたようですね」
背後で声がした。
降りてきた階段を見上げると、頭より高い位置にガスマスクをした死神が立っている。
ほんの数秒間、初めて出会った二人の視線が交錯した。
次の瞬間、あいきゅうさんは即死していた。
10.
伊山洋一郎はガスマスクを外さない。
あいきゅうさんを死に至らしめたのは塩素系洗剤と酸性洗剤それぞれ20Lずつを混ぜて発生させた、塩素ガスだ。
塩素ガスは空気より重い。低い位置に溜まる。
伊山洋一郎はミセス・ベラドンナが去った直後、隔離シェルター内の空調設備を切った上で、予め持ち込んでいた20Lのポリタンク2つの中身をシェルター内にぶちまけた。
塩素ガスは猛毒である。
あとは、ガス処刑室と化した隔離シェルターから出て、あいきゅうさんを誘導するだけだ。
「ほら、「附子」ですよ。風に煽られただけでも死ぬ猛毒です。和尚の言いつけを守れば死にませんでしたね」
伊山洋一郎は、はじめからミセス・ベラドンナの企みを看破していた。
『安心するのはまだ早いよ。君には私が見えているからね』
マスクをした伊山の隣で、伊山洋一郎の幻覚が言った。
伊山洋一郎の武器は信念だ。
その信念に、一切の例外はない。
真の正義を持つ魔法少女であろうと。
自分自身であろうと。
死が迫れば、伊山洋一郎の幻が姿を現す。
『つまり今回は、はじめから相討ちで終わる話だった、という訳だね』
「ああ。だけど、これから何が起ころうと、あいきゅうさんのアホカナがある以上、全てのダメージが回復する。落語「死神」で言えば、命の蝋燭を継ぎ足す下りだね」
伊山洋一郎にとって最後に頼れる協力者。それは自分自身だった。
まず始まりは、伊山の夢の中に彼自身が現れたことだ。
そういった出来事は過去にも数度あった。
この場合、伊山洋一郎自身に命の危険が迫っている事実を示す。
彼はすぐさま原因を特定、回避するための行動に出た。
死が迫るアルカナ所有者を探し出し、その所有者と一対一で戦う場を用意したのだ。
そうすることで、第三者の介入を排除する。
伊山の目的は命の選定だ。
他のアルカナ所有者は積極的に排除した。
一組は信頼から、もう一組は予測不可能性からである。
あとは手順さえ謝らなければ、あいきゅうさんと伊山、先に死んだ方が後に死んだ方を救う薬となる。
なぜなら、二人とも死ぬ運命を背負っているからだ。
『太郎冠者は役者だから言ったんじゃない。一休さんは頭が良いけど、太郎冠者は馬鹿なんだ。だから彼は太郎冠者なのさ』
「ドットーレは、本当は医者でも学者でもない。口八丁の詐欺師だ。だから私はドットーレなのさ」
伊山はガスマスクを付けたまま、あいきゅうさんに近付くと、首元のアホカナ「死神」を確認した。
『さんざん古典を引用したね』
「でもホラ、昔から言うじゃないか」
次の瞬間!
あいきゅうさんの股間と両乳首と喉に張り付いていたタロットカードが剥がれる!
力のアホカナを取り込んだことで超強化されていた筋肉が暴走して怒張し、あいきゅうさんの遺体が光りながらムキムキになる!
魔法少女の服がビリビリ破れ、かぼちゃパンツも引き裂か(この後あいきゅうさんの正体を知った伊山洋一郎が頭痛と異常興奮でゲロを吐いて死にかける一幕があるのですが、とんだお下劣仮面喜劇なので割愛します)
あいきゅうさんのアルカナが吸い込まれたことで、伊山洋一郎は一命を取り留めた。
一つ間違えればゲロで窒息死して相討ちだっただろう。
「何か重大なことを忘れてしまった気がするけど、そう。昔から言いますよね。「混ぜるな危険」って」
東京かがみランド、
愛久…死亡。
MBDO…出家。伊山と再開することは二度となかった。
「喜劇はこれにて終幕です」