日本国内で出版されたすべての出版物を収集・保存する日本唯一の法定納本図書館。
国立国会図書館。
その地下の鉄扉の前に福音・メトディオスは立っていた。

全身を生傷と汗に包まれ、薄汚れた姿ではあったが健在。
伊山がコネを全開で使った結果、東京都知事により投じられた私兵は脅威ではあったが、忍派四十九流が一、辻一務流元下忍頭であり、“あの”逢合明日多を下したメトディオスを仕留めるには力不足だった。


「よぉ!福音・メトディオス…であってるよな?」


快活に話しかけるは熊を思わせる女傑。喧嘩屋、我道蘭。
メトディオス同様に、全身を汗と血と生傷に染めていたが、まるで気にしていない。
魔人医師会のコネクションにより集められた刺客は恐ろしくはあったが、裏社会に名を轟かす喧嘩屋にして“あの”黒埼・茜を倒した我道に対するには不十分過ぎた。


「…そういう貴方は…我道蘭…で間違いないですね」


互いに 何故ここに、とは問わない。
互いに 何故名前を、とは言わない。


我道は黒埼・茜馴染みの情報屋により、残りの対戦者の情報を得ていた。
メトディオスは自身の調査能力を生かし、残りの対戦者の情報を得ていた。
そうして、二人とも別のルートで伊山最後の根城である国会図書館地下を突き止めたのだ。

「…ま!目的は一緒みたいだな!」

煙草を気持ちよく吸い、豪快に煙を吹かす我道をメトディオスが目で非難する。

「図書館は禁煙です…ってか?普段は公共のルールってやつは守るけどさァ…もうすぐこの闘争も終わりが近いと思うとな…一本くらい勘弁してくれ」

我道はあっという間に一本を灰にして、携帯灰皿にねじ込むと、近くにあった『トム・ソーヤの冒険』を手に取り嘯いた。

「これの作者だって言ってるさ!『天国に葉巻がなければ行かない』ってな!ハハ!嫌煙家に色々言われるのがムカついて覚えちまった!」

ふぅ、と一つ息を吐きメトディオスは『若きウェルテルの悩み』を手に取り言った。

「…ゲーテ曰く。『喫煙にはひどい無作法があり、普通の優しい人間を窒息させる』」

「…言うねえ…」

二人の間の空気が剣呑なものになる。

「…で、ヤるのかい?ヤっちまうのかい!?」

獣めいた笑顔を浮かべる我道にメトディオスは警戒を続ける。
が、急に張っていた気を緩めた。

「…やめておきましょう。それくらい貴方も分かっているでしょう?」

「…まぁな。ここでやりあっても闇医者の総取りだもんなぁ」

鉄扉の先は伊山の要塞。
現段階ですら、いつ伊山の罠が襲い来るか分からないのだ。

メトディオス、我道、共に達人。
やりあうとなると全身全霊の殺し合いになる。
そうすれば罠に気を割く余裕などなくなる。

「二人でやったほうが闇医者の罠を潰せる…とりあえず伊山のとこにいくまでの共闘…ってことでいいかい?」

「…それで構いません」

メトディオスの答えに満足し、我道は両の拳をガツンとぶつける。

「うし!行くか!!…あー、ところで一つ聞きたいことがあるんだけどさ」

我道は虚空に親指を向けた。

「あんたはコレ、見えてる?」

その先には、伊山洋一郎の幻影が立っていた。


◆◆◆


「夢にも出たけどさ、コレが見えるってことは死地が近いんだっけ?お医者様の言う事には」

「…私にも見えていますよ。貴方に見えているものと同じとは断言できませんが」

二人の目には、茶髪に茶色のスーツ姿の、長身の若い男性、伊山洋一郎が映っていた。

「…同じ。同じですよ、お二人さん」

幻影が語り始める。

「基本的には幻影が見える人には個別の“私”が映るのですがね。お二人と話がしたいので統合させていただきました」

静かに語り始める『ガイダンス【宣告】』。命の危険が迫っている者の前に現れる死神。
その死神に、ヒュッと一つ息を吐き我道がジャブを見舞う。
しかしその拳は虚空を過ぎる。

「本当に幻影なんだな。私の脳髄に直接干渉しているのかい?面白い魔人能力だなオイ!」

「…人が話しているときに殴りかかるな、と義務教育で習いませんでしたか?」

侮蔑の表情を隠さず伊山が続ける。

一応迄に(・ ・ ・ ・)お二人に勧告します。…この場で死を選び、カードを手放してください」

「ハハ!」

あまりに馬鹿げた提案に我道がこらえきれずに笑うが、伊山は意に介さない。

「私の願いは命の選定。この世界は、明らかに間違っている。
私は医者として、数限りなく命が潰えるのを見てきた…

藤川七子ちゃんは5歳で虐待死した。
森田桜は献身的に義妹を守ってきたが31歳で通り魔に殺された。
川島幸代は教員としての道を歩んだその日に強姦され、路地裏にバラバラに捨てられた。

彼女らは死ぬべき命だったか?」

二人は答えない。
端から答えを求めていなかったのだろう。伊山が続ける。

「逆にどうしようもない、唾棄すべき命も腐るほど見てきた。

藤川真希は、娘が死んだ日、パチンコ屋で店員を殴っていた。
真田翔は『誰でもよかった』などと言いながら女子供だけを狙って通り魔を行った。
しかし心神喪失が認められ無罪となった。
菊池亮は強姦殺人犯だが犯行当時16歳だったため5年後に自由となった。
そしてその日に少女を犯した。

彼ら、彼女らの命は、先に死んだ者たちより価値があるか?」

淡々と伊山は語る。

「…あるわけがない。あまりに明白だ。ゴミと宝石が同時に谷底に落ちようとしていたら、どちらを取る?宝石に決まっているだろう?そんな当たり前が、この世界は出来ていない。…ならば、私が判断する。命の取捨選択を行い、価値ある命を残す」

伊山は本気だ。誰よりも真摯に命と向き合ってきたからこそ、
【神に代わり命の選定をする】などという、夢見がちな青年ですら本気にしない理想を押し進める。

「私の主義としては、わざわざ自分から望んで命がけの戦いに参加するような輩は助ける必要がないと思っていますが…もしこの場で死んでくれるのなら、願いでお二人の命を蘇らせます」

「随分とよぉ、自信があるんだな先生」

我道の圧にも臆さず伊山は続ける。

「貴方たちの夢に出た時点で居場所は把握できた。そうしてコネによる戦力を投入。多少ではありますが、消耗しているでしょう?」

二人の全身に広がる生傷は伊山の言葉を肯定した。

「その多少があれば、私は勝てる。いかな達人といえど生身の人間では私のところまで来られずに死ぬ…。無為に死ぬくらいならば、礎になった方が良いと思いませんか?」

伊山の目はどこまでも澄んでいた。

「新たな世界のため、価値ある命が残る世界のため!自らの命を犠牲に救われるべき命を助ける。それはまさに殉教!今なら間に合います!私の願いに殉じなさい!」



「お断りします」


以外にも。拒絶の言葉は我道からではなくメトディオスから飛び出た。

「貴方の言うそれは、殉教などではありません。…それは、只の諦観です」

メトディオスには珍しく声に熱がこもる。

「…私は、本物の殉教を知っている。四百年。間違えた道程であっても歩み続け、歩み続け、魂が摩耗してさえも、一欠けらの祈りを捨てることのなかった男を知っている」

――故に

「頭でっかちが殉教を語らないでいただきたい」

想像以上に強い拒絶に伊山が顔を歪める。

「いいねぇ!あんた、芯がある!ハハ!言うまでもないかもしれないが、私も『NO』だ。生き死にを他人に託すかよ」


それに、と我道が畳みかける。


「仮に私の願いが【命の選定】で、その精度があんたより良かったら、あんたは死んでくれるのかい?…やめようぜ、そんなつまんないこと。願いの価値が上か下かなんて尺度を闘争に持ち込むなよ」


ほんの少しのやり取りであったが、この三者が分かり合えないことはこの上もなく明確になった。
伊山は大きく、これ見よがしにため息をついた。

「分かってはいましたが、こうまで考えの尺度が違うとウンザリしますね…会話が成り立たない」

伊山は本心から一応迄(・ ・ ・)の勧告をしていた。どうせ考えを翻すはずなどないと思いつつも交渉したのだ。

「ただ、正直なところ、ありがたくはあります…お前らを生かすなんてしたくなかったですから」

淡々とした説明の空気は消え去り、明らかな敵意がむき出しとなる。

「いいね!そのギラついた感じ!どうせだからさ、言っちまえよ。ハッキリとさ!」

「…。確かにその通りですね…」

幻影の伊山が殺気を迸らせ、告げた。

「私は、お前らのような全体の利益を無視する存在が嫌いだ。虫唾が走る。特に我道。お前のような馬鹿とは相容れない。大嫌いだ」

子供じみた宣言であったが、それだけに伊山の本気は嫌というほど伝わった。

「交渉は決裂だな。命を無駄にし、能力を無駄にし、先のことを考えない馬鹿ども。…来い。この先に。SHOWDOWNだ!!」

「~!上等ォ!」

ガチンガチンと拳を打ち鳴らし我道が昂る。
メトディオスは眼鏡をかけなおし、忍びとしての自己を再定義する。

いざ扉を開き伊山の仕掛けたデストラップの群れへ。

その一歩を踏み出す前に我道が足を止めた。
メトディオスも足を止めた。
幻影の伊山も、何も言わずにそこに立った。

妙に心地よい静寂が図書館に満ちる。

アルカナジャーニー。この愚かな旅の終着点を前にし、三者の想いは一つになった。
関わりのない第三者から見れば馬鹿げている行いかもしれないが、これからすることは(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)必要な行為であった。一種の儀式であった。

打ち合わせも何もなしに三者は向き合う。

まずは我道が先陣を切った。



「喧嘩屋。我道蘭。【戦車】。求めるは、至高の闘争」


暗示するは勝利。征服。
その世界は血潮にまみれている。


「闇医者。伊山洋一郎。【死神】。求めるは、命の選定」


暗示するは決着。終焉。
その世界は断罪に終始している。


「抜け忍。福音・メトディオス。【法王】。求めるは、あの日の贖罪」


暗示するは慈悲。優しさ。
その世界は悔恨に満ちている。


三者三様。それぞれの世界がある。
何が正しいのか?その答えはどこにもない。
ただこの三者の世界が同じではないことは明白であった。

それでも互いに背負った世界、象徴するカードを示す。
自分の世界はこれだと。これからお前の世界を喰らうと。互いに告げ合う。

三者、笑った。
我道だけでなく、メトディオスも伊山も微笑んだ。

これから互いに潰し合い、最後に立つ者は只一人。
それが分かってなお、皆笑った。


―自身を鼓舞するためか。
―死地を前に気が昂ったのか。
―厳しい旅路を歩んできた同族に対する親近感か。



静かなる笑みと共に、最後の旅路は幕を開けた。


◆◆◆


鉄扉を開くと、そこは細い一本道。
侵入者の行動を縛ろうとしていることは明白だった。

「あー…これ、完全に罠あるよな…」

警戒しながらも我道は歩みを止めず、率先して進む。

通路に二人が入り、中ほどまで進んだ瞬間、通路の先に格子状のレーザーカッターが現れた。

「オイオイ正気か!」

逃げ場のない密度のレーザーカッターはあっという間に二人に迫りくる。

「メトディオス!こっちだ!」

我道は瞬時に通路の壁を殴り壊し、なんとか二人が入れそうなスペースを作り出した。
間一髪でレーザーカッターを回避する。

「あっぶねぇ…」

「助かりました…このレベルの罠が来るのですか…」

覚悟は決めていたものの、殺意に溢れたトラップの洗礼に、我道もメトディオスも気を引き締めざるを得なかった。

幻影が嘲笑う。

「最初から肝を冷やしていては、とても私まではたどり着けないですよ?」

その言葉は紛れもない事実であった。

一歩進むたびに悪意のある罠が襲い掛かる。
壁ごと壊すことのできる我道がいるおかげで土台ごと潰せる罠もあったが、伊山の罠は十重二十重に入り組んでいた。

「我道さん!頭上!間に合え…【ヤコブの御手】!」

ギロチンをメトディオスが両断した。

「足元だ!ぶん投げるぞ!衝撃に備えな!」

一面の巨大な落とし穴を、メトディオスを投げて跳躍させることで乗り越えた。

「【ヤコブの御手】!!」
「【大見解】!!」

槍衾を破壊し、圧死せしめんと迫りくる壁を砕き、火炎放射を弾いた。
矢継ぎ早に襲い来る死の罠をなんとか潜り抜けていく。

罠だけでも脅威であったが、その脅威を伊山の幻影が倍増させる。

「あー!あー!メトディオスさん!!?そっちは危ないんじゃないかな!」

ボウガンがメトディオスの背後から発射されたが、その音は伊山の幻影の大声にかき消される。

(!!!)

メトディオスがそれを躱せたのは、長年の鍛錬の賜物、風の流れを察知出来たから。
それでも本当に紙一重の見切りであった。

(罠の起動音を…会話でかき消しているわけですか…!)

我道にも幻影が話しかける。

「我道?顔色が悪いんじゃないか?」

「チッ、ぺらぺらとうるさ…」

会話の流れを無視し、伊山の幻影越しに(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)銃弾が撃ち込まれた。

「あっぶねぇえぇ!!」

そこに人がいるとしか認識できないレベルの幻影と、罠。
この二つは恐ろしく噛み合う。
声で音を誤魔化し、気を逸らす。
等身大の幻影は視界を遮り、罠の起動を目視させない。


この幻影戦法こそが伊山の本領であり、我道とメトディオスの誤算であった。
只のトラップ群であれば、二人は乗り越えられると思っていたし、事実それだけの実力があった。
伊山の幻影という恐るべき搦め手が、二人を追い込んでいく。

しかし、伊山の側にも誤算があった。
確かにこの国会図書館地下は伊山の要塞だ。
ただし、この要塞はアルカナジャーニーが始まる前、闇医者として活動していく上で身を護るために作成したものだ。
恨みを買い、魔人の刺客を差し向けられる可能性を考慮した。
組織を敵に回し、私兵を送られることを覚悟した。
それらを迎え撃つための設備は整えた。


しかし、達人を複数相手取ることは想定していなかった。闇医者活動をしているとはいえ、そこまで徹底的に命を狙われるほど派手な活動はしまいと思っていたのだ。

罠とは。相手の意識の死角を突き、裏をかいてこそ最大限に効力を発揮する。
だが達人が一人ではなく二人となることで、死角は圧倒的に少なくなる。
あと一歩のところで二人を仕留められずにいた。


三者の誤算が絡み合い、ギリギリで命をつなぎながら二人は伊山へと近づいていった。


◆◆◆


「そろそろ、終わりが近いですね…」

肩で大きく息をしながらメトディオスが言う。
左顔面が焼けただれ、右あばらにひびが入っていた。

「…なんで分かるんだ?」

我道も大きく息をしている。
右の耳が痛ましく引きちぎれ、脇腹には親指ほどの太さの穴が開いていた。

「国会図書館の広さは把握しています…進んできた距離を考えると、此処が終着かと」

二人の前にひときわ大きな扉がそびえ立つ。

「あんたがいなけりゃ三回は死んでいたよ」

「それを言うなら私も五回は死んでいましたね」

友情なんてない。仲間意識もない。分かり合えるとも思わない。
それでも命を支え合い二人はここまで来た。

互いに軽く頷くと、警戒を切らさず重い扉を開いた。

――予想通りに、伊山はいた。
全身をチューブと呼吸器に包まれた痛ましい姿でベッドに横たわっていた。

二人ともに伊山を視認した瞬間駆ける。
最後の部屋にも罠があるであろうことは明白、ならば最短距離で潰す方が適切と判断したのだ。

無防備な伊山に一撃加えようとした我道であったが、透明な壁に阻まれた。

「ッだ!まだなんかあるか!」

壁の向こうの伊山がよろよろと体を起こす。

「硬化テクタイト複合の…強化ガラスです…トラックと正面衝突しても破れませんよ…」

瞬間二人の周囲に壁がせり上がる。
やはり罠。
伊山は自らの無防備な姿を見せつけることで二人の行動を誘導した。

「死ね…!願いは!世界は私のものだ!!」

天井から空気音。致死性と思われるガスが流されるが、効果のほどを考察している時間は二人にはない。

「うっだらぁぁぁぁ!!」

我道が乱打するが、振動と衝突音が響くばかりで壁を破れない。
道中での消耗が無ければ、もう少し時間があれば破壊出来たかもしれないが、タラレバの話は意味がない。


「…下がってください」


我道の肩を引き、メトディオスが一歩を踏み出す。

メトディオスは忍者だ。忍者は闇に紛れ意識の間隙を突いてこそ本領を発揮する。
…そう思わせることこそが策。真っ向勝負の切り札を、彼はここまで温存していたのだ。
その切り札を今こそ使うべきだと彼は判断した。

「ッシャァ!!」

怪鳥のような高い気合音とともに飛び出した。
足裏のエネルギーが作用する面積を絞り、爆発的な推進力を得る。

全体重と全推進力を右拳に込める。
そして、拳のエネルギーが作用する面積を、限界まで絞った。

その拳が描く軌跡は、まるで一条の流星。
溜めに溜め、撓みに撓んだエネルギーが、針よりも細く絞り上げられ炸裂する。

キン

という冷たい音が地下室に響いた。

「奥義…【ロンギヌスの槍】…!」

人間では到底破壊しえぬはずの壁に、ポツリと一つ穴が開いた。

「…は、ははは!なんだ!驚かせて!穴一つか!この壁を打ち壊せるはずが…」

体を軋ませながら勝ち誇る伊山を、我道が遮断する。

「そんだけの穴がありゃあ!十二分!!」

獣の笑みはますます強くなり、目が血走り犬歯が剥き出しになる。


「あんたはもう少し!人間の可能性を信じるべきだったなぁ!!」


ミシミシと我道の拳が音を上げる。
腕の関節全てが猛烈な勢いで回転し、空気のうねる音が響く。
全力のストレートを投げるピッチャーのように大きく振りかぶると、裂帛の気合と共に渾身の拳がぶちかまされた。


「大!見!!解!!!」


蟻の穴から堤も崩れるの例えそのままに、硬化テクタイト複合の強化ガラスが粉々に砕け散る。それは、伊山の夢と野望と未来が砕け散った瞬間でもあった。


「あ…あああぁぁぁぁ!!そんな!馬鹿な…こんな馬鹿なことがあってたまるかぁぁ!!」

ボロボロの体を厭わず伊山が叫ぶ。



「悪いなぁ先生。その馬鹿が、目の前に来たぜ」



◆◆◆


「馬鹿な…馬鹿な…」

ブツブツと伊山が呟く。

「あと、あと一歩だったんだぞ…?『命は皆平等です』なんて綺麗ごとが世にはびこるが!屑はいる!救われるべき命はある!そうだろう!?何故それが分からない…?」

意識を朦朧とさせ、赤黒い血の塊をゴボリと口から吐き出す。

「畜生…」

言葉を絞り出すと、伊山は震える手で胸元のポケットからマイスプーンを取り出した。
そうしてそれを無造作に床に投げ捨てた。

「もう私はお前たちに付き合えない。匙を投げたよ…」

もはや伊山に出来ることは無い。全身につながれたチューブと呼吸器が痛ましい。
ただそれでも、眼光だけは鋭く輝いていた。

「で?これから早撃ちかい(・ ・ ・ ・ ・)?」


伊山を守るものはもう何もなく、容易く殺せるだろう。
しかし、それで回復できるのは一人(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)だ。

この状況、回復した方が、即ち伊山を先に殺した方が圧倒的に有利なのは言うまでもない。

沈黙。
重苦しい空気。


「…約束通り共闘は此処までだなぁ」

「…」

先ほどまで背を預けていたもの同士が、瞬時に敵対し合う。
二人は互いに機を探りあう。
冷たい静けさが一室に満ち、骨の軋む音、心臓の鼓動すら聞こえる気がした。


「ヒーー!!」


その静けさを絶叫が打ち破る。
体中に機器をつけられていた伊山がベッドから跳ね起き、メトディオスに襲い掛かったのだ。

「シッ!!」

それは素人の苦し紛れの突貫。
一切の慈悲なく、メトディオスの貫手は伊山の喉元を貫いた。

「ガボ…ボ」

血の泡を大量に吐き出しながらも伊山は懸命に言葉を口にした。

「…癪で…しょうがないですが…どちらに勝ってほしいか…否…どちらに負けてほしいかなら…決まっている…我道蘭!一足お先に失礼しますよ!!」


高笑いと共に伊山は息絶えた。
それと同時にメトディオスの傷が癒えていく。

アルカナジャーニー、残るは二人。



◆◆◆


傷を癒したメトディオスが我道に猛攻を仕掛ける。
真っ向勝負であれば、小細工無用の肉弾戦であれば我道がメトディオスを圧倒したであろう。
仮に小細工込みでも我道はメトディオスを下していた可能性が高い。

しかし今は状況が違う。
いかな我道と言えど、あまりに分が悪い。


懸命に自らを奮い立たせ、メトディオスの連撃に挑むが、捌ききれない。
鋭い貫手が右腕をかすめる。
刃物のようなローキックが脛の先を刻む。
仕込み腕の鎖分銅があばらを砕く。
我道はあっという間に全身を刻まれ、抉られ、体を血に染め上げた。

それでも我道は笑う。

「ハハ!最高だな…!ただ…私を仕留めるには軽いねえ!もっと踏み込んできな!」

それは見え透いた挑発であったが、メトディオスは乗ることにした。
我道はメトディオスより圧倒的に大きく、懐が深い。
より踏み込まなくては致命傷を与える事が出来ないと判断したのだ。

「うおらぁぁぁ!!!」

猛然と迫る我道の右フックを躱すと、足裏のエネルギーが作用する面積を絞り爆発的突進。
あっという間に我道の懐にメトディオスは飛び込んだ。
あとは刺し穿つだけ。

勝利まであと一歩。
愚かな旅路の終着まであと一歩。

そのメトディオスの眼前に、とんでもないものが飛び込む。
我道の懐から大量のものが飛び出る。

「ハハ…使うことになるとは思わなかった!情報屋に頼んで!仕入れてたんだよ!」

零れでたものは手榴弾。

(何故!?この距離で!?)

無慈悲な爆発は二人の間で炸裂した。



ビチャビチャと、血と肉片の飛び散る音が地下室に響く。

我道は瞬時に防御をしたものの、丸太を思わせる両腕は無残に吹き飛んでいた。
脇腹も大きく抉れ、腸が1メートルほどはみ出ている。
右の目玉は衝撃で潰れ、嫌な赤色に染まっていた。
左の足も吹き飛び大腿骨が剥き出しとなっていた。
体力自慢の我道と言えど、長く持って数分。…そう確信させるほどの負傷だった。


だが。


より無残な姿になったのは中背痩躯のメトディオスであった。
我道同様に防御をしたが、体格の厚みが違う。
細い腕は義手諸共吹き飛び、右のあばら部分もごっそり持っていかれた。
両足もまとめて飛ばされ、猛烈な勢いで血が溢れていた。
そして何より顔面。左の目玉付近が派手に吹き飛び、脳漿が覗いていた。
いかな抜け忍のメトディオスと言えど、一分も持たない。…そう確信させるほどの負傷だった。


◆◆◆



「…悪い…な。体力勝負に…持ち込ませてもらったよ…」

全身を深紅に染め上げた我道が笑う。
耐久力に物を言わせた道連れ。
相手が先に死にさえすれば問題ないという戦闘狂の論理が炸裂した。

(あ…何が…何が起きた?)

脳漿の一部も削られたメトディオスの意識は激しく混濁していた。
意識を失っていなかったことが、一つの奇跡だった。

現状を把握しようとし、すぐに絶望した。
腕がない。足がない。頭もなんだかグラグラする。
我道も致命傷ではあるが、向こうが先に死ぬとは思えない。
かといって、自分のこの体で我道にとどめを刺せるわけもない。

つまり。
詰んでいる。
メトディオスの旅は袋小路に陥った。

「あ…あ…嫌…だ…」

メトディオスが呻く。
芋虫のように地を這い、吹き飛ばされたロザリオの下に向かった。

「主よ…嗚呼…主よ…まだ足りないのですか…私の祈りは!届かないのですか!!」

意識を半ば失ったメトディオスは、虚空に叫ぶ。
それが命を消費する行為だと分かっても、せずにはいられぬと叫ぶ。

「私の願いが…弱かったから…?私の罪が…重かったから…?まだ!まだ足りなかったのですか!!主よ!主よ!」

残った左目から滂沱と涙が溢れ続ける。

「嫌だ…嫌だよぉ…私は赦されなくていい…地獄に落ちたっていい…おね…がい…やり直させて…」

脳が傷つき幼児退行でもしたのか、赤子のように神に祈る。

血まみれの我道が諫める。

「よせ。闘争に願いの強弱なんて関係ない。あんたが負けたからって、祈りが弱かったわけじゃない。願いが弱かったわけじゃない」

しかしメトディオスは我道の言葉にまるで耳を傾けず、懸命に神に祈り続けた。

「おね…がい…神様…助けでよ…妹を…やり直じ…させでぐだじゃい…」

もはや言葉を吐くのも困難になってきたがメトディオスは続ける。

「よせ!やめろ!願いが強いもんが強いのか!?負けたやつの願いはカスなのか?そうじゃないだろ?私を見ろよ!純粋に!お前と同じ世界で闘争している私を見ろよ!願いだとか祈りだとか!他所の世界を闘争に持ち込むなよ!」

我道も意識が混濁してきたのか、錯乱したように言葉を吐く。
我道の言葉がメトディオスにどう作用したかは分からない。ただ一瞬だけ、もとの冷静なメトディオスが戻ってきて告げた。


「…貴方の世界は、貴方にとって正しい。そしてその世界を好む人もいるでしょう。しかし、私の世界とは違うのです(・ ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)。私の、私の信じる世界では、祈りこそが…」


そうすると、また目を混濁させて一心に神に祈り始めた。
祈るための腕もなく。
跪くための足もなく。
それでもメトディオスは祈り続けた。


そうしてそのまま息絶えた。
闘争に喜びなど、欠片も見出さぬままに。



最終勝者:我道蘭。


◆◆◆



メトディオスのカードが統合され、我道の負傷も全て癒えた。
しかしそれでも、我道は苦々しい表情のままであった。

我道にとっては伊山とメトディオスとの闘争がこの上もなく楽しかったが、メトディオスと伊山にとってはそうではなかった。

やはり、こういう形で闘争に引き込むやり方が気に食わないと我道は強く思う。

そうこうしているうちに、全てのカードが統一された。
眩しいほどの光が我道の前に君臨する。それがこの争いの主催者。【世界】であった。


《フフーフ!お見事!我道蘭!いや見ていて楽しかった!》

存外軽い感じの声が、我道の脳内に直接響く。

「…あんたが、【世界】かい?」

《そう呼ぶ奴もいるねぇ。人間よりも圧倒的に上な存在…そう認識してくれれば十分だよン》

これのせいで闘争を望まないやつらが闘争に飛び込んできた。
我道の怒りが高まる。

《どうした?願いを言わないのかい?俺様とヤりたいんだろう?》

驚きで目を丸くする我道を【世界】が笑う。

《今更驚くなよ。何でも願いを叶える存在だぞ?それくらいねえ》

その通りだ。【世界】と戦いたい。至高の闘争を遂げたい。
我道はその願いを口にしようとし、言いよどんだ。
我道には非常に珍しく、悩み、惑い、言葉が口から出なかった。

《フフーフ!俺様は当然お前が何に悩んでいるかは分かるさ。だから先に答えてあげちゃおう!
お前が悩んでいるもう一つの願い、叶えることは可能さ。
ただし、お前の願いを捨てるなら(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)ね!》

ビクリとした我道に【世界】が続ける。

《あと、矛盾や衝突が起きる場合は、適当に処理するよン。俺様、人間の心情なんて分からないから、雑な結果になっちゃうかも。それでも良ければ願いを叫びな!》

だらだらと汗を流し、我道は悩む。
たっぷり悩んだ後、遂に我道は決めた。

「決めたよ…【世界】。私はろくに悩んだことがなかった。そんな私がこんなに悩むくらいなんだからさ、多分、多分だけどコレ(・ ・)はとても大切なことなんだろうな…」


《そうかいそうかい!じゃあ!ハッキリと!願いを口にしてもらおうか!》


柄にもなく緊張しているのか、我道は唾を一つごくりと飲み込んだ。
そしてその背を真っすぐに伸ばし、【世界】を見つめるとハッキリと告げた。

「私の願いは捨てる。だから…」



「他の参加者の願いを全て叶えてくれ」



《フフーフ!本当に!本当に自分の願いを捨てちゃった!馬鹿!お前は大馬鹿だね!じゃあ叶えよう!ちょいと雑なとこがあるかもしれないけど!さぁ諸君!目を閉じろ!次に目を開いた先が!全ての願いが叶った世界だ!!》





















◆◆◆


ほしのつくりかた


◆◆◆




「水飴甘いんだぜーーーー!!」

ここは暗愚寺。
あいきゅうさんが夢中でツボの中の水飴を舐める。
一心に。それ以外のことは些事と言わんばかりに。

『ツボの中の水飴を直飲みしたい』

あいきゅうさんの願いが真っ先に叶ったことにより、
あの日の暗愚寺のツボの中身はアルカナではなく水飴となった。
因果が流転し事象が遡る。

――即ち、アルカナの消失。

ツボの中にアルカナが無かった以上、カードを巡る戦いも起きようがない。
愚者の旅路は、歩み出す前に潰えた。
これ以上の愚かな旅路があるだろうか?
集いし愚者たちはアルカナジャーニー自体が消失した世界線へ飛んでいく。


「あま!あま!あが!!舌を噛んじゃったんだぜーー?!!」


その偉業を為した一番の愚者は、自身の行いの意味すら理解せず、水飴を舐めていた。


舐めているのに噛むってなんやねん。馬鹿なのかな?


違うわ!アホカナ!!?


【あいきゅうさん:水飴をツボから直飲みしたい】


◆◆◆


「な!?速い!動きが読めない!?」

百戦錬磨、80年無敗の黒埼・茜が翻弄されている。

「あ…姉御が負ける!?何もできずに!!?」

「オラッ!一方的にやられるわけには…な!?これも読み切っていた!?畜生!!」

無様に。完璧なまでに、茜は敗れた。

YOU LOSE の文字がディスプレイに大写しにされる。
格闘ゲームのランキング戦で茜はボッコボコにされていた。

「ダッ!!なんなんだいコイツは!強すぎる!!」

「いやぁ~!姉御も相当強いはずなのに、コイツの動き異次元でしたね!読みと判断が半端ねぇ~!」

「だぁぁぁ!!クソが!!」

茜が悪態をつく画面には、世界ランキング一位のプレイヤー名が刻まれていた。



――KUZURYUと。



【黒埼・茜:タロットを永久に消滅させる】
【九頭龍 次郎:最強になりたい】



◆◆◆


空が、こんなにも近いのに遠い。
星が、優しいのに冷たい。
そして月が。嗚呼、月が、残酷に煌めいている。

路田 久揺の意識が覚醒しては消失する。

私は何をしていたんだっけ?嗚呼そうだ。
『よだかの星』だ。先輩のいない世界に悲しくなって、無謀にも星に向かって飛んでいったのだった。

小さな笑いが久揺の口から零れた。
何もかもがどうでもよかった。先輩は私にとって世界を支える大切なパーツだった。
だから、先輩が欠けてしまった時点で、世界ってやつはどうしようもなく不完全になっていた。


あの完璧で楽しい世界は滅亡していたんだ。


「だからって、なんでこんなことしてるのかなぁ」


――ただ、全力で先輩に近づいてみたかったのかな


久揺は星にも月にもなれず、中空で意識を失った。





「おい!空から女の子が!」
「やべえって!あのままじゃ潰れちまうぞ!」


久揺が落ちる。堕ちる。
落下先は秋葉原。人々が口々に危険を叫ぶ中、悠々とした声が響いた。


「アキバで血生臭いものは見たくないんだよ。S.N.O.W!!」


   ニ     ニ

 ニ          ニ

グ          イ
         イ
      イ


小山内 姫は久揺との距離を歪曲させ、あっという間に縮めた。
ラジオ会館の屋上に立った小山内は、気絶した久揺を受け止めた。

「ったく。久しぶりのコスイベだってのにトラブルかよ…」

小山内は『魔法学校の二回生ジュン』の観音寺未森のコスをバッチリと決めていた。
予想外のトラブルではあったが、それはまさに強きヒロインの現身。

秋葉原のオタクたちが、小山内に大喝采を浴びせる。

「未森たん最高――!!」
「これぞ強く美しきヒロインでござる!」

喝采の嵐の中、一際感情をこめて応援の声を投げる男がいた。
鼻水を垂らし、顔中を涙に濡らし、その男は叫んだ。

「未森ちゃん!!かっこいいよお!!世界一!美しいよおお!!!」

その男の名は、橿原純一郎。
自身の理想のヒロインが、現実で人を救ったことに感激しきりであった。

なお、このあと純一郎は『俺の理想のヒロインが現実化して世界を救った件について』というラノベで一世を風靡する。
主人公のジュンイチローは作者自身の投影、自己満足の極みと揶揄されたが、ヒロインに対する濃厚な描写には確かに愛があり、アニメ化を遂げたという。


【路田 久揺:世界滅亡】
【小山内 姫:世界で一番美しく】
【橿原純一郎:二次元の世界に転生したい】


◆◆◆


「(あっ…!すご…凄い…激しい(照))」

薄暗い部屋の一室。汗だくで絡み合う二人の少女。
鬼姫殺人とキィ。組織から抜けた二人は、とある施設で保護されていた。
施設の名は『薔薇館』。マリアライト・レオマの居城。

絡み合っているのは鬼姫殺人とキィだけではない。
様々な事情で転がり込んできた少女たちが、互いをむさぼっている。

「…あ!あ!」

喉をむき出しにして仰け反るのは三楢茉白。
聖痕が発現し、女学院から放逐された魔女。

「駄目…負ける?私が…負けちゃう?嫌だ…どれだけかかっても…負けない…!」

全身を痙攣させるは小柄な少女、Abyss Walkerちゃん。


「…!きちゃう!何かが…新しい…世界が…!!」

頬を赤く染め、汗だくで絶頂するは“天使”ソックリさん。


三人の少女を翻弄し、蹂躙し、果てさせるはマリアライト・レオマ。
『薔薇館』の地下、薄暗い一室で少女たちは溶け合い混濁する。

非常に業腹ではあるが。

その閉じた世界を表現する言葉は【愛】以外に見当たらなかった。



【鬼姫 殺人:鬼姫災禍を打倒し、鬼姫殺人と言うオリジナルの存在になる
キィと幸せになる】
【ソックリさん:新世界の到来】
【Abyss Walker:永遠の戦闘】
【三楢 茉白:戦いを止めたい】


【マリアライト・レオマ:世界を愛で満たしたい】


◆◆◆


魔人警視庁調書より抜粋

都内『江戸の大殉教』の石碑側で遺体が発見された。
遺体には一切の傷がなく、死因確認のため司法解剖をしたところ、遺体の骨は酷く劣化しており、死後四百年は経過していると判明。
この遺体が魔人、もしくは魔人に攻撃を受けたものとして調査するも真相は判明せず。
被害の拡大も見られぬことからこの事件の調査はこれ以上進めないものとする。

追記:遺体は酷く穏やかな顔で、微笑んで死んでいた。季節外れの桜の花びらに包まれ、眠っているようだったという。


【都外れの妖怪桜:日当たりがよく、人通りの多い土地に引っ越す】
【逢合 明日多:殺して(たすけて)】


◆◆◆


♪Fly me to the moon
Let me play among the stars♪

ジャンクショップのラジオから歌声が響く。
ラジオ番組、『ラナンにお任せ』はその日、古き名曲を流していた。

「Ah…I like this song calmly. A gentle voice permeates my heart!」

込清三千彦は口笛と共に感想を口にした。

「ミッチ、英語なんて出来たの?」

ぶらりと店に来ていたタケさんの疑問に三千彦は答える。

「英語喋れたら15億人と喋れるっすからね!才能あったんすかね?語学勉強、スルスルと頭に入ってくるんすよ!」

ニっと人好きのする笑顔を浮かべる。

「世界中の人との会話!できる気がしてきたぁ!」


♪♪♪♪


ラジオから流れる心地よいメロディが「バー・マエストロ」に優しく漂う。

『ふん。…ほらよ』

師匠がいつものぶっきらぼうな態度と共に、遊葉にカクテルを差し出した。

「師匠!?どういう風の吹き回しです!?」

『…俺も飲み相手が欲しい日くらいあるさ…。ノンアルだ。一杯付き合いな』

「にゃはははは!師匠!もう酔ってる!?」

『ふん、好きに言えや…【平和】に乾杯』

「?平和に?あー、乾杯!」

(『お前は覚えてないか。それならそれでいいさ。今が、無事ならば』)


♪♪♪♪


「!!??」

帆村探偵社に流れるメロディで戸村は覚醒した。

「どうしたんだい戸村君?」

困惑する戸村に探偵社の主、帆村が話しかける。

「…先生…タロットはどうしたんですか…?」

「…タロット?」

何を言っているか分からないと帆村は首をかしげる。

「…ハハ。ハハハハハ!先生!先生にも!分からないことがあった!僕でも分かることが!分からない!!」


困惑する帆村をよそに、戸村は笑い続けた。


♪♪♪


「それでは、お便りのコーナーさ!」

ラナンは投書を読み上げる。

「え~、HN:断捨離のマリさん!」

『ラナンさんこんばんは』

「はい!こんばんは~」

『子供たちの通う学校には、七不思議が沢山あるんです』

「ほうほう」

『先日、七不思議の主がいると噂の教室の壁に、血文字が浮かんだんです』

「怖っ!なんて浮かんだのかな?」

『私は覚えている。ありがとう。喧嘩屋。…こう刻まれていたそうです』

「…喧嘩屋ねえ…。いや私も思うところがあるよ」

『身近な恐怖に触れた時、子供たちを守りたい。家族を大切にしていきたい。そう強く思いました。それでいいのだと思います』

「幸福は求めるものではなく守るもの。それでいいと思うよ!綺麗にまとまったところでいったんCMだ!」


♪♪♪


「ふう、今日も大変だ…」

「あ、ラナンさん!お茶、注いどきますね~」

「ありがとうハイリ!最高の一杯だ!」

ラナンは喉を潤し番組に戻る。

「名残惜しいけどそろそろお別れの時間だ!最後はこの曲で締めることにしよう!不朽の名曲!



『星に願いを』



今夜が皆さまに良い夜であることを願うよ!!」





【込清三千彦:あらゆる人と会話ができるようになりたい】
【遊葉 天虎:「黒蟻」の皆とお酒を飲みたい】
【戸村 純和:帆村紗六に勝利する】
【七番目の七不思議の七人目:物語を完遂できる存在を探し出す】
【断捨離のマリ:家族の幸福以外の全ては断ち、捨て、離す】
【大生 背理:自分こそが最高の『注ぐ女』であると証明する】
【ラナン・C・グロキシニア:世界を守りたい】

◆◆◆


「オラー!オラー!」
「もっとぶってー!」

セバス…もとい卑怯屋は理想的な貧乳パンクスタイル悪魔っ娘にスパンキングを受けていた。

「アヒー!アヒー!カズマさん!あんたは最高じゃあぁ!まさかパンキッシュ悪魔っ娘アートも!あふん!具現化できるなんて!払う!いくらでも払いますぞぉぉ!」

半ば無理矢理書かされたからか、そのアートには人を殺傷するほどの力はなく、ドMの卑怯屋にほどよい打撃となっていた。

(ここまで喜んで認めてもらうこと、俺様、初めてかも)

セバス・スチュワード:床神野財閥を立て直す
卑怯屋:胸の無い令嬢にこき使われる事】
【グラフィティ・カズマ:自分の作品が認められる世界の実現】

◆◆◆


駆ける。駆ける。駆ける。

脱獄した鳥越九は闇夜の森を駆けていた。
気が付いたらただ駆けていた。
何故自分はこんな夜道を駆けているのか?鳥越自身にもよく分からなかった。

どこからかシューマイの匂いがした気がしたが、無視して駆ける。
疑問が次から次へと湧き出るが、ただ駆ける。

森を抜けた時、鳥越は感電でもしたかのようにビクッと立ち止まる。
鳥越の目前には、愛娘のマユミがいた。


「マユ…ミ…?」


鳥越は混乱した。マユミはただ健やかに生きてきた。
そのはずなのに。
そこにマユミが生きていることが一つの奇跡のような気がして鳥越は立ちすくむ。

マユミに触れようとする刹那。

「確保ォォォ!!」

『炎神』の使い手である桜島宗近が鳥越を羽交い絞めにした。

「やっと捕まえたぜ!…鳥越よォ…現在の日本じゃ安楽死は認められてないのよ。罪は罪として償おうや。娘に会いに来ると読んだのは正解だったな」

あと一歩、マユミに触れる事が出来なかったにも関わらず、鳥越はぐちゃぐちゃの笑顔でむせび泣いた。

「嗚呼…!マユミ!マユミ!!マユミだ!マユミが…マユミがぁぁぁぁぁ!!」

半狂乱で娘の名を叫ぶ鳥越に桜島は困惑する。

「…?なんだ?何をそんなに…?」

「エヘ、ウヘヘ、そうですよね。マユミがいるのは普通。そのはずなのに…ああ、ああ!!マユミが!マユミが!ああぁぁ!生きてる!桜島さん!マユミが生きているんだよぉぉぉ!!」


【鳥越 九:死んだマユミちゃんを生き返らせたい】


◆◆◆


夢を見ている。
いつもどおりの、灰色の世界を眺める『ぼく』の夢…


――違う。これは夢ではない。


ジョバンニは緩やかに覚醒した。軋む体も、寒さに痛む肌も現実のものだ。

(『俺』は…化け物みたいなバァさんに殺されて…?)

ジョバンニの体が上手く動かない。何故ならば、彼女の体ははるか昔、幼いころのものに戻っていたのだから。
困惑するジョバンニの背に声がかけられる。

「きみ! どうしたの!?」

振り返らなくても分かる。カムパネルラの声だ。
全身に冷たい衝撃が走った。

今があの『あやまち』の瞬間だと気が付いたからだ。
あの日、カムパネルラはジョバンニと出会い無二の親友となった。

それさえなければ。

カムパネルラは血生臭い世界に来ることなんてなかった。
死ぬことなんてなかった。
薄汚い自分が、彼を巻き込んだのが全ての間違い。

「…なんでもねーよ。お坊ちゃんは向こうに行ってろ!」

必死に怖そうな声を出す。
本当は振り返り、カムパネルラを抱きしめたい。

もう一度、生きているカムパネルラに出会えた奇跡に浸りたい。

(でも、それじゃあ、カムパネルラは幸せになれないんだ…)

唇を血が出るほどにきつく噛み締める。

血と涙がぽたりと路上に落ちると同時に、ジョバンニは抱きしめられていた。

「ジョバンニ…君はいつでも意地っ張りだ」

「…!?カムパネルラ…覚えて!?駄目だ!なら分かるだろ!このまま一緒にいたら!カムパネルラは幸せになれな…」

ギュ!と痛むほどに強く強くジョバンニは抱きしめられた。
その力強い抱擁は、彼女が何よりも求めていたものだった。


「何が正解かなんて誰にも分からないよ…。正しい道を進む中の出来事なら、峠の上り下りもみんな本当の幸せに近づく一歩なんだから」

少しの沈黙ののち、ジョバンニは涙声を振り絞った。

「なんだよそれ…意地っ張りはカムパネルラもじゃないか…青臭い台詞!」

「青臭いとは心外だ!この台詞はかの名作のものだよ!『銀河鉄道のーーー



他愛もない会話は、曇り空の下でいつまでもいつまでも続いたという。


【カムパネルラとジョバンニ:過去のある『あやまち』の瞬間に戻り、もう一度やり直す】




◆◆◆


国立国会図書館地下室。
底冷えのする空間で伊山 洋一郎はゆっくりと目を覚まし、立ち上がった。

意識を取り戻した伊山の体は健康そのもの。
どこにもチューブはなく。自らの足でしっかりと立って見せた。

伊山自身、自らの状態に困惑をしたが、数分ほど思考したのち、中空に話しかけた。


「…【世界】とやら、そこにいるんでしょう?私の声が聞こえますか?」


返事はない。

「これは、我道蘭が勝利した結果でしょうか?」

伊山は構わず続け、真相をあっさりと看破した。

《フフーフ!やるねぇ先生!なんで分かったんだい?》

少しも動じず伊山は続ける。

「私を蘇生させる手段、それは願い以外ありえない。メトディオスが贖罪以外に願いを使うとは考えにくい。…願いではなく過程を重視する馬鹿が勝利し、『願いは他の奴にくれてやる』とでも言ったのでしょう…」

《フフーフ!ほとんど正解だ!》

「そしてそんな願いを認めてしまう酔狂な存在ならば、願いの末路を見届けるでしょう?」

淡々と述べる伊山。

《キレキレだねえ先生。そこまで分かっていながら何故俺様を呼んだ?》

「…何故私の病まで治っている?」

《フフーフ!それはねぇ、伊山、お前が願ったから(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)さ!》

「…私が?そうか。あの馬鹿の願いは『参加者の願いを叶えろ』か?いや私の願いは命の選定。より良い魂をこの世に残すこと。自らを優先などしない!」

伊山が声を荒げるが、世界は構わず語る。

《お前の願いは他の願いと衝突しちゃうからねえ…だから次善の願い、お前の底に在る願望を掬い上げたのさ。思ってたんだろ?もう少しちゃんと生きたいってさァ。まだ出来ることがあるってさァ!!》

「そんな…そんなことは…」

《抗議したって無駄だよン。俺様は人間の心情なんて分からない。願いが見えたから実現してやった、それだけサ。文句があるなら自分に言いな!お前は!自分の命を選定した!》

そういうと世界の気配は消え去り、地下室は再び静寂に包まれた。
静かな地下室で、伊山は一人絶望する。


(私が、私の利を願っていた?自らの存在を惜しんでいた?)


懊悩し、苦悶した。そうして悶えたのち、伊山は切り替えた(・ ・ ・ ・ ・)


「…私に、自らを惜しむ心が残っていた。それが本当かは分かりませんが、こうなってしまったからには、やれることをやるしかありませんね…政府への根回し、善良なものを救う技術、どうしようもない馬鹿の排除…ああ、やることが多すぎる!」

すぐさま地下室から飛び出ようとするが、一つ思い出し立ち止まる。


「…最初にすべきはコレ(・ ・)ですね」



伊山は、床に投げ捨てていたマイスプーンを拾い上げた。



【伊山 洋一郎:命の選定】



◆◆◆


メトディオスの意識がゆるりと戻る。

目前に在るは最愛の妹。自らの手で殺めたはずの妹。キュリオスが叫んでいる。

「どうして!?お兄ちゃん!なんで里の家族を、裏切るの!何故こんなことをするのよ!!!」

号泣しながらも、鍛え上げた技を繰り出すキュリオス。

――嗚呼。これは。

瞼に焼き付くほどに繰り返したメトディオスの過去。
致命的な間違いを起こしたあの日。

(何故か分かりませんが、私はやり直す機会をいただいた)

【彼女を止めるには、手加減などしていられなかった】

それこそが間違い。
止める。即ち殺める。
自身の命と妹の命、優先すべきはどちらか?

今ならば言える。自らの命よりも妹が大切だと。
己はどうなっても構わないから、妹には清く健やかに生きて欲しいと。

生存本能に負けて、妹の心臓を貫いた冷たいあの日の間違いをメトディオスは正す。
今度こそ間違いはしないと最善の手を打つ。

メトディオスは、妹の凶刃に対し、何もしなかった。
ただ、彼女を受け入れた。
自身の命と妹を天秤にかけた結果、妹に傾いた。ただそれだけの話だ。

メトディオスの左腕が切断され、宙に舞う。
猛烈な熱が襲うが、そんなこともメトディオスにはどうだってよいことだった。

トドメの一撃を覚悟し、無我の境地にメトディオスは至った。
生も死もどうでもよく、ただ一つの願いだけが在った。

死をただ待つメトディオス。しかし彼に最後の断罪は訪れなかった。

「…何を…してるのよ…お兄ちゃん…抵抗しなさいよ!私を殺しなさいよ!!」

妹が。最愛の存在が泣いている。
整った顔をぐしゃぐしゃに歪めて、ボロボロに泣いている。

愚かな殉教者は、愚劣なる信仰者は、此処で初めて気が付いた。
妹は、自身の命よりも兄を優先したのだと。
里の一族としての使命に縛られながらも、最後の最後には兄の命を大切にしたのだと。
キュリオスの自己犠牲に護られたからこそ、メトディオスは生きてこられたのだと。

一周遅れで妹の献身に気が付いたメトディオスはよろめく。

「主よ…嗚呼!主よ!私が…私が愚かでした…」

メトディオスの慟哭が響く。
困惑するキュリオスを無視して抱きしめる。

この腕よ砕けよとばかりに抱きしめる。

「私は…私は二度と間違えない…!この手は離さない!!」

「…馬鹿…お兄ちゃんは馬鹿だよ…里を裏切って、二人で生きていけるとでも思っているの…?」

それでも。そうだとしても。

メトディオスは抱きしめる力を緩めなかった。緩めるはずもなかった。




【福院・メトディオス:過去に戻り、正しい選択をすること】



◆◆◆



「はぁー…これで、全員の願いは叶って、めでたしめでたし…でいいのか?」

全ての願いが成就した世界で我道が呟く。

《その通りさ!全員の願いは叶った!お前の傲慢は実ったのさ!!あいつらの道程なんて無視して、強引に願いを叶えちゃう世界が成立したのさ!》

楽しそうに揶揄する【世界】を、我道が断ずる。

「それは違うぜ。世界さんよぉ。私は、やり合った奴らに心動かされたから願いを譲ったんだ。…メトディオスの、伊山の、私が潰した世界のきらめきが惜しかったからこそ、強引だって分かっていても願いを押し付けたんだ…」

ゆっくりと煙草を吸い、大きく煙を吐き出す。

「あいつらの道程を、無視したなんて言わないでくれ…。それは、悲しい。どうしようもなく悲しいからさぁ…」


【世界】は沈黙し、泣きたくなるほど静かな時間が流れた。
緩やかに我道は二本目の煙草に火をつける。
何かを惜しむように煙を肺に入れる。

その姿を茶化すように【世界】が話しかける。

《我道、後悔はしてないかい?》


しばしの静謐。それをぶち破るように声が響く。
猛烈な煙と共に我道が喚いた。


「後悔!しているよ!!!」


【世界】も困惑するほどの大音声を轟かせた後、我道は続ける。


「やめろよな!そういうこと言うの!せっかくの機会を!やっちまったって思ってるんだからさァ!!煽るなよ馬鹿!!」


我道はどこまでも自分の欲求に正直だ。今猛烈に後悔している。
自分の思うが儘に過ごし、刹那的に生きる。衝動で動く獣のような存在。


《フフーフ!本当にお前は面白いなぁ!!》


気が付いたら我道の前に、少年が顕現していた。
金髪碧眼の美少年。しかしどこか底知れない不気味さをたたえていた。

「あ…?お前?」

少年はクスクスと笑う。

「そうだよ。お前が望む世界さ。お前の願いは叶えない。ただそれでもさぁ、俺様がお前と戦いたいと思う事は自由だろ?」


我道の瞳が爛々と輝く。


「…いいのかよ。そんなボーナスがあっていいのかよ!!?」

「フフーフ!お前らの熱に誘われたって言ったら笑うかい?」


「笑わない!!笑うわけがないさ!!ああ!ああ!どうしようもなく幸せだなぁ!どこまでも透き通るくらいに楽しい夜だなぁ!!」


我道は全開の笑顔を見せる。その笑顔に曇りは微塵もなく。


「上等!上等だよ!!喧嘩屋!我道蘭!!」


【世界】が笑う。これ以上楽しいことなどないかのように笑う。
そうして、二人は同時に叫んだ。全力で叫んだ。




「「さぁ!!」」



どこまでも愚かな世界。その物語を一旦閉じるのに、これ以上相応しい台詞はあり得ないだろう。



「「闘争しようぜ!!!!!」」



【我道 蘭:至高の闘争を味わう事】



終幕
最終更新:2020年12月06日 23:11