0.ワンカード・スプレッド

 今回だけは、カードを引くことは野暮でしょう。

 なぜなら、最後に残るカードはたった一枚のみだから。

 図書館に集まるカードは4枚。
 ですが、ここにある幾万の蔵書もまた、数えきれない人々が記し、読した軌跡に他なりません。

 道はとうに示された。
 占いとは未来の暗示です。結果がわかっていて尚、その上でカードを引くのは『愚者』の行いに過ぎません。

 示された先は、受け取り手次第でしょう。
 解釈など真実の一側面に過ぎないのだから。

 それでも望むというのなら、
 この、たった一枚のカード。
 試してご覧にいれましょう。

 一、『世界』の逆位置。
 示すは、不調和。限界。中途半端な終焉、未完成。

 誰にとっても、お望みの結末でしょう?

 ——愚者の旅路(アルカナジャーニー)
 ——道果たす、
 ——三つの先を見届けてください。



先の先

1.

 藤川七子は4歳だったが、母親の意向で、一日のほとんどを自宅で過ごしていた。

 その日も、母親が仕事に出てから廊下に寝転び、ただ玄関の扉を見つめていた。
 扉の外の世界に興味はない。しかし、待っていればやがて母親か、誰か人がやってくることを知っていた。
 そうしているうちに、3時間以上経った。

「なんだい、なんだい。遥々来てやったってのに、汚い部屋にガキ一人じゃないか」

 だから、扉を壊して、男物のスーツを着たクマみたいなお姉さんが入って来た時も、「そういうものか」と思い、じっと見ていた。

「どうした?ガキんちょ。私の顔に何かついてるかい?」

「あなた、だあれ?」

「私かい?私はね、毛利って男に会いに来たんだ。仕事の野暮用でね。私より一回り小さい金髪の男なんだけどさ。この家に住んでるそうじゃないか」

 どうやら、目の前の知らない人は、母親が「新しいパパ」と呼んでいた男を尋ねてきたようだと、七子は理解した。
 しかし、その新しいパパは既に交通事故で死んだ。

「あの人なら帰ってこないわ。四月に事故で死んじゃったもの」

 だからこそ、七子に元々構うことのなかった母親が、さらに相手をする暇さえ無くなってしまったのだが、七子にはそのことを説明する余裕がなかった。

「何だって!?そりゃマジかい!っかぁ〜!!勿体無い…こんなことならさっさと勝負の決着をつけるべきだったねぇ」

 知らないお姉さんは、至極残念そうに、その場に蹲った。
 その様子が、とりわけ子供みたいで、大人とは思えない悲しみ方だったので、七子は目の前の人間に少し興味を持った。

「お姉さん、あの人の知り合い?」

 七子自身、母親が「新しいパパ」と言っていた毛利藤清という男のことについて詳しくは知らない。
 何かにつけて気配りの効く、優しい人ではあった。だが、結婚式を挙げてなかったし、仕事をしてなかった。それに、時折怪我をして帰ってくることもあった。
 地面の下で人を殴っていたそうなのだが、七子にはその光景が想像できなかった。

「ああ…毛利とは地下格闘技で一勝一敗の関係でね…ところがアイツ、大会の賞金を持ち逃げしちまってさ。私が追っ手として、組から遣わされたって訳さ。つってもわかんねーか。」

「じゃあお姉さん、あの人を殴ってたの?可哀想ね」

「はあ?何言ってんだ。殴るだけじゃねえ、こっちもいいパンチを何発か貰ったよ。それにそういうのは可哀想って言わねえ。お互い楽しんでたんだからな」

 変なの、と思ったが、口には出さなかった。
 七子を殴るとき、可哀想なのは本当は自分の方だとしきりに説明する母親と、今の知らないお姉さんの話は、あまりにも食い違っていたからだ。

 母親の話では、人を殴るときは、本当は殴る方が可哀想な筈だが、目の前の女の人はそれを知らないのだろうか。
 それとも、母親が間違っているのだろうか。

「人を殴るのは楽しいの?」

「楽しいね!血湧き、肉躍る!お嬢ちゃんも喧嘩友達くらいいるだろ?」

 七子は首を横に振った。

「いないわ、友達なんて」

 目の前の人は、黙って七子を見つめた。
 暫く見つめてから、立ち上がって冷蔵庫や寝室を物色する。
 そして、再び七子に視線を移すと、静かにゆっくりと口を開けた。

 その挙動が、七子の目にはテレビで見た黒豹にそっくりに映った。

「じゃあお嬢ちゃん、私と友達になろう!喧嘩の仕方とか色々教えてやるよ!それで、お嬢ちゃんの名前は?」

「私、藤川七子。お姉さんは名前なんて言うの?」

「私かい?我道、蘭だ。今日はお母さん何時に帰って来るかな?本当はこういうの嫌いなんだけどね、私が友達だって、一緒にお母さんに自慢してやるよ!」

「本当!?嬉しい!」

 藤川七子に、はじめての友達が出来た。

 その日、藤川七子の母親が休憩の間に帰ってくると、我道 蘭は事の次第を説明した。
 毛利藤清との件。持ち逃げされた金の行方の件。そして、藤川七子の件。

 だが、娘の件を持ち出したとき「本当に反省している」という言葉を母親から聞いた我道は、この件への興味を急速に失った。
 我道は何者にも囚われない。ただ、今回は人として最低限のことをせねば気分が悪かっただけだ。

 決して誰かのために行動したわけではない。

 だから、七子の母親に謝罪までさせたという事実が、自分のための行動という範疇を超え、七子のためになってしまったと思い、やる気を失った。
 ただ、それだけだ。

 その後、我道は児童相談所に通報し、七子とそれ以上関わることを止めた。

 我道 蘭の行動は彼女の持つ倫理観に照らしても概ね正しく、社会的にも決して間違いではない。
 だから、彼女はそれ以降の結末について何も知らない。

 虐待事案の対処においてやってはならないことの一つは、親を責めることである。

 間違っていたのは…


2.

『間違っていたのは妹御の方でしょう』

 出会い頭に、男はそう言い放った。
 しかし、思い返せば自分の身の上を詳細に話した上での発言だったように思える。
 実際のところはすっかり忘れてしまった。

 なにせ、福院・メトディオスが伊山洋一郎と会話したのは、夢の中だったのだから。

 いつも同じ夢を見る。
 それもきまって悪夢だ。
 左手の切っ先が妹の心臓を貫く感覚。幽鬼のように現れ出て、現実では体験する筈のなかった左手の感触ごと、妹を殺めた場面を追体験させる。

 失った左手で、妹を殺す夢だ。

 それ故、メトディオスは夜ごと思案してきた。
 果たして、自分は一体いつ間違えたのかと。
 だが、行き着く先の答えは常に同じ。
 師に邂逅し、己の生き様を選択した時である。

 考えるたび妹の死体は積み上がった。

 福院・メトディオスはしかし、いつもと同じ夢の中、いつもと同じ妹の死に直面する場面で、いつもと異なる、肘掛け椅子に座りチョコレートパフェを頬張る一人の男と対面した。

『間違っていたのは妹御の方でしょう』

 男は邂逅様に言い放った。

『失礼。しかしあなたの心は随分と荒廃しているようです。だから混乱した頭の中で、なおより一層込み入った話をしないといけない。まずはあなたもチョコパフェをどうです?』

 どのように返答したのか、メトディオスの記憶には無い。
 夢の中はいつも曖昧だ。だから、答えたようで答えていなかったかもしれないし、またその逆かも知れなかった。

『そうですか。しかし、不本意ながらあなたの頭の中を覗いてしまった。これは謝るべきです。それにあなたの心につい口出ししてしまった。大変、申し訳ない』

 男の謝罪などどうでも良かった。
 ただ、『間違っていたのは妹御の方』その言葉の続きが聞きたかった。

 男は「死神」のタロットカードを提示し、伊山洋一郎と名乗った。
 だが、その情報も夢の中ではどうでも良いとすら思えた。

『こんなものは、断片的にあなたの過去を垣間見た者の意見に過ぎませんがね。あなたは常に正しい選択を取り続けてきたでしょう。だから間違っていたのは妹御の方で、言ってみれば、これは最善が最良とは限らないという話ですよ。』

 そんなものは、
 そんなものは詭弁だと、メトディオスの心に火が着いた。
 しかし、辻一務流の教えが、言葉が外に出ることを留め、怒りを鎮める。
 やがて目の前の男を怜悧に見据えた。

『最善の行動と言えば聞こえは良いですが、つまりあなたは、妹御の心が彼女自身のものであるという、当たり前の事実を省みていない。全てをやり直したとして、あなたに妹御の意見を尊重など出来ますか?』

 自分が過去に立ち返ったとして、妹が過去の選択をやり直すわけではない。
 だから、メトディオスは何度でも失敗するだろう。
 伊山はそう言いたのだ。

 突きつけられた否定の文言に、メトディオスの意識は赤く染まりあがった。

 ならば、この戦いの意味は。
 積み上げた屍の上に、さらに屍を山と積み上げるが如き、煉獄の所業の果てにあるのは。
 その先にあるのは、願いの成就では無いのか。
 地獄に堕ちたこの夢から逃れる道では無いのか。

 メトディオスは伊山に言葉を投げかける。
 憤怒に塗れた後悔が、堰き止めようもなく男に向けられた。

『ただの殺人行為です。それ自体は、それ以上でもそれ以下でもない。あなたの信仰に裏打ちなどされるべきでは無い、ただの殺人行為です』

 巫山戯るな。
 貴様も散々同じことを繰り返したろうに。

 殺人と信仰に関連はないと言うが、貴様自身の罪を規定するのもまた、広義の法ではないか。
 社会的規範と神の法に本質的な差などあるものか。

 伊山よ。
 貴様は、他者の命を踏み躙ったことを後悔しないとでもいうつもりか。

『私たちに後悔をする資格があるとでも?やり直すべきは死んだ者達の権利だと思いませんか?』

 それが詭弁だと言うのだ。

 メトディオスは伊山の発言の真意を読み取りつつも続けた。

 他者の命を踏み躙った感触。
 それから逃れる方法はただ一つしかない。
 とうに答えなど決まっている。
 だからこそ、男の見据える先は自ずと理解できた。

 伊山はメトディオスの願いを否定した。
 だが、辿れば二人の根本は全く同じだ。

『だって、私たちは生きているじゃありませんか』

 メトディオスの言葉は違う。
 生きているからこそ、決定権は己が持つべきだと、彼は伊山に言った。
 それが生き残った者の権利だと。

『だからこそ、私たちは死んだ人間に選択を委ねるべきですよ』

 話は終わった。
 そう思った。
 全く同じ前提から出発した答えが、こうも真反対であれば、これ以上の議論は永遠に無意味だ。

『あなたに死が迫っています』

 伊山は言った。

『私は図書館にいます。戦うなら、そちらからいらしてください』

 唐突な死の運命に、
 メトディオスは微笑みを投げかけた。


3.

 戦いを有利に運ぶのに大事な要素がある。
「三つの先」だ。
 先の先、後の先、先々の先、合わせて三つの先である。

 このうち、先の先とは、しかけ技。
 向かい合った相手が攻撃の意思を整える前に、自ら攻撃を仕掛けることを言う。
 重要なのは、相手より先に攻め入ること。
 相手に体勢を整えさせないことだ。

 とある雑居ビル内の、元倉庫だった場所。

 その壁に福院・メトディオスがもたれ掛かっていた。
 夢から醒め、静かに、目を開ける。徐に、微笑んだ。

 伊山洋一郎に策を講じた自分に、嘲りの笑みを向けた。

 準備は既に終えた。
 万全とは言わぬ。だが、十分だ。

 メトディオスは辻一務流の元下忍頭、現在は抜け忍である。情報収集を命綱とし、見聞きしたことの要不要の振り分け一つで生死が決定する。
 そういう世界に身を置いている。

 当然、今回のタロットカードに関わる情報は可能な限り集めた。
 既に残りのアルカナ所持者が自分含め三人しかいないことも把握している。

 福院・メトディオス。
 我道・蘭。
 そして、伊山洋一郎。

 我道・蘭は裏社会に名を轟かせる喧嘩屋だ。
 露骨な戦闘タイプであり、推測アルカナ所有数の多さからも、実力は折り紙付き。
 過去の地下格闘技などの記録映像も調べた。戦い方は百般と評して不足ない。
 時と場所と相手によって奇策定石を使い分け、自らのペースに巻き込むのを得意としている。
 正面突破は危険だろう。

 一方、伊山洋一郎の詳細は思ったほど掴めなかった。
 裏社会の都市伝説にもなっている闇医者ということまでは分かった。
 だが、その噂は調べるほどに奇怪極まる。

 予知夢、死の運命からはじまり、幻覚という言葉まで飛び交う。
 だが、数少ない目撃証言に一貫しているのは「夢の中で伊山洋一郎に出会い、そこで死の運命を説明された」という文脈だ。

 彼の情報は何者かの手により、意図的に削除して回られている形跡すらある。
 あまり目立たないことを良しとするようだ。

 戦い方に不審な点は見受けられない。
 だが、聖寝技記念病院では、二人のアルカナ所有者が同士討ちするのを待ち、最終的に漁夫の利を得ている。
 前情報を素直に照らし合わせれば、伊山は二人が相討ちすることを知っていたと考えるべきだ。

 以上から推測して、伊山洋一郎は「何らかの方法で夢の中に入り、死の運命を決定づける」能力者であると踏んだ。

 であれば、伊山本人が彼自身の死を察知することも可能だろうか?
 だが、敵の能力の詳細が不明だ。考え過ぎるのは良くない。

 能力の発動条件が不明である以上、敵の能力から逃れる方法を探すのもまた得策ではない。
 ここはむしろ、敵の能力を利用するべきではないか。メトディオスはそう判断した。

 メトディオスは同じ悪夢しか見ない。
 ならば、夢の中で伊山と邂逅した際、明晰夢に移行することで、彼を誘導できるのはないだろうか。そう思った。

 結果、目論見は果たされ、種を蒔くことに成功した。

 伊山洋一郎は福院・メトディオスのことを「妹の死の後悔から、感情的になる人間」と判断した筈だ。

 ある意味でそれは正しい。
 だが、メトディオスは忍者だ。
 妹の死に責任を感じていることは事実。しかし自分自身がどう思っていようが、脳は冷静に機能し、体は自動的に敵の首を討ち取る。
 行動は常に正確無比という自負がある。

 敵は、メトディオスがなんとなれば感情を切り離して戦えることを知らない。
 これは付け入るための隙であり、逆に利用するための布石となり、最後の最後で有効に機能する。

 成る程。伊山の言った通り、選択を委ねられるべきは妹の方かもしれない。
 だが、そんなことは先刻承知。
 メトディオスが求めるのは、そういった細やかな理屈を引っくるめて、過去をやり直すことだ。
 どんな願いでも叶うなら、それくらい我儘も許容されて然るべき。

 むしろ、精神面で言えば、伊山洋一郎の方がよほど感傷的だ。
 自分のような愚かな人間を慮り、理解を試みようとするなど。

 だからこそ、感傷には感傷で、
 搦手には搦手で応えよう。

 準備は既に終えた。

 メトディオスは眼鏡をかける。

 足音が近付いてくる。
 階段を上がる足音が。

 仕掛けるのはこちらからだ。

 仮眠の前に連絡は終えている。
 この手段を取ったこと自体に、何ら思うところはない。
 なけなしの時間で掴んだ伊山洋一郎の能力の概要。それを試すにはコレが一番手っ取り早かった。

 伊山に誤った情報を刷り込み、こちらは逆に情報を引き出せた。
 命を賭けた対価としては上々だ。

 即ち、第三者を介して予め我道蘭にコンタクトを取り、廃ビルの隠れ家に呼び出し、戦闘に持ち込むよう仕向けた。

 そうして、死の運命ごと、伊山洋一郎と夢の中での邂逅を、狙ったタイミングに引き寄せた。

 我道との邂逅もまた避けられなくなったが、どうせいつかは戦う相手だ。問題ない。

 足音が近付いている。
 足音が止まった。

 メトディオスは木製のロザリオを握りしめる。
 そして、振り返った。

「逡巡は終わったかい?」

 スーツを着た、かなり大柄の女。
 我道——蘭がそこに立っていた。

「アンタから呼んだんだぜ!さあ!闘争(とうそう)るかい」

 意気揚々とした昂りを隠そうともしない。
 だが、間合いが広い。
 自身の現れ。と、同時にこちらへの挑発。

 どうした?かかってこいよ(・・・・・・・・・・・・)と言いたいのか。
 だが、このまま戦うつもりはない。無視をする。

 先の先。相手の発意よりも先に行動し、機先を制する。
 瞬間、考える。幾つかのパターン。否。考える間もない。

 忍者としての機能が。
 肉体を動作させる。

 メトディオスは左腕の義手を壁に叩きつけた。
 ヤコブの御手。能力による打突面拡散で、衝撃は壁面全体に伝わった。

「!」

 壁面が脆く崩れ去り、ビル風が室内に舞い込む。
 この廃ビルはメトディオスの隠れ家だ。構造は知り尽くしている。

 だから、壁を壊した先の脱出ルートも確保済み。

 肘の付け根から義手が発射され、数メートル離れた隣のビルの壁面を掴む。
 と、義手に内蔵された鎖が内部で摩擦し、仕込んでいた煙幕による煙を発生させる。

「ちょっ、おい!」

 跳躍。登坂。跳躍。登坂。
 静と動が一体となった身体駆法。
 瞬く間に、隣のビルに乗り移った。

「お前!喧嘩はどうした!ここでやんねーのか!?」

 我道から問いが投げかけられる。
 メトディオスは頷きで返す。
 伊山が指定した戦場は図書館。そして、彼の所有する物件の情報から、凡そ場所は特定済み。

 それよりも、確認することがある。
 ゆっくりと、メトディオスは口の動きでそれを我道に示す。

「い」「や」「ま」

 この三音の意味を察した我道の表情に僅かな変化が現れた。
 つまり、我道もまた既に夢の中で伊山と邂逅済み。

 見れば、微笑み。我道が笑っている。
 その顔に、メトディオスはやや躊躇いを覚えつつも、

 決戦の地へ赴くべく、その場から離脱した。



後の先

4.

 夢も見ないような白昼の都内。
 警視庁本部に存在する会議室。
 ここで、男が部屋の隅に立っていた。

「お前たち、全員揃っているか」

 警視総監である。
 しかも彼はただの警視総監ではない。朝廷により陸奥守に任ぜられた、一角の人物である。

 何故、人目を忍んで会議室にいるのか。
 理由は、今しがた扉を引いて入室した、三人の男を見れば明らかだ。
 彼らは一様に僧兵の姿をしていた。

「一輪寺黄斎おります」

 それは白髪の老人だった。

「影縫刑部おります」

 それは一糸纏わぬ全裸で総髪の男だった。

「平蜘蛛新右衛門おります」

 それは蟹の義手を両腕に装着した、骸骨のような顔の男だった。

「うむ。辻一務衆よ。よくぞ参った。此度の話というのはな、他でもない。例のタロットカードに関する話である」

 彼ら三人は、辻一務流生き残り、忍者である。
 抜け忍・夜羽により里を壊滅させられた辻一務流忍者達が、なぜ警視総監子飼いとなっているのか。彼らは交流研修のため警視庁に出向していたのである。

 一方で、陸奥守はタロットカードの件で頭を悩ませていた。
 ひとえに被害の多さにである。
 怪我人や死者が多発している。
 建物も多く壊された。
 警察としては散々と言っていい。

 しかも自衛隊何某とかいう組織から、機密案件を持ち出すにつき「いいから手を出すな」とまで言われる始末。
 それを甘受したら、高校生が大量死した。

 陸奥守は、Funky sonic家当主を継いだと同時に、警視総監の座を襲名した。名をWorlD。
 Funky sonic 陸奥守 WorlDという。

「このご時世に秘密組織とはの。時代錯誤と申すに些かの躊躇もない。儂は、疲れた。もうこの件から手を引こうと思う」

「ほ」

 陸奥守の言葉に、辻一務衆は目を丸くした。

「お主達、死神は信じるか?今朝、儂は死神に会うた。これ以上余計な手を出せば、儂は死ぬそうじゃ」

「陸奥守殿。実は我ら一同も今朝死神に会うてござる」

 進み出たのは、白髪の老人、一輪寺黄斎である。

「なんと、そうなのか」

「いかにも。殿には話したことがござろう。我ら辻一務流の謀反人、夜羽のことを」

「おお、そのような者もいたように思える」

「それでござる。死神の話に霊感を覚えた我ら、その死神を調べた者の履歴を調べたれば、ついに見つけてござる。件の謀反人、夜羽を」

 忍者の情報収集は周到である。
 その痕跡を辿ることは不可能だ。
 福院・メトディオスを見つけることは難しい。

 しかし、彼ら辻一務流は伊山洋一郎と出会った。
 考えた。何故、自分たちに死の運命が突きつけられたのかを。

 そして、「伊山を調べる人間」を調べることを思い至り、網を張り、メトディオスの居場所を逆探知することに成功したのである。

「よって我ら、主君の元を離れ、復讐に走ろうと思っていた次第。陸奥守殿がタロットカードの件から離れるのは我らにとっても重畳」

 発言したのは、平蜘蛛新右衛門である。

「そうか。では行ってまいれ。達者でな」

「然からば、これにて」

「少し待て」

 陸奥守は三人に戦勝祈願の火打ち石を見舞った。

「達者でな、お前たち」


5.

 毛利藤清。享年19歳。
 バイクの転倒による交通事故死。
 都内のアパートで、20代の女性、およびその連れ子と三人暮らしだった。

 暴力団主催の地下格闘技で13戦7勝6敗。
 うち2戦は我道 蘭との交戦。

 事故の直前に「病院には行かない」と前後脈絡のない発言を繰り返していた。

 事故の巻き込みによる死者はなし。


6.

 藤川七子。享年5歳。

 5歳の誕生日から二週間後、藤川七子は母親に頭部を強く殴られる。

 その状態のまま三日間放置されるが、誰もいない部屋でひとりごとを長時間話した直後、「病院に行きたい」と母親にせがむ。
 自身の子がまた突拍子もないことを言い出したと思った母親は、折檻のつもりで複数回殴打。
 しかし、七子はそれでも「病院に行く」との発言を繰り返す。

 伊山洋一郎が自ら赴いた時点で、助かる見込みは無くなっていた。


7.

 ああ、また君か。
 このところ随分とよく会うね。

 だが、今回ばかりは、君が死ぬまで私は消えないだろうね。

 なにせ、残るアホカナの所持者は君を含めて三人だけだ。
 ああ、ああ。
 ああ。

 ついに、というわけだ。

 君はもう二度と目覚めない。そういうわけだ。
 病も最終段階に移行した。

 周期仮死性過眠症。凍眠症。リップ・ワシントン・ベル症候群。
 コールドスリープ症候群。星間飛行症候群。
 呼び名は色々あるけど、別に病が変わるわけではない。
 知ってるよね。この病気は原因不明なんだ。

 だが、確認しておきたい。
 あいきゅうさんのアホカナが体内に入った時の感覚を覚えているかい?
 何故か詳しいことは忘れてしまったし、思い出そうとも思えないが、あの時、間違いなく何か精神的なダメージが回復した筈だ。

 アホカナのルールにもあるだろう。
 他者のカードを手にした時点で、肉体の負傷は回復する。それは精神にも作用するというわけだ。

 だが、そうだ。
 そこまで及ぶ再生なら、どうして君の病は完治しなかった?
 三楢茉白や桜宮子のときもだ。
 もっと遡れば、島野四穂と天内典三のときもだ。
 星間飛行症候群が未知の病だから?
 それともカード取得以前に負った怪我や病気は治らないか?

 いや、そうかもそれないが、違う。
 君もよく知っている筈だ。
 助かるつもりがないから、病気も治療されなかった。

 つまり、そういうことだ。
 アホカナの治療には限界がある。

 メトディオス君も同じ理由だろうな。
 腕についても、あの悪夢についても。
 彼は生きるつもりがない。
 あの断片的な人生のどこの時点かまでは知らないが、過去の急死に一生を得た場面まで戻り、選択をやり直し、そこで死ぬつもりだ。

 だから、君も彼も、勝つにせよ負けるにせよ(・・・・・・・・・・・)、もう私は消えない。
 死ぬことは決定しているからだ。

 よもや私の能力にこんな穴があろうとはね。

 ところで、これは十字教徒としては自殺なのだろうか?他殺だろうか?

 しかし、そうか。
 十字…そうか。そういうこともあり得るのか。
 彼女も十字教徒だったね?

 まあ、彼の出自に触れてやるのも野暮か。
 アルカナによる治療の仕組みが分かれば、次に出す手段も自ずと決まるわけだしね。

 さて、そうなると重要なのは、順番だ。
 残る相手は何れも武芸の達者だぞ。
 今、導いた仮説だけで上手く凌げるかは分からないが、やるだけのことはやるべきだろう。

 もうやれることは全部やった?
 はは、そうだね。

 やはり自分とは随分気が合うね。
 それでは、ここは後の先を取ろうか。

 チェコパフェでもどうだい?


8.

 手土呂時也。享年35歳。
 傷害罪、殺人罪の容疑で逃走中だったが、地下格闘技大会のデスマッチに参加。
 そこで敗北して死亡。

 対戦相手は我道 蘭。

 観客の言によると、最期は笑って死んだ。

 手土呂本人が指名したセコンドは、伊山洋一郎。
 手土呂と伊山はそれまでの面識がなく、試合直前での顔合わせが初対面。

 我道と伊山が対面したのも、この時がはじめてとなる。


9.

 我道 蘭は肌で物事を思考する。

 肌がザワつけば喧嘩の気配がある。
 肌がヒリつけば、危険が迫っている。
 肌が落ちつかないと、それは気に入らない。

 だが、なにも肌に触れる者全てに拳を振るったわけではない。
 だからこそ、闘争には純粋さを求めた。
 何かと闘争している間、その肌は歓喜を覚える。

「随分と味な真似をしてくれたねぇ」

 我道にとっては、福院・メトディオスに呼び出された挙句、勝負のおあずけを喰らったとしても、それは闘争の中断を意味しない。

「後の先を取ってやろうと思ったが、こう来るとは考えてなかったさ。でも、追いかけっこは嫌いじゃないよ。」

 彼女にしか見えない、闇医者の幻影に向かって言う。
 伊山の幻影が見えたのは、つい今しがたのことである。
 普段、昼間に獲物を探して街路をブラつく彼女が、この日に限って路地裏で昼寝をしようと思ったのは、野生的勘の働きのためだ。

 ただ、「肌がザワつくのに誰もいない」そう感じたから、なんとなく成り行き任せに目を閉じただけである。

『アナタは本当に野生的と言うか、運が強い方なのですね。さて、ここからどうしますか?』

 夢の中で彼女は伊山洋一郎と出会った。
 戦った相手なら顔を見れば思い出せる。名前を聞けば顔を思い出せる。
 だが、伊山の顔を見ても、すぐに誰だったか思い出せない。
 つまり、過去に会っているが、戦闘はしていない。戦闘タイプではない。そう判断した。

 直後に伊山は我道に顔見知りであることを説明し、彼女に死が迫っていることを告げた。

「追うに決まってんじゃないか。どうせアンタが誘導したンだろ?場所を言いな!」

『せかい情報書肆。豊島区の外れにある、小さな古民家を改造した私設図書館ですよ』

 伊山が言い終わるより早く、
 我道はビルから飛び降りていた。

「良いね!追いかけっこは大好きだよ。伊山、アンタもそこに居るってわけだ」

 我道 蘭が廃ビルに来た理由は単純だ。
 寝ていたら、黒崎茜と交戦した際に手引きをした情報屋から、また連絡があった。
 依頼という形式は好まないため、断ろうと思ったが、電話口に飛び出したのは「いやま」という言葉だった。

 依頼は断りつつも、肌の感覚に導かれるまま、情報屋の指名した場所へ向かったのである。

「まさか逃げられるとはね!良いさ!良いさ!策謀戦も追跡戦も大好きさ!だが忘れてやしないかい!?私が一番好きなのは、直接戦闘だよ」

 伊山の幻影が追いつかない程の速さで、我道は駆け抜ける。

『ああ、力で押し切るおつもりなのですね』

「アァ!アンタも喧嘩してるんだぜ!楽しくないのかい!?これは私にとっては、ディナーの前にデザートをくれたようなもんさ」

 まず図書館へ向かい、伊山を叩く。
 それが我道のとった選択だ。

 駆ける。
 駆け抜ける。
 公道を、車道を。林を。住宅街を。

 その歩みに一切の躊躇はなく。
 ただ肌の感覚が疼くままに駆ける。
 アルカナが導く先へと。
 先の先へ。

 だが。

「…人気が無さすぎるね」

 我道の感じた違和感。
 自分の動きが速すぎる。
 住宅街であるにも関わらず、人がいない。
 人がいないから、彼女を止めるものがない。

 彼女は目の前に再出現した伊山の幻影を見る。

『ああ、人払いは済ませましたよ』

「そうかい。だが、この気配は…」

 我道は立ち止まった。
 既に、目的地である図書館はすぐ近くに見えている。

 私設図書館、せかい情報書肆。

 佇まいはそこらの古い家と変わらない。
 だが、軒先に本棚と看板、ポストを改造した図書返却口が置かれている。

 間違いなく、アレが決戦の場所。

「…引っ張り出すか」

『えっ』

 すると、我道は近くにあったブロック塀を拳で破壊して、
 大きな破片を、図書館に向けて投げた。

 即座に、大きな破砕音が聞こえる。
 玄関に大きな穴が穿たれた。

「アンタさあ〜策を練ってんだろ?良いぜ。私も策は好きだ」

『ちょっアナタ…』

「でもさぁ〜、こうして建物自体をふっ飛ばしちまえば、中にいるアンタは潰されちまうんじゃないかい?」

 破砕音。粉砕音。
 大砲のように大きな音と地響きが閑静な住宅街に木霊する。

「おっとお嬢さん。そこで手を止めてもらおうか」

 そこへ、我道を阻むように現れた、三人の僧兵。一様に殺気を放っている。

 我道は異様な昂りを覚えていた。
 今は、ヒリつくほどに危険を感じている。

「消えろ。喧嘩の最中だ」

 獲物を見つけた捕食生物特有の笑みが、彼女の顔に現れた。

「警視庁旗下、辻一務衆」


10.

 聖寝技記念病院勤務医師、西行佐久也は自宅のベットで寝転びながら天井を見上げていた。

 つい昨日、伊山洋一郎とした最後の会話を反芻していた。

 訪ねてきたのは伊山の方だった。
 病気に関する相談だ。

「なんだよ大親友。もう命の残り時間はかなり少ないぜ。こんなところにいて良いのかよ」

「それなんだけどさ、西行。この星間飛行症候群って、睡眠中に無理矢理でも目を覚ますことは出来ないかな?」

 そう切り出してきた。

「ああ、あるにはあるぜ。なんだよ、死ぬのが怖くなってきたか?」

「そう言うわけじゃないさ。どうしても睡眠中に襲われた時の対策を講じないきゃいけなくてね」

「例のタロットカードの件か。まさか…またブラジリアン柔術じゃねえだろうな?」

「いや、今回はブラジリアン柔術じゃない。なあ、何かないか?星間飛行症候群の睡眠を吹き飛ばすような、そう言う都合の良い薬が」

 ブラジリアン柔術ではない。その言葉に西行は安心する。
 このうえ世界Tバック計画が関わるとなれば、東京への被害は計測不能となる。

「まあ、あるにはあるぜ?とっておきのやつがな。権力者の息子を舐めるなよ」

「助かるよ。ありったけ譲ってくれ」

「まあ聞けよ。だが、この薬は研究段階でな、しかも曰く付きだ。結論から言うと、死体でも目かま覚める薬だが、十数秒で死ぬ」

「好都合じゃないか。効果は本物か?」

「まあ実際に死体で試したから間違い無い。多分、お前の病気でも有効だぜ。で、見返りは?」

「俺が持ってる都内の物件、せかい情報書肆ってんだけど、それをやる」

 西行にも、温情はあった。
 彼は甘んじて伊山の提案を受け入れ、ちっぽけな物件と引き換えに、実験段階の違法薬をくれてやった。

 そして、今は思案している。
 おそらく、アレが伊山との最後の会話になるだろう。

 せかい情報書肆。
 世界。タロットカード。
 世界のアルカナ。
 世界…Tバック計画。

 まさか、世界のアルカナとは、Tバックではないだろうか。

 西行はまどろみの中へ落ちていった。


11.

 福院・メトディオスは、せかい情報書肆の内部へ潜入していた。

 壁際の本棚に隠された地下室。
 その中に、伊山の本体がいた。
 カプセル型のシェルターに入っている。

 だが、メトディオスは近寄らない。
 僅かに感じた空気の澱み。
 周辺に毒ガス。おそらくは塩素か、硫化水素がばら撒かれている。

 近づけば死。

「伊山先生、ドーピング薬を持っているでしょう。それを渡してください」

 そして、伊山の幻影に向けて言った。

『おやおや、何故そう思うのですか?』

「貴方は戦闘タイプではない。だから、直接戦闘タイプとの交戦を避けるだろう。しかし、夢の中で感じた違和感。貴方は今回の戦いで死ぬつもりだ。違うか?」

『……』

 メトディオスは眼鏡を外す。

「貴方は他人の命を奪ってまで生きるつもりがない。そういう人だ。だから、今回だけは能力で自分の勝敗が見えない、でしょう?最後の最後は実力行使に頼らざるを得ない。そして、貴方は医者だ」

 正確には伊山の行動記録から聖寝技病院医師との交友関係を調べ上げた上での推測だが、そこまで言う義理はない。

『医者ではない。闇医者ですよ』

「それだけじゃない。私を見て、もう分かっている筈です。私もまた勝敗に関わらず死ぬ定めだと。ゆえに、勝敗もまた分からない」

 会話を続けつつ、メトディオスは地下室の空気の流れから、壁面に僅かな窪みがあることを感知する。

『どうやら後の先は読まれていたようですね』

「はっきり言う。ドーピング程度で、貴方では我道に太刀打ちできない。だが、私なら有効に使える」

 伊山の幻影が壁に仕込まれた窪みを見つめる。
 壁の窪みに手を触れる。そこは隠された戸棚であり、中には注射器と液体の入った薬瓶、錠剤の入った薬瓶が仕舞われていた。

『言っておきます。液体は重篤な眠りから覚めるための薬です。使えば10分程度で効き始めますが、その後十数秒で死に至ります。錠剤は私特製のドーピング剤です。これも使えば死にます』

「全て好都合だ」

 首に下げたロザリオを握りしめ、メトディオスは言った。
 そのロザリオを、伊山の幻影は興味深げに見つめていた。


12.

 園部三五。享年26歳。
 日本数学史に名を残す程の天才と言われたが、恩師である田所淳之の飛行機事故死から半年後に自ら命を絶った。

「先生。アンタには本当に感謝してる。俺が研究を続けられるのはアンタのお陰だ。あの怪我からここまで回復させられるのはアンタしかいないだろう」

「それはありがとうございます」

「だけど先生!アンタのせいじゃないけどさあ〜!田所教授がいなくなったら、誰が俺の論文を理解できんだよォ!」

「…」

「先生は名医だけどさ、教授みたいに、助けられない命はあるんだ。俺、もう生きていたくねえよ〜!」

 園部は自宅で命を経った。
 浴室からは大量の硫化水素ガスが検出された。


13.

 我道 蘭にとって、これまで最も不純だった戦いは、手土呂時也との地下格闘技デスマッチだった。

 毛利藤清が持ち逃げしたと言われる大会の賞金。それを回収出来なかった我道に対して、主催である暴力団が責任を押し付け、命懸けのデスマッチを強要したのだ。

 まあ、金を持ち逃げしたのは我道だったし、それだって、家族の手前大っぴらに喧嘩が出来なくなった毛利に大義名分をつけさせるためだったから仕方ない。
 電話では本人も快諾してくれた。
 ただ、毛利と戦えなかったのが残念だ。

 しかし、そのデスマッチの対戦相手が問題だった。
 肉体のピークを過ぎた中年の男。誰かに強要されて、嫌々戦っていることは丸分かりだった。
 そのくせ、試合中によく喋る奴だったのだから始末が悪い。

「アンタが我道さんかい?」

「俺の気持ちを理解できるかい?」

「俺はこう言う人間だからさ。結局、社会のルールとか全部無視して、自分のためだけに戦うしかねえんだよ」

「戦ってるんだよ、俺は自分のために戦ってる。だけど、息子のために、もっと真っ当な道があったんじゃないかと思っているだけさ」

「どうしたぃ?笑えよ」

 それからだろうか。
 戦う相手にも、なるべく闘争への純粋さを求めるようになったのは。


先々の先

14.

 我道はただ、至高の戦いを求める。

 至高の戦いとは量ではなく質で決まる。
 一瞬の交錯であろうが、その一撃が至高であれば、それで良い。

 辻一務衆と名乗る五人の忍者の目的は、我道の命だった。
 我道は理由を聞いた。

「死神が言うには、ワシらは間も無く死ぬそうじゃ。おそらく悉く夜羽に返り討ちにされるんじゃろう。その運命を避けるためには、夜羽が狙うお主の命を、逆にワシらが討ち果たそうと考えたのじゃ」

 これが伊山の策かい?随分と安いねぇ。
 我道は、そう挑発した。

「ほっほ。辻一務流がたかが闇医者ごときのために動くとでも。死神は今もこうしてワシらを必死に止めようとしておるよ。お主にも見せてやりたいものじゃ」

 それは私に負けて死ぬってことだろ?
 そう言うと、忍者たちは一様に笑った。

「よいよい。お主にも事情があろう。タロットカードの戦いも随分と崇高なようじゃ。じゃが、それをわざわざ尊重してやるとでも?」

 結果から言えば。
 影縫刑部、落命。
 宮本十兵衛ほか1名は「この戦いに益なし」として、その場を去ることに決めた。
 その瞬間、彼らから死神は消えた。

 ただ、辻一務衆は、自分たちの無事を祈ってくれた主君のため、どうしても生きて帰りたくなったのである。

「聞こうか。その主君とやらの名を」

「姓をFunky sonic 陸奥守、名をWorlD」

 その名前は、黒崎・茜の名前を彷彿とさせた。
 これもまた至高の戦いと言ってよい。
 そして我道は、次の至高の戦いを求める。


15.

『と、言うわけじゃ。ワシらは消える』

 一輪寺黄斎の報告を、福院・メトディオスは携帯電話で聞いた。

『ありゃ勝てん。黒崎を下したことで風格まで漂っておる。お主の死神は未だに憑いておるじゃろう。どうせワシらが手を下さずとも死ぬ』

「それで、忍者としてのプライドはないのか」

『無いわい、そんなもん。あのさあ、陸奥守殿が言うには、秘密組織など時代錯誤もいいところなのじゃと』

 メトディオスにコンタクトを取ったのは辻一務衆筆頭、一輪寺黄斎の方からだった。
 メトディオスが伊山と出会うための策を思いついたタイミングとほぼ同時に、黄斎はメトディオスの居場所を突き止めた。

『今回は里の仇と己の命、死神と我道、将来、主君、諸々を天秤にかけた結果、プライドを捨てただけじゃ。お主も同じじゃろう?だからこそ、提案を受けたのじゃろうて』

「それは…」

 黄斎の提案、
 それは、政府の情報屋を介して我道を呼び出してやるから、任意の場所まで誘導して欲しい、というものだった。
 出来ればすぐさま辻一務衆を返り討ちにしてやりたかったが、考えの末、メトディオスは彼らに協力することにした。

 目の前に大願成就の餌を吊り下げられた結果、それを避けられなかった。

 いかにも小説の忍者らしく、

 功を、焦っていたのだ。

 メトディオスは携帯電話を切り、その場に打ち捨てた。

「待たせて済まない」

「良いさ。策があるんだろ?ぶち抜いてやるから掛かってきな!」

 我道 蘭が建物内に足を踏み入れる。
 狭い敷地内。整然と本棚が並ぶ。
 メトディオスの背後には、地下室への入り口。

「直接戦闘を所望したい!こんな奸計に手を染めて、貴方に申し訳なく思う気持ちがある。邂逅時に見せた、あの好戦的な笑み、心のどこかにある気持ちを昂らせる」

 メトディオスは木製のロザリオを握りしめた。

「夜羽…って言うのか?手に握っているそれは何だ?」

「夜羽の名は捨てた。」

「そうか。喧嘩屋、我道 蘭」

「福院・メトディオス」

 メトディオスは眼鏡を掛けた。

「さあ!闘争しようぜ!」

 瞬間、二人の姿は消える。
 目で追うことすら出来ない。

 この勝負、敵の攻撃の発意を捉えた方が勝つ。
 先々の先。互いに攻撃することは決定している。故に、攻撃しようとした瞬間を捉える。

 だが、その一種は既に。

 メトディオスの義手による打突。
 ヤコブの御手。
 身体エネルギーの延長。

 我道による回転貫手。
 大見解。
 身体空間の次元歪曲。

 メトディオスは、我道のペースに巻き込まれるつもりはなかった。
 あくまでも平常心を保っていた。

 我道の回転貫手が、メトディオスの心臓を貫いた。
 激痛に呻きながら、メトディオスは貫手の回転に合わせて、同じ方向へ体を側転させた。

 一回転。

 先々の先を制したのは、我道の方だった。
 メトディオスの心臓は、予告通りにぶち抜かれた。

「なあ、教えてくれよ。首に下げてるソレ、なんなんだ?」

 貫手が胸に突き刺さったまま、メトディオスの口から、血液が漏れ出す。

「父の…形見だ」

 我道の右手右脚が、ゴトリと床に落ちた。

「……まあ詳しくは聞かん」

 ヤコブの御手は血に濡れている。
 メトディオスは、我道の左腕貫手を回転軸に自身の体を一回転させ———身体エネルギーの延長による空間手刀。
 回転動力を上乗せし、我道の肉体を切断せしめた。

 だが、我道もまた、片手片脚を喪失して尚、あくまで平常心だった。

 繰り返そう。先々の先を制したのは我道だった。

 我道が貫手を抜くと、メトディオスの体はぐちゃりと倒れ伏した。

 残心。

 しかし、

 彼から死神は消えない。
 メトディオスが立ち上がった。
 気付け薬の効果発動。信徒は罪に処されて尚復活した。


16.

 宮鍋雪子は、何度も鳴る玄関のチャイムを再び無視した。

「おかーさん、うたをうたって」

 息子の春夏がせがむ。
 可愛いと思っている。そのつもりだ。

「ああ、また今度でね」

 チャイムが鳴り響く。
 体を動かそうと思えない。
 疲れてしまった。

 チャイムが

「失礼しますよ」

 次の瞬間、玄関が爆発した。

「返事がないので、扉を破壊させてもらいました。さて、宮鍋春夏くんの治療をさせてもらいましょうか」

「ひっ!誰…誰です、貴方!いきなり入ってきて犯罪ですよ!!」

 ブラウンのスーツに茶髪のポニーテールの男は、しかし静かに微笑んだ。

「もうね、手段を選ぶ余裕なんて無いんですよ。闇医者になってからこっち、どんどんこの手から命が溢れ落ちていく。だから、どんな手を使ってでも患者は治療すると決めました」

「あの…お医者さんですか?治療代とか」

「ああ、私を金で買収しようとしても無駄ですよ。貨幣文化は金輪際信用しないと決めたので。だから治療代もいただきません」

 宮鍋春夏。栄養失調だったが完治。
 現在は小学校に通っている。


17.

「伊山くん。あのねー、やっていいことと悪いことがあるんだよ」

「存じております。社長」

「君が譲ってくれと言ったコレ、ね。戦闘用自動追跡ドローン。例えば宇宙人が空から攻めてきた時とかに使う奴なの。ワシただの発明家よ?危険人物とかじゃないの」

「そこを何とか。私の別荘にある絵画も全て譲りますので」

「うーん。いや、コレが動くところ、見たくないと言えば嘘になるよ?でもさ、君、ワシを何だと思っとるわけ?」

「自称発明家で、違法改造ドローンに過積載ミサイルを搭載させた、テロリスト志望の危険人物」

「そこまで褒められたらなぁ〜仕方ないなぁ〜」


18.

 大爆発が起きた。
 伊山が持ち込んだ自動操縦軍事ドローンが発射したミサイルは、図書館を瞬時に火の海へと変えた。

 我道の肌は焼け爛れ、落ちた。

「〜〜〜〜」

 我道は鬼の霍乱の如く火中でもがき苦しむ。

 そこへ、死を賭したメトディオスが歩み寄る。

 対処せねば。
 コレに近い状況はスカイツリーでも起きた。

 考えるよりも早く。

『どうしました?この辺りは戦争図書コーナーですよ』

「ッッッ」

 喉が焼けて声が出ない。

 目の前に現れた死神が、メトディオスの姿を隠す。
 メトディオスが迫る。

 伊山の幻が、腕を振り抜くと、
 我道の頭部を、スッと擦り抜けた。

『はは、何が闘争だ。ずっとこうしてやりたかったんだ』

 死神の向こうから、メトディオスが現れ出で、

「!!」

 燃え盛る義手を、我道は受け止める。

 メトディオスは、我道を抱きしめた。

「……お前…もう選択…し…」

「ッ?!」

「……その選択を違えるな…」

 信仰者は絶命した。
 メトディオスの道は果てた。


19.

 体内を流れる致死量の過剰ドーピング、同じく致死の気付け薬。
 いずれも、我道を討ち果たし、アルカナの治療を施せば、血中の薬品ごと消し去ることができる。

 それが、伊山の提示した仮説だった。

『それはそうでしょう。アルカナの治療は例えば発見できてないない癌は治せない。それが限界。だが、病気だと分かっていれば治せる』

 メトディオスは打ち合わせなしに、火の海に包まれたからと言って、平常心を失わなかった。
 ただ、木製のロザリオまで燃えたことが心残りだった。

 これは、いつもの夢と同じだ。

 地獄に落ちた夢。
 ここから逃れる術は一つしかない。

 妹がいる。
 妹、カタリナが。

 もう一度あの日に戻らねば。

「兄上」

「カタリナ」

 カタリナを抱きしめる。

「お前はもう選択した」

「兄上。私は里側に着きまする」

 それならそれで良い、と思った。
 思ったのだ。

 いずれにしても、妹が棄教し、忍者として生きるのならば、自分がいくらやり直したところで、その結論は変わるまい。

 ならば、死ぬのは自分だけで良い。
 自分の生死に、妹の未来は関わらないという確信がある。

「その選択を違えるな」

 炎がもえさかる。
 妹とともにいるのは、師であり両親の仇、"隻枝"の紅葉。

「その手に持っているものを捨てろ」

 メトディオスは首を横に振る。

「いいえ。これは父の形見です。捨てるわけにはいきません。私は自殺を許されぬ身。どうぞ、ここで討ち果たしてください」

 その深紅の手刀が、今度は間違いなく振り下ろされた。
 道は果たされた。

20.

 メトディオスは、燃え盛るTバックを義手ではない方の手で握りしめたまま、死んだ。

「何でこいつ父親のパンツを持ってたんだ」

 それは我道には知り得ないことだったが、福院家こそ、世界Tバック計画を天草四郎より代々受け継いだ、ブラジリアン柔術の宗家だった。

 故に、Tバック危険として辻一務流に滅ぼされたのである。

 十字教の字にはTの字が隠れている。

 しかし、辻一務流の"隻枝"の紅葉は幼い兄妹を殺すことができず、棄教させようとした。
 それでも彼らはTバックの教えを捨てようとしなかったため、人格改造による洗脳でTバックをロザリオに見えるようにして事なきを得たのである。

 メトディオスのアルカナは、既にTバックごと我道の体内に吸い込まれていた。

「分からないさ。私には何も分からない。だが、驚、懼、疑、惑、四戒の何れも揺らがない!」

 我道は揺らがない。
 我道の人生は戦いの中にしかない。
 だから、他人の人生には踏み込めない。

「ドローン!?破壊してやるさ!何度でも」

 至高の戦い。
 次の戦いを求める。
 その道は、尽き果てることはなく
 先へ、先へ。
 先の先へと。

 ドローン十三機の集中砲火が、我道の肉体を瞬時に焼き尽くした。

 地下シェルターから出てきた死神が、焼け焦げた我道を見下ろす。

 伊山は気付け薬を既に服用していた。
 薬はもう一つあった。

 メトディオスが地下室を出てから、このタイミングでドローンが出撃し、その後気付け薬が注射されるよう仕組んでいた。

 死神は口から血を流して求道者を見下ろす。
 肉体は保って13秒。

「道はここで行き止まりですよ」

 伊山はのたうつ我道へスレッジハンマーを振り下ろす。

 みち果たす先の先。

 彼女は満ち果てることはない。


後の後

21.

 やあ!こんにちは!こんばんは!
 私はタロットカードの精霊とでも言えばいいかな?
 このゲームを仕組んだ張本人さ。

 いや、これは全身タイツじゃないよ?

 さあ、願いを叶えよう。

 君の願いは確か、この戦いで死んだ人間の命と引き換えに、希望する人間を生き返らせる、だったね?

 なんだって、直接戦闘に参加してない一般人はそのまま生き返らせる?
 彼ら彼女は命の順位が上だって?
 まあ、君がそういうならいいさ。

 さあ、生き返らせる人間を告げておくれ。
「世界」は彼らのものだ。

「では、まず藤川七子、園部三五、戸田十樹男、佐田育斗、毛利藤清、津雲獅威、孟眼院速花、蘇我馬実、能登尚哉、口縄隆和、由良銑十郎、真鍋助六、布留葉月、張念天、鳥越まゆみ……まだまだいますよ……ああ、しかしあなた、」

 ん?なんだい?

「あなた、私の姿が見えているのですね?」
最終更新:2020年12月06日 23:22