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ジリリリ……ジリリリ……。
午前1時7分。黒崎・茜は聞き飽きた電話の着信音に目を覚ました。
「…………」
ベッドから素早く身を起こすと、何かを考えるよりも早く五感を増幅させ、周囲を目視し、臭いを嗅ぎ、耳を澄ませ、敵が居ない事を確認する。
齢80を超えてるとは思えない、素早く隙のない動きだ。もっともこの確認作業自体は、若かりし頃から身体に染みついてしまった発作の様なものだが。
ともかく確認を終えた茜は、ようやく自分の眠気に気づいた様に小さく欠伸をすると、気怠げに頭を掻き腕時計で時間を確認する。
そしてサイドテーブルの上に鎮座する年季の入った黒電話を鋭い眼光で睨みつけた。
ジリリリ……ジリリリ……。
睨みつけたはいいものの、音が止む気配もない。茜は小さく息を吐き、受話器に手を伸ばした。
「こちら黒崎探偵事務所。こんな時間にかけてくる馬鹿はどこのどいつだい」
「俺、俺ですよ姉御、俺、オレオレオレオレ!! 親友の借金の連帯保証がアレで借金がアレ!! オレオレオレ!!」
電話越しに聞こえてくる軽薄な口調の声。男とも女とも取れるその声色もまた、茜は聞き飽きていた。テンションが高いのもうざかった。
「今どきそんな常套句ババアにだって通用しないよ」
「姐さんはそんじょそこらのババアとは一線を画してますしね!! アハハハハ!!」
「分かってんじゃないのさ……で? 何の用だい、情報屋」
茜が問うと、電話越しの人物――情報屋は、うってかわって落ち着いた様子で答えた。
「アンタに仕事の依頼をしたいって奴から連絡が来まして」
「どっちの」
「裏の」
そっちか。殺しの依頼は6日ぶり位か。情報屋は途方もなく胡散臭い奴だが、依頼の仲介もしてくれる便利な奴だ。
「へえ。こんな時間にかけてくるって事は、急ぎの案件かい」
「ご明察で。今日の夜明けまでに標的の元へ向かい、始末してほしいと」
夜明けまで数時間しかない。移動の時間も考えれば、大した準備も出来ないだろう。
「ちゃんと依頼料はふっかけたんだろうね。ババアを深夜に叩き起こす罪はデカイよ」
「もちろん。というか、こっちからふっかける前に向こうが相場の10倍払うって言い出しました」
「10倍だって? アタシを馬鹿にしてんのかい?」
いくら急ぎの案件とはいえ、自分からそこまで払う馬鹿などそうそういない。絶対居ないとは言わないが。
「そんなもん、仕事を完了した途端とんずらするに決まってんじゃないのさ」
「いやあ、それが既に依頼料が全額振り込まれてまして。何故かオレ宛に。受けるかどうかは姐さん次第だと伝えたんですがねぇ……あーあ、これで受けてくんなかったら返金しないといけないじゃーん、めんどくさー」
「それは大変だね」
自分には関係ないという態度を隠すこともなく茜は答え、しばし思案する。
「……で、標的は誰だい」
「受けるんですか? 受けましょうよ俺に手数料入るし」
「聞いてから決める。さっさと答えな」
「標的は、依頼人本人だそうですよ」
茜はドッと肩から力が抜けるのを感じ、盛大な溜息を吐いた。
「やっぱり馬鹿にされてるんじゃないか。そんなに死にたきゃ1人で勝手に死ねと伝えときな」
「まあまあまあまあまあ、待ってくださいよ。確かに馬鹿げた依頼ですが――依頼人、もとい標的の名前は、紅時雨・愛華って言うんです。聞き覚え……ありませんか」
「紅時雨……? 待ちな、多分聞いた事ある……」
紅時雨・愛華、紅時雨・愛華――茜はその言葉を脳内で何度も呟きながら、記憶の引き出しを探る。
そしてその引き出しの随分奥の方――今から50年以上前に、そんな名前を聞いた事がある気がする。
ぼんやりと顔が浮かぶ。確かかなりの美人で、髪が赤くて――。
「(そして、殺しの才能があった。アタシには及ばなかったが)」
なんとなくだが、思い出した。『紅時雨・愛華』、それは茜が若かりし頃所属していた暗殺者組織の同期の名前だ。
組織の名前は思い出せないが、思い出せないという事は大した組織じゃなかったのだろう。どうでもいい。今頃は名前を変えて運送業者でもやってるのだろう。
「思い出したよ。あの赤毛のチンチクリンか。殺しの才はあったが落ち着きと品性が足りなかった」
「はあ。結構な悪口ですね。んで、そのチンチクリンさん曰く――『今こそ決着を付ける時が来た。積年の恨み今日こそ晴らさせて貰う。私を畏れていないのであれば、指定の場所に来い』、だそうです」
情報屋の台詞に、茜は思わず苦笑いを浮かべた。
「恐れるも何も忘れてたんだがねえ……まあいい、いいだろう。受けようじゃないか」
「本当にいいんですかい? 無茶な時間指定に場所の指定。これどう考えてもアンタを殺す気満々ですけど」
「一度アタシが『受ける』と言った以上、絶対に依頼は完遂させる。それがアタシのルールだ」
茜が言うと、今度は情報屋が苦笑を漏らした。
「……でしたね。姉御、スパッと気持ちのいい性格してるのに、そこだけは面倒臭いですよね。譲れない矜持って奴ですか?」
「ああ、良いね。『矜持』。格好良い言葉だ。まあとにかく人生は、1つや2つ面倒くさい縛りを設ける位が面白いのさ。ゲームもそうだし」
「最後の一言が余計……まあいいや。それじゃあ今から場所を伝えますよ。遠くは無いですが、急いでください。『夜明けまで』も、一応依頼人の希望なんで」
「ああ」
標的、紅時雨・愛華が待ち受ける場所を聞き終えた茜は、ガチャンと電話を切った。
「行くか」
つぶやくとスタスタと部屋のクローゼットに向かい、『裏』の仕事着セット――赤いシャツに、黒いスーツの上下。そしてフェドーラ帽――に着替えた。殺し屋というかマフィアの出で立ちで、どこからどう見ても怪しいが、茜は昔からこの格好が好きだった。
そしてベッドの隅に立てかけられた金属製の杖を手に取ると、天井から降りている梯子を昇り、ハッチを開ける。
昇りきると、茜はすぐさまハッチを閉め、その上に薄汚れたカーペットを被せる。ふわりと埃が舞った。
「相変わらず汚いねえ」
茜は、都内にある目立たない廃屋、その地下に拠点の1つを設けていた。地上部分は荒れ果て、カビと埃とゴミに塗れた良い場所だ。何より誰も寄り付かない。
地上は灯りも当然付かないし、独特の臭いもまともに嗅げばたまったものではないが、茜の『目』と『鼻』なら問題ない。茜は散乱した木片や金属片やガラス片を器用に避けながらガレージに向かうと、綺麗に手入れされた真っ白な愛車に乗り込み、廃屋を後にするのであった。
●
「ここか」
約一時間後。茜はとある屋敷の側に到着していた。
茜の拠点に負けず劣らず人気の無い場所に建てられた屋敷だが、どうやら随分手入れはされている様だ。屋敷の窓からは灯りが漏れているから、ちゃんと電気も通っているのだろう。
「誰の所有物だい、ここ……まさかあのチンチクリンの? だとしたら随分偉くなったもんだ」
建物は2階構造。正面に大きな両開きの扉があり、その扉の前には2人の男が立っていた。
「…………」
腕時計を確認すると、現在の時刻は午前2時33分。夜明けまでしばらくあるだろう。
しかし扉の前の2人を見るに、どうやら敵は数の暴力も厭わないらしい。邪魔する輩は殺すまでだが、多少面倒臭さを感じてしまう。
「まあいいさ、まずはご挨拶といくとするかね……」
茜はスタスタと正面扉に近づいてく。その間に抜け目なく臭いを嗅ぎ、見て、聞いた。
「(扉の両脇の茂みの中にそれぞれ1人。扉の前に2人。扉の奥に2人。合計6人。茂みの2人が本命か。いや、一応扉の前の連中も鍛えているらしい。なんとかなるか? なるだろうね)」
そんな事を考えながら、茜は恭しくフェドーラ房を取り、扉の前の2人に一礼する。するとその2人もまた、恭しくお辞儀を返した。
「遅くなって悪かったね」
「いえいえ、お待ちしておりました……黒崎・茜様で、お間違い無いですか?」
ニコニコと笑みを浮かべる男に、茜は小さく頷いた。
「ああ、そうさ。なんだけど、もう、なんというか、アレなんだよ、アタシはね」
「…………アレ?」
「……そう、アレ。なんというか……」
茜は手にしていた杖を大きく振り上げる。すると杖がカチリと音を立て、柄の部分が鋭い刃に変形した。
「こういう上っ面だけの気持ち悪くて長い前置き、嫌いなんだ」
「ア」
一瞬にして横薙ぎに振るわれる杖。2人の男は反応する暇も与えられず、その首が綺麗に刎ね飛ばされた。
「さて」
茜はクルリと振り返ると、後ろ足で両の扉を押さえつける。中の連中は扉を開けようとしているらしいが、生憎茜は怪力だった。
「出てきなよ。念入りに臭いを消してるみたいだけど、まだまだだね」
その投げかけと同時に、茂みの中からそれぞれ斧と槍を構えた男女が飛び出してきた。茜は薄く笑みを浮かべると再び杖を振るう。
すると刃に変形していた杖の柄が金属の鞭の様に変形し、槍を構えていた女の首に巻き付いた。
「グ……グエ……!!」
「悪いね。ああいや、悪くないか。アンタらは元々アタシを殺す気だったんだから」
杖にグッと力を込めて引っ張ると、女の額が強かに地面に打ち付けられ、弾けた。中々力加減が難しい。
「ウオオオオオオオ!!」
「おお、いいね。気合い充分だ。気合は時に実力を超える相手を打ち負かす原動力になり得る――アタシに対しては無理だけどね」
女の頭が弾けた直後、男は茜に向かって猛突進し、その首を目掛け大きく斧を振り払う。
茜はヒョイと足で抑えていた扉から離れ、男の脇を通り抜けると、丁度良く扉が開け放たれ、斧は丁度良く剣を構えていた2人の首を撥ね飛ばした。
「な、ク、クソが……!!」
「ああ、いい腕だね斧野郎。ダブルキルだ。ところで、こいつはアンタの相棒と、その形見だろう? 返すよ」
同胞を殺してしまい動揺する斧男。茜はその間に杖を振るい、未だ鞭に巻き付いていた槍の女の死体を勢いよく放り投げる。
女の死体と衝突し大きく男の身体がよろめいた所に、茜は拾い上げた槍を投げつける。槍は男の後頭部に突き刺さり、その切っ先が右目から飛び出すと、男は直ちに絶命した。
「ん、どいつもこいつも悪くない腕だ」
嫌味でも何でもなく、茜の言葉は本音だ。彼らと相対したのは一瞬だが、その一瞬で十分読み取れる。誰も彼もがこのまま育っていればそこそこの腕になっただろうに。傭兵か暗殺者かしらないが、勿体ない。
茜は僅かに残念そうな表情で杖を振るうと、柄が元に戻る。茜はそのままカツカツと、血まみれの死体を踏まない様にしながら屋敷の中に入った。
綺麗に清掃された屋敷だ。シャンデリアがあり、高価そうな絵画や家財が置かれている。正面には大きな階段があり、2階に続いている。
「…………」
茜は更に見、聞き、嗅いだ。背後の死体とは別に人の臭いがする。汗と、加齢臭だ。呼吸音も聞こえる。細く、途切れ途切れ。肺の病気か?
どうやら建物の中にそれ以外の人間は居ないようだ。
「……本気でさっきの奇襲でアタシを殺せるとでも思ったのかい? 依頼料に大金使う位ならもっと人を雇うべきだったね、紅時雨・愛華。隠れてるのは分かってんだよ」
「フフ……フフフフフ……」
階段の先に杖を突きつけ茜が言い放つと、その先から不気味な笑い声と共に、1人の老婆が姿を表した。
背筋が曲がり、顔はしわくちゃで、一歩歩く度にゼエゼエと息を漏らしている。かつての美貌の影もない。背筋がピンと張り、(年齢の割には)若々しく、ラーメンとジャンクフードを好み、暇な日には一日中ゲームばっかりやってるくせに超健康体な茜とは随分対称的な出で立ちだ。
「まさか死にかけクソババアが出てくるとは思わなかったよ」
「ハ! あんたもクソババアには変わりないだろう……ゼエ……」
女、紅時雨・愛華は茜を睨みつける。暗く、淀んだ、底なしの負の感情が滲む目だ。茜はそれを見ているだけでゲンナリした。
「それじゃ、アンタを殺すよ」
「1つ昔話をしよう……」
「クソババアのクソ話に付き合う程暇じゃ無」
「そもそも私が何故貴様に依頼を出したか……それはあの情報屋に伝えた通り、積年の恨みが」
「知らないよ。大体あんたまだ殺し屋稼業を続け」
「かつて私ら2人は新進気鋭の殺し屋だった……暗殺者協会『エターナルブリンガットメニクレアー』の一員として。そこで私達」
「エター……なんだって? アタシはそんなダサい名前の組織に所属してたのかい? そりゃあ忘れたくもなる筈だ。ていうかいい加減話長」
「互いにシノギを削り、それぞれの力を磨いた。だが私はいつだって貴様には勝てなかった。眼の上のタンコブなんてもんじゃな」
「ところでこの屋敷はアンタが買ったのかい? 広いのはいいが正直センスが」
死体を背に繰り広げられる、人の話を遮りまくるババア同士の会話にもうしばらくご辛抱ください。
「殺してやりたい。何度もそう思ったさ。私がどれだけ努力を重ねても、どれだけ他の殺し屋には成し遂げられない成果を出しても、貴様はそれを涼しい顔で塗り替え」
「じゃあなにかい。『才能持ちすぎてごめんなさい』とでも言えば良かったってのかい? アタシが強いのはアタシが強いからだ。誰が悪いわけでも」
「そして最終的に貴様はある日突然組織から消えた。そして取り残されたのは天才の下位互換の私さ。色々噂を立てられ、私がどれだけ惨めな」
「知った事かい。文句があるならアタシを殺して実力を証明すりゃよかったんだ。それもせずアンタは」
「だが、今やこうして私も自ら組織を立ち上げ、実力を本当の意味で認められる様になった。貴様に対する恨みもとうに消え去った」
「じゃあいいじゃないか」
「――と、思い込もうとしていたさ。だけど今でも夢を見る。私が出した結果を、貴様がヒョイと横から掠め取る夢を――」
「その場合、夢じゃなくて悪夢と表現した方が詩的で格好良」
「そして、その思いが決定的になったのが先日の事さ……私は肺に重い病気を患った。もう長くないらしい。そう聞いた時、私は再び、強く思ったのさ。『黒崎・茜を殺してやりたい』ってね」
「はあ」
本格的に話を聞くのが面倒くさくなってきたが、茜は辛抱した。ここまで話したい事があるのにいきなり殺すのはなんかちょっと悪い気がしたからだ。
「そう思うと、突如目の前にタロットが現れた……知ってるかい、何でも願いを叶える、タロットの噂」
「知らないね」
「ふん、そうかい……ともかくそのタロットを受け入れ、他のタロットを持つ人間を全員殺して全てのタロットを集めれば、願いが叶うらしい」
「へえ、下らないね。それで、アンタはそれを受け入れたのかい」
茜が問うと、愛華は首を振る。
「地面に叩きつけてやったさ……願いは、自分で叶えなくちゃ意味がない。私の願いは、私が私の手で。私の力で貴様を殺さなくちゃ意味がない。殺したいと思った奴は全員殺す。それがアタシの、唯一の矜持だ」
「……へえ。それで、死にかけの癖にアタシに依頼を出したってわけか」
「アンタへの依頼料に情報屋への情報料……随分金はかかったが、関係ない。私は貴様が今でも妬ましいし、嫌いだ。だから貴様を殺せれば、それで満足だ」
凄まじい嫉妬と殺意。だがここまではっきり言われると何故か嫌な気分にならない。むしろ清々しいくらいだ。
茜は目の前の老婆が少し好きになった。
「ふ……そうかい。それで、どうだい。アタシを殺す算段は出来てるのかい? アンタの部下は全員死んじまったよ?」
「私が立ち上げた組織は解散させたし、元々1人でやるつもりだった。だが何人かは私に協力してくれると申し出てくれてね。それが、あいつらだ……あいつらが貴様を殺すならば悔いはないと思ったが……やはり無謀だったか」
「……なるほどね。中々センスのある連中だったよ。昔よりも人望は厚くなったみたいだね」
「イヤミかい」
「さあ」
微かな沈黙が流れる。そして、再び愛華が口を開いた。
「……私達は歳をとった。互いに80超えだ。こんな仕事しててここまで生きられたのは奇跡に近いが……誰しも老いには勝てはしない。経験はあっても、肉体はそれに追いつかなくなってくる」
「…………」
空気が、変わった。茜は杖を持つ手にグッと力を込める。
「若い頃――全盛期の私と、全盛期のアンタ。そして今の私と、今のアンタ。どちらの組み合わせでも私はアンタに勝てない。だが……」
愛華はカッと目を見開いた。
「今の経験を持つ、全盛期の私ならば――きっとアンタに勝ってみせる!! 変・身!!」
愛華の全身が眩い光に包まれるが、茜の目はその光を『調節』した。
光が収まるとそこには、おぼろ気な記憶の中の愛華――美しく鮮やかな赤い髪、誰しもが見惚れる様な美貌を兼ね備えたかつての暗殺者の姿があった。
紅時雨・愛華の魔人能力『懐古』。この魔人能力は、変身と叫ぶことで自らの肉体を『自身の人生において最も身体能力が優れていた時期の、万全のモノ』に変えてしまう能力である。
ただし陽の光を浴びると強制的に変身が解けてしまうため、陽の光を通さない室内、もしくは夜にしか使用できない能力である。
「アンタも魔人になったのかい」
「今日はアンタに――敗北の味を知って貰うよッ!!」
威勢よく言い放ち、愛華は階段から茜目掛け一気に飛びかかる。空中から放たれる幾つもの投げナイフが、的確に茜の急所目掛け迫りくる。
「チッ――!!」
茜は後ろに飛びながら杖を振るう。凄まじい勢いで放たれたナイフを叩き落とすと、柄を鞭に変形させる。
「シッ――!!」
茜は鞭を振るい、愛華の身体を絡め取ろうとする。だが愛華はクネクネと蛇の様な動きで鞭をかいくぐり、茜の懐まで近づいた。
判断は同時だった。互いに得物を使わず互いの身体に蹴りを放つと、2人の身体が勢いよく壁に吹き飛んだ。
「……中々の怪力じゃぁないのさ」
パンパンと服を払いながら、茜が言う。
「貴様こそババアの癖に馬鹿力だ……ま、貴様も魔人だったね」
「まあね」
次の瞬間、2人は同時に動いていた、茜は愛華目掛け飛び出し、愛華は懐から二丁の銃を取り出し構えた。
だが、茜はその動きを予測出来ていた。階段の上から姿を表した愛華を見た瞬間、その懐に何か不自然な膨らみがあるのも見えたし、その懐から微かな火薬の臭いを嗅ぎ分けていた。
黒崎・茜の魔人能力『神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)』。この能力は簡単に言えば自らの五感を自在に増幅、減衰させる事が出来る能力である。
「昔から、銃を取り出せば勝てると思ってる輩が多くてねぇ……アンタも同じかい?」
茜は愛華への接近と同時に、柄を長く変形させた杖をクルクルと円を描くように高速で振るう。
その刹那、愛華の銃から次々と弾丸が撃ち放たれた。だがそれらの弾丸は茜に届く事は無く、高速回転される杖に全て弾かれ軌道を逸らされた。
「ふん……相変わらず貴様はインチキくさい技を使う!!」
「そりゃあ大層な褒め言葉だねぇ!!」
再び2人は至近距離まで近づく。茜は柄を刃に変じた杖を振るい、愛華は服の袖から取り出した二振りの短剣を振るった。
常人には眼で捉える事も難しい程の斬撃の応酬が繰り広げられ、夜の静寂は甲高い金属音が掻き消していた。
互いが互いの動きを正確に捉え、防ぐ。その激しさは時間と共に勢いを増すが、どちらの刃も中々相手を捉えない。
「私は貴様を殺す……!!」
出し抜けに愛華は茜の腹目掛け蹴りを放つ。茜はその動きを確実に目で捉えた。だがあえて避けなかった。
「グッ……!!」
茜はまるでその蹴りが自身にかなりのダメージを与えたかの様に呻くと、数歩後ろに退がりわざとよろめいた。
「終わらせるッ!!」
烈火の如く攻撃の応酬を以て確実な隙を生み出し、その隙を以て相手を殺す。それが愛華のやり方だった。
茜はその事を覚えてはいなかったが、ここまでの戦いでそれを察していた。
人殺しを始めてから今に至るまで、同じ様な奴を何十人と殺してきたからだ。
よろめく茜の胸目掛け、二振りの短剣を大振りで突き出した。勝ちを確信したが故の、これまでで最も隙の多い一撃。茜をそれを確認すると『よろめくフリ』を止め、
「いいや、やっぱりアンタの負けさ、小娘」
手にしていた杖を高い天井目掛けふわりと放り投げ、愛華の両腕を掴み上げた。そして思い切り床目掛けて引っ張ると、バキリと嫌な音がして、愛華の両肩が外れた。
愛華が苦悶の声を上げる暇も無く、そのまま茜は愛華の顔面めがけ強烈な頭突きを叩き込む。鼻から大量の血を流しながら、愛華は仰向けに吹き飛んだ。
そしてクルクルとタイミング良く落下してきた杖を茜はキャッチすると、倒れ込む愛華に飛びかかる。
「ガ、グゥ、まだ、まだだぁぁァアアァアアアッ!! へんしんッッ!!」
殺気に塗れた叫びと同時に、愛華は再び『懐古』を発動し、眩い光が放たれる。
『懐古』は、人生の中で最も肉体的能力に優れた万全な状態へ変身する能力。
即ち肩が外れが鼻が砕けた『不健全』な状態から、傷一つ無い『万全』に戻すことも可能なのである。
更に、愛華はこの能力にまた異なる使いみちがあると考えていた。それは能力使用時に放たれる閃光。
黒崎・茜の能力は五感を自在に増幅・減衰させる能力。しかし常人ならざる視力を発揮した状態で、不意に閃光を浴びせる事が出来たならば。
「死ねぇええええええええええッ!!」
変身した愛華は、不意に閃光を浴びた事で、今度こそ隙が生まれたであろう愛華目掛け獣の様に飛びかかる。
殺せる。ようやく殺せる。これで殺せる。これで終わりだ。
愛華の心中は一瞬の悦び、希望で満たされ、そして。
「アンタは本当に強かった。だけどアタシは、もっと強いのさ」
そんな静かな呟きと共に、茜は杖の切っ先を愛華の口内に突っ込み、貫いた。
黒崎・茜の能力『神眼神耳神鼻神舌神肌(ウルトラミラクルハイパーセンス)』。これは確かに五感を自在に増幅、減衰させる事が出来る能力であるが、地味なオマケが付いていた。
『五感から得られる感覚が黒崎・茜にとって有害な場合、それを自動で調節する』というウルトラでミラクルでハイパーなオマケが。
このオマケが無ければ、2割位の確率で茜は死んでいたであろう。
「バ……ヘ、ヘブヘ、ヘブ……」
まだ愛華は生きていた。だが舌を切り裂かれ、喉を貫かれた状態で呂律が回るはずもない。変身の呪文はもう唱える事が出来ない。
だが、その目に籠もる殺意に一点の曇りも無かった。身体から力が抜け、短剣など持つ事も出来ないが、それでも茜を鬼気迫る表情で睨みつけていた。
「……なあ、本心なんだよ。アタシはこれまで大勢殺してきたが、その中でもアンタは五本の指に入る。アタシの動きに完璧に付いてこれるんだからね」
「…………」
愛華は応えない。応えられないし、応える気もない。
「……ただ、アンタは大きな勘違いをしてる。最期にそれだけは教えとくよ……さっきの例え……そう、アタシ達はどっちも老いさらばえたから、今の経験を持った昔の身体のアンタなら、今のアタシに勝てるって奴さ……だけどそれは違う」
茜は杖を持つ手にグッと力を込めた。
「アタシにとってはいつだって、『今』が全盛期なのさ」
茜は愛華の喉から杖を引き抜くと優雅な動作で杖を振るう。
するとポンと勢いよく愛華の首が飛び、ゴロゴロと床を転がっていった。
「まだ夜明けは来ていない……これにて依頼完了だ」
茜は愛華の死体を一瞥すると、振り返り、スタスタと歩き出す。
そして二度と振り返らず、茜はその場を去るのであった。
●
「よし、そのまま仕留め……東から漁夫、ウルト!! シールド張った! ダメだ欲張るんじゃない一旦退くよ! もうすぐアタシのウルトが溜まる!!」
紅時雨・愛華の依頼達成から約半日。現在の時刻は午前12時44分。
茜は自らの拠点の床にジャンクフードとスナックを広げてコーラやオレンジジュースを飲みながら、巨額の金を払い秘密裏に通したネットを介してオンラインゲームをやっていた。楽しそうだった。ボイスチャットも繋いでいた。FPSだった。
黒崎・茜は私立探偵であり、殺し屋であり、ババアであり、超が付くほどのゲーマーである。
「1人やられたか……ドンマイドンマイ。あんたは強いがミスは誰にでもある。とりあえずこっからは生存重視で、コソコソ卑屈に生きてくとしよ……また撃たれた!! クソ、なんだいアイツこの距離でこんなに当て……クソ、チートか!! 死ね!!」
茜は普段から死ねという言葉はなるべく使わない様にしているが、チーターと、この世のネタバレを行う全ての人間に対しては使用を許可していた。
「ハ、無様だねぇ! チート使って負ける気分ってはどんなもんだい!? ハハハハハ!!」
ジリリリ……ジリリリ……。
「…………よし、敵は残り2部隊。このまま有利ポジを取り続けて、他部隊がやり合い始めたら漁夫を視野に入れるよ。ウルトも溜まってるし、人数差的に……」
ジリリリ……ジリリリ……。
「チッ……5秒離れる!!」
茜はヘッドホンを外し、猛スピードで黒電話に駆け寄り、受話器を取った。
「姉御、オレオレオ」
「今ゲーム中!!!!」
ガチャンと受話器を叩きつけ猛スピードでモニターの前に戻りヘッドホンを付ける。
「いやホント悪いね8秒かかっちまった……よし、このまま……」
ジリリリ……ジリリリ……。
「……」
ジリリリ……ジリリリ……。
ジリリリ……ジリリリ……。
ジリリリ……ジリリリ……。
茜の眉間にピキピキと青筋が浮かんだ。
「クソがッ……!! ああいや、アンタに言ったんじゃないよ、悪いね……よし、今だ突撃!! 秒で終わらせるよ!! あと悪いけどアタシこの後用が出来ちまった!!」
ものすごいエイムと立ち回りで敵をいっぱい倒した茜は、そのままゲーマー友達に謝罪を入れつつゲームの電源を落とした。
ジリリリ……ジリリリ……。
茜は9割方キレながら受話器を手に取った。
「なんだい情報屋コラおいボケコラ。あたしの至福の時間を邪魔するからにはそりゃあもう大層な用事なんだろうねぇ!? アァ!?!?!!!?」
茜は情報屋に対しての『死ね』の使用を解禁するか迷ったが、とりあえず保留にする事にした。
「あ、はい。ごめんなさい」
「……で!?」
「依頼が入りましたっす。ウッス。裏のっす。それはもう、とんでもないスゴイ所から。ホントに。報酬超大金っす。依頼人の方がなるべく早く返事が欲しいってんで。ウッス」
茜は深く深呼吸すると、自らの内から溢れ出していた怒りをどうにか押さえつけた。
「……で、誰だい。依頼人ってのは」
「それは言えないです。依頼人の意向で。それを納得するに値する大金を提示されてます」
「……標的は? 目的は?」
「言えません。今回の依頼はとにかく特別で……姉御が『依頼を受ける』と約束してくれるまで、何の情報も出せません」
「フン……」
茜はトントンと指で受話器を叩きながら思案する。依頼人も標的も目的も不明。だが報酬は大金。
正直、今の生活に満足しているので大金をもらった所で茜には大した使いみちは無い。だが、どうにも気になる。
「だったらこれだけ答えな……アンタがどう感じたかでいい。これは私に対する罠かい? 私を殺すためにメチャクチャ危険な輩にぶつけてやろうとか、そういう奴かい?」
「いえ、違いますね。依頼人は純粋に姉御の腕を見込み、標的達を葬り去ってほしがってます」
「達?」
「あ、いっけね……まあ、そうですね。標的はほぼ確実に複数人ですね……で、どうします? 罠では無いにしろ、多分メチャクチャ……死ぬほどガチクソ危険だとは思いますけど。多分死ぬと思いますよ」
「アンタがそこまで言うからには、本当にヤバいんだろうね…………ま、いいか。いいよ。受けてやろうじゃないか、そのとびきり危険な依頼を」
茜がそう告げると、情報屋は暫しの間沈黙する。
「あーあ、受けちゃったよこの人……これで良いカネヅルともお別れかぁ……」
「そういうのは心の中に留めときな」
「ハハハ……ま、分かりました。それじゃ、依頼内容についてもう少し詳しく説明しますけど……姉御、最近この東京で、強い願いを持つ者の前に、全て集めることで、なんでも願いを叶えるタロットが出るって噂、知ってますか」
「……ああ、知ってるよ。風の噂程度だけどね」
「そうですか……じゃあ、まあ、そういう事です」
「は?」
どういう事だ。そのタロットを見つけ出してビリビリに引き裂いてやればいいのか?
「ちゃんと説明しな」
「つまりですね……そのタロットの所持者を全員殺して、タロットを永久に世界から消し去って欲しいそうなんですよ」
「なんで」
「ホントかどうかは知りませんが、タロットはどんな願いも叶える……それこそ、世界を変える、あるいは終わらせてしまう様な願いでも。それはとても危険で……誰が願いを叶えるか分からない以上、その危険性を放置する訳にはいかない。というのが依頼人の意向でして」
「ふーん、なるほどねぇ……さしずめ私は世界の危機を救う勇者ってとこか。ハハ、笑えるね」
面白くはないけど、と茜は心の中で付け足した。
「で、こっからが重要なんですけど。俺には、誰がタロットを持ってるかさっぱり分かんないんですよ。探すにも取っ掛かりがなくて。強い願いを持つ者の前に現れるらしいですけど、そんなもん山の様にいるじゃないですか。あるいは星の様に」
「つまりアタシに探せと?」
「いや、俺に無理なんだから姉御にも無理でしょう。それにチンタラしてたら誰かがタロットを全部集めきっちまうかもしれないし、何より全体数が分からない以上、例え見つけまくって殺しまくったとしても、終わりが分かんないんですよ。それに運良く所持者を全員殺したとして、それでタロットが消えるとは限らない」
「じゃあ、どうすりゃいい」
「姉御がタロットを手に入れりゃあいいんですよ。依頼内容は具体的に言えば、『黒崎・茜が全てのタロットを集め、願いを叶えるタロットを永久に世界から消滅させる』なんで。タロット同士は惹かれ合うとからしいんで、見つけた相手を全員殺して全部タロット集めて、タロットにどっか消えろやーって願えば依頼完了です」
「…………はあ?」
確かに理屈は通るが、別に自分はタロットを消したいという強い願いも、所持者を全員惨殺したいという強い願いもありはしない。
私の前に、タロットは現れない。
「なあ、依頼する相手を間違っちゃいないかい。アタシはそんな、世界の崩壊だのなんだのの為に必死こく程、正義感に溢れちゃいないよ」
「ですよねえ!! いやー残念だなぁ!!」
情報屋の口調がわかりやすい位芝居がかったものになる。
「でもこのままじゃー依頼は達成できないしなぁ!! でもなー、さっきなー、姉御は言っちまったもんなー、『依頼を受ける』って!! でもこのままじゃぁ依頼は達成できないなー!!」
「……」
「これまで一度受けると言った依頼は、どんな困難なモノでも達成し続けてきたのになぁ!! まさかババァになった今になってその功績……いや、矜持にケチが付くことになるとはなー!! カーッ!!」
「死ね」
ムカついたので茜は受話器を叩きつけた。再び電話がかかってはこなかった。情報屋の意図は理解できたし、理解した事を向こうも理解したのだろう。
「…………」
茜はベッドの上にあぐらで座り込み、目を閉じる。そして改めて考える。
確かに情報屋の言う通りだ。自分はこれまで『受ける』と言った依頼は必ず達成してきた。どんな標的が相手だろうと、どれだけ困難であろうとも。
それが今ここで終わろうとしている。自分が人生に決めた数少ないルール、譲れない矜持が。それは、自分にとってどういう意味を持つのだろう。
記憶に新しい、紅時雨・愛華の台詞を思い出した。彼女は言った。殺したい奴は必ず全員殺す事が、己にとって唯一の矜持だと。
結局彼女はそれを果たせず生涯を終えた。自分が殺したからだ。彼女はそれを後悔しながら死んだのだろうか。それは分からない。
だが、もし彼女が、自身の願いを……『黒崎・茜を殺したい』という願いから目を逸らし、病によって命を落としていたのなら、きっと後悔しただろう。
『一度受けると言った依頼は必ず達成する』。冷静に考えれば考えるほど下らないルールだ。そんなものは無視してしまえばいい。合理的に考えれば。
でも、それは嫌だ。何故なのかはよく分からない。ババァになっても分からないのだから死ぬまで分からないのだろう。
だが、嫌なものは嫌なのだ。私は絶対に依頼を達成する。絶対に。
絶対に。
絶対に。
それが今の私の一番の願いだ。
「…………」
己の中でそう結論付けると、黒崎・茜は目を開け、チラリと視線を彷徨わせた。
すると忌々しい音を発する黒電話のすぐ側に、見慣れないタロットカードが置いてあった。
そこには塔と、その塔に飛来する雷。地に落ちる人間が描かれている。
「空気を読んでくれてなによりだよ」
茜はタロットに手を伸ばす。すると、頭の中に流れてきた。
『タロットカードを20枚集めるバトルロイヤル』
『強い望みのある者にしかこのカードは現れない』
『20枚全て集めた者はなんでも望みを叶えれる』
『相手を殺すまたは相手の望みを叶えて殺すのみでしかカードを奪えない』
「ハァ……」
『以上を受け入れるならばこのカードを体にかざして中に入れなさい、拒否するならば――』
茜はグシャリとカードを握りつぶし、そしてかざした。ひしゃげたカードは光となり、茜の身体の中に入っていく。
「紙切れ如きが偉そうにしてんじゃないよ……なあアンタ、知ってるかい。願いってのは、自分の力で叶えなきゃ意味が無いんだとさ」
下らない紙切れに願いを託した愚か者共と、タロットを殺す。下らない矜持の為に。愚かな老婆はそう決意した。