三千彦がバーの扉を開き中を覗き込むと、そこにはカウンターに立つマスターと席に座る男性の二人の姿が見えた。それを確認すると快活に三千彦は口を開いた。
「お疲れ様っす! 込清です!」
バーという場にはやや不釣り合いな青年の声に、しかし二人はむしろ喜ばしそうに応えた。
「みっちゃん、待ってたわぁ」
「おうミッチ! はようこっち座れ座れ!」
二人の誘いににこやかに会釈しながら、三千彦は男性の隣に座る。
「タケさん今夜は早いっすね。あ、マスターいつものやつと、酒はおススメのやつ。あとエイヒレある?」
「もう、みっちゃん。いつも言ってるけどここは居酒屋じゃないのよ。あなた達に合わせてたらどんどんお店の雰囲気が変わっちゃう」
「なーにがお店の雰囲気だ。どうせオッサンばっかりやしマスターに至ってはキモいオカマだろが」
「誰がキモいオカマだァ!?」
常連の見慣れたやり取りに三千彦はケラケラと笑いながら、マスターから差し出されたグラスを手にタケと乾杯をする。
「しかしミッチ、なんか疲れてんな。仕事で面倒事でもあったか?」
「半分当たりっつーか、仕事の客ではあったんですけど仕事とは関係ない所で疲れたっていうか」
エイヒレを突きつつ、三千彦は昼間の出来事を思い返す。
「なんつーすかね、バイク持ち込みのお客さんだったんすけど」
「みっちゃんのバイク屋にちゃんとバイクが持ち込まれるの珍しいわね」
「気にしてるんだから茶々入れないでくださーい。でその男の人、実は女から逃げてきてたらしくて」
「なんや、何やらかしたんや」
「十股」
タケは思わず吹き出し、テーブルをバンバン叩きながら大笑いをした。
「じゅ・う・ま・た! いやーミッチお前そりゃ男として凄いやつが来たな!」
「笑い話じゃないんだよなー。最終的にそいつを追いかけてきた女数人が店に乗り込んで来て大騒ぎだったんすよ、ついでに俺も巻き込まれたし」
「はぁー、それは追いかける方も随分とバイタリティ溢れていたのねぇ」
「うっす。男の方に聞いたんですけど刺されたこともあったらしいっすよ」
「包丁で?」
「長巻」
笑い転げていたタケは、三千彦のその一言でさらに顔を真っ赤にして苦しそうに笑い声を漏らした。
「な、ながまき……なんでそんなん持ってるんや、ひぃひぃ……苦しい……」
「おかげでガレージは滅茶苦茶だしドタバタのせいで依頼料も前金しか払われないまま逃げられたし。もう散々だ」
「なるほど、片付けで時間かかったのね。ご苦労様」
そう言いながらマスターが提供したカプレーゼに三千彦が謝意を返していると、ドツボから回復しつつあるタケが改めて口を開いた。
「ひぃひぃ……ふぅ、それでなミッチ。そんなお困りのお前さんにちょうど仕事があるんだけどな」
「あーマジっすか。正直メッチャ助かります」
「おう。ひとまずコイツの修理頼む、木曜までで。終わったら事務所に持って来てくれ」
そうしてタケがカウンターの下から取り出したジェラルミンケースを受け取り、三千彦はその重さに首を傾げる。
「んー? なんか重さが微妙だけどタケさんなんかこれ余計な物入ってない?」
「ああ、ついでに依頼料も突っ込んでおいたから」
「はえ? おいおい、前金は大歓迎だけどこれはちょっと不用心過ぎない?」
「いいのいいの、それだけミッチのことを買ってんだから」
「あらら、みっちゃん信頼されてるわねぇ。もう一人前かしら?」
「タケさん、マスター……」
思わずじんと感動をしてしまい、誤魔化すように咳払いを一つすると。
「あざっす、それじゃ明日から気合入れてやらせてもらいやす!」
数日後。三千彦は自身のガレージにて仕事を終えた達成感に一息を吐いていた。
タケから言われていた締め切りは翌日だが、ついつい気合を入れてしまい多少強行軍で終えてしまった。
「ま、早い分には文句も言われないっしょ」
言いつつ、タケの事務所に届けるため準備をしていたところ、ふと店先に気配を感じ視線を向けた。
「うっす! うちにご用事っすか」
先んじて声をかけると、そこには燕尾服を来た男性の姿があった。テレビでしか見たことが無いが、その恰好は手品師を連想させた。
「あーあー、すまないここは修理屋と聞いてきたんだが」
「モーターバイクの修理やってるけど、応相談でいろいろ他にもやってるよ」
「へぇ、いろいろか。それって」
言いながら、燕尾服の男は何も持っていない右手を掲げてくるくると回し、パっと開くとそこには一枚のトランプが指の間に握られていた。
ほう、と思わず三千彦が感心していると、男はそのトランプを左手で右手の握り拳の中に押し込んでいき、再び勢いよく右手を開いた。
「――こういう物の修理もやっているんだ?」
そこには、トランプではなく拳銃が握られていた。
三千彦にはそれに見覚えがあった。タケから預かり修理していた物の一つだ。
「!」
反射的にしゃがみこんだ三千彦の頭上を、躊躇いなく発砲された銃弾が通り抜けた。
三千彦は低い姿勢のまま駆け出し三発目までを回避しながら床に転がっていた工具箱を燕尾服の男目掛けて蹴り飛ばした。
燕尾服の男は首を振って飛来した工具箱を回避するが、その回避行動で乱れた照準を合わせるまでの間隙に三千彦は距離を詰める。
「転送能力か! テメェ、依頼品使いやがって!」
怒気と共に両手で拳銃を持つ右手を抑え込み、そのまま燕尾服の男の顔面に三千彦は渾身の頭突きを叩き込もうとして。
男の左手に握られているトランプに気が付き、咄嗟に身を屈めた。
トランプは次の瞬間にはもう一丁の拳銃に入れ替わっており、屈める直前に三千彦の頭があった位置を銃弾が通り抜けた。
「良い反応! だがねェ!」
危機一髪の代償としての不安定な体勢は、一発の足払いで容易に三千彦を地面へと叩き付けた。
「がっ……ぐ」
仰向けに地面に倒れる三千彦の額と胸元にそれぞれ銃口を突き付け、燕尾服の男は笑う。
「こんなチンケな店に大量の銃と金があるとはウマい話だ。ありがたくいただくよ」
「へっ……はは」
引鉄にかかる指を見て、しかし三千彦は口元を歪めた。
「ダッセェカッコ。あんたいかにもモテなさそうな雰囲気だよな」
「……はぁ?」
追い詰めたはずの相手の突然の言葉に、燕尾服の男は怪訝な表情をしつつ、ただの時間稼ぎと切捨てようとして。
「痴情のもつれで女に刺されるとか、経験無いでしょ?」
ドン、と突然左方から衝撃。
突き飛ばされたたらを踏む。反射的に衝撃の方向に銃を向けるとそこにはまるで黒子のように全身に影がかかった女性らしき人影がいた。そして、燕尾服の男は自分の体に突き刺さる妙に長い日本刀のような影を認めた。
「う……あ? ああぁぁぁぁああぁぁ!?」
理解を越えた事態に、男は思わず右手の拳銃を人影に向けて連射する。女の影は銃弾を受けた箇所から霧散し、連鎖するように刀もまた消滅した。そのことに一瞬安堵の息を吐き。
――いつの間にか背後に回り込んでいた三千彦の工具による一撃を後頭部に受け、燕尾服の男の意識は刈り取られた。
「おうおう、なんかまた面倒毎になっとるな」
店先から声がした。振り向けばタケと彼の部下である黒服の男二人の三人がガレージへと入って来ていた。燕尾服の男にトドメを刺していた三千彦は、その姿に驚きながら声をかけた。
「あら、タケさん? これから事務所に持って行こうと思ったんですけど」
「ちょっとこっちに寄る用事があってな。この死体はタタキか」
「っぽいっす。……さーせん。預かり物、使われました」
燕尾服の男に奪われた二丁の拳銃を手に、三千彦は頭を下げた。
タケから依頼されていたのは合計で十丁ほどの銃器の修理だ。結果的にはその依頼を完全にこなすことはできなかった。
「わーった。その分は依頼料から差し引く。それでケジメだ、いいな」
「……うっす。ありがとうございます」
温情に、改めて頭を下げる。タケは三千彦に大事が無いことを確認すると、修理品と差し引き分の依頼料を回収して立ち去っていた。
「この死体はこっちで鉄に混ぜとく。気にすんな、丁度便があったからサービスだ」
そう言って、強盗の死体も黒服達が持って帰った。残されたのは銃痕と血痕だけだ。
「……っはぁー。タケさんの優しさに救われちまったなぁ」
すっかり静かになったガレージで三千彦は椅子に座って大きな溜め息を吐いた。
燕尾服の男を殺したことはどうでもいい。
報酬が減額されたのは少々痛いがまだ許容範囲だ。
タケの信頼に応えられなかったのがただただ悔しい。
「デカくなりてぇなぁ……夢叶えてぇなぁ」
三千彦は自分が小さな人間だと知っている。自分ができるのはせいぜいバイクの直し方と銃器の直し方と銃の撃ち方と爆弾の作り方と人の殺し方くらいだ。
だからこそ自分なんかとは違う人達の話を聞くのは楽しい。。誰もが三千彦にとって未知の世界を教えてくれる先生だ。
もしも――世界中の人達と思うままに会話ができるのならば、それはどれだけ素晴らしいことだろうか。
「……片付けっか」
ガレージの惨状を直すべく背伸びをしながら立ち上がる。
彼の傍らのテーブルに、いつの間にか一枚のカードが置かれていた。
最終更新:2020年09月23日 11:43