可愛いって何。
 きれいって何。
 ステキって何。
 結婚が幸せ?
 交際が幸せ?
 人生の墓場?
 誰が理解してる? 誰がわかってる?
 お前が? ほんとに?
 まじ疑わしい。
 私だけでも証明する。
 この感覚を定義する。
 強さ、しなやかさ、したたかさ、全て持っていて初めて完璧になる。
 美しさを体現する。

「世界、描いて、願いへ」

 何かが足りていない。
 ステージの上に立っているのに物足りない。
 光を浴びながら踊り、歌う。
 小さな箱は埋まっているのになぜか満たされなくて。
 目の前のフロアほど、自分の心は狭くないらしく。
 幸せな夢を見ている気分を味わえたのは初めだけだったと気付いている。
 人間は強欲だ。
 自分も強欲だ。
 また、次が欲しくなる。
 満足は満腹と違って足りないままで腹の底に溜まっていくらしい。

(ここの振り、ステップこうだっけ)

 体に染みついた動き。
 だがそれが正しいのかは分からない、ズレていても間違っていても、誰も見ていない。
 あぁ、そうか。
 こんなに人がいても見られているのは自分じゃない。
 見ているのはグループで、あるいはそれぞれの推しというもので、その中に自分はいない。
 集団の中にいて感じる疎外感や孤独ほど、この心を削る物はない。
 小山内姫。
 彼女は機械的にセットリストをこなし、ライブを続けていく。
 このパーティの主役は自分じゃない。
 それでもこのパーティを止めないで踊っていよう。
 何も知らないふりでステップ。
 何も気づかないふりでターン。
 愚かな女のふりをして笑って。
 あぁ、あぁ、あぁ。
 無情や無常、別に構いはしない。
 誰も私を見ていないなら透明人間と同じこと。
 路傍の石が何かを悲しむというのだろうか。

「じゃあ、今日のMCは……ヒメちゃん!」
「……オッケー!」

 ぼうっとしていた。
 一瞬の間を持って前に出る。
 いつものメンツが最前列。
 熱気と湿気と情熱とほんの少しの選別。
 笑って言葉を発する。

「えーい、盛り上がってんのかー?」
「おおおお!」
「えー、聞こえなくねー?」
「耳が遠くなったかー?」
「誰だ今の蹴り飛ばすぞおい!」

 ひと笑い。
 ファンとの交流、ありがたくて生温かくて涙が出る。
 彼女はこの地下アイドルグループ『shalldone』の最年長メンバーだ。
 バラエティ色を出そうとすれば必然的にそこがやり玉にあがる。
 本人もそれを自覚して利用する。
 ただでさえ距離感の近いこの界隈に置いて生きていくための知恵だ。
 だが、だからと言ってそれに満足しているわけではない。
 例えば、コアラが木の上で生活するのはなぜか。
 そういう生態であると言えば簡単だが、一説によれば木に寄りかかるによって体を冷やしているらしい。
 時にはユーカリの木を離れ、別の体を冷却するに適した気を選ぶという話もある。
 彼らは体温調節が出来ないが故の苦労をする。
 小山内姫も歳を取ったが故の苦労をする。
 正直、ここにはリスペクトなど存在しないと知っている。
 学生の頃を思い出した。
 男子たちの与太話。
 クラスの中で美人ランキングを組めばあいつは何位でみたいな話。
 自分はいつもオチに振られる存在。
 もしもそこにある好意が本物でも冗談で済ませられるということ。
 残酷だとは思わない。
 猿のノミ取りに心揺さぶられることはない。
 ここにいる人間たちは自分にとってなんなんだろう。
 訳知り顔の他人?
 何者にも変え難いファン?
 神様にも似たお客様?
 神様気取りのお客様?
 すぐに推しを変える浮気者?
 箱推しで優柔不断?
 自分の後ろの誰かを見てる。
 自分を通して誰かを見てる。
 決められたコールじゃなくて心からの言葉をかけて。
 口上じゃなくて本音で恋して。

「んじゃ、次の曲行くぞ。行けんのかお前らー!」
「オー!」
「ノリ悪ぃなら置いてくかんなー!」
「よっしゃいくぞー!」

「ヒメ、また自撮り?」
「映る?」
「いい。あんたのとこのファン濃いの多いし」

 ライブとチェキの時間が終わりいつものように楽屋にいる。
 今日も今日でお疲れ様というやつだ。
 各々が各々に自分の時間を過ごす。
 小山内姫はSNSの更新に余念がない。
 今日も来場のお礼と自撮りを電子の海へと放流する。
 宛先はないボトルメールなのになぜか返事がついてくる不思議な現象が今夜も起きることだろう。

「は、相変わらず加工きつすぎない? 空間歪んでる」

 嘲笑が小さじ一杯の言葉を笑って受け流す。

(オメーのぶりっ子もからすれば加工だわ)

 心で軽口。
 面倒事は避ける。
 一応、まとめ役の最年長ということになっているし。
 裏の嘘は表でボロとなって現れる。
 取り繕うのではなく演じるのだ。
 ライツ・カメラ・アクション。
 そう、すべてはアクションだ。
 彼女たちは自分たちを演じるアクト、こちらは指先までアイドルとして動くアクション。
 ……当然、誰もそんなことを思っているなど気付いていない。
 客も、横並びの仲間も。
 頑張りは誰かが見てくれているなんて嘘だ。
 自分は自分としてここにいるのに、誰も認めない。
 じゃあ、誰が誰を認めるのか。

「わり、お先失礼するわー」

 荷物を持って楽屋を出る。
 こういう場合、ある程度固まって事務所が用意した車で送るというのが安全なのだが小山内はそれを拒否している。
 なんとなく、彼女たちの中にいるのが嫌だった。
 あるいは怖いと言い替えてもいい。
 自分の位置をまざまざと見せ付けられてしまう。
 この自信は塗り固めただけのハリボテなどと思いたくない。
 自分の身は自分で守る。

(お、今日は伸びいいじゃん)

 端末を弄り回しながら歩いている。
 耳にはイヤホン、新曲の確認のため音を流している、
 ゆえゆえ、気付けない。
 背後から近づく人間の影に。

「んむ……!」

 後ろから組みつかれた。
 マズいことになっている。

(乳まさぐんな……!)

 スマホを操作、カメラ起動。

「あんま舐めんな!」

 かしゃり。
 肩越しに写真を撮る。
 顔を撮られたと思ったのか不審人物の手が硬直する。

(ばっちり……)

 画面を瞳が見つめる。

 グ    ニ    ニ    ィ

 瞬間、相手の手が服から引き抜かれる。
 相手の意思によるものでは無い。
 後方に弾かれたのだ。

「S.N.O.W……!」

 地下アイドル、小山内姫は魔人である。
 手の中でスマホの画面が輝く。
 肩越しに撮った写真、不審人物と自分が見切れている。
 いや、それでいい。
 必要なのはそこではなく、自分と相手の間にある空間である。
 Scorn No-good Of World、略称S.N.O.W。
 空間を歪める能力。
 自分と相手の距離を見かけよりも引き伸ばし、定着させた。
 近くて遠い、そんな邦楽の歌詞のような事象を現実に落とし込んだ。

「さぁて、犯罪者さんのご面相は……」
「……なんで」
「あー?」

 女だった。
 真っ黒な髪は伸びっぱなしでその隙間から目が見えていた。
 充血して真っ赤だ。
 そんな人物がこちらに言葉を発している。

「お前は『shalldone』の異物だ……!」
「え、お前ウチのファンなの?」
「お前が……メンバー面をするなァ!」

(おいおい、トんじまってるじゃねーか)

 内心そう思ったが、そんな考えは長く続かなかった。
 女の髪が重力に逆らうように持ち上がったからだ。

「お前魔人かよォ!」

 魔人はその能力によって世界の法則を捻じ曲げる。
 それは小山内姫も同じだ。
 ただ、そういう意識があるせいか小山内姫の能力であるS.N.O.Wは自分を含む魔人を対象に取れない。
 ゆえゆえ、この女自体に能力は行使不可能である。
 空間の捻じれを人体に適応すれば瞬時に畳んでしまえるのだが。

「うあああ!」

 髪の毛が一房ずつの塊になり、小山内に向かって伸びる。
 髪が蛇のような形を作り、その体を狙う。

「やっべ……魔人相手はダルすぎんぞ!」

 髪につけていたアメピンを宙に放り投げ、スマホのカメラにそれを捉える。
 二本の指が画面をなぞった。

「フィルターオン!」

       グ     グ

       ニ     ニ
       ニ     ニ
       ィ     ィ
       │     │

 二本のアメピンが伸びる。
 空間を引き延ばし、その効果を定着させた。
 ピンは1.5mほどのサイズに変化する。
 そして、迫る髪にぶつかり、宙を舞った。
 アメピンが当たったためか髪の軌道が反れ、小山内は攻撃をかわす。
 地面に落ちる二本のピン。
 その一本を手にし、力任せに投げつける。
 あくまで空間の変化に合わせて伸びただけだ。
 重さそのものはいじっていない。

「邪魔!」
「お前の方が邪魔ー!」

 一本目のアメピンが髪に弾かれる。
 すでに二本目は手の中に、そしてスマホももう片方の手に。
 舌先をスマホの画面に伸ばしてなぞった。

「フィルターオン!」

     →グニィ←

 投擲。
 見かけよりも距離を縮める加工。
 一度目よりも速いだとか遅いとかではない。
 キャッチャーの二歩前からボールを投げているのと変わらない。

「ぐ……!」

 腹部に命中。
 カバンに手を突っ込み、一気に接近する。

「クソが……!」
「おわ……!」

 怯んでいる時間が思ったよりも短い。

(こいつむっちゃ根性あんじゃん)

 その気持ちを別のところにいかせなかったのか。
 九つの髪の房。
 蛇の頭のような毛先が体に叩きつけられ、噛みついていく。
 思わずカバンを落としてしまった。

「殺す……殺す……!」

 服越しに肉体を削っていく。
 雨のように何度も何度も体を叩くのだ。

「ま……じ……」

 攻撃を受けながらもスマホを構える。

「させ……!」

 左手首に髪が食らい付く。
 そのまま抑えつけ、今度は小山内の口の中に別の髪が潜り込む。
 舌が噛まれているのが分かる。
 それでも、小山内はスマホを持ち続ける。
 たった一つの武器を構えている。

(S.N.O.W)

   ニ     ニ

 ニ          ニ

グ          イ
         イ
      イ

 変形。
 狙いは落としたカバンからこぼれたヘアアイロン。
 動物の顎のように変形している。

「S.N.O.Wの発動条件はふれることじゃねぇ……!」

 彼女がその画像や映像を認識していればいくらでも加工が出来る。
 ヘアアイロンを蹴り飛ばし、相手を射程に入れた。

「フィルター……オンだ!」

 アイロンがひとりでに開閉する。
 狙いは当然、あの女だ。
 小山内への攻撃で髪を戻すのが間に合わない。

「オイタはなしだぜ、お嬢ちゃん」

 何度も、何度も、何度も、自分がそうされたのと同じだけ、ヘアアイロンが相手の体に噛みつく。

「……う、う……!」

 髪が伸び、ヘアアイロンに絡む。
 機械の内部に無理やり髪が入り込む。
 動きを止めようとしている。

 グ    ニ  ニ ィ  イ イ イ イ

 問題ない。

「そのアイロン、高いんだぞ?」

 アメピンは二本だけではない。
 伸ばした一本が手に握られており、そのまま女の首元に突き立てられている。

「これで突いたら喉破れんぞ」
「……あ、あああ」
「今やめたら許してやるけど、どーする?」

 にっと笑い、小山内はそう告げた。


**

「で、気にくわないから襲ったって?」
「はい……」

 アスファルトの床に女を正座させ、ぼろぼろの服の小山内がそれを見下ろしていた。

「はぁ……バッカ……」
「え?」
「そういうのはSNSにでも書きこんで発散しろって。お前、好きなんだろ? 『shalldone』」
「は、はい……」
「じゃあ、推しに時間使えよ。私の帰る時間とか調べるの、時間の無駄だし」

 あっさりとそんなことを言ってのける。
 別に襲われたことは気にしない。
 いま生きているからそれでいい。

「現場来いよ。で、推しとチェキとって、感想呟いて、全部終わった暇つぶしに私を叩けばいい」
「……いいんですか」
「いいよ。気にしねぇ。私、メンヘラじゃねえし。好きにしろよ」

 そうだ、好きにすればいい。
 誰が何と言おうと気にしない。
 誰も自分を認めなくても、小山内姫自身が自分をアイドルだと認めてくれる。

「私、アイドルだからな!」

 そう言い笑って去って行った。

……後日

「あ、あの……チェキを」
「お前……推し変したのかよ!? もったいねー!」

 小山内姫のファンが一人増えたらしい。
最終更新:2020年09月23日 11:53