【とある愚者のさいごの言葉】
いい人生だった。
わたし、香坂 マリナは、
自分にそう言い聞かせられるぐらいには、
楽しく生きてこれたと思う。
犬吠埼の夕日がわたしを照らしている。
遠くから鳥たちの鳴き声が聞こえる。
茜空に飛ぶ影絵を見つけ、わたしは目を細めた。
◇
わたしの終わりは、生まれた時…、
いや、それよりずっと前から定められていた。
数百年以上前、わたしのご先祖様は、
この国をとある災厄(――おそらく今の科学があれば、新型の致死性感染症と判断しただろう)から救った大魔人だったらしい。
ただし、その制約は大きく、
その子孫は各世代の長男を除いて18才になると同時に死ぬ運命を背負った。
…『長男を除く』とかマンチキンすぎないか、とか、
そもそも現代の価値観にマッチしなさすぎポリコレ棒に叩かれろ、とか、
そういうことに気づけたのはわりと最近のことで、
わたしはわたしが死ぬ運命を前向きに受け入れられるようによく教育されており、
自分の運命を呪うことはなかった。
ある程度そんな自分の運命を客観視できるようになった今だって、
両親に対しては感謝はあれど憎しみの気持ちはない。
だって、どうせ死ぬなら、「ごめんね」と言われて生きるより、
「ありがとう」と言われて好きなことをさせてもらったほうがずっといいもんね。
そして、自分のような凡庸は、好きなように生きる、ということにも、
さほど特別な解答を見つけることはできなかった。
高校2年生まではふつうの女の子として生きて、
さいごの数か月はこの国を好きに旅をする、
それがわたしの選んだ道だった。
さいごに旅を選んだ理由は、
ご先祖様がわたしたちまで巻き込んだこの国をこの目で見たかった――
というのも一因ではあるけれど、
それ以上に、友人たちと整理をつけるための期間が欲しかったからだった。
高校2年生の終わり、春休み前に、
本当に仲のよい友だちには、自分の行く末を伝えた。
カリナは私のために泣いてくれたし、
チエミは私のために怒ってくれた。
彼女たちの想いが嬉しかったし、そして同時に、
わたしが死ぬときには、もうわたしのことを思い出にしていてほしかった。
旅に出る前にお別れを言って、それっきり。
カリナとチエミも、きっとわたしの意図をなんとなく理解しているのだろう。
お別れの後は、お互いに一度も連絡をとっていない。
わたしは何も伝えずに去れるほど強くはなかったし、
わたしの死を直視させるほど傲慢にもなれなかった。
まあ結局、わたしはわたしのワガママを通したということなのだけれど。
細めていた目をまた開く。
夕日が海に沈んでいく。
この気ままな旅のさいごがこの場所だったのは偶然だったけれど、
さいごに見る茜空が、この美しい光景でよかった。
わたしは数時間後、日付が変わるとともに死ぬ。
すべてが満たされていたと言ったら嘘になるけれど、
それでもわたしは、いい終活ができたと思っている。
だからほんとうに、もうこのまま眠って、それっきりでもよかったのだけれど。
――ぶわっ
一陣の風が吹き、先ほどまで茜空の影絵だった人物が隣に降り立つ。
「マリ姉。来ましたよ」
「ん。」
路田 久揺。
わたしがわたしのワガママを押し通せなかった唯一の友だちで、天然な後輩で。
「さて、今日は何して遊びましょうか。私はUNOを持ってきました」
「プッ、あはは!ここでUNO出してくる!?しかもあんまりふたりでやるゲームじゃないでしょ!」
こいつは、わたしがもうすぐ死ぬってこと、ちゃんと分かってるんだろうか?
わたしが物理的にとった距離を、魔法の箒で飛び越えて会いに来る魔人が、
今日ものほほんとした表情でわたしを覗き込んだ。
◇
久揺はわたしの学校でそれなりの有名人だった。
この魔人が跋扈する社会において、普通の高校にいる魔人の注目度が低いわけがない。
だが、彼女は差別の対象などにはならなかった。
もちろん、悪しき感情を持って彼女に接したものもいたかもしれない。
だが、久揺はおそらく、そんな悪意にそもそも気づかないだろう。
多分、根がアホなのだと思う。
天然だが無害、まあヤバそうな魔人ではない。
そんな1つ下の新入生の噂を聞いて、
失うものがいろんな意味でなかったわたしは興味本位で声をかけ、
そしてなんだか波長があってしまったのだった。
そんな久揺にも、旅の前にわたしの運命を伝えて、お別れを告げたつもりだったのに、
「国内の旅だったら、私の能力でピュッと遊びに行けますね」
である。
え、わたしが死んじゃうことに対するコメントとかないんだ、とか思ったが、
数秒後にはまあ久揺だしなと納得していた。
そして、結局のところ、
わたしの死に特に触れずに、時々遊びに来る久揺の存在は、
ずいぶんとわたしを救ってくれた。
月2回のペースで、LINEに「今から行きますどこにいますか?」と飛んできて、
だいたい1時間もかからずどこにでも現れる。
そしてふたりで、好きなように食べて、好きなように寄り道して、好きなように遊ぶ。
久揺とふたりでくだらないことを話しながら各地を巡るのは、
うん、悪くなかった。かなり。
そして、17才さいごの日。
つまり、わたしさいごの日にも、
こいつはいつもの調子で現れたというわけだ。
「久揺、わたし、あと数時間で18才だよ」
「あ、はい。おめでとうございます。UNOあげます」
「UNOはいらないかな…。なんか他にないの」
「むむ。マリ姉がわがままを言うとは…。予想外でした。準備不足です」
しょんぼりした顔をする。
本当に凹んでいるのか、何かの前振りのつもりなのか、
いまだにわたしはこの子の思考がつかみきれない。
「仕方ありません。私にできることならマリ姉の言うとおりになんでもしましょう」
「ホントになんでも?」
「ええ。女に二言はありません」
「いつも断られてるヤツでも?」
「…ええ。私の身体が目当てだというならそれでも」
「んなこと頼んだことないし。…いや、身体目当てというのは嘘じゃないか」
「ふふ」
いつも半開きの久揺の口が結ばれ、微笑を浮かべる。
こいつ…。
わたしの頼みごとを分かっていたのだと気づき、ちょっとムカついたけれど、
背に腹は代えられない。
「今日こそ、私を空に連れて行ってよ」
「はい。今宵だけは、この魔女がマリ姉をお空にご招待しましょう」
◇
久揺は何度頼んでも、わたしを箒の背中に乗せてくれなかった。
本人曰く、後ろに乗せたら99%落とす自信があるとのことだった。
その彼女が自信満々でお空にご招待ということは、何か策が見つかったのだろうか、
そんなわたしの予想は、最悪な形で的中することになる。
「思ってたのと違うううううううううううううううううう!」
叫ぶわたし。
「でも、これなら落とす心配がないのです!」
見えないけどおそらくドヤ顔の久揺。嘘だろ。
あろうことか!久揺は今!
わたしの背にまたがり!わたしを『魔法の箒』にして空を飛んでいた!!!!
ちょっと!!わたし結構さっきまでエモエモな気持ちでいたんだけど!!!
あと数時間後に死ぬ女にする仕打ちかこれが!!!!!
「ほら、マリ姉、雲一つない夜空ですよ。東には月も見えます」
「たしかにキレイなのがムカつく」
空に近づいたから、
…ロマンを排除するなら地上の光から遠のいたから、
夜空の星々は、いつもより数倍明るく見える。
たしかに、今瞳に映っているものはさいごの光景として悪くない。
でもわたしは後輩を背中に乗せて空を飛び回っているという現実を無視して
感傷モードに入れるほどの図太さは持ち合わせていなかった。
「うう、尊厳破壊だ…」
「…名案だと思ったんですけど、そんなに嫌でしたか?」
「いや、まあ、うん。…なんか久揺にそんなにしょんぼりされると嫌と言いづらいな」
そもそも、地べたにうつ伏せで寝転がれという指示に従ってしまったわたしにも、
責任の一端はないとは言えないような気もしなくもない。
「ふふっ」
思わず笑ってしまう。
「久揺のせいで、わたしの終活プランはめちゃくちゃだよ」
「人生、ままならないものですね」
「面の皮厚すぎだろ。
…うん、でも、ままならないからこそ、いい人生だったのかも」
「お。この体勢でポエムですか?」
「ぶっ殺すぞ」
澄んだ夜空で笑いあう。
まあ背中にまたがられてるから顔は見えないんだけど。
「あ、流れ星」
「やっぱり、上空からだと見つけやすいんですよ」
「こんないいモノを独り占めしていたとは」
「ごめんなさい。もっと私がこの名案に気づいていれば」
「いや、たぶんもっと前に言われても断ってたと思うわ」
また、笑いあう。
慣れてくれば吹き付ける風も心地いい。
「ねえ久揺。そんなに流れ星を見つけていたなら、何を願っていたの?」
「え。うーん。きれいだなと思っても、願おうと思ったことなかったです」
「そっか、まあ久揺らしいね」
「…マリ姉は星に祈る願いごと、あるんですか?」
「あはは、もうすぐ死ぬやつに、それ聞く?」
意図的に避けていた死という言葉を、ふと口にしてしまう。
ゆっくり旋回していた軌道が止まる。
(当然、久揺が乗ったわたしの軌道、のことだ。)
「だって、マリ姉は、星にもっと長生きしたいとは願わないでしょう」
「…なんでそう思うの?」
「女の勘です」
「ここで女の勘かよ」
理由はどうあれ、久揺の言っていることは正しい。
だって、
わたしはわたしの運命に、わたしの人生に、満足しているのだから。
「マリ姉は、流れ星に何を祈るんですか?」
久揺のいつもの口調でまた問いを投げる。
わたしは口ごもる。
自分で出した話題だったくせに、
わたしは何を願えばよいのかうまく言葉にできなかった。
うーん、とうなっていると、
背中にパタパタと水が降りかかる。
急に雨かと思ったけれど、空は雲一つない夜空だ。
ああ、この子もそういう感情になるんだということに、結構衝撃を受ける。
できればもう少しマシな位置関係で気づきたかったけれど。
発すべき言葉を見つけられないうちに、
また、流れ星が落ちる。
ふと、
自分の口から、願いが漏れる。
「世界滅亡」
言って、自分で驚いて、でも数秒かけてたしかに納得する。
「世界滅亡かな。わたしが願うのは」
「それは、どうして?」
わたしの脇下をつかむ久揺の手に力が入る。くすぐったいのでやめてほしい。
でも、久揺の疑問ももっともだ。
わたしが人生に満足していたのは嘘だったのかと、そういいたくなるのも分かる。
でも違うんだ。
いい人生だった。
素敵な世界だった。
短めな一生だったけれど、
わたしは、わたしの旅路でたくさんの素敵なものを知ることができた。
わたしは生きて、色んなものを見た。
だからこそ――。
少し欠けた月が、わたしたちを照らしている。
◇
月。曖昧を意味する
アルカナ。
その神秘的な光は、旅人をいかようにも導きうる。
◇
◇
◇
路田 久揺が『月』のタロットカードを入手したのは
香坂 マリナの死から、数か月後のことだ。
彼女の願いは世界滅亡。
それは、愚かで、借り物で、自身ですら叶えるべきとは思っていない願い。
それでも。
だからこそ――。
最終更新:2020年09月27日 15:45