■予感
昼下がり。
掃除機を切るととたんに外の音が聞こえる。曇り空の北風は、マリに秋の到来を感じさせた。
小さく軽い掃除機を部屋カドに掛け、まとまって片付いた部屋を見わたす。おおきな満足感と、一抹の徒労が、マリの内に湧いた。
――今は整っていても、あくまで、今だけ。
――すぐに物が溢れ、明日にはまた掃除をすることになる。
昨日テレビで見たように、主婦の労働を時給換算して、夫ナオキの手取りから引いてみる。
小さくなった数字に、ため息がでる。
合皮が光沢するソファに倒れ込み、目をつむる。
少し眠った。
夢の中。なにか光り輝くものが、マリの正面に舞い降りた。力強く雄々しき光は、決してこの世では見られない類のものだ。
惹きつけてやまない、人を虜にする光ではあるが、その輝きは正常のものではない。
光の塊が、マリの肌に触れようとする。その瞬間に、マリは光を"断"った。
「私の中に無用は不要。"断"つ、"捨"てる、"離"す」
突然の拒否に行き場をなくしたのか、光はみるみる萎える。風景は暗闇に、マリの意識はクリアになる。目覚める。マリの肌中、じっとりと汗をかいていた。
「なに……夢?」
なにか大きなものが横切り、そして完全に過ぎ去った感覚が、鉛のように腹に残った。
まるで、PlayStation5の発売日を見落としていたかのような、致命的な感覚。
--なにか大きなチャンスが転がっていたのに。無意識下の断捨離は功罪あるな……。
長年、断捨離の道を極め続けてきたマリには、自らの知覚しない域においても、断ち、捨て、離すことができる。
不要なものを捨てる断捨離は、極まると、そもそも不要なものを持ち込まないことが答えのひとつになる。
そのための迎撃型断捨離。
たしかにマリは断捨離の達人である。
しかし、転売の達人でもある。
売るための買い入れ、一時的な不要物の占有を、是としている。
なぜなら、儲けがでるから。生活があるから。四人家族の母だから。
マリは賢い主婦だから。
--夢の中のあの光、どうにかして手に入れたい……。
マリは急いで、先程の妙な存在について調べた。
雲を掴むような光を掴むような、とりとめもない話ではあったが……。
「あった」
存外、すぐに見つかった。
夢の中の啓示。
望みを叶えるタロットカードの都市伝説。
そして、そのタロットカードの出品。
その値段は……。
「少々、やっかいな……」
タロットカードは金銭による取引では得られず、少しばかり面倒な雑事をこなさなければならないらしい。
しかしその雑事こそが、都市伝説の裏付けになっている。
「本物……ね」
マリは時計を見る。現在は14時15分。
一瞬の思案の後、マリは即座に立ち上がった。
「まあ、夕餉の準備は間に合うかな」
マリは家中の鍵がしっかり閉まっていることを確認して、一度小さくノビをして家を出た。
Side-A 青山殺太郎
俺の名は青山殺太郎!
今日も"宴"の"招待客"がやってきやがったぜ。キヒヒィー!
本日の贄は……なんてことはない、単なる主婦か。
まあ魔人なら少しは楽しめるだろうが。せいぜい楽しませてくれよ!
タロットの都市伝説に釣られて"廃倉庫"におびき寄せられた"獲物"は、のこのこと歩いてくる。
なんとも愚かなことよ!
誰それと付き合いたいだとか、ガシャでSSRを引きたいだとか、そんな薄っぺらい望みを抱いて、この戦場に足を踏み入れた愚者に、ヒヒッ、あと3歩、あと2歩、あと1歩、ドカンだ!
……。
……?
女はほんの少し高く足をあげただけで、平然とこっちに向かってくる。
まさか……見えているのか?
俺の能力で不可視となったワイヤートラップに。
……キヒヒ、愉快愉快!
しかし次の罠は避けられまい! なにせ音速で--
「おいおいおいおい!」
女はひょいひょいと、それが見えているかのように殺人トラップを最小限の動きでかわしていく。
間違いない、こいつも魔人だ。それも、察知系の能力。
であれば、身体能力は高くあるまい。
クキキキ、殺人の醍醐味は返り血よ……、久々に味あわせてもらうか。
女は足を止めた。罠に詰まったわけではない。
俺との距離が、もう一触即発に迫ったからだ。
こいつは何らかの能力で俺の罠を見切っている。確かに、俺の周囲にもう罠はない。正解だ。クヒヒ、それこそが罠だがな。
「なかなかやるじゃねえかおばさん」
「おばさ……。……まあいいわ。さっそく取引にしましょ。都市伝説のタロット(開封済み・美品)、値段は言い値、条件は直接手渡し、ただそれだけ。ほら、これ」
女はポケットから何かを弾く。ゆっくりした山なりの軌道。
アルミの硬貨は、その価値に見合った安っぽい音を立てた。
「……おいおいおいおい、たったこれっぽっちか?」
「言い値に上限も下限もないでしょ。約定通り。なにか問題が?」
「勝利宣言にはまだ早ぇぞ」
俺の能力は隠すことだけ。それも見破られているみてーだが。
しかし、全部を見抜いているわけではない。
もし本当の俺の姿が見えているなら、俺の手が届く範囲にまで、近づくわけがないからな。
「最後のトラップは……刹那だぞ」
俺は自らにかけた隠匿を解除する。
手の届かない距離でゆうゆう口弁たれていたが、それは大きな間違いだ。
俺の真の体長は18m、日々のトレーニングで鍛えた結果だ。そこから放たれる拳は、頭蓋骨もトマトの如く吹き飛ばす。
罠設置型の能力はどう見ても陰キャだからな、俺自身は非力だと思われる。それを逆手に取るのさ。結局のところ魔人同士の戦いは一手の差が致命的になる。頭脳戦だからな。結局は頭を使ったほうが勝つのよ。よーいドンで勝負が始まるわけはねえ。俺は誰よりも準備してる。小学校のときからそうだ。明日の科目の教科書は、昨日の内に準備しとくもんさ。そうすれば気兼ねなく一日を過ごせるからな。心のどこかで「明日は国語だからランドセル中身入れ替えないと」なんて思うと、それがストレスになる。ストレスはよくない。だから俺は準備する。だから俺はストレスを持たない。人を殺したいって思っても、殺してはいけないから殺さない、そういうふうに自分を押さえつけることはストレスになる。俺はストレスを持たない。だから俺は人を殺す。そうやって生きてきたし、これからもそうやって生きていく。タロットカードを全部集めるとなんかすっげー何でも叶うみてえだからな、俺はもう決めてんのよ、願いは。誰もがストレスを抱え込まない、そういう世界になってほしいんだよ……。やっぱ俺、みんなには笑顔でいてほしいから。へっ、無謀な夢だって笑っていいんだぜ? でもな、俺にとっては無謀でも夢でもねえんだ。単なる目標さ。一歩一歩着実に、準備して、コツコツ歩み続ければ、必ず達成できる。分かるだろ? そうやって人類は月に足跡を残したんだって。人間、スマホばかり見てちゃいけねえよな。顔をあげれば、でっかい空があって、月があって、知らねえ星とか宇宙人がいるのによ。どういう望みを持ってここに来たかは知らねえが、へっ、お前の分まで背負ってやるよ。ああ、おばさんなんて言って悪かったな。俺にはお袋がいなかったから……。
……。
なんだか思考がとまんねえ。
やべえ、……領域入ったかもしれねえ。
やっぱ……、かっけえわ、俺……。
体が……、輝いて……、
ついに目覚めたな、オーラ…………。
青山殺太郎は内から喜びが湧き出る。
彼の死相は、ストレスフリーを信条にした、彼らしい笑みをたたえていた。
Side-B マリ
取引相手は@korosi_taro。
取引実績は8件あって、その全部が途中取り消し。
購入相手は更新をストップ。
タロットカードの噂と照らし合わせると、まあ、おいしい餌を殺し回ってると見るのが妥当かな。
「メルカリ」
私の魔人能力は、相手の所有物を見て、買い取る能力だ。
直接視認するか、あるいは特定個人を同定できれば、対象に選ぶことができる。
物騒な武器や暗具、麻酔の類がHitする。
これらのものは、「購入できない」。なぜなら、彼は、これらの武器を必要としているから。手放す気がないから。使う気満々だから。
誰に対して? 私に!
気が滅入るが、この程度なら問題はないだろう。
指定された沿岸の倉庫には、無数の罠が設置されていた。それらは目には見えないが、「メルカリ」を通じて分かる。商品情報は随時更新されるものだから。
断捨離するもの、動きは最低限。最小限の動きで罠を回避して、ご対面。
言い値で売るとは言っているが、彼がタロットカードを手放すつもりがないことは、「メルカリ」でわかっていた。
彼は、タロットカードを売るつもりはあった。ただ1円ではない。1億円でもない。
「この世の不平不満を全て解消し、世界に平和が訪れること」と引き換えだった。
きっと、これが彼がタロットにかけた願いだったのだろう。
……殺人をすることと世界平和が両立するのは不思議だが。
売る気がないのなら、まあ、別の手段で手に入れるしかない。
さいわい、彼は断捨離されるべき危険人物だ。
私の街、私の暮らしに関わる範囲にいてほしくない。
不要なものは、断ち、捨て、離す。それに尽きる。
彼は最後の手段として、直接的な暴力に頼った。
仕掛けた罠は意味がないと悟ったのだろう。
それこそが、彼が陥った間違い。
不要と思った瞬間、「メルカリ」の画面が変わった。
彼の罠がすべて売りに出されていた。
それは、たしかにそうだろう。罠は無意味、不要、そう思ったからこそ、自らの拳で襲ってきたのだ。
彼にとっては不要、しかし私には有用。
私は彼の罠を全て購入した。即断即決。それこそが転売の極意。
購入即配置された彼自身の罠は、かわせるはずもない。彼の能力とは違い、隠していたわけではない。瞬時にそこに現れ、そして牙を剥いたのだ。察知するまもなく、彼は死んだ。
80発の弾丸が全身を撃ち抜き、のこぎりに正中を割かれ、アフリカ象100頭の心臓を止める麻酔が打ち込まれた。
まあ、なんというか、自業自得……というやつだ。
彼は光となって消え去り、その場には一枚のカードが残された。
手にとって見ると、たしかにただの紙切れではない。インゴットよりはるかに存在感を持ち、強く胸に訴えかけるものがある。
--望むか?
答えは一言でいい。
余計な言葉は、捨てていい。
「望む」
私の望みが光となって、泉のように湧き出る。息子が嫌がらず歯磨きをしてほしい、夫の浪費癖を抑えてほしい、家庭円満、皆健康でいてほしい……。
さまざまな願いがあふれ、かさなり、ひとつのまばゆい光になる。
夢で見た、あの恐るべき光だ。
この願いは、たしかに、私の内に秘められていたものだ。
--汝、"愚者"の道を歩み、"世界"へ至れ。
--"世界"にて【家族の幸福以外の全ては断ち、捨て、離す】と知れ。
夫と子供と、私。
これが"世界"だ。
専業主婦だから。
■エピローグ:家族
タロットカードを手に入れ、今日明日の食料も買い込んで家に帰ると、車が停まっていた。
定時よりも早い上がり。寄り道してもしなくても、間に合わなかったかな。
玄関をあけると、出たときとはうってかわって、一面に赤い花が。
薔薇の花束が敷き詰められている。盛られている。そそり立っている。
てっぺんの花束にはメッセージカードが添えられている。
--愛している
それだけの言葉だ。不要な言葉を断ち、捨て、離す、マリの趣味嗜好を熟知しているからこその、簡素なメッセージ。
この嬉しいプレゼントは、誰からのものか、マリにはとっくに分かっている。
花束をひとつだけ持って、リビングへ。キッチンではなにかを焼く、小気味よい音と香ばしいかおりが漂ってくる。
「おかえり、マイ・ラブ」
「ただいま、マイ・ラブ」
マリは花束をいとおしく抱きしめ、満面の笑みを浮かべる。
妻の幸せそうな笑みを見て、夫ナオキは、顔が熱くなる。
「そ、その、プレゼント。なんだけど。……メッセージ、伝わった?」
たくさんの薔薇。
薔薇の花言葉は愛情。
メッセージカードには愛している。
「伝わったよ! とっても嬉しい!」
愛するものが、同じように自分を愛する。
これ以上に喜ばしいことは、この世において他にはない。
「そ、そうか! あはは! よかった~、ちょっと不安だったんだよね、ほら、花言葉ってさ、知ってる人と知らない人がいるから。それに、知っていても、ど忘れする人と、ど忘れしない人がいるから。文字も書いたんだけどさ、その、日本語ってさ、逆向きにすると、読めるんだけど、読みにくいからさ」
「心配しすぎだよ、大丈夫、ちゃんと伝わった」
マリはナオキに近づいて、頬にそっとキスをした。
「ありがとうね、薔薇」
そしてマリは、大事に抱えていた薔薇を、ゴミ箱へと投げ捨てた。
「ちゃんと伝わったから、もう役目を終えたね。本当に、ありがとう」
「よかったよ、僕が、君を愛してるって伝わって。それともう一つ」
ナオキはプライパンを傾けて、焼いていたキノコを見せた。
栗色の茸は、火を入れたせいなのか、もともとの模様なのか。わからないが、ふやけた紅葉のような、珍しい形のキノコだ。
「これはね、なんでも食べると1万年は生きられるっていう、伝説のキノコなんだ。本物の徐福から貰ったんだ。世界にふたつとないんだよ」
嬉々として報告するナオキに、マリは冷たく言い放つ。
「嘘だよ、1万年も生きられないよ」
ナオキの表情は凍る。
先に口を開いたのは、マリだった。
「だって、私達家族は4人。4等分するんだもの、せいぜい2500年だね」
目をパチクリさせて、ナオキは大きく笑った。
「あーっはっはっ! マリ、僕たちの幸運は君の常識を超えたよ! 世界にふたつとないキノコが、冷蔵庫にはあと7つもあるんだ!」
「まあ!」
口に手を当てて、マリは驚く。その驚いた表情はかわいくて、ナオキはますます幸せな気持ちになる。
夫の幸せは妻の幸せ、妻の幸せは夫の幸せ。
そして……。
「ただいま~。おはな~」
子供の帰宅に、二人の笑みはますます深まる。
子供の幸せは親の幸せ。
マリは幸せだった。
だからこそ、この幸せを壊しかねない全てを、断ち、捨て、離すつもりだ。
最終更新:2020年09月23日 12:43