「……そうですか。とても、お辛かったでしょうね」
都内某所、色彩豊かな薔薇に囲まれた洋館『薔薇館』
その一角に設けられた小さな談話室で、二人の女性が小さなテーブルを挟んで向かい合う。
目に涙を溜めた女性は、嗚咽をついに抑えきれず号泣する。
その顔や、顔を覆う手には痛々しい痣や擦り傷、火傷の痕まで残っていた。
「大丈夫です。ここで傷が癒えるまで、私たちと共に過ごしましょう」
修道服姿のもう一人の女性が、泣き喚く女性を優しく撫でる。
その瞬間、痛々しかった傷がす、と消えていく。
「あ、ありがとう、ありがとうございます!」
傷が消えた女性が、さらに涙を流しながら感謝の言葉を告げる。
『薔薇館』――マリアライトが私財をつぎ込んで建設したこの館は、男性からの謂われ無き暴力によって
傷ついた人々を保護するための、いわゆるDVシェルターである。
マリアライトの他、十名程度の人々が共同で暮らし、体と心の傷を癒やしながら過ごしている。
そこに今日もまた、一人の保護を求める弱きものが訪れたところであった。
この場所に居る限り、女性達は恐怖に怯える必要はない――そのはずであった。
「ま、マリア様! 大変です!」
血相を変えた女性が、突如談話室の扉を開けて入ってくる。
「男が! 正門の前で暴れて、その……!」
その報告を受けて、相談者の身体がびくりと震える。
マリアライトの細めた目でも分かるほどの、激しい動揺。
「……すみません、この方をお願いします。
私が直々に応対して、お引き取り願いますので」
相談者のことを任せると、マリアライトは館の玄関へと向かっていった。
~~~~~~
「オラァッ! 早くミカを出せよ! いるのはわかってんだっつーの!」
短い金髪を刈り上げ、威圧的なタトゥーを露出させたタンクトップ姿の男性が
怒鳴り散らしながら、薔薇があしらわれた門を足蹴にする。
一蹴りごとに門の柵が軋み、歪んでいく。あわや、というところで――
マリアライトが玄関から現れ、男と対峙する。
その表情は、変わらず温和そうな微笑みである。
「申し訳ありません、どういったご用件でしょうか?」
「あァ? ミカの奴がここ来てんだろ?連れて帰るから呼んでこい」
「残念ですが、こちらに貴方の仰る方はお越しになっておりません。お人違いをされているようですが」
「ウソついてんじゃねえ! プンプン臭うんだよぉー、ミカの臭いがよぉー!」
マリアライトを見下すように、男の下卑た視線が絡みつく。
ゆったりとした黒いワンピースの上からでもわかる程に魅惑的な
彼女の肉体を品定めするように、好色さを隠さぬ様子で男は威圧を続ける。
(……嗅覚強化、でしょうか。いえ、嗅覚だけでは門はひしゃげませんわね。
肉体全般の強化、といったところでしょうか)
マリアライトは男の視線を意にも介さず、冷静に分析を始める。
曲がりなりにもDVシェルターである以上、追っ手がこのように容易に辿り着けないよう
様々な対策はしているが、相手が魔人となれば話は別だ。
「お引き取りください。それ以上の狼藉をするのであれば、相応の対応を致しますので」
「ソーオーのタイオー、だあ? おもしれえ、やってみろよ!」
マリアライトの毅然とした態度が癪に障ったのか、男が右腕を振りかぶり――
直後、腕の太さが数倍に膨れ上がり、そのまま豪腕によるパンチが門に叩き付けられる!
「! キャアッ!」
鉄の柵で出来た門が飴細工のようにはじけ飛び、マリアライトの身体をしたたかに打つ。
もはや門の用を為さなくなった鉄くずと共に、マリアが玄関手前まで吹き飛ばされる。
「ハン、オレの『筋愚体夢』がありゃあこんな門、なんてことねェーんだよ!」
男の能力『筋愚体夢』――己の肉体を己の望むままに作り替える能力。
その圧倒的な暴力が、逃げた女を、そしてマリアライトを襲った。
「あらあら、困りましたね。門が壊れてしまいましたわ」
「ああ? ……あークソ、テメエも魔人かよ。面倒くせえな」
鉄くずをはね除け、マリアライトが起き上がる。相当な重量物の衝突にも関わらず、ダメージを受けている気配はない。
「まあいいや、ミカを渡したくねぇってんなら、テメエに相手してもらおうか!」
男が足に力を込め、超脚力でマリアライトに詰め寄り、そのまま押し倒す。
単純な身長だけでも頭一つ以上の差、しかもその筋肉量を自在に増やせる相手の前に、
マリアライトは組み敷かれるほかなかった。
「手間かけさせやがってよぉ、折角だからミカにも聞こえるくれえの声でヒーヒー言わせてやるぜ!」
男は得意げに、抵抗できないマリアライトの衣服を力任せに引き裂く。
だが、その下から現れた姿に、男は一瞬言葉を失う。
豊満な胸、しなやかにくびれた腰、白く透き通るような肌。
そのどれもが、縦横無尽に走る傷痕に覆い尽くされていた。
「へっ、せっかくのべっぴんが勿体無えなあ。まあいいさ、ブチ込むにゃ関係な…… っ!?」
男が気を取り直し、凌辱を続けようとしたところで今度こそ絶句する。
傷が寄り集まり、男を見て嗤った――ように、見えたからだ。
そして、その直後。いきり立っていた男の股間に、激痛が走る。
「がああっ!? な、何だこりゃあ!?」
男が痛みに思わず飛び退く。
ズボンの股間から、赤い血が滲み出している。
「……言ったはずですよ、相応の対応をいたします、と」
晒された裸体を隠しもせず、穏やかな笑みを崩すことなくマリアライトが立ち上がる。
これこそが彼女の魔人能力『緋色の歓傷』。
傷を自在に動かし、移し替える――痛みに悩む者を救い、痛みを与える者に返す能力である。
「クソが……もう許さねえ! こんなチャチい攻撃、わかっちまえば効かねえんだよォーッ!」
ふん、と男が力を込める。『筋愚体夢』が肉体を自在に操作する能力であるならば
傷口を塞ぐことなど造作もない。相手が何をしようが、無敵の肉体がある。
目の前の生意気な女を蹂躙すべく、再度駆け出した男の足が――かく、と縺れる。
「!?」
「あらあら。急に走ると危ないですよ? なにしろ、アキレス腱が切れているでしょうから」
マリアライトがにこにこと微笑みながら、前のめりに倒れ込んだ男へと近づいていく。
(くっ!ちくしょうが、殺す! オレをコケにしやがって!
ご丁寧に足の腱なんて教えやがって、治せと言わんばかりじゃねえか!)
男は地面に伏せったまま、マリアライトを引き付け……
突如、背中から二対の触腕を生やし、がむしゃらに振り回した!
「あら、どうやら人間ではなくイカだったようですね。なら、人間の言葉がわからないのも無理はありませんわね」
男の苦し紛れの攻撃はマリアライトに傷一つ与えられずにかわされ、そのまま触腕の一つを掴まれる。
咄嗟に男は傷に備えて再生力を高めるが―― 無駄に終わる。
「!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!? い゛、いだいいだいいだいいいいぃぃぃぃ!!」
筋骨隆々の男が、痛みに悶えのたうち回る。
性別が男性である限り、決して存在しないはずの部位を、こじ開けられ、引き裂かれる苦痛。
幻肢痛ならぬ幻腔痛とでも言うべき、不可解な激痛と不快な感覚。
マリアライトが、そしてここを訪れた女性達がかつて受けた凌辱と被虐の痛み――心の傷。
自分よりも圧倒的に力の強い者に虐げられ、犯されるという、癒えがたい傷を触腕伝いに流し込まれたのだった。
男の精神が、ついに折れる。
虐げる側であったが故に感じることも考えることもなかった苦痛――だけではない。
これだけの心的外傷を内に抱えたまま、怒気すら見せず微笑む目の前の傷だらけの聖女が。
もう男には、バケモノにしか見えなくなったからだ。
「ご、ごめんなさい!
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「あらあら、私に謝るよりも前に。 ミカさんに、謝らなくてはいけないでしょう?」
「は、はい゛っ! ミカしゃん、ごめんなさい、ごめんなさいいい!!」
押し寄せる精神の傷の前に、男の自我はもはや壊れ、存在しない筈の記憶の中の女性達と同化しつつあった。
肉食獣を思わせる肉体は、精神に揺さぶられて縮み、膨らみ、凹み――傷だらけの少女へと変質した。
びくびくと身体を痙攣させながら謝罪の言葉を繰り返す、かつての加虐者の姿を見ても。
マリアライトは顔色一つ変えず、彼女を優しく撫で回し、心の傷を回収する。
少しばかり予想外の結果とはいえ、事態が丸く収まったであろうことにマリアライトは安堵の笑みを浮かべた。
「ふふ。これなら、皆さんと仲良くなれそうですね。 ……あら?」
マリアライトの指先に、どこからともなく現れた『女教皇』のタロットが触れる。
そして、彼女は――迷うことなく。
愛に溢れた世界を創造するための戦いに、身を投じることを望むのだった。
最終更新:2020年09月28日 00:00