夢を見ている。
どこかの道端、『ぼく』は灰色の壁に寄りかかり、荒い息を吐き空を見上げた。
視界は一面の曇り空。雲の灰色が何に遮られる事も無く、『ぼく』の視界に飛び込んでくる。
それがあまりにも殺風景な灰色なので、『ぼく』はどうにもいらいらしてしまった。
最近こういう光景を見ていないな、と、他人事のように思う。
なら、これは昔の夢なのだろうか。そんな気もするし、違うような気もする。
根拠は無いけど、多分昔の夢だ、と決めた。最近の空はもっと明るくて、キラキラしているし。
夢は続く。
どうしてこうなったのだろう。『ぼく』はぼんやりと考えていた。
何がいけなかったのか。確かに『ぼく』は悪い事をしたけれど、だからってこれはあんまりだ。
お腹がずきずきと痛い。なんで『ぼく』がこんな。死にたくない。
視界を埋める雲の色が段々暗くなってきた。『ぼく』はぼんやりとそれを見上げ続けている。
やがて、水滴が一つ二つと零れ落ちてくる。『ぼく』はぼんやりとそれを見上げ続けている。
水滴は数え切れない程の雨となり、それでも『ぼく』はぼんやりとそれを見上げ続けている。
「きみ! どうしたの!?」
声が聞こえる。『ぼく』が空に向けていた視線を下ろすと、きれいな金髪の少年が目を丸くしてこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
年は十才になるかどうかぐらい。着ている服は新品同様にきれいで、『ぼく』とは済む世界が違うのが一目で分かる。
彼が差していた物だろうか。開かれたままのビニール傘が風に吹かれて飛んでいくのが、何故か少しおかしかった。
「なに笑ってるんだい! 大丈夫? とてもそうは見えないけど」
大丈夫ではない。『ぼく』はそう伝えようとしたのだと思う。
その時、ごろごろと雷のような轟音が辺りに鳴り響いた。
いや、雷じゃない。これは。
「……お腹空いてるの?」
『ぼく』は頷いた。頬がほんのりと熱い気がする。
「給食の残りのパンでよければ……あ、それより」
彼は一旦言葉を切ると、にこりと笑い、言った。
「ぼく、カムパネルラ! きみはなんていうの?」
◇ ◇ ◇
「……あれ」
そこで目が覚めた。
目の前には、夢の中の灰色とは似ても似つかない、見事な夜景が広がっている。
「寝ちゃってたのかな……しっかりしないと」
両頬を手のひらでぱちぱちと叩き、眠気を飛ばす。
ついでに軽くつねってみる。うん、痛い、夢じゃない。
『おいおい、大丈夫かよカムパネルラ』
頭の中に遠慮のない声が響く。
うん、いつも通り。眠気覚ましにはぴったりのいい声だ。
「大丈夫大丈夫。もういつでも行けるよ」
『ならいいけどな。……視界は押さえてある。後はお前のタイミング次第だ』
「おっけー。なら行ってくるかな」
両手を握って、開いて、また握って。
ウォームアップ良し、イメトレよし。あとは、そうそう。
「武器は買っても装備しなきゃ意味がないよ、と」
攻撃力もアップして準備完了。
後は行くだけ……あ、そうだ。
「ねえ、ジョバンニ」
『なんだよ』
頼りになる相棒に教えてあげなきゃ。
「さっき『きみの夢』を見たよ。終わったらその話をしようか」
ぼく達の始まりは灰色だけど、今はこんなにも楽しいんだ、って。
◆ ◆ ◆
「続いてのニュースです。
本日午後八時過ぎ頃、墨田区押上の雑居ビルに刃物を持った男が押し入り、複数のけが人が出ていると最寄りの交番に通報がありました。
警察官が駆け付けたところ、雑居ビルに入居している事務所内で多数の人が重体となっており、病院に搬送されましたが、先ほど全員の死亡が確認されました。
現場は夜魔口組系暴力団『双星会』の事務所で、事務所のオーナーである山田双星さんとは現在連絡が取れないとのことです。
また、通報にあった刃物を持った男は現場から立ち去ったとみられるとのことで、警察では男の行方を追っています。
防犯カメラの映像から、犯人は魔人とみられるとの情報もあり……」
※ ※ ※
「無茶苦茶しやがるな、テメエら」
「あはは、ごめんごめん」
テレビから流れるニュースを横目に、年かさの男と金髪の少年が談笑している。
……談笑と言えば聞こえはいいが、実体は男が少年を睨みつけている、と言った方が近い。
「確かにオレは双星をぶっ殺せとは言った。言ったが、九時のニュースに間に合わせろとは言ってねえ」
「載せるなとも言わなかったでしょ? あと、やり方はぼく達に任せてくれるとも言ったよ」
「限度を考えろって言ってんだよ。くそ、テメエじゃ埒があかねえ」
男はため息をつくと、『こちら』に視線を向けてきた。
……っち、だんまりはここまでか。
「ジョバンニ、今回の絵を描いたのはテメエだろ。このクソガキに何とか言ってやれ」
「……『不死身の双星』を殺せたのはお前の手柄だよ、カムパネルラ。好きなジュース買ってやる」
「わあい!」
「奢ってやれとは言ってねえよ!」
少年の歓声と男の怒声が交錯する。
……まあ、彼も本気で怒ってる訳じゃない。面倒だとは思ってるだろうが。
「……俺がとどめを刺さなきゃ殺せなかった。『不死身』を殺すってのはそういう事だ」
「『二種類の攻撃に同時に無敵になる』能力、『双頭兵団』……確かにそりゃ不死身だろうがな」
「カムパネルラだけじゃ『蹴り』と『ナイフ』で限界。だから俺が『撃って』仕留める。そうする必要があったからそうした」
「…………」
男は黙り込む。言い返せない事を、そろそろ自覚してきたらしい。
「……なあ、ジョバンニ」
「んだよ」
男は苦笑いを浮かべると、ため息をつき、こう言った。
「前から思ってるんだが、お前さんなんで『ジョバンニ』なんだ」
「あ?」
「そんなに、その」
「美人さんなのによ」
俺はきょとんとして、カムパネルラと目を見合わせた。
カムパネルラはいい笑顔で笑っていた。
カムパネルラの視界には、『俺』が映っている。
艶やかな長い黒髪、黒いドレス、銃器諸々を突っ込んだギターケース。
10年前のあの日とは似ても似つかない、どう見ても女である、『俺』が。
◇ ◇ ◇
彼の名はカムパネルラ。
彼女の名はジョバンニ。
その暗示は、美しさ、順調な愛情、よい航海。
別の解釈では、損失、窃盗、喪失。
……あるいは、時がいつの間にか流れる姿。
最終更新:2020年09月28日 00:09