0.フォーカード・スプレッド
秋葉原に集うカードは4。
この枚数を使うスプレッドで、最も単純なのは、フォーカード。
一枚目が、おかれた現状を。
二枚目が、試練に挑む者の性質を。
三枚目が、直面する苦難の原因を。
四枚目が、未来の在り様を。
それぞれ暗示する占いです。
試してご覧に入れましょう。
一、『隠者』の正位置。
示すは、崩壊。悪事。叛逆。
二、『魔術師』の逆位置。
示すは、躊躇い。覚悟の不足。不安定。
三、『月』の正位置。
示すは、隠れた敵。危険。欺き。
四、『法王』の逆位置。
示すは、弱さ。傷つきがちな善性。
――愚者の旅路、第一の週、幕開けにございます。
1.世界は私の手の中に
走る。走る。走る。
アスファルトから伝わる衝撃。
単調な律動に、思考が拡散する。
可愛いって何。
きれいって何。
ステキって何。
結婚が幸せ?
交際が幸せ?
人生の墓場?
誰が理解してる? 誰がわかってる?
お前が? ほんとに?
脳を充満する疑問を、原始的な衝動が砕いて汗に流していく。
走行は、狩猟の快に通じる。即ち生を渇望する根源の熱量だ。
息を整え、女はくるりと芝居がかったターンを決めた。
早朝の街に、彼女の奇行を見とがめる者はいない。
一人芝居を、流行りのアニメの広告だけが見下ろしている。
東京、秋葉原。
地下アイドル兼コスプレイヤー、小山内 姫にとって、この街はスタート地点だ。
最初は、好きな漫画のコスプレをして。
ファンができて、地下アイドルなんて肩書も背負って。
気付けば、同世代はみんな引退した。
今のユニットも、主力は若いメンバーで、自分は添え物だ。
その自覚は、小山内自身にもある。
スマホを取り出し、絶妙な角度での自撮り。
盛れているか、確認するまでもない。
画面に写る小山内 姫は、いつも、最高に歪んで、最高に美しい。
秋葉原の外れ、とある雑居ビル。
小山内は、施錠された外階段のドアにスマホを向け、画面の中のそれを、指で摘まむ。
「――リダクション」
ぐにいぃぃぃぃ。
スマホの画像と連動し、現実のドアまでもが縮小する。
空いた隙間から小山内は悠々と不法侵入を果たし、
「――アンドゥー」
「←」ボタンをタップして、画像を戻す。
現実のドアも、元の施錠された状態へと復元された。
魔人能力『S.N.O.W』。
スマホやカメラで撮影した写真や映像を加工して歪め、現実に反映させる、小山内の魔人能力である。
便利ではあるが、制約も多い。
まず、「魔人」には無効。
コピー&ペーストで物体複製も非実用的。
試しにテレビのリモコンを複製し、丸二日立ち上がれなくなったことがある。
それ以来小山内は、能力による物の複製を行っていない。
あくまで基本は「歪める」だけの力。
護身に役立つ程度の能力でしかない。
けれど、それも使いよう。
彼女は足取りも軽やかに外階段を登り、ビルの屋上に立った。
眼下には、朝焼けに照らされた秋葉原の街。
雑多で、欲にまみれ、歪んで。
捻じれ、変わり果て、眉をひそめるものも多い。
小山内にとって、世界で一番美しい場所だった。
スマホのシャッターボタンをタップ。
この光景は、彼女のメートル原器だ。
今晩は凱旋ライヴ。昔馴染みは誰も来ないだろうけれど。
それでも、この光景が、手の中にあるならば、大丈夫。
この街は美しい。それを手にしている私も、美しい。
「うし、やってやんよ!」
さあ、最低の一日を、始めよう。
2.残されたもの
『shall done! ”しないと”の足音
shall done! 未来壊す音符』
明滅するスポットライト。
ステージで、六人の女性が歌い踊る。
熱狂する客との距離はひどく近い。
福院・メトディオスにとって、落ち着かない空間だった。
周囲の盛り上がりに対し、どうしたものかと戸惑っている。
表の顔は物静かな十字教徒。
裏の顔は逃亡生活を続ける抜け忍。
どちらの彼も、このライヴ会場には不似合いである。
地下アイドルユニット『shalldone』。
活動規模は小さいが、動画配信でコアなファンの多いユニットだ。
彼女たちを知ったのは、メトディオスがまだ辻一務流の里にいた頃。
妹が、年相応のはにかんだ笑顔で語った、憧れのアイドル。
ユニットリーダー、小山内 姫。
ポスターを見かけ、妹の”憧れ”に触れてみようと思ってしまった。
それが、彼がここにいる理由だった。
『歩こう 義務でなく欲望と
争う 痛みを越えた友と』
小山内がソロパートを歌い上げる。
芸事にうといメトディオスだが、彼女が他の五人と違うのはわかった。
他の女性が、均整、理想を体現するのに対し、小山内に感じるのは熱と混沌だ。
気怠さ、逡巡、衝動、自負。それは、どろりとした生々しい魅力だった。
そんなところに、妹は惹かれたのか。
――忘れるな。その憧れごと、貴様が妹を殺したのだ。
胸で軋む悔悟。
『今』『みんな』『笑顔』『見せて』『世界』『描いて』
歌は盛り上がりを増し、メンバー各々が韻を踏んだ歌詞で畳みかける。
リズムに合わせてペンライトを振るうファンたちの中で、棒立ちをしているのは、メトディオスだけ――
――ではなかった。
隣に佇んでいた少女。
ぼんやりとした表情の、垢ぬけない容姿。
目が合った。
互いに気づく。
この場で、彼女とメトディオスだけが、異質。
『願いへ――』
6人のハーモニーが、観客たちの熱狂の幕を引いた。
― ― ― ―
ライヴの後はファンとの握手会らしい。
ライヴ中に目があった少女は真っ先に列に並んだ。
その様子に興味を持ち、メトディオスは、会場の隅で聞き耳を立てていた。
辻一務流忍術、波の業。
聴覚を研ぎすまし、音を指向的に聞き分ける対隠術業。その応用だ。
なぜ、こんなことをしているのか。
少女の姿に、妹を重ねたからか。
熱狂に染まれぬ様への、親近感からか。
それとも――
「マリちゃん、死んじゃったのか」
「マリ姉、よく、姫さんのお話してました」
「握手会、何度も来てくれたし、ソシャゲのフレだったんだよ」
「はは、最終ログイン67日前って。最後まで、普通にログインしてたんですね」
「ありがと。教えにきてくれて」
「最期に、ちゃんと伝えたくて」
「それって――」
「はい、時間終わりです。次の方お願いしますー」
「さようなら、姫さん」
漏れ聞く会話の断片。
おおよそ理解できた。
あの少女も、誰かを失ったのだ。
メトディオスの妹と同じく、小山内 姫に憧れた、誰かを。
そして、供養のためにライヴに訪れ、死を報告した。
しかし、彼女は別れ際、なんと口にした?
最期に。そう言わなかったか。
ファンではないから、通うつもりはないから?
それだけだろうか。
目が合ったときの少女の表情。何か虚ろを抱えたような顔。
覚えがある。当然だ。
ああいう表情を、メトディオスは、毎日のように鏡で見続けているのだから。
メトディオスは、たまらずに駆けだした。
会場を出たところで、少女に追いつく。
「あの」
声をかける。きょとんとして振り返る少女。メトディオスは我に返り、後悔した。
何を言えばいいのか。
見も知らぬ少女に、大の大人が。これでは不審者だ。
「――その。さっき、話、聞こえて。自分も、妹が、姫さんのファンで、その、死んでしまって、それで、代わりにって、ライヴに、でも、余計苦しくて、けど、あの――」
言葉が出てこない。
戦闘中ならば、いくらでも挑発の言葉が出てくる舌なのに。
「でも、やっぱり私と貴方の事情はきっと全然違って、だから貴方が悲しいのを、想像しかできなくて、けど――その」
少女は首を傾げながらも、真っすぐにメトディオスに向き直り、耳を傾けてくれた。
周囲の歩行者たちは何事かと珍妙な二人を眺めている。
「――「最期に」なんて。自分で、命を終わらせてしまうのは、もっと悲しいです」
言った。言ってしまった。
勝手に聞き耳を立てて、勝手に事情を妄想して、勝手に共感して。
どうしようもない変人だ。傍迷惑な男だ。
羞恥心で、耳までも赤くして、メトディオスは俯いた。
「……失礼しました。それだけです。私はこれで――」
「ありがとうございます!」
去ろうとしたメトディオスの裾を引いて、少女は微笑んだ。
「自殺なんて、しません。ライヴは、マリ姉を思い出しちゃうから、最後ってだけです。でも、ありがとうございます。少し……ううん、すごく、嬉しかったです!」
メトディオスの胸元のロザリオを見て、少女は頷いた。
「お兄さん、牧師さんみたいです。心を見通して、背中を押してくれる人」
別の羞恥に、メトディオスはさらに口ごもる。
「本当にありがとうございます。それと」
自分はそんな大層なものではない。そう言葉にするより早く、少女は一礼をして、人混みに消えた。
「明日は、秋葉原、来ない方がいいですよ?」
そんな予言めいたことを言い残して。
3.ルナティック
月下、少女は夕空を行く。
路田 久揺は、飛ぶ魔人である。
飛翔する。飛翔する。飛翔する。
大気を裂く圧。頬を叩く風。
単調な律動に、思考が研ぎ澄まされていく。
――プッ、あはは! ここでUNO出してくる!?
――久揺、わたし、あと数時間で18歳だよ。
――今日こそ、私を空に連れて行ってよ。
――世界滅亡かな。わたしが願うのは。
彼女の言葉が、風によって磨き上げられ、鋭さを増していく。
眼下の景色に心動くことはもうない。
久揺の世界は、あの日から彩度を失った。
香坂 マリナが死んだ影響に、久揺自身が驚いていた。
夕方の上級生の教室。変わらない放課後の景色に、席一つ分だけの空白。
そんな些細な欠落によって、久揺は社会から「切り離された」。
モノクロームの世界。無貌の仮面のような級友の笑顔。
久揺が学校に行く頻度は減り。
代わりに、一人で月夜を飛ぶことが増えた。
曰く、狂気は月よりもたらされるという。
ならば、久揺の下に『月』のカードが舞い降りたのは、そういうことなのだろう。
― ― ― ―
黄昏時の秋葉原。中央通りに面した、老舗の商業ビルの屋上。
久揺は、LEDの光とイラスト看板で装飾された街並みを眺める。
鉄柵の手すりに跨った、幼い子どものような恰好で、久揺は足をばたばたさせた。
「マリ姉、大丈夫。願いはちゃんと、叶えますから」
久揺の手には、一枚のカード。
――大アルカナ#18、『月』。
意識をそのカードへと向けると、音叉が共鳴するように、遠くから似た反応を感じる。
アルカナが、惹かれ合っているのだ。
20枚のカードを束ねよ。
さすれば、願いは叶えられん。
これ即ち、愚者の旅路である。
カードから流れ込んできた情報を反芻する。
自分は、カードとの同調が人より強いらしい。
昨日の出来事を思い出し、久揺はそう考えた。
少なくとも二人、昨日のうちに、久揺はカードの所有者と会った。
しかし、それに気付いたのは久揺だけ。相手は何ら特別な反応は見せなかった。
これは、大きなアドバンテージだ。
一人目の所有者。
マリ姉――香坂 マリナの好きだったアイドル。
結局、彼女を救ってはくれなかったもの。
「小山内 姫さん」
マリ姉の愛した歌姫は、この愚かな殺し合いの、参加者だった。
不思議と、悲しいとは思わなかった。
「あと……変なお兄さん」
二人目の所有者。
ライヴ後に声をかけてきた、自分と似た痛みを持つ青年。
彼とはできれば戦いたくなかった。
が、向かってくるなら、話は別だ。
世界滅亡。それが、久揺に残されたマリ姉の生きた証。
愚かで、無意味で、傍迷惑なこの狂気こそが、月下の魔女の動力源。
これまでの彼女を知る者であれば、驚くに違いない。
天然ボケで、無害。そんな彼女がまさか、と。
しかし、路田 久揺は、飛ぶ魔人である。
人に本来存在しない機能を当然と考え、世界を歪めるものだ。
その認識は、人の社会の枠組みを容易く飛び越える。
路田 久揺は、人の悪意に気付かない。
それは、時に人の善意をも、重んじないことでもある。
路田 久揺は、人との距離を気にしない。
それは、時に人の事情や背景を斟酌しないことでもある。
同じアルカナが、正位置と逆位置で、同じ属性のまま意味を逆転させるように。
誰からも愛された少女は、ここに、世界の敵たる魔女として反転する。
久揺は柵から降り、愛用の仕込み箒を手にした。
数日前からの下準備。
ビルへの『負荷』は、充分だ。
空から地を見下ろす久揺は、首都高1号上野線に目を止める。
交通量は、多すぎず、少なすぎず。
目標を見つけるのに丁度良い。
程なくして、彼女は一台のタンクローリーを捕捉する。
狙いは定まった。
「さあ。素敵な一夜を、始めましょう」
4.ヒロイン(偽)
何が起きた?
惨状の中、橿原 純一郎は、眼前の出来事を、咀嚼できずにいた。
夕刻の秋葉原。新刊を買いに本屋に向かう途中、「それ」は、空から降ってきた。
タンクローリー。
本来ならば宙を舞うはずがない巨大な質量が、ほど近いビルに衝突する。
轟音。爆風。熱波。
何十分、何時間、歩き、走り回ったろう。
悲鳴。逃げ惑う人の波。
怒号。鳴り響く車のクラクション。
炎。爆音。振動。
暗がりに包まれた秋葉原を、赤い炎が煌々と照らす。
漫画やアニメを心の支えとする純一郎にとって、この街は自分を解放できる貴重な場所だ。
今では、下宿のある三鷹よりも愛着がある。
付け加えるなら、彼の最も熱中している漫画「魔法学校の二回生ジュン」の舞台が、この街を模した「学園都市アキバ」であることも大きかった。
街を歩くたび、主人公ジュンやヒロイン未森とすれ違うかもしれないと、わくわくした。
それが今、日暮れからの数時間で、一転、惨状と化した。
呆然とスマホでSNSを確認する。
『空飛ぶタンクローリー目撃』
『秋葉原でビルの炎上』
『タンクローリーがビルに落下、爆発か』
『自動車暴走多発、秋葉原各地で衝突炎上事故。組織的テロか』
『電車ダイヤに大幅な乱れ』
『警察、消防は交通寸断で後手に』
現実味のない文字が並ぶ。
信号は破壊され、どこが安全かもわからない。
遠く、近く、あちこちで車や建物が燃えている。
テロ? なぜ? どうして今?
災厄は現在進行形。また爆破音。振動。
複数犯? 避難? どこに?
混乱のまま走り出そうする純一郎の手に、一枚のカードが顕現した。
――大アルカナ#1、『魔術師』。
ようやく純一郎は理解する。
これが戦場。20のアルカナを奪い合う魔人が織りなす、地獄なのだと。
こんなつもりではなかった。
出会ったら一対一で戦う。無関係な者は巻き込まない。
そんなクリーンな決闘を、勝手に想像していた。
足がすくむ。
純一郎は、平凡で気が弱い、少し勉強ができるだけの男だ。
こんな虐殺の場で、闘いを始める覚悟など――
キキィィィィィィ!!!
耳を裂くような音が迫る。
迫るのは歩道へと突っ込んでくる乗用車。
「な――」
間に合わない。純一郎に避けられるはずもない。
魔人能力の発動? 無理。轢かれる――
「――リダクション!」
その、はずだった。
しかし、突っ込んできた車は、突然に縮み、指先ほどのサイズとなって、純一郎の視界ぎりぎりを行き過ぎた。
ガチャン!
後ろのビルのディスプレイが割れる。
だが、それだけ。
もし、そのまま衝突していたら、純一郎を轢殺の上、新たな火災を起こしていただろう。
「おい、そこの! 怪我はねぇか!?」
駆け寄ってきた女性の姿に、純一郎は目を奪われた。
燃えるような赤のポニーテールに、ハーフパンツスタイルのセーラー服。
すらりと伸びたしなやかな手足に、意志の強い釣り目がちな瞳。
漫画「魔法学校の二回生ジュン」のヒロイン、"観音寺未森”の恰好に違いなかった。
「ヤバ。血ィ出てるじゃんか。待ってろ」
"観音寺未森”は、腰のポーチからスマホを取り出すと、
「止血だけだから、後で病院な――レタッチ ……あれ?」
何やら操作を繰り返し、怪訝そうに純一郎の顔を覗き込んだ。
「お前、魔人だな?」
"観音寺未森”より、10は年上であろう女は、彼女に負けないほどの勝気な笑みを浮かべた。
「手伝ってくれよ。久しぶりのコスイベ台無しで、気ぃ立ってんだ」
「何を……」
「アキバをめちゃくちゃにしたバカを、とっちめるんだよ!」
滅茶苦茶な話だった。
この女も魔人なのだろう。
けれど、突然会ったばかりの純一郎にそんなことを持ちかける理由がない。
この状況で相手が魔人なら、むしろ惨状の犯人であることをまず疑うべきだ。
「なんで、僕が」
「だって、お前、アキバ、好きだろ?」
女は断言した。
わけがわからない。無茶苦茶だ。
けれどなぜか、純一郎の胸は高揚していた。
大好きなキャラのコスプレをしている相手に頼られたから?
命を助けられたから?
それもある。
けれど。
それよりも、 純一郎にとって、大切な事を思い出したからだ。
漫画「魔法学校の二回生ジュン」で、学園都市アキバは、幾度となく危機に見舞われた。
そのたびに、主人公のジュンは、彼の幼馴染である"観音寺未森"は、逆境を覆してきた。
そんな物語に、橿原 純一郎は憧れた。
そんな物語の世界に入りたいと願い、『魔術師』のカードを受け入れた。
ならば、今、自分は何をするべきか。答えは明白だった。
そのことを、目の前の"観音寺未森"が思い出させてくれたのだ。
「わかりました――」
額から滴る血を拭い、純一郎は立ち上がる。
――魔人能力『未森は俺の嫁』発動。
平凡な青年の輪郭が捻じれ、歪み、均整の取れた新たなる身体を形成する。
次の瞬間、純一郎の立っていた場所には、一人の少女が佇んでいた。
「お前――その姿」
「――けど、別に、アンタのために戦うんじゃないんだから! アキバのためだからね!! あたしのコスプレしてるお姉さん!」
それは、漫画のヒロインに憧れた青年が、願望のあまり、己のあり方を捻じ曲げた異能。
容姿や声のみならず、作中でヒロインが行使した武術、魔術、身体能力までも再現する。
橿原 純一郎がこの闘いに挑むにあたり獲得した、ただ一つの切り札だった。
「ハハ! 学園都市の守り手、"観音寺未森"が二人か!」
「"観音寺未森"はあたし一人だってば!」
「よろしくな、”未森ちゃん”。私は小山内 姫。世界一美しいアキバが大好きな女さ」
コスプレイヤーと、変身能力者。
アキバの守護者を模した偽者たちは、顔を見合わせて不敵に笑った。
5.交戦
炎上し、混乱の渦中にある暮夜の秋葉原。
その中で、福院・メトディオスは、ラウンドタイプの眼鏡をかけた。
意識のスイッチ。十字教徒から、抜け忍のそれへ。
熱を帯びる手の中のカード。
――大アルカナ#5、『法王』。
無差別な破壊行為は、カードの持ち主による戦術だと、メトディオスは結論付ける。
迂遠ではあるが、攻撃者が戦闘に向かない魔人であれば、場を混乱させ、状況をかき乱すのはむしろ適切な策だ。
真正面から倒せないなら、相手の力を削ぎ、自分の力を最大限に活かせる場で仕留める。
忍者に近い思想である。
攻撃者の人物像を予測する。
直接攻撃には向かぬ能力者。
場を乱した後に攻撃者が考えるのは、より都合のいい条件に場を整えること。
仮に忍者の手口なら、善意の救助者を演じ、人々を誘導して都合のよい盾にする。
能力は、無機物の操作か。
精神操作系であればより効果的な煽動を行う。
直接破壊系なら被害の範囲が広すぎる。
仮説を立てる。
怪しむべきは、避難の誘導者。
人の流れに従えば行き当たる。
人混みに流されることしばし。メトディオスは見た。
歩道へ突っ込んできた車。
その先には、華奢な青年。
腰が引けて回避は間に合わない。
惨事、確定。そこを
「――リダクション!」
声が響き、車が豆粒のように縮む。
仕掛けたのは赤毛の女。
車に向けてスマートフォンを向け、彼女がこの異常を引き起こしたのだ。
意志の強い瞳。独特の、熱っぽいハスキーボイス。
間違いない。
髪型こそ違うが、彼女は、昨日ライヴで見たばかりの、小山内 姫だった。
「手伝ってくれよ」
彼女も魔人か。
おそらく、スマートフォンを媒介とした、物資干渉能力者。
掛け声から察するに、画像編集ソフトの機能と連動した制約と性能を持つ異能。
即応性に欠ける、直接戦闘には向かない能力。
彼女ほどの知名度ならば、住民の避難誘導にはうってつけだ。事実、ここまで追ってきた人の流れから、彼女が直前までそうした行動を取っていたのは間違いない。
仮説の犯人像と噛み合う。
彼女の能力なら、SNSで目撃証言のあった、タンクローリーの飛翔も説明できる。
縮小して放り投げ、元のサイズに戻す。あるいはコピーし、空中でペーストすることで実行可能だ。
手の中のアルカナが熱を帯びる。
闘争の意識に応じて、メトディオスとカードと意識が同調し、目の前の二人から、音叉が共鳴するような感覚を認識する。
――あの二人もまた、アルカナの候補者。
ここまで状況が揃えば明白。
あの二人は、敵だ。
能力を使って忍び寄るか? 否。動きを見る限り二人は素人。
ならば、崩れた足場を裸足で行くリスクの方が大きい。
人の流れに身を委ね、少しずつ、小山内と、もう一人の青年の方へ距離を詰める。
あと少し。一足一拳の間合いまで踏み込める。
三歩、二歩、一歩。
メトディオスは、音もなく膝を抜き、滑るように地を蹴った。
戦闘の素人が反応できる動きではない。
が、
「――けど、別に、アンタのために戦うんじゃないんだから!」
青年と入れ替わるように突如現れた、赤毛のポニーテールの少女。
小山内と髪型から服装まで同じ。一回り、幼くしたような容姿。
変身能力者?
いや、変わったのは、見た目だけではない。
一瞬で、場の制空権が、変容する。
青年が変身した存在――"観音寺未森"と名乗った少女は、明らかに武の心得がある。
達人の域。実戦的な使い手だ。
隙がない。反射めいた速度で、少女の右の拳がメトディオスに向けられる。
牽制? だが、拳打を繰り出すには、重心の動きが足りない。
その意味をメトディオスが思考するよりも先に。
「――爆炎呪!」
少女の拳から、炎が吹きあがった。
回避不能。
咄嗟にメトディオスは熱波に対して拳撃を合わせる。
本来ならば、拳一つ突き出そうと、炎を防ぐには何の意味もない。
しかし、
――魔人能力『ヤコブの御手』発動。
福院・メトディオスに許されたただ一つの異能が、そこに明確な戦術的価値を付与する。
振り抜かれた拳を中心に、明らかに打撃の面積よりも大きな扇状の空間を風圧が薙ぐ。
それは、メトディオスを襲う炎を吹き散らした。
(損傷、顔面、右腕に熱性、丙。保持)
負傷をそう評価する。
無傷での迎撃は失敗。
直撃を避けてこの熱量。露出した皮膚のあちこちが痛みと痒みを訴え、集中力を奪う。
切り札の一つ、皮膚感覚を増強しての迎撃術、水月の業は使えないだろう。
だが、それだけ。
メトディオスは散った炎を掻い潜り、"観音寺未森"へ飛び掛かる。
左手刀。
手首から少女にいなされる。上手い。
素肌に触れれば切り裂けていたろうに、服を掴んだのは予知じみた直感か。
けれど、それだけ。
「!?」
メトディオスの左は義手。
しかも、数々の暗器を仕込んだ、素手に見せかけた凶器の塊だ。
手首からばね仕掛けの隠し刃が弾け、少女の右手の腱を奪いにかかる。
少女は左拳の軌道をメトディオスの胴から変え、爆風で仕込み刃の軌跡を逸らした。
「面白いじゃ! ないの!」
縦に、横に、空間全体を使い、二人の攻防は目まぐるしく切り替わる。
メトディオスの戦闘法は、壁や周囲の工作物を三次元的に足場とする立体的体術。
それに対し、"観音寺未森"は手から吹き出す炎で空中軌道を御することができる。
相手が地面に依存する使い手ならば大きな有利となる二人の闘法も、類似の戦術に対しては条件が互角。
おそらくは小山内 姫の支援だろう、足場になりそうな柵や街路樹が縮小されるが、メトディオスの速度には追いつかない。
やはり、彼女の能力は直接戦闘には向いていない、支援型だ。
拳から炎を繰り出す"観音寺未森"は優秀な使い手だが、いざという時にリスクを取れない判断の甘さがある。
炎が射出されるのは拳からで、関節の死角に回り込めば対応可能だ。
詰将棋のように空間を掻い潜り、拳打、蹴撃、炎を避け、受け、いなす。
(損傷、右手首、打砕、乙。保持)
何発か有効打は受け、メトディオスは生身の側の手首を砕かれた。
が、達人を仕留めるには必要な経費に過ぎない。
あと攻防四合で詰み。メトディオスは今度こそ、少女を追い詰め――
「ばっか野郎!!」
視界が焼かれた。距離を離す。
強烈な輝きの出所は、脇で燃えていた乗用車。
「待てよ! ンなことしてる場合じゃないだろうが!」
おそらく、小山内の能力による露出光マックスの現実化。
「カード争いなら後でやってやる! まず! アキバぶっ壊してる奴を止めんだよ!」
何を白々しいことを。
言いかけたところで、メトディオスの聴覚が、飛来音を知覚した。
手裏剣や火炎瓶ではない。もっと、遥かに大きなもの。
ぼんやりした視界でその方向を見上げ――
空中から落下してくるのは、10トン級のトラック。
それは、メトディオス、"観音寺未森"、小山内の三人を巻き込むように落下して――
6.ヒーロー(真)
結果として、落下した10トントラックが、三人の戦闘を止めた。
小山内が能力でトラックを縮め、"観音寺未森"が焼却、爆発させる。通行人は、メトディオスが突き飛ばして退避させた。
三人は視認する。
車が縮小された瞬間、空中へと飛び去った、箒にまたがった少女を。
「あの子!」
「接触対象限定の念動系魔人能力ですね」
全身を火傷まみれにし、右手首を折られながら、それでも突然の襲撃者は、箒にまたがった少女を追って走り出そうとする。
「あんた! 何急に襲ってきて無視!?」
純一郎の中の"観音寺未森"の人格がそれを制した。
「失礼。貴方たちが惨事の下手人かと。殺し合いは後ほど」
眼鏡にロザリオの青年は、淡々と口にした。
殺し合い、手傷を負わされた相手とは思えぬ静かな口調だった。
「手を組もう。あの子を止めたい」
「ご随意に。その隙に、私が貴方達のカードを狙わぬ理由がないことをお忘れずに」
その言葉に、純一郎はようやく、自分の『魔術師』のカードが、目の前の二人に反応していることに気付く。
この二人が、殺し合うべき、敵だったのだ。
「お前はそういうことしないよ」
身構える"観音寺未森"と対照的に、小山内の反応は堂々としたものだった。
「何を根拠に」
「私は、オタと十字架つけてる人は信用することにしてる。ミッション系だったんだ。幼稚園」
「なるほど」
かくて、三人は、走り出す。
「福院・メトディオス。『法王』」
「小山内 姫。『隠者』」
「……"観音寺 未森"、『魔術師』」
「カードの取り合いは」
「あの子を止めてから」
「上等!」
二人は、愛する街を守るため。
一人は、信仰に悖る惨事を見過ごさぬため。
殺し合う定めの愚者たちは手を組んだ。
― ― ― ―
箒の少女の戦術は狡猾だった。
人々が密集する道を飛び、乗り捨てられた車を射出、ヒットアンドアウェイを繰り返す。
地面を走る小山内と、炎噴射で短距離しか飛べない"観音寺未森"では、空を行く少女に遅れを取る。
純一郎にとって予想外だったのが、眼鏡男、メトディオスの動きだった。
彼はビルの壁面をパルクールめいて駆けあがり、屋上から箒少女を追い始めたのだ。
あれならば、地上の混乱の影響は受けない。
であれば、純一郎がすべきは、箒少女の注意をこちらへと向けること。
「ちょっと我慢ね、姫さん」
純一郎は小山内の腰を抱く。普段の彼ならば絶対にしない行動。
だが今の彼は、"観音寺未森"だ。
「――爆炎呪!」
小山内を抱えていない側の手で、地面に炎を射出、その勢いで空中に飛び上がる。
地上では人込みで視界が塞がっていたが、この高さなら、小山内は見下ろす限りの自動車を、スマホに収められる。
「――リダクション!」
立て続けに、道路沿いの車が豆粒程度に小さくなる。
それは、箒少女の基本戦術の前提である弾丸が消えるということ。
箒少女の動きに迷いが生まれる。
攻撃パターンを見る限り、彼女が物を動かすには、エネルギーのチャージが必要。
対象が重いほど時間がかかるようだ。
だから、動かしやすい車輪つきのものを主に弾丸としていたのだろう。
街路樹などを使うなら、射出の頻度は明らかに減るはずだ。
(すごい! 僕も、できる! 未森みたいに! アキバを守ってる!)
これが、純一郎の憧れた、ジュンと未森の見ていた世界。
高揚する。
平凡だった自分が、何者でもなかった自分が、世界の中心にいるような感覚。
自分はここにいる。何かの役に立っている。誰かのためになっている。
なんと誇らしいことだろう。胸高鳴ることだろう。
箒少女の逡巡を、ビルの屋上を行くメトディオスは見逃さない。
壁を駆け下りた加速と跳躍で少女へと手を伸ばす。
しかし、力を振り絞るように少女の箒は再加速。その左手は空を切り――
否、メトディオスの手首から先が、射出された。
義手の手首から鎖分銅が伸び、箒の先端に絡みつく。
「っ!?」
箒少女は、きりもみ回転しながらも、メトディオスを引きずり、近くのビルの屋上へ不時着する。
やった。自分の機転が、アキバを滅茶苦茶にした犯人を、追い詰めたのだ。
純一郎は逸る気持ちを押さえながら、二人を追い、炎を射出して飛び上がった。
もし、彼が、慎重に地面を行くことを選んでいたら。
もし、彼が、小山内を置き一人で屋上に向かったなら。
それは回避できたかもしれない。
しかし、彼の愛する"観音寺未森"は直情的で、一度知り合った相手を放っておけない性格だった。
だから、その破滅は不可避であり。
「ぇ?」
思い込みが、純一郎と小山内の反応を遅らせた。
箒少女の念動は、重いものほど、時間がかかる。
だから、車より大きなものを、武器にしてくるはずがない。
そんな固定観念が、致命的な攻撃に対し、後手に回らせた。
目の前のビルが倒壊し、その瓦礫が降り注いでくる。
純一郎の片手は小山内を抱えている。手を離せば、彼女が死ぬ。
純一郎の片手は、飛行のために炎を射出している。解除すれば、落下する。
避ける? 落ちてくるものが多すぎる。
小山内の縮小は? やっている。次々と瓦礫は小さくなってくるが、拳大になっても、これだけの数が降り注げば致命傷だ。
どうする。
どうすればいい。
どうするべきだ。
"観音寺未森"なら。
いや。
……自分が本当に憧れていた、ずっと昔に、なることを諦めてしまった、ヒーローなら。
そして、橿原 純一郎は、決断した。
― ― ― ―
「こら、起きなさい」
意識がゆっくりと覚醒する。
草の匂いとうららかな日差しに、つい微睡んでいたようだ。
「もう。射出術式、次単位落としたらヤバいんでしょ? 付き合ったげる、来なさいよ」
幼馴染の"観音寺未森"は、なんだかんだいいつつも自分の世話を焼いてくれる。
自身を勘定に入れることが苦手で貧乏くじばかりの自分には、ありがたい存在だ。
「ありがとな、未森」
「ばっ……バッカじゃないの? どうしたのよ? 学長の料理でも食べた?」
真っ赤になる未森が微笑ましくて、青年は照れ隠しをするように大きく伸びをした。
「貸し一つ! スコッツマンのホットケーキだからね! いくわよ、ジュン」
「わかってるよ、未森」
二人は魔法学校の校舎へと連れ立っていく。
それは紛れもない、橿原 純一郎の愛した日常の世界だった。
― ― ―
小山内は、固い床面に打ち付けられる衝撃に、目を覚ます。
彼女を抱えていた、"観音寺未森"はいない。
ビルが倒壊し、降り注ぐ瓦礫を避けきれないとみるや、少女は自らを顧みず、小山内を隣のビルの屋上へ投げ飛ばしたのだ。
小山内の手に、二枚のカードが顕現する。
一枚は、元から持っていた『隠者』。
もう一枚は、あの青年が持っていたのであろう、『魔術師』。
少女の、彼の絶命の証だった。
「ばか」
瓦礫の中に消えるその瞬間、"観音寺未森"は、あの気弱そうな青年の姿へと戻っていた。
『小山内さん。アキバを、お願いします』
そう口にした彼は、絶望でなく、誇らしく微笑んでいるように、小山内には見えた。
結局彼は、本当の名前すら教えてはくれなかったけれど。
ニセモノのヒロインではなく、本物のヒーローの姿で最期を迎えたのだと、小山内は思った。
そのあり方を、どこまでも美しいと、小山内は思った。
7.よだかの月
十字架を下げた青年は、予想以上の使い手だった。
路田 久揺は、崩落したビルを見下ろして、大きく息をついた。
彼女の魔人能力は、跨ったものを飛行させる能力。
物体を飛ばすには、その重さに見合ったエネルギーの充填を必要とする。
その充填は、一度してしまえば、動かすまで一定期間物体に残留し続ける。
つまり、事前に準備さえしておけば、巨大なビルであっても、すぐに動かせる状態にはできるのだ。
とはいえ、準備できたのはこのビル一つ。
タンクローリーの衝突で躯体を脆くし、ビルを少し捩じってやることで崩落させる。
敵対するカードの持ち主を集め、この崩壊に巻き込むのが、久揺の切り札だった。
三人の中で最も危険そうであった炎使いは巻き込んだ。
だが、目の前にはこうして、十字架の青年が追いすがっている。
適当な建物の上で、久揺は青年へと向き直る。戦いは、ここで決着となるだろう。
「だから、今日、秋葉原には、来て欲しくなかったんです」
「甘いですね」
青年は、久揺が昨日言葉を交わした相手であることに気付いているようだった。
ただの少女がここまでの惨事を引き起こした事実に驚く様子がないのは、鈍感だからか。
それとも、人ならば誰しも、こうなりうることを知っているからか。
能力の連続使用で、久揺の疲労は限界だった。
それでも、問わずにはいられなかった。
「憎くないんですか。妹さんを助けなかった世界が」
僅かに、青年の表情が強張った。
けれど、それだけ。
昨日、あれほどしどろもどろに話しかけてきたのとは、別人のようだった。
カードの反応が昨日と変わらなければ、同一人物とは思えなかっただろう。
「妹を殺したのは世界じゃない。私です」
「世界がもっと優しければ。生きていられたかもしれないのに?」
「そうかもしれません。けれど。私が選択を誤ったことに、違いはない」
久揺には、青年の思考が理解できなかった。
始まりは、同じはずだ。
大切な人を失って、苦しんだ。
この人は、自分と同じ表情で、空虚を抱えていた。そう見えたのに。
「私は、世界を許さない」
「私は、私を許しません」
「なら――」
ああ、結局。
マリ姉のいない世界で、自分を理解できる者など、いなかった。
もしかしたら、と思ったのに。
似ているからこそ、真逆であると、わかってしまった。
「――ええ」
久揺は箒の柄の先端を引き抜いた。その先には、一振りの刃。
いざという時の護身用にと用意した仕込み刀だ。
相手の能力は不明。
けれど、小山内たちとの攻防を見ている限り、近接戦闘を主体としている。
鎖や刃物を仕込んだ義手を使うのは、魔人能力だけで相手を制圧できないからだ。
おまけに、全身に火傷を負い、右手首は折れ、先ほどのビルの倒壊で幾つもの瓦礫を体に受けている。久揺だったら、既に身動きが取れない重傷だ。
対する久揺もまた、能力の連続使用と過度の集中、多くの死を目の当たりにしたことで、精神的な負荷は限界だ。
もう飛翔で逃げることも困難。これ以上時間をかければ、警察とこの青年、双方の追手から、疲労の中で逃げ続けねばならなくなる。
刃を突き出し、箒にまたがる。騎乗槍の突撃めいた刺突の態勢。
亜音速の攻撃だ、並の相手ならば、予測していても対応は不可能だろう。
だが、相手は「並」ではない。
手負いでありながら、内腿に仕込んだダーツ射出の不意打ちも完璧に防がれた。
それでも、退けない。
路田 久揺は、あの約束を、果たさないと。
加速。飛翔。
意識もまた速度を増しコマ送りで世界を知覚する。
いくら速度があれど直進は対応される。
おそらく相手の目論みはこちらの速度を利用したカウンター。
ならばそれを誘い、隙を貫く。
距離が詰まる。
5m。4m。3m。
予測するように十字架青年の腕が動き始める。速い。だが予測済み。
2m。久揺の箒の切先がぶれ、直角に曲がる。
肩から下げていたポーチから、無数のカードがバラまかれる。
――さて、今日は何して遊びましょうか。私はUNOを持ってきました。
あの日の思い出が、UNOのカードが、二人の視界を埋め尽くす。
斬。
青年の左腕が振るわれる。
腕から隠し刃が飛び出し、空を斬る。
追いかけるような弧を描き、青年の腕から生えた鎖分銅が頭上から落ちてくる。
けれど、遅い。
ほんの紙一重。髪の毛数本分の差で、久揺は分銅を潜り抜け、青年を貫ける――
――がつん。
その勝利の確信を。
脳を揺らす衝撃が、打ち砕いた。
なんで。
分銅はまだ、振り下ろされ切っていない。頭に触れていない。
なのに。その衝撃だけが、分銅よりも先に、久揺の頭を直撃したというのか。
久揺の刃の切先がぶれる。
手ごたえあり。だが、浅い。これでは致命傷にならない。
脳が揺れる。世界がぶれる。霞む。
路田 久揺はもう戦えない。
敗北。そうだ。敗北だ。
やられる? 血を流して倒れ、冷たくなる? それはいい。
けれど、許せないことがある。
それは、「地面に横たわる」ということ。
久揺は叫んだ。もう飛翔する精神力は残されていない。ならば、生命を燃やせ。
肺を震わせ、血で滲む視界の中、仕込み刀を手放し、箒一本で、垂直に飛んだ。
久揺は飛び続けた。
意識が途切れそうになっても、体中から力が抜けようとしても、命の灯が吹き消えそうでも。それでも、地面に落ちるわけにはいかなかった。
マリ姉のいない地面。
マリ姉を救わなかった地面。
マリ姉を弔わなかった地面。
わかっていた。彼女が、世界滅亡なんて、望んでいないことは。
けれど、彼女を縛る運命のはじまりが「世界を守る」ことだから。
それに抗うには、彼女が自由意志を主張するには、この言葉しかなかっただけ。
けれど、それでも、久揺は彼女の最期の意志を、人並の反抗心を守りたかった。
復讐できないのならば、せめてそこから遠ざかろうと、垂直に少女は飛翔する。
あの日、マリ姉と飛んだように。
マリ姉と、月を目指したように。
――魔人能力『魔女の影は月に映る』発動。
その能力名に、路田 久揺は祈りを込める。
どうか。私を、月に連れて行って。
私を。マリ姉を。この世界に許されなかった二人を。
どこまでも、遠くへ――。
― ― ―
「ねえ、久揺」
「なんですか、マリ姉」
「よだかの星って知ってる?」
「宮沢賢治ですか」
「今の私たち、あのよだかみたい」
――よだかは、どこまでも、どこまでも、まっすぐに空へのぼって行きました。
――もう、山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。
「ねえ、久揺」
「なんですか、マリ姉」
「もっと速く。悲しいこととか、追いつかないくらい」
――寒さにいきはむねに白く凍りました。
――もうよだかは落ちているのか、のぼっているのか、さかさになっているのか、上を向いているのかも、わかりませんでした。
「ねえ、久揺」
「なんですか、マリ姉」
「ありがとう」
――それからしばらくたってよだかははっきりまなこをひらきました。
――そして自分のからだがいま燐の火のような青い美しい光になって、しずかに燃えているのを見ました。
「―――」
「なんですか、マリ姉」
――そしてよだかの星は燃えつづけました。いつまでもいつまでも燃えつづけました。
「 」
「なんですか、マリ姉――」
――今でもまだ、燃えています。
― ―
かくて、路田 久揺は空へ墜ち、月の光へと溶け去った。
メトディオスは、手の中に生まれた『月』のカードを胸に抱き、祈りを奉げた。
ほんの少し何かが違えばそうなっていた自分の可能性を、弔うように。
8.偶像と聖者
手にした二枚のカードが疼く。
どうやら、『法王』は、『月』を落としたらしい。
ならば、同盟は終わり。
すぐに『隠者』と『魔術師』を求めて、あの辛気臭い眼鏡は、小山内 姫の下へやって来るだろう。
ならば、どうするか。
気力体力は十分。あとは、カードを賭けて、彼と戦うか。
『小山内さん。アキバを、お願いします』
名も知らぬ青年が残した言葉を、笑顔を思い出す。
「ごめんね。未森ちゃん。私の願いは決まってる」
小山内 姫は、そうして秋葉原も外れにある、雑居ビルの前に立つ。
「そのためにだったら、何を犠牲にしてもいい」
足取りも軽やかに、外階段を登り、ビルの屋上へ至る。
随分と長い一夜だった。
それも今、明けようとしている。
眼下には、朝の紫立った明かりに照らされた秋葉原の街。
雑多で、欲にまみれて、歪んでいて。
捻じれ、変わり果て、眉をひそめるものも多い。
そんな、小山内 姫にとって、世界で一番美しい場所だった。
「――小山内 姫さん」
「早かったね。さすが」
音もなく、背後には『法王』の、眼鏡男がいた。
全く接近されたことに気付かなかった。
おそらく、彼は声をかけることなく、小山内の首を刎ねることもできたのだろう。
どれほど魔人能力を応用しようと、おそらくこの男はその上を行く。
戦うこと。殺すこと。人の意識の裏をかく事に奉げてきた時間が違いすぎた。
「なあ、私を勝たせてくれないか?」
「それはできません」
「知ってた。十字架つけてる人って、偶像を崇拝しちゃ、いけないんだろ。ミッション系だったんだ、私」
地下アイドルは、赤いポニーテールのウィッグを外した。
「秋葉原はさ。メートル原器なんだ」
スマホを取り出して、眼下の街並に向ける。
いたるところが燃え、崩れ、荒廃した、痛々しい姿だった。
ほんの一昨日に撮影した写真と見比べながら、小山内は自分に言い聞かせるように口にした。
「美しいってなんだ? 私は、何になりたかった? 忘れちまった時に、ここに来る。で、この街みたいになりたかったんだって思い出して、また、走り出す」
欲も、衝動も、理屈も、歴史も、革新も、躊躇いも、無謀も。
すべて飲み込んで、一部にして、あり続ける、秋葉原というの街のあり方。
「だからね。こうするしかないんだ。『世界で一番美しく』なんて、基準が消えちゃあ、意味がないだろ」
能力の触媒に手をかけても、『法王』の男――福院・メトディオスは、警戒することはなかった。
その甘さに小山内は微笑んで、スマホを――世界を美しく歪める万能の鏡を、構えた。
魔人能力『S.N.O.W』発動。
「――アンドゥー」
雪のような輝きが、秋葉原の街に降り注ぐ。
世界が、描き変わっていく。
崩れた建物が再生し、陥没した道路が復元し、鉄クズと化した車が修復し、
――そして。
それらの中にいた人々までが、息を吹き替えし、目を覚ます。
世界の歪曲が、小山内 姫の魔人能力の本質だ。
コピー&ペーストによる復元など、消耗が激しくてとてもできたものではない。
それは、間違いではない。
死者の蘇生。因果の遡行。
明らかに、一人の魔人が行使できる能力を逸脱している。
それでも、小山内 姫の能力は、その象徴である光の雪は、街を包み込む。
『月』の照らし出した、世界の不善を嘲笑うように。
彼女の命と――一時的に宿した『隠者』と『魔術師』――この街を愛する二人の候補者の思念で満たされた、カードの力を代償として。
ここに不可能の法則をこそ、小山内 姫は「歪曲」する。
「あー。やっぱ、秋葉原は、こうじゃないとな」
雪が消え、全てを元の光景へと回帰させ。
そして、小山内 姫は、能力の過負荷により、この街を見下ろしたまま、絶命した。
―
「あなたは、偶像じゃない」
カードに選ばれた者の終焉。小山内の亡骸は光となり、秋葉原の朝に溶けていく。
彼女の結末に、福院・メトディオスは背を向ける。
そのあり方が、彼には美しすぎたのだ。
「そのあり方を、人は聖者というのです」
9.咎人は十字架を抱く
「天にましますわれらの父よ――」
うら寂れた雑居ビルの地下、空き物件を買い取り改装した隠れ家。
福院・メトディオスが下忍頭時代、拠点の一つとして使っていたもの。
里の追手にも割れていない、数少ないセーフエリアの一つであった。
メトディオスはその一角に、簡易的なチャペルを作り、日々、祈りを捧げている。
先日まで通っていた教会は追手に突き止められ、奇襲を受けた。
もう足を運ぶことはできない。
「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ――」
傍らに置かれた眼鏡は、彼の心を覆う鎧。
それを外した今の彼は、抜け忍ではなく、一人の道を違えた信仰者だ。
闘いの間、目を背けていた精神の傷から、膿のような悔悟が溢れ出す。
両の手でロザリオを握り、祈りの文句を唱える。
人を殺め、愚者の証たるカードを手にした身に、この祈りは祝福をもたらすことはないだろう。
それでも、それを棄てられずにいるのが、メトディオスの愚かしさであった。
「我らに罪を犯すものを我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」
違う。
自分は許されるべきではない。
人より多くの罪を重ね、またこれからも多くの咎を負うことになるだろう。
もはや自分の体同然となった義手の鎖分銅が、魔人能力『ヤコブの御手』によって拡張したエネルギーによって、少女を打ち据えた感触を思い出す。
詐術と幻惑、矛盾と欺瞞に塗り固められた生き方しか出来ない、愚かな存在。
「我らをこころみにあわせず、悪より救いだしたまえ。国と力と栄えとは、限りなくなんじのものなればなり」
願いという誘惑に手を伸ばし、悪に堕ちた男は、裁かれるべき咎人である。
「アーメン」
それでも、最早立ち止まることはできない。
既に、自分の願いをつなぐために、三つの命を吸って浅ましく生き延びてしまったのだから。
まるで賭博中毒者だ。
支払った代償に見合うものを手にするまで、男はこの愚行を止められない。
手の中には、4枚のカード。
『法王』。はじまりの一枚。
『魔術師』。炎の拳と瞳を宿した、英雄の輝きを持つ少女。あるいは青年。
『月』。男と似た喪失を味わい、男と異なる魔道を歩んだ少女。
『隠者』。数多の絶望を抱えこみ、希望の礎となった聖者。
それぞれに譲れぬ願いがあっただろう。
それを蹂躙し、自らの願いを通した。
男は地獄を歩き続ける義務がある。
これは、そういう愚かしい道行きだ。
故に、愚者の旅路という。
「―—主よ(my God,)」
願わくは、彼ら彼女らが、正しく主の御許に辿りつかんことを。
男は、胸元の十字架を強く握りしめ、自らが蹂躙した三人の愚者に思いを馳せた。