…ぉ~めか~ご~めぇ、かぁ…のなぁかのとぉ…ぃはぁ…
いつものバー、いつもの席、いつものつまみ。しかし二人の間に流れる空気は、いつもと少し違っている。
「…そうか。決めたか…」
タケの瞳に、涙が浮かんだ。突然の男泣きに、込清の心臓は跳ね上がる。
ウソウソ冗談ですよなんて言葉が、口を突いて出そうになる。それを必死に飲み込んだ。
「よっしゃ、俺がいい物やろう。餞別だ、とっとけ」
カウンターの上にグラスを置くと、タケは自家用車まで戻り荷物を持って来てくれた。
驚かせたいんだよ、と言って込清の手伝いを拒否する。
「いいか、三千彦。でかくなれよ、そして生きて帰ってこい」
いつもの息子を可愛がるあの瞳ではない。一人の男、ヤクザ者の総大将としての眼差しだ。
渡されたケースは普段より重く、大きく、そしてぼやけて見えた。
「うっす!…やらせて、頂きます…!」
いつものバー、いつもの席、いつものつまみ。しかし二人の間に流れる空気は、いつもと少し違っていた。
◆ ◆ ◆
とても、冷え込む場所だ。
初めてそこに降り立った時、感想はその程度だった。
歌っている時も、カメラを前にしていても、光を浴びている時でさえも。
暖かいという感触は、遠い過去の記憶でしかなかった。
彼女に出会ったのはそんな時だった。
「ラナン、仕事は順調か?」
携帯電話を持つ指に力が入る。突然の言葉に胸がちくりと痛んだ。
「心配ないよ、父さん」
「それでこそ私たちの娘だ」
きりきり、きりきり。両親は優秀な母星の兵士。愛娘の仕事ぶりが気になるのは当然だ。
調査は進んでいる。だが、グロキシニアの為に動いているかといえば……そうとは言い難い。
CD、カメラ、スポットライト。
自分を映す光が大きくなるにつれ、何か不思議な感情が大きくなっていくのが分かる。
当初はその気持ちが理解出来ず、只「いいな」と小さく呟くだけだった。
その感情を故郷の言語でどう表現するべきなのかは、未だによく分からない。
だがこの星の言葉で何と呼ぶのかは、よく知っている。
「そっちは寒いから、好物を送ろう。しっかり食べなさい」
「第三脳髄が疼くよ、ありがとう父さん」
好物とはウンギョラゲリボンだろう。懐かしい、舌がとろける次元味覚だ。
きっとお味噌汁にも合う筈だ。
「……※%してるよ」
つい口走ったその言葉に、電話の向こうでは首と尻尾を傾げているのに違いなかった。
◆ ◆ ◆
「ありがとうございます、引き受けてくれて…」
涙ながらに頭を下げる依頼者に向けて、戸村は努めて平静を装った。微笑み返し、ティッシュを差し出す。
「ここ帆村探偵社には、世界一優秀な探偵がおりますので」
その探偵は猫探しとやらで行方不明だが、そんな事はおくびにも出さない。依頼者を不安がらせないのがプロだ。
玄関先まで丁重に見送りをして、扉を閉じる。胸の鼓動が、最高潮に達した。
今から自分がする事は、犯罪だ。生まれて初めて、自分の意思で行う罪業だ。
矜持もなく依頼者を騙し、先生までも欺いた、一世一代のトリックショーだ。
七番目の、七不思議の、七人目を探り当てる事。
帆村探偵社が請け負ってから、歴代最長――実に、十日間も解決されていない難題。
しかし、自分の弱さも自覚している。先生の様にバリツも刀も銃も扱えない。
この案件に一人で挑むのは困難だろう。助けがいる。
事務所の電話帳を開くと、今時珍しい黒電話のダイヤルに指をかけた。その指は震えていた。
◆ ◆ ◆
ざっざっざっざっざっ
生きていない事を死んでいると呼ぶのなら、これも死者と呼んで差し支えないだろう。
およそ千万にも上る、死者の行進。先導するのは一人の女。
「皆、ヴァルハラに逝っちまいましたねぇ」
ざっざっざっざっざっ
「エインヘリャルにはなれたのかな?」
ざっざっざっざっざっ
「魔人の地位向上の為にテロなんて…どーせ私は仲間外れですよーだ」
苦々しく悲しむ様な、楽しくて震える様な、どちらともつかない曖昧な表情で。
「でもね、遠ざけようなんて無駄ですよ。私に技を教えたのが失敗だったと、よぉく胸に刻むがいいさ」
――黒蟻の軍勢が、動き出す。
◆ ◆ ◆
そして、月が昇った。
◆ ◆ ◆
東京スカイツリー第一展望台。
地上から三百五十メートルの位置に建設された円環型のフロアに、月明りと都心の明かりが覗き込む。
既に人気の絶えた時間帯。真っ暗なフロアに、太く長い溜息が響いた。
「そんな話にゃ、乗れないね」
一人は、男物のスーツを着こなした巨躯の女。一服つけようとして気が変わったのか、取り出したばかりの煙草を握り潰してしまった。
「このままでは、人類が滅んでしまうぞ?」
「だとしてもさ」
向かい立つのは知らぬ者なき、ラナン・C・グロキシニア。今は至って普通の私服である。
にべもない言葉に、自嘲する様に嗤った。
「この星の文化も、歴史も、何もかもが塗り替えられてしまうのだけどな」
「それはそれ。ただ、闘争におセンチを持ち込むと楽しめねぇだろ?なぁ、あんたもそう思わないか」
すっかり興の削がれたらしい女が、背後の支柱に話しかける。
ラナンの目には暗いだけの場所。だが、
「少し思想は異なるが。敗北の結果は、甘んじて受け入れよう」
ぬるりと、男が月光にその身を晒した。
道着を纏ったその体格は、眼前に立つ女よりも大きい。気配で居場所は分かっていたが、直視しての威圧感はまた格別だ。
「それに、宇宙人か。まだ私の魔人能力でそうなります、と言った方が信憑性はあるぞ」
「…それだとどうせ私が殺される。それに以前テレビで、警視庁には能力看破持ちの魔人がいると…」
「おーい、もう良いだろう?この問答にこれ以上の意味はねぇよ」
ばき、ばきと拳を鳴らす音。暗闇に浮かぶ女の瞳が、煌々と輝き始めていた。
「闘る気に満ちた奴も居たもんじゃないか。さっきの一本は勿体なかったなぁ!」
くつくつと、巨体を揺らして笑う。これから始まる殺し合いが、楽しくて仕方ないという風に。
生を常とし、全を重んじる者と。死を常とし、個を貫く者と。
共に生命倫理を尊びつつも、その理は水と油の如しだ。
男が両足を広げて腰を落とす。女が、ラナンを一瞥する。
「なぁ、あんたが闘争を望んじゃいないってんなら、ここは見逃してもいいんだよ?」
「それこそ、冗談じゃない。どうせダメ元の説得だったからね」
深く息を吸い、吐く。もう一度、吸う。
「まだ、手はある。…いいよ、世界平和を始めよう」
ダンゲロスSSアルカナジャーニー 第一カード
ドォンッ
「なっ!?」
突如、フロア全体を激しい揺れと振動が襲った。
ラナンは足を踏ん張り、何とか耐える。
ガラス張りの向こうで、煙が立ち昇っていた。
「…来たか」
微動だにしない男がぽつりと呟き、ラナンの鼓膜に届く。
一瞬遅れ、”その気配”をタロット越しに感じ取った。
勢いよく側面のガラスを突き破り、侵入する人影。それはラナンと女の間に着地し、悠然と立ち上がる。
艶やかなシルエットに、鋲の打たれた鞭を携える漆黒の美女。ここまでどうやって来たのか、息切れ一つしていない。
その目は暗く、鈍色の殺意に満ちていた。
次いで外階段のドアを開け、茶髪の男が入場する。風体は完全に普通の青年だ――それがこの場に居る違和感。
彼は慌てた様子で今来た扉を離れ、こちらを見て顔を強張らせる。
外階段の来訪者は続く。扉に風穴が空いた。開いた扉の向こうから、ふよふよと浮かぶヘリコプターめいた何かが飛び込んできた。
ドローンだ。底面に銃を備えており、しかも多い。二機、五機、十機……十三機!
群れを成す殺戮兵器から、拡声器を通した声が聞こえる。まるで居酒屋で知り合いと話す様に、
「レディースアンドジェントルメン、こんな話は聞いた事あるっすか?」
…立て続けの乱入に、ラナンの頭はパンク寸前だ。隣の女も、今にも「どれにしようかな」と数え歌を歌いそうだ。
だが混乱は、まだ半ば。
チン
エレベーターの到着音。中に何かが居る。
ざっざっざっざっざっ
ざっざっざっざっざっ
ざっざっざっざっざっ
開放された外階段からも聞こえる、規則正しい足音。それは伝説と謳われた、今は亡き傭兵たちの――
『『『ぷーっ!』』』
――そうとは思えないが、残り火だった。室内に、無数のテディベアが土石流の如く雪崩れ込む。
『ぷー』『ぷ。』『ぷぷー』『ぷりー』『ぷっきーっ!』「う、うわああああっ!」『ぷぷーっ』『ぷーっ!』『ぷぴー』『ぷーぴー』
『ぷっぷら』「何だこりゃ」『ぷぺ』「ぬ、ぬう!?」『ぷひ』『ぷきゃ』『ぷぷぷ』『ぷしっ』『ぷりり』『ぷーん』『ぷも』『ぷっす』
『ぷぷーぷ!』「……」『ぷにゃぁ』『ぷき』『にゃぁ』『ぷろ』「お、多い!」『ぷーぷー』『ぷじっ』『ぷふぇぇ』『ぷんく』『ぷあ』
『ぷぽぽ』『ぷぃー』『ぷりぷりぷー』「うわぁ何だこのクマやめろ飛び乗るな!」『ぷーぷーぷー』『ぷっぽぱぽん』『プ』『ぷこ』
「にゃぁーはっはっはっ!行くぜ征くぜ逝くぜーッ!」
エレベーターから、引き金に指をかけた女が飛び出す。
「戦いの礼儀だッ!てめぇーら全員名乗りやがれぇッ!」
『栄光への道』、発動。――効果範囲自動指定、半径十万メートル。
「…ッ!?ラナン・C・グロキシニア、『Shooting Star』歌います!」
「我道 蘭!さあ、闘争しようぜ!」
「九頭竜 次郎、私は誰の挑戦でも受け付けるッ!」
「戸村 純和!――探偵、我流!」
「お届けするぜ今夜のナンバーは!込清 三千彦で、”昔マグロ用の冷凍庫に閉じ込められた時の話”!」
「黒蟻第一分隊が一騎、遊葉 天虎!withクマさんズ!」
『『『ぷーっ!』』』
……音も、光も、振動も。全てが混沌としたこの数秒の中で、真っ先に動けたのは、徹頭徹尾冷徹な――彼女だけ。
「愛し、愛して、愛されて。マリアライト・レオマ、大儀故に殺します」
鋲の打たれた鞭が鳴る。
ギ シ ッ
空中回廊に、亀裂が走った。
東京都心に聳える六百三十四メートルが今、ひびと爆炎とテディベアに覆われる。
ダンゲロスSSアルカナジャーニー 第一カード
『共闘スカイツリーあるいは燃えよ蜘蛛の糸』
はーい、七番目の七不思議の七人目です。よろしく参る。
……これ、かっこいい以外の意味あんの?
まず我道を襲ったのは、生臭く視界を覆う漆黒の帳と、ぞっとする様な冷気だった。
「かちこちのマグロがあるのは手触りで分かるんだけど、それ以外は何も見えないのよ!」
それは込清の異能。手で触れれば打破出来る脆さはあるが、五感を奪う汎用性は脅威だ…普通なら。
「ぬううううおぉりゃあああああああッ!」
我道が怯まず、拳を振り抜く。幻影が掻き消え、再び光が差し込み、銃口を向けるドローンの姿を視認する。
正面でたたらを踏んでいるラナンの顔も。
ドローンの攻撃準備。同時にラナンもこちらを睨み、口を開いた。
「どりゃあ!」
「Shooting Staッ!?」
間髪入れずに、左の拳をラナンに叩きこんだ。銃撃は右肘から先を回転させ、弾丸を受けて横に流す。
回避で体勢を崩すと考えていたラナンは、予想外の動きに対処出来ない。
顔面中央を完全に捉え、赤縁眼鏡が吹き飛んでいった。拳を伝わる、血の温もりと骨の砕ける感触。
大きくよろめいたラナンに対し、殺戮兵器が狙いを変える。
「うおお!あっちだ!あっちがいいよ!」
丁度射線に巻き込まれかけた戸村が、慌てて叫ぶ。何やら情けない印象だが、その顔は我道から見て合格点だ。
何を思ったのかドローンも進路を変える。
「にゃーははは、第十三の型”、”天空の失墜”!」
突然、足元が連続して弾け飛んだ。我道からは見えないが、声の主はあの二丁拳銃か。
遊葉の放つ跳弾の嵐が、床を壁を天井を経て、対戦相手全員の爪先を抉らんと襲い掛かったのである。
隙を見せたドローンに着弾し、一機が床に激突、周囲の機体が退避する。驚いた戸村が転ぶのが見えた。
恰好つけて銃口に息を吹きかけた時、遊葉が横に吹っ飛んだ。九頭竜だ。
「君も私と戦おうじゃないか、オールマイティな私となーッ!」
獲物に組み付いたまま、九頭竜は恐れ知らずにも吠える。遊葉も銃口に付けたナイフで斬りつけるが、肌に浅くしか通らない。
発砲、跳弾。男は怯まない。跳弾どころかドローンの小銃さえ命中しているにも関わらず、だ。
彼は『オールマイティ』、自身の体を全体的に強化する異能。人間の持つ防刃および防弾性能を引き上げたのだ。
我道は近くにあったパイプ椅子を拾う。斬撃、銃撃は不可…ならば打撃は?
だが多い。クマが、多い――外階段から侵入する群れは途切れず、このままだといずれ床面は覆いつくされるだろう。
『ぷー!』そこにドローンが放火。叫び声を上げて燃えるクマ。
我道は思考を巡らせる。
(ドローンは防げる…道着に組まれるときついな。先に二丁拳銃を潰すか)
そう考えて一歩踏み込んだ時、握った右拳がチリチリと痛むのに気付く。まるで皮膚を軽く火で炙った様な、身に覚えの無い傷。
いつの間にか、ラナンの姿が消えている。同様にマリアライトも。
「…火、いや音か。強い振動は熱を生み、やがて発火させるというが」
だが、現実でも到達していない音響兵器の持つ可能性の一つを、あの時、顔を殴ったあの一瞬で。それも生身で成し遂げたというのか。
流石の我道にも銃弾は効く。故に面白いのはこちら側だと思ったが――にやり、と。並びの良い歯が剥き出しになる。
「やっぱり、最初に誘われた方に行くのが筋ってもんだね」
◆ ◆ ◆
「…あなたの悲運も、筋金入りですわね」
マリアライトがぼそりと呟いた。右手を床につけて屈み、フロアの通路を”滑走”する。
空いた左手でひょいと抱えられた相方は、先程の衝撃をどう処理して良いのか分からずに頭を抱えていた。
喧嘩屋、格闘家、探偵、裏社会の住人に傭兵。
まさか世界平和の協力者として呼びかけたその悉くが、タロットの所有者だったなど。
「うぅ…前金…クソ、あの女の子なんて私のおっぱい揉んでったんだぞ!」
既に顔の傷は一つもない。代わりに眉間に深い皺が刻まれている。一体「まだ手がある」と何だったのか。
だがマリアライトは素知らぬ顔を決め込んだ。
「現れたのが五人、内一人は下、不明が一人ですね」
「あ、あぁ…不明が先か」
「えぇ」
淡々と状況を整理していく。空中に浮かぶドローンは危険だが、攻撃手段は一応ある。
ならばこの場合、最も脅威なのは何も知らない八人目だった。
「想定よりも、フロアが分厚くて頑丈でした。もう少し戦闘をさせて、破壊痕を貯める必要がありますわ」
「…私も壊そうか?」
「無理に敵の注意は惹きたくありません…外階段は無理ですから、また外壁を伝って『何だい逃げる算段かぁ!?』
前方、接近、影。
マリアライトは通路の真ん中で急停止し、指をひっかけて床を滑らせていた”ひび”を展開する。
床、壁、ガラス、天井。蜘蛛の糸の様に広がる、薄く長いひびの跡。次いでラナンを床に降ろした。
我道の巨体が真向いから突進してくる。道中置かれている椅子もポールも弾き飛ばし、緩み切った表情を見せながら。
実はこの時体を左右に揺らしてフェイントを入れているが、あまりにも速過ぎて眼前の二人には認識されていなかった。
◆ ◆ ◆
「やっぱ仲間か!はっはぁっ!」
我道は両の拳を回転させた。同時にひびが殺意ある結界であろうと見抜く。スーツ越しに、筋肉が隆起する。
ひびの中心でラナンの胸が膨らむ。ラナンを背中側から抱くように立つマリアライトが、代わりに宣戦布告を行った。
…仲間が躊躇しない為に。
「マリアライト&ラナン、大儀故にあなたを殺します」
「行くぞおおお!」
左手から不意に放たれた十円硬貨が、ラナンの肩口を切り裂く――避けない、恐らくはわざとか。
我道はその言葉に思う所はあるも、加速を殺す愚行はしない。ここで速度を落とせば、待つのはどん詰まりだ。
「はっはあーッ!」
跳躍。
脅威の脚力は巨体を易々と高く上げた。体勢を翻して天井を蹴り飛ばし、敵の頭部目掛けて飛び掛かる。
ラナンが更に息を吸う。両腕を広げて、我道を抱き込もうとする構えだ。その肩越しに、マリアライトが細腕を伸ばす。
単純な狙い、だが空中戦において対処不可。次に来る一撃をあえて受け、間髪入れずにダメージを送り返す!
ラナンの役割は攻撃ではなく、我道を一秒でも長く抱き留める事。気合と酸素は十分量。
二人は今自分に出来る行動をその瞬間にしているだけだが、その連携は長年組んだ夫婦の如し。
局部や腱を狙う様な真似はしない。この戦い、どの道敗者に生はない。
「だりゃあ!」
「来い!」
しかし三者が交差するその瞬間、予想外の出来事が起こる――我道の、胸元のボタンが弾け飛んだのだ。
複数のボタンがラナンの、そしてマリアライトの顔面を襲う。手を攻撃の起点とした彼女達に、それを振り払う余地はない。
わざとだ。弾ける様にわざと、我道も息を吸ったのだ。
拳が二人の脇腹の、ぎりぎり当たらない位置をかすめた。
同時に、我道の上半身が回転する。マリアライトが唇を噛む。――直線的に来るかと思われた拳が、横殴りのスイングに変わる。
一瞬の怯みと予期せぬ攻撃に、事前に配置した傷の移植が間に合わない。
「ぶっ飛びなあーッ!」
丸太のフルスイングにも似たラリアットが直撃し、二人は諸共、悲鳴を上げる間もなく再び宙を舞う。
だが次の行き先はガラスを突き破って下方、コンクリートが終着点だ。
マリアライトが、ラナンをぎゅうと抱きしめる。最早何をどうとも出来ずに、二人は都心の絶景へと身を投げた。
会心の一撃を叩きこみ、即座にひびの領域から脱した我道が、残念そうに笑う。
「売られた喧嘩は買う主義でね…悪くない闘争だった」
しかし周囲を見回して、すぐ訝しむ顔に変わった。
「妙だな」
前方から、激しい銃撃戦の音が聞こえる。『にゃぁ!』甲高い悲鳴。
「八人目はどこだ?」
…かいくつ…はぁいてたぁ…んなぁのぉこぉ…
一方エレベーター前の銃撃戦は、激化の一途を辿っていた。
濛々と立ち込める煙は、最初の爆破に伴う延焼。その煙の中を、悠々とドローンが舞い飛ぶ。
「”セブンス”…げほっ、”フェアリ…ステップ”!」
支柱の影から声がする。遊葉の二丁拳銃が火を吹き、弾丸が空中で衝突した。
軌道を変えた一発がドローンにかすめるが、躱される。読みは健在、しかし感覚が狂ってしまう。
「いやー、俺も最初に聞いた時はマジで笑い転げましたからねー、石油王専門のハーレム斡旋業て何よって」
これぞ込清の秘蔵ネタ、オイルマネー酒池肉林。
ドローンから流れる声に呼応して、周囲では官能的な影によるベリーダンスが披露されているのだ。
豊満な肉感と官能的な吐息が視界を埋め尽くす。床を埋め尽くすクマ達も、影の動きにつられて踊る役立たずと化している。
「王様がねー、何を思ったか一番おっぱいのでかいコと結婚するって言い出しましてね。どうなったと思います?ヒントはハム」
「ぐっおらァッ!」
九頭竜が力任せに投擲を仕掛ける。投げたのは足元で右往左往するクマである。
『ぷきーッ』『ぷしゃーッ』『ぷみぇぇええんッ』
常人ならば首の骨を折る恐怖の枕投げ。しかし幻覚に惑わされ全くかすりもしない。
というか、クマがじたばたと暴れるので投げにくい。
「!」
銃撃前の駆動音を聞き、戸村が隠れる。二人も別の支柱の影に逃げ込み、遊葉が嘯く声。
「えほっ…私の次に強ぇや」
敵の数は既に十程度、だが5.56㎜NATO弾と火炎手りゅう弾の脅威は変わらない。
近代兵器に蹂躙される趣味は共に無く、自然休戦状態となったが…立ち込める煙が、猶予の無さを示していた。
◆ ◆ ◆
「そしたら、骨がね…骨がね!」
スカイツリー下部。
タロットを通じた感知範囲ぎりぎり、かつドローンの電波が確実に届くその位置で。
鉄骨に張り巡らせたロープに体を繋いだ男、込清は狼狽えていた。
(倒せねぇ…何でだよ!?)
想定とは何もかも違う状況に、背中を一筋の汗が伝う。
あの日タケから譲り受けたのは、ドローンと違法改造用のパーツ。
日頃からヤクザ者として魔人戦闘にも関わるタケが、込清に似合うだろうと見繕った物。
実際拘束力の高い込清と、持続ダメージを与える爆炎に必殺の小銃弾は無類のコラボだった。
尊敬する男からの、最高の贈り物。
だからこそ十三機同時の操作という荒業も、努力と根性でマスターしたのだ。
(タケさんも俺の戦いぶりを…見てるってのによぉ!)
タケも見ている、ドローンの映像。
能力維持の為に話し、操縦し続けながら、確信する。戦法は間違ってなどいない。いる筈はない。
だが、それでも。
跳弾を使用して見えない位置から反撃される。
小銃弾を喰らって平然とする九頭竜を、どうしてよいのか分からない。
我道を追跡したドローンは既に消息を絶っていた。
(世界はマジで広いぜ……クソ。それを知るのは本望だった筈だろうが…ッ)
その時込清の胸には、何か釈然としない思いが燻り始めていた。
◆ ◆ ◆
「おい君、直接当てろよ何してんだ!」
「うっせぇバーカ!そっちこそクマさん投げるなよぉ!」
「喧嘩しないで下さい、いやマジで…」
フロア内の視界は煙と炎で最悪である。所々小規模の火災まで発生し、割れた窓からの吹き込みが延焼させていた。
スプリンクラーは故障した様だ。
「ここは協力するべき場面でしょうに」
「いや、してますよ?」
「うむ。軽くリフレッシュしていただけだ」
…戦闘のプロとは、皆こうなのか?
生憎帆村の付き添いでも出会った試しがなく、戸村は対応を掴みかねている。
遊葉が拳銃の弾倉を取り替える…小さなテディベアのキーホルダーが揺れた。
「そういえば君、確か所属は黒蟻だったな?」
「あん?」
唐突な九頭竜の質問。
「馬鹿な真似をしたな、魔人差別への怒りは分かるが」
「…おう」
「君の願いは何だ、蘇生か?それは正しいのかと…いや、武人の端くれとして気になってね」
九頭竜はオールマイティ。精神攻撃もその範疇。
だが、対する遊葉の表情は不敵だ。
「否!んな事したらぶん殴られちまう。私の願いは一つ、皆に成長した私を自慢してぇだけだぜ。それにまだ」
「その辺で。敵もリフレッシュが済んだようですよ」
「第二ラウンドといくか…俺も未熟だな」
九頭竜が嗤う。だが彼はオールマイティ、攻撃手段などいくらでもある。
そして再び、無謀な空中戦が始まった。
◆ ◆ ◆
『…で、何で跳弾なんですか?』
『いや、かっけぇーでしょうが!』
疲れているのか、性格のせいか。つい、無駄な会話にも耳を傾けてしまう。彼の願いが叶えば死者とも話せるにも関わらず。
あまり悠長な時間は無い。これ以上タケに無様な姿は見せられない。
黒煙で視界が悪く、加えて吹き込む風がドローンの操作を邪魔する。弾薬もかなり消費した。一旦回収して補給をしよう。
その前に残弾でフロアを爆撃し、追跡されない様にしにゃぁ
「痛ぁっ!何だよチクショウ!」
突然足の脛に鋭い痛みが走る。
見れば猫に引っかかれた様な傷があるが…猫などどこにも居ない。
「?…んだよ…」
再び、ドローン搭載のカメラ映像に目をやる。先程と同じ炎と煙と破壊の痕跡に、そして標的たち。
その中で女だけが、笑っていた。
◆ ◆ ◆
「にゃはははは、よしよし。そろそろっすかねぇ?」
その意味を理解する者など、この場には居ない。いや唯一人、戸村だけが知っていた。
…ぅーびきぃりげぇんまん、うーそついたらはぁり、痛ッ!?
『ぷっぷ』
気の抜けた声に、ラナンは目を覚ます。
地上ゼロメートルの地面。遥か頭上に、先程まで居た第一展望台を仰ぎ見た。
ツリー全体にくっつく無数の点はクマの群れか。ラナンの周囲にもわらわらと近寄り、顔を撫でてくる。
傷が痛む。だが、かすり傷だ。
「……どうして?」
『ぷ?』
ラナンは隣で倒れ伏す、マリアライトへ問いかけた。
右側は完全に潰れ、残る半身も赤黒く染まっている。以前の美貌は見る影もなかった。
明らかに意識はなく、未だ光にならないのは奇跡だ。
その頬から、小指で涙を掬い取る。
正直、落下寸前で抱きしめられた時、ラナンに傷を移して自分は助かるつもりなのだと思っていた。
だが恨みはない、彼女とはそういう契約であったからだ。
――「お互い、願いはよく似ていると思います。ですが私は、自分の能力で助けたいという明確な欲があるのですよ」
――「…私の過去が、意味のある物だったと思う為に。だからあなたは、最後の最後に、敵になると思いますわ」
――「それでもよろしければどうぞ。大体平和を直接願うよりも愛を与える方が精神的な充足感を得た上で恒久的な平和にも繋がりますから私の方が…」
…実際数日前、彼女はラナンにそう熱弁していたのに。
あの時、マリアライトは自分を突き飛ばした。そして己の肉体にある全ての傷を、空気中に移し替えたのだ。
結果空気の傷は真空となり、空いた間隙に流れ込む空気によって風が発生する。その流れに引かれて、自分は上へ、彼女は下へ。
減速、それが三百五十メートル下に落下して生きている理由。
加速、それが激突の瞬間に致命傷を逃せなかった理由。
手放したのは、自分が重しにならない為か。
「やはり難しいな。これが※%なのか…?」
分からない、見当もつかない。
聞き込んで曰く、彼女は※%が深い人だそうだ。
あの瞬間、自分の信念も願いも投げ捨てて、――※%の為に動いたのか?
…知った所で、ラナンに理解出来る筈もない。
「謎が深まるね、この星の原住民の」
だからこそ理解したい。真似をしたい。まだ知りたい。…この涙の出処を探りたい。
それがここにいる理由、まだ死んでいない理由。
小指に乗せた涙の粒が蒸発した。
周囲のクマが慌てて逃げだすが、間に合わない。
「本当に、暑苦しい…ッ!」
数秒後。スカイツリーの足元で、突如爆発的な光が発生した。
はぁ。正直期待してたけれど、これだけか。
七不思議に触れる奴は多くって、参加する奴もそこそこ居て。でもあたしに近づけたのは、ここにいる連中だけ。
それも脳の髄まで筋肉かな?ってのばかりで。唯一、あいつには期待したけれど。
それもこれだけで終わり?ま、いいわ。
解ける人がいなくても、このまま五十日が過ぎればあたしは光となって消えるのだし。
人魚姫も悪くないわね。王子様はいなかったけど。不貞腐れてないよ。
ふん、眼中にないわよ。何よ。
…見えてるの?
「はい」
◆ ◆ ◆
「う、うわああああ!な、何だよ!何だよこれ!」
驚愕の表情で叫び、込清はコントローラーを取り落とした。
突如現れた巨大な光が迫る。それは熱を伴い、込清の隠れ家を一瞬で焼き払った。
「あ、あ、あああああああああッ」
全てが燃える。込清の全てが。悲鳴を上げた口に、火炎と歌声が入り込む。
◆ ◆ ◆
黒煙の漂う空間で。
「え?」
小柄、黒髪のショートボブ、セーラー服。
想像するよりも可愛らしい姿で、”それ”は姿を現した。
「な、何で」
「…依頼主の話、正確に言えばあなたと「一人目」の話を聞いた時、僕はこう思いました。—―あなたには、抜け道があると」
ごほり、と咳き込む。それから戸村は、こつこつと靴音を立てて歩いた。
数歩進んでは踵を返し、戻ってはまた返す。
「一つ、あなたは存在する。タロットを入手しているのがその証拠。
二つ、あなたには魔人能力、またはそれに近い物が通用する。タロットのルールに従っていますからね」
映画の探偵の様に。少女の目の前で、一本ずつ指を立てて説明していく。
「あなたは怪異だ。怪異の認識するルールに人間は基本逆らえない…魔人の様に」
指を鳴らす。
「そう、”基本的には”ね。怪異と魔人は、本質として同じ物です。違うのは肉体の有無、あるいは出自か…そして魔人同士の戦闘では、互いに認識を
押し付け合う戦いでは、必ず優劣が決まる。ならばそれはあなたでも、と…」
少女に向き直る。悪戯っぽく微笑む。ウインクだってする。これは小説で見た。
懸命に、演じる――名探偵を。
「僕は、そう考えました」
◆ ◆ ◆
「ほう」
我道が唸った。
ドローンに突き刺さった拳を抜いた時、視界には、下界から迫る光が。
「宇宙人ってなぁ、本当だったのか」
◆ ◆ ◆
「おいおいおい!」
遊葉が二丁拳銃を構えて震える。
「これ倒したら最高に恰好いいなぁ!」
◆ ◆ ◆
遊葉 天虎。二百十七の異能を持つ女。
戦闘を見越して協力依頼を持ちかけた所、都合よく使えそうな能力があるという。
戸村は指を三本立てた。
「まず『くまさんどこだ』。動物は人間よりも怪異に聡い筈…と期待しましたが、これは無駄でしたね」
二本。
「次に『栄光への道』。名乗りたいという強力な欲求を抱かせる能力。
怪異の名前を知り意のままに扱う民話は数多く、あなたの本名を知ればもしかして…と思いましたが、こちらも不発」
一本。
「最後が、これです」
『にゃぁ』
少女の肩がびくり、と震える。戸村の足元で猫が鳴いた。しかし姿はどこにもない。
「『吾輩はここである』。遊葉さん曰く、元々は黒蟻のマスコット的存在な猫が、その死後に発現した能力だそうですが…
その本質は、怪異なんですよ。実体もなく痕跡を残すという、猫の怪異」
たまらず少女が叫んだ。
「そんな、何でそれで、そんなので!」
左の小指を立てる、浅い噛み傷があった。…嬉しい反応だ。種明かしのし甲斐があるという物だ。
「痕跡を残す怪異が痕跡を残すには」
勿体ぶって含み笑いをやってみる。
「”実体”が必要でしょう?」
「…な」
「あなたは負けたんですよ、猫に。そしてルールを曲げられた」
これも駄目なら失敗だったが。
「安心して下さい。あなたの仕掛けた謎もきちんと解き…大丈夫ですか?進めてもよろ…あぁ、はい」
へたり込む少女に焦る。ここを聞いてくれなければ、自分は他人の能力を自慢しただけではないか。
先生ならもっと優雅に事を進めるのだろうな…と戸村は思った。
だが、何はともあれ解決編。七番目の七不思議を、見事に解いてみせ――その瞬間、。
夜の闇を切り裂いて。
女教皇に生かされた一条の星が、太陽となって現れた。
◆ ◆ ◆
東京スカイツリーが、燃えている。
突如発生した強烈な火球が、根元からその体を舐め尽くしていったのだ。
炎と煙に巻かれた鉄塔から、黒焦げになったクマが落下する。
光と熱の中心で、ラナンが仁王立ちを決めていた。
頭髪は逆立ち、肌が赤く瞳は紫で、両膝の関節が逆に曲がり、臀部には長い尻尾が生えている。
「人の気持ちも知らないでえええええええッ!!!」
それは彼女の真の姿。人間の味方である為に、隠し通すと決めた筈の姿。
ラナンキュラス・セルシウス・グロキシニア。地球から九兆光年離れた恒星グロキシニアに住む、炎熱の超越種である。
「皆馬鹿だ!地球の尺度だけで物を考えて、これっぽちも宇宙規模な考えが出来てない!」
そして、滅茶苦茶に憤っていた。アイドルにあるまじき形相だ。
「世界平和の為に、グロキシニアと地球の星交関係を結ぶ事!それが私の願いだ!
タロットで死んでもグロキシニアの科学ならきちんと魂ごと生き返る!
願いだって、グロキシニアの科学なら皆の分を叶えてお釣りが来るぞ、本当だ!」
頭から立ち上る青い煙が、彼女の怒りを消化していく。
感情が高ぶりかけると発生する、超越種の生理反応。この作用により、かの星は高揚を知らない。
だがラナンキュラスは潜伏の為擬態した際に、見た目でばれぬ様この反応を抑え込んだ。
そして、ラナンとなったのだ。
「さあ答えてくれ、地球人よ!これでも戦う理由があるのかぁッ!」
涙はない、怒りもない。だが、青い煙はこれまでになく溢れている。
煙の先から声が返る。
青い花が吠えた。
「それだと恰好いいのって私じゃねーじゃん?」
名探偵が吐き捨てた。
「あなた達が先生に勝ってもねぇ…勝てるとも思いませんが」
風が煙草を吹かしている。
「前言は全て撤回させて貰うぜ!あぁ、いいねぇ!」
おぉ、ドローンまでもがまだ喋る。
「ダ…ェざん…」
四方を睨む竜が宣誓した。
「夢は自分で叶えてなんぼだろうがぁーッ!」
…何と知恵足らずのぼんくら共か。
だが、自分も同類であると今確信した。故郷を裏切り、だが捨ても出来ず、地球をかばい、人と戦う。
全く不合理な思考の源泉は何か。冷静さを狂わせるその元凶は何か。
理解した。”それ”と最も近い、母星の言語が結びつく。
――皆何かが、愚かしいのだと。ラナンが、息を吸う。
「鼓動を…体温に。もう手加減などしない!」
ポップなメロディが彼女の体から迸る。このBGMは、最近リリースされたあの名曲だ。
音とは、振動である。振動とは、熱である。熱とは…音である!
今度こそ歌おう、今期ヒットチャート1位独占中の「Shooting Star」を!
文字通り全身全霊のシャウトと同時に、地球最高の愚者達が飛び掛かった。
◆ ◆ ◆
「さて、一旦隠れましょうか」
「…何で出ていったの」
「聞き捨てならなかったので」
「…何で、協力しないの」
「約束したじゃないですか。謎を解かないとね」
「…あっちよ。何で、お互いに殴り合ってるのよ」
「はは、本当に」
戸村は笑った。汗だくでも、余裕を見せて。
「人類七不思議の一つですね」
◆ ◆ ◆
「Shooting Starッ! 今 この夜空を☆ぃのよぉにー!キミと駆けぇー抜ーけーてー行ぃぃぃきたいーッ!」
ラナンを中心に発生する高周波が、炎と合わさって敵対者の接近を防ぐ。
壁や床に亀裂が走り、残るガラスが吹き飛んだ。骨を軋ませる轟音に、遊葉が片手の銃を取り落とす。
「ウラウラウラウラァーッ!」
それでも我道は怯まない。ぎりぎり熱に耐えられる距離を保ち、小さな瓦礫を指弾として放つ。
狙いはラナンの喉、だが指弾も声に震えて粉と化す。
「ヘブンズフォげっほ!煙いな畜生!」
天井を経由した四発の跳弾が飛来し、ラナンと我道の爪先を抉る。
亜音速なら弾丸は有効…と確認した視界の端で、遊葉はじりじりと後退する我道に気付いた。
その先には椅子や整列用のポールが。――質量弾、手にされるのは不味い!
「つーめたぁーいぃーこぉの世界で♪ ぶつかって 戸惑って 躊躇って 泣きそうにぃなって♪」
遊葉が吹っ飛び、背中に衝撃を受けて押し戻される。華麗に飛び蹴りを加えたのは九頭竜だ。
彼はオールマイティ、不意打ちも守備範囲。加えて人間の持つ耐火性能を引き上げている。
このまま炎熱さえも利用して、三人諸共始末するつもりなのだろう。
九頭竜が高温で皮膚の焼けるにも構わず、ラナンにタックルして羽交い絞めにした。体格と質量は全宇宙共通の脅威だ。
だがそれでも彼女の歌は止まらない…それも九頭竜にとっては好都合。そのままラナンを抱え、ラグビー選手の様に疾走する。
「はっ、来な!」
狙いは我道。彼女はパイプ椅子―既に熱く焼けたのか、上着を被せている―を両手で持つ。
上半身を回転、しかしその動きは打撃でも投擲でも防御でもない。
回転方向を左右交互に切り替え、パイプ椅子を巨大な扇の様に振り回す。
「小癪な!」
煙だ。酸欠狙いで煙を送り込んできた。椅子に巻き付けた上着もこの為。
咳き込みつつも走る九頭竜だが、煙に隠れて敵の姿を見失う。我道はこっそり横に逃げ、首尾よくその背後を取る。
その横っ腹に、鋭い痛みが走る。遊葉の銃剣が刺さったのだ。弾倉は暴発寸前と見て、手持ちも含め捨てていた。
代わりに披露したナイフ術を、我道もプロレスのヒールが如く迎え撃つ。
ナイフとパイプ椅子が打ち合う。熱が増す。九頭竜が音を頼りに突っ込んできた。
小脇に抱えたラナンを尋常でない膂力で締め上げる。
それでも歌は終わらない。命のやり取りは、終わらない。
「ぬおおおおおおッ!」
九頭竜がラナンの足首を掴みフルスイングする。高熱の肉体が周囲を炙る。
「…ッ!」
廻る視界。我道が床に手を突くのが見えた。
彼女はそのまま逆立ちし、天を向いた両足が腰の部分から回転する――竜巻の如く。
鉄骨のスイングにも似たその蹴撃が、回転するラナンに命中した。
「ッグッぁあああッ…!」
それも連続で。
「強いね、アンタは…ッ!」
人間戦車も疲れるのか。息を荒げる姿を見て、意外だと思った。
「あんた達の種族…とも!本気で手合わせ願いたいねぇッ!」
「…ぁぁぁあああぁ…ッ!」
歌う。
しかし破壊力はなく、弱々しい叫びしか出ない。
…その声もまた同様に。誰にも聞こえず、息も絶え絶えで。
血塗れの男が外階段から現れた。
「…が、ねぇ…!」
他人の話を聞くのが好きだ。
小さい自分に、世界の広さを教えてくれる。
「…ねぇ…よ…」
広い世界の中に自分が居て、タケがそれを他人に語るなどという光景を。
死ぬ間際まで思い描けなかったのは、己の小ささ故であろうか。
「…ねぇん…ばよ…!」
――俺と親父が、負ける訳がねぇ…!
意地か狂気か、瀕死の体を引き摺って。
「…俺ど、親父のゴラヴォ…ヴげろお!」
それは、RPGグレネードランチャー。弾頭にC4爆弾をいくつも括り付けた、タケ特製の一撃必殺弾。
爆発すればこの場の全員を吹き飛ばす威力だ。
ギ シ ッ
謎解きを終えて、少女を連れて現れた戸村が、彼だけが気付いた—―ゆっくりと、だが確実に。
フロアが軋む、音がする。
◆ ◆ ◆
とても、冷え込む場所だ。
初めてそこに降り立った時、感想はその程度だった。
救助ヘリの中で、歌を歌っていても。
報道陣とカメラを前にして、家族と抱き合っていても。
あれ程焦がれた太陽の光を、飽きる程浴びていても。
暖かいという感触は、遠い過去の記憶でしかなかった。
彼女の歌に出会ったのは、そんな時だった。
橙の光に照らされて、マリアライトが地面に手を当てている。
鉄骨の表面を無数の傷が這い回り、足場を切断。都度巨大な塔が僅かに軋む。
再度傷が移動すると、その箇所は曲がったまま癒着する。その繰り返し。
まるでしなる柳の如く、スカイツリーが曲がる。ゆっくりと、だが確実に。
――地球人類の思考は宇宙でも鈍く、そして断片的だ。
夜。
痛み。
ラジオ。
落下の時も、そして今も。彼女が考えているのはこの程度だ。
いや、まだあった。
薔薇館のメンバーが、笑っている。
流行りの歌を、やや調子の外れた声で歌っている。
…やっぱり彼女が考えていたのは、この程度だった。
◆ ◆ ◆
「ごんな話、を、ああーッ!?」
『にゃああーッ』
進行していたフロアの傾き。燃えているとはいえ早過ぎる崩壊に、全員が驚きを隠せない。
今や傾斜は三十度を超え、落ちたドローンや瓦礫が次々と滑り落ちていく。
何故か聞こえる猫の声が奈落の底に吸い込まれていった。
込清の膝が崩れ落ちる。肩に乗せたRPGを構える事も出来ず、ただ流れに身を任せる。
全身に三度の熱傷を負い、駆け上がって来れただけ奇跡だったのだ。
遊葉と我道は格闘中であったが、互いにあえて尻もちを突き、接地面積を増やして耐える。
「うわこれちょっと本気で!」
「きゃあああーっ!」
戸村と少女が、転げ落ちていく。
遊葉にぶつかりかけて蹴り出され、何とか奈落の縁の支柱に乗り上げた。だがその場からどこにも動けない。
「ま、け、ない…!負けないぃーッ想いだぁーけぇーはぁーッ♪」
「ぬおお!ぬおおお!」
ラナンが自分に言い聞かせる様に歌う。既に体力は尽き、飛翔は不可能。
それでもまだ諦めない。BGMは細く小さく、だが相変わらず響き渡っている。気持ちだけなら、誰もが同じだった。
誰もが、諦められない願いを持っている。
――限界は容赦なく訪れた。
「ぬおっ!」
九頭竜がよろめいた。
高耐久故に選べたラナンを武器にする選択肢が、激しい水分消費を起こしたのだ。
それでもラナンを殺害すれば完全回復し、体力的な優位を得られる計算だったのに。
「あああっ!」
大樹の如き肉体が、奈落へと吸い込まれた。
次いで不調を起こしたのは、ラナンであった。
こちらも体力の限界か、碌に力が入らない。脂汗をだらだらと流している。
何とか床にしがみつくも、真下の穴までもう猶予はない。
込清も同様だ。床に血をこびりつかせ、ずるずると重力に引き摺られていく。
「…うぐぐ、こいつは厳しいぜぇ…!」
遊葉が、打開策は無いかと周囲を見回す。奈落の縁の支柱に立つ、戸村と少女。
身体能力の高い彼女ならばそこに飛び移れる。
逃げ場は無いが、このままヤモリを真似るよりもマシだ。それに。
遊葉は最後の力を振り絞り、四肢の筋肉を漲らせる。そして叫んだ。
「そっちに行きます!受け止めて下さい――師匠ぉ!!」
思い切って床を蹴り、支柱に向けて飛ぶ。そこに居る人物に合図を送る。
「はい、はい」
その声に応えたのは――戸村だ。
「もういいですから、それ」
「あ」
彼は右足を上げた。何の疑いもなく、着地の姿勢を取った遊葉を蹴り出す。
「……え?」
遠のく遊葉の視界に映ったのは、自らの恩師であり、上司である男の――奈落よりも暗い、漆黒の瞳であった。
その光景を見た込清が呟いた。
「ダゲ…ざ…?」
ラナンも。
「父さ…の、声?」
◆ ◆ ◆
少女が嗤う。げらげらと、本当に面白おかしい様に。
「ひっ、どい話だよねー!」
支柱に腰かけて、足をじたばたと動かし、目に涙さえ浮かべて、落ちた女を嘲っていた。
「こいつの謎解き!ひ、酷いんだよ!あ、ははははは!」
肩が震える。
「ひ、一つ目から四つ目までは、まぁいいよ。全然外れだけど、発想としては面白かったさ。
七不思議は、実際体験して分かった情報を使わないと解けない、てのも正解だ」
――七不思議の一人目は、小さな光、恐らくは赤子を手に入れた後、振り向いた時に突き飛ばされて死んだ。
これは童謡の『かごめかごめ』に通じます。かごめかごめ、いついつでやる…やっと生まれた赤ん坊は、滑って死んだ。
ラナンが唸る。お腹が熱い。
――二人目は、麻布十番の小さな公園…首を吊ったら、とある少女の成長した姿を垣間見た。答えは『赤い靴はいてた女の子』。
――三人目は、稲荷神社などが正解ですね。指を切ったら、遊郭の幻覚…これは『ゆびきりげんまん』かな?
――四人目の全て知らない人とは子供の例えでしょう。教えられないのは勿論死。これも童謡なら、答えは『しゃぼん玉』ですね。
――五人目。これは恋人が鍵ですが、タロットの恋人は六番目。即ち、七不思議の六人目を先に解かなければなりません。
込清はもう動かない。
――では、六人目は何か?ヒントの赤駅とは、福岡県にある実在の駅。駅番号はHC20と定められています。
そしてHCとは炭化水素の略称であり…その炭素数が二十個連なっていると、エイコサンと呼ばれる。
つまり、六人目はエイコさん!だから五人目は、エイコさんのいない図書館という事になりますね!
――さぁ七人目さん。全ての謎は解きましたよ、教えてください「よろこび」を…まあ、僕は今、十分歓喜に震えていますけれどね。
世界最高の謎を、真っ先に解けたという喜びに!
「クソが!ふざけんじゃねぇよ!」
少女が懊悩する。頭を掻きむしり、唇を血が出る程に噛んで。
支柱から落ちかけても、構わず泣き叫んだ。
「何がエイコさんだよ、アホか!せっかく作った七不思議が、途中から三流小説のダイイングメッセージみたいなこじつけになってるじゃん!
最初はまだそれっぽかったでしょうが、貫きなさいよ!」
対する戸村は、何を想うのか。
「てめぇこのクソ探偵!じゃああたしが解いてやるよ、さっきの謎解きでも隠されていた部分!
あんたは一体どうやって二人目以降の話を知ったのかって!自分の能力を使ったんだろう!
謎を解く為に、あたしを捉える為に!他人の記憶を改竄してさあ!」
――お久しぶりですね、□□さん。
『うっす、あー…失礼、どちら様ですか?』
『もしもし?失礼、どなたかな』
『あん、どっかで会いましたっけか』
――いやだなぁ、忘れたんですか。あなたの■■ですよ。
「大事な人に成りすましてさ!他に大勢居るんだろう、そうやって操った奴が!他の奴なんてどぉでもいいけど…」
その声はかすれていた、疲れ切っていた。
「あたしにはあったのに!確かにあったのに、変えられちゃったよ!認識を、ルールを…人生を!
返せよぉ…あたしは宇宙で最も深淵で、従順で、狡猾で、暖かで、何だったんだよーっ!?」
少女が絶叫し、問いかける。
だが戸村は只……深々と一礼した。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、僕はなれました――他人の人生さえ盗む、最高の怪盗に」
それは歪な犯罪者。
知恵もなく、信念もなく、優雅でもなく、只能力の暴発によって事を成す…実に歪な、犯罪者。
戸村 純和。この事件の黒幕だ。
少女はその言葉を聞き、全く話にならないと。絶望の内に、その身を投げた。
「…で。他の連中も利用したのかい?」
いつ動いたのか、我道が真向いの支柱に飛び移っていた。
二人の間には奈落の底。その淵には既に事切れた込清が、そして意識を失ったラナンが。
「えぇ。遊葉さんは七不思議対策で、込清さんは戦闘力目当てに。怪盗が武器を持っていては、恰好が付きませんからね」
大げさに肩をすくめ、やれやれと溜息を吐く。
「ラナンさんは、関係者に聞き及ぶ所では世界平和が願いだった様なので。それはいけません、それだけは!
だから、遅効性の毒入りスイーツで別の計画に使うつもりでしたが…ここに来てしまうなんてね」
「矜持か知らんが、弱くとも戦おうとした勇気は認めるよ」
ばきばきと拳を鳴らす音。我道の顔は、恐らく今までの人生の中で、一番つまらなさそうな表情を浮かべていた。
「でもね、その口ぶりだとまだ何かするつもりだなぁ…望まない奴に無理やり闘争を強いるてのは、今私が一番ぶん殴ってやりたい奴なのさ」
「…あなたにはハードボイルドが向いている」
我道が両手の指を回転させる。手に握った瓦礫の破片を、高速で撃ち出した。
同時に戸村がしゃがみ、窓枠に手をかけ――身を翻し、飛び降りた。
「さぁ怪盗らしく、その場にある物を使って、見事に脱出してみせましょう!」
「あっ!?」
何をしてんだこの馬鹿、と言いたげな我道の顔が遠のく。
だがその時、戸村は器用に空中で「それ」を構えて、引き金をひいた。
RPGグレネードランチャー、あえて込清に渡した武器の一つ。その死体と一緒に窓枠から落ちかけていた物。
弾頭が、真上に覆いかぶさる第一展望台へと吸い込まれていく。
「僕が落ちて死ぬのが先か、あなたが死んで僕の回復薬となるのが先か」
今日一番の笑顔で、戸村が嗤った。
「楽しみですね!」
――覚えておくべきだ。怪盗とは、どんな綱渡りも成功させる物なのだと。
◆ ◆ ◆
そう考えていた顔に、小さな穴が穿たれる。
「…あ?」
それが最後の思考となった。
もっと注意深ければ、あるいは気付けたかもしれないのに。
「初めからずぅっと、言ってんすよ」
鉄骨の間に、何かが垂れ下がっている。
それは無数のテディベアが雁字搦めになって作られた、一本の特大ロープ。
そのロープに捕まって、女が銃を構えていた。
「クマさん達が。私を守れ、そいつは偽物だって」
『ぷー』
小さなテディベアのキーホルダーが揺れた。
「蹴られてやっとこ、踏ん切りがつきました。…さよなら師匠、お元気で」
憤る様な、泣き疲れた様な、そんな曖昧な表情で。
遊葉は、涙ながらに笑った。
◆ ◆ ◆
「…ぁー、本当に師匠じゃないんすよねぇ?」
この師匠もどきらしい男の能力は、死亡非解除の様だ。
記憶を取り戻すには、願いで新たに得る以外に無い…余計に負けられなくなった。
「あぁーッにしてもダサい!完全に手玉になるたぁよ!」
『ぷ~』『ぷっげへ』『ぷみょーん』
「慰めはいいよー今はー!」
遊葉の頭を撫でようと、ボロボロのテディベアが駆け寄る。
どれも焦げて、煤けて、よじれて、切れて。五体満足な者など居ない。
間抜けで役立たず。だが、彼女を何よりも愛してくれるぬいぐるみ達。
この性格は、遊葉が魔人になるずっと前からそうだった。
優しく優しい、黒蟻の皆の性格そのままだ。
「これじゃ自慢話にならねぇじゃんか…乗っとけばよかったかなぁ」
『ぷ?』
撫でられながら、沸々と後悔が湧いてくる。
「ラナンちゃんの話。もし地球以外にも戦争する相手がいたらさ、同じ船に乗って激闘スペースオペラとか、良くね?」
『ぷー』
「まぁその線は消えちゃいましたけどね。どうすっかなー」
…彼女が聞いたら頭痛を起こすに違いない。
生を常とし、全を重んじる者と。死を常とし、個を貫く者と。
共に生命倫理を尊びつつも、その理は水と油の如しだ。
「私と百万の戦艦…うーん。都合良い能力はなし、実は連中が雑魚って事もなし…いや?」
燃え盛る塔の根本で、幾筋もの光の線が天へと昇っていくのが見えた。
慌てて消えゆくラナンの死体を探し出し、その胸に触れる。
能力発動『スタンド・バイ・ミー』――対象、ラナン・C・グロキシニア。
…遊葉の狡猾な所で、『黒蟻の軍勢』は死亡非解除ならば、その産物を夜明け以降も維持できる。
『くまさんどこだ』は死亡非解除、つまりそういう事だった。もう日本国中のテディベアを殆ど使い果たしたが。
『ぷぷ?』
消えゆくラナンの側に、もう一体のラナンが複製される。
赤い肌に紫の瞳、膝関節が逆に曲がった、長い尻尾を持つ消えない死体。
「よぉし成功!後はこいつを届けへらぁ」
複製と同時に消費された九食分のカロリー消費により、派手に倒れ込む。
焦げ臭いクマ達が遊葉を受け止め、運ぼうとして転んだ。
「人類一丸…宇宙連合…うへへ、やっぱ恰好良い事は自分でしにゃいとね…」
『ぷー!』
数時間後、ラナンの複製死体と戦闘記録映像が国連の某研究所に届けられた。
宇宙戦争の揺るがぬ証拠となるか、それとも一笑に付されるか。それは誰にも分からない。
それでも打って良いだろう。張って良いだろう。
一年後に始まる宇宙戦争の布石を、その伏線を、その関係者として。
「さて寝ましょ…大丈夫、エインヘリャルにゃぁまだ早いぜ…」
そこまで言って。焦げ臭さに包まれながら…彼女は眠りに落ちた。