●それぞれの朝(鬼姫殺人)
 タロットの亡霊『鬼姫災渦』との邂逅から数日が立ち。殺人は自室で右手をゆっくりと開閉していた。
 複製品との戦いでバキバキに砕けていた拳も、すっかり治っていた。魔人ならではの治癒速度というのも理由の一つだろうが、甲斐甲斐しく治療してくれたキィのおかげでもある。

「……そろそろマトモに使えるか? 全く、このまま片手使えないまま戦う事になったらどうしようかと思ってたぜ……誰かさんが下手な立ち回りしてくれたおかげでなぁ!!」
「この肉体が脆弱なのが悪い。そしてあの時ビビり散らかして気絶していたダレカサンも悪い。つまり私は悪くない。理解したか?」
「あぁ!? ダサイ紙切れになった分際で調子乗ってんじゃ……」
「そのダサイ紙切れに助けられたのは誰だったかなぁ? あぁ、クソダサイ殺人チャンだったっけ。これは傑作だ」
「ブッコロス!!」
「やってみろ」
「ウガァアアアアアア!!」
「痛ッ、馬鹿かあんた! 自分で自分を殴っあ痛ッ!! やめろ馬鹿!!」

 罵詈雑言をまき散らしながら自分で自分を殴ろうとする殺人と、それを止めようとする災渦で肉体の主導権を奪い合おうとするその様は、さながら喧しいパントマイムといった所だろうか。
 そんなやり取りの最中、自室の扉がガチャリと開かれた。

「(殺人、朝ご飯できたよ)」
「「ありがとう!!」」

 殺人と災渦のやり取りにもこの数日ですっかり慣れてしまったのか、キィは平然と朝食のトーストとスープをテーブルの上に並べていく。

「(それ、もうちょっとかかる? 先に食べてても良い?)」
「「どうぞ!!」」

 ドタバタと床を転げまわる殺人(災渦)を尻目に、パクリと小さな口でトーストを齧るキィ。
 そしてスープを啜りながら、キィは朝の散歩をしている途中に近所の公園で拾った新聞紙を開いた。

「(暴力団の事務所で大量殺人……魔人刑務所から脱走……僻地の館に謎の死体……廃倉庫にグチャグチャの死体と大量の銃器……物騒な記事ばかりだなぁ)」

 字面だけでもゲンナリするが、読めば読むほど気分が落ち込む様な内容ばかりだ。
 ふとキィが顔を上げると、いつの間にか喧嘩に決着が付いたのか、殺人はテーブルの前に座りトーストに齧りついていた。

「ふ、ふぁんかほもしろい」
「(ちゃんと飲み込んでから喋って、のど詰まるよ?)」

 殺人は頷き、ゴクゴクトスープを一気に飲み干した。

「なんか面白い記事あったか? キィ」
「(全然……読む?)」
「あぁ、あんがと」

 キィから新聞紙を受け取った殺人は、その内容をザッと流し読みしていく。
 確かにどれもこれも物騒な記事ばかりで、お世辞にも楽しいとは言えない。
 だが、そんなバイオレンス記事の中の1つに、殺人はふと目が行った。

「狂気のアーティスト、また現る……都内某所の路地裏で、廃ビルの壁に描かれた怪物が、不良グループを惨殺……まぁ、魔人だろうな……だが、なんだこれは」

 その記事には実際に現場となった路地裏に描かれたラクガキの写真が載っていた。それを見ると、胸がザワついた。

「タロットだ」
「……やっぱそうか」

 不意に災渦が口にした単語に、殺人はさほど驚かなかった。
 理由はないが、分かったのだ。

「……だけど、どうすれば会える。手がかりも何もない」
「惹かれあうんだよ、私達は。こうしてハッキリと相手が分かった以上、適当に街をブラツイてるだけで、すぐに会えるさ」
「そんなに都合がイイもんなのか?」
「あぁ」
「……そうか」

 殺人は残りのトーストを一気に齧りつくすと、椅子にかけていたライダースジャケットを身に纏う。

「ちょっと出かけてくる。夜には帰ってくるから」
「(え、え? ちょっと待ってよ殺人、危険な場所に行くなら、私も……)」
「ダメだ」

 殺人は有無を言わせない口調でキィを止める。

「キィを危険な目に合わせる訳にはいかねぇし……それになにより、これは俺(私)が決着を付けなきゃなんねぇんだ」
「(…………)」

 それでも尚不安そうな目で殺人を見つめるキィに、殺人はニィっとと笑みを浮かべた。

「そんな顔すんなって! マジで絶対大丈夫だから!! キィは、ここで夜飯作って待っててくれよ! 今日は俺ハンバーグの気分なんだ!」
「私は焼き魚の気分だ」
「うるせぇ」

 キィは、未だ不安げな表情ながらも、コクリと小さく頷いた。

「(分、かった……ハンバーグと焼き魚とグラタン作って待ってるから。早めに、帰ってきてね?)」
「おぅ! それじゃ、行ってきます!!」
「(いってらっしゃい)」

 こうして鬼姫殺人は、確かに迫りくる次なる戦いの舞台に、自ら飛び込んでいくのであった。

●それぞれの朝(カムパネルラとジョバンニ)
 あやまち。あやまち。あやまち。
 そう、『俺』はあやまちを犯した。
 人は誰しも間違えると誰かは言った。大事なのはそのあやまちを挽回し、次に生かす事なのだと。許されない罪などないのだと。
 本当にそうか? 『俺』は許されてもいいのか?
 そんなはずない!! 誰が何を言おうと『俺』は最低最悪で、死ぬまで、いや、死んでも許される筈がない!!
 だって『俺』は、『俺』は――。
 だが、それでも。許されないとしても。それでも今『俺』には1つだけ出来ることが、贖罪の手段がある。
 罪を贖ったところで罪が消える訳ではない。だが罪を贖おうともしないのはそれこそが新たな罪だ。
 タロットを全て集める。そして、あのあやまちの瞬間を正すんだ。
 そうすれば『お前』は――。

 でも、そうしたら『きみ』は? 『きみ』は一体どうなるの?

『俺』? 『俺』がどうなるかだって? そんなことはどうでもいい。大事なのは――。

 どうでもよくなんかないよ。それって『僕』に失礼じゃない?

 ――なんだって?

 だって『僕』は、君のことを大切に思ってるんだよ? 大切な人を馬鹿にされたり、どうでもいいなんて言われたら、そりゃあ失礼って思っちゃうよね。
 ねぇ、ジョバンニ。本当に『僕』の事が大切だっていうなら、『きみ』は――。

 やめてくれ!! そんな筈ない、そんな筈ないんだ!! 『お前』は、いや、『あいつ』は俺を憎んでいる筈なんだ!! 『お前』がそう言うのは、だって、『お前』が――。
 …………悪い。

 確かに、そうだよ。『ぼく』は、『きみ』の理想だ。
 けど、けどね。思い出してほしい。かつての『ぼく』――いや、『あの子』の事を。
 そして、どうか気づいて欲しい。『あの子』にとって、何がイチバン――。

「…………ッ!!」

 そして、俺は目を覚ました。見慣れた部屋、見慣れたベッドの上で。
 身を起こしカーテンを開けると、朝日が容赦なく俺の目に突き刺さる。
 目を細め、徐々に目を光に慣らしていくと、振り返る。
 そこにはいつもと変わらない、金髪と碧い瞳が特徴的な、相棒の姿があった。

「おはよう、ジョバンニ」
「……ああ。おはよう、カムパネルラ」

 朝の挨拶を交わすと、微妙な沈黙が流れた。
『夢』の話は、どちらもしなかった。無言のまま俺はベッドから離れると、仕事の準備を始める。

「……今日の標的は、誰だったかな」

 覚えている。だが、気まずさから俺はそんな事を呟いた。
 俺が覚えている事を、カムパネルラは知っている。だが、カムパネルラはいつもの様ににこやかに応えた。

「もう、昨日の今日なのにもう忘れちゃったの? 標的はグラフィティ・カズマ。自称『イーブル・アーティスト』の殺人鬼だよ。依頼人は犠牲者の家族で、どうにも絵を操る魔人能力を持ってるみたいだけど……この感じ、多分タロットを持ってると思う。油断せずに行こうね」
「ああ、そうだな……」

 寝間着姿から黒いドレスに着替えると、沢山の武器を詰め込んだギターケースを手に取った。

「行くか」
「うん!」

 そして俺たちは部屋を後にした。
 いつもの様に標的を殺し、そしてタロットを回収する。
 俺は絶対に、絶対に願いを叶える。

 ――忘れないでね、ジョバンニ。『僕』と『あの子』にとって、何がイチバン大切なのかを。

●それぞれの朝(黒埼・茜)
「クッ、この、まだまだァッ!!」

 茜は下段を中心とした激しい蹴りの応酬を相手に浴びせかけるが、そのいずれをも的確にジャストガードされ、反撃を喰らってしまう。

「ハハハ、そんなもんですか姉御ぉ!! そろそろ現役引退したほうが良いんじゃないで、あ痛ッ! ちょっと! 人が喋ってるときに超必殺技入れるとか姉御はノンマナーババァですかぁ!?」

 蹴りの応酬の最中、迂闊にも大ジャンプをしてしまった情報屋。その隙を茜が逃すわけもなく、すごいエフェクトがドカンとかっこいい必殺技を情報屋に浴びせかける。

「ハン、勝負の最中に喋ってる方が悪、ちょ、アンタもアタシが喋ってる間にしれっと打ってるじゃないのさ!!」

 一気に勝負を決めようと仕掛ける茜。しかし情報屋が素早いカウンター技を放つと、スタン状態になった茜に手からなんかワーッと出る必殺技を喰らわせる。 
 だがそれだけで決着は付かず、なおも続けられる熾烈な殴り合い。
 というかゲームだった。格闘対戦ゲームだった。茜はネットを介しボイスチャットを繋いで情報屋と徹夜で朝まで延々とゲームをしていた。99勝99敗の大熱戦だった。茜も大概ゲームは上手いが、情報屋もそれに負けない位強かった。

「オラァッ!!」
「ギャアアアアアアア!!!」

 そしてついに茜、というか茜が使ってる細マッチョなキャラの飛び蹴りが、情報屋の使っているロリ系美少女キャラの顔面に突き刺さり、ついに戦いに決着が付いた。

「ハ、まだまだだね。出直してきな」
「いや姉御だって99回負けてるじゃないですか……ハア。で、なんでしたっけ。もう9時過ぎてますけど」
「ん、そうだね。そろそろ仕事の話をするか」
「そうですねぇ……あ、でもこのままボイスチャットだとなんか気分が切り替わらないんでかけなおしまーす」
「はいはい」

 そして情報屋との通信が切れ、数秒後。
 ジリリリ……ジリリリ……。
 聞き飽きた黒電話の音が、茜の拠点に響き渡った。
 茜はパンパンと顔を叩き、立ち上がると、ベッドの上に腰掛け、受話器を手に取った。

「もしもし」
「俺です。情報屋です」
「それじゃ、依頼の結果を教えな」
「はい」

 茜は事前に情報屋に頼んでいた依頼の報告を求めた。

「グラフィティ・カズマ。それが例のラクガキ殺人事件の犯人の名前です。大まかな現在地に関しての情報もバッチリです。大まかでバッチリって言うのもなんかアレですけど」
「いや、十分さ。あとはアタシの目と鼻と耳で探す」
「……でも姉御、本当なんですかい? こいつがタロット持ってるって」
「ああ。ネットニュース奴の情報と、ラクガキを見た時に感じた違和感……アレはアタシがタロットを手に入れた時に感じたあの気持ち悪い感触と一緒だ。絶対にこいつはタロットを持っている」
「なるほど……だったら、姉御にもう1つ伝えなきゃならない事があります」
「なんだい」
「多分グラフィティ・カズマのタロットを狙ってるやつ、他にも居ますよ」
「……なんだって?」

 タロットを狙っている。という事はそいつもタロットを持っているという事か?

「実はですね。姉御から依頼を受けた後、同じ様な依頼をしてくる奴がいたんですよ。『ラクガキ殺人事件の犯人についての情報を買い取りたい』って奴がね」
「ハ、なるほどね……よくよく考えてみれば、アタシがヤツの事を知ったのもネットニュース。広く名を知られている以上、他のタロット使いもまた、気づいてる可能性が高いって事か」
「そういう事ですね」
「……ま、そんなとこか。それじゃ、アタシはもう行くよ」
「もう行くんですかい? さっきまで徹夜でゲームしてたばっかりなのに……」
「そんなんで仕事に支障が出るほど、アタシはヤワじゃないよ」

 茜はガチャンと電話を切った。
 するとすぐにいつもの仕事着――赤いシャツに、黒いスーツに着替える。

「行くか。仕事の時間だ」

 誰に言うでもなく呟くと、茜はくたびれたフェドーラ帽を被ると仕事用の杖を取り、真っ白な車に乗って拠点を後にするのであった。

●それぞれの朝(断捨離のマリ)
 @god_kazuma。それが次のマリの取引相手候補だ。
 偶々目にしたネットニュース、そこに書かれていた人を襲う絵画の記事。それを目にした途端、胸の中で生まれた違和感は、確かに『タロット』に関するものだとマリは即座に断定した。
 それからマリは家事の合間の貴重な時間を使って、方々から情報を収集した。
 そしてこれまで築き上げたコネクションと資金を駆使し、ついに自ら『情報屋』と名乗る正体不明の情報屋とネット上で接触。そこから件の事件の犯人が、『グラフィティ・カズマ』という名の人物だと確信に至る情報を購入していた。

「随分情報料は高くついたけど、必要な出費ね」

 タロットには、それだけの価値がある。全ては家族の幸せの為に。
『メルカリ』を通して、マリはカズマの所有する物品の一覧を確認していた。
 その中には確かに、タロットも含まれていた。

「良かった。詐欺じゃなかったみたいね」

 性別、年齢、素性、住所、名前。いずれも全く不明な相手との『メルカリ』を介さない情報のやり取りに一抹の不安を感じていたマリだったが、どうやらそれは杞憂だった様だ。

「さて」

 そこから更にカズマの所有する物品を詳しく見ていく。
 画材に、カラースプレー。動画撮影用のカメラに、スマホ。パソコン。派手な服が数セットに、大量の紙束。その他雑貨がいくつか。
 そして最も多かったのが、カズマがこれまで描いてきた数々の『芸術作品』だ。
 その多くが人気の無い建物や路地の壁や床に描かれており、それらはいずれも悪魔や怪物のものだ。

「『魂が込められ、能力者の悪意によって人を襲うラクガキ』……危険ね。でも、単体ではそこまで強くないみたい。知っていれば、私でも対処できる」

 品物の中には、カズマ自身の身体に描かれたタトゥーも含まれていた。

「これが奥の手ね。接近も危険、と。なるほど」

 生憎カズマは金で自らの芸術作品を手放す気がないらしい。前回の様に、敵の武器を直接購入して再配置する方法は通用しない。
 だが、問題ない。『メルカリ』の使い道は、何も戦う相手の物品を購入し、再配置するだけではないのだから。

「ん……新規の商品情報がリアルタイムで追加されている、これは……」

 現在進行形でカズマの『芸術作品』の品数が増えている。場所は、マリの自宅からそれなりに離れたとある寂れたビルの中。
 つまり、今カズマはこのビルの中に居る。

「今日は、流石に夕餉の時間に間に合うわよね」

 マリは時計を確認する。現在の時刻は午前9時22分。愛する夫と子供たちを見送ってからそう経っていない。
 一瞬の思案の後、マリはすぐに決断した。無駄な長考は不要。
 対処が可能な以上、向かわない理由はない。それに相手は、狂った理由で無差別殺人を繰り返す危険な魔人。断捨離すべきだ。
 そう結論付けたマリは、いつもの様に家中のカギがしっかり閉まっている事を確認する。

「……あら?」

 ここで、マリの『メルカリ』に一件の通知があった。
 どうやら、これから危ない橋を渡る事になると判明した段階から目を付けていたとある物品が、ついに購入可能になったらしい

「中々簡単に手放す決断が出来るものじゃないものね……でも、良かった」

 マリはほっと息を吐く。この様子なら夕餉の準備どころか、行ってすぐ帰ってこれる。
 恐らく取引相手は、自らがどうやって殺されたのかを知る間もなくその命を落とすだろう。

●そして彼らが目にした大きなアレ
「…………で?」
「なんだ」
「いつになったら会えるんだよ、他のタロットの所持者に!! 何時間バイク走らせてると思ってんだ!!」

 殺人は家を出た後、愛用しているバイクに乗り、延々と都内を走り回っていた。
 だが、待てど暮らせどタロットの所持者に出くわさない。

「知らん」
「あぁ!?」
「タロット同士が惹かれあうのは確かだ。そしてその相手の情報をハッキリと得た時点で、邂逅は近い。筈だ。だが、具体的には分からん」
「使えねー」
「自分の事をそう卑下するな」
「おめぇの事だよ!!」

 ついに殺人は運転を止め、路肩に停車する。

「ていうか、そもそも探しに出る必要なんかあるのか? タロット同士は惹かれあうんなら、家に引きこもってても同じなんじゃ……」
「それだとキィが巻き込まれるぞ。あんたがそれでもいいなら、そうしろ」
「チッ、そういう事か……気ぃでも使ってくれたってのか?」
「別に?」
「だけどそういう事なら別にバイクを走らせる必要もねぇ。このまま待ってりゃいつか…………」
「なんだ、どうし…………」

 殺人はポカンと口を開け、空を、そこに映る異様な光景を見ていた。殺人の中に潜む災渦もまた、言葉を失っていた。

 同時刻。ジョバンニとカムパネルラ。2人は標的であるグラフィティ・カズマが居るとされるビルから離れた別のビルの3階の一室で、計画の最終確認を進めていた。

「現場に向かうのは僕だね。路地のラクガキモンスターに対処しながら、ビルに突撃。で、ジョバンニは……」
「俺はここからライフルでお前を援護する。ビルまでのルートが確保出来たら、俺もそっちに合流。2人で標的を仕留める」
「うんうん……よし、まあ今回もどうにかなりそうだね! 本当に危険なら逃げちゃっていいからね!!」
「……そうだな。だが、必ず成功させよう」
「……うん!!」

 カムパネルラがニコッと笑みを浮かべると、ナイフを手にそのまま外へ飛び出した。その様子を確認すると、ジョバンニはライフルを構え、標的が居るビルとその周辺をくまなく警戒する。
 が、その時。おかしな事が起こった。視界に、意味不明なものが映り込んだのだ。

「……はぁ?」

 さすがのジョバンニも、この時だけはマヌケな声が口から漏れてしまっていた。

 更に同時刻。黒埼・茜。
 茜は車のCDプレイヤーで激しいロック調のゲームBGMを流しながら、殺すべき相手について思案していた。

「バケモノってのがどの程度の強さなのかで大分やり方は変わる……いや、そうでもないか? バケモノが標的の魔人能力によって動いている以上、標的を殺せばバケモノも止ま……断定は危険か」

 そういえば昔、人形に魂を宿す魔人を殺した事があったが、魔人を殺した後も人形は生きていた事を茜は思い出した。

「どう転ぶかは認識次第って奴か……面倒くさいねぇ」

 と、そうこうしている内に情報屋から得られたグラフィティ・カズマが居るらしいビル群に近づいてきた。
 どうにもこの辺りには活気がなく、いくつもの廃屋、廃ビルがあるように見える。

「この中のどれか、か。さて……ラクガキには注意しないとね」

 適当な所で車を止めた茜は周囲を軽く見渡すと、クルクルと杖を振るう。
 そして精神を集中させると、見、聞き、そして嗅いだ。
 すぐ近くに、1人の女が立っている。何やら空を見上げ、首を傾けたり軽くしゃがんでみたりしている。何らかの武器を所持しているようにも見えないが……。

「アイツも……タロットの所持者かい?」

 覚えのある胸のざわつきが茜を襲う。だがまだ観察は終わっていない。更に別方向、100メートル程先に、バイクにまたがった小娘がいた。ガラが悪そうだがタバコの臭いはしな……いやいや、いやいやいや。

「まさか……アレも? ハ、こいつは楽しくなりそ……ん?」

 それだけではない。更に近くのビルから1人の金髪の少年が姿を現し、軽快な動作でこちらに駆けてくるではないか。

「アイツは……」

 茜は少年の目を見た。少年もまた、茜の目を見た。

「「ヤバい」」

 思わず、茜と少年は同時に呟いていた。人殺し同士、いや、強者同士、何か通じる所があったのだろう。
 目の前の相手は、相当の力を持っている。そして同時に、それがタロットの所持者であると。それらを同時に理解していた。

「なんて状況だい全く……あ?」

 手に持つ杖に力を込めた、その時。茜の鼻は突如として現れたおかしな『匂い』を探知していた。
 それは、湿った土の匂い。木の、そして草の匂い。先ほどまではまったく感じなかった匂いだ。

 茜は振り返り、匂いの元を見た。少年もまた足を止め、空を見上げた。

 そこに。立ち並ぶビルの上空にあったのは、巨大な山だった。
 山。文字通りの山である。小学生がピクニックに行ったり、夏に行くとき海派と分かれるあの山である。
 そんな山が突如としてビルの上空に現れたかと思うと、いくつものビルを飲み込む様に、有象無象をまとめてペチャンコにしてしまった。

 そんな光景を、彼らは見ていた。

●それぞれの朝(グラフィティ・カズマ)
 俺様の名前はグラフィティ・カズマ!! 
 パンクでイケてる服に身を包み、イカした髪型でイカしたワイルドフェイスの持ち主であるこの俺様は、なんと今巷を騒がせているあのラクガキ殺人事件の犯人なんだ!!
 ビビったか? だが驚くにはまだ早いぜ……!!
 なんと俺様はあの『タロット』を持っている!! 全部集めるとどんな願いをも叶えられるっていうあのタロットだ!!
 このタロットを使い、俺は新世界を創造する!!
 誰もが俺の芸術作品を崇め称えられる様な、真実の世界を!!
 だがそのためにはまず他のタロットを持ってるアホを全員始末しなけりゃなんねぇ。だから俺は、罠を張った。
 そのために俺はまず自分の情報をあえて流した。
 そうすりゃ、俺がタロットの所持者だと気づいたアホがアホ面引っ提げてやってくる……!!
 この、俺のアートに塗れた路地裏になぁ!!
 一歩足を踏み入れたが最後、四方八方から俺様の芸術作品がアホを食い散らかす!!
 逃げようとしても無駄だぜ? なんせ俺にはとっておきの秘策がある。
 俺のアートがアホを探知した直後、俺はここら一帯のビルにあらかじめ仕掛けておいた爆弾を起動させる。
 するとどうなるか? アホが爆発に巻き込まれる? いやいやそんな単純な話じゃねぇ……。
 爆風によって、俺が仕込んでおいた紙束――当然俺様の芸術作品が描かれた紙が、ここら一面に降り注ぐって寸法よぉ!! アーティスティック百鬼夜行って奴だなぁ!!
 何人来ようが関係ねぇ! 俺は寝ながら敵を待ち、爆弾を起動する。唯それだけで、タロット持ちをぶっ殺せるって寸法よぉ!!
 ま、この動画が投稿されてる頃には、街に溢れかえった怪物で世間の注目を浴びてる頃だろうが――。

 そんな動画を撮影していたグラフィティ・カズマだったが、ビルの上空に突如として現れた山にビルごと潰され、その輝かしい生涯に幕を落とす事となったのである。

●願いを刈り取る者
 凄まじい衝撃、そして巻き起こる凄まじい暴風。土と埃に塗れたそれが辺り一面に撒き散らされ、彼らを襲った。

「ケホ、ケホ……上手くいった、けど……これじゃあ服が汚れちゃうじゃない」

 マリは心底面倒くさそうにため息を吐いた。服についた泥は落とすのが大変なのだ。
 だが、作戦がうまくいったのは事実。『メルカリ』の商品情報によってカズマの現在位置を把握したマリは、とある出品者から山を購入した。実に良い買い物だった。
 あまりの巨大さ故に、配置場所には随分四苦八苦した。配置場所はマリの周囲とはいえ、何かに重ねる様に配置する事が出来ない。
 それが出来るなら、何でもかんでも相手の心臓や脳の中にでも配置すれば良い話だったのだが。
 とにかくマリは試行錯誤の末、カズマが張った罠に足を踏み入れる事なく、かつ自分が山に巻き込まれる事なく、カズマを圧殺する事が出来たのである。

「チッ――!!」

 山が落とされた直後、茜は五感を駆使し、周囲の状況把握に努めた。100メートル先のガラの悪い女、近くにいた女、そして金髪の少年。いずれも突風を受け止めるのに精いっぱいで、動いていない――!!

「シッ――!!」

 ならばこれは好機だ。杖を剣に変えた茜は、一番近くにおり、なおかつこの中で最も脅威になりそうな金髪の少年――カムパネルラに襲い掛かった。

「まずは1人」
「なッ――」

 視界も聴覚もまともに効かない状況で、カムパネルラは反応する事すら出来なかった。横薙ぎに振るわれた茜の斬撃が、カムパネルラの首を小気味よく斬り飛ばす。

「……?」

 だが、次の瞬間。首と胴体を切り離した筈の少年の姿が、掻き消えていた。確かな手応えはあった筈なのに。

「ガ……ゲホッ!! ガホッ!! ウ、グ、ハァ、ハァ……」

 潰されてない方のビルの一室に潜んでいたジョバンニは、突如として首元に走った激痛に、激しく咳き込みながら苦悶の声を上げる。
 カムパネルラとジョバンニは感覚を共有している。カムパネルラの首が斬り落とされたのであれば、それ相応の痛みがジョバンニを襲うのである。

「ジョバンニ!! ジョバンニ!! しっかりして!!」

 一方のカムパネルラは、そんなジョバンニの側に寄り添い必死に声をかける。
 茜に首を斬り落とされたカムパネルラは、その直後ジョバンニによってその実体化を解かれ、再度ジョバンニのすぐ側に元の姿で実体化したのである。

「逃げよう、ジョバンニ! なにがなんだか分からないけど、標的はもう死んだ。ここはあまりにも危険だよ!!」
「ダメ、だ……これは、タロットを一気に獲得するまたとない、ゲホ、チャンスだ……俺は絶対に、願いを叶えなくちゃならないんだ……!!」
「でも、ジョバンニにも分かったでしょ!? 一瞬だったけどあのおばあさん、意味分かんない位強い……僕じゃあ、あの人には……」
「さっきのは不意を突かれただけだ……俺とお前。2人ならやれる。絶対に」
「でも……!!」
「やるんだ!! 得物を構えろ、カムパネルラ!!」
「ッ……!!」

 ジョバンニの気迫に気圧された様に、カムパネルラは数歩後ずさる。しかしその手に持ったナイフをしっかりと握りしめると、確かな決意と共に呟いた。

「……分かった。きみは、僕が守りきってみせる」

 それこそが、今ここ居る『カムパネルラ』の唯一の願いであった。

「ここに居たかい。いきなりお暇するなんて、ちょっとマナーがなってないんじゃないかい?」

 不意に部屋の外からそんな声が聞こえ、カムパネルラとジョバンニは扉に目を向ける。ナイフと銃、それぞれの得物を構えて。
 直後、扉が勢いよく蹴り破られ、黒いスーツを身にまとった老婆、黒埼・茜が姿を表した。

「ああ、そうかしこまるんじゃないよ。ウェルカムドリンクは結構……」

 おどけた口調で茜がそう言うと、ジョバンニはギターケースから取り出していた二丁拳銃を茜に向けて次々と弾丸を打ち込む。

「こいつは結構なウェルカム……ああ、弾丸って英語で何だっけ。そう! 結構なおてまえウェルカムバレットだね」

 だが茜は涼しい顔で、当たり前の様にそれらの弾丸を杖で弾き返す。いくつもの弾丸が部屋中を跳ね回り、その一発がジョバンニの頬を掠めた。  

「ところで、話は大体聞かせて貰ったよ。ジョバンニと、カムパネルラ。悪いね。アタシは耳が良いんだ。あと性格も」

 クルクルと杖を弄びながら、茜は投げかける。だがこうして言葉を紡いでいる最中も、目の前の2人の観察は怠らない。
 黒髪の女は銃の腕は確かだ。警戒を怠ればドタマをぶち抜かれる。金髪の小僧は……一体なんだ? 確かにさっき首を斬った筈だが、生きている。魔人能力か? 不死身を殺すのは中々骨が折れるからそうでなければいいんだが……何か違和感がある。何だ?

「盗み聞きとは趣味が悪いな、バァさん」
「まぁそう言うんじゃないよ……それよりアンタ達、同業者だろ? それも中々の腕、絵に書いた様な優秀株みたいだが……力量って奴にも色々と種類があってねぇ」

 軽い口調で言葉を交わす茜とジョバンニ。だがお互い、相手の一挙一動をも見逃すことの無い様に神経を研ぎ澄ましていた。

「相手の力量を推し測るのも実力の内……なぁアンタら、本気でアタシを殺すつもりかい? お互い無駄な時間を使うのはやめにしようじゃないか。だから大人しく、武器を捨ててくれないかい? そうすりゃアタシの仕事も楽になる」
「それを聞いて大人しく俺たちが降伏するとでも? どうやらバァさんになっても夢見がちな女ってのは居るらしい」
「あぁ、よく分かってるじゃないか。アタシは愛と夢と希望の為に生きてるのさ……ま、とにかく大人しく殺される気がないってんなら、まあ、無理やり派手な死体に変えてやるしかなさそうだ」

 茜から発せられる空気が変わった。カムパネルラとジョバンニは、なぜだかジワリと嫌な汗が肌を伝うのを感じた。

「願い……タロットを集めている以上、きっとアンタ達には願いがあるんだろう。ああ、言いたくないんだったら言う必要は無いよ。そんなに興味は無いし、何よりも……」

 茜はニッと獰猛な笑みを浮かべ、言い放った。

「アンタらの願いは、決して叶わない」

●主婦とライダー。鉄骨と拳骨。
「……これはどうしたものかしら」

 断捨離のマリは、1人佇んでいた。
 山を使ってグラフィティ・カズマを撃破。彼の所持していたタロットを入手するまでは良かったが、どうやらこの場には他にもタロットの所持者がいるらしい。
 それは完全に計算外だ。けれど、みすみす逃す手もない。
 だがどうやって対処をすれば、と思考を巡らせている暇も無く、黒いスーツを着た老婆は近くのビルへ駆け出し、金髪の少年はいつの間にか消えてしまっていた。 
 自分がタロットを所持している事を誰も気が付かなかったのだろうか。いや、そんな筈は無いか。ならば単純に、殺す相手として優先度が低かったという事だろう。これは決して悪い事ではない。

「また山が買えればいいんだけど……流石にそう都合よくいかないわね」

 円滑な転売を行う為のマリのコネクションはとても広いが、流石にいますぐ同じ様な手は使えない。
 もしできれば、もう一度ビルごとペチャンコに出来たのだが。

「私もこのビルに踏み込むべきかしら……どうせ殺し合ってるならわざわざ私が無駄に体力と時間を浪費する意味はないわね」

 ならば、『メルカリ』に目を光らせつつ一旦待機か。マリがそんな事を考えていると、どこからか高らかなエンジン音が聞こえてきた。
 音の方に目を向けると、そこには超爆速でこちらに突っ込んでくる一台のバイクが。

「おい! あのオバサンもタロット持ってるんだよな!?」
「いちいち私に聞くな。見れば分かるだろ」
「よし……悪いがここで死んでくれぇええええ!!」

 バイクにまたがり、全速力でマリ目掛け突進する殺人。その勢いにマリは微かに驚く。だがその感情は、不要なのですぐに断ち切った。

「(本気で当てに来られたら私じゃ避けきれない……だったら)」

 マリは全力で集中しながら、脳内の『メルカリ』の画面を手際よくスクロールしていく。
 バイクの動きがまるでスローモーションの様に見え、そして、マリは見つけた。

「これね」

 マリはとある物品を購入すると、直ちに再配置する。

「くたばれぇぇぇええええ……え?」

 バイクをかっ飛ばす殺人。あとほんの少しで激突と言ったタイミングに、突如として眼前に真っ白な車が出現した。それは茜が所持する車だった。
 茜にとって車は、単なる移動手段に過ぎない。もちろん今の車が気に入ってはいるが、絶対に手放したくないという程ではない。いくらでも代わりは用意できる。
 で、あるならば。大金を積めば買えないことも無いのである。

「アガッ!!」

 当然その状況で避けられる筈も無く。殺人のバイクは全速力で茜の車と衝突すると、その身体が勢いよく投げ出される。
 空中で何回転かしたかと思うと、殺人の身体は背中から勢いよく地面に叩きつけられた。あまりの衝撃に、息が出来ない。

「……」

 その間もマリは冷静に取引を勧めていた。壊れた自転車に、錆びた包丁。大量のビール瓶に、廃油缶。
 手当たり次第に危険そうな品々を脳内の取引先リストから購入すると、殺人の頭上に配置する。

「クッ、この、次から次へと鬱陶しい!!」

 ゴロゴロと地面を転がりながらそれらを紙一重の所で回避していく殺人。が、程なくして茜とジョバンニ達が殺り合っているビルの壁に激突してしまう。

「これ以上は無駄よ」
「あ」

 丁度空を見上げる体勢だった殺人は、自らの顔面めがけ落下してくる大きな鉄骨をハッキリと目視した。
 回避は不可能。ならば手段は1つ。殺人は渾身の力を込めて拳を振るった――!!
 バキィッ!! と、とてつもなく嫌な音がした。

「い! あぁあああいってええええええええええええ!!!」

 再びぶっ壊れた殺人の拳。だがその死にもの狂いの一撃により、どうにか鉄骨の軌道を逸らす事に成功していた。
 あまりの痛みに全身の血液が沸騰している様な錯覚を覚える。視界は広がり、なんだかチカチカしてきた。

「誰だか知らねーがもう許さねーぞオバサン……!! こいつを喰らいなァッ!!」
「……なんなの?」

 そして発動する『T・B』。出来れば他の連中も巻き込みたかったが、仕方ない。

「絶望の味を喰らいなァッ!!」

 殺人の周囲が、真っ白に染まる――。

●カムパネルラとジョバンニ
 弾丸を放つ。ナイフを振るう。蹴りを放つ。弾丸を放つ。
 弾丸を弾く。ナイフを弾く。蹴りをいなし、弾丸を弾く。
 廃ビルの一室で繰り広げられる2対1の攻防。カムパネルラとジョバンニは持ち前のコンビネーションを駆使し、止まることのない攻撃の応酬を放っていた。
 だが対する茜はそれらを涼しい顔で淡々と対処し、反撃を加える。
 茜は何度も何度もカムパネルラに手痛い一撃を喰らわせているのだが、しかし何故かすぐにその傷も回復し、瞬間移動してしまう。

「クソ、なんだコイツ!! 一発も銃弾が掠りもしない!!」
「愚痴りたいのはこっちも同じさ。いつになったら死ぬんだい、この小僧は」
「…………」

 ジョバンニは茜に銃口を向ける。ふと、茜はジョバンニが所持している銃に注目した。
 ジョバンニが現在使用している銃器は、よく見ればさして珍しくもない大量生産型の銃だ。
 それなら、弾の装填数も暗記している。弾が切れれば、新たな弾を装填するか、銃を持ち替える。どちらにせよ、隙が出来る。
 そこに思い至った茜は、淡々と銃撃と斬撃をやり過ごしながら、放たれた弾丸の数を数える。
 一発、二発、三発……………………今だ。

「今度こそくたばりな」

 茜は杖を振るい、鞭に変形させると、チョコマカと動き回るカムパネルラの首を絡め取る。

「ウグッ……!!」
「子供は帰る時間だよ。アンタは凄まじい身体能力とセンスを持ってる。けど、圧倒的に技術不足だ。仕事に出るのは10年早かったね」

 そのまま勢いよく杖を振るうと、カムパネルラの身体は引き摺られたまま、窓から外へと勢いよく放り出された。
 そしてそのまま、茜はジョバンニの懐まで接近する。柄を刃へと変じた杖を構え、大きく踏み込んだ。

「まさか2人揃って不死身って事はないだろう? あんまり手間ぁかけさせるんじゃないよ」
「…………!!」

 間に合わない。ジョバンニが己の死を覚悟した、次の瞬間。

「ア、ガ、グゥ……!!」

 無意識に、ジョバンニは自らの目の前にカンパネルラを再び実体化させていた。
 図らずも相棒を、盾として使ってしまった。

「カ、カムパネルラ……」
「良いんだよ、ジョバンニ……これが、正しい能力の使いみちだ……」

 だがそのお陰で、茜の刃はカムパネルラの身体に止められ、ジョバンニに届く事は無かった。
 それでも、その痛みはジョバンニにも伝わる。熱くて、苦しい。

「……ハ、そういう事かい。ようやく分かったよ、違和感の正体に」

 カムパネルラの身体から刃を引き抜き、茜は数歩後ずさる。すると再び消滅、実体化を経たカムパネルラが、茜の眼前に立ちはだかった。

「人形使いか。どうりで何度殺しても死なないわけだ。本体はアンタの方だね」
「人形、だと……?」

 茜の言葉を聞き、ジョバンニの心中にザワザワと赤黒い感情が満ち満ちていく。

「ああ、そうさ。どうにもおかしいと思ってたが、ようやく分かった。この金髪の坊主は生きちゃいない。心臓の鼓動も聞こえなけりゃ、僅かな呼吸もしていない。これはアンタが生み出した産物。そうだろ?」
「…………」

 ジョバンニは再び銃口を茜に向ける。 

「こいつは、生きてる……!!」
「ん?」
「魂があるんだ……!! 『こいつ』は、あの時俺が出会った『あいつ』じゃないかもしれない……だけどずっと、俺を支えてくれた相棒なんだ……!!」
「だったらなんでアンタはこんな事をしてる。大切な者が居るのなら、紙切れ一枚に振り回されるこんな茶番に参加するべきじゃあなかった。だからアンタは、アタシに殺されるんだ」
「俺は……俺は……!!」

 ジョバンニの銃を持つ手が震える。

 俺はあやまちを正したかったんだ。あの日のあやまちを。
『あいつ』……あの日出会ったカムパネルラは、死んでしまった。俺のせいで。俺が巻き込んだからだ。
 生きる世界が違うあいつを、此方の世界に引き込んでしまった。
 あの日、無邪気な笑顔で手を差し伸べてくれたアイツの手を、俺は掴んでしまったから。出会ってしまったから。友達になってしまったから。
 俺たちは出会うべきじゃなかったんだ。

 ――だからさあ、それって僕に……いや、『あの子』に失礼だって何度言えば分かるの?
 君、今すごく酷い事言ってるよ? 分かってる? 友達の思いを踏みにじってるんだよ?

 ああ、そうだな……そうかもしれないな……。

「生憎アタシは神父じゃない。懺悔ならあの世でするんだね」
「……ッ!」

 身体が、動かない。己の内から溢れ出す後悔と悲しみの感情、そして杖を振り上げた目の前の老婆から発せられる殺気に、身体が一瞬フリーズする。
 死ぬ。

「アァアアアアアアアアアアッ!!」

 だがその時、獣のような雄叫びが聞こえた。 誰の? カムパネルラの雄叫びだった。
 カムパネルラはこれまで見たことの無いような素早さで茜とジョバンニの間に割り込むと、ナイフを振るう。

「ジョバンニは、殺させない……!!」
「チッ……!! 闘いの中で成長すんのは漫画の世界だけにしてほしいね全く……アンタらは死ぬんだ!! 今日、ここで!! アタシの手で!!」

 刃と刃がぶつかり合う。カムパネルラはこれまでで最も苛烈な斬撃を放ち、その勢いの凄まじさに茜は内心舌打ちする。
 更に身体の硬直が解けたジョバンニも銃で援護し、更に状況は悪化する。

「(これは大分メンドクサイ……こりゃあまた、アタシの中の5本の指に入るつよい奴リストを更新すべきか……ま、それはそれとして)」

 茜はカムパネルラとジョバンニの動きを観察し、そして方針を定めた。

「骨を断たせて首を断つか」

 そう呟くと茜は斬撃の最中、ふっと身体の力を抜いた。

「なに……?」

 その動きは、カムパネルラからしても奇妙だった。だがその時には既に、カムパネルラはナイフを振るってしまっていた。渾身の力を込めた一撃だ。
 ナイフは、一瞬無防備になった茜の左腕を切り落とす。超硬度の肉体を誇る茜の左腕を、だ。そしてクルクルと宙を舞う左腕。そしてその断面からは、おびただしい勢いで血が吹き出した。
 ナイフを振り切ったせいでその動きに隙が出来たカムパネルラ。茜は残った右腕でその首を掴み上げると、壁目掛け思い切り投げ飛ばす。

「この……ッ!!」

 だが、再び実体化すればまだ間に合う。ジョバンニがカムパネルラの実体を一瞬消去した、その瞬間。

「終わりだ」

 茜は血が吹き出す左腕の断面をジョバンニに向けると、大量の血がジョバンニの顔に降りかかる。見開いていたジョバンニの目が、血によって塞がれる。

「ハ……ッ!!」

 しくじった。そうジョバンニが確信した時には、既にジョバンニの両腕は茜の手によって斬り落とされていた。

「一応聞いとくが、何か言い残す事は?」
「……ごめん、『カムパネルラ』」

 茜は刃を振るう。ジョバンニの首が斬り飛ばされ、床を転がった。
 そしてその肉体からタロットが現れる。大量の出血に意識が朦朧とする中、茜はそのタロットを手に掴む。 
 すると斬り落とされた左腕が一瞬にして復元する。奇妙な感覚だった。

「さて。残りを殺すか」

 茜はクルリと振り返ると、ビルの窓から勢いよく外へ飛び出した。

●断捨離のマリ
 絶望。それは自分にとって必要な感情か? 否、不要だ。だから断つ、捨てる、離す。
 脳裏に様々な映像が、記憶が、浮かんでは消える。いつか経験したあの拷問の記憶。痛み。恐怖。悲しみ。怒り。そんな数々の強烈な感情も。
 それらも必要か? 否、不要だ。だから断つ、捨てる、離す。
 だけど捨てても捨てても、湧いて出てくる。まるで汚らしいウジみたいだ。
 こんなに苦しいんだから、きっと感情というものは有害だ。だから捨てる。手当たり次第に捨てる。捨てて捨てて捨てきれば、いつかはこの頭痛も止むだろう。
 捨てる。捨てる。捨てる。感情を捨てる。絶望を捨てる。絶望以外も捨てる。そう、そうだ……段々楽になってきた。
 自らから切り離す。感情を、理由を。喜びがあるのだから悲しみが生まれる。快楽があるから不快という概念が生まれる。幸福があるのだから不幸が生まれる。必要があるのだから不要が生まれる。ならばそれも捨てるべきか。
 本当に? だが、思考で制御するよりも早く、マリは捨てていた。なぜならマリは断捨離の達人だから。無意識下においても不要と判断したものはすぐに捨てる。即断は美徳だ。

 …………。
 …………。
 …………?

 そういえば私は、何の為に戦っていたのだろうか。記憶の引き出しを探る。
 だけど探っても探っても、出てこない。いや、厳密には出てくる。『家族の幸せ』の為だ。
 だが、何故だろう。何故『家族の幸せ』が必要なのだろう。必要? それはさっき不要と判断したものだ。
 思い出せない。きっと何処かに捨てたのだろう。捨てたのならば、きっとそんなものは最初から必要なかったのだ。

 …………。
 …………。
 …………?

 そういえば私、何の為に生きてたんだっけ?

●鬼姫殺人
「ウグッ!! オエ……!! 気持ち悪ッ!! ゼエ……ゼエ……!! も、もう動かねぇか……?」

 殺人は地面に這いつくばりながら、激しい頭痛と吐き気と胸糞の悪さに耐えていた。その視界には呆然と立ち尽くすマリが居た。
 一見すれば殺人がマリの手によってボコボコにでもされた様に見えるだろうが、違う。直接戦闘では分が悪いと判断した殺人は、『T・B』を連続で、3度使用していた。それは能力の使用者に多大な負担をかけていたのだ。
 そしてマリは既に戦う理由を、タロットを集める意味を無くしていた。

「…………不要」
「…………あ?」

 マリは呟いた。それは殺人にかけられた言葉では無かった。その呟きをキッカケに、マリの身体はその指先から徐々に光の粒子へと変換され、そしてあっと言う間に霧散していった。
 そして地面に一枚のタロットが落ちる。殺人はどうにか芋虫の様に這って進み、それを手に取る。
 するとさっきまでの苦しみが嘘の様に消え去った。

「ン完全復活って奴だ!! 一時はどうなるかと思ったぜ……」
「全くだ。何度私が変わろうかと思ったか」
「は、余計なお世話だよ!!」

 殺人は災渦とそんなやり取りを交わし、さっきまで銃声が喧しかったビルの方を振り返る。 
 と、その時。1人の老婆が窓から華麗に飛び出してきた。クルクルと伸身を翻しながら、スタイリッシュに地面に着地する。

「おや、1人かい。もう1人はアンタが仕留めたのか。お手柄だね、小娘。褒めて遣わすよ」
「そっちこそな、バァさん。戦ってる途中に寿命が来なくて良かったな」
「いやいや、そんな事にはならないさ……ババァは偉くて強いんだ。覚えときな」
「…………」

沈黙が流れる。

「……なあ、折角だから聞かせとくれよ。アンタの願いは?」
「ハン、ナンパかぁ? 俺に興味があるってのかよ、バァさん」
「いや、実際の所そうでもないんだが……」

 茜はフェドーラ房に手を添えながら、言った。

「なにかしらアンタの事を聞いとかないと、殺した相手の事でも忘れちまう気がしてさ。それってなんだか失礼だってこの間気づいてね。紅い髪のチンチクリンがキッカケなんだが……」
「俺を殺せるって確信してんのかよ」
「あぁ。だけど、アンタもそれは同じだろう? アンタは、アタシに、殺されると、確信している。違うかい?」

 違わなかった。この短いやり取りの中で、殺人は目の前の相手がとんでもないバケモノなのだと確信していた。嫌な汗が流れ、全身が小刻みに震えている。
 理屈では無い。分かったのだ。どこからどう殴りかかっても、その殴った腕が粉々に切り刻まれる――どこからどう蹴りを放っても、その足がミンチにされる――そんな、具体的なビジョンが伴った確信を以て。
 だけど。それでも。殺人は負ける訳にはいかない。絶対に。
 殺人の脳裏に、大切なあの娘の顔が浮かんだ。

「聞かせなよ。アンタの願いは?」
「俺は、鬼姫災渦を倒して――いや、違うか」

 確かに、俺は鬼姫災渦を倒したい。ボコボコのケチョンケチョンにしてやりたい。
 だけど、それが一番だろうか。本当の意味で命の危機に瀕している今なら、分かる。自分が今、何を求めているのか。

「俺は唯、キィと……あの娘と一緒に生きていたい」

 憎悪だとか使命だとか。自分の存在意義だとか。そんな俺を縛る鎖を全部投げ捨てて、唯生きていたい。
 でも、それはなんだか姉妹達を裏切る気がして。ずっと決める事が出来なかった。
 けど、こんなタロット騒ぎに巻き込まれてなけりゃ、一生気づかなかったのかも……。

「……馬鹿だな、俺」
「ああ、馬鹿の極みだね」
「本当にな」

 呟く殺人に、茜と災渦は事も無げに言い切った。

「それじゃあ、アンタを殺すよ」
「ざけんな……テメェは強い。メチャクチャに強いんだって俺にも分かるが……」

 殺人は目をカッと見開いた。

「それでも俺は、まだ死ねねぇんだッッ!!」

『T・B』が発動する。生きるための渇望を孕んだ、これまでで最も強烈な一撃。
 辺り一面が白く染まり、茜の脳裏に流れ込んでくる。
 凄惨な拷問の記憶。恐怖。苦しみ。悲しみ。痛み。絶望。絶望。絶望。
 その圧倒的な感情と記憶の波が茜の精神と脳を襲い、そして。

「懐かしいねぇ。そういやこんな事もあったっけか……」

 茜はちょっぴり頭が痛くなった。

「ク、クク……」

 殺人は思わず噴き出していた。狂ったからではない。本当に唯、純粋に、おかしかったからだ。
 こいつ、本当に人間か? いや、魔人か。
 だが、自らの必殺の一撃が効かなかったからといって、ただ無抵抗に殺されはしない。それはなんというか、ダサい。
 殺人はこの数日で何度もぶっ壊れた拳を振り上げ、茜に飛びかかる。

「一発くらい殴らせろやババァアアアアアアアアッ!!」
「いい気合だ」

 茜は迫り来る拳に思い切り頭突きを叩き込む。バキバキバキッと気持ちの良い音が辺りに響き渡り、殺人の拳から肩までの骨が砕け散った。

「オラボケェエエエエ!! まだこっちが残ってんぞコラァアアアア!!」

 だが殺人は止まる事無く、ぶっ壊れていない方の拳を振り上げた。

「シッ!!」

 茜は振り上げた殺人の腕を掴み上げるとその身体を地面に引き倒し、掴み上げた腕を思い切り引き千切った。

「ウオァアアアアアアアア!!」
「ッ!!」

 それでも殺人は止まらなかった。仰向けの状態から思い切り身体を捻ると、茜の脚に思い切り噛み付いた。
 茜は久しぶりに、本当の意味で不意を食らった。
 だが茜はすぐさま自らの脚に喰い付く殺人の腹を蹴り、引き剥がす。そのまま茜は杖の柄を刃へと変ずる。

「良い根性だ!! アンタの事は忘れないよ、小娘!!」
「俺の名前は鬼姫殺人だ! 二度と小娘っていうんじゃねぇぞクソババァアアアアア!!」

 ザクリ、と。茜の杖が殺人の心臓に突き立てられた。
 殺人の視界が赤く染まる。なんだか気分は少し清々しかったが、それでも後悔は残っている。

「……キィ……」

 殺人は最期にそう呟くと、二度と動く事は無かった。

「…………」

 茜は杖を引き抜くと軽く振るい、血を払う。
 ふわりと殺人の身体から二枚のタロットが浮かび上がったので、茜はそれをグシャグシャに丸めて自分の中に入れた。

「なんというか、今日の教訓は、アレだね……」

 茜はトントン、と杖で地面を小突く。そして事切れた殺人の顔を見下ろした。

「大切な奴がいるなら、闘いなんて馬鹿がする様な事に手を出すなって事だね」

 そして茜は振り返る。何故か側面が派手に潰れた自らの愛車に乗り込むと、その場を走り去っていく。

「全くタロットって奴は……どこまでいっても悪趣味だ」

 茜はそう吐き捨てる。だがいくら胸糞悪くとも、止まるわけにはいかない。
 私は全ての願いを、希望を刈り取らなくてはならないのだ。
最終更新:2020年10月18日 22:09