夜。首都高。

 ハイウェイを赤いオープンカーが駆け抜ける。

 パンツスーツ姿の女性――我道蘭はスカイツリーを見据えて口元を歪めた。

「ハッ、いいねいいね。闘争の匂いがするよ」

 この戦いの参加者は他の参加者をなんとなく感じ取れる。だが、我道がスカイツリーを戦場と確信しているのは果たしてカードの影響か、それとも彼女自身の勘か。

 静かな興奮を内に秘め、我道は首都高を疎らに走る一般車両を追い越して行く。

「楽しみだねぇ……泡盛は良い闘争相手だった。また楽しい勝負が待っているかな――なぁ、あんたもそう思うだろ!」

 叫び。

 我道は、一般車両に紛れて接近しようとしていた一台にバイクに幅寄せした。

「!」

 バイクを操縦していた青年は構えたサブマシンガンを連射した。
 走りながら放たれたそれは狙いも定まらず、それでも数発はオープンカーの車体や窓へと命中する。しかし多少痕が残ったくらいで、窓ガラスすら割れていない。

「当たり前に防弾仕様か!」

 悪態を吐きながら、青年はアクセルを踏み込む。
 オープンカーと道路の壁面に挟まれる寸前に、バイクは前方へと抜け出した。

(分かるぜ、お前もカード持ちだろ。装備はさっきのと狙撃銃か?)

 青年の腰と背中にそれぞれ装備された銃器を見遣る。サブマシンガンが有効打にならないのは今示した通り。狙撃銃も使えないだろう。ならば。

「――そう来るよな!」

 吼え、我道はハンドルから離した右手首を文字通り回転させ、ピッチングマシンのように飛礫を飛ばす。それらは青年の手元から緩やかに放られた二発の手榴弾を弾き飛ばし、その軌道を逸らした。

 炸裂。

 爆風の間隙を潜り抜ける。流れ弾に巻き込まれた一般車両がクラッシュしたが、これもまた我道を傷付けるには至らなかった。

 そして、そんな我道の目に飛び込んで来たのは。

「おおっ?」

 前方を走っていたバイクが、後輪を持ち上げた体勢――ウィリー走行で自らの車へと迫って来る姿だった。

「――ッシャァ!」

 裂帛。青年は叫び、浮かせていた後輪をオープンカーのボンネットへと叩き付ける。その反動と後輪の回転により、ぐるり、とバイクは青年を乗せて空中を縦回転した。
 その芸術的なトリックに我道は思わず感心の息を漏らす。

「その綺麗な顔、削ぎ落してやる!」

 バイクは後輪を全力で回転させ、我道の顔面へと振り下ろされた。運転席の彼女は回避が間に合わず、左手を前に出し防御の構えを取る。

(素手で防げるかよ、もらった!)

 勝利を確信した青年は、後輪を我道の左手に叩き付ける。猛回転する車輪はその腕を皮も肉も骨すらも削り取る。

 そのはずだった。

 青年は見た。彼女の左手首が360度、タイヤと同じ速度で回転し、その勢いを完全に相殺したのを。

「はぁ!?」

 そのトンデモ技に思わず呆けた声を上げる。その間に我道は空いた右手を振りかぶっている。がら空きの車体に叩き付けられる右拳。バイクは道路へと放り出され叩き付けられた。
 間一髪、青年は打撃寸前にバイクから飛び降り、オープンカーの後部座席へと着地した。

「これで終わりじゃないなんて嬉しいね!」
「くっそぉ、ゴリラめ」

 もはや運転を放り、席に立ち嬉しそうに青年を迎え入れる我道。後部座席にしがみつきながら、銃を構え対峙する青年。

「喧嘩屋。我道蘭」
「……込清三千彦。ダチからはミッチって呼ばれてる」

 青年――込清は突然に名乗りにそう応えた。挨拶はちゃんと返すのがポリシーだ。

「ミッチか。いいぜ、さあ!」

 闘争しようぜ。

 そう続けようとした我道の言葉は。

「……あん?」
「歌……?」

 突然二人の脳裏に響いた、不可思議な歌に遮られた。



『スカイツリーを貸し切りなんて、俺達もエラくなったモンだな~』
『あまり騒ぐんじゃないヨ。ま、悪くないけどネ』
『おいUFOいるぞ、UFO!』
「みんなちゃんと見張りしてよー」

 スカイツリー、フロア350。
 その名の通り地上から350メートルの高さに位置する天望デッキは、本来の営業時間が終了した夜中に遊葉天虎によって“貸し切られて”いた。

 360度を見渡せる展望台には周囲を見張るようにテディベアが点々と配置されている。仲間の能力を一日に最大三つまで使えるという遊葉の能力によって彼らは自我を与えられ、さらにテディベア自体を改造し暗視スコープ等を付けることで疑似的に遊葉の“目”と化していた。

『狙撃手も居ないのに拠点防衛とはな』
「えー。師匠、今更反対するんですかぁ」
『別に。突撃脳のお前がこんなやり方を選ぶとは、少々意外だった』

 抱えたテディベアからの指摘に、遊葉は指を顎に当てて「んー」と考え。

「なんとなく。スカイツリーに居れば戦いになる気がしたんですよ」
『ふん。……遊葉、今はお前が頭だ。俺達はみんなそれに従うだけだ』
「へへ、ありがと師匠」
『遊葉ぁ! 聞こえてんのかよ!』

 ふと。南方を警戒していたはずのコングが大声を上げている。

「さっきから何騒いでるんです……んん?」

 呆れたように応えながら――遊葉は気付いた。

 脳裏に不可思議な歌が響いている。

『どうした遊葉』

 怪訝な様子のベアを見るに、どうやらこれは遊葉にしか聞こえていないらしい。口を開こうとして、その前にコングの必死な言葉が耳に飛び込んで来た。

『だからUFOだ! 見ろよ!』

 ――思わず窓の外を見遣る。首都高の上空に本当に謎の物体が飛行していた。

「なにあれ……師匠、敵かな」
『見るからに真っ当な物じゃなさそうだな』

 警戒を強めていると、ふと遊葉の懐の端末が着信を告げた。非通知。

「もしもし?」
『遊葉! よかった、繋がった』
「……あなた、誰だっけ」
『いやいや、入り口で見張ってる班ですよ。こっちとそっちで分担してたでしょう』

 言われて、そういえばそうだったと思い返す。

「あー、ごめんなさいです。それで急にどうしたの」
『敵襲です! 今エレベーターに乗ってそっちに行ってる奴がいる。こっちには気付かれなかったけど警戒してください!』

 その報告に視線をUFOから外し、フロアの南側エレベーターへと向ける。確かにそれは上昇の動きを見せていた。

「ありがと。こっちで迎え撃ちます」
『御武運を』

 電話を切り、得物を構える。

「敵襲だよ! 迎撃する!」

 遊葉の宣言に空気が緊張する。遊葉はエレベーターに意識を集中させ、中のターゲットに鉛弾を叩き込む準備をする。

 ――テディベアたちは飽くまでも見張りしかできない。戦闘となれば遊葉単独で対処しなければならない。

 やがてエレベーターがフロアに停止する。一拍、二拍。扉が開く。銃の引き金に指をかけ


 扉が開いた中は、無人だった。

「……えっ」

 手が止まり。

 窓ガラスの破砕音が鳴り響く。反射的に振り返り銃を構え――眼前に迫る凶手を間一髪で回避した。

「――!」

 本能的に体を動かしながら、眼前の男が展望デッキの外からガラスを突き破って飛び込んで来たと理解する。

(ここ地上350メートルのはずなんだけど!)

 拳、手刀、貫手。一撃にて致命に至らしめるそれらを首を振り、身を屈め、上半身を大きく逸らし三連続で回避。強引な回避を続けたことで遊葉の体勢は踏ん張りが利かないほどに崩れ、その隙を見逃さず男の手が少女の首へと迫る。

 絞めるどころか圧し折る勢い。しかし男の手が触れる直前に、パパン、と炸裂音が二回。
 それは少女が両手に持っていた二丁拳銃が同方向・同タイミングで二連射、都合四発の銃弾が放たれた銃声。

 反作用。遊葉の体は独楽のようにくるりと反転し凶手の手をすり抜ける。

 それだけではない。

「がっ!?」

 苦悶は男の口より漏れた。遊葉の銃より放たれた弾丸は柱に命中し、それらは扇状に跳弾。その内の一発が男の脇腹を叩いた。

「――もらいましたよ、お兄さん!」

 発砲。男の頭部目掛けて二発の銃弾が放たれる。それらは男の額に命中し血を流させた。

 それだけだった。

「……うそん」

 呆然は少女の口より漏れた。この男は向かい来る銃弾を回避するのではなくむしろ自ら額を合わせていた。

(このお兄さん、銃弾を“額で受け流した”!)

 流石に遊葉も面を喰らう。

「お兄さん、何者ですか?」

 仕切り直すように距離を取りながら問う遊葉に、男は静かに答えた。

「九頭龍次郎。最強を戴きに来た」



 フロア450。そこは一般利用者に解放されているエリアの中で最も高所であり、天望回廊と呼ばれている。

 一般利用者はおろかスタッフすらいないこの時間、この場所は特異な気配に満ちていた。

『……』

 “それ”は夜闇に紛れるように。七番目の七不思議。その案内人とでも評すべき黒い影は――“彼女”は、そこに立っていた。

『……』

 奇妙な話ではあるが、純然たる物語に由来する“彼女”もまたこの戦いの参加者であった。
 彼女が手に取ったタロットカードは『塔』のアルカナ。全てを揃え『世界』へと至ったカードは願いを叶える力を持つ。そしてカードの一枚一枚にもそれ相応の力があった。
 概念存在たる七不思議にはその影響は大きく、彼女はスカイツリーと同調していた。端末とは天望回廊に佇んでいるが、同時にこのスカイツリー全体に遍在しているに等しい。

 この塔の中に自身を含めて五人のカード所持者が集っていることは分かっている。
 あるいはこの巨大な存在と一体化した彼女の気配に他の参加者も惹かれているのかもしれない。

 しかし七不思議は自ら手を下したりしない。彼女は戦わない。
 『七人目』はほかの六人がやってくるまでただ在るだけだ。

「こんばんわ。良い夜ですね」

 奇しくも、この天望回廊へと足を踏み入れた来訪者もまた黒い衣に身を包んでいた。
 黒衣の女性はこの場に満ちる異様な空気を感じながらも、まるでここが清涼なる空間であるかのように柔らかい笑みを浮かべる。

「さぁ、あなたの傷を教えてください」

 いつものように、薔薇館の主マリアライト・レオマは眼前に少女に微笑みかけた。



 ラナンは歌うことが好きだ。
 正確にはこの星に来て好きになった。

「―――」

 思いを込めて。熱意を込めて。スーパースターは一人歌う。
 ラナンの能力・スターライトは周囲に音楽を流す力だ。周囲――その定義は彼女自身の認識による。
 例えば彼女が望むのであればBGMをファンの心に直接届けることすら可能だ。とはいえその使い方を一種の“ずる”と考えているラナンは自らの実力のみでファンを魅了してきた。

 だが彼女は今その力を使っている。対象は「ラナンの周囲に存在するタロットカードの所有者の心」だ。この能力と彼女の歌声を組み合わせることにより、ソナーのようにタロットカードの存在を見つけ出していた。

「……スカイツリーに五人、首都高に二人か」

 独り言ちながらラナンは首都高を見下ろす。――見下ろす。そう、彼女は今首都高の上空に居た。
 中空に浮かぶ卵型の飛行物体。ヘリコプターの操縦席周りだけを切り取ればこのような形になるだろうか。それがプロペラやジェットも無く空を飛んでいる。まさしく未確認飛行物体。
 それは地球侵略のためにやってきた異星人たるラナンが個人で運用する飛行ユニット。アイドルを始めて久しく起動していなかったそれを、この戦いのために持ち出した。
 飛行ユニットは前面ガラス張りの様相で、その中にいくつかのモニターに様々なデータが現れていた。操縦席に座るラナンにモニターによって拡大された首都高が映し出される。

 それは、オープンカーとバイクで激しいチェイスを行っていた我道と込清の姿であった。

「悪いね。もしかしたらあなた達も私のファンだったのかも……ううん、例えそうじゃなかったとしても」

 これはエゴだ。世界を守るという大義名分のために殺し合いを許容するという矛盾。
 それでも、ラナンはこの星を好きになってしまったから。

「死んでくれ。――砲撃開始」



「「うわあああああ!」」

 夜の首都高に男女二人の叫び声が響く。そしてそれ以上に銃撃の轟音が響いた。

 幸いにも狙いは甘く、我道は慌ててオープンカーの運転に戻り全力で道路を駆け抜ける。込清は暴れ馬もかくやという荒技に必死に座席にしがみ付いた。

「落ちる! なんとかしてくれ!」
「知るか! お前敵だろ、落ちろ!」
「そうだけど! 落ちたらあのUFOに蜂の巣にされるんだよ!」
「チッ……泡盛を倒した時は光になってカードが出てきたが、ここでお前が撃たれて死んだらカードはあのUFOのモンになるのか」
「え、我道ってもう敵を倒したのか?」
「ああ、泡盛っていう根性のある男だった――」

 ズガガガ――とビームめいた弾丸が降り注ぐ。

 二人は短い悲鳴と共に会話を取り止めた。

「いきなり歌が聞こえたかと思ったら何だいあのUFO!」
「俺が知るかよ! プロペラも無いのに浮かんでるし、飛んで来るSF映画のビームガンみたいだ。魔人能力者っつーか、どうせあいつも参加者だろ!」

 半ば怒鳴り合いながら、我道は内心舌打ちをする。
 状況は悪い。このルートはビームの雨を防ぐ遮蔽物がしばらくなく、止まらずに走り続ける必要があるが、後ろからサブマシンガンで狙われれば抵抗の余地は少ない。

 今は荒い運転にしがみ付くのが精一杯のようだが、ほんの数秒体勢を立て直されれば致命的だ。

(イチかバチか。全速力から急ブレーキをかける)

 慣性によりシートベルトもしていない込清は前方へと投げ出されるはずだ。そこを。

(思い切り、轢き殺す!)

 決意と共にブレーキに足を伸ばそうとして、背後からこちらに迫る気配を感じた。

「ちィ!」

 右半身を振り返りながら、右の手刀を薙ぎ払う。込清の首へと右手は真っ直ぐ。

 直前に、止まった。

「お前……」

 手を止めた理由は一つ。込清が徒手の両手を挙げながら――つまり降参の構えで、真剣な表情で迫っていたから。

「休戦だ!」

 あと数センチで自らの首を刈り取っていたであろう凶手を意に介さず込清は訴えた。

「あのUFOをどうにかしなければ俺達はどうしようもない! 共闘してあれを墜とそう、我道!」
「……」

 一瞬、言葉に詰まって。

「ミッチ、あんた運転は?」
「できる」
「じゃあ、代わりな」

 返事を待たず、我道は運転席から立ち上がる。慌てて込清はそこに滑り込みハンドルを握る。

「ライフル、借りるよ」
「いいけど、撃ったことあるのか?」
「ハッ。私は基本素手だが、闘争ならなんでも大歓迎! 銃だって使うさ」

 我道は狙撃銃を手に天を睨む。狙うは空に浮かぶ飛行物体。スーパースターの駆る兵器。

「いいぜ、私達で星を落としてやろう」



 九頭龍にとって敗北とは縁遠い物だ。
 それが誇りでもあり恥でもある。敗北を知らぬ最強など無いと信じているから。

「だあありゃああああ!」

 二丁拳銃が唸り声を上げる。遊葉は跳弾すらも駆使して多角的な攻撃を仕掛けている。徒手では到底勝ち目のある戦いではない。

 本来ならば。

「――フッ!」

 踏み込む足を急停止させ、首を振り、再度踏み込む。そのアクションで膝・頭・腿への銃弾を回避。避け切れなかった一発を腹部に受ける。衝撃、だがそれだけだ。

(なるほど、確かに良い性能だ)

 九頭竜は防弾ベストを着ている。格闘において多少動きを阻害されるものの、拳銃ならかなりのダメージを軽減可能だ。
 対する遊葉もそれが分かっているからか致命傷となる頭部や動きを止めるために脚部を狙っている。が、それらは今のように対処されている。

「お兄さん良い動きですねぇ、バレエとか習ってました?」

 軽口を飛ばすものの、遊葉の表情に余裕はない。厄介なのは九頭竜の歩法だ。
 武術において足の運びが重要であることは言うまでもない。九頭竜はその細かい制動がずば抜けて巧いのだ。

 これは彼の能力――身体を強化する力・オールマイティに因るものだ。自らの肉体を思い描いた通りに動かすことができる力。格闘においてこれほど頼りになるものはない。

 再び距離を詰める九頭竜。遊葉は右手の銃を男の額に向け――一拍ずらし地面に向けて引き金を引いた。直接の頭狙いのから、床を撃って跳弾による頭狙い。

 止まらない。九頭竜は駆ける足をそのままに、頭を少しだけ上向きにずらす。下から掬い上げるように跳ねた銃弾は、額を擦るように掠るだけだ。

「シッ!」

 裂帛。遊葉の体を抉るように貫手を繰り出す。軽い手応え。――遊葉はジャケットを脱ぎ、九頭竜に投げ付けていた。貫手が服だけ貫通する。九頭竜の視界が一瞬だけ埋まる。
 九頭竜は貫手を起点に半身を反らし銃撃に備えた。が、予想に反して反撃は来ず、ジャケットを投げ捨てた頃には遊葉はバックステップで大きく距離を取っていた。

 再度、対峙する。

「今のを繰り返すつもりか。そろそろ残弾も心許ないだろう?」
「そのくらい分かってるよぉい! みんな、“ウォークライ”だ。行きますよ!」
『『『ぷみぷー!!』』』

 遊葉の叫びに応じるように、周囲のテディベア達が応援団のように少女の後ろに集まり何やら声を上げる。その反応に九頭竜が身構えると。

「せーのっ。遊葉ちゃんつよつよ!」『ぷーぷー!』「天虎ちゃんヤバヤバ!」『ぷっぷぷー!』「最強・最強・黒蟻最強!」『ぷー! ぷー!』

 突如始まる大合唱。思わず唖然としてしまう九頭竜を、今度は遊葉が勢いよく指差し。

「バーカバーカ!」『ぷー!』『ぷぷー!』「よわよわお兄さん!」『ぷみぷー!』『ぷっぷぷー!』「最弱! 負け犬! 敗北者!」『ぷっぷみー!』「くすくす……ざーこ」『ぷーぷ』

 と何やら子供のような罵詈雑言を繰り出して来た。先ほどからテディベアも意味不明な鳴き声を上げている。

(なんなんだ、一体……)

 一通り叫び終わったのか、満足したように遊葉は構え直し。

「よーっし。第二ラウンドですよザコザコお兄さん。もう付いて来れないねぇ!」

 先ほどの焼き直しのように。二丁拳銃が火を噴いた。
 確かに九頭竜は雑魚だ。とはいえそれを素直に受け入れるほど愚かではない。再びオールマイティを使用した歩法を駆使し接敵を図る。
 結局は同じことだ。いくら負け犬の九頭竜であっても、同じパターンを二度も――

(――待て。私は今何を考えた? 何故当然のように自分が雑魚であるという認識を受け入れた?)

 頬を弾丸が掠める。熱、痛み。回避し切れていない。動きが悪くなっている。

 ――遊葉は仲間の能力を一日に最大三つまで使える。テディベアに自我を与える能力『くまさんどこだ』に続いて、二つ目の能力を発動した。
 その名は『その気なんの気』。スカイツリー全体を対象として発動されたこの能力は『対象をその気にさせる』という力だ。
 最強と言われてついその気になってしまったり――最弱と言われてついその気になってしまったり。

「……それがどうした!」

 だがしかし。遊葉が扱えるのは飽くまでも弱能力である。その気にさせるだけで所詮は気分に多少影響を及ぼす程度でしかない。
 九頭竜は地下闘技場において動揺の無い安定したスタイルで連戦連勝を重ねている。
 彼の動きが悪くなったのは数秒だけだった。

(迷うことなどない。タネが分かればつまらぬ精神攻撃。自らを信じろ!)

 『その気なんの気』はその気にさせる能力である。例え最弱と言われ気分が落ち込んでも、すぐに自分を鼓舞できるのであれば、その効果はすぐに反転する。

「げげっ、ノリノリじゃないですか!」
「私は負けない!」

 九頭竜の気合に逆に遊葉が動揺を見せた。その一瞬を見逃さず渾身の一歩で距離を詰める。

 詰めようとした。

 九頭竜の足が何かを蹴飛ばした。テディベアだった。

「――え」

 彼は気付いていなかった。
 テディベア達が大合唱で大騒ぎをしている最中、物言わぬ個体が背後から迫っていたことに。

 『その気なんの気』はその気にさせる能力。自分を信じると強く思えば真っ直ぐに前だけを見れるようになる。――自分の足元が疎かになるくらいに。

 蹴飛ばした一歩。たったの一歩は彼の精密な歩法を乱すには充分過ぎて。

「その脳天、もらいましたよお兄さん」

 咄嗟に急所である頭部を守った九頭竜を嘲笑うかのように、遊葉が頭部狙いのフェイントから放った銃弾は彼の足を鋭く穿った。

 ダウン。そして見上げた視線は少女と目が合った。少女の右手の銃口とも合った。

「……見事だ」

 武人を志した者として、せめて最期はそう伝えたくて。

「ありがとうございまス」

 遊葉は銃の引き金を引


 九頭竜の体が爆発した。



 濛々と立ち上る煙の中、爆発に吹き飛ばされた遊葉は痛々しい姿で床に転がっていた。

(何が……起こって)

 思い返す。遊葉の銃弾が九頭竜の足を撃ち抜き、動けなくなったところでトドメを刺そうとした。
 しかし直前で九頭竜の体が――正確には、彼が装備していた防弾ベストが爆発したのだ。

(あの男の能力? いや、それはおかしい)

 トドメを刺す瞬間、彼は敗北を認めていた。負けるくらいならと自爆をするような男には見えなかった。
 そもそもこの戦いにおいて自爆は意味がない。敗北者が持っていたカードは倒した相手か近くにいる別の参加者に譲渡され、その力でダメージを全て回復させる。遊葉のように自爆を喰らってなお生存していた場合、いくら重症でもすぐに回復するため無意味だ。

「……そうだ、カード」

 倒れたまま顔を九頭竜の方へ向ける。その遺体は爆散しており肉片が散らばっているが、それらが光となって消えつつあった。やがてその中から『運命』のアルカナのカードが現れ――あらぬ方向へ飛んで行った。慌てて視線で追いかける。

「なるほど、こんな風になるのか。倒したという判定がちゃんと僕の方に来て安心した。そこだけが心配だったからね」

 スタッフ用の通用口から現れた一人の男が九頭竜のカードを手に取った。遊葉には彼から覇気の感じられないくたびれた雰囲気を覚えた。見知らぬ男――いや。

「待って……あなたの、その声聞き覚えが」


『いやいや、入り口で見張ってる班ですよ。こっちとそっちで分担してたでしょう』
『敵襲です! 今エレベーターに乗ってそっちに行ってる奴がいる。こっちには気付かれなかったけど警戒してください!』

 外からの強襲を内からの侵入と誤情報を流すこと。

『僕は見ての通り貧弱で、あなたは格下なんてどうでもいいでしょう?』
『この上にはずっと強い相手がいます。最強を目指しているのならそちらの方が良いですよ』

 ターゲットを自分から他の相手に逸らすこと。

『この防弾ベストですか? 拳銃くらいなら余裕で防げますけど、取られたら困るなぁ』

 爆薬入りのベストを不審を感じさせずに渡すこと。


 戸村純和には、それができた。


「初対面ですよ、勘違いじゃないですか」

 そう言いながら、戸村は懐から拳銃を取り出し銃口を遊葉の頭部へと向けた。

 遊葉のコンディションは最悪。ダメージは重くまともに動くことも厳しい。

 それでも。

 彼女の能力・黒蟻の軍勢は一日に最大三つの能力を発動させることができる。現時点で二つまで使用済みだが最後の一つを使えばこの状況を逆転させることも――。

「君の能力はもう使用済みでしょう?」

 ――そうだった。もう黒蟻の軍勢は使い切っていた。

「あはは、お見通しか。でも」

 言いながら、さりげなく拳銃を手に取る。ずっと使ってきた愛用の武器だ。抜き撃ちならばまだ勝負が――。

「弾切れの銃で勝負するつもりですか?」

 ――そうだった。もう二丁拳銃は残弾が無いんだった。

 そういうことに、させられた。
 戸村の能力・疑わしきは罰せよ。それは真に相手を『その気にさせる』能力である。

 ……これは遊葉も戸村自身すらも気付いていなかったことであるが。遊葉がスカイツリー全体に発動させた『その気なんの気』の効力は戸村にすら及んでいた。
 即ち、『自分は帆村紗六に勝てる』のだと――その気にさせてしまっていた。自らの手で引き金を引くことの躊躇を無くしてしまうほどに。

「――おおぉぉぉぉぉぉ!」

 能力を、得物を封じられ。
 せめて最後の力を振り絞って放たれようとした少女の決死の特攻は。

 パァン。

「ぉ――」

 立ち上がることすらできずに阻まれ、頭部を穿たれた遊葉の体は光となって消滅した。

 運命、そして力。二枚のカードを手に入れた戸村は深く息を吐き。

「これが犯罪か。なんだ、大したことないな」



 首都高を爆走する赤のオープンカー。その後部に膝立ちの体勢で我道は狙撃銃を構えていた。
 スコープの先には空に浮かぶUFO。

「……」

 狙いは完璧。――撃った。

 外した。

「難しいなこれ」
「そりゃな!」

 運転席の込清から叱咤が飛ぶ。ポジションを交代してから狙撃が外れたのはこれで四発目になる。
 無論この中での狙撃が難しいということは彼にだって分かっている。できる限り射撃時には走行を安定させるように努めているが、それでも易々とは当たらないだろう。とはいえ。

「あんな鳴り物入りみたいな雰囲気でチェンジしておいて我道さぁ」
「しょうがねぇだろ、私だって長距離狙撃は初めてだ。おっと!」

 後部座席に向けて放たれたUFOのビームガンを回避する。UFOも反撃を恐れてか狙撃を始めてから少し消極的に見える。込清の運転テクと我道の体捌きもありこちらの被害も極めて軽微。役割分担的には間違っていないとどちらも分かってはいる。

「っつーかミッチ、お前の能力なんかねぇのかよ。そっちだって魔人だろ」
「いやまぁそうだけど俺の能力は……あー」

 少し考え込んでから、ふと思いついたように。

「我道って長距離狙撃の経験は無いって言ったよな。それなら――」


 ラナンは地球侵略にやってきた異星人ではあるが、決して戦闘の経験が深いわけではない。射撃で有効打を与えられていないのもそれが原因の一つだ。元々これは移動・偵察が主で武装面が乏しいというのもあるが。

「……当たらない」

 オープンカーを追跡しながらラナンは独り言ちる。上空からの攻撃で一方的に倒せればという見込みは甘かったようだ。反撃が来た際は狙いこそ甘かったものの念の為に保険をかけたが少し慎重過ぎたかもしれない。
 ラナンは彼らの行き先を見遣る。このままだとジャンクションに逃げ込まれてしまう。立体的に道路が交差するあの場所では上からの攻撃は困難になってしまう。

「この調子なら反撃は当たらない……と覚悟して、一気に勝負をかけるべきかもしれないね」

 イチかバチか距離を詰めよう。そう考えていたラナンの視界に、再びオープンカーに動きが見えた。正確に言うと動きが穏やかになり再度スーツ姿の女性が銃を構えている。

「よし、これをやり過ごしたら接近して――」

 バシュン。

 命中した。

「っ!」

 飛行ユニットはその一発でグラつく。とはいえ流石に一発だけで堕ちるほどではない。
 ただし。続けてもう三発命中した。

「な、い、いきなりなんで!?」

 戦闘経験の浅いラナンは突然の事態に慌てて飛行ユニットの姿勢制御をするので精一杯。そして。

 その直後に放たれた“本命”に、ただ眼を見開くのみだった。


 バシュン、バババシュン。
 一発目で勘を掴んだのか、続けての三発も見事にUFOに当てて見せた。

「ヒュー、やるねミッチ。面白い能力だ」
「いやちょっと、流石にこれは俺も予想外だわ」

 ご機嫌に口笛を吹かす我道に、込清は予想以上の成果を上げたことに若干引き気味だった。

 込清の能力・百聞は一見に如かずは他者が未体験の出来事を追体験させる能力だ。彼はこれを我道に対して使用することで『長距離狙撃の経験』を追体験させた。

(とはいえ飽くまで追体験、上手なお手本を見せる程度なのに……)

 それで四発連続命中とは間違いなく我道自身の実力に他ならない。闘争とあらば全てを受け入れる。それこそが彼女の強さなのだろう。

「さて、それじゃ仕上げと行こうか」

 そう言いながら我道は込清の持ち込んだ狙撃銃とは別の、最初から車に搭載していた武器を取り出した。

 いわゆる、ロケットランチャーと呼ばれる兵器だ。

「ロケラン片手に何しに行くつもりだったんだよ。スカイツリー圧し折る気か?」
「ハッハァ! それも良いね!」

 高らかに笑いながら、空飛ぶ星目掛けて発射する。狼狽えるように動きを乱していたUFOはそれを避けることもできず。

 炸裂。首都高上空に花が咲いた。
 直撃を受けたUFOは飛行を維持できず地上へと撃墜されて行った。遅れてもう一度爆音が響く。それを確認して込清は車の速度を緩め、停車した。

「たーまやー!」
「かーぎやー!」

 愉快そうに笑う我道に込清は苦笑いを返しながら、二人はハイタッチを交わす。

「でさぁ我道。俺このままだと普通にお前に殺される奴じゃない?」
「そーだなぁ。確かにあのUFOの件で休戦してただけだしな」

 現在運転席は込清がコントロールしているが、武器は全て座席に放り出されている。素手で敵う相手ではないし、仮に先ほどのフルスロットルのまま急カーブや急ブレーキで振り落とそうとしてもそれより先に首が圧し折られていただろう。

「あー、ダメ元で提案なんだけどさ」
「なんだ?」
「スカイツリーに着くまでバトルは止めない?」
「いいぜ」
「いいんだ!」

 もう用済みとばかりに殺される未来図を描いていた込清は素直に驚いた。それを心外だと言わんばかりに。

「あのなぁ。ここで倒しても全然面白くないだろ。闘争はちゃんと楽しまないと」
「あれ、共闘した縁とかそういうのじゃないんだ」

 そうして妙に和気藹々とした雰囲気で――二人は気付いた。

 背後から迫り来る“それ”は。

「戦車……?」

 我道がそれを戦車と評したのは本能的に闘争の気配を感じ取ったからか。
 それはどちらかと言えば“武装した新幹線が何の間違いか道路を走っている”――そんな出鱈目な存在で。そしてその意匠と雰囲気は先ほど撃墜したUFOを連想させた。

 そしてその操縦席に見えるのは。

「ってあれラナンじゃん! 俺結構ファンなんだが!?」
「ああ、私もCD持ってるよ!」

 混乱からか、若干様子のおかしい二人の会話を見聞きしながら、ラナンは思考した。

(狙撃を受けた時点で念の為私自身は飛行ユニットから離脱してAI操縦に切り替えておいたけど、まさか本当に墜とされるなんて。保険をかけておいてよかった)

 これは偵察目的の飛行ユニットと違い、完全に侵略・戦闘行為を想定した戦車ユニットだ。それ故に機能もかなり複雑化されておりラナン一人では最低限操縦することしかできない。

「ピーちゃん、戻ってる?」
『申シ訳ゴザイマセン、ラナン様。撃墜サレテシマイマシタ』
「構わないよ。それよりもこちらの武装操作を頼む」
『ポジティブ。ビームカノン、チャージヲ開始シマス』

 サポートAIであるピーちゃんに声をかける。先ほどまで飛行ユニットの操作を任せていたが、戻って来た彼女の補佐があればこの戦車ユニットを十全に動かすことができる。

 ――ピピピピピピ、と電子音めいた音が響く。それがエネルギーを装填している様子だということは地球人の二人にも明らかで。

「我道、やばいよあれ。すぐに逃げ」

 ガシッ、と体を掴まれた。我道は実に真剣な表情で大きく頷き。

「ミッチ。悪いけどさっきの話は無しで。囮になってくれ」
「は、ちょ、待」

 待たれることはなく、込清の体は邪魔な荷物のように道路に放り出され、次の瞬間には赤のオープンカーは元気よく首都高を駆け出していた。

「……」

 込清は油を刺していないロボットのような動きで首をラナンへと向ける。チャージ音は処刑へのカウントダウンのようで。

「あー……新曲良かったよ。『Deepsea mermaid』。『地上のあなたが星を見上げるように 水底のあたしはあなたを見つめてる』って部分好きでさ」
「本当かい、ありがとう」

 にこりと。眼前のファンに偽りの無い笑顔を向け」

『チャージ完了、発射シマス』
「ごめんね、さようなら」

 放たれたビームは慌てて逃げ出した込清の足元に着弾。直撃こそしなかったものの、爆風は彼の体を容易に吹き飛ばし――首都高から地上へと、真っ逆さまに転落して行った。

 あるいは、それはラナンにとって幸いだったかもしれない。直接彼に手を掛けたわけではないのだと思えたから。
 ただ、自身の下へと飛んで来た一枚のタロットカードが彼の顛末を明確に示していた。

「……さて、行くよピーちゃん。今度はさっき逃げたオープンカーを追撃する」
『了解シマシタ。ドノヨウニイタシマスカ?』

 AIの問いに深く息を吐く。あるいは自身の中の迷いを断ち切るように、はっきりと宣言した。

「全力で攻撃だ」



 スカイツリー、天望回廊。

「……ぐっ」

 七不思議を前に、マリアライトは苦悶の表情で膝を付いた。
 対する七不思議は何らダメージを受けた様子はない。当然だ、彼女はそもそも死んだ存在。如何なる方法でも攻撃をすることはできない。

『……あなた、正気じゃない』

 ただし、困惑を深めているのは七不思議の方であった。

『七不思議を直接取り込み、自分自身をその一部にする? 有り得ない』
「ふふふ……そうでしょうか?」

 苦しみの表情の中で、聖女はそれでも微笑む。

「残留思念、悔恨、未練……それらは全て、私からすれば等しく傷に他なりません。ならば幽霊であるあなたもまた私の愛を受けるべき存在。そうでしょう?」

 『緋色の歓傷』。術者であるマリアライトが傷と認識する物に触れる限り、それを自在に操る能力。
 マリアライトは七不思議の怪談そのものを世界に対する傷を定義し、自らに移し替えることで力尽くに攻略しようとしている。何せ今や七不思議はスカイツリーそのものだ。手で触れることは容易であった。

「さぁ、これで私は『五人目』ですね。あと二つでしょうか」
『狂ってる……そんなの出来たところでやるわけがないし、やったところで出来るわけがない。七不思議を五つも取り込んで、心も体も耐えられるはずがない』
「そうは言われましても、事実耐えられているわけですし。ああ、流石に平気ではありませんよ。それでも」

 くすり、と笑って。

「女の子には不思議が七つどころではなくあるものですから。私にとってはいつものことです」

 この横紙破りな裏技を、しかし七不思議は止めることはない。できない。
 何故ならば彼女は自身の完遂こそを願っているのだから。例え裏技だとしても――それが果たされるのであれば、七不思議はただ在るのみだ。

「では続いて六人目と参りましょう」

 手を伸ばし、マリアライトは次なる傷を受け入れる。

 その瞬間。

 世界が終わる轟音が響いた。



 首都高は再びカーチェイスが開催されていた。ただし今度のオープンカーの相手はバイクではなく異星人の戦車。
 銃弾程度なら容易く弾く防弾加工のフレームがビームガンによってガリガリと削られていく。

「この調子なら遠からず足が止まる。そこを主砲で撃ち抜くよ」
『ポジティブ、サブウェポンヲ撃破目的デハナク足止メ目的ニ集中シマス』

 チャージを行っている主砲とは別にビームガンが副砲として二基積まれている。そこから放たれた一発が射撃を回避していたオープンカーの後輪を捉えた。引きずるように動きが止まる。

「今だ、ピーちゃん用意は?」
『ビームカノン、チャージ率100%。問題アリマセン』
「分かった、撃って!」
『ポジティブ。機体全エネルギー100%集中。全力デ攻撃シマス』
「……え、全エネルギー?」

 思わず聞き返す。ラナンはそこそこ付き合いの長いこのサポートAIが、予想以上に融通が利かなかったことに初めて気付いて。

「いや、待」
『ビームカノン、フルバースト』

 そして、世界が終わる音。
 ラナンの戦車ユニットから放たれた全エネルギー集中ビームカノンはターゲットであった我道のオープンカーを蒸発させ、そして有り余る威力でその射線上にあった物。

 即ち、スカイツリーの根本を爆散させた。



(……何が起こった?)

 崩壊した世界で、戸村は自答した。
 天望デッキで二人の参加者を撃破しカードを獲得した。そこまではよかったはずだ。
 だが突如轟音と共に床が傾き……そうだ、スカイツリー自体がポッキリと折れ、上半分が墜落したのだ。

 いくら魔人とはいえこの崩落に巻き込まれて命があるだけ奇跡的だろう。とはいえ。

「くそっ……僕の計画は順調だったはずなのに……戦闘能力の無い僕が二人も撃破できて……完璧だったのに」

 こんな。こんな意味不明な理不尽に巻き込まれて脱落するというのか。

「勝つ、勝つんだ……僕はあの帆村紗六に……」

 もはや目も見えない。全身は痛みに支配されて何も感じられない。

 悔しい。

 そうして涙を流すことすらできず震えていると。

「――大丈夫ですよ」

 柔らかい物に抱き締められた気がした。不思議と全身の痛みも和らいでいく。

「あなたは頑張りました。しっかりと戦いました」
「あ、あぁ……」

 いいや、まだだ。全然。完全犯罪はまだ一歩目で。

「無念なのは分かります。それでもあなたは自分の成し遂げたことを認めてあげてください」
「……」

 温かい。
 途絶えたはずの視界が明るくなる。やがて全てを救済する聖女のような微笑みが見えて。

「ですから」

 にこり、と。

「あなたはここで私の愛と共に、尽きてください」

 ――マリアライトが崩落によって受けた傷全てが移動する。二人分の傷を受け入れた戸村の肉体は、四散した。



 そこはもはやスカイツリー崩落地とでも称するべき場所になっていた。

「こりゃあひっでぇ」

 あまりの惨状に我道は呟いた。
 チェイスの最中、車の後輪が撃たれた時点で逃げ切ることは不可能と判断。ギリギリで飛び降りることでなんとか事なきを得たが、それと同時に崩落するスカイツリーを呆然と眺めることになってしまった。
 しかし、と我道は思い直す。

(まだこの場所から気配がする。居るね、この崩壊を生き延びた奴が!)

 その相手を求めこの場にやってきたのだ。……もっとも、戦車は文字通り全エネルギーを放出したせいで既に物言わぬこととなっていたが、彼女がそれを知る由は無い。

 地上数階のフロアも崩落の余波で惨事となっていた。そちらに気配を感じ取った我道は歩みを進める。果たしてそこに。

『……』

 夜の闇が、人の形を成して立っていた。七番目の七不思議。

「よう、あんたも参加者だな。もしかして幽霊か? 幽霊とバトるのは久しぶりだ!」

 快活に笑う我道を七不思議はジッと見つめ、滔々と語り始めた。

 ――校舎の踊り場で合わせ鏡をすると妖精が手に入る。
 ――夜の赤い靴公園で首吊りをすると理想が手に入る。
 ――人外神社の賽銭箱で薬指を切ると恋人が手に入る。
 ――全て知らない人にはこれだけはまだ教えられない。
 ――恋人のいる図書館でタロット占いをしてならない。
 ――夢で見た赤駅のことを六人目に語ってはならない。

「……あん?」
『そして七つ。これら七不思議をすべて知った者の下には「よろこび」が訪れるだろう』

 怪訝な表情をする我道に、七不思議は語る。

『あたしは七番目も七不思議、その七人目。六人目までは既に語り終えた。あんたは七つ目を明かす覚悟はある?』
「よく分からないけど、あんたも参加者ってことは闘争の覚悟があるってことだろ? ならいい、闘争しようぜ!」

 七不思議を遮るように、我道は全力で駆け出し少女の姿をした闇を勢いよく右手で殴り抜く。――殴ろうとした。
 しかしそれは空を切るだけに終わった。

『あたしは戦わない。あたしは語り、知り、明かされるのを待つだけ。あんたに――』
「……んだよ、それ」

 我道はわなわなと震えていた。それは。

「なんだよ、それ! お前参加者なんだろ、カード持ってんだろ! だったら最初に言われたよな!? これはカードを奪い合う闘争なんだって!」

 なのに。

「なのに戦わないって、おかしいだろ!?」
『あたしは七不思議。そういう存在』
「ワケ分かんねぇこと言ってんじゃねー! 戦わないんだったら、最初っから出て来るんじゃねぇよ!」

 それは怒りだ。
 戦いを、純粋たる闘争を尊ぶ我道が『そもそも戦う気がない存在』がこの戦いに参加する意思を示したことに対する憤り。
 純粋なる願いを汚された。実態はどうであれ、七不思議の態度は我道にとってはそうでしかなかった。

 怒りで肩を震わせながら歩み寄る。その手は七不思議の胸倉を掴まんとすべく伸ばされた。

『無意味。あたしは七不思議、戦うべき存在では』

 ガシッ。

 掴んだ。

『……えっ』
「よう、安全圏から眺めてるのはここまでだぜ」

 言葉と共に。右拳による連続殴打が七不思議に降り注いだ。
 実体を持たないはずの彼女を正確に打ち付けている。

「幽霊と闘争するのは初めてじゃねぇんだよなぁ!」

 我道は右拳の中に護符を握り込んでいる。――以前幽霊と戦った時に使用した、ナントカとかいう退魔の符。幽霊に対して物理的に攻撃できるというアイテムだ。
 本来不可侵であったはずの七不思議という領域は、単純暴力によって微塵に打ち砕かれた。幽霊を殺すという矛盾すら我道にとっては闘争の一つに過ぎない。

「全くスッキリしねぇけどな」

 ふん、と鼻を鳴らしながら右手を払い、纏わりついていた闇を払う。そうして背を向けて残る参加者の下へ行こうと一歩を出し。

「あれ、そういえばカードが出て……」

 ゴボッ。

「……あ?」

 我道はようやく、自身が吐血していることに気付いた。


 死者を殺すという矛盾を成したとしても。
 殺せば死ぬということの証明足り得ない。

『あたしは七番目の七不思議、その七人目』

 声がする。それは我道の内側から。

「あ、が、がぁ……」

 口、目、耳。我道のあらゆる穴から血が溢れ出す。

『あたしは戦わない。だけどルールを侵した者には報いを与える。あたしが消える時は七不思議を全て終えた時だけ』

 我道は倒れた。受け身を取ることすらできない。既に心臓は破壊されている。

「……なんだよ、戦えるなら、そう言えよ」

 悔しそうに、そう言い遺して。

 我が道を貫いた女は、塔の災厄に崩れ落ちた。



 エネルギー切れとなった戦車ユニットからラナンは降りた。

「参ったな」

 全力で攻撃しろと命じたら本当に全力で攻撃するとは思わなかった。
 ほぼ手札を切らした状態、一度撤退して仕切り直すべきかもしれない。

「そうなったら今度はガス欠のこいつをどうやって持って帰るかって話なんだけど」
「お困りですか?」

 ――柔らかな声。それが逆に不釣り合いで、ラナンは慌てて飛び退く。
 そこには黒衣の女性、マリアライトが朗らかに立っていた。その笑みはむしろラナンを緊張状態にするのに十分だった。

「おや、もしやアイドルのラナンさんでは。うちの館にもファンがおりまして」
「それは光栄だ。本当ならサインの一つでも差し上げたいところだけど」

 距離は数メートル。駆け出せばすぐに接敵できる範囲。

(戦闘能力は無さそうだけど何を隠しているか分からない。一撃で決めたい)

 一拍。そしてマリアライトが口を開いた。

「あなたは――」
(『スターライト』!)

 能力発動。二人の周囲に場違いなクラシック音楽が流れ出す。
 突然の出来事にマリアライトは不思議そうに顔を上げ――響いた銃声に思わず背後を振り返った。
 そこには何もない。実体を伴わないただの音。

 ポルカ・狩り。シュトラウス2世の作曲したこの曲は実際の銃声を組み込んだ特異な舞曲である。

 ラナンはその瞬間に飛び込んでいる。こちらに向き直しつつあるマリアライトの胸元に向けて懐中電灯にしか見えない柄を突き出す。

 起動。
 柄から生えた光の刃がマリアライトの胸元を貫いた。
 それは個人携行用の武器、SFめいたビームナイフである。

 人を貫く不快な感触に思わず顔をしかめ――しかし。
 胸元を貫かれてなお、聖女は笑みを絶やさない。

 その事実はむしろ刺した側であるラナンの動きを止め、その瞬間にマリアライトの両手はラナンの両肩を掴んでいた。

 能力発動。

「――ガアアァァァ!?」

 自らの胸元が突然貫かれたラナンは絶叫し武器を取り落とした。傷を自在に動かす力の真髄、自らの受けたダメージを返すという単純な答え。

(逃げ……ないと)

 能力の詳細は不明だが掴まれたままがまずいのは分かる。ラナンは必死に足を動かそうとして――自身のアキレス腱が切れていることに気付いた。

 逃げられない。

「苦しめてしまってごめんなさい。だからせめて最期は私の愛で」

 ラナンは苦悶の表情でマリアライトの顔を見る。
 それは最初から――あるいはラナンが出会う前からずっと。変わらぬ優しい微笑みのままで。

 弾け飛んだ。

「……」

 ラナンは目の前でマリアライトの鼻から上が爆散したのを見た。顎と舌がだらしなく垂れたまま倒れ、死体が光になって消滅したのを見た。
 あらゆる傷を移し替える能力者。ならば、傷を移す前に頭部を吹き飛ばし即死させてしまえばいい。あまりにも身も蓋も無い対処法。

 腱を切られたラナンもまた崩れ落ちながら、マリアライトのカードが飛んで行く先を見た。そして目を見開いた。

「あー、よかった。これで傷が治らなかったら流石にヤバかったな」
「君は……」

 ラナンが倒したはずの――込清三千彦がそこに居た。

「君はさっき私が殺したはず。カードだって私の中に」
「ああそれ、俺じゃなくて、えーと……泡盛って人のらしい」


『泡盛を倒した時は光になってカードが出てきたが、ここでお前が撃たれて死んだらカードはあのUFOのモンになるのか』
『え、我道ってもう敵を倒したのか?』
『ああ、泡盛っていう根性のある男だった』


 ――百聞は一見に如かず。他者の体験談を他者に追体験させる能力。

「我道の勝利体験をあんたに追体験させた。あんたはカードを獲得してなんかないよ」

 込清の告白にラナンは唖然として――力無く笑った。

「なんだ、そうだったのか。意気込んでこの戦いに参加したのに、結局誰一人倒せなかったんだな」

 空を仰ぐ。東京の夜空には星は見えなかったが、ずっと先にラナンの母星もあるはずだ。

「ああでも……私のファンに手を掛けるようなことがなくて、よかった」



 ラナンの遺体から現れたカードを手に取った時――込清は夕暮れの教室に居た。

「……ここは」

 呆然と周囲を見回す。そこには夜闇めいた人型が立っていた。

『あたしは七番目の七不思議、その七人目』

 そして七不思議は語り始める。七つの怪談。七人目の生贄。

『あたしが消える時は七不思議を全て終えた時だけ』

 ――あんたは全てを明かすことができる?

 問われ、込清は考え、答えた。

「無理っすね」

 その瞬間、込清は吐血し床に膝をついた。

「あ、がっ……」
『――できないのなら死になさい。あたしはあんたのカードを手に入れ願いを叶えるだけ』

 込清は知らないことだが――七不思議は我道を直接殺害した影響で著しく攻撃的になっていた。戦わないという本来の在り方すら歪めてしまうほどに。

「が……ごぼっ……はっ……」

 苦悶の表情で咳き込み、嗚咽が漏れ。

「……ははっ」

 そして、笑った。

「俺は無理だけど。あんた自身ならどうかな」

 そんな、ともすれば意味不明な呟きと共に。
 込清は能力を発動した。

『―――』

 七不思議の脳裏に様々な風景が流れ込む。それは。

「――“七不思議を踏破した体験”」

 少女の姿をした闇が崩れ落ちる。その表情に見えるのは驚愕、そして理解不能。

『な、何を……』
「七不思議って呼ばれる物は日本にいくつかあるんだけど、今のは栃木県に伝わる粕尾七不思議ってやつでさ。雷が落ちないとか草が生えないとか鳥が鳴かないとか、まぁそんな伝承をまとめたもんで、それを大真面目に研究した人がいたんだよ」

 荒い息を落ち着けるように大きく吐き、伝えるべきことを口にした。

「日本における七番目の七不思議。それを解き明かした者の記憶だ!」
『そ――それがどうした。あたしは姫代学園に伝わる七番目の七不思議。こんな記憶が』
「お前は探してんだろ! 『七番目の七不思議を完遂者』を! 俺はお前がそうだったことにする!」

 無茶苦茶を言っているという自覚はある。七番目の七不思議というただの言葉遊びと言えばそれまでで、そもそも粕尾七不思議が七番目に数えられるかも怪しい。

 それでも。目の前の存在が実体を持たない、伝承に由来するモノならば。
 強い認識がその在り方を歪め得ると、そう信じて叫んだ。

「もう一度言う! お前が! お前自身が、七番目の七不思議を完遂する存在だ!」

 いくら精神体とはいえ。追体験しただけで在り様まで変わるわけがない。始めから成立していない作戦だった。

 本来ならば。


 ――それは込清も、そして七不思議自身すらも気付いていなかったことであるが。

 遊葉天虎がスカイツリー全体に発動させた『その気なんの気』の効力は七不思議にすら及んでいた。

 即ち、『自分は七番目の七不思議の完遂者』だと――その気にさせてしまっていた。


『う、あ、あぁ……!』

 ――七不思議が。人の形をした闇が、光になっていく。
 それは彼女自身が込清の無茶苦茶な理論を認めてしまった証左だ。

『そんな、嘘……こんな言葉遊びで……!』
「言葉遊びで結構! 知らないのか?」

 そう言って、血を吐きながらも込清は不敵に笑い。

「誰かと話すことって、すげぇことなんだぜ」




 ……気が付けば、込清はスカイツリーの崩落地に寝転んでいた。

 立ち上がり周囲を見遣る。かつてスカイツリーだった残骸が散らばる惨状に思わず頭をかこうとして――手に握りこまれた一枚のカードに気付く。

 塔のアルカナが描かれたタロットカード。

 見上げれば、昇り始めた朝日が夜の終わりを告げていた。
最終更新:2020年10月18日 23:07