高さ634mの世界最大の電波塔、東京スカイツリー。
21世紀生まれの東京新名所は観光客が絶えず訪れ、賑わっている。
だが、この日の賑やかさは、違う理由から来ていた――
~~~
夕暮れの4F・スカイアリーナ。
スカイツリーを絶好の位置から見上げられるスポットだが、今この場に塔を見上げる群衆はいない。
文字通り、人々の姿がほとんどない――人払いが行われたからだ。
それでも僅かに残った人々の視線は、中央で龍虎の如く向かい合う一組の男女に集まっている。
両者ともスーツを着こなしているが、どう見てもビジネスマンには見えない。
遠巻きに野次馬が眺める中、2m近い巨躯の女―― 我道 蘭が口を開く。
「アンタの噂は聞いてるよ、ラウンジのトップランカーさん」
「……買い被りだ、喧嘩屋。せいぜい俺は“格下喰い”がお似合いだ」
どこか自嘲するように、同じく巨躯の男―― 九頭龍 次郎が答える。
「ははっ、そりゃトップなんだからみんな格下だろうさ。
それに喧嘩は名前でするもんじゃないからね」
とはいえ、やるなら名乗りは上げておかないとね、と笑いながら。
禁煙の風潮などどこ吹く風とばかりに、勝負前の一服を味わう。
強者の余裕か、九頭龍は吸い終わるのを待って――名乗る。
「……“ラウンジ”所属、九頭龍 次郎。 いざ、尋常に」
「喧嘩屋、我道 蘭。 さあ、戦ろうか!」
名乗りから瞬きの間に、我道が踏み込んで距離を詰める。
機関車を思わせる重厚かつ高速のステップを刻みながら、上半身を関節自在の能力『大見解』で捻り、右手を腰だめ気味に引き、固めた拳を抜き放つ。
二の腕の先の回転をも加えた、百戦錬磨の貫通拳が九頭龍に向かう!
「甘い」
だが、九頭龍は臆することなく左腕で外側へと受け流す。
回転でスーツの袖が擦れるが、最小限の動きで致命の拳をいなし、足払いをかける。
同時に胸倉を掴んで、突進の勢いも乗せて我道の体勢を崩し、そのまま頭から地面へと叩き付ける!
「おおっ?」
がつん、と衝撃音が響く。そこに追撃の顔面蹴りが来るが通らない。
我道は顔を狙う九頭龍の右足を左手で受け止め、掌を回転させる。
「ぬうっ……」
脛を掴まれ、手首の回転の勢いのまま九頭龍も体勢を崩し地面にぶつかる。
受け身をとりダメージを最小限に留めて、空いた左足で我道の左手を蹴り上げる。
蹴られる前に我道が手を離し、ごろりと地面を転がって九頭龍から一度離れる。
「……意外に慎重なんだな」
身体を起こして立ち上がりながら、九頭龍が我道に向き直る。
九頭龍の能力『オールマイティ』は、シンプルな身体強化。
この程度の攻防では、ダメージすら入らない。
我道もまた、体勢を立て直しながらからからと笑う。
こちらも屈強なフィジカルゆえか、頭を叩き付けられたダメージを感じさせない。
「いやあ、このまま寝技の応酬もいいだろうけど。
やっぱラウンジ筆頭とやるなら、拳と拳で語り合いたくなるってもんでしょ!」
「肉体言語ってやつか? 今時流行りもすまいが……ふん、受けて立つ」
ひゅう、と一陣の風が二人の間を吹き抜け――
それを合図に、再び二人が距離を詰める。
互いに拳を握り、渾身の力で二度目のぶつかり合いに臨む。
「……ぶぇっし!?」
そのとき。春風に舞うタンポポの綿毛が、我道の鼻に吸い込まれた。
鼻の粘膜を刺激され、派手なくしゃみで前のめりに体勢を崩す。
その頭上を、銃弾が通過していった。
延長線上にいた九頭龍は、顔色一つ崩さずに冷静に弾丸を回避する。
「……新手か」
「チッ! 二枚抜きならずですか!」
黒一色のコーディネートに青い花のワンポイントが目立つ少女――
遊葉天虎が、残心を決めながら銃を向けていた。
彼女の周りを、白い綿毛が無数に舞っている。
遊葉の能力『黒蟻の軍勢』は、彼女が所属する魔人更生支援会社『黒蟻』の面々の能力を一日に三つコピーできる。
ただし、一人一人の能力は弱能力という欠点も持つ。
今彼女が使っているのはそのうちの一つ、老人チーム「ロートルズ」のジンザが持つ能力
『ライオン好き』である。
ライオン、もしくはライオンに関連すると認識したものを自在に操作する能力――
そもそもライオンがいなければ役に立たない上に、遊葉のコピーではライオンそのものを操れなかったので
まぎれもない弱能力ではあるが、遊葉は弱点を拡大解釈で補った。
タンポポ、英名ダンデライオンの綿毛をコントロールして、
くしゃみによって決定的な隙を作り出すことに成功したのだった。
もっとも、その隙を突いての攻撃は成功したとは言いがたい。
我道と九頭龍を両方貫通すべく打ち込んだ弾丸は、くしゃみによって体勢が崩れたせいで我道に回避された上に
九頭龍からも弾道が丸見えになったため、余裕で回避されてしまったのだから。
「おいおい、ガンカタ使いかい? こんな広場でブッ放したら、他の連中の迷惑になるだろ?」
鼻をすすりながら、我道もまた遊葉に向き直る。
「うるせーですよ、そもそもスデゴロ最強格のあんたらが暴れてる時点で大迷惑であるからして!」
「……おこぼれ狙いのガキに言われる筋合いはないな」
「スマートな乱入と言ってほしーですね、それとも正々堂々じゃなきゃ嫌なんて抜かしますか?」
「構わん。俺のような未熟者如きを不意打ちで倒せないようなら、所詮その程度だ」
「ならその土手っ腹ブチ抜いてやりますよ!
“中二丁拳銃”、“第九の型”、“弾々道”!」
ナイフとデコレーションが目立つ、御自慢のカスタム拳銃二丁を縦一文字に並べて連射する。
同一弾道で数発叩き込む、一点突破の型!
(開けた場所で跳弾が使えないのはわかるが、あまりに真っ直ぐすぎる)
当然、無防備に食らう二人ではない。
あっさりと回避し、闖入者へと拳を構えたところで――
九頭龍の肩、我道の脇腹を銃弾が捉える。
「アーンド、『B4U』! どうです、完全Uターン弾のお味は!」
黒蟻の軍勢、第二の能力『B4U』は自分の所持品を自分の手元に引き戻す能力である。
ただし引き寄せる速度が速すぎるため、受け止める自分の手もイカれるというピーキーな能力でもある。
遊葉は銃弾に適用し、そもそも受け止めないことで背後からの疑似跳弾として活用したのだった。
「……つくづく小手先が好きだな、アンタ」
「ははっ、さっきのタンポポとは違う手ってことかい?」
苦虫を噛み潰す九頭龍に対し、我道は感心したように笑っている。
どちらも軽傷、どのみち遊葉もこれで殺せるとは思っていない。
さらなる弾幕攻撃で追い撃ちを――
「そこまでにしておきませんか?
第一、戦いの舞台はここじゃないでしょう」
無謀にも、三人の闘士が暴れるさなかに近づく、茶髪にサングラスの若造がいた。
――戸村純和。『節制』のタロット所持者である。
「ああ? 何ねむてーザレゴト言ってんですか、出会って5秒でドンパチが今日日のトレンドですよ」
「気持ちは分かるが、忘れてませんか?
招待状には『天望フロア350で待つ。そこまで互いに手出し無用』とありましたよね――」
遊葉が乗ったのを見て、戸村がすかさず言葉を差し挟む。
『疑わしきは罰せよ』――どんな嘘も信じ込ませ、記憶にすり込む偽装能力。
たまたま行き会っただけの三人は、受け取ってもいない招待状の存在を思い出す。
「それもそうだったな、悪い悪い。
ついつい強そうな奴見ると、すぐ闘りたくなっちゃってさ」
「で、アンタが招待状の主か?」
「いえ、僕も招かれた側ですが……スカイツリーから気配がするのは確かですよ」
我道の謝罪に軽く会釈しつつ、九頭龍の疑問に答える。
招待状うんぬんは完全にデタラメだが、気配に関しては嘘は言っていない。
既にタロットを持った存在が、フロア350にいるのだから――
「ともあれ、仕切り直しということで納得していただければ、と。
……そこの出歯亀くんも、よろしいですか?」
三人の乱闘を無理矢理収めた戸村は、植え込みの影に話しかける。
……隠れていたもう一人の人物が、ばつが悪そうな顔を浮かべて姿を見せる。
ツナギ姿の青年、込清三千彦である。
タロットの気配に引きつけられて来てみれば、既に戦闘の最中だったために――隠れた。
割り込むにしても、込清の能力は乱闘向けとは言い難いのも理由の一つである。
「……んあー、気付いてたっすか……」
「まあ、タロットの気配は所持者はわかりますから。隠れても無駄ですよ」
「それもそっすか……あれ。じゃあそこの姐さんとかはなんで俺に気付いてなかったんです?」
「や、気付いてたけどコソコソしてるなら後でブチのめせばいいか、って」
「右に同じだ。俺程度の未熟者に隠れるようなら後で潰せる」
「出てくるなり酷い言われようっすね……」
こうして、スカイアリーナに平穏が戻り、一同は天望フロア直通エレベータへと向かった。
後に、これ以上の狂乱が起こるとも知らず――
~~~
(なるほど、考えたな。俺や我道が暴れたらエレベータが止まる。
うかつに動けば上で待つ何者かの思うつぼ、というわけか)
フロア350直通エレベータの中で、九頭龍は戸村の方を見やる。
冷静になってみれば、やはり戸村の行動は不自然さがある。
……その上で、策を疑わなかった自分にも疑問を感じていた。
(洗脳系の能力くさいが……あそこで戦闘を中断させる必要性は薄いはずだ。
天望フロアに場所を移すのが重要だとしたら、待ち伏せか?
エレベータが開き次第、入口に待ち構えた味方が何かブッ放す……ってところか。
だが、この戦いで共闘なんざ成立するのか?)
沈思黙考する九頭龍をよそに、我道は待ち受ける相手がどんな相手かに胸を躍らせていた。
一方で遊葉は油断なく銃を構え、中二丁拳銃の型をシャドーで繰り出す。
案内してきた戸村も、ボタンの側でエレベータボーイよろしく動かない。
敵同士が五人、互いに手出しをしないまま空の密室で過ごす奇妙な間。
「ところで、スカイツリーのそばに公園があったっすよね。
天望フロアから見下ろせると思うんすけど」
沈黙を破り、込清が喋り始める。
皆の視線が、自然と込清に集まっていく。
「なぜかは知らないっすけど『赤い靴公園』って呼ばれてるらしいんですよ。
で、その『赤い靴公園』で首を吊ると――」
込清の喋りに、どこか不穏な気配が漂う。
それに一同が反応する前に、込清が能力を発動する。
『百聞は一見に如かず(されど百聞もまた賢なり)』――
「『恋人』が手に入る、って七不思議、知ってます?」
言い終わるやいなや、不可視の処刑縄がしゅるり、と巻き付く微かな音がした――
~~~
話は、いったん戦闘前日に遡る。
込清三千彦は朝から、持ち前のコミュニケーション能力を駆使してあちこちで様々な人から話を聞き出していた。
食堂で相席になったサラリーマンの愚痴、公園の主婦のおしゃべり、タピオカ屋に並ぶ学生の噂話。
そんな中、込清のアンテナに妙に引っかかったのは――『七不思議』というキーワードだった。
聞いてみれば、先日転落死した女学生が『七不思議』を調べていたという他愛のない話だったが、妙に胸が騒いだ。
なにしろ、その七不思議とやらがさらに七通り、しめて四十九の怪異があるというのだから。
(七不思議みたいなオカルトなら、修羅場くぐった奴でも体験はしてねえだろうな……イケる)
だが、問題は――『知ったら死ぬ』という噂がある以上、語りたがる者がいない。
そもそも、もし本当に死んでいたら体験談として語れる者もいない。
何人かさわりを知っている者はいても、それでは致命的体験にならない。
手がかりは一向にないまま、調査の疲れを癒やそうといつものバーに立ち寄ってみると。
マスターとタケ、いつもの二人に加えて―― 一見の客らしき老婆がいた。
「ようミッチ、この婆さん色々面白い話知ってるみたいだぜ?」
既にいろいろと聞かされて盛り上がっていたタケの言葉に、藁にもすがる思いで訪ねてみた――
そして、それは実を結ぶ。
屈強な戦士を殺しうる、強力な切り札として。
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『七番目の七不思議』? ああ、知っとるよ―― 一つだけね。
なんで知っとるかって? ……実際に試したからさ。
ああ、ちゃんと足はあるよ。
あたしはやり損なったのさ。あたしはね。
あそこでやり遂げてたら、今みたいにしょぼくれた余生も送らなかっただろうけどね。
さて、七不思議の話だったね。
あたしもまあ、ン十年前にゃ姫代学園に通うレディだったわけさ。……笑うんじゃないよ。
でもまあ、器量好しじゃなかったからね。殿方とは縁がとんとなくてさ。
で、あたしの同級生にウメちゃんって子がいてね。その子もまあ、負けず劣らずの不細工で。
あたしら二人は気が合って、しょっちゅうつるんでたわけよ。
やっぱり年頃の娘だからね、素敵な彼氏も欲しくなったりしたのさ。
で、噂で聞いちまったのさ。
……恋人が出来るおまじない、とやらをさ。
といっても、少女漫画に出てくるようなお祈りとかじゃなくて。
姫代学園にひっそり伝わる七不思議、それも学園をはみ出した『七番目』の一つときたもんだ。
方法は簡単、月のない夜に学園の近所にある『赤い靴公園』で首を吊る――
ああ慌てなさんな、別に本当に首をくくるわけじゃないんだ。
公園にある大きな桜の木の枝に、赤いマフラーを首に巻いて、その端っこを枝に引っかける。
これが首吊りの見立てって奴さ。で、そうすると近いうちに素敵な『恋人』ができるってね。
で、あたしらは試した。試しちまったわけさ。
手芸屋で長くて赤いマフラーを揃いで買って、その足で公園まで行って。
まあ、マフラーを巻くような季節だから真冬も真冬、桜の木なんて葉っぱ一枚ついてなくて。
探すのに一苦労して、やっとこれで彼氏ができるね、なんて冗談っぽく笑ってた。
縋ったのは冗談じゃなくて、怪談だってのにね。
で、日も沈んだ頃合いに、マフラーの端っこをひょいっ、とひときわ太い枝のもとに二人して掛けたのさ。
なんも起こるわけがない、ただ気の持ちようの話だろうと思ってた。
さあ気は済んだし帰ろう、ってマフラーを引っ張ったら。
枝に引っかかったわけでもないのに、離れないのさ。
ウメちゃんも目を丸くしてね。あたしと同じみたいだった。
マフラーがだんだん、だんだんと枝にしっかり巻き付いてくみたいに縮んで、そうするとどうなるかわかるよね、坊ちゃん。
あたしらは、したくもない首吊りをし始めてたのさ。
首にマフラーが食い込んできて、息も絶え絶え。
そのうち足も地面につかなくなって、慌てるもんだから余計に首に食い込んで。
……で、ふっと上を見たら。
咲いてるはずのない桜が、ぶわあああ、って。
あたしらのマフラーみたいに、真っ赤な花びらを散らしてたのさ。
その奥に、誰かがいた。……顔かたちは見えなかったけど、男の人に見えた。
ああ、あれが『恋人』なんだろうな、と直感でわかったけれど……付き合うのはごめんだったね。
人間じゃない、なにか得体の知れない『恋人』なんか。
……そのあとどうしたかって?――見ての通り、あたしはぎりぎり助かった。
警察でしこたま絞られたさ、夜更けになっても帰ってこないんで探したら、桜の木の根元で寒さに震えながら寝てたってね。
でも、ウメちゃんは。花吹雪に包まれて、それきりだった。
神隠しに遭ったみたいに、マフラーごと、きれいさっぱり。いなくなっちまった。
警察も出張って必死こいて探したけれど、結局ウメちゃんは見つからなかった。骨一つ、未だにね。
でも、あたしは思うのさ。ウメちゃんは、受け入れちまったんだろうって。
この世でも、きっとあの世でもないどこかで――恋に生きることを、選んじまったんだろうってね。
これが、七番目の七不思議の、四つ目――
『夜の赤い靴公園で首を吊ると、恋人が手に入る』ってお話さ。
~~~
「……か、はっ……!」
「ぐっ……」
天望フロアへ向かうエレベータ内で、首を吊り上げられ藻掻くタロット所持者達。
込清はこの隙を逃すまいと、カスタム銃を懐から取り出して向ける。
「悪く思わないでくださいっすよ、ガタイのいいみなさんに勝つにゃ
このタイミングしかなかったっすから…… !?」
込清が視線を向けた先。戸村が、平然と立っていた。
首を、吊られていない――!
(まさか、こいつ首を吊った経験が――いや、あるわけねえっすよね?
じゃあなぜ?)
その疑問が、銃口を迷わせる。
吊されている猛者三人か、自分の話術が効かない一人か。
「あんた、さっき七不思議とか言ってたが」
動揺の合間を縫って、戸村が込清に話しかける。
疑わしきは罰せよ――
「本当は八不思議だって、知ってたか?」
「は? それくらい知ってますけど、それがどうし――」
あまり意味があるとは思えない訂正に、込清が頷いたそのとき。
ぱん、と銃声が響き――
放たれた弾丸が込清三千彦の脳天を後ろから打ち抜いた。
「か、はっ」
呆気ない終わりに、戸村がぎょっとして込清の背後を見る。
撃ったのは遊葉だった。
(……首を吊られて反射的に首に伸びる手を、無理矢理相手に向けた?
精神力……いや、能力?ともあれ、時間稼ぎは失敗かな)
戸村からすれば、意味のない訂正で良かった――無駄話をしたかった。
込清の能力が、今の自分に効かない以上。
一番警戒すべきは、込清が自分に攻撃を向けることだった。
それでいて、残る三人の縊死は待ちたい――戸村にしても、直接の戦闘力を持たない以上
込清が致命的な隙を作ってくれたのは都合が良かったからだ。
だが、その思惑を知ってか知らずか。
首をくくられながらも、動きを止めた込清の隙を逆に突いて、遊葉が“弾々道”を放ったのだった。
「……げほっ、エホッ」
直後、異界のマフラーは霧散し、三人が絞首刑から解放される。
込清三千彦の亡骸は、何も語ることなく――光となって消えた。
あの夜にタケさんから譲って貰った餞別のカスタム銃と、『女教皇』の欠片だけを残して。
~~~
時間を再び戻して、込清がバーで怪談を得た直後。
ひとしきり喋り倒した老婆は、バーを後にして曲がり角を二つ三つ曲がったところで――
背筋を伸ばし、顔の特殊ラバーメイクを剥ぎ取り、羽織っていた服を脱ぎ去って。
探偵、帆村紗六へと戻っていた。
「……さて。『お喋り好きのミッチ君』は、うまく広めてくれるかな?」
帆村紗六が、なぜこのような怪行動に出たのか。
~~~
さらに時間を遡り――帆村探偵事務所にて。
「戸村君、七不思議はなぜ七不思議だと思う?」
「京極堂シリーズでも読んだんですか先生。
別に学校の七不思議だなんて、そのくらいあれば十分でしょう」
タロットカードの一件については帆村は非干渉を決めたが、
山乃端一人の殺人事件については帆村の領分を未だ外れていない。
そのため、帆村は別のアプローチをしていた。
すなわち『七番目の七不思議』の調査を。
「まあ、昔から七という数字は人間が瞬時に認識できる最大の数とされているからね。
そこに神秘性というか、完全性を求める心理が働いたという可能性もあるだろう」
「……まさか先生、階段から突き落とされての転落死だからって、
殺人事件の犯人は怪談だ、とか言わないですよね?」
戸村は、内心それどころではない――タロットを集めるための計画を考えながら
適当な言葉を返す。しかし、それで止まる帆村ではない。
「それは怪談じゃあなくて冗談だよ、戸村君。ともあれ、姫代学園七不思議は実質四十九個ある。
だったら、どうして『四十九不思議』と言わないのかね?そこで仮説が出てくるわけだよ。
七という数字が怪異が人間に干渉するのに都合がいい、とは考えられないかな?」
「……突拍子もない考えですが、じゃあ仮にそうだとしたらその怪異とやらに
先生はどう対峙して、どう退治するつもりなんですか?」
「うむ。簡単だよ。
この手の七不思議にありがちで、しかし七を封じるにはうってつけの方法だ」
期待通りの質問が飛んできたことに、喜色を隠さない帆村の答えは。
「本当は八個あると言ってしまえばいい。七不思議ならぬ八不思議、とね」
「聞かなかったことにしていいですか?」
戸村が白けるのも無理はない。小学生の発想だ。
「いやいや、案外効果的だと思うよ。この手のオカルトは一手手順が狂うだけでも出力が変わる。
それに、この手なら見立て殺人も防げる公算も出てくる」
「見立て殺人? 探偵らしい考えだと思いますけど、それと八不思議とやらが
何か関わってくるんですか?」
急に探偵っぽいキーワードが出てきて、戸村も思わず話に興味を持つ。
「今回の事件、七不思議になぞらえているのなら少なくともあと六つ事件が起こる。
ABCの如く本命が後に控えている可能性もあれば、単純に七人を殺したいから
丁度良い見立てとして後から選んだのかもしれない。
だが、そこに八不思議目が加われば――犯人の計画に狂いが出るだろう。
元があまり知名度のない『七番目の七不思議』ならば、なおさらだ」
「ふうむ……でも、それだけじゃ事件は防げないでしょう」
「それもそうだ。だからもう一つ、手を打とうと思っている。
怪異であっても人為であっても困惑するような手段をね」
まあ、この事件は僕に任せておきたまえ――そう笑いながら、帆村は街へと向かった。
帆村が取った第二の手法は、これまた極めて簡単だ。
知られないように蓋をするのではなく、デタラメで塗りつぶす。
既に調査済みの二つ目と三つ目の内容を繋ぎ合わせ、子細不明の四つ目に据える。
見立てに拘る殺人者なら誤情報の訂正に追われ、怪異ならば結果が正しく伝播しないことで抑え込める。
帆村の思いついた、怪異と殺人者の両封殺――
それは、思ったよりも効果を発揮したようだった。
~~~
……ふっっっざけんじゃないわよ!?
何よ、何よあの茶番劇みたいな大嘘は!?内容のそれっぽさがまたむかつく!
ああもう、あたしが祟り殺せるものなら祟りたい……!
……あ。どうも。七番目の七不思議、七人目よ。
いや、あたしが文句を言うのも、わかって欲しいわよ。
まさか、そんな単純でつまらない方法で『七番目の七不思議』を――
揺らがせてしまうだなんて。
しかも――タロット持ちですらない、普通の人間が仕組んだだなんてね。
そう。『七番目の七不思議』の弱点は、そもそも知る人が少ないこと。
人に噂されない怪談じゃあ、人は恐れないし怯えない。そうなれば、力も失せてしまう。
そして、折角広まっても間違いが紛れてたら、あたしの望みからは遠くなる。
『七番目の七不思議の完遂』、そこにミスは許されないのだから。
……とはいえ、この程度で乱れて消えるような七不思議だったら。あたしはこんな苦労してないわ。
揺らいだのは事実だけれど、それでも。まだ『七番目の七不思議』は――十分に、怪異なのだから。
さて。どんなに七不思議がねじ曲がろうと、あたしは直接手を出せない。
だからせいぜい最後まで見届けさせて貰うわ。
『塔』の中で、七人の生け贄がどうあがくかを。
……死亡フラグだなんて言わないでよね? もうあたし、死んでるんだから。
~~~
「で、これは私のもの、でいいんですかね? 答えは聞いてねーですが!」
ガンスピンを決めながら、遊葉が半分だけの『女教皇』を拾い上げる。
一方で、美的感覚の相違からか、カスタム銃には目もくれなかった。
「まあ、いいんじゃないかな! トドメを刺したもの勝ちってことで」
豪快に笑いながら、我道が同意する。
一方で、九頭龍は渋い顔を隠さずに戸村を問い詰める。
「……おい。こいつはお前の仕込みではないんだな?」
「僕に能力が効いてないことに動揺してましたよね?
それに、僕もこれは予想外ですよ」
戸村が九頭龍の顔色を窺いながら答えた、そのとき。
遂に、エレベータが天望フロアへと到着する。
「……扉が開いたら、休戦協定も終わりだな」
九頭龍のつぶやきに、我道も遊葉も身構える。
戸村だけが、落ち着いたようにエレベータの壁にもたれかかり――
エレベータの扉が開いた瞬間。
200dBの爆音が、天望フロアを余すところなく襲った。
~~~
話は朝に遡る。
フロア340・SKYTREE CAFE。
(……さて、どうしたものかな)
物憂げにモーニングセットをつつく女性――ラナン・C・グロキシニアは、
大パノラマの窓から空を見上げながら、悩んでいた。
多忙な中で得たオフの日には、いつもここで空を見上げてくつろぐのが習慣だった。
遠くの母星に思いを馳せながら、気分を切り替える。それが彼女のルーティン。
(『20枚のタロットを揃えれば願いが叶う』『タロットは殺して奪うしかない』……
――やらなくちゃならない、のか)
ラナンの脳裏に、ファンの笑顔、そして武羽根プロデューサーの顔が浮かぶ。
(幻滅されるかな、地球を救うために殺人を犯すアイドルだなんて)
星のタロットを掌で弄びながら、ぼんやりと考え込む。
仮に戦う――殺すとして、自分に出来る戦い方は何か。
プロデューサーには戦闘訓練はしているとは答えたが、傭兵並みに鍛えているわけでもない。
何より、自分の能力『スターライト』――周囲のBGMを操作する能力は戦闘向きとは思えない。
足音の偽装をしたところで、タロット所持者同士は気配がわかってしまう。
(ただ、ここに来てからうっすらと、ずっと気配を感じるんだよね……
既に誰かに引き寄せられている、のかもしれない)
ラナンの推測は当たらずとも遠からずである。
先述の通り、ここには『七人目』がいる――ただし、この世ならざる者ゆえに、気配しかない。
だが、その気配に惹かれて、あるいは紛れている者がいた――
「何か、お悩みですか?」
「え?あ、いえ…… っ!」
声を唐突にかけられ、振り向いた先にいた人物を見て驚愕する。
面識があったわけではない。だが、理解する。
目の前で微笑を浮かべる女性が、同じ『タロットを持つ者』だと。
(まさか、もう出会うなんて――!)
臨戦態勢に入ろうと、席を慌ただしく立ち上がるラナンに対し――
黒衣の女性、マリアライト・レオマは穏やかな笑みを崩さず、ラナンの座っていた隣の席に腰を下ろした。
「ふふ、安心してください。私は戦うつもりはありません」
そう言うと、マリアライトはカフェ名物『ソラカラちゃんパフェ』の乗ったトレイをテーブルに置いて、食べ始める。
あまりの毒気のなさに、ラナンも思わず座り直してしまう。
「……でも君も、願いがあるんだろう? 強い、願いが」
「ええ。わたくしは、世界中に愛を伝えたいなあ、って」
「え?」
にこにこと、瞳を閉じて微笑むマリアライトの答えに、ラナンが呆気にとられる。
「そのためには……他の皆を殺さねばならないんだよ?」
「ええ、そうですわね。それはとても悲しいことです。
愛を伝える相手が減ってしまうのは、悲しいです」
マリアライトの声が僅かに曇る。が、すぐに前を向いてパフェを口に運ぶ。
「ですから、私がもし願いを叶えられるなら。
この戦いで散った方々も皆、生き返らせて差し上げたいと思うのです。
だって、愛を知らずに死んでいくなんて……私の願いとは反しますから」
「……優しいんだね、貴方は」
今度はラナンの声が沈む。
対戦相手のことも慮るマリアライトを見て、自分の小ささを思い知らされていた。
一方で、自分だけが悩んでいるわけではないという、奇妙な連帯感も感じつつあった。
「でも、それでどうやって勝つんだい?」
「うーん……私は戦う気もないのですけれど……え?」
「!」
ラナンが悩んでいた隙に、第三の人物が会話に割り込む――戸村純和である。
新たなタロット所持者の登場に、二人に緊張感が走る。
「安心してください、僕はお二人の味方です」
青年の言葉に、女子二人が安堵の表情を見せる。
――既に彼の術中に陥ったことに気付くことなく。
「ああ、自己紹介がまだでしたね。僕は戸村純和――
帆村探偵事務所の、まあ助手をやってます」
「探偵……ひょっとして」
「ええ。失礼ながら調べさせてもらいました。
といっても、貴方がオフ日にこのカフェでモーニングを食べるのは
雑誌のインタビューなどで知られていることですし、ファンの皆さんが
貴方やお店に配慮してこのときだけは基本的に近づかない、ということも
有名な話だったので、調べたといえるかどうか微妙なところですが。」
そう言いながら、二人の向かいに座ってカバンから書類の束を取り出す。
――戸村が情報屋に依頼して手に入れた、タロットへの関与が疑われる数名の資料。
そこには、我道と九頭龍、ラナンの資料も混じっていた。
「本題にいきなり入りますが、僕は残念ながら相手の情報を暴く能力くらいしか持ってません。
例えばこの二人のようなパワーファイターとぶつかれば、百回やって百回死ぬでしょう。
そして――失礼ながら、貴女方も正面切って戦うタイプではない」
「その通りだけど……まさか同盟を組む、と?」
「そうです。……僕の考えたプランなら、この二人を打倒できます。
ただ、そのためにはラナンさんの協力が必要です」
ラナンが戸惑う中、戸村はさりげなく『疑わしきは罰せよ』を挟み込む。
真実を誤認させ、記憶を改ざんする能力――それを悟られないように。
「……けれど、勝者は一人だけではありませんか?」
「その通りです。なので、最終的には、僕とラナンさん、それと……ええと」
「マリアライト・レオマです。わたくしのことは、調べてないのですか?」
「ええ……残念なことに全ての所持者をつきとめたわけではありませんからね。
こうしている間にも、着々と戦いは進んで、減っているでしょうから」
マリアライトの疑問に答えながら、戸村は内心の困惑を押し殺す。
正直に話したとおり、今日までに調べられたのは十名程度。その中にマリアライトの名はない。
だが、戸村が割って入る直前の様子を見る限り、彼女は戦うつもりがない。
ならば、下手に除け者にするよりは取り込んだ方がいいだろう、と結論づけた。
「ともあれ。僕たちが最後に残ったら、この同盟は事実上の解散になって
三人で争うことになるでしょう。ですが、それまでは力を合わせてはいただけませんか。
……誰が勝ってもうらみっこなし、で」
戸村の、サングラスの奥の真剣なまなざしを見て、ラナンが悩んだ末に首肯する。
マリアライトもまた、朗らかに微笑んで同意を返した。
「わかったよ。君に乗ろう」
「わたくしも、及ばずながら力になりますわ」
「ありがとうございます。で、作戦ですが――」
作戦を託すと、戸村は二人を残して、スカイツリー入口まで戻っていった。
多くのタロットを一度に集める、完全犯罪の第一歩の為に。
「さて、それじゃあ僕は人払いをしないとね……流石にあの作戦、一般人を巻き込みかねないからね」
「わたくしもお手伝いしますわ。……ついでに、下の景色を見たいですし」
こうして、ラナンとマリアライトは――作戦に備え、天望フロアから他の客を追い出していった。
国民的アイドルのカリスマ性をフル活用して、誰も巻き込まないように、と。
~~~
そして現在。
窓ガラスが音圧で砕け散り、高度350mの外気が容赦なく吹き込む。
「……っ!」
高級防音耳栓で耳を保護してなお、ラナン自身にも少なからぬダメージがある程の大音量である。
一同の鼓膜はもちろん、内耳にまでダメージを与え――平衡感覚を奪うには十分過ぎる切り札だった。
ラナンの能力で規格外の音量を流す、即興の音響爆弾。
奇襲に備えて気配を逃すまいとすればするほど逆効果となる、戸村純和の奇策。
余談ではあるが、込清の能力が戸村に効かなかったのもこの作戦の副産物である。
戸村の耳にも、ラナンと同様耳栓がされている――音が遮断されている。
込清の話を聞いていないから効かなかった、それだけである。
スカイアリーナやエレベータの会話は、読唇術で対処していたに過ぎない。
もっとも、当初の計画ではラナンと自分だけが勘定に入っていたために、マリアライトは
耳栓をしていない。説明はしたが、マリアライト自身が固辞したのだった。
そのためか、マリアライトも床に倒れ伏している――
後は武器を奪うなりして、とどめを刺すだけ――と、説明を受けていた。
だが。ラナンもまた、感覚を奪われていた――視覚を。
戸村が投げたフラッシュバンによって。
(! おかしい――話が違う)
他の面々も閃光に目を焼かれ、視界がブラックアウトしている。
唯一、サングラスで目を保護していた戸村だけが、平然と立っていた。
「すいませんね、スーパーアイドルさん。
でも、裏切りを理解できないまま死ぬ方が、たぶん幸せです」
うろたえるラナンも、床に倒れ伏したマリアライトも。
戸村を味方だと、今も信じて疑っていないだろう。そう信じ込ませたのだから。
込清の持っていたカスタム銃を拾い上げ、歌姫の眉間に照準を合わせ――ようとして、異変に気付く。
(……? 何だ?照準がズレ…… っ!?)
ズレていたのは、照準ではない。
自分が立っているフロアが――傾き始めている!
その傾きが自覚できたときには、もう遅い。
「な……何が起きてる!」
「クソッ、やっぱり罠ですか……え、ええっ!?」
ずるずると、一同が少しずつ一方向にずり落ちていく――先程、ラナンの爆音で砕けた窓へと。
(誰の能力だ? 我道でも九頭龍でもない、二丁拳銃のお嬢ちゃんでもない筈だ。
ラナンの能力で倒れるわけもない……とすると、残るはあの女性か!)
体勢を低くしながら、戸村は考察する。
調べそびれた第三者、マリアライト・レオマへと銃口を向けるが……
滑り落ちる速度が上がり、とてもではないが撃つ余裕がない!
(だがなぜだ。彼女も僕を味方と認識している、敵対行動は取れないはずだ!
ましてや、このままだと……自分が真っ先に墜落するぞ!?)
音響のダメージが未だ残るのか、マリアライトの表情は窺えない。
だが、破れたガラス窓に彼女は最も近い位置にいる。
(……待て。まさか、そんなことが。
もし、これが、彼女にとって敵対行動でないとしたら――)
そして、抵抗一つすることなく。
窓から天望デッキの外へと、マリアライトが放り出される。
その表情を、戸村は――見てしまった。
(僕は、なんて相手を引き込んだんだ)
最初に会ったときと何一つ変わらない、穏やかな笑顔だった。
(……ああ。こんなとき、真の犯罪者なら、脱出手段の一つでも、持っているんだろうな。
僕は――そこまで考えが至らなかった)
このまま落下すれば、戸村が助かる手段は何もない。
能力で人々の認識はねじ曲げられても、現実に影響を与えることはない。
つまり、どう足掻いても――詰んでいる。
そのことに気付いた戸村は――諦めて。
手にした拳銃を自分のこめかみにつきつけ、ためらうことなく引き金を引いた。
(……帆村紗六。せいぜい消えた僕の行方を追ってくれ。
それが、僕ができる最初で最後の出題だ)
完全犯罪を目指した青年は、探偵に挑むことすらなく敗北した。
~~~
マリアライト・レオマ。
彼女の能力『緋色の歓傷』は、彼女が認識している範囲の傷を自在に動かす能力である。
つまり。
戸村がスカイアリーナで交渉している間に、スカイツリーから見下ろした街中の
建物や道路から、経年劣化や破損を全てスカイツリーの基礎に集めたのである。
それも、片側だけに。
その結果。
スカイツリーは根元から折れて、傾き始めた。
轟音で砕けてガラス一枚なくなった天望フロアから、タロット所持者は次々と数百m下の地面へと、投げ出されていった。
その頭上には、加速度を増して倒れ伏すスカイツリーの姿があった――
~~~
……あー。ここまで、かな。
はいどうも、七人目でっす。
この時点で、あたしの勝ちの目は――消えた。
別に、探偵が仕組んだ奇策ごときで完全消滅なんかしないし、
アルカナが『塔』だからってスカイツリーが倒れたら消えるだとか、牽強付会もいいとこ。
でも、スカイツリーが倒壊すれば、当然その下にある建物も街も人もぐちゃぐちゃに潰れるわけで。
犠牲者の数はとてもじゃないけど――七不思議の比じゃない。
あまりにも直接的で、暴力的な惨劇の前には。
怪異がもたらす惨劇は、あまりにも無力だ。
震災級の事件が起きた中で、七不思議を語る奴なんていやしない。
もちろん、いつかは『七番目の七不思議』は思い出され、語られるかもしれない。
けど、それじゃあ間に合わない。
人の噂も七十五日というけれど、タロット集めの期限は五十日間。
流石にこれだけの大惨事、七十五日程度で忘れられはしないわよね。
どころか、歴史に名を残すんじゃないの?
……だから、あたしは敗北を認める。
認めて、この世界からおさらばする。
諦めて、この世界からおさらばする。
結局、生きてる人間が一番怖いだなんて――怪談どころか冗談にもなりゃしない。
じゃあね。
『七番目の七不思議の七人目』は――語られることなく、消えた。
~~~
九頭龍は、諦観したように――落下していた。
(流石に死ぬ、な)
生き残りの目を探すが――九頭龍の力では、耐えきれない。
身体をいかに強化しても、数百m上空から叩き付けられれば、地面の染みになるのが関の山だ。
(結局、俺は未熟者だったか)
ラウンジでの無敗の記録も、彼にとっては空しいだけだった。
強さだけを求め続けるうち、いつしか周り全てが弱者にしか見えなくなった。
その曇った視野の代償として、死を迎える。これが未熟と言わずして何だというのか。
(……あそこで手を止めるんじゃなかったな。
我道の奴とは、久々に楽しく戦えそうだったってのに――!)
閃光弾で麻痺していた視野が、徐々に戻ってくる中で。
九頭龍は信じられないものを見た。
「――――!」
我道が、下半身を『大見解』でプロペラの如く回しながら――こちらに向かっていた。
鼓膜が破れて、声は聞き取れないが、何を言っているかはわかる。
(……ああ。そうだな。
勝負は、最後までわかんねえよな)
風圧に負けぬように力強く頷いて。
九頭龍は、ファイティングポーズを決めた。
喧嘩屋が、セスナの如く突き進む。
その拳は、渾身の一発のために引き絞られている。
言葉はもはや不要だった。
二人の拳が正面から、ぶつかり合う。
我道の拳から、骨が砕ける音が響き。
九頭龍の拳が、腕ごと粉砕された。
(俺は――格上に、ちゃんと負けたかったのかもな)
吹っ切れたように快い笑みを浮かべた九頭龍は、続く我道の介錯を身体で受け止めて――
不動の地下格闘王は、天空で散っていった。
~~~
落下するスカイツリーから助かる術を持たないのは――ラナンも同様だった。
(ああ、このままじゃ。みんな、死んでしまうというのに――私は何もできない)
崩落する超質量の塔は、無惨な死をもたらすだろう。
それは、ラナンが危惧した死よりは小さい被害かもしれないが、ラナンにとっては
数字の大小は問題ではない――
(結局、人の口車に乗った時点で。私は間違っていたのだろうね)
叶えたい願いがあるのなら、自分の力で掴まねばならない――
その大原則を今さらながらに思い出したラナンは、決意する。
(そうだ。20枚揃えばどんな願いでも叶うというのなら。
1枚だけでも、ささやかな願いくらい叶うだろう――?)
1枚どころか、欠片ほどしかない星のカードを握りしめて。
ラナンは、人生最後のライブを行った――
日が傾き、夕闇の彼方に見える星へと、届くように。
『スターライト』を、解き放つ。
~~~
同時刻、惑星間連合国家では――美しい歌声が響き渡った。
それを聞いた人々は、半ば呆けたように聞き惚れ、虜となった。
後の調査で『Stardust girl』なる地球の楽曲であることが判明したことで、
地球侵略に異を唱える声が相次ぎ、最終的に侵略ではなく友好の道へと舵を切ることとなる。
『あの美しい文化を生み出した星を侵略することは、宇宙の多大な損失だ』と――
宇宙を超えた音楽の力が、地球を救うことになる結末を知ることなく。
異星からのアイドルは、永遠の星になった。
~~~
東京スカイツリー、倒壊。
隅田川を目がけて倒れ込んだ世界一の電波塔は、押上一帯を瓦礫の山へと変えた。
隅田川が堰き止められた為に浸水被害も加わり、周囲はその後数時間にわたりパニックとなる。
その惨禍を引き起こしたのが、たった一人の女であることを――まだ世間は知らない。
~~~
「……う、う」
瓦礫に埋もれるように、遊葉は横たわっていた。
落下の衝撃で右腕がもげて転がり、残る左腕も足も粉砕されあり得ない方向に曲がっているが――生きている。
彼女の切り札である、黒蟻の軍勢・第三の能力『生きてこそ』。
どんな致命傷をも、必ず一度だけ耐える生存保証能力である。
ただし生存以外を保証しない。
そんな、辛うじて命を繋いでいる状態の遊葉に――
無傷のマリアライトが歩み寄る。
(……そうだ、トドメを刺しにきやがりなさい。
そのときが、あんたの最後ですよ)
マリアライトの死角で、千切れた遊葉の右腕が――銃を握りしめたままの腕が。
ふわりと浮かんで、その照準を聖女の背中に向ける。
第一の能力『ライオン好き』はライオン、およびライオンに関連があると判断したものを自在に操る能力である。
ライオン、すなわち獅子――四肢を操れる。
エレベータで込清に首を吊られながらも込清を打ち抜けたのも、この応用技があったからだ。
その上で発射した弾丸を『B4U』で左手に呼べば、確実にマリアライトを貫いて殺せる。
だが、マリアライトは傷付いた遊葉の身体を、優しく撫でた。
その瞬間、身体中の傷が地面へ逃げていく――
(え……? 私の傷を、治し っ !?!?!?)
傷と共に痛みが引くと同時に、快感の津波が遊葉の脳を揺らす。
手足が砕け、全身を打ち付けた激痛に耐えるべく大量分泌された脳内麻薬が、本来の鎮痛の役目を失い――異常な快感をもたらしていた。
脳がようやく脳内麻薬の生成を止めた瞬間。
逃がされたはずの傷が、再び遊葉へと這い戻る!
(あ、ああああああっ! 痛い痛いイタイイタイっ!?)
全身の傷が開き、外気と肉が、骨が、直に触れる。
かと思えば、傷が再び去り、嵐の快楽が舞い戻る。
数度ほど繰り返されたところで――
遊葉の身体が一際大きくびくり、と痙攣し、動きを止めた。
数拍おいて、その肉体が端から光へと還元されていく。
「……ああ」
マリアライトは微笑みを曇らせ、残念そうに呟いた。
「愛を、与えすぎてしまいましたか……ごめんなさい」
かつての仲間と酒を酌み交わすことを夢見た少女は、酒ではなく快楽の海に溺れた。
~~~
「……あんた。今、なんて言った」
ざ、と瓦礫を踏みしめる音とともに。マリアライトの背後から、声をかける者がいた。
我道 蘭である。
九頭龍との決着で右腕を砕かれながらも、彼女もまた生還していた。
そして見てしまった――マリアライトと遊葉のやりとり、その顛末を。
「? 愛を与えすぎてしまった、と言いましたが……それが何か?」
振り向きながら、我道の問いに小首をかしげるマリアライト。
瞳を閉じて微笑んだままの――いつもの表情だった。
「傷を何度も何度も与えて嬲ることが、愛だってのか?」
表情を失う我道に、マリアライトは平然と返す。
「嬲るだなんて……誤解ですわ。
傷が癒えるとき、そこには成長と喜びがつきものです。
それならば、わたくしが傷を癒やして、癒えたら戻して。
傷付いたらまた癒やせば、無限の喜びを享受できますわよね?」
その声色には、残忍さも悪意もない。
彼女は、本気で信じているのだ。これこそが、愛だと。
「わたくしもまた、傷を皆様から受け取る度に愛を感じ、
傷を皆様に与える度に、喜びを感じる。
とっても素敵だと思いませんか?」
ぞ、と我道の背筋にうすら寒いものが走る。
この女は。まさか、愛とやらを与えるためだけに。
こんな大惨事を、引き起こしたというのか?
「……なあ。あんたにとって、戦いって、なんだ?」
マリアライトの問いには答えないまま、我道が、低く低く呟く。
我道 蘭にとって、戦闘は純粋であるべきものである。
この戦いに臨む者のほとんどが、己の願いの為に戦うとはいえ――戦う瞬間だけは、戦闘に向き合って欲しいと思っている。
最期まで戦士として散った九頭龍。
か細い可能性の奇襲に賭けた込清。
奔放ながらも真摯に戦った遊葉。
自分も傷付きながら抗ったラナン。
悪魔の頭脳で策を練り上げた戸村。
彼らは、彼女らは――まだ、戦っていた。
だが、マリアライトは、戦ってすらいなかった。
「私は、戦う気はありません。ただ、愛を伝えたいのです。
世界を、愛で満たしたいのです。
世界中を、愛してさし上げたいのです」
この瞬間。我道 蘭は、マリアライト・レオマとわかり合うことを諦めた。
戦いのさなかに自分を見てくれない相手ならば、まだ説得も出来たかもしれないが――
この女は、何も見ていない。自分のことも、今日戦った相手のことも、倒壊事件で犠牲となる人々のことも。
この女は。愛を謳いながら、自分のことしか考えていない――
「そうか。 ……もういい。
あんたは、ここで殺す。そうしないと、ダメだ」
「そう仰らないでくださいな、貴方もきっとわかるは――」
マリアライトが言い切る前に、我道は機関車の如き速度で詰め寄り、
右の貫手でマリアライトの腹部を深々と抉り、突き抜いた。
急所こそ外れたとはいえ、その一撃はマリアライトの命に、十分に手が届く。なぜなら。
「……あ、はっ……」
「腕が刺さったまんまなら――傷を逃がすなんてできねえよな!」
血と臓物にまみれた右腕をさらに回転させ、残る内臓をかき回しながら。
空いた左手に残る力を全て集め、マリアライトの首をヘシ折るべく、決着の一撃を放つ。
「――大、見、かッ は、 あ?」
――その一撃が届く目前。
我道の身体がぶつりと、糸が切れたように止まる。
我道がもう少し冷静でいたならば、気づけていたかもしれない。
なぜマリアライトの言葉が聞こえていたのか、ということに。
マリアライトは、我道が地面に降り立った時点で。
鼓膜を含めた、我道の損傷を動かし始め――脳幹まで移動させたのだった。
喧嘩に生き、闘争を求めた最強の女闘士は、一方的な愛に包まれて力尽きた。
我道の身体が粒子となってかき消え、マリアライトの胴体に穴が開く。
その大きな傷も、マリアライトの身体を滑るように、足先から地面へと移っていった。
マリアライトの身体が、再び元通りになったとき。
彼女の手元には、都合七枚のタロットが現れていた。
「ああ、皆様……ありがとうございます。
これで、愛溢れる理想の世界に近づけましたわ」
マリアライトは、心の底から感謝しながら、スカイツリー跡地を離れる。
こうしている間も、痛みに、そして傷に苦しむ声が周囲から聞こえる。
それら全ての人々に愛を与えるのが――彼女の願いなのだから。
「皆様、安心してください――私が傷を、引き受けましょう」
聖女の如く微笑むマリアライトは、歓喜に打ち震えながら。
怪我人を一人でも多く救うべく、歩み出した。
~~~
紅色の歓傷――それは、彼女が絶頂を得るための力。
聖女ならぬ鬼女に相応しい、おぞましき力である。