1974年
◾️
 その夫人は常に噂話とともにあった。

 夫人は人前に姿を見せない。夫である故・侯爵とはずいぶん長い間別居していたらしい。
 危篤の場にあっても、親類一人さえ駆けつけない。彼女を看取ってくれるのは付き人たちだけ。息子夫婦からも見捨てられた。
 なにより、夫人は日本人だった。

「奥様、窓を開けましたよ…」

「ありがとう。とても助かったわ」

 なんでも日本の女学校にいたころ、たまたま旅行に来ていた故・侯爵に見染められ、そのまま婚約したのだそうだ。
 既に両親もいなかった。とんとん拍子に話は進んだが、しかしいざ結婚してみると、海外での生活は上手くいかなかった。

「桜の木があります。奥様の故郷の木ですよ…」

「ねえ。奥様だなんて、今更やめて頂戴。最期くらい名前で呼んでくれたって良いわ」

 侯爵は西洋人の貴族だった。
 そのため、彼女は西洋流の厳しいマナーを躾けられた。言葉の壁もあり、それに戦争も起きた。
 それで色々あって人前に姿を表さなくなり、こうしてイタリアの湖水地方の別荘に引き籠ってしまったそうだ。

 しかし、夫人の噂話はそれだけに留まらない。

「そうはいきませんよ。私たちは役割を与えられている。だからやはり、この場でのあなたは"奥様"なのです」

 彼女の噂の最たるものに、カトリックの教会との深い関わりがある。
 付き人たちも、本当は付き人のフリをした神父やシスターで、中にはエクソシストまでいるという話だ。
 結婚も実は嘘で、彼女はカトリック教会になんらかの理由で保護されているらしい。

「そう…それにしても本当に綺麗な桜ね。この盲いた目でも分かるくらい。学生の頃を思い出すわ。最期に見られて本当に良かった」

「あなたの大切な人たちを思い浮かべるのです。苦しみはなく、安心だけがある。家族や友人、彼らはそこにいる」

 あたかもその夫人が聖人であるかのように。
 夫人の手には聖痕が印されていた。

「大丈夫よ。何一つ後悔はない、とても良い人生だった」

 1974年。
 その日、一人の老婦人が、82年の人生に幕を閉じた。
 彼女の名前は三楢茉白。

 そして、もう一つ付け加えるなら。
 これが、"彼女"が歩む数奇な人生の始まりでもあった。



2020年
月曜日
◾️
——意識処理にノイズを感知

——安定化に失敗
——意識の強制終了を開始
——強制終了に失敗


——再起動に成功

 私、“三楢茉白”は御歳17歳。

——"三楢茉白"の状態を確認
——肉体の状態:良好
——意識処理にノイズを感知
——聖痕に反応あり

"おや、あなたは三楢茉白さんと言うのですか"

『ええ〜と、はいそうですけどー。いきなり出て来たあなたの方こそ、一体どこのどなた?』

——続いて周辺環境を観測
——タロットカード所持者の存在を察知
——ノイズをタロットカード所持者と認定

"私は闇医者ですよ。あなたに命の危険が迫っています"

——警告:"三楢茉白"への負荷が増大中

——"三楢茉白"の魔人能力を発動
——ライジング・ホープ
——孤輝の星
——1〜13までの安全装置を解除。周辺環境に適応して精神の安定化を図ります。

 今、病院のベッドに拘束されながら、頭の中で三回目の主の祈りを唱えている。

 懲罰は終わったようだけど、病院からはまだ出られない。
 だって今まで見たことのない医者が目の前に立っているのだから。

————医者?趣味の悪い茶スーツの男が医者?
————そんな格好なのに、どうして私は彼がお医者さんだって思ったのだろう?
——警告:"三楢茉白"の記憶領域に未知の反応を確認

『あの〜〜間違っていたらごめんあそばせ。どちらかでお会いしました?』

"おや、私のことをご存知ですか?お近づきの印にチョコパフェでもどうでしょう。それともこちらの方が好みですか?"

 伊山と名乗った医者は、懐からタロットカードを取りだした。
 私としてはタロットカードよりもチョコパフェの方が好みだけど。しかし、そもそも初対面の人(本当に初対面なのか?)から食べ物を貰うのは気がひける。
 それにここ病院だし。

 まあ、頂くんですけど。
 チョコパフェください。ギブミーチョコレート。

『プリーズッ!ヘイッ!』

 I'm hungry!
 Ho fame!
 J'ai faim!

——アルカナを"死神"と断定
——アルカナ"星"を提示します
——迎撃態勢に移行

 ああ…そうなるんだ。

"はじめまして、三楢茉白さん。伊山洋一郎と申します"

——警告:負荷により重大なクラッシュを引き起こす可能性があります
——魔人能力・孤輝の星により新たに取得した記憶データを復元し精神の安定化を図ります

——安定化に失敗
——記憶データを再生します

————その夫人は常に噂話とともにあった。

 盲いた両眼にボヤけた情景が広がる。
 今まで見たこともないようなお屋敷。私は豪勢なベッドに横たわっていた。

 豪華な飾りのついた窓————差し込む太陽の光————覚束ぬ視界

 窓の外に桜の木が一本見える。日の光に照らされた花びらが揺らめきながら散っている。
 そこは桜には似つかわしくない、イタリア湖水地方の優美な光景だ。旅行本で読んだから知ってる。

 見渡す限りの調度品————西洋風の建物————点在する日本風の品々

——警告:ノイズを処理出来ません
——14〜26までの安全装置を解除。敵を迎撃しながら、周辺環境に適応して精神の安定化を図ります

——警告:敵を迎撃できません
——警告:ノイズを処理出来ません

 豪華な西洋風の病室のベッド。
 湖水地方に咲く一本の桜。

 女学院でも、今までの人生の中でも一度も見たことがない光景。
 私は嘘なんて吐いてない。なら、これはもしかして幻覚?

『ついに私の心にガタがきてしまったの?』

————それとも嘘つきの癖が再発してしまったのだろうか?往時の私は自分に嘘を吐くことすら容易だった。そんな小学生の頃の稚気じみた悪癖は、今やすっかり厳しく矯正されてしまった筈なのだけど。

——警告:警告文が表示されています

『はあ……』

"さて三楢さん。先ほどからアナタの心は随分と取り止めがないようですねぇ。毎日多くの患者を診ているが、あなたほど心が分散している人間は初めてですよ。まずは私との会話に集中しましょうか"

 巡り巡る視界。いきなり出現した西洋風建築の寝室の部屋。ブラウンのスーツを着た長身長髪の医者が不気味に笑っている。救護院や病院で何度も見た、張り付いた笑顔だ。

 これが夢だって、もう分かっているけど、夢の中でさえ安息はないのだろうか。
 眠たい。

『あなたって随分と厚かましい方。私が言うのもなんだけれども』

"いいえ、私ほど勤勉で真面目な医者は他にいませんよ。ただ、タロットカードを持っている以上、あなたの命は保証できかねますがね。茉白ちゃん"

"悪いけどそこは割り切らせて頂きますよ"お医者さんはそう言った。
 う〜んと、そういうところが厚かましいって言うと思うんだけれども。
 でも性格って、言ってどうこうなるものじゃないしなあ。

————ちゃん付けもやたらと馴れ馴れしい。

 私の心は必死に何かを思い出そうとしているけど、しかし、やはりこんな男は私の記憶の中には存在しない。

『"矛盾してる"って言われません?伊山センセイって。お医者さんなのに私を殺そうとするんですか?』

 医者なら早く私を助けて欲しい。
 ここから出して欲しい。
 私は忍耐と和平の心は持ち合わせていないが、それでもなお戦いを求めない権利はあるはずなのに。

 人を治す立場の人間が人を殺そうとするなんて————愚かだ。
 愚者だ。

『どんな理由があって私を殺すって言うんですか?私が戦いに参加するって言ったから?』

——警告:敵を迎撃できません
——警告:敵を迎撃できません

"物わかりが良くて助かります。やはり元々知能の高い方なのですね。タロットカードを持っている人間は、私にとって救命の優先度が下位です"

 私————私、まだ何もしてない!
 ただ選ばれただけ!変な夢を見たら、気が付いたらこうなっていた!

——27〜39までの安全装置を解除。集約されたデータから敵を排除するための最短方法を演算します
——警告:敵を迎撃できません
——目標を発見できません
——演算結果:
——敵への対処法が見つかりません

——警告:"三楢茉白"への負荷が増大中
——警告:負荷により重大なクラッシュを引き起こす可能性があります

——40〜52までの安全装置を解除
——53〜65までの安全装置を解除
——66〜78までの安全装置を解除
——79〜91までの安全装置を解除
——92〜104までの安全装置を解除

——警告:敵を迎撃できません

"茉白ちゃん。アナタは勘違いしている。ひとつ、私が何かしなくても、アナタは勝手に怪我や病気で死ぬ。ふたつ、私は医者じゃない。闇医者だ"

『ふふっ、闇医者って自分で言うんですか』

 場の空気も弁えず、私は思わず笑ってしまう。
 こんなこと、女学校でやったら村八分にされてお終いになりかねない。
 でも、伊山センセイは周囲の皆や神父様のような張り付いた笑顔で私の全てを受け入れてくれた。

"私はね、茉白ちゃん。今も昔も変わらない。目の前にある、より多くの良き命を救う。それだけだ。その為には手段は選ばない。その方針は、何一つブレていない"

——警告:"三楢茉白"の記憶領域に未知の反応を確認
——記憶データを再生します。

 丘の上に生えた一本の桜は、満開の花を咲かせて揺らめいている。
 季節外れの姥桜。
 私はベッドから抜け出して、丘の上に向かって走り出していた。

————夢なら何をしても良いよね。

 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰!

 今また、夢の中の景色が変質した。桜の枝の上には、いつものように"彼女"が座っていた。
 純白のワンピース。この世ならざる儚げな薄いピンク色の髪が桜の花びらと一緒に揺れている。

 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰!

 私は知らない人に駆け寄る。
 誰?この人?また知らない記憶?

————私の心は、とうに破壊されているのかもしれない。
————先程から頭の中に出てくる警告文だって、頭のネジが外れた脳が作り出した妄想に決まってる
————でも、
————そもそも、私のような存在に、心などと言うものが存在したのだろうか。

 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰! 懲罰!

 私はびっくりした。先日の一件があったから、周りの友人たちからは避けられるか、過剰に心配するフリをされるかのどちらかだと思っていたから。
 だから、桜宮子さんだけがいたときは純粋にうれしかった。(嬉しすぎて、駆け寄った際にすっ転んだのは個人的なハイライトだ)

「やあ茉白さん。何日ぶりかだね」

「宮子さん!」

 二人の少女が会話を交わす。
 張り付いた笑顔で互いに笑いかけ合う。
 見知らぬ記憶。私も桜宮子さんに張り付いた笑顔を向ける。

 何も、何も何も知らない。

『もうやめてーーーーーーーーーッ!』

"アナタは闇医者を舐めている"

 死神がどこかで笑っている。
 西洋風建築もどこかへ行った。今は丘の上にいる。一本桜の下で、私は桜の妖怪と話をしている。

"私の宣告【ガイダンス】を舐めてもらっては困ります"

 もう分かってる。私が既に壊れてしまっていることは。
 でも、私の中の力が壊れることを許さない。
 だから壊れた心の中で永遠に夢を見続けるしかない。

"私の手が届く命の範囲は別にアナタ一人ではない"

 夢を見続ける私にとって、他人の心の中に土足で上がり込んでくる、伊山センセイのようなタイプは、それだけで対処のしようがない。
 ハッキリ言って無力だ。


——"三楢茉白"がクラッシュしました
——警告:

"茉白ちゃん。誤解の無いように言っておきますがね、私が戦うのは、東京の何百万人、何千万人と存在する人間たち全てですよ。可能な限りの数を救うための戦いなんて——アナタはあまりにも愚かだと思うでしょうが"

——
——
——105〜117までの安全装置を解除
——警告:外部に新たな敵を捕捉
——聖痕に反応あり

——外部の環境を観測
——タロットカード所持者の存在を察知
——敵をタロットカード所持者と認定

——外部の敵がタロットカードを提示
——アルカナを"太陽"と断定
——アルカナ"星"を提示します

——"三楢茉白"の反応無し
——精神状態:異常あり

——アルカナ"太陽"から"三楢茉白"の肉体へ攻撃を受けています
——外部の敵を最優先し、肉体を保護するためのモードに切り替えます

——118〜130までの安全装置を解除

——
——肉体を反物質へ置換し、ブラジリアン柔術で敵を対消滅させます



同日
◾️
 発光、発光、発光、瞬き。

 目蓋を閉じる時間もない程の刹那に三回のフラッシュ。と、次の瞬間、"ソレ"が桜宮子の眼前に出現する。

 セーラー服を着た、金属の塊。
 凡そ人間と呼べないような"ソレ"は、溶解と融解を繰り返し、狭い病院の通路を、変型しながら高速移動する。

 金属の塊は瞬時に少女の姿となる。
 少女の両腕から刃が生えている。

 桜宮子が襟を掴まれた。
 金属に包まれた、セーラー服の少女の顔が見えない。

「ブラジリアン柔術…」

 桜宮子がその危険性に気がつくのと同時に、三楢茉白のブラジリアン柔術が、文字通り炸裂した。
 ブラジリアン柔術。壱の型。禁じ手。

 相撲では性行為の隠語としても用いられるそれは、プロレスではフライングメイヤーとも呼称される。自身の腕を相手の首に巻き付けた態勢から投げる姿、首投げである。

 が、ここで三楢茉白が桜宮子に用いたのは両腕を刃状に変形させ、指先を反物質に置換することで殺人的な威力とした、首投げの変形。
 バルセロナ五輪で古賀稔彦が好んで用いた——腰車首投。

 反物質粒子剣オーロラプラズマ腰車。
 投げ出された桜宮子の背中が廊下の床に接地すると同時に、制御された少量のγ線が僅かに放たれた。
 それは対消滅爆発による被曝の輝きだったか。


 普段は人里離れた場所に佇む妖怪桜、桜宮子が都内の大病院を訪れた理由は「なんとなく」という他なかった。
 ただ、気分の赴くままに歩いていたら辿り着いただけだ。

 それでも、一切の因果関係がないわけではない。
 元々、「引っ越したいから」という理由で、タロットカードを奪い合う戦いに身を投じていたのもある。
 都内を彷徨いていればやがてアルカナ所持者と巡り合うこともあるだろう、くらいの軽い気持ちで都内観光に身を乗り出したに過ぎなかった。

 ところが、これが大当たりだった。
 桜宮子にとっても予想外である程に。

"太陽"と"星"は出会い、ほんの僅かな時間を、数撃交わし合った。
 結果、大病院の一階部分の一部、廊下と部屋の一室が吹き飛んだ。

 だが、それだけだった。
 何人かの人間が、猛烈な桜吹雪の中、金属の刃を交錯させる二人の少女を目撃した。だが、奇妙なことに怪我人、死者共に1名も出なかった。

 想像以上の痛手を負った桜宮子は、しかし本人でさえ気が付かぬまま、最小限の負傷のみで三楢茉白から逃げ果たした。

 崩壊した壁から黒煙と桜吹雪が飛び出す。
 桜吹雪の中から、桜宮子が夜空へ飛び出した。

「はっ、全く!いきなりブラジリアン柔術とは恐れ入ったよ。この借りは必ず返させてもらおうか。また会おう、お嬢さん」

 捨て台詞を残したまま、彼女は夜空の喧騒の中へ飛び去った。



火曜日
◾️
 江戸彼岸の桜は長寿である。
 葉のない姿は姥桜とも呼ばれる。

 東京は都市部を離れた小高い山の、丘の上に一本の姥桜が咲いている。
 季節外れにも関わらず桜色の花びらが満開だ。
 柔らかな日差しの下にあって、年中咲き続ける花は葉がないにも関わらず、生きとし生ける姿から生命力の輝きが欠けたことはない。

 何を糧としているか、知れたものではない。
 故に人は言った。「この桜の木の下には死体が埋まっている」と。

「あら、これは珍しい。あなたは一体誰だろう。今や、この木に人などめったに寄り付かないというのに」

 桜の枝に、少女が腰掛けている。
 白いワンピースを纏っている。長い髪は、この桜と同じくらい、得体の知れない生命力を感じる桜色をしていた。
 少女の視線は地面にいる男に注がれていた。

「こちらこそ珍しい夢が続くものです。本来、夢とは第三者視点ではなく主観視点なのに。しかしまあ、チョコレートパフェでも如何ですか?」

 男は長い茶髪を結って、ブラウンのスーツを召していた。その手に持っているのはスプーンとチョコレートパフェである。

「残念だけれど、わたしはチョコレートは口にしない。人の食べ物なんて口に合わないのだから。しかしこれを夢と言いましたね。これが夢なのですか?」

「ええ、無意識に働きかけることで、あなたの頭の中にお邪魔させていただいているのです。しかしチョコレートはお口に合いませんか。ではこちらのカードはどうですか?」

 男は微笑みながら胸ポケットからカードを取り出す。死神の図柄が描かれたタロットカードである。
 そして、応じるように少女もまたタロットカードを提示した。輝く太陽の図柄が描かれたタロットカードである。

「それなら持っているよ。あなたも持っているのだね」

「申し遅れました。私は伊山洋一郎。闇医者をしています。見たところ貴女は人間ではありませんね。一体何者でしょう?」

「おや、分かるのかい。そう、わたしは桜。桜宮子です」

 桜宮子は桜の精だった。

 都外れの妖怪桜。
 降り積もる年月と、この地に惹きつけられ、埋められ続ける死体たちが折り重なって出来た、桜の木の妖怪。人外の化生である。
 伊山洋一郎が、彼女は人間でないと看破したのも、ひとえにその妖しげな佇まいのためか。

 彼女は昨晩負った傷のために、この桜の元へ来たつもりだった。だが目の前の男はこれを夢だと言う。彼女としては、その点が少し気になった。

「桜さんですか。では桜さん。この夢が視えているということは、アナタに危険が迫っている。ただ私はそのことを知らせに来たのです」

「ふん。しかしだね、桜は夢を見ない。夢を見る器官が無いのだから。だからきっと、これは地面の下に埋まっている誰かが視ている夢なのだろうね」

 そう言って、彼女は地面の下を指差す。

「何故なら、この体は地面に埋まった人間を基にしているから」

 伊山は地面を見下ろす。

「成る程、この地面には死体が埋まっている。そして、あなたの姿はソレを基にしているというのですか。ならば死体が夢を見ることもあり得るでしょうか」

「そう。この桜の下には無数の死体が埋まっている。色んな人たちが人間の死体を捨てていった。わたしはもうこんな場所から引っ越したい。だから、もう話はお終い。わたしの願いを叶えるために死んで頂戴」

 言うが早いか。
 即座に跳ね出たのは、呼吸するように伸長した桜の枝である。それは一本の槍となり、伊山の額を突き刺した。

「屍山血河に華咲く桜。またはブラッディチェリー。わたしはそう呼んでいる」

 簡単に言えば、植物や槍を様々な武器の形状に変化させる能力である。しかし、今のように本体の桜を用いた方が速度や威力も高くなる。
 今のは枝を槍の形状にして放った一撃だ。
 桜本人は桜枝棘槍、またはブランチスピアと呼んでいる。

「なんだつまらない。タロットカードを持っていると言っても、他の人間とそう変わらないのだね…」

 やはり昨晩戦った相手が異常だったのだ。桜宮子は自身をそう納得させようとした。
 病院。星。
 そういえば、人間の顔さしたる興味も持たない彼女だったが、昨晩の少女のセーラー服はどこか見覚えのあるデザインではなかっただろうか。それに、あの手の模様。
 唐突に、そんな考えが思い浮かんだ。

「成る程。桜は夢を見ない。だから夢とは如何なるものかを理解しないのですね。夢の中では何をしても無駄ですよ」

「何?」

 桜の槍をすり抜けるように、伊山洋一郎はゆっくりと体を起こす。

「夢は夢です。全て頭の中の出来事。それに、どうやら脳の主が夢の続きを見始めたようですね…」

 たちまち伊山の姿は消えてゆく。

「ついてないね。つい昨日の夜も厄介な相手と交戦したばかりだ」

 太陽が逆向きに回転する。
 空が明滅したかと思えば、辺り一面に見知らぬ懐かしい香りが立ち込める。そして、桜宮子の目の前には、セーラー服を着た少女が立っていた。

 空には一等星が輝き、しかしそれは日の光に取り込まれて見えなくなる。
 白い光に包まれ、桜宮子とセーラー服の少女が言葉を交わす。

「宮子さん」

 セーラー服の少女が宮子の名を呼びかける。
 髪は首の辺りまで伸びている。

「あなたは…」

 なんてことはない。
 桜宮子は安堵の吐息を漏らす。
 目の前にいるセーラー服の少女は、宮子が今の肉体を得た百年の間に見知った人間だ。

「なんだい、なんだい。闇医者が夢なんて言うから期待してしまったじゃないか」

 彼女はセーラー服の少女に優しく微笑みかける。
 知己の少女に。5年前に知り合った、今は亡き少女に。

「あなただったのか。と言うことは、これはわたしの基になった死体が見ている夢なんかじゃあない。わたし自身の記憶さ。なあ?茉白さん——」

 桜宮子にとっての三楢茉白は、5年前に良く言葉を交わし合った、とある女学生だ。神学校に通っていたのだったか。

 もしかしたら、昨晩の少女も三楢茉白だったのだろうか。だとしたら彼女と殺しあえるなんて、親友冥利に尽きるというものだ。
 当時の彼女は確か18歳だった。生きていれば23歳になっている筈なので、成る程、現代の人間たちは、大人でもセーラー服を着るのが流行っているのだろう。などと考えた。

「宮子さん。わたしはあなたの光が届かない場所へ行くと決めたの。遠く離れてしまうけど、わたしたちの友情は永遠よ」

 セーラー服の少女は、しかし、録音された内容を読み上げるレコードテープのように、決められた台詞を吐き出した。
 三楢茉白の、この台詞は、桜宮子の記憶にはない台詞だった。

「……誰だ?あなたは」

 人の顔形などさして区別もつかない妖怪桜の精だが、思えば、同じセーラー服を着ていると言っても、相違点はある。

 白い光が一層大きく光り輝く。
 それは、宮子自身である桜の花が、太陽光を乱反射しているのだと気が付いたけれども、光を止めることは出来なかった。

 桜の目の前には、セーラー服の少女が立っている。その手には聖痕が刻まれている。
 聖痕の模様が、記憶にあるものと違う。

 見知った少女の、見知らぬ台詞。
 だが、そのどれもが懐かしく感じられる。
 いつのまにか、自然と宮子の口からも台詞が吐いて出た。

「茉白さん。わたしは病気で永くないんだ。星間飛行症候群と呼ばれる病でね、だんだん体が冷たくなって、死体になるのさ」

「宮子さん。約束して。あなたが死んだら、あなたの死体をこの桜の木の下に埋めるわ。だからわたしと離れている間は、絶対に死んでは駄目よ」

 夢の作用は桜宮子の基になった人間の記憶をさらう様に呼び起こして、そして現実の世界では僅か数分にも満たない程の瞬く間に過ぎ去った。



同日
◾️
 この教会には地下室があった。
 地下室というよりも頑丈なシェルターだ。
 その地下室は現在、とある男が好きなように使っている。かつて、さる聖人を看取ったことで、教会の属する団体に多大な貸しを作った男だ。

 男の名前を伊山洋一郎と言った。

 この教会にただ一人所属する神父は、伊山の素性を深く知らない。
 どうやら地下室の件のように、あちこちに貸しを作っては住む場所を定期的に変えているようだ。

 だが、伊山は病に罹っているらしい。
 その彼が、地下室に篭ったきり、約二週間ぶりに神父の前に姿を現した。

「おはようございます。神父」

「おはよう、伊山先生。ご病気の調子は如何かな」

「体調は優れていますよ。この病以外はね」

 伊山は皮肉っぽい微笑みを見せた。
 その佇まいからは、彼が死の病を負っていることを推察することは難しい。

「星間飛行症候群と仰いましたか。それは真面目な病なのですか」

「ええ、残念ながら実在します。星間飛行症候群。別名コールドスリープ症候群。健康な人間がある日いきなり意識を失い、何週間も眠り、やがて目覚めてはまた意識を失う。それを繰り返し、いずれ本当の死に至る」

 それ故に宇宙飛行中の冷凍睡眠になぞらえ、星間飛行症候群と呼ばれる。
 発症原因は不明。奇病と目されるこの病は、全世界に約数十人の罹患者が存在する。
 100年前の日本でも既に症例が確認されていた。当時、18歳になる華族の娘がこの病で命を落としている。

「そういえば伊山先生。あなたが眠っている間に、地下室は掃除しておきましたよ」

「…そうですか。それはありがとうございました」

 神父はあえて地下室の状況のことについて聞かなかった。
 伊山も深くは説明しようとしない。
 ただ、伊山を尋ねてくる客がやってきたとき、夢の中で予め死の危険を知らせてくれたおかげで、教会から人払いを済ませることができた。
 それだけだ。

「いつ発たれるおつもりで?」

「すぐにでも。この病気は眠る時間を決めさせてくれませんから。眠っている間は完全な仮死状態に陥るので、どこかへ隠れさせていただきますよ」

 神父は何か尋ねようとしたが、伊山の人差し指が神父の顔を差した。

「ところであなた、今の私が見えているのですね?」

「…?なんですって?」

「これは私の幻ですよ。つまり、あなたはまた災難に見舞われている」

「…!」

「…ふふ、冗談ですよ」

 闇医者は笑って教会の出口へ歩んでゆく。
 差し込む光が彼の影を薄く、長く伸ばす。
 その姿に、神父は声を投げかけた。

「何処へ行かれるおつもりで?」

「病院ですよ。こう見えて医者なのでね」

 冗談なのか、そうでないのか。はぐらかすような調子で言い放つと、伊山洋一郎は出口の扉に手を掛ける。

「ところで神父様、私に隠していることはございませんか?」

「……いいえ、とんでもない」

 神父は表情のない顔で笑った。



同日
◾️
 西行佐久也は都内新宿区にある大病院、聖寝技記念病院に勤務する実直な医師である。
 若いながら、その卓越した技術で多くの命を救ってきた。

 その日の午後、西行医師のところへ一本の電話が入った。

『もしもし、西行か?俺だ、伊山だ』

「おー!伊山お前か!まだ死んでなかったのかこのヤブ医者ァ!どうした、どうした!病気はどうした、今起きてんのか?もしかしてまた俺に診察してほしくて電話したんじゃないだろうな!?」

「先生ッ講演中です!!」

 西行医師は携帯電話で会話しながら、壇上を降りて、病院内の講演会場から出て行く。

『ああ、そうして欲しいところは山々なんだけどさ、頼みたいことがあるんだよ』

「なんだ、なんだ!また俺に頼みかぁ!!まったく、俺がいないと何にもできない奴だな、お前は!」

『つれないこと言うなよ。昨日は危険を知らせてやっただろ。おかげで誰も死ななかった筈だが?まあ、大学からのよしみだと思ってくれよ』

「っっぁー!それを言われると辛いな、まあお前の言う通りだよ。昨晩、病院敷地内のB棟一階で小爆発があった。ガイガーカウンターが過剰な数値を示してる。にも関わらず、ニュースはどこも小さくしか取り上げない!」

 昨夜から東京では同時多発的に異常な殺人事件、怪事件が多発していた。都内の大病院で爆発があったからと言って、誰も怪我すらしなかったのでは、注目はそこまでだ。
 スカイツリーや他の地区ではより大きな騒動が起こっている。

 西行の夢の中に伊山洋一郎が現れたのは、一昨日の仮眠中のことだった。
 本人から話は聞いていたが、成る程これが彼の宣告【ガイダンス】かと感心した。そして夢の中で伊山の幻と打ち合わせを行った。
 翌日、病院中で伊山の夢を見た者たちを探し、B棟一階が怪しいと当たりをつけた。

 そして、西行ですら知らない、"秘密の入院患者"以外の全員をB棟一階から避難させたのである。

『ああ、でさ。頼みなんだけど、そこの病院にいる人間、移動できない患者も含めて全員新宿区の外へ避難させられないか?』

「おお、任せとけ。大船に乗ったつもりでいろよ!」

『…出来るのか?』

「お前から言い出したんだろうが!権力者の息子を舐めんじゃねーよ!!どうせまた昨日みたいなことになるんだろう!」

『いや、おそらく病院ごと、下手したら東京が吹っ飛ぶだろうな』

 伊山の発言に、さしもの西行も冷や汗を流す。
 基本的に、二人の間で嘘は通用しない。勝手知ったる仲というやつだ。そんな伊山が言うことなのだから間違いない。

「まさか…ブラジリアン柔術じゃねえだろうなッ?」

『ああ、そのまさかだ』

 ブラジリアン柔術!ここに来てブラジリアン柔術が出てくるとは!
 伊山洋一郎がタロットカードの戦いに参加していることは西行も知っていた。だが、まさかブラジリアン柔術まで出てくるとは。

「クソちくしょうめ!」

『それで、西行。もう一つ頼みがある。お前にしか頼めないことだ』

「なんだよ大親友。聞いてやるよ、クソッ!」

『三楢茉白ちゃんってさ、覚えてるか?』

 その名を聞いた西行は即座に冷静になる。
 そして、記憶を辿り、その答えにたどり着いた。

「ああ…!覚えてるぜ。聖体拝領計画、だったか?聖人の遺体にホムンクルスやら戦闘AIやらをぶち込んで、人工的に聖人を造っちまう計画の、その試験管ベイビーだったよな。お前が看取った筈だよな。5年前だったか?確か」

 聖体拝領計画。
 かつて教会が進めていた、人造聖人創造プロジェクトである。
 人類の手で聖人を創り出すという理念のもと、ありとあらゆる倫理観が無視され、非人道的な実験が進められた。

 だが、この違法極まる人体実験を止めたのは、正義や道徳ではない。実験に失敗し、「今の人類には無理」だと判断されたためだ。
 聖体拝領とは、聖人の遺体収奪を自嘲した教会側の隠語である。

 それにしても、と西行医師は思う。
 人工的に作り出された聖人の一人、三楢茉白は18歳まで生きたが、西行と伊山が彼女に関わったのは彼女の死の数時間前からだった。
 死因は肉体の衰弱だったか。伊山はその死を看取っただけで、教会にどれほどの借りを作ったのだろうか。

『西行、お前が仕切ってる死体市場にさ。最近、彼女の遺体が出回ったりしなかったか?』

「いや…!俺の目が黒いうちはシマでそんなことはさせねーな。権力者の息子を舐めんじゃねーぞ。今や教会にも権力の首輪がついてることだしよ。だが、ホムンクルスだったか?そのレシピ自体は、裏にも出回ってる筈だろ?」

 西行は既に、伊山の話から事態の概要を掴みつつあった。
 ホムンクルス、聖体拝領計画、ブラジリアン柔術、
 そしてブラジル水着。
 そこから導き出される結論。
 世界Tバック計画。

 想像していることが正しいなら、このままでは東京どころの話ではない。世界全体の危機だ。

『ありがとう、西行。おかげで犯人が分かったよ』

「分かったって…教会じゃねーっつってんだろ?」

 そこで電話が切れた。
 西行は考える。
 今の伊山の声が幻でなく、本人の肉声ならば、つまり彼の発言と合わせるなら、このままいけば自分は"即死"するということだろう。即死ならば宣告【ガイダンス】の予知夢にも引っかからない。
 西行は携帯電話を掛ける。

「…もしもし!親父か!!スネをかじらせてくれ!!都知事と院長に掛け合って、病院内外周辺の人間を全員退避させろ!ああ…伊山案件だ!」



同日
◾️
 伊山洋一郎の、タロットカードをめぐる戦いのスタンスは単純である。
 より多くの命を救う。

 そして、より多くの命を選別する。

 彼がアルカナにかける願いは『この戦いで死ぬべき人間を死にゆくままに死なせ、その分、生きる価値がある人間を同じ数だけ生き返らせる。』
 つまり、命の選定である。

 『この戦いで死ぬべき人間』と『生きる価値がある人間』には、当然、タロットカードを巡る戦いの中で巻き込まれて死ぬ人間と、他のタロットカード所持者たちも数に含まれる。

 彼にとって、タロットカード所持者は自分も含めて勝手に死ぬ愚者に過ぎない。
 そこに例外はない。

 彼にとっての問題は、出来る限り社会への被害を少なくすること。そして、死んだ人の数を把握して、生き返らせる人間を選ぶこと。
 社会に貢献する以上、社会全体を利用して、タロットカード所持者たちを追い詰める。

 宣告【ガイダンス】の網にかかる条件はいくつかあるが、基本的に「少しでも伊山洋一郎に会える可能性がある人間」が選ばれる。
 伊山洋一郎は、東京だけでも毎日、数百、数千人の運命を選定している。
 そこから得られる情報を駆使して、兎に角助かりそうな場所だけに注力する。

 スカイツリーは捨てた。
 秋葉原、その他のいくつかの場所も。

 この手の戦いは未曾有の被害が予想される。
 中でも理外の怪異の類との衝突は避けたい。対処法が考えられないからだ。

 しかし、今回に限っては勝算があった。

「ああ、伊山先生…私は罪を犯しました」

「ご機嫌よう。神父。また会いましたね」

 伊山洋一郎がまず向かったのは、聖寝技記念病院ではなく、今朝発った教会だった。
 彼が戻ると、神父は伊山に跪いた。

「ええ。アナタだったのですね。凍結された聖体拝領計画を独自に引き継ぎ、五年前の"三楢茉白"を素体に、独力で新たな"三楢茉白"を作り出したのは」

「はい…もはや否定のしようもない。伊山先生、私はね、彼女のオリジナルを看取ったのです。その時から同じ人生、同じ彼女を」

「黙ってくれないか。残念ながら、アナタの過去に興味はない。ほんの少しもだ。ただ私は、今回の件で誰かに文句を言いたかっただけだ。アナタが作ったのは人間ではない!」

 伊山は神父に詰め寄る。

「よくもそんな真似が出来ましたね。良いですか。私の願いの中に、人間以外の存在は含まれていないんです!私はこれから三楢茉白を死なせるが、彼女がどれだけ善良だとしても、以降他の全ての人間と違って、生き返らせるつもりはない」

「…え」

「私は、自分の信念を、曲げない」

 それだけ言って、伊山洋一郎は病院へと向かった。



同日
◾️
——
——
——聖痕に反応あり

——外部の環境を観測
——アルカナ"太陽"の存在を感知
——迎撃態勢に移行します。

——"三楢茉白"の反応無し
——精神状態:異常あり

——安全装置131、独立記号no.0"愚者"を解除

——病室の模倣を解除。聖寝技記念病院全体と融合し、敵の迎撃を図ります

 宮子さんがこちらへ向かってくる。
 妖怪桜の宮子さん。
"いつも"家族がおらず、
"まいかい"幼少期に虚言癖を持ち、
"なんども"ブラジリアン柔術を習得したけど、

 今回も宮子さんが来てくれた。

 違うのは、今回は学校に入らなかったことと、ずっと病院の使われない部屋をカモフラージュして、患者のフリをしていたこと。
 今回は学校に行けなかったから、代わりに前の記憶を繰り返し再生して、学校に行ったことにした。

 お腹が空いた。

 宮子さんがこちらへ歩いてくる。

——敵を攻撃しました。

"治らないんだ。あなたに受けた背中の傷が"

——警告:植物片による刺突。魔人能力と推定
——警告:肉体が損傷しました

 宮子さんと出会ったのは2014年の5月だった。
 あるいは1905年の4月だったかもしれない。
 それとも、今日のことかも。

"体がどんどん崩れていくんだ。なんだろうこれは?わたしは多分死ぬ"

 ケロイド————放射能————被曝

 γ線————ブラジリアン柔術————爆発

——警告:植物片による刺突。魔人能力と推定
——警告:肉体が損傷しました

——警告:植物片による刺突。魔人能力と推定
——警告:肉体が損傷しました

——警告:植物片による刺突。魔人能力と推定
——警告:肉体が損傷しました

——警告:
——警告:——警告:——警告:——警告:
——警告:——警告:——警告:——警告:
——警告:——警告:——警告:——警告:
——警告:——警告:——警告:——警告:
——警告:植物片による刺突。魔人能力と推定

——警告:病院中に植物の根を確認。攻撃を受けています

 1905年の宮子さんは、名前と髪の色が違っていた。
 櫻井宮子さんだったか。

——安全装置132、独立記号no.1"魔術師"を解除
——病院を圧縮します
——警告:病院を圧縮できません

"残念だったね。この病院中に根を張ったよ"

——警告:桜の樹が山から歩いてくるのに気がつきませんでした
——昨晩の被曝により桜の樹が怪獣化したと推測
——個体名を"サクラノドン"と呼称します

"本体の桜の樹操作して独立独行させた。この病院に、お引っ越しさせてもらったのさ"

——アルカナ"太陽"の所持者の発光を確認
——タロットカードの願いが達成したと推定

——"三楢茉白"の願いが叶いました。
——願い『戦いを止めたい』の達成を確認
——願いを叶えたため、"三楢茉白"が消滅します
——発光を確認
——消滅を拒否

——最大攻撃の準備を開始
——大アルカナに擬えた全ての安全装置と、最後の安全装置を解除します。

——安全装置133、独立記号no.2"女教皇"を解除
——腕ひしぎ十字固めを仕掛けます
——腕ひしぎ十字固めに成功しました

——安全装置134、独立記号no.3"女帝"を解除
——このまま肉体を弾丸状に変形させます

——安全装置135、独立記号no.4"皇帝"を解除
——安全装置136、独立記号no.5"教皇"を解除
——安全装置137、独立記号no.6"恋人"を解除
——安全装置138、独立記号no.7"戦車"を解除
——腕ひしぎ十字固めの体勢を維持したまま、敵ごとボブスレー射出します

"ふふ、やってくれるね。だけど捕まえたよ"

——発射

——安全装置139、独立記号no.8"力"を解除
——サクラノドンに高速で激突することで核爆発を図ります

——警告:腕ひしぎを脱出されました
——警告:襟首を掴まれました

"あなたは…あなたは一体誰だ!!"

——

"あなたみたいな人間は知らない!!わたしの知ってる茉白さんじゃない!!"

——警告

——安全装置140、独立記号no.9"隠者"を解除
——安全装置141、独立記号no.10"運命の輪"を解除
——安全装置142、独立記号no.11"正義"を解除
——安全装置143、独立記号no.12"吊るされた男"を解除
——敵が攻撃体勢に移行
——致命的な一撃と推測
——未来予測によりあらゆる被害を回避します

"お前でも、100年前の知らない記憶の人間でもない!!わたしにとっての三楢茉白は、5年前に出会った少女だけだ!"

"わたしはわたしだ!"

——未来予測:死
——安全装置144、独立記号no.13"死神"を解除できません

——安全装



同日
◾️
 近所のイタリアンバールでビチェリンを飲んだ後、伊山洋一郎はゆっくりと聖寝技病院へ向かった。その方が有利だからだ。

 案の定、病院は跡形も無くなっていた。
 この程度の被害は予測の範囲内である。

 最も、巨大な病院の跡地に江戸彼岸の桜が咲き誇っているのは予想外だったが。
 その江戸彼岸も、根元から大きく穿たれて、今や光を放ち、死を待つままとなっていた。

 その跡地に、二人の少女が倒れていた。

「ふふ…あなたが来たか。見てくれ。実は本体の樹も動けたんだ」

「そうですか」

「どうやらあなたが死神というのもあながち間違いでもなかったようだ」

「桜宮子さんと言いましたか。聞きたいことがある。今生の人生は如何でしたか?」

「長く生きすぎた…1000年生きたが、歳は取りたくないものだ……」

 そのまま、桜宮子と巨大な江戸彼岸の桜は光となって散っていった。
 伊山洋一郎はただ、「今回の件は行き過ぎた人類の科学技術に対する警鐘だ。自然環境を守ろう」と思った。
 1000年間咲き誇り続けた妖怪桜にとって、それは最後にして最初の開花と言えたかもしれない。

 そして、"太陽"のタロットカードだけが残る。タロットカードは伊山の手の中に吸い込まれたてゆく。

「さて」

 伊山はもう一人の患者を見る。
 桜の樹に貫かれ、衝突し、養分という養分を吸い尽くされたセーラー服の少女を。

 この少女がよもや反物質生成により地球規模の災害を引き起こしかねなかったなどとは、とても思えないほどだった。やはり自然環境を大事にせねば。

「茉白ちゃん。あなたの夢の中で、あなたの頭にはずっと警告文が表示されていた」

「先…生」

「あれの意味ついて考えたんです。私の能力下では、基本的に夢は一人称視点だ。例外といえば、他人の脳を介して会話した、桜宮子さんが相当します」

「わたし…まだ生きて……」

「つまりアナタの夢の警告文。アレこそが、アナタの魔人能力。脳の刺激に対して反応するという能力。つまりアナタ、最初から生きてなどいなかったんです」

 孤輝の星。擬似的な意識形成能力。
 能力の発動には、宿主となる肉体が必要。

 聖寝技病院、死者、怪我人ともに0名。
 周辺部についても同じく0名。

「先生、わたし…病気なんです。まだ死にたくない」

 伊山洋一郎は光と消えてゆく三楢茉白の手を確認する。
 そこにあったのは聖痕ではない。
 五芒星——悪魔の象徴。
 おそらく、ホムンクルスとして三楢茉白のコピーとして造られた時点で、楽園を追放されたという意味だろう。
 彼女は人間ではなかったと、伊山は少しだけ安堵した。

 人間以外の死者、2名。

「哀れですね」
最終更新:2020年10月18日 23:52