都内でも有数の広い敷地を持ったM自然公園。
その入り口で一人の青年がチカプシと周辺に何度も視線を往復させている。
時刻は午前9時を少し回った頃で、空は年中通してもここまで綺麗には澄み渡らないほどの快晴だ。
「ああ、まだかな、まだだよな。待ち合わせは午前10時だもんなあ」
小春日和に誘われてなのか、子供の用なテンションでそわそわしながら独り言まで呟いてしまっていた。
その顔に影が差す。
雲など出ていなかったはずだと日を遮るものを確認しようと振り返った青年は、背後に身長3メートルはあるのではないかという巨大な老人を目にしたのである。
くすんだスーツの老人は、青年を上から見下ろしていた。
「な、何か御用でしょうか」
話しかける気でも無ければありえない距離間に老人は立っているのだ。
「随分楽しそうにしているな、と思ってね」
老人は笑って見せたようだが逆光で表情が見えにくい。
しかし気難しい相手ではないことは読み取れたので、青年も警戒を緩めた。
「これから彼女とデートなんですよ。午前中はここでピクニックをして午後はショッピング。夜には一緒に夜景を見ながら…」
「待ち合わせは何時に?」
「本当は10時なんですけども、楽しみすぎてこんな時間に来ちゃったんです」
「なんと!まだイベントが始まるまでに一時間近くあるというのに、既にそこまで楽しそうにできるものなのか!君は人生を楽しむ最高の素質を持っているのだね!」
「あはは、そんな大層なことですかね」
大仰に驚く老人に逆に吃驚した青年だったが、この人と話をしていれば待ち合わせの時間まですぐに経ってしまう気がする。
「おじいさんは今日何かご予定があるんですか?」
「ああ、今日はマリネ記念日だ」
「なんですか、それ」
「君がマリネを美味しいね、と言ったから今日はマリネ記念日なんだよ」
「君って誰なんですか」
「君だよ」
青年は自分を見つめる老人の瞳に急に恐怖を感じた。
危ない人だったのか、と会話に乗ったことを後悔していると、老人は彼が表情を硬化させたことを気にもかけず言葉を続けた。
「去年の今日のことだ。君は親戚がスポーツ競技で優秀な賞を取った記念パーティに参加しただろう」
「確かにそんなこともあったと思いますが…」
「そこで君は会場に用意されたマリネに手を付けると、美味しいねという言葉を口にしたのだ」
「言ったかもしれませんけど…」
「あのパーティを用意して演出したのは我輩の会社なのさ」
老人は名刺を差し出した。
金や銀の箔押しがされた豪奢な紙片には、『TENREIグループ会長 典礼』と書かれている。
「そういえばTENREIに依頼したっておばさんが言ってたなあ。いやそれにしたって僕の発言をいちいち覚えてるのはおかしくないですか。というかどこで聞いていたんです」
「そんなことはどうでもいい。今日は君のためにマリネ記念日のセレモニーを用意したんだ。会場は公園のアスレチック広場だ。さあ!」
「さあ!じゃないでしょう。それに今日僕はデートがあるって言いましたよね」
「待ち合わせまでに時間があると言ったのは君だろう。それに小娘如きがこの我輩以上に君を楽しませることができるとは到底思えない!」
「何言ってんですかやめて下さい!うわあ誰か助けてッ…!」
強引に肩を掴まれ、異様な腕力で青年は公園の奥にまで連れ込まれた。
抵抗すれば上半身が折れる。
魔人の腕力に敵うはずもなく渋々歩くことになった彼が見たものは、公園の一画とはとても思えないようなアトラクションと張り巡らされたカラフルなテントの数々。
「これは…」
「君のために準備したんだ。無駄にはして欲しくないな」
あまりにも異様な光景が過ぎて、青年は動揺した。
見れば会場には人影がいくつもあった。
彼らは料理を乗せた皿を運び、ジェットコースターの点検を行い、芝生を掘り返しては瞬く間に地面をタイルで舗装していた。
その人物たちはよく見ると誰もが老人同様の異様な長身で、白いタキシードの胸に赤い花を挿し、浮かれきった帽子を身に付けた白い肌の人形だ。
目玉も口も髪もない。
表情を浮かべることなく黙々と作業を進める彼らは、とにかく不気味で仕方が無い。
脚が震える青年の肩を、典礼はぎゅっと握った。
「怖がることはない。あれらが君に危害を加えることは無いからね。我輩が独自に主催しているパーティに社の人間を借りる必要は無い。ただそれだけのことさ」
老人は青年の脚を強引に手近な施設にまで運ばせる。
元々は子供用のローラー滑り台があった丘がウォータースライダーに変わっている。
一人乗り用のボートに青年を力任せに乗せると、急角度の水流へと押し出した。
「It's your Party!遠慮はするなよ青年、存分に楽しんでくれたまえ!」
ノンブレーキの超加速と前後左右上下が入れ替わるボートから振り落とされないように青年は必死でハンドルを握り身を硬くした。
死の危険を予感して喉から絞り出される悲鳴が自分の発したものかどうか、彼にはもう分からなかった。
数十分後。
マリネランドとゲートに書かれた会場には、興奮で頬を上気させる青年の姿があった。
「うひょーっっっっ!!楽しい!楽しい!」
いつの間にか彼は奇声と楽しいの一言しか発さない珍生物に変貌していた。
ポップコーンと鯛の船盛りを両手に抱えて設営された小さな劇場の出口を抜け、青年は次に利用する施設を探していた。
「君の誕生日に貰った親からのプレゼント、自分で購入した品、中学校・高校・大学の文化祭で何をしていたか。我輩は誰よりもよく知っている。普段はインドア派でも社内の野球大会では優秀な投手として好成績を残したことも、食事会がある時には何に手を付けて何を残したのか。君の好みであれば全部、全部を我輩は知っているぞ」
陽気にはしゃぎまわる青年を眺めながら、老人は一人で笑いながら言った。
「楽しい、楽しいィーーっ!」
青年も嬉しそうだ。
「ちょっとーっ!待ち合わせ時間から十分経っても来ないし連絡もないと思ったら何なのヨこれは!」
ばっちりと化粧をした年若い女性が現れ、青年の腕を引いた。
「ああ、キミかい。楽しい、楽しいんだよ!本当に楽しいよーっ!」
「アンタおかしいヨ!?」
青年の異変に気が付いた彼女はしかし、典礼に肩を掴まれた。
「そういえば待ち合わせをしていたと言っていたな。君は彼の恋人だね?悪いことをしたからお詫びに君も参加して行きなさい」
「ちょっ…誰よアンタ」
「心配はいらない。当然君のことも我輩はよく知っているのだ。舞浜のランドに君は良く通っているね?ハロウィンにもイースターにもクリスマスにも、君は欠かさず顔を出している。パレードが特に好きなのかな。人混みを苦にすることなく、後列からでも歌と踊りに夢中になっている」
典礼が指を鳴らすと、女性の眼前に一体のマネキン人形とメルヘンな装飾を施された車両が現れた。
楽しげな音楽を流す車両。
その上で踊っていた妖精の仮装をしたおじさんは札束を渡され、何かマネキンに耳打ちされると混乱しながらも踊りを再開した。
他に車両に乗っていたハダカデバネズミの着ぐるみ数体もそれに倣う。
「さあ、楽しんでおいで」
典礼に背を押され、女性は幻想的光景に飲み込まれた。
彼女が歩を進める間にも会場は改装を続け、夢は彩りと深さを増していく。
「タノシーッ!」
「たのおおおおっ」
「タッ!!!!!!タッ!!!!!!!!」
「ひょおおおおおお!」
「GUOOOOOHHH!!」
すっかりとっぷり日は暮れて、恋人達にもようやく疲れが見え始めた。
「すっっっっごく楽しかったです!僕なんかのためにここまでしてくれてありがとうございます」
「礼には及ばないさ。君達だけで立てたデートプランよりも私の主催したパーティの方が楽しむことができると理解してくれるならそれでいいんだ」
「遅刻したのは酷いけどサ、マジで楽しかったからアタシも許すわ。それでおじさん誰なの?」
「君には教えてなかったかな。我輩こういう者です」
「えーーーっ!あのTENREIの会長なのお!?早く言ってよもーっ!最初不審者だと思ったじゃん!」
彼女はすっかり老人に気を許し、恋人達は今日一日で最高に仲を深めていた。
「そういえばすっかり忘れてたんだけどさ。これを今日キミに渡そうと思ってたんだ」
「えっ、指輪!?ってコトは…」
「結婚しよう。毎日俺のためにマリネとポップコーンと鯛の船盛りを作ってくれ」
「やだ、すごく嬉しいわ…ええ、アタシこそアンタのお嫁さんにして下さい!」
二人ははっしと抱きしめ合う。
「実は…婚姻届けも今日既に持って来てあるんだ」
「明日にでも籍を入れましょう!」
「マリネ記念日の次の日が結婚記念日になるとは最高におめでたい!二人の行く先に幸あらんことを!」
典礼が合図をすると、集まってきたマネキン達がクラッカーを鳴らし、よく冷やされたシャンパンボトルを開けた。
M自然公園のアスレチック広場改めマリネランドに和やかな笑顔が溢れる。
「結婚式はもちろんTENREIに任せよう」
「子供が生まれたらその子の七五三の撮影なんかも頼みたいワ」
「毎年の誕生日も、他の記念日も、全部プロデュースを頼んじゃって良いのかな!?」
「良いに決まっているワ!もちろんお墓に入る時だって、お願いしちゃいまショ!」
「これはこれは。御贔屓によろしく頼むよ」
典礼も幸せな二人に負けず劣らず満面の笑みを浮かべる。
「TENREI!」
「TENREI!」
「TENREI!!」
「TENREI!!」
満点の星空の下、三人はグラスを掲げ乾杯する。
「TENREI万歳!ありがとうTENREI!」
「TENREIイエェーイ!!」
「TENREI!!!TENREI!!!」
「TENREI!!!!TENREI!!!!」
TENREI最高!
完