第一話「情けは人の為ならず」

東京の片隅にある、閑静な墓地。磨かれた墓石が立ち並ぶその場所は、荘厳さや神聖さよりも冷ややかな死の気配が勝る、陰気な場所であった。
そのような地に、立ち入る影が一人。他でもない山乃端一人である。

「クリープ。妙な殺気がするっていうのはここ?」
「ええ、そうですわお嬢様。棘棘した、得体のしれない化生の気配。おおよそ間違いなくお嬢様を害するもので間違いないでしょう」

魔神(デミ・ゴッド)浸透する美姫(クリーピングビューティー)の投入を決断した山乃端一人がとった行動方針は、攻めであった。己の『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』の許容限界が来るよりも先に、家族と11の魔神(デミ・ゴッド)たちを殺し、そしてさらに自分たちを害そうとする者どもに、尊厳なき死を。

(全員殺す。仇は一人残らず殺す…!)

やけっぱちとも言える行動方針であった。実際山乃端一人の精神は荒んでいた。竹馬の友は12のうち11死んだ。家族もみな死んだ。風の噂によると『山乃端』と関係なく自分の命を狙う勢力すら存在するという。帰る家はもはやなく、敵の全容は未知数だ。
そもそも一人自身も『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』による理性浸食の進行を止める方法を見つけなければ、もしその戦いに勝ったとしても待つのは廃人化、破滅である。その未来から目を背けるようにして一人は報復のために動いている。向こう見ずな反骨心と視野狭窄が一人を突き動かしていた。
(そう、頼れるのは私とクリープだけ…)
「他に誰もいない。誰も」
ぶつぶつと自己暗示めいた言葉を呟いて一人は自らの本心から目を逸らした。誰かに助けてほしかった。『シャーロキアン』で友人と話したかった。でもそれをしてはならないのだ。『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』を扱う以上、他の誰にも助けを求める事はできない。それは他者に死ねというのと同義であるからだ。
山乃端一人は孤独に死ぬ。復讐などというのは事実から目を背ける言い訳に過ぎないのだ。

(お嬢様…死ぬ気なのかしら…)

一人の破滅的な未来予想の最大の要因の一つであるクリープには、一人に対して何も言うことはできない。精神汚染を解く方法を探そうというのも、諦めて最後の時を穏やかに過ごそうというのも、クリープに言えることではない。
あるいはクリープも山乃端一人の破滅を望んでいるのだろうか。元はと言えば自分を封印した、憎い一族の娘である。現在は使役される身であるが、一人の精神が壊れたら自分を解放させることもできるだろう。それどころか逆に下僕にしてやることすら容易である。しかしそれでよいのだろうか。

(どうしようかしら。私は何を目指せばいい?)

わからない。クリープにも、山乃端一人にもわからない。

☆ ☆ ☆

「ん…?」
同時刻、たまたま両親の墓参りにきていた瑞浪星羅が不穏な空気を感じ取った。
「どうした?星羅」
星羅の兄、衛に聞かれても星羅は明後日の方向を向いたままだ。
「…ごめんお兄ちゃん、ちょっと見てくる!」
「あっ、ちょっと待て…!」
(何に反応した?クソッ、嫌な予感がする…!ただでさえ山乃端が行方不明になったとかで物騒なのに…おまけに後方から感じるこの気配。あまりにも邪悪!)
いきなりの星羅の行動に嫌な予感を覚える衛だったが、後方からの星羅が感じ取ったものとは別の気配を無視するわけにはいかなかった。
(ヤギュ…ヤギュ…)
「星羅を追いかけたいのはやまやまだが…これに後ろをつかれるのはもっと不味い。とっとと片付けて星羅を追うぞ」
懐から得物であるギターの弦を取り出した衛としてはすぐに片付けるつもりだったのだが、地底柳生人100体弱がひしめく柳生カタコンベダンジョンを発見してしまったため星羅の戦いには結局最後まで合流できないことになるのだった。

「一人さん…無事でいて!」
その気配を感知できたのは友情ゆえか。何にしろ、その選択は戦いを大きく左右することになる。

☆ ☆ ☆

「みつけたぞ…山乃端一人、だな」
「………」
山乃端一人が出会ったのは、胡乱な気配と濃密な殺意を漂わせる男であった。彼こそはあひる侍と呼ばれる男。狂える剣鬼であり、過去の妄執に囚われ、山乃端一人の命を狙うものである。
「…クリープ。あなたの能力、効いてる?」
「正直、あまり効きが良くないようですね…精神的な防壁が厚いですわね。狂気が外部からの精神干渉を押しのけているみたいですわ」
チッ、と一人は舌打ちした。いきなり相性が悪い。しかしやることは変わらない。もはや帰る場所を失った一人には、撤退などハナから選択肢にはない。
ぬるりとあひる侍が構え、じりじりと距離を詰めてくる。一人が命令を下す。
「クリープ。まずは一匹。目には目を、歯には歯を。私の全てを奪った者どもに、尊厳なき「横からしつれええええい!」―え?」
弾丸の如くすっ飛んできた人影が、あひる侍に切りかかる!しかしその突進は急減速。あひる侍の魔人能力、『タウ・ゼロ』の効果だ。
「あっるえ!?」「邪魔だ」
あひる侍の反撃。滲みだすように急所へと迫ってきた刀の切っ先を、乱入者はその手に握られた無でかろうじて防ぎ、跳び退って『タウ・ゼロ』を脱した。
乱入者、柳煎餅は山乃端一人に並び立って、
「山乃端一人さん!まことに勝手ながら助けに来させて頂きました!柳煎餅と―あ、れ、…?あぅ、あっ、あああああああ」
浸透する美姫(クリーピングビューティー)』がすぐに効いて、瞬く間に理性がトンだ。
「あ、ひゅえ…?あっ、あっ、あぎぎぎぎっぎぎぎぎぎぎぎ!」
「ちょっとクリープ!?効きすぎじゃない!?どうなってるの!?しかも一応味方っぽかったんだけど!?」
いきなりがくがくと痙攣し出した煎餅。通常『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』がここまで急速に影響を及ぼすことは無いし、通常の場合だんだんと精神活動が低下し、最後はクリープの命令にのみ従う廃人と化す。当然急に痙攣しだすというのは異常な症状だ。
「これは…多分、私よりも先に外的要因による精神汚染を受けているようです。精神の防壁が既に壊れていたようです…それで先に受けていた精神汚染と合わさって、合併症を…」
「クソッ!なんでいきなりこんなことになるのよ!」
一人は地団太を踏んだ。いきなり関係のない赤の他人を巻き込むどころか、いったい如何なる理由かわからないが助けに来てくれたという人物が『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』の犠牲になってしまった。こうなればもはや一人にはどうしようもない。
「う、う、うがああ■■■■■■■■■―!!!!」
煎餅が跳んだ。『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』による理性の低下は、ぎりぎり押しとどめられていた柳生暴力性を表面化させ、煎餅を動くものに見境なく襲い掛かる狂戦士へと変えた。3時間も経たないうちに過剰活性化した脳内柳生が脳の全域を侵して死に至るだろう。
それでも襲い掛かった先が一人ではなくあひる侍だったのは、最後に残った理性の欠片だっただろうか。その突撃も『タウ・ゼロ』に押しとどめられ、届かない。とち狂ったように連撃を放つが、すべて最小限の動きでさばかれる。
「なんと醜き、殺人剣か…みておれぬ」「うう…があ■■っ!」
(どうする!?クリープを加勢させる?でもいまうかつに介入したら彼女の攻撃がこっちに向かないとも限らないし、この状況ではクリープの能力が悪い方向に作用する可能性も高い…!)

迷う一人の元に、さらに状況を混迷させる声が届いた。
「一人さん!」
「星羅…さん!?」

☆ ☆ ☆

星羅の声を聞いた一人は、即座にクリープを銀時計に再封印した。『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』を星羅に見せるわけにはいかない。
「一人さん!大丈夫!?行方不明って聞いてたけど…と、とにかく逃げよう!なんかヤバいのが暴れてるよ!」
そう言いながら、星羅は『ノックスの十戒』で取り出した大鎌を手に暴れ狂う剣鬼二人と一人の間に立ちふさがった。その足は震えている。恐怖をこらえて、一人を守ろうとしているのだ。
一人は、極めて困難な選択を強いられていた。ここで戦う道を選べば、星羅は間違いなく『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』を受ける。そうなれば廃人化の未来は確実。星羅を自分の破滅に巻き込むわけにはいかない。しかし星羅の言うとおりに退けば、下手すれば『ベイカー街』の面々全員を巻き込む未来すらあり得る。そもそも退いてどうするのだ。一人には帰る場所も、逃げていられる時間もないのだ。
(星羅さんは絶対に巻き込めない…どっ、どうする…どうすれば―)
山乃端一人にはわからない。ゆくべき道が。自分一人であれば破滅の未来から目を背けていられた。でも星羅はだめだ。友を巻き込むわけにはいかない。犠牲は最小限にとどめなければならない。どうやって?二人で逃げるか?その後どうする?星羅に事情を説明したら間違いなくお人好しの彼女を巻き込む。何も言わずに逃げるか?逃げ切れるか?星羅一人だけならば離れられたとしても『ベイカー街』全員で捜索されたら?そもそも眼前の戦いを放り出してよいものか?
(どう、すればー)
オーバーヒート寸前の一人の視界に、飛行する何かが入った。
鳥か?
飛行機か?
UFOか?
いや、違う!

「YAGYUUUUUUUUUU-HUNDRED!!!」
ジェットエンジンを全身に仕込んだロボット、柳生百兵衛である!
「はいいいいいいい!?」
「なっなにあれえええええ!?」

説明しよう!柳生百兵衛とは、柳生十兵衛が行った人造柳生計画、『柳生百兵衛計画』によって製造された機械柳生、要するにロボットである!元々は柳生がある理由によって世界間の壁を越えられないことを解決するためのアプローチとして生み出されたものだが、世界間の壁を越えられない制約は脱したものの完全に只のロボになってしまったため失敗作とされたものなのである!ちなみに廉価量産型が警備などに使われている。通称やぎゅぼっと。
それが現在、「とりあえず逃げた相手に追手の一つでも出しとかないと世間体が良くないなあ」という柳生十兵衛の意思によって雑に送り込まれたのであった!
「THE☆SENMETSU!!」
柳生百兵衛のAIはごく自然に標的を「柳煎餅」から「その辺の人間全部」に切り替えた。不具合ではなく、設計どおりの挙動である。不具合であって欲しかった。
がちゃこんがちゃこんと腹部が開き小型柳生ミサイル発射!肩部柳生グレネードランチャーが展開発射!左腕柳生バルカン乱射!狙いはたまたま方角的に近かった一人と星羅!
「「どわあああああああ!?」」
いきなり飛んできた大火力に対して慌てて走って逃げる二人。
つい先ほどまで居た場所に打ち込まれる大量の火薬と鉛弾!ぼかんばごんびしばし!
「あっぶ…な―」
「KILLLLLING!」
銃火を回避した先には、すでにヤギュメタル合金製ブレードが振り上げられていた。
星羅の頭をかち割る軌道。
(え…死ぬ…?)
急激な危地に、感覚が鈍化する。『ノックスの十戒』での防御が間に合わない。死ぬ。胸部に大書された『柳生』が、目をちかちかさせた。
「星羅さんっ!」
斬撃。鮮血。

☆ ☆ ☆

「■■■■■■■■■■…!!!」
「その剣…やっかい、ではあるが…浅いな。見るに堪えぬ、殺人剣、よ…」

不可視の刃による横薙ぎが首を狙う。防がれる。即座に胴への突き。躱される。跳ね上がるように脇の動脈を狙う。かすりもしない。すれ違うように鋼の刃が顔面に迫る。後方に退避―できない。すでに減速圏に囚われている。握りを変えて無をずらし、辛うじて受ける。受けきれない。華奢な体が吹き飛ばされて転がった。頸からわずかに血がにじむ。

あひる侍と柳煎餅。両者の戦いは、一方的な様相を呈していた。煎餅の猛撃によって周囲の墓石や地面はあちこちに傷がついたり抉れたりと相当な破壊がまき散らされていたが、あひる侍には傷一つなく、煎餅はあちこちから血をにじませて膝をつき、荒い呼吸を繰り返している。
両者の能力の傾向を見てみると、煎餅の持つ技は意外にもあひる侍の『タウ・ゼロ』に対して有利に働くものが多い。剣禅一如の白光は減速されても見てから躱すことは困難な速度の飛び道具であるし、無刀取りによる実体無き無の剣はそもそも減速に引っかかることすらない。
それでもあひる侍が圧倒的な優位にあるのは、ひとえに剣技の差であった。圧倒的な技巧の極北。不可視の剣を悉く見切り、剣禅一如の気配あらば即座に感知して阻止する。煎餅が脳内柳生注入によって得た剣の技も相当のものであり、現在の精神汚染状態はかえって脳内柳生因子の力を強く引き出してすらいたが―それでもなお、あひる侍の剣は圧倒的であった。数式の如き美しさすら感じさせる武の理の顕現である。いったいどれほどの狂気的な鍛錬がこれほどの武を生んだのか、想像だにできぬ。

「フゥー、フゥー、■■■■■■■■…!」
「まだ、やるか。よほど、死にたいようだな…見るに堪えぬ、醜さよ…」

ふらふらと立ち上がる煎餅を見るあひる侍の声に、僅かに感情が滲んだ。その表情は、あひるの被り物で見えない。

「見るに、堪えぬわ…」
「ウウウ…ルグラァ■■■■ッ!」

愚直な突進。殺気の横溢した攻撃。最小限の動きでいなす。袈裟斬りを弾き、刺突を躱し、動きを先読みする。
(二十二手先で終わりだ)
戦闘で受けた傷と疲労は、確実に煎餅を蝕んでいる。二十二手先、肝臓を狙った斬撃を弾かれたときに耐性を崩し玉砂利で足を滑らせ、致命的な隙をさらす。その瞬間に二歩踏み込んで距離を詰め、こめかみを刺し貫いて殺す。それまでの道筋があひる侍には見えている。わかりきった作業めいて淡々と決着が迫る。
後三手。二手。一手―
「終わりだ」
「………!!」
ずるり。転倒。致命の隙。煎餅にとっては突然の失策。あひる侍にとってはわかりきった結末。ゆっくりとしているようにさえ見える軌道で、切っ先が迫り―

「魔人!死ねええええええ!」

突如として大鎌があひる侍を襲った!
「ぬ、うっ!」
完全に意識の外からの不意打ち。しかし常時発動の『タウ・ゼロ』がその切っ先を押し留め、防ぐ。そして反撃。相手の攻撃を押しとどめる『タウ・ゼロ』はそのまま武器を奪い取る攻防一体でもある。
しかし星羅は減速された大鎌を放棄、後方に下がって逃れると能力で大鎌を再展開。長柄の武器を無尽蔵に生み出す『ノックスの十戒』は『タウ・ゼロ』による武器の絡め取りにも有効だった。
「おのれ…」
「魔人…父さんと母さんを殺した、魔人…殺す、必ず殺す、一人残らず…」
「………!!!違う、儂は…」
ぼそぼそとつぶやく星羅の言葉に、あひる侍が反応した。初めて見せる明らかな狼狽。
「殺した。殺した。魔人が殺した…」
「グウッ、違う、儂は…償いを…ゆ、赦してくれ、栗子…赦してくれ…」

「剣ッ!禅ッ!一如オオオォッ!!」

白光―炸裂!

☆ ☆ ☆

「YAGYUGYUGYUGYUGYUGYUUUUUUUU!」
「だああああっ死ぬ死ぬ死ぬぅ!死んじゃう!」
一人は弾丸斬撃爆炎光線に滅茶苦茶に追い回されていた。その腕からはだらだらと血が流れ続けている。先程咄嗟に星羅をかばったときにつけられた傷だ。
「いったいいい…ああもうなんであんなことしちゃったかなあ…!」
反射的に星羅をかばったことの是非はさておき、それで予想外だったのは、なにやらいきなり様子が変わった星羅が一人をほっぽり出して向こうの戦いに飛び込んでいってしまったことだ。
それもそのはず、星羅の秘めたる別人格の行動方針は魔人の抹殺。そして現在一人を追い回している狂える殺人機械柳生百兵衛は人間ですらなく、当然魔人でもない。星羅が一人に襲い掛からなかったのが幸運なくらいである。

「KENZEN☆ICHINYO!」
「やっば!?」
胸部に大書された『柳生』が発光し、蛍光色の怪光線が飛ぶ!数秒前まで一人が隠れていた墓石が蒸発!
「クリープ!クリープー!」
「はっ………!」
主の叫びに応えてクリープがナイフで百兵衛を襲う。しかし右腕のヤギュメタル合金ブレードに弾かれる。さらに百兵衛の背部から蜘蛛足めいた形状のアームが展開し、ヤギュメタル合金クローで襲い掛かる。手数の差!白兵戦は不利!さらに柳生バルカンを乱射され、クリープは一時引き下がるしかない。
「くっ…!」
「うぐぐぐ、『流血の貪食者』(サック)がいてくれれば…」
クリープの能力は精神攻撃が主であり、白兵戦能力はさほど高いものではない。あらゆる知性体を侵す『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』はある程度の知性があればAIにすら有効であったが、残念ながら柳生百兵衛はそんなに知性が高くなかった。かつては『流血の貪食者』(ブラッドサッカー)をはじめとして白兵戦に強い魔神(デミ・ゴッド)に任せていたところだが、今はクリープ一人しかいない。

「ちくしょう、血が足りなくなってきた…死ねるか…こんなところで…こんなバカみたいなやつに…こんな死に方…こんな…」
(こんな…こんな死に方?じゃあ、どんな死に方が望みなんだ?私は?ここを生き延びて何になる?どうせ、わたしは、ここを生き延びても、結局、クリープがいるから、最後は廃人に、じゃあ、ここで、シンでも、そんなに―)
一瞬脳裏をよぎったそんな思考は、この状況では致命的な隙で。

「お嬢様!」
(あっ…)
鈍化した視界に、自分に向けて飛んでくる銃弾が見えた。ご丁寧に弾頭に『柳生』と刻まれている馬鹿みたいな銃弾だ。
(ああ、ばかだなあ、わたし―)
その一瞬は、後悔しきる暇もなく。

☆ ☆ ☆

その瞬間、多くのことが同時に起こった。
まず、煎餅が剣禅一如をぶっ放した。星羅の発言に対して明らかに狼狽するあひる侍まで3メートル。この技の火力を考えると必殺と言って良い。
しかしあひる侍、これを神がかり的な回避。恐るべき身のこなしで白光の奔流は外れる。
それを見逃す星羅ではなかった。『タウ・ゼロ』に『ノックスの十戒』が食い込み、とうとうあひる侍に届く。しかし掠めるのみ。致命傷には至らず。しかしそれで十分だ。『ノックスの十戒』は僅かな傷でも魔人能力を封じる。『タウ・ゼロ』は封じられた。あひる侍が驚愕。

そして。

あひる侍が、消えた。

「「!!!!???!?!?!?!」」

次の一瞬。
猛烈な破裂音。いや、打撃音だ。謎の打撃を受けた星羅が、白目をむいて昏倒し、倒れる。よりも先に一人に向けて飛来していた銃弾が真っ二つになって逸れる。そして柳生百兵衛が瞬く間に6回斬られて八分割された。

「YA…YAGYUUUUUUUUU―!?!?!??SAYONARA―!!!!」

爆発四散!数秒前まで元気に破壊を振りまいていた殺人機械はスクラップへと変わった。ここまで僅か一秒未満。

「なっ、何が…?」

「この年になって」

あひる侍。その姿から胡乱な気配が消えている。

「己の過ちに気付かされるとは、情けないことよな」

『タウ・ゼロ』は、間合いの内側にあるものを減速させる常時発動型の魔人能力。
それは、あひる侍自身すら例外なく対象であった。

故に、今や―10倍速。

神速。隼の如き超高速の魔剣こそ、かの剣豪の真骨頂。
ぱさり、とあひるの頭が外された。内より現れたのは、苦悶に満ちた、皺だらけの男の顔である。
あひるとは、魯鈍なる己の象徴であった。守るものを守れず、斬るべきでないものを斬った己に絶望し、己を鈍麻させて現実から目を逸らし自らその魔剣を封じたのであった。脳内さえも鈍麻させる『タウ・ゼロ』は己への罰であり、絶望であった。もはやその枷は無く。
『ノックスの十戒』とは魔人能力を否定する異端の魔人能力の名であり―何よりも論理と思考を重んずる物語のための戒めでもある。それによる魔人能力の封印とは、果たして単に能力に対してのみ働くのか。魔人能力の源が不合理的な信念であるならば。『ノックスの十戒』が断つものとは。
ほんの一時。『ノックスの十戒』が効いているほんの一時の間だけは、彼は不格好に彷徨うあひるに非ず。剣は空を駆け、思考は宙を飛ぶ猛禽の如し。

「罪は、消えぬ。儂が、赦される時も、来ることは無いのだろうな。」

剣豪は、白目をむいて倒れている星羅を見た。

「その、怨念…儂には、晴らせぬ。が…」
「ウウ…■■■■■■■■…」

ぬるり、と煎餅が姿を現した。胡乱なる気配はますます強まり、瞳は血走り、だらだらと唾を垂らして荒い息をついている。強引な剣禅一如の発動は、精神と肉体の限界をますます近づけていた。

「そなたには、先達として一つ見せてやらねばなるまいな。儂のように、ならないように―」
「■■■■■■■■…!!!」
「こい。若いの。活人剣の技を見せてくれようぞ」
二人の剣士が向かい合う。かたや狂気に呑まれつつあり、かたやほんの一時だけの正気を抱えて。

柳生新陰流
空隙剣 (ハヤブサ)


無銘 柳煎餅

いざ 尋常に―DANGEROUS!

☆ ☆ ☆

「なっ…何が…おこった、の…?あっ、星羅は!?」
「こちらに。気絶していらっしゃいますが、命に別状はありません」
クリープが倒れていた星羅を抱えてきた。これで今まさに始まろうとしている戦いに巻き込まれることは無いだろう。
「気絶してるだけ…か」
どうやら精密な打撃で意識を刈り取られているようであり、ほどなくすれば目を覚ますだろう。傷は浅い。腕をざっくり切り裂かれている一人の方が重症なくらいだ。
「お嬢様」
クリープが一人に付き添って耳打ちする。
「あの剣士、星羅様の能力解除を受けると同時に精神の防護も人並みになっているようです。今ならば私の能力も効くと思われますが、いかがいたしましょう」
「…………」
一人は凄絶な緊張感と共に睨み合う二人の剣士を見た。互いに全能力を相手に集中させており、こちらに対する警戒が完全に外れているのが見て取れた。それどころか、老壮の剣士はもはや一人に対する殺意すらも忘れたようであった。
今ならば不意打ちは容易。かの剣士の覚悟を踏みにじり、尊厳なき死を与える千載一遇の好機。だが。
「…やめておくわ」
「はい、お嬢様。承知しました」
今、この一時だけは。自分の怨恨も衝動も抜きで見届けたいと。そう思ったのだ。

☆ ☆ ☆

「いざ―参る」
「……………」

撃剣―衝突!
初撃の衝突音は、片手の指で足りない数が一つに繋がって長く響いた。
神速。隼の魔剣は、煎餅を速度でも精密性でも遥かに上回る。煎餅はその手に無を握りしめてその猛撃に耐える。

「そうだ。受けよ。受け取れ。わが剣を」

更なる連撃。煎餅は歯を食いしばって受ける。その一撃一撃が重く、体の芯までビリビリと響いた。その響きは濃密な殺気の束であり、何よりも雄弁な言葉でもあった。
その剣戟は、語りかけるように煎餅に染みわたってゆく。

(儂は、愚かな男であった。)
(己の腕に溺れ、大事なものを失い、また己の手で壊した。)
(そしてそれから目を背け…狂い、罪を重ね…己の剣を貶めていったのだ)
(己の罪は、自らが地獄まで持ってゆこうぞ。なればこそ…)
(残ったものは、そなたに授けよう。狂気に侵され、大事なものを見失ったかつての儂のようであり、それでもなお足掻き続けるそなたに―先達からの、餞別だ)

「オオ…うおおおおおおおっ!」

途切れることなき剣戟の火花の様相が変化しつつあった。一方的な攻撃と防御によるものだった戦いは、いまや対等の戦いになっていた。煎餅の総身からは胡乱な気配が少しづつ抜け、剣技は少しづつ洗練されつつあった。
その猛烈な殺意と殺人技の応酬は、殺し合いと呼ぶにはあまりにも―
(なんだ。これは…私は一体何を見ているんだ)
一人は、なにかおそるべきものを垣間見た。何が起こっているのかは、まったくわからなかったのだけれど、それを見ていた。
交わされる剣光は地の底の宝石に似て。
弾けては消える火花は天の星に似ていた。

活人剣。人を殺すための技である剣技も、それの用い方によって人を救い、活かすことができる。

「オオオオオッ!」
「だあああああああ!」

その結末は、どちらが望んだものであったのか。

一閃。

隼の剣豪の体から、鮮血が吹いた。

「ゼエッ、ゼエッ、ハーッ、ハーッ…」

その一撃を成し遂げた煎餅は、荒い息をつきながらもなんとか姿勢を整えると、
「……………」
自らが斬った相手に、深々と一礼して。
「…きゅう」
限界を迎えたのか、ぺたりと座り込むとそこらの墓石に寄りかかって寝息を立て始めた。

「見事…」
斬られた男は自らを斬った柳煎餅に満足げなまなざしを向けた。
「そなたの持つ、その力…きっと儂とは比べ物にならぬ程に過酷な運命を引き寄せよう。だが…それを乗り越えていくための力も…きっと持っている…そうできるように、そなたの力を引き出させてもらった…せめてもの、儂の置き土産だ…」
(ああ、切り殺してばかりの生涯だったが…人を救うというのは…存外に心地よいものよな…)
男はかつての絶望と失意から目を背け、罪を重ね、救いを求めて血塗れの生涯を送ってきたが―初めて、救われた。
「ありがとうよ…救われてくれて…」
初めて人を救った男は、とめどなく流れる血をぬぐうこともなくどっかりと座り込んだ。そして一連の戦いを見届けた人物を呼ぶ。
「もし、そこな方…すみませぬが、介錯を頼めますかな。今生にもはや悔いはありませぬ。図々しい願いと承知してはおりますが、元の魯鈍な儂に戻る時が近づいておりまする。その前に、どうか我が命を絶って頂きたい」
「……………」

彼は間もなく死ぬ。受けた傷は深く、ほどなくして息絶えるだろう。しかしそれよりは『ノックスの十戒』が解ける方が早い。そうなれば彼は再び己の業に迷い、迷妄の中最後まで己の罪に苦しみながら死ぬだろう。
それは紛れもなく、一人が望んだ「尊厳なき死」だ。当初の目的に沿うならば、このまま放っておくか、クリープにそうするよう命じればいい。人の身を超えた魔神(デミ・ゴッド)ならばその能力を存分に用いて残酷な死をもたらすだろう。
しかし今の一人は、そうする気は起きなかった。死にかけの老け込んだ男を前に、怒りも恨みもすっかり萎えてしまっていた。
(あー…どうしようかなあ)
多分どうでもいいのだ。目の前の男がどうなろうと。結局一人の運命は変わらない。この場は生き延びたが、いずれ精神を蝕まれ、廃人となって死ぬ。
「…クリープ。いろいろお願い。私疲れちゃった…」
血を流しすぎて頭が回らない一人は、クリープに対応を投げた。そのまま座り込んで、墓石に背を預ける。
「はい。お嬢様。」

ふわりと前に出たクリープは、男に歩み寄ると、屈んでその視線を合わせた。その顔を見た男が、何やら驚く。
「おお…おお…このような…このようなことが…なんと…儂には過ぎた…」
「…………………」
クリープが男に何やら耳打ちするが、一人には聞こえない。
「おお…栗子…栗子や…儂の…儂のことを…」
(…栗子って誰?クリープのこと?)
死に際のうわごとめいた言葉に、一人は引っかかりを感じた。あの男がクリープを見る目は、どうにも他人のようには見えない。だが昔から山乃端家が封印してきた魔神(デミ・ゴッド)であるクリープに外部の知り合いなどいるわけが…
(いや…あの人、何歳だ?クリープが封印されたのは何年前?)
もし、もしも。あの男の魔人能力が、物理的な速度だけでなく老化も遅らせられるならば。彼はどれほどの間、彷徨い続けていたのだろうか。
何の証拠もない一人の妄想だ。しかしその思い付きは細い糸を手繰るように一人の脳内でつながっていく。
(もし…そうならば。クリープと会っていたのに、あの人には『浸透する美姫(クリーピングビューティー)』が効いていないくて…昔は能力を持っていなかったなら、効かないはずもなく―あれっ?もしかして、クリープのやつ、治せる…?)
「あ…ちょっと…聞きたいことが…ああ…」
男はクリープの腕の中で息絶えていた。その死に顔は安らかであった。
(ああ~…聞きそびれた…うう、血が足りない…あたまがまわらん…)
なにか、手掛かりが。破滅でない未来への手掛かりがあったというのに。
(ああ、そうだ…探偵に、調べてもらおう…『シャーロキアン』、に…いかなくちゃ…)
向こうから駆け寄ってくる星羅の兄の姿がおぼろげに見えて、一人は瞼を閉じた。

☆ ☆ ☆

数日後 東京某所
「あっ鏡の人」
「よく気付きましたね」

柳煎餅は鏡助に合っていた。

「なにか用ですか?」
「いえ、単にちょっとだけ時間ができたので一人さんや皆様の様子を見回っていたのです。まあちょっとしたものですよ。それはそうと、何かいいことありました?」
「ん?なにか様子違う?」
「ええ、ちょっと背筋伸びてますよ」
「うーんまあ、一戦潜り抜けはしたけども。それくらいかなあ」
「そうですか。あなたが思ってる以上に良い影響があったんだと思いますよ」
「ふーん。そういうものかなあ?ひたすらどたばたしていた記憶しかないんだけど…ってもういないや。ほんとに忙しいんだなあ鏡の人」

柳煎餅は去ってゆく。鏡助はその背を密かに見送った。

「この戦いの先、一人さんだけでなくあなたにも良き未来があらんことを」

☆ ☆ ☆

しかし祈りも空しく、奴が現れてしまう。
絶望的な偶然の結晶が、東京に降り立つ。
かの物こそは、破滅の嚆矢。
それの名を、柳生一兵衛!

To be continued.
最終更新:2022年02月26日 22:14