某日、ショッピングモール。
「んーこれもいいなぁ、ヒトリちゃんどう思う?」
「どう思うって言われましても……」
山之端一人と浅葱和泉は服屋にいた。
あれやこれやと服を出しては山之端とそれを交互に見たりしているのだ。
「まだ買うんですか……?」
浅葱は山ほど店で買ったものが入っている袋を持っている。
「プレゼントは多い方がいいんじゃないかな」
二人はプレゼントを買いに来ている。
渡す相手は……山之端だ。
山之端自身、自分に渡されるプレゼントを自分でも見ているというのはなんだか不思議な感じがしていた。
しかし相手はあの浅葱和泉なのだ。
そういうところは一切気にしないタチなのだというのはよくわかっている。
「いろいろ買って、その中からよさそうなのを選ぼう」
「え、買ったのに選ぶんですか?」
「全部欲しいのかい? いいけど、欲しがりさんなんだね」
「そういうわけじゃあ……」
「それにしても……まだ連絡きてないの?」
浅葱がそう聞くと山之端はカバンの中のスマホに視線を向ける。
通知を確認するがメッセージは来ていない。
連絡を待つ相手は諏訪梨絵、山之端に仕えるメイド騎士だ。
彼女はなんとなく浅葱に警戒心を抱いているらしく、山之端から今日の買い物について聞いてついてくることとなった。
……実を言うと、集合時間を遅く伝えている。
それをしたのはもちろん浅葱だ。
別に彼女が嫌いというわけではないが、なんとなくあの生真面目な顔を見ているとからかいたくなってくるのだ。
とはいえ、浅葱に一杯食わされたと気付いた彼女はすぐに向かうとメッセージを送ってきたのだが、続報が来ない。
今どのあたりにいるだとか、そういうことも言われていない。
浅葱には『やったな』というメッセージが来ているだけなのは納得できるが、彼女が主人と位置付ける山之端にも続報がないのはおかしい話だ。
その時、諏訪梨絵は小学生と相対していた。
五台山カケル、少年の名前はそういった。
場所はショッピングモール横の水族館の前。
「どうしても、逃げないんだな」
「何度も言わせるな。私は一人を守る」
「じゃあ、お前もジャマキナに手を貸すんだな……!」
おもちゃのロボットのようなものを取り出す少年。
「『無双勇者『ドデカイザー』!』」
そう叫んだかと思えばロボットはその体をどんどんと膨らませていく。
「……これは」
「ドデカイザー! 見! 参!」
それらしくポーズを決めるロボット。
そしてあいさつ代わりとばかりに振るわれる右腕のブレード『XLドデカリバー』
諏訪はそれをかわす。
その大きさ故にブレードはショッピングモールや水族館、そしてそれらに隣接する立体駐車場すら破壊していった。
ショッピングモールの中に彼の狙う山之端がいることは分かっている。
だが、それでも少年は目の前のメイドを打倒することを選んだ。
少年の正義の心は出会った敵を見逃すことを許さなかった。
「きゃっ……」
屋外で戦いが始まっているなど知りもしない山之端はショッピングモールの通路で強い揺れを感じた。
そして、自分のいるフロアの上の階に何か大きなものが通ったことも。
瓦礫が彼女に向かって落下してくるが、それを防いだのは浅葱の影が変化した触手だった。
「大丈夫?」
「あ、ありがとうございます……地震……?」
「それにしては規模が大きすぎるね……リエちゃんのことも心配だし、ちょっと出ようか」
そういったタイミングだった。
ボン、と鈍い音がして近くで何かが爆ぜた。
「ヒトリちゃん……!」
熱と風。
その勢いで飛ばされた彼女の体を浅葱が受け止める。
しかし、威力を殺しきれたわけではない。
二人まとまって転落防止のガラス壁をぶち抜いて下の階に落ちていく。
「う、うわあああああああ!」
「舌噛むよ」
そっと、彼女の舌を口の中に押し込みつつ、触手が伸びる。
衝突。
彼女と触手によるサンドイッチだ。
「ヒトリちゃん……平気……? ヒトリちゃん?」
「うう……」
「ちょっと脳震盪気味かな。体が薄いのも問題だな……」
思い出されるのは鏡助の言葉。
彼女を狙っている人物の仕業だろうか。
「……」
あたりを見渡す。
先ほどの一撃と爆発で店内はパニックだ。
人が店の外に向かって進んでいく。
その時、浅葱の視界の端で何かが動いた。
こちらの様子をうかがうような視線。
逃げる人間とは違う、観察をする人間がいる。
「……そこ」
触手が伸びると、狙った先で爆発が起きる。
悲鳴と共に爆ぜた人の肉やら何やらが四散していく。
血煙の向こうで笑う女、その名は一四一四。
「あァ~? バレちゃった。ま、いいや。どのみち、殺すしィ……」
「なんだキミ」
「一四一四っていうの」
「変な名前」
触手が相手に向かって襲い掛かる。
対する女は人込みを抜けつつ……時折人間を爆破させながら進んでくる。
逃げる人間の足を払って蹴り飛ばし、浅葱の近くに蹴ってよこす。
「おおっと……」
瞬間、浅葱の影が穴になったかのようにその人間を飲み込んだ。
「お?」
肉薄する一四一四。
その能力原理に興味を持つことはなかった。
まっすぐに、その手を浅葱に伸ばす。
体を爆弾にしてしまおうという魂胆か。
後ろには山之端がいる。
自分が爆弾にされなかったとしても、誰かが爆弾にされて爆発すれば巻き込まれる。
ならば。
「ここで止まってもらおうかな」
触手が爆ぜるように蠢き始めた。
最大速度での連打。
それを紙一重でいなしながら、一四一四は浅葱に触れようと手や足を振るう。
(場慣れしてる……ただの学生じゃあない……)
「ひっ、ひっ、ははははは!」
笑っていた。
浅葱を挑発するようにだ。
だが、浅葱和泉は冷静だった。
慣れているからではない、目の前の相手を排除することだけに興味がある。
彼女のパーソナルなど、まったく興味がない。
挑発するような動作も声も、顔も、なにもかもどうだっていい。
「ん、んん……」
声がした。
この場の雰囲気に合わないその声の主は山之端だ。
瞬間、二人は同時に思考し別の答えにたどり着いた。
(あいつも殺しちゃお)
(ヒトリちゃんを守らなきゃ……)
浅葱の意識が後方にそれた。
一四一四はそれを見逃さなかった。
浅葱の体に手を向かう……が、到達しない。
女の手首に飛来した何かがぶつかったからだ。
それは銀色の盆、そんなものを武器にする人間を浅葱は一人しか知らない。
「あァ……!?」
「……遅刻だよ。リエちゃん」
「誰のせいだ」
「梨絵!」
メイド騎士、諏訪梨絵だ。
敵の攻撃の規模を鑑みて、山之端の安否を確認を優先したのだ。
本来であればそれは敵を主人の元へ導く行為なのだが、ドデカイザーという巨大な敵を前にそれを行うことは間違いではない。
敵はその気になればその武装でショッピングモールごと山之端を壊し・殺せるからだ。
諏訪の後を追うように巨大なブレードがショッピングモールに叩き込まれ、天井が吹き抜けに変わる。
「は?」
「細かい説明は後だ。一人はあの巨大なロボットの操縦士にも狙われている」
「……なんか、魂の形が違うって感じだなぁ」
「言ってる場合か」
二人は構える。
敵の前に立ち、山之端のための壁になっている。
だが、敵は二人だけではない。
「……浅葱さん!」
「!」
山之端の言葉の意味を理解したのは、自分の左腕に激痛が走った時だ。
反応しきれたのはプロフェッショナルである諏訪だけだった。
床に浮かぶサメの背ビレ、そしてその横に設置されているガトリング砲。
「……サメ?」
その言葉に呼応するようにそれは地中から跳ね上がる。
サメ、サメだ。
間違いなくサメだ。
その体が光を反射する鋼鉄であることを除けば確かにサメだった。
胸ビレに設置されたミサイルが山之端に発射される。
「『影の形に従うが如く』」
引き延ばされた影がミサイルに触れる。
すると、それらは爆発することなく飲み込まれていく。
着水ならぬ着地したサメはまた地中へと潜っていった。
……厄介だ、浅葱はそう直感した。
「三対二じゃあないか」
「人を守るということはそういうことだ。数的に有利であることなど望むことはできない」
巨大ロボのブレードを箒で弾きながら諏訪がそう呟く。
その言葉に同意するように浅葱は頷くと、一四一四との距離を測る。
そうして、ふと気づく。
人が減っていない。
むしろ、増えているような……その人物が山之端を囲むように近づいてくる。
「……キミらも敵?」
「違います」
「じゃあ、のいてよ」
「しかし……精子がッ!」
「は?」
「……いま、なんと?」
地響きのような音がして、建物の天井を破壊して何かが落ちてくる。
真っ白い塊のようなそれは山乃端を狙っているようで、即座に浅葱と諏訪は理解した。
(こいつを到達させない)
何よりも、早く守る。
先に動いたのは諏訪であった、箒をぐるぐると回して風の屋根を生み出した。
白濁としたそれを弾き飛ばすと次から次へと浅葱の影が飲み込んでいく。
「リエちゃん、ヒトリちゃんの守りはワタシに任せてもらっていいよ」
「では、お言葉に甘えてよう。和泉の相手をもらうぞ」
「アレは触れた人を爆弾に変えるみたいだ。気を付けて」
一四一四に諏訪が迫る。
サメとあの巨大なロボも問題だがその二つと比べれば人の形をしている分、一四一四の方がやりやすいのは間違いない。
当然、能力のことも考えないといけないが。
諏訪の方に問題がないのを確認しつつ、浅葱自身は触手によってドデカイザーの攻撃をしのいでいく。
右腕のブレードが構えられたら、ロボットの腕に何度も触手をぶつけていく。
数百、数千という数に影を分けなければならないから出力不足は否めない。
可動域の広さに由来する行動の遅さもあってやっとというところだ。
そうやって腕の制御を潰すことで相手の意識を削ぎ、精彩をかいたかわしやすい攻撃を誘う。
「くそう! 卑怯だぞ!」
相手が子供で助かった。
今のところ、対処する作戦は思いついていない。
「で、君たちは何?」
「私たちは転校生です」
「……鰯に名前を聞いたら鰯と答えるかな? 今そういう気分だよ」
「細かい説明をしている暇がないので今はただ一人の転校生とお呼びください」
その瞬間、視界の端に背ビレとガトリング砲が見えた。
激しい音が鳴り響き、浅葱のそばにいた転校生のひとりがひき肉になっていく。
飛び散る肉片と血が浅葱の服や肌を赤く汚していく。
どろりとした血で濡れる髪を書き上げて、敵を見つめる。
対する浅葱が選択したのは攻撃だった。
山之端を影のシェルターでかばう。
影が変質するまでに少し時間はあるがやはり彼女に触れることは危うい。
「躾がなってないねぇ」
影の触手がサメを引きずり出さんと捉えにかかる。
しかし床より跳ね上がってきたサメの牙が触手を引きちぎっていく。
痛み、浅葱の顔に冷や汗が浮かぶ。
「……っ」
「和泉!」
「ちゃんと守ってるよ」
サメの意識をそらすことが出来た分マシだ。
戦場は混沌としているが、浅葱にとって最も面倒なのはあのサメだ。
巨大なロボもあの人間も苦労はするが殺す方法というのは分かる。
しかし、あのサメはどうにも相性が悪そうだ。
影による汚染を使えばあの生物も殺せるだろうが、その前段階の飲み込みを行うのが難しい。
武装も牙も、影を完全に破壊してしまう一撃を行う規模感だ。
それに地中を進行する性質も相性が悪い。
浅葱は地中に影を伸ばすことが出来ないのだ。
背ビレを出したりしている時ならまだしも潜られれば飲み込みを含むあらゆる攻撃が行えない。
牙を使うために飛び出してくる落下地点を狙えば楽だが、敵も本能的にそれを理解しているらしい。
野性というものなのだろう。
「それで、なんだっけ」
別の転校生を捕まえて話の続きを要求する。
「さっきのあれはなに?」
「あれは多田野精子。山之端一人に向かう精子です」
「……リエちゃんもそうだけど、ワタシとは魂の形が違うのかな。まぁいいや」
「……荒唐無稽な話だと思いませんか?」
「サメとかロボットよりは精子の方が馴染みがあるからね。なにせ生命の源なんだから……とはいえ、あれはあんまり好きじゃあないけどね」
青臭くて、ベタベタしていて、それで苦くて血のような味のするもの。
そう認識している。
思い出すだけで嫌な気分になるし、その事実を知ってしまったせいで影の中に取り込んでしまったのを後悔している。
どうりで気持ちの悪い感触が腹の奥やらで蠢いている訳だ。
そうして、転校生から一通り多田野についてのことを聞いた浅葱。
「……うん、オッケーだ」
口の端から赤い舌が覗く。
「なにがですか」
ドモン、と肉の爆ぜる音がして諏訪がこちらに戻ってくる。
一四一四の爆発から逃げてきたようだ。
「リエちゃん。悪いけどまた交代しよう。ワタシが前に出るよ。とはいえ、王手はリエちゃんに打ってもらうことがあるかもしれないけど。そこの転校生にも手伝ってもらおう」
「……そんな怪我で大丈夫なのか」
「もしもリエちゃんがワタシだったら、こんな怪我で腰が引けるかい?」
「いや、進む」
「だろう? ワタシたち、案外いい友達になれると思わないかい?」
血に濡れた指が唇に触れ、紅となって赤く染めていく。
一歩、前に進む。
なんということも無い足取り。
いつもと変わらない、学校に行くのと戦場の真ん中に行くのは何も変わらない。
浅葱和泉はそれらを分ける境界線に興味も、それらを分ける意識もない。
「ひ、はっはっはっ!」
「別にキミは呼んでないんだけどな」
一四一四、その手が伸びる。
それをかわし、触手を伸ばす。
影は触れられた時点で切り離せば問題がない。
問題は自分が触れられることだ。
……壊された腕は他の部位と違って動きに遅れがある。
ここを狙われるのは都合が悪い。
「邪魔をしてる身でなんだけど、ワタシにかかりきりでいいのかな? 誰かがヒトリちゃんを殺しちゃうかもよ?」
「私は別にそのまでこだわってねぇよ! 巻き込んじゃったからついでに殺してやろーってだけさ」
「なんだいそれ。女の子に対して全然真剣じゃあないじゃないか」
その時、一四一四の手が触れる。
浅葱ではなく多田野精子から山之端を守るためにやってきていた転校生に、だが。
「『TOUCH de 爆発』」
宣言する、その魔神能力の名を。
爆ぜた。
サメの弾丸による破壊とは違う。
内側から、臓器が、骨が、肉が、何もかもが爆ぜていく。
手榴弾のように弾けた肉体の一部が破片となり浅葱の体へと殺到する。
刹那の選択、攻撃ではなく防御。
影が立ち上がり広がる、変質したそれはまるで底なし沼の壁。
飲み込んだものがどこかへと落ちていくのを感じている。
「はァい」
壁の影から一四一四の姿、手がこちらに伸びる。
影の壁に浅葱の手が触れて、次の瞬間には車のドアがそこから引き出された。
「いい案だね」
一四一四ごとドアを蹴り飛ばす。
そのままドアの上に乗り、相手の動きを制する。
ドアの窓から見える一四一四は苛立った表情を見せているが浅葱は何処吹く風だ。
体全体を使ってドアを押しのけるのに合わせて、浅葱も跳躍する。
視界の中に広がる戦場。
サメ……地中を潜行、地上に姿なし。
ドデカイザー……諏訪と交戦中、両肩のミサイルを撃っている。
諏訪……ドデカイザーと交戦中、箒がミサイルを敵の盾に向かって打ち返している。
多田野……なおも飛来中、ドデカイザーや転校生たちなどが壁となり、山之端への到達は未達成。
一四一四……ご存知の通り。
浅葱……ご存知の通り。
一般客はもういなくなっているものの、多田野を止めるために来た転校生たちがいる。
サメのエサか一四一四の爆弾のタネとなるか。
どのみち多田野の犠牲になるもの達だ。
(少しくらい減ってもいいか)
触手が膨らむ。
辺りの転校生の足を取る、そして──振り回す。
「ドデカイージス!」
転校生が盾に衝突する……瞬間に影がその中に転校生たちを飲み込んでいく。
衝突したのは影の触手……そしてそれは盾の表面を走るものでもある。
盾を超えた触手から死した転校生が放たれた。
狙う先はドデカイザーの顔面。
転校生が潰れていく。
こんなことをしてもコックピットの操縦者に痛みは与えられない。
だが、これでいい。
「なっ、なんだ!? モニターが真っ暗だ! なんてことをするんだ!」
「ひと一人殺すのにロボット持ってくる人にどうのこうの言われたくないよ……リエちゃん!」
「言われずとも……」
影が山之端を覆う。
これで諏訪が離れてもサメや多田野に遠距離攻撃で殺される心配はないだろう。
一歩、諏訪が踏み込む。
箒が構えられ、振るわれた。
強烈な風だった、射線にいない浅葱の体勢も崩されそうだったくらいである。
もう一歩、また一歩近づいて行く。
「くっ! 見えなくたってェー!」
やたらめったらにブレードを振り回す。
しかし、その一撃はメイド騎士たる諏訪からすればなんてことの無い一撃だ。
あっという間に懐に飛び込んでいる。
「手伝うよ」
「させっか……!」
一四一四が転校生を蹴り飛ばす。
浅葱は慌てない。
焦りはしない。
影が転校生を飲み込みながら、ドデカイザーの足元へと移動していく。
敵は大きい、だから選択肢からは外していた。
しかしそれは自分だけで敵を倒すならの話だ。
今は違う。
「邪魔を……するなァアア!」
「遅い!」
「ははっ」
右の足が諏訪の連撃によって破壊されていく。
左の足は影の穴へと落ちていく。
二人の攻撃が始まってからドデカイザーが足を失うまで、八秒の出来事だった。
「ど、『ドデカイローリング……」
「おイタはダメだよ」
影の触手が腕を縛り、刃の先端を影の中に縫い付けていく。
どんどんと影に飲み込まれていくロボットの体を登り、箒の一撃がコックピットの位置する装甲部分に衝突した。
「一人を殺させはしない!」
「ひっ……!」
メイドが装甲をひっぺがす。
少年の胸ぐらが掴もうとした瞬間だった。
「リエちゃん離れて!」
「っ……!」
サメ、サメだ。
この場で最も戦闘に適した思考と行動を行えるのはきっとあのサメなのだ。
レーザー、この場の誰にも気づかれないように転校生たちを食らって溜め込んだパワー。
それが諏訪の背に向かって射出されていた。
影の触手による補助は、間に合わない。
諏訪の経験したものの中でも、最も大きな死の予感。
もしもあのコックピットにいるのが山之端だったなら確実に討たれていただろう。
滑り落ちるように諏訪の体はコックピットから床へと落ちていく。
「たす……っ!」
射線にいた操縦者の少年がどうなったのか、その場の誰もが見届けることが出来なかった。
獰猛な獣の前に人の事情や理など無に等しい。
だが、危機は続く。
「これは……っ!」
弾かれたミサイルが背に回って再び殺到する。
空中で身を固める。
着弾は免れない。
熱と痛みが体を襲う、能力で強くなった肉体だから原型を保っているものの、
メイド服の背は破れ、床へと投げ出されていく。
その先にいたのは、浅葱だった。
二人の体がもつれる。
巻き込まれたのではない、触手が間に合わないとわかった瞬間に、クッションになるために自分から移動したのだ。
「……大丈夫?」
「なにを……」
「流石に頭打って死なれたら笑えないからね」
「私は平気だ。それより一人は?」
「ここに」
サメが諏訪を見ている隙に影のドームごと移動させた。
「梨絵!」
「大丈夫……少し服が破れただけです。血もすぐに止まる」
「でも……!」
山之端の姿を見て、より強く諏訪は強くなると意識する。
それが彼女の能力には何より重要だ。
メイドは立ち上がり、浅葱は彼女と山之端を挟むように立つ。
「弾丸はともかく、あのミサイルとレーザーは処理できない」
「ワタシの影で対処するよ。飲み込めば問題ない」
「王手はどう打つ?」
「牙を使わせて。雨が石を穿つよ」
お互いに了解した。
影が伸びる。
千手観音めいた触手が拡がっていく。
サメのガトリング砲が回る。
その弾丸を諏訪の箒が次々に打ち払う。
レーザーとミサイルは影に飲み込まれる、それはサメも理解している。
だから浅葱が手を出せないタイミングでレーザーを使ったのだ。
誘導されていると理解していても牙で仕留める他ない。
口を開け、鯨のような振る舞いをもってして標的へと進軍していく。
口内に迫る触手は次々と噛み砕いた。
あの邪魔な二人もろとも山之端を噛みちぎってやればいい。
鋼の肉体なら可能だ、失敗はない。
今までも、これからも。
「今ッ!」
諏訪が叫んだ。
影の触手が変じる。
現れたのは、鉄骨。
勢いよく射出されたそれによって口内からカチ上げられてたサメ。
宙を舞う。
その時、サメと山之端以外の全員が察知した。
山之端と空を結ぶ直線に入った、と。
山之端一人に向かって一直線に飛ぶ雨だれがある。
サメのガトリング砲よりも多く強大な生命の塊が来たるのだ。
多田野精子、来訪。
その鋼鉄の肉体を白濁とした液体たちが打つ。
浅葱や諏訪に協力しようなどという感情はない。
このサメを貫いて山之端に接近する方法なら、浅葱や諏訪は対応できない。
山之端一人への着床という執念を達成できる。
そう思ったからこそ、特に金属の腐食や破壊を得意とする精子たちが勇んで先陣を切った。
他の多田野精子たちは自分たちの生存率をあげるために先を譲った。
生存競争の奔流がサメの体を抉っていく。
サメに設置された上津定世の頭部は白く染まって砕かれる。
だが、多田野はあまりにも強すぎた。
サメの体を貫通し、殺到する。
あの鋼鉄の肉体を盾にしたまま山之端の傍に行かなければ。
「『影の形に従うが如く』」
生命の天敵が自分たちを飲み込んでしまうのだから。
……そうして、辺りに静寂が訪れた。
「捕まえたァ」
浅葱の背後、一四一四が立つ。
触れたのは、浅葱の左腕。
「その腕、もう感覚ないのか?」
「……やぁ」
諏訪を受け止めた際に完全に壊れてしまった腕。
骨を弄り、無理やり筋肉の中に手を突っ込まれる。
意識しないようにしていた痛みが鮮明になっていく。
それでも、浅葱は一四一四の前から動かなかった。
「教えといてやるよ。『TOUCH de 爆発』は触れた人間を爆弾にする……だけじゃあない。人数で威力が決まるんだよ」
いまはお前ひとり、と浅葱に指を指す。
「最強火力で吹っ飛ばしてやる。ここにいるやつ全員」
「リエちゃん、ヒトリちゃんと逃げて」
「間に合うかよ……『TOUCH de 爆発』!」
諏訪は山之端を担ぎあげ、地面を蹴る。
床は抉られ、乗用車よりも早くその場を離れるのだ。
「浅葱さ……っ」
山之端一人がその時見たのは。
いつもと変わらず、意味ありげに笑っている浅葱和泉だった。
諏訪は、それを山之端を心配させまいとする気遣いだと理解した。
多田野に備えるためにやってきた転校生たちも同様だった。
そんな浅葱の意思を嘲笑うように、一四一四は能力を起動した。
「ひ、ははははは! これで! これで! 全員……!」
「全員なに?」
彼女の喉に、包丁の刃が突き立てられた。
「は……は?」
「キミが言ったんだよ。触れた人間を……って、いやまぁワタシも確信は持てなかったんだけどね。まさか、あのサメの方が生物っぽいとはねぇ……」
包丁が引き抜かれる。
動脈を抉られ、血があふれ出してひゅうひゅうと音を鳴らしている。
「ワタシは人間じゃあない」
脱力していく一四一四の傷口に指を突っ込んで、ぐちゅぐちゅと指で血や肉を弄びながら、なんてことないようにそう言っている。
「ちょっとショックだな。そうだと思っていても自己だけじゃなくて他者からもそうなんだ」
嘘ではない。
自分のあり方、アイデンティティというものを不確定なものにしておいても良かったとすら思っているから。
「教えてくれてありがとう。キミのことは忘れないよ、明日までは」
「やぁ。ヒトリちゃん、リエちゃん」
「浅葱さん……!」
「なんだい? まさかワタシが死ぬと思ってたのかな」
もはや使い物にならないショッピングモールを出て、二人に手をあげる。
転校生たちは多田野を止めるためにどこかに消えた。
「だ、大丈夫でした?」
「あぁ大丈夫大丈夫。ほら、左腕も治った治った」
嘘だ。
影で覆って他人の腕の質感を再現して上から被せている。
自分の肌に似たものを探すのに少し時間がかかったが。
後は覆った影で腕を無理やり動かすだけだ。
そう言いつつ、影の中に落とした紙袋を渡す。
「なんですかこれ?」
「プレゼント。そういう話だったでしょ」
「……大丈夫なものか?」
「さっきまで戦ってた相手に比べたらワタシなんてなんてことないだろう」
紙袋を開けるとそこから出てきたのは小さな小瓶。
「香水……?」
「なんか素敵な気がしてね。貰ってよ」
「……ありがとうございます」
「……」
諏訪が微妙な顔をして浅葱を見ている。
香水を渡した意図を感じ取ったのかもしれない。
それが当たっているか当たっていないかは誰も知らない。
「また、遊べるといいね」
今度襲われる時はもっと楽なのが相手ならいいな、と内心で笑いながら。
二月二十二日に花田和泉さん(17)と浅葱さん(16)が行方不明になってからひと月が経とうとしている。
兄弟で登山に行くと家を出た兄妹はどこに消えたのか。
父の恒雄さんは語る……
(中略)
まるで木々の影に飲み込まれたかのような状況だが、捜索は続けられている。
─────■■年前の新聞より抜粋
最終更新:2022年02月26日 22:24