山井遊夢が鶴見課長からの電話を受け取ったのは、夕食を終えた直後だった。
「はい。どーしましたか? 課長」
「山井君。キミの出番が回って来たよ。例のアレ、もう投入できるんだろう?」
「え、ええ。問題は無いですが、いいんですか?アレを投入するってことは……」
山井は念のため再確認する。「例のアレ」を投入すれば、市街地にもある程度の被害が広がることは免れない。最悪、数年前に起きた「池袋壊滅事件」レベルの大災害が起きたりするかもしれない。当時警察上層部のお粗末な隠蔽工作によって、様々な噂が飛び交った。メイド服の殺人鬼が事件を引き起こしたという都市伝説まで出て来る始末だ。
「構わないよ。『転校生』さえ絡まなきゃ事後処理はこちらで何とでもできる」
「いや、そういう事ではなくてですね……。人的被害とか。まあ、課長にまともな倫理観を期待するだけ無駄か」
「言ってくれるねぇ、山井君。私だってこんなことをするのは心が痛むんだよぉ。だけど、現状『転校生』を抑えるには、ある程度あっちの要求も飲まなきゃならない、奴さん、自ら動き出したくてたまらないみたいだしさ」
「あー、それは困りますね」
「『転校生』が動けば、お上も本腰を入れてくる。そうなると我々の立場も危うくなる。『山乃端一人』は、この世界の魔人同士の小競り合いで消えてもらわなくちゃ困るんだ」
「その為なら、なりふり構ってはいられない、ってわけですね」
「そういうこと。それに『山乃端一人』の死体はあっち、『願いの権利』はこっちとちゃんと契約も結ばれている。我々もその分しっかり働かなくっちゃね」
鶴見課長は、至極物騒なことをさも当然の如く言ってのける。目的のためならば、人ひとりの命を奪うことすら躊躇は無い。元よりここはそういう現場である。
「……はあ、承知しました。不肖、山井。いつも通りの汚れ仕事、粛々と遂行いたします」
二つ返事で応じる山井もまた、そのような暴力沙汰を本分とする、忠実な猟犬であった。
◆ ◆ ◆ ◆
――あの空港での約束から、どれくらい経ったのだろう。
飛行機が私を乗せて飛び立った時には、もうこの場所に戻ることは二度とないだろうと、覚悟を決めていた。
彼女の優しさに甘え、抱きしめてもらう約束はしたけれど、病気が進行し怪物になった私を、きっと彼女は拒絶するだろう。
それを想像するだけで、体が震え、涙が止まらなくなる。ならばいっそ、楽しかった思い出そのままに、二度と会わないほうがお互いの為には良いのだろう。
そんな決意でアメリカに渡ったのだが、この国の医療技術は、私の想像をはるかに超えていた。いやマジで。
「Oh! ダイジョーブネ! アナタノ悩ミ、解決シテアゲマース!」
「秘伝の笹針でちょっと秘孔的なのを突くだけ。ワォ、あんし~ん☆」
医者の言うことは本当だった。最近承認されたらしい先進の治療法とやらが、私の身体に効果覿面だったらしく、腕の鱗を手術で除去した後、再び患部から固い鱗が生えてくるようなことは無くなった。そこから何回かに分けて皮膚の移植手術を重ね、現在私の腕はほぼ元通りになりつつある。
そんな急展開ってある?とか、私の覚悟完全に無駄じゃん! とか、いろいろ言いたいことはあったが、病気が快方に向かっている嬉しさの方が、何倍も勝っていた。
そして私は、治療とリハビリを経て数年ぶりに故郷の国へと帰って来たのだった。まあ、その間に色々あったのだが、そこは割愛させてもらおう。
「ヒトリちゃんと、連絡付けなきゃなあ」
彼女の驚く顔が今から楽しみだ。積もる話だって山ほどある。何から話そうか迷うくらいに。
――約束、覚えているよね。ヒトリちゃん……。
◆ ◆ ◆ ◆
東京屈指のスラム街、逢迷街道。
日本に居ながらコロンビアやベネズエラに来た気分が味わえると言われる、大都会の吹き溜まり。治安は最悪、例として、同商店街を一通り散策して強盗に遭う確率は150%というものがある! 一度襲われて、また襲われる確率が50%の意味である! その他にも様々な黒い噂が絶えず、
曰く、町工場の地下で粗悪な密造小型拳銃が製造されているとか。
曰く、ヤクザの怒りをかった半グレ達の生首が、河原に晒されていたとか。
曰く、警官が組織ぐるみで押収した麻薬を勝手に密売していたとか。
最近では自動生成野良柳生がポップしてきて無差別に刃傷沙汰を引き起こしまくるアルティメット危険地帯なのだ! こわいよね。
そんな世紀末エリアに、ある二人の女子高生が足を踏み入れた。一人は制服の上に白衣を羽織った小柄な少女、もう一人は長い黒髪が印象的な、背の高い細身の少女。彼女たちはある人物に会うため、ここ逢迷街道商店街を訪れたのであった。
「ねぇ、本当に大丈夫なの? 愛莉。ココどう見てもヤバそうな雰囲気なんだけど」
そこら中の壁に書き殴られた卑猥な落書き! 放置された車の窓に残る多数の銃痕! なんかよく分からない肉片をつついているカラス! 通行人もみんな、目が合ったらどうなるか分からない雰囲気を纏っているぞ!
「仕方ねーだろ。あの人は呼んでもこっち来ねーんだよ。うちらから出向かねーと」
小柄な少女、愛莉は慣れた様子でこの危険地帯をずんずんと突き進んでいく。片や細身の少女、ヒトリは不安げに辺りを見回しながら、愛莉の後ろにぴったりと体を寄せて付いていく。これはアレだ、間に挟まったら炎上する例の空間だな!?
二人がさらに進んでいくと、何かが焼けているような煙のにおいが立ち込める。この先は、愛莉が件の知り合いと落ち合う予定の場所だ。そして――
「あ……愛莉、あれ……」
待ち合わせ場所の公園の広場では、バーベキューセットを囲んだ数人の男たちが肉を焼いて宴を開いていた! 大量の安酒を買い込み(買ったかどうかも怪しいが)大いに盛り上がっている!
「ヤギュ!!」
「ヤギュヤギュ!!」
よく見ると男たちは緑色の皮膚で腰に二本差し! 額にデカデカと㋳の入れ墨! 焼いてる肉は人の肉と臓物! ほら、そこの切れっ端、完全に人間の手足だもん! そう、愛莉とヒトリは知らぬ間に柳生ゴブリンの縄張りに侵入してしまったのだ!! マジで自動生成エネミー、適当なのが出て来るんだな。
ヒトリは恐る恐る犠牲者の肉の塊を指差す。
「ねぇ……愛莉が会うはずだった人、あれじゃないよね……?」
「多分違うと思いたいけど、わっかんねぇ……。もういい感じにミンチじゃん。あの肉」
「ヤギュ!?」
「やべっ、こっちに気付きやがった!」
「やだやだ! どうしよう!!」
「ヤッギュウウウウウウウウウウ!!!!!」
柔らかくて美味そうなJKが居ることに気付いた柳生ゴブリン共はテンション爆上がり! 嬉々として二人に襲い掛かる! だがここは天災科学者徳田 愛莉! 勝手知ったる世紀末エリアでの護身の術は心得ている!
「行け! SUB-0!」
愛莉の掛け声とともに、白衣の内ポケットから、機械仕掛けの鳩型ドローンが飛び出す!
「アイリ・ラボ」謹製、多機能型防衛ドローン「SUB-0」は、自動迎撃、通信機能、索敵機能を備えた便利な携帯兵装だ!
ドローンは柳生ゴブリン4体の間を縫うように旋回し、両翼に装備したビームウイングで標的をすれ違いざまに切り刻む! 慌てふためく柳生ゴブリン共は刀を振り回し応戦するが、所詮通常エンカウントの雑魚レベル、縦横無尽に飛び交うドローンの動きを捕らえられない!
「ヤッギュ! ヤッギュ! ヤギュウウウ!!」
「ヤg!?」スパーン!!!
一体のゴブリンの出鱈目な横薙ぎで、もう一体の首が刎ねられる! しまったと思った時にはもう遅い! 殺気立った残りの柳生ゴブリンは、仲間の首を落としたマヌケの処刑モードに切り替わる! そこからはもう何か滅茶苦茶で、柳生ゴブリン共は、血みどろの仲間割れを始めてしまった! これだから蛮族は……。
「うわぁ……地獄じゃん……」
「最近ここ、ますます治安が悪くなってるって聞いてたけど、マジだったんだな」
柳生ゴブリンの群れから遠のき、様子を伺う二人。だがここは世紀末エリアの逢迷街道。殺戮ショーの現場から離れたとて、安全圏では決して無いのだ!
惨劇の光景を傍観している二人の背後から、妖しい影が忍び寄る! 仲間割れに参加しなかった別の柳生ゴブリンだ! 彼は逆サイドの仲間割れ連中よりかは多少頭が回るのか、息を殺しながらJK二人に近づく! 「SUB-0」が敵を感知したときには既に致命の間合い! 愛莉とヒトリ、絶体絶命のピンチ!!!
「ヤッギュウウウウウウウウウ!!!!!」
「なっ!?」
――ざくっ。
二人が振り返ると、そこには野太刀を大上段に振りかぶったまま動きを止めた柳生ゴブリン! そのこめかみには、ナイフが根元まで深々と突き刺さっていた! 柳生ゴブリンは声を上げる暇もなく絶命し、その場に頽れた!!
「危ない危ない、危機一髪だったっすね!」
一瞬の出来事に、何が起きたのか反応できなかった二人だが、すぐに声の主の方に目を向ける。すると視線の先には、快活そうな印象の、若い女性が佇んでいた。
「あんたは一体……?」
仕事を終えたSUB-0が、愛莉の肩に止まる。その様子を見た女性は、この二人が「先輩」の言っていた人物だと確信する。
「入々夢先輩から話は伺ってるっす。私は今井商事の有間 真陽。愛莉ちゃんとヒトリちゃん、でいいっすね? お迎えに上がったっす」
彼女はそう言って、はにかみながら小さく手を振った。
◆ ◆ ◆ ◆
「いやー、君らがこんな近くまで来てるとは思わなかったっすよ。連絡くれれば商店街の入り口まで迎えに行ったのに」
「そっちの会社には前に何回か行ってるし、今回も直行した方が手っ取り早いと思ったんだよ」
「おかげで私達、また死にかけたけどね」
ヒトリが愛莉を肘で小突く。愛莉はばつが悪そうな表情を浮かべた。
「悪かったって。この辺りの治安がここまで悪くなってるとは思わなかったんだよ。何だよあのやぎゅーとか喚いてたモンスター共は?」
「私も詳しいことはわからないんすけど、奴らここ一月かそこらで急に湧いて来てるんすよね。おかげでますますお客が寄り付かず困ってるんすよ」
「ほんと無法地帯なのね……噂には聞いてたけど……」
そうこう言っているうちに、目的地に到着する。商店街のメインストリートから少し外れた、3階建てのオフィスビル。周囲の建物が退廃した独特の雰囲気を醸してる中、半ば浮いたように小奇麗な姿を保っているビルであった。
「ささ、歓迎するっすよ。入ってくださいな」
中に通され、愛莉とヒトリは2階の応接室へと案内された。待機していると、真陽とは別の、小柄な少女がお茶とお菓子を用意してくれた。
「すぐに先輩が来るから、少し待っていてね」
「すみません。わざわざありがとうございます」
「ここは外と違って安全だから、ゆっくりして行ってね」
人当たりの良さそうな彼女は、一見すると自分たちとそう大差ないような年齢にも見えた。バイトの学生なんだろうが、どうしてこんな治安の悪い地区で働いているのだろうか? そんな疑問を抱いていた矢先に、入り口のドアがガチャリと開いた。姿を現したのは、落ち着いた雰囲気の壮年の男性と、ヒトリ以上に上背がある、気怠そうな妙齢の女性。
「……ふわ~ぁ。ああ、よく来たね。愛莉」
「入々夢君。この子たちが、例の……」
「ええ、白衣の方はぼくの『弟子一号』。徳田 愛莉って言います。愛莉、この人がうちの社長の今井さんね」
「うちには何回か来てもらってたらしいが、こうして会うのは初めてだね。今井と言います。よろしく」
◆ ◆ ◆ ◆
「お、愛莉。気が利くじゃ~ん。ちょうど切らしてたとこなんだよね。これ」
「不本意だけどあんたにお世話になるからな。あ、会社の皆さんの分もあるんでみんなで分けて下さい」
愛莉は自身も愛飲しているカフェイン中毒御用達エナジードリンク、「ガン・ギマリ」のカートンを入々夢に手渡す。基本寝ていたい彼女にとって、どうしても外せない仕事の案件が舞い込んできた時のブースト剤なのである。ちなみに「アイリ・ラボ」の冷蔵庫の中の8割はこのエナジードリンクで埋め尽くされている。
「さて、早速だが本題に入ろう。山乃端一人君、今回命を狙われているということで、失礼ながら君の経歴を含め、少々下調べをさせてもらった。気を悪くしないでくれ」
「いいえ。それは構いません。私もなんで命を狙われているのか、ハッキリさせたいですし」
「すまないね。そう言ってもらえると有り難い。それじゃあまずは君の夢の内容から、詳しく話してもらいたい」
ヒトリはここ数日に起きた出来事を、事細かに説明した。
夢の中で「鏡助」なる人物(うさんくさい)に、警告を受けたこと。
よく分からない殺し屋が現れて、襲われたこと。
勢いあまって通行人をノックアウトさせたことまで、正直に話した。
そのまま警察に突き出されるリスクもあったが、隠し事は無しにして、信用を得ることの方が大事だと思ったのだ。
「ごめんなさい。そういうわけで、警察に頼れなくなっちゃったので……」
こうして愛莉の伝手をたどり、現在に至ると説明した。
「いや、本当はまずいんだが、今回に限ってはその判断は正解だったかもしれんな……」
「え?」
二人が疑問の表情を浮かべる。今井社長はさらに続けた。
「実はな。こちらの調査で、どうも警察の一部の部署と、例の殺し屋がつながっているかもしれないという情報が舞い込んできたんだ。推測の部分もまだ大きいが、仮につながっているとしたら、警察を頼るのはまずそうだ」
「そんな……」
「何でそんな大ごとになってんだよ? ヒトリはただの女子高生だろーが!」
愛莉は憤慨する。警察と変質者がつながっていて、たかが女子高生の命を付け狙う。ジョークだとしてもタチが悪すぎる。
「ただの女子高生だったら良かったんだがな。ここで一人君が話してくれた銀時計が出て来るんだ」
「銀時計……。一体コレはどんなアイテムなんですか?」
ヒトリは懐に仕舞っていた銀時計をテーブルの上に置く。くすんだ輝きを放つその懐中時計は、アンティーク調で重厚感はあるものの、際立って特別な力が備わっている様には見えなかった。
「非公開の資料をハッキングして得た情報なんだが、その銀時計は、『悪魔』を呼び、あらゆる願いを叶えるという伝説があるらしい。『悪魔』とは、様々な超常能力を持つ、人の規格から外れた存在。今でいう、『魔人』のことだ」
「魔人……」
「銀時計の導きによって集う『魔人』同士を戦わせ、それによって発生したエネルギーを回収し、願いを叶える力に変換する。それがこの銀時計の役割なんだ。そして、その戦いを、『ダンゲロス・ハルマゲドン』という」
敵の目的は、恐らくこの「銀時計」の願いを叶える力にあるのだろう。だがここで、一つ疑問が残る。願いを叶える力が必要ならば「銀時計」のみを狙えばよい。場合によっては交渉の余地もあったはずだ。しかし敵は、真っ先にヒトリの命を狙ってきている。愛莉がその疑問を今井社長に投げかけると、彼はこう言った。
「その銀時計単体では、『魔人』を集める力は発揮できない。起動のためのトリガーが必要なんだ。それが―—」
――銀時計の持ち主、つまり『山乃端一人』の魂のエネルギーである。
「何……だって?」
「私の……魂……?」
銀時計の起動には、『山乃端一人』の魂が必要。つまり、『ダンゲロス・ハルマゲドン』を起こすには、彼女の死が必要不可欠なのだ。
「それが、私の命を狙う理由なのね」
「そう。だがしかし、銀時計の伝説も、どれだけの信憑性があるか分かったもんじゃない。誰も君を殺して確かめているわけじゃないからね」
「でも、そいつぁ関係ねーと思うぜ。要はその怪しげな伝説に乗ったバカが今動いてるってことだからな」
「そうだな。そして、そんな危険な連中から君を守るのが、我々の役目だ」
今井社長のポリシーは、人のために、役に立てる人間となることだった。今でこそ裏社会で名を知らぬものが居ない街金の社長ではあるが、彼の根底にあるものは、人に尽くす精神。助けを呼ぶものがあればその手を差し伸べる。ましてや、何の力も持たない一人の少女を、自分達の都合の為に屠ろうと画策している者たちを、彼は許すことが出来なかった。
「わたしたちも出来る限りの協力はする。だから心配しないでね」
話を聞いていた小柄な少女(後で浅田るいなと紹介された)も、今井社長に続く。もちろん真陽や入々夢も、
「愛莉ちゃん、ヒトリちゃん。私たちのこと、本当のお姉ちゃんみたいに頼ってくれていいっすからね!」
「……ふわ~ぁ。うちの連中、こういうお人好しばっかだから、安心して力を借りるといいよ」
「み、皆さん、ありがとうございます……」
ヒトリはうっすらと涙を浮かべながら、今井商事の社員たちに深々とお辞儀をした。
その後、家に連絡を入れ、しばらくこの今井商事で匿われることとなったのであった。
◆ ◆ ◆ ◆
――スマートフォンを片手に持った少女は、緊張のピークに達していた。
ヤバい、久々に連絡とるから、なんか変な汗かいてるよ私。
多分今のテンションじゃ、テンパってまともな会話が出来ないような気がする。思いっきり噛んだらどうしよう。泣きたくなってきた。
でも、ここで電話しなきゃ、私一生後悔する。帰ってきたら真っ先に連絡入れるって、決めてたじゃん!
よし、頑張れ! 女は度胸だこんちくしょ~!!
願いを込めて、最後のボタンを押す。数度のコールの後、ガチャリという音と共に―—
「え? 皆ちゃん……久しぶり、どうしたの……?」
「ひ……ヒトリちゃん、あのね……!」
親友との久々の会話は、本当に楽しかった。私は病気がほぼ完治しつつあること、日本に帰ってきたこと、そして、お互いの近況を報告し合い、共に喜びを分かち合った。結局2時間ほど喋った後、私は切り出した。
「ねえ、明日あたり、会えないかな?」
「えっ……?」
彼女は一瞬考えるような間を置いたが、すぐに、
「う、うん! 私も会いたい。多分大丈夫。どこで待ち合わせしよっか!」
「多分私がいない間、色々お店とか変わってるでしょ? ヒトリちゃんのお薦めの店とかない?」
「だったらさ! 最近オープンしたパンケーキのお店、どうかなあ?」
「行きたい行きたい! ヒトリちゃん、きっちりエスコートしてくれたまえよ!」
「あはは! 分かった。楽しみにしてなさい」
デートの約束を取り付け、電話を切る。ふつふつとした多幸感が、全身を駆け巡る。
勇気を出して、良かった。電話越しの彼女は、あの時と変わらないままだ。
「ああ、早く明日にならないかなあ」
私がその日、遠足の前日のようになかなか寝付けなかったことは、言うまでもない。
――ガチャリ。
『山井です。被験体E‐57、ターゲットとの約束を取り付けた模様です』
◆ ◆ ◆ ◆
会社から提供された個室で、二人は就寝の準備に取り掛かる。夕食を済ませ、愛莉が風呂へ入っていた間も、ヒトリはずっと誰かと電話をしていた。
「ねえ愛莉! 聞いてよ!」
ヒトリのテンションがやたら高い。先程の長電話の話だろうか?
「アメリカへ行った皆ちゃん知ってるでしょ? 彼女が治療を終えて日本に帰って来たんだって!」
「え? マジか? 良かったじゃん!」
「それでさ、実は明日、会う約束をしちゃったんだけど……」
「おい、それは……」
愛莉はヒトリほど皆と仲が良いわけではなかったが、彼女の事情は知っていた。彼女が久々にヒトリに会いたいという心情を推し量ることはできる。けれども今は状況が悪い。当のヒトリは、現在命を狙われている立場なのだ。
「何とかならないかな? 愛莉。私も皆ちゃんに会いたいんだ」
「うーん……」
まずは入々夢に相談を持ち掛けようと思い立ったが、あの人のことだ、今は十中八九寝てるし、絶対に起きない。これは断言できる。かといって他の社員に相談を持ち掛けても、まず止められるだろう。
「仕方ねぇな。明日こっそり抜け出そう。ただし、あたしを連れてくことと、ここに書置きを残しておくこと。それで――」
「は~い、ストップっすよ~」
「げ」
愛莉とヒトリの前に、いつの間にか現れた真陽。驚くと同時に、早くも計画が瓦解してしまった事を悟る。
「悪いとは思ったけど、話は聞かせてもらったっすよ。ヒトリちゃん、愛莉ちゃん。余り軽率な行動はしてほしくないっすね」
「ごめんなさい……」
「うす……」
「だいいち、ヒトリちゃんが襲われるだけならまだしも、皆ちゃんまで巻き込まれちゃったら、どうするつもりだったんすか? 敵は、こっちの都合なんかお構いなしっすよ」
「!!」
ここでヒトリは、自分の発言が本当に軽率なものだったと猛省した。あの変質者の刺客に襲われた時のことを思い出す。自分のせいで、皆ちゃんにあんな怖い思いをさせたり、一つ間違えば命を落としかねないような危険にさらすわけにはいかない。
「ううっ、本当に……私……馬鹿だ……」
「うんうん、反省してるようっすね。それじゃあ、明日の予定を詰めましょうか」
「えっ?」
「明日は待ち合わせ場所に愛莉ちゃん、わたし、それとうちの荒事担当の社員もう一人を連れて行くこと。そして、合流したら、うちの会社に戻って皆ちゃんの歓迎会を開くこと。これでどうっすか?」
「真陽さん……!」
真陽の心遣いが嬉しい。彼女が自分で言ってた通り、本当に頼りになるお姉ちゃんだった。
「魔人三人の布陣なら、敵方もおいそれとは手を出せないと思うっす。何より、電話してる時のヒトリちゃんの嬉しそうな表情を見たら、流石に会うなとは言えないっすね」
「え? 電話してるとこまで見てたんですか?」
「そりゃそーだろ。2時間6分46秒も長電話してるんだからよ」
「おい! しれっとタイム測んな! ばか!」
愛莉がからかうと、ヒトリの顔が恥ずかしさで紅潮する。それを見た真陽も、思わず笑いだす。なんにせよ、明日は楽しい一日になりそうだ。
――翌日、ヒトリは皆との待ち合わせに向かうため、支度を済ませて表へ出た。
「じゃあこっちは歓迎会の準備、しておきますね!」
るいなはそう言うと、玄関までお見送りしてくれた。ヒトリは感謝の気持ちで胸があふれる。
同行メンバーは愛莉、真陽と、鎌瀬と名乗る社員だった。失礼ながら何かこれといった印象のない、存在感の薄そうな男だった。マジでこれが荒事担当?めっちゃ喧嘩弱そうだけど。
「ちょっと待って? その人物紹介ひどくね?」
「誰と喋ってるっすか、早く出発するっすよ」
商店街では相変わらず野良柳生がポップしていたが、今井商事の二人の前では全く相手にならなかった。真陽の能力は、触れたものの時間をコントロールするというものらしく、昨日二人を助けた時のように、大谷翔平のストレートを超えるスピードの投げナイフを投擲したり、DIO様ごっことか言って大量の投げナイフを一時的に止めおき、能力を解いて一斉発射したりしていた。
鎌なんとかさんは何かよくわからないうちに敵を倒してた。奇襲、離脱特化みたいだけどあんまりよく覚えていない。愛莉とヒトリも、この異常な環境下において感覚が研ぎ澄まされていってるらしく、商店街を抜ける頃には雑魚敵の動きや行動パターンを多少見切れるようになっていた。これが俗にいうパワーレベリングというやつだ!
「うんうん、いい傾向っす。危険が迫った時に、すぐに逃げの態勢を取れるようになるのは大切っすからね。今度ちょっとした護身術も教えてあげるっす」
そして一行は、商店街を抜け、待ち合わせ場所の商業ビルがある繁華街へと足を運んだ。
――悲劇の邂逅まで、あと十数分。
◆ ◆ ◆ ◆
街は、突如現れた脅威に動揺を隠せずにいた。
――その姿は、この世のありとあらゆる暴力を一つの身体に詰め込んだような。
――感情の読み取れぬ、蟲の頭。
――大悪魔を彷彿とさせる、巨大な蝙蝠の翼。
――全身を覆う竜鱗は、鋼鉄を凌駕する硬度を誇り。
――その隙間を縫う様に伸びる棘の先からは、沸騰した酸液が滲んでいた。
――そして人外を強調する4本の腕には、命を刈り取る曲刃が生えている。
怪物。この正体不明の生物を一言で表すなら、そんなシンプルな表現が一番相応しい。
空から降り立ったこの異形の登場に、あるものは戦慄し、あるものは硬直し、あるものはじりじりと後ずさる。
「な……なんだ、あれ……?」
「映画の撮影か何か……?」
怪物の名は、被験体E-57「谷中 皆」自らの魔人能力「ネオフォーム」により、人外に身を堕とすこととなった、憐れな少女。
「もうすぐヒトリちゃんに会えるんだ……。楽しみだなあ」
彼女のつぶやきは、一条のレーザーとなって、空気を裂く。その熱線は、直線軌道上の街路樹を焼き切るのに十分な出力を持っていた。欅の太い幹は一瞬で炭化し、メキメキと音を立てて倒壊する。その後ろのビルの壁面も、チーズを溶かしたような穴が開いた。
これを皮切りに、人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。しかし当の本人は全く動じない。まるで、今起こった出来事を認識していないかのように、数年ぶりに会う少女を待ち続けている。
――始まったか。
商業ビル前の様子が見渡せる、はす向かいの雑居ビルの屋上で、黒いスーツの男が怪物の様子を伺う。『山乃端一人』の命を付け狙う一派の刺客、その名は、山井裕夢。被験体E-57は現在、彼の制御下に置かれている。
――山乃端一人の身辺調査をしていた過程での拾い物だったが、よもやこんな化物に育つとはな。
不可逆の魔人能力により、彼女はもはやまともな社会生活を送れる存在ではなくなってしまっている。ならばせいぜい、我々の役に立ってもらうのが有意義な命の使い方であろう。
――一つ問題があるとしたら、あの化物は火力が高すぎて、『山乃端一人』の身体を木っ端微塵にしかねないところだ。邪魔者を排除した後の最後の始末は、私が直接やらねばなるまい。
スーツの内側に手を伸ばす。ショルダーホルスターの中には、コンシールドキャリーガンのグロック26が収まっている。罪なき少女の命を奪うことに抵抗が無い訳ではないが、仕事となれば話は別だ。山井はスイッチを切り替え、自らを冷徹な殺し屋へと変貌させた。
◆ ◆ ◆ ◆
街の様子がおかしい。すれ違う人々が、血相を変えながら走り去っていく。
進行方向を見ると、ちょうど待ち合わせ場所の辺りから白煙が上がっている。
「ちょっとこれはただ事じゃなさそうっすね。居助君、会社に報告よろっす」
「了解!」
「とりあえずわたしが先に行って様子を見て来るから、ヒトリちゃんは皆ちゃんに連絡をつけて」
「は……はい!」
「愛莉ちゃんは、周囲を警戒して。この混乱に乗じて、敵が襲ってくるかもしれないから」
「ああ、任せとけ!」
そう言うと真陽は、風のような速さで、待ち合わせ場所へと走っていった。
ヒトリが携帯を手に取り、皆へ電話を掛ける。お願い、無事でいて……!
「あ、ヒトリちゃん! どうしたの?」
皆はあっさりと電話に出た。ヒトリはほっと胸をなでおろす。
「皆ちゃん、そっちは大丈夫!? 何か大騒ぎらしいけど、何かあったの?」
「え? 何のこと? 別にこっちは何もないけど……」
「え……?」
何かがおかしい。皆の様子は普段と変わらず、あっけらかんとしている。今の街の様子と、整合性が取れていない。
「皆ちゃん、今どこにいるの? 教えて」
「どこって……昨日言ってたお店の前で待ってるよ。ヒトリちゃんももうすぐ来るんでしょ?」
「う、うん。とにかくすぐにそっちに行くから、何かヤバそうな雰囲気を感じたら、お店の中に避難してて!」
「何なのそれー、変なヒトリちゃん」
皆は最後までのんきな様子で、電話を切った。とても嫌な予感がする。
「おい、ヒトリ、皆ちゃんは無事だったのか?」
「おかしいの! 皆ちゃん、普段と全く様子が変わらなかった。これって絶対普通じゃないよね?」
「何だそれ……! 幻覚でも見せられてんのか? だとしたらすでに巻き込まれてるってことになるぞ」
「とにかく急ごう! 真陽先輩が先行してるから、早く状況を把握しないと二人とも危ない」
「そうですね! 急ぎましょう、鎌なんとかさん!」
「鎌瀬です」
3人は駆け足で待ち合わせ場所に急行する。途中で愛莉がバテてたが、程なくして、真陽に追いつき、状況を聞く。
「騒ぎの元凶はあいつっす……。今は動きが無いようだけど……」
見ると待ち合わせ場所には、およそこの世のものとは思えない異形の怪物が立っていた。周囲のビルの数か所に大穴が開き、街路樹がなぎ倒されている。愛莉とヒトリの背筋が凍る。あれは、柳生ゴブリンなんかとは全く格が違う暴力の化身。
本能が警告を発する。あれを相手取るというふざけたことを考えてはいけない。いかにこの地獄から離脱するかを最優先に考えるべきだ。
しかし、今すぐ逃げるわけにはいかない。皆ちゃんを見つけるまで、ここを離れるわけには——
――待って。
――違うよね。
――私は気付いてしまう。怪物の体を覆う、硬い鱗に。
――お別れの日、彼女の腕の包帯の下から覗いていた、カタイウロコ。
――違うよね。病気は治ったって、言ってたじゃん……!
気が付くとヒトリは、震える手で再び皆に電話をかけていた。怪物の鱗の隙間から、陽気な着信音と共にスマートフォンが滑り落ちる。ヒトリの血の気がさらに引く。
「ヒトリちゃん、もう着いた? ねえ、どうしたの?」
怪物は器用に電話を操作し、蟲の頭にそれをあてがう。誰と話をしているのかは、もう疑いようもなかった。
怪物は周囲を見渡し、こちらに気付く。そして感慨深げに一歩ずつ、ゆっくりと距離を詰めてくる。離れていた時間の長さを、噛みしめながら。
「皆……ちゃん……?」
「ヒトリ……ちゃん。会いたかったよ……」
怪物の口が開き、白い光がきらりと輝く。
「危ないっす!」
真陽はヒトリに飛びつき、もつれるように倒れこむ。ヒトリの頭のあった位置に、すぐさま高出力のレーザーが照射される。20メートル背後の街灯の支柱が、飴のように溶けて焼き切れる。こんなものをまともに食らえば、人間の頭など一瞬で蒸発してしまうだろう。
「ちょっと、何なんですか貴方! いきなりヒトリちゃんに抱き着いて。警察呼びますよ!」
「ちょっと……皆ちゃん、何言ってるの?」
「貴方、本当に皆ちゃんなんすか……?」
「一体、どういう事だよ。この惨状が見えてねーってのか?」
皆は首を傾げる仕草をする。蟷螂の頭部からは、その表情は全く窺えない。
「あ、貴方愛莉ちゃんじゃない。ということは、みんなヒトリちゃんの友達なのか」
鱗の隙間から伸びる棘の先から、超酸の体液が噴出する。慌てて飛びのくと、飛び散った体液が地面を溶かし、小さな穴をあけた。
「ごめんなさい、私、なんか早とちりしちゃったみたいで」
皆が何かしらのアクションを起こすたびに、それがこちらの攻撃へと変化する。そして当の本人は、そのことに気付いていない。明らかに、彼女の現状認識が阻害されている。
「ねえ愛莉ちゃん、恐らくこの周辺に敵が隠れているはずっす。それを見つけ出せそうな機械とか、ないっすか?」
「なるほど、それなら『SUB-0』が適任だ。索敵機能や通信機能も搭載してる便利屋だぜ」
「頼むっす、恐らくそいつを倒せば、彼女も正気に戻るはずっす」
「よし、分かった。行け! SUB-0!」
愛莉は真陽の指示で、鳩型のドローンを飛ばす。恐らくこの状況を敵は見ている。ならば、索敵エリアは何か所もないはずだ。
「それじゃあ、早速ヒトリちゃんの言ってたお店行こうよ。私少しお腹が減っちゃった」
皆がヒトリに向かって駆けだす。未だ混乱から抜け出せないヒトリを庇うように、真陽が皆の前に立ちはだかる。
「ごめんね、ヒトリちゃん。ちょっとあなたの友達に怪我させるかもしれないっす」
そう言って真陽は、戦闘態勢に入る。
「悪いけど、少しばかりわたしと遊んで行ってもらうっすよ」
「お姉さん、少し感じ悪いですよ。なんで私とヒトリちゃんの邪魔をするんですか?」
「あはは~。嫌われちゃったっすね。本当なら皆ちゃんの歓迎会、開く予定だったんすけど」
その瞬間、真陽の身体が突然消えた。魔人能力で自らを超加速させる、瞬間移動。
虚を突かれた皆の懐に一瞬で潜り込んだ真陽は、勢いそのままに中足の前蹴りをお見舞いする。怪物の身体が一瞬浮きかけるが、ウェイト差のせいもあって、2、3歩下がらされるに留まった。
「やっぱり硬いっすね。ほぼノーダメっぽいっす」
「そんな撫でる様な攻撃、効くわけがないじゃないですか」
「まあそうっすよね、こちらは本命じゃないし」
「!?」
――ドガッ!!
皆の身体は、突如1.4トンの鉄の塊のタックルを受ける!
今井商事の社用車による、vs戦闘型魔人用突撃戦法!! 無警戒の皆の身体は10メートルほど派手に吹き飛んで転がっていく! 良い子のみんなは真似しちゃダメだぞ!
「ナイスタイミング、るいなちゃん! 居助君も誘導ありがと」
「もう! あんまり無茶させないで下さいよ!ただでさえあの人を連れての運転で、眠気との戦いなのに」
「ん~? もう着いたの? じゃあ始めるよ」
「みんな! コレを口に含んで!」
るいなからいつもの強力ミントガムが配られる。まずはこれ以上の被害を防ぐ為、急遽入々夢先輩を呼んだのだ。
入々夢の能力が発動する。皆を眠らせて、無力化させた後、もう一人を叩く算段だ。周囲は既に人の流れが消え、だが、皆はすぐに起き上がり、睡魔に襲われた素振りを全く見せない!それどころか、高出力レーザーを立て続けに放って来た。一行は各自、それを伏せてやり過ごす。
「何でだ? 眠るどころか、動きが鈍る様子すらも見られないぞ」
「……ふわ~ぁ。愛莉。これは多分、いや。間違いないねぇ」
「何がだ?」
「あの子、最初から眠っているよ」
◆ ◆ ◆ ◆
谷中 皆は、最初から眠っていた。これが彼女の現状認識能力の欠如の正体だった。
「恐らく、もう一人の敵の能力は、”眠っている人物を都合よく操る”能力なんじゃないかな?」
「なるほど。つまり皆ちゃんを止めるなら、『眠らす』んじゃなく、むしろ『起こさなきゃ』ダメってことか」
「そうなるねぇ。でも、それにはまず、もう一人の能力者を何とかする必要があるんじゃないかなぁ」
「それならばそろそろ……」
ジャストタイミングでスマートフォンの通知音が鳴りだす。愛莉はスマートフォンを開き、「SUB-0」連動アプリを立ち上げる。「SUB-0」が不自然な人影を発見したらしい。
「人影の位置は北側のあのビルの屋上。ちょっと距離があるな」
「わたしが最速でぶっ倒しに行くっす。るいな、車に積んであるインカム出して。居助くん、皆ちゃん相手に5分時間を稼げる?」
「中々きついが、やってみます」
「わたしがあっちを片付けたら無線入れるから、何とかして皆ちゃんを起こしてほしいっす」
「それはあたしに任せろ。ラボで対策アイテムを作るから」
「あっ! 皆ちゃんもうこっち来るよ!」
「おっと、了解!」
「あ、鎌なんとかさん! これを持って行ってくれ!」
「鎌瀬です」
愛莉は鎌瀬に携帯型レールガンを手渡す。鎌瀬はそれを受け取ると、皆の前に単身立ちはだかる。
「な、何か私にできることは無いですか?」
ヒトリが真陽に尋ねる。大したことはできないと知ってはいたが、居てもたってもいられなかった。
「まずはここを生き延びることを考えるっす。あとは、起きた皆ちゃんのメンタルケアを頼むっす」
「は、はい!」
「それじゃ、作戦開始っす!」
真陽が超加速でビルの屋上へと走り出す。愛莉もそれに呼応して、魔人能力を発動させた。
――【アイリ・ラボ】!!
勝負の5分間、早速作業に取り掛かる。愛莉は冷蔵庫を開けると、ストックの「ガン・ギマリ」を取り出す。
「るいなさん、ミントガム残ってない? カフェイン+強力ミントで、究極の目覚ましキャンディを作ってやるぜ!」
鎌瀬は、極限の集中力の中、敵を引き付けていた。愛莉から渡されたレールガンは、素手よりかはましだったが、せいぜい怪物の鱗を割る程度の威力。片や、向こうの攻撃は一撃でも喰らえば命に届く。上手く物陰に隠れ、能力を発動すれば一方的に奇襲が出来るアドバンテージはあったが、自分の存在を消しすぎると、今度はあの研究所が狙われてしまう。
「全く、しんどい戦いだなっ!!」
怪物の腕から生える4枚の刃が鎌瀬を切り刻む。急所を避けつつも、負傷箇所は徐々に増えていく。
「分からない……。私は何で、戦っているの?」
それは鎌瀬の能力の影響か、それとも認識のずれが引き起こした違和感か。皆はだんだんと、自分の頭がおかしくなっていってるように感じた。
「……助けて」
うわ言のようにつぶやいた自分の言葉の意味も、皆は既に理解できなくなっていた。
――駆ける!
――駆ける!!
――駆ける!!!
「何だ、あの異常な速さは……!」
敵の一人が、猛烈なスピードでこちらに向かって駆けだしてきた。どうやらこちらの位置を嗅ぎつけたらしい。山井は迎撃の準備に取り掛かる。
(下のエレベーターには爆弾、階段には対人地雷が仕掛けてある。とは言え、足止めは一時的な物だろう)
向こうのスピードはかなりのものだ。しかし問題は無い。屋上への侵入口はここ1か所だけ。いくらスピードで勝ろうと、ここを固めて足を潰せば―—
「とか思ってるんじゃないっすかね?」
「!?」
山井は振り向きざま、グロックの引き金を引く。声の方向で見当をつけてのノールック射撃。しかし、そんな小手先の芸が通用するはずもなく、
「観念したほうがいいっすよ」
「くっ、お前、壁を駆けあがって来たな……」
あれほどの速さと運動能力を持っていれば、むしろビルの隙間伝いに外壁を上った方が時間のロスは少ない。そこに気付けなかった時点で、勝負は半ば決したようなものだった。
「……私を倒して、あの化物を目覚めさせるつもりか? それはやめた方がいい」
「?」
「あれは数年前からずっと眠りっぱなしだ。そして、私が作った夢の世界で自分の病気が治ったと、思い込んでいる」
「……」
「そんな奴が、突然目覚めさせられ、残酷な現実を見せつけられたら、どうなると思う?」
「……」
「精神崩壊を起こして廃人になるかも知れない。暴走して、破壊の限りを尽くすかもしれない。それでも、あの化物を目覚めさせるというのk、ぐっ!!!」
超加速の肘撃ちが、山井の鳩尾にめり込む。山井は声を上げる暇もなく、その意識を手放すこととなった。
「それでも、あんたみたいなやつに利用されるよりかは、マシだと思うっすよ」
真陽は悲しげに呟く。確かに山井の言ったとおり、幸せな夢の世界に浸り続けていた方が、彼女にとってはいいのかもしれない。けれど……
「ヒトリちゃん、わたしは君を信じるっす。きっと皆ちゃんを、本当の意味で助けてくれるって」
――ジャスト5分。入々夢パイセンが完全に熟睡モードに入った頃。
「よし......出来たぞ! 名付けて、目覚ましキャンディキリングスペシャル!」
「殺意高っ! 大丈夫なの? この前みたいに強力すぎるとかない?」
「大丈夫大丈夫。今回は前回の反省を踏まえて、周りに被害が及ばないような形にしたし、半分は優しさでできている」
愛莉が自慢げに解説するが、るいなは一つの疑問を口にした。
「ところでさ、これ、どうやって使うの?」
「そりゃあもう、こいつを皆ちゃんの口に放り込んで飲み込ませれば一発よ」
「でもそれって、かなり接近しなきゃだめだよね」
「あ」
何という片手落ち! 皆を目覚めさせるには、あのオート発動暴力を掻い潜り、キャンディを直接口の中に放り込まないといけない。愛莉はまたしても自分の計算ミスに崩れ落ちる!
「私にやらせて、愛莉」
ヒトリが愛莉に申し出る。
「ヒトリちゃん!?」
「コレだけは、私がやらなきゃいけない役目だと思うの。お願い愛莉、そのキャンディを頂戴」
愛莉はヒトリの目をじっと見つめる。ヒトリの視線は揺るがず、その表情にも一切の迷いは無かった。愛莉はヒトリに微笑みかける。
「分かった。頼むぜヒトリ!」
愛莉はキャンディを一人に手渡す。ヒトリはキャンディを握りしめ、
「任された! きっと皆ちゃんを止めてみせるから!」
頼もしげに、はにかんで見せた。
研究所の扉が勢いよく開く。るいながインカムで真陽に連絡を入れる。
「真陽先輩! 首尾はどうですか?」
「こちらは片付いたっす! みんな頼むっすよ!」
全ての準備は整った。ヒトリは皆の方へと一直線に歩みを進めた。
「くっ……ヒトリちゃん!? こ......こっちは危ないぞ! 下がってるんだ!」
皆と交戦中の鎌瀬が、ヒトリに警告を発する。その身体はわずか5分で既にボロボロ。それでも、絶望的な戦力差の相手に、良く持ち堪えてくれていた。
「柳瀬さん! ありがとうございました! ここからはバトンタッチです!」
「惜しい! 鎌瀬です。って、ちょっと! ヒトリちゃん!」
鎌瀬の弱々しい制止を振り切り、ヒトリはさらに皆に近付く。もう既に、彼女の近接攻撃の射程圏内だ。
「皆ちゃん……」
皆は山井の精神支配下から抜け始め、夢と現実の区別がつかなくなっている。
「ヒトリちゃん……何かおかしいの。私はただ普通にしているだけなのに、みんな逃げていくし、知らない人たちが襲い掛かってくるし」
「うん、そうだね……」
「何より一番おかしいのは、全然平気なの! どれだけ殴られても、どれだけ蹴られても、車に撥ねられても全然平気なの! 私、どうなっちゃってるの!?」
「そうだよね。おかしいよね。こんなの、あんまりだよね……!」
皆の口元で、光が収束していく。見極めろ。ここが勝負の分水嶺。
大きく避ければ間に合わない。
避け損ねれば、死あるのみ。
彼女の攻撃直後の、僅かな隙に叩き込め。
――収束された熱光が、一直線に空を裂く!
――避け切れ!!
ヒトリの右耳が、チリリと焦げ付く。それ即ち、紙一重の回避に成功した証。細い花弁のように開いた口目掛け、黒い飴玉を放り込む!
それは肉食動物としての本能か。皆は黒い飴玉を反射的に噛み砕き、嚥下した。強烈な刺激が、舌下を冷たく焼き尽くす! それは、甘い悪夢からの解放に十分な熱量であった。皆の身体はピクリと痙攣し、そのまま硬直する。
――そして少女は、数年ぶりの目覚めの時を迎えた。
◆ ◆ ◆ ◆
「うそ……なに、これ……?」
街路樹が焦げ、ビルに無数の穴が開いている。支柱の溶け落ちた街灯や信号機が、スクラップ置き場のように散乱している。熱線で真っ二つにされた車が、燃料と共に炎上している。こんな光景はテレビでしか見たことがない。そう、市街戦の最前線であった。
ふと視界に割り込んだ、自分の腕を見る。それは腕とは名ばかりの凶器の集合体。しかも、二本ほど余計に付いていた。何それ。
「あ、あは、はははは……」
徐々に蘇る、封じられたはずの記憶。今の今まで、なんで忘れていたのだろう。
――病気の進行が進み、徐々に人間じゃなくなっていったこと。
――ある日ママが、首をつって冷たくなっていたこと。
――パパも私をあきらめて、どこかへ行ってしまったこと。
――ひとりぼっちになったわたしを、よく分からない組織が拾ったこと。
――組織の人体実験で、ますます人間からかけ離れて行ったこと。
「なあんだ、私最初っから終わってたんだね。あはははははははははははは!」
「……」
「ばかみたい、ばかみたい、ばかみたい!! あはははははははははははは!」
「そんなことないよ!!」
皆の自虐めいた笑いに、ヒトリが思わず叫び声をあげる。
「だって、皆ちゃんは今ここにいるじゃん! ちゃんと私に会いに来てくれたじゃん!」
「……!」
「私、嬉しかったんだよ! 皆ちゃんが帰ってきてくれたこと。私を忘れないでくれてたこと!」
「忘れる訳……ないじゃない……」
すべてを失った皆にとって、たった一つの心の支えが、あの空港の記憶だったのだ。
「だから、今度は私が約束を守る番だよ……っ!」
――ヒトリは目一杯に手を広げ、皆をぎゅっと抱きしめた。
「ちょっ……ヒトリちゃん! 駄目だよ……っ!」
怪物の鋭い棘が、ヒトリの柔肌を突き刺す。沸騰した酸液が皮膚を侵食し、ぐつぐつと肉を蒸発させる。それでもヒトリは、皆を強く抱きしめる。
「おい、ヒトリ、やめろ!! バカ!!」
「ヒトリちゃん!! 止めて!!」
愛莉とるいなはヒトリに向かって駆け出す。それをヒトリは一喝する。
「いいの!! 私、皆ちゃんと約束したの!!」
「約……束……?」
――わたしがどんな姿になっても、また抱きしめてくれる?
――うん、約束するよ
――全身が鱗で覆われても?
――そんなこと、気にしないよ
――背中からコウモリみたいな羽根が生えても?
――大丈夫だよ。もし、
頭がカマキリみたいになって口からレーザーを吐いても、
腕が四本になって手首から鎌が生えてても、
体中からトゲが生えて先っぽからなんでも溶かす酸を出しても、
みなちゃんのこと、抱きしめてあげる
――ありがとう、ひとりちゃん
「約束……守って……くれてる……駄目……なのに」
皆の身体が震える。それが更に棘を食いこませる結果になっても、ヒトリは抱きしめるのをやめなかった。
「皆ちゃん。おかえり……」
「ヒトリちゃん!!」
すると突然、皆の身体が白く輝きだした。酸液は蒸発し、背中の鱗の隙間から、皮膚が徐々に裂けていく。蝙蝠の羽が勢い良く伸びると、怪物の背中が完全に二つに裂け、中から人の上半身が飛び出してきた!
それは「妖精」だった。なめらかな丸みを帯びた、女性らしい肢体。頭から伸びる細い触角と大きな蝶の翅。しかしその顔は、あの時と同じ。空港で別れた、谷中 皆そのものであった。
「……いま……ただいま! ヒトリちゃん!! うわあああああああ!!!」
「皆ちゃん、せっかくの再会でしょ。笑おうよ……っ」
皆が傷ついたヒトリを優しく抱きしめる。その瞳からは、涙がぽろぽろ零れ落ちる。
かつて怪物だった外殻は、今は砂となって崩れ去り、もはや見る影もない。
ヒトリに抱きつき大泣きしている皆を、大丈夫だからと穏やかな表情で宥める。
「あの怪物……『成体』じゃ、なかったんだな……」
「よかったね、本当によかったね……!!」
あっけにとられる愛莉。るいなはもらい泣きで顔がぐずぐずだ。
そこへようやく真陽も駆けつける。
「一体……どうなったんすか……?あの子は……ひょっとして」
「ぐす……。詳しいことはおいおい。とりあえず一件落着です。真陽せんぱ~い」
「ところが、そうでもないんですわ……」
ヒトリがぼそりと呟く。
「やっぱりちょーっと、無茶だったみたい。血が、たりない……か……も」
そう言うと、ヒトリは昏倒する。そりゃそーだ。棘が思いっきり刺さって血まみれだったし、強酸で身体も少し溶けかかってもいるし。
「やっば!!医者呼んで医者!!」
「ヒトリちゃん!!ダメダメ死なないでってば!!」
「レギュレーション違反になるから、死ぬんじゃねえよバカ~!!」
(その後真陽先輩の時間停止パワー止血により、ヒトリちゃんは一命をとりとめました)
◆ ◆ ◆ ◆
「いいっすか? 今後もうあんな無茶はしないように」
「はい。反省してます」
短期間で怪我を治すため、「アイリ・ラボ」のベッドで休養するヒトリに、真陽はお説教をする。皆は自分のせいでヒトリが叱られているので少し気まずい。
「まずは怪我をしっかり治すっす。そしたら特訓の開始っす☆」
「は?」
「特訓」という、女子高生にはあまり縁のない言葉に、ヒトリは首を傾げる。
「ヒトリちゃん、君、意外と戦いの才能があるの、気付いてましたか?」
「え? 何? 何かのドッキリ?」
「柳生ゴブリンの動きもある程度読めるし、聞いた話では、皆ちゃんのレーザーを見切って躱したみたいっすね」
「そ……その時は夢中だったし……ゾーンに入ってたと言うか……」
「けれどもその原石、磨けば光ると思いませんか?わたしは思うっすよぉ……」
真陽は怪しい笑みを浮かべる。あ、これ特訓内容が地獄になるタイプのコーチだ。
「待って待って! 格闘経験なしの非魔人よ、私」
「だったらなおさらっすよ。命狙われているのに何の抵抗もできないんじゃ、殺してくれと言ってるようなもんっすからね」
「ちょっとなんか言ってよ愛莉! 私が生粋の帰宅部だってこと!」
「いやあ、ヒトリが前衛なら、あたしの改造兵器が色々試せて、好都合かな~って」
「あ! 裏切者がいる! 皆ちゃん、成敗してやって!」
「強くてカッコいいヒトリちゃん、見てみたいかも……///」
「え、ちょっと、皆ちゃんまでひどくない!?」
八方ふさがりのヒトリ! 次回ヒトリはゴリゴリの筋トレでケツとタッパのデカい女に生まれ変わるのか? 彼女の明日はどっちだ!!
「うわーん、私の普通の日常、カムバーック!」(昭和アニメ的アイリスアウト)
ちゃんちゃん♪