○ プロローグ1


 夜。街で黒肌の少年は奇異にうつった。

 その肌による差別ではない。


 彼は市松模様の襦袢を羽織り、口枷した少女をおぶり、腰には帯刀。右手に持つは悲痛な叫びのまま硬直した三つの首、生々しく血したたる。袖を濡らす返り血からみても彼が殺人鬼であることは、疑いようもない。

 もっとも、彼自身はそう思っていないのだが。


「サマンサ、今日は鬼を三匹も狩ったぞ」

「うーうー(よだれを垂らしながら)」


 少年が掲げる生首を見て、少女の目が血走り、暴れ興奮する。

 おぶわれた少女は、金髪碧眼で色青く、死体のような顔色をしていた。


「よしよし、ほら、外してやるからな」

「ウワッシャタァアアア!!」


 口枷を外されるやいなや、少年から生首を奪い取ると、肉といわず骨といわず、しゃにむにかぶりついた。血やら脳漿やらで、少年の背が濡れていくが、彼は笑っている。

 妹のサマンサが、このように元気でいることが奇跡だと知っているから。


 サマンサは首3つを骨の髄までしゃぶり尽くすと、適当にほおり捨て、背負う少年の頭を叩いた、かなり強く。


「タンジェロ、次の獲物、はやく」

「わかってるよ、お兄ちゃんづかいが荒いな」


 たははと力なく笑う。少年ーーカマド・タンジェロは、かつての優しい妹を脳裏に浮かべた。

 このように荒々しくなってしまったのは、鬼のせいだ。

 全ての鬼を滅ぼし、そして妹を取り戻す。

 そのためには、どんな手段も厭わないし、どんな強敵にも打ち勝ってみせる。


 ぴーぽーぴーぽー。音が近づく。


「また警察か……」


 タンジェロは追われる身だった。

 鬼を滅する正義の味方が、なぜ指名手配されているか。

 しごく理解不能である。


「まあいい、次の匂いも見つけた。駅に向かうぞ」

「やったー、箱詰め人間みんな食べちゃうぞ〜!」

「こらこら、食べるのは鬼だけにしておけよ」

「うひゃひゃ」


 パトカーから降りた影は、物々しく二人を取り囲む。

 タンジェロは帯びた刀を抜き放ち、天に掲げた。すると刀身は鈍色から煌色に変化、光り輝く。

 これぞタンジェロの魔剣『DX太陽剣』だ。

 彼は叫ぶ。


「太陽の呼吸、伍ノ型、警察(ポリ)殺し!」


 人の肉を灼き、そして喰らいながら、二人は駅へ向かった。

 目的は神奈川へと下る列車ーー終着駅のある有限列車へ。



○ プロローグ2


「僕の銘は▆▇▅▇▇▇▆▇▅。君を殺しにくる奴らを僕は殺しにきた」


 突然の暴力。

 私の平穏は、おわりを告げるまもなく消え去り、周囲には惨状と銀時計と正体不明の化け物だけが残った。

 ほうけていても、時計の針は進み続ける。

 アクションを起こさないと。

 どうする。

 決まってる。


 逃亡だ。


 私は走った。部分的にメロスを越えていた。だけれど東京は広い。夕暮れどきに全力疾走するJKはさぞ怪談モノだろう。進みをゆるめる。大路を走らば狂人なり。周囲の目が痛い。進みをゆるめる。そして走るたび首元がじゃらじゃらとうるさい。しゃにむに走っていたときには気づかなかったことに意識を向けていることを自覚した、つまりは限界だ、疲れた。進みをゆるめる。


 呼吸を整えながら、走りを邪魔する首鎖を撫でた。銀時計に繋がるその鎖は生暖かい。


「ずいぶん走ったものだね」


 声が、目の前からする。

 当然ように、はじめからそこにいたかのように、それはいた。


「あなたは、なに」

「自己紹介はしたつもりだけど。僕の名前は、、、まあルルハリルと呼んでくれ。君を守るために、この世界に来た」


 少年(少女?)は、外見と不釣り合いの、揚々のない無感動な声で私を守ると言った。

 が、信じられない。私の平穏が壊れてしまったのは、お婆ちゃんの銀時計を開けた瞬間だ。その銀時計はなぜか私の首にまとわりつき、そしてルルハリルを名乗る存在は明らか銀時計から現れた。


 実際、こいつが災いを引き寄せているんじゃないか。

 疑いの眼差しをむけていると、ルルハリルは不服そうな顔を作って、それでも声色は無表情のまま、告げる。


「僕のせいじゃないよ。まあ人間には言葉だけじゃ足りないか。君が東京にいるかぎり、埒外の災禍に見舞われること必定なのだけれど。二、三日もしたら僕の言うことも少しはーー」


 ?

 なにかが引っかかる。


「音振動による恣意の情報交換でしか君に伝えることはできないが、君に危機が迫ることは、たしかなんだ。君が、君の存在が、君の名前が山乃端ーー」


 私が狙われていることは、まあいい。(百歩譲って)

 ただ、


「私が狙われてるのは、ホントなんだよね」

「ああ」


 ただ、その条件。


「東京にいる限り」

「ああ」


 なら決まってる。


「今すぐ東京を脱出だ!」


 私は駅に飛び込み、小田急の電車に乗った。

 なにか忘れている気がするけど、仕方ない。

 これでいい。これでいいんだ。




○ 列車編


「下弦の呼吸、壱ノ型、魘夢!」


 タンジェロが掲げたDX太陽剣は光り輝き、1/fのゆらぎと呼ばれる特殊な催眠光波を放射、列車内乗客全員を眠りに落とした。

 無防備になった彼らのうち、だれが人でだれが鬼か。

 タンジェロは得意の嗅覚で嗅ぎ分けようとするも、よくわからない。とりあえずDX太陽剣で刺してみる。

 青い血が流れれば鬼、

 赤い血が流れれば、


「擬態のうまい、力のついた鬼か」


 デーモンスレイヤーであるタンジェロが、人と鬼を違うことなどないが、仮に人だったとしても、鬼討伐の力添えをしているのだと思えば、彼らも誇らしい気持ちになるだろう。

 いずれ鬼になるかもしれないやつを、人のうちに逝かせたのだから、ひとつの救済ともいえよう。

 そのようなことを考えながら、タンジェロは眠りこける乗客を次々と殺していった。


 一方、サマンサといえば。

 淡々と殺すタンジェロとは対照的に、目についたそばから、蹴りや爪で一息に、蟻の行列をなぞるように、楽しく無惨に殺戮している。肉付きのよいものを見れば大口で()み血を啜る。

 殺し喰らうごとに、荒々しさが増す。


 サマンサの暴虐こそ、タンジェロが斃すべき鬼の所業にほかならないが、タンジェロは決してサマンサを見ない。ただただ目的の山乃端一人を殺すため、それらしい者を淡々と殺していく。

 タンジェロは正義感の強い男である。

 自分がいま殺してしまったものが、もし何の罪もない市民だとしたら。


 そう考えると、怒りが湧いてくる。

 無辜の市民を巻き添えにする鬼は許せない。

 市民を犠牲にするよう仕向ける鬼は許せない。

 デーモンスレイヤーに人殺しをさせる鬼は、滅ぶべきだ。


 もはや今殺しているのが、人なのか鬼なのか、タンジェロには関係がなかった。


 すべてを背負って、

 みんなの意志を継いで、

 山乃端一人を殺すと決めているから。


「力を貸してくれてありがとう」



 そう呟きながらタンジェロは無抵抗の女性を端から殺していった。

 残るは一両。



○ 夢


 あたりは天高く晴れ渡り、景色良好。

 見覚えのない青空。

 現実感がない、とようやく思い当たる。


 夢。


 私は電車に乗っている。何重ものベールの向こう、私の体の感覚は心地よいリズムに揺られている、ような気がする。悪くない。

 電車に乗る前は走っていた。疲れていたのだからそりゃぐっすり眠れるってわけ。走る前は……。


 思い出そうとして、「思い出す」の連想で、逆回しの時計。


 銀時計。

 夢らしく唐突に銀時計がポップアップする。それと同時に少年も。

 ルルハリル。よく知らない化け物。ただ夢の中ではちょっぴりファンシー。

 彼は驚いた顔をして、自分自身や風景を観察した。その様子は、記憶の中にあるような、演技や作り物じみた所作ではなく、少しだけ人間味のあるように見えた。


「逃亡中とは思えない長閑な精神構造だね」


 現在東京脱出中なことを思い出す。

 あまり想起させないでほしかったが。


「そりゃあ一般JKだもの。あなたはどうなの?」

「僕に会話を始めようとしている?」

「うん」

「そう。ただ質問の作用が分からないな。なにを聞きたいんだい?」

「別に」


 なにか聞きたかったわけじゃない。やっぱりルルハリルは、ズレてる、たぶん根本的に、生物として。

 私は目覚めつつある頭で、今後の予定を立ててみる。


「ねぇ、東京が危ないって、いつくらいまで?」

「冬の終わりまで」


 冬の終わり……。

 脳みそをフル回転させ、名探偵の如き推理を導く。


「もう3月なんですけど」

「でもまだ冬だよ」


 衣替えとはいかないまでも、厚着のものはすっかり仕舞い込んだ今時分が、まだ冬なのか。

 暦の上ではとか言うものなあ。

 ただ今日は3月20日。日曜日。

 あと六時間もしないうちに、21日になる。21日は学校もおやすみ。平穏だったころの記憶。カレンダーには確かに書かれていた。


 春分の日。



「なんだ。せっかく遠出するんだから、生家にでも行っておばあちゃんの秘密でも探ろうかと思ったのに。たった一日じゃね。あなたの正体とかさ」

「正体? 人間には正視しえないけども」


 ルルハリルは小さく手をあげ、その指先がゆれる。


「また見たいの?」


 指ひとつが、靄のような灰のような、とりとめのないものになって滲み、この夢の中すべてに彼の存在が拡散され、埋め尽くされ、夢の世界が私の精神というなら、いとも簡単に塗り替え、塗りつぶされてしまうほどの、


「僕は君を守りに来たんだ。壊しに来たんではないよ」


 彼の指は人の形をしている。心内の不安、切迫感みたいなものは、すこしマシになった。でも心臓はバクバクいってる。

 心臓の鼓動がくっきりと感じ取れる。

 もう意識が覚醒し始めてるみたいだ。


 たぶん寝起きは最悪だろう。そばにいる化物を思い出してしまった。今日の惨事を。

 家に外人部隊が侵攻し、時計からは化物があらわれ、部屋は大惨事になって、そして……、

 心臓が一層強く打つ。

 周囲の景色が褪せていく。

 化け物は私を守るため大暴れしていた。

 私を守るため。

 けれどあの家には、もう一人、いたはずだ。


 弟。


 なぜ忘れていたのだろう。

 いや。

 なぜ忘れることにしたのだろう。


 夢の世界はもう消えて、ただ光の中を落下しているような、飛んでいるような感覚のなか、目の端、ほんの少しだけ、見えた、ような気がする。

 赤く流れるものを。



○ 死


 サマンサの眼は血走り、瞳には「鬼」「禰」の文字が浮かんでいる。顔は地肌が見えないほど赤く塗れ、手も、乱れた胸元のはだけた乳房も同様である。

 絶え間ない殺人の歓喜に息は弾み、彼女は自分自身の性質が鬼であることを、すっかり認めていた。


 ちらと背に眼をやる。

 兄が陰気くさく、つまらなそうに人を殺している。まったくヘドがでる。いつまで妹に夢見てんだか。いっそ殺してやろうかとも思うが、魔人である兄は、鬼より圧倒的に強い。というより、兄より強いものはいない。そんなことを言おうものなら、むっつり丸出しの気色悪い笑みを浮かべるのだろうけど。



 サマンサは人餌の骨を吐き捨て、心機一転、また端から殺していく。

 殺して食って殺して食って。

 車両最後の乗客の、なんの気配も感じない、おそらく平凡な女の細く白い首を噛もうとして、邪魔な首飾りを引きちぎり、その瑞々しい肌を食い破りーー

 その肌は固く、鬼の牙は通らない。

 首を刈ってやろうとするも、指ひとつ動かない。

 サマンサは万力を込めて、ほんの少し、眼を下にやる。

 牙が通らないのも、指が動かないのも、そのはず。

 サマンサの体は、頬より上を除いて、この世から消滅していたのだから。


 銀時計の首飾りをした少女は、歯の立てられた頸をそっと撫でる。指に僅かに赤い血がつく。


 まだ眠っているような、とろんとした眼の少女。


 彼女の名は、山乃端一人。


 別世界の怪物ルルハリルを介し、見るだけで、一切を殺すことができる。


 人であろうと、鬼であろうと。



○ 太陽の呼吸


 誰かに抱きつかれているーー。

 一瞬だけ、その姿が見えたような気もする。けれど残るのは暖かい感触と、服についた赤いしみ、首筋の小さな痛み。それと、半分だけの頭。


「ぎゃわああああ!」


 見ただけで分かる、「本物」のリアリティ。

 膝に乗っていたそれはコロッと転がり、血の河に落ちる。

 車内は咽せ返る死と血と糞のにおいで、地獄。まともな人の形は何一つ残ってない。

 この光景こそ悪夢のようだけれど、完全に起きている。

 なんなんだ。たすけて。

 春まであと数時間だなんて余裕こいててバカそのもの。もっとメメントモれ。気合い入れろ。


「ルルハリル!」

「なにか?」


 夢と変わらずの姿。

 ただ、なにか、少し違う。

 よく見えないのだけれど、彼と背景は、プリズムな影で隔てられている。合成写真みたく。

 見えない。私にはルルハリルの背後で蠢く影の輪郭も見えない。

 私には絶対にそれは見えないのだけど、なんらかの活動状態にあるようだ。しかとは見えない。

 ルルハリルがどのような形を含むのか、見えない。見ようとしては、いけない。

 血惨状の車内の方がずっとマシに見える。吐き気を堪えるだけでいいのだから。

 込み上げるものを抑え、俯き目をつむる。

 なにかドアの開く音がして、顔を上げる。

 しかし誰が入ってきたのか、その姿を見ることは叶わなかった。


「太陽の呼吸、天ノ型、天照大鏡!」


 鬼の気配に現れたタンジェロは、対デーモンの技を展開する。


 天照大鏡。

 それは剣士タンジェロの生命エネルギーを刀身内で乱反射・増幅のちに放出する技だ。

 その威光、太陽のごとDX太陽剣は輝く。

 常人が至近距離で直視すれば失明、

 眼を瞑っていた山乃端一人でさえ目が熱く、

 鬼であれば、それが千年の大化生(だいけしょう)であっても灰へと帰してしまう。タンジェロの必殺技である。


 この技をうけて、山乃端一人は顔を顰め、人の防御反応として、かたく眼をつぶるだけである。

 至極当然である。

 ルルハリルは人間社会の異端である鬼などではなく、

 異なる世界の理を持つ外世界の異形なのだから。


 しかし唯一とも言える弱点がひとつ。

 異界の存在であるため、観測者が存在しなければ、何の影響も与えることもできないこと。


 タンジェロの必殺技は、必殺ではなかったものの、有効打ではあった。

 擬似太陽のもと、山乃端一人は鬼ではないと明らかになった。しかしタンジェロの刃は、別に止まることはない。


 デーモンスレイヤーたるもの、殺しに躊躇いを持ってはならない。



 鬼を殺す目的のために、必ずすべきことは、相手を殺すことである。人であれ、鬼であれ、殺すことを続けていれば、いつか必ず本願かなう。いつか必ず鬼を滅ぼすことができる。どんなに遠い歩みでも目的に向かっているのだから。だからタンジェロは立ち止まらない。殺していればいい。そうすればいつか必ずサマンサを人に戻せる。いつか必ず………。


「サマンサ?」


 タンジェロはサマンサの姿がないことに気付く。そうだ。いつもならタンジェロが天照大鏡を発動すると、サマンサは全身を燃え上がらせ、発狂したように周囲を破壊し尽くす。

 それがいつもの段取りなのに。

 それがサマンサの炎の呼吸なのに。

 この車両で燃えているものといえば、人のふりがうまい鬼の、足元の肉塊だけ。


 灼け、爛れ、崩れ散るそれの、

 ふたつの黒い眼窩には、

 タンジェロが正視を恐れた「鬼」の瞳はなく、ただ、在りし日の妹の名残のみがあり、それさえ今まさに燃え尽きようとしていた。


 サマンサの死。

 死んだのならば継ぐ。

 タンジェロは、継ぐ。

 山乃端一人に、告ぐ。


「死ぬはずがないだろう! 俺の家族が!!」


 タンジェロはまっすぐな男である。彼はただひたむきに、鬼である妹を人に治すという、前代未聞の偉業に不可能など考えず突き進んだ者である。


 妹が死んだ。

 なら、生き返す方法を探すだけだ。


 それはそれとして、


「殺人の呼吸、死ノ型、山乃端一人殺すゥウウ!!」


 サマンサの仇は、必ず、殺す!





○ ほんの少しの勇気で


 やんごとない雰囲気に流石に命の危機を感じ、なんとか眼を開き、状況を理解しようとする山乃端一人。しかしDX太陽光は暴力的に輝きを増し、禍々しい赫光は無数の槍のように肌を貫く。眼など到底開けようもない。

 タンジェロの凶刃が迫る数瞬の間に、山乃端一人が自ら眼を開く可能性は一縷もない。


「殺人の呼吸、殺ノ型、死ねぇえええ!!」


 追加詠唱が響く。なにがなんでも殺す気でいる。

 これほどまでに真っ直ぐで直線的で明確な殺意を向けられたことなんて、ない。

 恐ろしい。


(顔をあげろ)


 明滅する瞼の裏に、少年の姿が映る。

 眼を閉じているのに感光して見える。


(俯くのか?)

(座して死を待つのか?)

(生き延びたいなら立て!)

(今すぐ顔をあげろ!)

(意地を見せろ!)

(しろ!)


 脅迫なのか懇願なのか、化物の感情は分からない。人間らしい感情なんかないのかもしれない。

 心に響くような感じはしない。

 けれども、

 相手の殺意と同じくらい真っ直ぐな応援に、

 山乃端一人はほんの少し、顔を上げる。


 ほんの少しだけ、顔を上げた。

 ほんの少し。

 立ち上がったわけでも、

 拳を握ったわけでも、

 真正面から睨み返したわけでもない。

 ただ、そのほんの少しは、

 ルルハリルという暴力を放つ撃鉄となった。


 ルルハリルは、山乃端一人の視界にあるならば、いかなる生命も、瞬時に殺すことができる。

 俯いては、死ぬだけ。

 しかし前を向けば、

 前を向けば、

 山乃端一人の瞼を吹き飛ばすだけでどんな敵も殺すことができる!


「▃▇▇▅▆▆▇▅▆▆▇」


 その叫びは、

 宿命を果たすルルハリルの歓喜の声なのか、

 騙し討ちに瞼を裂かれた山乃端一人の声なのか、

 判別はつかないがとにかく、

 ルルハリルは一本の長い帯となって「目に映るもの」をことごとく、躊躇いなく、無条件に殺す。一切の防衛手段はない。ルルハリルによって死は定められる。


 カマド・タンジェロは1500もの斬撃をその身に浴び、その切れ端ひとつひとつに緑の藻のような、なにかが、こびりついて歪みまじり、空気の塵と混じりふくらみ、名称ある臓器たちがどこのものか分からなくなる。死が球体であるかのように、タンジェロはちいさくちいさくなって、かつての体と何一つ同じでなくなると、薄く引き伸ばされ、線になって、空中でほどけると、その残滓は燻りのように見えたが、すぐに掻き消えた。 

 ルルハリルは別世界の物理法則を使っている。地に足つけ人の理にあるのなら、死は免れない。




 だが。


 カマド・タンジェロは、鬼になった妹を見捨てなかった。

 自らが殺人鬼となっても、目的は変わらず、活人のために生きてきた。


 死は免れないのなら、

 だから潔く死のう。


 死中に活あり。

 死んだからこそ、命を燃やせ!


 存在ごと消え去ったはずのタンジェロの太刀筋が、干渉不能のルルハリルを袈裟に▃▇▆▆▇▅▆




→認識の衝突(コンフリクト)


 カマド・タンジェロの能力『太陽の呼吸』は、技名を叫ぶことで、肉や骨が断たれても、物理原則を無視して実行する。


 カマド・タンジェロは、物理原則を無視する。



ルルハリルの特異性は存在基盤にある。別世界からやってきて、別次元の物理法則を使うため、誰もルルハリルに干渉できない。


 ルルハリルは別次元の物理法則を使う。



 さて。

 カマド・タンジェロは、肉や骨が断たれ、存在の一片すらこの世に無くなってしまったが、『殺す』『死ね』という技は実行されている。これは物理原則を無視するため、肉体の損失を問わず、肉体のないままやはり相手を殺す。

 これを是とする。


 ルルハリルは、別次元の物理法則を持ち、ルルハリルの物理法則は、ダンゲロスSSエーデルワイス世界の物理法則を越えている。越えるとは、上回るという意味であり、たとえ蟻が蟻のルールを無視しても、象と蟻とのルールには及ばす。象はただ蟻を踏み潰すのみ。

 これを是とする。


 うーん、どっちも理がある。

 法則と原則で差異があるかななんて調べてみたけど無駄だった。


 タンジェロが死ぬかルルハリルが死ぬか、

 こうなっては、一つしか方法がない。

 ダイスを振って決めよう。

 ……。

 …………。

 いや、ダメだ。

 最初に言ってしまったじゃないか。


【神はダイスを振らない】



 真っ先に。

 いちばん初めに。

 プレイヤーの皆様に、って!


 どうしよう。

 どうしようどうしよう。

 どうしようどうしようどうしよう。


 死ぬと死なぬを両立させるだなんて、

 どうしようも……


 …

 ……あ



○ あ、い、あ、い、し、す、た


 タンジェロの殺人の呼吸は、山乃端一人を殺すまで止まらない。

 むしろ肉の枷を離れた分、自由だ。あらゆる鉄が、あらゆる風が、あらゆる歌が、タンジェロによる呼吸となる。


 ルルハリルは可能性、あらゆる並行世界を見て、山乃端一人の死は避けられないものだと悟った。

 ならば。

 なればこそ山乃端一人に菜種ほどの救いを。

 そして山乃端一人を殺そうとする世界に破滅を。


 タンジェロが迫る前に、

 ルルハリルは、焦点の合わない山乃端一人の鼻を掴む。鼻は必ず視界にあるゆえ。くるっと回ってうまくコカす。

 つづけて、ルルハリルは車掌室を吹き飛ばし、線路を引っこ抜き、建物やら地やらをかき消し、終着駅のその先の、海までを見えるようにした。

 見えるのであれば、物理法則はルルハリルの思うがままだ。


 海を、引っ張る。


 間違いなく、東京は壊滅するだろう。

 だからどうした。


 海に潜むものよ。

 確かに存在するものたちよ。

 人に与する、もっとも優しい魔人よ。


 山乃端一人に救いを。


 ルルハリルは海を引き寄せる。

 必定、神奈川は息つく間も無く、瞬く間もなく沈没した。

 大波は列車をも襲う。



 列車は波に揉まれ、巻き添えにあった市民、灰となったサマンサ、存在ごと消えたタンジェロ、そして瞼のない山乃端一人を飲み込む。


 無体無刀のタンジェロの『殺人の呼吸』は、海中であっても止まることはない。

 あらゆる物理原則を無視するのだから。


 波にのまれパニックする間もない山乃端一人の心臓を、凶刃が貫いた。

 その刃はタンジェロの殺人概念ではなく、鈍く光る銀の剣だった。


 タンジェロは物理原則を無視する。

 ただ。

 ただひとつ、例外があるのなら。


 去る者は去らず。

 そして死せるものはもはや死なず。



○ 後始末



 銀剣は山乃端一人を、間違いなく殺した。

『山乃端一人を絶対殺す』は、没交渉になった。山乃端一人は死んだのだから。

 しかし、『死ね』は対象を取らない分、未だ有効である。そして、この荒れ狂う海の中には、生きていると呼べるものは、ひとつしかない。


 形ないカマド・タンジェロは、山乃端一人を刺し貫いた修道服の女を、物理原則を無視した必殺の技で、殺した。


 殺すことで、能力は完遂。殺人の呼吸は終わった。

 自らの必殺技で、息を引き取った形になる。


 これでおしまい。




○ エピローグ 洗礼(Baptism)


 ルルハリルが引き寄せた海は、物理法則を歪め、みちひきを繰り返しながらどんどんと北上する。

 波はうねり町町を押し潰す。あるいは東京は海に沈みかねない。


 春まであと五時間。




 山乃端一人は、

 心臓を貫かれ、なお生きている。

「生きている」というより、「死に損ね続ける」という方が正しいか。

 彼女は剣が刺さったまま、潮の導くまま、海底の一角に沈殿した。


 無呼吸、心臓破損、水圧。


 なぜ自分が死んでいないのか、不思議で堪らなかったのも、一時のこと。連続する死の経験は、彼女に物事を考える余地を与えなかった。

 しかし彼女は不幸にも瞼がないため、意識せずとも眼に映るものがあった。


 自分の下にある人間。


 折り重なって積もっている。

 自分と似た顔をしている。

 胸に剣が刺さっている。


 いったいどれだけ。だれが。なんのため。分からない。分かりようもない。()(セイ)の合間に、何が存在し得る?(ス!?)


 山乃端一人は海底に没し、死に損ね続ける。

 眼を合わせるものはなく、家族を思い出すこともない。



 ルルハリルは、

 海と塩の神、その眷属である女の活動を見て、この世界の崩壊を予見し、この世界への興味を失す。

 しかしルルハリルは遍在する。ゆえに安堵も恐怖も無意だ。真に恐れるべきは、見えぬものを見る観測者であり、それがあなたでない保証はない。



 カマド・タンジェロは、

 存在は消えても過去は消えない。人の営みは消えない。デーモンスレイヤーの意志は継がれ不滅だ。不滅の刃だ。これは物理法則ではないので、ルルハリルに消すことはできない。

 しかし鬼など、本当にいるのだろうか。

 あるいは、鬼を信じる最後の男が消えたのだろうか。



 逢合死星は、

 いきなりぐわーと引き寄せられてめちゃくちゃびっくりしてた。たぶん泣いてたと思う。っていうか泣いてる。

 物理法則の壊れた海とともに泣きながら北上する、世界一かわいそうな女に涙が止まらない……(爆泣)
最終更新:2022年02月26日 22:56