A happy future for her.





「へぇー、それでおめおめと逃げ帰ってきちゃったんだ、馬場ちゃん」

 薄暗いビルの、使われていないはずの部屋に男が2人。
 金髪の1人が腕を組んで、床に倒れたアフロのもう1人を見下ろしている構図だ。

「だってYO~~、オレの人生のHAPPIIに関わる問んぐっ!」

 アフロ男のみぞおちに、蹴りがひとつ入る。

「そんなこと、どうだっていいよね?」
「ぐうっ……」
「なんだい? その目は」
「……!」

 アフロ男は、精一杯の顔でにらみつけた。

(能力が使えれば、こんな奴……)

 が、それは叶わない。後ろ手に組まされた彼の腕には、警察が使う対魔人用の手錠がはめられている。目の前の男はこんなものを一体どこから調達したのだろう。
 その目の前の金髪男は、ひとしきり、殴る蹴るの暴力を浴びせた後、突然笑顔に戻って告げた。

「まあ馬場ちゃんは有名人だから、下手に殺したりして捜査されるのもめんどくさいよね。僕のことを喋らないって誓ってくれるなら、これくらいにしておいてあげるよ」

 あまりに自分の人格を無視した物言いに、アフロ男はついに涙を流し始めた。

(こいつには、“見返してやる”とか、そんな気持ちすら湧いてこねえ……。
 なあ、小僧、お前、とんでもねえ奴を敵に回しちまったぞ)

 笑顔の金髪男はしゃがんで、アフロ男のその涙を手で拭った。

「気を付けてね、僕も今回ばかりは」

 そして、突然、足元から順に消滅しはじめた。

「We don’t look forward to serving you again.」

 最後の一言を言い切ると、完全に、部屋の中から消え去った。
 後に残され、手錠をはめられたままのアフロ男は、ぽつりとつぶやいた。

「英語なんか使いやがって、あいつ何て言ったんだ?」



 鏡助と出会ってからさらに数日後、ジャックたちは仮住まいの賃貸マンションでも襲撃を受けた。
 空き部屋だった隣の部屋が突如、爆発したのだ。

「ヒットリサン、オトーサン、大丈夫デスカ!?」

 すぐに立ち上がったのはジャックである。
 魔人として獲得した耐久性に加え、鏡助の話から、何らかの攻撃が来ることに備えて、心構えだけはしていた。
 物理的な準備ももっと早くにすべきだったと後悔しながら煙の中を探すと、2人と、彼らを守るように立つ、見知らぬ少女の姿があった。学校制服を着ているので、おそらく高校生だ。

「大丈夫だよ、こっちは」
「あなたは……」

 少女は一度一人のほうを見て、何かを決意するような目をしてから、ジャックに向き直った。

「俺は万魔。手短に言うけど、ここから逃げるよ」
「逃ゲルって……」

 ジャックが困惑している間に、外からドタドタと大きな足音がした。

「ここだ!」

 一発、銃声がして、鍵の掛かっていたはずの玄関の扉が開かれ、武装した男数人が押し入ってくる。

「ちょっと、大丈夫なのこれ!?」

 万魔と名乗った少女は、一人を落ち着かせるように肩に手を置き、目を真っすぐ見て言った。

「一人、俺に任せて」
「どうして、名前……」

 万魔は一人の疑問を無視して、武装集団に向かって飛び出していく。
 先頭の男は躊躇することなく万魔の眉間に銃を向け、引き金を引く。
 万魔は何かを上に放り投げた以外は特に抵抗することもなかった。
 万魔の体が崩れ落ちる。
 と同時に、上から“新たな”万魔が降って来て、重力を味方に男にのしかかった。
 手早く太い鎖で男を縛り上げながら、後続部隊の股下めがけて床に何かを滑らせる。
 万魔は集中砲火を受け蜂の巣になるが、既に男たちの中心に3人目の万魔が現れており、気付かれる前にひとりひとり丁寧に蹴りを入れて、武装解除していった。

「大したことねえな。こいつら魔人じゃないのか?」

 万魔はなお素手で挑もうとする男たちをいなしながら、ジャック達にも奪った銃を投げ渡す。
 ジャックは一瞬戸惑った。が、魔人としての力の無い自分が一人を守ろうとするなら、こういうものも必要になるかも知れない、と、手に取った。
 ジャックは“世界平和”を理想としているが、そのために戦うことの必要性も理解はしているつもりだ。
 もちろん、“平和的”に事件が解決できるなら、それが一番ではある。

「行くよ!」

 万魔は既に部隊の男たちをひとり残らずノックアウトしてた。
 ジャックは一人と直助を外に出るよう促す。
 早くしないと、第2陣が来てしまう。だが、

「ジャック、一人君はまだ怪我が……」
「あ、あたしなら大丈夫!」

 一人は強がりを言っているが、ビッグ馬場に受けた火傷、さらに今回の爆発の余波を多少受けた傷も増えている。
 その状態を見て、万魔は背を向けてしゃがんだ。

「ほら!」
「えっ……」

 明らかにおんぶするという意思表示だ。一人は年下の女の子におんぶしてもらうという恥ずかしさに躊躇したが、

「ヒットリサン!」

 ジャックの叫びに、そんなことを考えている場合ではないとハッとし、万魔の背中に体を預けた。

「あ、そうだ、スマホ、ガラケー、どっちでも、携帯電話の類があるなら、ここに置いていってくれ」

 万魔が立ち上がったところで思い出したように話した。

「何だか分からんが、従ったほうがよさそうだな」

 直助はポケットからスマホを取り出し、放棄した。

「あ、あたしたちは大丈夫」

 と言うのは一人。彼女のスマホはビッグ馬場の事件のときに壊れてしまった。
 ジャックはそもそも直助か一人のどちらかが常に家にいたため、そもそも携帯電話を持っていない。
 だがそのジャックには引っかかることがあった。

「チョット待ってクダサイ。それって、“通信できルものナラ何でも”デスか?」

 万魔は、ジャックの意図をすぐに察する。

「いや、危ないのはあくまで“携帯電話”に属するものだけだ」
「ナラ、持って行きタイものがありマス」

 そう言って、ジャックは手鏡を持ってきてポケットに入れた。

「お待たせシマシタ、行きまショウ」



「ガ……ハッ……ゲホッ! ゴホッ…………」

 逃亡途中、とある公園でジャックはついに倒れ込む。
 無理もない。歩くことすら結構な負担になる体に鞭打って走ってきたのだ。
 むしろよくここまで来れたものである。

「ジャック! ねえ、万魔ちゃん、あたしじゃなくてジャックを」
「ヒ……ットリサン……駄目デス……狙われテイルのは……あなたナンデス……」

 本当は一人には黙っていたかったが、この期に及んでは知らない方が危険だと、ジャックは判断した。
 それに万魔が答える。

「分かった、じゃあ、ジャックはこの辺りで隠れていてくれ。これを渡しておく」
「えっ、これハ……」

 ジャックが受け取ったのは“銀時計”。鏡助に続いて、またしても、一人のものと同じデザインだ。

「もしどうしても危険だったらリューズを押し込んでくれ。すぐに向かうから」
「分かり……マシタ」

 足を止めたついでに、といった感じで直助が尋ねる。彼も、歳と日頃の運動不足のせいか息が上がっている。

「ハァ、ハァ、なあ、万魔君、私たちは、どこに、向かって、いるん、だい?」
「俺は各地に秘密の隠れ家をいくつも持っています。そのひとつに案内します」
「分かっ、た……頼む」
「大丈夫ですか? 直助さん、ジャックと一緒に待っててもいいんですよ」
「いや、問題、ない。少し楽に、なった。時間が惜しいんだろう? 行こう」
「了解です。じゃあジャック、気を付けてな」
「ハイ、万魔さんモ」

 ジャックは、再び走る万魔たちを見届けてから、近くの植え込みに身を隠した。
 ここまで落ち着くタイミングが無かったから考えることができなかった様々な疑問が脳裏に浮かぶ。
 万魔は何者で、どこから来たのか。銀時計の意味。敵はなぜ一人を狙うのか。
 息を整えながら情報を頭の中で整理していく。
 鏡助の言っていた協力者というのが、おそらく万魔なのだろう。
 それ以上のことは、今はまったく手掛かりがない。後で万魔や鏡助に話を聞くべきだろう。
 呼吸も落ち着いてきた。

 そこでジャックは、植え込みの向こう側に、次の武装集団が走って来るのを見た。
 ジャックのすぐそばがちょうど分かれ道になっていて、彼らはそこで何やら話し合っている。
 非常にがっしりと装備を整えているので警察に見つかると捕まるんじゃないかといらない心配をしてしまう。しかし、無線まで装備しているのはジャックには好都合だ。
 ジャックはくぐもった声を出すため口に手を当て、できるだけ声を低く、イントネーションを平らに、彼ら全員にイヤホンのあるほうの耳元から聞こえるよう“話し掛けた”。

「オートーシロ、ターゲットハ北ニ逃ゲタ」

 彼らはお互いの顔を見合わる。
 咄嗟の判断でちょっと迂闊だったかもしれない。
 バレるだろうか。バレたら真っ先にジャックを探すだろう。
 ジャックが内心怯えてるうちに、結論が出たようだ。
 彼らは万魔たちが向かった方とは別の道を指さすと、そちらに走っていった。
 ジャックはほっと胸を撫で下ろした。

 しばらくして、万魔が銀時計から“現れた”。

「よっ、お待たせ」
「なっ……!?」
「詳しい話は隠れ家についてからだよ」
「ソウ、デスね」

 第3陣が来る様子は今のところ無い。2人は周りを警戒しながら隠れ家に向かった。



 とあるビルのエレベーターで、特定の順序で階数ボタンを押すと、存在しないはずの地下の階につながる。そこが万魔の隠れ家のひとつだ。
 隠れ家には、万魔の姿をした等身大の人形が、機械に繋がれた状態で何体も置かれていた。
 いや、人形だろうか。やけに肌がみずみずしい。

「恥ずかしいからあんまりじろじろ見ないでくれよ」

 ジャックが観察していたところ、万魔にたしなめられた。

「ジャック! 無事でよかった!」

 さらに奥に進むと、先に着いていた一人と直助が出迎えてくれた。
 奥の部屋は研究スペースのようだ。

「さて、どこから話そうかな」

 大きなテーブルにある何らかの図面を片付けながら、万魔は話の流れを考える。

「まずは俺のことからだよな。俺は、クリスプ博士の娘なんだ。って分かるかな」

 いきなり知らない名前が出てきてジャックと一人は頭にハテナを浮かべるが、直助には合点がいったようだ。

「クリスマス・スプラウト博士、通称クリスプ博士だな? バイオテクノロジーの第一人者で、以前人体構造について内科的視点からの意見を求められたよ」
「ええ、そのクリスプ博士で間違いありません」
「違法な研究で逮捕されたと聞いたが、この前……ちょうど家であの事件があった日、私は大学で、彼から人づてに万魔君の銀時計を預かったんだ」
「その銀時計ナンですが、ヒットリサンの時計と似てルのが気になったのデス」
「うーん、あたしも親からもらっただけで詳しい由来とかは知らないのよね」
「俺もそうだし、偶然同じメーカーだったんじゃないか?」
「ソウ……デスか……」

 ジャックはもうひとり同じ時計を持っている人物を知っているが、ここでその話題を出すべきか迷った。
 そもそもジャックは懐中時計になどあまり詳しくないので、もしかすると懐中時計マニアには定番のメーカーなだけかもしれない。
 考え込む暇も無く、万魔は次の話題に移った。

「で、だ。ちょうど一人が狙われているのを知った親父が、俺をこっちに寄越したわけだ」
「その銀時計ヲ使って、デスね」
「ああ。俺の魔人能力『彼誰時(クライベイビーファーストクライ)』は、ここにあるような俺の“予備の肉体”をこの銀時計のところに召喚して、乗り移ることができる」

 予備の肉体。やはり、周りに並んでいるのはただの人形ではなかったようだ。

「ちょっとやってみよう。ジャックは時計を持って、分かりやすいようにちょっと離れててくれ」
「コウ、ですか?」
「ああ、いくよ!」

 万魔が合図した途端、3つのことが同時に起こった。
 ひとつは、今まで喋っていた万魔が、糸が切れた操り人形のようにその場に倒れたこと。
 ひとつは、銀時計の中から新たな万魔が出現したこと。
 ひとつは、機械に繋がれていた万魔の予備の肉体が1体消失したこと。

「こんな風に、召喚と乗り移りは同時なんだ」

 もとの肉体を空になった機械に繋ぎながら、万魔は説明を続ける。

「召喚すると装備品も一緒に付いてくるよ。予備の肉体はこの生命維持装置につないであって、各地の隠れ家に分散して置いてある。大体ストックが1万くらいかな」

 完全に接続が終わると、万魔はテーブルに戻った。

「俺自身の説明はこれくらいにしとこう。いよいよ本題だ」

 空気が張り詰める。

「一人を狙っているのは、仙道ソウスケだ」
「……!」

 誰もが知っている名前だった。この夏にエンターテイメント企業『C3ステーション』が開催した魔人のペア闘技大会『イグニッション・ユニオン』において、チーム『“AGAIN”』の片割れとして頭脳を武器に強力な能力者達と渡り合った男だ。
 そしてその素性は、チーム名と同名の小規模な詐欺グループのリーダーと言われていた。れっきとした犯罪者で、大会中にはテロ行為まで行った。だが、大会後には死亡したものとされていた。
 そんな男が、実は生きていて、一人を狙っている?

「それは、間違いナイのデスカ?」
「ああ、親父のツテでな。能力も分かっている。ヤツの能力は“携帯電話を作成する能力”だ」

 大会中には会場設営を行った鏡助の能力『虚堂懸鏡』で鏡を通しての中継が行われていたが、観戦だけでソウスケの能力を判別するのは難しかった。その能力『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』を、万魔は知っている。

「それであの時携帯電話を放棄するよう言ったのだね?」
「隣部屋に爆弾が仕掛けられてたんだ。携帯電話がすり替えられていたって不思議じゃない」
「ねえ、どうしてあたしを狙うの? 今度は馬場と違って恨まれるような心当たりはないんだけど……」
「それは……」

 万魔は言葉を濁した。「知らない」というよりは「言いたくない」という雰囲気だった。あるいは、「認めたくない」。

「じゃあ、別の質問するね。万魔ちゃんは、どうして守ってくれるの」

 こちらの質問には、万魔は、一人の目をじっと見つめてはっきりと答えた。

「友達だから」

 その真剣さに思わず一人のほうが恥ずかしくなって目を逸らした。

「ごめんなさい、あたし、あなたのこと記憶になくて……」
「いいんだよ」

 万魔の目には慈愛と寂しさが含まれていた。



 それから、ジャック達は万魔の隠れ家で閉じこもって暮らし始めた。
 万魔は通常通りに高校生活を送り、たまに隠れ家に物資を届けに来る。
 ジャックは鏡助に仙道ソウスケのことを尋ねたが、「『イグニッション・ユニオン』の時は会場を設営しただけなので参加者の情報までは持っていない」と申し訳なさそうに答えた。
 捜索はクリスプ博士の手の者が行っているらしい。
 しかし、足取りは全く掴めないらしく、そろそろ2週間が経とうとしていた。
 万魔がその情報を隠れ家に持ち帰ったところ、とうとうしびれを切らした餅子が叫んだ。

「あたしたちで大暴れして! おびき出しましょう!」
「……」
「……」
「……」
「……」
「『最強』の案ではないでしょうか!!!」
「まあ、『最強』の案かどうかは置いておくとしよう……

 お 前 な ん で つ い て き た ? 」

「はっはっはー! 水臭いじゃないですかばんちゃん! こんな事件に巻き込まれてるなんて! この『最強』の親友! 望月餅子を頼ってもらっていいんですよ!」
「あの、万魔サン、この方ハ……」
「大丈夫、ただの同級生だよ。一応無害だ」
「お初にお目に掛かります! 望月餅子です! 気軽に『ぺーちゃん』と呼んでください!」
「エット、山居ジャックデス」
「じゃっくんですね!」
「私は山居直助」
「なおすけさん!」
「山乃端一人よ」
「やま……えっ? むぐっ」

 餅子が何やら疑問を持ったところ、なぜか万魔が餅子の口に手を当てる。

「ごめんな、どうしても剥がれなかったからしょうがなく入口まで一緒に帰ったんだけど、そこで別れたつもりだったんだがな」
「イエ……」

 ジャックは若干引きつつも、2人の距離感をうらやましくも思った。祖国にいた頃は家の手伝いばかり、日本に来てからは滅多に外には出なかったので、ジャックには友人と呼べる関係の人間が存在しないのだ。
 少しして拘束から逃れた餅子がまた元気に宣言する。

「一人だからひーちゃん! ひーちゃんです!」
「そう、よろしく」

 一人は学生の頃のノリを思い出したのか微笑ましそうに笑う。そしてその雰囲気につられ、本音を漏らした。

「ところでさっきの提案さあ、あたしのほうとしてもこの生活に飽きてきた頃だったし、どう? あたしが囮になれば向こうも「ダメに決まってるデショウ!」

 一人の提案はジャックに一蹴される。どうもこの人は自ら危険に飛び出したがる節があるようだ。
 ところが意外にも万魔がこの案に乗ってきた。

「いや、いけるかも……」
「え?」
「向こうもこっちを探してる。時間が無いのは確かなんだよ。もちろん、一人が出るのは禁止だ。けど……」

 万魔はひとつの生命維持装置の前に立つと何やら操作をしはじめ、最後に『BOOST』と書かれたボタンを押した。
 すると、その装置の中の万魔の肉体が目に見える速度で成長を始めた。
 20代後半といったところで万魔は装置を止める。

「どう、かな?」

 その顔つきは、髪と肌の色以外、一人にそっくりだった。

「うん、これなら、メイク次第でなんとかなりそう!」
「だろ……ん? メイク?」



 冬休み初日。
 一人に指定され買ってきた大量の化粧道具が机に並び、一人はそれを迷わず手に取り大人になった万魔の顔を飾っていく。

「すごいな、社会人ってのは毎日こんなことしてんのか」
「こんな気合い入れることは滅多にないけどね。ってか、高校生くらいならもうしてる子もいるんじゃないの?」
「俺はそういうの疎いからなぁ」
「あたしも!」
「お前はつるっつるだから大人になっても要らなさそうだな」
「誉め言葉と受け取っておきます!」
「万魔ちゃん、目終わったからちょっとまた口閉じて」
「ん」

 フェイスパウダーが掛けられ、最後にリップクリームと口紅が塗られる。

「うん、いい感じ」
「よし、これで早速」
「まだだよ。髪染めないと」
「あ、そうだった」

 そんなこんなで、ドレスアップも含めて合計2時間くらい経った後、ようやく女性陣が別室から戻ってきた。

「よう、ジャック……どうだ?」
「万魔サン! 綺麗ですヨ」
「いや、そうじゃなくって……一人に見えるか?」
「ええ、バッチリデス!」
「あ、ありがと」

 そして仙道ソウスケおびき寄せ作戦が始まる。
 参加者は戦闘のできる万魔と餅子。万一のために万魔の銀時計を隠れ家に残している。
 ジャックは力の無い自分をもどかしく思ったが、これは一人を守る戦い。一人の側にいる役目も必要だと、自分に言い聞かせた。



 初日は全く収穫の無かった作戦だったが、2日目には“AGAIN”と思われる戦闘員と何度かぶつかった。“小規模”な“詐欺”グループだったはずだが、そうとは思えない武力だ。戦力を隠していたのだろうか、それとも今の“AGAIN”は以前とは全くの別物なのだろうか。
 3日目にして早くも大物が釣れた。

「ペーラペラペラペラ! 山乃端一人を見つけ出して“AGAIN”でのし上がってやるぜ!」

 いや、やっぱり小物だった。そんな重要な話をペラペラ喋るな。
 ペストマスクが目を引く怪人・ウスッペラードである。
 ウスッペラードは4体の戦闘員を従え、両手の大型ペーパーナイフを振り回し、周囲を威嚇していた。
 万魔は正直関わりあいになりたくないと躊躇したが、その間に餅子が堂々と宣言してしまった。

「山乃端一人ならここですよ! ただし! この最強の! 望月餅子がお守りしていますが!」

 少しは考えてほしいと文句のひとつでも言ってやりたかったが、変装のことはちゃんと覚えてるし情報が得られそうなら戦うべきなので、驚くことに餅子の行動は全くの正解だった。

「ペーラペラペラ! 元気がいいな用心棒さん。よし、野郎ども! やっちまえ!」
『ペラーッ!』

 戦闘員A・B・C・Dが一斉に餅子に襲い掛かるが、一瞬で全部跳ね返す。

(ま、楽できそうだし、いっか)
「ふふん! 雑魚に用はありません! あなたが掛かってきなさい!」
「そのようだな。オラ、いくぞ!」

 気合ニ閃、振り下ろしと薙ぎを同時に放ったペーパーナイフは、しかし餅子に止められてしまう。
 片手ずつの白刃取りだ。

「は?」

 餅子の能力『もちもちぺたぺた肌』は触れたものをくっつける能力。くっつくということは、それぞれの物質にお互い止め合う力が働く。5年に及ぶ修行で能力を鍛え上げた餅子ならば、二刀の勢いを止めることも可能! 強力な能力ゆえに持続時間は通常1秒程度だが、今の状況ならば十分すぎる時間だ。

「覇っ!」

 ウスッペラードのがら空きの腹に餅子の蹴りが入る。

「うがっ!」

 餅子は追い打ちを掛けるように拳を構え

「タンマタンマ! ギブだ! ソウスケの居場所を教える!」

 振る直前で手を止める。

「本当でしょうね」
「ああもちろんもちろん。オレは嘘は……」

 ウスッペラードが紙になったサブマシンガンを取り出し、目にも止まらぬ速さで組み立てはじめる。

「つくぜぇ!」
「!」

 が、発砲は来ない。組み立て中、高速で接近した万魔が既に原紙を破り取っていたのだ。

「ったく、油断するなよ餅子」
「っはー、あれに気付くとはばんちゃんも最強ですね!」
「いや、見え見えだろ……」

 ウスッペラードは騙し討ちを防がれたことで呆気に取られていた。本当に騙せると思っていたようだ。事実、餅子だけなら騙せていたところだが。

「で、仙道ソウスケの居場所が分かるのも嘘?」
「いやいや、それは本当! 本当だって! だからそんな怖い顔すんなよ、な!」
「今度嘘ついたら殺すからな」
「へ、へいっ!」

 案内を始めつつ、ウスッペラードは聞こえないよう独り言をつぶやいた。

「山乃端一人ってこんな戦えるって情報だっけ?」



 そこにいたのは、間違いなく数か月前、鏡中継越しに見た姿の仙道ソウスケだった。

「ほら、立ち話も何だしさ、お茶でも飲みながらじっくり話そうよ」

 当然、警戒する。今度は餅子さえも。

「あなたをぶっ飛ばしに来たんですよ!」
「そう結論を急ぐこともないじゃないか」

 一触即発の空気の中、万魔は“遠くからの信号”をキャッチした。
 餅子の背をトントンと軽く叩く。「抜けるぞ」の合図だ。隠れ家で何かあったのだ。
 途端、万魔の体が意識を失う。大げさにリアクションを取るのはウスッペラードだけだった。

 万魔の銀時計は、本来は引っ張って回す部分であるリューズを押し込むことで、万魔がどの体にいようと彼女に通知が行くように改造されている。
 これは銀時計本来の機能でもなければ万魔の能力の一部でもない。
 万魔のツテ、と言っても父親絡みではなく、女子高生の交友ネットワークにより出会った、姫代学園の兵器開発が得意な魔人に改造してもらったものだ。

 元の高校生の姿で到着した万魔は、隠れ家入口にいる人物を見て驚く。
 銀時計の仕掛けを起動したジャックと対面するのは、またしても仙道ソウスケだったからだ。

「初めまして、だね。山居ジャック君に、“山乃端”万魔ちゃん」

 ジャックは一瞬万魔の方を向く。彼女の姓は父親と同じ“スプラウト”ではなかったのか。
 しかしそれを確認している場合ではない。どう出ようか迷っていると、ソウスケの方から持ちかけてきた。

「率直に聞くよ。“人を生き返らせる能力を持った魔人”を知っていたら紹介してほしい」
「何ノために……」
「それを教えるつもりはないけど、そうだな……」

 ソウスケは悪魔の提案をしてきた。

「その情報が確実なら、山乃端一人を殺さなくても済むよ」

 その言葉をもう一度頭の中でなぞって意味を飲み込んだ万魔は激昂した。

「貴様!」
「待っテクダサイ、万魔サン!」

 万魔は無視してソウスケを殴りに掛かるが、怒りに任せた直線的な軌跡は容易に受け止められ、跳ね返される。

「っ!」
「心当たりがあるのかないのかだけ教えてほしい」
「……」
「…………アリマ……セン」

 万魔が黙っているということは知らないか知っても教えるつもりはないのだろう。
 ジャック自身は直助の紹介で会った医者くらいしか知り合いがおらず、その中に該当する人物がいないため、そもそも選択肢は無い。

「じゃあ、山乃端一人は殺すよ」
「何の、ために……」
「知ってるだろ? 万魔ちゃん。『山乃端一人が死んだらハルマゲドンが起きる』」
「! やっぱり……やっぱりか!」

 興奮する万魔と対照的に、ジャックが、表面上は冷静に切り込む。

「ハルマゲドンを起こすコトト、人を生き返ラスコトは、関係アリマスカ?」
「ハルマゲドンが起きると、魔人が集まってくる。その中には人を生き返らせる能力を持った者がいるかもしれない。もしくは、人を生き返らせられる程の力を持った何かを奪い合うために、ハルマゲドンが起きるかもしれない」
「……」
「ソンナコトをシテモ、目的の人ガ集まるトハ限ラないノデハ?」
「かもね。だけど、可能性はあるんだ。だからまずやってみる。ダメだったら次の手を考える。前向きだろ?」
「……」
「……」

 万魔は怒り以外にも何か思うところがあって黙っている様子だった。
 ジャックは、ソウスケの目的をどうにか逸らす方法を考えるが、容易ではなさそうだ。
 ハルマゲドンの結果自体が、ソウスケにはどちらに転んでもいいみたいだ。
 そもそもの“人を生き返らせる”を諦めさせる? だが、そちらの件は情報を与える気は無いみたいで説得の手がかりが皆無だし、さっきの歪んだ前向き発言からしても、成功率は低そうである。
 と、考え込んでいる間に、タイムリミットが来た。

「じゃあ、さよならおふたりさん」
「万魔サン!」
「っ!」

 ソウスケが赤く光っている。

「時計! 貸せ!」
「ハイ!」

 万魔はジャックから銀時計を受け取ると上空に投げ、数十もの自分を連続で召喚し、肉の圧でソウスケを抑え込んだ。
 最後の万魔が空中で銀時計をキャッチして、万魔の山からひとっとびで降り、ジャックを回収して、直助と一人のいる奥の方へと逃げる。
 後ろで、大きな爆発の音がした。あれだけ抑え込んでなお、入口付近はボロボロだ。

「爆発しやがった……影武者か?」
「万魔サン、敵にココがバレテル以上、盗聴の可能性がアリマス。盗聴器か携帯電話、マズは徹底的に探してクダサイ」
「あ、ああ」



 結局、盗聴している機器は見つからなかった。ソウスケの能力で作った携帯電話は任意で消滅させることができるらしいので、既に消した後かもしれない。
 そうこうしている間に餅子が隠れ家に帰ってきてしまった。ウスッペラードを連れて。

「おい! なんで敵を連れ込んでんだよ!」
「ペーラペラペラペラ! お前ら、人を生き返らせようとしてるソウスケの邪魔をしたいんだってな、おとり捜査までして。“悪”じゃねえか、オレにもいっちょかませろ!」
「いや、だって仙道は?」
「裏切る!」
「信用ならねー」
「まあまあ、人数は多い方が最強じゃないですか!」

 話が進まないので万魔は諦めた。多分餅子と似たようなタイプだから演技とかじゃないだろう。

「改めて自己紹介するぜ! オレはウスッペラード。能力は『紙造りの世界(paper craft)』、なんでも紙にできる能力よ」

 そこから各々自己紹介が始まる。一人の時、ウスッペラードは少し笑っていたが、それは万魔とあまりに雰囲気が違ったためらしい。

 閑話休題。一同はこれからの方針、火急のものとしては隠れ家の移動に関して話し合う。

「そもそも、なんでバレたかなんだよな。それが分からないと移動したってまた見つかるぜ」
「餅子サン、携帯電話は今持っテマスか?」
「いいえ! ここに来るときはちゃんとおうちに置いてきています!」
「最初のとき以外はな」
「最初のトキ、誰かにソソノカされたり不審ナ人物に会ったりシマシタか?」
「いいえ! 偶然ばんちゃんを見つけて、行動が不自然だったのでついてきたのです! 何かに巻き込まれていると思いまして!」
「そ、そんな不自然だったか?」
「あたしとばんちゃんの仲ですから!」
「分カル人には分カルというコトデスネ。デハ、最初カラ万魔サンが尾行されテイタ可能性がアリマス」
「悪い。注意はしてたんだが……」
「イエ、責めテル訳デハないノデス。対策の前提確認デス」

 ジャックは少し考え込み、ウスッペラードの方を見た。

「ウスッペラードサン、あなたの能力はソウスケサンニハ?」
「ああ、当然知ってるぜ」
「デハこうシマショウ。餅子サンが今カラ鞄を持って帰ッテ、色々ナ場所に手紙ヲ出しマス」
「“人”を郵送する訳だな」
「デスガこれはフェイクデス」
「ふむ」
「タダシひとつダケ中身のアル封筒、銀時計ヲ、万魔サンの信頼デキル相手に送りマス」
「なるほど、それで俺が移動すれば……」
「それもフェイクデス」
「えっ?」
「時計はヒットリサンのモノを使いマス」

 これには、一人と時計を一時的に離してみて、一人の不運がどうなるかを見る狙いもあった。しかし、一人は少し怯えた。

「それで悪いことが起こったら……」
「ソノ時はスグ送り返シテもらいマス」
「分かったわ。で、そっちもフェイクなら本命は?」

 その問いにジャックは驚くべき答えを返した。

「ココヲ出マセン」

 万魔が咄嗟に反論する。

「なあ、あんたも分かってると思ってたが、それくらいの可能性は向こうだって考えるだろ? すぐに見つかるぞ?」
「ハイ、ナノデ、出マセンがココにソノママ住むコトもシマセン」
「???????」

 万魔は頭にハテナをいっぱい浮かべた。

「一番奥の壁、ソノ向こうの地盤を紙にシテ、部屋を作りマス。壁は戻シテ、密室にシマス」
「あ、そ、そうか! 空気を作る装置はここにあるし、それならちょっとくらい住むことは……」

 順調そうな会話に、ウスッペラードが楽しそうに横槍を入れた。

「で? 住むだけじゃジリ貧だぜ? なんかソウスケを追い詰める策はあんのか?」

 ジャックは話題を変える。

「……あなた方ハ、外でソウスケサンと会いマシタね?」
「ええ! 会いましたよ!」
「ああ、そうだ! “ソウスケは2人いた”んだった!」
「ソウ、この隠れ家ニモ、ソウスケサンが現れマシタ」
「でも! あたしたちの方のソウスケさんは爆発してしまいました!」
「え? そっちも? こっちもそうなんだけど……なあ、ジャック、“あれ”は何だったんだ?」

 ジャックは冷静に考えを述べる。

「実ハ、万魔サンが戻ってキタとき、ソウスケサンの顔を見て“驚イタ”のを不思議に思ったンデス。コッチに何かアッタナラ、侵入者がソウスケサン本人ナノハ当然あり得マスカラ」
「そう。俺が“驚いた”のは、直前に全く別の場所で仙道と会っていたからだ」
「ソコデ、試しに“普通にしゃべりナガラ、ソノ相手に能力を使ってミタ”ンデス」
「えっと……つまり?」
「つまり、タダ能力が効くか効かナイかヲ調べた。結果、効きマセンデシタ」
「無効化能力者か?」
「イエ、ソンナ貴重な人材ナラ使い潰さナイでショウ。アレは、本物のソウスケサンの声を伝エル“携帯電話”ダト思いマス」
「は? いや、完全に仙道の姿だったぞ!」
「……“歩キスマホ”」
「はい?」

 スマホが歩いているから“歩きスマホ”ということである。ジャックは真剣だ。

「本人は前を向いてイルつもりデモ、何も周りガ見えてイナイ。ソウイウコトなのカモ知れマセン」
「いや! どういうことだよ!」

 実は“歩きスマホ”というのはほとんど正解の推理である。さすがにソウスケが半人半携帯電話のワーテレフォンで、だから自身を複製できるということまで正答するのは無理というものだ。

「まあとにかく、奴は偽物を“作れる”として、じゃあどうする?」

 ウスッペラードが発破を掛けると、餅子が直観的に答えた。

「はい! 本物にしかできないことをさせればいいのです!」

 万魔は自分に当てはめて考える。万魔の能力も、“予備の肉体”はいくらでも用意できる。だが、

「そうか、“能力を使う”ことは本物にしかできない!」
「餅子サンだけが動いてイレバ、そこに仕掛けてクルかも知れナイ。餅子サンは万魔サンの銀時計ヲ持ってクダサイ。ウスッペラードサンも餅子サンのスマホに隠れマショウ。適度に隙ヲ見せてクダサイ。それカラ、フェイクの隠れ家ヲ何か所カ……」

 万魔は熱心に説明するジャックを見ながら感心していた。“今の”一人にはこの人がついている。これなら、今度こそ……

「ソレ、カラ……ガフッ!」
「ジャック!」

 そう考えていたら、ジャックがいきなり倒れそうになった。一人が慌てて支える。
 地下の生活は、病人に良い環境とは言えない。

「大丈夫デス、ヒットリサン。ウスッペラードサン、ボクタチも紙にシテクダサイ。イザというトキ、万魔サンの予備の肉体に“装備”サレマス」

 万魔の能力は軽微な装備品程度なら一緒に召喚できることを利用する。

「いいが、ちょっと脆くなっちまうから文句言うなよ?」
「エエ」

 そして、準備が始まった。
 物資の消費具合から考えて、期限はギリギリで2週間程度。そこでヒットしなければ、また別の手を打つ必要がある。しかしこればっかりは成功を祈るしかなかった。



 外の世界では年を越そうという時期だったが、この地下ではそんなことは関係なかった。
 まるで人類が滅んだ後わずかに生き残った人々が細々と生活しているような光景だ。
 一人と直助と万魔が3交代で24時間の番をしている。銀時計の受信機は万魔の肉体とは別に機械として作られたものも存在しているので、一人や直助にはそれを持たせている。
 このときは万魔の番だった。一人と直助は寝ている。そこに、ジャックが目を覚ましてきた。

「体は大丈夫か? さらに酷い環境になったけど」
「エエ、何とか」

 ペラっと万魔の隣に腰かける。

「“人を生き返ラセルコト”について、考えてイマシタ」

 万魔は無言でうなずいた。

「例えば、ボクが病気で死ンデ、生き返っタラ、それはドノ時点の状態デ生き返るノデショウ」
「……そんな話、例えにするもんじゃないよ」
「ソレニ、生き返った人ハ、“同じ生き返った人”ナノでショウカ」
「……」

 長い、沈黙が流れた。
 やがて、万魔がゆっくり口を開く。

「でも、さ、奴の目的が、死んだ人間の魔人能力を一瞬だけ利用したいとかだったら、その方向で説得するのは無意味じゃんか」
「確カニ、ソレはソウデス」

 それだけのやり取りの後、さらに無言が続く。
 それは万魔の決意を固めるための時間だった。
 自身の秘密を話すための決意を。

「ジャックだけに話しておきたいことがある」

 ジャックは万魔の顔を見た。
 緊張しているようだった。

「俺は、山乃端一人の遺伝子を使って作られた人造人間なんだ」

 しかし、ジャックのほうにそれほど驚きは無かった。

「薄々、ソンナ気はしてイマシタ」

 同じ銀時計、バイオテクノロジーの権威クリスプ博士、“予備の肉体”の存在、成長すると一人にそっくりなこと。ヒントは与えられていた。

「そうか。でも、これはただの話の前置きだ」

 もっと大きな秘密がある。ジャックも息を飲んだ。

「俺は、“人を生き返らせる程の力を持った何か”に心当たりがある」
「ソレハ!」

 そんなものなど存在しないと思っていた訳ではない。
 ジャックが驚いたのは、むしろ自分も既にその存在を知っているからだ。

「“全部集めると何でも願いを叶えてくれるタロット”」
「!」

 そしてその認識は一致した。
 かつてジャックの前にも一枚のタロットカードが現れた。
 しかし、ジャックはそれを手にしなかった。
 タロットカードの所持者は、他の所持者の命を奪ってカードを集めないといけないのだ。

「俺はそれを全部集めた。そして――」

 さらっと言った「全部集めた」という言葉も重い意味を背負っていたが、ジャックにとって最も衝撃的だったのは、次の台詞だ。

「世界を再構築した」
「世界を……」

 それは、今普通に生きている世界が、1年ほど前に再構築された後の世界なのだという意味だ。

「何のタメニ……」
「俺が望んだのは、“一人が魔人じゃない世界”だ」
「ア……」

 そうだ。万魔が一人の遺伝子を持っていようと、それだけでもともと面識があったような接し方はしてこないはずだ。再構築前の世界では本当に“友達”だったのだろう。おそらく一人の身に何かが起き、万魔は一人を救おうとした。
 それに、一人の不運体質が酷くなり、人に襲われたりするようになってきたのは、ここ1年くらいのことだった。だから、実際の被害は再構築後から始まっており、それ以前のものはつじつまを合わせるために後付けで“不運体質”をつけたのだとすれば、説明がついてしまう。

「再構築の後でタロットがどうなったのかは知らないし、タロットのことを仙道に教えてやるつもりはもちろんない。だからこれは仙道攻略とは関係なく、奴の言葉から連想したってだけの話なんだけどさ……」

 そこから万魔は表情を暗くした。

「一人の魔人能力は、“死んだらハルマゲドンが起こる能力”だったんだ。俺の存在はそれを阻止するために作られた。
 だから、“一人が魔人じゃない世界”では、きっと俺はいなくなってる。覚悟の上だった。
 だけど、俺はまた作られたし、一人は魔人じゃなくても、死んだらハルマゲドンを引き起こすって仙道が言ってたろ」
「万魔サン……」

 万魔は辛うじて涙をこらえているようだった。

「なあ、俺の戦いって、何だったんだろう……」

 ジャックには掛ける言葉が見つからなかった。
 ただ、次の交代の時間まで、万魔の側で一緒に起きていた。

 年が明けていく。



 初買いで賑わう繁華街。とあるデパートに餅子の姿があった。
 いつも背負っている巨大なスポーツバッグは健在だ。とても目立っている。というか周囲に迷惑がられていた。だが、今回はそれが敵を引き寄せる罠になる。スマホもバッグから顔を出している。落ちないか不安になるくらいだ。
 餅子に近づくソウスケが浮かずに人混みに紛れやすいよう、餅子はユニセックスのコーナーを中心に物色する。もっとも、元からレディース物にはあまり興味は無いのだが。

「おお! このジャージ! 金ぴか模様が入ってて最強ですね!」
「あっ! スニーカーよく潰れるからストックしておきましょう!」

 声の大きい独り言を放ちながら気ままにショッピングを楽しむ。
 普段と大差ない言動が、そのままおとり捜査に向いた言動になっているのが幸いだ。こんなの万魔がやっていたら違和感極まりない。

 しばらくうろついて、今日の捜査はそろそろ終わりにしようと思いかけた頃だった。

「ヒットしたぜぇ~~~~!」

 餅子のスマホに手を掛けた人物がいた。ウスッペラードがただちに組み上がり、餅子は能力を掛けながら後ろに手を伸ばす。
 が、不審者の逃げ出す判断は圧倒的に早かった。既に2,3人を掻き分けて走っている。まるで最初から逃げることを決めていたようだったが、この状況で2人はそこまで思い至ることはできない。
 長い金髪が目立って、目で追うのは容易い。

「ウスッペラードさん! 戻ってください!」

 餅子の合図でウスッペラードは再び自分から収納される。それを確認して、餅子は商品棚に飛びつき、そこからさらに天井にくっついた。ぺた、ぺた、と天井を手で歩く。
 人を突き飛ばして逃げる金髪に悲鳴が上がる。混雑した館内を、しかし追う方の餅子はがら空きの天井から追える。これが屋内を選んだ理由だ。
 だが、金髪の不審者は予想外の行動に出た。通りに面した大きな窓を全身でぶち破り、そこから飛び降りたのだ。ちなみにここは5階である。

「なっ! 私たちも降りますよ!」
「そのぺたぺたでか? 時間掛かるだろ! 落ちて地面に着く直前に紙になればいい!」
「最強案ですね! 採用です!」

 餅子たちも続いて飛び込む。激突する! と思ったところで、ヒラヒラと風に一度舞い上げられて着地した。
 不審者のほうを見ると、なんと無傷で、タクシーを拾っているのが見えた。

「あれで無傷なんて、最強ですか!?」
「それよりまずい! オレたちも足探すぞ!」

 ウスッペラードが多少脅す勢いで別のタクシーを捕まえ、乗り込む。楽しそうだ。

「一度言ってみたかったんだよなーコレ。おい、『前の車を追ってくれ』!」



 餅子はタクシーに乗り込んだ後、銀時計の通知を行った。
 隠れ家では一人が番をしていて、ジャックは起きていた。万魔のほうもすぐに気付いたらしく、起き出した。

「万魔サン、行きマショウ」
「ちょっと待って! なんでジャックが行かないといけないの!」

 既にその気でいたジャックを、一人が止める。
 口論している時間はおそらくそんなに無いだろうとジャックは見ていた。

「ヒットリサン、ボクはオトーサンやあなたにズット守られてキマシタ。ここデ、あなたを守れナカッタラ、キット後悔する」
「それは、こっちも同じよ。あんたに何かあったら……」

 同じだけ強く相手を想った目線がぶつかる。
 それを見て、万魔が思わず頭を下げた。

「一人! ジャックを行かせてくれ! ジャックには何か見えてるんだ。
 無理はさせない。俺が保証するから!」

 なお悩む一人に、もうひとつの声が掛かる。

「私からもお願いするよ、一人君」
「先生!」

 直助がいつの間にか目を覚ましていた。

「私は、傷つく彼らを見ても基本的な手当てくらいしかできない。なぜ外科医を目指さなかったのかと強く思ったよ」
「デスガ、オトーサンが内科医ダカラコソ、ボクは生きてイマス」
「そう、その通りだ。だから、“一人君を守る”この戦いに私ができることは、ジャックを行かせることだけなんだ」
「そんな……ジャックの命は、先生のものじゃ……」
「オトーサンが言いタイのは、ホクがコノ命を“活かセル”機会を、用意シタイというコトデショウ」
「そんなの、治ってから考えなさい!」

 中々引かない一人に、ジャックは少しためらいながらも、“切り札”を切った。

「ヒットリサン、ボクは祈りに行く訳ジャナイ。行動シニ行くノデス」
「!」

 それは、かつて一人自信が言った言葉だった。「祈りでは人は救えない」。

「ズルい。それ出されたら、勝てないじゃん」

 話はまとまった。
 ジャックが折り畳まれ、2体ある万魔の予備の肉体の片方に装備される。

「取り決め通り、24時間後には2人も呼ぶよ。今繋がってるもう片方の体を呼ぶから、そっちに入っといてくれ。
 この体は無視してくれていい。その紙の体じゃ装置の所まで動かすのは難しいからね」
「ああ」
「ジャック、気を付けてね」
「ハイ、必ず戻りマス!」

 そして、2人は飛んだ。



 車内。
 万魔とジャックが現れ、後部座席に着地する。

「ちょっとお客さん困りますよ途中乗車は」
「タクシーだから値段変わらないだろ?」
「あ、そっか……」

 ウスッペラードが運転手を速攻で言い負かし、情報を共有する。
 万魔はドンパチ中を覚悟してたので多少肩透かしだったが、頭を切り替えて話を聞く。

「で、前の車にいるのが推定ソウスケだ」
「……本物カ試してみマショウ」

 例の偽ソウスケということも考えられる。

「でも、本物だったら向こうに声が行っちまうんだろ? 大丈夫なのか?」
「問題ありマセン。その時はそのまま言うベキコトを言うダケです。ソノ可能性は低いデスガ」

 ジャックは続いて懸念を示した。

「ムシロ“生身の偽物”ダッタときが一番厄介デス」
「それ、ありそうですよ! 耐久系の魔人です! だっていくら“歩きスマホ”だってあの高さから落ちたら壊れますから!」
「いや、そっちは俺分かったかも。少なくとも2体同時に“歩きスマホ”が存在してるのを俺は見てる。下で1体待機させて、落ちた方を普通に消したんだ」
「ちょっと待て、そりゃあえらく手が込んでねえか? それが本当ならよぉ……」

 ウスッペラードはやっぱりなぜだか楽しそうだ。

「オレたち、釣ったつもりが釣られてんじゃねえか?」
「ドノ道、あれを逃セバ手がかりはアリマセン。ボク達は釣ラレルしかナイ」

 2台のタクシーはついに首都高に入る。
 ここから車を降りて逃げ出すことは難しくなるが、車間距離を広げなといけないのでジャックの能力は使いづらくなる。
 狙い目はETCゲートを通る瞬間。ジャックは前の車の、後部座席に語り掛けた。

「ソウスケサン、ソウスケサン」

 ジャックは首を横に振った。

「対象がイマセン。アレは“歩キスマホ”デス」
「ま、後はどこにつれていかれるかお楽しみに、だな」

 しばらくして、車は5号池袋線に乗ったようだ。

「ところで餅子、こんだけ移動してるけどお前金あんのか?」
「ありません!」

 車体が一瞬ふらついたような気がした。

「だろうと思ったよ」

 万魔が懐から財布を取り出す。中にある数枚の万札をチラっと見せた。

「おお!」
「着いたら俺が払っとくから、さっさと追いかけろ。俺もすぐ追いつく」
「了解です!」

 看板が「東池袋」を示したところで前のタクシーが高速を降りる。
 高速を降りてすぐ、サンシャインシティというショッピング複合施設がある。そこをぐるっと半周して、タクシーは足を止めた。

「運転手さん! その辺りで降ろして!」
「はいよ」

 サンシャインシティのすぐ横を、偽ソウスケは駆けていく。
 ここから駅まで徒歩10分もかからない。偽ソウスケは駅方面に向かっていた。
 信号は味方にならず、かと言って敵にもならず、一行と偽ソウスケの距離は保たれる。
 首都高の高架下をくぐって人通りの多い狭い道に入った。その道半ばで、突然、全員が偽ソウスケを見失った。

「あ、なんだ?」
「消えた?」
「……マズイ!」

 周囲には人混みに紛れて殺気が混じっていた。武器を振り回しているような輩はいない。魔人だ!
 見えないナイフが飛んでくる。突然腹痛に襲われる。
 一般人の目をかいくぐって仕掛けてくる者たち。明らかに、郊外をうろついていた武装部隊とは違う。
 ここが“AGAIN”の本拠地に違いない。となると、本物のソウスケもこの街のどこかにいる。

「餅子サン、敵ヲ探して攻撃してクダサイ」
「はい! 全員ぶっ倒します!」
「な、ナルベク一般人に被害の無いヨウニ……」

 ジャックの忠告を聞いたか聞いてないか、電灯にくっつきぴょんぴょんと上に登っていく。
 そちらは任せるとしよう。

「万魔サンは、申し訳ナイデスが、壁になってクダサイ」
「元からそのつもりだよ、っと!」

 陰からの攻撃を早速、万魔が捌いた。
 そしてジャックは最後の指示を出す。餅子や万魔に対して出したものと違い、能力と実際の声の届く限り全ての人間に聞こえるよう、大声で叫んだ。

「ウスッペラードサン! コノ街の建物スベテ! 紙にシテ! ボクの10m以内ニ! 持ッテきてクダサイ!」
「ヒャッハー! 悪者っぽい指令でいいねぇ!」

 そう、これで、ソウスケがどの建物にいようと問題ない。紙にすればジャックの能力射程の10m以内にも大量の建物を置くことができる。
 もちろん、実際はそこまで根こそぎするつもりはない。そのために他の人間にも指示を聞かせたのだ。
 この指示がソウスケのほうにも伝われば、さすがにほぼ捕まったような形で引きずり出されるより、自分から出てくるほうを選ぶはずだ。
 問題は、もし、ここまでの人員を揃えておいて、それでもなおソウスケ自身は遠隔にいて指示を出していた場合。これはもう諦めるしかない。一から戦いのやり直しだ。
 ただ、この勢力を遠くから動かせるなら、デパートの時点で囲ってしまえばよかったのだ。そうしなかったということは、兵はここから動かせないと考えられる。
 だからソウスケはきっと近くにいるはずなのだ。

「餅子! その赤髪の奴!」
「はいっ!」

 ジャックは待った。

「十時の方向デス」
「俺の方が近いな、対処する!」

 ただ耐えて、待った。

「ハッハッハ! この一角は更地になったぜ!」
「あーっ! あたしの足の踏み場!」

 その、先に。

「困るなあ、僕の庭であんまり好き勝手されちゃあ……」

 たどり着いた。

 モーゼのように人の海が割れ、奥から2人の武装兵を伴った金髪の男・仙道ソウスケが現れた。

「ソウスケサン」

 彼との距離が能力圏内に入ったとき、ジャックが能力を使いながら呼びかける。発動している。本物だ。

「あなたと、話をシニキマシタ」
「望むところだよ。僕の目的は君たちと戦うことじゃないからね」

 ソウスケは自然な笑顔を浮かべる。万魔は「よく言うよ」という顔をしたが、口には出さなかった。

「じゃあ、早速君の話を聞かせてもらおうか。Time is money.」

 そう言われたものの、相手のペースに乱されないよう、ジャックは一呼吸置いた。

「あなたは、ハルマゲドンを起コスタメニ、ヒットリサンを狙いマシタ。デスガ、そのハルマゲドンは確実デスカ?」

 ソウスケはジャックの意図が読めない、とちょっと困った顔をした。

「別に僕は、ハルマゲドンが起きなかったとしても次の手を探すだけだ」

 ジャックにとっては再確認だった。やはり、ソウスケはハルマゲドンに執着していない。ならば

「確実に起きるトハ考えてナイ。ソウデスヨネ。ダッテ“そんな魔人能力ガアル訳じゃないンデスカラ”」

 万魔が口元を抑えた。
 ソウスケは苛立っているようだった。

「何が言いたいんだい? 確実じゃないからやめてくれと言うならそれはできないよ」
「違イマス。“モット確実なコト”があるンデス」
「“もっと確実なこと”?」

 食いついた。
 ここが、逆転の一手。

「ソレは、“『ヒットリサンが死んダラハルマゲドンが起キル』という噂ガ存在スルコト”です」

 言った。
 そこで、ソウスケは察した。

「ク、クク、ハーーーーッハッハッハッハッハァーーーー!」

 一瞬、対話を諦めて武力に訴えるか? とジャックと万魔は身構えた。
 が、そうではなかった。

「いや、お見苦しい。こんな笑い方柄じゃなかったんだが、思わずね」

 そしてソウスケは自分の理解を説明する。

「つまりこういうことだろ? 山乃端一人を殺してもハルマゲドンは起きるかどうか分からない。だけど、『起きる』と思われているのは現実だ。だから、それを目的に“確実に”魔人が集まる。そっちの方が僕の目的には近い」
「エエ」
「ああ、確かにそうだ。それが最善手だ」

 そして、2人が最も聞きたかった台詞を続けた。

「分かった、山乃端一人からは手を引くよ。いや、むしろ防衛側についたほうがいいのかな?」

 完全なる勝利。それも強敵・仙道ソウスケを味方に引き込んでだ。
 オセロもたまにはいいものかもしれない。

「いやー、君のことを見くびっていたよ。こんなに頭が回るなんてさ――」

 ソウスケは屈託のない笑顔のまま。

 懐から銃を取り出した。

「――味方にいたら邪魔なんだよね」
「!!!」

 慌てて、ジャックも銃を取り出す。あのマンションで、万魔が敵から回収したもの。数週間しか経ってないのに、もう随分と昔な気がする。

「君に、それが撃てるかい?」
「ボクダッテ、戦う意志ハ……」
「いやいや、単純に知識の話」

 そう言ってソウスケは何てことないように発砲した。
 一方ジャックも応戦しようとしたが……セーフティに引っかかる! 確認している暇はない。弾が来る!

「ジャック!!!」

 万魔が、ジャックを突き飛ばし、体で弾を受けた。
 そして地面に倒れ込む。

「万魔サン!」
「う……あ……」

 すぐに移転すればいいのに、なぜか万魔はそれをしようとしない。
 その理由を、薄れゆく意識の万魔から、ジャックは確かに“聞いた”。
 そしてジャックは、ぼそぼそと小声で話し掛ける。

 その声を受け取って、ソウスケの死角の“彼女”が動いた。建物の壁を伝っていく。餅子だ!

 池袋の空に、放物線を描いて銀時計が舞った。

「今デス!」

 ジャックの合図に、万魔が肉体を移転、次弾を準備中のソウスケの上に落下した。

「グッ!」
「観念しろ!」

 護衛の反応よりも、万魔の捕縛のほうが早かった。ソウスケは衝撃ですぐに気を失ったので、全く苦戦することはなかった。

「餅子てめえ遅いぞ! もうちょっとで死ぬところだったじゃねえか!」
「全速力でしたよ! それでも持ちこたえるばんちゃんは最強ですね!」

 こちらに攻撃は来ない。頭を落としたことで、部下たちは狼狽えているようだ。
 万魔はジャックに聞く。

「どうする?」
「逃げマス。こちらも戦うノガ目的デハありまセン」
「あいつ、お前が邪魔だって言ってたぞ?」
「今ハ攻撃のリスクが低いカラそう判断したのデショウ。追い掛けてマデ殺しにクル理由デハありまセン」
「ま、お前がそう言うならそれでいいか。おい、餅子! 逃げるぞ!」

 ざっと辺りを見まわしたが、もう1人の同行者、ウスッペラードは姿を消していた。
 3人は通りをそのまま抜け、池袋駅に走った。



 餅子と別れたところで、万魔はジャックを別の隠れ家に連れていった。
 道中、終始無言だった万魔だったが、

「う、うわ、うわあああああああああああああん!」

 隠れ家に入ると堰を切ったように大泣きした。この姿を他の誰にも見られたくなくて我慢してたのだろう。
 ひとしきり泣いた後、万魔は鼻声で感謝を述べた。

「ジャック……ほんと……ありがと…………」
「イエ、万魔サンがヒントをくれたノデス」

 無かったことになった戦い。それでも、意味はあったのだ。いや、意味を作ってもらった。

「デモ、まだ終わってイマセン」

 鏡助によると、敵はソウスケだけではない。ハルマゲドンの噂も流れたままだ。
 だけど――

「いつでも、呼んでくれよ。一人を助けたいからさ」

 万魔はジャックに、11個の数字の書いた紙を差し出した。

「コレハ?」
「お前も、携帯電話くらい持っておきなよ」
「考エテおきマス」

 だけど今は、仲間がいる。
 あの賃貸マンションで抱いた絶望感を、ジャックはもう持ってはいなかった。

第二話へ続く
最終更新:2022年02月26日 23:44