0.
『―――お嬢ちゃん。――ハッピーかい?』
そう言って、獅子の如き巨漢が笑った。
『ババァは喧しくてしつこいって昔から決まってるのさ!!』
赤いローブの老婆が啖呵を切った。
25の運命的な出会いがあった。25の物語の始まりがあった。
そして、その全てが私のものではない。
激しい豪雨の中、山乃端一人は這いずるように歩き、彷徨っていた。
帰るべき場所は既に失われていた。山乃端一人が炊き出しから戻った時、彼女が生まれ育った孤児院は燃え上がっていた。
漂う悪臭、人体が焼ける匂いが起きた惨状を物語っていた。
「山乃端一人はどこだ!!」
「山乃端一人を殺せ!!」
「殺せ!! 殺せ!! 殺せ!!」
突如声が聞こえ、爆発音が響いた。彼女は咄嗟に建物の影に隠れ、その姿を見た。
二足歩行の巨大な獣。全身に炎を纏う怪人。この世の理を外れた者、即ち『魔人』。
その空間は欲望と殺意で満ちていた。誰に向けられたものかは考えるまでもなかった。
山乃端一人はその場から離れ、ただ必死に逃げた。雨に降られようとも構わず、ただ必死に足を動かした。
最中、頭が割れるように痛くなって、歩くことも出来ずうずくまって。
視界が捻じ曲がる。世界がぐにゃりと歪み、塗り替えられる。
脳裏に突如湧き上がり、絶え間なく流れ込んでくる膨大な量のイメージ。
山乃端一人が巡り合った25の出会い、25の物語の始まり。
そして、その数を遥かに上回る『死』の記憶。
おおよそいつもの世界です。山乃端一人が殺されました。
本日未明都内某所で希望崎学園に通う山乃端一人さんが遺体で発見されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。山乃端一人が殺されました。
「もう……やめて」
「いいえ、それは決して終わりません」
ふと、水溜まりから声がした。
覗き込めばスーツ姿の青年が、鏡のように映り込み、こちらを見つめている。
「貴女は並行世界の山乃端一人の記憶、そして彼女達の宿命を背負いました。異世界からの訪問者、『転校生』は貴女の命を狙い、やがて殺すでしょう。打破するための手段はただ一つ。『転校生』を打ち倒すことのみです。理由は聞かないように。私は所詮メッセンジャーでしかありません」
言葉の意味がさっぱり分からなかった。信じられもしなかった。だが、今まさに降りかかった出来事とシステムアナウンスのように淡々と語る彼の言葉が、それがどうしようもない真実であることを理解させる。
「生き延びなさい。貴方には、26番目の物語が待っています」
ただ彼はその言葉だけを残して消えた。
水溜まりを何度覗き込んでも、彼が再び姿を現すことはなかった。
彼女は諦め、やがてゆっくりと立ち上がって歩き出した。
知らない記憶が脳裏を巡る。知らない景色が、知らない声が、知らない感触が、浮き上がってきては消える。疲労と記憶で意識も曖昧になってゆく。
――夢はいつもそこで終わる。ジョン・ドゥとの出会いはこの先のはずにあったはずなのに、私は手を伸ばすことが出来ず、意識を現実に浮上させる。
山乃端一人は意識の覚醒と共にゆっくりと目を見開いた。
上体を起こし、周囲を見渡す。
そこでようやく、自分がベッドの上に寝かされていたことを理解した。
「目が覚めたか」
ジョン・ドゥは向かい側のベッドに腰かけていた。
部屋は2台のベッドが置かれただけの簡素なもので、実際宿泊施設というよりは寝泊まりのためだけに借りる仮眠室のような場所だ。
外は未だ暗く、首に掛けた銀時計の針は深夜2時を指していた。
「汗が酷いな。夢でも見たか」
「ええ、少し。でも心配しなくて大丈夫です」
「そうか」
彼は淡々と確認し、それきり沈黙する。恐らくは能力によって鳥の視界を借りて偵察を行っているのだろう。視線は遠く、自分には見えない場所へ向けられている。
それを良いことに、私は独り思考に耽る。
25の記憶は、未だ私の脳に刻まれている。
時間が経つにつれてフラッシュバックこそしなくなった。だが、他人の記憶を持っていることへの違和感が消えることは無い。
25の山乃端一人がどうなってしまったのか分からない。あの青年の言葉を借りるならば、彼女らは並行世界の自分自身なのだろうか。記憶の中で山乃端一人が出会ったあの人たちは、この世界にも存在するのだろうか。
考えても考えても答えに辿り着ける気配はなく、ただ不安が増してゆくばかりだった。
「我が花嫁」
「どうしましたか、ジョン・ドゥ?」
彼は一人の手を取った。そして、
「逃げるぞ」
――直後、盛大な爆発音と共に部屋が崩れ落ちた。
1.
東京都、葛飾区、都立水元公園。
特筆すべきはその敷地面積。じゃ〇んnetによる都内の広い公園ランキングで堂々1位に輝く文字通りとても広い公園であり、葛飾区の住民には深く愛されている。
そんな愛すべき都立水元公園が!! 今!!
「モォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!」
「ブヒィィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!!!!!!!!」
「コォォケコッコォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!!!」
無数の牛豚鶏ゾンビによって蹂躙されようとしていた!
都民の血税によって丁寧に整備された芝生を踏み鳴らし、ゾンビは問答無用で突き進む!
キャンプ場、苗園、グリーンプラザ、水生植物園、公園内施設を悉く粉砕!
対峙するは中央広場を埋め尽くす重武装白スーツマネキン人形軍団、その数牛豚鶏ゾンビの約数倍!
のどかな公園にあるまじき対戦車地雷の炸裂音が連続で鳴り響き、マネキン軍団が完璧に統率された動きでアサルトライフルの引き金を引く!
死を恐れぬゾンビ軍団はそれを意に介さず全速力で突撃! 肉体を吹き飛ばされながらもマネキンに喰らいつき、突き飛ばし、暴れ回る!
そして、この乱戦を稲妻のように駆ける一団がある、その名は『大体何でも屋レムナント』!!
「ダァァァ!!! どれだけいるんだいこのマネキン共!!」
「あっヤベ!! 地雷で片足吹っ飛んだ!!」
「またか!! これで何度目だ優男!!」
「しかたねぇだろ!! どこに埋まってるかなんて分かるか!!」
「頭が悪いわね、ジャック。地雷なんて踏み抜けば良いのよ踏み抜けば」
「それが出来るのクイーンだけだと思うな☆」
「いい加減にしな馬鹿共!! 集中するよ集中!!」
「「「「了解!!」」」」
銃口を向けたマネキンが無数のナイフで串刺しとなって仰向けに倒れる。
四方から放たれた銃弾はその全てが嵐の如き斬撃の前に切り捨てられる。
武装の全てを換金れて、上空から急降下突撃した石頭によって頭部をへし折られたものもあった。
その最前線で暴れ回るのは赤いローブの老婆。電光石火の速度で杖を薙ぎ、払い、振るい、立ち塞がる敵の悉くを捻じ伏せる。
大量のゾンビ軍団に一騎当千、万夫不当の猛者達。それでも尚、敵戦力は膨大!!
「ジャック!! センサー使ってるんだろう!!」
「ダメだお嬢!! 範囲内だけで拘束されて助けを求めてる奴が30人以上いる!! アイツら無差別に人質取ってるか偽物(ダミー)用意してやがるかのどっちかだ!!」
「チッ小癪な!! 意地でも特定させないつもりかい!!」
ジャックの魔人能力『おたすけセンサー』は半径3キロメートル以内に居る『助けを求めている人物の場所とその内容』を知る事が出来る能力である。汎用性が高く、有用な魔人能力であるが、『助けを求めている人物に関する情報』は得ることが出来ない。故に、多人数の中から特定個人を探し出すことは難しく、意図的な攪乱を受けた場合、その効力は半減してしまう。
敵は当然のように攪乱の一手を打った。これはつまり、敵がジャックの魔人能力を把握していることを意味する。
(相手はアタシらのことを知っている……? 一体何者だ……?)
思考に耽るファイの背後より、無音で最新式ドローンが迫る。備えられた機銃が牙を剥こうとした時、
「しゃらくさい!!」
ファイはドローンの反応を上回る速度で体を翻し、放たれる神速の一突きがドローンを貫通させ、破壊する。
「ハッ!! アタシの背後を取ろうなんぞ100年早いね!!」
ファイは敢えて思考を止めた。今は目の前の敵を殲滅し、彼女を探し出すことが最優先だ。敵の正体など後でいくらでも探れよう。
赤いローブを翻し、ファイは全速力で突っ込み、けち散らしてゆく。
彼女は叫んだ。
「クソッタレ!! どこにいるんだい、山乃端一人!!」
2.
崩壊する宿泊施設より飛び出した二人を迎えたのは、無数の白スーツマネキン人形。そして構えられた銃の銃口は二人に対して向けられている。
「チッ、囲まれているか」
「ジョン・ドゥ、これは……?」
「招かれざる客のお出ましだ。絶対に傍を離れるな」
前方より一斉発射された弾丸が二人に迫る。
ジョン・ドゥは一人を庇うように前へ出た。
「大将首を取るは雑兵の誉れ。心意気は買ってやろう。だが、」
『大公爵:肉体強化』発動。指先集中強化、その出力を限界まで引き上げる。
強烈な踏み込みと共に、その指先が地面を抉り、土と砂を巻き上げ、
「相手が悪かったな!!」
散弾銃のように弾き飛ばされた礫が弾丸を押しのけてマネキン人形の軍勢を貫き、その多くを蜂の巣に変える!!
「走るぞ一人!!」
「はっはい!!」
ジョン・ドゥは一瞬で距離を詰め、マネキンのうち一体の首を掴み、地面に叩きつけ破壊する。
再び放たれる銃弾の嵐を肉盾で凌ぎ、振るわれる拳が数体まとめて薙ぎ倒す。
四方より制圧せんとするジュラルミンシールドを正面から胴体ごと蹴り破り、引き金に掛けた指が動くより早く、強化された五指が首を掻き切った。
恐るべき光景だった。仮にも現代兵器で武装した敵が、生ける暴風の如きジョン・ドゥの暴力相手にはまるで歯が立たず、次々と殲滅されてゆく。
時間にして僅か数十秒。瞬く間に積み上げられた残骸、その上に立つジョン・ドゥに疲労の様子は見られない。それほどまでに圧倒的な戦力差。
「チッ」
だが、ジョン・ドゥは浮かべていたのは不機嫌そうな表情だった。
「ジョン・ドゥ?」
「上空のカラスの視界を奪った。新たにこちらへ向かってくる一団がある。規模は数倍。このまま相手をしていては埒があかん」
「じゃあ、どうすれば……?」
「中央で大きな動きがある。今は少しでも情報を得る必要がある。俺達もそちらへ向かうべきだ」
そう言ってジョン・ドゥは山乃端一人の腰に手を伸ばし、彼女を抱き寄せる。
「ひゃっ!」
「しっかり掴まっていろ、跳ぶぞ」
「と、跳ぶって……」
『大公爵:肉体強化』発動。ジョン・ドゥの集中強化された脚力が踏み込みと共に解放され、
「えっ」
次の瞬間、二人の体は上空に浮かんでいた。
高さにして数十メートル。つい見上げれば、月は手に届きそうなほどに近く、だがそれは僅か一瞬の滞空。
また次の瞬間には恐るべき速度で落下を開始!!
「ひゃあああああああああああああ!!!!!!」
大規模な衝撃と共に、山乃端一人を抱えたジョン・ドゥが中央広場に着地する。
彼が抱えていてくれたおかげか、揺れすらも大して感じなかった。だが、恐怖心は別だ。
降ろされた一人は腰を抜かしそうになってジョン・ドゥに支えられる。
「随分と可愛らしい悲鳴だったな、我が花嫁」
「ジョン・ドゥ……!! こういうことを断りもなくやるのはやめて!! 下さい!!」
「気に召さなかったか?」
「次やったら嫌いになります」
「……それは困るな」
直後、放たれる銃弾をその拳が弾き飛ばす。
向けられる無数の銃口。そして、
一閃。
「……間に合ったな」
風切り音すら追いつかぬ神速の一振りをジョン・ドゥは間一髪で受け止めた。
『大公爵:思考加速』発動による防御。奥の手を切らされた事実にジョン・ドゥは舌打ちをする。不意打ちとはいえ、体感時間の加速を用いて尚紙一重。それは尋常の速度ではない。
刀を振るった赤いドレスの女ゾンビも防がれると思わなかったのか驚いた表情を見せ、そして好戦的な笑みを浮かべた。
一瞬の膠着を伴った鍔迫り合い。空間を急速に重圧が支配する。
「随分とやるみたいね。とりあえず斬りかかってみたけれど、貴方は私たちの敵?」
「立ちはだかるつもりならば、俺は貴様を蹂躙するのみだ。覚悟はあるな?」
「上等!!」
膨れ上がった闘気が爆発し、二人が同時に動き出した。
先を制す右ストレートを最小動作で躱し、クイーンは柄頭を鳩尾に打ち込む。
完璧に入った一撃。だが手応え無し。
(魔人能力による防御!!)
クイーンが気づいた直後、両肩が掴まれ、ジョン・ドゥの膝蹴りが放たれる。
痛烈な衝撃がクイーンを貫き、肉体が悲鳴を上げる。だが、クイーンは俄然せず動き出す。
「そういう『痛い』のにはもう慣れているのよねぇ!!」
クイーンはジョン・ドゥを零距離から突き飛ばし、刀の間合いを奪い取る。再び振りぬかれる神速の一刀。
「舐めるなよ!!」
迎撃の回転蹴りと激突し、火花が煌いて散った。クイーンが攻撃の手を緩めることはない。三度続けて放たれる、全てが致命となる斬撃。それらを悪魔の四肢が受け、逸らし、弾き飛ばす。
僅かな隙を突いてジョン・ドゥが前に踏み込み、間合いを潰す。続けて、その指先が間髪入れず、頸動脈を狙って振るわれる。
クイーンは敢えて回避を捨て、カウンター狙いの構えを取る。彼女の魔人能力、『絶世独立金剛不壊』はあらゆる負傷を無効化する。髪の毛先一本までもが刃を通すことはない。
――否!!
クイーンは反射的に体を大きく逸らし、その一撃を躱していた。ジョン・ドゥの指先が長く伸ばされた髪を僅かに掠め、そして鋭く切り落とす。
『大公爵:能力無効』発動。肉体の直接接触さえ可能であるならば、ジョン・ドゥはあらゆる魔人能力を無力化する。
追い縋るように振るわれる一撃を避け、クイーンは後方へ飛び退いた。
「……何かヤバいと思ったのよね。昔ぶっ殺された時と全く同じ感覚だったもの」
「随分と勘が良い。一筋縄ではいかんな」
「ふふふ、二度目があると思わないことね」
両者は再び向き合い、構え直す。互いに隙を見せず、故に戦況は再び膠着。
マネキン達は銃口を向け続けるが、その場に介入することは叶わない。十手先まで読み合い潰す極限戦闘、ボルテージの高まった二人に仕掛けようものなら即座に鉄屑となるだろう。
割り込める者がいるとしたら、それは彼らと同等の戦力を持つ者に他ならない。
故に、彼女の介入は必然だった。
「クォォォォォラァァァァァァ!!!!!」
赤いローブを纏う老婆が、大気を震わす怒鳴り声と共に立ち塞がるマネキンを片っ端から殴り飛ばし、蹴り飛ばし、土埃を巻き上げながら全速力で接近!!
クイーンの爛れても尚美しい顔が勝ち誇った笑みを浮かべる。
「チッ、新手か」
「悪いけど私、一人じゃないの。形勢逆転ねゲフッ!!!」
「なーーーに道草食ってんだいクイーンこのバカタレがァ!!!!!!」
凄まじい速度で走ってきた老婆に目の前の女が全力で横っ面を殴り飛ばされる。
「ちょっ、痛い!! いくら何でも殴らなくても良いでしょお嬢!?」
「新手は無視しろってアタシが言ってんのにアンタが話聞かずに突っ走ってくからだろうこの大馬鹿!!」
「だって雑魚ばっかりで飽きたんだもの」
「アアン!!?」
「一人、これは何だ?」
「私に聞かないで下さい」
「アンタ達!!」
クイーンを正座させ、怒鳴りつけていたかと思うと突如矛先を変える老婆。
「うそ」
そこで山乃端一人は、一瞬息を飲む。
彼女のことを知っていた。彼女との出会いが記憶にあった。
自殺を選ぼうとした少女を救い、悪態を付きながらもその手を差し伸べた。
赤い老婆の名は、ファイ。
山乃端一人はその驚きを胸の奥に無理やり仕舞い込み、顔に出ないように努める。そうでもしなければ、悪い想像が頭の中を支配しそうだったから。
ファイはそんな山乃端一人に俄然せず、その口を開く。
「この辺りで女子高生見なかったかい!」
「女子高生……?」
「大体アンタと近い年で、制服着た生意気そうなガキだよ。まさかと思うがアンタらもJK殺すとかほざくようなイカレじゃないだろうね?」
「JKとやらが何かは知らんが俺達は降りかかる火の粉を払うだけだ。貴様が探す若い女も知らん」
クイーンが驚いた表情を浮かべ、
「え? 敵じゃなかったの? なんだ損しただけじゃない、楽しかったけど」
「売られた喧嘩を買ったまでだ」
「へぇ、ノリノリだったくせに」
「お前達はあのマネキン共と敵対している、その認識で良いか?」
クイーンの軽口を無視し、ジョン・ドゥが続けた。
ファイは無言で懐から何かを取り出して見せる。
それは、封が切られた一枚の手紙だった。
「要約すれば『依頼人を攫った。取り返したければ力尽くで来い』、だと。くっだらないだろう? アタシは当たり前のように無視するつもりだった。けれど、いつの間にかアイツがいなくなっていたのさ。何の予兆も無く、誰一人としていなくなったことに気づけずに」
「誰一人……」
「一度受けた依頼を投げ出すつもりは無いんでね。あのガキンチョを見つけ出して、こんな馬鹿な真似をした奴を殴り飛ばす。それがアタシらのやることだ。うちのクイーンが悪かったね。アンタらはさっさと公園を脱出しな」
「……あの!!」
山乃端一人は堪えきれなくなって、ついファイに声を掛けていた。
「ん? 何だい嬢ちゃん。悪いけどアタシらは忙しんだ」
「えっと、あの、そうじゃなくて!」
言葉が纏まらない。心臓が鼓動を打っていた。
ファイは、探している。私が記憶の中で知っている、あの制服姿の山乃端一人を。
だけど、貴女が知っている山乃端一人はきっと――
パチ、パチ、パチ、パチ。
山乃端一人が次の言葉を切り出そうとした時、それを断つように乾いた拍手が周囲に響いた。
パチ、パチ、パチ、パチ。
「下がれ」
ジョン・ドゥが即座に、山乃端一人を庇うように前へ出る。ファイとクイーンは己の獲物を構え、視線の先に何者かの存在を捉えていた。
それは老人だった。高い身長と、すらりと伸びた背筋が紺のスーツを引き立てる。紳士的な笑みを浮かべ、まるで何かを祝福するつもりであるかのように、一定のリズムで拍手を続けていた。
その背後に率いられるのは、視界を埋め尽くすマネキン人形の大群。
男はまるで舞台上にでもいるかのようにゆっくりと見まわした後、往々しく首を垂れる。
「皆様。本日はここ、水元公園にお越し頂き誠に感謝致します。私、今宵の主催を務めさせて頂きますTENREIグループ総帥、名を典礼と申します。どうか、お見知りおきを」
「……まさか」
ファイは険しい表情で、老人を見つめていた。
そして、同時刻。ファイ達の現在地より離れた、マネキン人形とゾンビが激突する中央広場。
「嘘……ありえないよ……」
快活で聡明なダイヤが、言葉を失った。それは、ジャックもポチも同様だった。
「あの時、間違いなく殺したはずなのに!!」
老人はニヤリと笑う。
――『■■■が、ダイヤちゃんの部下が裏切者だったみたい。その事にダイヤちゃん、私、気づけなかったから……皆を……お嬢のお父上を死なせちゃった……ごめんね、お嬢……』
一度は死んだはずの男が、
「何故お前がここにいる、エース!!」
――海賊団を破滅させた裏切り者が、そこに立っていた。
3.
それは奇妙な状況であった。
物腰柔らかく、だがその瞳に狂気を宿した老人がファイとダイヤ、その双方の前に姿を現した。
トリックの類ではない。影武者でもない。
典礼その人が二人、同時に別の場所に存在しているのである。
「タネ明かしをしよう。私の魔人能力『パーティマン』は、過去から現在にかけてあらゆる催し事に参加する分身、〈パーティマン〉を作り出す能力。そして、パーティマンは参加した催し事から一つだけ、召喚の度に持ち出すことが可能だ。そこに制約は存在しない。故に、私は考えた。私は、過去に私が参加した催し事から私自身を持ち出してしまえば良いのではないか」
「……つまり、ダイヤちゃんの前に現れたのは、そうやって増やしたうちの一人ってことね」
「ご明察の通りですよダイヤ様。オリジナルの私は既に脱出しておりましたので」
「へぇ、そうか。ならよォ!!」
「!?」
ジャックは既に距離を詰め、鋭く振り下ろすハイキックを放っていた。
直撃したその蹴りは典礼の首をあらぬ方向へ捻じ曲げ、力を失った肉体はその場に崩れ落ちる。
「海賊団を、家族を裏切ったクズ野郎を!! 今度こそキッチリぶっ殺さねぇとなぁ!!」
ジャックの形相は今、抑えきれぬほどの憤怒に満ちていた。爛れて零れ落ちそうな瞳が充血し、瞳孔からは血が流れ始めていた。
「ジャック!! 油断するな!!」
ジャックの背後を狙って振るわれた刃をポチが割り込んで弾き飛ばす。
直後、上空から無数のフラワーシャワーが注ぎ、視界を塞ぐ。
四方を囲み、4人の典礼が同時に振るうケーキ入刀用カットナイフ。
「舐めるんじゃねぇぞ三下ァ!!」
ジャックが跳躍と共に肉体を回転させ、逆手に握った2本のナイフを縦横無尽に走らせる。
2人の典礼が手首を切断されてカットナイフを落とし、直後に喉を掻き切られる。
免れた残りの典礼も返す刀で両目を切り裂かれ、流れるように四肢の腱をそぎ落とされた。
「流石はジャック様。80年経った今もその腕は落ちていないようで。老いた私如き、正面より打ち負かすことは叶うまい」
6人目の典礼は既にその場に姿を現し、不敵な笑みを浮かべていた。
そして同時に、典礼は血を吐いて膝から崩れ落ちる。ダイヤは背後から典礼の腕を締め上げていた。
「内臓を空にされる気分はどう? エース☆ 何人いるのか知らないけど、一人も逃がさず殺してあげる。それが、ダイヤちゃんの出来る責任の取り方だから」
「ああ、素晴らしい。期待以上だ」
典礼は最後の力を振り絞り、合図するように手を振り上げた。
マネキンの軍団が引き金に指を掛け、典礼ごと巻き込んだ一斉射撃を開始する。
「ポチ!!」
「承知した!!」
ポチが急降下し、ダイヤを回収して再び飛び上がる。
無数の弾丸に貫かれた典礼の肉体は徹底的に破壊され、原型を留めない。
そして、上空に現れたヘリより飛び降りたのは新たな典礼。
「私は長い時間を掛けてグループを拡大し力を蓄え続けた」
7人目の典礼は投げナイフが心臓に突き刺さり、大量の血を噴き出して死んだ。
「私の人生はやっと今、ここから始まるのだ」
8人目の典礼はポチの螺旋地獄落としが頭部を叩き潰し、声を上げる間もなく死んだ。
「最高の祭りにしよう。役者は揃った、後は完遂するのみ」
9人目の典礼はダイヤに心臓まで換金され、無惨に死んだ。
「ちなみに一つ言っておくことがあるとすれば、ここにいる私は囮だ」
「……は?」
ナイフを投擲せんとするジャックの動きが、一瞬止まった。
「さぁ、見たまえ」
直後、周囲に霧が漂い、つんざく音と共に雷鳴が響いた。
「何だあれは……!」
遠く視線の先、現れたのは、
下半身は大蛇。
上半身は長髪の女。
ただしその上半身からは腕が八本、不規則に生えていた。
そして何より女の顔面は、下顎が大きくバクリと割れ、胸のあたりまで垂れ下がり鰐を思わせた。
だらりと垂れ下がった舌が、不規則にチロチロと踊る。
全長5mにも及ぶ、この世ならざる怪異。
名を、おしらい様という。
「本当はクイーンも引き離したかったが仕方あるまい。君たちはここで私の足止めを喰らい続けるのだよ」
そう言って、老人はニヤリと笑った。
4.
『ほほ!! 愉快、愉快よなぁ!! 人間風情が、雁首揃えて集まりおって』
怪異が首をもたげ、まるで物色するかのように見渡し、甲高い笑い声を上げる。
「都心から離れた場所にとある奇妙な山村がある。その村は古の誓約によって、繫栄を享受する代わりに子を生贄として送り出し、喰わせる儀式を続けてきたのだという。まぁ、既にとある男によって風習は破壊されてしまっているがね」
「その話の何が関係あるっていうんだい」
「怪異に平伏するための儀式だろうと、催し事には違いあるまい。私は『パーティマン』によって過去の儀式から引き出した。千年を生きる超常の怪異そのものを」
その瞬間、おしらい様の指先が妖しく光り、直後、地面に大穴が開けられた。
最上級の怪異が放つ呪詛は物理的な破壊すら帯びる。即ち、呪弾。
『そこの若い女以外は枯れたもの、腐ったものばかり。つまらぬ、喰らう気が欠片も起こりはせんわ。まあ良い。一人ずつ四肢を千切り嬲り殺し、女はじっくり味わってやろうぞ!!』
八本の腕が妖しい光を帯び、咆哮と共に全方位に向けた呪弾が放たれる。
弾幕が展開されると同時に駆けだす典礼、その狙いは山乃端一人に向けられている。
応ずるように動き出した影は3つ。
「凄いわね。こんなデカブツと戦うのは初めて」
「チッ、そのガキはアンタが守りな!!」
「言われるまでもない!」
弾幕を潜り抜けて接近し、おしらい様と対峙するファイとクイーン。
典礼の前に立ち塞がるのはジョン・ドゥ。
「真っ先にこちらを狙うとはな。やはり貴様がそうか」
「ああ、その通り。私は山乃端一人の『死』を望む者」
「傷一つ付けさせんよ、この俺がいる限り」
決着は僅か一瞬であった。
典礼は懐から取り出した短刀を放ち、ジョン・ドゥは容易く弾き飛ばす。
続けて振るわれるカットナイフより素早く、最短経路で打ち込まれる肘が典礼の下顎を吹き飛ばし、絶命させる。
ジョン・ドゥは即座に振り返って構え、次に迫る敵の位置を探る。
だが直後、脳裏を巡る強烈な違和感。
「グッ!!」
ジョン・ドゥが呻き声を上げる。その全身を赤い蛇の如き痣が巡り、原因不明の苦痛が肉体を締め付ける。
それは明らかな異変だった。縛られたかのように肉体は硬直し、指先を動かすことすら叶わない。
パチ、パチ、パチ、パチ。
新たな典礼が、苦悶の表情を浮かべるジョン・ドゥの前に姿を現した。
「悪いが私は最初から、君と正面から戦うつもりは無かったのでね」
「きさ、ま……!!」
「ラプセヌプルゲル、<翼を持つ魔力の神>と呼ばれるアイヌの蛇神は、遥か昔蝦夷の地より南方へ伝わり、九州のとある地域で信仰されるようになったという。それも随分と歪んだ形で。働きに出られぬ老人や聾啞者を縄で縛り、刃物で刻むことで供物とする残酷な儀式があったそうだ」
地面に転がった禍々しい短刀を拾い上げ、典礼はくるりと回転させる。
「今放った短刀はその儀式で幾度も用いられ、血を吸った代物。即ち特上の呪物。それが『儀式』で使われたものである以上、我が『パーティマン』ならば容易く手に入れることが可能」
「やめろ……!!」
ジョン・ドゥの肉体が彼の意思に背き、操り人形のように動き出す。
彼の拳は山乃端一人を微かに掠め、切られた素肌からは血が流れ始めていた。
ジョン・ドゥの動きは抵抗するかのようにぎこちなく、だが、それでも彼女の瞳が拳を捉えることは出来なかった。それはまるで、一陣の風が目の前を吹き抜けたかのように感じられた。
「ジョン・ドゥ……」
「呪いの藁人形に代表される類感呪術の一種さ。今や君の肉体は私の支配下にある。かつては無敵のクイーンさえも自害せしめた呪詛、決して逃げられはせんよ。さぁ、これで仕込みは整った」
山乃端一人は立ち尽くす最中、幾つものプロペラ音が近づいてくることに気づいた。そして同時に、彼女は典礼の意図を微かに悟る。
「報道ヘリ……?」
「ああ。今この瞬間、カメラは君を捉え、全国に中継している。マスメディアだけではない。魔人警察の機動部隊もまもなく到着するだろう。言っておくが、彼らに期待はするだけ無駄だ。根回しは済んでいる。今や彼らは私の意に沿って動く駒。財力、人脈、そして『パーティマン』を活用すれば造作もない」
「……何のためにそのようなことをするのですか」
「決まっている。君に『最高の死』を贈ること、そのために私は全てを捧げているのだ。山乃端一人」
典礼のその言葉には熱量があった。それはまるで、到底叶わない夢を追いかけているような、そんな憧憬に似た感情が込められていた。
「私が君の存在を知った時、愕然とした。あらゆる並行世界で死に続け、この世界でも死を運命付けられる少女がいると。君を取り巻く運命ほど残酷で、理不尽なものは無いだろう。だが、それが運命である以上、君は必ず死ななければならない。故に私は君を殺すと決めたのだ」
目の前の老人が何を言っているのか分からなかった。ただ、老人の言葉が更なる熱を帯びていくことだけは理解できた。
「とある詩人は「人は二度死ぬ」と言った。一度目は肉体の死。二度目は忘却による死だと。私は決心した。せめて、決して忘れられぬよう、君の名を人々の記憶に刻もう。それこそが無価値であった私の人生の意味であるのだと。君の死、そして再生への奉仕こそが我が天命なのだと」
「それで私たちを襲い、ファイさん達を誘い込んだのですか」
「その通りだ。君はジョン・ドゥに殺され、カメラは悲劇の瞬間を捉えて報道するだろう。そして人々は知ることになる。この悲惨な事件を引き起こした組織の名は、『何でも屋レムナント』。元海賊の経歴を持つ極めて凶悪なテロリスト達は突入する機動隊に捕縛される。仮に失敗したとしても追われ続ける身となるだろう」
「…………」
「そして、山乃端一人は『悲劇の少女』として人々の記憶に残るようになる。特番の準備は出来ている。毎年追悼の式典を開こう。記念日だって望むならば作っても良い。きっと、人々は君の死を悲しんでくれるだろう」
「そこまで上手くいくものなのですか?」
「上手くいかせるのだよ。世論を歪め、誘導してやれば人々の思考もそれに同調する。何も心配は要らん。全て任せると良い」
そこには自己陶酔と狂気、他にも幾つかの感情が入り混じる複雑な様相を表していた。恐らくは、彼自身にしか理解できないものだ。
「エース!! この腐れ外道が!!」
ファイは典礼に向けて飛び掛かる。だが、彼女を阻む無数に放たれた呪弾の嵐。
彼女は老体に見合わぬアクロバティックな動きでその全てを回避。しかし、再び背を向ければ呪弾が容赦なくファイの肉体を抉るだろう。
『ほほ!! 逃がさんよ人間!! 所詮うぬらは籠の中の羽虫に過ぎぬ!!』
「チッ!! 面倒だねぇ!!」
典礼の思惑通り、おしらい様によってファイとクイーンはその場に縫い留められていた。
呪詛に縛られるジョン・ドゥを止められる者はどこにもいない。
「さて、これでチェックメイトだ。最後に、何か言い残したことはあるかね」
「……ジョン・ドゥ」
山乃端一人は一歩、また一歩と踏み出してジョン・ドゥの前に立った。
そしてゆっくりと、彼の胸に手を当てた。
「銀時計を捨てて逃げろ、我が花嫁。お前が死ぬことを俺は望まん」
ジョン・ドゥの言葉に、山乃端一人はくすりと笑う。
「何が可笑しい」
「ジョン・ドゥ。私はいつも貴方に守られてばかりでしたね」
「……何をするつもりだ」
既に覚悟は決めていた。
「必ず助け出します。そこで待ってて」
彼女はそう言って、悪魔にいたずらっぽく微笑みかけた。
――直後、山乃端一人が走り出す。
典礼に向けて真っ直ぐ、まるで突っ込むかのような勢いで。
「何だと!?」
山乃端一人の行動に呆気に取られたのは典礼。
『何だ、女が逃げようとしておるのか?』
「ダメだ!! 止めろ!!」
山乃端一人に向けて呪弾を撃ち込もうとしたおしらい様を典礼は必死に制止する。
「山乃端一人を殺してはならん!! 殺したら全てが水の泡だ!!」
山乃端一人はジョン・ドゥに殺害されることによって、『凶悪なテロリストに殺された少女』とならなければならない。これは全てにおける大前提だ。崩壊すれば全てが水の泡となる。
「チィッ!! パーティマン!!」
典礼は能力の行使を決断する。
『パーティマン』唯一の弱点は再発動に15分のインターバルが必要であることだ。典礼はこの弱点を補うために数年もの準備期間を設け、その間パーティマンの召喚を絶え間なく行い続けてきた。これによって手足となる無数のマネキンを生み出し、幾つもの仕込みを実現させたのだ。
故に、予定外の能力使用は彼にとって、15分間使用不能となる大きなリスクを伴うものであり、召喚する対象は慎重に選ばなければならなかった。
典礼が選んだのは『麻薬』。
1974年アメリカオレゴン州で起きた大量薬物中毒死事件にて使用された、通常の500倍の濃度を誇る史上最強のマリファナ、「Nova・OZ」。マリファナパーティ参加者200人に配布され、約半数が死亡、生存者も殆どが廃人化、或いは重度の後遺症によって5年以内にこの世を去っている。
だが、これは「非魔人能力者」に限った話だ。人間を超えた肉体性能を持つ魔人能力者ならば、Nova・OZを吸おうとも一瞬意識を失う程度の効力しか発揮しない。
現状で考えれば、山乃端一人を止める最適な手段。
「止まれ! 大人しくするんだ!」
典礼は迎撃のために動き出す。
山乃端一人に戦闘経験は無い。魔人とはいえ所詮は素人。無力化は難しいことではない。
事実、それは正しい見立てであった。
放出されたNova・OZは山乃端一人の意識を飛ばし、動きを止めた。典礼は今度こそ勝利を確信し、倒れこむ彼女の体を受け止めようと構え、
ガンッ
意識を失う瞬間、懸命に振るわれたその細腕は、典礼の握る短刀を弾き飛ばした。
「なっ」
典礼はすり抜けて宙を舞った短刀に手を伸ばす。
だが、その手が届く前に、
「よく頑張ったな、お嬢ちゃん」
そんな言葉と共に剣閃が走り、短刀は真っ二つに切断された。
「運命だから死なねばならない? そいつはバカの考え方だぜクソジジイ。人生ってのはな、諦めなければ必ず、逆転のチャンスに巡りあえるのさ」
「貴様は……!!」
絶望と共に典礼は叫ぶ。
魔人警察刑事局 異質犯罪課所属
妖刀武骨を振るう、現代日本最強の「怪異殺し」
通称、“世界一諦めの悪い男”
「――ハッピーかい?」
獅子の如き巨漢、ハッピーさんが不敵に笑った。
5.
「お前のことは知っている!! 警察は封じたはずだ、何故お前がここにいる!!」
典礼が、ありえないとでも言うかのように叫ぶ。
「悪いが俺は、上の命令に大人しく従うほど行儀良くないんでね。悪い匂いを嗅ぎつけたもんでやってきたら案の定って訳だ」
「アウトロー紛いが……!!」
直後、典礼は振るわれた拳をギリギリで躱し、山乃端一人を手放して後方に跳んだ。
「チッ、外れたか」
ジョン・ドゥは追撃を止め、少女の華奢な体を間一髪で受け止める。
彼の肉体を縛っていた蛇の痣は、短刀が破壊されたことで既に消滅していた。
少女の瞼がゆっくりと開き、そして微笑む。
「おかえりなさい、ジョン・ドゥ」
「……ああ、ただいま。もうあんな無茶はするな」
「なら、そうしなくて済むように貴方が守って下さい」
「随分と我儘な花嫁だ。よかろう。我が誇りに掛けて誓う」
直後、響く巨大な悲鳴と爆発音。
「無事かいアンタ!!」
「ファイさん!」
二人の目の前で赤い老婆が着地を決める。そして彼女の視線の先、大怪異が呻き声と共にのたうち回る。
「ぶった切ってやったわ、アイツの腕1本。思ってたより硬いから苦労したのよ」
直後に着地したクイーンが、手に持った肉塊を放り投げた。
『おのれ! おのれ! おのれ! 人間の分際でこのわえを!』
おしらい様は咆哮を上げて怒り狂う。千年を生きる大怪異が恐るべき重圧を放つ。
「おっと、凄いな美人のねーちゃん。俺がアイツと戦った時には随分と苦労させられたもんだが」
「ふふふ、秘訣は力押しで斬りまくることよ」
「お嬢~~!!」
遠方より声が響く。翼を生やしたブルドックが若い男と少女のゾンビを吊るし、半ば墜落するかの如き低空飛行。
その後ろからは無数のマネキン軍団が地響きを起こしながら物凄い勢いで迫る!!
「無事かお嬢~~!!」
「うわー!! 何か凄く大きいのがいるけど大丈夫かな☆」
「重量オーバーだそろそろ降りろ貴様ら……!! あっダメだ」
「「「ギャーーー!!!!!」」」
あまりにも見事な落下軌道を描き、チャラ男としいたけと犬は墜落。
「アンタら何してるんだい……」
ファイは呆れてため息をつく中、
「ふふ、ふふふ、ふふふふ」
典礼が不気味な笑い声を上げていた。オールバックで整えた髪をグチャグチャに崩し、自らの頬に爪を立てて抉る。
彼は懐から携帯電話を取り出し、
「カメラを止めろ。今すぐに。私の邪魔をするな」
ただそれだけを伝え、そして携帯を力任せに握り潰す。
「いつだってそうだ。私の人生は失敗だ。嗚呼、もはやなりふり構うものか!!」
彼の叫びと共に、どこに隠れていたのか八方より現れる典礼、典礼、典礼の大群。
その総数、およそ200を超える。
「山乃端一人、貴様に最低の死をくれてやる!!」
取り囲むは200の典礼、2000のマネキン、そして千年を生きる大怪異。
対峙するはババアとチャラ男としいたけと美人。
そして犬とシスターと悪魔とハッピーさん。
「そういやアンタ」
唐突にファイが口を開く。
「名前、山乃端一人って言うんだってね」
「……はい」
「奇遇だねぇ、アタシらが探してるガキの名前も『山乃端一人』なのさ」
ファイは山乃端一人に背を向けたまま、静かにそう言った。老いた、だが逞しいこの老婆は山乃端一人の言葉を待っていた。
「……私は、貴女と出会った『山乃端一人』の記憶を持っています。だけど、それは私の記憶ではありません。詳しいことは分からないけれど、多分この世界にあの子は、いない」
「ああ、そうかい」
「だから……」
「なら、草の根かき分けてでも、あのガキンチョを見つけてやらないとねぇ」
「え?」
ファイの言葉に一人は呆気に取られ、気の抜けた声を出した。
「詳しいことは分からないんだろう? ならいないと決まったわけじゃない。既に代金受け取っちまったんだ、依頼は果たさなきゃお天道様のバチが当たるってもんさ。――だから、アンタが気にする必要は無いんだよ」
「そういうこった、嬢ちゃん」
金髪革ジャンの大男が屈みこみ、その容貌に見合わぬ人懐っこい笑顔を向ける。
「そこの婆さんと同じように、確かに俺が知ってる山乃端一人はシスターでも何でもなかった。別人だっていうのも理解できる。だけどな、そんなもんは関係無いんだ。俺は嬢ちゃんを絶対に死なせねぇ、俺の知ってる山乃端一人も死なせねぇ。だから、嬢ちゃんが口にするのはただ一言で良いのさ」
ハッピーさんは無言で、彼女に言葉を促した。
山乃端一人は一呼吸置いて、その言葉を口にした。
「――お願い、助けて」
ニィと、噛みつくような笑顔をハッピーさんは見せて、彼女の背中を優しく叩いた。
「任せろ!!」
ハンッとファイは鼻を鳴らし、高らかに号令をかけた。
「聞いたね、アンタ達。大一番だよ、気合入れなァ!!」
「「「「了解!!」」」」
ジョン・ドゥは静かに、だが確かに闘志を燃やした。
「決着の時だ、行くぞ」
そして、両陣営が動き出す。
6.
典礼の操るマネキン人形が、銃火器を構え、一斉に引き金を引く。
仮に魔人であろうとも容易く死に至らしめる、現代兵器による純粋暴力の嵐。
その嵐を意に介さず、進み続ける者がいる。
月光に照らされて杖と刃が空間を走る。
悪魔の四肢が、重戦車のように砕き、潰し、突き進む。
何より、この男の前でマネキンは完全に無力であった。
「解除解除解除ォ!!」
空高くばら撒かれ、同時に能力解除された「引き金を引かれた直後の銃火器」が火を噴き、無数の弾丸を空から降り注がせる。
弾丸を喰らい、僅かにでも傷ついたマネキン人形は次々と箱に閉じ込められ、停滞した時間に閉じ込められてゆく。
ハッピーさんの魔人能力『 時よ止まれ、君は。』。僅かでも傷つけたものの時間を止め、箱化する能力。
発動条件は、「対象が非生物」かつ「持ち運びが可能な重量」であること。『パーティマン』の生成するマネキンはそれらの条件を満たしている。
故に、相性は最悪。典礼にとって、彼は文字通りの天敵となる。
「チィッ!!」
次々とマネキンが無力化され、典礼の死体が転がってゆく。
全身をナイフで貫かれる者がいた。
頭部を叩き潰された者がいた。
内臓を抜き取られて絶命した者もいた。
もはや典礼が彼らに正面からでは叶わぬことは明白であった。だが、それを認める訳にはいかなかった。
あの日、海賊団に恨みを持つマフィアに唆され、一時の感情で裏切り、そしてただ一人のうのうと生き延びた日。そこから彼の後悔の日々は始まった。
あの日の裏切りが正しかったのだと信じたくて、あらゆるものに縋った。
自分の人生に価値があると思いたくて、泥を舐めるように這いずり回り、会社をひたすら大きくさせた。
それでも何も見つけられずに老い続け、もがき苦しんだ彼に手を差し伸べたのは、異世界から来訪したという『転校生』だった。
『山乃端一人は必ずや死ぬ運命にある。その運命の手助けこそが君の使命だ。』
その言葉に今でも縋っているのが典礼という男の弱さだ。
(あと数分で再び『パーティマン』の再召喚が可能になる……!! 『爆弾』を引っ張り出し、地形ごと全て吹き飛ばせば今後こそ終わりだ!! それまで粘れば……!!)
「おっと、そこまでだ」
男が、典礼の前に立ち塞がった。
金髪をたなびかせ、革ジャンを纏った獅子の如き巨漢。
本名、遠藤ハピィ。
人は彼をハッピーさんと呼ぶ。
「これでも一応刑事なんでな。TENREIグループ総帥、典礼。最終通告だ、両手を上げ、降伏しろ。でなければ実力行使だ」
「……ははは、お前さえいなければ。私の人生は無為にならなかった」
「違うな。俺は偶々居合わせただけだ。お前は、あの嬢ちゃんの諦めの悪さに負けたのさ」
「黙れッ!!」
典礼は怒号と共に飛び掛かる。
「ふんッ!!」
ハッピーさんは即座に妖刀武骨を抜き放ち、横薙ぎに大きく振るう。
典礼は2本のカットナイフで受け止め、だが即座に手放した。
カットナイフは武骨の刃を受けたことで刃毀れを起こし、同時に箱化する。
「生半可な獲物じゃ止められねぇぞ!!」
「チッ!!」
典礼は新たなカットナイフを生み出し、再び駆け出した。
典礼が地を踏みしめる度にパーティスモークとクラッカーが生成される。周囲に白煙と炸裂音を撒き散らされ、ハッピーさんの五感を攪乱する。
(貰ったッ!!)
死角に回り込み放つ、急所狙いのナイフの一撃!!
「オオオラァァ!!!!!」
だが、妖刀武骨がその速度を上回る!! 五感を封じられようとも強引に敵を捉える360°の斬撃!!
「ぬぅぅぅぅ!!!」
間一髪で生成されたヴァイオリンが盾となり、斬撃を防ぐ。
典礼はシャンパンを生み出し、死に物狂いでハッピーさんの頭部に叩きつけた。
「やりやがったなぁ!!」
頭部からは血が際限なく流れ、顔が赤に塗りたくられる。だが、ハッピーさんは止まらない。
直後、振るわれたアッパーカットが典礼の顎を捉え、大きく吹き飛ばす。
「ゴバァ!! ゲボッ!! ゲボッ!!」
典礼の体は数度バウンドし、咥内から血が溢れ出す。視界が真っ赤に染まり、意識が混濁する。だが、その目からまだ闘志は失われていない。
(――15分経過!! 間に合った!!)
「やらせはせんよ」
「なっ!?」
背後に回り込んでいたジョン・ドゥは典礼の首を締め上げていた。
『大公爵:能力無効』、発動。ジョン・ドゥが直接触れた者は、その能力を強制的に解除される。
即ち、『パーティマン』によって召喚したものは全て失われる。
「離せ!! このままでは、全てが終わってしまう……!!」
僅かに残っていたマネキンが同時に動きを止め、煙のように消滅する。
転がっていた典礼の死体も既になく、そして、
『あああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!』
千年を生きた大怪異は甲高い悲鳴を上げ、跡形もなく消え失せた。
水元公園は、無数の破壊痕だけを残し、再び静粛を取り戻していた。
「私の、負けか……」
典礼はポツリと呟いた。彼の生み出した全てが消えた時点で、抵抗は終わっていた。典礼の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた。
「私の人生は、何だったのだろうな」
「知らないよ、そんなの」
彼の目の前に一人の少女がしゃがみ込んだ。
「ダイヤ、様……」
若い時、自分の上司であり、先輩であり、憧れの存在であった少女が、あの頃の姿で自分の前にいた。
「どうせ、裏切ったこと後悔してるんでしょ。エースは頭が良くて器用だったけど、直情的で思い込みが激しかったから、多分後先考えずに裏切ったんだろうなーって。そこを直せなかったのはダイヤちゃん反省だなぁ☆」
「……はは、は。よく見ていらっしゃる」
「『理由』を探し続けるんじゃなくて、起こした『結果』に対する自分の罪を償う方法を探すべきだったんだよ、君は」
「今から……でも間に合いますか、ダイヤ様……?」
「だから知らないって。でも、やることに意味はあるんじゃない」
典礼は、かつて少年だった老人はそうですか、とだけ呟き満足そうに笑った。そして、力尽きるかのように意識を失った。
時計の針は回り、公園は薄明に照らされて輪郭を帯びる。
肌を撫でる冷え切った空気が、戦いの終わりを告げていた。
7.
その後、集った魔人達は夜明けと共に三者三様別れ、違う道を進んでいった。
ハッピーさんは典礼を逮捕し、引き渡した後、また忙しそうに日本中を駆け巡るらしい。どこでだって彼はその力を振るい、立ち向かい続けるのだろう。そして、「諦めるな」と言って手を差し伸べるのだろう。
大体何でも屋レムナントは、人助けをしながらまた世界を旅するのも良いかと言っていた。世界のどこかに助けを求めた少女がいると信じて。愉快な彼女らの旅は、最後まで必ず楽しいものとなるに違いない。
そして山乃端一人とジョン・ドゥは再び東京の地を歩き始める。
「ねぇ、ジョン・ドゥ」
「どうした、我が花嫁」
「今までずっと辛かったし、今日も大変だったけれど、でも楽しかったです」
「そうか」
彼は少しだけ愉快そうに、
「なら笑うが良いさ。お前の笑顔が俺は好きだ」
「ふふ、じゃあそうします」
悪魔との旅路、その終着点は未だ遥か遠く。
けれどこの時ばかりはただ静かに、緩やかに、安寧の時間が許されることを、彼女は願った。
1日目 『パーティマン』典礼 撃破
To be Continued