――“それ”が出現し、一晩が経った。


 東京湾の真ん中からまるで噴水のように海水を巻き上げ、昇り立つその映像は繰り返しテレビで放映された。


 ――直前まで何の前触れも無かったとされている。


 果たして。それを目撃した人々があまりに現実離れしたその異形に、光景に。
 ……何もできずにただ呆と見ているだけだったことを責めることができるだろうか。

 それを現実だと受け入れることさえ困難であっただろう。

 現実だと受け入れる前に皆死んだ。


 ――ただの一瞥で埋め立て地は崩落し水没した。


 『黒龍』

 全長80メートルほどの化け物を皆が口を揃えてそう呼んだ。黒い竜、黒い死神。蘇った神話。

 往々にして龍とは伝説における上位存在として描かれる。モチーフを蛇まで含めれば範囲はさらに広がる。
 例えば日本では八岐大蛇。著名なとこではファフニールやナーガ。ウロボロスやヴリトラ、ヨルムンガンドは世界を囲う・天を覆う・大陸の如くとすら表現される。


 黒龍の動向は“暴れた”と評するにはあまりにも静かだった。

 翼を羽ばたかせ、地表を睥睨する。
 あるいはそれは大地を見下ろし、地に縛られた人々を見下しているのか。

 どちらにせよそれだけで十分だった。


 《龍眼・絶黒》


 それはこの世界の誰もが知らないことであるが。
 黒龍は、「その眼で見たものに死を与える」。


 空より見下ろすのみで大地を侵し、ビル群は倒壊し、人間の命は失われた。

 直接的に龍眼の被害を受けた者。
 間接的に巻き込まれ被害を受けた者。

 死者は現時点で500名を超えるとされている。


 即座に出された避難指示を待たず、既に都民は三々五々

 たった一晩で江東区を壊滅させ、我が物顔で都市上を飛行。
 果たして、何かを探しているのか。あるいは何も目的は無いのか。



「……“絶黒龍”ルージュナ」

 にわかに明るくなり、対照的に人の気配が居なくなった東京の町。
 存在が感じられるのはその上空を飛行し徘徊している黒龍のみ。

「ああ、思ったより高くなくて助かった」

 既に数時間に及び翼で飛行をし続けている。

 その巨体を翼による揚力だけで支えられるだろうか?
 仮にできたとしてこれだけの間支え続ける体力や肉体はあり得るだろうか?

 現実で見てもなお信じ難い。あまりにも物理法則すら超えた存在。

「今回は、お前はターゲットじゃない」

 大地に立つことすら嫌うのか。自らがこの地の、生命の支配者という誇示か。

 人の居なくなった都市の支配者と化した異形へ向けて。

「害獣退治だ」

 殺し屋が、滑空によって肉薄した。



 ~―~―~―~―~―



 飛び立つスタート地点はスカイツリーだ。
 営業中止している天望回廊を少々お借りし、ハンググライダーにて滑空する。

 高度450メートル。

 殺し屋――月ピは身を隠しもせずに堂々としている黒龍目掛けて一直線に空を翔ける。

(鏡助とやらが言うには奴は眼に見るだけで生物・非生物・概念を問わずに対象を殺すことができるらしい)

 それはなんとも、殺し屋としては羨ましい力だ。きっと大成できるだろう。

(――私の方が上だがな!)

 接敵まで残り10秒。

 黒龍はゆっくりとこちらを振り返り始めている。ようやくこちらに気付いたのか。


 ――否。


(違うな。とっくに気付いていたところで、たかが人間一人どうでもいいんだ)

 上位者。超越存在。黒龍に取ってその命を狙う殺し屋は宙を舞う塵埃となんら差異は無いのだろう。

 ああ。

(助かる)

 能力、発動。

 《月に唄えばピエロは踊る》

 爆発。

 月ピを乗せたハンググライダーは中空で煙幕を撒き散らし爆散した。


 振り返った黒龍は無感情のままにそれを視界に収め、特に何を思うこともなく。

 《龍眼・絶黒》

 一睨みにて、その煙を『殺した』。

 空気を侵蝕していた色煙は消滅し、空気を元の姿へと強制的に戻す。


 そこには人の姿は無かった。龍眼によって殺害した手応えも無かった。


 黒龍は知らない。振り返る直前に殺し屋がハンググライダーから飛び立ったことを。
 ハンググライダーの翼に搭載していた煙幕弾を炸裂させたことを。

 月ピの魔人能力『月に唄えばピエロは踊る』。これは唄うことを条件に自らの分身体であるピエロを任意に召喚することができる。
 これをどのような状態で呼び出すことができるかはその時の本体である月ピ自身の状態にある程度依存する。

 これを中空で使えばどうなるか。

 呼び出したピエロを炸裂の反動で吹き飛ばしそれを捕まえることで自身も加速。
 さらに能力の解除と再発動を繰り返すことで月ピの体を蹴り上げ・引き揚げ・振り回す。

 鍛え上げたボディバランスによって成されたそれは爆風を動力とする射出に等しい。

 無論、黒龍がそれに全く気付かないというのは希望的観測であろうが。

「フラフラ飛び回る人間と派手な爆煙。どちらも些事に等しいのなら、気を惹かれるのはどちらか」

 龍眼の能力はあまりにも強力だが、もし本当に視界と破壊がイコールならば目を開けているだけでとっくに世界が終わっているはずだ。

 何せ聞いたところでは概念すらも――時間や空間さえも殺しうるという。「視界に映るものを全て殺す能力」を龍のスケールで有していたなら視界の先、数キロメートルは常に崩壊し続けていなかればおかしい。

 そうでない以上ある程度は黒龍の任意にコントロールしていると推測できる。

 それに賭けた。
 その結果が結実する。

 接近。月ピは黒龍の背に着地。

 反撃はさせない。

 間髪置かず、峰を渡る山羊のように龍鱗の峰を駆ける。


 あらゆるモノを見ただけで殺害する圧倒的能力。

 単純な巨体、肉体による破壊力。


(だが密着してしまえばその脅威も半減だろう?)

 無論無制限ではない。黒龍が身をよじれば単純な質量の差で容易に振り落とされる。
 故に迅速。黒龍の体表を走りながら持ってきた“それ”を設置し回る。

 予兆。跳躍。

 黒龍が身を震わせる前に飛び立ち宙に身を投げる。

 風を切る音がする。
 風が身を叩く感触がする。

 ――龍が視線を向けるのが見える。


 例え人間一匹どうでもいいとはいえ、体をうろちょろされいい加減不快に思ったのか。

 龍眼、発動。

 黒龍は空中で何もできぬ哀れな人間を一人、塵へと変えた。


「――《Ma chandelle est morte(私の灯は消えてしまった) 》」


 それがわざと黒龍の見やすいところへと放られた分身のピエロであると気付かないままに。

「《Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu.(頼む友よ、扉を開けてくれ) 》。――爆ぜろ」

 そうして黒龍の視界の反対側でそれを見届けた月ピは。


 黒龍の鱗にペタペタと丁寧に貼り詰めたプラスチック爆弾を起動させた。



 炸裂、爆炎、轟音。



 黒を赤が舐め回す。それを見届けながら再度召喚したピエロで衝撃を殺しつつ近場のビルへ窓から飛び込む。
 何らかの会社のオフィスビルだったであろうそこは当然のように誰もおらず、資料を蹴飛ばしながら着地。

 一連の攻防で多少の打撲と疲労感こそあるものの戦闘継続に支障は無いことを確認しながら、物陰から窓の外を見遣る。

「……」

 果たして。

 煙と炎の晴れた先。黒龍は特段変わることなくそこに居た。

「ノーダメージか」

 呟き、机を遮蔽にしながら即座に踵を返す。

 前へ、一秒へも速く反対側から飛び出せ。

 さもなければ。


 黒龍の視線が。死が。

 迫り。

 ――来た。


 崩壊。


 扉を蹴破り、廊下を駆け抜ける月ピの背後を龍眼によって殺されたビルの崩落が迫る。
 飛礫を投擲しカチ割った窓から身を投げると、まるで発破を受けたように崩れるビルの様子が見えた。そして遮蔽物が無くなった先に黒龍の姿も。

 鏡助からはあの黒龍は意思を持たず感情も理解しないままただ死を与える存在だと聞いていた。

「だが単なる馬鹿というわけではない。プラスチック爆弾を受けながらも私が逃げた方向をある程度把握していた」

 今見えた一瞬だけでも、月ピが逃げ込めうるビルを複数崩落させている。
 先ほどよりも高度を下げ位置を調整することでビルを盾にして射撃を警戒している。
 月ピへの追撃が行えるポジションであり、月からの反撃に備えたポジションでもある。

 “自分が攻撃を受けている”ということを理解し、それに対応する動き。

「ああ、流石だ」

 落下しながら殺し屋は称賛した。

 予想以上だ。

「流石はロック。私の誘導に対して完璧なトラップの配置」

 その称賛に応えるように。

 黒龍が盾にするべく身を隠したビルから、次々と射出される何か。


 それぞれ数十を超える、大量の粘着弾と牽引ワイヤー。

「……待ってたぜ月ピ。さぁドラゴン、棺極ロック謹製のトリモチランチャーとアンカーランチャーだ。全部持って行け!」

 月ピから離れた地点にて、状況を観測していたトラップの下手人である棺極ロックこと鍵掛錠はそう叫んだ。




 ~―~―~―~―~―




 ――最初からその算段だった。


『今回の主役はロック、お前だ』

 鍵掛錠の魔人能力《TrapTripTrick》。それは無尽のトラップを生成する究極のカウンター。

『プラスチック爆弾、対戦車砲、対物ライフル。……おそらく私が用意できる火力では事足りないだろう』

 そう言って月ピは何枚もの地図と移動経路、設置予定地を並べていく。

『私が誘い込む。対空火力はどこまで準備できる? それに合わせるつもりだが』

 淡々と事実の確認のように述べる言葉に鍵掛は我慢ならぬと赤ペンで大きく一文字を描いた。

『舐めるなよ月ピ。トラップは俺の領分だ。こんな甘い配置じゃ許さない』

『ほう、ならばどうする』

『初手最大火力全ブッパだ。それに特化したピンポイントメタ。その代わり誘導も最強に凶悪なルートだけど、そっちこそ行けるか?』

 挑発するようなトラッパーの視線に、殺し屋は。

『“そっちこそ”? それって、私を蔑視しているのか?』

 不敵にそう答えた。



(ビビって躊躇ったら逆に即死するようなデスステージ。それを突破したのならクリエイターとしても誉れ。オーディエンスの期待には応えないとな)

 範囲内に入った対象に向けて自動的に発動するように設定されたランチャートラップ。
 強い接着力を持つトリモチが次々と黒龍の体表へと取り付き、牽引ワイヤーが接続されたアンカーが黒龍の鱗へと絡み付く。

 プラスチック爆弾程度ならダメージを受けないほどの防御力であっても、トリモチとアンカーは単純に動きを阻害する効果を発揮する。

 鬱陶しそうに、黒龍はトラップが放たれるビルへと視線を向けた。

 龍眼。

 トラップは、ビルごと崩壊する。特にアンカーランチャーのトラップは根本ごと消滅する。

 だが、今度は別方向のビルから全く同じトラップが起動し黒龍の体にトリモチとアンカーが取り付く。
 根本から繋がっているアンカーはともかく、放たれ接着するトリモチは如何な龍眼と言えども消す手段が無く振り払おうにも振り払えるものではない。

 ならばと、黒龍は新たにトラップが作動したビルを含めまだ何も起きていないビルも破壊しながら高度を上げた。
 トリモチによって翼の動きが多少阻害されるものの、アンカーワイヤーさえ無ければ逃げ道はある。

 そうして大きく翼を羽ばたかせて高度を上げたところで。


 鉄槌のように、無人のヘリコプターが黒龍の首元へと墜落してきた。


「今回は予算大盤振る舞いでね。能力に依らない物理的な仕掛けも用意したよ」

 鍵掛はトラップを破壊する手段を持つ敵に対してどのようにトラップを設置するのが効果的かということくらい当然のように把握している。
 動きを抑えられようとしている状態で、それから逃れるために無理に動いた場合どのようなルートを辿るかということも予測している。

 意識の外からの単純な質量攻撃。それは黒龍にダメージを与えるほどではなくても、前につんのめるような――そんな不安定な軌道を取らせるには十分で。

 そしてその軌道の先にはまだ無事なビルが。
 大量のトラップが事前に仕掛けられたビルが待ち構えている。

 翼の動きを阻害する大量のトリモチ。黒龍を地面へと引き摺り下ろそうとする大量のアンカー。

 事此処に至って漸く、黒龍は大地へと着地した。それは黒龍が東京に姿を現してから初めての出来事であった。


 そして黒龍が飛び立つことはもう無かった。



「今までいろんなトラップを作ったり使ったりしてきたわけだけど……これを使うのは流石に初めてだ」

 鍵掛錠の魔人能力はトラップを生成する能力。
 同時に具現化できるのは三種類までという制限こそあるが――逆に言えば、能力自体にはそれしか制限が無い。
 だが魔人能力とは能力者本人の認識によって決定するものであり、能力自体に制限が無くても認識の都合で事実上の制限となる要素がある。

 ――鍵掛は、ワナとは原則的に弱者が強者に対して使う物であると認識している。

 それは強者がワナを使わないという意味ではない。ワナという物自体に対してそのような認識を持っているというだけだ。
 だからだろうか。鍵掛は「明らかに過剰なワナを仕掛けることができない」という心理的な制限を持っている。

 例えば、特殊部隊に対して明らかに殺傷性の高いトラップを仕掛けるのは全く問題が無い。
 戦車を相手にするのにミサイルランチャーのトラップを仕掛けるのもアリだろう。

 だがコバエを殺すために地雷を使うような、そんな使い方はできない。虫を殺すなら殺虫用のワナがせいぜいだ。

 それ故に鍵掛の魔人能力のストックには「理論上は使えるが使える相手が居ないため事実上使えないワナ」が存在する。

「まさか、本物のドラゴン相手に俺のワナを試せるなんてな」

 そして、この現実離れした超常の怪物を相手に過剰なんてものは存在しない。


 そのワナは、地面に置かれた巨大スイッチの上に、重量1トン超の圧力がかかることによって起動する。

 そのスイッチは、黒龍がようやく降り立った地点に設置されている。

 黒龍の質量はどう控えめに見ても1トンを超えている。


 トラップの性質は単純だ。『スイッチを踏んだら、上から物が落ちて来る』。

 この場合“上”とは宇宙を指し、“物”とは金属棒を意味する。


 それはただの都市伝説上の存在。
 現実的には実用性皆無と断じられ、しかし鍵掛の認識によって実用的なまま具現化したトリモチ、アンカーに続く三種類目のワナ。

 人工衛星から大質量の金属棒を地上へと射出する単純質量兵器。



 ――『神の杖』という。



 地表へ降り立った黒龍に宇宙より10メートルほどのサイズの金属棒が振り下ろされる。

 その一撃は地上から見れば斜めに、袈裟切りのような軌道を描く。

 真芯に捉えて直撃――とまでは行かずとも、半分程度命中したと言えるだろうか。

 黒龍を強かに打ち付け、金属棒はその勢いのまま地中へと深く突き刺さる。

 プラスチック爆弾を物ともしなかった黒龍も流石にこれには堪えたのか苦悶の叫びを上げる。


「……ルージュナ」

 鍵掛は見た。

 神の杖に打ち付けられた黒龍がしかし、再び起き上がる姿を。

 そしてその体にさらに放たれた金属棒が次々と突き刺さるのを。


 神の杖、八連コンボ。


 超常の怪物という圧倒的存在感が、鍵掛に本来は使用できない神の杖を八つ設置させるほどの認識を与えた。

 その圧倒的単純質量による暴力に黒龍の体は一瞬で地中へと埋まって行った。


 ――地上へ降りること嫌い、空を飛び続けた黒龍が大地へと沈む。


「ルージュナ……」

 鍵掛はプラスチック爆弾さえノーダメージに受けた黒龍の体が金属棒に貫かれるのを確かに見た。
 それらはまるで磔刑の杭のように黒龍の体を大地へと縫い付けたことだろう。
 あの威力なら優に地下100メートルは沈んだはずだ。

「なあ、待てよ」

 だから。もう死んだはずだ。

 致命的だったはずだ。

 そうでなければ。

「いや、待て……待ってくれよ」

 そうでなければどうすればいい?

 この地中から響く、まるで這い出てくるような震えをどうすればいいのか。

「――やめてくれ!」

 叫びは最早懇願に等しく。

 そしてそれを嘲笑うかのように、神の杖の弾痕――地表に穿たれた大穴から黒龍が姿を現した。


 ……それはいっそ、ギャグのようだったかもしれない。

 空想上のドラゴンのような分かりやすい姿だったはずが、今は大穴からロープのように体が伸びている。


 ――蛇だ。

 様々な神話において龍は蛇とも同一視される。


 世界を囲むウロボロス。

 天を覆うヴリトラ。

 大陸の如きヨルムンガンド。


 ならば。優に数百メートルは伸びる胴体を大地に這わせるその姿もまた、黒龍として不自然ではないのか。


 魔人能力は認識によって決定される。

 認識によって現実を歪める者が魔人と呼ばれる。


 ならば。現実を侵すこの存在もまた“魔”であるというのなら。


 『同一視されるのであればどちらの姿も取れて当然だろう』と言わんばかりに。
 『空を飛ぶのなら龍に、地を這うのなら蛇に。姿を変えて当然だろう』と言わんばかりに。


 黒龍は人間を見下ろしている。


「も、もう……無いんだよ! もう無ぇよ、神の杖を越えるワナなんて! 死ねよ! 今ので死んでくれよォ!?」


 鍵掛は慟哭するしかない。視界の先で黒龍を見上げることしかできない。

 そうして。

 世界蛇へと姿を変えた黒龍は、ゆっくりと視線を下ろす。

 鍵掛と黒龍の視線が交わる。

 姿を変えたとて、能力が無くなったわけではない。

「―――あああああああああああああああああああああああ!!」


 《龍眼・絶黒》





 ~―~―~―~―~―





 ――都内某所、玩具会社『ガングニル』保有の巨大倉庫『レーギャルン』10号棟前。

 いつものバイト先、その警備室で鍵掛錠は個人用端末と向き合い難しい表情をしていた。
 無論“本業”は怠っていない。例え脇見運転でも彼がワナを怠ることも誤ることも有り得ない。

「山乃端さんの護衛、か。しかも並行世界絡み」

 先日社長から聞いた話はあまりにも荒唐無稽であった。

 山乃端一人が狙われている。
 山乃端一人が殺されるとハルマゲドンが発生する。
 それらは並行世界で既に観測されている。

「……どこから手を付けるかなぁ」

 息を吐く。鍵掛はひとまずこれらの話を全て本当という前提で動いている。

 本来なら護衛として山乃端を見守るべきかもしれない。しかし鍵掛も山乃端も一介の高校生。警察でもあるまいし、常に護衛するなんてことは難しい。
 ましてや根拠が並行世界で観測されたからという与太話なのだ。警察に駆け込んでも呆れて追い返されるだけだろう。

 とはいえ鍵掛も全く何もしていないわけではない。山乃端の日常の範囲では本人に気取らないようさりげなくワナで守っている。

「それでどれほど効果があるかは分からないけれども」

 カタカタとキーボードを打鍵し情報をまとめる。ここ最近に起こった事件を調べ山乃端に害が及びそうな事柄を確認している。

 どれも怪しそうに見える。
 どれも無関係なようにも見える。

「俺自身はそんなコネも無いからなぁ。いっそ社長に直接調査してもらうか?」

 最近は配信も間を空けてしまっている。山乃端も逐一配信を確認しているというほどではないだろうが、それでもあまりに頻度が少ないと不思議がられるかもしれない。

「今日は社長居ないって言ってたっけ。なんとか情報交換できるようにして……それまでロックの方はひとまずショート動画でもアップしてお茶を濁すか」

「棺極ロックだな」

 突然かけられた声に、鍵掛は思わず飛び上がった。
 誰も居るはずがない。来訪者の予定も無い。

「だ、だっ」

「落ち着け。危害を加えるつもりなら既に実行している。信じられないかもしれないが、私は敵ではない」

「……ワナは!? ここに来るまでにいくつもっ……」

「トラップか。悪くはなかったが、私にとってはあのくらいならアトラクションのようなものだ」

 その言葉に多少はプライドが傷付けられ、鍵掛は勢いよく振り返った。
 そこにはサングラスをかけた30歳くらいに見える男性が立っていた。服装は作業着のような物だった。

 作業着にはいくつも切り痕が付いていた(トラップの痕跡だ)。
 あと全体的に濡れていた(トラップの痕跡だ)。
 男性の顔も煤けていた(トラップの痕跡だ)。
 髪もちょっと焦げてる(トラップの痕跡だ)。

「いやめっちゃワナかかってるじゃん! さっきの発言するならせめて無傷で居ろよそこは!」

「ああ、流石だ。流石はロック」

「この流れで褒めるの微妙にダサくない……?」

 とはいえ。致死性のワナも突破して五体満足でここまで辿り着いたのはどうやら本当のことで。

「そもそもなんで俺のことを」

「山乃端一人」

 突然出された名前に思わず目を見開く。「知っているな?」と男は続け。

「私は月ピ。彼女を守りたい、力を貸してくれ」



「つまり、月ピも山乃端さんの護衛を?」

「結果的には、そうだ。鏡助という魔人から接触は? ……そうか」

 鍵掛が首を横に振って答えると男は何か考え始めたようだった。そして口を開く。

「“絶黒龍”ルージュナ、という化け物が近々日本に出現するらしい」

「こくりゅう……龍?」

「ああ、ドラゴンだ。そいつは手当たり次第に人間を殺す。何もしなければ最終的に山乃端一人も殺すらしい」

「はぁ……はぁ!?」

「だから先んじてルージュナを殺す。そのためにロックの力が必要だ」

「いや……その、待ってくれ。追い付かない」

 その後落ち着いて考え、一旦全部本当であると受け入れて話を続ける。

「……山乃端さんを逃がした方が良くないか? 国外とか」

「それで済むならそうしたいところだが、曰く『これでも現状が一番マシ』らしい。下手に動かす方が余程危ないとか」

「いきなり復活したドラゴンに狙われるより危険なことってあるか……?」

「全くだ」

 こちらの怪訝な顔に肩をすくめて同意されたらどうしようもない。

 そもそも。

「なんで俺なんだ。要するに、他にも山乃端さんを守ろうとする勢力があって、それぞれが戦ってるんだろう?」

「鏡助はそう言っていた」

「そのルージュナってやつも、まぁ最終的にはどうにかする必要があるってのは分かる。……なんで俺を誘いに来た? プロの殺し屋なんだろ? もっと頼る先はあるんじゃないか?」

「理由は三つある。ロック、お前の知る山乃端一人は希望崎学園に通うお前のクラスメイトだな?」

 突然の質問にやや面喰いながらも、「そうだけど」と答える。月ピは頷き。

「一つ。私とお前とでは『山乃端一人の重なりが近い』」

「……なんて?」

 よく分からないことを言われた。山乃端一人の何がどうだって? と聞き返そうとして。

「そして二つ。私はお前と多少なりとも面識がある」

「なん……え、無いけど」

「メンシのバッジ配信、採用ありがとうございました」

「いえいえこちらこそ助かりまし……リスナー!? え、もしかして鉄鋼パジェロさん!?」

「メイカーの配信ステージ、あれバグ利用だったからアプデで使えなくなりましたね。直さないんですか」

「いやまぁ確かに手直ししたいなぁとは思ってるんだけどそろそろコラボ配信とかやりたくて……いやそうじゃなくて!」

「編集でアーカイブからカットされていたが、山乃端一人のことをポロっとこぼしていたな。配信者として脇が甘いぞ」

「うぐっ……」

 思わず閉口してしまった鍵掛に「そして三つ目だが」と続けた。

「お前なら、黒龍を倒す切り札になると信じているからだ」






 ~―~―~―~―~―





「――あああ!」

 ゴーグル――映像端末を外し、鍵掛は荒い息を吐く。

「どうやら結果は芳しくなかったようだな」

 声を掛けられ、鍵掛は答えた。

「月ピ」

 ぶんぶんと頭を振って思考を戻す。ここは黒龍からは離れた地点。トラップの作動を確認するため映像通信が可能なドローンを操作し状況の観測を行っていた。

「……神の杖は全て打ち込んだ。一度はルージュナを地中に沈めたが」

 先ほどの光景を思い出す。大穴から這い出る世界蛇。こちらの最強火力を受けてなお健在の姿。

 その全てを漏れなく伝え、一息を吐き。

「……無理だ」

 鍵掛は最後にそう締めた。

「無理だ……無理だろ!? 神の杖だぞ!? あれを受けて生きてるなら……仮に核爆弾でも殺せるはずがない!」

「ロックがそう言うのならそうなんだろうな」

 存外に冷静に月ピはそう返した。そんな言葉についカッとなってしまって。

「何がそうなんだろうだ! あんたが……あんたがやれって言ったんだろ! 俺を無責任に担ぎ上げて!」

 ――違う。月ピはしっかり責任を果たした。危険な仕事をやり遂げた。

「ダメだった、あんたの見込み違いだった! あんたのせいだ!」

 ――違う。これはただの八つ当たりだ。彼のせいのはずがない。

「……あんたがあの龍を殺せよ!」

 そんなことを言いたいわけじゃないのに。そう叫んでしまって。
 気まずさに思わず顔を背ける。

 見られたくない。
 視線を向けられたくない。

「――それが依頼なら引き受けよう」

 ふと。鍵掛に聞こえてきたのはそんな言葉で。その意味を咀嚼し理解するまで少し時間がかかった。

「……なんて?」

「私は殺し屋だ。お前がルージュナの殺害を依頼するというのなら引き受けよう」

「何を言って……今殺せないって話だったじゃないか」

「それとこれとは別だ。依頼を受けたなら必ず殺す。それが私の信念、神であろうと曲げることは許さん」

 唖然とする鍵掛に視線を向けないまま、月ピは立ち去ろうとする。その背中に声をかけずには居られなかった。

「もっと……あるだろ! 僕に! 俺が……僕がやれなかったのに責任転嫁しやがって、とか!」

「ロックは私のオーダーを完璧にこなしただろう? 黒龍の誘導と抵抗を見据えたトラップ設置、見事な腕前だった」

 振り返る。視線が交わる。

「トラッパーとして、称賛に値する」

 その眼はサングラスで見えなかった。だがそこに嘲笑や憐憫の感情は無かったはずだ。

「……月ピはどうしてあの龍と戦う?」

「山乃端一人は私の獲物だ。彼女には天寿を全うして貰わなければならない」

 何故なら。

「先ほども言った通り、私の信念だ。黒龍を殺すのは……ついでだ、結果的にな」

「……」

 鍵掛は目を閉じる。山乃端一人を思う。

 彼女との日常は大切だ。社長にも護衛を依頼された。故に山乃端一人を守りたい。



 そしてそれ以降に。トラッパーとして、こちらの最大のワナを虚仮にされたままでいいハズがない。



「……殺しの依頼じゃない」

 トラッパーは立ち上がる。殺し屋の目をしっかりと見据える。

「共闘の依頼だ。僕は……」

 ――それは正義なんかじゃなく。

「……俺は棺極ロックの信念でルージュナを殺す。月ピ、協力してくれ」

「それは丁度良かった。私も、ロックに頼みたいワナがあったんだ」

 仕掛け人、二人。不敵に笑った。







 ~―~―~―~―~―







「――あああ!」

 ゴーグル――映像端末を外し、鍵掛は荒い息を吐く。

「どうやら結果は芳しくなかったようだな」

 声を掛けられ、鍵掛は答えた。

「月ピ」

 ぶんぶんと頭を振って思考を戻す。ここは黒龍からは離れた地点。トラップの作動を確認するため映像通信が可能なドローンを操作し状況の観測を行っていた。

「……神の杖は全て打ち込んだ。一度はルージュナを地中に沈めたが」

 先ほどの光景を思い出す。大穴から這い出る世界蛇。こちらの最強火力を受けてなお健在の姿。

 その全てを漏れなく伝え、一息を吐き。

「……無理だ」

 鍵掛は最後にそう締めた。

「無理だ……無理だろ!? 神の杖だぞ!? あれを受けて生きてるなら……仮に核爆弾でも殺せるはずがない!」

「ロックがそう言うのならそうなんだろうな」

 存外に冷静に月ピはそう返した。そんな言葉についカッとなってしまって。

「何がそうなんだろうだ! あんたが……あんたがやれって言ったんだろ! 俺を無責任に担ぎ上げて!」

 ――違う。月ピはしっかり責任を果たした。危険な仕事をやり遂げた。

「ダメだった、あんたの見込み違いだった! あんたのせいだ!」

 ――違う。これはただの八つ当たりだ。彼のせいのはずがない。

「……あんたがあの龍を殺せよ!」

 そんなことを言いたいわけじゃないのに。そう叫んでしまって。
 気まずさに思わず顔を背ける。

 見られたくない。
 視線を向けられたくない。

「――それが依頼なら引き受けよう」

 ふと。鍵掛に聞こえてきたのはそんな言葉で。その意味を咀嚼し理解するまで少し時間がかかった。

「……なんて?」

「私は殺し屋だ。お前がルージュナの殺害を依頼するというのなら引き受けよう」

「何を言って……今殺せないって話だったじゃないか」

「それとこれとは別だ。依頼を受けたなら必ず殺す。それが私の信念、神であろうと曲げることは許さん」

 唖然とする鍵掛に視線を向けないまま、月ピは立ち去ろうとする。その背中に声をかけずには居られなかった。

「もっと……あるだろ! 僕に! 俺が……僕がやれなかったのに責任転嫁しやがって、とか!」

「ロックは私のオーダーを完璧にこなしただろう? 黒龍の誘導と抵抗を見据えたトラップ設置、見事な腕前だった」

 振り返る。視線が交わる。

「トラッパーとして、称賛に値する」

 その眼はサングラスで見えなかった。だがそこに嘲笑や憐憫の感情は無かったはずだ。

「……月ピはどうしてあの龍と戦う?」

「山乃端一人は私の獲物だ。彼女には天寿を全うして貰わなければならない」

 何故なら。

「先ほども言った通り、私の信念だ。黒龍を殺すのは……ついでだ、結果的にな」

「……」

 鍵掛は目を閉じる。山乃端一人を思う。

 彼女との日常は大切だ。社長にも護衛を依頼された。故に山乃端一人を守りたい。



 そしてそれ以降に。トラッパーとして、こちらの最大のワナを虚仮にされたままでいいハズがない。



「……殺しの依頼じゃない」

 トラッパーは立ち上がる。殺し屋の目をしっかりと見据える。

「共闘の依頼だ。僕は……」

 ――それは正義なんかじゃなく。

「……俺は棺極ロックの信念でルージュナを殺す。月ピ、協力してくれ」

「それは丁度良かった。私も、ロックに頼みたいワナがあったんだ」

 仕掛け人、二人。不敵に笑った。







 ~―~―~―~―~―







 世界蛇と化した黒龍は空を飛ぶのではなく地を這うことを移動とする。

 それは単純に超巨大質量が地上を動くということであり、破壊の規模は段違いに大きくなっていた。


 ……そもそもこれは移動と呼べるのだろうか。


 根本的に黒龍自体は『動いていない』。神の杖が撃ち込まれた大穴から、黒龍の胴体が延々と伸びているのである。

 問題はゴムのように伸びた分だけ幅が縮む――ということはなく、幅はそのまま長さのみが伸びているということ。

 質量が際限なく継ぎ足されているということ。

 それは最早“移動”というよりも“増殖”というのが適切か。


 そうして無限に続く増殖の途中。
 黒龍は自らの体を打ち据えるそれを感じ取った。


「物は考えようだ、ロック」

 打ち終わった物を投げ捨てながら、次を構える。

「見ろ。先ほどまでに比べれば遥かに当て易い」

 個人携行ロケットランチャー。
 月ピは持ち込んでいたロケット弾を黒龍の胴体に次々と撃ち込む。言葉の通り、地上を這い伸び続ける胴体には外す方が難しいと言わんばかりに命中する。

 命中するだけだ。ダメージは見られない。

 だが黒龍の動きに反応が見えた瞬間、月ピはその場を放棄しエンジンを掛けていた車に乗り込み発進させた。
 数秒と待たず、月ピがロケットランチャーを撃っていた近辺が崩落をし始める。

 龍眼だ。

 黒龍にとってはロケット弾など蚊に刺されたような物だが、先ほどの神の杖を受けた記憶がある。
 僅かでも脅威足り得るのならあの人間たちを優先する理由になった。

 そして黒龍は本能的に、今の月ピの行動がこちらを誘うワナであることを感じていた。
 意思は無く、感情も無く、ただ殺戮の機能のみを有する破壊存在。――それでも『問題無い』と判断する。

 確かに今の世界蛇の形態では龍の形態よりも神の杖を受ける可能性は高い。
 だが――むしろ、今の状態ならば先ほどの十倍以上の攻撃を受けてもなお耐えきる自信があった。

 人間は好機と思うだろうか。致命の一撃を狙えると。
 だがその実、在りもしない希望を縋って自らを危険に晒さなければならない。

 龍は往く、蛇は往く。死よ、死よと全てを絶つ為に。

 いくつもの建物を薙ぎ倒し、舗装された道を抉り、追って追って。


 光に包まれた。


『奴の能力が見ることを起点にしているのなら、少なくとも光を受ける機能が存在しているはずだ』

『俺たち人間がこうやって見ている光景も……究極的には光の反射だからか?』

『ああ。無論、それが奴の龍眼の能力と必ずしも連動しているとは限らない。極論、視力として見えなくても“目で見ている”という条件さえクリアすれば発動できるのかもしれない』

『……それはどうしようもないのでは?』

『よく考えてみろ。逆に言えば“何を見ているか分からないまま龍眼を発動させる機会になる”ということだ』

『だからこの……閃光弾?』

『ああ。人が直視したら失明確定の強烈な奴だ』



 無論、二人もこの光で黒龍を失明させられるとは思っていない。

 ただもし黒龍の目を光で眩ませることができたなら。そこに何があるのか分からないまま龍眼の発動を誘発させることができたなら。


 ギリシア神話において。見たものを石に変える眼を持つ怪物メデューサは鏡のように磨き上げられた盾に映る自らの姿を見て、自身を石にしてしまったという。


『奴を殺すなら――自滅させるしかない』


 その地面には数十メートルに渡って、鍵掛によって仕掛けられた鏡のトラップが発動していた。

 鏡面にはハッキリと黒龍の姿が映し出されている。


 《龍眼・絶黒》


 その眼で見たものに死を与える能力。

 それに一切の例外は無い。生物・非生物・概念を問わず絶対なる死を出力する。

 そして、その通りになった。



 黒龍の姿を映し出す鏡。



 それが粉々になった。



 ――もしも黒龍に感情があるのなら笑っていたことだろう。

 「哀れなり」という嘲笑を。


 古より存在する邪龍ルージュナに対し、“それ”が試されたことが無かったと思ったのかと。

 鏡面が何を映し出していたとしても、龍眼が死を与えるのは「鏡そのもの」に対してだ。そうでなければ水面に映る自身を殺す間抜けであろう。


 鍵掛は、月ピは。黒龍に向けた鏡が砕かれるのを見た。

 地面に設置された鏡が崩れるのを見た。

 黒龍が、地面に視線を向けているのを見た。


「「――ヨシ」」


 地面に設置されたアンカーランチャーからいくつものアンカーが射出され、黒龍の鱗へと絡み付く。


 ――鍵掛の魔人能力で具現化できるワナは最大で三種類。それ以上を出すと古い順に消滅する。

 四つ目の鏡トラップを設置したため一つ目に具現化させたトリモチランチャーは消滅した。だが、二つ目のアンカーランチャーはまだ残っている。


 視界を奪われたままアンカーに絡まれた黒龍は反射的に身を捩る。飛行形態ならともかく今の状態ならアンカー程度、物の数ではない。

 だが、その動きは。
 地面に設置されていた、1トン超を検出するスイッチを作動させた。


 トラップの性質は単純だ。『スイッチを踏んだら、上から物が落ちて来る』。


 神の杖、起動。


 空より放たれた十を超える鉄槌が世界蛇の頭部を強かに打ち付ける。

 その質量兵器によって黒龍の体は再び地中へと埋め込まれる。


 だがそれでも致命傷ではない。飽くまで深く沈められただけ。

 黒龍は脱出のため龍眼を発動し、自らを阻害するこの大地を打ち砕くべく―――


「体がデカいと大変そうだな。人間でも足の指とかついついぶつけたりするし。――それだけデカけりゃ尻尾がどこにあるかも覚えてないだろ」

「神話になぞらえるなら、そうだな。こう言おうか」


「己の尾を喰らえ、ウロボロス」


 《龍眼・絶黒》


 その眼で見たものに死を与える能力。

 それに一切の例外は無い。生物・非生物・概念を問わず絶対なる死を出力する。


 例えそれが、最初に神の杖を受けて地中に埋め込まれていた自らの尾であっても。



 そして、その通りになった。



 苦悶。悶絶。絶叫。

 絶黒龍ルージュナ、全てに死を与える災厄。

 たった今、自らによって死を与えられた存在。


 その死に一切の例外は無い。例え体を切り離そうと、『絶黒龍ルージュナ』に与えられた死は『絶黒龍ルージュナ』へと齎される。

 最早自らの体を顧みることなく地中をのたうち回り闇雲に暴れ回るのみ。


 せめて。せめて。せめて――人間を。地上に居るはずの人間を殺せ――。

 意思は無く、感情も無く、ただ殺戮の機能のみを有する破壊存在。

 こうしているのは果たして本能に依るものだろうか。


 果たして。黒龍は暴走の末、暗い地中の世界から地表へと飛び出した。

 ――まず目に入ったのは燦々とした太陽の輝き。その光は暗闇との差異で黒龍の眼を僅かに眩ませ。

 その眼に“槍”が突き刺さった。


 それはこの地に於いて最大の規模を有し、この地の象徴を意味する。

 全長634メートル。


 ――その槍の名を、東京スカイツリーと言う。



「……まぁ、あれだけ地中で暴れ回れば、そりゃスカイツリーも倒れるわな」

 折れたスカイツリーに串刺しにされた黒龍の死体を見ながら、疲れたように鍵掛は呟いた。

「さてさて、あれも因果応報と言えるのかもな」

「龍眼が散々殺した奴が最後に目を潰されて死ぬってのは、寓話っぽいといえばそうだけどさ」

 言いながら、鍵掛は隣に立つ月ピに向けて拳を突き出す。月ピは少し驚いたような表情をしてから、コツンと自らの拳を合わせた。

「おつロック」

「いや配信終了じゃねぇんだわ」
最終更新:2022年02月26日 23:01