『今までごめん。アタシは、アンタのことを知りたい。だから、アンタの話を聞かせてほしい』

『少し長くなるけど、いいかい』
『嘘はつかないでね』
『コトミに嘘はつかないよ』

『――僕はね、テレフォンセックスで生まれた、ワーテレフォンなんだ』

 その裏切りには裏があった。
 信じさせないためにこそ真実を語った。
 そんな理由がなかったとしてもコトミに嘘はつかないけどね。

『どうしたの、コトミ』
『なんで。殺したの』

『ちょっと、誤解があるようだね、コトミ』

『なんなの、アンタ。何を考えているの』
『だから、言っているだろう』

『大好きなコトミの幸せだよ』

『じゃあ、ソウスケ』
『なんだい』
『アンタの心臓を、ちょうだい』

『いいよ』

『じゃあね、ソウスケ』
『うん。幸せに、コトミ』

 その決別は僕が決めた。
 コトミの意見は求めずに、僕自身の感情も無視して。
 そうするだけの価値はあった。
 コトミが人生をやり直すために、それは必要なことだった。

 でも、何もかもが思い通りというわけにはいかないね。

 もちろんそうなる可能性はあったけれど、コトミの命は望ましくない終わりを迎えた。

 僕はコトミの人生を取り戻す。そのためならかつての約束を反故にしてどんな悪事も行うよ。

 さて、そろそろ始めるとしよう。

 これは無敵にはなれなかった僕たちの、二人で居続けることさえできなかった僕の、炎の跡に残った灰の物語だ。


「万魔、鬼子母神に行ってみない?」

 一人の言葉はあまりに唐突で、俺は自分の口が勝手にぽかんと開くのを妙に客観的に感じていた。

「聞いたことあるな。あれだ、入谷にあるやつだろ?」
「雑司が谷の方ね。そっちの方が近いから。ちょっとお祈りしようと思って」
「いいけど、なんで鬼子母神?」

 まだ年は明けていない。
 冬休みに入ってから一人には俺の新しい住処に泊まってもらっている。
 今のところ俺たちの身の回りに親父が言っていたような変事は起きていない。
 しかし一人が狙われているということは確実なのだし、なんらかの用心はするべきだと話し合った。
 そこで施設として多少の備えがあり場所自体もほとんどの人間に知られていないここが安全だろうと利用しているわけだ。

 一人は俺も巻き込みたくないと言ったが既に俺にとっても他人事ではない。
 俺自身と親父が以前は一人を狙う立場だったわけで、今でも一人を狙う側からすれば裏切り者という立ち位置になる。
 厳密にいえば親父と関係があった勢力とは別の連中もいるらしいのだが、基本的に一人の敵は俺の敵でもあるのだ。
 その辺りの事情を知らない上に魔人でもない他の人間が一緒に襲われるのを避けるためにも今は二人だけで行動している。
 特に一人の家族には諸々伏せて友人の家に泊まるとしか伝えていない。
 心配かけないようにというだけでなく、一人の能力の詳細について言いづらいという理由もあるらしい。
 もしかしたらいつかは話さなければならないのかもしれないが、そういう秘密は自分の意志で話すべきことなのだろう。

 そんな状況だから神頼みの一つでもしたいのだと言われれば、まあそうかとは思う。
 一応この家に立てこもれるよう準備はしているけれど、外出を禁止するほどに目に見える危機が迫っているわけでもない。
 楽観しすぎかもしれないが、ずっと家にこもりきりでいる方が精神衛生上よくない気がするのだ。

 でも、なんで鬼子母神?

「子供の健康を祈るのは鬼子母神でしょう? ほら、万魔の胃が悪いみたいだから」
「俺のことかよ」

 俺は胃が悪いのではなく食べること自体が好きじゃないのだ。
 思えば学校がある時も昼休み中に何度か似たような絡み方をされていた。
 もっと食べた方がいいよ、とか、本当にそれで足りるの、とか。
 そういえば確かにあの時、俺は胃が悪いんだと言い訳をしたかもしれない。

 これでも一応完全食を口にしているのだが。
 人間に欠かせない必須栄養素を含んでいるとかいうやつ。水に溶かすパウダータイプを通販で買って飲んでいる。
 飲み物は平気なのだ。水とか、牛乳とか、コーヒーとか、ジュースとか。
 ハチミツとかメープルシロップを入れる時もあるし。もう随分前だが春頃に見たツツジの花を吸うのも悪くなかった。

「万魔が飲んでるやつも三食摂らないと栄養足りないんだからね?」
「厚生労働省の『日本人の食事摂取基準』じゃナトリウムは基準値未満に抑えるように言われてるんだぜ」
「三食分で基準値の半分以下でしょう?」
「……よく知ってるなあ」

 一緒に暮らすようになってから追及は厳しくなっている。
 一人は三食きちんと色々な料理を作って食べているのだが、俺は完全食か適当な飲み物を飲むだけ。それも一日二回程度だ。

 胃が弱いというのが完全に嘘というわけではないのだが、順序としてはあまり食べないから胃が弱っているというのが正しいと恐らくばれている。

 だからまあ、お祈りというのも俺の体の健康だけでなく性根についても直したいとか、少しでも歩き回った方が何か食べたくなるんじゃないかとか、そういう思惑があるのだろう。

 心配させてしまっていることについては申し訳ない気持ちはある。
 食事に関して改善する約束はできないが断りづらい誘いだった。
 しかし。

「鬼子母神に行くのはいいけどさ、俺のこと子供だと思ってないか?」
「だって三歳じゃなかったの?」

 三歳だとは言ってない。それは一人の思い込みだ。
 俺は魔人能力を得た一人を捕まえるために作られた人造人間だという話はした。一人が魔人に覚醒したのが三年前だというのも事実だ。

「まだ二歳だよ。マジで」
「じゃあ出かける用意をしましょうか」

 心なしか一人の笑顔が妙に優しくなったようだった。


 その刑務所の最奥、魔人専用の巨大な地下牢に彼がいると知る者は多い。
 司法機関に属する者。警察機構に奉ずる者。国家の上層で権力を振るう者。裏社会に根差す者。あるいは、鏡に潜む異界の魔人。

 彼を真に理解する者は少ない。
 彼の思考。彼の技術。彼の願望。
 それそのものが目の前にあっても。

 彼を世話するという名目で傍らを離れず、その実は監視を続ける刑務官たち。
 その内の誰一人、その地下牢に張り巡らされた神経攪乱迷彩の存在を想像すらしていない。

 だから、そこを訪れた客人は、牢の外の誰にもその存在を気取られない。

「それでは条件を確認しましょう。目標(ターゲット)Aを捕獲する。これが最優先。目標(ターゲット)Bは保護する。これは第二位の優先。しかし命に別状なければ多少の怪我は構わない、と」
「無論、可能なのだろう」
「Of course!」

 長い金髪。細身の長身。男の顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。
 スキンヘッド。筋肉質の巨体。男の顔は厳めしく形作られている。

「とはいえ貴方と接触するまでは全く別のプランを立てていました。さすがに僕でも今から連れてくるというわけにはいきません」
「どれだけかかる? いつまでも待てるわけではないぞ」
「そうですね、午前中いっぱいで仕込みをします。午後には目標を連れてきますよ」
「ふむ、任せよう……緊急連絡用の信号発信機を持っていくかね? 娘にも持たせているのだが」
「いえ、お構いなく」

 金髪の男が立ち去る。
 分厚い鋼鉄の扉を開き、刑務官の前を悠々と歩く。

 誰も気に留める様子はない。
 彼の穏やかな微笑も。
 地下牢の主の哄笑も。

 のちに監視カメラの映像を確認した者は「異常なし」と記録した。


 雑司が谷の鬼子母神堂は想像より建物も敷地も大きかった。
 稲荷や地蔵や大黒天もすぐそばに祀られているのだが、その中で一番立派なお堂が作られているのが鬼子母神だ。
 拝殿の額には「神母子鬼」と書かれているのだが、鬼の字は一画目の短い線がない。
 角がないということらしい。

 鬼子母神というのは仏教の守護神だ。
 元々は訶梨帝母という名で、他人の幼児を攫って食べるという恐ろしい鬼女だった。
 それを止めたのがお釈迦様だ。
 止めたといっても桃太郎の鬼退治のように殺したわけではない。
 訶梨帝母には千人の子供がいた。その最愛の末子を隠してしまったのだ。
 悲しむ訶梨帝母に対してお釈迦様が告げた言葉がこうだ。

「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」

 それから訶梨帝母は己の過ちを悟り、お釈迦様に帰依し、子供を守る神となったという。

 と、そんなようなことを調べながら見て回るのはそこそこ楽しめたのだが。

 特に寺社仏閣好きというわけでもない女子高生二人がそれ程長い時間を潰せる場所でもない。
 せっかく外に出たのだしそのまま帰るのも勿体ない。
 ということで。

「この辺りに来るのは初めてだな」
「そうなんだ。私は何度かあるけど」

 雑居ビルの並ぶ通りを抜けてちょっとすっきりした場所に出た。
 地下へ向かうエスカレーター。壁には大きな液晶画面。
 ここがサンシャインシティの入り口、らしい。

 雑司が谷と池袋は近い。そもそも鬼子母神へ行く時だって池袋駅から歩いたのだ。
 せっかくだからちょっと寄って行こうかと考えるのはごく自然な成り行きだった。

 ここから奥に進むと色んな服屋とか飲食店とかポケモンセンターとか水族館とかプラネタリウムとか博物館さえあるのだという。
 全部見て回る時間はないし、今どんな催事をしているのかも知らないまま来たのだけれど。なんとなく楽しそうではある。どこから見るか。

 一人は恐らく俺に服を買わせようとしている。
 一人は「2022年 冬服 レディース」とインターネットで検索すれば出てくるようなきれい目な格好をしているが俺は高校の制服だ。こんな様でいることについては、ばたばたして買う機会がなかっただけで俺にも危機感はある。

 鎖で吊った銀の懐中時計を確認すると時刻は丁度正午だった。
 俺は飲み物だけで十分だが一人には何か食べてもらった方がいいな。
 この時間だと店も混んでるだろうが仕方ない。

 だから俺は「一人、何か食べるか?」と口に出したはずだったのだが。

 その声は唐突な轟音にかき消された。


 日本人は花火が好きだ。
 美しく色づく炎。火薬の平和利用。
 それは確かに夜空に咲く花だ。

 それでも山居ジャックにはその爆発音が好きになれなかった。
 病に侵された体のそう強くもない神経には大音量が堪える。銃や地雷を連想させるというのもある。

 それでもそういう本物の兵器と比べれば、いや、比べることすらおこがましいほどに、それはやはり美しいものだったのだ。
 目が回るような耳鳴りの中で山居ジャックはそう悟った。

 花火よりも嫌な音、花火よりも嫌な臭い。
 建物が崩れ瓦礫と化す音。火薬ではない何かが焼ける臭い。人々の悲鳴。舞い上がる粉塵。

「ダレか! 居タラ返事をシテクダサイ!」

 声を張り上げ、叫ぶ。声はどこまで届くだろうか。この騒乱の中でもジャックから10メートル以内の距離には確実に届くはずだ。『ハナサナイカラハナサナイカ』はそういう魔人能力だ。
 瓦礫の下で意識を失っていたとしても、それが10メートル以内の距離ならば返事はあるはずだ。
 呼びかけ続けながら歩き続ける。
 返事はない。
 仮に返事があったとして、ジャックはどうするだろうか。

 彼は難病を患い山居医院に入院中の身の上だ。自由に外出する許可は得られていない。
 家族である医師や看護師が知れば止めるのはわかりきったことだ。
 それでもあえて、この池袋を訪れた理由がある。
 単身で病院を抜け出すに足る理由だ。

 その状況や彼の体力を鑑みれば他人を助ける余裕はない。
 人助けなどは力ある者がすることだ。

 それでも、無駄ではないはずだ。
 そこら中に溢れる瓦礫の下のどこかで助けを待つ人がいるのだとすれば。
 その居場所を知り励ましの言葉をかけることは、救助が来るまでの繋ぎにはなるはずだ。

「誰か、そこにいるんですか」

 声が返った。

 若い男の声。
 近い。

「ココにイマス! あなたはどこデスカ!」
「ここに、います」

 男には居場所を伝える余力はないと思われた。
 そもそも不意の事故に巻き込まれた者が自身の状況をどこまで正確に把握できるだろうか。
 ジャックの能力にしても会話ができるというだけだ。位置は声の聞こえる方から探るしかない。
 そして声が聞こえるようになったのが今だということを考えれば、恐らくはジャックが元来た方ではなく真横から進行方向、10メートルの半円の外周にいると当たりをつけることもできる。

「今助けマス! モウ一度声を聴カせてクダサイ!」
「ここ、です」

 正面、やや右。1時の方向。
 瓦礫は10メートル先どころか3歩先の距離から積み重なっている。
 やや大股に、おおよそ1メートルに少し足りない歩幅で不安定な足場の上を10歩進む。
 目の前、足元にはやはり崩落したコンクリート建造物の大小の破片。

 ジャックは躊躇いなく瓦礫に手をかけ、持ち上げる。
 声を聞くまでは、後に来る救助のために目印を置いて先に進めばいいと思っていた。
 そうはできなかった。

 聞こえた声に言葉を尽くす必死さはない。
 瓦礫の下に何かが動く気配はない。
 ただ静かな悲痛さだけがある。
 声の主は自身の状況を理解しないまま、無意識下の思考で居場所を尋ねる問いに応じたに過ぎないと思われた。

 救助が来るまでどれだけの時間があるか。
 瓦礫の下で意識を失った者がどれだけ保つか。

「ダレか、手を貸してクダサイ! コノ下にヒトが居ルンデス!」

 土煙にせき込みながら声を張り上げ続ける。10メートルよりも遠くへ届くことを祈って。
 手を動かし続ける。素手であるが幸い傷はつかない。戦いに向いた魔人ではないが体の外的な頑丈さは確かにジャックの力である。

 ある程度の深さを掘り返したが人の姿は見えない。声を頼りに場所を変えてまた一から瓦礫をどかす。それを何度か繰り返す。正確な場所はわからないのだ。

 今、ようやくほぼ真下から男の声が聞こえる位置を見つけた。
 再び瓦礫に手を伸ばし、その手が痙攣する。

「ゴホッ! ガッハ、ゲホッ!」

 ジャックの体が揺らぐ。粉塵を吸ったからか、元より病で弱った体を動かし続けたからか。
 夏と秋の全ての虫が鳴くような耳鳴りに加えて、視界も曇った魚眼レンズの様に歪み始める。

「ヒットリサン……」

 その時ジャックが口にしたのはいかなる意味の言葉だっただろう。

「いえヒットリではなく一人ですけれど」

 意識を手放したジャックの体を支える者があった。
 黒髪をまっすぐ肩まで伸ばした白い肌の少女だった。

「この下に人が居るんだよな?」
「ソウデス」
「うおっ、ビックリした……」

 意識を失ったはずのジャックの言葉に驚きながらも瓦礫を取り除く者があった。
 もう一人の少女によく似ている。
 ただその髪は白く、肌はカフェオレのような褐色だった。

「ああ、いた」

 やがて白髪の少女は安堵の声を上げる。
 瓦礫の下にようやく若い男の姿が現れた。
 やはり意識はないようだ。

 本来であれば池袋によく馴染んだであろうストリートファッション。
 ジャックと同じくらい細身だが上背はこちらの方がありそうだ。
 金髪を長く伸ばしており、気を失っている今も穏やかな笑みを浮かべている。
 掘り出されたのはそういう男だった。


 望月餅子は燃えていた。
 七輪の上の餅の如くに赤い頬を膨らませ、変わりゆく池袋の有様を前にして、心に義憤の炎を燃やしていた。

「ぬおー! どういうことですか! いったい誰がこんなことを!」

 そこかしこの建物が崩れ去り、人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
 街を襲ったのは恐るべきテロリズムか、魔人同士の抗争か。

 避難する人々の流れに逆らい餅子は駆ける。
 冬休みであるためか学生らしき姿が多い。こうして逃げることができた者は今日この街を訪れたもののうち何割だろう。
 走る内に視界から人々の姿は減っていく。
 いつしか目に映る風景は砕け散ったコンクリートの灰一色となっていた。
 それらの瓦礫の下にも様々な色があったのだろうが。
 シャベルで掘り返したところで取り戻せないものの方がきっと多い。
 それでも彼女にはこの街で見つけたいものがあった。

 その時、半裸のプロレスラーがまだ無事だった建物のドアを蹴破って外出してきた。
 建物は衝撃で崩れた。

「くらえコブラ・クルーシオ・ツイストーー!!」

 プロレスラーは緑色に発行しながら餅子に躍りかかる!

「とあーっ!」
「ぎゃあああああああッ!」

 餅子はすかさずスポーツバッグから取り出したシャベルで迎撃! 手慣れた様子の凶器攻撃だ!
 プロレスラーはそれがシャベルかスコップかもわからぬ内に昏倒!

 餅子は念のため倒れたプロレスラーをシャベルでつついた。反応はない。

「ふぅ! 危ないところでした! まさか冬場にもかかわらず半裸で行動するほどの『最強』のプロレスラーが現れるとは……どこの団体の方なのでしょう」

 倒れ伏すプロレスラーはマスクもタイツも黒一色だ。
 はっきり言って華がない。よくよく見ればまるでアマチュアの低クオリティコスプレ野郎だ。少なくとも真っ当なプロレス団体に所属しているとは思えなかった。

「はっ! もしや一見プロレスラーらしくないプロレスラーのこの方は実はプロレスラーではないのでは!? この『最強』の頭脳が思いがけない真実に到達しましたよ!」

 その時、真っ黒な全身タイツを纏った四人の悪の戦闘員たちがどこからともなく現れた。

「ヒャッハー!」
「ハッハー!」
「ヒャッフー!」
「ヒャッホーウ!」

 奇声を上げて餅子を取り囲みフォークダンスの如くぐるぐると回る! 人数はさほど多くないが没個性で個人の識別が困難だ!

「なっ! 新手ですね! それもまたもや黒一色! はっ、黒一色!? わかりましたよあなたたちの正体が!」

 餅子はまっすぐ腕を伸ばし周囲を回る戦闘員たちに人差し指を向けた。戦闘員たちは絶えず動き続けているため特定個人を指さすことはできてはいないが餅子の瞳には深い知性の輝きが宿った!

「池袋……統一された色……ぱっと見でも伝わる悪さ……そう、あなたたちはカラーギャングですね!」

 カラーギャング!
 古くは後漢末期の中国に現れた黄巾賊を代表とするそれぞれシンボルカラーをもった様々な悪の組織のことだ!
 平成と共に滅びたはずの彼らが……蘇ったというのか!?
 だとすれば、この池袋の惨状をもたらしたのは……!

「ペーラペラペラペラ!」

 その時、真っ黒なガンマン衣装にペストマスクの怪人がどこからともなく現れた。

「お嬢ちゃん、いや、お坊ちゃんか? オレたちがカラーギャングに見えるのかい?」
「はい、見えます! そしてあたしは『最強』の望月餅子お嬢ちゃんです! ぺーちゃんとお呼びください!」
「大丈夫? ペラとぺーでちょっと被ってない?」

 突如現れたこの男も共通カラーの黒を全身に纏っている。これはもう間違いなくカラーギャング!

「ペーラペラペラペラ! ではオレがカラーギャングということにしてみるが、だとしたらどうする!?」
「ちょわー!」

 会話をぶった切るシャベルの一撃! 餅子の先制攻撃だ!

 下から首元を突き上げようとするシャベルを二本の大型ペーパーナイフが受け止めた。
 怪人の両腕に力がこもる。力では彼が上か。
 餅子は素早くシャベルを引き戻す。反動を利用した上段回し蹴り。

「ペラアァァッ!?」

 怪人は大げさなほどに吹っ飛んだ。まるで紙を蹴ったような感触。蹴りに合わせて自ら飛び跳ね衝撃を殺したのだ。

「他のギャングとは違いますね! 他のメンバーを統率する『最強』のカラーギャングと見ました!」
「ペララ……! こんなぺーちゃんにこのオレがここまで手こずるとは……!」

 ざり、と両者瓦礫を踏みしめ間合いを図る。
 手足と武器の長さを鑑みれば黒い怪人がわずかに有利。
 とはいえわずかな差ではあるが……。

 餅子の頬を汗が伝う。
 ペーパーナイフだけならば対処は可能。
 だがそれだけか(・・・・・・・)

 先ほどの攻防、ペーパーナイフはいつから怪人の手にあった?

 この怪人が現れた時には持っていなかったはずだ。
 いくつかの武器を隠し持ち、それを瞬時に取り出せるのだとすれば。
 餅子が対処できない物が出てくる可能性は?
 例えば、拳銃。ペストマスクはともかく怪人の服装はガンマン風だ。
 そちらが本領であるというのは当然用心すべきだ。

 だとしても。

 戦いは既に始まっている。
 自身の持つ『最強』の武器を使うのは当然のこと。
 結局はこちらも自身の『最強』を信じて立ち向かうしかないのだ。

 餅子は一歩踏み出す。怪人は一歩下がる。遠間を保つか。

 餅子は一層強く踏み込む。不安定な足場。だが靴底が地面に張り付くようなグリップ。
 速い!

 同時、黒いペストマスクの嘴が八つに裂ける。
 ひらり、吐き出された何かが宙を舞う。

 紙だ。
 折れ曲がり、張り合わさり、組み上がる。
 それは二丁の銃となり怪人の手に収まった。

「のわー!? 思ってたより大きいタイプの銃!」
「ペーラペラペラペラ!」

 銃は銃でもガンマンらしからぬサブマシンガンだ!

 ダダダダダダダダダ!

 紙の弾丸連射!
 直撃!
 哀れ餅子は蜂の巣餅に!
 ……なってない!

「よいしょー!」
「ペラアァァッ!?」

 餅子のシャベルが今度こそ怪人をとらえた。
 確かな手ごたえと共に黒い巨体が浮き上がる。

 真っ白なもち肌からはぽたぽたと弾丸が零れ落ちた。
 肌に穴など開いていない。
 望月餅子の魔人能力は『もちもちぺたぺた肌』。
 触れたものをくっつけて離れないようにできる。

 肌を突き破り肌から離れていくはずの弾丸を肌で止めた。
 貫通、斬撃の類なら体の奥に達する前に止めることができる。
 着弾時の衝撃も多少は緩和する。一秒耐えれば慣性も殺せる。

 餅子が危惧したのは酸や毒、そして熱。接触自体が肌を害するもの。

 火薬を使った銃撃であれば、高熱のショックで動きが鈍ることもあっただろうか。
 だが怪人が用いたのは紙の銃、紙の弾丸だ。
 どのような仕組みで発射したのかは不明。
 ただ言えるのは、紙は紙だ。それ自体が焼け焦げかねない熱さは伴っていなかった。

「あなたの攻撃は『最強』のあたしには通用しません! 大人しく降参しなさい! そして他のカラーギャングにも破壊活動をやめさせて被害にあった人たちの救助や瓦礫の撤去をさせるのです!」

 餅子は倒れた怪人にシャベルを突き付ける。
 戦闘員の内二人は怪人を助け起こし、もう二人はどこからか取り出した白旗を振った。
 しかし。

「ペッペッペ、それはできない」

 怪人は頭を振る。

「なぜならば、この戦闘員以外は別に仲間じゃないからな!」
「なんですとー!?」

 そう、この怪人の名はウスッペラード。
 たまたまここにいただけ、巻き込まれただけ、色がその辺のやつらと被っただけの一般悪人に過ぎない。

「じゃあなんで戦ったんですか!?」
「まあ流れだよね。だがオレをカラーギャング扱いしたのはぺーちゃんの方だろう?」

 責任転嫁!
 ウスッペラードの性格は薄っぺらい。その上無謀だ。
 今回も殺すつもりがなかったにもかかわらず勢いでサブマシンガンをぶっ放したほどの考えなしだ。

 つまり、一連の戦闘パート、丸々無駄!

「それについては謝罪します! しかしどうしましょう!? ひーちゃんを狙っている相手だと思って戦っていたのですがまるで見当違いだったとは! こうしているはずにも本当の脅威がひーちゃんに迫っているはず! すみません怪人さん! あたしはいかねばならないのです!」

 餅子の瞳に決意の輝きが宿った!

 その時、山乃端一人が愉快な仲間たちを引き連れて通りがかった。

「あれ、ぺーちゃん? 久しぶりじゃない」
「ひーちゃん! お久しぶりです! この『最強』の幼馴染があなたの力になりに来ました!」

 餅子は一人にとびかかり、抱き着き、ぺったりとくっついた。
 腕ごと抑え込まれる形となった一人は抱き返すことも押し離すこともできなかったが何も言わず受け入れた。

 万魔とジャックは戸惑いながらもそれを見守り、金髪の男は穏やかに笑う。

 かくして池袋に役者は集う。
 黒と、白と、灰色と。
 描く模様は何を見せるか。


「ああ、こっちの方が通りやすそうだ」

 金髪の男は表情を変えずそう言った。
 こんな事態にもかかわらず穏やかな笑みを湛えている。
 意識を取り戻してからずっとそうだ。
 しかし瓦礫に埋まっていた体は傷だらけで歩みは緩慢だ。

「キョウスケさんの言う通りですね!」

 餅子は間髪入れず追随する。万魔たちにも異論はない。
 建物が崩れて塞がった道ばかりだが、完全に八方塞がりの場所に出たことはない。
 常に一つか二つ通行可能な道が開けていた。

 一見通れそうにない場所でもキョスウケやジャックが人の通れる隙間を目ざとく見つけ立ち止まったり引き返したりせずに済んでいる。

 キョウスケ。
 金髪の男はそう名乗った。
 たまたま池袋に来ていた一般人だという。

 山乃端一人、山乃端万魔、山居ジャック、望月餅子、ウスッペラード、キョウスケ。
 六人はひとまず安全な場所にたどり着くまで行動を共にすることになった。

 意識を取り戻したものの明らかに消耗しているジャックとキョウスケを一人が心配し、一人に万魔と餅子が付き従い、ウスッペラードもなんとなくくっついてきたという形だ。

「しかしキョウスケさんには驚きました! 亡くなった知人が化けて出たのかと!」
「縁起でもないなあ。そんなに似ている人がいたのかい?」
「いえ、雰囲気というか背格好がですね! 顔はそんなに似ていません!」

 本当に縁起でもない話題だった。
 周囲は気が滅入るような光景が広がっている。
 餅子としては沈黙が雰囲気を暗くすると考えたのかもしれないが、こういう時に自然と口に出ることは往々にしてその場の影響を受けているものだ。
 無意識であっても人間の脳は活動し周囲の情報を受け取っている。
 足取りが軽いのはウスッペラードくらいのものだった。

 時折、黒や白のカラーギャングに出くわすこともある。中には一人を狙う素振りを見せる者もいた。
 万魔はその都度身構えたが大抵はウスッペラードが触手で飲み込むか餅子がシャベルで殴って済んだ。

「ドンナ人だったんデスカ?」

 ジャックがその会話を続けたことにもどれだけの意図があったかはわからない。
 だが咎める者もいなかった。

「ええ、似てると言ったのが申し訳ないのですが、実は悪い方に有名な人なんですよ! 仙道ソウスケという名を聞いたことがありませんか?」
「アア、イグニッション・ユニオンの……」

 その名前は誰もが知っていた。
 イグニッション・ユニオンとは総合エンターテインメント配信サービス『C3ステーション』が開催した“無敵の二人”を決める闘技大会である。
 仙道ソウスケはその出場者の一人だった。
 倫理観を持たない怪物。犯罪グループ“AGAIN”のリーダー。50億円の賞金首。
 敗退の後、パートナーであったはずの英コトミによって殺害された。

 彼らの間に何があったか、様々な憶測が飛び交ったが真相は不明のままだ。
 世間一般においてはコトミのその後についても知られていない。
 その当時はセンセーショナルな話題であったが未だに関心を向けている者はほとんどいまい。
 人々はあまりにも衝撃的なそれを忘れ去りたいと願い、彼が齎した惨たらしい映像の記憶に蓋をしている。

「はは、当時も何度か言われましたよ。『お前は仙道ソウスケの変装なんじゃないか』ってね」
「ソンナに似ていまセンヨネ?」
「ええ、背格好や髪だけ近くて顔は似ていないから言われたわけで。……でも本当に変装だったらどうします?」
「ソンナことないデショ」

 ジャックがキョウスケの頬をぐいと引っ張る。
 特段伸びも剥がれもしない。
 戯れだ。

「ぺーちゃんはどこで知り合ったの?」
「ええ、あれは三年前のことですね……わけあって家を飛び出したあたしは町から町へ渡り歩き、当時もすでに『最強』でしたが更なる『最強』へ至るための修行をしていたのです……」
「あまり危ないことしたら駄目だからね?」
「はっはっは! そこは『最強』で対処できる範囲内に収めていましたとも! 実際彼と会ったのはちょっとしたストリートのコミュニティを通じてですが、あたしはすぐに距離を取りました。あたしの前では犯罪行為をしてはいませんでしたが良くない方に『最強』なのがわかりましたからね。それっきり関りもありませんでしたし!」
「本当に大丈夫だった?」

 図太いところのある一人もさすがに不安げな表情を見せた。

「餅子さんと一人は幼馴染なんだよな?」
「はい! 『最強』の幼馴染です! そしてどうぞぺーちゃんとお呼びください!」

 話題を切り替えるように万魔が水を向けた。餅子も能天気な笑顔で応じる。

「小学校まで一緒だったのよ。中学から別れてしまって……」
「じゃあ五年ぶりか」
「ええ、でも雰囲気は全然変わらない」
「変わりませんか!」

 一人は懐かしむような、安心したような目を餅子に向ける。
 餅子は妙に嬉しそうで、万魔にはそれがなんとはなしに面白かった。

「ああ、見えてきましたね」

 キョウスケが出し抜けにそう言った。

 なんだろうか、と万魔は思う。
 安全な場所を目指すといっても具体的な目的地があるわけではなかった。
 壊れていない街まで行けば安全地帯と考えられるのかもしれないが、目に映る風景は代り映えしない。
 仮設テントの避難所でも作られているのかと思えばそういう様子でもない。

 何人か人がいる様子ではあった。
 黒い服装の。
 それから一般人らしい女性も一名。

 万魔の疲れた頭に浮かぶのは、またか、という倦厭。
 一拍遅れて、キョウスケへの疑念。
 カラーギャングが集まる場所へ向かっていた?
 問いただす前に、男が単身駆けだした。

「ヒットリサン!」

 ジャックだ。
 ジャックが女性のもとに走る。

 キョウスケはゆっくりと後を追う。

 困惑する万魔たちは足を止めていた。

「お疲れ様です。ボス」

 黒い男のうち一人がキョウスケに近づき会釈した。
 それから一丁の拳銃を差し出し、キョウスケは当然のように受け取った。

「うん、お疲れ。そっちは上手くいったかい?」
「ええ、白組も黒組もみんな始末しました」
「そっか。ありがとう」

 表情を変えぬままキョウスケは引き金を引いた。
 銃声と共に黒い男が眉間から血と脳漿と脳そのもの破片を噴き出して倒れた。

 時が止まったようだった。

 銃声は続き、その度呆けた顔で、驚愕の表情で、恐怖に青ざめて、黒い男たちが倒れた。
 あまりにも突然で、誰にも止めることができなかった。

「さて、説明が必要かな?」

 部下を殺し終え、キョウスケが自らの顎と鼻、目元を引っ張る。
 シリコンマスクが剥がれ落ちた。

「まずは、そうだね。当たり前だけど僕は仙道ソウスケだ」

 顔は変わっている。
 穏やかな笑みは変わらない。

 気持ち悪い、と万魔は思った。


「とある人物から頼まれてね。ジャックさんを捕まえることになったんだよ。彼はほら、ああして人質を取って脅迫しただけだから僕の仲間というわけじゃないんだ」

 ジャックは少し離れた位置でへたり込んだ女性に寄り添っていた。

「あの人はヤンマー・ヒットリさん。ジャックさんが入院している、と言っていいのかな。まあ、彼が暮らしている病院の看護師だよ。住み込みだからか家族同然の仲みたいだね」

「ジャックさんに手伝ってもらったことは二つだね。一つはここに来るまでの誘導。道はここに繋がるように崩したんだけど一本道も不自然だからね。いくつか分かれ道を作っておいて僕と彼で交互に道を決めるようにしたんだ。相談には彼の魔人能力を使ったよ。声を出さなくても彼と話せるんだ。もう一つは僕の頬を引っ張ってもらったことだね。わざとらしいけど一応はやっておこうと思ったんだ。頬はそのままでも他の部分を変えれば結構別人に見えるだろう?」

「それからもう一つ。一人さんの保護も頼まれていたんだけど、僕が面倒見るわけにもいかないからね。一人さんを狙っていた連中を集めて潰し合わせるという形にしたよ。カラーギャングに何度か会っただろう。黒い方は一人さんを殺そうとしていて、白い方は捕まえようとしていた。どっちも複数のチームの連合で互いの立場がわかるように色を統一させたわけだ。もちろん相手の色に潜りこんだやつもいたけどね」

「僕がさっき殺したのは“AGAIN”のメンバーだよ。僕なしでも活動を続けていて一人さんを狙う側にいたんだけど、連絡をつけたらあっさりボスの座が返ってきたよ。黒も白も片付けて利益を独占しよう、という筋書きで動いてもらって最後に死んでもらった。表向き一人さんを殺すことになっていたからね、君たちが今日になって池袋に来たから慌てたよ。僕が自分の手で殺すって話にしてそばで見守ることにした。ほとんどアドリブだったんだ」

 ソウスケは両手を広げて肩をすくめて見せた。

「そういうわけで僕はジャックさんを連れて帰るから、君たちはヒットリさんを家まで送ってほしいな。襲ってくる奴はもういないはずだけど独り歩きは大変だろうからね」

 何を言っているんだ、こいつは。

 万魔は声を出すことができなかった。万魔だけではない。その場の誰も、何も言えなかった。
 絶対に、何かがひどく間違っているはずなのに。
 万魔も、一人も、餅子も、ウスッペラードも。
 何を言うべきかわからなかった。

「ノー」

 沈黙を破ったのは聞きなれない声だった。

「ジャック、行っちゃダメヨ」

 ヒットリの訴えはソウスケではなくジャックに向けて。
 言葉で通じ合おうとして。

「ダメデス。ヒットリサン。アノ人にはココにイナイ仲間がマダイマス。ボクが行かナイトまたヒットリサンがサラワレマス」

 ジャックはヒットリの手を力強く握った。ヒットリは弱弱しく握り返した。

「ダイジョウブ。必ズ帰りマス」

 するり、と結んだ手がほどけた。

 そして。

 万魔は手錠を構えた。輪に指を通してナックルダスターの様に握りこむ。
 餅子はシャベルの先を前に向けた。スポーツバッグにすっぽり入る、しかし60cmはある。あまり見ない大きさのシャベル。
 ウスッペラードは何を取り出すわけでもないが、裂けた嘴をうねらせる。
 一人もまたソウスケを睨んだ。

「うーん。僕は君たちの敵というわけじゃないんだけどね。それより餅子さんに気を付けた方がいい。随分都合よくここに居合わせたよね。そっくりでわかりづらいだろうけど彼女は偽物なんだよ」
「いい加減にしろよ……」

 万魔の声に怒りが満ちる。
 あまりにも唐突な宣言。
 人を不快にさせるだけの嘘。
 そうとしか思えない。

「ぺーちゃん?」

 一人には違った。
 その言葉を信じたわけではない。
 餅子の顔色が変わるのがわかったのだ。
 それはつまり、やはり目の前の餅子が五年前に別れた知己と同じだということになるはずだが。

「……ごめんなさい」

 餅子のその声は常と違った。
 能天気な明るさはなく。暗い影を感じさせた。
 手に持つシャベルが力なく降ろされる。
 一歩、後ずさる。
 そして、望月餅子と思われた彼女は。
 後ろを振り返り逃げ去った。

「さて、僕たちも行くとしようか」

 ソウスケは餅子と真逆の方向に悠々と歩きだす。
 うなだれたジャックもそのあとに続く。
 ヒットリをその場に残したまま。

 ウスッペラードは姿を消した。
 黒い紙飛行機が餅子の消えた方角へ飛ぶ。

 立ち止まったのは、一人と万魔。


 望月餅子は偽物である。
 それは確かにその通りだ。
 誰よりも餅子自身がよく知っている。

「なあ、ぺーちゃんよう。あいつが言ってたのはどういうことだ?」
「言葉のまま、ですよ。あたしは望月餅子の偽物で、それ以外の何物でもないのです」
「本当は別の人間って事かい?」
「どうでしょう。誰でもないのかもしれません」

 行く当てもなく餅子は走った。
 どれだけ走っても灰色の廃墟からは抜け出せなくて。
 走るだけ走って、走り疲れてうずくまった。
 そこにウスッペラードは飛んできた。
 ひらひらと、黒い紙飛行機の姿で。
 それがパタパタと展開し、真っ黒な巨漢の姿に戻った。

「別に変装しているわけでもないのですよ。この姿とこの性格で、本物と同じ記憶まで持って生まれてきました。なんでそんなことができたのかはわかりませんが、いわゆるコピーというやつです」
「えー……つまり『望月餅子ではない正体』というのがあるわけでもない……?」
「はい。あたしが生まれた時、あたし自身自分が望月餅子だと思っていましたから。でもやっぱりおかしいんですよ。あたしの記憶とあたしがそこにいることが繋がらない。最初は寝ぼけてるのかなー、と思いました」
「そうじゃないという証拠があった?」

 餅子は首肯した。

「そこにはあたしを造ったという人がいました。変な機械の中であたしが胎児から大きくなる映像記録もありました。……それから、本物の望月餅子を見ました。遠くからばれないように、ですけれど」
「本物は何か違ったかい?」

 今度は頭を振る。

「何も違わないんですよ。それでも本物は元からいた方だけなんです。あたしには何もない。本物の望月餅子じゃないのに、望月餅子以外の何かは持ってない」
「ペラペラだな、ぺーちゃん」

 ウスッペラードの言葉は軽い。
 それでも不思議と馬鹿にされたとは思わなかった。

「ペラペラのマスクとおんなじさ。マスクを被っている人間ならマスクの奥が正体だ。マスクその物なら違うだろ。作り物の上っ面が本体なんだ」
「あたしは望月餅子を演じているわけじゃありません。あたしは自然に望月餅子として振舞ってしまいます。でも、あたしが偽物だっていうのはそれとは別問題でしょう」
「だがよ。ぺーちゃんを偽物って呼んだのはソウスケの野郎だけだぜ」

 真っ黒な触手が餅子の刈り込んだ髪を撫でた。
 触手が飲み込むわけでもなく、体の表面と表面が触れ合った。

「ぺーちゃん」

 その時、山乃端一人が現れた。
 確かに「ぺーちゃん」と呼んだのだ。


「ボクを捕まエル目的はナニカ聞イテモいいデスカ……?」
「君の能力に興味があるそうだよ」

 灰色の町をソウスケとジャックが進む。

「大シタ能力ではアリマセンヨ」
「うん、多分依頼主にとっても期待外れで終わるんじゃないかな。だけど連れて行くのが契約だからね」

 本当にこれで良かったのか。
 ヒットリが無事に帰るならそれに代えられるものはない、さっきまではそう思っていた。

 今は先ほどのヒットリの自分を呼び止める声が、力なく崩れ落ちる姿が、頭に焼き付いて離れない。

 戦うべきだったのか。
 戦力として数えるべきか判断しかねる者もいたが、一対五ならこちらが有利だったはずだ。

「ボクは、殺さレルでしょウカ?」

 死ぬのは怖い。それでも耐えられない恐怖ではない。
 病に侵された体は死に近い。人が銃殺されるのを見たのは初めてではない。
 祖国ではそういうことは日々の暮らしのすぐ近くにあった。

 暴力は嫌いだ。
 ジャックは武器を持たない。
 持ってしまえば自分自身がそれを使わないという保証ができない。

 相容れない人間と出会ったら言葉をもって向き合うと決めたはずではなかったか。
 先ほどソウスケが一人で喋っていたあの時。
 誰も何も言えなかったあの時。
 ジャックが何かを言うべきだったのではないのか。

「殺す理由は特にないね」

 ソウスケの態度は一貫している。驚くほどにフラットだ。
 感情があるのかも疑わしく思える。

「人に頼マレタと言いマシタネ。見返リはナンデスカ?」
「ああ、まだ決めてないんだ。二つの可能性がある。さっきあの場で言ったことだけれど、君は餅子さんについてどう思う?」
「ソレは、彼女ガ偽物だトイウ? ボクは今日が初対面デシタカラ」

 本当に偽物だったとしても、ジャックにはわからないはずだ。

「デモ、ヒトリサンとは本当の友達ニ見エマシタ」
「なるほどね。君はどう思う?」

 ソウスケは足を止め、後ろを振り向いた。

「あー、どうだろう。それよりお前が本物かどうか気になるかな。もしかしてその金髪も引っ張ると外れたりする?」

 山乃端万魔は息を切らせながらも笑って見せた。
 笑いの奥の怒りはほとんど隠せていなかった。


「話はわかったわ」

 山乃端一人は望月餅子の隣に腰を下ろした。
 ウスッペラードと一人が餅子を挟むように座っている。
 椅子などはなく、三人並んで地べたに座っている。

「文句を言っていいかしら」
「逃げたことについては、本当にすみませんでした。ひーちゃんから偽物だと思われるのがどうしても怖かったんです」
「それはいいの。逃げてもいいの。もっと昔のことについてよ。記憶はあるんでしょう」
「はい」

 記憶はある。
 自身の記憶だと認識している。
 それがおこがましいことなのだとも思う。

 餅子には一人の態度の理由がわからなかった。
 どうして餅子として扱おうとするのか。
 今ここにいる餅子を認めているのか。
 本物の代用品として見ているのか。

 自分自身を信じられない餅子には一人を信じることもできなかった。

「5年前、私たちが離れ離れになった時のことよ」
「別々の中学に行きましたからね」
「そう、それ。どうして?」
「お家の都合でしたから……」

 父親の転勤に伴う引っ越し。
 大した理由ではない。
 ただ、当時の二人にとってあまりにも急すぎたのは確かだ。

「つまりこういうことだぜ、ぺーちゃんよ」

 ウスッペラードが口を挟む。

「別れはいつも突然やってくる……どんな時もこれが最後の会話かもしれない……そういう意識を持てってな」

 薄っぺらかった。

「お家の都合なら仕方ないわね。じゃあまた別の文句なんだけど」
「ええ、お聞きしますが」
「あなたの持ってるそれ、本当にシャベル? スコップじゃない?」
「ええ……?」

 シャベルとスコップの差については意見が分かれる。
 概ね東日本では大型の物をスコップ、小型の物をシャベルと呼び、西日本ではその逆となる。
 餅子のそれは園芸用に使われるタイプよりは大きいものの、片手で扱うこともできるという絶妙な大きさだ。
 大型の東日本シャベル、西日本スコップ、あるいは小型の東日本スコップ、西日本シャベルどう言っても通じるファジーさがあった。

 また、大きさとは別の基準もある。JIS規格における定義では足をかける部分があればシャベル、なければスコップだ。
 この定義では必然的にシャベルは全て大型の物になるが大型のスコップも当然存在する。

「つまりこういうことだぜ、ぺーちゃんよ」

 ウスッペラードが口を挟む。

「法律がいつも正しいとは限らない……本当の正しさは自分自身の納得の中にしかない……そういう正義を信じろってな」

 薄っぺらかった。

「ウスッペラードさんは良いこと言うわね」
「ええ……?」
「マジか……?」

 一人は感じ入ったように頷いた。
 他の二人は困惑した。

「私に偽物と思われるのが怖いって言ったわね。私だってあなたが本物か偽物か、決めつけるのは怖いわ。私には決められない。でもね、少なくとも偽物だとは言いたくない」
「でも、あたしだって決められません」
「ぺーちゃん、私はね、あなたに何を言うか決められないまま追いかけたのよ。それで今、そういえば再会したら文句言いたいことがあったなって思い出したことを言ったの。決められないまま動き出すのはそんなに悪いことかしら?」

 餅子は空を見ようとした。舞い上がった灰色の粉塵が空を隠してしまっている。

「もしも、あたしたちが、このまま友達のままでいて。そこに本物の餅子がやって来たらどうなるんでしょう。怖がりますかね、怒りますかね」
「あなたならわかるんじゃないの?」
「多分怒りますよ。状況がわからないですから。偽物だーって言います」
「その時は一緒に謝ってあげるから」
「謝るのは、癪ですね」
「そうね」
「なんだか不公平な気がしてきましたよ……あたし悪くないじゃないですか」
「そうよね」
「なんというか……イライラしてきました!」

 餅子は立ち上がった。立ち直ったわけではなく。
 自暴自棄に動き出した。
 褒められたことではないのだろうが、少なくとも動き出したのだ。

「殴りに行きましょう」
「ええ……?」

 一人もまた立ち上がった。
 ウスッペラードはちょっと引いたが、餅子は懐かしいと思った。

 ひーちゃんはそういうところがある。
 今更になって思い出したのだ。


「君については捕まえろとも保護しろとも言われてないんだけどね」

 ソウスケは平然と発砲した。
 万魔の胸に空いた風穴から血が噴き出す。その直前、銀の懐中時計が光を放っていた。

 万魔が倒れる。その横にもう一人、光の中から現れた万魔が立っている。

「残念、これで弾切れだ」

 ソウスケは銃を上着のポケットに突っ込み前に出る。
 万魔もまた距離を詰める。倒れた体から銀時計を回収する余裕はない。

 手錠の持ち方は先ほどと同じナックルダスター風。
 殴りかかるその腕をソウスケはあっさりと掴んで止めた。瞬間、膝蹴りが万魔の鳩尾に入る。

「君、そもそもあまり強くないよね」
「弱い者いじめは、最低だよな」

 再び膝蹴り。
 万魔の口からは血反吐が迸った。

「ヤメロ!」

 その時、理屈も理由もなくジャックの体は動いていた。
 叫び駆け寄るジャックには振り向きざまの裏拳が浴びせられた。

「捕獲については怪我させるなとも言われてないんだ」

 風に吹かれる草の様に。
 万魔とジャックは倒れかけ、踏みとどまり、またなぎ倒されようとする。
 それを繰り返す。
 あるいは風に吹かれる火のようでもあるか。

 ……ジャックはついに膝をついた。
 万魔は何度か体を入れ替える隙を見つけていたが、それは彼がソウスケを抑えていたからだ。これからはそう簡単にいくまい。
 万魔の能力『彼誰時(クライベイビーファーストクライ)』による体の召喚にはわずかにではあるが時間がかかる。
 新しく現れる体を待ち構えた攻撃をされるか、もはや抵抗できないジャックを抱えて離脱されるか。碌なことにはならないだろう。

「そろそろ終わりでもいいんじゃないかな」

 この野郎。
 悪態を吐こうとしたが万魔には口を動かす力もなかった。
 ソウスケはもう万魔を見てもいない。

「まだですよ」

 誰かの声が聞こえた。
 誰であるのか、答えは出たのか。
 その声からは明るさが消えたままなのだが。

「『ぺーちゃん』と呼んでくださる方が二人もいますので、逃げられなくなりました。あとストレスです」

 望月餅子と呼ばれた者がシャベルを構えていた。

「君にとっては本物の望月餅子だということかな?」

 ソウスケが見ているのは餅子ではない。その背後に立つ山乃端一人。

「この子はぺーちゃんです」

 一人は真正面から視線を返す。

「なるほど」

 ソウスケは笑う。常通りの穏やかな微笑。
 それが心からのものなのか判別できるものはここにはいない。

 一人が一歩前に出る。餅子の隣に並び立つ。

 ソウスケは思考する。
 素手の一人とシャベルを持つ餅子。
 どちらを警戒するべきか。
 より危険な相手に狙いを定め。

 三人、同時に駆ける。

 一人の袖からひらり、黒い紙。

 それはそうだろう。
 ソウスケは当然予想していた。
 一人を注視していた彼は手を伸ばす。
 それが展開する前につかみ取り、握りつぶす。
 ウスッペラードはもがく。だが今の彼はただの紙きれだ。

 一人の背後でぴかり、銀時計。

 それはそうだろう。
 ソウスケは当然予想していた。
 突進の勢いで一人をその光へ突き飛ばす。
 光の中から現れた万魔と二人、もつれるように倒れこむ。

 ソウスケの横でひゅんと風を切る音。
 シャベルを振りかぶる餅子。

 それはそうだろう。
 ソウスケは当然予想していた。
 上着のポケットから取り出す拳銃。
 向ける先は山乃端一人。
 色を失った餅子は躊躇なく、裏を考えることもなく、一人を守るように身を投げ出す。
 彼女はそれが弾切れだと知らない。

「アナタは――」

 ソウスケの耳にジャックの声。

 それはそうだろう。
 ソウスケは当然予想していた。
 ジャック自身が意識を失っていたとしても会話ができる魔人能力。
 その性質があるからこそジャックは標的となった。
 今回の仕事の前提に他ならない。

 だが。

「――モチッコサンが本物だと認メラレルノを見タカッタノデショウ」

 それを言い当てられるのは、ほんの少し、予想外。
 とはいえ、ただの言葉などソウスケが蹂躙をやめる理由にはなりえない。
 このまま一人たちを行動不能に追い込んだ後、改めてジャックを連れ去るのみ。
 請け負った仕事はそういう内容だ。
 本来は。

「なるほど。そういう能力か」

 男の声が低く響いた。

Oops(おっと)

 ソウスケはその男を知っている。
 彼が邪魔をするはずがない。
 ここに来る理由があるとするならば。

「確かに期待外れだったな。だが、まあいい。私の許に山居ジャックがいる。契約は履行されたと見なそう」

 クリスプ博士はそう告げた。

「報酬は予定通りでいいのだな?」
「ええ、よろしくお願いします」

 それが、決着だったのだろう。


 親父を呼んだのは正解だった。と、思う。
 俺がジャックさんと仙道ソウスケに追いついてすぐ、ジャックさんはその能力でソウスケとの会話の内容を教えてくれた。

 ソウスケにジャックさんを連れてくるよう依頼した者はジャックさんの能力が目当てだということ。
 依頼主にとって恐らくは期待外れだろうということ。

 それに加えてソウスケ自身が話していたこと。
 一人の保護も頼まれたということ。
 依頼どうこうとは別個の話題ではあったが、餅子が偽物だということ。

 確証があったわけではない。それでも親父の顔が思い浮かんだ。

 かつて一人の能力に興味を持ち、捕縛するという手段を実行しようとした親父。
 今は一人の生存を前提にして地下牢に引っ込んでいる親父。
 一人の遺伝子から俺を作り出したように、元の餅子から新たな餅子を造ることもできたであろう親父。

 もしも親父が依頼主で、ジャックさんが本当に期待外れなら。
 俺たちにソウスケを止めることができなかったとしても、親父がジャックさんの能力を確認すればそれで済むという可能性がわずかにあった。

 緊急連絡用発信機の操作が簡単で助かった。
 戦いの中でもボタン一つ押すくらいの隙はある。
 連絡してからすぐに来てくれたのも良かった。
 もしかすると親父は親父でこちらの様子を窺っていたのかもしれない。

 ともかく、親父と何か話した後は、仙道ソウスケは嘘のように大人しくなった。

 俺はあいつが嫌いだし、ものすごく悪い奴だと思っている。
 ジャックさんやヒットリさん、餅子や池袋の街にしたことはやはり許せない。
 あの後、しばらくしてからやってきた警察に引き渡したことは間違いではなかった、はずだ。

 ただ、それでも。
 翌日のニュースで知ったあいつの末路は。
 異例の速さでの死刑判決及び執行というのは。
 一応は直接会ったことのある人間のことだからか、なんというか、クるものがあった。

 山居医院に帰ったジャックさんやいつの間にか姿を消したウスッペラードはどう感じただろう。
 彼らには連絡先を聞きそびれてしまった。

 餅子だけは数日俺たちの家に泊まっていった。

「それではあたしはそろそろお暇します!」

 最後だけはそんな風に最初の明るさを取り戻したようだった。
 上辺だけかもしれないが、上辺だけでもいいのだと一人は言った。

 その一人自身が今はちょっと落ち込んでいる。

「殺されたくはないけれど。他の人が死ぬのも嫌ね」
「ああ、わかるよ」
「今回狙われたのはジャックさんだったけど、また今度誰かが私を狙ってくるかもしれないんでしょう」
「そうだなあ」

 仙道ソウスケの話を信じるなら、そういう勢力の内ある程度は潰れたはずだ。
 だがすべて解決したと考えるのはさすがに楽観的過ぎるだろう。

「改心してくれればいんだけどな、鬼子母神みたいにさ」
「鬼子母神か。仏教ならどんな人でも仏性があるって考えるのよね。宗派によって違うのかな」
「それは知らないなあ」
「万魔は二元論の方が好きなんだっけ」
「そんなこと言ったっけ……」

 全く身に覚えがない。

「白とか黒とか結構こだわるじゃないの」
「こだわってはないよ」
「二元論も種類があるはずよね。陰と陽が対立するのと調和するのと」
「カフェオレみたいに?」
「カフェオレも好きよね」

 俺の肌がカフェオレ色だと言い出したのは一人の方なのだが。

「そういえば、俺もこの前親父から聞いて知ったんだけどさ」
「なあに?」
「俺、人間オレなんだって」
「俺オレ? 何?」
「いや、だからさ」

 親父が言うには、一人を捕縛するために造った最初の人造人間があの餅子だったそうだ。
 一人と接点があり元になった人間と接触する可能性が低い人物として選んだのだと言った。
 だが餅子そのままに造られた餅子はアンデンティティの危機を迎えて出奔してしまった。
 そこで次は元になる人物に他の要素を付け加えることで別人にすることにした。
 そして親父は一人自身の遺伝子に要素をプラスすることで確実に一人を上回るスペックの人造人間を生み出そうと考えた。

「で、そのプラス要素がカフェオレなんだってさ」
「なんで?」
「親父に聞いてくれ。とにかく俺は半人半カフェオレの人間オレなんだ」
「ううん?」

 一人は額に手を当てて唸った。
 まあ、いきなり言われても困るかもしれん。

「ねえ万魔。抹茶オレって抹茶と牛乳だけでコーヒーの要素はないわよね?」
「抹茶オレはそうだな」
「人間オレだと半人半牛乳になるわ。ワーカフェオレってことにしましょうよ」
「いいけどさ」

 気にするところ、そこだろうか。

「あ、食事が苦手なのもその辺が関係あるみたいだ。本能的に他の食べ物が体に混ざるのを避けてるんじゃないかって」
「万魔、食事は摂りましょう? あの完全食で構わないから」

 優し気な笑顔だが圧を感じる。
 それが嫌なわけじゃない。
 いつもの調子が戻ってきた。
 そう思えたのが嬉しかった。


心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』。携帯電話機を作成する能力。
それが彼の力だと知る者は多い。
 かつての闘技大会で彼と対峙した者。彼が率いた犯罪組織に所属した者。彼の秘密を探ろうとした者。あるいは、鏡に潜む異界の魔人。

 彼を真に理解する者は少ない。
 テレフォンセックスで生まれたワーテレフォン。
 彼自身の複製が可能だとか。その複製は魔人能力を行使できないだとか。
 彼がその複製を用いて自身の死を偽装したとか。
 知っている者は限られる。

 一度死んだはずの彼が再び現れたことについては当然誰もが疑問に思う。
 しかし我々は知っている。
 いくつかの闘技大会で試合の度に負傷や死亡が覆されたように、死者を蘇らせる力も確かにある。

 だとすれば、生き残った誰かがその力を用いたのだろうと考える。
 捜査の目は彼自身ではなく、彼が残した犯罪組織に向けられる。

 だから、そこを訪れた彼のことは、牢の外の誰にもその存在を気取られない。

「随分回りくどいことをしたものだ」
「ええ、お互いに」

「山乃端一人の能力は僕らが当初考えていたようなものじゃなかった。先に目をつけていたあなたはいち早くそれに気づいていたわけですが」
「死後発動する魔人能力であればよかったのだがな。あれは正確にはそうではない」
「ええ、死後に因果を捻じ曲げてハルマゲドンを発生させるというものではない。生前の内に彼女が死ねばハルマゲドンが起こるという状況を身の回りに整える。あれはそういう能力です」

「私の研究にもそぐわず、お前の目的にも合致しなかった」
「そこはやりよう次第ですけどね。あの状況から起こるハルマゲドンは山乃端一人を害そうとしていた者同士の抗争だと考えるのが妥当でしょう。山乃端一人を殺すことで僕が望むような大会を開くにしても、その前にまず彼らを排除する必要があった」

「そしてそうする前に別の方法にたどり着いたというわけだ。この私にな」
「あなたには望月餅子という実績があった。人間をその記憶ごとコピーすることがあなたにはできた。しかしそれには不安もある」
「望月餅子は二人同時に存在したことで精神的に不安定となった。元にする人間が死んでいるなら条件は異なるが」

「もう一度生きることができたとしても、本人がその人生を喜べないっていうのはイヤでしたからね」
「私の依頼とは別に、お前は独自に望月餅子を試していたな。匿名で情報を与えて池袋に呼んだのはお前だ」
「彼女は自身が望月餅子であることを一応は受け入れた。僕の不安は解消されたわけです……あなたはジャックさんの能力についてどれくらい本気だったのですか?」

「念のため確認するという程度だ。魔人能力は自身の認識を世界に強制する力。認識の主体である能力者が不在の状態で発動する能力というものが存在するならば、それは他の能力とは一線を画するものであるはずだ」
「死後発動する能力は今のところ未確認。次に目を付けたのが無意識の内にも発動する能力だった。しかし――」
「無意識とはいえ脳は活動している。やはり無認識とは別の概念だな。一般的な魔人能力の範疇だ。可能性を確かめるという点で意義はあったが」

「その確認を手伝うというのが僕の望みをかなえる交換条件。ここに連れてくるという当初の予定とは異なる結果になりましたが」
「ああ、些細なことだ。今度は私が契約を果たそう。……お前は彼女に会わない、それでいいのだな?」
「ええ。悩ましいところですけどね。生き返ったらどんな反応をするか、知りたいですよ、もちろん。でも約束ですから。『他人の尊厳を傷つけない』、『関係ない人を傷つけない』、『コトミのために、身を隠し続けること』、『一切悪事から手を引くこと』。全部破ってしまいましたが。新しい人生を生きる英コトミが本物の英コトミだと認めるなら、僕自身がこれらの約束を改めて守る必要がある。そうでしょう?」

「好きにするがいい。……お前はいい商談相手だったぞ」

 金髪の男が笑う。常の如く。

We look forward to serving you again.(またのご利用をお待ちしています)


 アタシが目を覚ました時、本当にクソみたいな状況だった。
 不気味な機械だらけの部屋で知らない男と二人きり。

 それでも「さっき」までよりはだいぶマシか。
 そう思ったところで気づいた。

 アタシは死ぬんじゃなかったのかよ。
 寒かったことも、怖かったことも、アタシはしっかり覚えていた。

 あの状況から助かった?
 誰かアタシを助ける奴がいた?

 そんなわけがない。
 絶対にありえない状況で、アタシは自分が生きているということを素直に喜ぶことができなかった。

 その場にいた男は碌な説明をしなかった。

 はっきり認めたのは二つ。
 アタシはアタシの死体から細胞記憶だかなんだかを引き継いだ人造人間だということ。
 その男は誰かに依頼されてそうしたのだということ。

 アタシは生き返ったと言えるのか、ただの複製に過ぎないのか。好きに解釈しろと言う。
 依頼したのが誰なのかについて話す気は一切ないらしかった。

 それからすぐにその場所を追い出された。
 扉を開けたら刑務所で、その上誰もアタシに気づく様子がない。
 何もかも意味がわからない。

 身に着けている服もあの男が用意したんだろうなとか、ポケットの中に札束とハイライトとライターが入っていたとか、気づいたのは後になってからで、それも本当に気持ち悪かった。

 行く当てもないままうろついて、やがてどうしようもなく空腹になり、アタシは目についた喫茶店に入っていた。

 渇きと飢えが満たされるとアタシの思考はうっすら頭に浮かんでいた可能性について検討し始めていた。

 アタシを生き返らせようとしたのは誰か。
 そんな奴がいるわけはない。
 アタシの味方をしようなんて奴はいない。
 だからアタシになんらかの利用価値があって、それでこんなことをしたんじゃないか、とか。
 だとしたら、アタシがこうして自由に歩き回れるとは思えない。
 だから違う。直感でそう思う。

 もう一つ、思い浮かんだ可能性はもっとあり得ないはずだ。
 アタシの味方をして、アタシを生き返らせようとする奴。
 そうしたかもしれない奴はアタシが殺したはずなんだ。

 でも、あり得ないというのなら。アタシがこうして生きていることもあり得ないわけで。

 事実をもとに考えられることを仮定する。
 揺るがない事実はアタシが生きていること。

 そこからの仮定。
 ソウスケも生きていて、アタシを生き返らせた。

 仮定の上の仮定。
 あの時アタシはソウスケを殺していなかった。
 それは有り得るだろうか。

 血の滴る、どくん、どくん、と鼓動する心臓の感触ははっきり覚えている。
 あれは現実に起こったこと。
 あの心臓は間違いなくソウスケ自身の物。そうアタシの能力で指定した。
 たとえソウスケが別人の死体や心臓を隠し持っていたとしても、それと入れ替えて偽装することはできない。

 ソウスケは心臓を取られても生きていた。これは有り得るだろうか。
 あり得ない。後に残された心臓を取り除かれた死体について、複数の人物が確認した。
 あの死体が正真正銘ソウスケの死体だったからこそアタシは50億円を手に入れた。

 この世の中、あり得ないことが起きたとしたら、それは大抵の場合、魔人能力によるものだ。

 あの状況を作り出せる魔人能力が存在するか。
 もっと言えば、あの状況で得をしたのはアタシだけだ。
 アタシのためにそんなことをする魔人がいるか。

 頭に浮かぶ可能性。

 これも、仮定。

 体が震える。もしもそうだとしたら。それを考えるのがこんなにも怖い。

 アタシのためにそんなことをする奴。ソウスケが、ソウスケの魔人能力でその状況を作ることができた可能性は。

 ソウスケの能力は『心覗の嗜み(ジェントルマンシップ)』。携帯電話機を作成する能力。
 つまり、携帯電話を作る能力で、ソウスケの体を複製することができるとしたら。

 アタシは、それを知っている。
 ソウスケ自身から、それを教えられた。

「ワーテレフォンって、本当だったのかよ……」

 嘘を、ついてたんじゃなかったのかよ。
 アタシは、アンタを信じられなかったんだよ。

「なんでだよ……」

 なんでアタシはソウスケに向き合えなかった。
 なんでソウスケはアタシのためにそこまでした。
 なんでだ。

 なんでアタシは今、泣いているんだ。

 全部、仮定だ。
 確かな証拠があるわけじゃない。
 アタシの勘違いかもしれない。

 それでもアタシはアタシを信じることにした。

 ソウスケを探す。

 会ってどうするかはわからない。
 感謝するべきか、怒るべきか、ぶん殴るか、自分でもわからない。

 本気で行方をくらませたソウスケをアタシが見つけられるのかもわからない。

 ソウスケが本当に生きているかもわからない。

 それでも決めた。

「追いつくからな、クソ野郎」

 探す当てはないけれど、立ち止まる理由ももうなかった。
 灰皿に押し付けた煙草の灰はまだ赤い光を帯びていた。



ダンゲロスSSイグニッションAfter burner あるいはダンゲロスSSエーデルワイスWelcome to the gray parade. 了
最終更新:2022年02月26日 23:13