49日前
私達魔神は、夢を見る事がありません。
何故なら、夢を見る前提となる『睡眠』という機能自体が、そもそも私達に備わっていないからです。
川の流れが絶える事が無いように、朝の後には夜が来るように、魔人能力を発揮し続ける機構として形成された私達魔神は、『疲労』や『睡眠』といった概念からは隔絶されています。
もし、私達が動きを止めるとすれば、それは『損傷』や『破壊』、あるいは『消失』といった形を取ることでしょう。
少なくとも、私以外の十一体の魔神は、最後の瞬間まで『睡眠』、そして夢とは無縁でした。
そして、私――クリープも、今のところは『睡眠』を取ったことも、夢を見た事もありません。
それに不足や満足を覚える事はないですが、ふと、考える事はあります。
夜ごとに眠り、夢を見る人間。
彼ら彼女らは、夢の中に何を見、何を得、何を失うのか。
例えば、お嬢様――山乃端一人お嬢様は、今宵の夢で、何を見るのか。
* * *
第一話「49日前」
* * *
私の一日の活動は、比較的早い時間帯に開始されます。今の季節ですと日の出よりも早いぐらいです。
この時間帯ですとお嬢様は概ねお休みになっておられますが、あらかじめ許可を頂いていますので顕現に支障はありません。
軽く念じるとほぼ同時。小さく跳躍するような感覚と共に、私は銀時計の『内側』から『外側』、皆様が認識するところの現実世界へと出現しました。
出現したのは、やや広めの薄暗い洋室。年季の入った印象のベッドをはじめ、高級ですが派手ではない家具が並んでいます。ここ数年ですっかり慣れ親しんだ、お嬢様の自室です。
ベッドでお休みのお嬢様の方を一瞥します。よく眠っていらっしゃいますが、表情はやや険しいご様子。嫌な夢でも見ていらっしゃるのでしょうか。
それも、前日に起きた事を考えれば無理からぬことですが。
「……私だけになってしまいましたね」
らしくもない独り言が、私の口から零れ落ちました。
いけないいけない。今更言っても仕方のない事です。自重しなくては。
お嬢様に小さく一礼し、私は部屋を出ました。
お嬢様は、山乃端の屋敷の別館に一人で住んでいらっしゃいます。
魔神と銀時計を継承した三年前に、ご両親に直談判してこちらに移り住んだのだ、とお嬢様が笑ってお話になったのを記憶しています。
私達十二体の魔神を顕現させながらの一人(+十二体)暮らしは、大層騒がしかったものです。
今となっては、それも過去の話。
本館にお住いだったお嬢様のご両親も、私以外の魔神も、皆居なくなってしまいました。
それでも、無人の本館はいざ知らず、お嬢様の暮らす別館ぐらいは清潔に保たないといけません。水を汲んだバケツを玄関の前に置いた私は小さくため息をつきました。
掃除、炊事、洗濯。魔神の身には馴染まない、随分と所帯じみた所作が身についたものです。
進んでやっている事ですし嫌という訳ではありませんが、それでも、冬場の水仕事には独特の緊張感を伴います。
私は手にしたモップの先端を水に浸しながら、右袖に隠したナイフを生垣に向け投擲しました。
「…………」
しばしの間。
さくり、と、生垣を構成する植物にナイフが突き刺さった音が響き。
それと同時に、朝方から私を不躾に見つめていた気配は姿を消しました。
気のせい、ではありません。
その証拠に、ナイフの着弾時間が常よりゼロコンマ数秒遅延しました。何らかの魔人能力による防御が行われたとみて間違いないでしょう。
「……また、ですか」
溜息をもう一つ。
お嬢様を狙う何者かが現れるのは、これが初めての事ではありません。
ここ三か月ほどの間、お嬢様は間断なく何者かに狙われ続けているのです。
単独犯ではなく複数犯。所属どころか目的すら異なる複数の者たちが、お嬢様を殺す事だけを共通項として次々と現れ続けていました。
お嬢様のご両親も、私の同輩である十一体の魔神も、彼らとの戦いの中で命を落としたのです。
いったい何が起きているのか、魔神一の知恵者であった愚者なる黄金王ですら、事態の全容を把握することはできませんでした。
確かな事はただ一つ。このままではお嬢様は死に至る。
私のもたらす緩慢な泥濘の終焉ではなく、臓腑を裂かれるような苦痛による死。
もちろん、それはお嬢様の望むものではありません。
望まぬ結末を退けるべく、お嬢様と私達は戦って、戦って、戦い続けてきました。
お嬢様はもちろんのこと、私も諦めるつもりは毛頭ありません。
――とはいえ。
「――うんざりしてため息をつくぐらいはお許しくださいね、お嬢様」
もう一度だけため息をついて、私は玄関の掃除を再開するのでした。
* * *
「――お嬢様。今の状況は分かってらっしゃいますね」
「……うん」
掃除を終え、炊事を済ませ、お嬢様を起こし、御着替えを手伝い、洗濯を終え、朝食を共にして、銀時計の『内側』へと戻ってから、しばらく後。
お嬢様の日課である朝食後のランニング中に、その事態は発生しました。
「今お嬢様は大変危険な状況です。私も可能な限りお守りいたしますが、限界はございます」
「うん」
「ですので、危険な場所や不審な人物にはできるだけ近づかないでいただきたいのです。分かりますね」
「……うん」
「――でしたら」
銀時計の『内側』にいる私は、『それ』にピッと指を突き付けるイメージをお嬢様に送ります。
「彼女を拾っている場合ではありません。分かりますね。放っておくのです」
「えー」
「えー、じゃありませんお嬢様。大体なんで道端で寝てる女の子を拾おうとするんですか」
「だって可哀想じゃない! 放っておくなんてできないわよ!」
「お嬢様、お言葉ですが可哀想なのはお嬢様の境遇と頭です」
「頭は関係ないでしょう!?」
ポニーテールをぷるぷる振るわせてお嬢様が抗議してきますが、私もここは譲れません。
「お嬢様、人恋しいのは分からなくはありませんが、せめて然るべき機関へと任せましょう。保健所とか」
「野良猫じゃなくて野良人間の女の子って保健所の管轄でいいのかしら……じゃなくて! そんなことしたら殺処分されちゃうでしょう!?」
「いくら日本の行政でも人間のホームレスにそういう事は多分しません、お嬢様。ですから――」
「……あのう」
――しまった、時間をかけ過ぎました。
いつのまにか、眠っていたはずの少女が目を覚まし、お嬢様に話しかけていました。
「なんか、姿の見えないお話相手の方がいるみたいですけど……」
「あ、いや、それはそのー。一人芝居? 一人だけに、みたいな」
「お嬢様、初対面の方にそのジョークは通じないかと」
「……いえ」
桜色の髪をした少女は、ふるふると首を横に振りました。
「初対面じゃないですよ、山乃端一人さん」
「……え?」
「とはいえ、一方的な面識ですけど。こちらからは初めまして、一人さん」
そう言うと、少女は一挙動で立ち上がり、そのままぺこりと礼をして。
「わたしは煎餅……柳煎餅。山乃端一人さん、義を持ってあなたを助太刀に来ました」
それが、ご両親と私達以外では初めての。
お嬢様の味方との出会い、でした。
* * *
「おわああああ……温い、お湯の温かみが心に染み入りますぅぅ」
「うふふ、煎餅ちゃんかわいいー、もっとお湯に浸かっちゃっていいからね」
――お嬢様は何故、ここまで彼女に心を許しているのでしょうか?
* * *
「ええと、クリープ。この人たちは何?」
「はい、屋敷内に突如出現した人型の存在……自称『柳生チンピラ』の皆さんです。私の能力で掌握できましたので、小間使いとして使っています」
「そ、そう……」
* * *
「……お墓参り? ですか?」
「うん。父さんと母さんが亡くなって、そろそろ四十九日なんだ。ドタバタ続きでちゃんとしたお葬式はできてないけど、せめてお参りぐらいはって」
「そうですか……それならわたしは」
「うん、煎餅ちゃんもついてきて欲しいんだ」
「そうですね、ついて……え?」
「? どうかした?」
「い、いえ! なんでもないです! 是非! ええ、是非!」
…………。
* * *
「……貴方は、一体?」
「山乃端……一人……お前を殺し、私は……すべてを……」
「――そうは参りません、可愛らしい覆面のお方」
「そうはいきませんよ、変な覆面の人」
「お嬢様は」
「一人さんは」
「「私が守ります!」」
* * *
「遅すぎた、って事は無いみたいですね。何とか無事で何よりです、一人ちゃん」
「え……星羅さん!? どうしてここに!?」
「『ベイカー街』の皆が教えてくれました。皆さん心配してましたよ。たまにはまた、『シャーロキアン』にも来てくださいね?」
「は……はい! ぜひ! あ、それから……」
「分かってます、あのお侍さん、なかなか手ごわそうですが……今なら、隙がありますね」
「……星羅さん」
「じゃ、行ってきます。負けませんよ、私は!」
* * *
「……ふぇぇ、え、え……」
「――何とか、なったようですね」
「ええ。……あはは、啖呵切った割にお恥ずかしい感じになってしまいましたが」
「いえ、十分です。それで、星羅さん」
「ええ。事情を知りたいんですよね……と言っても、私も人づてに話を聞いただけなんですけど」
「どなたから?」
「店長……小松川健一店長。あの人は、おそらく大体の事情を知ってるはずです」
「――では」
「ええ」
「続きは『シャーロキアン』で、と行きましょう」
* * *
浸透する美姫、山乃端一人の許容限界まで、あと49日。