山居ジャックが仙道ソウスケからの電話を受け取っていた頃、しかし山乃端万魔は、ソウスケの口から名前の出た“組織”ではない、もっと別のモノと戦っていた。

「ハアッ、ハアッ……!」

 既に限界だった。だが、攻撃の手は止まない。あの影には全く感情、意志など感じられない。ただ殺すだけの、機械のようなものだ。

「くっ!」

 万魔は苦し紛れに、先ほどまで自分の意識の乗っていた肉体を武器として叩きつける。
 だがそれは、ただの手刀により、不自然なほど真っ直ぐな切り口で引き裂かれた。

(何なんだ、こいつは……)

 それだけではない。この聖職者を象った影は、ただ触れただけで、“命”を急激に吸い取られそうになる。
 万魔は能力により肉体の傷ならいくらでも無かったことにできる。だが、精神的なダメージは癒せない。
 死神は回復を待ってくれるわけもなく、眼前に迫る。

(い……やだ……)

 力の入らない腕で銀時計をなんとか、少しだけ遠くに投げ捨てる。
 次の瞬間、素手に心臓を貫かれる。それだけならまだしも。
 転移した万魔は、傷ひとつない体で、一歩も動けなかった。
 最後に影が触れた瞬間、命を吸い取られるのと同時に、真っ暗な影のその奥に、あるいは背後にあるものを、万魔は理解してしまった。
 確かに影自身に意志は無い。しかしそれは大きな意志に操られている。
 “世界”が殺しにきたのだ。万魔を、ではない。山乃端一人を。
 その影に山乃端一人が触れれば即死する。そして万魔は、“山乃端一人”を大部分受け継いでしまっている。本人の心境など関係ない。影に触れる度に、受け継いだと同じ割合、死を強制される。
 それが仮に6割だとしても、3度の接触で彼女はもう9割以上死んでいた。
 世界の意志が突き付けてくる。

『もう一度、正しい選択を』

 タロットに願った選択が、間違っていたと言うのだろうか。
 それならば、最初から希望なんて見せないで欲しかった!
 叫びたかったが、そのための心すら残っていなかった。
 次の接触はもう、耐えられないだろう。
 「愚か者」と蔑むように、しかし慈しむように、世界は万魔にただ触れようとする。
 その影の手を、柄の長い、1m程の、土を掘るための道具がはたき落とした。

「ばんちゃんはまたそうやって……1人ぼっちで戦おうとしないでください!」

 絶体絶命のピンチに颯爽と現れる自称親友に、本当なら泣いて飛びついたかもしれないが、空っぽの心はまだ何も反応できなかった。

「大丈夫、ノープロブレムです!しばらくそこで見ててください!」

 こんな状態でも、彼がいたなら、餅子に何か伝えられたのだろうか。
 しかしその必要は無かった。餅子はもう十分に理解すべきことを理解していた。
 スコップで突きを繰り出す。
 餅子は能力により誤って得物を離す恐れがない。それは武器を最速で振り回せるということに他ならない。
 突きは影の一部を欠いたが、動きに影響が出ることはない。
 出血も痛みも、影にはありはしないのだ。
 餅子は手元にスコップを引き寄せ、防御に転じた。
 影がその皿の部分を指で突くと、根本から90度に折れ曲がった。

「攻撃の見た目と結果が一致しない……幻覚能力ですかね?」

 餅子は曲がった得物を離さない。どうやら直接触ることによる精神ダメージを警戒しているようだ。
 そのダメージは餅子には発生しないため推理は間違っていたが、警戒自体は正しい。
 影の正しい能力は、「肉体が触れたことで発生したエネルギーが対象に作用する面積を制御する」というもの。つまり、直接攻撃がその見た目に関わらず刺撃、斬撃、打撃、押し潰し、いずれにもなり得るのだ。
 だから、やはりあまり触れない方がいいのだ。
 『もちもちぺたぺた肌』でもなければ。

 影は拳でスコップの柄を“斬って”、そのまま餅子のみぞおちを狙う。横から触れれば“くっつけ”て止められるが、間に合わない!
 餅子は咄嗟に腹に力を込め、無意識に能力を走らせた。

「んぐっ!」

 “普通に殴られたみたいに”痛かった。
 影が一瞬演算を停止する。確かに“刺した”はずだったが。

 “くっつける”という動作は、接触面で相互作用が起きる。そのため、影の能力で作用しなくなったはずの面積部分を“くっつけ”で再度作用させ、見た目どおりの攻撃に戻すことができたのだ。

「なんかよく分からないですけど、あたしにはあまり効かないみたいですね!」

 餅子は素手で反撃に出る。
 形勢逆転、ではなかった。
 ひるむ、疲れる、弱点。これらの要素が影には存在しない。ただの格闘戦になった以上、それは圧倒的に人間側に不利な条件だった。

 徐々に疲弊していく餅子の姿を眺めているうちに、万魔のほとんど死んでいた心が戻ってきた。
 自然な回復ではない。劇薬があった。“怒り”という劇薬が。

(“世界”が……何だよ。そんなに偉いのかよ! 一人を殺して……餅子も傷つけて……)

 万魔は、餅子のスコップが最初に欠いた影の一部に視線を向けていた。
 あれから復活する気配が無い。
 “影”と言ってもダメージそのものはあるし、欠損も不可逆なようだ。だとしたら、一発逆転の方法は、ある。
 見立てが間違っていたら、死ぬけど。

(それが“世界”なら、こっちから願い下げだ! 俺は、“選んだ”よ)
「餅子!」

 万魔は銀時計を投げ、ジェスチャーで餅子にやってほしいことを伝える。
 餅子はその通りに、銀時計を開いて影に押し当てる。

「ここは……“俺の世界”だ!」

 人間相手にはたとえ極悪人にだろうと絶対にできない技だが、意志を持たない影に対してなら躊躇なくやれる。
 開いた銀時計の先に転移してきた万魔の肉体が再構築される。その座標にいた影は内側から押し退けられ、弾け飛んだ。

「は、は……やっ…………」

 ただしその瞬間、万魔は確かに影に“触った”のだ。
 彼女はその場で崩れるように倒れた。



 何日も眠っていたような気がする。
 夢を見ない、深い眠りだった。

「大丈夫ですか?」

 ぼーっとした頭を起こした万魔は、神職の男性に声を掛けられる。
 ここは神社の中だった。たしか境内で戦っていたはずだ。

「そちらのお嬢さんが中まで運んできたのです」

 見ると、そちらも疲れて眠った様子の餅子の姿があった。

「ああ、ありがとうございます。すぐに出ていきますんで……」

 敷いてもらった布団をそそくさと出ようとする万魔を男性は引き留める。

「いえ、少し気になることがありまして……その銀時計、あなたは、山乃端のお嬢さんでは?」
「……ええ」

 本当は違うが、話を合わせておいた方がよさそうだと判断した。

「やはりそうでしたか! 私どもの神社、山乃端神社とは分社の関係にありまして」

 “今”の山乃端一人の経歴には“以前”とのズレがある。一番大きいのは年齢だが、それは“魔人にならない”という願いが反映され、魔人になりがちな年齢を回避したものと思われた。
 しかしこの“神社の生まれ”というのは理由がよく分かっていない。
 ゆえに万魔は、今がそのルーツを調べる機会だと思った。

「何か、資料を見せてもらっても、いいですか?」

 万魔が尋ねると、男性は喜んで資料の束を差し出してきた。
 それを1枚1枚、めくっていく。古い文字はあまり読めないので図や挿絵が中心になるが。
 ふと、手が止まる。
 そこには2人の人物が話し合っているような絵が描かれていた。
 その片方の人物が纏った奇妙な“面”に見覚えがあった。

「こ、これ!」
「ええ、そちらがかみさまですよ。お顔を描き示すのは畏れ多いので、隠して描いたと言われております」

 万魔はいても立ってもいられなかった。

「すみません、やはりすぐに出発しなければいけないようです。ありがとうございました」

 資料を丁寧にまとめて男性に返し、すやすや眠る餅子を叩き起こす。

「餅子! “奴”を探すぞ!」

 このめぐり合わせにはきっと意味があると信じて。万魔はもう一度立ち上がった。

最終話へ続く
最終更新:2022年03月26日 20:04