ガシャア――――ン
山乃端一人はガラスが砕け散るけたたましい音を聞いた。
それは彼女が乗るバイクがショッピングモールの自動ドアへと突撃し、ガラス戸が開くのを待つことなくそれをぶち破りながら入店したことによる轟音だ。
とはいえ山乃端が操縦しているわけではない。山乃端は運転手の背中に必死になってしがみついている、いわゆる二人乗りの状態だ。
少女は無理やり被らされたフルフェイスヘルメットの中で固く目をつぶっているがそれでも全身を伝う衝撃と耳に入る音が惨状をありありと伝えている。
山乃端を乗せた二人乗りバイクは何も知らぬ一般客が歩いている店内通路を爆走する。目をつぶっている山乃端には見えないが、現在彼女達が居るこのエリアは三階から一階まで吹き抜けとなっており、三階と二階は両サイドの通路とその二本を繋ぐ通路が並んでおり、上から見れば工工工 状に通路が続いている。
突如現れた暴走バイクにモール内の一般客の反応は様々だ。慌てて逃げ出す者、唖然として見つめる者、端末のカメラを構える者。いずれにせよ近付こうとする者は少数派だ。
少数派、つまりゼロではなく近付く者が存在する。
ババッ、とバイクの進行方向から向かって左手側、アウトドア用品を取り扱うショップから数名の武装集団が飛び出した。
「柳生新陰流の匂い、生かしてはおけぬ。死ねぃ!」
――山乃端も知らぬことであったが、それらはこの戦いの関係者である柳煎餅を抹殺すべく自動生成される柳生追手の一派である。
柳生追手はターゲットである柳煎餅を殺すべく活動するが、知性の低い彼らは近くの人間にも襲い掛かる性質も有している。
そして柳生追手にとって、柳煎餅と縁がある山乃端一人はただの一般客よりも優先すべき対象である。
飛び出して来た三人――アウトドアグッズに身を包んだアウトドア柳生達はそれぞれ手に持ったペグハンマー、ストック、火かき棒を刀のように構え、バイクに乗る二人へと突き出す。
時速100キロ超で走るバイクから見ればすれ違うように放たれる刺突は三本の死線に等しい。
逡巡の余地はコンマも無く――
直進していたバイクはその車体を右方向へと倒した。……いや、地面に倒れる直前に車輪の回転力で独楽のようにぐるりと一周した。
まさにバイクによるブレイクダンスのように。そして柳生追手からすれば自分達の下半身を刈り取る薙ぎ払いに等しく。
「ちぃ――!」
柳生追手達は刺突の態勢のまま跳躍、スライディングキックの如き曲芸走行を飛び越え攻撃失敗の代わりに回避を得た。
自らの足元を潜って行った目標が遠心力で体勢を立て直し再び直進して遠ざかるのを見送りながら着地し即座に反転。柳生追手は逃げる山乃端一人を本能のままに殺すべく。
「逃げすか、追」
え、と発音する前に三人の胴体は上下に別れた。
彼らが最期に見たのは自らの体を切り裂いた青白く輝く三日月の如き斬撃であった。
なんということはない。
山乃端一人の首を切り落とすべく放たれた自動追尾斬撃がその経路上に居た柳生追手をついでに殺害せしめただけである。
飛来する青白き斬撃の数は五つ。その全てが時速約120キロの速さで山乃端一人を追い、そしてバイクはそれよりも少し遅く山乃端一人を乗せて逃走している。
……山乃端一人を狙い最短距離で真っすぐに飛翔する斬撃と違い、バイクは一般客や柳生追手にぶつかればそれだけスピードを失う。故に運転手はテクニックでそれらを回避していたがやはり柳生追手を避けるための曲芸走行はいくらかスピードに影響を与えてしまったようだ。ジリジリと斬撃との距離が縮まる。
そしてショッピングモールはコースとして有限ではない。
前を見ればそこにはモール三階に併設された映画館エリア。通路はここが終端でありスピードをなるべく落とさないように走り続けるにはロビーをUターンして反対側の通路へと行くしかない。
しかし流石はモールシネマと言ったところか、人が多く一切接触せずにターンするのは不可能に近い。そして接触による減速は斬撃に追い付かれることを意味する。
時間が無い。
距離が無い。
空間が無い。
「……」
そうして。
運転手はロビーへと突入する前に通路の横幅で可能な限りドリフトさせバイクを反転させるような軌道を描きながら。
吹き抜けへと車体を投じた。
「―――」
突然の浮遊感に山乃端が声にならない悲鳴を上げる。キュルキュルキュルと地面から離された車輪が行き場の失った回転音を響かせる。
山乃端を狙う斬撃は吹き抜けを落下する哀れなターゲットの首を切り落とすべく一直線に飛び掛かり。
ガダ、と車体が着地する。
それは三階のモールシネマへと直通の大型エスカレーターで、安全のためか昇り降りのレーンの間に比較的広めの幅が取られていた。
バイクが走れる程度の幅が。
空転していた車輪がエネルギーの伝達先を見つけたことにより車体は一気に前進する。特に三階から一階への直通のため重力が初速を後押しする。
迫っていた斬撃は加速するバイクに追い付けず、やがて一階へと辿り着いた頃になって有効射程が切れたのか青白い輝きは次々に消滅していった。
「……」
この一連の出来事を山乃端は正確に把握できていたわけではない。ただジェットコースターよりも余程危険なアトラクションだったことは分かりたくないほどに痛感していた。
(どうして、こんなことに)
そうして少女は現実逃避のように、このショッピングモールへとやってきた今朝の出来事を思い出していた。
☆ ☆ ☆
休日の朝。折角早起きしたのだからと行きつけのカフェ に足を運んだものの。
「臨時休業……」
と、店の張り紙に出鼻を挫かれることとなった。
確かに約束こそしていなかったものの、ここに来れば会えるかもしれないと楽観視し過ぎていただろうか。
「星羅さん大丈夫かな……」
――先の一件。山乃端は友人の瑞浪星羅と共に侍の姿をした魔人に襲われ負傷した。
幸い山乃端の怪我は大したことが無かったが瑞浪はサークル の仲間に連れられて病院へと運び込まれていたらしい。
結局大ごとでは無かったとは聞いていたが実際に顔を合わせたかったのも事実。とはいえ。
「閉まってるならしょうがないよね」
ここでとやかく言っても詮無いこと。山乃端は踵を返しプランを変更することにした。
舌はすっかりコーヒーの気分だ。ショッピングモールに入っているコーヒーショップでサイフォン式コーヒーとホットサンドのモーニングでもいただくとしよう。
(鍵掛くんも最近いろいろ忙しいって言ってたし、みんな大変だ)
脳裏に別の友人を思い浮かべる。
最近配信業で高額スパチャを受けていた彼は「いやぁ裏で企画とかやっててさ」とかなんとか言っていて以前より付き合いが少なくなったように感じる。
代わりに「これいつも付けておいて!」と防犯ブザーを渡された時は流石に子ども扱いし過ぎだと思ったものだ。
(そういえば)
友人と言えば。例の一件で知り合った人物を思い出す。
言動こそ少し珍妙だったが、魔人に襲われた自分と瑞浪と助けてくれた恩人。
出会い頭に早口で名乗られたその名は。
(――柳煎餅さん。結局ちゃんとお礼も言えなかったな)
☆ ☆ ☆
ハーフサイズの卵ホットサンドにグァテマラのモーニングセットを堪能した山乃端は、特に目的も無くモールをぶらぶらと散策していた。
雑貨屋、本屋、ついでに靴もいくつか吟味し、どの店も空手のまま出て来た彼女の手には今は映画のチラシが数枚取られていた。
「これ星羅さん好きそう」
来月公開予定の新作をチェックして満足して頷き、丁寧に畳んでポーチに仕舞う。
そのまま店先を眺めながらハシゴ状の通路を歩き、まだ昼前で人も疎らなフードコートに辿り着いた。
普段こういう場所には学校の友人で集まってわいわいと楽しむものだが、一人の今はわざわざ立ち寄る必要は無い。
と思っていたのだが。
「……まぁクレープがあったからしょうがないよね」
女子高生らしく甘いものに負ける。
折角なのでお行儀悪く歩き食べなどしていたら、クレープを食べ切った際に持ち手の紙部分の処遇に困ることとなった。
(ゴミ箱どこだったかな……ついでに自販機も)
このために踵を返してフードコードに戻るのもなんだか嫌な気分だ。
そうしてゴミ箱を探しながら歩いていると、駐車場エリアの清算コーナーに自販機とゴミ箱が揃っているのを発見した。
これ幸いと包み紙を畳んで捨てつつ、自販機のラインナップを確認する。
麦茶、ウーロン茶、オレンジジュース、アップルジュース、コーラ、コーヒー。
(……豚汁? カレースープ?)
定番の物に並んでやけに癖の強い色物が入っていた。
「なんだろう、これ。おにぎりと一緒に食べてとかそういうのかな」
首を傾げつつ、硬貨を入れてミネラルウォーターのボタンをプッシュ。ガコン、と思ったより大きな音と共にペットボトルが排出され、取り出し口のカバーを開けて掴み上げた。
キャップを開けて水を一口飲みながら、さてこれからどうしようと少女は考える。
(せっかく街まで出て来たんだから、午後から誰か誘ってみようか。もし誰も暇じゃなかったら図書館で勉強でもしようかな)
ふと。
何気ない思考のまま視線を漂わせていた山乃端の視界の端に、少女の姿が映った。
お世辞にも小綺麗とは言えない恰好の彼女はまさに先日知り合ったばかりの。
「……あれ。柳煎餅さん?」
「……」
まさかこんなところでバッタリと再会できるとは思わなかったと、山乃端は驚きと喜びが混ざった声で恩人の名を呼ぶ。
だが当の柳は真顔のままゆっくりと山乃端へと歩み寄り。
膝を曲げ、まるで放たれる矢のように低い姿勢のまま山乃端へと突進してきた。
「え――」
呆然とする山乃端の胸元目掛けて柳の左手が伸びる。見た目よりもずっと強い力で掴まれた山乃端はそのままグイと引っ張られ無理やり地面へと転ばされた。
「痛っ、え、何」
バランスを崩し肩から転がるように地面に倒れる山乃端は苦痛に悲鳴を上げつつ、細めた目でそれを見た。
自分に目掛けて飛んできた青白く輝く何かを、柳が空の右手の振り下ろしで迎撃した光景を。
「……あれェ? 今の完璧に決まったと思ったんだけどなァ……」
思わず痛みを忘れて言葉を失う山乃端は、そう言いながら姿を現したその女性を見た。
黒いパンツスーツ姿の小柄の女性、だがその手に握られた彼女自身の身長よりも長大な太刀が異様さを放っている。
「乱暴にしてごめん山乃端さん。でも私から離れないでください」
「や、柳さん? 何がどうなって」
「――あれは殺し屋。あなたを狙ってる」
殺し屋。現実離れしたその単語に、再度言葉を失う。
「いやーご紹介に預かりました御首級 てがらですっ。って名乗ったらダメなんだっけ?」
あ、と目と口を一瞬見開き困ったように左手で自らの口を押さえる御首級と名乗った殺し屋。それだけを見ればまるで害意を感じられないのが逆に恐ろしかった。
だって、落ち着いてよく見れば。御首級の後方、駐車場には何人もの人が倒れていて――
「でも全部殺せば口封じもバッチリっ。だからその首、置いてってくださいね!」
そう言って凶手は何気ない動作で右手の太刀を振り上げ。
――秘剣・首級 返し
太刀の軌跡から青白い輝きが出力される。それは先ほどと同様に山乃端へと一直線に飛来し。
そして先ほどと同様に柳の振り下ろしによって撃ち落される。
――無刀取り
さらに。
「『剣禅』――」
振り下ろしの姿勢から手首を返し、柳は御首級に向けて逆袈裟の斬撃を振るう。
……振るおうとした直前、追加で放たれていた青白い斬撃が柳に迫っており。
「っ! 『一如』!」
ギリギリでそれに対応した柳は、狙いを御首級からそちらへと切り替える。振るった軌跡からビームが放たれ、青白い斬撃と正面からぶつかり合いそれを打ち消した。
ビームの余波が駐車場の壁を削る。それを見て御首級は感心したように頷く。
「いい腕ですねっ。それにその動き、どうやら何もないところからエネルギーの剣? みたいなモノで斬撃ができるってことか!」
「そっちこそ、直接首を狙う飛ぶ斬撃の能力。まさに殺人鬼ってカンジだね」
今の交戦で柳と御首級は互いの魔人能力をある程度理解していた。
御首級の能力は太刀の軌跡から青白い斬撃を放つ。それは対象の首に向けて飛来する。
柳の能力は一見空手のようで実体の無い剣を振るう。さらに無の剣からはビームのような斬撃を放てる。
互いに遠距離攻撃ができる斬撃の能力。
そして剣士として高い力量。
――強い。
「『剣禅』――」
動き出しは同時。
柳は上段からの振り下ろしの体勢を、御首級は即座に横方向へと駆け出しを。
「――『一如』」
放たれる斬撃ビーム。それは御首級の進行方向を偏差射撃のように狙った一撃だった――が。
「フッ!」
如何なる歩法か、御首級は一定のように見える足の動きから歩幅を僅かに調節することで速度を見誤らせ柳の目算をズラした。
ビームが御首級の目前を過ぎる。あと一歩で死をもたらしていた距離。その一歩が永遠に遠い。
回避されたことを認めた柳は振り下ろした姿勢から再度剣禅一如を発動させようとする。
が、御首級はその場で跳躍し見事な前方宙返りを決めてみせた。大振りな太刀を持ったままのそれはまさに曲芸と言わざるを得ない。
そしてそれがただのパフォーマンスなわけもなく。
「そうか……!」
柳は歯噛みする。前方宙返りをしながら放たれた斬撃がこちらへと飛来してきたからだ。
その数は三。ご丁寧に、柳に一・山乃端に二と振り分けられた軌跡。
(あの女の能力が自動追尾する斬撃を放つというのなら……どの方向に向けて刀を振ろうと関係無いということ!)
山乃端を庇うように下がりながら、三発の斬撃を迎撃。その間に御首級は駐車場に停車する車の群れへと姿を隠していた。
単純に、能力の遠距離攻撃としての性質を見るなら威力も貫通性も柳の剣禅一如の方が上だ。ぶつかり合いならこちらに分があるだろう。
だが、殺すための性能としては御首級の能力が優れている。相手と距離を取りながら正確に致命的な攻撃を行えるのは明確な強みだ。
何より。
「山乃端さん、怖いとは思うけど後ろで隠れていて。逃げちゃダメだよ、余計に危なくなる」
「わ……か、った」
強い子だ。訳も分からないだろうに、混乱と恐怖を飲み込んで必死になっている山乃端の姿に柳はひっそりと息を吐く。
何より、こちらには山乃端一人という明確なウィークポイントが存在する。彼女を守るため本来ならここからさっさと離れてもらうべきなのだが、自動追尾攻撃がある以上中途半端に逃げられるのが一番面倒事になる。
幸い御首級の飛ぶ斬撃は攻撃をぶつければ相殺できるのは立証済み。近くにいれば守ること自体は可能、だが。
「来た――!」
構える。
柳と山乃端、二人の目に車を貫通して次々に飛来する斬撃の群れが映った。
少女の悲鳴を背後に聞きながら、柳は横薙ぎのビームを放ち斬撃の半分を撃ち落とした。
それでもなおこちらへと襲い来る攻撃を無の刃によって切り結ぶ。
柳の無刀取りは文字通り無を刀とする。これの大きなメリットとして、実際に刀を振るうのと違い刀の向きや重さを気にすることが無いという点がある。
何せ、無である。斬撃の後に切り返す際に、通常であれば刀を反転させる際の重さによる負担や、刃を返さなければ峰や腹で撃つことになってしまうが、無の刀であれば重さを気にせずに切り返すことができ、振るった瞬間瞬間に常に最適な刃の方向を向けることができる。
故にその斬撃乱舞は御首級が予想していた迎撃不可能な量を越えて全てを撃ち落としてみせた。これには流石に殺しの天才も舌を巻く。
そして一瞬の空隙を縫うように。
「――『剣禅一如』」
柳は御首級が潜んでいる場所にアタリを付け、突きと共にビームを放つ。慌てて車の影から飛び出した御首級が隠れていた車体に大きな風穴が開いた。
……本来なら、柳としてはこのまま距離を詰めて白兵戦へと持ち込みたい。
今の競り合いこそ柳が優勢だったものの、長引けば長引くほど不利になるのは明らかだ。
そもそも可能な限り平気な顔をしているが剣禅一如は体力の消耗を要する技、いつまでも続けられるものではない。
だが敵に接近するということは山乃端から離れるということであり、それは山乃端への自動追尾斬撃に対する守りを失うという意味だ。
“山乃端を見捨てれば勝てる”
柳の脳裏にその考えが浮かぶ。何の意味も報酬も無い、ただの自己満足で始めた護衛。やめてしまえばいいのでは?
(……イヤだ)
そしてそれを即座に否定した。これはただのエゴ。だからこそ彼女を守り、自分の心を守る。
そのために命を賭ける価値がある。
「……柳さん!」
背後から悲鳴のような声が聞こえる。自分の名前を呼ぶ声がする。
「大丈夫だよ山乃端さん。ここは私が」
「違う! あっち!」
安堵させようと声を返せばそんな不明瞭な返答。御首級の警戒を緩めずに視線だけで駐車場のスロープに意識を向ける。
「ヒャッハー! 殺せ殺せー!」
「逃げ柳生は消毒だー!」
「脱走者は居ねがぁー!」
喧噪。そこにはバイクに乗った何人かの――見るからに治安の悪い集団が立体駐車場三階へとなだれ込んで来ていた。
これこそ柳煎餅が背負う柳生の呪いの一つ。脱走者たる柳を抹殺すべく自動生成される柳生追手。
バイクを駆るモヒカン柳生の集団である。
「ああもう、こんな時に空気を読まない!」
釘バット、釘日本刀、釘火炎放射器などの凶器を手に駐車場で暴れ始めるモヒカン柳生に柳は苛立ちを隠せない。
自動生成柳生追手は知性が低く近くの相手に適当に襲い掛かることが多い。
だが、流石に本来のターゲットである柳がこの場に居る以上は柳を優先して攻撃してくるだろう。
……既にギリギリの拮抗状態が崩れかねない。
柳は幾度目かの剣禅一如を放ち御首級を牽制、そのついでにモヒカン柳生を三人ほど吹き飛ばす。
「山乃端さん、手を!」
一瞬の空白、その隙に柳は離脱を提案する。せめてもっと狭い場所でなければ、自動追尾斬撃交じりの乱戦で山乃端を守り切るのは不可能だ。
柳の伸ばした左手に、一瞬の逡巡の後に山乃端が手を取る。伸ばそうとした。
「死ねぇぇぇ!!」
モヒカン柳生の一人がバイクに乗ったまま柳へと突撃して来る。回避は容易だがそうすれば山乃端が逃げ切れない。
「この!」
柳は先ほど吹き飛ばしたモヒカン柳生の得物、足元へと転がって来ていた釘バットを器用に蹴り上げ撃ち出す。
釘バットはブーメランのように回転しながら正面からバイクの前輪に衝突、ガガギッ、という不快な異音と共にバイクは横転し勢いのままモヒカン柳生は地面に叩き付けられ柳と山乃端の隣を転がり過ぎて行った。
数秒のロス。柳は慌てて周囲を――御首級の気配を警戒する。
居た。殺し屋は既に斬撃を放っている。真っ直ぐに飛来するそれを、しかし直前に気付けたことで余裕を持って迎撃し。
「……二方向!?」
――同時に別方向から飛来してきた青白い輝きに虚を突かれた。
御首級の遠距離斬撃は斬撃の方向に関わらず対象の首を一直線に追尾する恐ろしい能力。
だがその強力さ故に「常にターゲットまでの最短のルートを辿る」という融通の利かなさが数少ない短所であった。
極端な話、「御首級と山乃端の間」にさえ居れば迎撃は難しくはない。
なのに。この斬撃はその御首級と山乃端を結ぶ直線とは異なる軌道を描いている。
一瞬の動揺。既に眼前の斬撃を迎撃するために振り下ろしを完了している。ここから次を止めるためには再び振り上げを――姿勢を――刀を――。
そこで、ようやく気付いた。
(違う! これは止めなくていいんだ!)
そう思った時には既に柳は無理な体勢での斬撃を終えてしまっていた。
放っておいても誰にも当たらない攻撃を止めるために貴重な手番を消費してしまっていた。
(今の斬撃は――先ほど吹き飛ばしたモヒカン柳生を狙った物! こいつらはバイクで走り回っているから斬撃がすぐに追い付かず、この駐車場内を飛び回っていたんだ!)
そしてターゲットになっていたモヒカン柳生が山乃端の近くに転がり込んだことでそれを狙った斬撃があたかも別方向から山乃端を狙っているように誤認してしまった。
御首級は狙っていたのか。ただの偶然か、それとも偶然を利用したのか。
いずれにせよ、柳が山乃端をカバーできない数瞬が生じてしまったことに変わりなく。
「――その御首、いただきましたァ」
放たれた青白い輝き、御首級の斬撃は真っ直ぐに山乃端一人の首へと飛び。
柳は無理な体勢のまま、さらに無理をして刀を振ろうとし。
間に合わず、呆然と立ち尽くしている山乃端一人の体を。
一台のバイクがすれ違った。
☆ ☆ ☆
そのバイクに乗った人物は山乃端とすれ違い様に彼女を片手で抱き抱えていた。
抱えられて去る山乃端を追い、斬撃は軌道変更しバイクを狙う。
「――《Au clair de la lune,Mon ami Pierrot 》」
突然、バイクを追う斬撃の前に何も無いところからピエロの格好をした人影が出現。
ピエロは手に持ったナイフを斬撃へと叩き付けると斬撃は破砕し――しかしその余波でかピエロも霧散した。
その光景に呆然としながらも体勢を直した柳は、バイクがドリフトをしながら急停止するのを見た。
「……可能な限り努力はしたが、無傷でとはいかなかった。すまない」
少し申し訳なさそうにバイクを操縦していた男が苦し気な山乃端に言う。見れば、男が山乃端を抱えていた腕には格闘家が練習で使うような衝撃緩和用のクッションが装着されていた。
とはいえ、あのバイクの速度でぶつかるように抱えられたのなら、あのクッションがあっても相当な衝撃だっただろう。
「ピエロを呼び出すサングラスの男。先輩に聞いたことがあります、あなたフリーランスの月光・S・ピエロ――月ピさんですね?」
「そういうあんたこそ、その『ジェノサイド丸』。噂に聞くブラッド・エージェンシーの新人……御首級てがらだな」
「おおっ、私そんな有名になっちゃいましたか? 故郷に自慢できちゃうな~」
照れ隠しのようにくねくねと体を揺らしつつ――御首級は太刀を振れる姿勢を崩さない。
体勢を立て直した柳がピタリとこちらを狙っているのが見えている。先ほどとは状況が変わってしまった。今慌てて山乃端の首を狙ったところで、フリーに動ける柳が迫って来るだけだ。
そして柳からしても突如乱入してきた謎の人物が掴めない。山乃端を助けに行きたいのところだが、結局御首級の存在が邪魔になる。
「でもでも月ピさん、困りますよ。あなたが山乃端一人の殺害を拒否しているから私に出番が回ってきたのに、そのあなたがそれを邪魔するなんてっ」
「今の私は山乃端一人を守る必要がある。諦めろ」
そう言いながら、月ピと呼ばれた操縦手はどこからか取り出したフルフェイスヘルメットを山乃端の頭に被せた。
「……え? えっ?」
しばらく苦しそうにしていた山乃端は、ヘルメットを被せられ――されるがままに命綱のようなもので月ピと体を巻き付けられていた。ほんの数秒の早業に少女は目をパチパチとさせることしかできない。
月ピと山乃端、結果的に二人乗りのような形になり。
「山乃端さん! ちょっとあんた!」
「もう既に分かっているかもしれないが――御首級てがらの斬撃は最大時速120キロ程度で対象の首を自動追尾する」
柳の言葉を制するように月ピは一方的にそう言って。
「山乃端一人は守る。こちらは任せた」
話は終わりだと言わんばかりにバイクは走り出す。
柳は月ピと御首級、どちらにするか一瞬逡巡して。
「人の能力ペラペラ喋っちゃダメですよっ!」
月ピに向けて――正確にはその背中にくっ付けられた山乃端に向けて飛ぶ斬撃を放った御首級に向けて駆け出した。
バイクに本気で逃げられたなら今から徒歩で追いかけても間に合わない。
そして月ピが敵であろうと味方であろうと、御首級は倒さねばならない。
――困りますよ。あなたが山乃端一人の殺害を拒否しているから私に出番が回ってきたのに。
――今の私は山乃端一人を守る必要がある。諦めろ。
あの会話が本心であると信じる。柳煎餅は迷いを捨てた。
「――斬る」
☆ ☆ ☆
本来なら立体駐車場からそのまま外に離脱するのがベストではあった。
だがスロープ部には既にモヒカン柳生達が集まりつつあり脱出には手間取ることが予想できた。
(既に御首級の斬撃は放たれている。今はロスが惜しい)
結果、月ピは迷いなくショッピングモールの内部を逃走経路とすることを選択した。
立体駐車場エリアからショッピングモールへと繋がる通路、そこの自動ドアへと突撃しカチ割る。
ハシゴ状になっている通路は幸い真っ直ぐ走るための距離を確保できる。
御首級てがら能力、秘剣・首級返しによる飛ぶ斬撃は時速120キロほど。つまりバイクでそれ以上の速度で走れば追い付かれることはない。
故に走る。通行人は障害物に等しい。速度を落としうる要因を全て回避せよ。
(どうして、こんなことに)
――そうして、現在に至る。
シャーロキアンが臨時休業していた。
ショッピングモールで時間を過ごした。
偶然にも柳煎餅と再会した。
突然魔人の殺し屋の襲われた。
突然大量のモヒカンに襲われた。
突然謎のサングラスに連れ去られた。
現実逃避気味に朝からの出来事を思い出していた山乃端は、しかし結局何も分からないままだった。
分かるのは、柳と目の前の男がなんとか自分を助けようとしているということで。
“そもそも、何故自分が命を狙われているのか?”
その大前提となる疑問は考えても答えの出ないことなのだろう。
(だったら、私がやりたいことは)
山乃端一人が、やるべきことは。
「――あのっ!」
意を決して、顔を上げる。月ピと呼ばれていたこのサングラスの男に声を掛けようとして。
月ピの肩越しに、再度現れた柳生追手達と、再度放たれた御首級の飛ぶ斬撃が見えた。
そして操縦手はそれらを回避すべくアクロバット走行を開始し――。
(……ダメカモー)
早速少女の決心は折れそうだった。
☆ ☆ ☆
モヒカン柳生をバイクごと逆袈裟に両断する。
さらに一歩踏み込み上段からの振り下ろしで飛ぶ斬撃を撃ち落とす。
止まらない。歩みを進めながら無の刀を振り、全ての障害を打ち払う。
(……強い)
バックステップからの切り下がりによって斬撃を放ちながら御首級は改めて目の前の相手を脅威と感じる。
敵の急所に向けて自動追尾斬撃を放つ御首級の能力、その真髄は「全ての動作が致命傷になり得ること」――転じて「全ての動作がフェイントとなり得ること」。
刀を中空に振るうだけの動作が脅威となるこの能力は対戦相手に集中を強いる。その緊張は距離を取るほど強まり、接近したい、白兵戦に持ち込みたいという欲求を生む。
だが遠距離攻撃能力が強力故に錯覚するが、御首級はそもそも白兵戦こそ強いのだ。接近すれば勝てるという甘い見込みこそが一番の落とし穴。
(でもこの人は違う。私とインファイトでもやり合える技量がある)
実体の無い刀。そしてここまでの攻撃を全て凌ぐほどの技量と判断力。接近を許すのは危険だと御首級の直感が告げ続けている。
(……強い)
対する柳は山乃端一人の護衛という重荷こそ無くなったものの、しかし劇的に楽になったかと言うとそうでもない。
(山乃端さんを守るためとはいえ、剣禅一如を使い過ぎた。あれは体力の消耗が激しいのに)
遠距離攻撃手段が無い、あるいは気軽に使えない。と相手に知られるわけにはいかなかった。『その気になればお前を殺せる』という圧は何もなくても相手の選択肢を狭められる。
見た目や言動こそ軽いが御首級は存外にストイックな剣士だ。合理的に殺すための手段を選んでいる。
そしてこれは柳の直感だが、この相手はまだ何かを隠している。そんな気がする。
だからこそ今こうやってジリジリと消耗戦を強いられているのが歯がゆい。
「てやっ!」
御首級は連続で斬撃を放つ。その半分は真っ直ぐに柳の首を狙うが、もう半分は駐車場の地面を貫通して行く。
あれはバイクで逃げた山乃端達を狙った物だろう。あの男が山乃端を守れているのかやや心配ではあるが。
(山乃端さんを狙った斬撃が発動しているということは、まだ山乃端さんは死んでいない! ……はず!)
そう信じて、柳は駆ける。狙いは一直線、御首級の元へ。
ずっと待っていた。最短距離で駆け抜けられる位置取りを、斬撃を放った直後の後隙が重なるタイミングを。
柳の首へと飛来する三連の斬撃。だが今の柳には『軌跡が分かり切っている斬撃』など物の数では無い。最小の動きで全てを迎撃する。
一歩、一歩、さらに一歩。
「御首級ィ!」
柳は叫ぶ。御首級は太刀を構えている。狙いは逆袈裟。射程内に踏み込んだ瞬間にその剛剣が炸裂するだろう。剣禅一如を用いない限り、刀の間合いでは敵わない。
それでも、行く。太刀の射程まで残り一歩。
一歩を踏み込んだ。
太刀が振り上げられる。射程内に踏み込んだ柳を両断するのに、まさに最適なタイミング。
本来ならば、そうだった。
如何なる歩法か、柳は一定のように見える足の動きから歩幅を僅かに調節していた。太刀のタイミングを見誤らせるために。
「私の――技を――」
それは先の交戦で御首級が見せた技、剣禅一如を見切ったその歩法を柳は完全に再現していた。
柳は無の刀を構える。御首級の能力により空振ってもさらに追撃が来る。それを撃ち落とせば最早反撃はない。
「――使うことは」
本来ならば、そうだった。
「――分かっていましたよ」
太刀が、伸びた。
「……!?」
予想外の挙動に驚愕しながらも、柳は半ば本能的にそれを無の刀で受け流す。
そして改めてその光景を目にした。
太刀が分離している。
元々長大だった太刀が、いくつもの節に分離しワイヤーで接続された形になっている。
その数、十六。十六の節に分離した太刀が、まるで鞭のように、蛇のように、柳を囲っている。
――蛇腹剣、という。剣と鞭の性質を兼ね備えた変形武器であり、ほぼ架空の存在である。
何故なら、そのような機構を内蔵しても武器としての実用性は薄く、カラクリのために耐久性を大きく削がれてしまう。
漫画やアニメのようなフィクションの世界でしか通用しないロマン武器。
だが、御首級が使うのなら話は別である。何故なら十六の節があるということは『刃が十六ある』ということであり。
柳の眼前で、十六に分離した太刀がそれぞれ青白く輝く。この戦いで何度も何度も見た光景。
「真秘剣・首級返し――“十六夜”」
十六の斬撃が、十六の方向から柳の首を狙って殺到した。
☆ ☆ ☆
飛来する十六の斬撃を見ながら、柳は世界がゆっくりとなるのを感じた。これが走馬灯というものだろうか。
(迎撃……一つ一つは可能。だけど一振りで落とせるのは精々二つ。十六を落とし切るには……八回?)
間に合うわけがない。どれだけ速く動いても今から放てる攻撃は三回か四回が限度だろう。
(ここまでかな。ごめん山乃端さん、せめてあの男に守られていて)
できることなら最後まで守りたかった。
殺人の剣、殺しの業。それでも誰かを守れると、誰かを救える活人の剣であれると信じたかった。
――そなたには、先達として一つ見せてやらねばなるまいな。儂のように、ならないように。
ふと、脳裏に声がした。これは誰の声だっただろうか。
――こい。若いの。活人剣の技を見せてくれようぞ。
これは誰の技だっただろうか。
空を翔ける鳥のように。隼のように。疾く、精密で、美しく――
(私の剣は……)
手を伸ばす。そこには何もない。あるのはただ空のみ。
空が、ある。
(私の剣は、隼を墜とした剣だ――)
柳の首を狙う十六の刃。
その内の二つを――柳は両の手で掴んだ。
「無刀――取り!」
裂帛。一閃。
柳は掴み取った二つの斬撃を刀とし、別の二つに打ち付ける。
二つと二つ、合わせて四つの斬撃はそれぞれぶつかり合い、相殺し、消滅した。
「なっ……」
その光景に目を見開いたのは御首級だ。それを気にもせず柳はさらに二つの斬撃を掴み、同じように別の二つと相殺させる。
流れるように、踊るように――空を翔けるように。繰り返すこと四度。十六の斬撃は、全てが相殺された。
「そんな、そんな……私の“十六夜”が」
動揺を隠しきれないまま、それでも蛇腹剣を連結させ、再度太刀の形に戻しながらバックステップで距離を取る。
対する柳は滝のような汗をかきながら肩で息をしていた。
「っはぁー、きっつぅー……」
先ほどの極限の技は流石に大きく消耗したようだ。狙うなら今、そうだと分かっている。
だが。
(――本当に、私の技でこの人の首を落とせるの……?)
正真正銘、御首級てがらが誇る最強の技が防がれた。その事実は彼女の誇りに、認識に、大きな瑕疵を与えていた。
それでも。御首級はかぶりを振る。自分の役目は山乃端一人を殺すこと。そしてその障害となるこの女剣士を殺すことだ。
「これで……これで終わりですっ!」
あえて大きな声を上げながら御首級は太刀を逆袈裟に振り上げた。
能力発動、秘剣・首級返し。
青白く輝く斬撃が対象である柳の首を狙って飛翔する。柳もそれを見て無の刀を構える――が、まだ回復し切っていないのか足元が不確かだ。
いける。殺せる。
落とせる。
「――《Ma chandelle est morte, Je n'ai plus de feu 》」
一台のバイクがすれ違った。
そのバイクに乗った人物は柳とすれ違い様に彼女を片手で抱き抱えていた。
その人物は、ピエロの格好をしていた。
ハッ、と視線をスロープへと向ける。
「――《Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu. 」
ピエロを追うようにもう一台のバイクが――背中に山乃端を括り付けた月ピが姿を現していた。
――あのっ!
――お願いがあります!
――柳さんを助けてください! 大切な……恩人なんです!
「柳煎餅の救助……これで依頼は果たした」
緊張と疲労のせいかとうとう背中で意識を失った少女の――意識を失う前の必死なお願いを思い返しながら、月ピはそう呟いた。
(月ピさん――山乃端一人――いや、あの女剣士は――)
御首級は迷った。突然現れたターゲット狙うべきか、難敵である柳を狙うべきか。
その一瞬で太刀を構えるのが遅れ――御首級はそれを見た。
ピエロが操縦するバイク、その後ろで立ち上がる柳の姿を。
最上段の構えで、力を溜めている姿を。
直進していたバイクはその車体を右方向へと倒した。……いや、地面に倒れる直前に車輪の回転力で独楽のようにぐるりと一周した。
まさにバイクによるブレイクダンスのように。そして。
そして、バイクの上で立ち上がる柳は、それを物ともせずに無の刀を振り抜く。
「――『ローリングバスター剣禅一如』――!」
独楽のように回転するバイクに合わせて、無の刀から放たれた斬撃ビームは駐車場を広範囲に撃滅せしめた。
月ピ達に届かないように。
御首級の逃げ場が無いように。
「か、はっ――」
剣禅一如のビームによって御首級は胴体から下が爆散した。どう控え目に見ても致命傷。
(負け、た――)
御首級は自らの死を受け入れた。任務の成功報告を諦めた。
(私はブラッド・エージェンシー期待の新人、御首級てがら――)
だが、任務の成功自体は諦めていない。
「――逃がさない!」
全身を。残された全身を使い、最後に一度だけ斬撃を放つ。それは斬撃と言うには不格好で太刀を空中から地面に引き落とすような形ではあったが。
それでも、魔人能力は発動する。
(首級――返し!)
最期の一撃。青白い斬撃が山乃端を狙い飛翔する。
柳が御首級を狙い駆け出す。迎撃が間に合わないと悟って、首級返しが山乃端に命中する前に御首級にトドメを刺し能力を強制終了させる算段か。
(構いません。どちらせよもう遅い)
月ピが山乃端を乗せてバイクで逃げているのは知っている。だがあの先で逃げるには下層に降りるためのスロープしかなく、狭いカーブが続くあの場所では時速120キロ以上で逃げることは不可能。
落下防止の柵もあるため外に飛び出すこともできない。必ず減速する、そして柳が御首級にトドメを刺すより斬撃が山乃端の首を刎ねる方が速い。
事実、月ピは追い詰められていた。可能な限りスピードを落とさないように下りスロープをドリフトする――が限度がある。
そもそも御首級の斬撃は最短距離でターゲットまで飛ぶ。カーブに沿って曲がらざるを得ない以上、勝負になるはずもない。
二階に到着、そのまま直進。加速、加速、加速――間に合わない、すぐ背後に斬撃――。
月ピはバイクに乗ったまま立ち上がり、反転した。進行方向に背中を向けながら後ろ手にハンドルを握る形。
単純な話、このようにした方が山乃端が斬撃から遠ざかる。
当然の話、そのようにしたら斬撃の過程にあるものは斬られる。
「ぐ! うおおおおおおおおお!」
山乃端の首を狙う斬撃が、月ピの胴体に突き刺さる。男は苦悶の声を上げ、しかしハンドル操作は誤らない。
(山乃端一人の選んだ死因は――事故死では――無い――!)
果たしてその地獄のような時間はどれほどだったか。一秒か、二秒か。
唐突にそれは消滅した。それは柳が御首級の首を斬り潰したのと同時だった。
☆ ☆ ☆
御首級にトドメを刺した柳が立体駐車場二階へと降りた時、地面に横たわる山乃端と彼女に背を向けて立っている月ピの姿を認めた。
「山乃端さん!」
「心配するな。巻き込まれた諸々で寝ているだけだ。多少の打撲くらいはあるかもしれないが……大した怪我は負ってない」
月ピの言葉を聞いているのかいないのか、柳は山乃端の体をペタペタと触って無事を確かめてから安堵の息を吐いた。
「それで? 結局あなたは?」
「――鏡助には会ったか?」
名前を出され、柳は一瞬首を傾げたが。
「? ……あ、鏡の人? それじゃあもしかして……」
山乃端一人を殺そうとした自分を、よりによって助けたと勘違いして護衛を依頼してきた魔人、鏡助。その名前を出したということは。
「私の名は月ピ。おそらくお前と同じく、鏡助に山乃端一人の守護を依頼された者だ」
男の言葉に、ようやく合点が行ったと柳は頷く。確かに山乃端を助けるのを手伝ってくれたわけだし、少しばかり冷たく当たり過ぎてしまっただろうか?
「だからあなた……月ピ? さん? は山乃端さんを助けるために御首級を倒しに来たんだね」
「……」
月ピは懐からスマートフォンを取り出し、画面をタップし操作をし始めた。
「……ちょっとー? 話聞いてないのー?」
「柳煎餅、音楽は好きか?」
「はい? まぁ結構好きですけど」
脈絡の無い質問に柳は思わず素直に答える。こちらの世界にはまだ不慣れだが、様々な音楽は結構気に入っている。
「そうか、ならばよく聞くといい」
言いながら、月ピはスマホを持った手を広げる。柳にはよく分からなかったがその画面には音楽再生アプリが起動しており、月ピの指は「プレイリストからランダムに再生」をタップしていた。
「お前の運命を決める一曲だ」
スマートフォンから音楽が流れ出す。
男性シンガーの歌声が聞こえる。
(この声、聞いたことある。何だっけ、お米みたいな感じの……剣士みたいな名前の……)
柳の思案を遮るように、月ピは、ほう、と息を漏らし。
「なるほど――『感電死』か」
かんでんし。カンデンシ。感電死。
「ああそうそう、感で……ん?」
月ピは、凶手は振り返る。
柳は見た。彼の目に映る、自身への殺意を。
「柳煎餅。山乃端一人の命を危険に晒す者。依頼に基づき、お前を『感電死』で殺す」
☆ ☆ ☆
――ターゲットは山乃端一人。やり方は一任する、それがお好みなんだろう。月光・S・ピエロ。
月ピが山乃端一人殺害の依頼を受けて数日。彼は拠点で山乃端殺害の準備を整えていた。
既にターゲットの情報は集め終えた。今夜暗殺を結構する算段だ。
部屋には、凶器となる武器や薬剤は勿論、彼にとって欠かせないもの――即ち殺害方法を決める手段が並んでいる。
カードデック……お手軽で最も利便性が高い。だからこそやや物足りなさを感じてしまう。
御神籤……スムーズに出すには慣れが必要だが、和風な感じが海外の被害者にも人気。
ガラポン抽選……お祭り感はあるが大型で持ち運びに不便。特賞が出た時は流石にテンションが上がった。
最近はランダムチョイス用のアプリも導入しておりいざという時はそれを使うようにもしているが、月ピ自身はどうしても「手作りの温かみ」を大事にしたいタイプなので極力使いたくない方針だ。
そうしていつものように淡々と準備をしている月ピはふと、この部屋に起こるはずのない他者の気配を感じた。
鏡だ。
振り返り、拳銃を向ける。素早くガスマスクを装着することも忘れない。その気になればこの部屋を致死性のガスで充満させることも容易い。
『初めまして。お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか、月光・S・ピエロさん』
果たして。鏡に映る男は信じられないほど敵意を感じさせずにそう言った。
鏡に映る男は鏡助と名乗った。
『……正直、即座に攻撃をされることを想定していたのですが』
「お前がその気になればもっと早く、気付かれることもなく私に攻撃できていただろう。ただの合理的判断……信頼に依るものではない。続きを話せ」
促し、鏡助は頷く。
『月ピさん。あなたが山乃端一人さんの殺害を依頼されたことは知っています。――率直に申し上げると、彼女を殺すのをやめていただきたいのです』
「断る」
即答だった。あまりの迷いの無さに鏡助は一瞬言葉に詰まる。
『……結論から説明すると、”山乃端一人”が死ぬことによってハルマゲドンが発生します。そういう仕組みになっているのです。あなたの依頼主も元を辿ればそれが目的。どうか――』
「そうか。断る」
『……』
月ピは、いいか、と前置きして。
「事情があるのは理解した。だがそれは私とは関係ない。如何なる裏があろうと依頼があれば殺す。それが私のルールだ」
『……それが世界を滅ぼすとしても、ですか』
「それはそれだ。私の仕事を妨げる理由にはならない」
要求を聞き入れるつもりはないと、月ピは鏡助にはっきりと告げる。
『でしたら……お願いです。最終的に死ねばいいのなら、彼女が寿命で亡くなるのを待っていただけませんか』
「……ふざけているのか? 一体何十年待たせると思っている。それとも山乃端一人は難病で余命幾許も無いとでも嘯くつもりか? 生憎だが、彼女が健康体であることは調査済みだ」
呆れたように殺し屋は言う。だが転校生は真面目な表情で言葉を続けた。
『山乃端一人さんがこの世に生まれて何年か、ご存じですか?』
「調査済みと言ったはずだが。十六歳だろう、彼女は」
『三年です』
☆ ☆ ☆
ヒュンヒュン、と耳元をコインが掠める。
月ピの両手から放たれる指弾を回避しながら、柳は接近すべく踏み込む。
「《Au clair de la lune, Pierrot répondit. Je n'ai pas de plume, Je suis dans mon lit.》」
振り返り、無の刀を薙ぎ払う。その一撃で、背後から飛び掛かってきたピエロは両断され、霧散した。
(――キリが無い!)
ここまで来れば柳にも目の前の男の能力は分かる。歌うことで分身を作り出し操る能力。分身をいくら倒しても本体にダメージは無い。
ハッキリ言って単純な戦闘力なら柳は月ピよりも上だという自負がある。体捌きは中々だし戦闘慣れこそしているようだがどうやらダメージを負っているらしく動きが悪い。
だがそれを言えば柳も同じ。御首級との戦いで直接的なダメージこそ少ないものの心身共に疲労が蓄積している。剣禅一如も果たしてあと何度使えるか。
加えてこの分身だ。いくら本体の動きが悪くても分身は生み出される度に十全であり、無視するわけにはいかないが倒してもリターンが無い。一方的に徒労を押し付けられているような気分になる。
「今日の相手、こんなのばっかり!」
愚痴りながら、車を片っ端から切り倒す。月ピは木から木に飛び移るように、車体の影を遮蔽にして逃げ回っている。時折分身による強襲と、コインによる指弾を放って来る。別にコイン程度、当たったところでそれほどダメージは無い――が、この男は的確に目や喉を狙って来るのが嫌らしい。
「《Va chez la voisine, Je crois qu'elle y est, Car dans sa cuisine On bat le briquet.》
再び歌声、そして人の気配。――僅かに風を切る音。
(分身を囮にしての指弾――怯んだところで挟み撃ちの算段!)
そこまで読んで、柳はピエロに対応するのではなく身を屈めてコインを回避し、そのまま月ピ本体へと接近することを選択する。
頭上をコインが通り過ぎるのを感じながら、指弾のために僅かに身を晒した月ピへと踏み込む。この距離なら逃げる前に捕らえられる。
ガコン。
背後からの音に、少女は思わず気を惹かれた。油断なく周囲を警戒していたからこそ敏感に反応してしまう。
結論から言えば、別に何の異常も無い。
単に月ピが指弾として投擲したコインが自動販売機のコイン投入口に入り、別のコインがボタンを押すことで飲み物が排出されただけだ。
柳の意識は一瞬だけ背後に向き。
慌てて月ピに意識を戻した時、既に月ピは武器を発射し終わっていた。
それは銃の形をしているが弾丸は発射せず、パシュッという音と共に小さな矢のような物体を放つ。
殺意から遠いその形状は柳を困惑させ、左手に命中し効果を発揮した。
その武器を、テーザー銃と言う。非殺傷を目的とした電撃兵器である。
「ヅゥ――――!?」
左手から感じる電流の痺れ・痛みに本能的に右手の無の刀を振るう。それはテーザー銃から電気を供給する有線を切断し、それ以上のダメージを抑えた。
柳は左手に刺さった電極棘を叩き落とし、車体に隠れて回復を図る。……柳は知らないことであるが、テーザー銃は一発ごとにカートリッジの交換が必要なほぼ使い切りの武器であり、この時間は月ピにとっても有り難いものであった。
――お前を『感電死』で殺す。
(なるほど、そういう意味と)
柳は先ほどの月ピの不可解な宣言の意味を理解する。つまりこの男は前もって選んだ殺し方に拘るようで、そのためにわざわざこんな遠回りなことをしていたのだろう。
……舐められているような不快感を覚える。別に殺しの上手さを殊更に示したいわけではないが、「お前相手ならこれで十分」と見下されるのも納得がいかない。
「……ねぇ、なんで私を殺すの」
「依頼されたからだ」
意外にも、話しかけたら律儀に答えが返ってきた。
「誰に依頼されたの」
「さてな。心配性のシャーロキアンでも居たんじゃないのか」
言っている意味がよく分からない。山乃端なら分かっただろうか。
(まぁでも、訳も分からず殺されかかるのはいつものことか)
柳は気にしないことにした。今大事なのは如何にしてあの男を斬るか、それだけだ。
左手を確認する。既に痺れはだいぶ無くなっていた。
柳にとっては業腹なことではあるが、彼女の体に注入された“柳生”の力により常人よりも頑健な肉体を持っている。テーザー銃程度であればこの通り。
行動は即座に。柳は立ち上がりながら無の刀を振り上げる。狙いは一つ。
「『剣禅一如』――!」
月ピは当然その攻撃を警戒していた。故に無造作に放たれたのを見て一瞬困惑し――それが天井を穿ったのを見てその意味を理解する。
二階の天井、即ち三階の床。先ほど大暴れした――ローリングバスター剣禅一如によってガタガタになった三階の床である。
崩落。
天井が、車ごと降り注ぐ。轟音、異音、鳴り響く不快な音を掻き分けるように柳は跳ぶ。
(いくら無傷の分身を作れたところで、本体が大規模攻撃に巻き込まれる分にはどうしようもない。それにこの砂埃の煙幕の中で悠長に歌っているのは無理でしょう)
指弾もテーザー銃も精密な狙いを前提とした攻撃。他方で柳の無の刀は雑に振り回すだけでも十分。この状況では圧倒的に有利だ。
(気配は――そこ!)
刀を突き出す。手応えは無い、だが反応はあった。何かが飛来する音。掠りもしない。
近い。ならばと刀をコンパクトに振りながら前進。逃げる気配――逃がさない。
無刀取りの利点。それは無手のまま動くことができること。行動の自由度が段違いだ。
煙幕から脱出するように逃げる月ピの軌跡を追う。果たして、砂埃を抜けた先、そこにはテーザー銃をこちらに向ける凶手の姿。
発射される電極。だが、既にタネは割れている。
「てやぁ!」
電極が柳の体に命中する。――だが、その頃には既に無刀によって有線が切断されている。電気が供給されなければただの針でしか無い。
月ピはすぐさまカートリッジをリロードしようとする。遅い。柳の蹴りが銃を叩き落とす方が速かった。
(感電死に拘るというのなら、これで手は一つ潰れた)
月ピは次の武器を取り出すつもりか、ポケットに手を突っ込んだ。それを見逃すつもりもない。その手を掴み、得物ごと引きずり出す。
奇しくも、取り出そうとする武器の元を抑えるというのは、この世界における正しい無刀取りの形であった。
そうして月ピから奪い取ったそれは――
「……?」
思わずパチリと目を瞬かせる。音楽が鳴るそれは、先ほども見た月ピのスマートフォンだ。武器でも何でもない。
それは一種の油断か。ほぼ制圧した状況、攻撃の手段が無い相手、あと一撃で決着の間合い。それらの要因が柳に空隙をもたらした。
「――《Ouvre-moi ta porte, pour l'amour de Dieu. 」
その歌に、途端に周囲を警戒する。月ピ本体に動きはない。ならば分身は?
居た。いささか離れた距離から――柳に向けて何かを投擲してきている。攻撃か!
一閃。柳はピエロが放った投擲物を切り裂く。
――切り裂かれた投擲物からは液体が溢れ出し柳と月ピの体に降り注いだ。
「うわっ!?」
思わず毒を連想するが、しかし柳生の直感がそれを否定する。そもそも月ピ本体にもかかっているのに毒物とは考えにくい。
……というか、やけに美味しそうな匂いがする。
「……カレー?」
なんということはない。ピエロが投げたのは、先ほど月ピがコインの投擲で自動販売機から排出させた豚汁缶とカレースープ缶だ。それらが二人の体に降り注いだだけだ。
ところで、このような話がある。
ひと昔前には風呂場で入浴中にドライヤーを浴槽に落としてしまい感電するという事故があった。
テレビドラマでもそれを使って殺人事件を起こす、というような描写もある。
しかし最近のドライヤーは安全装置によって浴槽に落ちても感電しないように設計されている。
その一方で、最近の時代では別の機械によって似たような事故が多発している。
入浴中にスマートフォンを利用して、浴槽に落とすという事故だ。
「知っているか? 塩水は、電気を通しやすいんだ」
柳の手には、バッテリーが剥き出しになったスマートフォンが。
――曰く。感電で人が死ぬには、0.1アンペアほどの電流で十分らしい。
☆ ☆ ☆
「三年……いや、そんなはずがないだろう」
鏡助の言葉に、月ピは反論をする。山乃端一人は何ら特別な事情はない一般人だ。それでも三年前に生み出されたクローンとでもいうのか?
『ある意味、近いかもしれません。彼女は……特異点なんです』
「……説明しろ」
『山乃端一人が死んだらハルマゲドンが起こる。それは事実ですが――そもそも何故ハルマゲドンが起こるのか? それは山乃端一人という存在が“様々な事情が重なり合い、圧縮された特異点”だからです』
鏡助は説明を続ける。
『私が山乃端一人の守護を依頼した人物はあなた以外にも何人か居ます。ですが、それぞれが主観で観測する山乃端一人という人物は全て別人なのです』
「意味が分からない……」
『そうですね。我々一人一人に別個の山乃端一人という人生があると思ってください。それらは一種の舞台装置、僅か数年であなた方の人生と絡み合うように育ち、そして役目を終えれば一生を終える』
そして。
『周囲はそれを認識できない。“気が付けば、山乃端一人はその年齢になっており”“気が付けば、山乃端一人は寿命を迎える”。……僅か数年の間に、一人の人間が生まれ、老いて死ぬのを不自然と思うこともできないのです』
「……」
『だから私はあなたに依頼したい。“あなたが観測する山乃端一人が、その人生を終えるあと数年”を……何もせずに見守ることを』
説明を終え、鏡助は月ピの反応を待った。やがて殺し屋は口を開く。
「依頼されれば殺す。それが私の絶対のルールだ。如何なる例外も挟むつもりはない」
……だが。と月ピは鏡助の反応を遮り。
「だが、選んだ結果には従おう」
そう言いながら月ピは一枚の白紙のカードを取り出し、手早く何かを書き込んだ。
『孫に囲まれながら老衰で死ね』
「もしも。万が一にもこの殺し方が選ばれることがあったなら。それが彼女の運命だ。……それ以上は無い」
『……ありがとうございます。十分です』
『ところでそれ、何ですか?』
「知らないのか? 一種のネットミームなんだが……最近はいろいろハマっていてな、Vtuberとか」
☆ ☆ ☆
山乃端一人は自分自身の運命を選んだ。
ならば月ピは、一人の殺し屋として、信念として、それを遂げる。
邪魔をする者、妨げる者は許さない。
だから。
「……何が、起こった」
地面に横たわりながら月ピは呆然と呟いた。
塩水とスマートフォンのトラップにより柳煎餅は間違いなく感電するはずだった。特注の強化された電流は心臓を停止させるに十分な殺傷力だったはず。
なのに。
「……その子に、手を出さないでください」
それを言ったのは外でもない。山乃端一人、その本人だった。
彼女が手に持っているのは――
『だからこれいつも付けておいて! 防犯ブザー!』
鍵括錠から渡された防犯ブザー。それは彼の魔人能力によって生み出された――“山乃端一人が起動すると炸裂する、非殺傷式のトラップ”だ。
意識が戻り二人の戦いを目的した山乃端はそれを起動し、結果として月ピと柳は揃って吹き飛ばされた。見れば、彼女も向こうで目を回してノビている。
「……ロックと山乃端一人。そうか、お前たちに妨げられたか」
溜め息を吐く。まさか、こんな形で仕事を失敗することになるとは。
御首級に斬られた傷が疼く。もう武器も全て失われた。正真正銘、手詰まりだ。
「分かった。私はこれで消えよう。柳煎餅が起きたら、よろしく言っておいてくれ」
山乃端の言葉を待たず、月ピは自ら召喚したピエロに抱えられてその場を去る。
山乃端は途方に暮れつつ、ひとまずカレーの匂いが漂う恩人を起こすべく歩き出した。