「本当に始めおったな……」

真陽たちが座った席よりも奥まった箇所にあるテーブルで、丈太郎は静かにその時を待っていた。
――時間、場所共に1ヶ月前の予定から何も変わっていない。
まるで丈太郎が妨害することを歯牙にもかけず、彼らは計画通り、不特定多数人物を巻き込んだデスゲームを始めて見せたのだった。

店内入り口付近の液晶モニターにデス研会長の顔がアップで映し出されている。
その姿は丈太郎が夜の教室で見た彼女と全く同じだった。

デスゲームの開幕を宣言した時点で、会長が持つ『どんなルールでも実現・強制できる』魔人能力が発動されることになる。
果たしてどんなゲームになるのかは彼女の良心を問う形になるが、丈太郎はこれを真正面から叩ける自信があった。

丈太郎の魔人能力は、自らを窮地に追い込むことで真価を発揮する。

――どんな手を使ってでも、これ以上犠牲を出すわけにはいかない。


*


『まず最初に、今座ってるテーブルの裏からスマホを各自1台ずつ取ってね☆
 これはゲームのクリアまで必要だから、指示に従わないと失格にしちゃうぞ☆』

やや強めの口調で、ヒヤシンスと名乗った仮面の女学生はモニター越しに命令する。

真陽は言われた通りにテーブル裏を調べてみると、座席の近くに強力テープでスマホが貼り付けられているのを発見した。
おそらくデスゲームが始まる前からそこに用意されていたものだと思うが、言われなければ気付かない、巧妙な仕掛けだった。

「結構手が込んでるっすね……」

感心しつつスマホを手に取り、流れるような動作で電源を入れる。
よく見るタイプのOSが起動したが、ツールのいくつかが使えなかったり機内モードにも出来ないなど、細かい部分のカスタマイズが見られた。

先に目立った罠が無いことを確認してから、一人やドラゴニュートも手に取るよう合図する。

「この『すまほ』とやらは、どうすればいいんじゃ? 叩いてもちっとも光らんぞ」
「急におばあちゃんにならないでくださいっす。ここ押して、電源を入れるだけっすよ」
「むむぅ……」

ドラゴニュートは文明の利器には疎いようだが、軽く教えてあげるとすぐ飲み込めたようだった。
忙しなく切り替わる画面に一喜一憂していたのでそのまま放っておく。

一人は電源ボタンに指先を当てたまま、少しぼーっとした様子でスマホをじっと睨みつけていた。
やがて無事に電源が点いたことを確認すると、表情もパッと明るくなって真陽に画面を見せつける。

他のテーブルを見渡してもやいやいと騒がしくなりつつ、各自スマホの電源を入れている様子だった。
まだ実感が湧いていないだけかもしれないが、とてもデスゲームの最中とは思えない光景だ。

幸いなことに今のところ、デスゲームの開催により店内で目立ったパニックは起こっていないようだった。
開かなくなったドアに切れ散らかしていたドラゴニュートの行動が功を奏したのだろうか。
あるいは、一般客からは本当に何かのイベントと思われているのか。

「有間さん、このスマホ、バッテリーが50%しかないみたい」
「あ、本当っすね。……充電が切れたらどうなっちゃうっすか?」

一人に言われて気付いたが、3人のスマホは一様にバッテリーの数値が50%になっていた。
ただの充電忘れでは無く、意味があってそうなっているように思う。

真陽の疑問にはヒヤシンスが応えた。

『良いところに気付いたわね☆
 君たちが手にしたスマホは、バッテリーが大体2時間後に切れるように調整してあるぞ☆
 そのスマホの充電が切れたり、うっかり電源を落としてしまったら、所有者には恐ろしいペナルティを受けてもらいまーす☆』

場違いなほど陽気な声で、しかし言葉の節々から緊張感が高まる。
デスゲームらしい話になってきた。

2時間――思ったよりも制限時間が短い。
しかも2時間耐えきるのではなく、その間に何かをクリアするのなら、慎重に動く必要があるだろう。

真陽が冷静に思案していると、モニターの前が何やら騒がしくなっていた。

業を煮やしたビジネススーツ姿の男性が激昂しているようだった。

「くだらん! 何がデスゲームだ、そんなことより私は会社に戻らねばならんのだ!
 子供の遊びに付き合っている暇なんぞ無い! 今すぐここから出せ!」

おそらくは営業の合間に偶然立ち寄り、巻き込まれたビジネスマンなのだろう。
彼の境遇には同情せざるを得ないが、言って何かが変わるわけではない。

ドラゴニュートがそっと耳打ちしてきた。

「妾、こういうの知っておるぞ。デスゲームで一番最初に死ぬ奴じゃ」
「縁起でもないこと言わないで欲しいっす」

ただでさえデスゲームの最中だというのに、思ったことは何でも口に出る竜人だった。

その時、勢いよくガラスを落としたような音が響く。
男は激昂のあまり、スマホを床に叩きつけたようだった。

「どうだ! このスマホが幾らするか知らんが、叩き壊してやったぞ!
 大人をからかうからこうなるんだ! さぁ、分かったら今すぐこの場から出してもらおうか!」

勝ち誇ったような大人げない男の大声が店内にこだまする。

そろそろ彼奴を止めたほうがいいんじゃないか、とドラゴニュートが真剣な声で再度耳打ちしてきた。
しかし、もう手遅れなのだろう。

床に叩きつけたスマホは真っ二つに割れており、もう電源は入らない。

『あらあら、ルール説明を聞き逃していたのかしら☆
 もう一度言うわね。――うっかり電源を落としちゃったら、所有者には恐ろしいペナルティを受けてもらいまーす☆』

スマホが壊されたことにはまるで動じず、明るい調子でヒヤシンスは告げた。
直後、男は胸を手で抑えると膝から崩れ落ちる。

苦しむ様子もなく、一瞬の出来事。
――彼が心臓麻痺により意識を失ったということすら、咄嗟には理解が追いつかなかった。

「だ、大丈夫っすか!」

ハッとした真陽は男に駆け寄って心肺蘇生が可能か確かめようとする。
しかし、それに割り込むようにして走る黒い影が真陽の前を通り過ぎた。

歌舞伎に出てくる黒衣のように、全身を黒い衣装で包んだ、小柄な人影。
その異質さに真陽は思わず足を止めてしまう。

彼はうつ伏せに倒れ込む男にいち早く到着すると心臓の辺りをまさぐり、脈拍を調べ始めたようだった。
やがて、ぼそぼそとした声で彼は――彼女は、単調な様子で結果を報告する。

「…………死亡、確認」
「なっ――――!?」

そんな簡単に人が死ぬわけがない。
何かの間違いだと真陽が訴えようとするが、黒衣の少女は慣れた様子で男の死体を背負い始める。

『ありがとう、黒子☆ 死体は適当な場所に運んでおいてちょうだい☆』
「…………はい、ヒヤシンス様」

ヒヤシンスの労いを受けて、黒子は厨房の方へと歩を進める。
男はピクリとも動く様子は無かった。

真陽は急展開の連続に呆然とするばかりだった。

『これで、私たちのゲームが遊びじゃないことは分かってもらえたかしら☆』

先程まで緩んでいた空気が、死を目の前にして重く引き締まる。
この場に居る誰もが顔を青くしていた。

2時間後、こうなっているのは自分かもしれない。
間近に突きつけられる死は、こんなに恐ろしいものか。


*


「くっ……止められんかった……」

フロア内で起こった一瞬の悲劇を、丈太郎は歯噛みして見ていることしか出来なかった。

――デスゲームの最中は命が軽い。
興味本位で電源ボタンに触るだけで、人は死ぬ。

敗北条件は前回と同じようだが、勝利条件は依然として不明のまま。

だが――既に丈太郎は動き始めていた。
彼らの寝首を掻くその瞬間を、スマホを握りしめてじっと待っている。

綱渡りは始まったばかりだ。


*


『みなさんが静かになったので、今回のルール説明を行うぞ☆
 ルールその1、ゲームをクリアするまでこのファミレスを出ることは出来ません。
 ルールその2、外部と連絡を取ることは禁止します。
 ルールその3、スマホの充電が切れたら、さっきのように重いペナルティが待っているぞ☆
 ルールその4、今回は1時間ごとに出題されるお題を1つでもクリア出来たら脱出出来るよ! おめでとう!』

葬式のようなムードに包まれる中、無駄に明るいヒヤシンスの声がよく通る。
全員の命が人質にかけられているようなものなので、黙って耳を傾けるほか無かった。

やがてモニター上に、野球のドラフト会議で使われるような抽選箱が映り込む。

『お題はこの箱から出てくる紙に書かれたもの採用するぞ☆ 何が出てくるかは私にも分からない!
 じゃらじゃらじゃら――ぽん! 最初のお題は、「誰かを殺す」に決まりました☆
 誰か1人でも殺せたらクリア、とっても簡単!』
「ふ、ふざけてるっすか!?」

叫んでもどうにもならないと分かってはいるが、真陽は立ち上がらずにはいられなかった。
あまりにも命を軽視している、デスゲームという名の不条理。

真陽は心配になって辺りを見回すが、ヒヤシンスの言葉に乗せられて誰彼構わず襲い始めるような人は見当たらない。
そのことに、ほっと胸を撫で下ろす。

ヒヤシンスは心なしか不満そうにしていた。

『んー、食い付きが悪いなー。このお題は失敗だったかな? いつもなら盛り上がるところなのに☆
 まぁいいわ。また1時間後にお題を追加するから、バッテリーを減らしながら心待ちにしていてね☆』

性格の悪いことを言い残すと、それを最後にモニターは何も映さなくなった。

まるで先生の居なくなった教室のように、店内のあちこちからざわめき声が聞こえ始める。
真陽も一段落ついて一人たちの居る座席に戻ることにした。

「人を殺すだけとは――簡単に言ってくれるわ」

隣の席では、ヒヤシンスの言葉を反芻するようにドラゴニュートが冷たい声で呟いていた。

彼女が所属する滅亡協会は暗殺集団のようなもの、と美奈が言っていたのを思い出す。
世界の滅亡という共通の目的を持ち、明確な理由を持って要人を殺害することを是とする組織。

そのリーダーである彼女もまた、人を殺すことについては一家言あるのだろう。
少なくとも無差別に人を襲うような性格では無いようだ。

「有間さん……祓さんは大丈夫かしら?」
「あぁ、彼は多分大丈夫だと思うっすよ」

向かい側に座る一人は浮かない様子で、別行動になってしまった卓成が心配になっているようだった。
彼は非魔人とはいえタダで死ぬような男じゃないという謎の信頼があるので、別のテーブルで呑気にやっているだろう。

むしろ、彼は混乱を起こす側だと思っているので、何もしないでいてくれる方が有り難い。

「大丈夫っす。――私は、誰のことも見捨てないっすよ」

救えなかった命はある。
今日だって、それは痛いほど実感した。

真陽が持つ能力は誰かを殺すためではなく、ひとりでも多くの命を救うためにある。
一人を、卓成を、ドラゴニュートを――その他大勢の一般人を、これ以上死なせるわけにはいかない。

全員で生きて、ここから脱出する。
そのための方法を――これから考えなければいけない。


*


「ごきげんよう。ちょっとお話よろしいかしら」

丈太郎が席でスマホをいじっていると、上から声をかけられた。
視線を上げると、ファミレスに似つかわしくない、白いドレスを着た貴婦人が立っていた。
見てくれは豪華絢爛といったところだが、目つきが鋭いためあまり良い印象は受けない。

状況が状況だけに、警戒心が強くなる。

「なんじゃ。踊りの誘いなら他をあたれ」
「ふふふ、ユーモラスな方ですわね。そうではなく、人探しをしているのですわ」
「……人探し?」

何故この場所、このタイミングで――と疑問に感じずにはいられない。
しかし、彼女は言い慣れた様子で丈太郎に質問をしてきた。


「山乃端一人、という人物を探しているのですわ」


その名前に心当たりは無いが、言葉に込められた尋常ではない殺意を感じて冷や汗が流れる。
こいつはヤバい――と本能が告げていた。

「し、知らんのう。本当にそいつはここに居るのか?」
「えぇ。間違いありませんわ。――神のお告げは、絶対ですの」

少しうっとりとした様子で、白いドレスの貴婦人は訳の分からないことを言う。

――これ以上関わりたくない。
そんな丈太郎の気持ちを知ってか知らずか、彼女はスカートの裾を持ち上げると、無言で一礼をしてその場を離れていく。

謎の緊張から解放されて、どっと疲れが湧き出てきた。

何だったんだと思いながら、貴婦人の去りゆく背中に目が釘付けになる。


彼女は、白いドレスに似合わない大きなガンケースを背負っていた。


*


「ちょっと周囲の様子を見てくるっす」

手持ち無沙汰になった真陽は、まさかとは思うが傷害沙汰が起きていたら大変だと思い、見回り役を引き受けることにした。

一人をドラゴニュートに任せるのは未だに不安だが、かといってドラゴニュートまで連れて一人を置き去りするのも更に危険だ。
とはいえ、一人の身に何か起きれば能力を使ってでも駆けつけることは出来るので、ほんの一瞬なら大丈夫だろうという判断の末だった。

あわよくば、卓成との合流もしておきたい。

そう思いつつ立ち上がると、通路の先に白いドレスを着た貴婦人が立っていた。
彼女は真陽に気付くなり、優雅な動作で一礼する。

「ごきげんよう。ちょっとお話よろしいかしら」

目つきは悪いが綺麗な人だと真陽は感じた。
まるでお城から飛び出したお嬢様のようだった。

おそらく無害な人だろうという真陽の期待は、しかし次の言葉で打ち砕かれる。
冷たい調子で、彼女は言い放った。

「山乃端一人、という人物をご存じないかしら」
「っ――――!」

一瞬にして警戒心を露わにする真陽を、突き飛ばすようにしてドラゴニュートが立ち上がった。

「ロリポップ、何でお主がここに居るんじゃ……!」

通路には真陽とドラゴニュートが並び、ロリポップと呼ばれた貴婦人と対峙する形になる。

間違いなく、彼女は一人を狙う新たな刺客のようだった。

「あら、ドラゴニュート様。ごきげんいかが。こんなところでお会い出来るなんて光栄ですわね」
「奇遇じゃな。――妾はお主と会いたくは無かったぞ」

同じ組織の者同士とは思えないほど、仲の悪さは傍目にも分かる。
真陽は小声で「何者っすか」とドラゴニュートに尋ねた。

「此奴は滅亡協会の中でも過激派に属する奴じゃな。
 ――人を殺すことに何の躊躇いも持たない、最も冷血な人間じゃ」
「あらあら、随分なご紹介ですわね。私ほどの平和主義者は居ませんのに」
「物騒な武器を担いでおいてよく言いおるわ」

言われて気付いたが、彼女は大きなドレスに隠すようにしてガンケースを背負っていた。
あれが彼女の殺し道具なのだろう。とても暗殺向きとは思えない。

「――改めまして、ごきげんよう。私は滅亡協会所属にして、随一の平和主義者、ロリポップと申しますわ。
 神のお告げに従い、山乃端一人の行方を追っておりますの。情報提供いただけないかしら?」

ロリポップは真陽に向き直りながら自己紹介を行った。
言い方こそ穏やかだが、表裏のある性格ということは節々から伝わってくる。

――彼女に一人を差し出すことは絶対に出来ない。

「残念じゃが、ここに山乃端一人は居らんよ。神のお告げもたまには外れるものじゃ」

どうやって引き離そうか考えているうちに、ドラゴニュートが答えた。

「そうですか。ドラゴニュート様がそうおっしゃるのなら、仕方ありませんわね」

上司の報告を信じ、ロリポップはあっさりと引き下がる。
それよりも、ドラゴニュートが一人を庇う方が意外だった。

「……何のつもりかは知らないけど、ありがとうっす」

ロリポップには聞こえない程度の小声で素直に感謝を述べる。
彼女は一人の命を狙い、真陽さえも死ぬ直前まで追い詰められた難敵だが、今は心強い味方だった。

だが、状況はあまり好転していないようだ。

「ドラゴニュート様――僭越ながら、お言葉を返させていただきますわ。
 神のお告げが外れることは絶対にありません。
 ――たとえここに居る全員を皆殺しにしてでも、山乃端一人は見つけてみせますの」

ロリポップは遂に平和主義者とは思えない過激な考えを露わにする。

――命に対する冒涜。
それは真陽にとって一番許せないことだった。

戦いにとって速さは最大の武器となる。
意識が自分に向いていない間の不意打ちこそ、真陽の得意分野だった。
トレンチコートのポケットからコインを1枚取り出すと、握りしめた右手の親指に乗せる。


それを弾こうとした瞬間、真陽の身体に異変が起こった。


「痛っ――!?」

右腕に激痛が走り、コインは飛ぶことなく床に転がりながら大きな金属音を響かせる。
手の甲にはカミソリの刃のようなものが深く刺さり、赤い血が溢れていた。

「あらあら、大丈夫ですの?
 もしかして今――私に『攻撃』を仕掛けようとしました?」

ロリポップが煽るように問いかける。
真陽の得意とする不意打ちは、最悪の形で失敗することになった。

カミソリ刃を引き抜き、いつもの形で止血を行う。
――傷は浅いが、これは相手の魔人能力によるものか。

ドラゴニュートは血が収まるまで焦った様子で心配していた。

「くそっ、妾が先に伝えておくべきじゃったな。
 此奴に攻撃しようと思うな。――手痛い反撃を食らうだけじゃ」
「そんな……インチキもいいところっすよ……」

彼女は接触どころか、攻撃を視認すらしていない段階だった。
それなのに遠隔で刃物を飛ばして相手の攻撃を封じる能力――どのようにすれば突破出来るのか。

「ドラゴニュート様のお友達なので放っておきましたが、随分と野蛮なお方ですわね。
 これに懲りたら私のように、平和主義者を目指してみては如何でしょう?」

まるで自分のことを棚に上げつつ、ロリポップは笑うばかり。
――彼女の強さが身に染みて分かった。
隙だらけに見えて、倒しようの無い相手だ。

不審に思われるのは承知の上で、ドラゴニュートと身を寄せ合い作戦会議を開くことにする。

「……あいつの能力について詳しく聞きたいっす」
「此奴はお主がさっき体感した通り、攻撃に対する絶対のカウンター能力を持っておる。
 たとえ攻撃が不可抗力であっても、自分に攻撃しようとする目標全てに刃物を飛ばし、攻撃出来ない状態に変えてしまうのじゃ」

真陽は改めてカミソリ刃で攻撃された瞬間を思い出す。
攻撃そのものを弾かれたのではなく、攻撃する直前を狙われていた。

――距離や位置は関係無い。
未来から遡って攻撃を阻止している能力というわけだ。

「精度はどれぐらいっすか?」
「戦場を歩いてなお、傷ひとつ付かなかったという逸話を残す程じゃな。
 兵士のほうが重傷を負ったのは言うまでもないの」
「……なんか、弱点は無いっすか?」

聞けば聞くほど、彼女が規格外の強さを持っている事実が判明する。
魔人能力は本人の性格を写す鏡とよく言うが、一体どんな人生を歩めばこんな能力を思いつくのか検討も付かなかった。

「不可避の攻撃は一応当たるのと、攻撃以外には作用せんというぐらいじゃな。
 ……もっとも、簡単に倒せる相手とは思うな。妾には勝ち筋すら見えん相手じゃ」
「分かってるっすよ」

単純な攻撃パターンだけで考えると、ドラゴニュートの爪が通用しないのはもちろん、崩壊の力も歯が立たないだろう。
真陽の停止や加速といった能力もまるで通用するビジョンが見えない上、どこまで反撃されるか分からないので下手に打つべきではない。

ロリポップは余程自分の強さに余裕があるのか、会議が終わるのをじっと待っていた。

「ドラゴニュート様ったら、そんなに口が軽いなんて見損ないましたわ。
 乙女のプライバシーをペラペラと……少し恥ずかしいですわね。
 ちなみに魔人能力には『パラドッグス』と名付けましたの。私の可愛い番犬ということですわね」
「めっちゃ自分の能力大好きじゃないっすか……」

自身の弱点を探られているのにも関わらず、むしろ満更でもない様子だった。
ドラゴニュートといい彼女といい、滅亡協会はラフな態度を崩さないセオリーでもあるのだろうか。

とはいえ、一人の身を守るためにも彼女にはしばらく眠ってもらおう。

「これなら――どうっすかね!」

もらったヒントを頼りに戦術を組み上げる。

真陽はトレンチコートのポケットからボールペンを取り出すと、頭をノックして芯を出した。
加速と停止を繰り返してロリポップの視界から遠ざかり、距離を取ってから急接近を行う。

『移動』であれば、『攻撃』とは見なされないのだろう。
その推測は間違っていないようで、急接近する瞬間にロリポップの能力は発動しなかった。

ここまで来たら、もはや真陽を止めることは出来ない。
直線移動の衝撃で彼女を突き飛ばし、そのまま眠ってもらう――!

「当たれぇぇぇぇええええ!」
「まぁ――なんて大胆な策ですの」

しかし、決死の攻撃が届くことは無かった。
接触の直前、ロリポップの正面に無数のカミソリ刃が出現する。
巻き込まれたら血だらけでは済まないだろう。――そして、真陽は減速が出来ない。

「形勢逆転ですわね!」
「そんな予感はしてたっすよ――!」

上手く事が運べば僥倖だったが、念の為に保険をかけていたのが幸いした。

ボールペンの頭をノックすることで、今度は芯が戻る。
その運動エネルギーを加速させることで、ロケット噴射のように勢いよく後退する力を生み出した。

安全な場所まで下がって停止した真陽は、間一髪のところで串刺しを免れる。

ドラゴニュートが不可避の攻撃について、「一応当たる」と煮え切らない様子だった理由が分かった。
命を捨てる覚悟がなければ、彼女に傷をつけることは出来ないのだろう。

割りに合わない取引だ。

「着眼点は悪くないですわね。それにちゃんと失敗した時のことも考えている。
 ――あなたは、有間真陽で間違いないですの?」

カミソリ刃を生み出した張本人は、相変わらず平坦な調子で問いかけてくる。
情報戦においても彼女は一枚上手だった。

「自分で名乗った覚えは無いっすよ」
「神は何でも識っていますわ。――運動エネルギーを自在に操る能力者、早めに始末するべきでしたわね」

そう言って、彼女は背後のガンケースに手を伸ばす。
ケースのギミックが作動し、中にあるものを放物線状に射出すると、それはロリポップの手元にすっぽりと収まった。

狩猟用に使われるものより一回り大きな、18ミリ口径の散弾銃。
ロリポップが最も大切にしていた武器だった。

禍々しい銃口は真陽に向けられている。
護身用の拳銃とは訳が違う、本物の殺意が宿っていた。

「おいロリポップ、いい加減に――」


痺れを切らしたドラゴニュートが介入しようとしたその時、男の絶叫が店内にこだました。


「う――うわぁぁぁぁあああああ!」

ロリポップが声のする方向に目をくれると、手首にカミソリ刃が刺さって床をのたうち回る、チェックシャツを着た若い男性の姿があった。
不可抗力か、意図したものか――。
彼はロリポップに対して何らかの攻撃行為を行おうとしたため、能力が自動発動して報復を受けたのだろう。

手首から血をダラダラと流す、格好の獲物。
その姿を見て、ロリポップの嗜虐心に火が付いた。

「ごきげんよう。あなたが――山乃端一人ですか?」

銃口が男の方に向けられる。
彼は「ひぃ」と情けない声を上げた。

ロリポップの能力は、相手を殺すためにあるものではない。
もしも彼女がその気だったら、問答無用で人を殺める能力を望んでいただろう。

能力の本質は、相手を弱らせることだけに特化したものだ。
自分に殺意を向けるもの、自分に襲いかかるもの、自分を犯そうとするもの――彼らが傷つき弱っていく様を見るのは、とても楽しい。
何も出来ないことに気付いて絶望する瞬間がたまらない。

彼らを始末する瞬間こそ、ロリポップにとっての至上の喜びだった。

「間違っていたらすみません。私、山乃端一人の容姿がまだ分かっていませんの。
 男みたいな名前ですし、あなたが山乃端一人じゃない証拠はありませんわよね。
 ――とりあえず、死んでみてくださる?」

思わず笑ってしまいそうになるのを堪えながら銃口を近づけると、彼はうわ言のように「やめてくれ」と命乞いをはじめる。

ロリポップの狂気に満ちた言動を止められるものは誰も居ない。
たとえ現れたとして、新しい獲物が増えるだけだ。

――誰も、すぐに殺すつもりは無い。
紅茶を蒸らすように、ゆっくりと怯えた表情を味わってから殺すのが、ロリポップなりの楽しみ方だった。

「パパ――!」

男の傍に、まだ幼い身なりをした少女が駆け寄った。
愛されて育ったことが分かる、可愛いワンピースを着た少女だった。
彼女はぐったりしている父親の姿を見て、何を思っただろう。

「あらあら。もしかして、あなたが本当の山乃端一人ですの?
 性別だけでなく年齢も存じておりませんので、こんな幼い子供じゃないとも言い切れませんわよね。
 ――あぁ、ご心配なく。すぐにみんな同じ場所で眠ることになりますわ」

銃口を少女の方に向けると、男は青ざめた様子で「娘だけは見逃してくれ」と叫んだ。

「やめろ――っ!!」

真陽は許せなくなって反射的にボールペンを飛ばそうとするが、それを咎めるように手首にカミソリ刃が再び刺さる。
悶えるような痛みと共に、ボールペンは床に転がった。

――彼女は強すぎる。
手も足も出ないとはこのことだ。

誰もが歯噛みして、嵐が過ぎ去るのを待つしか無いのだろうか。


緊張が爆ぜるようにして、バンという大きな音が店内に響き渡る。
誰かがテーブルを叩いた音だった。


「もうやめて! 私が――本物の、山乃端一人よ。他の人は巻き込まないで!」


それは真陽が一番恐れていた事態だった。
沈黙を貫いていた一人が感情を露わにして、ロリポップの思惑通りに現れる。

自分が逃げ続けることで犠牲が増えることに耐えきれず、とうとう出てきてしまった。

一人を守り切るという真陽の希望は、ここに打ち砕かれる。

「ごきげんよう、本物の山乃端一人。お会いできて、光栄ですわ。
 ――やっぱり、ドラゴニュート様は嘘を吐いていらしたのですね」

ロリポップは子供のように口を尖らせた。

あるいは最初から勘付いていて、わざと泳がせていたのかもしれない。
ロリポップの真意こそ不明だが、他の人を殺してでも一人が名乗り出るのを待つ作戦は、結果的に上手くいってしまった。

「あなたの目的は私のはず。――だから、他の人は殺さないで」
「もちろんですの。せっかくルールにも『誰かを殺せばクリア』とあるのですから、最小限の犠牲で済ませたかったですわ。
 ――私、平和主義者ですので」

銃口は一人に向けられる。
彼女はそのプレッシャーに臆すること無く、むしろ堂々としていた。

「山乃端さん……どうして……」

真陽の口から弱々しい声が漏れる。
――せっかく、ここまで来れたのに。

終わってしまって、本当にいいのか。

「有間さん、ありがとう。あなたのおかげで……私は自分の正義を見つけることが出来た。
 私もあなたみたいに――誰かの命を救いたいと思えた。
 ――ここが、私の『最善』だったみたい」

死を前にして、もはや一人に恐怖は無かった。
誰かを助けるためなら、人はこんなに強くなれるものか。

仮に自分が死ぬことで結果的に世界を滅ぼすことになっても、それは終わりではなく新しい始まりとなる。
ヴィクトリアス・マイルストーンを持った彼だけが生き延びて、また別の山乃端一人と出会うのだろう。

だから――後悔は存在しない。


そのはずなのに、瞳からは大粒の涙が溢れてくる。
太陽のように眩しい彼女が居なければ、今の自分は無かった。


「ありがとう、こんな私を救ってくれて」


滲む視界の中で、ロリポップが引き金に手を伸ばすのが見えた。


やがて雷鳴のような轟音と共に、散弾銃が火花を散らす。


*


一瞬、何が起こったか分からなかった。

ロリポップは確かに一人に狙いを定め、散弾銃の引き金を引いた。
だが、発砲の直前にロープのようなもので銃身を持ち上げられ、その一撃は天を仰ぐ結果となった。

天井には大きな穴が空き、太陽の光が差し始める。
淀んだ閉鎖空間に現れた希望の一筋だった。

「――遅くなって、すまんのう」

背後を振り返ると、そこには希望崎学園の制服の上に大きめの学ランを羽織る女学生の姿があった。
彼女の制服の袖に向かって、細いロープがシュルシュルと重力を無視した軌道で戻っていく。

ロープを操る能力者、空渡丈太郎――。
彼女についても神は識っている。

まるで一昔前のヤンキーのように挑発的な表情を浮かべ、丈太郎は嘲笑う。

「これからオレと、(ダンス)ってくれんか?」

散弾銃の軌道を反らしたのが彼女だということに、ようやく合点がいった。

「よくも――よくもやってくれたなァァァァ!」

ロリポップは玩具を取り上げられた子供の癇癪のように取り乱し、感情的に激昂した。
豊かな膨らみの谷間から拳銃を取り出し、丈太郎の鼻先に突きつける。

しばらくメンチを切った睨み合いが続く。

やがて口を開いたのは丈太郎の方だった。

「……安全装置(セーフティー)が外れておらんぞ、それ」

それどころか、引き金にも指をかけていない。
つまり、ただのハッタリ。

ロリポップは彼女が怯える表情が見たかっただけだった。

「ふぅ……興が削がれましたわ」

再び拳銃を胸元に隠す。
乱れた息もすっかり元通りだった。

「それにしても私の邪魔を出来るなんて、噂に聞く通り、随分と度胸のある方ですのね――空渡丈太郎」
「ほう。名前が知られておるようじゃな。……能力でバレたんか」

丈太郎は声質こそやや男性的だが、喋り方はドラゴニュートを彷彿とさせる。

彼女は、どのようにしてパラドッグスの目を掻い潜って介入してきたのだろうか。
ロープを自在に操る能力はしかし、自分に攻撃を通す特殊な方法があるとは思えない。

思えば、散弾銃の角度を変える程度であれば自分に対する攻撃ではないと判断されただけだ。
直接危害を加えようとするなら、その分手痛い報復を味わうことになるだろう。
――まぐれは決して続かない。

「面白いことを思いつきましたわ」
「……なんじゃ、薄気味悪い奴じゃのう」

ロリポップは全方位にカウンターバリアを貼っているようなものなので、たとえ丸腰でも軍隊を相手取れる。
つまり、散弾銃は誰が持っていても関係ない。

どこか投げやりな所作で、リロードした散弾銃を丈太郎に向かって放り投げる。
彼女は突然の行動に目を丸くしていたが、しっかり落とさずにキャッチしていた。

「あなたが山乃端一人を殺していただけないかしら。
 私、あなたが山乃端一人を殺すまで他の人をいたぶって遊びたいから」
「なっ――――!?」

悪魔のような思いつきに、丈太郎は絶句する。

「まさかカマトトぶって、撃ち方が分からないなんて言いませんわよね。
 そこの引き金を引くだけで人は簡単に殺せますわ。山乃端一人でも、他の人でも」

どうせ全員死ぬのだから、誰が一人を殺しても似たようなものだろう。
しかも彼女は死ぬ覚悟が決まっているようで、あまり好みのタイプでは無かった。

ロリポップは山乃端一人を殺すために派遣されていたが、本音を言うともっと普通の人と遊ぶのが好きだった。
殴って、蹴って、痛めつけて、反撃のチャンスを与えて、赤い血を流させる――。

昔から変わらない一方的な力関係。
どんなに強い人も、弱い人も、本質は全く変わらない。
自分こそがオンリーワンの正義だと信じ込んで、希望という幻想に浸って生きる者たち。
彼らが挫折と共に絶望を味わい、赤い血に染まりながら惨めに死んでいく姿は最高だ。

「死はひとりとして、同じではありませんの。
 みんな違う言葉で命乞いをして、各々の信じる神に祈りながら意識を失っていく。
 淹れた紅茶が毎回違う味になるように、死とは味わい深く、飽きの来ない飲み物のようなもの。
 ――いずれにせよ、私は最初から皆殺しにすることしか考えていませんでしたの」
「狂っておる……おどれ、もう手遅れじゃよ!」

丈太郎は叫びながら、散弾銃をロリポップに向けた。

はぁ、と大きなため息が漏れた。

「もっと理性の強い方かと思っておりましたが、案外感情的に物事を進めようとしますのね。
 私の能力がまだ分からないですの? ――そんなものは正義ではなく、思考を放棄しただけですわよ」
「これは正義ではない――漢気じゃあ!」

丈太郎は汗を掻きながら、震える手で散弾銃を握りしめていた。
浅い呼吸を何度も繰り返しており、引き金を引く前に倒れそうな勢いだ。

何をしでかすかと思えば、百億分の一の奇跡、『パラドッグスが発動しなかった』に賭けたのだろう。
散弾銃はロリポップの身体を撃ち抜き、そのまま死亡した――なんてことは、絶対にあり得ない。
たとえ確率を操作する神が居たとしても、そんな興醒めする展開を許さないだろう。

――しかし、面白い。
強い幻想を抱いた人間が現実を見て絶望する瞬間は、大好きだ。

「いらっしゃい。――あなたの漢気、試してあげますわ」
「おんどれぇぇぇぇぇええええええ!!」

決死の覚悟と共に、丈太郎は引き金にかけた指に力を入れた。
その瞬間、彼女の手首に無数のカミソリ刃が突き刺さり、激しく血液を吹き出させる。

「ぐ――ぐぉおおおおおお!!」

激しい痛みに悶え、丈太郎から力むような絶叫が漏れ出る。
しかし、彼女は痛みに耐えながら散弾銃を離そうとはしなかった。

根性だけで、パラドッグスに勝つつもりで居たのか。

「無駄無駄ですわ――!!」

更に大量のカミソリ刃が丈太郎の全身を襲う。
あらゆる部位から赤い血がほとばしり、ファミレスの店内を汚していく。

パラドッグスのカウンター能力は絶対だ。
過去にも似たことを考える魔人と相対したことがあるが、彼は最終的に失血死で倒れただけだ。

既に決着はついている。

「諦めなさい。見ていて痛々しいだけですわ。
 誰も好んでむさ苦しいだけの結末なんて、望んでいませんの」
「違うッ! オレは――あの漢のようになりたいんじゃぁぁぁぁああああ!!」

ついに手首が千切れるような痛みに耐えきれず、散弾銃が地面に落ちる。
全身の血液を出し切ったのか、丈太郎は血液の水溜りに倒れ伏した。

「あなたの漢気、見届けさせていただきましたわ。
 ……ちょっと、私の口には合いませんでしたが」

げぇ、と吐くような仕草を真似て丈太郎への弔いとする。

血まみれになった散弾銃を回収しようと、ロリポップはしゃがみ込む。
その瞬間、つわりのような吐き気と目眩が襲いかかってきた。

「けほっ、けほっ……何ですの、これ……!」

ロリポップは思わず両手を口に押さえてその場に佇む。
噎せ返るような血の匂いにやられたのかと錯覚するが、そんな段階はとっくに卒業したはずだ。

――違う。
この症状は、自分自身の能力から発せられているものだ。
自分はパラドッグスを愛するあまり、能力の表情とでも言うべきものがよく分かる。

彼は、未来に起こる出来事を知っていた。
これから起こることに対する、激しい怯えを伝えようとしている。

不可避の波状攻撃が――地獄の底からやってくる。


「賢しい真似、しよるのう」


それは腹の底から響くようなドスの利かせた声だった。
とっくに死んでいてもおかしくない、丈太郎の口から絶え絶えに発声されている。


「坊主、あらましい真似したらいけん。
 ――じゃが。その心意気、見込んだ通りに”漢”じゃのう」


威圧感のある声とは裏腹に、紡がれる言葉はどこまでも清らかで優しかった。


「わしは最期にやるべきことを果たした。
 ここから先は――”仁義なき戦い”じゃ」


直後、丈太郎から吹き出した血液が、まるで意志を持ったかのように動き始めた。
血液溜まりから触手のようなものが伸びて、ロリポップめがけて襲いかかる。

「パ、パラドッグス――!
 この攻撃を受け止めなさいッ――!!」

本来、ロリポップの能力は攻撃を繰り出す直前に発動する。
つまり攻撃を許した時点で不可避となるのだが、半狂乱になった彼女は構わず、能力を暴発させた。

正面に無数のカミソリ刃を召喚し、血液の触手を迎え撃つ。
しかし凝固と液体化を繰り返す触手に対して効果はなく、隙間を縫うようにして躱されるばかりだった。

「ならば、本体を――彼女の息の根を止めれば――ッ!」

今度は倒れ伏したままの丈太郎を狙う。
死体蹴りのようにカミソリ刃を懐に送り込んだ。

だが、それでも丈太郎の攻撃が止まることは無かった。
血液が防弾チョッキのように固まり、あらゆる刺し傷から身を守っていたためである。
僅かにでも体外に排出された血液でさえ、カミソリ刃を外へ押し出すだけの力を持っていた。

「やだ、やめて、来ないで――!」

そしてロリポップは触手に呑まれる。
血液の触手はロープ状に変形すると、瞬く間に身体をキツく縛り上げた。

まるで簀巻きにでもされた状態でロリポップは座り込まされる。
足元は血溜まりが凍りついたように固まり、手足の自由を封じ込まれた。

手数、強度、戦術――全てがロリポップの能力を凌駕している。
だが――彼女はロープを操るだけの魔人では無かったのか。
とても今の状況から、彼女のスペックがこれに留まるだけとは思えなかった。

「オレの……勝ち……じゃな……」

ぜぇはぁと息を荒げながら、丈太郎が顔を上げる。
顔面に付いた血液を事も無げに拭き取り、満足そうな表情を浮かべていた。

丈太郎の能力はロープを生み出し操る――だけではない。
窮地に陥れば陥るほど強さを増し、より概念的なものを呼び出せるようになる特徴を持っていた。

ならば、丈太郎のやるべきことは決まっている。

尊敬する師であり、11年前に第三次ハルマゲドンで命を落とした漢、邪賢王ヒロシマ。
彼の魂を召喚・憑依させることでさえ、可能ではないかと。
自らの血液をベッドして、最も倍率の高い大穴に賭けていた。

全てはぶっつけ本番の、まさに漢気。
上手くいく保証はゼロに等しく、失敗すれば二度とチャンスのない、デスゲーム。
――それでも、彼は期待に応えてくれた。


これが@崖っぷちの漢気(タイトロープ・ダンディ)の真骨頂。
限りなく細い勝ち筋を辿って、険しい崖でも乗り越えてみせた。


「うふ……うふふ……あはははははは!!」

血液のロープに縛られ身動きの取れなくなった彼女は、狂ったように笑い始める。
ついに頭のネジがイッてしまったらしい。

「まさか、これで勝ったつもりですの?
 戦いの中で進化したパラドッグスは、相手の攻撃無しでも刃物を飛ばせるようになりましたのよ。
 あなたがいくら血液を操れるようになったとはいえ、守れる範囲には限りがあるはずよね。
 つまり――言ってる意味が分かるかしら。みんな死んじゃえってことですわ――!!」

メインフロアの一角にロリポップの高笑いが響き渡る。
ある者は恐れ、ある者は怯え、ある者は怒り――。

しかし、何も起こらない。

もう先程までのように刃物を飛ばすことは出来ない。
それどころか、カウンターを発動することも出来ない。

その理由は、彼女が一番よく知っていた。

「ねぇ、パラドッグス……どうしたのよ。返事をしなさいよ。
 ――パラドッグス! 今あなたの力が必要なのよ!」

彼女の能力は発動することを禁じられている。
それも、丈太郎の能力によるものだった。

「ロープが持つ『縛る』という性質を強化し、能力を封じたんじゃ。
 もう――おどれは、ただの人間と変わらんよ」

ロリポップは丈太郎の能力が及ぶ限り、完全に無力化された。

能力を失った世界で、彼女は人の悪意に対抗する手段を知らない。
フロアのあちこちから放たれる殺気を、これから一身に引き受けることになるだろう。

一触即発の空気の中、彼女は子供のようにワンワンと泣き始めた。

「何で……私は、何も悪いことなんてしていないわよ……ぐすん。
 人は放っておいてもすぐに死ぬ……だったら、私が殺してあげたっていいじゃない……ひっぐ」

彼女の純真な言い訳から、明確に価値観の違いを感じる。
強すぎる能力に溺れたあまり、人として道を踏み外してしまったようだった。

丈太郎がどんな言葉をかければいいか迷っていると、横から毛皮コートを着た赤髪の女性が現れた。

「彼女は妾の大切な部下じゃ。……これ以上、手を出さんでくれるか?」
「あ、あぁ……」

ヒロシマを思わせる言葉遣いの彼女は、ロリポップの上司――ドラゴニュートだった。
戦う前にいくらか情報収集をしていたので、どういう人柄かは丈太郎にも分かる。

ドラゴニュートは物腰柔らかな口調で、しかし長い戦いに終止符を打とうとしているようにも見えた。
彼女を信じて、丈太郎はじっと待つ。

「人間よ、少しばかり後ろを向いていてくれんか。
 この先は18歳未満閲覧禁止じゃ。ちょっと刺激が強くなるぞ」
「……わ、分かった」

少し頬を赤らめて、丈太郎はロリポップたちから視線を外す。
そういうものには多感な年頃だった。

丈太郎が背後を向いたことを確認してから、ドラゴニュートは部下に慈しむような笑みを向けた。
表情をパッと明るくしたロリポップは、矢継ぎ早に言葉を並べる。

「ドラゴニュート様……私、ずっと間違っておりましたわ。
 能力の無い世界を通してみて、人間がいかに臆病で弱いまま暮らしていたか実感しましたの。
 もっと、彼らに寄り添ったやり方で殺す手段を思いつきましたわ。
 だから、私を助けてくださいませ。もう一度、世界を滅ぼしに参りましょう」

痛々しいほどに、彼女には普通の価値観が欠如している。

ドラゴニュートが彼女と出会ったのは5年前のことだった。
イギリスで暮らしていた彼女は今と変わらない能力と性格を持っていた。

はじめは人の悪意を向けられる側だった彼女は、その全てに対抗するだけの能力を手にしてから変わってしまったという。
傍に居るものを殺し、関わったものを殺し、逃げるものすら殺し――いつも、白いドレスを返り血で赤く染めていた。

彼女にとっては、暴力すら遊び感覚だった。
いつかやり返されることの恐ろしさを、完全に忘れていた。

彼女にもっと広い世界を知って欲しいという思いから、滅亡協会の仲間として加えた。
他のメンバーとは上手くやれていないようだが、よく笑うようになった。

だが――ついに、彼女を救うことは出来なかった。
誰も寄せ付けず、容易に他者を傷付けられる能力から、人を殺しすぎる癖が抜けなかった。

「ロリポップ……初めてお主と任務に赴いたときのこと、覚えておるか?」
「はい、もちろん覚えておりますわ。異国文化に触れて、新しい遊びもたくさん知りましたの」
「そうじゃなぁ……お主との旅も、そう悪いものでは無かった気がするよ」

少し価値観がズレていることを除けば、彼女は好奇心旺盛な少女といった印象だった。
きっかけさえあれば、何かが大きく変わっていたかもしれない。

「お主が殺した人間の数は覚えておるか?」
「500……いえ、1000……もっと居たような気がしますわね。人間の総数に比べれば、まだまだ未熟者ですの」
「いや、上出来じゃよ。それだけ殺してなお、これだけの理性を保てるのは奇跡に等しい」

彼女の口から、人殺しに対する認識が改まることは無かった。
だが――これからも一生付き合うことになる能力の性質を思えば、そうでもしないと気を保てないのだろう。

「ドラゴニュート様……私、もっと多くの世界を、人を、遊びを知りたいですわ。
 ――どうか、もう一度チャンスを与えていただけないかしら」
「あぁ……そうじゃな。今助けてやるから、少し目を瞑ってくれんか」
「はい。仰せのままに」

初心な少女のように耳を真っ赤にして、彼女はゆっくりと目蓋を閉じた。

赤い翼を広げ、周囲の視線から遠ざけるように彼女を包み込む。

「んふぅ……ドラゴニュート様、一体何をなさるおつもりですの?」
「じっとしておれ。すぐに終わる」

温かい羽毛に包まれ、彼女はくすぐったそうに身をよじった。

こんなところを、人目に晒すわけにはいかない。

覚悟を決めて、彼女を強く抱きしめた。
甘い紅茶の香りが鼻をくすぐる。

「あ――ドラゴニュート様……」
「ごめんな……もっと早くお主と出会っていれば、運命は変わっていたかもしれんな」

彼女の身体が一気に強張る。

ロープの上から、彼女の腹部に長い爪を刺し入れた。
――せめて痛くしないように、慎重に場所を選びながら。

「あぁ……ドラゴニュート様……私、何だか眠いですわ」
「今まで戦いの連続じゃったからな。きっと疲れが出たのじゃろう」
「うふふ……。また起きたら、新しい世界が待っているのかしら」
「あぁ、待っているとも。――お主の大好きな人ばかりじゃ」

それを聞いて安心したのか、彼女は体重をこちらに預けてきた。
ゆっくりと爪を引き抜き、安らかに眠っていることを確認する。


人を傷付けることしか知らない少女の人生は、ここで幕を閉じる。
彼女は生まれた環境が悪かっただけで、とても優しい女の子だった。


赤い翼を再び広げると、彼女の寝姿が衆目に晒されることとなった。
崩れ落ちないように重心を支えながら、丈太郎に声をかける。

「もう大丈夫じゃ。こちらを向いて良いぞ」

向き直ると、人が変わったように眠りこけている彼女の姿を見て丈太郎は驚いた様子だった。

「眠らせたのか?」
「あぁ、とても長い眠りにのう」
「そうか……」

彼女が寝息を立てていないことに気付き、丈太郎はそれ以上何も言えなくなる。

血液のロープは役割を終えて解体され、元の所有者に――丈太郎の身体に戻ってくる。
顔の色も少しだけ良くなったようだ。

「此奴の遊びに付き合わせてしまって悪かったのう。
 ――これは妾からの、せめてもの詫びの気持ちじゃ」

そう言って、ドラゴニュートは白い翼を広げる。
丈太郎の傷口に触れていくと、みるみるうちに身体が元通りになっていく。

その代償に、自分の身体からエネルギーが抜けていくのを感じる。
つくづく燃費の悪い能力なので、あまり多用は出来ない。

「おぉ……これがおどれの魔人能力か。恩に着る」
「礼には及ばん。……妾は一足先に、抜けさせてもらうぞ」

やるべきことを済ませ、ドラゴニュートは立ち上がった。

デスゲームのルールは、1人殺せば脱出可能だったはずだ。
――もはや自分は、ここに居られない。

「おい、デスゲームの主催者よ。全て見ておったんじゃろ。
 妾はルールに従い、他の参加者を殺した。条件は満たしたはずじゃ」
『はいはーい☆ 黒子、死体検証とスマホの回収よろしくね☆』

まるで声がかかるのを待っていたように楽しげなヒヤシンスの声で、デスゲームの実感が戻ってくる。
5年来の仲間との別れに比べれば、幾分かマシな催しにも思えた。

程なくして、全身黒ずくめの小柄な少女が到着した。
彼女はロリポップの容態を見るなり、条件のクリアを確認する。

「…………死亡、確認。スマホ、出して」
「おぉ、これで良いか。……つまらんものを見せたのう」

付け加えるように謝りつつ、コートのポケットからスマホを取り出した。

黒子はUSBのようなものを差し込むと、無言でディスプレイを操作していく。
その真剣な仕草に釘付けになっていると、黒い頭巾からうっすら透けて彼女の顔が見えた。

端正な丸顔に次いで目を惹くのは、狼のようにピンと立った獣耳だった。

そっと小声で耳打ちする。

「お主、獣人族じゃな。その耳を隠すために奇抜な身なりをしておったのか」
「…………知らない」
「妾も竜人族の末裔じゃから、そう怖がらんでも良い。誰にも吹聴せんよ」

頭巾の奥で、微かに彼女が頬を赤らめた様子が見えた。

やがて作業が終わったのか、黒子はいつもの表情に戻る。

「…………出るとき、黒子、呼んで。ゲーム、クリアした。おめでとう」
「おぉ、ありがとさん。友人に挨拶したら、すぐに退店するつもりじゃよ」

黒子に手を振り、丈太郎に会釈をして、ドラゴニュートは真陽たちの元へと戻る。

もはや懐かしさすら覚えるテーブルでは、気難しそうな表情を浮かべる真陽と一人が見合っていた。

「お疲れ様じゃ。――随分と落ち込んでおるのう」
「あぁ、お疲れ様っす。死闘だったみたいっすね」

他人事のように軽い口調の裏に、自責の念のようなものを隠しきれていない。
よほど一人を守りきれず、危険に晒してしまったことを悔やんでいたのだろう。

励ますように明るく振る舞う。

「心配するな、結果オーライじゃ。
 それにしても丈太郎とかいう奴、妙にキレ者じゃったな。
 デスゲームをクリアするなら、仲間に入れておいて損は無いと思うぞ」
「急にRPGのお助けキャラみたいなこと言い出すっすね」

おどけたように言うと、真陽は少しだけいつもの調子を取り戻したようだった。
これでこそ、自分の認めた人間だ。彼女に暗い顔は似合わない。

そのまま立ち去ろうとすると、裾を誰かに引っ張られた。

「――お願い。パパ、助けて」

見ると、それはロリポップに傷付けられた男性の娘だった。
思い返せばこれだけの人数が居て怪我人が少ないのは奇跡のようなものだが、彼のことはすっかり頭から抜け落ちていた。

おそらく少女は自分が丈太郎の傷を治しているところを見て、特別な力があることを見抜いたのだろう。

まずは真陽に容態を確認するところから始める。

「人間よ、そいつはどうしておる」
「最低限の止血とテーピングだけ施して、中央列で眠らせているっすよ。
 思ったより傷が深いのと、後遺症が残ってそうな雰囲気っす」
「あれだけのことをされれば、トラウマになっていてもおかしくないじゃろうな」

彼女の償いは自分の責務と言ってもいい。
――だが、再生の力を短時間で2回使った場合、自分のエネルギーが枯渇する問題があった。

「能力を使い切ったあと、妾は気を失うかもしれん。
 すまんが、誰かの肩を借りることは出来るか?」
「それなら、祓くんが居るっすよ。今は彼が面倒を見てくれているっす」
「……誰じゃ?」

聞くと、祓――もとい、卓成は真陽たちと一緒に入店してきた仕事仲間らしい。
デスゲーム開始時には別行動だったが、丈太郎とロリポップが死闘を繰り広げる裏で無事を確かめていたようだ。

卓成が待つという、中央列のテーブルに向かう。

「――パパ! お医者さん、連れてきた!」
「妾はお医者さんでは無いぞ」

重傷の男はソファーに寝かされぐったりとしていた。
うわ言のように「殺さないでくれ」と繰り返し呟いている。

出し惜しみすることなく、白い翼を広げる。
再生の力が彼にエネルギーを分け与えた。

「――パパ! 天使さん、天使さんだよ!」
「あぁ……傷が和らいでいく……ありがとうございます……」

肉体の傷も、精神の傷も、全てが元通りになる――魔法の力。

この力だけ使って生きられたらどんなに楽だろうと思いながら、ドラゴニュートはふらりと意識を失った。


*


「もう十分じゃろう」

自分のスマホに記されたバッテリー残量を見つめ、丈太郎はぼそりと呟いた。

長いデスゲームに終止符を打つときが近づいている。

丈太郎は当初の目的を見失っていない。
残虐行為すら厭わないデスゲームの主催者に、トドメを刺すのが自分の役割だった。

ドラゴニュートがそうしたように、この世には許されない悪がある。

仕掛けは完成しつつあったが、しかし肝心の「どうやって勝つか」といった部分は詰めきれていない。
まるで何かのピースを待つように、不完全な装置だった。

「……合流しておくか」

人の助けを借りるのは『らしくない』と避けていたが、この際構うものか。
彼女が居なければロリポップへの勝ち筋は見つからず、為す術もなく殺されていたかもしれない。

あの目は、何かを守ろうとする人の目だった。
――きっと、上手くやれるだろう。

荷物をまとめてテーブルを移動すると、そこには大人の女性が2人座っていた。
丈太郎は覚悟を決める。

「同席しても良いかのう」
「お、噂をすればっすね。私の方から挨拶しに行こうと思ってたところっすよ」

手を振ってパッと眩しい笑顔を見せる彼女こそ、真陽だった。
まるで初対面だということを感じさせない気さくさが、今は有り難い。

「はじめまして、丈太郎さん。――命を助けていただいて、ありがとうございます」

真陽の反対側に座り、奥ゆかしさを感じさせる一人。
今は遠慮がちな態度を取る彼女だが、ロリポップの前で見せた勇敢な表情の方が馴染み深かった。

「よろしゅう頼む。……なんじゃ、照れ臭いのう」

あの時漢気を見せなければ、ここに集うことも無かったことを思うと、途端に感慨深いものが込み上げてきた。
成り行き任せの綱渡り人生だが、自分は誰かの役に立てている。

丈太郎は席に座ることなく、単刀直入に要件を切り出した。
積もる話はたくさんあるが、今は時間が大切だ。


「今からデスゲームの主催者と直接戦う。
 ――そのための用意が、オレにはあるんじゃ」


難しい手順や段階は一切踏まず、狙いは王将1枚のみ。
これによって、デスゲームに囚われた人々を一気に救うことが出来る。

まさに奇襲の1手。

無謀とも取れる大胆な作戦に、真陽は目を丸くしていた。

「そ、そんなことが出来るっすか?」
「あぁ。奴らの居場所は検討がついておる」

主催者がメインフロアに居ないのはもちろんのこと、厨房は死体置き場に使われている。
トイレは配信が出来るほど広いとは思えない上、防音設備だって整っていない。
消去法で言えば案の定、『関係者以外立入禁止』と書かれたスタッフルームになるのだろう。

とはいえドアノブを回すだけで入れるなら苦労はしない。
出入り口や窓ガラスがびくともしなかったように、あの扉にも創郎の能力がかかっているはずだ。

だが――部屋の中に直接乗り込む方法があれば、話は変わってくる。
きっと彼らは想定していないだろう。

「まぁ……失敗すれば、オレは5分以内に死ぬことになるんじゃが」

制服のポケットからスマホを取り出し、彼女に見せる。
画面右上に表示されるバッテリー残量は、残り2%と表示されていた。

「なっ――――!?」

慌てて真陽も自分のスマホを取り出してみるが、彼女のスマホにはまだ余裕があるはずだ。

丈太郎はスマホをテーブルの裏から取った際、あらかじめディスプレイ照度を最大まで上げておいた。
ヒヤシンス――もとい、デス研会長はバッテリーの寿命を延ばす機能を制限していたが、反対に寿命を削る機能は手つかずにしている。
これにより、誰よりも早くバッテリーを消費しきることに成功していた。

「そんな……無茶苦茶っすよ」
「崖っぷちには慣れっ子じゃ。
 ……そして、ここから先は、おどれとの相談事になる。
 爆弾のようなものを、持ってはおらんか?」

能力をフル活用してなお、最後の大詰めを1人で果たすことは出来なかった。
そして彼女の能力も丈太郎が求めるものとは程遠い。
つまり――次を繋げることが出来なければ、ゲームオーバー。

勝算の見えない賭けに、丈太郎は手を伸ばしていた。
いくら魔人とはいえ、何でも出来るわけではない。

「あるっすよ」
「そうか、そんな都合の良い話があるわけ……あるんか!?」

今度は丈太郎が目を丸くする番だった。

真陽はトレンチコートのポケットから発煙缶を取り出していた。
何でこんなものを、と若干引き気味になる丈太郎だったが、これで最後のピースが埋まってしまった。
神を信じる丈太郎ではないが、何かに導かれているような運命を感じる。

もはや後には引けない。
自分の命と、デスゲームに囚われた人々の命を賭けて、最後の漢気を見せるときが来た。

「来い。――崖っぷちの漢気(タイトロープ・ダンディ)ッ!!」

この能力に『絶対』の2文字は存在しない。
他に相応しいものがあれば優先される性質のため、必ずしも本人の意図したロープを手繰り寄せることは出来ない。

吉が出るか、凶が出るか。

丈太郎の細い命を繋ぎ止めるロープは――ただ1本だけ。


「スマホの充電ケーブル――これしか無かろうッ!」


狙い通り、丈太郎は手元に白いケーブルを召喚したことを確認すると、先端部分を勢いよくスマホに挿し入れる。
反対部分に付属している小型バッテリーから電力が供給され、丈太郎のスマホは息を吹き返した。

「これでみんなのスマホを充電していくっすか?」
「そんなわけあるか。オレのスマホを充電したら用済みじゃ」

丈太郎の能力は複雑に出来ているため、意図が分からないのも無理はない。

充電ケーブルが持つ本質を強化し、素早く事を終わらせる。

真陽に発煙缶を渡すように促すと、彼女はおもむろに安全ピンを引き抜いた。

「お、おい。何やっとるんじゃ」
「大丈夫っすよ。私が能力を解除するまで、煙が吹き出ない仕組みになっているっす」
「そうなんか……」

真陽に丈太郎の能力がよく分からないように、丈太郎も真陽の能力をよく知らない。
それがもどかしくもあり、少し楽しんでいる自分も居た。

何はともあれ、丈太郎はもう1本の細長い市販テープを召喚すると、小型バッテリーに発煙缶を縛り付ける。

ここまでが準備段階だ。
何も充電だけがしたくて、充電ケーブルを召喚したわけではない。

持ち込みによる不正を防ぐため、充電には特殊なケーブルを使用していることも知っている。

まさか、それが仇になるとは思わなかっただろう。


「ここからは、おどれの好きなデスゲームの時間じゃ。
 ――せいぜい楽しんでおれよ!!」


使用済みとなった召喚物は、本来の持ち主の手元に戻る。
丈太郎が用意した最終兵器はデスゲーム研究会長、春風飛信子に直接届けられた。


*


「ふぅ……一時はどうなることかと思ったわ☆」

大きなデスクトップパソコンの前で、飛信子は掻いてもいない汗を拭う仕草をした。
保険をかけて「誰かを殺せばクリア」と言ったのに、まさか堂々と皆殺しを宣言するシリアルキラーが紛れ込んでいたとは予想外だ。
デスゲームで命を落とすのは仕方ないことだと思うが、それにしたって限度はある。

メインフロアの一角が血まみれになったせいで清掃代は高くつきそうだった。
散弾銃に撃ち抜かれた天井の補強だって必要だ。

事の顛末は監視カメラを通じて見届けたが、丈太郎があそこまで渡り合える魔人だったことも予想外だ。
そんな彼女は今、真陽たちが座るテーブルまで足を運んで談笑しているようだった。
あの3人がどんな話をするのかは気になるが、プライベートの会話を盗聴するほど落ちぶれてはいない。

「会長、そろそろ2つ目のお題を伝える時間ですな、はっはっは」
「あら、もうそんな時間になるのね☆」

創郎に促され、飛信子はデスゲーム司会進行役の顔つきとなる。

1つ目のお題は条件達成者1名という結果になったが、あれは事故のようなものだろう。
デスゲームの雰囲気を出せたので無駄では無いものの、2つ目からが本番だ。
果たしてこれから何人が生き残り、何人が脱落するのか――楽しみはまだまだ尽きない。

『ライアーゲーム』というドラマに出てくるディーラーをモチーフにした仮面で素顔をすっぽりと隠す。
大事MANブラザーズバンドの『それが大事』をオーディオミキサーにかけて、マイクとカメラのスイッチを入れた。

「みなさーん! たのしい☆たのしい☆デスゲームの時間ですよ~!
 今回は何人がクリアできるでしょうね。た・の・し・み・だ・ぞ☆」

そこまで言い終わったとき、急に手元が重みを帯びる。
視線を落とすと、そこにはデス研特注の充電ケーブルが握られていた。

どうしてこんなものが。

そう困惑していると、小型バッテリーに付けられたスプレー缶から勢いよく白い煙が吹き出した。

「な、何よこれ――!?」

慌ててケーブル一式を机から払い落としてしまったが、発煙は止まる気配を見せない。
白煙があっという間に部屋に充満していく。

「けほっ、けほっ……創郎、すぐに裏口を開けなさい……!」

なるべく煙を吸い込まないように仮面の上から口元を押さえつつ、戸口に近い彼に指示を飛ばす。

部屋は密室になっているため、放っておいても煙が逃げるスペースが存在しない。
換気扇がついていないため正面口か裏口の片方を開けて何とかするしか無かった。

メインフロアに繋がる正面口は絶対にダメだ。
主催者がこんなことでデスゲームを中断するわけにはいかない。

だが、裏口を開けて煙だけ逃せば、まだゲームは続行できる。

「ですが会長、扉を開ければ僕の能力は解除されてしまいますぞ、ごほっごほっごほ」

創郎は四方が壁に囲まれている場合に限り、壁の形状変化を無効化する能力者だ。
壁を壊されないのはもちろんのこと、窓が割れたり、ドアを開けたりということも出来なくなる。

逆に言えば、ドアを開けるためには創郎の能力解除を必要とする。
ほんの僅かな一瞬とはいえ、無防備になるこの時間は怖い。

「私たちの命には代えられないわ! 換気が終わったらすぐに能力を再開しなさい!」

緊張から言葉遣いが荒くなっていることに申し訳無さを覚える。
彼は文句の一つも言わずに働いてくれていた。

やがてギィという立て付けの悪い音がして外の光が差し込むと、煙が外へ逃げていく。

安堵するのも束の間、もっと大きな問題に気付く。

「き、切り忘れ――!?」

焦りすぎたあまり、パソコンの配信終了ボタンをすっかり押し忘れていた。

今までのやり取りは全て筒抜け――。
慌ててマイクとカメラのケーブルを引き抜くが、それで覆水が盆に返るわけではない。

「創郎、すぐに扉を閉めて! 彼女たちが――」

裏口の方を振り向いて、そこに居た人影にギョッとする。

素っ気ないトレンチコートを羽織る、長身の女性――有間真陽。
彼女は既に駐車場を回って裏口から侵入していた。


「――君たちを懲らしめに来たっすよ」


彼女は穏やかに話をしにきたわけではなさそうだ。
手に持つ拳銃を隠そうともせず、静かに自分を狙っている。

「命が惜しければ、今すぐデスゲームを中断してみんなを解放して欲しいっす」

それは至って真っ当な正義だろう。
抵抗するつもりは最初から無い。

おとなしく手を上げて降伏しようとした。
すると、何を思ったか創郎は彼女に飛びかかっていた。

「うおおおおおおお――!!」

鍛え抜かれた拳が空を裂き、風圧と共に襲いかかる。
それが真陽に届いた直後、その一撃が無力化され、創郎は地面に叩きつけられた。

「タイミングの見える攻撃なら通用しないっす」

一瞬の攻防に驚いていると、正面口が開いて外から黒子が勢いよく飛び込んできた。

「会長、傷付ける。黒子、許さない――!」

黒子は握られた金属バットを床に突き立て、小柄な体格を生かして大きく跳躍しようとする。
しかし彼女が身を乗り出した瞬間、バットを何かで弾かれ、支えを失った黒子は頭からダイブする結果になった。

「創郎、黒子――ッ!!」

デス研のメンバーはあっという間に満身創痍となった。
膝から崩れ落ちて、視線を床に落とす。

「どうして……戦おうとしたの。
 勝てないって……分かってたのに」

誰にともなく、泣き言のように問いかける。
答えはすぐに返ってきた。

「それは、僕たちが会長を守るために居るからですな、はっはっは」
「…………会長、戦う、苦手。黒子、その分、頑張る」

ハッとして顔を上げる。
視線の先には、傷を受けたことも気にせず、満足そうな表情を浮かべる創郎と黒子の姿があった。

デスゲームの主催側に似つかわしくない、仲間思いばかり。
自由気ままに振る舞う自分に付き合ってくれる、かけがえのない人たちだった。

「なんか……調子狂うっすね……」

真陽は戸惑ったような声をあげながら、自分の顔に手を伸ばしてくる。
抵抗も出来ないまま「ひっ」と短い悲鳴をあげるしかなかった。

やがて仮面を外され、素顔が外気に晒される。
ただの春風飛信子に戻されてしまった。

「不気味なもの、苦手っす。ホラーなものも、怖いっす。
 ――だけど、今のお前たちからはそういうものを感じられないっすね」

真陽は仮面に目を向けることなく、それを机にそっと置いた。
目測を見誤り、今後の対処を冷静に考えているようだった。

ほっとしたのも束の間。
今度はバンと壁を叩いて、正面口に丈太郎が現れる。


「雰囲気に騙されるでない! 彼らは立派な人殺し集団じゃ!
 現におどれも男が殺される瞬間を見たじゃろう――!」


積年の恨みを全てぶつけるような勢いだった。

確かにスマホを叩き壊した男は命を落とし、厨房に連れて行かれた。
その光景は真陽も知っての通りだ。

「それだけでは無いぞ! 過去3年間の校外実習においても脱落者を容赦なく見殺しにした!
 その数は1人や2人ではない――今年だけでも、300人以上じゃ!」

活動日誌の内容も丈太郎は忘れていないようだった。
いや、簡単に忘れられているようなら、そもそもここには居なかっただろう。

衝撃的な真実を、しかし真陽は冷静に受け止めていた。

「いや、それはおかしくないっすか?
 詳しい場所は分からないっすけど、日本でそんな大量殺人が起きてたら報道も黙ってないっすよ」
「彼らには春風財閥の後ろ盾があるんじゃ! 企業ぐるみで隠蔽しておったんじゃよ!」

丈太郎の大胆な推理に、ハッと目を丸くする真陽だった。

いよいよ隠し通すのも難しくなってきた。
今度こそ、本当にデスゲームが終わる番だ。

そっと創郎と黒子に目配せをする。

「いよいよ打つ手がありませんなぁ、はっはっは」
「…………もはや、限界。黒子、諦める」

2人とも同じ気持ちのようだった。

彼らにはデスゲーム研究会の本当の姿を、明かさなければならない。

膝をポンと叩いて、ゲームマスターのスイッチを入れる。

「うふ、うふふ、あははははは――☆」
「気持ち悪い。なんの真似じゃ」

間違えた。
これはロリポップの高笑いだった。

「丈太郎ちゃん! よくぞ私たちの悪行を阻止するため、ここまで辿り着いたわね☆
 まさか主催者に直接挑みかかるなんて外道策もいいところだけど、今回は丈太郎ちゃんの勝ちだぞ☆」

1ヶ月前の自分のように振る舞うと、丈太郎は嫌そうに眉をひそめた。

「……何が言いたいんじゃ。おどれのような大量殺人鬼に何を褒められようと嬉しくないわ」
「その丈太郎ちゃんの正義と漢気に敬意を表して、デスゲーム研究会の真の秘密を教えましょう☆」

どのみち、このゲームが終わったら白状しようと思っていたところだ。
覚悟を決めて、万感の思いを籠めて。

この3年間の全てをかけて。

――告白する。


「実は全部、ドッキリでした――☆」


「……は?」

丈太郎から気の抜けた声がする。
どんな言い訳が来るのかと、ずっと待ち構えていたのだろう。

けれど、これだけは偽りのない真実だった。

あとは嘘。あれもこれも全部嘘。
デスゲーム研究会は人を殺すことのない、健全なデスゲーム運営を心がけている。

今までの全ては、丈太郎を本気にさせるためのフェイクだった。

「まさか活動日誌に書いとったことが全部デタラメじゃとぬかしおるんか……?」

すぐには信じきれていない様子で、彼女は恐る恐る口を開く。

その質問には黒子が答えた。

「…………会長、3年分、1晩で書いた。黒子、全部知ってる」
「速筆にも程があるじゃろう!?」

仮入2日目――。
丈太郎はデスゲームで人が死ぬことについて激しい嫌悪感を抱いていたため、これを基軸にすることを決めた。
その日の活動が終わってすぐ、黒子と一緒に活動日誌を偽ることにしたのだ。

過去3年間の校外実習において、間違っても脱落者を見殺しにするような真似はしていない。
ちょっと恐ろしいペナルティを与えたらそのまま解放している。

具体的には春風財閥の株券を買わせている。

「でも待て、スマホを割った男の件はどう言い訳するつもりじゃ。あやつは確かに死んだはず――!」

まだ納得がいかない様子で、彼女は1つずつ真実を確かめようとしている。
何と説明しようか迷っているうちに、丈太郎の肩を叩くようにして男が現れる。

ビジネススーツを着た男だった。

「なんや。ワイのこと心配してくれとるんか?
 お嬢はええこやのう。役者冥利につきますわぁ」
「お嬢言うなシバくぞ。というか誰じゃおど……れ……!?」

言いながら、彼こそがスマホを割って殺された張本人だと気付いたようだった。
雰囲気も口調もまるで別人のようだが、同一人物で間違いない。

「紹介するわね☆ 彼はデス研が雇ったスタッフなのよ☆」
「スタッフ……じゃと……!?」

人員募集もしているという話は丈太郎にもしたはずだ。
彼女はファミレスの従業員のようなものを想像していたかもしれないが、実際は彼のようなサクラである。

聞いてもいないのに彼は早口でまくしたてる。

「いやぁ、それにしてもビビったわぁ。厨房に本当の死体が運び込まれるなんて思わんやんけ」

彼はロリポップのことを言っているようだった。

「…………あそこは、やむを得ない事情。黒子、謝罪する。ごめんなさい」
「契約違反やでほんま。諭吉さん倍増してもらわんと訴えてまうさかい」
「経理部に言って特別手当を弾んであげるわね☆ それで手打ちにしてくれないかしら☆」
「ええんか? 悪いなぁ、ワイが駄々こねたみたいになってもうて。まいどおおきに」

彼は金にうるさい男だが、こう見えても立派な魔人役者である。
『いつでも気を失うことが出来る』という一見使いみちの分からない能力者だが、デスゲームの見せしめ役にはうってつけだった。

彼について簡単に説明すると、真陽がごく真っ当な疑問を投げかけた。

「能力で死んだフリが出来るなら、心臓も止められたんじゃないっすか?」
「アホか。心臓止めたら人間死ぬやんけ。ほんまに殺す気か」
「ごもっともっす……」

彼は気を失ったフリこそ得意だが、死んだフリには難があった。
そのため心肺停止の確認は他でもない黒子に任せるしかなく、ばれないように厨房に運び込ませたのだ。

真陽がすぐに駆けつけた時はひやりとしたが、機転を利かせた黒子のファインプレーにより紙一重でやり過ごした。

「ほな。ワイは先に上がらせもらいまっせ。次の指名料もお安くしとくで~」

微妙に許しがたい不快感を撒き散らしながら、彼は大股開きで去っていった。
ちなみにコテコテの関西弁が特徴的だが、経歴は東京生まれ東京育ちである。

丈太郎が複雑な面持ちで黙りこくっていると、真陽が確認を求めてきた。

「最初の脱出条件が『誰かを殺すこと』っていうのは、一体どういう意図があったっすか?」
「もちろん雰囲気作り、もとい丈太郎ちゃんを本気にさせるための演出よ☆
 次の脱出条件は易しめにする予定だったんだぞ☆」

はぁ、と丈太郎が大きなため息を吐く。

「おかげでとんでもない藪蛇を生んでしまったがな」
「それはちょっと反省しているわ……倫理的にもよくなかったかしら、うん」

過ぎてしまったことを悔やんでも仕方がない。
アレは不可抗力のようなものだ。

これで質問は全部だろうか。
丈太郎に問いかけると、彼女は首を横に振った。

「まだ肝心な質問が残っておる。――なぜ、こんなことをしたんじゃ」

それは当然の疑問だろう。
だが、これは3人で決めたことだった。

「丈太郎ちゃんはデスゲームの主催側よりも、挑戦者のほうが似合ってると思ったからよ☆」
「邪賢王ヒロシマに憧れるという君の漢気が本物であること、しっかり見届けましたぞ、はっはっは」
「…………丈太郎、強い。だから、もっと挑みたい」

これは長い入会試験にするつもりだった。
誰もが彼女の強さを認めているからこそ、より高い壁を越えて欲しかった。

だが、彼女は思うよりもずっと多くのステージを乗り越え、人生という不条理なデスゲームを完全制覇しようとしている。

「――あなたさえ良ければ、デスゲーム研究会はいつでも正式入部を歓迎するわ☆
 どうかしら、丈太郎ちゃん☆」
「……検討しておく。だが、ちゃん付けはやめてもらおうか」

丈太郎はやっと自分たちの言っていることが全て真実だと飲み込めたようだ。
呆れたように長い長いため息を吐いて、目が潤み始める。


「どれだけオレが眠れぬ夜を過ごしたと思っとるんじゃああああああああ!!」


それだけ叫ぶと感極まったのか、子供のように泣き崩れてしまった。
こういうところはまだまだ年相応のようだ。

創郎と黒子が駆け寄り、泣きじゃくる丈太郎を慰めている。
――他人に優しく出来る彼らなら、これからは自分抜きでもやっていけるだろう。

ふと正面口の方を見ると燕尾服を着たルックスの良い男が立っていた。

見間違えるはずもない。
自分に楽しいゲームを教えてくれた人生の師匠――卓成だった。

「どうだったかしら、お師匠様。これが私たちのデスゲームよ☆」
「えぇ。素晴らしい演目でした。流石はわたくしの愛弟子です」

彼は年齢さえも感じさせず、あの時と同じ表情で笑いかける。
もしも彼と出会っていなければ、こんなに楽しいゲームがあるなんて知らずに生きていただろう。

あるいは、ロリポップと同じ末路を辿っていたかもしれない。

「……祓くん、一体どこから知ってたっすか?」

そう問いかける真陽は、彼にとって部署違いの上司らしい。
少し妬けるぐらい、絵になる2人だった。

「もちろん、最初からですが。
 趣旨は存じておりましたので、わたくしは邪魔にならないよう遠くから拝見しておりました」
「じゃあ最初から言って欲しかったっす。あやうく祓くんの大事な愛弟子を流血沙汰にするところだったっすよ」
「――お嬢様がその程度の器じゃないことは知っておりましたので」
「その気色悪い喋り方やめろっす」

珍しく邪険に扱われる師匠がおかしくてクスクス笑っていると、更に2人が入ってきた。

ロリポップに勇敢にも立ち向かった一人。
その彼女に抱えられるようにして弱々しい姿を見せる竜人、ドラゴニュートだった。

「有間さん、他の人たちは帰ったみたい。
 デスゲームは……一体どうなったの?」

彼女が疑問に思うのも訳はない。
しかし、最初から話すと長くなるので割愛だ。

「いつの間にかゲームも終わってたみたいっすね。……扱い的にはどうなんすか?」
「見ての通りじゃない。殆どの人が脱出成功よ☆」

セオリー通りでは無いにせよ、生き残りと脱出をかけたゲームのため、ただ1人を除けば全員がクリアできたと言ってもいい。
彼らを明るく見送れなかったのは心残りだが、たまにはこういう終わり方も悪くないだろう。

「うぅ……食べれるものは無いかのう……妾、飲食店に来ていたはずじゃよな……?」

ドラゴニュートの一言で、誰かの腹の虫があちこちから聞こえ始め、合唱を奏でた。

辺りを見回すと、狭い部屋にはいつの間にか大勢の人で賑わっている。
どうして広いメインフロアを使わないのだろう。

コホンと咳払いをして、音頭を取ることにした。

「これより、デスゲームのクリアおよび校外実習の成功を祝して盛大にパーティーを開催します☆
 店にあるドリンクサーバーは自由に使ってよし、食材も使えるならよし、足りない分は買い出しでも宅配でも何でも良いわ☆
 経費は全て私が負担するから、みんな朝まで楽しんでいってちょうだい☆」

率先するように創郎と黒子が立ち上がり、パーティーの仕切りに入る。

「買い出しは全て僕に任せてください。腕っぷしには自信がありますぞ、はっはっは」
「…………黒子、ドリンク係。注文、いつでもどうぞ」

2人に導かれるようにして、真陽と丈太郎、一人とドラゴニュートもメインフロアへと移動していく。
その誰もが笑顔を浮かべて楽しそうにしていた。

全てを失った卒業式から3年経って。
一体どれほどのものを――得られたのだろう。

部屋には師匠と自分だけが取り残されていた。
あの時と同じように、2人きり。

彼はにっこりと笑って、1枚の板を取り出した。
――確認するまでもなく、オセロ盤だ。

「どうでしょう、受けていただけますか?」
「望むところよ☆ ――今日こそは、負けないぞ☆」

床に座って、石とオセロ盤を中央に広げた。
あの時と同じように後攻をもらって、対局が始まる。

しばらく心地よく石を置き合いながら、変わらぬ師匠の表情を見つめていた。

「ねぇ、お師匠様。――また私が取り過ぎたら、取り返しに来てくれる?」
「はい。わたくしがあっさりと取り返してみせましょう」

傍から見れば微笑ましい、師匠と弟子のやり取り。
これは命を賭けたデスゲームでなければ、血に染まった体育館での出来事でもない。

「どうでしたか、希望崎学園は」
「えぇ。とっても楽しい場所だったわ☆」

――これは3年間の物語。
たった1人から始まり、多くの人に支えられた、奇跡のような成長の話。

今日も誰かの人生が終わり、誰かの人生がはじまっていく。

終わりとはじまり。
痛みと正義。

春風飛信子の、はじまりの日。
最終更新:2022年03月29日 23:01