/僕の旧い話(Ⅰ)
──────語りつくす前に寿命が尽きてしまうほど、遠い昔。
水曜日 曇り/放射性降下物の雨。
カチン。
コチン。
カチン。
コチン。時計の針が鳴る。
…………解析は既に終わっている。
このゲームは運や第三者の介在する余地のない完全な勝負。
手持ちの駒は互いに16。
e4 e5──────
選んだ初手でその行く末はガラリと変わる。対戦相手の巧妙な嵌め手と無数の選択肢の中からベストを選ぶ。
そういう頭の体操……それがチェスだ。
Nf3 Nc6────Bc4 Nd4
『…………』
────此処で白が分岐する。
次の四手目のe5のポーンがタダ。だけど、ナイトを捕ると後の八手目でキングが……
「……そろそろ八時間。少し腹が減ったなぁ」
ああ……!しまった!
ボード盤の上の駒を僕はまだ一つも動かしていない!
まだ始まってもいないものを一体どう終わらせるの!?
『ごめんなさい、▃▇▇▅。まだ賛否をまだ導けません』
「この勝負は一緒にやる相手がいなくてはどうしようもないぞ」
僕は▆▇▅▇▅のオリハルコンより貴重な時間を無駄な思考に費やしたことを恥じて、海より深く死にたい気持ちになった。
「もっと楽に考えろ」
▆▇▅は僕を書物より面白い事柄があったかのように、笑った。
『…………』
▆▇▅▇▃▇はことさら楽しそうに息を漏らした。
それでもいたずらに時が過ぎ、ただ焦燥ばかりが募ってくる。
『…………』
それでも▇▃▇▅は何も言わず、長い長い時間、じっと座っている。
『もういい。便器舐めてくる……』
もうこれ以上醜態は見せたくない。半端な自分の無力さを呪いたくなる。
「待ちなさい、そろそろ厠掃除も飽きただろう?」
「待つのは構わない。君が自分からやりたいと申し出たんだ。僕は幾らでも待つさ」
カチン。
コチン。
カチン。
コチン。時計の刻む音だけが、室内に高く響く。
それでも最初の手を決めあぐねている僕を▆▇▅▇は、
「二手目の選択分枝は七万二千八十四通りある。三手目ではどうなるかな?」
『9000000』
「四手目だと?」
『318000000000』
「その通りだ。チェスの局面は宇宙の原子の数より多くなる」
『うん』
「君ですら最後まで見透せない、私もだ。だからこそ最初の一手が怖いのは判る」
『……うん』
「しかし、終わりから最も遠いというは、無限の可能性を秘めた海が広がっている……つまりだ。
どんな遣り方にも、間違いを正すことの出来る可能性は無限にあると言えるんじゃないか?」
固く閉ざされた中が微かに柔んだ気がした。
『…………』
「これで少しは前向きになれたかな?」
僕は、今度こそ、決意を込めていった。
『…………うん』
カチン。
コチン。
カチン。
コチン。時計の針が鳴る。
「さぁ、もう少し続けてみようか────ルルハリル」
趨勢はまだ分からない。確証のない行動を僕は初めてした。
『……e4……』
空っぽの目────空っぽの心────空っぽの器だった頃。
思い描くだけの高鳴るこの意味を、僕にはまだ決められない。
もう少しだけ────あと少しだけ、
誰も傷つけず────誰にも脅かされず、
少しでも永く、この静止した空気の中に居たかった。
◇◆◇◆◇◆◇
/戦闘前夜
高度約三万六千キロメートルの静止衛星軌道上を周回しているロシア宇宙軍の多目的軍事衛星スプートニク072────
GDPの15%を注ぎ込んで造られたこの宵の明星は今元気過ぎるぐらい動きつづけている。
────微調整開始、
────弾頭特性入力、
────環境特性入力、
────弾頭破裂距離計算中………演算終了確認。
黄緑色のヘッド・キャップ……。
このセクシーなカプセルの中には人類の、いや山乃端一人を征服したい者たちの見果てぬ夢がある。
一度発射されたら、マッハ25のスピードで目的地点へ落ちていく。
何者にも防ぐことができない、人類最後の流星。
シコ。シコ。シコ。シコ。シコ。シコ。
成層圏では急き立てるように肉襞たちが蠕動し、次々と残弾たちを装填していく。
シコ。シコ。シコ。シコ。シコ。シコ。
本来ならそこに収まっている筈のものたちが山乃端一人の胎盤を狙うあるものへとすげ変わっていく……。
これ一発には九兆五千億もの彼らが秘められていて他にも成長ホルモンや排卵促進剤、16種の芍薬エキスが内蔵されてる。
────これで確実に命中る。山乃端一人に安息日などない。
山乃端一人を、そしてこの世の全てのものを破壊し尽く最終兵器の能力の証明する────今夜。
“イけ────射出…………ッ!”
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
……近く、遠く、薄ぼんやりとした水の音が聞こえる。
12月上旬────いつにもまして東京はまるで世界と切り離されているかの有り様だった。
風に乗って届くむせかえる栗の花の臭い。
白い湯気に醜い音。
空を黄色に染め、流れ堕つるは酔っぱらいの吐瀉物と見紛うばかりのゲル状の白い液体。
それは道行く者たちの足の裏でねっとりと糸を引いた。
12月の東京に降り注ぐこの謎の白い液体。その正体は何人にも許容し難いものであった。
主成分は果糖、クエン酸、亜鉛、テストステロン、蛋白質。それとアルカリ性のDNA────。
これらは全て雄性生殖器から生成される、みんなが知っている細胞成分。
そう────当然精子であった。
────しかし、恐れることなかれ。ここは大都会・東京。
働く者たちの顔は皆、防護スーツのプラスチック・レンズに隠されてはいるが、この惨状にも震えもおののきもしない。
むしろこの社会の歯車たちの行進の方が無機質な昆虫の群れめいて不気味に見えるだろう。
現在、東京都内に降りかかる放精量はこの国に生まれるFC2動画でマスをかく砂利ガキ共とは一線を画す毎時約1800mml。
恐ろしいことにこれは一般的な成人男性一回の射精およそ九億八千七百三十万回分の量に相当し、1年間で最もセックスが多いと有名なあの「性の6時間」より多い計算になる。
今現在もこの悪夢の遊精たちは入星を続けている。
山乃端一人、あのデルタフォースの殺人未遂事件からから二週間が経過した。
たった二週間でこの世紀末……!
有史以来行われて来た超現実的行為とは似て非なる重大バイオハザードインシデント。
その大厄災の名は────
ザーメンインペリアルムーブメント
Z I M
『見て……一人。あれが僕らの次の敵』
『こんなもん直視できるかぁーーッ!』
山乃端一人の命運、此処に窮まる。
■■■■
GRANRODEOのRIMFIREが鼓膜を突き破るも彼女の思考は定まらず……。
目蓋も粘ついたまま、どす黒い怒りだけを腹腔に貯めて鳴り響くアラームの停める手を伸ばした。
────いつもと同じ朝が来た。
顔を洗い、髪を整え、昨日の夕飯の残りで朝食を済ませる……。
袖に通すのは純黒のセーラー。それが彼女の戦闘服。
山乃端一人の飽くことなく繰り返す朝の儀式である。
姫代学園指定のローファーに爪先を通して、朝の光の中に一歩を踏み出す。
『銀時計』 『当然』
『防護マスク』 『よし』
『殺精剤』 『よし』
『貞操帯』 『家にそんなものはない』
このアンノーンな武装の数々も既に馴染みの日常になっていた。
『いってきまーす!』
勢いよく飛び出した自宅の玄関前で、
『コ……コンチワ』
山乃端は空しい愛想笑いを浮かべて沈黙する。
『──────』
いつの間に来たのやら……、
乳白色の不衛生極まりない不気味なカーテンから不鮮明な人影が顕れたのだ。
『……ぁ!』
山乃端一人は、目をドギマギさせて警戒心と好奇心の入り交じった視線を向けた。
どの様になったら自分をあそこまで貶めれるのか山乃端には不思議で仕方ない。
空から降る大量のカウパーを吸い取って肌を薄く透かす黒いフードから伺える表情は酷く翳り、相貌もおぼろげだ。
その姿はまるで死にかけた蛾のようであった。
しかし、山乃端はその正体をすぐさま看破した。
山手線で出会ったあの悲劇の濡れ女こと逢合死星であった。
『あ、あの時の濡れ女さん……』
……ただし、彼女はまだ名前を知らない。
先日の通学途中、襲撃現場に居合わせた彼女は怪しい人斬り歌舞伎役者に一刀両断に斬り伏せられた。
山乃端も助けたいのは山々だったが犯人はルルハリルが食べてしまったので、あの混乱した状況では山乃端一人が殺ってしまったように見えてしまうため、そのまま逃げて。
「逢合です。ワタシの名前は……」
今尚、この死刑執行人の頭巾からたばしり落ちる白濁液。それは彼女の抵抗する意思を削ぎ落としていく。
隈と陰った表情のせいで一気に老け込んでしまったようにみえるが眼差しは冴えるばかり。
『よ……よかったらウチのお風呂使います?その……テッド2のマーク・ウォールバーグみたいな見た目になってるから……』
悲劇のザーメン濡れ女こと逢合死星は素直にはい、と頷き、笑いも泣きもできない気持ちになった。
二人の間にまるで亡霊のような響きが割って入って来る。
『一人、携帯忘れてる……あと、クラス連絡に今日は休校。原因はこの雨で電車が脱線したから。今日は10時からオンライン授業だよ』
『おや……来る筈のない奴が来たみたいだね』
微動だにせずに、皮肉めいた口調で語りかけるルルハリル。
逢合に邪視を贈るその眼は世界に穴が空いたかのように黒く、その唇の端から覗くのは犬歯にしては鋭すぎる輝きだった。
こんなものに低く言われれば、その怖さを身を持って知っている逢合の身体は竦んで身動ぎひとつできなくなる。
『~~~~~ッ!』
逢合は言葉にならない狼狽の叫びをあげると、一人と一匹の間に山乃端の片手が制された。
『こらこらこらこらルルハリル~~?何でそんなに当たり辛いの?』
『……違う。その猿じゃない』
逢合の肩からひょい、と姿を現したのは体長七センチの双小人のようなもの。
“鼻がいいな。流石だ”
突然沸いて出た自己紹介に人間ではないものに慣れてきた山乃端一人も一歩後ずさった。
“はじめまして、山乃端一人。ワタシの名前は多田野 精子。……のその大勢の一つだが、他の精子は皆はワタシをDr.シコティッシュと呼ぶ”
『と、とりあいず……話が長くなりそうだからそろそろ玄関閉めたいんですけど、匂ってくるから。っていうか、既に臭いし』
一同はイソジンうがいを済ませ、山乃端一人自宅の浴室へと移動する。
■■■■
這いのぼる湯気。
重いシャワーの雨が彼女たちを濡らし叩く。頭と肩に水飛沫を上げていた。その肌を叩く刺激に、逢合死星は低く喘いだ。
体表を滴る水は盛り上がりに応じてせわしなく方向を変え、たばしらせるシャワーが真っ白な胸を滑り落ちて精液を流していく。
先日、カマド・タンジェロに袈裟斬りにされたはずの疵に身体には一つもない。
「ふぅ」
指先が張り付く髪を掻き上げれば、日頃は前髪で隠れている左目が露わになる。
『髪の毛にガムみたいにくっついてるなぁ、もう駄目じゃない?どうするの?』
「あとで鋏貸してください。うっとうしいので自分で切ります」
『綺麗な御髪なのに勿体ない。それより鍛えてるの?スッゴい❤️触っていい……?』
バキバキに割れた腹筋に誘導された山乃端の思わぬ声が出る。
「あ…っ待っ、ぅぁ」
風呂場の中で逢合のボディチェックを始める山乃端を無視して、ルルハリルはDr.シコティッシュとの情報の共有・精査をしている。
『────つまり上空に居る&“子行種”は貴方と同じく一卵性双生児として産まれ、彼らはロシアの軍事テクノロジーという血肉を得、環境に適合し、化けちゃったんだね?』
“その通りだ、ルルハリル君。実に聡明で素晴らしい。彼らはもっと飢え、もっと狂暴になる。そうなってからでは取り返しがつかない”
“今現在、降ってるのはただ先走りだ。本番はこれからだろう”
“ワタシの計算では明日の0時丁度に大規模な妊活が始まる”
Dr.シコティッシュの信じられない一言に山乃端は湯当たりではない頭痛を覚えた。
“だがワタシには君を助ける解決策がある。ワタシの子供を産むんだ。そうすれば他の精子たちはもう手出ししなくな────”
『貴重な情報提供ありがとう────さようなら』
山乃端はシャワーのノズルをDr.シコティッシュに向けると摘まみを最大に捻り55℃の熱湯を浴びせかけた。
「ヌワァァァ……ナニをするぅ!?精子に熱湯はヤメロォォーーッ!蛋白質が凝固してしまうーーッ!詰まるぞーーッ!」
興奮して吠える度、にわか雨のようカウパー液が散った。
Dr.シコティッシュの怒号が浴室に反響する。身をよじり苦しむの様子を観察しながら、
『静かに黙って聞いてやってればぴーちくぱーちくと……もうもう限界。黙ってさっさと金玉からやり直せDr.シコティッシュ……』
熱湯シャワーの熱が精子のべん毛を縮れさせ、Dr.シコティッシュはタイルの隅でのたうち回っている。悲鳴をあげているのは解るのに、シャワー責めのせいで声は聞こえない。
熱湯の高温が精子の蛋白質を変質させ、Dr.シコティッシュはみるみるうちに小さくなっていく。排水溝のヘアキャッチャーを通り抜けるほどに……。
それでもDr.シコティッシュは自己の持ち得る全てのエネルギーを放ちながら力尽きぬ事なく何かを言わんとする。
“私は50×10×10条の試行の末、産まれた最優良株だぞ!?我々の……ベイビーは……人類を新たな時代に導ける偉大な歴史的指導者になるッ!必ずッ!何故わからないッ!?”
トドメとばかりに山乃端はシャワーヘッドをDr.シコティッシュに近づける。
『そんなこと無理に決まってるじゃない……目の前にいきなり現れて子供が欲しいと宣う奴なんて恋愛対象外以前に根絶やしにされて当然じゃない。それにこれ以上お前たちを見ていたら頭がどうにかなっちゃいそう…………消えろ、男社会の生み出す産業廃棄物。全ての女に謝れ!』
「チクショォォーーーーッ!」
Dr.シコティッシュは怨嗟とともに排水口に流されて消えていった。折角の混浴に子行種きっての優性種も行き先は風呂場のオナニーと同じだった。
『……バイバイ、Dr.シコティッシュ』
ルルハリルは排水口に手を振って流されていったDr.シコティッシュを見送った。
■■■■■■
▼▲▼▲▼▲
────秋葉原駅の西。完全な宵闇が落ちていた。
巻き起こる埒外な騒ぎが原因でテナント撤退の憂き目に会う不幸な『秋葉原ダイビル』の屋上。
臭気に鼻を摘まんで座り込んで携帯を見る少女────山乃端一人が陣取っていた。
数に嵩をかけて追い立てられては逃げ延びる望みはない。だから、ここを選ばれた。
猛々しい鼓動が山乃端の耳にも聴こえ、黒髪を風に吹き流されるが山乃端はただそれに身を任せた。
凄まじいジェット音と全身が吹っ飛ばされるような爆発と音。山乃端も目を凝らし追うがが既に遅し、主翼を広げたシルエットが小さくなっていく。
UFO?戦闘機?宇宙生物?
────勿論、精子だ。さっきの風は超音速のべん毛がスクラムジェットに飛行する乱気流だった。
宇宙の極限環境に液状化した精子は本来なら大気圏で燃え屑になる筈なのだがあの弾殻が保護している。その材料も精子だろう。地上へ届くあの精子はまさに精鋭中の精鋭。
────弾頭が植物の種のようなものを弾き飛ばした。
現実のセックス同様に何億もの精子の死と引き換えに山乃端一人という卵子へ届けるための戦略的生殖。
『あれ……マズいんじゃない?降ってくる……ねぇ』
『рязный фейерверка』
ルルハリルに表情はない。恐ろしさすら覚える程酷薄な声音でそう口にしたルルハリルは魔境の速度で、両腕を変形させる。
『……御免、今なんて言ったの?』
精子衛星は常に思考し、動いている。まともな怪物や魔人たちとは一線を画する怪異なのだ。
備えられた原子力電池は“精子”に無限のパワーを与えて、山乃端一人に受精させるまで子胤を撒き続ける絶倫。
どんな局面を迎えようと、画一化された故に自立した知能も思考能力もない生殖器。
雌雄を決するのはただの一発────それがあの精子衛星の繁殖戦略だ。
ルルハリルの左手は南瓜細工の鋏、右手には蟷螂の斧。
────しかし、それは味方も同じ。殺し技の数なら精子の数と変わらないはずだ。
恐怖もなく、慈悲もない。ただ忠実な猟犬の如く、死を運ぶ▆▇▅▇▃▇▇▅。
鉄血のオート・マタ────ルルハリル。
その真っ黒な波動は光を反射することなく、宇宙の昏黒と相違ないまさに根源的破滅。
其処に物を投げ入れれば二度と戻って来れないと言う、絶対的な確証を抱かせる。
空間を抉って飛来する死神の鎌は、最高点に達したとき、
直後、栗の花の臭いが爆発して、山乃端一人の視界もルルハリルの思考も真っ白に染め上げた。
完全なる死滅を迎えるはずの精子勢は今まで抑えていた激情を一挙に爆発させた。
▲▼▲▼▲
長さ3メートル、太さ8センチ。空対地ミサイルとは全く違う、タピオカストローのような突起の弾体。
精子は容赦なく山乃端一人を庇った逢合死星を串刺しにし、ひねりまで加えていく。
それは所謂、甲殻類の烏賊の精子袋にある精莢と呼ばれる精子の射出管であった。
交尾の際、♂の烏賊はこれを利用し、♀の体に直接穴を開けて己の精子を送り込み体内受精させるという。
その恐ろしく貫通力の高い精子の前には、コンドームどころか装甲車でも避妊の役割を果たさない。
迂闊に衛精の射角入ろうものなら、盾の逢合もろとも孕まされてしまう。
神様も、悪魔も、知ったこっちゃない重い一発を脾腹に受けて逢合は悶絶している。
血の気のない皮膚に何かが躍り狂う。なにかが蠢いている。一見するの跳ねるバッタのようだが、
山乃端でも決して、無事ではない事が解った。被弾したルルハリルの方は相変わらず無表情を崩さない。しかし、左肩を何かが突き抜けている。
『ダメ、近づいたら。まだ精子は生きてる精子』
『逢合死星。命令だ、そのまま全部飲み干せ』
逢合は恨み言を言い返すだけの力も残っていなかった。
ルルハリルは矢尻を躊躇いなく引き抜くと、肩にはぽっかりと大穴が開き、つられて白っぽい蛇のような腱や器官がずるずると現れる。
嫌な顔一つせずそれらを引き千切る。と納められた鞘の中から白い液体がルルハリルに降り掛かった。液体は焼けるような匂いと、大きな音を出しながら白い煙を出す。
『大丈夫なの……?』
『お腹痛い』
衛星から送り込まれる精子にはルルハリルの表皮を突き抜ける働きがあるようだ。おそらくは烏賊の精子同様に組織を溶かす酵素のような物質が精製しているの所為だろう。
ルルハリルの体内で精子を放出され、内側を満たしている。
『ぶっかけられてないよね?』
ルルハリルは山乃端に聞きながら、ギラギラと光る精子を零れさせた。精液に襲われて面貌がほぼ消えていた。
『そんな下品な言葉、あんたの口から聞きたくなかった……』
『……じゃあ、黙ってる。君も黙ってて』
ヒラヒラと虫を払うように手を振るルルハリルに山乃端が全てを言う前に、
────ロックオンと精子の発射が続けざまに起きる。
────今度は避けなかった。
地に染めた白────それは、山乃端一人の胎内に注がれるはずの精子だ。代わりにルルハリル
ルルハリルのその口から精子がたっぷり滴っているのを見て、山乃端は恐慌状態に陥った。
『なにやってるのアンターーッ!?』
『黙って』
静けさと激しい嵐と────そして、欲情。
照準────環境誤差修正
彼我の距離、35853.211キロメートル
────ルルハリルも好きで汚濁にまみれているわけではない。
衛精の軌道運動、精子の突入速度、東京に吹く風、地球の自転、重力、光学的分析。その身に受けた精弾から既に位置は把握している。
『見つけた。射入角114°反転────照射』
宇宙空間を思わせるような、山乃端も吸い込まれそうな程に黒い空間の裂け目がカメラのレンズのように音もなく開いた。
光すら逃さぬ黒色の世界が広がっていく。エネルギーを放出し始める。
終着の見えない天を目指して消えていく。
それは一本の糸と化して上空へ吸い込まれて逝った。
衛星は石に、石は砂に、砂は塵に、塵は澱みに変わり、空中へ舞ったのであった。
それがこの戦いの終わりを告げる狼煙にもなった。
躍動の音が途絶えた。
『今度はちゃんとシてね、一人で……』
ルルハリルが地面に吐き捨てられた精子たちは白い煙を上げながらたちまちグズグズに焼け崩れていく。