「うっ……左目が疼く…………昨日飲みすぎたかしら」
浮かれ気味の魔女、三国屋碧沙が目を覚ましたのは昼過ぎのことだった。
まだ頭がズキズキと痛むが、転校生にとっては軽いハンデだ。戦力に支障は無いだろう。
今日、この日をしてこの世界は終わりを迎える。
そして、一人だけが助かり、感動の再会を果たし、ハッピーエンドだ。
これが浮かれずにいられるだろうか。
惜しむらくは、彼女を連れて帰るためには一度死体にしてから運ばないといけないということ。
だが、碧沙は黄泉返りに関する能力も習得しているため、大した問題ではない。
幼馴染との再会を誰が邪魔出来るだろう――。
「私は――この日を10年待ち焦がれていたのよ」
碧沙は逢迷街道の入り口に降り立つ。
本当は敵地に直接乗り込みたいところだが、今井商事の場所を割り出す手段を持ち合わせていなかった。
魔法書をカラスにして偵察に行かせたいところだが、逢迷街道に棲む彼らは無駄に警戒心が強く、ネズミ1匹の侵入にもうるさい。
おまけに上空からではどの建物も同じように見える――衛星写真で位置がバレることへの対策までしているようだった。
「正面突破……いいわ、転校生の力を見せてあげる」
多少の障害は肩慣らしにも丁度いい。
こうして碧沙は逢迷街道の門をくぐったのだった。
見た目だけなら寂れた商店街といったところだろうか。
碧沙が居た世界には、こんなに治安の悪そうな場所は無かったはずだ。
遠くにはバイクや高級車の往来が見える。誰の声も聞こえないことが逆に不気味だった。
目的地を見逃さないように、辺りをキョロキョロとしながら先へ進む。
ただ歩くだけで、こんなに緊張することがあるだろうか。
「――おぉい、お前さん。そこのお前さん」
その時、古びた店の物陰からしゃがれた声がした。
それは碧沙が手を下さずとも、明日には死にそうなボロボロな姿をした老婆だった。
彼女もヤクザの仲間だろうか――いや、エーデルワイスには載っていない人物だ。
ただの物乞いか、ホームレスなのだろう。
無視を決めるのは簡単だったが、一縷の望みをかけて彼女に尋ねてみる。
「おばあちゃんは、ここの土地に詳しい人かしら?」
「――あぁ、よく知っているとも。お嬢ちゃんは何が知りたいのかね」
口を開けると、ボロボロになった永久歯が痛ましく映える。
転校生になっても――いつか、ああやって老いる日が来るのだろうか。
「この辺に、今井商事……っていう建物があるらしいんだけど」
「知っておる知っておる。最近、そこを訪ねる人が増えたもんで、よく案内しておるよ」
「まぁ本当――その場所を教えてもらえるかしら?」
「あぁ、構わないとも。ただし――」
そこで言葉を切ると、老婆は自身の横にある看板を指さした。
そこには『占い1回 1000円』と書いてあった。
どうやら彼女は占い師を営んで生活しているらしい。
タダで情報を教えてくれる気はない――ということか。
だが、これを逃せば次はいつチャンスが巡ってくるかは分からない。
少し迷った末に、魔法書に挟んであった千円札を取り出す。
「占いはいいから、情報だけちょうだい」
「そう焦るでない――若人よ。わしの占いはよく当たると評判なんじゃ。
何か悩んでいることがあるじゃろう?」
「そうねぇ……これから大きな戦いがあるから、勝てるかどうか少し不安だわ」
「あぁ、それは大変じゃ。その不安をわしが取り除いてやろう。――どれ、顔をもっと近づけい」
どうしても占いをさせたい老婆の圧に負け、彼女の前に座らされる。
てっきり彼女はお金が欲しいのかと思いきや、人を見るのが好きで占い師をやっているようだった。
そういえば――と思い、碧沙は老婆の顔を注視する。
常時発動する能力として人の顔を見るだけで名前が分かるようにしていたのだが、彼女を見ても名前が浮かび上がってこない。
名前のない人間に遭遇するとこうなるのか――と、思わぬ経験に繋がった。
老婆は水晶を取り出すと、「おんじゃらほんじゃら」と不思議な呪文を唱えながら手をかざしている。
いかにもそれっぽい、裏を返せば嘘っぽい感じの古典的な占い師のようだった。
「お前さんの近くに誰かが見える――親しい友人のようじゃな」
「え? ――そ、そうなのね。私の友人は……10年前に亡くなったわ」
「おっと、それは嫌なことを思い出させてしまったの。――じゃが、その友人は今もお前さんの傍に居る」
それは――この世界に一人が居るから、ということだろうか。
魔人能力による占いかどうか分からない以上、あまり情報をベラベラと喋るべきでは無かったか。
「お前さんの守護霊となって、災いから守っているようじゃな」
「ぷっ……何それ。私そんなに弱くないわ」
思わずおかしくなって、吹き出すような笑いが出た。
その瞬間、老婆がいきなり興奮して「おぉ!」と叫びだす。
「見えた――見えたぞ! これはすごい……!」
「み、見えたの……何が!?」
「お前さんの死期じゃよ。誰だって華やかに人生を終えたいものじゃろう。
ずばり――『魔人の居ない世界で、白い花に囲まれて死ぬ』と出た。
変えようと思えば、容易に変えられるじゃろう」
それは不思議な予言だった。おそらく自分が笑ったことにより、未来の一部が分かったのだろう。
魔人の居ない――ここではない、遠い異世界ということだろうか。
「それで……死ぬ時、私はどういう表情をするの?」
「とても満足そうな表情をしておる。全てやりきった――という顔じゃな」
「そう。なら――いいわ」
少なくとも戦いに敗れ、苦痛な表情で最期を迎えたくはない。
そんな安っぽいオチに収まるのはごめんだった。
「ちなみに、分かったらでいいんだけど……戦いの結末はどうなの?」
「おぉ、それもバッチリ見えておるぞ。2人の死体を横切って、今井商事に入っていくお前さんの姿が見えた」
「2人の死体……か」
おそらく、3人の正義のうちの2人なのだろう。
戦いは避けられない――ということか。
だが、占いを信じるなら、最後に勝つのは碧沙の方だ。
なんだ――大したこと無いじゃないか。
魔人が束になっても転校生には勝てないらしい。
「色々ありがとう。憂いは晴れたわ。――それで、肝心の今井商事の場所なんだけど」
「このまま真っ直ぐ進めば関係者と鉢合わせになる。あとは言わずとも分かるじゃろう」
「……ふふ、それもそうね」
「生半可な覚悟では未来が悪い方に傾いてしまうかもしれん。引き返すなら今のうちじゃぞ」
「――まさか」
ここまで聞いて、撤退はあり得ない。
未来は碧沙が心配するほど不幸な結末を迎えるわけではないようだ。
老婆に再び礼を告げて、逢迷街道を真っ直ぐ進んでいく。
今の自分は無敵だ。一人を連れ出して――物語を終わらせるだけ。
「…………ふん、小娘風情が」
その後ろ姿を見送って、老婆は携帯電話を取り出す。
そう――老婆は逢迷街道のれっきとした門番であり、人を占うことで危険を予知する役目を担っていた。
「もしもし、街閻魔か。この街に――いや、世界に仇をなす存在が現れた。盛大に歓迎してやれ」
老婆の頭には、既に碧沙の過去・現在・未来が視えていた。
一度確定された未来を第三者が変えることは容易ではないが――対策を打つことぐらいは出来るだろう。
しばらく詳細な情報を伝えてから、電話を切る。
それから老婆は、手鏡を取り出した。
「あとは若いもんで頑張るんじゃぞ、ふぇっふぇっふぇ」
大笑いして、自分自身を視ることも出来る。
これまでに生きてきた過去・現在・僅かな未来――。
老婆は自分の命日が今日であることを、予め知っていた。
それが何を意味するかは、彼女に出会ってようやく分かった。
ここから先は――未知の領域。
自分にとっては、世界最後の日。
もう誰も視ることは無い。
もう誰も見ることは無い。
老婆は静かに目を閉じる。
その目が二度と開くことは無かった――。
*
老婆から街閻魔へ。
街閻魔から逢迷街道に所属する各組織のボスへ。
瞬く間に転校生が現れたという情報は広まっていく。
――否、正確には『とても強い魔人が現れた』と伝えられた。
この世界において、転校生という概念は一般的ではない。
今井商事においても例外ではなく、責任者である今井総はすぐに大事を悟った。
春風財閥との会合を中断し、デスゲーム研究会の面々と共に1階へ向かう。
全員が同じ部屋に集められると、総が指揮を取る形となった。
「諸君、世界に仇をなす魔人が現れた。我が社には幸い、多くの心強い魔人によって迎え撃つ準備がある」
今井商事――真陽、愛莉。
デスゲーム研究会――飛信子、創郎、丈太郎。
また、魔人では無いが黒子も戦力として申し分ない。
一方、自分も異能生存体として前線に出ることは可能だが、戦闘力は皆無に等しい。
卓成と一人は言わずもがな、戦場に出すべきでは無いだろう。
一同を見渡し、街閻魔から聞いた情報を頼りに作戦を練っていく。
「敵は魔人能力をコピーする特性を持っているようだ。
つまり、万が一能力を取られてはいけない能力者を戦場に出すべきでは無いだろう」
「私が出る幕は無いってことね、残念だわ☆」
いち早く意図を察した飛信子が緊張感の無い声で応える。
彼女はデスゲームの主催者になることでどんなルールをも強制させる能力を持っていた。
手っ取り早い話、「何が何でも死ね」と宣言するだけで敵はクリアされる。
しかし、それで倒し損ねた場合のリカバリーが不可能に近い。
能力を悪用された場合の被害も計り知れず、世界を滅ぼす力になってしまうだろう。
――彼女を前線に出すのはリスキーな選択肢だった。
「よって、本陣は有間真陽、徳田愛莉、空渡丈太郎の3名に任せたい」
世界の平和は3人の勇者に託された。
真陽は言わずもがな、今井商事が抱える最高戦力だ。
彼女が今日出社していたことは偶然ではなく、能力がもたらした『最善』と言えよう。
能力は単純に強いだけではなく、使用者の反射神経と応用力に依存する部分が大きいのもポイントだった。
いずれにせよ、彼女を抜きにして今回の作戦は成り立たないだろう。
愛莉の力は未知数だが、コピーされても影響のない能力というのが決め手となった。
時間の引き伸ばしはラボの内側でのみ発揮されるため、味方にすれば頼もしいが、敵に回してもあまり怖くない。
御徒町での一件は美奈から聞いた通り、ここぞという時で活躍してくれるだろう。
丈太郎の戦力は、愛莉とは真逆の意味で未知数となる。
ロープを操るという彼女の戦い方については卓成から報告を受けているが、まさに無限の可能性を秘めていた。
考え方次第でどんな窮地も脱する力は、味方にしても敵にしても恐ろしいものだ。
「――無論、危険を伴う任務のため辞退してもらっても構わない。各自の正義に委ねるものとする」
彼女たちの目を見ると、そこには確かな決意が籠もっていた。
「どんな相手でも、懲らしめるだけっすよ」
「みんなの命はあたしが守る! 後方からのサポートは任せてくれ!」
「戦いは得意分野じゃけんのう。目に物見せてやろう」
それぞれの覚悟を聞いて、作戦の第2段階を伝える。
「残された者は戦いに巻き込まれないよう、社用車に乗って速やかに戦線を離脱する。
襲撃に遭った際は春風飛信子、石壁創郎、不可視黒子、以上3名の助力を願いたい。
なお、本作戦の要は山乃端一人の防衛を考えるものとする」
敵は今井商事に向かっているという情報があるため、狙いは一人である可能性が高い。
滅亡協会が絡んでいるかどうかは不明だが、卑劣な魔の手から彼女を遠ざける必要はあるだろう。
結果として春風財閥とデスゲーム研究会の面々を頼る形になってしまった。
彼らとは長い付き合いになりそうだ。
「僕が居るからには車内の安全は保証されたようなものですね、はっはっは」
「…………黒子、会長、守る。他の人も、頑張って、守る」
「デス研心得。どんなときでも前向きに、だぞ☆」
全員に向き直り、作戦開始の合図を告げる。
「誰ひとり欠けることなく、無事ここに戻ってこられることを祈る。
――各位、最善を尽くせ!!」
種が芽吹くように、飛ぶ鳥が羽ばたくように。
それぞれの思いを胸に、世界を救うため戦いに挑む。
ここに集った正義は1つの太陽となり、明日の世界を照らすだろう。
*
「空渡丈太郎じゃ。よろしゅう頼む」
各々が緊張に包まれる中、丈太郎はとある共闘相手と挨拶を行っていた。
全く見知らぬ小柄な少女――愛莉のことだ。
可愛らしいエプロンドレスを着ている彼女とは初対面で、どんな能力を使うかも知らない。
だが、社長から選ばれている以上は戦える魔人なのだろう。
友好の意を示して片手を差し出すと、彼女からがっしりと握り返される。
特に運動はしていないのか、柔らかくてすべすべな肌をしていた。
「徳田愛莉って言います。先輩、よろしくお願いします!」
体格差からか口調こそ下手に出ているが、その瞳からは一歩も譲らない正義の炎が灯っている。
なるほど確かに――戦えそうな相手だ。悪くない。
「あのー、一応ふたりは同い年っすよね。どっちも17歳っす」
機微を察して真陽が間に入ってきた。
愛莉は高校生にはとても見えない小柄さだが、自分もそこまで言えた体格ではない。
――全く似た者同士だった。
「なんだなんだ、じゃあ敬語はやめよう。改めて、よろしく頼むぜ、丈太郎!」
「えらくさっぱりした性格じゃのう。――よろしゅうな、愛莉」
互いに歯を見せ、笑い合う。
立場が対等になったところで、ここから先は真面目な話。
「愛莉――おどれは一体どんな魔人能力なんじゃ?」
「空きスペースに簡易ラボを設置する能力者なんだ。主に後方でサポートするのが得意だな!」
「ほうほう……ということは、オレたちとは離れた場所に居るつもりか?」
「まぁ、そうだな。ラボは敵に壊されるリスクがあるし、あまり見つからない場所に設置するつもりだぜ」
なー、と戦闘経験のある真陽に同意を求める愛莉だった。
成る程――意外と運用が難しそうだな、と考え込む。
頭の中には既にいくつかの戦局が頭に浮かんでいる。
どうすれば限られたリソースの中で、自分たちの能力をコピーする相手とやっていけるか――。
将棋の矢倉を強化していくみたいに、もっと多くの手数が欲しい。
「愛莉ちゃんのラボの中では時間の流れがゆっくりになるっすよ。
しかも不思議なことに、電話は普通に使えるっす。まるで異次元みたいっすね」
「異次元――か」
一瞬地味だと思ったが、戦況次第では役に立つだろう。
ここまでの特徴を整理して、彼女のラボが最も活かせるパターンを思いつく。
「おどれ、最前線にラボを張る気はないか?」
「へ――?」
その斜め上の発想に、思わず素っ頓狂な声が漏れる愛莉だった。
「いやいや――さっき言ったばかりだろ。ラボは壊されるリスクがあるって――」
「それがそうでもないんじゃな。――そのラボというのはもちろん、四方を壁に囲まれておるな?」
そこで区切ると言いたいことが伝わったのか、真陽が「あぁ」と手を叩く。
そう――壊されるリスクを丸ごと回避できる手段がここに存在する。
「――石壁創郎。おどれの力が必要じゃ」
第2班に組み込まれていた彼の役割も重要だが、割けるリソースは本陣に集中させておきたい。
彼の背中に声をかけると、いつもながら快活な笑顔で受け入れてくれた。
「他ならぬ丈太郎くんの頼みであれば断れませんな、はっはっは」
その能力は『四方を壁に囲まれている場合に限り、壁を強化する』というもの。
壁が壊せなくなるのはもちろん、窓が割れたり扉が開いたりなどといった形状変化も一切無効となる。
――彼がラボの中に居るだけで愛莉の活躍の幅も増えるだろう。
「社長にも編成の許可取ってきたっす」
「うむ。恩に着る」
あれよという間に戦術は1段階上のステージへと上り詰めた。
畳み掛けるように、ラボを最前線に置いた場合のメリットを説明する。
「ラボがどれだけの大きさかは見ないと分からんが、拠点として機能するほど目立つものと仮定しよう。
それをあえて、敵からハッキリ見える場所に設置する。――さて、するとどうなる?」
「たぶん、真っ先に敵は拠点を狙おうとするっすね」
「その通りじゃ。多少なりとも警戒するじゃろう。
――そしてオレたちは、それを防衛するフリをすればいいんじゃな」
「防衛するフリ……? 何のためにやるんだ?」
「もちろん攻撃を引き付けるためじゃ。オレと真陽のコンビネーションなら、どれだけ激しい攻撃が来ても受け止めきれるじゃろう。
あとは――戦ってからのお楽しみじゃのう。敵の驚く顔が楽しみじゃ」
思わず邪悪な笑みがこぼれる。
戦う前から、戦いは既に始まっているのだ。
今度は愛莉から質問が飛んでくる番だった。
「あ、あたしはラボの中で待機すればいいんだよな?」
「うむ。創郎は筋肉ダルマじゃが紳士的な奴じゃよ。仲良くしてやってくれ」
「いや、そっちはあんまり気にしてないが……何か欲しいものがあったら、遠慮なく言ってくれよ。暇なんだ」
「あぁ、その際はスマホで連絡を入れるようにする。――普通に電話が通じるって、よくよく考えたらおかしいな?」
「原理を真剣に考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうっすよね」
魔人能力はまだまだ不思議でいっぱいだ。
ラボの外部と内部がどのように繋がっているか、考えるだけで恐ろしい。
戦いが始まったら行き来する機会は無さそうなので、渡せるものは渡しておこう。
「愛莉よ、友好の証にこれを受け取ってくれ」
「お、何だ何だ?」
おもむろに能力を発動し、どこにでもある普通のロープを召喚する。
それに『解く』という性質を強化し、何でも解けるロープを作成した。
出来上がったものを彼女に手渡す。
「ただのロープか……?」
「いや、結べば結ぶほど、解けていくロープじゃ。肌身離さず持っておれ」
「な、何のために?」
「うっかり自分に巻くでないぞ。可愛い衣装が全部解けてしまうかもしれんからのう」
「そんな少年誌みたいなハプニングのために――!?」
赤面して自分の身体に抱きつくような仕草をする愛莉。
もちろん、そんなくだらない理由で作ったわけではない。
「真陽――おどれの能力は敵に回すと厄介になるじゃろう。
だから、そういった『詰み』を回避するためにロープが必要になるんじゃな」
「成る程、そういうことっすね」
すぐに理解が及んだ真陽の一方で、愛莉は首を傾げている。
創郎も何となく予想がついたのか「はっはっは」と笑っていた。
その時が来ればすぐに理解出来るギミックだ。
これ以上言う必要は無い。
「打ち合わせはこれぐらいで良いじゃろう。あまり敵を待たせるのも可哀想じゃ」
幾重にも及んだシミュレーションの末に、盤石な勝ち筋が浮かび上がる。
真陽と愛莉にも声をかけて、いよいよ出陣の時がやってきた。
「オレたちの漢気――敵に見せつけてやるけんのう」
*
ややあって、真陽、愛莉、丈太郎の3名が戦場へと向かったあと――。
残された者たちは周囲の安全が確保されてから、戦線離脱のため出発することになっていた。
社用車の無事を確かめるために社長が外へ向かう。
中断していた商談を再開するために飛信子がそれに続く。
黒子も飛信子にべったりだったので、自然と3人が事務室から出ていく形となった。
一人は黙々と裁縫を行っている。
こんな非常時ではあるが、夢中になるものを見つけると周りが見えなくなるタイプだった。
全ての物には命が宿る。ぬいぐるみも衣装も、一人にとってかけがえのない物だ。
真剣に作業するその姿を卓成は静かに見守っていた。
山乃端一人を守ることが今井商事の最優先事項だったので、あまり彼女を孤立させたくない思いがあった。
――だが、それは流石に過保護が過ぎるだろうか。プライベートな時間を設けたほうがいいのではないか。
そんな葛藤の末に、卓成は彼女から離れることにした。
「……山乃端様、わたくしは一度お暇させていただきます。
近くの部屋で待機しておりますので、ご用命は何なりとお申し付けください」
一礼をして出ていく姿を見届けると、事務室には一人だけが取り残される。
とても穏やかな時間が流れていた。
裁縫をしているこの瞬間だけ――ぬいぐるみ作りに没頭していた8年間が思い起こされる。
世界を正しく作り変えたいとする強い願い。
幼馴染との再会、真陽たちとの出会いにより思い描くビジョンは多少変わったが、昔も今も本質は変わらない。
不意に、何かの予兆を感じ取った。
銀時計が光り輝いている――。
思わず立ち上がり、銀時計に導かれるように事務室を歩き回る。
銀時計が示す先には、大きなスタンドミラーが設置してあった。
「こんなもの、最初からあったかしら」
首をかしげながら鏡を覗くと、そこにはスーツ姿の美男子が映っていた。
悲鳴が漏れそうになるのを咄嗟に堪え、「こんにちは」と声をかける。
鏡の向こうの彼は爽やかな微笑みを浮かべ、挨拶を返した。
水面の上を石が跳ねるように鏡越しの世界がぐにゃりと歪む。
『はじめまして、山乃端一人さん。――貴方を、ここから救いに来ました』
*
「よう姉ちゃん。随分とオシャレな格好してるじゃねぇか」
逢迷街道を進んでいくと、如何にもといった風貌のヤクザが立ち塞がった。
この辺りをナワバリとする連中だろうか。いよいよ実力行使に移らざるを得ない。
碧沙は魔法書の入った鞄に手をかけて、冷たい視線で相手を睨む。
「……何か用?」
「姉ちゃん。ここは大人の世界だ。これ以上進むなら、痛い目を見ることになるぜ」
「一応成人しているのだけれど」
「ほう、それは良かった。――野郎ども、遠慮はいらねぇ! かかれ!」
その号令で商店街の閉じていたシャッターが一斉に開き、中からおびただしい数のヤクザが現れる。
刃物や銃器を隠そうともせず、誰もが明確な殺意を向けている。
前も後ろも――あっという間に囲まれてしまった。
流石にこの数が出てくるのは想定外だ。
「この街は随分と賑やかね。ネズミ1匹にここまでするなんて」
「へっ――てめぇがただの魔人じゃないことは知っているぜ。
だがなぁ。古今東西、ヤクザを敵に回して生きられる者は居ねぇのよ! 自然の摂理だ!」
「はぁ……なんて命知らず」
転校生を相手にするということがどういうことか――。
その身に教えなければ分からないようだ。
「貴方たちが束になったところで――魔法書の1冊にも勝てないというのに!」
鞄からビブリオヘキサの1巻を取り出し、能力を発動する。
ページの切れ端を鋭い針のように変化させて、勢いよく飛ばす。
瞬く間に形成された無数の弾幕によって、前方に居たヤクザは針のむしろとなった。
コンクリートに赤い血溜まりが広がる――。
秒殺される仲間を見て、他のヤクザの士気も下がったようだ。
「つ、強えぇ……!」
「俺たちみんな……やられちまう……!」
だが――ここで止まれるほど相手は賢くなかった。
「怯むな! 銃のあるやつは撃ち尽くせ! 味方を巻き込んでも構わん!」
リーダー格と思われる男の一喝で空気が変わる。
彼らは大小様々な銃器を取り出すと、派手な音を立てながら弾丸を射出させた。
転校生は硬い。銃で撃たれたところですぐに死ぬことは無いだろう。
だが、本能的に嫌な予感がして魔法書を総動員して四方にバリケードを張り、防弾を行う。
鉄を打つような激しい音がいくつも響くが、それがこちらまで届くことは無かった。
この世界は少しだけ、歪なような感じがした。
いくつもの世界を旅して分かったことだが、転校生の強さの秘訣は『愛されている』ことにある。
無限の攻撃力、無限の防御力――。
一般人はおろか、並の魔人でも太刀打ち出来ないほどの、強力な存在。
それは果たして――何のために居るのだろうか。
「今度はこっちの番ね――!」
銃撃が収まったことを音で理解し、真上に向かってカラスを飛ばす。
敵の位置さえ把握すれば、守りを解除することなく攻めに転じることが出来る。
バリケードの正面からナイフを形成し、射出することで1人ずつ正確に刺していく。
怨嗟の籠もった叫び声、うめき声の輪唱を聞き流しながら、他愛も無い連中が息絶える時を待ち続けた。
「……まだ残っているの?」
視認出来た者から順番に殺していく――図らずも虐殺ショーが出来上がってしまった。
彼らは圧倒的な力量差に気付いたのか、息を潜めて物陰に隠れている。
次は魔人がやってくるかもと思ったが、この街のヤクザは能力を使ってこないようだった。
「あるいは……私の能力が警戒されている……?」
敵対する魔人の能力をトレースできる能力こそ自分の真骨頂だが、非魔人相手では旨味が無い。
隠れ魔人も同様だった。能力を見て、その本質を理解しなければいけない。
守りに徹しすぎたことを反省し、バリケードを解除する。
その瞬間、ハエがむらがるように数名のヤクザが飛び出してきた。
「まだ勝てると思っているようね――!」
自分が持っている200以上の能力を駆使すれば、逢迷街道自体を壊滅させることすら容易いだろう。
それはやりすぎにしても、豊富な手段で相手をねじ伏せることは可能だ。
焼き尽くし、凍りつかせ、感電させ、溺れさせ、切り落とし、ミンチにする。
だが――それは流石に大人げない。
自らに制約を設けて、その制約の中で戦うことが好きだった。
今回使う能力は既に決めてある。
まずは当然、この世界において自分に敵対する魔人の能力。
次に、魔法書を自在に操る能力。
そして――10年前に死んだ、山乃端一人が持っていた能力。
不意に彼女のことを思い出し、こんなことをしている場合ではないことに気付く。
「貴方たちに構っている暇なんてないわ――今井商事を出しなさい!」
際限なく襲ってくるヤクザたちの群れを、魔法書ひとつで相手取る。
いつになっても目的の人物が現れる気配は無かった。
「……先に進ませてもらうわ」
ようやく自分が時間稼ぎをされていることを理解した。
まるで歯応えのない連中を振り切り、ただ前へと走り続ける。
やがて――行く手を阻むようにして道を塞ぐ、大きなコンテナハウスが目の前に現れた。
*
それを視認した瞬間、空中をキラリと光る何かが飛来してくる。
すぐにそれが何かを理解した碧沙は、口元を歪めながら魔法書で受け止めた。
3枚のコインが、床に散らばる。
「遠距離からの先制攻撃は貴女の得意技だったわね――真陽!!」
ついに出会えたことが嬉しくなり、叫ばずにはいられない。
エーデルワイスにおける主人公――有間真陽。
速度を操る彼女と実際に戦える日が来るなんて、夢にも思わなかった。
向きや速度を変えながら、続けざまにコインが飛んでくる。
まずは小手調べのようだ――彼女は姿を見せていない。
全方位を警戒しながら、相手がしびれを切らすのを待ち続ける。
「姿を見せなさい。貴女の能力は、こんなものでは無いはずよ」
「――どうやら、私のことをよく知る人物みたいっすね?」
そして、彼女が目の前に現れた。
地味な色のトレンチコートを着たその姿は10年前からよく知っている。
決して着飾ることのない、けれど真っ直ぐな正義の持ち主。
彼女に出会えたことに感謝しつつ、せめてもの礼儀として名乗りを上げる。
「私の名前は三国屋碧沙。契約に従い、世界を滅ぼさんとする者なり。
――だけど、その前に貴女の能力をトレースさせてもらうわ!」
魔法書が光り輝き、彼女の力が流れ込んでくる。
合致する記述は調べるまでもなく、能力原理や彼女の正義は手に取るように分かっていた。
走ることだけが好きだった彼女は、皮肉にも速度を底上げする能力の獲得によって白い目で見られるようになる。
それから病み、荒んだ人生の歩みは他者の痛みを理解する糧となった。
幼い頃から一貫していた「誰かを救いたい」という正義は――培われた経験の厚みによって今日も誰かを照らしている。
これで――最速の足を手に入れた。
だが、彼女の能力の真骨頂は「触れた物を加速させる」という部分にあるだろう。
時速200kmで近づき、そのままの勢いで吹き飛ばせばいい――便利な能力だ。
「さぁ、鬼ごっこの時間よ――!」
地面を蹴り上げ駆け出そうとしたその時、足止めをするように空から大量のロープが降ってきた。
「な――――!?」
いつから居たのか、真陽の隣には黒いダボダボの学ランを羽織った少女――丈太郎が不敵に笑っていた。
裾から出した無数のロープを編んでバリケードを作り、真陽との間に高い壁が生まれる。
「おどれの考えはお見通しじゃ。真陽には指いっぽん触れさせんけんのぅ」
キャラ設定上は『細いロープを召喚する』というシンプルな能力だが、いざ対峙してみると化け物じみていることを痛感する。
それもそのはず――同時に召喚出来るロープの数に制限なんて存在しない。
おまけに性質強化や操作性向上など、強いことしか書かれていないのだ。
「調整ミスよこんなの……どうやって倒せばいいの……!」
思わず作者である山乃端一人への恨み節が募る。
既に能力のトレースも済ませてあるが、そんなことをしても状況が変わらないことは分かっていた。
一度落ち着こうとして、場を眺める。
真陽と丈太郎が揃った今、エーデルワイス第3話の再現は完了していると思って良い。
3人の勇者と対決する、悪い魔女――。
愛莉だけがこの場に居ないようだが、遠くに見える白いコンテナハウス、もといラボの中で待機しているのだろう。
状況は思ったよりも最悪だ。
一方的に制圧するどころか、丈太郎ひとりに完封されそうになっていた。
何とか制約の中で状況を打破する手段を考えなければ――。
「魔法書を総動員してでも、あの壁を越えてみせる!」
真っ先に思いつくのは。魔法書から生まれたナイフによってロープを切り刻むこと。
だが、突破口を開いた傍から新しい壁が生まれ、別のロープによってナイフが絡め取られてしまった。
細かい針ならどうだろうと、ページの切れ端から弾幕を飛ばす。
何重にも束ねられたロープの壁には歯が立たない。
それからいくつかの手段を試してみたが、まるで先を読まれているようだ。
丈太郎が作ったロープの包囲網を潜り抜けることは出来なかった。
「貴女の能力――予想以上に厄介なのね」
「当然じゃろう。おどれの敗北は既に決まっとる」
丈太郎はこちらを冷たい目で睨んだまま、隣りで静止している真陽に指示を飛ばす。
「オレは引き続きこやつを足止めする。真陽は遠距離から攻撃していてくれんか」
「了解っす」
短く返事をすると、あっという間に彼女の姿が見えなくなる。
ロープ越しに丈太郎と正面対決する形になった。
「丈太郎、貴女の正義は随分と邪道なのね」
「慎重なだけじゃ。――真陽の能力を封じる手段は、これしか無いじゃろう?」
「……そうね」
真陽が持っているのは主に、自身を加速させる能力、触れた物を飛ばす能力、触れた物の時間を操る能力。
――その全てに共通する弱点は、狭い場所では使えないということ。
四方八方をロープで固められた今、この能力はただの飾りだった。
思えば最初から勝負は決まっていたのだ。
あえて先に真陽の能力をトレースさせ、油断したところで丈太郎が現れ、包囲網を張る。
もしも順番が逆だったら、この戦法を使っていたのは自分だったかもしれない。
「見事だわ。……でも、その戦法には穴がある」
真陽が放っているであろう、遠方からの飛来物を魔法書で撃ち落とす。
丈太郎は足止めだけに意識を集中させているのか、ロープでこちらを絡め取ろうとは考えていないようだった
つまり――。
「決め手が無いのはお互い様……ということかしら?」
「そうかもしれんな」
ここまでの作戦を組み立てておきながら、転校生を倒せるほどの攻撃手段を持ち合わせてはいないようだ。
消耗戦に持ち込むつもりだったのか、それともラボの中で何かを作っているのか――。
愛莉の能力は決して万能ではないは知っている。
いくら銃器や爆弾を作成して持ってこられても、魔法書で防げる範疇だ。
「なら――その周囲に張っているロープで私を絞め殺すのはどうかしら」
包囲網を崩す手段が無いのなら、口先で何とかするまで。
彼女の集中が途切れた瞬間を狙って、確実にその首を仕留めてみせよう。
「……そんなの、つまらんじゃろ」
「そう言ってられるのも今のうちよ」
徐々に完璧だったロープの陣が揺らぎ始めているのが見て分かる。
ついに彼女は疲弊している。いくら能力が強くても、これだけの放出をずっと続けられるわけがない。
あともう少し――。
そう思っていたその時、丈太郎の傍に真陽が現れる。
「丈太郎、作戦変更っす。時間を稼ぐのはこれぐらいにして、一気に仕留めるっすよ」
「おう、その言葉を待っておったよ」
ちっ、と思わず舌打ちが漏れる。
どうやらあと一歩、間に合わなかったようだ。
何を仕掛けてくるのかと思えば、丈太郎はロープの包囲網を引き上げ始める。
てっきり張ったロープで何かをしてくると思っていたので、予想外のことに呆気に取られた。
「おどれは少し、勘違いをしておるようじゃな」
「ふん。油断したわね――!」
丈太郎の言葉を遮るようにして、がら空きになった地面を蹴り上げる。
何を思ったかは知らないが、真陽の能力を発動させる絶好のチャンスだった。
時速200kmで彼女たちに近づこうとする。
その時、目を疑うような光景が飛び込んできた。
「決め手は最初から――用意してあったんじゃよ」
ラボが、空に浮いている。
愛莉の能力で設置したと思われる白いコンテナハウスが、地面から離れていた。
風船が重力に逆らうようにして、少しずつ上へ。
「な、何なの――――!?」
その光景がもたらす威圧感に足が竦む。
トリックの正体はすぐに分かった。
三編みにしたロープを巻き付けることで、ラボ自体を持ち上げてしまったのだ。
それ自体はエーデルワイスの第2話に書かれていた用途と同じ――。
『掴む』『引っ張る』『振り回す』という3種の強化された性質が相互作用する特別なロープを使用している。
――いや、それだけでは足りない。『持ち上げる』という性質までプラスした四編みのロープなのだろう。
どうしてそんなことを、と人に尋ねるほど自分は馬鹿ではない。
これが彼女の言っていた『決め手』で間違いないだろう。
「ラボは彼女たちの活動拠点」「ラボの中で何かを作っている」
――そういった思い込みを逆手に取った、メタ戦法だ。
ラボは最初からそれ自体を武器として使う予定だった――。
「そんなの……無茶苦茶だわ……!」
いくら頑丈な転校生と言えども、あれをまともに食らって平気なわけがない。
すぐに逃げ出したい思いに駆られるが、ここまで巨大だと前後左右には避けようが無い。
あえてロープによる足止めが無いのも誘われているのだろう。
一か八か、真正面から受け止める力はあるか――と。
「転校生の力……甘く見ないでよね!」
除々に迫りくる、外装は10畳に収まる建築物。
質量や重量も一般的な武器より遥かに上だ。
長いこと転校生をやってきたが、ここまで異常な戦法を取られたのは初めてだった。
「魔法障壁、最大出力――!!」
魔法書のエネルギーを全て1つにまとめて、結界のようなものを張る。
ただのバリケードより幾分かマシだが、果たしてどこまで通用するか――。
やがて押し潰されるような強い衝撃がやってくる。
すぐに自分の試みが無謀であることを知った。
「む、無理無理無理無理――!!」
人や武器、あるいは車を受け止めるのとは重量が違いすぎる。
あるいはラボの方が接触の際に自壊することも期待していたが、外装には傷ひとつ付いていない。
すぐに壊れるほど脆いものを武器には出来ないだろうが、この硬さは尋常ではない。
創郎の能力が使われていることは明らかだろう。
「このまま……負ける……ぐらいなら……!」
正面から受け止めきれないことは理解できた。
残された選択肢は2つ。逃げるか、死ぬか――。
前や後ろに逃げることは出来ない。すぐに追いつかれてしまうだろう。
左右に逃げることも出来ない。他の建物に挟まれ、潰されてしまう。
つまり――――。
「真上に逃げるしかない――っすよね?」
飛び上がって攻撃を避けようとしたその時、すぐ近くに予想外の人物が現れる。
目の前のことに集中するあまり、真陽がこの場に居たことをすっかり忘れていた。
「――はっ、しまった!?」
ラボを用いた特大攻撃は間違いなく決め手だが、それだけで終わりではない。
『真上に飛ぶ』という行動を誘うための陽動だった。
彼女の手が伸びて、接触を許してしまう。
その瞬間に敗北が決まった。
「――このまま宇宙まで、ぶっ飛べ」
低い彼女の声が聞こえたかと思えば、瞬く間に身体が急上昇を始める。
自分の意志とは関係なく、真上に飛んだ際に発生した運動エネルギーを時速200kmまで加速・固定されたのだった。
「ぎゃああああああああああ――!!」
ぐんぐんと地上が遠ざかり、一気に酸素が失われる。
このまま行けば窒息死は確実だろう――。
東京の街は遥か遠く、水平線の彼方にある場所までよく見えるようになった。
トレースした真陽の能力で相殺出来ないかと考えたが、同じ能力を打ち消すような力はない。
丈太郎の能力なら、とも思ったがロープを垂らしたところで地上に届くはずがない。
愛莉の、創郎の、魔法書の、一人の――。
制約の中で使える能力を1つずつ浮かべてみるが、どれもこの状況を打開するようなものでは無かった。
「……完敗だわ」
もはや意識を失わないようにするので精一杯だった。
彼女たちが見せたコンビネーションは、間違いなく『決め手』になっていただろう。
転校生は――倒された。
エーデルワイスの第3話としては、これが最も正しい終わり方だ。
正義の力で悪は滅びる。あの3人のうち誰が欠けていても成せなかった結末だ。
スタッフロールと共にエンディングテーマが流れるのを感じる。
彼女たちに惜しみない称賛を。
そして――世界にさよならを。
「ここから先は――三国屋碧沙の時間よ」
制約を取っ払えば、こんな茶番は無いだろう。
手を抜いてそのまま死ぬなんて馬鹿馬鹿しい。
魔法書の1冊を取り出して、自らの分身へと変化させる。
とんがり帽子、黒いローブ、左目の眼帯、17歳にしか見えない身体――。
その分身と左手で繋がると、右手は自分の胸にあてる。
これから何をするのか察したか、分身はゆっくりと口を開いた。
「わたしのこと……わすれないでね」
この能力を使う日が訪れるなんて思わなかった。
だが――自分にかかっている能力を打ち消すにはこれしかない。
「能力原理:対象との入れ替わり――!」
次の瞬間、元の重力が戻ってきた。
真陽から貰った能力効果だけが分身へと引き継がれる。
手を離すと、分身は宇宙へと飛び立っていく。
彼女はそれ以上何も言わず、ただこちらを見下ろしていた。
溢れた涙は、上に流れていく――。
「……忘れないわ。絶対に…………忘れない」
失った代償は軽いものではない。
幼い頃から大事にしてきた――魔法書の1冊。
それを自ら手放すのは、これが初めてのことだった。
これは自分自身へのケジメだ。
制約を破ったこと、真陽たちを倒すこと、一人を殺すこと、世界を滅ぼすこと――。
どんな手段を用いるかはもう決めていた。
あらゆる妨害を受けることのない――絶対の力を見せてあげよう。
地上がゆっくりと迫ってくる。
落下地点を逢迷街道に定め、重力に逆らいながら着地する。
既に勝った気でいる彼女たちには悪いが、最初から未来は確定していた。
「ごきげんよう。そして――さようなら」
今度は彼女たちが圧倒される番だ。
「な――まだ生きとるじゃと!?」
「完全に入ったと思ってたっすけどね……」
それは悪夢のような光景だろう。
ここまでの手段を講じてなお、死なないのが転校生というものだ。
死なない――ではなく、死ねない。
山乃端一人を手に入れるまで、契約が完了するまで、決して死ぬわけにはいかない。
「ふふふ……うふふふふ」
ただならぬ殺気が漏れていることに気付き、真陽と丈太郎が警戒を強める。
だが――今更どんな妨害をすることは出来ない。
「能力原理:バリアを張る――!」
右手を前に突き出して、あらゆる物を外に押し出す絶対のバリアを展開する。
10年前、山乃端一人が死んだ日に景からトレースした能力だ。
真陽が近づけることはなく、丈太郎のロープが届くこともなく、彼女たちの能力は無効化できる。
まだ準備段階に過ぎない。
左目の眼帯に手を伸ばす。
本当は制約がある内に使おうかどうか迷ったが、強すぎる能力ゆえに使用することを躊躇っていた。
もっと遊びのある能力が好みだが、手っ取り早いのも好きだった。
それは10年前の山乃端一人に発現したと思われる、魔人能力の複製。
何故なら彼女とは一度も敵対したことがなく、能力を持っているかどうかすら不明だったからだ。
だが――彼女の不審死は自身の魔人能力によるもので間違いないだろう。
禁断の封印が、解かれようとしていた。
「何だかすごく嫌な予感がするっすよ」
「分かっておるよ。――崖っぷちの漢気ッ!!」
そう叫ぶと、丈太郎は天に向かって長い長いロープを召喚していた。
それが何らかの性質を持って、これから起こることを妨害しようとしているのだろう。
だが――既に遅い。
左目の眼帯は既に外れていた。
真っ赤に充血した目で世界を睨む。
これが、黒魔術の原点にして頂点――。
山乃端一人の能力を発動する。
「能力原理:相手は死ぬ――!!」
――それは彼女たちの幕引きに相応しい、最も優しい能力だった。
10年前、体育館の倉庫にて。
発見された5人の死体。その中心に一人が居た。
彼女たちからは目立った傷跡も、出血の跡も無かった。
『死』というものはゲームの状態異常のように単純ではなく、何らかの死因とセットになる必要がある。
出血死、窒息死、感電死、ショック死――あるいは、老衰による死。
そのいずれも彼女たちには見当たらず、おもちゃの電池が切れたように眠るだけ。
『殺す』と『死ぬ』は似ているようでかなり違う。
自分がトレースした能力の多くは『相手を殺す』ことに特化したものだが、『相手が死ぬ』というものは無かった。
彼女は少し優しすぎた。
彼女は少し抱えすぎた。
だから、誰も傷つけないように頑張った結果、ここまで歪な能力に目覚めたのだろう。
自身を含めて、周囲に居る人間に等しく『死』を与える能力。
それが彼女の能力の正体だった。
その能力をトレース出来なかったことは残念だが、意志は確かに受け継いでいる。
彼女たちを能力で殺さなかったのは、せめてもの良心だろう。
皮肉にも、老婆から占ってもらった通りの結果になる。
逢迷街道には真陽と丈太郎、2人の死体が出来上がった。
彼女たちは仲良く手を繋いだまま、目を閉じて動かなくなっている。
既に息をしていないことから、死んだフリではないことも明確だ。
「これが運命の強制力――ね」
残された愛莉はラボの中だが、能力の射程範囲は200mに有効なため同じように死んでいるだろう。
偶然にも今井商事は目と鼻の先にあり、その真横に付くようにしてラボが設置されていた。
何の因果か――それとも、自分が吹っ飛んだあとに設置し直したのか。
念の為と思い、ラボの扉を開けようとするがドアノブはボンドで固定されたように動かなかった。
「死してなお、能力は残り続ける……か」
創郎の能力は健在のようだった。
愛莉のラボが残っていることからも分かる通り、能力者が死ぬことで能力効果が消えるとは限らないらしい。
丈太郎はというと、死ぬ直前に召喚していた長いロープは既に消えていた。
彼女のことだから最後まで要警戒する必要がありそうだが、この様子だと不発に終わったのだろう。
あと少し遅ければ――何をされていたか分からない。
現場検証はこれぐらいにして、本来の目的を果たすことにしよう。
2人の死体を横切り、今井商事の中へと入っていく。
山乃端一人に繋がる手がかりか、彼女の死体があるかもしれない。
無機質な社内は静寂に包まれていた。
てっきり社員の死体が転がっているかと思いきや、人の影ひとつ見当たらない。
――逃げられたか。
戦闘に少し時間をかけすぎたかもしれない。
こうなると彼女との対面は絶望的だが、邪魔者が居なくなった今、追いつくのは時間の問題だ。
1階の事務室には、これみよがしに大きなスタンドミラーが設置されていた。
懐かしさと不気味さが同時にこみ上げてくる。そういえば彼は――この世界にも居るのだろうか。
あるいは既に――この世界で声を聞いているか。
依頼人はよく似た人物だった。
「……彼に直接聞いてみようかしら」
同じ転校生であれば知らない仲ではない。
自身を映す鏡に手を触れ、彼からトレースした能力を発動する。
「能力原理:鏡の世界を作る――!」
何も映らなくなった鏡に手を触れ、その先に世界があることを調べる。
そして――彼もこの世界に来ていることを知った。
「……なんだ、やっぱり彼が絡んでいるのね」
躊躇うことなく、鏡の世界へと飛び込んでいく。
多くの不可解を抱えながらも、碧沙は真実へと足を踏み入れた――。
*
そこには無数の『目』があった。
その目は碧沙の方を向いていない。
その目は世界の方を向いていた。
どこまでも続く、ノイズだらけの世界。
空間の至るところに掛けられた悪趣味なスクリーンと鏡の数々。
その世界の支配者――鏡助は碧沙の来訪に気付くと、爽やかな笑みを浮かべていた。
「お久しぶりです、三国屋さん。何か御用でしょうか?」
まるで全てをやり遂げたような快活な表情をしている。
その傍らには花柄のドレスを着た女性が横たわっていた。
「……随分と趣味が悪くなったのね、貴方」
「何のことでしょうか」
何度か鏡助の世界に訪れたことはあるが、ここはもっと殺風景な場所だった憶えがある。
最低限、最小限の情報で山乃端一人を探していた頃の彼は居ないのだろう。
無数に散らばる『目』を使い、世界を隈無く監視するようになったらしい。
女性を侍らせる趣味も初耳だった。
――いや、あるいは。
自分が期待していたものなのか。
「そこで眠っている女性は誰なのか、聞いてもいいかしら?」
「おや。やはり気になりますか」
新しいおもちゃを自慢したい子供のように目を輝かせ、鏡助は嬉しそうに答えた。
「この世界の山乃端一人ですよ。まだ生きています」
「――――!!」
それは願いもしなかった幸運だった。
彼が山乃端一人に執着していることは知っているが、今回は随分と手際が良いようだ。
世界滅亡へのカウントダウンは始まった――。
だが、それは同時に新たな障害の誕生でもある。
同じ山乃端一人を巡って、ふたりの転校生が出会ったなら――争いは避けられないだろう。
不毛な戦いが永遠に続くに違いない。依頼主も待ちくたびれてしまう。
まずは下手に出つつ交渉から。
10年の転校生生活で培ったエネルギー温存の秘策だった。
「ダメを承知でお願いがあるんだけど、その山乃端一人をこちらに譲ってもらえないかしら?」
「構いませんよ」
「まー、そりゃそうよね…………え?」
もっと渋られるどころか激怒されるかと予想していたが、あっさりと譲る意志を示した。
山乃端一人を救うことだけを願っている彼らしくもない。
「……本当にいいの? 私、彼女を殺して自分の世界に持ち帰るつもりなんだけど」
「はい。その代わりこの世界を滅亡させてくれる――そういう契約でしたよね、三国屋さん」
「なっ――――!?」
彼は契約のことまで熟知していた。
――全くぬかりが無い。一体どこまで視ているのだろう。
どういう心境で、この世界を眺めているのだろう。
「そうそう。この世界に来た際に、貴方にそっくりな声をした依頼人に会ったのよ。
――もしかして、同一人物じゃないかしら?」
「その説は否定したはずですが」
「えぇ、そうなんだけど。――――ん?」
もしやと思いカマをかけてみたが、予想外の反応が返ってきた。
彼も失言に気付いたようで、「あはは」と力無く笑い始める。
「慣れない嘘を吐くものではありませんね。まんまと引っかかってしまいました」
「…………」
その可能性は全く考慮していなかった。
だが、今回の依頼主は――やはり、鏡助だったのか。
それなら事情は大きく変わってくる。
聞きたいことも、たくさんある。
「昨夜は山乃端一人の身柄を持っていないと言っていたけど、それも嘘だったのかしら?」
「いいえ。ついさっき、貴方が逢迷街道へ襲撃をかけた際のどさくさに乗じて攫ってきました。
『貴方を救いたい』と鏡越しに言ったら、簡単に信じてもらえましたよ」
「…………」
それは彼女を騙した、ということになる。
何となく話は見えてきたが、穏やかに終わらせることは難しいようだ。
彼が一体何を考えているか、全く分からない。
それにそもそも――。
「転校生は嘘を吐けない――じゃなかったかしら?」
大いなる制約。
絶対の規則。
転校生は創造主に愛され、無限の攻撃力と無限の防御力を得る代わりに、嘘を吐くことを固く禁じられる。
それを破ってしまうなんて、果たして彼はどんなトリックを使ったのか。
あるいは――答えが思いつかなかったわけではない。
「それとも貴方は既に転校生を辞めている――ということかしら」
「はい。ご明察です」
まるで当然と言わんばかりに表情を崩すことなく、彼はその最悪な思いつきを首肯する。
決してあり得ない話では無かった。
魔人が転校生に成るように。
転校生が魔人に戻れることも可能性としてあるのではないか――と。
そのメリットはあまりにも少ない。
だから仮に思いついても実行しようとする者は居ないのだろう。
無限の攻撃力と無限の防御力を失ってでも、嘘を吐きたかったのか。
――そう思うと、目の前の彼が途端に恐ろしく見えた。
魔人、鏡助――。
その胸中に巣食う魔物は、自分より遥かに邪悪で歪だった。
転校生ではないからといって、侮れるような相手ではない。
ならば、いっそのこと話はシンプルにしてしまおう。
世界を滅ぼし、一人の死体はその後で考えてもいい。
「もう一度確認するけど、山乃端一人は私に譲ってくれるのね?」
「はい。――と言っても信じてもらえるかは分かりませんが」
「……そうね」
嘘を吐くようになった彼は厄介だ。
一方で、彼の傍であれば一人の安全は保証されたようなものだろう。
報酬の確保までは終わったものとも考えられる。
「――じゃあ、契約通り、この世界を滅ぼしてあげる。
真陽と丈太郎の死亡を確認した今、私たちを遮るものは何も無いわ」
200以上の能力を操る自分にとって、世界を滅ぼすことは何よりも容易い。
だが――それを邪魔する者はしつこくやってくるものだ。
鏡助は不思議そうに首をかしげた。
「――三国屋さん、貴方先程何と言いましたか?」
「……何なの。契約通り、世界を滅ぼしてあげるって言ったわ」
「いえ、その直後です」
「…………何が言いたいのよ」
掴みどころのない彼に苛立ちを感じる。
鏡越しに全てを視ている彼にとって――次の展開は予想出来ていたのだろう。
「……はっ、まさか!?」
彼女たちの死亡は確かに見届けた。
だが――いつも詰めが甘いのは自分の悪癖だ。
死体を切り刻んで処分することも出来た。
ラボを空間ごと消し飛ばすことも出来た。
それをわざとしなかったのは、心のどこかで彼女たちに期待していたからかもしれない。
正義は何度だって立ち上がることを。
巨悪は何度だって滅ぼされることを。
自分の背後にただならぬ気配を感じた。
驚いて振り向くと、死んだはずのヒーローがこちらを睨んでいた。
「まだ、戦いは終わって無いっすよ」
――救世主、有間真陽。
「やられた分の御礼、たっぷりしてやるけんのう」
――戦闘狂、空渡丈太郎。
「どうして……死んだはずの貴女たちが……!?」
山乃端一人を奪還するため、彼女たちは鏡の世界まで乗り込んできていた。
最強の正義と悪が集結する中、最終決戦の火蓋は切って落とされる――。
*
時は少し遡って――。
碧沙の不安は見事的中し、ラボの中まで『死ぬ』という能力効果が及ぶことは無かった。
それどころか丈太郎の能力で振り回されていた時でさえ、内部の人間が気付くことは無かった。
地続きのように見えて、外界とは切り離された全くの異次元を生み出すもの――。
それこそが愛莉が持つ魔人能力の真骨頂である。
戦いが終わったあと、愛莉がラボの外に出ると待ち受けていたのは悲惨な光景だった。
――地面に横たわる真陽と丈太郎。
慌てて駆け寄ると、既に彼女たちは息をしていなかった。
「真陽先輩っ――! 丈太郎っ――!」
ふたりの肩を揺さぶり、何度も大声で呼びかける。
だが――期待した答えが返ってくることは無かった。
自分だけを置いて、彼女たちは先に行ってしまった。
2ヶ月前の辛い過去がフラッシュバックする。
また、自分は誰も守れなかった――。
涙がボロボロと溢れ、彼女たちの身体を濡らしていく。
その時、背後から肩にポンと手が置かれる。
振り向くと、そこには1本のロープを持って佇む創郎の姿があった。
「今こそこれを使う時ではありませんかな、はっはっは」
彼も丈太郎を失って辛いはずなのに、いつもと変わらぬ気さくな笑顔を振り撒いていた。
彼が持っているのは丈太郎から受け取った――『何でも解けるロープ』だったか。
「ま、まさか、こんな時に丈太郎の服を脱がせて楽しみたいのか!? 見損なったぜ創郎――!!」
「愛莉くん、誤解ですぞ――! 丈太郎くんが本当にそんなロープを渡すわけがありませんな!」
こんな状況だが彼の変わらぬ態度に触れて、少し空気が和らいだ気がする。
けれど、大好きだった彼女たちが死亡したという事実に変わりはない――。
そんなことを考えていると、創郎はおもむろに丈太郎の身体にロープを巻き付けていた。
「おいやめろ変態――!」
「だから誤解ですぞ――!」
羽交い絞めにしてでも止めさせる。
そして――信じられないことが起こった。
「――げほっ、げほっ、ごほっ! ……何じゃ、本当に死ぬかと思ったわ」
先程まで息をしていなかったはずの丈太郎が咳き込み、何度も血を吐き出した。
文字通り、息を吹き返したのである。
「じょ、丈太郎――!? どうして、さっきまであんなに――良かったぁぁぁ!!」
「お、おい抱きつくな。暑苦しいじゃろ……!」
理解よりも先に身体が飛びついていた。
抱きつかれたまま、赤面しつつ丈太郎は状況説明を始める。
ちなみに創郎は丈太郎の無事を確認すると、敵襲に備えてラボに戻っていた。
「このロープの種明かしをすると、これは『何でも解くロープ』――つまり、能力を解除するためのロープなんじゃ。
本来は敵が真陽のとある能力を使ってきた場合を想定して作っておったが、見事に功を奏したのう」
そういえば、丈太郎はこのロープに関して、『詰み』を回避するために用意したと言っていた。
ならば、彼女が先程まで置かれていた状況がそれだったのだろうか。
敵が大技を放ってくる瞬間をいち早く察した真陽は、丈太郎と共に『詰み』の状況を自ら作り出した。
それは、物に流れる時間を止める能力を限界まで使ったもの。
すなわち――全身に流れる時間を止める、という最終手段。
「それって……死ぬのとそんなに変わらないんじゃね?」
「かもしれんのう」
丈太郎はクックックッと笑う。
これにより、時間が止まっている間に受けるはずだった能力効果は全て無効化される。
相手からは死体が出来上がったにしか見えないだろう。
一か八かの作戦ではあったが、結果的に見逃されて今がある。
残る懸念点は、「どうやって能力を解除するか」ということ。
使用者の真陽はもちろん、ロープを作成できる丈太郎も同様に動けなくなるので手段が残されていない。
つまりロープは第三者、ラボの中に居る愛莉にあらかじめ渡しておく他になかったのだ。
解除のタイミングさえ運否天賦に任せるしかない。極めて不確定要素の多い戦術となった。
おまけに敵の大技がラボの中まで及んでいた場合も負けが確定していた。
「だからあまり使いたくは無かったが……万が一に備えておいて良かったのう」
「そんなに大事なことだったらちゃんと言ってくれよ! 本当に死んじゃったかと思ったじゃないか――!!」
丈太郎の背中を何度もポカポカと叩く。
彼女が勝算の低い戦術を好む性格とは創郎から聞いていたが、まさかここまでとは思わなかった。
「でも……みんなが無事で、本当に良かったぁ……!」
安心して気が緩むと、また目頭から涙が溢れてくる。
「お、おい。オレのことはもういいから真陽を助けてやってくれんか」
「そういえばそうだった!」
丈太郎と同じように真陽にもロープを巻きつけると、すぐに息を吹き返した。
「……ん。どうやら成功したみたいっす――ごべぇっ!?」
「真陽先輩――!」
当然、彼女にも抱きついていた。
*
愛莉が泣いたり笑ったりの感情に一段落ついていると、真陽が急に慌てた声を漏らした。
「――そういえば、こんなことしている場合じゃないっす。緊急事態っすよ」
「どうしたんじゃ。……そういえば、作戦変更とか言っておったな。何かあったんか」
丈太郎も察するものがあったようで、真剣な顔つきで話を聞いている。
「私たちが戦っている最中に、山乃端さんが行方不明になったみたいっす」
「な――敵が複数居るなんて聞いてないぜ!」
作戦はあくまで『敵を倒す』『山乃端一人を逃がす』ことに集中していたため、別働隊への意識は疎かになっていた。
結果的に作戦が両方とも失敗しているのも由々しき事態だ。
「ちなみに他のメンバーはどうなっておる?」
「無事に遠方まで避難できたみたいっすよ」
「そうか。それは何よりじゃ」
一人のことは気がかりだが、被害が最小限で済んでいることは不幸中の幸いである。
「敵はまだ逢迷街道に潜んでいるかもしれないっす。警戒しつつ山乃端さんを探しに行くっすよ」
状況を再確認し、心当たりのある場所から回っていくつもりだった。
手始めに彼女を見失ったという今井商事の事務室に戻る。
そこには不自然な位置にスタンドミラーが置かれているのを発見した。
「明らかに怪しいというか……邪悪な気配を感じるっすね」
鏡自体は至って普通に、自分たちの姿を映しているようだった。
その光景に強烈な既視感を覚える。
2日前、御徒町で真陽たちと出会う直前のことを思い出した。
「……あ、そういえば鏡助はどうしたんだ? あいつ、山乃端一人を救って欲しいとか言ってたじゃんか」
「もしかして彼が山乃端さんの行方を知ってるっすかね」
「なんじゃ、その鏡助という奴は……?」
丈太郎はそもそも鏡助と会ったことが無いらしい。
真陽がその質問に答えた。
「ちょっと前、私と愛莉ちゃんに山乃端さんの救出を依頼した男っすね。鏡越しに現れる変な奴っす」
「ほう、それは面白そうな魔人じゃな」
何とかして彼と連絡を取る方法は無いだろうか。
もしやと思い、鏡面を手でペタペタと触ってみるが、あの時のように手首が沈んだりはしなかった。
「愛莉ちゃん、何してるっすか?」
「前に会ったとき、鏡の世界に入れてもらったんだ。今は無理みたいだな」
アテが外れてがっくりと肩を落としていると、丈太郎が興味深そうに鏡を覗いていた。
「入るには、何か特別な力が必要じゃろう。その時の状況を思い出してくれんか」
「んー……。あ、そういえば『鏡渡りの力を授けよう』みたいなこと言ってた気がするぜ」
「鏡渡り……渡る……成る程のう。少し下がっておれ」
言われた通り、鏡から遠ざかる。
すると、丈太郎は1本の新しいロープを召喚し、鏡に向かって勢いよく伸ばした。
鏡が割れる――そう思って目を逸らしそうになったが、ロープの先端は鏡に吸い込まれていた。
まるで自分が鏡渡りの力を貰ったときのように――。
「――開通させた。これで鏡助とかいう奴に会いに行けるじゃろう、たぶん」
事も無げに難しいことを成し遂げる彼女に、真陽も驚いていた。
「丈太郎、相変わらず何でも出来るっすね。天才っす」
「愛莉のヒントあってこそじゃ。オレだけの力ではないのう」
思い返せば、彼女は作戦開始前の時から多くの戦術を立案し、自然と指揮を取るようになっていた。
自身が持つ魔人能力の汎用性によるものもあると思うが、それ以上に彼女の性格や才能がそうさせているように思える。
大胆不敵な戦術と、それを実行する勇気――。
「丈太郎はすげぇな。あたしより強い正義って感じがする」
「いや――オレは戦うのが好きなだけなんじゃ。愛莉や真陽みたいに、誰かを守りたいと思う気持ちのほうが立派じゃよ」
彼女はそうやって謙遜するが、力量差は明らかだろう。
自分が戦闘で役に立てることは何も無い。武器を作って渡せるぐらいだ。
「丈太郎、ロープの向こうはどうなってるっすか?」
「今のところ異常は感じておらん。――だが、嫌な予感がするのう。敵が居る可能性もあるじゃろう」
「了解っす。そろそろ出発したほうが良さそうっすね」
悩んでいるうちに、彼女たちは鏡の向こうへ飛び込もうとしている。
思わず真陽の裾を引っ張って止めた。
「ま、待ってくれ……! あたしは――――この先には進めないみたいだ」
どれだけ言葉を選んでも、弱い気持ちが隠せない。
足手まといになる未来しか見えなかった。
「ごめん……なさい…………!」
悔しくて涙が溢れてくる。
真陽のように、丈太郎のように、強く居られない自分が情けない。
これ以上、何も――出来ない。
思わず下を向く頭に、真陽の温かい手が置かれた。
「心配しなくても、愛莉ちゃんにはたくさんの人が救われてきたっす。そんなに自分を卑下しなくても良いっすよ」
「そうじゃな。戦いだけが人生ではない。――これからは、愛莉に教わる方が多くなりそうじゃのう」
優しさに触れて、もう一度前を向く。
――迷いは消えた。
「……これ、あたしだと思って連れて行ってくれ。きっと役に立つはずだから!」
涙を振り切って真陽にそれを渡す。
正義の原点であり、自分の最高傑作とも言えるシロモノだった。
「――確かに受け取ったっす。あとは愛莉ちゃんの笑顔が見れれば十分っすよ」
「何も案ずるな。悪者は全員ぶっ倒して戻ってくるけんのう」
心強い仲間の言葉を聞いて、精一杯の笑顔で見送る。
鏡の向こうに消えていく彼女たちを見て――ほんの僅かな未練が残る。
悔しさもバネにして――強くなりたい。
彼女たちに追いつくその日まで。
*
「――というわけで、地獄の底から這い上がってきたわけじゃ。再戦願おう」
「こんなのふざけているわ――!!」
トリックの一部始終を聞かされた碧沙は激怒していた。
仮死状態からの能力解除なんて誰が思いついても実行に移さないだろう。
成功率の低さと不確定要素を全て運でカバーしている――これも運命の強制力なのか。
納得が行かない点もいくつかある。
「死に際、能力名を叫びながら長いロープを伸ばしていたじゃない。あれは何だったの?」
「ハッタリじゃよ。『何かをやろうとして失敗したな』と思わせて油断させるためのな」
「……もしかして、ラボの位置が今井商事の真横に変わっていたのも?」
「ラボから注意を逸らすための意図的な配置転換じゃな」
「…………」
偶然に見えて意外と計算高い――どこまでも食えない相手だった。
そして見え見えの罠に引っかかる自分が悔しい。
だが、同じ戦法はもう使えないはずだ。
彼女たちは幸運に救われた命を捨てに来たようなもの。
鏡助の手を借りるまでもなく、邪魔者を排除するのは容易いことだった。
「――いいわ。その挑戦、受けて立ってやろうじゃないの。
同じ能力を前にして次はどうやって助かるのか楽しみね――!!」
再び右手を前に突き出して、あらゆる物を寄せ付けない絶対のバリアを展開する。
自分が転校生に変わる日に出会った能力のコンビネーションで、今度こそ全員即死させてみせる。
それでもしぶとく生き残るようなら、死体を刻んで外にばら撒いてやろう。
あわよくば鏡助や一人を巻き添えにしても構わない――。
「――いや、ちょっと待って欲しいっす」
丈太郎の前に割って入るように真陽が正面に立った。
接触できなければ攻撃すら出来ない魔人能力者が、今更何をしてくるのだろう。
「今になって死ぬのが怖くなったの?
でもね、今日には終わる世界なんだから、どうせ逃げ道なんて――」
「お前を倒す準備は既に出来上がっているっすよ」
「――――は?」
「だから一旦話を聞いて欲しいっす」
彼女も右手の握りこぶしを前に突き出して、真剣な眼差しで対峙している。
それがハッタリでなければ、ぜひとも見てみたいものだ。
互いに睨み合ったまま静寂が訪れ、やがて真陽が口を開いた。
「誰にも山乃端さんを渡すつもりは無いっす。必ず取り戻して見せるっすよ」
彼女には彼女の正義があるのだろう。
その心がけは称賛に値するが、転校生にとっては数ある世界のアリ1匹のようなもの。
それを踏みにじることに何の躊躇いがあるだろう――。
「お前はどうして山乃端さんを狙うっすか?」
「……遠い過去の約束を果たすためよ」
彼女と別れる前に交わした、小さな約束。
彼女は忘れているかもしれないけれど――それは大事な約束だった。
思わず正直に答えると、彼女はにっこりと笑っていた。
「――良かった。それなら、私たちは仲間っすね」
「な、何でそうなるのよ!?」
「私が山乃端さんを助けたいことと、三国屋さんが山乃端さんに会いたいことは、何も矛盾しないはずっすよ」
「…………はぁ」
どうやら認識の誤解があるようだが、この辺りをいちいち説明するのは面倒だ。
――だが、彼女の言っていることにも一理ある。
ここで鏡助を倒し一人が生き残るなら、自分の夢を叶えるチャンスはいつでも巡ってくるのだ。
無論、彼女にそれが出来るなら――の話だが。
「……分かったわ。簡単なゲームをしましょう。より強い方が一人を救う、それで文句ない?」
「望むところっすよ」
やることは結局のところ変わらない。
絶対無敵のバリアを張ったまま、左目の力を解放して殺すだけだ。
「私の能力の発動を止められたら貴女の勝ち。止められなかったら私の勝ちね――さっそく始めましょう」
そう言って、左目の眼帯に手をかける。
「何者も寄せ付けない絶対のバリア……確かにこれなら、どんな攻撃も無意味っすね」
彼女も右手の握りこぶしを開こうとする。
「だけど――どれだけ強固に拒絶しようとしても、無視出来ないものは必ず存在するっす」
こちらの能力が発動するよりも早く、彼女の握りこぶしが完全に開かれた。
そこに隠されていたものに戦慄し、目を見開く。
彼女の手のひらに収まるほどの小さな、木製こけしだった。
「――――それが光、っすよ」
その瞬間、その小ささからは信じられないほどの光量で七色に輝き、世界は光の海で包み込まれる。
そこら中にある鏡面に反射することで何十倍にも膨れ上がった光はバリアを突き抜け、両目へと襲いかかる。
愛莉から託されたであろう最高傑作のこけしスペシャルは、目の前の巨悪を打ち砕くのに十分すぎる威力を誇っていた。
「眩しい――――これが、貴女たちの正義なのね」
驚いたのは最初だけ。
ずっと見ていると頭がクラクラしてくるが、目を逸らすほどのものでは無い。
光は収まる気配を見せず、正常な意識を奪い続けるだろう。
全ての能力の発動を中断する。――彼女たちに、一人を託してみたくなった。
「いいわ。私の負けでいい。……その代わり、約束してくれるかしら。
必ず一人を救って、再び私の前に連れてきてくれる――って」
「――その約束、託されたっす」
真っ直ぐな瞳にほだされ、満足してゆっくりと後ろに倒れ込む。
どこまでも優しく温かく――綺麗な色をした正義に包まれながら、三国屋碧沙は意識を失った。
*
――――パチパチパチパチ。
鏡の世界に乾いた拍手が鳴り響く。
いつ現れ、いつ消えたかも分からない、この世界の自由な支配者――鏡助は満面の笑みを浮かべ、手を叩いていた。
「いやぁ――実にお見事。この世界における最大の脅威をまさか口八丁で倒すなんて、大番狂わせでしたよ。
何はともあれ、山乃端一人を守りきっていただいたこと――山乃端一人を救っていただいたこと――本当にありがとうございます」
ははは、ははは――と彼は愉快そうに笑いながら、真陽に対して称賛のような何かを口にしている。
彼の傍らには花柄のドレスを着ている一人が昏睡したまま、目覚めようとしていない。
彼とは初対面になるが、その様子がおかしいことは丈太郎にも見て取れた。
「久しぶりっすね、鏡助。出来れば会いたくなかったっすよ。
ところで、そこで穏やかに眠っている山乃端さんはこれからどうなるっすか?」
「ははは、決まっているじゃないですか。ずっと離れずここに居てもらいます。彼女はここに居たほうが幸せですよ」
無理をして紳士を演じているようにも見えるが、内面から溢れる狂気は隠し通せていないらしい。
その破綻ぶりは真陽の逆鱗にも触れていた。
「それが山乃端さんの幸せになるって、どうして言い切れるっすか?
彼女は多くの世界を知って、誰かを守ることの大切さを覚えた。
そういう普通の生活の中で見つけるものこそ、本当の幸せじゃないっすか?」
「あはは――それは実に人間らしい回答ですね。石につまずいた痛みを全て乗り越えられると思いこんでいる人間の回答です。
そんな生活の中では彼女はいつか挫折を知り、立ち直れないぐらい絶望してしまうかもしれない。――それは本当に幸せですか?」
「いくら絶望しても、人生の中で見つけた幸せは嘘をつかないっす。いつか光を取り戻す日が来るっすよ。
こんな場所に留まるよりもずっと、彼女のためになるっす」
「こんな場所とは失礼ですね。ここなら世界も、人間も、夢も、希望も、絶望も視えるというのに――!」
「……ここまで言葉が通じない人は初めてっすね」
よく分からないが、一人がこれから暮らす世界について揉めているらしい。
鏡助は彼女を手放すつもりが無いようだ。
「私は真摯に、山乃端一人が幸せになることだけを望んでいる――!」
「ならどうして――山乃端さんと話そうとしないっすか? 何か後ろめたいことがあるんじゃないっすか」
「…………」
「お前がどれだけ取り繕っても、おぞましいオーラは消えないっすよ。全部出任せで本心を隠していることも、分かってるっすよ」
互いに、これ以上のやり取りが無駄であることを悟る。
「私には――お前が一番倒すべき悪にしか見えないっす」
そう言って、真陽は地面を蹴り上げた。
時速200kmの瞬間移動で瞬く間に鏡助との距離を縮める。
だが――次の瞬間、真陽は四方を大きなガラス板で囲まれ、身動きが取れなくなる。
「なっ――――!?」
「ただの魔人が――。私に勝てると思い上がるな」
ガラス板は長い刀に変形すると、容赦なく彼女の身体を切り刻んだ。
肉を裂き、骨を砕き、血を跳ね上げ、人間だったものが床に転がる。
辛うじて元の形を保っているが――これ以上は考えたくない。
「ま、真陽――――!!」
まるでロープが切れるようにあっさりと、親しかった人物の最期を目撃する。
再生のトリックも何もない、正真正銘の終わりだった。
「な、何故じゃ……何故こんなことをした……!?」
「私に歯向かった罰ですよ。みんなで仲良く暮らしましょう」
死の恐怖が間近に迫る。
すぐにここから逃げたいという思いと、何とかして逆転の1手を見つけたい野心がせめぎ合う。
視界に広がるのは走馬燈ではなく、この世界に積み上げられた無数のモニターたち。
鏡渡りが可能なロープを伸ばせば、この先にある物を引っ張ってこられるかもしれない――。
「頼むぞ――崖っぷちの漢気ッ!!」
「そうはさせません――!」
伸びるロープに群がる無数のガラス板。
だが、単純な手数で丈太郎が劣ることは無く、他のロープによって道を切り拓きながら先へ伸びる。
目当ての人物はたったひとりだけ。
どんな傷でも一瞬で治してみせる、再生能力の使い手。
その凄さは昨日、自身で体感した通りだった――。
竜人族の末裔、ドラゴニュート。
世界の平和を――彼女に託す。
「妾を頼った判断は偉いぞ、丈太郎。
――おかげで神を、この手で追い詰められるのだからな」
その懐かしい声を聞きながら、丈太郎は意識を手放した。
*
降り立った先は、惨状だった。
見知った顔も、知らない顔も居る。
だが、鋭い目つきでこちらを睨む無愛想な男を除けば、誰もが生死問わず倒れ伏していた。
「全く……人間は脆いのぅ」
街を歩いていたら窓ガラスからロープが伸びてきたので驚いたが、引っ張られた先でもっと驚くことになる。
まるで宝くじの1等を押し付けられたような幸運だ。つくづく自分の豪運が恐ろしい。
「さて――お主が神じゃな。直接お会いできて大変光栄じゃよ」
物言わぬ男にそう話しかけると、怪訝そうに顔をしかめた。
何故それを――とでも言いたげだ。
ロリポップほどいい加減な推理ではないが、彼の近くに山乃端一人が横たわっているのでそう思っただけに過ぎない。
真陽から鏡助という神に酷似した人物の噂話を聞き、その特徴がよく当てはまっている。
場の状況から推測しても、山乃端一人の無事だけを願う優しい人物とは程遠い。
「ふむふむ……」
真陽や丈太郎の身体を一瞥するが、残念ながら手遅れだった。
おそらくは丈太郎が治癒能力を目当てに自分を召喚したのだろう。
期待に添えない形とはなったが、この状況は大いに利用出来そうだ。
「……ん?」
我が物顔で世界を踏み荒らされてカチンとでも来たのか、先制攻撃とばかりに四方をガラス板で囲まれる。
ほんのちょっかいのつもりだろうか。
「――妾に触れるでない、悪童め!!」
赤い翼を広げると同時に一喝で周囲のガラス板を粉砕した。
神なんていう高名で呼ばれるものだから少し警戒していたが、所詮はちょっと強い魔人程度のようだ。
500年を生きる竜人と人間が対等になれるなど、勘違いも甚だしい。
力の差を知らしめたところで本題に入る。
「神よ、本日伺ったのは他でもない、お告げの務めを果たすためなのじゃ。
――山乃端一人を八つ裂きにして殺す。その身柄、渡してくれるな?」
「…………あぁ」
少し驚かせすぎたか、彼は人間の口が言葉を話すために付いているということを忘れかけているらしい。
短く頷くと、横たわって動かなくなっている一人の身体をこちらへ差し出した。
花柄のドレスを着たその姿はいつになく美しかった。
まさに今日から世界を変える人物として相応しい。
今は一時的な昏睡状態に陥っているようだ。
白い翼を広げ、肉体と精神の傷を癒やしていく。
しばらくすると、その綺麗な瞳が開かれる。
「…………う、うーん……あれ、ここは?」
今この状況で真陽の様体を見られるのは悪手なので、両手で彼女の首を正面に固定させる。
「いたたたたた……ド、ドラゴニュートさん。こ、こんにちは」
「うむ、久しいの。元気そうで何よりじゃ」
周りの状況が飲み込めていない彼女に向かって、矢継ぎ早に用件を伝える。
「今、世界は存続の危機に瀕しておる。折り入って頼みがあるんじゃが――。
お主が魔人であるという話を耳に入れてな。ぜひとも力を貸して欲しいのじゃが」
「…………え、えぇ!?」
彼女の表情が困惑に染まる。
それもそのはず、彼女が魔人能力者ということはあまり知られていない。
それも、『死ぬことで初めて発動する能力』という世にも珍しい特性を持っているのだ。
つまり――遠回しに死ねと言っているようなものだ。
「そんな……いきなり言われても心の準備が……」
「大丈夫じゃ。お望みであれば、優しいのから痛いのまで自由自在じゃからな」
「なるべく優しいのでお願いします……!」
彼女は御徒町で会ったときに比べると随分と他人に対するあたりが柔らかくなったように感じる。
これも真陽という人間の成せる業というものか。
残念ながら、彼女が思いを寄せる人間はもうこの世に居ないわけだが。
「さて――お主の能力は、死ぬことで世界中にばら撒いた爆弾を起爆させる――みたいな能力じゃったか?」
「えぇ、そうだけど。……よく知っているわね」
るいなが持ってきた情報から推測しただけだが、特にひねりも無いようだった。
だが――馬鹿正直にそんな能力を使われたところで大して世界は変わらないだろう。
実のところ、彼女が本当に魔人かどうかすら疑わしい。
「お主、その能力を使ったことがあるのか?」
「いいえ。一度も無い――というか、死ぬまで発動条件を満たせないもの」
「なら、どうして自分にそんな具体的な能力があると言い切れるのじゃ?」
「それは…………考えたこと無かったわ」
魔人能力は本人の強い思い込みから発現する、というのはメジャーな説である。
だが一方で魔人に目覚めるかどうかは運任せな部分があり、黒子のように『魔人に憧れる非魔人』は往々にして存在する。
彼女もその1人だったのだろう。
想像妊娠という言葉が今の世に通用するかは分からないが、あえて『想像魔人』と名付けよう。
彼女は世界を変えられる日が来ると信じて8年間も想像魔人を続けた、とんでもない性分だったのである。
これから強い魔人能力に目覚める者として、適正は十分にある。
しかし彼女の強いイメージは破滅願望の現れでもあるので、一般的な能力を植え付けることは出来ない。
ならば――誰にも否定されない、究極の魔人能力こそ彼女には相応しい。
「残念ながら世界は終わりを迎えようとしている。――これを見るのじゃ」
あえて強いショックを与えるように、首の骨を自由にさせる。
彼女はしばらく辺りを見回すと、変わり果てた姿となった太陽を目にすることになる。
「そんな……嘘よ……いやあああああああああああああ――――!!」
やはり刺激が強すぎたか、彼女はすぐに発狂した。
肩を激しく揺さぶり、意識をこちらへと戻させる。
「有間さん……そんな……」
「案ずるな。お主の力で何とか出来るんじゃ!」
芝居がかった調子で、黒い翼を広げて見せる。
「滅亡こそお主の選ぶ道ではないか。全ての命を破壊し尽くせば、少しは気が晴れるというものじゃ」
「そ、そうね……すぐに破壊しないと……私の命を捧げるわ……」
やはり馴染みやすい概念だったのか、すんなりと受け入れる彼女だった。
だが――それでは困る。
「じゃが、いくら破壊したところで真陽は帰ってこないがよろしいな?」
「そ、それは困るわ――!」
すがるようにこちらを頼ってくる、非常に扱いやすい人物だった。
本命を通すため、白い翼を広げて見せる。
「ならば再生の道を行け! お主の思い描いた通りの世界に作り変えてみせるのじゃ!」
「私の……世界。誰も傷つかない……正義の、世界」
うわ言のように呟く彼女を見て、見込んだ通りの人物だと再確認する。
爆弾で世界を作り変えようなんてぶっ飛んだ発想の持ち主ではあるが、その根底にあるのは真っ直ぐな心だ。
きっと彼女の作る世界は――多くの人が笑って暮らせる、暖かいものになるだろう。
あとは成功することだけを祈って、長い爪を彼女の腹部に刺し入れる。
「……あ、あああ――ああああああ!!」
「己で選んだ能力を強く念じろ! 世界をお主が変えてみせよ! 太陽は自らの力で取り戻してみせよ――!!」
「あああああああ――――!!!!」
飛び散る鮮血は真っ白な粒子に変わり、ゆっくりと空へ昇っていく。
人間から御神体へ――細胞が切り替わり、誰にも視認出来ない身体へと変貌する。
山乃端一人。
生死を超越することで自在に世界を作り変える能力者。
――能力名、『私の世界』。
この瞬間より、山乃端一人は降誕した――。
彼女が元居た場所には1体の可愛らしいウサギのぬいぐるみが置かれていた。
ドラゴニュートはそれを手に取り、世界変革の時を悟る。
一部始終を眺めていた鏡助に声をかける。
「神よ――いや、旧時代の神よ。山乃端一人はこれでもう殺せまいな」
「彼女は……彼女の身柄は、一体どうなった!?」
既に一人を視認出来るものはどこにも居ない。
彼が乱心するのも無理はないだろう。
だが――。
「畏れ多いわ! 山乃端一人は常に我々を空から見守る神聖な存在じゃぞ――!」
「しかし、彼女がこれまで生きた証は、大量のぬいぐるみは、仕込まれていた火薬はどうなる……!」
「立つ鳥跡を濁さず――じゃろうな。間もなく彼女自身の意志によって作り変えられよう」
ぬいぐるみの腹を触ってみる。
そこにはザラザラとした感触が含まれており、これが爆弾の原材料で間違いないだろう。
その背中に軽く引っかき傷を付けると、彼に向かって放り投げた。
「刮目せよ――これが本当の奇跡じゃぞ!」
黒い翼を広げ、ぬいぐるみに付けた傷が広がり、中に入っていたものが勢いよく飛び散る。
鏡助は驚き戸惑いながらも、床に落ちている黒いものを拾い上げた。
「これは……火薬、じゃない……」
火薬よりも粒が遥かに大きい。
誰かの命を奪うための発明ではなく――新しい命のゆりかご。
名も知らぬ、花の種だった。
「咲き誇れ――新世界に芽吹くものよ!」
その号令で床一面の種が育ち、綺麗な白い花を結んだ。
瞬く間に鏡の世界は白い花で覆い尽くされる。
「な、何だこれは……!?」
彼の手にも1輪の花が咲いたようだ。
「ひぃ」と振り払われると、花はゆっくりと落下していた。
ここだけではない。
モニター越しの世界を見回しても、白い花が各地で咲き乱れている様子が映し出されていた。
街に、道路に、線路に、野に、山に、海に――――新たな神の降誕を祝うようにして、花畑が生まれていた。
山乃端一人の存在証明。
世界の支配権が、彼女に委ねられたことを示していた。
「それでは手始めに、死者蘇生の奇跡をご覧入れよう――!」
白い翼を広げ、真陽と丈太郎の器を元の形に戻していく。
自分の能力で出来るのはこれが限界だった。天へと還った魂を呼び戻すことは出来ない。
――まだ上位存在になりたての彼女にも難しいだろうか。
だが、そんな心配を余所にして奇跡は為された。
「あれ、ここは……私、確か鏡助に挑んで……」
目まぐるしく記憶を辿っていく彼女は、床に広がる白い花に気付いたようだ。
「うわっ、何すかこれ――――!?」
「喜べ、山乃端一人からの熱いラブ・コールじゃよ」
「…………はい?」
鈍感系の彼女にもよく分かるよう、順を追って説明していく。
真陽が眠っていたほんの短時間で世界はまさに生まれ変わっていた。
「成る程……何だか切ない話っすね」
彼女にとってはただ喜べるだけの話では無いだろう。
「……勝手にやったことはすまん。じゃが、あやつがこれ以上命を狙われないようにするには、これしか無かったんじゃ」
「大丈夫っすよ。――山乃端さんは、今も私たちを空から見守ってくれているっすよね?」
「うむ。それどころか呼べば何でもやってくれる、頼もしい存在に昇華されたのじゃぞ」
「ほ、程々に使わせていただくっす……」
少し遅れて丈太郎も目を覚ました。
「オレは一体……はっ!? ドラゴニュート、おどれがやってくれたんか!」
自身と真陽の身体を見比べ、期待通りの今があることに驚いているようだ。
半分は山乃端一人がやったことだが――今はそっとしておこう。
もしも彼女の行動が少しでも遅れていれば、あるいは自分が来られなければ――。
まさに綱渡りのような状況で、彼女が最善を尽くしたからこその結果だった。
聡い彼女には不要だったかもしれないが、この短時間で起きた出来事を改めて説明しておいた。
「さて――これで役者は揃ったようじゃな」
苦い顔をする鏡助を前にして、不敵に微笑む。
山乃端一人に直接干渉出来なくなった今、彼は何を正義にして動くのだろうか。
「ゆ、許しませんよ……この世界からは、誰も逃しませんよ――!」
彼の中にある二面性の内、口調が穏やかな方が残ったようだ。
暴走状態にある鏡助は一心不乱にガラス板を飛ばしてきた。
咄嗟に丈太郎がロープを出して応戦したため、被害は特に無い。
「また被弾したら治療してくれるっすか!?」
「そう弱気になるでないぞ。妾たちの山乃端一人を信じよ」
今の世界において、一人の意志は絶対だ。
間違ってもこの場所で真陽や丈太郎に致命傷が入ることは無いだろう。
そして、それだけではない――。
「試しに『外れろ』と願ってみよ。その通りのことが起きるじゃろう」
その意図を察した丈太郎はすぐにロープを仕舞い、相撲取りがするように真正面から攻撃を受け止めるポーズを取る。
「……これでいいかのう?」
「傑作なのじゃ」
ムキになった鏡助は自分がおもちゃにされていることも気付かず、ガラス板を飛ばし続けていた。
「外れろ」
「外れよ」
「外れろっす」
ガラス板はまるで自分たちを避けるように明後日の方向へと飛んでいく。
それはとても滑稽な光景だった。
やがて彼も新しいルールに気付いたのか、猿真似のように『願い』を唱えた。
「――――当たれッ!!」
だが、攻撃は当たらない。
願いが天に届くことは無かったようだ。
からかってやりたい気持ちをぐっと抑え、彼には残酷な真実を告げる。
「――無駄じゃよ。山乃端一人は自分の気に食わん奴の願いは叶えない主義じゃ」
その言葉で完全に戦意を失ったのか、彼は膝からがっくりと崩れていた。
「流石に可哀想になってきたっすね」
「お主、そういうところじゃよ。自分を殺した奴ぐらいきちんと殺しておけ。誰も文句は言わんよ」
「んー……頭を下げる人は殴れないっすよね」
「…………まぁ、そのままのお主で居れよ。妾は滅亡協会のリーダーとして、二度と悪さ出来ないようにきちんとケジメを付けるつもりじゃがな」
正義も味方も失った彼は、放っておいても勝手に死にそうだった。
床一面の白い花が切なげに揺れる。
「とはいえ、ただ殺すだけじゃ面白みがないのう。折角の降誕祭じゃし、パーッと懲らしめる方法は無いものか」
「……それなら、ちょっと耳打ちいいっすか。こういうのはどうっすかね」
いつになく真剣なトーンで、真陽の出してきた話は突拍子もなく面白そうなものだった。
おそらく、きっと彼女も気に入るものだろう。
早速準備に取り掛かった真陽は、丈太郎に声をかける。
「丈太郎、スクリーンからでも見える通り世界は花だらけになったっす。
愛莉ちゃんや、他の誰かが困ってないか、見に行ってきてくれないっすか?」
「あい承知した。――って、オレが居なくなったら帰り道はどうする気じゃ?」
「私とドラゴニュートだけで何とかなるっすよー」
その言葉に不承不承ながらも頷いた彼女は、鏡渡りのロープを伸ばした。
振り向きざま、何かを察したように別れを告げる。
「…………また次があったら、よろしゅう頼む。オレを鍛えてくれ」
「勉強でも稽古でも、何でも付き合うっすよ」
恐ろしく勘の冴える少女は、しかし年相応の一面を持ち合わせた可愛い奴でもあった。
自分と真陽、鏡助、そして黒いロープを着た知らない少女だけがこの世界に残る。
「……ところで此奴は誰なんじゃ」
「山乃端さんの幼馴染みたいっすよ。色々あって伸びてるっす」
「……どこの誰か知らんが、丈太郎に運んでもらえば良かったのう」
「あとの祭りっすね」
今更鏡助に言って放り出してもらうか、あるいはこのまま道連れにするかの2択だ。
彼が素直に応じるとも思えないので放置で決まった。
「ドラゴニュートこそ、丈太郎に付いていかなくて良かったっすか?」
「ケジメじゃからな。彼奴の苦しむ顔を眺めてから死ぬつもりじゃ」
「……自分から提案しておいて何っすけど、もう帰りたくなったっす」
「大丈夫じゃて。いざとなれば、山乃端一人が何とかしてくれるじゃろう」
言い残したことも無くなって、自然と静寂が訪れる。
真横で誰かが深呼吸する音までよく聞こえるようになった。
彼女は本当に多くの人と知り合い、多くの人を導いてきたのだろう。
それは能力があるからこそ――ではない。天性の人の良さと、恵まれた環境のおかげ。
そんな彼女の人生に、ひとつの区切りが訪れる。
あるいは――今よりずっと楽しいものになるかもしれない。
山乃端一人どうか、願い事をひとつ。
「私たちが生きる世界から魔人能力が失われ、永遠に無くなりますように――」
それが何を意味するのか、気付かない鏡助では無いだろう。
鏡の世界を行き来する手段を失うどころか、世界存亡の危機にさえ陥った。
彼は錯乱して2つの人格を行き来しているようだった。
「お、おい今すぐ撤回してくれ――貴方たちの能力まで無くなってしまうのは嫌でしょう!?」
「別に嫌じゃないっすよ」
「妾も困らないからのう」
はははと笑い合ったその時、スクリーンの電源が落ちていく。
照明が消えて、世界が除々に暗くなっていく。
空間に浮いていた鏡が落下して、パリンと小気味のいい音を立てていた。
「うわあああああ――! やめてくれえええええ――!」
ひとつの世界が終わる音を耳にした。
正真正銘、これで誰もが帰る手段を失い、鏡の世界と末路を共にすることが決まった。
だが――これでいい。
「妾の人生……竜人生、色々あったが、今日が一番楽しかったのう」
「私はもうクタクタっすけど……確かに、悪い日じゃなかったっすね」
慌てふためく鏡助の声をBGMに、ここ数日の思い出が蘇る。
ああ、我が人生に一片の悔いなし――。
――なんて余韻に浸っている暇もなく。
騒がしい音で目を覚ましたのか、今更になって寝坊助の魔女が起床した。
彼女は床一面の白い花に驚き、崩れゆく世界に驚き、最後は見知らぬ竜人が居ることに驚いた。
「何これ――――!! 何これ――――!! 何これ――――!?」
「馬鹿みたいな奴じゃのう」
彼女にとっては全てが新鮮で、全てが手遅れのようだ。
ある意味なんだか羨ましい。
冥土の土産にと、事の経緯を説明してみせた。
「聞いて驚け。お主の幼馴染は山乃端一人にランクアップしたのじゃぞ!」
「……ほへー?」
見た目17歳程度の小娘にも分かりやすい説明のつもりだったが、お気に召さなかったようだ。
代わりに真陽が真面目な補足をする。
「残念ながら山乃端さんとは直接会えなくなったっすけど、この世界の神様になったみたいっす。
……約束守れなくて、ごめんなさい」
「あー……いいわよ。そう……神様になった、ね。じゃあ、ちょっと挨拶しに行きますか」
彼女はぶつぶつと呟きながら、鞄の中にある大学ノートを取り出し始めた。
「あ、言い忘れてたけど能力は――」
「虚堂懸鏡――!!」
彼女が能力名を叫ぶと、スクリーンのひとつの電源が入って外の世界を映した。
特に何とも思っていない様子で飛び込もうとし、こちらをチラリと振り向く。
「べ、べつに貴女たちには感謝してるからね――! 付いて来る、来ないは自由なんだかね――!」
分かりやすいツンデレ風捨て台詞を言い残した彼女は今度こそ鏡の向こうへと消えていく。
そのスクリーンが消えない内に、自分たちも後を続く。
「……何で彼女だけ能力が使えてるっすかね」
「まぁ、山乃端一人の匙加減ひとつじゃからのう」
「というか、私たちも『鏡渡りの力ください』って言えば良かったっすよね」
「おっとそこに気付くとは天才じゃな」
真陽が鏡の向こうに飛び込んで行くのを見届け、ちらりと鏡助の方を見る。
「おーいお主…………」
彼は落ちてくる鏡の打ちどころが悪かったのか、出血したまま動かなくなっていた。
「……じゃあの。達者で暮らせ」
世界を巣食っていた悪の最期を見届けると、ドラゴニュートは満足そうに去っていく。
こうして鏡助は次元の狭間へと飛ばされる。
またどこかの世界でイチからやり直し、山乃端一人に関わっていくのだろうか。
その結末は誰も知らない。
*
「はぁ…………壮観ね」
無事に狭いところから抜け出した碧沙は、魔法書を箒に変えて空を自由に飛んでいた。
東京の街はまるで雪が積もったように一面の花景色――なんて表現もどうかと思う。
どこもかしこも花だらけ。困惑する者、楽しむ者、悲喜こもごもだ。
この世界に暮らす人々のことを思えばなんて迷惑な、という気持ちもある。
だが、それ以上に彼女がこの世界で生きている気がして何だか嬉しかった。
魔人能力の無くなった世界――それは前代未聞の事態だった。
自分だけは何故か能力が使えるままだったが、この世界から出ることが出来なくなっていた。
他の世界のネットワークから遮断された、ということだろうか。
転校生がこれから出ることも、来ることも無くなったことで、この世界は平和を保ち続けるらしい。
しかし、それにしても凄いのは占い婆の予言だ。
『魔人の居ない世界で、白い花に囲まれて死ぬ』
ここまで見事に的中されると却って別の場所で死にたくなるが、あいにくどこへ行っても花だらけだった。
下手に逆張りなんて考えず、見晴らしの良い場所で身体を休めることにする。
21冊のビブリオヘキサと1冊のエーデルワイスを取り出し、空に撒いた。
ここなら彼女にも――山乃端一人にも、届くだろうか。
「山乃端さん――第2話の感想、貴女に伝えるって話、忘れてないよ」
この約束を守るために、今までにどれだけの冒険があっただろう。
全てが大切な思い出で――人に話したくなるようなものばかりだった。
「今度は私が物語を書いて、読ませてあげるわね」
あるいは、この世界の出来事も――別の誰かが書いているのだろうか。
きっとそれは不器用で、異端で、正義感が強くて、ちょっと破滅願望の強い女の子。
たったひとりの、大切な幼馴染。
「ね、ねぇ……エーデルワイスの第3話を試しに書いてみたんだけど、読んでみてくれないかな」
「えぇ。すぐに読んで感想伝えるわね。とても楽しみだわ」
彼女との物語が終わることは無い。
それは――もう、永遠に。
「ねぇ、今度はふたりで書いてみるのはどうかしら」
白い花が咲き乱れる中、三国屋碧沙の物語は一旦の終わりを告げる。
ここには書ききれなかったことも多いが――それはまた別の機会に。
Fin.