三月。
暦の上では立春をとうに過ぎ、間もなく春分がやってくる頃だったが
東京は絶賛冬将軍滞在中のようで、朝晩の冷え込みがいまだに続いていた。
そんな中、俺はといえば。
「やっほー鍵掛くん、今日おヒマならちょっとお台場あたりまでお出かけしようよー」
見慣れた顔の人物から、お出かけのお誘いを受けていた。
ご丁寧にも、俺の自宅の呼び鈴を鳴らした上でだ。
「ここで暇じゃない、って言ったらどうするつもりだったの?」
「んー、そんときはダイバーシティに一人ぼっちでダイブすることになるかなー」
「お台場に行くのは決定事項なの? なら、なんで僕を誘うのさ」
「はっはっは、鍵掛くんヤボだねー。女の子にそれを言わせちゃおしめえよ」
「その口調はどっちかというとちゃきちゃきの江戸っ子のオッチャンなんだけど……
わかった、ちょっと仕度するよ」
世間ではきっとデートと言うのかもしれないが、断じてこれはデートではない。
~~~
数十分後、お台場・パレットタウン。
ダイバーシティがどうのと言った割に真っすぐ向かったのはお台場を代表する大観覧車だった。
「んー、どっかに未来人の送り込んだ黒服のアンドロイドとか一体くらいいないかな?」
「凍結に弱い設定だし、この寒さなら出てこないよ」
「んもー、設定とか言わないの!ああいうのは細かいところを気にしたら負けなんだよ?」
「その発言が出る時点で細かいところを気にしてる気もしないでもないけど……
ところで、誘われるがままついてきたけど、どこ行くつもり?」
「えー?そこは鍵掛くんがリードしてほしいなー」
「アポなしで誘われたお出かけのリードをどう取れと!?」
「そこはホラ、ゲーム実況者Vtuberらしく
チートなコードでハードにハートをヒートさせておくれよー」
「なんで韻を踏んだの? あと特定の単語を想起させようとしてない?」
「あはは。やだなー、気のせい気のせい」
とりとめのない会話をしながら、もうすぐ再開発で消えゆく街を楽しむ。
観覧車の中から見える景色をよそにスマホをいじってジト目で睨まれたり、
ヴィーナスフォートの噴水にコインを投げようとするのを止めたり、
昼食を取った直後にタピオカ増し増しのミルクティーを飲む姿に呆れたり、エトセトラエトセトラ。
どこか穏やかな時間が流れるのを、僕もほんの少しだけ楽しめたころには、
時計の短針も下り坂になろうとしていた。
傾き始めた太陽に見守られながら、駅へと通じる広場を歩く。
「やー、今日はありがとねー。突然でごめんね、鍵掛くん」
「別に構わないよ。ここのところ、ちょっと気を張り詰めっぱなしだったから。
ところで、一つ質問してもいいかな」
「ん?なんだねなんだね、改まって」
「お前は誰だ?」
いつも見慣れている、隣の席の少しおせっかいなクラスメイトの顔をした『何者か』に向けて問う。
質問されるなり、ソイツはバツが悪そうにぎこちなく微笑みながら言葉を返す。
「……あははー、人が悪いなあ鍵掛くん。
ひょっとして最初っから、気づいてたのかな?」
「まあね。本物の山乃端さんなら今、俺の“妹”が護衛についてる。
念のため遠隔監視アプリでもチェックしたが、異常ナシだ」
そう。数日前、社長経由で『転校生』が動き出したことは既に聞いていた。
とはいえ、山乃端さんを二十四時間完全に監視下に置くことは流石に困難を極める。
そこで、我が妹ことキィの出番だ。
『お泊まりがしてみたい、とダダをこねて困っているのでご迷惑でなければ数日ほど預かってくれ』と
それらしい理由をつけて山乃端さんの家にお邪魔させてもらっている。
もちろん、キィにはしっかりと真の目的を言い含め、定時連絡を欠かさないようにしている。
そして今朝“山乃端さん”が訪れた際も。キィと山乃端さん本人は間違いなく自宅にいたことを確認している。
「抜け目がないねえ、でもそうでなきゃ山乃端一人を守ろうなんて、勤まるわけもないか。
だから私を一度も山乃端さんって呼んでくれなかったんだね」
肩をすくめ、皮肉そうな表情を浮かべながら――そいつが名乗りを上げる。
「改めて名乗るよ、私はNameless Reborn――
こうして誰かの姿を借りなければ、この世界に存在することすらできない
生まれ得なかった転校生さ」
「生まれ得なかった、ねえ……
それにしても山乃端さんの姿に化けるたぁ、ちと悪趣味が過ぎるぜ?」
「言ったろう? 私は生まれ得なかった存在だ――山乃端一人が死なない限りさ。
だからこの姿なのさ、彼女が死んだあと成り代われるようにね」
ネームレス・リボーンが銀色の懐中時計を取り出し、構える。
持ち物まで山乃端さんそっくりとは恐れ入るね、まったく。
「……戦いは避けられなさそうだな。
けど、戦う前に。もう少し質問させてくれないか?」
「お喋りが好きだねえ、鍵掛くん。……まあいいよ、付き合おう。
君に、この姿を傷つけることができるとは思えないしね」
「全くもってその通りだ、否定はしねえ。
……だからこそ、アンタの行動にどうしても引っ掛かりがある」
そう、俺はこのまま戦闘になれば――山乃端さんの姿をしたコイツと戦うことになる。
正義の味方なら『しょせん姿を似せているだけ』と割り切ってサクッと攻撃をぶち込むんだろうが……
あいにく、俺は正義の味方なんかじゃあない。
好きな子の姿を自分で傷つけるなんて割り切れねえ、ただの男子高校生だ。
だからこそわかる。ネームレス・リボーンの、行動の矛盾が。
「アンタこそ、なんで今の今まで、俺を殺さなかった?」
「……つまらない質問だね。いつでも殺せるからだよ。
生まれていなくとも『転校生』だ、君の攻撃はまず効かない」
「だからって、いくらでも不意打ちのチャンスはあったろうが。
俺ん家の玄関先、移動中の電車、観覧車という逃げ場のない密室、
他人を盾にできるモール、気の緩んだレストランでの食事中。
だがお前は、その間何もしなかった」
リボーンは押し黙る。その瞳には、明らかな動揺があった。
「もっと言おうか? 山乃端一人を本気で殺すなら――
俺を無視して、山乃端さんのところに行くべきだったんじゃないのか?」
「……」
そう。山乃端一人の殺害にあたって、護衛する俺の始末から、というのは……わからなくもない。
だが、リボーンは明らかにここまで、ただの一度もこちらに敵意を向けてこなかった。
少しの沈黙の後、リボーンがぽつりと呟くように言葉を絞り出す。
「私はね。どうしても生まれたい――生きていたい。
だからそのために、山乃端一人に成り代わろうとしたんだ。
君の友人で、空気を微妙に読めない、それでいて妙に勘の鋭い、陽気で明るい山乃端一人に」
お前が山乃端さんの何をわかってるんだ、と言いたくなったが……
人物評がその通りなだけに思わず俺も頷いてしまう。
「だから、君への態度も――彼女の思考が混じってしまった。
君とこうやって、ヤマもオチもないような話をしながら街を歩いて、
思い出を作りたくなってしまったんだ」
この世界に生まれることを禁じられた転校生の言葉は、どこか寂しそうに聞こえた。
「……そうか。すまねえな、最後までエスコートできなくて」
「気にしないでよ。……さて、お喋りは終わりにしよう」
俺の返事を待たず、リボーンが臨戦態勢に入る。
さて参ったぜ、我ながらこんな初歩的な段階で非情になれねえとか情けないにも程がある。
非情になる以前に、そもそも転校生は無限の防御力を持つ。
地雷だの落とし穴だのごときでダメージを受けてもらえるとは思えない。
一応、一つ打破しうる可能性は思いついている。
しかし、そのためには接近戦を挑むしかない。
せめてもの時間稼ぎと、説得の可能性に賭けた話し合いも終わった。
走馬灯どころか死兆星さえ視えそうな展開だったが――
その集中のおかげで、もう一つの奇襲に気づけたのは幸いだった。
そのターゲットが、俺ではなく――リボーンだったとしても。
リボーンの背後に、巨大な立方体が浮き出る。
アクションゲームにおいて、衝撃に反応して実体化し物体や人物の行動を阻害する罠の一種――
ネットスラングで言うところの、隠しブロックが起動した。
ネームレス・リボーン目掛けて放たれた投擲武器は
隠しブロックに威力を殺されるものの、リボーンへと向かう軌道は変わらない。
「!? 何……?」
リボーンが振り向き、回避行動を取る。
投擲された武器――これまた銀時計ときた――は細長いチェーンによって、投げ手の元へと手繰り寄せられる。
俺とリボーンの視線の先にいたのは――半裸の細マッチョだった。
「見つけましたよ、山乃端一人さん」
黙って服を着ていれば知性的に見えそうなルックスを台無しにする、
トライバル柄めいたタトゥーをまとった半裸男が得意そうに微笑む。
長すぎる銀時計の鎖を巻き取り、ひゅんひゅんと鎖分銅のように回しながら
こちらに近づくソイツが敵であることは、疑いようもない。
「……誰だテメエ」
「フッ、私の名は鏡介――ヤマノハ鏡介と呼んでいただこう」
「ヤマノハ……鏡介? 知らない名だね」
「知る必要もありません。このヤマノハ因子が導くままに、山乃端の力は私が全て頂くのですから」
「ヤマノハ因子とかうさんくせえ設定を生やすんじゃねえ。
つーか、そいつは山乃端一人じゃねえんだが」
「ククッ、安いハッタリで誤魔化そうとしても無駄ですよ?」
前言撤回。コイツ相当なアホだ。
あの体表の悪趣味タトゥーがヤマノハ因子?らしいことはかろうじて分かったが、
なんでコイツまで山乃端さんや他の山乃端一人じゃなくこっちに来たんだ?
いや、向かわれていたら困るのは確かなのだが……
「そもそもヤマノハ因子って何だそりゃ」
「ククッ、冥土の土産にお教えしましょう。
並行世界に数多存在する山乃端一人の『ハルマゲドンを引き起こす力』の因子――
これこそがヤマノハ因子なのですよ。
そしてヤマノハ因子は、各々の世界の山乃端一人と引き合う。
つまり、今目の前にいる山乃端一人を連れ去れば私の目的は達成されるというわけです!」
「いや、申し訳ないけど……十中八九君の求める山乃端一人は私じゃあないよ。私の名は」
「フフッ、面白い冗談だ。だが私に嘘は通じませんよ、山乃端一人さん?」
「私、嘘はつけないんだけどな……」
やべえ。話しているだけで頭が痛くなるタイプのアホだ。
正直な話、このままリボーンと転校生同士で共倒れしてくれれば楽なのだが……
って待て。ヤマノハ因子が『山乃端一人』の力の因子だというのなら――
「ってことは、そのヤマノハ因子とやら…… 他の『山乃端一人』から奪った力、ってことか」
「フッ、これだから凡人は困りますね。話を聞いていましたか?
山乃端一人はこれから連れ去り、私の礎にするのですよ?」
「え? ……じゃあ何で山乃端一人の力であるヤマノハ因子とやらがお前に宿ってるんだ?」
「ん?」
「……」(鍵掛)
「……」(リボーン)
「……フッ、高度な情報戦のつもりですか?私には通じませんよ」
「いや待てよ何でテメエの能力なのに自分でわかってねえんだよ!」
ダメだコイツ。
『転校生』は一枚岩じゃないことは、社長に話を持ってきた穏健派の転校生から聞いていたが
にしたってリボーンとこのアホとでは月とスッポンどころじゃないぞ?
「……なあ、リボーン。とりあえずコイツから退治しねえか?」
「んー、私が君に味方する理由は全くないんだけどなー。
山乃端一人を殺したいのは私も一緒だからね。でも」
リボーンが、ヤマノハ鏡介を睨みつける。
「こんな阿呆と同類扱いされて、挙句に生まれてもいない命を脅かされるのは我慢ならないね」
「オーライ。……だがアンタ、戦えるのか?」
「心配ご無用。……悪いけど“借りる”よ?」
直後、リボーンの身体の輪郭がくにゃりと一瞬歪み――髪が銀色に変わる。
体格が少し縮み、前髪の片方が目に被さるように伸び……この間僅か1秒足らず。
そこにいたのは山乃端さんのそっくりさんではなく、
ちょうど俺と山乃端さんを足して二で割ったような、中性的な青年だった。
「フッ、変装を今更したところで私の目はごまかせませんよ?」
「あいにくだが君の目は節穴未満だ。ついでに耳と脳も治療してもらってきたまえ、
全身火傷を治すついでにね」
リボーンが鏡介を指差すと同時に、鏡介の足元に大型の地雷が設置される。
そのまま鏡介の体重でセンサーが押し込まれ、間髪入れずに炸裂する。
……俺をコピーされるってのは、複雑な気分だな。
「ってオイ! こんなトコでそんな派手なモンぶっ放したら他の一般人が巻き添え食うだろが!」
「逆だよ鍵掛くん、この騒ぎでまずは部外者に逃げてもらわないと全力が出せないだろ?」
ぐ、と反論に詰まる。理には適っている。
実際、大型ながら地雷の威力は人一人をちょうど消し飛ばせるかどうかというところだ。
「くくく。やはり愚かですねぇ……
地雷如きで『転校生』を吹き飛ばせるなどと思わないでくださいよぉ?」
爆炎と煙が晴れ、鏡介が無傷のまま姿を見せる。
……いや、先程までと明らかに違う点があった。筋肉量が、目に見えて増えている。
「我が虚堂懸鏡は鏡の世界を生み出す能力。
故に、ダメージを受ければ受けるほどに筋肉が悦び、唸るのです!」
「どういう理屈だよ! つーか多分その能力はもっと他に使い道がある!」
パンプアップした鏡介が、銀時計を再び投げつける。
咄嗟に隠しブロックで妨害するが、転校生の膂力はやはり止めきれない。
回避する隙を稼ぐのが精一杯だ。
「なら、一撃で屠る他ないね――“神の杖”」
リボーンが出現させた『罠』に、俺は思わず息をのむ。
あんなのを罠と解釈するのも、転校生とはいえ人間相手にぶち込むのも
俺には無理だと一瞬で悟らされたからだ。
俺も落下物トラップくらいは作れるが――数メートルの鉄柱を叩きこむなんて、とてもとても。
だが、恐ろしいことに。残念なことに。
ぶち込んだ相手もまた、かの絶黒龍よりも理外の存在、転校生だ。
鉄柱の重量で地面に腰までめり込みながらも、柱を受け止め――
そのダメージで増幅した筋力で柱を強引に投げ返した。
「くっ……」
流石にアレは止めようがない。
咄嗟に自分の足元に、浅い落とし穴を掘って潜って逃げる。
頭上を数トンの鉄塊が通り過ぎる嫌な風を感じながら、なんとか奴を倒す手立てはないか考える。
しかし、アレで一撃死しないとなると、防御力というよりはシステム的な無敵みてーなモノ……
ん?待て、じゃあ何でヤマノハ鏡介はあんなことを言ったんだ?
“ダメージを受ければ受けるほど、筋肉が悦び、唸る”――
だが、さっき受けた二発の攻撃は……
リボーンが転校生だとしても、その無限性をバフとして乗せられない普通の地雷と、単純な質量の暴力だ。
だからダメージを受けようがないはずで……いや。
わざとダメージを受けるようにしている、のか?
本人に問い正したいが、奴に聞いてもまともな返事が来ないことは身をもってわかっている。
だが、もし奴がわざわざダメージを受けてくれている、というのなら。
『あの手』が使えるかもしれない。
意を決して、落とし穴から抜け出てヤマノハ鏡介の方へと向かう。
隣で同じように避難していたリボーンが叫んでいるのが聞こえた。
「待て、奴の相手なら俺が――」
俺もそう考えた。だが、いくらあの筋肉ダルマがアホでも、同じ『転校生』の一撃を
真正面から受けてくれるとは思えない。だから俺が行くんだ。
奴が完全に見くびった、一般魔人のささやかな抵抗――
そう思わせなければ、奴は黙って攻撃を受けてなどくれないからな。
「地雷を踏んでもダメなら、直接ぶつけりゃ効くだろ!?」
叫びながら、振りかぶった俺の右拳に地雷を『設置』する。
俺の「TrapTripTrick」は、俺自身はダメージを受けない。
自爆覚悟と見せかけた、一方的爆破拳。
「クフフフッ、いじましいですネェ~~~!
この筋肉の前には何もかも無意味ッ!」
デッサンの狂ったマッチョレベルまでパンプアップしたヤマノハ鏡介は、
マッスルポーズを取って完全に受けきる態勢に入った。
俺の渾身の右ストレートが、奴の鳩尾に叩きこまれ、爆発と衝撃が巻き起こる。
そのまま爆発の勢いを活かして、一撃離脱。
鏡介のカウンターが俺の前髪をわずかに刈り取っていくのを眼前で見ながら、大きく飛びずさる。
咄嗟に地面にベルトコンベアー床を設置し、更に距離を取る。
鏡介が前に力強く踏み込み、二撃三撃と大ぶりなフックを打ち込もうとしたところで――膝をついた。
口からごぼ、と血を流し、苦痛に顔を歪める鏡介は明らかに狼狽していた。
「クククッ、ガハッ、な?
バカな、私に地雷など効かないはず、がっ?」
「ああそうだな、だが毒ガスなら効くだろ?」
「TrapTripTrick」で俺が仕掛けた、本当の切札。
毒ガス噴出装置は――奴の胃袋の中。
それを起爆するために、地雷拳を叩きこんで胃袋に衝撃を与える必要があった。
周囲が開けた広場では、直接装置から噴出してもすぐに外気に拡散する。
閉じ込めようにも、転校生の無限の攻撃力では俺の作るトラップルームは外壁ごと破壊されるのがオチだ。
だから、奴の体内に、確実に特濃の猛毒を叩きこむには――これしかなかった。
「が、バカな、こんなチビに、私が、ヤマノハ因子を持った私がぁぁ~~~~ッ!!!」
毒が効くことも、事前に社長とともに『転校生』から聞いていたことだ。
そういや、あのときの転校生も『キョウスケ』って名前だったが……
顔つきや姿が微妙に違っていたから、おそらくは名前のよく似た別人なんだろう。
まったく、何人同姓同名やら何やらがいるんだ、この世界。
「……全く。無茶をするね、鍵掛くん」
背後から、リボーンがこちらに歩み寄ってくる。
その表情には心なしか、安堵と怒りが浮かんでいるように見えた。
……ふと気づいたが、俺の能力と思考をコピーしてるってことは……
俺は、こいつに勝てないのではないか?
穏健にお帰りいただくのも難しそうだしな、と考えていると――
再びリボーンが声をあげる。
「! まだだ、奴が立つぞ!」
「ぐ、が…… ヤマノハ因子の力で、今こソォ……真の姿をォ……」
毒でのたうち回っていた筋肉バカ、もとい鏡介が立ち上がる。
だが、その姿は明らかに異変を生じていた。
筋肉が奴の意思と明らかに無関係に蠢いている。
……俺こういうの見たことあるぞ、バイオハザードシリーズ実況で嫌というほど。
その予感は正しかったらしく、人の輪郭すら危うくなる程に筋肉が膨れ、歪み、爆ぜ――
巨大な肉塊となって、宙に浮かび始める。
「「「ははハハは! 見るがイい、並行世界全ての、ヤマノハの力ヲ――」」」
醜い肉団子の表面に浮かんだ、無数の顔。
その中央に鎮座する、鏡介の口から告げられた言葉は―― そこで途切れた。
ず、と肉塊が真っ二つに裂ける。
否。
両断されたのだ。
鏡介だったモノが崩れ落ちた背後に、大鎌を携えた女性が立っていた。
俺より年上に見える、しかし幼げで危うい雰囲気。
その瞳には、狂気とも絶望とも諦観ともつかぬ、昏い光が宿っていた。
「……助けてくれた、ってワケじゃあ……なさそうだな」
なぜこの女が介入してきたかは不明だが、確実なことが一つある。
転校生を殺しうる斬撃を放つということは。
この女も、転校生の可能性が高い――!
俺の後ろにいるリボーンも、同じ結論に辿り着いたようだった。
「名前を聞いてもいいかな、お嬢さん?」
俺が場の異様な空気に飲まれている中でも、リボーンは相手に声をかけることを忘れなかった。
山乃端さんの空気の読まなさの分、図太いというか勇気があるのだろうか。
事態の急変に、俺の思考がわけのわからない脱線をしている中、目の前の鎌女がぽつりと名乗る。
「瑞浪星羅。――魔人を殺す者よ」
名乗りと同時に、大鎌が横薙ぎに振るわれる。
俺はまたしても落とし穴で避けるほかなかったが、リボーンは逆に前に踏み込んでいた。
大鎌という武器の弱点である、小回りの利かなさを突いた格好だ。
背中をほんの少し刃先が掠めたが、もう鎌の射程ではない。
一瞬で懐に踏み込んだリボーンは、そのまま先程のリフレインをするかと思いきや――
ただのストレートを打ち込んだ。
「が……っ!」
衝撃にたまらず鎌を取り落とし、後ろに吹き飛ばされる瑞浪。
だが、リボーンの拳を受けて吹っ飛んだ程度で済んだってことは――やはり、彼女も転校生だということになる。
一方のリボーンはといえば、険しい表情を浮かべていた。
おそらく、リボーンは初手で殺しにかかっていた筈だ。
俺が見せた手と同じ地雷と毒ガスの暗殺拳で。
だが、やらなかった――いや、できなかったのだ。
瑞浪と名乗る新手の能力は、おそらく『魔人能力の封印』――
『その通りデス、鍵掛サン』
……人のモノローグに割り込んでくるのは誰だ。
『すいまセン、緊急事態だったノで……私は山井ジャックと申しマス』
脳内に直接呼びかけている、日本語のたどたどしい何者かはそう名乗ると、
かいつまんで瑞浪星羅について話してくれた。
曰く、彼女もまた『山乃端一人』を守る者であったこと。
幼いころのトラウマで、魔人を憎み暴走する性質があったこと。
先日、悪意ある魔人に襲撃を受けた際、一人に害が及んだこと。
そこに現れた転校生『キョウヘイ』によって、彼女もまた『転校生』となったこと。
そしてキョウヘイに吹き込まれるがまま、彼女の友人以外の『山乃端一人』を殺そうとしていること。
「……いやだから、そこにいるのは山乃端一人じゃねえんだが!?」
まさか同じツッコミを二回もするとは思わなかった。
……同情はするぜ、ネームレス・リボーン。
山乃端一人に成り代わりたいお前が、ことごとく間違って狙われてるという役回りになるとはな。
『ですガ、今の星羅サンには関係ないでショウ。
魔人である限り、抹殺対象に変わりはないと考えてイルようです』
「……関係ないよ。私は生きたいんだ、邪魔をするのなら殺すよ」
『待ってくだサい! 私は星羅さんを救いたいカラ――』
リボーンが山井の静止も聞かず、再び立ち上がってきた瑞浪目掛けて殴りかかる。
瑞浪が得物を失っている状況である以上、純粋な殴り合いならおそらく体格で勝る
リボーンに分がある。魔人能力なしの、純粋な転校生同士の殴り合い。
だが、瑞浪が手をかざすと、落ちていた大鎌がふわりと浮いて瑞浪の手へと舞い戻ろうとする。
鎌と瑞浪の射線上に、ちょうどリボーンの身体がある――!
リボーンの身体が、横一文字に切り裂かれる。
汚い肉団子みたく両断とはならなかったが、深い傷なのは間違いなかった。
「が、あっ……!」
背中から斬りかかられ、膝をつき倒れ伏すリボーン。
そして鎌を手にした瑞浪が、リボーンに向けて進む――
「あんたが山乃端一人だろうがそうでなかろうが関係ない。
貴方も魔人なら、殺すだけ」
ぶん、と鎌を振り下ろし首を落とそうとするが、その鎌はリボーンには届かない。
隠しブロックで柄の部分を止めて、介錯を止めさせる。
「瑞浪さん、だっけか?
アンタも山井の声が聞こえてるはずだ、もうバカな真似はやめとけ!」
「……うるさい」
いきなり見ず知らずのチビに説得されたことが逆鱗に触れたか、瑞浪がこちらに敵意をぶつける。
リボーンはといえば、俺に驚きの目線を向けていた。
「鍵掛くん……なんで、助けるんだ」
「あ?決まってんだろ?
俺と山乃端さんの恰好で死なれたら寝覚めが悪いんだよ」
隠しブロックで鎌を振り回せない状況に置かれて苛立つ瑞浪が、得物を手放してこちらに走り寄る。
今度は瑞浪が『転校生』の身体能力に任せて、まずは俺を殺しにかかる。
どうやら、それが悪手だって気付かないくらいに頭に血が上ってるようだな。
「TrapTripTrick」――トリモチ床。
超強力粘着液で靴を絡めとられた状態で、全速力で突進をかけようとすれば
転校生といえど前につんのめり、べちゃりとトリモチの海にダイブするのは自明だ。
なまじ身体能力が高い分、前に弾んで粘液が余計に絡むだろうから、悲惨だよな。
「……さて、振り解くまで時間もかかるだろうから。改めて頭を冷やそうぜ、瑞浪さん」
「……っ! 離せ! 私は、もう『転校生』なんだ!」
とはいえ、俺じゃあ説き伏せるのは無理だろう。
何しろ、心の中に語り掛けている山井でさえ出来てないんだ。
そもそも『転校生』になっちまった相手に、どう対処すれば――
「星羅くん。君は本当に『転校生』なのかな?」
突如、ここにいる三人(と一人の死体)の誰でもない声が響き渡る。
視線を向けた先にいた人物は、大仰そうにお辞儀をしてみせた。
「自己紹介が遅れたね、私の名は端間-画――
『ベイカー街』のOBと言えばわかるかな、星羅くん?」
「……シャーロキアンの。 何の用ですか」
「かわいい後輩たちに頼まれて、君を連れ戻しに来たのさ。
……一人ちゃんを泣かせちゃあいけないぜ」
端間と名乗った人物は、瑞浪に向けて説得、あるいは交渉を開始したようだった。
「放っておいてください…… それに何ですか、私が『転校生』かどうかなんて
見たらわかるでしょう?」
「今の君を見ても粘液フェチが喜びそうだなあとしかわからないが、
先程の発言についてはそのままさ。
疑問形で分かりにくいなら断言してあげようじゃあないか。
瑞浪星羅は『転校生』なんかじゃあない」
はい?
「いやいやいやいや。待ってくれ。
俺は確かに見たぜ、瑞浪さんが『転校生』を両断するのを。
それにそこで斬られてるリボーンも『転校生』だぞ?」
俺が思わず横から疑問を差しはさむが、端間は意に介さず言葉を紡ぐ。
「星羅くんが『転校生』になった経緯は知ってるかい?」
『ソレは私が説明しましタ、彼女の魔人能力で彼女自身が傷ついても鎌ハ消えませんでシタ……だから』
「そう、彼女は『自分の能力の影響を受けなかったから』認識の衝突が起きた――
そう思いこまされたんだ」
「え……?」
瑞浪が驚きに凍りつく。
だが、俺が山井から聞いた限りでも特におかしなことは――
「おいおいおいおい、鍵掛錠くん。いや、棺極ロックくんと呼ぶ方がいいかな?
君なら覚えているだろう、君が今日まさにあのおかしな転校生に下した一撃を」
「ヤマノハ鏡介に? ……あ」
そうだ。俺は自分の地雷を自分で浴びて無傷だった。
だが、それは俺の能力が『そういうもの』だからで、瑞浪のものとは事情が違うような……
そんな俺の戸惑いをよそに、端間はかたり続ける。
「『魔人能力を消す能力』という点に惑わされているが……
能力強化などでない限り、魔人能力は自分には影響を及ぼさないのが当たり前なんだよ。
自分一人で『認識の衝突』を起こせるのなら、世の中転校生で溢れてしまうぜ」
「で、でも! 私、キョウヘイさんの元で『転校生』として――」
「本来ならば『認識の衝突』に勝利した瞬間から『転校生』だ。
なんで1か月も教育期間とやらが必要なんだろうねえ?」
「ですが!『転校生』は嘘をつけない筈でしょう!
キョウヘイさんが私を騙すことは、出来ないはずです!」
「星羅くん。
君は一度も、キョウヘイから直接『君は転校生だ』と言われてないはずだ」
「っ!」
瑞浪の表情がたちまち曇り、青ざめる。
「……さて、それでも疑うのなら。
鍵掛くん、ちょっと一発瑞浪くんに殴られてみたまえ」
「え?」
いや、他に瑞浪星羅が『転校生でない』ことを証明する手段くらいいくらでもあるだろ?
「いいから、適当に罠を空仕掛けして粘液をはがしてあげてくれたまえ。
今の彼女はもう、暴れるような真似はしないだろうからね」
……不安しかないが、ここまで自信満々に言われたら仕方ない。
適当なワナを適当なところに仕掛けて、トリモチ床を解除する。
粘液から解き放たれた瑞浪が、力なく立ち上がり――俺の胸倉を叩く。
その拳は、あまりにも軽かった。
『セイラサン、帰りましょう』
「……う、うう……っ」
ぼろぼろと、瑞浪が涙を流す。
その涙は、騙されたことへの悔し涙なのか、帰る場所があることへの嬉し涙なのか。
あいにく俺には判断がつかなかった。
「さて、これにて一件落着――と言いたいところだけど。
彼女、いや彼かな? 処遇をどうするべきかな」
端間が、いまだに倒れ伏すリボーンの方を見る。
瑞浪が、バツが悪そうに申し訳なさを滲み出させている。
リボーンの傷は、先程見たときよりも小さくなっているように見えるが……
「……私は『生まれてない転校生』だからね。だから『死ぬこともない』んだよ。
とはいえ、普通に傷が痛むから、今すぐ君たちをどうこうするのは難しそうだ。
……それに、私にはもう鍵掛くんを殺せそうにない。
自分のために命を懸けてくれるような奴に手を掛けたら、それは転校生じゃなくてケダモノだ――」
リボーンは痛みに顔をしかめながらも、微笑んでみせた。
とはいえ、根本的解決にはなっていない。
『生まれていない』存在を救う方法なんて――
このとき、俺はいい加減に学習すべきだった。
こうやって何か物思いにふけったときに限って、厄介ごとはこじれていくのだと。
突如、俺たちの間に割って入るかのように巨大な段ボール箱が降り注いできた。
広場の床を破砕しながら着地した箱はパカリと割れ、中からさらなる闖入者が現れる。
「正義の味方、ブルマニアン参上っ! 『転校生』とやらはどこかしら?」
ブルマを履いた美女?が盛大に決めポーズを取った。
「転校生なら、一人はそこできったねぇミートボールになって斬られてて、
一人は戦意喪失でそこでうずくまってて、
一人はそもそも『転校生』じゃなかったのでもう出番はないんだが?」
「えっ? もう解決済みっぽい?
……まったくあのクソ課長、トイレくらい後で行けばよかったのに……」
事態がほぼほぼ収まったことを告げると、ブルマニアンなる怪人物は
ブツブツと呟きながら不満そうな表情を浮かべたが、すぐに気を取り直す。
「まあいいわ、じゃあ事情聴取だけでもパパーっとやっちゃいましょ!
みんなお名前聞かせてくれるかしら?」
事情聴取、という言葉にちょっとギョっとしたが……まさかこの人警察官なのか?
今日はつくづくキャラの濃い人たちばっかに出くわすな……
「あー、鍵掛錠、希望崎高校1年です。
そこで斬られて倒れてる俺にほんのりソックリなのがネームレス・リボーンさん、
こちらの茶髪女子が瑞浪星羅さん、
そこの肉塊は……鏡介とか名乗ってました。
そして、そこの印象の薄そうな人が、端間――」
本人たちの名乗りを待った方がいいかと思ったが、面倒そうなので一気に紹介を済ませた。
それが間違いだった。
ブルマニアンさんが、最後の一人――端間の名前に反応して振り向いて、
怪訝そうな表情を浮かべたのを見た。
「……貴方、誰なの?」
端間はブルマニアンの問いに、唇の端を歪めた。
「あちゃー……本物を知ってる人がここで来るのか」
影の薄そうな青年――端間-画と名乗った人物は、
突如として喜色満面の笑顔を浮かべた。
「ごめんね、端間ってのはウソだったんだ。
僕の名前は赤蔵ヶ池偽、少しばかりの勇気と愛と誠実さが武器の、
【最弱にして最低にして最悪の転校生】だよ」
(強襲クエスト:四月一日は馬鹿 に続く)