海水浴場。
常夏の国というわけではない東京では冬の浜辺に人の姿は少なく、やや弛緩した空気が漂っていた。そんな浜辺の沖合に、影が一つ。
三角形の背びれ。鮫である。いかにも「私は鮫です」と言わんばかりにその存在を主張している。その背びれがどんどんと浜辺に接近しつつあった。進行方向の先にはとぼとぼと歩く華奢な少女が一人。
サイズの合っていないらしいだぼっとした服の、どことなく覇気のない少女であった。ややぼさぼさとしている桜色っぽく色の抜けた髪を肩の上まで伸ばしている。少女は自らに迫る鮫の影に気付くと、危険に気付かないでも離れるでもなく―

剣を構えた。その手に剣はない。

どろりとした胡乱な殺気。弛緩した雰囲気は見る影もなく、張力を蓄えた発条のように背をかがめて鮫の方を睨みつける。その手は空だが、正眼に構えたその姿は、間違いなく剣を構えていた。
これこそは柳生新陰流の技、無刀取りである。無手でありながら刀を取る。刀を持っていないのに持っているという状態を作り出す技である。その手に握られているのは無であり刀でもある。当然切れる。

鮫が迫る。少女がいるのは陸地であるが、鮫が獲物を襲うのは海中だけではないなどということは賢明なる読者諸兄はご存じのことであろう。時に地中を泳ぎ、風に乗って宙を舞い、あるいは火を噴いたり頭が増えたりする地球最強の捕食者、それが鮫である。無論この鮫が都合よく海中しか泳がない鮫であるはずがない。少女に対して明らかに殺気を発しているその様は、作り物めいて人間的ですらあった。
そして海中からその姿を現した!

「ヤギューッ!」

咆哮!おお、見よ!その鮫の腰には刀が二本差し!さらにヤギューと吠え、ダメ押しと言わんばかりに頭部には『柳生』とでかでかと記されている!これぞまさに!

柳生シャーク!

鮫は強い。そして柳生も強い。ならば柳生シャークはすごく強い。なんたる悪魔的発想に基づく生物か!学会にこの怪生物の存在が明らかになった暁にはインテリジェンスデザイン論は立証されてしまうのであろうか!

「…らあっ!」
少女が気合一発、柳生シャークの牙と少女の無の刀が火花を散らす!無刀取りによる無の刀は尋常な鮫の歯ならば両断してしまう切れ味を備えていたが、柳生シャークの歯には柳生エンチャントが施されており、容易には切れない!
ぎりぎり、と鍔迫り合いは一瞬、少女がバックステップ。華奢な少女と柳生シャークの体格差からして不利な鍔迫り合いを避けた形だ。牙と刀のリーチの差も活かそうという魂胆である。
しかしそれは柳生シャークの想定内。表情筋があればニヤリとしていたであろう。その腰には体格に見合った大刀が収められている。
居合。あるいは抜刀術。
鞘に収められた剣を抜くと同時に切りかかる技術。それはいわば非戦闘状態から即座に戦闘に対応する技であり、自衛や護衛に用いるならともかく、戦場では用いられない技、のはずであった。
しかしこの状況はどうか。牙では届かぬ間合い。そして剣の間合い。鮫と対峙した人間は、「鮫は噛みつくもの」という先入観にとらわれ、剣の間合いを見失う!
おお!これぞ、シャーク・居合道!人類には成せない、新たなる剣術の理論的新境地である!
柳生シャークは腰の刀に手を伸ばそうとし―、そして気付く。

手がない!魚類だから!無論居合抜きも不可能!
シャーク・居合道、理論的破綻!歴史に刻まれるはずだった剣の新境地は無惨にも徒花と散った!

そうこうしているうちに、少女はバックステップで柳生シャークの間合いを脱出、そのままどんどんと離れて、そして刀を構える。明らかに剣のそれではない間合い。上段の構え。
「ああもうめんどくさいなぁぁ…!」
精神を統一。剣の道は禅に似て、その行き着く先は合一する。そして本人にもよくわからない形而上学的・哲学的なんやかんや。これ即ち。
「―『剣禅一如』」
そして少女自身も与り知らぬ哲学的エネルギーがなんやかんやし、剣からビームが出た!
凄まじい白光の奔流が柳生シャークを飲み込み、吹き飛ばす!そのまま沖合まで柳生シャークを押し出して―

ボカーン!

謎爆発!原理不明!吹きあがる水柱がと飛び散る水滴が、陽の光を浴びてキラキラと輝いた。

少女はしばらく残心を取っていたが、それを崩す。
「あ~~~~…つかれた…」
剣禅一如は疲れるのだ。そのまま無刀取りを止めて、爆発につられた野次馬から隠れるようにこそこそと去ってゆく。
少女の名は柳煎餅。あるいは柳生千兵衛10889号。彼女は何者なのか。なぜ柳生シャークなどという代物が東京の海に湧いているのか。柳生新陰流といいつついろいろおかしいのではないか。それらの疑問に対する回答には、時をいくらか遡る―

☆ ☆ ☆

数か月前
地球ではないどこかの世界 柳生帝都 第89番製造工場

ごろごろという機械音と、時折醜悪な悲鳴が響く、薄暗い部屋である。部屋の中央を貫くベルトコンベアに乗って運ばれてくるのは、人間だ。老若男女様々な人間が椅子に縛り付けられて次々とベルトコンベアの上を流れてくるのである。抜け出そうと暴れている者もいれば、半ば以上死んだように見える者もいる。流れて行く先は、なにやら『柳生注入』『ゾンビ有効利用』『補給は柳生曜日』などと貼り紙が張られた非人道的な気配のある機械の内部であった。
じたばたと暴れる男が一人、機械の内部に吸い込まれる。程なくして「ヤギュボッ」とくぐもった悲鳴が中から聞こえてきて、ぼすん、という爆発音が響いたきり静かになった。急速な脳内直接柳生注入による柳生拒否反応(ヤギュキラフィシーショック)によって脳が爆発したのである。この場所では比較的幸福な末路であると言えた。
機械の内部からの血飛沫が数滴、次に運ばれてきた栗毛の少女の頬にかかった。少女はぽかんとするばかりで、目立った反応はない。
(わたしもああなるのかなあ)
いまいちぼんやりとした思考が少女の脳裏に浮かんだ。ここしばらく、思考がぼんやりとしている。いきなり村が柳生人狩部隊に襲撃されて、焼き討ちされて、攫われて、あれよあれよという間になんかよくわからない施設で流れ作業死しそうになっているというのに、どうにも危機感が薄い少女であった。極限状況でどこか壊れてしまったのか、あるいは生来の性質であろうか。
そうこうしているうちに少女も機械の内側へと飲み込まれる。その眼前に直径2cmはありそうな極太の注射針のようなものが下りてきて、もしかして刺すんですか?という思考を少女がするよりも先に額にぶっ刺さった。
そして柳生が注入された。
「あっひゅえ!?」
脳内の鍵が次々とこじ開けられるような感覚とともに、凄まじい勢いで圧倒的に間違っている真実が理解させられた。視界がサイケデリックな蛍光色の火花に焼かれると同時に脳を激烈なまでに合理的な矛盾が満たしてゆく。この世の何よりも正しく間違っている思索がロリポップキャンディめいて跳躍してヒトの脳髄には余る哲学的回答を次々にもたらしていった。
宇宙…並行世界…侵略…零落…柳生宗矩の呪い…汚染新陰流…柳生一兵衛…ヤギュマゲドン…
(あっやべ、しぬ)
もう少し頭の回転が早かったら柳生誤真実の急速理解による論理エラーで発狂していただろう。
もう少し良識が強固だったら柳生倫理観のインストールに拒絶反応を起こし爆死していただろう。
もう少し精神が柔軟だったら柳生詳細不明某の陰謀にからめとられて柳生ゾンビになっていただろう。
もう少し運が悪かったら雑な柳生注入施術で普通に脳が物理的破壊されて死んでいただろう。
しかしそうはならなかった。なれなかった。
気がついたら、拘束も、機械も、真っ二つにしていた。
「あれ?」
気付いたら手に無が握られていた。これで切ったらしい、と理解すると同時に、べべべべべべべべ!とけたたましい警報音が鳴り響く。
「トラエロ!トラエロ!」「コロセ!コロシテトラエロ!」「イケドリ!コロセ!」「キリキザンデイケドリダ!」
部屋の扉が勢いよく開き、『柳生』と書かれたドラム缶にキャタピラとアームを付けたような形状の警備ロボ、愛称やぎゅぼっと(平仮名なのは公式)がわらわらと剣や槍を構えて現れる。
ちなみに彼らは標的を生け捕りにするようにプログラムされているのだが、基礎的な設計の時点で殺意が高すぎるため殺すように指示した場合と比べても標的が原形をとどめない死体になるところがぎりぎり原形をとどめていると言えなくもない死体になるくらいしか違わない。
「えっ?ちょちょちょっと―」
少女がうろたえるよりも先に、少女自身が動いていた。半ば無意識にやぎゅぼっとの群れに飛び込み、手にした無で薙ぎ払う。鉄製のやぎゅぼっとが複数台まとめて輪切りになった。
「コロセ!コロセ!」
つき出された槍を弾き、踏み込んでドラム缶のようなボディを縦に割る。
(あれぇ?わたしこんなに強かったっけ?)
後ろから切りかかろうとする一台を目もくれずに両断する。
(ええっと、たぶんさっき何か入れられたせいだと思うけど)
左右からの同時攻撃を反復横跳びめいて同時撃破する。
(あれ?昔からこんなんだったっけ?あれ?えーっと?おかしいな?)
投擲された槍を逸らして反対側のやぎゅぼっとに突き刺す。
「元の私、どんなだったっけ…?」
最後の一台を袈裟に切った。辺りには鉄の残骸が散らばっている。
「えーっと…?あれ…?え…?わたしなんだっけ…?」
立ち尽くす。首をかしげると色の抜けた桜色の髪がふわりと揺れた。
記憶がなくなっていた。

少女がぽかんとしているうちに、どかどかと足音を立ててやって来る一団があった。
「いたぞ!」「千兵衛10889号!速やかに投降せよ!さもなくば斬る!投降しても斬る!」「コロセ!コロセ!」
新手のやぎゅぼっとを連れてぞろぞろと少女を取り囲むのは治安維持を務める柳生旗本団である。柳生新陰流をマスターした腕利き剣士たちであり、活人剣の奥義によって生きたまま反逆者を解体し、元に戻すのが面倒くさくて駐屯所の地下には生きた肉片が大量に埋まっているという噂(すべて真実)のある危険集団である。その危険性は量産型のやぎゅぼっととは比べ物にならない。
「うわやっば!?」
控えめに言って絶体絶命。そんな状況であったが、思考よりも先に体が動いた。無刀取りしたままの右手が閃き、床板を切りつけた。安普請の鉄板が三角形に切り抜かれ、地下階へと落下する。
「わっ」
自分の行動に驚きつつも受け身を取って埃っぽい部屋に降り立つ。上からは「コロセ!コロセ!」「どけ!」などという怒号と共にがちゃがちゃという音が聞こえてくる。殺意の高すぎるやぎゅぼっとが華奢な少女サイズの穴に我先に入ろうとして後続の道をふさいでいるようであった。
少女は落ちた地下階を見まわして周囲の状況を確かめる。何やら様々な機械類が設置されており、どうやら投棄された研究施設のようであった。
「って出口がないじゃんここ!」
なんたることか。投棄された研究施設は完全に閉鎖されており、出口と呼べるようなものは悉く塞がれていたのであった。包囲を逃れたどころか、自ら逃げ場のない場所に入り込んでしまったのである。
「あわわわわわ…!ってあれは!?」
おろおろする少女の目に留まる一文あり。
『試作時空転送装置』
「あれだーっ!」
蜘蛛の糸に飛びつく地獄の罪人のように、その機械にすがりついてがちゃがちゃと装置についたレバーやらボタンをやたらめったらいじり始める。横に書かれた『危険』だの『廃棄決定』やらの文字は見えていない。
おおよそまともな精神状態の人間であれば、投棄された施設の、危険と書いてある、明らかに眉唾物の機械に頼るようなことはしないであろう。しかしこの少女は脳内柳生直接注入を受けたばかり、さらに記憶喪失、今にも殺されそうという状態である。まともな理性的判断能力を保っているほうがおかしかった。
そしていかなる幸運かはたまた奇跡か、怪しい機械はみょう゛~んなどという怪しい音を立てて起動した。横にあるガラスの円筒状の装置に青白い怪光が灯る。
「早く早く!」
躊躇なくガラス円筒の扉を開けて中に入る少女。そして怪光がひときわ強くなり、そして!
その直後に上階の床が抜けて柳生旗本団が突入してきたが、少女の姿はどこにもなく、壊れた機械の残骸が残るばかりであった。

☆ ☆ ☆

「なんと。思いがけず都合のいいこともあるものだな。不完全な混ざりものだったのが功を奏したか…!」
数時間後。少女が姿を消した場所を検分する柳生旗本団に混じって、柳生皇帝十兵衛はひとりごちた。その身体は濃密な柳生オーラに隠されて、霧の向こうのようにうかがい知ることができない。
「く、くくく。見たか宗矩。もはやお前の呪いはない。我らの勝ちだ」
ここで用いられた機械は失敗作のはずであった。厳密には機械自体は設計通り異世界への時空転送を可能とする物であったのだが、転送される側の柳生が、その性質―あるいは柳生宗矩のせい―によって転送ができなかったのである。しかしそれももはや破られた。
「ああ、そうだ。柳生百兵衛を出せ。形だけでも追手を出しておいた方が対面がよかろう。ちょうど持て余していたところだ。その程度の奴に殺されるならそこまでよ」
柳生旗本団に指示を出し、十兵衛は彼方へと跳んだ同族へと思いを馳せた。
「さあ、やってみろ柳生千兵衛。足掻いて足掻いて、柳生一兵衛に至れ。そして 柳生最終戦争(ヤギュマゲドン)を拓くのだ!」

☆ ☆ ☆

地球 東京
「へっぷしょん!」
命からがら脱出して、わかったことがいくつかある。
まずは周囲の状況。
ここは日本という国の東京という都市であること。聞いたことがない。
柳生は世界を支配していないこと。まずありえない。
要するに、自分が流れ着いたのは全く違う世界らしいということ。
そして自分自身の状況。
自分は脳内柳生注入を受けたらしいこと。柳生注入ってなに?物理的に注入できるものなのか?それはわからん。わかりたくもない。
私の名前は柳生千兵衛というらしいこと。でも柳生を名乗るのはなんや嫌なので柳煎餅ということに勝手にした。もとより勝手に押し付けられたものみたいなので、変えるのに抵抗はなかった。
それでいろいろ変な能力を手に入れたらしいこと。おもに戦闘能力。柳生新陰流(こっちの世界にもあるらしいけど別物みたい)は一通り使えるみたいだし、剣は無刀取りでなんとかなるし、剣禅一如も出せる。疲れるからあまりやりたくないが。あと今思いだしてるような知識とか。あと倫理観とか。人を切っても何とも思わない。
でも目下の悩みは、柳生の鉄則、御留流のこと。柳生新陰流は門外不出。なので私のところには柳生本家からの追手が絶対に現れる。絶対にだ。柳生本家が追手を差し向けなくても現れるのだ。自動生成で。かなり適当なのが。柳生シャークとか。そんなのが四六時中やって来るのでろくに休めない。斬っても斬っても湧いてくるし。あとなんか通りのモニターでやっていた報道を見るに、私の関係ないところで柳生チンピラやら柳生ヤクザが治安悪化の一因になっているらしい。私を追えよ。バカなのか?バカだったわ。自動生成柳生は頭が良くないのだ。
他にもいろいろと雑多な知識は詰め込まれているが、ぐちゃぐちゃしてて思いだせない。いちべえ?とかやぎゅまげどん?とかいろいろ変な単語が頭をよぎるが、よくわからない。
あともう一つ。家がない。金は自動生成柳生ちんぴらとかを狩ればなんとかなるが、冬のホームレス生活は流石にしんどくなってきた。もうやだ。やってらんない。なんでこんなめに。おうちかえる。だれかたすけて。
「うわーん。うわーん…」
泣きまねをしてみる。泣けよ私。涙を出せ。水分をケチる場面じゃないぞ。自分を憐れめ。
このままじゃダメだ。今の状況を受け入れちゃいけない。「まあこんなこともあるか」で済ませちゃいけないんだ。
殺し合いが当たり前になっちゃだめだろう。
家族が死んだのを悲しまなくちゃだめだろう。
私は殺人鬼じゃないし、人切りでもない―と思いたい。まだ人は殺していない。自動生成柳生はノーカン。…人じゃないよねアレ?不安になってきた。他の人も巻き込んでいないはず。多分。きっと。…自信なくなってきた。
「ははは……わらえないなあ」
ああ、家族の顔が思いだせない。平和な暮らしが思いだせない。わかるのは戦うことばかり。人を斬ることばかり。剣を振るうことばかり―

☆ ☆ ☆

柳煎餅が山乃端一人に出会ったのは、なんてことはない晴れた日の、そこらの道端であった。
同い年くらいの、栗毛の少女。
どこにでもいるような、平々凡々な少女だった。
まるでかつての柳煎餅のような少女。

(斬ろう)

ごく自然に、まるで息をするかのように煎餅は無の刀を一人に向けた。まるでそれが世界の真理であるように。脳内の柳生が囁いたのか、あるいは自らの失ったものをなにもかも持っている相手への嫉妬か、あるいは運命のようなものか。
戦士でも魔人でもない山乃端一人は、それに気づかない。歩み寄って首を叩き落とすか心臓を貫けば終わりだ。
山乃端一人はあっけなく死ぬ。そのはずだった。

ぶつり、と無が突き立てられた。横道から爆弾で狙っていた自動生成柳生兵士の首が貫かれていた。柳生印の手榴弾がピンを抜かれることなく転がる。一瞬の早業に、道を歩く一人は気づくことすらない。
『聞こえますか』
誰かが話しかけてきた。鏡のように煎餅を映す横の建物の窓からだ。
『私の名は鏡助と言います。まずは感謝を。山乃端一人を助けてくれてありがとうございます』
(違う)
煎餅は自らの安全を優先して、柳生兵士を殺しただけだ。確かにそうしなければ一人も巻き込まれていただろうが、助けた形になったのは偶然に過ぎない。
『あなたを見込んでお願いがあります。どうか我々に力を貸してくれませんか。山乃端一人を守ってほしいのです』
(違う)
煎餅は山乃端一人を殺そうとした。それを知ってか知らずか協力を要請する鏡助の声には真摯さと、焦燥が滲んでいた。
『我々は一人でも多くの戦力を必要としています。どうか、何卒協力を―』
(違う…けど)
煎餅は今にも脳内柳生の影響で発狂して山乃端一人を斬り殺すかもしれない。御留流で現れる自動生成柳生は間違いなく山乃端一人を巻き込むだろう。根本的に殺人剣である異界産柳生新陰流は護衛など不向き極まりない。そもそも柳煎餅に山乃端一人を守る理由など何一つない。
でも。

「守れば、いいんだよね?」
『はい。報酬などは何も用意できませんが』
「やるよ。守る」

柳煎餅の身に染みついた異界産柳生新陰流は忌まわしい殺人剣だ。でも、それで誰かを守れるかもしれない。
かつて村娘だったころの柳煎餅と山乃端一人は何も関係ない。でも、何かしらを取り戻すことができるかもしれない。
柳煎餅に山乃端一人を助ける理由はない。でも、誰かを助けるというのは自らを繋ぎとめるよすがであり得るのだ。

「うん、守るよ。私のために。私ってば人切りじゃないし、殺人鬼でもないんだからね。だから通りすがりの人を善意で守れるよ、うん、守れるはず。」

これはエゴだ。山乃端一人を自分のために勝手に守って、勝手にかつての自分と重ねて、勝手に自己満足を得るダシにしようというのだから。
でも、守りたいのは事実なのだ。それが誰でもよかったのだとしても。人を守れるのだと信じたかった。

煎餅は歩き去ってゆく山乃端一人の背を見た。隙だらけの背中だ。煎餅がその気になれば瞬く間に5度は斬れるだろう。でもそれでいいのだ。

(昔の私も、あんなだったのかな)

もう思い出すことはできないのだけれど、そう思いたかったのだ。

☆ ☆ ☆

しかし忘れてはならない。柳煎餅は元来追われる身であることを。
東京の片隅に、人知れず現れる影あり。
異界から現れし刺客が、標的を探し始める。
かの剣士の名を、柳生百兵衛!

To be continued.
最終更新:2022年01月31日 05:43