6年前の秋。
年配の男性が中年の男性に対し、労わるような口調で話した。
「……大丈夫か?瑞浪?」
「……ええ、大丈夫です。小松川さん、僕も探偵ですから。それに星羅を引き取る事は、僕にしかできませんから」
「そうか……」
瑞浪と呼ばれた中年の男性は、小松川と呼ばれた年配の男性に強く答えた。
「しかし、彼女の今後が心配だな。今は記憶が曖昧だが、それが戻った時、一体どれ程のショックを与える事となるのか」
「……僕は星羅に、この事は思い出して欲しくないと考えています」
「例え嘘で塗り固めたとしてもか」
「……はい」
「この先、彼女のために全てを投げ出す事になるかもしれないぞ」
「……はい」
そう瑞浪が答えると、小松川は意を決したような表情になった。
「……そうだな、俺ももう歳を取ったし、人の表裏を十分見てきた。そろそろ探偵業を引退しようと思う」
「小松川さん!僕にはまだ小松川さんがいないと……」
「瑞浪は立派な探偵だ、もう俺から教える事なんて無い」
小松川の唐突な引退宣言に、狼狽える瑞浪。
「それにな、俺は引退後、生まれ育った八王子で地元の人が集まるカフェをやるっていう夢があるんだ。俺の夢を邪魔しないでくれよ」
「……小松川さん……」
「店を開いたら、瑞浪にはいち早く教えてやる。コーヒーを飲みたくなった時には娘を連れていつでも来い、話し相手になってやる」
「小松川さん、それは……」
「これはあくまで俺の選択だ。お前は関係ない」
小松川はそう言ったが、瑞浪はおそらく小松川が星羅の居場所を作ろうとしたのだろうと感じた。
そしてしばらく後、一人の探偵は姪を引き取り、一人の探偵は引退し、八王子にカフェを開いた。
「やばっ!もうこんな時間!?」
私、瑞浪星羅は八王子駅から走り、いつも入り浸っているカフェ、『シャーロキアン』へと向かった。
教授め……普段は時間通り授業が終わるっていうのにこの日に限って10分延長するなんて!
おかげで乗ろうとしたバスが1本遅れて、既に約束の時間を過ぎた状態で八王子駅にいる。
八王子駅からシャーロキアンまで徒歩8分程度だから……ヤバい!怒られる!
「どいてどいて!」
私は人込みをかき分けつつ、ユーロードを一生懸命走った。
「はぁっ……はぁっ……大丈夫?」
「おう、星羅か。今日は友達と待ち合わせだったか?」
私がシャーロキアンに入ると、店長の小松川健一さんが私の事を迎えてくれた。
小松川さんは5年程前から八王子にカフェを開いており、育ての両親とは家族ぐるみの付き合いがある事から、開店当初から常連になっている。
昔は探偵をやっていたって聞くけど、実際に何をやっていたかはよく分からない。もしかして、殺人事件を解決した事があったりして?
ちょっと口煩いところはあるけど、ちゃんと私の事を知っているいい人だ。
「はい、お兄ちゃんと一人さんと一緒に、コーヒーを飲む約束をしていまして……」
と言うと、お兄ちゃんが私の事を呼んだ。
「おーい星羅、授業がちょっと延びたか?でも大丈夫だ。山乃端からは遅れるって連絡が来ている」
「……と衛は言っているが、携帯は確認したか?」
「あっ!」
私が携帯を確認すると、一人さんからは「ごめん!ちょっと用事があって15分位送れるから!」と連絡が入っていた。なんだ、そこまで焦る事も無かったじゃん……。
ちなみに私がお兄ちゃんと言った衛は、私の育ての両親の実の子供。年齢が私よりも2歳年上なので、普段私は『お兄ちゃん』と呼んでいる。まぁ、元から従兄だったから、呼び名は昔から『お兄ちゃん』なんだけどね。
お兄ちゃんの向かい側の席に座ると、小松川さんがお冷を出してくれた。
「とりあえず水を飲め。そして呼吸を落ち着けろ」
「はい……ありがとうございます……」
私は水を飲み、気持ちを落ち着けると、早く一人さんが来ないかと窓を覗き込んだ。
お兄ちゃんは、そんな私の行動を見て呆れていた。
「星羅、そんなに山乃端が来るのを楽しみにしているのか」
「そりゃあそうでしょ、今日は一人さん初めての探偵依頼、『商店街のゴミ拾い』の事前会議の日なんだから!」
「そう言いつつ、山乃端と話がしたいだけだろ……」
別に一人さんと話をする事を楽しんでもいいじゃん!
そうしているうちに、窓の外に一人さんがやってくるのを見かけた。いつも首から懐中時計を掛けているので、一人さんはとても目立つ。
小松川さんは、いかつい顔ながらもスマイルを見せ、一人さんを迎えた。
「いらっしゃいませ」
「申し訳ありません、瑞浪さんの席はどちらでしょうか?」
「こっちだよ!一人さん!」
「あっ、星羅さん、ごめんね!ちょっと学校の方で用事が長引いちゃって……」
「私もだよ!わざわざ連絡ありがとうね!」
遅れながらも一人さんがやってきて、私は嬉しくなった。
一人さんは、3か月位前からシャーロキアンに通う事になった新たな常連さんだ。
私とは年齢が近い事から、すぐに仲良くなり、同じく年齢の近いお兄ちゃんと3人で話すという事が多くなった。
この前、私も所属している探偵サークル『ベイカー街』の事を話すと、とても興味を持ち、一緒に参加してくれる事となった。今日はその説明の為の会議だ。
「という訳で一人さん、ベイカー街の事について詳しく教えるね」
「ありがとう」
「ベイカー街は、シャーロック・ホームズに出てくる通りの名前なんだけど、店長の小松川さんが探偵小説が好きで、そうつけたみたい」
「そうなのですか?店長さん?」
「まぁな」
いきなり話を振られたにも関わらず、すらっと答える小松川さん。
私は一人さんに説明を続ける。
「でもって、探偵サークル『ベイカー街』は、街の人の依頼を次々と解決していく活動をしているの。とは言っても私達に殺人事件の依頼が入る事は無くて、大体ゴミ拾いとか街の見回り運動、あって飼い猫の捜索位なものだから、実際はボランティアサークルに近いかな」
「まぁ、私達に殺人事件と言っても荷が重すぎるからね。ゴミ拾いでも素晴らしい活動だと思うよ」
「今回の依頼は、京王八王子駅付近の商店街でゴミ拾いをしてほしいというものなんだ。明日の予定なんだけど、ゴミ袋や手袋の準備とか、汚れてもいい服装とか大丈夫?」
「大丈夫だよ」
「お兄ちゃんからは何かある?」
「星羅が言った通りだよ。まぁ、ゴミ拾いだから、ちょっと臭いがきついかもしれないが、俺から追加で言う事はそれ位かな」
「私、納豆やくさやと言った臭いのきつい食品が好きだから、大丈夫だと思う」
「納豆やくさやとはまた違うかもしれないけど……。まぁ、大丈夫ならいいか」
ベイカー街の活動を一通り説明したところで、小松川さんが咳払いをした。
「ゴホン、話が盛り上がっているところ悪いが、飲み物が淹れ終わったぞ。星羅はブラック、衛は砂糖にミルクを付けて、それで山乃端さんは紅茶のダージリンで良かったか?」
「そうですね」
私達3人はそれぞれの飲み物を受け取った。
ブラックのコーヒーを呑めないお兄ちゃんが、私に対して感心している。
「しかし星羅、いつもの事だけど、よくコーヒーをブラックで飲むな」
「私はこの苦さがたまらないんだ。探偵らしいでしょ」
「探偵に苦いコーヒーとか関係あるかなぁ……?」
私達のやり取りを見て、一人さんが笑った。
「ふふふ、2人は本当に仲が良い兄妹ね」
「そうかな?」
「……まぁ、俺達には色々あるからな」
翌日の朝、シャーロキアンの前にはゴミ拾いをするために十人ほど集まっていた。
横にいた一人さんが人数に驚いていた。
「えっ、ベイカー街ってこんなに人がいたの?」
「これでもごく一部だよ。ベイカー街は出たい活動に出たい人だけ出るっていうゆるい活動方針だから、積極的に活動を行う人もいれば、全く活動を行わないっていう人もいる。条件と言えば、シャーロキアンの常連になる事位かな?」
「色々な年代の人がいるね」
「そうでしょ。あっちの人は小説家の八幡翔子さん、あっちの人は居酒屋店主の勝浦裕紀さん、あっちの人は警察官の鳴海亮吾さん、ベイカー街には色々な人が所属しているんだ」
「へー」
「おい、小松川さんが喋っているぞ」
お兄ちゃんに注意されて、中央で喋っている小松川さんの話を聞く。
「作業は3グループに分かれて行います。Aグループは駅周辺、Bグループは保健所周辺、Cグループは神社周辺のゴミ拾いをお願いします。Aグループは八幡さん……」
私とお兄ちゃん、一人さんは神社周辺のCグループのようだ。
小松川さんが作業開始の号令を行う。
「それでは皆さん、宜しくお願いします」
「はい!」
私達は神社周辺に行き、道に転がっている空き缶、空き瓶等を次々と拾った。
一人さんもあまり慣れない様子ではあったけど、ゴミ袋には結構な量のゴミが溜まっていた。
「ふー、なかなかゴミ拾いも大変だね」
「大変なんだけど、街が綺麗になっていくのって、気持ち良くない?」
「確かに街にゴミが無いっていうのは気持ちいいね」
そんな取り留めの無い話をしていたところ、お互いの家族についての話になった。
「そう言えば、星羅さんと衛さんの両親ってどんな人なの?」
「とても優しい人。いつも私の我儘に付き合ってくれるんだ」
「いい親なんだね」
「けど、私の本当の両親は、事件で亡くなっているんだ……」
「えっ?ごめん!触れたくないところを触れてしまって」
「いいんだ、隠しているわけではないし」
そう、私の本当の両親は、私が中学1年生の時、旅行に行った京都での事件で亡くなっている。
たまたま居合わせた男子中学生によって殺され、更にその男子中学生もその場で自殺しているという、救いようのない事件だ。
だから、今の私の育ての父は、私の伯父で、その息子がお兄ちゃんと呼んでいる衛。
それでも、私の育ての両親は、私を実の息子の衛と変わらない愛情で育ててくれている。それだけに、本当に感謝している。
「星羅さんは、きっといい家族に出会えたのね」
「へへっ、自慢の両親なんだ」
「私の両親は厳しい人だったら、ちょっとうらやましいところがあるかな」
「へー、どんな人?」
「そうね、中学までは門限は厳しくて、なかなか同級生と遊べなかったかな。最初はそれを嫌がって高校は寮のある姫代学園を選んだんだけど……」
唐突に一人さんから姫代学園の話が出て、私は驚く。
「姫代学園!?私もそこの出身なんだけど!? 」
「えっ、星羅さんも姫代学園出身なの!?卒業って昨年度だよね?」
「そうだけど」
「となると学年は違うか。だったら名前に気づかなかったかもしれないね」
一人さんは前に話した時、確か20歳だと言っていた。 だとすると19歳の私より一つ年上だということになる。
「えっ、一人さんって姫代学園の先輩!?すみません!タメ口で話して!」
「いいっていいって、逆に敬語を使われた方が距離を感じるから」
「じゃあありがたく、今後もタメ口で話させてもらうんだけど、姫代学園に通っていたということは、魔人だったりする?」
姫代学園は魔人が多く通っている事で有名な女子高だ。一人さんも魔人なのだろうか?
「うん、そうだよ」
そう言うと、一人さんはいつも首に掛けてある懐中時計を手に取った。
「これは父から受け継いだ時計。父は私が魔人に覚醒すると、『遂にお前にもこの時が来たか』と言って、これを渡したんだ」
「と言う事は一人さんは時計に関する能力なの?」
「よく分からない。デミゴットを開放できるとか父は言っていたけど、あまり能力を使った事が無いから、銀時計に念じると私を守る怪物が出てくる位の認識しか無いかな」
「へぇ」
「そういう星羅さんも姫代学園出身という事は、魔人なの?」
「まぁね」
そう、私も魔人なのである。念じると自分の手に大鎌が握られるというものだけど、お兄ちゃんやお父さんからは能力を使うなと言われているので、極力使わずに今までの人生を生きてきた。
私もあんまり使いたくないとは思っているけど、お兄ちゃんや一人さんを守る為なら使ってもいいかなって思っている。
能力を使うと目立つので、今は使えないと言うと、それ以上一人さんは能力について聞いてこなかった。
「そう言えば星羅さん、中等部にやたら正義と言っている子がいなかったっけ?」
「いたいた。高等部の生徒に対しても『私が正義だ!』ってよく言っていたから、覚えちゃったよ」
「名前はよく分からないんだけど、あのマフラー姿は目立つよね」
「そうそう……」
私と一人さんは姫代学園であった話をしつつ、ゴミ拾いを進めた。
1時間半後、私達はシャーロキアンの前に戻っていた。
小松川さんが終わりの挨拶をすると、各々それぞれの場所へと戻っていった。
私と一人さんは午後、南大沢のアウトレットモールに行く予定があるので、準備のために一旦家に戻らなければいけない。そのままシャーロキアンでコーヒーを飲むお兄ちゃんとは一旦ここでお別れだ。
「まぁ、星羅なら大丈夫だと思うが、気を付けて行くんだぞ」
「何言ってるの、お兄ちゃん」
「衛さん、しばらく星羅さんを連れていきますね」
「ああ、よろしく」
「じゃあ、またね!」
私達は駅へと向かった。
一人さんはまだ知り合ったばかりだけど、いい人だなぁ。色々な事を知りたいなぁ……。
星羅と山乃端が戻った後、シャーロキアンの裏の部屋で、小松川と衛が話をしていた。
「衛、最近知り合いになった山乃端一人についてどう思う」
「どう思うも何も、とても良い友人だと思いますよ」
「そうか」
「星羅に友達が増える事は、僕は良い事だと思っています。高校は魔人であっても認めてくれるという本人の希望で姫代学園に入学させましたが、そこでも友達は多かったと協力者の教師からは聞いていましたし、問題を起こさずに3年間過ごしています」
「うむ」
衛が星羅の様子について言うと、小松川は唸った。
「……俺達は、彼女の対応について間違ったのかもしれないな」
「と言うと?」
「確かに、彼女は中学1年の時に悲劇的な事件に遭遇し、魔人となり、心に大きな傷を負った。その事に対し、俺達は極力彼女のトラウマを蘇らせないように気を遣っていた。しかし、彼女は魔人である事すら受け入れ、元々社交的な性格も相まって、友達を増やしていった」
「そうですね」
小松川は話を続けた。
「俺は一時期、友達が増えると彼女の弱点が増えると思い、できるだけ彼女を人から離そうと思っていた。しかし実際はそうした方が不安定になり、友達を作った方が安定していた。彼女にはそろそろ、自由に生きてもらった方がいいのかもしれない」
「そうは言っても、俺は兄的存在として彼女の事は心配しますが」
「一般的な兄妹位の関係性で続けていればいい。俺も行きつけのカフェの店長として彼女の事を心配する」
「それがいいでしょう」
小松川は星羅の対応について少し悔いているようだ。
「ところで衛、お前はどうする。父の手伝いで探偵業の補助をやっているが、無理して探偵を目指さなくても良いんだぞ」
「正直、俺は何も決めていないです。夢も曖昧なので、このまま探偵をやってもいいかなと思っています。夢ができた時は、その時はその時ですね」
「そうか。おっと、そろそろ休憩時間は終了だ。カフェの営業に戻るぞ」
そう言うと、小松川はカフェのキッチンへ戻った。
ゴミ拾いを行ってから10日程経過した。
山乃端は都心の学校に通っているせいか、毎日のようにシャーロキアンには来ないが、それでも暇があるとすぐシャーロキアンに向かい、星羅、衛と話をする日々が続いた。
小松川も安心して彼らを見守っていた。
その日も閉店前まで星羅、衛、山乃端が喋っており、3人が帰った後、小松川一人で閉店準備をしている時だった。
「……小松川さんでしょうか?」
「……誰だ?」
いきなり何者かの声、しかし、店の扉が開かれた形跡は無く、部屋の何処からか声が聞こえているようだった。
小松川が辺りを見渡すと、身だしなみを確認する鏡の中に、何者かが映っているのが見えた。
「突然の訪問、お許し下さい」
「鏡の中から顔を見せるとは……何者だ」
異常な状況にも関わらず、魔人と幾度となくやり合っている元探偵、小松川は動揺しなかった。
「私の名前は鏡助と申します。ああ、ご安心下さい、貴方に危害を加えるつもりはありませんので」
「……俺に何の用だ」
「最近、こちらの店に山乃端一人という方が訪れていないでしょうか?」
「山乃端一人?うちの常連に何かあるのか?」
「時間が無いので端的に言います。今、山乃端一人さんの命が狙われています。助けて下さい!」
鏡助と名乗る男は、その手に握っている銀時計をちらちら眺めつつ、強い口調で小松川に言った。
「……どういう事だ?」
「ざっくり言いますと、山乃端一人さんが殺されると、東京が壊滅する可能性があります」
「なっ?」
突拍子の無い事をいう鏡助。
「そんな事を言われて、信じるとでも思ったか?」
「信じるも信じないも、私は時間が無いのでこれ以上の事を言うことが出来ないのです。お願いします!」
そう言うと、鏡助が鏡の中から消えていった。
一人になった小松川は、さすがに困惑していた。
「山乃端一人が狙われているとはどういうことだ……?」
ふと、小松川の携帯電話が鳴る。
「はい、シャーロキアン小松川です」
『小松川さん、山乃端さんについて情報がありました』
「どうした、瑞浪」
電話の相手は衛の父で小松川の弟子の探偵、瑞浪俊介だった。
『引退した身の小松川さんにこんな事を言うのも申し訳なく思いますが、この情報は伝えなければと思いまして、連絡を致しました』
「いいから言え!」
悪い汗が流れる小松川。
『鏡助を名乗る方が鏡の中から現れ、山乃端さんの命が狙われているという話をしました』
「瑞浪、うちにも来た」
『小松川さん……本当ですか……』
鏡助……瑞浪のところにも来ていたのか……、小松川は驚愕した。
「しかし、鏡助の言う事だけを信じる訳にはいかないな……」
『僕もそう思っていたのですが、別件で国分寺に本拠地を構える盗賊団の調査をしていたところ、山乃端家の銀時計……おそらく山乃端さんが首から掛けている懐中時計かと思いますが、それを狙う計画がありました。その中には山乃端一人を殺しても構わないという文言がありました』
「山乃端家の銀時計?見た感じ、普通のアンティーク時計だと思われるが、それを奪うために殺しまでするか……?」
『その辺りまでは分かっていませんが、山乃端さんを殺害する計画があった事は事実です』
「そうか……」
これは単なる偶然なのか?小松川は悩んだ。
「とにかく、しばらくは俺のツテで山乃端一人の情報をより深く集めようと思う」
『僕も衛と協力して山乃端さんへの監視を強めたいと思います』
電話は切れた。
「山乃端一人が狙われている……山乃端も心配だが、星羅が巻き込まれる事がそれ以上に心配だな……」
翌日、衛と星羅はいつものようにシャーロキアンに来ていた。
星羅はいつも以上に機嫌が良さそうだ。
「どうした、星羅、嬉しそうじゃないか」
「ふふふ、お兄ちゃん、明日、一人さんと一緒に立川にお出かけに行くんだ」
山乃端一人とお出かけ……父から話を聞いた衛と小松川は緊張した。
「え?どうしたの?お兄ちゃん」
「いや、何でもない。そのお出かけに俺も付いていってもいいか?」
「ダメ!明日は2人の約束なの!お兄ちゃんは来ないで!」
直接見守ることは難しい。衛は次善の対応策を考えていた。
「立川駅の近くにお洒落なカフェが出来たみたいで、一人さんがそこに行きたいって言ったから、一緒に行こうって事になって……」
と言いながら、星羅はカフェの店名を言った。衛がWebで調べてみると、確かにお洒落で、男性が入るには少々勇気がいる場所のように思えた。
「という訳で明日はお留守番宜しくね!」
「あ……ああ……」
そこまで星羅に言われては、衛も引くしかない。変に「立川に行くな!」と言えば逆に怪しまれる。
「私は明日の準備があるから、先に店を出るね」
星羅が機嫌良さそうに店を出ていくと、小松川と衛は無線機で周囲に聞こえない位の声で作戦会議を行った。
「……これは少々良くない状況かもしれない」
「監視をしようにも星羅、ベイカー街のメンバーの顔と名前を覚えていますからね」
「とは言え明日、立川で監視し、かつ異常に対処できそうな人員が衛しかいない状況だ。何とかなりそうか?」
「……やるだけやってみます」
衛は決意を固めた。
今日は立川で一人さんとカフェ。
立川駅の改札前は人で溢れかえっている。八王子もこの位賑わってくれればいいなぁ。
早速待ち合わせ場所の目立つ壁面の前に行くと、既に一人さんが立って待っていた。
「ごめん!待った?一人さん!」
「全然?私も今着いたところ」
「よかった!結構混むみたいだから、すぐ行った方がいいかもしれない」
私は一人さんの手を取り、目的地のカフェまで歩いて行った。
カフェは立川駅周辺の路地裏にありながらも、私達が行った時には既に行列が出来ていた。
私達は20分程度並び、ようやく案内された。
「やっと入れたね」
「まぁ、行列必至って書いてあった位だから、20分でも早い方じゃないの?私達の後にも更に長い行列ができているみたいだし」
少し話をしていると、店員さんがメニューを渡してきた。
「星羅さん、ここはアップルパイで有名みたいだから、それを頼んでいいかな?」
「いいと思うよ。あ、私ハンバーガーを食べようかな?」
同時刻、カフェに入った星羅と山乃端を、遠くから変装した衛が見ていた。
(2人は目的通りカフェに入ったか……頼む、今は事件が起きないでくれ……!)
2時間程カフェで話し、私達はカフェを出た。
「結局私もアップルパイを頼んじゃったよ」
「でも美味しかったね」
「うん!」
カフェで出てきた食べ物はとても美味しく、このままずっと居たい気持ちはあったけど、一人さんは用事があるみたいで帰らなければならない時間になったので仕方が無い。
「それじゃあ、私は家電量販店に寄ってから帰るからここでお別れだね」
「またね!」
一人さんは路地の別方向に歩いて行った。
(さて、帰りがけにスマホアクセサリーでも買って帰ろうかな……?)
その時だった。路地の方から一人さんの悲鳴のようなものが聞こえたような気がした。
「一人さん……!?」
慌てて一人さんの歩いた方に行くと、そこには既に一人さんの姿は無かった。
「一人さん!一人さん!」
私が叫んでいると、横からコートを着た男性が私のところに寄ってきた。顔をよく見るとお兄ちゃんだった。
「お兄ちゃん?」
「星羅、山乃端は俺が追いかける。星羅は戻っていろ」
「でも……お兄ちゃん!一人さんが!」
そう言うと、お兄ちゃんは山乃端さんを探しに走っていった。
「お兄ちゃんは戻っていろと言ったけど、帰れる訳がないよ!」
私も一人さんを探しに、立川の街を走った。
私が立川駅周辺を探して5分位経過しただろうか。ファーレ立川付近に一台の不審なワゴン車が止まっていた。
一縷の望みを懸けて、私は一人さんの携帯に発信した。すると、車の中から一人さんの携帯の着信音が聴こえてきた。
私は能力で大鎌を出し、運転手を脅した。
「な……なんだよお嬢ちゃん……」
「一人さんを開放して!」
「お……俺は知らねぇよ!」
運転手は怯えながらその場を去っていった。
「一人さん!今助けるか……」
何かが首に刺さった感覚がした直後、私の意識は飛んだ。
「くそっ!山乃端は一体!」
衛は山乃端を探しに、ファーレ立川付近に来ていた。
「一体何処に……ん!?」
周囲を見渡すと、ワゴン車に何かを積んでいるかのような動きをしている2人の男性がいた。
その積もうとしている荷物が、人に近い大きさだった。
「確証は無いが、怪しいな……」
衛が近づいた時には荷物を積み終わり、車は出発しようとしているところだった。
「時間が無いか……」
衛は発信機を車に投げ、行方を追う判断をした。
「これが手がかりになればいいのだが……」
「……う……う……」
意識が朦朧とする中、私の耳に車のエンジン音が聞こえていた。
手足が動かない。紐のようなもので縛られているみたい。
私の横には一人さんが私と同じく手足を縛られているようだった。
私達、誘拐されてしまったのかな……。
「……一人さん」
私は僅かに声を出したが、一人さんの意識はまだ戻っていないようで、何も返事をしてくれなかった。
運転席の方から数人の男性が話しているのが聞こえた。
「おい、山乃端一人は殺害するって指示じゃ無かったのかよ!」
「あれだけ良い時計を首に掛けているんだ。きっと実家も良いところに違いねぇ」
「誘拐すればきっと身代金を出してくれるって」
「それは良いとしても、連れらしき女まで誘拐する事も無かったんじゃないか?」
「仕方が無いだろ!スタンガンで気絶させてもそのままにしておく訳にはいかないだろ!」
「大鎌を出してきたという事は魔人じゃないですかね、さっきはいきなり脅されてびっくりしたけど」
「こっちは魔人が3人だ。最悪山乃端一人も魔人だったとしても3対2でこっちが有利だ!」
「とにかく、さっさとアジトに戻り、実家を調べようぜ!」
やっぱり私達、誘拐されたんだ……お兄ちゃん……小松川さん……。
私は再び気を失った。
「……星羅さん……無事?」
「……一人……さん?」
私は一人さんに声を掛けられ、目を覚ました。
相変わらず、手足は紐のようなもので縛られているようだった。
「……私は大丈夫」
私はそう話した。車のエンジン音は止まっているようだ。運転席の方にいた男性も今はいない。
「私達、誘拐されたみたいだね」
「うん」
2人で今の状況を確認する。
「しかし、どうすれば……」
「星羅さん、私に考えがある。それで上手く解決するか分からないけど……」
どうやら一人さんには考えている事があるようだ。
「お願い、私にはどうする事もできないから」
「うん!」
「待って、車に誰か近づいてくる。静かにしていよう!」
私は息を潜める。程なくして、ワゴン車の後ろの扉を開ける2人の男性の姿が見えた。
「お願い……!デミゴット!」
一人さんがそう言うと、一人さんの持つ懐中時計が光りだした。
「うわっ!」
「何なんだ!」
驚く2人の男性。そこには男性に襲い掛かる白色に光る猿がいた。
男性を怯ませた後、猿は爪で私と一人さんの手足に結ばれた紐のようなものを切った。
「どうした、蛇浦!阿武隈!」
「雲井さん……こいつ……」
「クソっ!何だあの猿は!」
私と一人さんは立ち上がり、私は手に大鎌を出現させた。一人さんは出現した猿に守られている。
「一人さん、この猿は何?」
「多分、デミゴットだと思う、時計に猿の絵が出ている。前に能力を発動した時は龍が出ていたから、十二支に関係しているのかもしれない」
一人さんの能力は十二支を出現させる能力なのだろうか?いや、悩んでいる場合ではない、今はここからどう逃げるかを考えなければ!
「ともかく、ここで目を覚ました以上、誘拐は失敗だ」
「こうなったら依頼通り殺すしかねぇな……」
「やるしかねぇ!俺はやるしかねぇ!」
さっき怯ませた蛇浦、阿武隈という男性に後から来た雲井という男性が加わり、3人の男性が私達に向かい合った。
少し目を覚ましていた時にしていた会話から推測するに、3人共魔人だと思う。気を付けなければ……!
「~~~~~~~!!!!」
いきなり阿武隈が口を開き、黒板を爪で引っ搔いたかのような不快な音を出した。思わず私は耳を塞ぐ。
そこに雲井が白い紐状の物体を手から飛ばした。私は辛いのを耐え、大鎌を使い紐状の物体の軌道を逸らした。
しかし、雲井はもう片方の腕からも白い紐状の物体を出していた。その先には……。
「一人さん!」
私は急ぎ、一人さんのところへ向かった。だが、阿武隈が不快な音を再び出したせいで、その場に蹲ってしまった。
紐状の物体に縛られる猿。雲井が腕を振り上げると猿は大きく振り回され、一人さんとは遠い場所の地面に打ち付けられた。
「もらったぁ!」
一人さんに向かって走るもう一人の男、蛇浦。手にはナイフが握られている。
グサッ、私には思わずその音が聞こえたように思えた。
蛇浦のナイフが一人さんの胸に刺さった。蛇浦がナイフを抜くと、力を失った一人さんがその場に倒れた。
能力で召喚した猿も、光の塵になって消えていた。
「ひ……一人さん!!」
強い頭痛が発生し、私の意識は暗転した。
私の前に血を流して倒れるお父さん、お母さん。
「お父さん……お母さん……うわぁぁぁぁぁぁぁん!」
その手前には、私の両親を殺したと思われる魔人に覚醒したばかりの中学生が立っていた。
「ひ……ヒィ!こいつはすげぇや!俺の能力マジすげぇ!気持ちいい!!」
私のお父さん、お母さんはこんな奴に殺されたの?
魔人という奴によって殺されたの?
もし、私のお父さん、お母さんが魔人によって殺されたのなら……。
私は魔人という存在を許さない……!
「やったか?蛇浦?」
「俺の能力でナイフに致死性の毒を塗り込む程時間は無かったが、それでも山乃端一人は当分立ち上がれないだろうな」
「後は連れの女だな」
山乃端を仕留め、一旦は安堵する3人の男性。
「……る……ない……」
「な……何か連れの女、様子がおかしくない?」
「……許さない……」
「何なんだよ……こいつ!」
「許さない!」
いきなり叫んだ星羅に、怯む3人。
「焦るな!こっちは3人だぞ!」
阿武隈が先程と同じ様に不快な音を出した。だが、星羅は持っている大鎌を咄嗟の判断で阿武隈に投げつけた。
阿武隈は避けきれずに、直撃ではないものの、大鎌の刃の部分により傷が付いている。
「危ない!……が、大きな傷は受けていない。もう一回、能力が使えれば……!」
阿武隈は口を開き、不快な音を出そうとした。しかし、喉から音が出る気配が無い。
「な、どういうことだ!」
「阿武隈!俺がやる!」
今度は雲井が両腕から白い紐状の物体を星羅に向けて飛ばした。だが、星羅は両腕に1本ずつ大鎌を出現させ、紐状の物体の軌道を逸らせつつ雲井に向けて突進した。
星羅の大鎌が雲井の身体を貫くと、腕から出る紐状の物体は消え、雲井はその場に倒れた。
「ひ……ヒィ!!」
蛇浦は怯えながらもナイフを構え、星羅に向かうが、もはや星羅の敵ではなく、大鎌によって切り裂かれた。
「う……うう……」
「や……やべぇ……」
阿武隈は完全にビビり、背中を見せてその場を去ろうとした。だが、すぐさま星羅が近づき、背中を大きく切り裂いた。
大量に出血し、阿武隈は前のめりになりつつ倒れた。
「……すみません……すみません……!」
僅かに意識が残った蛇浦は、失禁しながら謝罪の言葉を述べた。
それに対し、星羅が口を開いた。
「すみません……じゃないよ」
「ひっ!」
「魔人は存在してはならない存在なの……」
そう言うと、星羅は大鎌の先を蛇浦の傷口に差し込み、ほじくった。
「!!!!!」
余りの痛みに声にもならない悶絶をする蛇浦。
「私の両親は魔人によって殺されたの。だから、魔人は消えるべき存在……」
「!!……やめてくれ……!」
「安心して、残り2人も貴方と同じような最期を遂げるから。気まぐれに貴方から殺そうと思っただけ」
星羅は蛇浦の急所を踏み潰した。
「!!!!やめ……!!!!!」
更に大鎌を握りしめ、蛇浦に向けて鎌を振り下ろそうとした。
「やめろ!星羅!」
突如、星羅の身体に糸のようなものが巻き付いた。
そこには、楽器の糸や弦を自由自在に操る魔人能力『必殺仕事人』で、ギターの弦を操る衛がいた。
「!!!だめ!!!魔人は殺すべき……」
「すまない……星羅……」
そう衛が言うと、星羅の首に巻き付いたギターの弦を強く締め付けた。
星羅はその場に気絶した。
「なんだ……これは……」
現場の余りの惨状に、衛はショックを受けていた。
衛はまず、胸に傷を負った山乃端が生きているか確かめた。
「……どうやら山乃端は生きているようだ」
次に犯行グループの3人も生きているかどうか確認したところ、重傷は負っているものの、3人共生きていることが判明した。
「……救急車を呼びたいところだが、この現場を見られるのは星羅にとってまずい。とりあえず、小松川さんが来てからだな……」
15分後、事件の現場に車に乗った小松川が訪れていた。
「先ほども話しましたが、山乃端が誘拐され、ファーレ立川付近に止まっていた怪しいワゴン車に発信機を付け、追ったところ、星羅が暴走し、犯人に対し暴行を加えていたところを目撃しました」
「恐れていた事態が発生したか……」
恐れていた事態。小松川は6年前に京都で発生した凄惨な事件を思い出していた。
その知らせが小松川の探偵社に入ったのは、夕方の5時頃だった。
当時、小松川の下で働いていた瑞浪俊介が、その連絡を取った時、ひどく動揺した。
「どうした、瑞浪」
「……僕の弟夫婦が、旅行先の京都での事件により亡くなったようです」
「……そうか……」
親族が突然亡くなる。そのショックは計り知れないものだと小松川は理解していた。
「瑞浪、しばらく休め。葬儀の準備もあるだろう」
「それが、電話をくれたのが親しくしている京都の探偵社の桂さんで、小松川さんにも話したい事だと言っております」
「なに……?」
小松川は京都の探偵社に連絡を入れた。
『はい、京都河原町探偵社の桂が受け取りました』
「桂か、小松川だ」
『小松川さんですか?お久しぶりです』
「御託はいい、瑞浪の弟の事故について聞いていないか」
『あっ、その事ですね。少々お待ち下さい』
そう言うと、桂は瑞浪の弟の事件について説明した。
事件は瑞浪の弟家族が、京都のとある寺院を参拝していたところ、たまたま近くにいた修学旅行中の男子中学生が突然魔人に覚醒し、その衝動により弟家族を襲い、弟とその妻を殺害したという、魔人関連事件では稀にあるものだった。
しかし、生き残った娘の星羅が、その際のショックで魔人に覚醒、両親を襲った男子中学生を鎌のようなもので何度も刺し、殺害したという報告が出ていた。
「瑞浪星羅は今どうなっているんだ?」
『両親が殺された時のショックで泣いているばかりですね。男子中学生を殺害した時の事は覚えていないと言っております』
「事件の後処理は」
『星羅さんの行った事があまりにも凄惨な事から、魔人のイメージ低下を防ぐ勢力が今回の事件を、男子中学生が魔人能力でない方法で星羅さんの両親を殺した後、自傷して死んだと隠蔽するつもりがあり、警察も逆らえない状態です』
巨大勢力による事件の隠蔽、それは褒められた事ではないが、星羅の今後を考えると、ある意味良い事なのかもしれない。
「まさか、瑞浪にはそれは話したか?」
『さすがにショックが大きすぎると思いましたので、隠蔽した後の情報を伝えました』
「……そうか……分かった。ありがとう」
小松川は電話を切った。
すぐに瑞浪が小松川の部屋に入り、小松川に意を決するような思いで口を開いた。
「小松川さん、もしかして、弟の事件、隠している事は無いでしょうね」
「……なんだ、瑞浪。別に隠している事は無いぞ」
「僕には分かります。皆さんが僕にショックを与えないように、物事を隠していると」
「……瑞浪、世の中には知らなくてもいい真実もあるぞ」
「それでも、構いません。事件の全貌を、僕に教えてください」
「……分かった」
小松川は瑞浪に、弟の事件の全貌を語った。
「……大丈夫か?瑞浪?」
「……ええ、大丈夫です。小松川さん、僕も探偵ですから。それに星羅を引き取る事は、僕にしかできませんから」
「そうか……」
瑞浪が星羅を引き取り、小松川が探偵を引退する決心をした後、2人は星羅を引き取る為、魔人専門の収容施設へと言った。
「星羅さんの伯父さんですね。私、収容施設で精神分析を行っている一畑と申します。ああ、星羅さんが引き起こした事は知っていますので」
一畑と名乗った男性に、瑞浪は星羅の状況を聞く。
「一畑さん、星羅の状態はどうですか?」
「一時期は両親が亡くなった時のショックで泣きじゃくってばかりでしたが、今は比較的落ち着いています。魔人に覚醒した事についても受け入れているみたいです。ただ……」
「ただ?」
「両親が魔人によって亡くなり、その魔人を惨殺したという記憶を別の人格に封じ込めている節があります。そうですね。両親程でないにしても、親しい人や家族が魔人に襲われる事が起きた際、別の人格が表に出る可能性があります。そうなった時、彼女は再び魔人を決して許さず、惨殺する存在になる可能性は否定はできません」
「……そうですか」
「それさえ気を付ければ、彼女については問題無いでしょう」
星羅の状況を知り、小松川と瑞浪は星羅に荒事から極力遠ざける事を決意した。
「……できれば星羅には平穏な日常を味わって欲しかったが……」
「そうですね……」
星羅の事を思う二人。
だが、小松川はすぐに衛に向けて指示を出した。
「さて、事件の後始末はしなければならないだろう。山乃端はどうだ?」
「急所は外しているようですが、毒を受けた形跡があります。病院に連れていく必要がありますね」
「誘拐犯の3人は?」
「重傷ですが、3人共まだ生きています」
「星羅は?」
「気絶しているだけです。しばらくすれば目を覚ますでしょう」
「まだ別人格が表に出ているかもしれない。気を付けろ」
小松川と衛が事件の事について話していると、星羅の身体が動き出した。
「星羅!大丈夫か!」
「……お兄ちゃん……一人さんは……?」
「山乃端は生きている!」
「良かった……」
星羅の別人格は出ていないようだ。
それを確認すると、小松川は指示を出した。
「衛、星羅の事はお前に任せる。山乃端と誘拐犯の3人は俺がここに残って何とかする」
「かしこまりました。さぁ、星羅、大丈夫か?」
「うん……」
衛はタクシーを呼び、立川駅まで行くよう案内した。
タクシーでの車内。星羅は黙りっぱなしだった。
「……山乃端の事が心配か」
「うん……」
衛は悩んでいた。星羅に山乃端の命が狙われている事を伝えるのは簡単だ。しかし、星羅の事だ。山乃端の命が狙われていると聞けば、山乃端を守ると言い出しかねないだろう。そして星羅の別人格が目覚めると、魔人である山乃端が星羅の餌食になる可能性も否定できない。
どうするべきか……。
「もしかして、一人さんって命を狙われているの?」
「……星羅……」
「一人さんの事ですぐにお兄ちゃんや小松川さんが動くなんて変だよ。何かあるにちがいない」
衛は観念した。
「……そうだ。山乃端は命を狙われている」
「もし私が戦えるのなら、一人さんの命は私が守りたい」
「星羅!確かに山乃端は心配だが、俺は星羅を危険な目に遭わせたくない!」
「……私だって、お兄ちゃんが危険な目に遭うのは心配だから、それはお互い様」
「……星羅」
衛は言えなかった。星羅を戦いから遠ざけているのは、星羅が弱いからではなく、星羅が別人格になった時、周囲への被害が大きくなると言うことが。
その夜、シャーロキアンではベイカー街の緊急会合が開かれた。
参加者は、十数名程。小松川、瑞浪俊介、衛の父子、小説家の八幡、居酒屋店主の勝浦、警察官の鳴海の姿もあった。
皆、ベイカー街の裏の活動、『情報交換の場』という事が分かっている者達だ。
小松川が口を開く。
「諸君、以前から山乃端一人の命が狙われている事は知らせたが、本日、具体的に山乃端が誘拐され、傷を負うという事件が発生した」
どよめく参加者。
「誘拐犯は国分寺の盗賊団の関係者。山乃端殺害の命を受けていたが、現地の判断で山乃端を誘拐し、身代金を受け取ろうとしたことが分かっている」
居酒屋店主の勝浦も話し始めた。
「俺は国分寺の盗賊団以外にも山乃端一人の命を狙う話を知っていますね。それも、一つではなく、複数」
「それは本当か!」
「ええ、新宿でホストクラブをやっている知り合いからも、渋谷で美容院をやっている知り合いからも、池袋でラーメン屋をやっている知り合いからも、別々の話を聞いています」
更にどよめく参加者。
「とにかく、引退した俺が言うのもアレだが、山乃端については俺のツテを最大限使い、協力者を募り、全力で護衛をしたいと思う、皆も山乃端の情報は優先的に集めるように」
小松川は一旦話を切った。
「さて、山乃端一人の事以上に俺達にとって問題なのが、瑞浪星羅の事だ。先程の山乃端の事件に巻き込まれ、彼女が傷を負った際、事件の時に封印した記憶を持つ別人格が目覚めた」
「星羅さん……」
小説家の八幡は悲しい顔をした。
「この事件の後処理については、警察官の鳴海に任せ、できるだけ星羅に害が無いようにするが、既に星羅は山乃端が命を狙われている事を知っている。山乃端に何かがあった際、星羅は間違いなく動くだろう。しかし、それによって、星羅の別人格が再び目覚め、山乃端を殺してしまう事は否定できない」
「小松川さん……」
悲しそうな顔をする瑞浪と衛。
「もし、山乃端の命が星羅によって奪われる可能性が高い時、我々は最悪の選択肢を取る可能性がある事を留意に入れなければならないだろう……」
最悪の選択肢を想像した参加者は、皆黙っていた。
「今日の緊急会合は以上だ。解散!」
鏡助は焦っていた。
確かに山乃端一人が殺される事によって、東京の惨劇を引き起こす可能性がある。
しかし、それと同じ位問題なのは、瑞浪星羅が転校生になる事である。
「あの子が転校生になったら、転校生という存在自体を否定しかねない……!」
山乃端が命を狙われているという情報を、星羅に直接伝えなかったのはこのためだ。
もし、この世界の山乃端が殺されれば、星羅が転校生になる可能性が相当高い。
「山乃端の護衛と星羅への対処、もし私があの世界に行ければ、私自身が行っていたというのに!」
しかし、鏡助の今の状況では、直接的な協力は出来そうもない。
鏡助には星羅の世界の住人の力を信じるしか無かった。