教室の片隅で死体が燃えている。校舎を燃やしたいわけでは無いからしばらくしたら消すつもりだが、今は自己満足のために眺めている。
相手はなんと言ったか。名を口にするのも汚らわしい。ともかく、こいつが私を突き落としたやつだったはず。多分、焼却炉に入れたのも。

もしあの子が今の私の所業を見たらどう思うだろうか。非道に対し怒るだろうか。そのようなことをするなんてと悲しむだろうか。
もし山乃端さんが今の私の所業を知ったらどう感じるだろうか。助けたことを悔やむだろうか。それとも笑って許すだろうか。
どちらにせよ、もう会えることはないだろう。ならば好きなようにやるだけ。
悪行だとはわかっている。だが、自分を殺しておいてのうのうと生きているなんて許せないではないか。
……もちろん、これも言い訳だ。私は私怨で人を焼き殺している。
毒を食らわば皿まで。他にも焼くべき相手はいる。自分が成仏できないのなら、気の済むまでやろう。

焼いた。燃やした。部屋の酸素を燃焼させ酸欠死させたりもした。
一通り復讐を果たした頃にはもう学校そのものが呪われてしまったとの評が立っていた。
当然の結果として、学校は廃校になった。それでも私は生きて(死んで)いる。
復讐が終われば自分も消えるものと思っていたが、成仏することはなかった。
心残りはある、と言えばある。伝え損ねたことがある。委員長と山乃端さんに。

委員長は、真面目で正義感の強い人だった。
物を隠されたとき、代わりのものを貸してくれたり、校舎裏など目立たぬ場所を見回ってはいじめっ子を追い払ったりしてくれた。
お礼を言っても、「いいのいいの、これも仕事だから」とあっけらかんとしていた。
とは言え、私が死ぬ一ヶ月前くらいから学校の行事などで忙殺され、見回りに手が回らなくなっていた。

山乃端さんと出会ったのはそんなときだった。

校外で殴る蹴るの暴行をうずくまって耐えていたとき、突然少女が現れたかと思えば私の手を取り全速力で引っ張っていったのだ。
彼女は誘拐犯でもここまでしないんじゃないかってぐらい引き回し、追ってくるいじめっ子たちを振り切った。

「ここまで来れば、大丈夫かな」

どこだかわからない路地裏で彼女はようやく足を止めた。
つられて私も足を止め、そのまま壁にもたれかかるように倒れ込んだ。
転ばないように無我夢中で走っていたのと、殴打の痛みで私は息も絶え絶えだった。

「なんで、私を、助け……」
「んー? まぁ、見てられなかったから、かな」

私の問いに、あっけらかんと答える少女。何の得も無いだろうに、自分が見てて気分が良くないというだけで手を伸ばしたというのか。
私と彼女は、今会ったばっかりの赤の他人である。それなのに、助けたというのか。
そんなことを考えていると彼女は銀の懐中時計を見て目を丸くしていた。

「いっけない、もうこんな時間。もう行かなきゃ」
「待って、あなたの、名前は」
「山乃端一人。時間無いから、ごめんね。いつかまた会いましょう!」

そう言い残すと彼女は風のように去っていった。
追いかけようと、痛む体をおして立ち上がる。まだお礼も言えていない。路地から出ると彼女の姿はどこにもなかった。
また会いましょう。その言葉通りになったときにお礼を言おう。そう考えながら、私はヨタヨタとふらつきながら家路についた。

……結局、その言葉通りになることは無かったのだが。

私は死んだ。母も心労で死んだ。父は昔からいない。委員長は引っ越してしまったらしい。あのとき手を引いてくれた人はどこの人かもわからない。
全ては変わってしまった。

あの二人にお礼を言いたい。そして謝りたい。それだけが、唯一の心残り。おそらく私が現世に留まってるのはそれが理由。



あれから三年、今日も今日とて棒を取り付けたランタンを持って誰もいないはずの夜の学校を見回る。
たまに命知らずの霊媒師とか除霊師とかがなんか仕込みに来ることがあるのでそれを咎めるためだ。
二階廊下、よし。教室、よし。男子トイレ……あんまり入りたくはないけど、よし。
女子トイレ……ふと鏡を見ると短髪スーツ姿の男の姿が。反射的に鬼火を押し当てる。端正な顔が鏡ごと溶けていく。
誰の差し金かはわからないがこれでとりあえず一安心。

「血の気が多すぎますねぇ」

隣の鏡から聞こえてくる男の声。一安心でもなんでも無かった。ヒュッと声を上げつつも鬼火を構える。

「まぁまずは落ち着いて話を聞いてください」

鏡に映る男は、害意が無いことを示すため両手を上げている。
それを見て私も大きく息を吸い(死んでいるので格好だけ)、鬼火を消して両手を下ろした。

「宵空あかねさん、でしたね」
「会ったこと無いはずだけど、なぜ私の名前を?」

今の姿になって以来、人前に姿を見せることはめっきりなくなった。現すとしたら目標が焼けたのを確認するときぐらいである。
つまり、この三年間で初めて姿を見た者ということになるが、なぜか一方的に知られている。これはまずいかもしれない。

「こちらとしても、色々調べる方法はありますので。山乃端一人という人物を知っていますか?」

その言葉に更に驚かされる。確かに会って感謝と謝罪を伝えようと思っていた人物ではあるが、なぜそれを。
言おうか戸惑っているうちに思いもよらぬ言葉が続く。

「彼女は今、ありていに言って命を狙われています」

畳み掛けられる情報に頭がクラクラしてきた。手のひらを前に突き出し、話の中断を訴える。

「ちょっと待って。話の展開が早すぎるわ。いろいろ聞きたいことはあるのだけれど……」
「何でしょう?」
「そもそも、あなたの名前は?」

男はそういえば、といったように手を打つと大仰に一礼した。

「これは失礼。(わたくし)は鏡助と申します。以後お見知りおきを」
「それで一体、私に何の用なの?」
「えぇ、それはですね……」

長くて回りくどい言い回しだったが、要するに山乃端さんの命を狙う一派がいて、彼女に縁のある私に護ってもらいたい、と。

「要するにそういうことでしょう?」
「そうですね。正確には私ではなく、私のクライアントの要望ですが」
「何のために……と言っても知らないんでしょうね」
「はい。(わたくし)はメッセンジャーに過ぎませんので……」

とはいえ、これは心残りを果たすチャンスである。
なぜ彼女がそんな事になってるかはわからないが、向こうは彼女の状況を知るだけの手立てがあるということだ。ならば。

「なら、山乃端さんを護る代わりに、私のお願いを聞いてもらえますか?」
「そうですね……。こちらが出来る範囲なら」
「私が生前お世話になった委員長を探してほしいの。私が死んで三年だから……18,9くらい?」
「なるほど。お名前は?」

そう言えば、委員長とばかり呼んでいて、ついぞ名前を口にしたことがなかった。でも名前は覚えている。

「かな。夢宮かな。もうひとり私の恩人」

その言葉を聞いて男は頷く。

「了解しました。こちらで調べておきます。無事護り切れたら調査結果をお伝えしましょう」
「そう言えば、具体的にはどうやって護ればいいのかしら」
「話は簡単です。彼女を狙う魔人を倒してください。生死は問いません」

確かにわかりやすいが一つ問題がある。

「どこにいるかわからないと対処の仕様がなくない?」
「幸い、場所はつかめてます。あかねさん、すぐ出られますか?」

そう言われて、自分の持ち物を確認する。右手にランタン、左手に鉄棒。それが今の私の持ち物の全て。

「うん、問題ないけど」
「では鏡に触れてもらえますか? 現場近くまで送りますので」

意味のよくわからないままに鉄棒を握った左手を鏡に触れさせる。
次の瞬間、ずるりと鏡に引き込まれた。怪奇現象が怪奇現象の餌食になるとか冗談じゃない。
そんな馬鹿げたことを思いながら、私は意識を手放した。


ふと気がつくと私は夜の路上に放り出されていた。身体のない幽霊の身でアスファルトの上に転がされるとか想像もしなかった。
身を起こし振り向くとそこにはカーブミラー。多分そこから排出されたのだろう。

「無事目的地に着きましたね」
「いたいけな少女をアスファルトに叩きつけるのを無事と言うならね」
「霊体ですし、ダメージなど無いのでは?」
「まぁそうなんだけど」

馬鹿馬鹿しい問答だったと思いながら身体を起こす。右手のランタンと左手の鉄棒は無事だ。
しかし、命を狙っている魔人がいるという情報以外は何も得ていない。どんな魔人かも。
戦闘準備のため、ランタンに鉄棒を固定しながらカーブミラーに向かって問いかける。

「それで、ターゲットはどこにいるの?」
「ターゲットの近くまで送りましたので探せばすぐ見つかると思います」

そんな曖昧な、と思いながらあたりを見回す。
遊具もろくに無い、寂れた公園に男が一人、腕を組んで満足そうに笑っている。

「よーしよしよし。準備は整った。あとは苗床に移し替えるのみ」

明らかに不穏なことを口走っている。十中八九当たり(ビンゴ)だろう。

「まさかその苗床っていうのは、山乃端一人って名前じゃないでしょうね?」
「その通りだが……何者だ?」
「通りすがりのものだけど、聞き捨てならない単語を聞いた以上、無事に帰すわけにはいかないわね」
「それはこっちのセリフだ。この鳶蔦絡目(とびつたからめ)を止めようって言うならその代償に前菜代わりになってもらおう!」

彼が指を鳴らすと、四方の草むらから蔦が伸び、あっという間に両の手首足首を拘束される。

「あっ、ちょっと、何すんのよ!」

ただの植物にしか見えないがガッチリと固定されてしまっている。霊体と言えど、魔人の力なら干渉可能らしい。これは想定外。

「何って、そりゃうちの子の糧になってもらうわけだが。どれだけ搾り取れるか、試させてもらおうじゃないか」

そう言うと彼の背後から複雑に絡み合ったうねうねしたものが這い出してくる。
何をされるかはわからないが、ろくでもないことだけはわかる。

(まずいまずい、逃げなくっちゃ!)

念じることでランタンから飛び出した火球を蔦にぶつけ、焼き切って拘束を逃れる。
同時にランタン付き鉄棒を引き戻し、間合いを取るように構える。

「へぇ、君も魔人だったのか。それも火使いの。なら生かして帰してはおけないな」
「そっちは見たところ植物使いだし、馬鹿げた考えをしたことを地獄の炎の中で後悔させてあげるわ!」

おそらく主力は這い出してきた植物とも触手ともつかない謎物体。
これを焼き払えば勝ったも同然。簡単な仕事。
蔦を焼いた勢いそのままに、触手の束にぶつける。

ぶじゅ、という音とともに火球が消える。火力を上げてなかったとは言え触手の一本をちょっと削ったぐらいで消えるとは。

「嘘、なんで!?」
「甘いね。こいつは水分がたっぷり含まれている。やわな火なんざものともしないぜ」

冗談じゃない。追加で何個か鬼火を放つも、ことごとく触手に阻まれる。
出来たての鬼火では火力が足りない。時間を稼がないとどうにもならない。
ちら、と横を見ると公衆トイレ。ならば。

「三十六計逃げるに如かず!」

素早く女子トイレに駆け込む。ランタンを持っているので壁はすり抜けず、直接足で。

「自分から密室に逃げ込むとは愚か極まるな。追って捕まえろ」

トイレは電灯がついてないタイプのものだった。あったほうが楽ではあったやりようはある。
個室に鍵をかけ、ついでに棒を立てかける。入口の方から重たいものが這いずる音が聞こえる。
私の魔人能力、午後四時の校舎に差し込む夕日(ギルティカラード・サンセット)は一切の触媒を必要としない。
ランタンを持っているのは鉄棒を熱して物理的武器とするだけでなく、それが触媒と誤認させるためでもある。
ドズン、ドズンと扉を打ち付ける鈍い音が聞こえる。そろそろ頃合いだろう。

(じゃあね、触手さん。誰もいないトイレで無為に暴れてなさい)

するり、と壁をすり抜け外に出る。物陰から相手の動きを確認する。

「さて、そろそろ捕まった頃かな。さんざん嘲笑ってやるとしよう」

彼がトイレに入ったのを見計らって公園に一本だけある電灯に鬼火を宿す。
蛍光が夕日色に染まり、光の当たるところが熱せられていく。

「何だ? どこにもいないじゃないか。しかも武器まで放棄してやがる。いくらなんでもここから出られるとは思えないが……外か?」

私がいないことに気づいたようだ。しかし十分加熱されるまでもうちょっと時間が欲しい。
男子トイレ側へ壁越しに入り、掃除用具入れのバケツをガランガランと鳴らす。

「ちっ、あっちか! 急ぐぞ」

外へ抜け出て他に明かりを探すが他には見つからない。ここで決着をつけるより他ない。
ふわりと浮かび、電灯に腰掛ける。幽霊となってからは暑さ寒さは感じないが、暖まってきていることは感覚でわかる。

「畜生、どこ行きやがった……! それに、なんだか暑くなってきたな。今は冬だぞ」
「おーにさーんこーちら、てーのなーるほーうへ」

手拍子は打てないがノリで呼びかける。

「なっ、お前、いつの間に!?」
「私ぐらいになるとこういうことも出来ちゃうのよね」
「ちっ、あの生意気なガキを捕まえて叩き落とせ!」

草むらから蔦が再び伸びるが、私に届く前に燃え尽きる。十分暖まりきった。もはやここは私の領域。

「何っ!?」
「ほらほら、ぼーっとしてていいのかしら? お友達が干からびていくわよ?」

触手が大汗をかくように水分を放出している。それと同時に少しずつしおれてきている。

「何をしやがった……!」
「何って、あなたが見た、というか感じてる通りよ。まぁあなたも同じようになるのだけど」
「クソっ、覚えてろよ!」

公園の入口に向かって逃げ出すが、そうは問屋が卸さない。鬼火をいくつも投げつけ文字通りのファイアウォールを作り進路を塞ぐ。
触手はもはやパリパリに乾き、ボロボロに崩れ去っていた。

「くそっ、一体お前は何なんだ! ただの通りすがりだろう!?」
「確かに通りすがりだけど、私の恩人を苗床にするって聞いたら、ね」
「わかった、わかった。アイツは狙わないから、見逃してくれよ。なぁ?」

ふと、委員長が初めて私のことを庇ってくれたときのことが去来する。
止めに来た委員長に殴りかかろうとした奴は、腕を極められ絞め上げられてたっけ。
そして、彼と同じことを言って見逃してもらっていた。
当然いじめをやめるはずもなく、それ以来委員長を見ると歯向かう代わりに逃げるようになった。

「……そう言われても信用できないの。だから、確実にしなくなる方法を取らせてもらうわ」

電灯についていた鬼火を手元に引き寄せ、投げ落とす。

「待て、許してくれる流れじゃないのか!」
「私は許されなかったんだもの。他人を許す道理なんて無いわ」

鬼火が彼を追い回す。逃げ道を塞ぐように鬼火を追加していくうちに、火が彼の服に触れて燃え移る。
熱い、とか苦しい、とか叫んでいるが私の知ったことではない。
そのうち力尽きて倒れ、動かなくなり、火が身体すべてを覆う。

「……はぁ、なんとかなったぁ」

魔人だったものを包んで炎が爆ぜる。
命を奪っても良かったのだろうか。いや、今までも私は命を奪ってきた。今更な話である。
これで山乃端さんに会えるという思いと、こんな自分が会っていいのかという思いが交錯する。
それに今の私は幽霊で、驚かせてしまうかもしれない。なんと説明したものか。
ふと公園の入口の方を見ると、銀の懐中時計を腰に提げた女性が歩いていた。
あれこそきっと山乃端さん

「あわわ……」

慌てて遺体を焼いていた鬼火を消し、彼女の方へ向かおうとしたところで身体が固まったように動かなくなる。
言いたいことはあったはずなのに、言葉が出てこない。何にも縛られていないはずなのに身体も動かない。
理性が感情を引き止める。逡巡している間に通り過ぎてしまう。声もかけられぬまま。
やっとのことで体を動かし、道路へ出たものの、もはや影も姿も見当たらない。

「お疲れさまでした、宵空あかねさん」

と近くのカーブミラーから鏡助の声がする。
なにはともあれ、依頼は果たしたのだ。私には報酬を要求する権利がある。

「これで、阻止できたのよね。調査の約束――」
「いいえ」

降りかかる無慈悲な否定。
心の動揺が言葉をついて出る。

「なんで、どうして!? ちゃんと、やっつけたのに!」
「まぁ、落ち着いて話を聞いてください」

むぅ、と頬を膨らませながらぐっと堪える。
鏡を溶かしても何らかのダメージを与えられていない以上、私からは何をしても無駄だろうし。

「山乃端さんを狙っているのは彼一人ではありません」
「嘘でしょ……」
「こちらも貴女のような対抗できる人たちを手広く募っています。彼ら彼女らと協力して、敵対勢力を全て討ち果たしてください」

つまり依頼は道半ば、というかただの手始めに過ぎなかったということか。
他にも仲間がいるというのは頼もしい情報だが、それだけたくさんの敵がいるということ。
気が重くなるが、逆に言えばその間に伝えたいことを考える時間もあるということ。

「……いいわ、こうなったらとことんやってやりましょう。一人も十人も同じこと。彼女を害すると言うなら私が許さない」
「ええ、こちらもお望みの情報を調査いたします。今回の件が終了しましたらお伝えしますね」

こうして、私の長い冬は始まった。その先に明るい春の日差しがあると信じて。


「ふむ、夢宮かな……。あかねさんの調査をしてるとき、新聞記事でその名前を見かけた気がするんですよね。再調査ですかね……」

まだまだやることはたくさんあるのに、とぼやきながらスーツ姿の男は鏡から姿を消す。
最終更新:2022年01月31日 06:35