冬休み直前、師走も半ば。
ここ姫代学園も、年内に残した行事は終業式のみ。今日も一日の授業を終えた生徒たちが、三々五々帰途につく。
そんな放課後の校門前を、二人の女生徒が駆け抜ける。
「おい待て愛莉ぃー! 今日という今日は許さないんだから!!」
「いいじゃん! そのバッグ、ちゃんと可愛さ重視でカスタマイズしたんだぜ!!」
「まず他人のバッグを勝手に改造するなっつってんだよ!!」
追いかけている女生徒が、バッグの持ち手を強く握る! すると、くぐもった音と共にサイドポケットから催涙グレネードが勢いよく飛び出した!!
「やっべぇ!! ヒトリのやつ、早速それ使いこなしてるじゃん! 回避回避ぃー!!」
愛莉と呼ばれた女生徒は放物線を描いて襲い掛かるグレネードを躱し、更に逃走を図る。地面で炸裂したグレネードの煙が、下校中の一般生徒達を阿鼻叫喚の地獄に陥れたのはご愛敬だ!!
だがしかし―—
「愛莉! いい加減に……」
「はぁ、はぁっ……もう……げ……限界……」
「息切れ早っ!!」
追っていた方の女生徒、ヒトリは程なくして愛莉を捕まえる。
「ったく、愛莉。あんた魔人じゃなかったっけ? 私より体力ないってどういうことよ」
「うるせー……。あたしのステは……INT全振りなんだ……よ」
「やってることはバカ丸出しだけどね」
ヒトリの言うとおり、愛莉は勉強が出来るバカだった。学園きっての天才天災マッドサイエンティスト。研究に没頭しすぎて、遅刻サボりは当たり前、校内の備品を勝手にカスタマイズしたり、同級生に怪しい薬を飲ませて発光させたりの問題児。それでいて、成績だけは上位一桁から落ちたことが無いので教師陣もあまり強く注意できないのである。
だが、そんな愛莉にも全く遠慮がないのがヒトリこと山乃端一人。彼女は、愛莉の暴走をちゃんと叱ってくれたし、一緒に謝ってくれたことも数知れない。愛莉は、そんな彼女の人となりを気に入っていた。
「だいたいなー、ヒトリが変な夢見て不安がってたからあたしがわざわざ骨を折ってやったんだぞ。いざって時の護身セット」
「そ、それはそうだけど……」
数日前、ヒトリは不吉な夢を見ていた。黒いフレームのスタンドミラーの向こう側にスーツ姿の腰の低い男。鏡助と名乗ったその男は、ヒトリに命の危機を知らせていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「山乃端一人さん。近く、貴方の命を狙う者たちが現れるでしょう。こことは別の無限に広がる並行世界の果て。彼の地から訪れる殺意全開の刺客が、よってたかって貴方を殺しに来るのです」
「いや、なにいきなり怖い。鏡越しに不吉なこと言う太郎かよあんた」
夢の中に現れた唐突な不審者に警戒感をあらわにするヒトリ。
「すみません、僕の名前は鏡助と言います」
「鏡助だかソウスケだか知らないけどさ、これ絶対夢だよね。メーセキ夢ってやつ?」
「確かにこれは夢です。しかし、夢だとバカにしてたらマジで秒殺されます。これは現実の危機なのです」
「鏡助さん、私命狙われる筋合いがないんですけど」
ヒトリの問いかけに、鏡助は内ポケットから一つの懐中時計を取り出した。
「!! これって……私の……?」
それは銀色に光るアンティークな懐中時計。ヒトリが肌身離さず持っているものと瓜二つ。ヒトリも、ポケットから同じ形の時計を取り出す。
「これが貴方の狙われる理由です。山乃端一人さん。あなたは、何故その銀時計を、肌身離さず持っているのでしょうか?」
「それは……」
考えたこともなかった。それがまず第一の違和感だった。私はこの時計を、いつ誰にもらったのかすら覚えていない。なのに私は何で、この銀時計を肌身離さず持っていたんだろう……。何故か、ずっと持っていなきゃいけない気がしていた。これを手放した時、私の中で決定的な何かが変わってしまう。今思えば無意識のうちにそんな予感があったのだ。
鏡助はヒトリと同じ形の時計を、彼女の目の前に突きつける。
「この時計はこことは違う、僕の世界での山乃端一人の形見です。彼女は、僕の世界ではプロローグ開始1行目で秒殺されてました。数ある並行世界でも、大体同じ運命をたどっています。そして、その死がトリガーとなり『終わり』が『始まる』のです」
「何なのよ。この銀時計完全に呪いのアイテムじゃないの。起きたら速攻で捨てなきゃ」
「駄目です。その銀時計とあなたは表裏一体。それを捨てれば、型〇作品とかによくある胸糞デッドエンドルートまっしぐらです。具体的にどうなるかは、僕にも想像はつきませんが」
「何よそれ! 私完全に詰んでるって事じゃない!」
ヒトリが声を荒げる。唐突に降りかかるこの理不尽な運命は、彼女にとって、いや、誰であろうと到底受け入れ難いものだった。
「いいえ、少なくともこの世界では僕の警告が間に合いました。まだ希望はあります」
「希望……?」
「一人でも多くの味方を作るのです。この残酷な運命を打ち破るには、大きな流れを作る必要があります……」
鏡が揺らぐ。鏡助の輪郭がおぼろげになってゆく。あっ、やばい目が覚めそう。
「ち、ちょっと待って! まだ聞きたいことが……」
「……うか、正しきものが……命を……れるように……」
「生還ヒント雑過ぎんだろ! ふざけんなばかー!」
ヒトリは布団をひるがえし跳ね起きる。身体は強張り、全身が汗でびっしょりだった。
「ああっ……くそ! 何……なのよもう……」
◆ ◆ ◆ ◆
この不吉な夢を見て数日、ヒトリの周辺に異変は見られなかったが、それが逆に彼女の不安を煽った。味方を作れと言われたって、どうすればいいのか見当もつかない。たまらず夢の話を愛莉に打ち明けたが、いざとなったら、彼女を巻き込むわけにはいかない。
胸に黒く澱んだモヤモヤを溜め込みながら、ヒトリは憂鬱な日々を過ごしていた。
「ヒトリ、また思いつめてんじゃねーか?」
愛莉がヒトリの顔色を窺う。また不安が顔色に出ていたらしい。
「大丈夫よ。あんな夢、信じてないし」
もちろん、そんな強がりは即座に見抜かれる。
「心配すんなって、あたしが付いてる以上、何があろうとヒトリを死なせたりしねーし! そんなワケワカンネー刺客なんか、まとめて実験材料にしてやっからさ」
そう言って、男子小学生みたいにシャドーボクシングを始める愛莉。こいつ、普段は天災クソガキ娘のくせに、こういう時だけやたら頼もしく見える。ホントずるい。自然とヒトリの目頭が熱くなる。
「無茶しないでよ、あんた私より体力ないんだから」
「そこは大丈夫。ヒトリが隠し持ってるチョコマシュマロですぐに回復するから食べさせてくれー。はよはよ」
「目ざといな! 全く、仕方ないから餌付けしてやろう」
夕暮れの河川敷で、二人の笑い合う声が響いた。
「まーとりあえずしばらく、登下校はあたしが付き添うから―—」
ふと、前を見て気付く。沈みゆく夕日を背に、ガタイの良い一人の男が二人を待ち構えていた。全裸で。
「!!?」
二人は揃ってギョッとする。何かの間違いかと思い、二度見する。間違いなく全裸。すぐに後悔した。ちょっと待って? これが刺客? というか刺客かどうか以前に非の打ちどころのない変質者なんだが?????
「やあ! 君が山乃端一人ちゃんだね! 僕は殺し屋、印度ペニ蔵! 恨みは無いけど死んでもらうね!」
「ぎゃああああああ!!!!」
「きゃあああ!! 変態変態変態ぃぃぃ!!!!」
二人は思わず声を上げる。全裸男の爽やか口調が生理的嫌悪感を増幅させる!
どこぞの刺客に命を狙われてるのは知ってた。でもこんな変質者が殺しに来るとは聞いてない!
「はいっ!」
掛け声とともに、変質者ペニ蔵は上体を反らせ、そのまま後方の地面に手を付ける!
股間を見せつけるようなブリッジの態勢に、ますます二人は混乱する!
「うおおおおおおお!!!!!」
ペニ蔵が気合を入れると、その身体が膨張し変化を始める。特に股間はその変化が著しく、次第に象の顔へと変わってゆく!!
「魔人能力者!?」
「最悪すぎる動物系じゃねーかバカヤロー!!」
気が付くと、二人の前方には体長6メートルほどのインド象が立ちはだかっていた。そう、この変質者は発動する度に服を駄目にしかねない異能の為、あえて全裸になっていたのだ!! 断じてJKに裸を見せつけてその悲鳴で興奮するロリコンなどでは無い!!
「ハハハハ! 興奮してヤりすぎちゃったらごめんね! なるべく綺麗に泣けるよう踏み潰してあげるから!」
前言撤回。こいつそれ以上のロリコンサイコリョナラーだったわ。
「イクよっ!! 進撃のチンチン電車道! 出発侵攻!!!」
ペニ蔵は二人に向かって勢いよく駆け出した。変身してなきゃ『ブリッジしながら股間を押し付けてくる全裸男』という絵面になる最悪の突進だ!
「ヒトリ! 逃げねーと……!!」
「だ……駄目、足が竦んで……」
インド象の巨体が愛莉とヒトリの目前に迫る! 轢死寸前、まさにその時!
―—ゴッ!!
「あ痛ッ!!」
突如ペニ蔵が、固い壁に激突する! 顔面(股間)を強かに打ち付け、ペニ蔵は悶絶した!!
「悪ぃな、あたしの研究所、結構丈夫なんでね」
二人が居た場所には、コンテナハウスのような建造物が現れていた。その広さおよそ10畳、これぞ徳田愛莉の魔人能力、強化改造用カプセルラボラトリー【アイリ・ラボ】である!
「くぅ~っ! き、君たち、中々やるじゃないか……」
地団駄を踏むペニ蔵。巨象の地響きが研究所に響き渡る!!
研究所の中では、ヒトリが不安そうに外の様子を伺う。
「これで……やり過ごせそう?」
「いや、初撃を躱しただけだ。いくらあたしの研究所でも、インド象の突進を何度も受けたら、いずれ破られる」
「ど、どうしよう! 何とかして逃げないと……」
「大丈夫、外の1分はここの1時間だ。あと3時間くらいなら持つだろうよ。その間に、反撃用の武器を『開発』する!」
「か……開発って……?」
「まあこの短時間でゼロから武器は作れねーな。ヒトリ、バッグ貸して。これを更にカスタマイズする!」
愛莉はそう言うと、ヒトリの改造バッグを受け取り、設計図の作成に取り掛かる。
「くっそ……材料の備蓄もあんま無いな。補充しとくんだったぜ」
◆ ◆ ◆ ◆
繰り返し研究所に突進を試みるペニ蔵。度重なる衝突による股間のダメージは無視できないものだったが、その甲斐あって、外壁は大きくひしゃげ、破られる寸前までいっていた。
「パオパオー!! 手こずらせてくれたが、これでおしまいだぞう!!」
ペニ蔵が最後の助走をつけるために後ずさる。すると突然、研究所の扉が内側から開いた!!
「おしまいなのは、てめーの方だよ!!」
「覚悟しなさい!! 変質者!!」
飛び出してきた愛莉とヒトリが啖呵を切る!!
「ハハ!! プロの僕と戦うつもりなのかい? とてもいい度胸だよ!!」
「抜かせ!! てめ―如き三下、あたしの開発した新兵器で……新……へい……」
ドグシャア!! 立ち眩みを起こし、顔面(顔面)から勢いよくぶっ倒れる愛莉!!
「えっ!? 愛莉……、ちょっと大丈夫!?」
「だ……駄目だわ。突貫工事で……兵器開発したから、疲労困憊で……」
「待って待って、この先の展開嫌な予感しかしないんだけど!!」
「おうクソ変質者!! あたしに代わってヒトリがてめーに引導を渡してやっからな!!」
「やっぱりー!!!???」
なんで命狙われてる方が前衛張らなきゃいけないんだろう。そんな疑問が頭をよぎるが、すぐにヒトリは腹をくくる。どのみち、この状況を切り抜けるには、あの変質者を倒さなくてはならないのだ。
「そうだよね。愛莉はあんなに頑張ってくれた。私も命張らなきゃね!」
ヒトリはバッグを構え、インド象と対峙する。怖くないと言えば嘘になる。だけどそれ以上に、ハッキリと分かる。この引き金を引けば、必ず勝てると。だからこそ、愛莉は体力の限界までこのバッグを改造したんだ。
「イクよっ!! 進撃の——」
「させるかあっ!!!!」
ヒトリはバックの取っ手を強く握り込む!! すると同時に3発のグレネードがバッグから射出される!!
「パオッ!?」
標的を囲い込むような軌道で、3発のグレネードが飛翔する!! グレネードはペニ蔵の足元で炸裂し、赤煙が噴き上がる!! スコヴィル値1000万超、対魔人用激辛カプサイシングレネード!! 激突で傷ついた顔面(股間)に浴びれば、どうなっちゃうか分かるよね? お察し下さい。
「あんぎゃあああぁぁぁぁpヴぁgmbxxdろsA'D{V''@!」
熱さと痛みでペニ蔵は激しく悶絶し、瞬く間に変身が解ける!! 向こう数日は排尿も射精も苦痛だろう!! あんま想像したくないぞ!!
「い……今だヒトリ!! バッグを投げつけろ!!」
うつ伏せのままの愛莉が合図を出す。ヒトリは言われた通り、全裸の変質者にバッグを投げつけた!!
すると、バッグが網状にほつれて広がり、ペニ蔵の全身を包み込むように捕らえる!! そして網の縁に備え付けられた自動アンカーが地面に刺さり、ペニ蔵の身体を固定した!!
「あが……が……」
「ナイスヒトリ……! 変質者を捕らえてやったぜ……」
「やった……やったよ愛莉!」
緊張の糸がほぐれ、ヒトリはふらふらとした足取りで、愛莉の方へと歩み寄る。
「あ、愛莉ぃ……! 怖かった、怖かったよぅ……!! うわああああああ!!」
ようやく頭を起こした愛莉に抱きつくヒトリ。大粒の涙がぽろぽろ流れる。無理もない。敵は本気の殺意を向けて来ていた。昨日まで普通の女子高生だったヒトリにとって、ぎりぎりの死線を潜り抜ける恐怖感は、計り知れないものだった。
「大丈夫、大丈夫だから。あたしがいる」
「うん、うん。そうだね……愛莉ぃ……」
愛莉は泣きじゃくるヒトリを優しく抱きしめる。やっぱ愛莉はずるいよ。戦ったのは私のはずなのに、確かに私は愛莉に守られていた。巻き込みたくは無かったけど、私が生き延びるためには愛莉がいなくちゃ駄目なんだ。ヒトリは愛莉の腕の中で、そんな確信めいた思いを抱いていた。
遠くからサイレンの音が聞こえる。研究所の中で予め110番通報しておいたので、間もなく警官が現着するだろう。とにかくこの状況だ。警察の手も借りなきゃいけな——
「!? ちょっと愛莉……あれは……?」
ふと見渡したヒトリの視線の先、川沿いの遊歩道に、横たわる通行人が見える!! それも1人じゃない!! 2人、3人、その奥にも!!
飼い主と散歩していた黒柴も痙攣しながら泡を吹いている!! わんこかわいそう!!
「や、やべー。あれ多分、煙吸った奴ら……かも?」
そう、遊歩道はここから風下!! グレネードから拡散した赤煙が、風に乗って通行人を襲い、遊歩道を死屍累々の地獄絵図に塗り替えていたのだ!!
「あら~? やっぱブート・ジョロキアの10倍の辛さはまずかったか?」
「明らかにやりすぎだろ!! 御覧の通り大惨事じゃん!!」
ちなみにタバスコ換算にすると実に2,000倍以上の辛さ! 良い子は絶対真似しちゃだめだぞ!!
愛莉はしばしの考えの後、結論を出す。
「よし……逃げるぞ! ヒトリ。すぐに警察がくる!」
「ちょっと! あれどうすんの!?」
「大丈夫だ。至近距離で吸ってない分復帰は早いはず……。それにヒトリだって既に実行犯になってるんだぜ!!」
「くっ……!」
どう考えても言い逃れのできない状況!! 下手すれば無差別テロリスト認定を受けてもおかしくない!! 二人はお互いに顔を見合わせ頷く。そして一斉に駆け出した!! サイレンの音と逆方向へランナウェイ!! ファーラウェイ!!
「あぁもう!! 何でこうなるのよ!! 愛莉のばか~!! 私の涙返せ~!!」
「ヒトリの命を救ったんだから実質プラマイゼロな!! そーゆー事にしとけ~!!」
「うるさ〜い! ついでにバッグも弁償しろ〜!!」
―—後日、原因不明のガス漏れ事故と、局部露出の変質者逮捕のニュースが、お茶の間に流れましたとさ。
◆ ◆ ◆ ◆
「どうやら、想定外の邪魔が入ったようですね」
「……」
「おっと、勘違いしないでいただきたい。あれは我々にとっても想定外でした。仮に我々であったならば、もっとスマートに事を運びます」
「……」
「彼女はあの姫代学園の在校生。ペニ蔵を撃退したのは、恐らく彼女の元々の味方。ほぼ間違いなく能力者でしょう。あの変質者は際立って強くはないが、非魔人の女子高生1人で撃退できるほど弱くもない」
「……」
「契約はまだ生きております。貴方自身が動かぬ限り、協力はいたします」
「……」
「はい、今度はこちらの子飼いから一人、派遣いたしましょう」
「……」
「それではごきげんよう、『転校生』様……」