唸る暴風。叫ぶ稲妻。伏魔殿は今、混乱の最中にあった。
突如、円卓列強の若き英雄『アインス』が奇襲を始めたからだ。
白く輝く髪。碧く光る鋭い眼光。一見すると細腕の乙女だが、右手に握る両刃の剣で立ちはだかる強者達を次々と打ち負かしていく。
場所は、狭く入り組んだ城の連絡用通路。二足歩行する虎が、出会い頭に刺股を突き出した。アインスはその刺突を左に避けて躱すと、すれ違いざまに男の顎を蹴りつける。
膝折れる虎男の背後から、複数の足音と奇声が響く。既に居場所は割れているらしい。牛の頭部を持つ大男が、通路の横幅一杯に両腕を広げて迫ってきた。アインスを捕らえるつもりなのだろう、その後方には、蛇の下半身を持つ妖艶な女も控えている。全体が筋肉で出来た特大の縄、牛男をいなしても避けられない二段構えの攻防だ。
アインスは二人の姿を認めると石畳を踏み、急停止した。腰を限界まで捩じり、剣を下から振り上げんとする迎撃の姿勢に、一瞬身構える牛男。
彼我の距離は五歩。だが次の瞬間、剣戟は躊躇なく放たれた。
「"王技"――"猪突"・"一閃"!!!」
突如炸裂する爆発音。それに続く振動。
迎撃は虚仮威し。直前に刃の向きを変え、彼女は石煉瓦の壁を強かに斬りつけたのだ。如何に名剣とはいえ無謀な行為、けれどもその輝きに曇りは無い。石を積み重ねた堅牢な筈の通路には、今や真新しい出口が用意されていた。
「邪魔をしないで!」
穴の先は城の中庭に繋がっていた。アインスはたじろぐ牛男も蛇女も置き去りにして、突風のように城内を突き進んでいく。
上空から鉤爪を伸ばす鳥兵に、去り際に拾っておいた石壁の破片を投げ付ける。
武器庫の扉に火を放った。慌てた烏賊の番兵を抱え持ち、手近な水路に放り投げる。
屈強な猫の老兵が――居眠りをしていた。その側をアインスが駆け抜ける。事前に送りつけたマタタビ酒の匂いがした。
純粋な身体能力において、伏魔殿の猛者はアインスよりも強い。だが彼女は自身の長所を、その技と策略を磨き抜いてきたのだ。城の百獣警備隊が総力を挙げてかかるも、次々と躱され、いなされ、転ばされてしまう。進撃を赦してしまう。
英雄の足が、遂に本丸の床を踏み付けた。ところがここに来て、アインスの脳裏に疑念がもたげる。
(ここまで警備隊ばかりじゃないの。"幹部"はどこへ行ったのかしら?)
『白き花の騎士』、『天の御使い』、『剣姫』。少々こそばゆい感じはあるが、これらの異名を付けたのは他ならぬ伏魔殿の者達なのだ。アインス自身、そう呼ばれるだけの実力はあると思っていた。
その彼女が殴り込みをかけたのだ。いくら何でも、警備が手薄過ぎはしないだろうか?
「…違う!居る、待ち構えているなっ!?」
アインスの声に呼応するかのように、足元の床が崩落した。それは石畳に偽装した亀兵達。息を潜めて互いの手足を絡ま合い、下階に続く吹き抜けの階段を隠していたのだ。ばらばらになった亀が気の抜けた声を出す。
「あイんすサマァ、いぃちめぇ~ゴあンなイ~」
「ぐぬぬ!」
三秒にも満たない僅かな時間。およそ七階分の高さから落下したが、彼女はマントを翻すと難なく着地した。
眼光鋭きその瞳が、日の差さない地の奥底を射抜く。無数に灯された蝋燭、蠢く影、岩盤を円形に掘ったエントランス・ホール。
そして、
「かんらからから!見事じゃ、見事じゃ」
闇の中から、この城の主が現れた。
かなり上背があり、直立したアインスでもやっと胸元へ届く程度、といった所であろう。左腰には、柄に髑髏を抱く一本の剣。
鮮やかな深紅の布地に、金糸で緻密な紋章の施されたドレス。同じく深紅色の、大きな鳥の羽をあしらったつばの広い帽子。その下から、幾束かの銀髪が垂れている。
何よりも、その成功を信じて疑わぬ紅い双眸。鋭い犬歯を隠しもしない挑戦的な口元。
アヴァ・シャルラッハロート。
アヴァ・シャルラッハロート。
アヴァ・シャルラッハロート!!!
円卓列強と伍する伏魔殿の主は、その笑みに一点の曇りも無く彼女の前に立っていた。
"彼"は頭上に落ちて来た亀兵を片手で受け止めると、優しく地面に転がしてから侵入者に微笑む。
「よくぞここまで来れたのぉ、アインス……円卓の英雄よ。我が精鋭を蹴散らしてきた事、少しばかり褒めてやろう。じゃが、快進撃はここまでじゃぞ?」
現れたのはアヴァだけでは無い。周囲を取り囲む無数の気配に、アインスは気付いていた。
「出でよ我が両腕、"双影剣"よ!」
「にャぁ」「にャぁ~」
アヴァの両隣から前に出て、不敵な笑みを浮かべる双子の猫女。ふざけた言動からは想像もつかないが、アヴァの護衛を務める『伏魔殿』最強の剣士である。
「天地を統べる猛者よ来たれ、"四界円卓使徒"!」
「連絡用通路ノ戦イ、ミせて貰ったゾ」
「フン、我ガ百獣警備隊も形無シじゃワい!」
「鍛エ直シカ、腑抜ケ共ガ」「カカカカカカカカカ!」
伏魔殿の作戦参謀にして、国政長官も務める大臣達。元軍属出身は老いて尚壮健であり、全身甲冑を身に着けた姿はアインスよりも遥かに大きい。
「久遠の厭世より甦れ、"八柱邪神将"~!!!」
「たょりっへぷらな゛」
「失神爆殺射殺、焼殺毒素圧死?」
「111000111000000110101111111000111000001010001101111000111000001110111100」
「ガルルゴルルグギィィーッ」「■■■■■」「BAAAAAAAAAAAAAA_AAAAAAAAAAAA!!!」「#EYRA'Y*YRBE<」
この世ならざる言語で喋るのは、深海魚を元にした深海軍の長。彼らもまた、足首を慣らして待ち構えていたようだ。
蠢く影はまだ尽きない。混沌と終焉の担い手"十六堕鍵魔導士"、開闢の騎士"三十二大陸悪路師団"、煉獄の復讐者"六十四流血戦士隊"…他の幹部級も出揃っている。
周囲を完全に囲まれていた。そして全員が――手に手を取り合っているではないか!!!
「さぁ皆の者よ、勇敢な娘を歓迎してやるが良い!『シュテルクスト・カメラート』ッ!!!」
「「「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォーーーーーーーッ!!!」」」
ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ ザッ !
「きゃあぁーっ!」
互いに手を繋いだ歴戦の猛者達が、アヴァの号令と共に横列を組んで襲い掛かる!
完璧に足並みを揃えた行軍。高速で接近と後退を繰り返し、隙あらば鋭い蹴りを放つ。上から見ると、円のあちこちが絶えずアインスに迫ってくる感じだ。
その蹴りは、軽く突き出しただけで風を巻き起こした!これぞ『シュテルクスト・カメラート』!!!触れ合う仲間の数だけ強くなる、恐るべきアヴァ・シャルラッハロートの異能!!!
だがアインスは冷静に構えを直すと、軸足を中心に回転を始めた。その流麗な動きはどこか舞のようにも感じられ、幾本もの剣筋がほぼ同時に見える。ただ一本の剣で四方を斬る、高速剣術――
「"四舞"!」
ドカッ
「うわぁーっ」
バキィッ
「きゃぃーん」
べちーんっ
「ひぃー!」
…『シュテルクスト・カメラート』、何と恐ろしい戦術!剛柔自在の円陣は、四方どころか八方から蹴りに来る!!アインスの小さな尻に、今もまた"四界円卓使徒"の足先がヒットした。よろめいたアインスは脇を締め、剣を身に寄せて短く構える。
「ぐぅっ!ふ、"完全要塞"!!!」
巧みな足捌きで攻撃を回避する、防御の型。
だが数十人もの幹部が手を繋ぎ、数十倍に跳ね上がった膂力で放たれる蹴りはその程度で防げる代物ではなかった。
そして、策略においても向こうが一枚上手であった。円陣の動きに気を取られ、そこからいつの間にか離脱していたアヴァの、背後から忍び寄る気配を見逃してしまったのである。
ボコーンッ
「きゃぁーっ!」
隙だらけの背中に蹴りを受けたアインスは、痺れるような痛みと共に地面へと倒れ伏した。手元から剣が滑り落ち、冷たい石畳の上を滑る。
アヴァはその剣を拾い、両手で弄ぶように眺め始めた。アインスはうつ伏せのまま、その姿に厳しい視線を送る。
「円卓列強の剣か、悪くない。だが髑髏の装飾も無しとは、どういうつもりかのぉ。何にせよ、これで年貢の納め時じゃがな」
「…な、なぜ…争う…の…」
「ん?はて、一体どういう意味やら」
アインスは何とか頭を上げ、アヴァの瞳を見た。その顔は蝋燭の明かりで影が差し、赤銅色の双眸からは感情の色を読み取れない。相も変わらず、微笑みだけを湛えているのだけが分かった。
「え、円卓と…伏魔殿。そう、"伏魔殿"…そう名乗りを挙げたのは、自分から、なんでしょう…?何故、悪を…世界の、征服なんて…」
「かんらからから!何じゃ、そんな事か――安全の為、豊かさの為、綺麗な景色を見たいから。理由なんぞいくらでも作れる、それこそいくらでもな」
「そんな…っ!」
「じゃが、根本的な理由は渇きかのぉ。欲望のような湿った物ではなく、純粋な渇き。『儂は今生で何も成せぬかもしれぬ』という恐れ…儂の根源にあるのは、多分それじゃよ」
闇が色濃くなる。鉄臭い匂い。もしかしたら、転んだ拍子にどこかを強く打ち付けたのかもしれない。走馬灯のように、今までの記憶が頭を駆け巡る。
アインスを心配そうに見送ってくれた、町の皆様。
同い年のあの子。
お世話になった宿屋の老夫婦。
家宝の剣を譲って下さった、元騎士のおじ様。
河原での釣り。
あの子。
木の実を分けてくれた子供たち。
青い空。
見送ってくれた皆…。
枕元で絵本を読んでくれた、優しい……
アインスは生来、優しい気質であった。
『伏魔殿』が軍勢を整え、『円卓列強』に攻め入ると決めたのがつい二週間前の事。その情報がアインスの耳に届いたのが五日前であった。二大勢力が激突すれば、どちらの陣営も多くが命を落とすだろう。
これが生きる為の戦いならば、仕方ない。少ない食料を奪い合うのは、胸が痛む光景だが理解は出来た。だがその理由が富める者の欲望ならば、話し合いで鎮める道は無いのだろうか?アインスはそう考えて、伏魔殿へ和解文書を送ったのだ。しかし交渉は決裂。本日、アインスの直談判に繋がる。
碧い瞳から涙が零れた。地面の冷たさで震えているのかしゃくりあげているのか、もう彼女にも分からない。ただ最早この世界が、あの赤い双眸と分かり合えないのだと確信し、それがたまらなく悲しかったのだ。
「欲しいから奪う。欲しいから作る。それは生物として当然の事じゃ。動物如きと一緒にするな、等とほざくなよ?それはそれは、とても悲しい事じゃからのぅ…ん?」
アインスの口元を、アヴァの瞳が捉える。眼前に横たわる子供は、何事か小さく呟いていた。
「…みよ、…ちど、…たしに………からを……!」
「ほう、偉大なる三女神にご加護を求めるか。『自然の女神』か?『契約の女神』か?それとも『因業の女神』かの?何にせよ、捧げ物無くば如何に慈悲深き女神と言えども…っ!」
「…くもつ…には…………私の時間を捧げます…っ!!」
「なっ!?」
呟き終えると同時に、アインスの身体が輝き始めた。
しかし数舜の内に消失し、後には何も残らなかった。
アヴァは驚きを隠せない。同胞達はそんなアヴァの様子その物に驚いていた。
"双影剣"の片割れが駆け寄る。
「にャぁ~!アヴァさマ、い、今のハ一体?」
「してやられたわい。女神への供物に、己が時間を与えよったのじゃ…今までの人生経験その物をな」
「殴殺圧殺自殺――あ、アヴァ様。下手すると彼女、胎児に戻るのでは?」
「いや、それは無い。あ奴の願いが儂を倒す力ならば、行動出来る程度の余力は残る筈じゃ。しかしあの消え方…恐らく、アインスの居場所は『並行世界』じゃな。この世界とは異なる歴史を辿った、また別の世界よ」
「カカカカカカカカカ、困リマシタナ。デハ戻ッテ来ルマデノ間、決着ハオ預ケデスカナ?」
「それも否!決着は早いに限る!」
「「「ええええええええ~っ!!!????」」」
今度は伏魔殿の面々が、驚愕の表情を浮かべた。しかしアヴァは側近達を呼びつけると、全員の心配を他所にテキパキと命令を下していく。
その顔にはいつも通りの微笑みが浮かんでいた。「儂の思う通りになる」という、あの自信に溢れた笑みが。
「よいか、伏魔殿の皆の衆よ。儂はこれから単身でアインスを追い、決着を付けてくる。その間、円卓列強との戦線は維持しておくのじゃ。既に策は与えたからのぉ、儂が戻るまでの間は安心して"四界円卓使徒"に従うが良い。"双影剣"よ、うぬらはこの四人の護衛に回れぃ」
「オ任セ下サレ、カカカ!血ガ騒ギマスデスジャ!」
「にャぁ~、分かりましたにャぁ~」
やがて、"八柱邪神将"達がたらいに水を入れて持ってきた。それは子供数人で水浴び出来る程に大きく、底には美しい黄金の飾りが沈んでいる。
アヴァは腰に帯びた髑髏剣を抜くと、その切っ先を天に向け、空いた左手でたらいを指さした。
「我が名はアヴァ・シャルラッハロート、自然と契約と因業の信奉者なり!この世で最も偉大にして、最も慈悲深き三柱の女神たちよ!我が願いを聞き届け給え!――この星をお造りになられた『自然の女神』よ!此度、供物として捧げる金銀財宝に恵まれし幸運を、ここに感謝致す!御身に差し上げるは我が全て、生来より立てし誓いは健在である!」
髑髏の飾りは、いつかその身を自然に還すと誓う信奉者の証。所属の如何を問わず、この世界ではポピュラーな物である。
やがてアヴァの髑髏剣が光り、自然の女神が「いいよ~」と言うのが伝わった。
アヴァの言葉は更に続く。
「この星に則をお与えになられた『契約の女神』よ!我が伏魔殿が誇る、この国宝を受け取りたまえ!そして願わくば、儂とアインスが決着を付けられるように、同じ世界同じ地への扉を開き給え!」
突如水面が揺らぎ、見た事もない景色が映し出される。
たらいの中に沈めた、唯一無二の宝は消えているだろう。契約の女神が、この取引を良しとしたのだ。
次いで、アヴァは本当にお願いしますという顔を見せた。そのように装っているのではなく、本当にそう願っているからだ。
「この星に数奇なる運命をもたらされし『因業の女神』よ!どうか、どうかお願い致します!お目覚めになられており、ご機嫌がよろしく、儂の願いを叶えてやっても良いと一抹のお慈悲をかけて下さいますならば、この水面に映し出されし世界において、儂と因業結ぶアインスの居場所を何卒教えて頂ければと乞い願います!」
それはもう、必死のお願いだった。因業の女神はどんな感謝も供物も必要としないが、とことん気まぐれなのである。もしここが叶わなければ、見ず知らずの世界で探し出すのに何年かかるか分からない。
だから滅茶苦茶祈った。同胞も皆、一生懸命にお願いしてくれた。やがてアヴァの脳裏に、一筋の天啓が下される。
「…っよっしゃぁ!アインスの居場所が分かったぞ!よし、よし、よぉし!」
「やりマしたにャぁ!」「衰弱眩暈朦朧耽溺!」「カカカカカ、サァ早クたらいノ中ヘ!」
同胞とのハイタッチもそこそこに、アヴァはたらいの縁に足を乗せる。
「良いか、必ず儂は戻る。この入口はすぐに消えるが、決着を付ければ必ずこちら側へと戻ってこられようぞ。三柱の女神は既に願いを叶えて下さった故、道中新たなお力添えを望めはせんが…」
「任せルにャぁ~」「背中ハ預カリマシタゾ!」
「では我が同胞達よ、今しばしの別れ!さらば!」
「「「「「ご武運ヲ、アヴァさマ!」」」」」
こうして伏魔殿の主、アヴァ・シャルラッハロートは、英雄アインスとの決着を付けるべく、別の世界へと渡ったのだった。
――で、アヴァは東京都に降り立ったのである、が。
「デッカいのぉ!!!」
聳え立つコンクリートジャングルの只中で、アインスが消えた時以上に吃驚していた。
服装は土に汚れ、棒きれを杖代わりに持ち、天を突く摩天楼を眺めている。
「この世界、全部デッカいのぉ!!!」
否、逆にアヴァが小さいとも言える!
『伏魔殿』の中では背が高めだったが、この世界では道行く人間のくるぶしまで頭が届くかどうか、どう見ても親指サイズでしかないのである!
『伏魔殿』や『円卓列強』が存在する世界は、数億年前に歴史が分岐した地球である。
アヴァは知る由も無いが、彼の故郷は隕石の衝突とその後の氷河期が長引いた世界であり、酸素や食料の不足にとって大型獣が育ちにくい環境が続いた。結果、あらゆる生物が小型サイズとして進化を遂げたのであった。
生物の最小限界などの問題もあり、猫や牛なども大体親指サイズでまとまっているのが特徴だ。しかし、この地球は違う。
「こ奴もデカいのか!!!」
「おぎゃぁ!」
アインスも!デカかった!!!
天啓に従って入った建造物の中で、民家サイズの特大ベイビーを発見した。足首の取り違え防止用のタグには、「山入端 一人」と油性ペンで書かれている。人違いを疑ったが、天啓の力はこのデカブツを見つけたと同時に消えてしまった。
契約の女神は、アインスに授ける力を単純に「デカさ」と捉えでもしたのだろうか。彼女はこの『東京』が存在する世界における人類として生まれ変わり、今はふぎゃふぎゃと泣いている。
「大きいが、こりゃどう見ても赤子じゃな…ここまで幼くなっておるとは、どうやって決着付ければ良いのじゃ…?」
透明な板越しにその頼りない様子を眺めていると、隣の男女が話しかけて来た。
正確に言えばずっとこちらへ喋り続けていたのだが、アヴァはなるべく見ないようにしていたのだ。
「いやぁ~可愛いわぁ~、ねぇねぇ妖精さん、妖精さん。お菓子食べるかしら?あ、これナッツ入りだけど大丈夫かしら~?」
「…違うぞえ。儂はアヴァ・シャルラッハロート、星の覇権を巡る二大組織『伏魔殿』の主にして、寝た子も泣きだす…まぁ、説得力は無いかのぉ」
「やっぱり典型的な魔人能力の産物っぽいなぁ。もしかして、それでこの子は捨てられたのか…」
巨大な塔に匹敵するつがい。勝手に喋る内容から察するにアインスは捨て子であり、その引き取り先としてこの二名が名乗りをあげたらしい。
本日はいよいよ、という所で、思わぬ闖入者を発見したという訳だ。
この世界にも異能の保有者はいるらしい。どうも二人はアヴァの事を、アインスの持つ異能の産物と思い込んでいるようだった。
女の方が、くらくらする程呑気な声音で話しかけてくる。
「妖精さん、あなたは一人ちゃんと関係ある子?」
「子て。ま、果てしなく因業結ぶ関係じゃのぅ。こことは異なる世界より、あ奴を追って来る程度にはな」
「まぁ!ねぇあなた、アヴァちゃんもうちに連れて行きましょうよ!」
「ふん。窮しても儂は長じゃ、施しは受けぬぞ」
眼鏡をかけた巨大な男が膝立ちになり、アヴァと目線を合わせて言った。
「アヴァ・シャルラッハロート様。今日は我が家に新しい家族が増えます。この喜びを誰かと分かち合いたいのですよ、どうか今晩の食卓にお越し頂けないでしょうか?ボク達の娘も喜びます」
「む…」
「アヴァ様の好むようなお食事も、誠意を持って作らせて頂きます」
「むむむ」
泣き止んだアインスが、目の前であちらこちらと視線をやっている。
その様子を見て、また男女は色めきたった。
「ついに私達にも子供が出来るのねぇ~」
「あぁ、可愛いなぁ!あの子は絶対、美人になるぞ~」
「ねぇ~一人ちゃん、あ、こっち見たわぁ!」
「"大きくなれ"って意味で"一人"にしたけど、ちょっと捻り過ぎたかなぁ…?あ、こっち見た!」
恭しい態度はどこへやら、すっかり"一人"の虜となったつがいを前に、アヴァは大きく溜息を吐いた。
「ぬぅ…せっかくの招待を無碍には出来んのぅ…その誘い、受けようぞ」
「「よろこんで!」」
こうして、一人は山入端家にやってきた。
そしてアヴァもやって来た。
◆ ◇ ◆ ◇
DANGEROUS SS EDELWEISS
"AVA・SCHARLACHROT(or KINTOTO)" PROLOGUE
Title call……
『EINS IN WONDERLAND』
Show Up !!!
◇ ◆ ◇ ◆
『(題名なし)』
「マーマ、きんとと」
「あら~、見てあなた。この子、絵を描いているわぁ」
「お、どれどれ?」
「キントトって何じゃ?」
「金魚って意味よぉ」
「きんとと」
「はぁん、祭りで見たあの魚か。アインスは絵が好きじゃのぅ」
「きんとーと」
「…なぁ、何かこっち見て言っとらん?お主もそう思わんか?」
「もしかしてこれ、アヴァさんの絵かも」
「儂!?この、赤いぐじゅぐじゅがか!!もうちょっとこう、色々と特徴あるじゃろがぃ!!!」
「きんとと」
「黒い点々を付け始めたね」
「カワイイじゃなぁ~い。後で額縁に入れましょ!」
「やめぇ!こんな物が儂の肖像として残されてたまるかぁ!」
「きんとと~」
「儂は!アヴァ・シャルラッハロートじゃあ~っ!」
◆ ◇ ◆ ◇
『きんててさゃん』
ワン!
「きんとと、わんちゃん!」
「静かにせぇ。今、同胞に出来ぬか試しておるところじゃ」
ワン!
「かわいいねー」
「ふふん。この骨を模した菓子が好きなんじゃろ?たっぷり持ってきてやったぞ、ほれほれ親睦を深めようではないか」
ワォーン!
「ママー、わんちゃん!わんちゃん!」
「あら~本当だねぇ~。わんちゃんだねぇ~」
「この体格、惜しいのぉ…『契約の女神』のお力添えが無い以上、儂があちらに戻れば置き去りにする事になるのじゃが…」
ワン!
「ん、ちぃと待て袖が牙にかかって…ああああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁー………ッ」
「ママー、きんととー」
「あ、あら、どうしましょう?」
「きんとと、いっちゃったー」
「駄犬は逃がしたが、裏山で同胞を見つけたぞい」
「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」
「むいむいだー!」
「ア゛ヴァち゛ゃん゛っ゛!?」
◇ ◆ ◇ ◆
『どんぶらこっこ』
「きんとと、なにしてるのー?」
「うむ。同胞も数が増えた故、これから畑を開墾するのじゃ」
「はたけってなにー?」
「野菜を作るんじゃよ。牧畜は厳しいが、小型の野菜ならば儂らでも作れる」
「やさいヤダー!」
「お主ので無いわ!兵站は何より重要なんじゃぞ!」
「よし。それでは新生…いや、『第二伏魔殿』の諸君!これより我らの楽園を築こうぞ!まず手始めに、庭の草むしりからじゃ!」
「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」「ゴキー」
「ひとりちゃんもやるー!」
「パパも手伝おうかな」
「二人共まだやってるのかい?もう土砂降りじゃないか」
「まだやる!まだやる!」
「お主らは先に戻っておれ、儂はもう少し石を…あ」
「…アヴァさん?」
「きんとと、おちた」
「え、あ、排水溝に!?」
「がぼがぼがぼが!」
「やはり、身長が近いと同胞にし易いのぉ」
「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」「チュー」
「ねずみさんだー!」
「ア゛ア゛ヴァア゛ヴァっ゛!!???」
「その子たちも含めて、皆お風呂に入ろうね」
◆ ◇ ◆ ◇
『へんしんどうほうさんおうこく』
「こりゃアインス、それは儂のブロックじゃ」
「あたしのだよー!」
「それが無いと店が作れんじゃろ!」
「一人、アヴァさんにも貸してあげなさい」
「ああぁーん!」
「こんにちはー」
「チュー」
「なにやさんですか?」
「チュー。ネずミとりトリ屋サんデス」
「おかしはありませんか?」
「アっちニありマすヨ」
「ありがとうございました!」
「こんにちはー、おかしありますか?」
「ゴキー?」
「おかいものやさんでーす」
「ゴキー!」
「ママー!これ、したにあったのー!」
「あら~ヘアピン、ゴキちゃんありがとうねぇ~」
「どモ」
「…それでな、これが『伏魔殿』圏内における通貨じゃよ」
「へぇー、砂金ですか」
「よく見よ、硬貨じゃよ。儂の横顔も打ってある。…向こうでは兵士一年分の給金じゃが、ここだと端金じゃな」
「こんにちはー」
「はい、こんにちは」
「何じゃ」
「おかしありますかー?」
「ほれ、持っていけ」
「おいくらですかー?」
「一万円じゃよ」
「はい、どうぞー」
「ふふ、『いちまんえん』か。一人も絵が上手くなったなぁ」
「…紙幣か。珍しいのぉ」
「へぇ、あちらには無いんですか?」
「海の底とも取引するしのぉ」
◇ ◆ ◇ ◆
『(無題)』
「良いか、アインス。因業の女神は慈悲深くも気まぐれで、その御心は人の手に余る物じゃ」
「あれは我が家の大黒柱にして、第二伏魔殿の補佐官も務めた。どこに出しても恥じる所の無い、立派な男じゃった」
「此度の事故は、儂も口惜しい。じゃがあの男は地の流れとなり、偉大なる三女神から最大の栄誉を受けるじゃろう」
「じゃから、泣くなアインス。――お主も英雄じゃろうに。心を強く持て」
◆ ◇ ◆ ◇
『大かいじゅうガオー』
「やぁーい、ちびのひとりー!」
「ちーび、ちびちびちーび!」
「グスッ、ひぐっ、えぇーん!」
「何をしとるかそこのおぉーっ!」
「ゴキキゴキャァーッ!!!」「チュ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ウ゛ッ!!!」
「うわ、何か来た!気持ちわるっ」
「いってぇ!刺してくるぞコイツラ!」
「去ね悪童めが、しっしっ!」
「ひトりちャんヲいぢメるナ!」「家ニ火ぃ付けルぞ糞ガキャァ!」
「…ありがとね、きんとと、皆」
「全く情けない、この程度で英雄が泣くでないわ。儂がお主ぐらいの時には、大蛇を相手に奮闘したもんじゃ」
「私、英雄じゃないもん…」
「ねぇ、きんととは、ずっと一緒に居てくれる?」
「儂は死なんよ」
「ほんと?」
「食ったら帰るぞ。今夜は遅いそうじゃからな」
◇ ◆ ◇ ◆
『コップの向こうで』
「きんとと、あっちの世界の話してぇー?」
「いいぞ」
「チュー」「ゴキー」
「ママも聞きたいわぁ~」
「鬱蒼と這い生える苔林を抜けるとな、そこはしいたけの森じゃったのよ」
「あはははは!何それ!」
「チュチュー」「ゴーキッキッキッ」
「ご飯には困らないわねぇ」
「そして深海軍の猛者が集ったのじゃが…今から思えば、儂らの言う深海とはこの世界の浅瀬かも知れんのぅ」
「今度、実際に海行って測ってみる?」
「チュ~」「ゴキキ」
「貝とかお魚も小さいの?それは困るわぁ…」
「~でな!そこで見たのがな、地平線までも覆う円卓列強の軍勢だったのじゃ!新大陸連合も、凍原皇国も、東方の島々から来た戦士までもが、その場に集っておったのじゃ!」
「うわぁ…それで?それで?」
「チュー…」「ゴクリ…」
「大変ねぇ」
「普通は撤退が鉄則!儂も普段ならばそうしたろう!しかしそこで退けば、後ろで怯える無辜の民をいかんとする!」
「でな、儂がそこでな、えんらく列強の軍勢を、無辜の民を、な?」
「…きんとと」
「…ゥ」「…ッ」
「わぁ、そうなのねぇ~。大変ねぇ~、ヒック!」
「ひっく!じゃろ?そこでなぁ、儂がなぁ、地平線のな?」
「きんとと、ママ。飲み過ぎだよぉ…」
「…グゥ」「…キーッ」
◆ ◇ ◆ ◇
『ジシャクハンター』
「ほら早くー、きんとともおいでよー!」
「砂粒が荒くて歩きにくいのぉ」
「水着もレディースなんだねぇ」
「似合うじゃろ?…って、こりゃ待てアインス!遊ぶのは自由研究をやってからじゃ!」
「ねぇねぇ見て見て!砂鉄がこんなに採れてるー!」
「うむ。伏魔殿でも円卓でも、こうやって磁石で砂鉄を集めて、武器防具を作っておるのじゃ」
「もっと沢山ある所ないかなぁ」
「公園も裏山も、田舎のじい様の庭も試したじゃろ?他の場所といえば…」
「ホレホレ」
「やめんか髑髏剣にくっつけるな!コラ、返さんか!」
「放すなよ」
「ちゃんと持ってるからだいじょーぶ」
「お主が放すと、永遠に漂流するからな」
「大丈夫大丈夫、ほらね」
「放すなよ」
「…きんとと、カナヅチ?」
「聞くな」
「流星群、綺麗だねぇ」
「そうじゃの~。これが来た夜は皆で、城の屋根まで上がって見たものよ」
「へぇ~」
「綺麗じゃのぅ」
「綺麗だねぇ」
◇ ◆ ◇ ◆
『図書館の栞になって』
「…あ、きんとと。おはよう」
「……おはよう。良く眠れたようじゃの?」
「声出してよ~」
「儂、夜中の十二時からずっとのしイカみたくなっとったんじゃけど?」
「ごめんて」
「最近重たくなったのぉ…」
「重くないよ!」
◆ ◇ ◆ ◇
「きんとと、どこー?」
声をかけられてふと我に返ると、アヴァはめくっていた紙を元に戻した。
パサリと小さく音を立てて、古い画用紙が床に落ちる。
「あ、こんな散らかしてー。何これ?」
「覚えとらんのか。お主が子供の頃、儂を描いた絵じゃよ」
「この赤いぐじゅぐじゅがぁ?」
「だそうじゃよ。十二年前のお主曰く、な」
一人の自室に、様々な絵が散乱していた。クレヨン画、色鉛筆画、絵本――チラシの裏に描かれた双六ゲームまで残っている。これはアヴァが直接乗って遊べるようにと作った物だった。全て、一人が描いた作品である。
「これ何かなぁ、『きんててさゃん』?自分の文字なのに読めないや」
「『きんととちゃん』じゃな。これも多分儂じゃ、儂が散歩しながらお菓子とか花を食べておる」
「何か恥ずかしいなぁー」
「こっちは酷いぞ、これ儂が排水溝に流された後に描いた奴だからな?」
「おー、それは何か覚えてる」
「すーぐ人をネタにしよるんじゃから」
「ごーめーんーなーさーい」
しばらく二人で、昔の作品をめくる。
それは、一人をモデルとした女の子が、様々な動物の家に招かれる童話。
それは、巨大な怪獣がいじめっ子やニンジンを踏みつぶす話。
それは、お酒好きのお爺ちゃんが語る昔話の中に、時空を超えて現れる少年の物語。
それは、宝物が身体にくっ付いてしまう男の怪奇譚。
それは、図書館の栞目線で紡がれる恋物語の短編集。
エトセトラ、エトセトラ。
この十二年で描いた作品は膨大で、思い出話は枚挙に暇が無い。
「一杯描いたねー」
「そうじゃのぅ」
「へへー!だからさぁ、私漫画家になれるかなぁ?佳作だよ佳作ぅ」
「なれるじゃろうよ、これだけ描けるならな」
「まだまだ全然描いてないよ。描き足りないよ!大賞取れなかったし、ネタだって沢山あるんだから!」
「そうか…」
そこから先の言葉が思いつかず、会話にぽっかりと穴が開いてしまう。
アヴァは何か口にしようと考えてみたが、そうこうしている内に時間が来てしまった。
半年前。一人は自作の漫画を小生館『コミックぽんぽこ』に投稿して、佳作を受賞した。翌々日、東京の某ホテルにおいてその授賞式が行われるのだ。
仕事の都合で母親は間に合わない。だが一人とアヴァは先行し、少し長めに東京見物を楽しもうと決めたのだった。希望崎学園入学前の、短い春休みの出来事である。
「一人ちゃーん、アヴァちゃーん。もう支度は出来たのー?」
「今行くー!きんとと、忘れ物はなぁい?」
「無いぞ」
一人はアヴァに右手を差し伸べる。結局何も言わずに、その掌へ飛び乗った。
視界の端に化粧用の鏡が映る――アヴァは、先日聞かされた忠告を思い出す。
"『気を付けて』"
「アヴァちゃん、一人をお願いねぇ」
「ふーんだ、大丈夫ですよー…あれ、財布がない!どこだっけ!?」
「…本当に、お願いねぇ?アヴァちゃんだけが頼りなのよぉ」
「任せておくが良い、同胞達も一緒じゃしな」
「ゴキキーッ!」「チュー!」「トカーゲ!」「チュチューン!」
「大丈夫!大丈夫、ちょっと油断しただけだから!」
「ええいアインス、鞄の中身を全て出せ!最後に総点検してくれるわ!」
アヴァは、頭上に浮かぶ一人の瞳を見上げた。その両目は過去を向いておらず、未来を向いて生きている。
かねてよりの夢だった、漫画家への道を見つめている。
いつも通りの光景だった。
いつも通りの、ぎゃぁぎゃぁと五月蠅く喚きながら過ごす、馴染みの光景だ。
たった一つ、少年の残した予言を除けば。
(ふん。『山入端 一人は死ぬ』『これまで助かった歴史の世界は無い』じゃと――?儂を一体誰だと思うておるのか)
アヴァの胸に、久方ぶりの戦意が蘇る。平和ボケを心配していたが、どうやらそれは杞憂であったらしい。
知らないのならば教えてやろう。
率いるは、共に鍛えし十二の部隊。
蟲に鼠に蜥蜴に小鳥、諸々合わせて一万体――その名もずばり『第二伏魔殿』。
我は星の覇権を奪う者。
魔さえ平伏す超越者。
寝た子も泣きだすその姿、誰が呼んだか『逢魔刻』!
アヴァ・シャルラッハロート。
アヴァ・シャルラッハロート。
アヴァ・シャルラッハロート!!!
悪鬼羅刹を踏み越えて、必ずや小生館の授賞式へと参ろうぞ。
――儂の獲物を横取りするつもりならば、同胞総出で蹴散らしてくれるわい!
「あ、電車に遅れる~!ねーきんとと、『シュテルクスト・カメラート』何で私には使えないのよー!」
「…アインスよ、お主は同胞と呼ぶに頼りなさ過ぎるのじゃ…」
〈アヴァとアインスの決着まで、後数日〉