がたん。ごとん。
揺れる室内で、私たちはふたりきり。
あんなことがあった後だ、車窓から流れゆく景色を追いかける気にはなれなかった。どうせ……、代わり映えなんてしない冬景色だし。
ここは十両の列車の最後尾。地獄から逃げ出すための特急列車、あの世のインフレも行き届いたのか、六文銭ではきっと乗せてくれない上等な列車、なんてね。
嘘。これはただの喩えよ。私たちは生きてる。
吐息に色はまったくつかずに、けれど火照る理由はないくらいには行き届いた空調の温度、それが証明していた。
だけど、少し顔が赤らんでいるかもしれない。なぜか?
だからだ。
私は、見つめる。
ひとりのおんなの子が伏し目で、つらつらと流れていく液晶の文字列を追っていっている。
電子書籍だろうか。そんな姿だって、不思議と絵になると思う。
本人は本の虫だってのにさ。
「知ってる? 電子タバコ。ルームシェアには優しい薬よね。だけど、わたしには物足りない」
「喫煙席がこの列車になくて残念でしたね、キーラ・カラス」
軽口には、軽口で返そう。私は、そう決めている。
そうさ、彼女の名前は『キーラ・カラス』。
本人いわく、東欧の言ってもわからないようなマイナーな国からやってきた貴族のお嬢様なのだそうである。
まぁ、そんなプロフィールはカノジョという存在を定義する上ですべてではない、よって今回は割愛しよう。彼女の人となり、それはこれからする会話をすべて追っていけばご理解いただけると思う。
「話は唐突なのだけれど」
こんな前口上をされた後に、唐突でなかった試しはきっとない。統計上、九十八回中七十二回はそれだった。
一々数えたのかって? そうよ、悪い?
「日本人で多い名字第一位が『山乃端』で第二位が『太田道灌』なのよ、知ってる? 山乃端一人、あなたって有名人だったのね、驚いたわ」
……加えて突拍子もなかった。
「初めて聞いたわ。『一人』って名前も多かったんですか……?
って! なんでよ、太田道灌って! どんな名字よ!!」
「あ、そっちツッコむんだ。わたしがクォーター・ジャパニーズで、そっちの言い方をすれば外人だからわからなかったわ。実際わたしは昨日、『太田道灌家康』って人に会ったから、きっとホントだと思ったんだけどなあ。
まぁ別にいいわ。『山田』とか『鈴木』とかいう珍しい名字なんて比じゃないくらいには『山乃端』がたくさんいる、これは本当。あなたにわたし以外お友達がいないということ、それと同じくらいには自明の理なのよ」
「それ、そっくりそのままあなたにお返ししてもいい……?」
「お受けするわ。実際、わたしに釣り合う人間なんてそうそういないんだもの。山乃端一人、あなたは光栄に思っていいと思う」
本当に口が減らない女だった。
いつもは本をちぎって、紙で巻いてそれに火をつけて、吸う――。
キーラ・カラスはそんな奇妙な癖を持つ女だ。正直、なぜこのような女と親交を持っているのか、自分でもわかる気はしなかった。
はぁ、ため息をひとつ吐き。
とん、とんと。跳ね返りも優しい天鵞絨のじゅうたんに向けて足を小突かせる。
話の最中になぜこんなことをしてるのかって? 言わせないで……、恥ずかしいから。
「事実、あなたは美しい」
そこからはじまる誉め言葉は……ほとんど言い返せずもせずに、長かった。
雪の結晶を、その壊れそうな精細さを保ったまま、組み上げ続けた先に山乃端一人、あなたの姿がやってくる。
ただし、けしてあなたは壊れやしない。その回る口先に、高級なピアノの鍵盤のように揃った形のいい磨かれた歯の並び……、ああ、黒鍵は置かれてなかった。ねぇ、押してみていい? え、だめ? いい音がすると思うのに。
手を伸ばしてしまえば、するりと逃げ出してしまう、その瞳が好き。
猫のようなしなやかさをもった、その体はわたしの両腕で抱えきれないと知っていても試したくなるの。
深く、重く、やわらかで、けれど幾億もの亡骸を呑みこんできただろう森――、そうと感じ取れるあなたの瞳と紙の色が大好きなの。ねぇ、そして……。
いい加減恥ずかしくなってしまった。
これ以上、思い連ねるのはやめよう。たまらず言い返す。
「日本語がお達者なようで……」
「わたしの祖母は日本語を使わせれば随一、魔人の大家『口舌院』の出よ? 当然じゃあない。
それとありふれた物言いではあるけれど、縁もゆかりもなければ極東の島国にまで留学に行くなんてことはできやしない」
かく言う、『キーラ・カラス』、この子もまた美しいのだけれど。私の口では褒めそやす度胸が足りなかった。
はじめて見たときは夜というものを織り上げた薄衣を頭からかぶっているのかと思った。
それは髪の繊維だった、彼女という存在が自前で作り上げた天然のヴェールだった。その奥から垣間見える肌はつややかですべらかで、ありとあらゆる水気をきっと弾くのだ。
これで、煙をくゆらす常の仕草が加わればきっと完璧になるのにと思うが、気を取り直す。
……!
長く揺られる感覚にぼんやりとしていたらしい、私らしくないことを考えた。
車窓を隔てた内外も見飽きたとはいえ、キーラ・カラスをこうまでしげしげと見るなんて私もどうかしていた。
「まぁ、話を戻すとして。さっきの話を思い出して。
これから私たちが戻る東京にたくさんの『山乃端一人』がいてもおかしくない?
いい、これからする突拍子のない話は全部聞き流してもいい。だけどこれからは前提として受け入れて。きっと『山乃端一人』はありふれている。あなたは特別でも、きっとその名前は特別じゃない」
いつのまにかあまり似合わない情報端末を仕舞った彼女は、頬に寄せていた人指し指をその本来の意義を思い出させるように、私という『山乃端一人』に向け、ゆんわりとした勢いで、けれど意思を込めて、ぴいんと突き付ける。
長袖は手の甲にまでかかっていたけれど、形よく切り揃えられた爪の先がよおく見えた。
「ヒヨコ職人になるのでしょう? 造顔師になるんでしょう? わたしのお嫁さんになるのでしょう?
あなたの未来を切り拓きたいのはわたしも同じ、だから協力させて」
……こうして、冗談と本気をごちゃまぜにして語るのが『キーラ・カラス』という女だ。
だから本気の度合いが大きい今はそれこそ本気と言っていいのだろう。黙ってかぶりを振る。
「『ダンゲロスSS エーデルワイス』という言葉に聞き覚えは?」
「『ダンゲロス』ってのは『希望崎学園』の異名だよね。SSは『武装親衛隊』のこと。エーデルワイスは高山に咲く花だから……『サウンド・オブ・ミュージック』――トラップ一家の物語の公演をあのアホ高校でやろうって話?」
ないと答えるのも芸はないので、私なりの語彙と知識をフル動員した返しを用意した。
ただし、この場合は断片的に知識があったし、話を脱線するのを好まない私は真面目な顔を作り付け加える。
「そして『ダンゲロス』とはこの世界を含む『多元宇宙』の総称でもある……だっけ? あなたの受け売りよ、忘れたとは言わさない」
「……そう、覚えていてくれて光栄ね 」
そういうキーラの言葉は深い諦念に満ちていて、同時になにか思い出したくない忌々しい過去に向けた嫌悪と、わずかばかりの郷愁が混じっているように思えてならなかった。
わかっている、これは好意を持つ人間に向けた錯覚ぎりぎりの妄想を私ができている。
そんな、カッコ悪くてたまらなく憧れてしまう、そんな現象なんかじゃあないんだ。
私は知っている、『キーラ・カラス』の過去を知識として知っている。だから彼女の戯言を肯定できるのだ。
この、冗談と諧謔を駆使し、洒脱な振る舞いで現実を生きる綺麗な女のことをほかの誰よりも知っているからだ。
本人を前に口に出すなんてこと、できはしないけれど。まるでカンニングペーパーをのぞき見したみたいな、着替えを垣間見したみたいな居心地の悪さを抱えながら私は生きていくんだと信じている。
だけど!
「戯言と切って伏すまでは思っていなかった。そのくらいの人間関係は築けていたと思うから。
だけど半信半疑だと思っていた。……ありがとう」
予想外に漏れた感謝の言葉に、面映ゆい心地だった。言葉を誤らずに済んだ、寸前の自分に、私は私に感謝した。
「お持たせしました」
今になって涼やかなガラスの器に入ったお茶が運ばれてきたが、それは一瞥に留める。
今はこっちだ、きっとさっきまで読んでいただろう小説の画面を呼び出して、見せる。
こっちは照れと罪の意識を隠すためだ。キーラ・カラスの過去はこれがすべてじゃないと私は知っているけれど、この文章にはお前の何割かが綴られているんだぞと、自分に言い聞かせるためだった。
Kindle unlimitedに入れば250円払わなくても無料で読めたけど、一応私も買ったよ。プライドの高いキーラがこんな自分の恥部を全世界に晒すような小説を許すわけがないから、きっとこれは本当のことだしあなたには手の出しようのない遠くで行われたことなんだと思う。教えてくれてありがとう、信頼してくれたみたいで嬉しかったよ」
この世界は理不尽に満ちている。
魔人が存在するのもそうだし、どうでもいい、くだらない、バカみたいな理由でたくさんの人が死ぬのもそうだ。
だけど、死ぬよりも理不尽で酷い出来事が起こるんだということを私はこの小説を介して知った気がする。
小説の内容?
それを私の口から知るのはフェアじゃない。それが知りたければKindle unlimitedに一ヶ月無料でいいから入って読むか250円払って読むかの二択だ。
ただ、キーラ・カラスという女が酷い目にあったこと、それだけ知っておけばいいかもしれない。
……?
ええと、私は誰に向けてこんなことを思ったんだろう。
まぁいいや思春期ならこういうことあるよね。それに、これはこれからする話にかかっているんだからちょうどいい。
「『悪魔の証明』じゃないけどさ。悪魔を見たことがあるなら神の存在だって信じられるわけじゃん?
もしかしたら、この世界が誰かの想像の産物で、パッと気まぐれで生まれてパッと消えるかもしれない。そうして私たちを見ている誰かさんだって『五分前仮説』や『水槽の脳』が適用されているのかもしれない。それに、こんな思考実験は思春期の人間なら全世界じゃあ繰言よ。きっと今も誰かが誰かにつぶやいている。
つまり」
私は、『キーラ・カラス』の前に立つ『山乃端一人』は懸命の決意で、先ほどのキーラを越える人差し指を作り上げる。続けての一動作で、彼女に向けて突き付ける。
「世界全体の名前が出るってことは、神だか何だか知らないけど、上の世界にいる何者かが良からぬことを企ていて私たちが危ないってことだよね
ただそいつらの正体が、創造論の神様でも、仮想世界のホストAIでも、何だったら暇を持て余した四次元人でもなんだっていい。だって、手が届かないことに変わりはないからそいつらの魂胆なんて考えても意味ない、でしょ?」
どうだ参ったかとまでは言わなかったけれど、自信はある。
だけど、目の前のキーラを見ていると、なぜか所在なさげだった。珍しくもふわふわと視線をさまよわせている。んっと……、間違い? キーラはこういう時、冗談混じりに誤魔化すのだけれど。
「近からずも、遠からず、かな。まぁ、お茶でも飲んでのどを潤して。いい、熱いから絶対に最初は口に含む程度でね」
渋々とお茶を口に運ぶ。
……? 紅茶は赤かった。
赤い味ってのはこういうものだったかな、ひどく冷めていてそれなのに時折生暖かいものが混じる。
ひどくはないけれど、塩気が混じって鉄臭かった。
……鉄? 鉄と言えば、そう。
血だ。
これは、血の味だった。そう言えば、キーラは紅茶だなんて一言も言った覚えはなかった。
考える暇は一瞬で、上から流れたのは一滴だった。
ぽつん。グラスに赤い雫が落ちる。
、、、、空気が、、、、変わったと感じた。
キーラ・カラスはいたずらでこんなことをする女ではない。
私は視線を縦横に走らせようとして――、その場に縫い留められた。
真正面に私の手を握りしめるキーラ、疾くとこの場を離れよの合図だ。
キーラは、誰に言い訳の言葉をするとでもいうのか、自然とその場を離れるべくお手洗いに立つことを宣言する。
私を連れていく口実は……、ここまでの彼女の言動を追っていけばきっとご想像いただけるだろう。
きっと、その誰かは聞いていた。私たちの会話をただ、黙ってじっ……と、聞きながら首を手折る時を愉しみに待ち続け、心の中で嘲笑い続けていたのだ。
手荷物を人質に置いていき、少し心細くなった私だったが、コンパートメントを離れて客車をひとつふたつ、みっつよつ。私たちは、それでも歩みを止めることはしなかった。振り返ることもしなかった。
つい先ほどまでは百からを数えた乗客が、まばらになっていたからだ。
先ほどからぽつ、ぽつ、と血が落ちてきたものも、もう。
それはもう雫なんてものじゃなくて五月雨に近くなって、ばらばらっと私たちを追いかけるように落ちてくる。
いつつむつ、ななにやあ……、作為と悪意を感じる何者かの演出に乗っかることもなく、私たちは自然と走っていた。手を引かれるままに私も走っていた。
誘い込まれているのだろうか?
ただ、私たちには逃げるしかできないのだから同じことなのだけれど。
そしてとうとう私たちは先頭車両へとたどり着く。展望のためのデッキ、外を臨むところに着いた。
中と外を隔てるものは既に破られ、びゅうごうと吹きすさぶ風雪にそこは晒されていた。
きっと、この状況を指して人は「絶望」と呼ぶ。
「背水の陣というわけね」
それまで、無言を貫いていたキーラが口を開く。その言葉には怒りが籠められていた。もっとも、怯えは隠せない。
ぎゅっとつむった瞳、噛みしめられた奥歯、行き場のない力みをむりやり言葉に変えたに過ぎないのかもしれない。
もっとも、それは愛用のパイプを取り出すための決意に過ぎないのだろうけど。だってキーラは口に出して言う言葉にあまり重きを置いていない女なのだから。
ここから私たちができることは一つだけだった。
飛び降りて助かる保証もその勇気もない以上は、立ち向かうだけ。死なばもろとも、手は外さない。
周囲をぐるりと見渡して、素人目ではよくわからない大事な機器を背に待ち受けた。
事前に受けた説明によると乗務員が全滅したところで、乗客を送り届ける機構は働き続けるとかで、ならばもらい火、フレンドリーファイアを心配する必要はないと割り切った。
禁煙車だけどなんのその! ……って、咎めるものは私を含めその場にいなかったのだから関係なかった。
そこからキーラは黙々と、けれど俊敏な仕草でパイプの火皿に刻んだ本――言葉を詰める。
すぐさま、ふと意を決したように振り返ると煙を吐き出したようだった。
ようだった、というのは理由があって、私は決して振り返らなかったからだ。
別にそう警告されたわけではなかったのだけれど、きっとそうしなければいけない気がしたから。
先ほどの行動から逆算すれば、キーラは私に「見るな」と言いたいのだ。実際、横顔に認めたキーラもぎゅっと目をつむっているのだからそれが正解だろう。
キーラの手はかたかたと震えていた。それを悟らせないよう必然、力も強くなるのだけれど私は同じくらいの力で握り返す。それは私はここにいるのだ、生きているのだという言葉要らずの主張だった。
吐き出した煙は即座に猛烈な火勢となるが、煙と化して即座に収まる。かと思えば先段より少しだけ勢いを弱めて着火、急激な燃焼と収束を繰り返しながら何者かのかすかな悲鳴を呑みこみながら燃え盛っていった。
だけど私は横顔が綺麗だなと能天気なことしか考えられなかった。なぜだろう私? なんなら脇目にしか目に入らない炎と無慈悲で趣のない熱よりも残照、照り返しの方が美しいと思ったのだと解釈してみよう。
続いて、からん、からんと、「煙草」は元より「茶葉」でもない、他ならない「言葉」を詰めた缶詰が袖から転がった。キーラはしまった! という顔をしたが、ひとつ私が拾うや安堵したようだった。
どうしてもエネルギーロスは避けられずに目減りする火皿に、手探り、手探り少しずつ付け足してやる。震える指先は幾分かを取り落す。古書の香りがぷんと鼻をついたが、今は気になることがなかった。なぜか?
点滅を繰り返す猛火は、そのくらいには力強く、怪しいものすべてを吹き飛ばしてくれるのだと信じられたから。
だから私たちは一方的に見えるけど、けれど当事者にとっては寒気しかやってこない炎の蹂躙劇をしばらく続けた。
私たちは本当に必死だったんだ。死にたくないと心の底から思ったんだ。
一瞬でも、それとも数秒数分数時間でも、なんでもよかった。炎と熱と光と煙、それらが収まった時に調度のすべてが崩壊し、輪郭を残して煤けて炭焦げのようになった先頭車両の中には私たち二人だけが残っていた。
三六〇度四方を見渡してみても、そのほかに何も異常なところはない。危機は去ったのだ。
それだけでよかったと、私はほっとため息をつく。今度は白く色づいていた。
「『水棲人(インコラ・パルストリス)』、『非現実の王国で』、『勇者刑に処す』……。
貴重な本を使わされたわ……しかもロクに味わう暇もなかった。おのれぇ」
お約束のように悪態をつくキーラも煤けを被っていたのだけれど、薄墨色の色素の薄い瞳とよく似合っていてとても素敵だよと言いたくなった。もちろん、私は気恥ずかしいので言わないのだけれど。
こうして、私たちの、新潟という名の異界に危うく連れ去られそうになった逃げ道兼帰り道の冒険は幕を閉じることになる。
新潟発東京行の豪華列車は、異物が迷い込んでいたために九割がたの乗客が行方不明となり、残りの一割も八割がたが正気を失っていたらしい。どうやらこういったこともよくあることらしく……ゾッとさせられた。
キーラが頑なに見ようとせず、見せようともしなかったなにかについてだが、多弁な彼女には珍しいことに一言で済ませてしまったことからも今回の脅威が妄想上のものではなかったことを察してほしい。
「鬼がいた」
正確には、女の生首を抱えた美しい少女の姿をしていたらしいけれど、その姿が視界の片隅に入った時点でキーラは死を覚悟したらしい。そのまま死を受け入れなかった理由は……、言わせるなよ恥ずかしい。
悪魔がいるなら鬼もいた。
こうして私は世の理不尽と、唐突さは言葉に依らずやって来るものだと知って少し賢くなれたのかもしれない。
と、ここで少し行間を挟もう。
正直に言えばあまり愉快な経験ではなかったし、
レトロでハイソな東京駅において、事情聴取を終えた私たちはようやく解放された。
煤けた制服を恥ずかしく思いながら、冬の寒空に放り出した鉄道魔人警察のことを私は少しだけ呪う。
ふたりともが魔人だってことは悟られなかったと思いたいけれど、流石は優秀な日本警察、魔人という狭いカテゴライズでもきっとそれは同じなのだろう。
寒空を見上げてみればオリオン座も見えない闇一色、黒い背景の中にこの女を投げ込んだら、見えなくなるのか、それとも『キーラ・カラス』座になるのかと下らないことを考えてみた。
だから気づくのが遅れたのかもしれない。私たちはあれからずっと、今に至るまでお互い手をつなぎ続けていた。
そのことに気づいたのは、やはりキーラの方だった。
努めてポーカーフェイスを保ちながら、ゆるゆると指と指の絡まりを外していくキーラはその寒色の名残を惜しいとは思われないように、つるつると言葉を紡いでいく。だからだ。わかった時の私では、口をふさぐことはできない。
「かつて――、わたしの紹介文に混じった『一方的に嫌っている』という文言をツンデレ混じりの好意で『仲が良い』と作家の『架神恭介』氏は解釈したわ。
きっと、私の好意は言葉よりも一段上と解されるらしいの。ねぇ、わたしの唯一の友人『や』・『ま』・『の』・『は』・『ひ』・『と』・『り』?」
『キーラ・カラス』という女は、自分の照れを隠すために私を照れさせることにしたらしい。
照れた理由? だからね、何度も何度も言わせないでよ! 恥ずかしいから。
ああ、そうそう。このせいで私が『ダンゲロスSS エーデルワイス』について聞きそびれたかって言えば、そうなのだけど……。結局、次の危機に備えるには向こうから切り出すまでお預けだったの、残念。
って、残念とかそういう問題じゃないんだ!
「恥ずかしいこと言うなー!」
最近買った銀時計を揺らしながら、『キーラ・カラス』へと掴みかかる私だ。
結局、この銀時計の来歴も話の中で触れそびれたじゃないか、どうしてくれる!?
……って、怒ってみても仕方ないんだよね。
周囲のけげんな顔をよそに、いくら掴みかかってみてもひらりひらりと紙吹雪のように舞い散りかわすキーラを見て、なんだか毒気が抜かれてしまった。
……っと、以上だ。
冒頭で触れた通り、この女『キーラ・カラス』についてご理解いただければ幸いである。
そして、ここからの体験談は――、ご察しの通りに私『山乃端一人』の「愛と逃避の物語」だったりする。
それから、そのほかの「山乃端一人」という女たちを巡っての受難と相克の大戦争『ダンゲロスSS エーデルワイス』の記録になっていったりもするのだが、それについて語るには今日はいささか日が遅い。
また、日を改めてご紹介の機会を賜れば、って何考えてるんだろう私。
「さ、帰りましょうか。なんだかおなかが空いたわ、甘いものが食べたい」
だなんて、思ったのも一瞬の話。何の気もない一言だったのに。
奴は公衆で私にとってとんでもないことを言いやがった!
「あなたの愛の味はきっと誰よりも甘い、きっと赤面の味ね」
「食ってんじゃな―い!」
正確には、キーラとの出会いのきっかけだ。あいつは、私が出したラブレターを燃やして吸いやがったというエピソ-ドがある。
ああもう! 部外者に説明したところで、絶対わかってくれないよねこの経験。
「私のラブレターはそんなに甘いのか、キーラ・カラス!!!」
甘すぎて発火点を迎えそうな言葉だった、冷静な私はここから療に帰るまでの間に何度か叫び出すことになる。
こんな女に惚れてしまったのが私の弱みである。
もっとも。助け助けられでなかなかに楽しい間柄と第三者からは捉えられてしまう。結局のところは、お互い悪くない日常だと思っているのだから始末に負えないのだ。